南北朝鮮と米中関係と朝鮮戦争 ②
リッジウェイの提案を受けたマッカーサーは、このままでは撤退の可能性ありとワシントンに増員派遣要請するも拒否された。ワシントンの方針に不満を抱くマッカーサーは、中国の本土爆撃も視野に原爆使用を提案する。戦線が拡大を見せる中、カナダなどは国連政治委員会に次の提案をする。①現状での即時停戦。②休戦期間中の朝鮮問題の政治的解決。③外国軍隊の段階的撤退。④台湾問題と中国国連加盟問題の米英ソ中四か国による協議。...
View Article南北朝鮮・米中関係・朝鮮戦争 ③
敗戦国日本がアメリカ軍によって占領された期間は、1945年8月下旬から1952年4月下旬まで実に6年8カ月の及んだ。これは外国を支配して植民地化することを当初から意図した戦争の場合とは別にして、近代の大国間における戦争の後始末としては異例ともいえる長期占領だった。なぜ、このような事態が続いたのだろうか?温故知新…、日本人なら知っておきたいことだ。占領軍最高司令長官マッカーサーは1947年2月、米国議...
View Article日米関係と太平洋戦争 ①
日米開戦は1941年12月1日の御前会議で決断された。昭和天皇は米英との開戦に最も躊躇した一人であったが、開戦を求める軍部の強い圧力もあり、米国側の根強い対日不信もあって日米両国の妥協はならず、開戦を止めることができなかったといわれている。1941年7月18日に組織されたばかりの第三次近衛内閣は3か月で総辞職し、10月18日、東条英機が内閣を組織した。11月26日、アメリカ国務長官コーデル・ハルが野...
View Article閑話休題 「歴史とは?」
現在起こることはリアルタイムで知ることになるが、過去は記録で知るしかない。幸い、過去の記録がさまざま残されており、戦前はおろか、戦国時代や飛鳥時代にを辿ることもできる。中国・漢代の文学者司馬遷が書き上げた『史記』は、百三十巻に及ぶ膨大な著作である。紀元前のことが記録されていて、数千年を経てそれを我々が目にできる至福の喜びであろう。知らずとも困らない、知らずとも日々の飯にありつけるわけだが、我々が同じ...
View Article日米関係と太平洋戦争 ②
安倍晋三首相は3日午前、トランプ米大統領と電話協議を行った。弾道ミサイルの発射や地下核実験を行った北朝鮮の情勢分析を行い、対応を協議した。北海道上空を通過する弾道ミサイルが発射された先月29日以降、30日に続く短期間での異例の電話協議となったが、「安倍ちゃん、ワシもう我慢できん。北を攻撃するで!」などと言い含められているなら由々しき事態だ。広島・長崎と二度の原爆被災した日本は、8月14日の御前会議に...
View Article日米関係と太平洋戦争 ③
極東の戦後処理に関して連合国の間には考えの相違が存在した。太平洋戦争を主導し、日本占領を実行したアメリカ政府の政策は、当初はあまりに理想主義的であり、楽観的であったのは否めない。連合国の行動に示された一つの大きな動きは何より秩序の回復であり、これを巡って連合国の対立および抗争の激化に直面したアメリカは、大きな修正をする必要があった。というのも、ヨーロッパにおけるドイツと同様、アジアにおける日本は旧秩...
View Article日本の歴史教育は正しい?
「故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」とある。他人の師ならずとも自を自の師とすればいいこと。「温ねる」の、「温」には、「温める」の意味もあり、「故きを温めて」と読む説もあるが、「温ねて」が一般化している。太平洋戦争が始まったのは、真珠湾攻撃という奇襲を仕掛けた日本が加害者。そうした自国を過度に悪くみなす歴史観を自虐史観という。日本の歴史教育の自虐史観は、いわゆる、「東京裁判史観」に一致...
View Article日本の戦後と新憲法 ①
1945年10月4日、マッカーサーは東久邇宮内閣の国務相近衛文麿と面接、次の2点を強調した。①憲法を改正して自由主義的要素を取り入れる必要がある。②現在の反動的な議会を一新するために婦人の参政権を認め、労働者の権利を認める。東久邇宮内閣は翌日5日総辞職し、近衛は閣僚ではなくなったが、マッカーサーは近衛個人に憲法改正気運を抱かせるように働きかけた。近衛は内大臣木戸幸一と相談し、自分を内大臣付誤用係に任...
View Article日本の戦後と新憲法 ②
新憲法の第三の特徴は、「人権と自由」の理念の確立であろう。旧憲法は、天皇主権の原則と民権の主張の折衷であり、「信教」、「表現」、「集会」、「結社」の自由をどのようにうたったとしても、「法律ノ範囲内ニ於テ」とか、「臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」とかの条件が付せられた。よって現実には、これらの自由は著しく制限されていたことになる。警察官あるいは特高警察による人権の侵害や逮捕・監禁・拷問などが日常的に...
View Article若槻禮次郎『古風庵回顧録』 ①
近年テレビ番組で、「クイズ王」なんたら…という番組があるが、出演した東大生が難問を回答するにつけ、「天才」などと呼ばれたりする。知識を沢山詰め込んで天才というなら、天才の価値も下落したものだ。自分が思う天才というのは、無から有を生み出すこと、この世に存在しないものあるいは、隠れていて発見できないものを見つけたり作ったりではないか。東大生が難問クイズをしこたま答えようが、学業に秀でて首席で卒業しようが...
View Article厳しい自己批判とは…
100メートル歩けば不倫行為者にぶつかる時代に、普通に10キロウォークの自分ならサイテーでも100人会っていることになるが、誰もそんな顔をしていない。当たり前だが、すれ違う人の名前も居住場所も人生の中身もナ~んにも知らない同士である。不倫していようが、一億持っていようが、掘立小屋に住んでいようが、ガンの手術をしていようが、互いに関係ない。テレビ露出の多いある芸能人がこう言った。「不倫について世間は叩...
View Article秋の気配
歴史書を読むと色々考えさせられる。読んで知識を得るだけではつまらないし、いろいろ考えることが歴史の面白さであろう。例えば聖徳太子は、現在の紙幣がでるまで長く、「紙幣の顔」であった。それを知っている世代人にとって太子は、カリスマ的な存在であり人気もあった。その太子は、「この世はむなしく仏だけが真実でである」といったのは何故だろうか?これは太子が妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)に言い残した言葉で、...
View Article若槻禮次郎『古風庵回顧録』 ②
司馬遼太郎は数多くの歴史小説を書いている日本の国民的作家である。『徳川家康』の山岡荘八、『宮本武蔵』の吉川英治、『真田太平記』の池波正太郎らが代表作品とするなら、司馬遼太郎の代表小説は何であろう。坂本竜馬を描いた、『竜馬がゆく』、高杉晋作を描いた、『世に棲む日々』、西郷と大久保を中心人物とする、『翔ぶが如く』、大村益次郎を描いた『花神』。それとも日露戦争を描いた、『坂の上の雲』なども人気の代表作とい...
View Article若槻禮次郎『古風庵回顧録』 ③
第三次近衛内閣 が総辞職に至ったのも陸軍の干渉が一因であり、 責任の大半は陸軍大臣東条に帰するものだが、 後継首班に指名されたのは意外にも東条その人であった。外交上の危局を打開し、 対米戦争を回避しようとする、昭和天皇及び天皇を取り巻く重臣層の苦渋の決断によるものだった。陸軍の指導的人物であり、...
View Article若槻禮次郎『古風庵回顧録』 ④
東条内閣総辞職当時(昭和19年7月)の重臣会議のメンバーは、若槻以下、岡田啓介元首相、広田弘毅元首相、近衛文麿元首相、阿部信行元首相、米内光政元首相、原嘉道枢密院議長、木戸幸一元内大臣、小磯國昭元首相となっていた。重臣とは、「内閣総理大臣の前官礼遇を賜りたる者及び枢密院議長」であったが、1940年に単純に「首相経験者及び枢密院議長」に改正された。若槻は昭和9年に創設された当時からのメンバーで、自身の...
View Article安部をアベ、菅をスガ表記のマルクス度
慶応大の金子勝教授(65)がツイッターに、「安倍首相が北朝鮮を煽り、森友・加計の腐敗を隠そうとしている」という趣旨の投稿をした。これまでも金子教授は、「(ミサイルを発射する)北朝鮮も怖いが、『戦時放送』を流す安倍政権も怖い」とツイートするなど安倍政権を批判するあまり、極端な意見を披瀝することがあり、今回も3千件超のリツイートがあった。金子教授の、「戦争屋」と題された15日のツイッターは以下の内容。「...
View Articleマルクス主義の台頭と崩壊 ①
1980年代の中頃から、世界の社会主義諸国は音を立てて崩れた。封建主義⇒資本主義⇒社会主義⇒共産主義の移行をマルクスは歴史の必然であるとした。つまり、資本主義社会の抱える矛盾は、必然的に社会主義社会を生み出すことになる。と、これが社会主義国家を支えたマルクス理論の確信に満ちた予言だったはずなのに、なぜこのような時代の大変革が起こったのだろう。マルクスによって発展させられ、レーニンやスターリンらによっ...
View Article豊田真由子と山尾志桜里
「人の話」とは人が物をいうその内容で、それを意見ともいうが、「意見」とは、ある問題に対する主張であり、考えであるなら、意見とは言えないものもある。ただ単に思っていること、思ったことをいうのも意見とし、意見であるを否定しないなら、「つまらぬ意見」も存在する。他人の意見をつまらないといった時に、「お前の意見はつまるのか?」とムキになる者もいる。だからか、ダメなもの、つまらぬものを批判しないで黙っている人...
View Articleマルクス主義の台頭と崩壊 ②
中国と旧ソ連はもっとも長い陸地の国境を有する隣国であり、中ソ関係は紆余曲折な発展の過程を経てきた。1950年代は中ソの友好協力関係の発展時期であったが、蜜月は長く続かず中ソ関係は徐々に悪化し、朝鮮戦争時にはきしみ始め、ついに武力衝突に発展した。対立の争点はイデオロギー問題にあり、フルシチョフは社会主義体制優位の上に西側と平和共存は可能とした。対する毛沢東は、現在を革命と戦争の時代と捉え、双方の主張は...
View Articleマルクス主義の台頭と崩壊 ③
そもそも、マルクスが資本主義社会の中にその萌芽を発見した共産主義社会というのは、実のところ国家なき社会であった。理論が現実を生み出すわけではないし、現実がその現実を正当化する理論を生み出すとするなら、独裁体制が独裁体制を正当化する理論を既存の理論を素材にして生み出すことになり、同じ素材から全然違う現実を正当化する理論も生まれ出る。似たような体制が違う理論で正当化されることもある。イランはイスラム教を...
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