「一寸先は闇」という言葉がある。同じような意味で、「人間万事塞翁が馬」や「禍福はあざなえる縄のごとし」というのもある。これらすべては現在の貴乃花親方に向けられよう。第65代横綱貴乃花光司は優勝回数22回の歴代6位の記録を持ち、「平成の大横綱」と称された。兄の若乃花虎上(改名前は勝)氏とともに兄弟横綱として人気を博し相撲界に貢献した。
若乃花は本名の花田に戻し、相撲界から離れて実業家、タレント、スポーツキャスターとして活躍するが、貴乃花の引退相撲と断髪式は2003年(平成15年)5月場所後に行はれ、引退後は一代年寄として貴乃花部屋を創設、協会の理事を務めながら弟子の育成にあたっている。実力横綱であった貴乃花は、さっそく2010年1月場所後に行われる理事選に立候補を表明した。
相撲協会の理事選挙は、波風立たぬよう一門の中で上手く折り合いをつけ、話し合いで行われていたが、貴乃花親方はそうした狭い社会にありがちな、旧態依然体制に風穴を開ける行動を起こす。それが2010年の理事選である。10人の改選だが、5つある一門に応じて理事候補を調整し、無投票で決定することが慣例となっており、当時貴乃花親方は二所ノ関一門に属していた。
二所ノ関一門は、既に現職理事の放駒と二所ノ関のほか、新人の鳴戸が立候補を予定し、これに貴乃花親方を加えた一門4人の投票になるため、2009年12月には一門で候補者選定会議が行われた結果、4人の中で最年少であった貴乃花親方に対して立候補を断念させる方針に傾いたが、貴乃花親方は2010年1月8日に一門を離脱し、単独で理事選に出馬することを正式に表明した。
一部マスコミはこうした行動を、「貴の乱」と称した。初場所後の理事選を睨んだ1月19日、二所ノ関一門は緊急会合を開き、貴乃花を支持する間垣、阿武松、大嶽、二子山、音羽山、常盤山の親方6人および間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上破門とし、既に一門からの離脱を明らかにしていた貴乃花親方と貴乃花部屋にも、同様の措置が執られた。
二所ノ関一門からは現職の放駒と二所ノ関のみが立候補することになり、新人の鳴戸は事実上立候補を断念せざるを得なくなった。4期(8年)ぶりに評議員の投票で11人が10人の理事を争う形になったが、こうした騒動を武蔵川理事長が厳しく批判して話題となる。貴乃花親方が固める票は上記7親方の票だけでは当選ライン10票に届かず、他の一門から票の上乗せの必要があった。
2月1日の理事選の投開票の結果、落選予想の貴乃花親方は上記7親方以外の3票の上積みがあり、10票を得て当選し、落選は大島親方となった。理事長は武蔵川親方の続投となるが、貴乃花親方の行動をマスメディアは、「相撲協会の革命児」と報道した。同年7月4日に行われた臨時理事会は、野球賭博に関与した大関・琴光喜についての議案で、琴光喜は解雇処分となる。
これを不服とした貴乃花親方は処分軽減ならびに現役続行を強く訴えたが却下された。その後、理事選で貴乃花親方を支持した阿武松の弟子と床山、大嶽が野球賭博に関与したとして処分対象となり、貴乃花親方は退職願を提出するも受理はされなかった。武蔵川前理事長の突然の辞任に伴う理事長選挙で貴乃花親方は北の湖を推薦、「貴の乱再び」と言われたが結果は落選。
2012年1月場所後の1月30日に行われた理事選で再選され、大阪場所担当部長に就任した。2014年4月以降も引き続き理事を務めることになり、協会常勤の執行部・総合企画部長など部長職5つを任される厚遇に与った。2016年1月29日の理事選挙では4選となり、3月28日に行われた理事長改選では現職の八角と共に次期理事長候補となるが、多数決の結果6対2で八角に敗れた。
2017年11月場所中に日馬富士の貴ノ岩に対する暴行が発覚、貴乃花親方の協会への報告義務違反などによる理事解任決議が全会一致で可決され、2018年1月4日、臨時評議員会の席上、貴乃花親方の理事解任決議が承認された。池坊保子評議員会議長は、貴乃花が理事に再選された場合に承認拒否に含みを持たせる発言をしたが、2月2日の理事選挙では2票の獲得にとどまり落選。
この一件を早大教授上村達男氏は以下批判した。「元検事で高野利雄危機管理委員長の、『忠実義務に著しく反する』とする意見に依存したと見られているが、忠実義務違反というのは、貴乃花の行動が協会に財産的被害を及ぼす場合に想定されるもので、今回はそうではなく、単なる不注意の問題で理事解任に当たらない。刑事畑の検事は民事に不得意なのが通例だ」。
年明け早々理事を解任された貴乃花親方は、協会の役員待遇委員・指導普及部副部長となるも、テレビ朝日の特番に出演して協会批判を行うなど、対立姿勢を強めてきた。3月26日の理事会では八角理事長の続投が満場一致で決定し、昨日は日本相撲協会役員以外の親方で構成する年寄会による臨時総会が大阪市内で開かれ、貴乃花親方は協会と対立する姿勢を謝罪した。
さらには内閣府の公益認定等委員会に提出した告発状を取り下げる手続きを始めたことも明らかにした。こうした貴乃花親方の変節は、弟子の十両・貴公俊の付け人殴打問題で立場が一転したことになる。元横綱・日馬富士による幕内・貴ノ岩暴行を契機に、協会に対する強い態度で主導権を取り続けていた矢先、弟子の起こした暴力事件は貴乃花親方を窮地に追い詰めた。
臨時年寄会終了後、記者会見に臨んだ貴乃花親方は、「今後は相撲協会の一兵卒として皆さんと力を合わせ、微力ながらも協会のために尽力する」と、平身低頭語った。「大男総身に知恵が回り兼ね」とは力士にいわれる言葉だが、なぜにこんな時に貴公俊は暴力事件を起こしたのかは、上記の言葉にいう、"おつむの悪さ"という以外にないが、正に親の心子知らずである。
年寄会では厳罰を望む声もあり、本日開催予定の理事会においては、貴公俊も含めた厳しい処分が予想される。貴乃花一門は理事会に対し、事実上解雇となる契約解除だけは避けてほしいという要望書を出しているというが、高飛車で独断的な行動や態度やから造反分子とみられていた貴乃花親方は、解雇は避けられたとしても協会内で飼い殺し状態になるのは明らか。
ふと中国の英雄項羽が頭を過る。23歳で挙兵、30歳で死ぬまでの8年間に70戦以上を勝率9割9分の最強の天才武将項羽は、史上最大にして孤独な戦術家の異名をとるが、最後は、「四面楚歌」で生涯を終えた。22歳で綱を張った大横綱貴乃花も経歴とは裏腹に理事投票がわずか2票(1票は自分)と四面楚歌。乱を企てた異分子として、今後は針のむしろを歩くことになる。
貴公俊の一件がなければ「一敗地に塗れる」ことはなかったろうが、子の監督責任は親にあり、弟子を責めることはできない。貴乃花親方にとっては、「晴天の霹靂」だが、ミイラ取りがミイラになった今、理事会の恩情で貴乃花部屋の看板だけは守ることが叶ったなら、理事の面々には足を向けて寝ることはできない。貴乃花親方の今後に、「我が世の春」の到来はない。