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マルクス主義の台頭と崩壊 ②

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中国と旧ソ連はもっとも長い陸地の国境を有する隣国であり、中ソ関係は紆余曲折な発展の過程を経てきた。1950年代は中ソの友好協力関係の発展時期であったが、蜜月は長く続かず中ソ関係は徐々に悪化し、朝鮮戦争時にはきしみ始め、ついに武力衝突に発展した。対立の争点はイデオロギー問題にあり、フルシチョフは社会主義体制優位の上に西側と平和共存は可能とした。

対する毛沢東は、現在を革命と戦争の時代と捉え、双方の主張は譲り合いを見なかった。スターリンの全面批判から始まったソ連、いくつか過ちはあれどスターリンは偉大なるマルクス・レーニン主義者とする毛沢東の対立が深まるにつれ、中国はソ連の社会主義を無理に中国に持ち込むのは誤りとし、中国の建設に必要なものだけを学ぼうという姿勢に転換して行く。

中ソ両国にとって、「脱イデオロギー」とは、マルクス主義=科学的社会主義を放棄するということになるが、両国首脳がそんな単純な言い方を言い方をしたわけではない。両国はこれまで以上にアメリカと上手くやって行くと述べているが、日本については日米安保条約の問題を無視している。このときの首脳の主なやり取りが、1989年5月17日付朝日新聞に掲載されていた。

ゴルバチョフ:「私達はマルクス・レーニン主義への信仰を減少させたわけではない。各国の具体的条件に基づいて、マルクス・レーニン主義を実生活に根づかせようとしている。」

小平:「その通り。真のマルクス・レーニン主義者は現在の状況を理解することから始める。既成のモデルや固定したモデルは存在しないしあり得ない。世界情勢は、科学技術の発展を含め、日進月歩の勢いでダイナミックに進んでいる。新しい思考を採り入れない者は真のマルクス・レーニン主義者ではありません。」

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共産主義への批判が高まる中、両氏ともマルクス主義者を自認し、一歩も引かない構えである。社会主義国家のリーダーたるものはマルクス主義者であるのは当然であるにしても、そうしたイデオロギーが国民に支持されないとするなら、リーダーたるは柔軟になるべきか、それとも暴力なども含めた力で思想統一をするのか、個の自由を制限する社会主義国家には難しい選択だ。

マルクス主義者=科学的社会主義者を継承するのはいいが、問題はそれを各国別に、また、現状に即して発展させることにあるかの如くであるなら、とりたて言うこともない。少なくとも社会主義国家における国民の不満は、自由を制限されることにあるのは、「民主化を!」と叫ぶデモから判断できる。ゴルバチョフが中国を訪問した翌月、天安門事件が起こった。

中国の学生を中心とした民主化要求デモは、4年前の1985年3月にゴルバチョフがソビエト連邦共産党書記長に就任したのを契機に始まっていた。ソビエト共産党による一党独裁制が続く中で、言論の自由への弾圧や思想・良心の自由が阻害されたことや、官僚腐敗が進み、硬直化した国家運営を立て直すため、「ペレストロイカ」を表明して同国の民主化を進めようとした。

1949年の建国以後の中国も中国共産党の一党独裁下にあった。1986年5月、中国共産党中央委員会総書記の胡耀邦は、「百花斉放・百家争鳴」を再提唱して言論の自由化を推進し、国民からは、「開明の指導者」として支持を集め始めた。「百花斉放」とは、いろいろの花が一斉に咲き開くことから、「学問・科学・ 文化・芸術活動などが自由に活発に行われること」。

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「百家争鳴」とは、「いろいろな立場にある人(学者も専門家も民衆も)が、自由に議論を戦わせること」 。建国後の社会主義改造の過程で、胡風(魯迅と親交のあった中国の反共主義者で1955年に逮捕され、1979年まで投獄された詩人・評論家)ら、ブルジョア思想批判キャンペーンのために、萎縮していた知識人の活動を積極化させようとのスローガンのもとに打ち出された。

ベルリンの壁崩壊は1989年11月9日だが、東欧の社会主義国が民主化の動きをみせ始めたことで混乱が続いていた。契機になったのは、1985年にゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、「ペレストロイカ」政策を推進して以来、ソ連国内のみならず影響圏にある東欧諸国でも民主化を求める声が高まり、他の東欧諸国や東ドイツ国内でも民主化推進の声が高まっていた。

1989年3月3日、民主化を進めていたハンガリーのネーメト首相とゴルバチョフ書記長が、モスクワのクレムリン宮殿で会談した。この時にネーメトが切り出したのが、ハンガリーとオーストリアの国境300キロに及ぶ有刺鉄線の撤去であった。この国境柵は長きに渡って腐食し、低圧電流を流す鉄条網は故障が多く、維持費がハンガリーの財政に重くのしかかっていた。

ネーメトはゴルバチョフに、「国境柵の有用性は尽き、違法に西側に脱出しようとする東ドイツとルーマニアの市民を押しとどめるだけに役立っている」と説明した。ヨーロッパには、「鉄のカーテン」なるものが在った。これは冷戦時代のヨーロッパにおいて、東西両陣営の緊張状態を表すために用いられた比喩であり、ベルリンの壁のような物理的な構造物ではない。

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あらためてイデオロギーを問う。実際の社会の仕組みは、その社会の経済的構造が土台となり、その上に、政治、法律、芸術、宗教、思想などがあり、それらは上部構造と呼ばれた。このうち思想、宗教、芸術などは原始社会にも存在しており、人間の生活に大きな影響をもち、自然や人間そのものについての知識が貧しかった時代には、神話や呪術が人間の行動基準になった。

そうした時代が長く続いたために、さまざまな形の宗教となり、人間の思想に大きな役割を占めて来た。こんにちでも、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教、道教などは、その起源を遡ることはできる。今では洗練された教義を持つ宗教も、もとは原始的な当時の経済状況に即した、未熟で素朴な考えであった。にも関わらず、多くの人に共通した考え方であり得た。

社会そのものが未熟で階級社会に分裂しておらず、個々の狭い共同体にあっては、共有するものが同じであることは自然なことだった。人間の長い歴史のなかで、生産力が上がり、発展もし、一人の人間が生きて行く以上の生活資料が生産できるようになれば、生産に携わる人と生産から離れて生産者から生産物を搾取し、社会全体の共通の仕事に専念する人に分離した。

つまり、搾取と被搾取、支配と被支配の関係が生まれることになり、これが階級対立の始まりである。搾取側はより以上に搾取しようとし、搾取される側は何とか搾取を抑えたい、あるいは搾取そのものをなくしたいと考えるようになる。これが対立の原因である。こうした階級対立をやわらげ、被支配者を支配者の思うがままに従わせるがために国家が生まれた。

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搾取側と被搾取側という立場(階級)の違いや考え方の違いから対立が生まれるのは必然であり、つまりは経済上の対立というのは、思想対立が根幹にある。現状維持の思想と現状打破の思想と、これを放置すれば現状打破(働き手)側が多い事からして、階級闘争はますます激しくなり、社会は変革されることになりかねない。これは搾取側にとっては真に都合の悪い。

なんとかして、被支配者、被搾取側の思想を抑え込み、双方に共通・対等のようなものに見せかけねばならない。本当は支配者に都合の良いものでありながら、被支配者に納得させるものならいいが、これは難しい仕事だ。ところが、社会が未発達時代には事実に関する知識が被支配者側になく、宗教の力が大きいとなれば納得は難しいとはいえ不可能ではなかった。

しかし、このような思想の練り上げは、そのことに専門にかかりきりでなければできない。それを知識人と呼ぼうが、哲学者・思想家と呼ぼうが、呼び名などはどうでもよく、とりあえずそういう人間が生まれてくる背景も必然であった。虐げられることで発奮し、最初に立ち上がった人は歴史が示しており、そういう人物はまさに知性と行動力に溢れた人々であった。

儒教は人をまとめることに寄与するも、道教は人間個人の自由を旨とする思想である。宗教も思想の一つでもあるが、教団と言う組織や様々な施設を持つことで、より強力なものとなり、国家はそれらを大いに援助しようとする。宗教思想の底辺には、多くの人々の従来から引き継いだ考え方、生得のもので無意識的なものの考え方が、矛盾を内包したまま存在する。

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人間は生きることに脆弱であるがゆえに宗教や思想に依存しがちであるのを見切ったかの如く、知識人や思想家や宗教家といえる一群の人間が大きな役割を果たすことになる。これらは支配階級にとって都合のよい、現状肯定的な考え方の体系によって包み込まれていることを人間は気づかない。ばかりか、宗教者にとって都合の良い事を、「有難いお言葉」とひれ伏す。

会社の経営者から誉め言葉をかけられると誰もが嬉しく悪い気はしない。自分が会社の役に立てている喜びが一つの誉め言葉で済んでしまうなら、経営者にとってこれほど安上がりなものはない。これは支配側と被支配側が対等な関係でないことから、必然的に起こること。したがって、多くの経営者たちは被支配者である従業員に対し、飴と鞭を上手く使っていく。

まあ、少し頭のよい人間はそんな綺麗ごとで支配者の意のままになるを良しとしない。人間はそれほどバカではないゆえに、「誠意とは金である」といった現実思考が物を云う。人間が言葉で心を搾取されることを良しとしない強さであり、知恵であろう。腹の痛まぬ言葉は安上がりだが、経営者がもっとも出したくないものを出すのが、「誠意」であるを疑う余地はない。

利口な働き手を所有する利口な経営者は正しく誠意を実行するが、言葉や勲章で人間の自尊心が満たされるのも事実である。「同情するなら金をくれ」という言葉は浮かれた社会を斬った。人間は同情心さえあれば簡単に、「いい人」を実現できるが、他人への同情もまた腹の痛まぬ自己満足的なもの。人間は自己満足を得るため、いとも簡単に自己欺瞞をやってのける。

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世の中には綺麗ごとが蔓延り、それが現実を乖離させている。美辞麗句を並べる思想家より、本音を突き付けるそこいらのおっさんの方が現実的であり、信頼もおけるが、綺麗ごとが好きなのも人間である。資本家すべてが搾取するのではなく、搾取しがちな資本家に階級闘争を挑むのがマルクスの理論だが、マルクスの唱えるユートピアは逆に特権階級を蔓延らせてしまう。


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