1980年代の中頃から、世界の社会主義諸国は音を立てて崩れた。封建主義⇒資本主義⇒社会主義⇒共産主義の移行をマルクスは歴史の必然であるとした。つまり、資本主義社会の抱える矛盾は、必然的に社会主義社会を生み出すことになる。と、これが社会主義国家を支えたマルクス理論の確信に満ちた予言だったはずなのに、なぜこのような時代の大変革が起こったのだろう。
マルクスによって発展させられ、レーニンやスターリンらによって仕上げられたこの理論にはさまざまな名がついている。「マルクス主義」、「マルクス=レーニン主義」、「科学的社会主義」、「史的唯物論」等は、現代社会に広く流布された理論に相応しいい名である。「世界の本質は物質である」とするマルクス理論が、「史的唯物論」と言われる所以である。
社会主義国家の崩壊は歴史が示している。共産主義国家という定義は曖昧であり、厳密にいえば共産主義国家というのは、現在も過去も出現していない。すべては社会主義国家である。中国もかつては社会主義を目指してういた。国家の制度も社会主義に沿うように組み立てましたが、他の社会主義国が軒並み崩壊したので危機感を強め、資本主義国家に移行しようとした。
それでは甘い汁を吸っていた共産党が困る。中国人はまとまりが悪いので資本主義でやれる自信もない。そこで折衷案として共産党独裁のまま、経済だけを資本主義化した。もっとも中国が取り入れたのは資本主義体制というより自由経済である。したがって、中国は共産主義国家でも社会主義国家でも資本主義国家でもない。共産党独裁による独自の政治体制を敷く国家。
1845年、マルクスはあらゆる共産主義グループの全ヨーロッパ的ネットワークである、「共産主義者同盟」に参加した後の1848年2月、「共産党宣言」をエンゲルスと共に発表する。これは、「共産主義者同盟」におけるプロレタリアートの役割を明確化した、いわばマルクス思想のそれこそ基本文献といえる。30ページほどの小冊子で、わずか1000部しか印刷されなかった。
19世紀にたびたび改版をし、世界各国語に訳されている。「こんにちまでのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」。との有名な序文に続いて4章からなっている。この宣言は、世界中のあらゆるプロレタリア運動の指針となり、19世紀後半から20世紀末までの人類史を最大級に動かすテキストであった。「万国のプロレタリア、団結せよ!」最後の一文はこう述べている。
社会変革のためには物質的利害関係の基礎をなす経済への理解の必要性を認識し、マルクスは経済学研究に没頭していった。1849年、ロンドンに亡命したマルクスは、大英図書館に入り浸って経済学研究を続ける。共産主義者同盟の組織活動は止め、経済学批判に関する執筆にとりかかったのは、将来、あまりにも有名になる著書『資本論』を書くためであった。
当初は5週間で書き上げる予定だったが、マルクスが生きている間に出版されたのは『資本論』第1巻のいくつかの部分にすぎない。しばしば病に襲われた事と、執筆計画が複雑だったことが仕事の進捗を妨げた。他の部分の断片的原稿は、マルクスが1883年に他界したあと、エンゲルスによって編集され、刊行された。一般的に『資本論』はマルクスの主著とされている。
大著『資本論』は、経済学研究の成果であり、市民社会ないし資本主義の構造を分析し、その必然的な法則を明らかにすることであった。資本主義の構造の解明は、同時に資本主義の矛盾や資本主義の墓堀人を明らかにすることになる。とはいえ『資本論』は、ところどころ内容の理解が困難なためか、ごく少数の専門家しか読もうとせず、理解もしていない。
改めてマルクス理論を要約すれば、①マルクス主義の世界観は唯物論のそれである。彼のもっとも主張するのは、「人間の存在を決定するのは人間の意識ではない。人間の存在がその意識を決定する」と、この言葉である。『資本論』はまさにプロレタリアを、人間を解放するための科学であり、理論である。その意味において、『資本論』そのものが科学的社会主義である。
②唯物論的な世界観は、それが歴史学に応用されると、「歴史の客観法則を発見した」と宣言することになる。③これまで存在したすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史であり、この階級という概念こそマルクス主義の決定的理論といえる。階級間の対立は歴史の駆動力とみなされ、かくて進歩的階級と反動的階級とが存在し、前者は歴史の進歩を推し進め、後者は妨げる。
資本主義社会において進歩的役割を演ずるのは、何も所有していないプロレタリアート勤労階級となる。したがって、プロレタリアートは、「失うべき何物」も所有していないゆえに、歴史的使命を与えられている。彼らは、「生産能力」を資本家の掌握下から解き放つことによって、彼ら自身のみならず、全人類を解放する。かくてプロレタリアートは、「全人類の解放者」となる。
これが『資本論』が人間解放のための理論であり科学であることを示している。そうした科学的社会主義、社会主義社会こそが近代的産業社会を運用するうえで最も優れているというマルクス主義の約束は、なぜ果たされることがなかったのだろうか。ばかりか、社会主義的な計画経済の崩壊によって、資本主義的な市場経済が絶対的に勝利を収めたかのようなこんにちである。
ベルリンの壁が壊れ、東ドイツから西ドイツにに来た人々は、これまで彼らの目に隠されていた西側の富に驚いた。公害もほとんどなしに清潔で輝いている街並み、消費財で溢れる商店や雑誌広告、全世界から送られた果物や野菜、誰にでも手に入る最新式の自家用車。すべての点において西は東を上回っていた。ばかりか、東ドイツは荒廃した灰色が支配的な色彩だった。
建物や街路を覆う埃の灰色、古い工場や石炭を燃やす住居からの煙で汚染された灰色の空気、時代遅れでお粗末な乗用車から出る排気ガスの灰色、社会主義社会の澱んだ全体主義支配で窒息させられた人々の心や魂の内面的灰色などなど。「本当に機能する唯一のものは、明らかに自由市場経済である」。1990年初頭の西ドイツ駐在アメリカ大使が誇らしく言った。
歴史を作るのは人間である。各人が意識的に意欲された自らの目的を追う事によって、結果はどうあれその歴史を作る。個人なら人生という歴史、社会なら時代という歴史である。様々な方向に働いているこうした多数の意志と、外界に加えられるこうした意志の多様な作用との合成された力が、まさに歴史である。したがって、個人が何を意欲するかが大切となる。
意志は、熱情や思慮に規定される。さらには熱情や思慮を直接に規定する物には様々ある。観念的な動機もあれば、外的諸事物や、名誉心、真理や正義感、個人的憎悪、さらにはあらゆる種類の、まったく個人的な気まぐれであれ、立派な動機となる。人間の動機というのは実に様々で、ならば、このような様々な動機を生み出すものはなんであろうか?
様々な動機を生み出す、「推進力」がある。「推進力」は何か?このように考えてみる。歴史のうちで行為をしている人間の動機の背後に、意識されてか意識されないでか、しかも大抵の場合は意識されないで…あって、歴史の真の究極の推進力となっている原動力を探求する事であるとすれば、それが私益動機であるのか公益動機であるのかの問題に突き当たる。
ひとりひとりの異なった意欲を生む動機ではなく、多くの人々を共通の意志に駆り立てるような動機を見つけだし、行動する人は優れたリーダーとなろう。今の日本で、社会主義体制か資本主義体制か、どちらかを選ぶ国民投票があったなら、圧倒的に資本主義体制を選ぶだろう。進歩的と思われる労働組合の幹部であれ、社会主義が良いと答えるものは少ないのではないか。
日本に限らずどこの国でも社会主義のイメージは芳しくない。理由の一つに社会主義国家は独裁になり易いからだろう。現にこれまでの社会主義国家は独裁政権であった。社会主義国家でなくとも、第二次大戦後のフィリピンのマルコス体制、インドネシアのスハルト体制も、反共を国是としていたが、国家主導の経済建設と政治的自由の抑圧という点では社会主義国家に近い。
上記のように、資本主義か社会主義かの問題は、どちらを選ぶかという選択の問題ではなく、歴史的発展の必然にかかわるものだというマルクス理論であるが、本来の必然とは、資本主義がそのまま社会主義に自然に発展するということではなく、資本主義の矛盾に基づく階級闘争が、その闘いの結果として、社会主義を生み出すのだということを意味している。
1989年5月15日、ゴルバチョフが中国を訪問した。中ソ両国・両党関係の正常化は懸案であり、多くの人々が歓迎した。両国の接近が実現した背景には、両国首脳が、「脱イデオロギー化」を唱えていたという事実がある。一体、イデオロギーとは何か?それは斯くも容易に抜け出すことができるものなのか?いうまでもないが、中ソのイデオロギーとはマルクス主義である。