愛は無常であると事例をあげて述べたが、無情の愛もあるようだ。無情と非情は似て非也。言葉も違えば意味も違う。無力と非力もしかり。「無情な仕打ち」と、「非情な仕打ち」と、この違いをどう感じとるかは人それぞれだろう。懐かしや、「非情のライセンス」というテレビドラマがあった。ドラマ系を観ない自分は、タイトル名は知るものの一度も観た記憶がない。
主演が天地茂なのは知っていた。ニヒルで辛気臭さ漂う天地は、笑顔の似合わない笑顔のない役者で、「非情のライセンス」はのタイトルにピッタシ感がある。1973年から1980年までテレビ朝日系列で放送された刑事ドラマであるらしく、主題歌の『昭和ブルース』という曲も懐かしく、天地自身が歌う声の記憶は残っているが、彼が世を去って30年になる。
天地茂といえば数ある『四谷怪談』のなかでもっとも怖いお岩とされる、1959年度新東宝制作の『東海道四谷怪談』(監督・中川信夫)の民谷伊右衛門役が印象に残っている。映画のラストでお岩が美しい姿で昇天するシーンは、「こ、これが四谷怪談?」と思わせる新演出であった。他の中川作品はなくなっても、この作品だけは残ると、評論家の評価は高い。
三島由紀夫も本作品で伊右衛門を演じた天知にぞっこん惚れ込んだ。三島は天知の伊右衛門について、「近代味を漂わせたみごとな伊右衛門」と絶賛し、後の自作戯曲の舞台化『黒蜥蜴』(1968年)において、「このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人」と賛美、明智小五郎役に天知を抜擢した。非情なる伊右衛門役も、明智役も天地のキャラに相応しい。
『レ・ミゼラブル』の邦題は、『あゝ無情』とされたが、この訳をつけたのが土佐国安芸郡(現在の高知県安芸市川北)黒岩涙香(くろいわるいこう、1862年11月20日 - 1920年10月6日)であった。涙香による翻案が『噫(ああ)無情』の題で1902年(明治35年)10月8日から1903年(明治36年)8月22日まで『萬朝報』に連載され、これによってユゴーの名が広く知れわたることになる。
レ・ミゼラブルとは、「悲惨な人々」、「哀れな人々」などの意味である。それを、「あゝ無情」としたのは、結局世の中は不公平で理不尽なことばかりということが、「無情」という表現となった。好きな作品だが、「小説」を読む疲労が増すのか、「映像」に委ねる昨今である。多くのミゼラブルな人々になかで、もっとも哀しい女性こそ、コゼットの母ファンチーヌではないだろうか。
彼女は美しい髪と前歯を持つ可憐で純粋な美女にもかかわらず、娘のために身体を酷使して働きづくめ、それでも金が足りないときは大事な前歯と美しい長い髪をお金に替えた。何もかも売ってしまって彼女は、それでもおさまらず売春婦となる。男とのいざこざの際には、マドレーヌ市長ことバルジャンに助けられるも、コゼットをバルジャンに託し27歳で没す。
ユゴーの『レ・ミゼラブル』には非情な人たちも登場するが、職務熱心なジャベール警部、貪欲なテナルディエ一夫婦は代表格か。反面、ミリエリ司教には驚かされた。司教は清貧の人だが唯一の贅沢品として銀の食器と燭台を持っていた。しかし、バルジャンを泊めた翌朝、銀食器をバルジャンに盗まれる。憲兵が、「怪しい男を捕まえた」とバルジャンを司教に差し出す。
捕まったジャン・バルジャンに司教は、「食器だけでなく、燭台もあげたのに。なぜ一緒に持っていかなかったのか」といい含め、燭台をジャン・バルジャンの手に握らせて、「正直な人間になるために、銀器を使いなさい。それを忘れてはなりません」と告げる。『レ・ミゼラブル』の中で最も有名で感動的な場面であるが、人間はすぐには変わるものではないのをユゴーは描く。
人間と人間の関係にあっては、誰も自分が正しく理解されることを望むが、完全なる理解というのはあり得ない。それで相手を責めていいものなのか?ここに一冊の本があるとする。難解な哲学書ではないが、本の中身を完璧に理解しうることが可能かであるかを考えてみればよい。人は個々の知識レベルの範囲内でしか物事を理解できない。複雑な人間ならなおさらである。
自己をもっとも研究すべくは自分であるべきで、バルジャンも改悛に長い時を要した。人は誰しも自己の内部に空想的なものを持っている。ちょいと人に褒められると嬉しくなって自分の資質に自惚れる。反対に人からちょいと悪口をいわれると、しょげる、めげる、怒るなどの感情が発露する。極度の自己過信と自己卑下の間を、人は行ったり来たりしながら生きていく。
「僅かなことが我々を慰めるのは、僅かなことが我々を悩ますからだ」という言葉が示すように、僅かなことで一喜一憂する人間である。小さい小さい小さい…、人間は真に小さい生き物だが、それでこそ人間である。感情的にならず、理性を磨き、そして高め、自分を褒めたり悪口をいう人々の言葉は、「本当に正確なのか?」と疑ってみる。多くは見当違いであるのが分かる。
占いを信じる女がいた。毎日の、「今日の運勢」を気にする彼女であった。「気にしてどうするのか?」と聞くと、「ほとんど忘れている」という。なのに、朝いちばんに今日の運勢をみる。「いいことは気にするけど、よくないことは気にしない」という女の言い分を聞き、これも特異な能力かと笑った。いいことだけを頭において、気持ちさわやかでいれるという。
占いは信じないが性格判断なる判定は、自分を客観的な視点で捉える面白さがある。ただ、誕生年月日での性格判断は、同じ人だと同じ性格になるのがどうにも胡散臭い。双子の性質は似るというが、まったく同じ判定となる。「誕生年月日で性格が分かるか!」などは読み物として楽しむもの。自分の性格をピタリと当てるなど自身をおいても不可能であろう。
自分が分からないから気になる部分もある。人は人からの悪口を誤解とし、賞賛を正解と思う。投げやりで世捨て人的な人間は、自分の思うままにならない、周囲に理解されないからと卑屈になるが、人に起ることは自分にも同じように起こる。そでで卑屈になるか、道理として受け入れるかで、上手く行かない、人に理解されないのは当然と思えばいいのよ。
嫉妬深く虚栄心のかたまり人間は、挫折感や落伍感をネガティブに感じるようだ。漂う孤独感は同じでも、孤独を苦にするか、孤独を愛するかで違う。うんざりさせられるほどの孤独感を聞かされることがある。独身であれ、妻帯者であれ、ネガティブな孤独感を抱く人間の本質は変わらないものだ。「家族が敵に見えることがある」という知人がいた。
彼の孤独感は孤立がもたらせたもの。いろいろ考えてみるに、我々がはじめて孤独感を抱くことになるのは、実は最も親しかるべき家族なのかも知れない。ということなら家族とは悲劇的存在である。「家族が敵」というのは到底理解しえないが、子ども時代に母親は敵だと思っていた。それが、望んでその母親の子として生を受けたわけではないからだ。
自分の妻子は自らの意志で作り上げたものの筈だが、「家族が敵」という中年男は不幸に思えてならない。望まぬ親の元に生まれたわけでも、望まぬ伴侶を射止めたわけでもあるまいし、どれだけ虐げられたかを他人は知る由もないが、自らが作り、育てあげた家族を、「敵」とは無情であり、憐れとしか言いようがない。幸福とはほんの目の前にあるものなのに…