消えたVANショップ
VANのホームページにあるショップリストから、「VAN shop岡山」と、「VAN多治見」の二店舗が消えていた。前者は2014年1月末日をもって閉鎖した、「VANHOUSE 岡山」を受け継ぐ形で、同年4月頃にオープンしたはずである。というのも顧客リストを引き継いだにも関わらず、開店の案内状・挨拶状もナシという、商売のやる気がまるで感じられなかった。「VAN HOUSE...
View Article離れることが幸福な場合 ③
離婚は自立という解放への旅立ちである。30年前の自分ならこんなことは絶対に書かなかったろうし、離婚に偏見を持っていたのは間違いない。「善とはなにか、後味のよいことだ。悪とはなにか、後味のわるいことだ」と誰だったかいっていた。つまり、善も悪も行為して分かる事なのかも知れない。やった後で何かが分かってももはや遅いということはあるだろう。などと言いつつ、だったら結婚はどうなのか?してもみないで善悪が分かる...
View Article離れることが幸福な場合 ④
などと思いを書いてみたものの、決して離婚を奨励するものではなく、離婚を真に望む人は、離婚をためらう理由やその他もろもろについて、しっかりと背筋を伸ばして考えることを奨めている。そうすることで問題は解決するのではないかと…。自殺を考えたことはあるが、幸か不幸か自殺の経験はない。いや、幸であろう。おそらく自殺した多くの人は後悔していると思われる。「なぜ自分はあのとき死んだのだろうか」という後悔と想像する...
View Articleくっつかぬことが幸福な場合
同年代の人たちは年を取らないように見えるのは、一緒に年を取っていくからであろうか?中島みゆきはもう66歳になる。「もう」ってのは、自分のことは棚にあげてだがそんな風に感じない。子どものころに60歳といえば、そりゃ~もう、よぼよぼばあさん。よぼよぼは余計にしても、60歳はとてつもない年寄りだったが、いざ自分がなってみるとそんな気がない。乳児・幼児の記憶はまるでないが、小学生時代は子どもを生きていた。青...
View Articleくっつかぬことが幸福な場合 ②
自由な心を得るにはどうすればいいか?「捨てきる心」を所有することにある。一切の名誉も権力も財産も、何もかも捨て去ることができたらその人は自由となろう。乞食は生活に不自由しても精神的に自由である。が、小学高学年で母親を捨てる決心をしたとき、自由になったとは思わなかった。母親の返報感情がしつこく自分に向けられ、苦しい日々を耐えていた。母親は精神的自由を拘束するのを止めず、真に自由になるには同居する母から...
View Articleくっつかぬことが幸福な場合 ③
思春期にもなると男も女も自分の容貌を気にしはじめる。これも第二次性徴の一環だが、先日あるところで小学6年生の女の子に、「かわいいね。男子にモテるだろ?」とお世辞気味に言ったところ、「そんなことないです。わたしはこの顔で人生おわってますから…」と、あなどれない小学生に驚いたが、咄嗟の応答に怯む自分ではないし、すかさずこう返した。「自分で自分を決めたらダメ。自分のことは人が決めるから」。というと、「えっ...
View Articleくっつかぬことが幸福な場合 ④
「くっつかぬことが幸福な場合」についてあれこれ書いているが、書きながら少なからず疑問は生じている。つまり、「行動しなかったことで、よかった」、「彼(彼女)と一緒にならなくて本当によかった」ということは、行動しないで分かるものなのか?という疑問。例えば、自分が乗ろうと思っていた飛行機便に乗らず、墜落したというならそれは幸福(幸運)と感じる。他にも、何らかの結果が分かったあとで、「あの時、ああしなくてよ...
View Articleミイラになった貴乃花親方
「一寸先は闇」という言葉がある。同じような意味で、「人間万事塞翁が馬」や「禍福はあざなえる縄のごとし」というのもある。これらすべては現在の貴乃花親方に向けられよう。第65代横綱貴乃花光司は優勝回数22回の歴代6位の記録を持ち、「平成の大横綱」と称された。兄の若乃花虎上(改名前は勝)氏とともに兄弟横綱として人気を博し相撲界に貢献した。若乃花は本名の花田に戻し、相撲界から離れて実業家、タレント、スポーツ...
View Article人間であることの原点 ①
『二十歳の原点』の著者は高野悦子となっている。1949年1月2日に生を受けた彼女は、1969年6月24日に世を去った。『二十歳の原点』の著者といっても、1969年1月2日(大学2年)から同年6月22日(大学3年)までの、立命館大学における学生生活を中心に書かれた日記を父の意向で出版となったが、母は反対をしたという。おそらくタイトルは編集者(出版社)がつけたものだろう。『二十歳の原点』にはどういう意味...
View Article人間であることの原点 ②
そもそも人間は自然のままに生きることはできるのだろうか?適応障害という疾患があるが、自らの欲求が、自分の外的・内的状況にうまく適応できないなら、自然のままでいるということは、適応パーソナリティの条件に思える。ただし、自然でいるということがいかに難しいことであろうか。人間は、いつ、どこに行っても、自然のままでいられるということは大変である。いかなる場においても、いかなる相手を前にしても、緊張も委縮も興...
View Article人間であることの原点 ③
イヌやネコのように、ただ生きる事だけが目的の動物は純粋である。そういう彼らにおいても生存のための小さな知恵はあろう。ネコはイヌと違って素っ気なくて警戒心が強く、譲り受けた飼い猫であっても慣れるまでに時間を要す。が、すべてのネコがそうともいえず、最初からべたべたと甘えん坊タイプもいるが、やはりイヌの屈託のなさに比べるとネコは用心深い。人間にも様々な資質や性格はある。思うに人間というのは、生きるために多...
View Article人間であることの原点 ④
自己顕示欲が強いと、自分自身を大きく見せるために無理をしたり噓もつかねばならなくなる。「身の丈の自分を知れ!」というが、虚栄心を少なくしていこうとする生き方を求めないと、人は虚栄のドツボにハマってしまう。他人の評価を謙遜したり否定したりの必要もなく、自己向上を目指すならふんわり聞き流せるはずだ。大切なのは自ら向上することである。地元の中小企業の子会社の社長になった知人だが、子会社に飛ばされたことを知...
View Article人間であることの原点 ⑤
「周囲を気にしない」。「他人に自分を支配させない」。「自己肯定感を持つ」などの言葉は、自己啓発本の常套句。それらは決して間違いではないが、そのような前の段階があることを忘れてはならない。どうしようもない人間のままで自己肯定に生きてどうなる?周囲を気にせず、自分勝手に生きたらどうなる?足りないままの自分を自己支配で生きてどうなる?抜け落ちた自分の何かに気づかず、改めることもなく生きてどうなる?人は自分...
View Article人間であることの原点 ⑥
人間について、人間社会について、人間関係について書こうと思えばいくらでも書くことはある。なぜなら、半世紀以上も人間と接し、人間界に籍を置いているのだから、書くことに尽きないのは当然かと。昨日まで、そして今日、明日からも死なない限り人間界で生きていく。あの世があるのかないのか、あってもあの世にネットはないだろうし、パソコンも売ってないな。当然だろうし、服とて売ってない。あの世でいつまで生きるのかわから...
View Article相撲の土俵は女人禁制なり
4日、京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業の舞鶴場所で、土俵上で倒れた多々見良三・同市長(67)の救助をした女性に、行司が土俵から降りるようアナウンスをした問題に波紋が広がっている。日本相撲協会は5日、女性に直接謝罪したい意向を示した。土俵で挨拶中の多々見市長が倒れたのを間近で見た70代男性は、市長の挨拶がいつもより力んでいると聞こえたという。「張り切っているんだな」と感じたが、間もなく市長は後ろへす...
View Article日本人であることの原点 ①
長年日本の国技は相撲と思っていた。が、日本相撲協会の広報部は「相撲は国技ではありません」と言っている。ならば本場所が行われる両国国技館という名称は?ここは相撲だけが行われるところではない。ボクシングやプロレスなどの格闘技の会場となり、2020年の東京オリンピックにおいてはボクシングの競技会場となる。ならば日本の国技は柔道?剣道?それとも羽根つき?残念ながら日本に法令で国技と定義されたものはない。国技...
View Article日本人であることの原点 ②
自分は日本人である。ならば自分の心理(ものの感じ方)や、論理(ものの考え方)は日本人的であるはずだ。して、それらはどういうものかを客観的に説明することが難しい。が、しないことには、「日本人は何であるか」を述べたことにならない。ここに鳴かないホトトギスがいたとする。鳴くまで待つのか?鳴かせようとするのか?こんなホトトギスは無用と葬るか。同じ日本人に違いはないが、この有名な三者の意識構造は随分違うようだ...
View Article日本人であることの原点 ③
渡辺崋山は三河国田原藩(現在の愛知県渥美半島)という小藩の武士であるが、海岸を管理する仕事に就いたのを契機に、海防問題に目覚め、蘭学を始めた人である。崋山は蘭学研究の中で、「欧州では政治体制などの社会システムを時勢に合わせて工夫し改良努力をすることで大発展を遂げている」と分析した。これは、硬直した徳川幕藩体制に対する明らかな批判である。「欧州では雷が鳴っても耳を塞がない。なぜ雷が鳴ったか、原因を突き...
View Article日本人であることの原点 ④
日本人論」を語る上で、福沢諭吉を外すことはできない。福沢が明治維新を迎えたときは33歳であった。彼は、明治34年(1901年)に66歳で世を去っているから、人生の丁度前半分が徳川時代、後半分が明治時代ということになる。維新という大きな変革期を生きた彼にとってみれば、何の転換期もなく平穏な生涯を送った人とは何か違った考え方を持っていたのは想像できる。諭吉は維新当時に残る日本人の封建意識をなくす必要性を...
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