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進化論と創造論

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いうまでもないが、自分は創造論を否定する。どちらが事実と適合するかを考える際には進化論に基づく考え方および創造主を信じる考え方に加えて実際の世界に見いだされる事実を対比させる必要がある。神などいない、創造主もいない、だから進化論が正しいというではなく、進化論が何を予告し、創造論が何を予告したかくらいは知っておいてもよさそうだ。

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◎進化論が予告した事柄

  ・生命は偶然の化学進化よって無生のものから進化した(生物自然発生)。

 ・化石は次のことを示す: ①単純な形態の生物が徐々に発生している。②過渡的な形態のものが、それ以前のものとの間をつないでる。

 ・新しい種類のものは徐々に生じる。形成の始まりで十分に整ってはいない骨や器官の、過渡的な段階のものが色々ある。

 ・突然変異: その最終的結果は有益、それにより新しい特色が作られていく。

 ・文明の起源は漸進的であり、粗野で野獣的なものから始まった。

 ・言語は、単純な動物の唸り声から始まって、今日の複雑な形に進化した。

 ・人間の出現は数百万年前。

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◎創造論が予告した事柄

 ・生命はそれ以前の生命からのみ生じる。その最初は理知を持つ創造主によって創造された。

 ・化石は次のことを示す:①多くの種類の複雑な形態のものが突然に出現している。②主要な種類相互の間には隔たりがある。間をつなぐものはない。

 ・新しい種類の出現は漸進的ではない。十分に整っていない骨や器官はなく、すべての部分は十分に形成されている。

 ・突然変異は複雑な生物体に有害。何ら新しいものを造り出すことはない。

 ・文明は人間と共に始まった。初めから相当進んだものである。

 ・言語は人間の歴史の初めからある。古代の言語は複雑でよく整っている。

 ・人間の出現は約6000年前。

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   「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった」。知識も訓練もナシに言葉が話せるか?


◎実際の世界にみられる事実

 ・①生命はそれ以前の生命からのみ生じる。②複雑な遺伝の暗号が偶然に形成されることは疑問。

 ・化石は次のことを示す:①多くの種類の複雑な生物の突然の出現。②それぞれの新しい種類はそれ以前のものとはかけ離れ、間をつなぐ有無は定かでない。

 ・多くの変種はあるにしても、新しい種類の出現は漸進的でなく、形成途上の骨や器官は見つかっていない。

 ・突然変異は有害か有益かの議論はあるが、新種を生む可能性は否定できない。

 ・文明は人類と共に漸進していった。洞窟住民すら初歩の文明といえよう。

 ・言語は人間同士の意思疎通の必要性から人間によって考え出された。

 ・最初の人類は猿人として440万年以上前のアフリカの地層で発見されている。

生命がどのように誕生したかを決定づけえる確たる証拠はないが、化石という物的証拠は何を物語っているのか。進化論にとって化石は重要である。なぜなら、生物のある大きなグループが進化によって出現するのを実際に見た生物学者はいない。ゆえに化石の記録は重要な意味を持つことになり、進化論に必要な裏付けを化石が与えてくれるだろうと考えられた。

進化論が事実とすれば、化石の証拠は一つの生物から別の種類の生物へと、漸進な変化の跡を示しているはずである。進化論否定論者は、キリンの首を例に、「今のキリンの首の半分どころか3分の1程度の化石も見つかっていない」という。これに対して進化論側の批判は、「過去に生存してたすべての生物が化石になる訳ではない。ほんの一握りの生物」という。

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確かに大多数の生物は、死んで化石にならずに腐ってなくなってしまう。したがって、古生物学者は運良く残ったほんの一握りの化石を手がかりに、なんとか進化の道筋をたどろうと研究しているわけで、「全ての生物が全部化石になって残る」というのは暴論である。また、進化途中の生物の生息数が極端に少ない場合はさらに化石になる機会はかなり少なくなろう。

運よく化石になった一握りの生物であれ、土地や大陸ごと海に沈んでしまうこともあり得るし、骨がもろかったり小さかったりの生物も化石になりにくい。進化の過程の化石がないからといって、「進化論」を打ち消すことにはならない。「中間的な変異体で以前に存在したものの数は膨大なものとなるに違いない」と、化石の攻撃に対しダーウィンは反論している。

ダーウィンは19世紀の人であり、彼の時代に発掘された化石の記録もその数もダーウィンを失望させていた。キリスト教社会が中軸を成していた時代、創造論肯定派からの進化論に対する攻撃は凄まじいものであったろうが、すべては創造論が前提ゆえの所業である。公平にいうなら、「万物創造の神の起源の証拠はどこにあるのか?」ということにもなる。

縁の下を探そうと地球の内部を掘りまくろうと、創造論を裏付ける証拠など出ようはずもない。対する進化論なら過剰説明をすれば説明はつく。2010年、旧約聖書に登場する、「ノアの方舟」を探す探検チームが、トルコのアララト山の標高4000メートル山頂付近で発見した木片は、99.9%ノアのものであると断定したが、最終的には愉快犯が削った線路の枕木であった。

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  すべての動物のオスとメスを方舟に入れるシーンは笑えた。こんなにおとなしく、規則正しく行進するか?


本物なら化石と同じ扱いになるが、捏造では話にならない。ロマンは分かるが、科学的見地からいって、4000年前の木で造られた建造物が形をそのままに自然に残ると言う事はあり得ない。氷河の中にあったため風化を免れたと言う説が流行った。氷の中にある物は風の浸食は受けないが、けれど氷河というのは動くものであり、これも科学的に抹消される。

進化論と創造論と受け入れる割合はどのくらいであろう。証拠も何もない創造論を受け入れる多くは仏教以外の『聖書』を拠り所とする信仰者と思われるが、彼らは人間の脳の素晴らしさをも奇跡と称し、このような奇跡は進化論ではあり得ない創造論を認めること以外に説明がつかないという。奇跡は神が起こし、奇跡に近いものも神だから造れるというようだ。

まったく根拠はないが大雑把な数字として80%以上の世界の人が進化論を受け入れ、ほとんどすべての学校においても進化論をもとに授業を行っている。それらは敬虔なキリスト教信者家庭に育ったこどもたちは、受け入れられない授業となるのだろう。もっとも学校の方針と家庭の方針に齟齬があった場合には、家庭優先となろうから然したる問題はないと考える。

エホバの証人信者家庭による学校におけるトラブルは現在も存在するが、信教の自由から学校側の配慮がなされていようが、彼らの特異な聖書解釈は全国の学校に多大な影響を及ぼしていた。「校歌を歌うことの禁止」、「格技の授業に出席しない」、「クラブ活動に参加してはならない」、「クリスマス・誕生日・父の日・母の日を祝ってはならない」、「不信者との交際は禁止」などがある。

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いずれもエホバの証人が守らなければならない戒律である。これに対する学校の対応もまちまちのようだ。授業を拒否の生徒を退学させる学校、何らかの代替措置をとって卒業させる学校もある。1990年にあった、「神戸高専剣道実技拒否事件」では、新入学生徒の中に5名のエホバの証人信者が、武道の履修を拒否、退学処分を巡って裁判で争われることとなる。

裁判は最高裁まで争われ1996年最高裁第2法廷は、「高等専門学校において剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、他の体育科目による代替的方法によってこれを行うことも性質上可能である」と、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない』として、学校側の処分取り消しを決定した。すでに21歳となった原告は第2学年に復学した。

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