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日本の歴史教育は正しい?

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「故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし」とある。他人の師ならずとも自を自の師とすればいいこと。「温ねる」の、「温」には、「温める」の意味もあり、「故きを温めて」と読む説もあるが、「温ねて」が一般化している。太平洋戦争が始まったのは、真珠湾攻撃という奇襲を仕掛けた日本が加害者。そうした自国を過度に悪くみなす歴史観を自虐史観という。

日本の歴史教育の自虐史観は、いわゆる、「東京裁判史観」に一致を見るが、明治~昭和30年ころまでの戦前・戦中・戦後までの歴史観は、完全にアメリカによる洗脳教育が混入し、「日本人は世界の汚物」的な内容になってる。「負ければ賊軍」は致し方ないにしても、マッカーサーのように日本に駐在し、日本人と触れ合い、日本人を理解した明晰な人間もいた。

歴史的事実は、「正確」に後世に伝え、日本人としての愛国心とか道徳心を育てなければならないが、我が国の歴史教育というのは、学問的検証に堪え得る歴史事実を教えるのではなく、我が国が戦前近隣諸国に行った、加害行為を教えることで子どもたちに贖罪意識を植え付け、彼らが我が国の立場でなく、近隣諸国の立場にたった政治判断を行うための、政治教育と化した。

教科書記述の主導権が近隣諸国に握られることになったのは、1980年の鈴木善幸内閣に問題があった。それが1982年の、「教科書誤報事件」。同年6月下旬、文部省の検定によって日本の華北への、「侵略」が、「進出」に書き換えられたとマスコミが一斉に報じた。中国と韓国はこの報道をもとに抗議をしてきたが、「侵略」を、「進出」に換えた事実はなかった。

ようするにマスコミの誤報であった。時の鈴木内閣官房長官宮沢喜一は、9月に鈴木首相の訪中を控えていることもあって、「政府の責任で教科書の記述を是正する」、「献呈基準を改め、近隣諸国との友好・親善に配慮する」との談話を発表する。そしてこの宮沢談話に基づいて同年11月、教科書検定基準に新たな項目が追加された。これが、「近隣諸国条項」である。

そこには、「近隣諸国のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに、国際理解と国際協調の見地から、必要な配慮がなされていること」と規定されることになった。この一見穏当な検定基準こそ、我が国の検定教科書執筆の主導権を、近隣諸国に譲り渡すものであった。これはもう、近隣諸国の言い分に唯々諾々従うということ以外のなにものでない。

中国以上に露骨なのは韓国に関わる記述についての検定基準であった。詳細は省くが、「韓国側からの意見に関わる具体的事項についての検定方針」として、これまで検定意見を付してきた事項について7項目あったものすべてが、「検定意見を付さない」とすることを押し付けてきた。これは重要なことであるが、これも韓国の言い分に同意したのである。

「検定意見を付さない」とされた記述はどういうことであるかといえば、こんにちの歴史学における学問水準からすれば、「事実」として明らかに間違いであるものも含まれるということで、もはやこれは歴史観の相違というレベルの問題ではなかろう。中国・韓国に関する教科書の記述は、両国から意を受けた執筆者にとって、まったくもって好きなように書き放題となる。

こうして日本の学校教育における自虐史観教育というのは、他国から強制されたものに等しく、一度たりともそれを容認した以上、今後も未来永劫変わることなく続いていくことになる。戦国時代も幕末も良いが、個々の日本人は学校教育のみに囚われることなく、近代史について独自の認識を持つべきである。そうした気持ちもあって、「日本の戦中・戦後」を書き始めた。

一昨日トランプ大統領が、「韓国は物乞いのようだ」と発したが、それを一番感じているのが日本だろう。が、「韓国人はしつこい乞食」など誰もいわない。日本人は韓国と事を荒立てないよう気を遣い遠慮をするが、それが韓国人にとってはヘタレにみえるのだろう。韓国人に下手にでてもバカ見るだけなのは分かっているはずだがどうしてもいい人を演じてしまう。

「教科書誤報事件」のときに鈴木内閣は、報道の精査に努めたり、同じ歴史事象であれ、国によって見方が異なるという当然と言えば当然、当たり前といえばこれほど当たり前の歴史観を疎かにし、もっぱら、「近隣諸国との友好・親善」に配慮したことが問題だった。何とも情けないが、これも日本がアジアの一員であるとの自画像の錯誤が招いた悲劇であろう。

相手が謙れば胸を反らすが如く旧三国人どもは、「新しい歴史教科書」検定合格本について35項目の修正要求をした韓国、8項目要求の中国、北朝鮮当局も22項目に批判要求を突き付けた。問題の根本は、「教科書誤報事件」以前の長きにわたって教科書記述の主導権を近隣諸国に譲り渡していたことだが、鈴木内閣の中韓朝の修正要求に対する対応の不味さもあった。

というのも中韓朝の修正要求項目は、とても学問的批判には程遠い稚拙のものであって、検定に合格した教科書であるからと毅然と無視をすればいいものを、中韓朝に配慮して政府が各自治体に本教科書採択を抑えるよう、「行政指導」を行ったのではないかとされている。「新しい歴史教科書を作る会」の前会長西尾幹二氏は、『文藝春秋』12月特別号で以下述べている。

「不思議なのは当教科書の採択がほぼゼロパーセントとなった8月半ばに、中韓両国政府から、『日本国民の良識の表れ』と満足とお褒めの言葉がかけられたことである。あれほど激しく燃え上がっていた反日キャンペーンのえげつない行動は、この頃を境にたちまち鳴りをひそめた。両国政府との間に手打ちのための外交ルートを通じた何らかの黙約、秘密の妥協策が図られていたと考える。

日本政府は教科書の修正は(検定が通っているので)もはやできないが、その代わりに採択させないよう方策を講じるから、その結果を見て欲しいと…」。西尾氏は、「あくまで推察」と断りを入れながらの論文であるが、いくつかの納得のいく根拠を挙げながら、「扶桑社版の採択を抑えるようにとの日本政府の『行政指導』があったと信じている」とやるせなき無念を記す。

本音と建前を信条とする日本人ならやりかねないことだ。150人にも及ぶ我が同胞を拉致し、我が領空に向けてミサイルを撃ち放つような正真正銘のテロ国家北朝鮮との対テロ戦争についても、アメリカの同盟国として対米支援を行うことはもちろんであるけれども、それはアメリカのためではなく、あくまで我が国の国益の立場から行うという思考がこの国にあるのか?

日本はアメリカ軍駐留に多大な経費を支出しており、アメリカが日本に役立っている間はともかく同盟の絆は大事にすべきである。またアメリカの要求による自衛隊派遣などの国際貢献においても、これらはアメリカに身を委ねるためではない。一方では対米協力はするが、他方で我が国は自らの力で自国の安全を守ることができる体制を整えて行く必要があろう。

頼っている以上は足元を見られるのは当たり前だし、歴史教科書問題にしろ中韓朝に対して臣従すれば足元を見られてしまうのは自明。依存や従属を止めて真の独立国家に生まれ変わるためには、強いリーダーが必要だが、そうした逞しい人間が出現すると罠をかけられ、潰されてしまう。日中国交回復を独断でやった田中角栄が、ロッキード事件で失脚したように。

角栄の娘の眞紀子は、父の功績もあって表向きは中国の功労者扱いだが、実態は中国の犬であった。小泉内閣外相時代、ハノイで行われた日中外相会議の席で唐家璇外相から、「靖国神社参拝は止めなさい」と厳命されて反論するどころか、小泉首相にも参拝を止めるよう説得すると述べたという。彼女は過去の人だが美人でないことで不倫などの浮いた話はなかった。

多少ジョークを交えていえば、政治家の美人立候補者は票が集まり当選しやすいが止めた方がよい。不細工立候補者の方が、仕事に汗を流し不倫はやらない。「不倫の需要がない」が正しい。現職議員の誰とはいわぬが、美人議員は下半身の需要があるから困る。醜い女にはハンカチをかぶせて…という方法もあるが、尻軽美人女ならそれに越したことはなかろう。

下世話な話だが、最近は政治家にしろ芸能人にしろ不倫が目立つようだが、そうではなくて実は週刊誌の功績(?)であって、男女の下半身話は一年中発情期の人間にとって何ら珍しいことではなく、表沙汰にならなかっただけである。「隣の芝は青い」という。人さまのものはなんでも良く見えるから、つい覗いてみたくもなろう。自制しなければ当たり前の感情である。

だから陰にかくれてコソコソやるが、それを暴きたてる商売がのし上がってきたということだ。「隣は何をする人ぞ」という。つい覗いてみたくもなろうし、これも当たり前の人間心理である。自制心があるからしないだけで、商売とはいえやって見せてくれるメディアがあるわけだ。こうしたものは当初は批判もあったが、緩んだ人間の自制心を引き締めるという公益性はあろう。

有能とされたな国会議員が下半身ごときで職を失う下世話な事実も歴史である。曽根崎心中も坂田山心中も列記とした男女の歴史であるように、一国の政党幹事長候補が不倫疑惑で即日離党するなど、信じがたいほどにマヌケな話だが、若いツバメに入れ込む元検事の才媛議員の実態が、斯くも白日に晒されたのは真実のむごさとはいえ、歴史に汚名を刻むことになる。


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