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安心は「神話」 ②

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「そして言(ことば)は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとりの子としての栄光であって、めぐみとまことに満ちていた」。これいとれば、紀元一世紀に一人の人間としてユダヤに生きたイエスなる人物は、実は世界の初めから神とともにあり万物を造ったという、あの神の言葉が人間となったものに他ならない。

聖書に無関心で懐疑的な者は、秀逸な文学作品としてこれを読むが、キリスト教信者はこれを真実として受け入れているのだろう。「真実は一つ」という理屈からすれば、有神論者と無神論者のどちらかが間違っていることになろうが、真実をそんな風にに考えてはいない。あるのかないのか分からない真実を、真実たらしめているのは、「解釈」ではないだろうか。


ある人があることを真実といい、別のある人はそれを認めない。何が真実か否かの判定を誰がくだす?キリスト教においては全能の神である。人間は神に背いたことで原罪を負い、罪を犯さずにはいられない状態に陥っている。ここから脱するためには神の恩寵によるしかない。愚かなる人間はすべてを神に委ね、神の御加護のもとに生きる。これがキリスト教徒である。

旧約聖書に記された古代ヘブライ人神話によると、天地万物は神の言葉によって造られ、新約聖書にも受け継がれた。救世主イエス・キリストは神の言葉を肉体をそなえ、人間となってこの世に生まれたものと『ヨハネ福音書』は結実させている。近年の研究において、神話である聖書の記述から神話的部分だけ取り除く解釈法を、「非神話化」といい、ブルトマンによって唱えられた。

ブルトマンは、神話的な聖書の世界観を受け入れることはできないとするが、いまさらながらである。神話というのはフィクションであり、フィクションが真実であるはずがない。聖書には多くの神話的要素がある。一つの例として、「バベルの塔」の逸話を取り出してみる。太古の人間はみなが共通の言語を話していた。そりゃ、その方が便利だから、いいに決まっている。

ところが人間たちはある時傲慢になって、煉瓦とアスファルトを使って高い塔を建て、天にまで届かせようとした。神は怒り、企てを止めさせるべく人間たちの言葉を乱し、互いが通じ合えないようにした。仕方なく人間たちは塔の建設を止めてしまう。神は彼らをその場所からあちこちに散りばめた。この時から人間たちの間に言語の相違が発生することになる。

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彼らが建てかけた塔とその周りの町は、このことにちなんで、「バベル(混乱)」と呼ばれている。嘘みたいな逸話であって、これを真実とは誰も思わない。と言いたいが…、キリスト教の信者はこれを信じている。ところで、「神話」というのは何であろうか?「言語というシンボルを操る人間にとって、最も古い自己理解としてのお話ないし物語」とは百科事典マイペディアの記述。

1. 宇宙・人間・動植物・文化などの起源・創造などを始めとする自然・社会現象を超自然的存在(神)や英雄などと関連させて説く説話。

2. 実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。「地価は下がらないという神話」、「不敗神話」

上はデジタル大辞泉の解説である。「神話」というからには神関連のことでもある。子どものころ、天体や宇宙に興味を持ったことで、星や星座にまつわる神話をたくさん知った。『星と伝説』という愛読書には多くのギリシャ神話は散りばめられ、多くは悲劇の物語だった。オリオン、ヘラクレス、ペルセウスら英雄神話にも憧れたが、おおぐま座・こぐま座の悲話に心を痛めた。

大人になってからは、アンドロメダを救う英雄ペルセウスを主人公とする映画『タイタンの戦い』や、サンリオアニメの『シリウスの伝説』などを観ながら、壮大なる星座の神話や伝説を堪能した。多くの星の名はアラビア語に由来するが、全天でもっとも明るい恒星シリウスだけはなぜか、「火花を散らす」、「焼き焦がす」というギリシャ語(セイリオス)に由来している。

星座伝説はギリシャ神話だけでなく、様々な国で様々に脚色されている。七夕の織姫と彦星の話は有名だが、近年の子どもたちはこうしたお話よりも、『ゴレンジャー』などの戦隊ものや、『ガンダム』、『エバンゲリオン』などに憧れるのは、親の影響とテレビの影響が大きい。星座の伝説から、「悲哀」という感性を学び取る機会を失っているように思えてならない。

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宇宙や星座にロマンを抱く子どもは今でも少なくないが、学校で話を合わせるためには、近年のアニメ作品を見るしかない。オリオン座やさそり座、みずがめ座などの名は、星占いとしての知識だけという子どもも今後は増えていくだろう。さびれた神話は押し入れの隅にしまわれたまま陽の目を見ることもない。これも時代であり、人はその時代を生きるということかと。

『シリウスの伝説』は力の入った名作である。ストーリーは『ロミオとジュリエット』をモチーフにし、それを火と水の世界に置き換えている。さらには神話的な部分と広大な宇宙観の世界の中に構築されている。人間の悲哀に心を砕かれるが、子どもに観せても周囲の誰もこれを知らない。孤立はするが本人の中で情緒が育まれる。他人と話が合わなくとも怖れることなどない。

時代に迎合しないことは孤立をするということで、だから名作に触れることにもなる。シェークスピアやゲーテやトルストイやディケンズが読まれなくなったのは、周囲がが読まないことも理由にあろうが、名作に触れずじまいの子どもたちの将来的な教養というのはどうなるのだろうか。が、新たな感性を身につけた子どもは、新たな時代に生きていくことになる。

偏見というより自身の経験でいえば、孤立を怖れぬ子は精神的強さが養われるように思うが、好んで孤立を望む子がいるのだろうか?学校というところは集団の論理が機能する。自分は小学高学年のころ、お昼休憩を待ちわび、速攻で図書室に直行した。学校で遊ばずとも、家に帰れば近所に子ども集団があって思う存分跳び跳ねられたが、図書室は学校にしかなかった。

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神話の定義を解説したが、宇宙は如何に、世界は如何に始まったかという壮大なるロマンへの興味は尽きるものではない。何事にも「始まりの物語」は存在し、ならば知りたいと思うのは必然か。神話に込められた活力とロマン、さらには混沌…。子どもの生き方は変遷したが、失われがちな方向を見出すために、悲喜こもごもの神話は子どもの感性に重要である。

「孤独は、人を破壊しない限りにおいて人を高める」という言葉がある。子どもの頃に読んだファーブル伝記を思い出す。彼は人としてまったくの孤独の世界に生きながら、虫や蝶や花などの動植物の仲間をもつことによって、孤独を完全に高めた人である。孤独を怖るなかれ、付和雷同がすべてではない。教養を高めることにおいて孤独は良き友となろう。

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