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相撲の土俵は女人禁制なり

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4日、京都府舞鶴市で行われた大相撲春巡業の舞鶴場所で、土俵上で倒れた多々見良三・同市長(67)の救助をした女性に、行司が土俵から降りるようアナウンスをした問題に波紋が広がっている。日本相撲協会は5日、女性に直接謝罪したい意向を示した。土俵で挨拶中の多々見市長が倒れたのを間近で見た70代男性は、市長の挨拶がいつもより力んでいると聞こえたという。

「張り切っているんだな」と感じたが、間もなく市長は後ろへすーっとまっすぐに倒れた。土俵の近くで見ていた60代女性によると、すぐに女性2人が土俵に上がり、「胸を開けてください」と叫ぶと心臓マッサージを始めた。その後、「女性の方は土俵から降りてください」とのアナウンスが繰り返し流れたが、女性は救急隊員らが交代するまで救助活動を続けた。

なぜ降りろなのか?土俵は女人禁制のしきたりがある。主催した実行委員会の河田友宏委員長は、「しきたりはしきたりだが、人の命がかかっているときに言うことではない。救命措置がなかったらどうなっていたかと思うし、とても感謝している」。女性たちには看護師も含まれていた。場内アナウンスをしたのは、進行役の若手行事で、「(女人禁制が)頭に膨らんだ」という。

若手行事の失態ということになっているが、こうした咄嗟の判断はむしろ若手行事にはできないと考えるのが妥当である。こうしたアクシデントに遭遇して、大相撲の女人禁制というしきたりを遵守すべきという判断がおぼつくのか?あまりの手際の良さからして、相撲道に精通した年寄幹部の指示があったと判断すべきだが、協会は指示を出したなどいうはずがない。

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若気の至りとして罪をかぶせ、長老は逃げたのだろう。「大男総身に知恵は回り兼ね」は、明らかに華奢な若手行事のことではない。現に土俵付近の協会員が、女性は土俵から降りるよう口頭で注意しているのが目撃されている。こういう突発的なアクシデントにおいて、「人命優先か女人禁制の掟優先か?」というような判断をできる人間とそうでない人間がいる。

前者を危機管理に長けた有能者といい、後者を融通の利かない木偶の坊(でくのぼう)というが、ひたすら相撲道に邁進、しきたりを堅持する親方・年寄衆は、言っては何だが、人道主義に基づいた明晰な判断ができるとは思わない。だから、若手行事に斯くの指示を与え、それで非難が起こると逃げ回る。と、自分は断定するのも、協会には頑なな女人禁制の歴史がある。

目の前で何が起こっているかについての緊急性や柔軟思考もなく、ただ文化を死守する協会の石頭どもに人道も人命もないのは想像に値するが、我先にと土俵に駆け上がった看護師の女性を評価する向きもあるだろうが、彼女たちこそ、目の前で起こっている現実にひたむきで純粋であったといえよう。協会は後に不適切な対応と認めて謝罪し、女性に感謝状を贈ることを決めた。

協会から感謝状を贈るとの連絡を受けた看護師の女性は、「当たり前のことをしただけ。そっとしておいてほしい」と固辞したというが、言葉の裏には、「あなたたちはどんだけ木偶の坊なの?」という声が自分には聞こえてくる。看護師の資格があるといっても、咄嗟に、我を忘れて、土俵に駆け上がろうという人道意識の強い女性にすれば、「何が感謝状ですか!」であろう。

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人命がかかった状況での、「降りて」というアナウンスに対して女性は、「強い怒りと悲しみと不安と…、様々な気持ちが入り乱れておりました。なんの説明のないまま(ちゃんと救急搬送されたことも、現場にいらっしゃった警察官の方にお尋ねして初めて知りました)でしたので、暫くは気が気じゃなく、全く集中出来ませんでした」と当時の率直な心境を明かしている。

感謝状拒否は、「木偶の坊の感謝など無用」と言いたげである。あげく協会は女性らが救命活動した後の土俵に清めの塩をまいた。そのことについて、日本相撲協会の尾車事業部長は5日、「女性軽視のようなことは全くない。(怪我の)連鎖を防ぐためにまいた」と説明した。この言葉はあまりの股座膏薬と判断した。こうした誤解を受けることはすべきでなかった。

どのような言い訳をすれども、場合が場合であり、世間は協会のいうような判断をすることはない。が、文化を死守する側としては、女性が土俵に上がったという不浄に清めの塩を蒔かねば収まらないようだ。こういうことをやれば、延命救助をした女性の気持ちを逆なでするのは当然かと。感謝状を贈ってお茶を濁そうとする木偶の坊たちの非常識さである。

口実や理屈は後からいう以上、どんな風にもいえてしまう。もし協会の本音を引き出すための、下手な言い訳が言えない強烈な突っ込みをするなら、このように言ってみるのがいい。「土俵に塩をまいたのは、女性が土俵に上がったのを清めるためでは?」、「そんなことはありません」。「清めなければいけないのでは?それとも清める必要はないとでも?」、「… …」。

イメージ 4日本のジャーナリズムは甘ったるい。シャーなリズムとは権力の監視のためにあるものだが、欧米のジャーナリストの権力者に対する忌憚のない発言からすれば、日本人ジャーナリストは、「こういうことを聞くと相手は困るだろうな」との姿勢が感じられる。「優しい日本人」は、遠慮なしに辛辣なことをポンポン聞くような外国のジャーナリストが育つ土壌はない。

いかに、「合理」の体系においても前提は必要であり、その前提というのは合理からは出てこない。前提の多くは感情がもたらすものだが、どんな感情であっても、すべてがよいということではない。土俵の女人禁制問題について、相撲協会は断固拒否の頑な姿勢を貫く。舞鶴場所では舞鶴市長が土俵で挨拶したが、宝塚場所では宝塚市長が挨拶する旨を協会に求めたところ、拒否されたという。

中川智子宝塚市長は女性である。土俵の女人禁制を巡っては、2000年の春場所で、大阪府の太田房江知事(当時)が土俵の上で優勝力士を表彰することを希望し、協会に断られた例がある。ま、宝塚歌劇団の舞台も男子禁制となっているが、断乎拒否ということもなければ、塩をまくこともない。1977年やしきたかじんは、宝塚歌劇団の舞台で鳳蘭と歌を披露した。

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