VANのホームページにあるショップリストから、「VAN shop岡山」と、「VAN多治見」の二店舗が消えていた。前者は2014年1月末日をもって閉鎖した、「VANHOUSE 岡山」を受け継ぐ形で、同年4月頃にオープンしたはずである。というのも顧客リストを引き継いだにも関わらず、開店の案内状・挨拶状もナシという、商売のやる気がまるで感じられなかった。
「VAN HOUSE 岡山」のオーナー中務氏からは閉店に際し、丁寧な挨拶状を頂いた。これまでの謝意と新店舗をよろしくという内容が主で、ホームページのメールアドレスは引き継ぐということだったが、新オーナーはホームページを立ち上げるでもなく、新店舗開設の挨拶がないというのは、まさに商売のイロハの、「イ」が抜け落ちて、やる気が感じられなかった。
ということで、「VAN shop岡山」とは疎遠になった。店舗開設の挨拶があり、ホームページを立ち上げていたら利用もしたろうが、なしのつぶては顧客に反映する。以降は、VANの本社から直接購入することになった。広島市内にもVANショップはあり、商品を直に見たり、試着したりは可能だが、2015年2月28日の記事に書いたように、あり得ない体験をした。
「VAN HAUSE 岡山」の閉店は残念だったが、疎遠の、「VAN shop岡山」が店を閉じているのを知ったときは何の感情も湧かなかった。もともとやる気の無いお店であるからして、「自然淘汰の原則」というのが頭を過る。商品を販売するお店は無人の自販機と違って人間が切り盛りする以上、人と人との触れ合いが如何に大事であるかは言葉を待たない。
それを思えば、「VAN HAUSE 岡山」と、「VAN shop岡山」のあまりの違いであるが、20年の歴史に幕を閉じた、「VAN HAUSE 岡山」の事情を推察するに、トラディショナル・オンリーだけでは時代のニーズに答えられなかったのではないか。昨今のVAN愛好者は団塊の世代が中心且つ主流であり、こんにちの若者にとって、VANはレトロとなっている。
アイビールック、アイビーカットなどの言葉はほとんど聞かれなくなった。トラディショナルを略してトラッドというその意味は、伝統に忠実であるさま。昔からの習慣を守るさま。伝統的。 (『三省堂 大辞林』)というように、古いとか新しいといった流行には無縁で、左右されないものである。しかるにトラディショナルスタイル(トラッド・ファッション)というのは和製英語である。
アメリカン・トラディショナルスタイルというが、源流をたどると英国にあり、その伝統的・保守的な要素を守りながらも時代とともに変化していったもので、1950年代から60年代にかけては日本も戦後の混乱も収まり、人々の暮らしに余裕も出始め、日本に駐留するGHQや、海外の映画やホームドラマなどを通して、欧米へのあこがれが高まっていた時期でもあった。
そうした中、1950年前後からアメリカ東部にある有名私立大学8校が構成する団体、「IVY LEAGUE(アイビーリーグ)」に所属する大学の学生たちのスタイル、「アイビーリーグルック」が注目され、VAN創業者の石津謙介らによって日本でも紹介される。そのスタイルは有名雑誌などメディアに取り上げられたことで、欧米に憧れを抱いていた日本の若者に浸透し流行した。
1964年ころには、アイビーリーグ・ルックの要素を取り入れたスタイルの学生たちが銀座のみゆき通りに集まるようになり、「みゆき族」と呼ばれる社会現象となった。ファンションも時代の変遷とともに、トラディショナルスタイルも厳格な固定化から流動的になっていき、アイビースタイルも根っからのアイビー信奉者からすれば、「それってアイビー?」といわれる商品も増えた。
「VAN多治見」の橘浩介氏といえば、VAN愛好家にとって教祖的存在として知られる名物オーナーである。その「VAN多治見」が、VANのホームページから消滅していたのは驚きだった。「VAN多治見」のホームページには、「全国の皆様へ。お詫びとご報告です。」という内容の書き込みがあった。「VAN HAUSE 岡山」と同じ20年の歴史を誇った老舗である。
たかだか20年を歴史というのか?異論はあろうが、石津謙介氏がヴァンヂャケットを興したのが1954年、その後ヴァンヂャケットは1978年、服飾業界最大の500億円の負債を抱えて経営破綻した。直後に社員OB等で構成されたPX組合が破産管財人の許可の下で在庫品販売を継続する。1980年にはヴァンヂャケット新社を設立したが、84年に再び東京地裁より破産終結決定を受ける。
2000年、新コンセプトで再復活する。伊藤忠商事などがライセンス販売のための新会社、株式会社ベルソンジャパンを設立するが、2006年5月23日、ベルソンジャパンが福岡地方裁判所に自己破産を申請して倒産。翌年、あらたに営業再開され、現在に至っているが、詳しい出資者や営業形態は不明である。ベルソンのVANは縫製が粗悪との風評が広まり倒産した。
「VAN多治見」のホームページには、オーナー橘氏による以下のコメントがある。「此度、VAN本社との方向性、僕の望む価値観の違い…、決別であるため僕の一方的な決定です。新店舗・移転先でのVAN特約店オフィシャル契約解除となりました」。VAN特約店のオーナー橘氏は、遊び心満載からして石津謙介の申し子であり、その辺りを以下のように記している。
「僕が学んだVAN石津スピリッツ!精神は面白いことはなんでもやる!常に躍動と遊び精神ユーモアがなくてはならない。このスタイルは今後も変わらない所存です。VANヂャケットとは決別となりましたが、今後は「Varsity橘浩介」と、お客様との関係は今まで通りで御座います」とある。石津氏を敬愛する彼がVANと決別したのは返す返すも残念である。
どのような経緯があったかは分からないが、こよなくVANを愛し、長年のVANの功労者ともいえる橘氏を切ったのは、VAN本社として理性的な選択だったとは思えない。何がしかの感情的なしこりがあったと推察する。彼は今回の件についてVANの不満は記してないが、VAN本社との方向性と自身の価値観の違いという言葉から、ある程度の察しは想像し得る。
恨み節ともとれる記述は、「建物老朽化の為閉鎖した事はご報告していました。9月から新店舗移転について新たな、『VANショップ皐ヶ丘店』の準備を進めてましたが、9月以降~契約がないからという理由で9月、10月、11月と、今季2017秋冬、「VAN多治見」のオーダー分商品なにひとつ納入されませんでした」とあり、橘氏はVANを継続したかったのが分かる。
しかし、「僕自身長年大切にしてきたVANへの思いや遊び心。お客様への満足度なる価値観の提案するも…」とあるように、いろいろ意見を述べが心象を害したのかも知れない。心からVANを愛し、VANと共に生きてきた特約店を切るというほどに心象を害したということだが、橘氏の何がVAN本社の機嫌を損ねたのか?双方の自負と自負がぶつかり合った結果と推察する。
「僕自身、今後のVANの方向性に魅力がないということです。決してVANを誹謗中傷するではなく、VAN独自のやり方があるでしょう」という記述が今回の問題の核心を見た。最後に橘氏は、「正直とても残念でなりません。今後はお客様と同じく、個人的、いちVANファンとして、石津イズム、VAN精神を貫き通したい」とくくっている。これにめげず頑張って欲しい。