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無常の行方

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「無常」という言葉をしばしば耳にする。仏教用語であるが普段から普通に使われる言葉でもある。自分はあまり使った記憶がない。言葉自体は知ってはいたが、高校の古典の授業での有名な一節が印象に残る。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と、『平家物語』の冒頭文の暗記はどこの高校でもやるのだろう。暗記という行為も勉強の一方法であろう。

栄華を誇った平家一門の滅びゆく姿を語るこの冒頭は、日本語の美しさを体現している名文でもある。「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ」と続くこの印象深い文章を暗唱できる人も少なくないとは思うが、意味を忘れた人もいるのだろうが…

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【現代語訳】
祇園精舎の鐘の音は、万物は変転し同じ状態でとどまらない響きがある。沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を示している。栄耀栄華におごる者もそれを長く維持できるものではない。ただ醒めやすい春の夜の夢のようだ。勢い盛んな者もついには滅びてしまうような、まさに風の前にある塵と同じようなものである。

「祇園精舎」とは、祇園に建てられた精舎(お寺)のこと。祇園とは京都の祇園のことではなく、約2600年前、インドのコーサラ国(拘薩羅国)の祇多太子(ぎだたいし)が所有していた林で、祇樹(ぎじゅ)ともいう。つまり「祇園精舎」とは、仏陀が説法した代表的なお寺ということになる。高校の古文の先生はここまで詳しい説明をしてくれなかった。

「祇園精舎」は正式に、「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)」といい、5世紀初めに中国からインドへ行った三蔵法師法顕(ほっけん)の『法顕伝(仏国記)』によれば、コーサラ国の首都舎衛城(しゃえいじょう)の南門から南へ1200歩のところにあり、門の左右に柱があり、周りの池は清らかで樹木が生い茂り、色々な花が咲いていたという。

が、7世紀の三蔵法師玄奘(げんじょう)の『西域記』によれば、城の南5~6里にあった祇園精舎はすでに荒廃していたという。「祇園精舎」を「祇樹給孤独園精舎」というのは、祇園精舎を建立したコーサラ国長者で大臣であったスダッタで、彼を給孤独長者といった。「給孤独」とは、布施の心が強く身寄りのない孤独な人たちに食事を与えていたことによる。

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給孤独長者は仏陀に巡り合い、仏の教えを聞くようになった。布施心の強い給孤独長者は、仏教の教えを聞く会場となるお寺を建てて、仏陀に寄進しようと考え、理想的な都会でもなく辺境地でもない場所を探したところ、理想的な候補地をみつけた。そこはコーサラ国の王子祇多太子(ぎだたいし)の所有地であった。給孤独長者は祇多太子に会いに行き土地の譲渡を願い出る。

ところが太子は相手にしない。給孤独長者は諦めず熱心に懇願するので、祇多太子はとんでもない法外な値段を言って諦めさせようとこう言った。「それ程いうのなら仕方ない。地面を黄金で埋めよ。さすればその黄金と引き替えに、敷き詰めた分の土地を売ってやる」。王子のこの提案に給孤独長者は怯むどころか、大喜びして家に飛んで帰ったという。

そして、さっそく使用人たちにこう言った。「皆の者、家財の一切を売り払って黄金に変え、祇多太子の所有林に敷き詰めよ」と命じた。あまりのことに一同驚くが、長者さまのご命令とあらば従わざるを得ない。蓄えていた金銀財宝を金貨に変え、祇多太子所有の土地に敷き詰めて行った。黄金が敷き詰められて行く光景を見た祇多太子は驚き給孤独長者に問いただす。

「お前はなぜそんなにあの林の土地が欲しいのだ」。給孤独長者はこのように答えた。「それは今、仏陀がすべての人が救われるこの上ない教えを説いておられるのです。人は、どれだけお金や地位を手に入れても、心からの安心も満足もありません。どこへ向かって生きればいいのかわからず、暗い毎日を送っている人類にとって、光となる教えなのです。

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聞き難い仏教を聞けることは、果てしない生まれ変わり死に変わりの中にもないことです。お金など惜しくはありません。一人でも多くの人にこの教えを聞いてもらいたいのです」。給孤独長者の言葉に驚いた祇多太子は、「そういうことであったのか…。それなら私にも手伝わせてくれ」と賛同し、残りは祇多太子が仏陀に布施をすることになったという。

こうしてその場所は、祇多太子と給孤独長者の名前をとって「祇樹給孤独園」と名づけ、建立された精舎を、「祇樹給孤独園精舎」、略して「祇園精舎」とした。仏陀は祇園精舎を拠点に、華厳経や阿弥陀経などを始めたくさんの教えを説く。日本でも、祇園精舎の名前が平家物語に登場し、阿弥陀経は、日本の最大宗派浄土真宗の葬式や法事で読まれている。

わずか四文字の「祇園精舎」も語れば教養となり。ついでに沙羅双樹(サラソウジュ)の花とは、フタバガキ科Shorea属の常緑高木。シャラソウジュ、サラノキ、シャラノキともいう。幹高は30mにも達し、春に白い花を咲かせ、ジャスミンにも似た香りを放つ。仏教では二本並んだ沙羅の木の下で仏陀が入滅したことから般涅槃の象徴とされ沙羅双樹と呼ばれる。

「無常」とは、「この世の全てのものは、移り変わっていくこと」ことの意味とは別に、「人の死」を意味する場合もあり、「人生のはかなさ」を強調するときにも使う。「諸行」とは、この世のすべてを意味する。 変化というのは実は大事である。たとえば自分にとって大事な人が亡くなれば誰もが悲しい気分になるのは、人間としての当然の感情といっていい。

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しかし、もしも人の命が永遠に続くとしたらどうであろうか?命の重みが軽くなってしまうような気がする。仏陀は、「諸行無常」を受け入れると不安や悲しみが軽減するといっている。こうして仏教は多くの人に影響を与え、普段の生活においても「無常」という言葉が普通に使われるようになった。自分は使った記憶はないが、「無常」の言葉の背景である。

むか~し、佐川満男(今は佐川ミツオ)という歌手がいて、『無情の夢』というのがヒットした。調べてみたら1960年10月発売だから58年になる。佐川は歌手の伊東ゆかりと結婚したことも記憶の隅にあり、いわれてみると思い出す。『無情』は、「無常」と音は同じで字も意味も違って、慈しみのないこと。思いやりのないこと。無常と同様仏教用語として使われる。

この場合、精神や感情などの心の働きのないこと。また、そのもの。草木・瓦石・国土など。非情。常に無いのが無常だから、移り変わるとなる。感情がないのが無情であるなら、思いやりがないといえる。『無情の夢』の歌詞から全体の大意をつかみ取ることはできようか。詞を眺めながら、どこがどうしてどういうわけで、「無情の夢?」なのか、ちと不可解でもある。

 1. あきらめましょうと 別れてみたが       2. 喜び去りて 残るは涙
    何で忘りょう 忘らりょか                   何で生きよう 生きらりょか
    命をかけた 恋じゃもの                     身も世も捨てた 恋じゃもの
    燃えて身をやく 恋ごころ                   花にそむいて 男泣き



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