まったく、こんにち、いろんな宗教がある。あるいは宗派がある。平成29年度の『宗教年鑑』で調べてみると、神道系84860派、仏教系77168派、キリスト教系4690派、諸教14380派となり、合計で181098派となっている。なんとも沢山の神々がいることだ。狭い日本の中だけでこれだから、世界全体では驚くべき数になるだろう。これは一体どういうことなのか?
人間というもの、あるいは人類というものが、「多神教徒」であるということ以外に説明はつかない。とにかく、これほど沢山の宗教や宗派があって、それぞれの信者がみな私の信仰する神だけが本当の神さまだと信じているとしたら、外から眺めるとなんとも滑稽というしかないが、あらためて『宗教年鑑』の記述が、宗教の力と人間の不思議さを実感させられる。
多くの宗教の存在について、ある仏教宗派の僧侶がこんな風にいっていた。「どんな宗教でも最後に至りつく境地は同じもので、道が違っているに過ぎない」。よく聞く言葉である。「富士山を何処から登ろうと同じところに辿りつく」という言い方もしばしば耳にするが、自分にとってはこうした「多神教肯定論」というのは、説得力のある言葉には聞こえないのだ。
富士山登山についてこのように考えてみる。3人の男が三方の登山口から登っててっぺんで話し合ったとする。一人はスムーズに登れた。一人はそれなりに苦労もあった。さらに一人は険しく落石もあったことで大変苦労をした。そうした中で、なんなく登ったものはこのようにいうのではないか。「次回登ることがあるなら自分のところから登った方がいいよ」と…。
いろいろな信仰の最後に辿り着く境地や救いが同じであるなら、もっとも効率的で確実な信仰の道が一つあればよさそうだが、誰もが己が信ずる宗教が一番と思っている。どこの総合病院がいいとかの順位をつけるものではないところも宗教の独尊性や閉鎖性のようだ。「求めよ。さらば与えられん。叩けよ。さらば開かれん」。この言葉に惹かれる者もいるのだろう。
「求めよ。何も与えられん。叩けよ。さらば閉じられる」と、このように聞こえてしまう。冗談はさておき、キリストの言葉はものやカネではなく、神とか信仰とかの心の在り方についての教えである。金銭や富は求めて与えられるものでもないし、信仰が心にどう寄与するかは不明だが、何かを信じて生きて行く人には生き甲斐となる。信じなくとも生き甲斐はある。
信じるものがあるというのは良いことなのだろう。同様に、神仏を信じない生き方で困ることは何もない。人間以外の得体の知れぬ何かよりも、信じることのできる人間を探し求めて生きるもよし。信じるに値するものを信じるなら、神でなければならないことはない。厳格で敬虔なる信仰家庭に育ったラッセルは、ついには無神論者となる。ある日このような質問を受けた。
もしあなたがが死んで、気がついたら神の前に立っていて、神から、「なぜ私を信じなかったのか理由を知りたい」と要求されたらどう答えるのか?「証拠が十分でななかったのですよ。神様、十分な証拠がなかったからですよ」と、この言葉は確信的で面白い。「神を信じることに賭けてみろ」とパスカルはいうが、自分は、「神を信じない生き方に賭けている」。
宗教と死を結びつけることはないし、自分にとって死と宗教は何の関連もない。「宗教は死への恐怖をやわらげる。いかに安心して死ねるかというよりどころです」という人にとっては、「いかに安心して迷いなく生きること」という宗教の本質とはかけ離れた言葉に聞こえなくもない。しかし、その人にとっては死後のことが重要であるのもこれも信仰の在り方であろう。
宗教とは別に心と悟りの深遠な世界を旅することは可能だ。それが思想というものだろう。宗教はあくまで神仏を信じて安らぎを得ることだが、思想とは人が生きる世界や生き方についてのまとまりある見解を導くこと。宗教には崇める対象があるが、思想は信仰ではないのでそれがない。ばかりか、思想によって人間の正しい道を模索することも可能である。
死と宗教は結びつけて考えるべきという人がいた。その人は、「もしもこの世にに死がなかったら宗教は必要でない」という。確かに人間が死なずに生きているなら、神や仏を持ち出す意味はあるだろうか?宗教や信仰とは、究極的には死の解決に必要ということらしい。死が何か、何であるのかを生ある間に突き止めることはできないが、死の現象についての推測は可能だ。
死とは自分のまわり一切の人たちからの永遠の決別である。人だけではない。愛用の机や椅子や、それとなく収集した細々したものと永遠の別れである。さっきまで見えていたもの、聴こえていたもの、触れていたものが完璧に遮断されるというのは、なんとも寂しい限りであるが、これが多くの人たちが体験してきた死である。だから、同じ体験を自分もする。
「死は旅立ちである」というのも宗教的な考えだろうが、「死が旅たち」などと思ったことなどない。死は人間の完全なる終焉である。病気や事故など、人の死は様々であるが、結局人は生きているから死ぬのである。自分がすっかり壊れてしまい、腐ってしまうのが死であるから、そうならないよう焼くなり埋めるなりの処置で人間の無様な死を覆い隠す。
これが死の現象である。人間は死後の自身の生命を考える。誰も経験したことのない死後の世界というたたましき想像力。「死ねばどうなる…」これが人の考える死の連続性である。「人は死んでも死なない」とするささやかな希望…、それも宗教である。「世間は虚仮、唯仏のみ是れ真なり」これは聖徳太子の言葉。この世はむなしく、仏だけが真実である」との意味だ。
太子は1500年も前の人である。現代人が当時の世相を想像するのは至難である。奈良時代、日本人は仏教をとり入れたが、当時は仏教の、「法=教理や思想」と、「僧=教団(つまり集団修行システム)に関心は低く、日本人にとっての仏教は、現世利益をもたらせてくれる外国の神様にすぎなかった。国内の神々信仰と同様に、拝む対象としての、「仏」だけが大切だった。
しかし、聖徳太子は、仏教を思想レベルでとらえていた。太子のつくった日本史上初の成文法である、「十七条の憲法」には、仏教をもとに説いた道徳倫理の条項がある。とくに重要なのが第二条の「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏、法、僧なり」とある。「憲法十七条」の内容をかいつまんでいうなら、「仏を信じて心穏やかに仲睦まじくせよ」ということである。
仏教は、「この世は仮の世界」と教える。したがって、「この世での自分一代の生涯がすべてではない」ことになり、「この世は無常(永遠に変わらぬものなどない)」という思想にいきつく。さらにここから、死後の世界にあるとされる、「極楽浄土」や生まれ変わりなどの発想に結びつくのだが、聖徳太子当時の日本人に、こうした思想はなかなか理解できなかったという。
しかし、太子は仏教思想の根本を理解し、妻の橘大郎女(たちばなのいらつめ)に、「この世は虚空であり、仏の世界こそが真実なのだ」と言い残していた。太子の死後、橘大郎女は我が夫はきっと仏の世界で生まれ変わったと考えたが、それがどんな世界か想像がつかない。そこで推古天皇に絵にして欲しいと頼み、女官に織らせた織物が、「天寿国緞帳」である。