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Channel: 死ぬまで生きよう!
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安心は「神話」 ②

「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとりの子としての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた」。これいとれば、紀元一世紀に一人の人間としてユダヤに生きたイエスなる人物は、実は世界の初めから神とともにあり万物を造ったという、あの神の言葉が人間となったものに他ならない。聖書に無関心で懐疑的な者は、秀逸な文学作品としてこれを読むが、キリスト教...

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宗教と因果・神話と呪術

マルクス主義というのは、宗教と対峙するところから生まれた。唯物論哲学からみた観念論哲学者というのは、宗教も芸術と同じような空想あるいはフィクションの世界であることを理解できずに、真理のあり方だと解釈する。さらには芸術も 宗教も真理であるというところに共通点があり、宗教のほうがより高度の真理だというところに差異があると主張した。対する科学的な唯物論においては芸術も宗教も認識の在り方であり、芸術のフィク...

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天地創造という想像

聖書は一体誰が書いたのか?『旧約聖書』の最初の五篇はモーゼとされ、「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」を、「モーゼ五書」と呼んでいる。ユダヤ教もキリスト教もこの五つはすべてモーゼの書いたものとされている。ところが「旧約」にはモーゼが知るはずのない記述が散見され、常識的・合理的に見て奇妙なことが数箇所存在する。ヘブライ語『聖書』の完成から数世紀にわたって、ユダヤ教のラビたち...

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カルロス・ゴーン落日

ゴーンが逮捕された。驚いた。あのゴーンがである。逮捕容疑は、有価証券報告書の虚偽記載だという。なんとも陳腐な守銭奴男だったのか?同容疑は一連のライブドア事件で逮捕された堀江、宮内、岡本、中村の4容疑者は、証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)の罪で起訴されていたが、同4容疑者はその後、有価証券報告書の虚偽記載で再逮捕される。金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)というのは、分かりやすくいうと...

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進化か創造か

神の存在を信じる人が信仰に入り、神の存在を信じぬ者は信仰の対象がない。宗教学者や神学者は、「旧約聖書」の証拠を躍起になって探し求めているが、不思議なことにパレスチナの大地は、「旧約」の証拠を何一つ残していない。このことは『聖書』にまつわる最大の謎であろうし、これまでそのことを誰一人として疑いを差し挟まなかったのは何故なのか。パレスチナが「旧約」の舞台であるのを疑う者はいないが、時代が進んで聖書学が進...

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科学と信仰

キリスト教支配から科学の時代へと移行の過渡期が17世紀である。宗教と科学に関する問いかけは17世紀を機に始まったが、検証可能な事実を対象とする科学と、信仰の理由をあえて求めたりしない宗教は相容れないものであった。とはいえ、キリスト教徒すべてが科学的な探求をしていなかったわけではない。著名な科学者が熱心なキリスト教徒だったりした。キリスト教の影響を受けた時代の人々にとって、自然についての「知」が、神の...

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進化論と創造論

いうまでもないが、自分は創造論を否定する。どちらが事実と適合するかを考える際には進化論に基づく考え方および創造主を信じる考え方に加えて実際の世界に見いだされる事実を対比させる必要がある。神などいない、創造主もいない、だから進化論が正しいというではなく、進化論が何を予告し、創造論が何を予告したかくらいは知っておいてもよさそうだ。◎進化論が予告した事柄...

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『種の起源』 ダーウィンの偉業

『種の起源』が発売されたのは、1859年11月22日。安政の大獄で吉田松陰らが処刑されたのが同年11月21日だから、『種の起源』発売1日後である。初版1250冊以上の申し込みを得るなど人気を博したが、「ヒトとサルは共通の祖先をもつ」というのを示唆したことで、キリスト教社会から、「人は猿ではない。人と類人猿とは別個に想像されたものである」と激しく攻撃された。これに対し、進化論を擁護する人は、「幼児が足...

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無常の行方

「無常」という言葉をしばしば耳にする。仏教用語であるが普段から普通に使われる言葉でもある。自分はあまり使った記憶がない。言葉自体は知ってはいたが、高校の古典の授業での有名な一節が印象に残る。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と、『平家物語』の冒頭文の暗記はどこの高校でもやるのだろう。暗記という行為も勉強の一方法であろう。栄華を誇った平家一門の滅びゆく姿を語るこの冒頭は、日本語の美しさを体現して...

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「愛」の無常について

すべてのものが移り変わることを、「無常」というなら愛も例外ではない。いや、愛こそが無常の最たるものか。この場で幾度か書いた言葉がある。「彼は10年前に愛した女性をもはや愛さない。その筈である。彼女は以前と同じでなく彼も同じではない。彼も若かったし、彼女も若かった。今や彼女は別人である。彼女が以前のままなら彼は愛したかも知れない」。パスカルの『パンセ』の有名な一文だが、男目線という批判には、彼と彼女を...

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「東大王」談義

家族・親族が会して食事などをたまにするわけだが、男が少ないこともあってか女同士は満開の桜ごとき会話を乱舞する。「東大王ってすごくない?」、「すごいすごい、あの人たちの頭ってどうなってるんかね~」。誉め言葉に罪はないが、誉めるべくを誉めるならであって、無用の誉め言葉は罪を生む。そうした会話にちゃちを入れるのが男の義務だろう。「東大生がクイズなんかに熱中してどこが凄いの?」などと低レベルな発言で水を注す...

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無常の愛

恋愛の言葉の最後というものは、「愛するか否か」の断言だけである。「どちらでもない」という曖昧な言葉はとりあえず無視。然りか、否か、いずれかをいうのが相手への誠意であり、卑怯者の誹りを免れない誠実さでもある。残酷であろうとも自らの気持ちに正直であれば、あとは言い方を配慮すればよい。人は傷ついてこそ強く、逞しくなるしかなかろう。人間とは一つの幻影という見方もできる。絶えざる危機と不安と不遇のうちに、自覚...

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無情の愛

愛は無常であると事例をあげて述べたが、無情の愛もあるようだ。無情と非情は似て非也。言葉も違えば意味も違う。無力と非力もしかり。「無情な仕打ち」と、「非情な仕打ち」と、この違いをどう感じとるかは人それぞれだろう。懐かしや、「非情のライセンス」というテレビドラマがあった。ドラマ系を観ない自分は、タイトル名は知るものの一度も観た記憶がない。主演が天地茂なのは知っていた。ニヒルで辛気臭さ漂う天地は、笑顔の似...

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死についての妄言

「死ぬまで生きよう」のブログタイトルもあってか死への思考は止まない。書けど書けども分からぬ死を書くのは妄言である。が、死を分かりたいから書くというより、未知への好奇心かも知れない。随分と前、性体験前の性への興味は、体験後には、「こんなものか」だったが、死だけは死んでも体験できない。だから、どんなものかを想像するよりない。誰でもいい、死んだ者と話してみたいがそうもいかない。性と同じく、死も体験すれば、...

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正しい死・正しくない死

絶望で死するか、絶望を生の出発点とすべきか。どちらの考えも生き方も理解はできる。問題は、自分ならどちらを選ぶかであって、絶望の果てに命を絶つひとを全面的に否定はしない。全面的にというからには、一部においての否定はある。その理由として、「人生は無限に広くて深い」という事実。我々の知らない真や美や人間がどこに隠れているか分からない。一切を自らの思考だけで考えると狭くなる。その狭さからくる人生の否定を肯定...

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死と宗教について

まったく、こんにち、いろんな宗教がある。あるいは宗派がある。平成29年度の『宗教年鑑』で調べてみると、神道系84860派、仏教系77168派、キリスト教系4690派、諸教14380派となり、合計で181098派となっている。なんとも沢山の神々がいることだ。狭い日本の中だけでこれだから、世界全体では驚くべき数になるだろう。これは一体どういうことなのか?人間というもの、あるいは人類というものが、「多神教...

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無宗教的死生観

人生とは生を受けて死するまでの道のりをいうが、途中の青春期とは人の第二の誕生といえよう。これまでの周囲の人たちから教え導かれた少年期を脱して自らが疑念を提出し、その答えを自らが担うことになる時期。自分の経験でいっても、「どうすればいいのやら…」、苦悩連続の青春期であった。考えても考えても分からない物事や人間の不可解さは学問の比ではなかった。分からないから考える力が身につく。神仏や誰かの力を借りなかっ...

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宗教と信仰について

宗教を研究したことも、信仰を体験したわけでもないが、宗教や信仰への主観的な感想はある。学問は体系であるから、「体系的に学ぶ」とは、一つの視点や情報にとらわれずに別な視点や情報にも目を通し全体的に学ぶこと。宗教は信仰であり、信仰とは自然や人為を超えた観念で、観念体系に基づく教義、儀礼、施設、組織などを備えた社会集団を教団(宗教団体)という。信仰は観念であるがゆえ、宗教を体系的に学ぶと矛盾が生じてくる。...

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死とは人間と自然の融合

宗教とは何か?に対し、「…人間の問題の究極的な解決にかかわると人々によって信じられている営みを中心とした文化現象である」という試験の答案では100点満点をもらえるものであれ、宗教においてはその営みの関連において、神観念や神聖性を伴う必要がある。したがって、「人間社会の究極的な問題を解決する」という宗教の理想からは乖離を感じる。「あなたは神を信じますか?」と道を歩けば問いかけてくる宗教がある。内実をい...

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男と女の諸行無常

「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」は、形而上学領域で議論される有名な問いの一つであり、神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから、「究極のなぜの問い(The Ultimate Why...

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