「命より大切なもの」 ⑤
「命より大切なものはない」と結論した。が、「命より大切なものがある」と叫ぶ人をどうも思わない。「命を失ってもいないのに、よくそんなことが分かるな?」と疑問に思うだけだ。「そんなことが言える」ではなく、「そんなことが分かる」である。言うのは勝手で、言うと分かるは別だが、世の中、「言う」=「分かる」と思い込む人もいよう。これにてシリーズは終り。と思ったが、一昨日のアメリカの事件に考えさせられた。「バージ...
View Article「関係」といえる関係
いろいろ書きながら思うのは人間関係の難しさであろう。親子関係、夫婦関係、友人関係、あるいは会社における上司や部下、同僚との関係、恋人との恋愛関係、違法性のある愛人関係や不倫関係など…、「関係」という名の何と多きかな。対人関係ばかりにあらず、自分との関係(自我との葛藤など)もある。眺めているには面白いが、場の当事者なら大変だ。これらについて思うところを述べるときに、問題点をためらわず浮き彫りにさせて解...
View Article「関係」といえない関係
『他人の関係』という曲がある。金井克子の31枚目のシングルとあった。金井克子はもちろん知っているが、「へ~、31枚目のシングルとな?」ちょい驚いた。金井克子の楽曲といえばこの曲以外に知らないからであって、まあ、勝手に知らないから驚いているだけなのだが、それにしても『他人の関係』というのは、当時も今もオカシな日本語である。どういう意味?知らなかったが、一青窈も歌っているという、『他人の関係』。歌詞の謎...
View Article「関係ない」という関係
誰だったか名前のでない芸能人で、「そんなのカンケーナイ!」というギャグを飛ばしていた。調べれば名前くらい判るが本当に忘れており、知らずとも、ワザワザ調べなくとも、分かる人もいるからイイかも。「知らない」、「忘れた」も人間的である。ずっと以前には柴田恭平(こちらはスラリと出た)が、彼は「カンケーないね」がトレードマークであった。「関係ない」ではなく、「カンケーない」としたのは、実際に言葉でそう言ってい...
View Article「関係ない関係」という関係
「お前はあの女とどういう関係なんだ?」と、ある奴が聞いてくる。「どういう関係って、別に何の関係もないよ」。この場合の「関係」とは男女関係のことを聞いている。「ふ~ん、何の関係もない関係という関係なんだな?」「うん?ちょっと待て、"何の関係もない関係という関係"って、ややこしいな、どういう意味だい?もうちょっと分かりやすく頼むよ…」「何の関係もない関係とは、つまりは男女関係のない関係と言う意味。だから...
View Article「関係を壊す」という関係
相手が叩いてきた。叩かれたので叩き返す。すると相手は泣いて先生にいいつけた。先生に呼ばれ問われた。「何で叩いたんだ?」、「先に叩いたので叩き返した」と言った。「(泣いてる子に)何で叩いたんだ?」先生は聞いた。「叩いてません。なのに叩かれた」と言った。「嘘だ、お前が先に叩いたろ?」といえば、「叩いてない!」と言い返す彼に呆れてしまう。この状況を教師はこう納める。「もういい、言い合いしても始まらない。君...
View Article「適材適所」という関係
女子の社会では小学校低学年期から、「告げ口」は多いらしい。「誰々さんがあなたをこういっていた」と、嘘か真か、真か嘘か、告げ口の意図は嫉妬か意地悪か、二人の関係を悪化させること。女が女を信用しないのは、こういう経験するからか。「Aさんがあなたのことを嘘つきだから気をつけた方がいいって言ってたよ」、この一言で崩壊する関係である。男でそんなことを言ってくる奴はまあ少ないが、言う奴がいたら、「人に言わずに直...
View Article「作家と読者」という関係 ①
坂口安吾の代表作は…、といっても小説とエッセイに分かれる。小説では、『白痴』、『桜の森の満開の下』、『夜長姫と耳男』などであろうし、エッセイなら、『堕落論』、『日本文化私観』、『FARCEに就て』、『教祖の文学』ではないかと。初めて読んだ『堕落論』は高2、どれだけ文意を理解したか疑問である。小説は物語を追うが、エッセイはそうはいかない。彼についての紹介文は書かないことにする。小説の批評も書かないこと...
View Article「作家と読者」という関係 ②
子どもをめぐる環境や状況はさまざまあるが、面白いことを考えたことがある。実行不能ではあるが、子どもが親の性格や育て方によってどのような人間になるのかである。同じ一人の子どもを10人の別の親がそれぞれ育てたら…。絶対に不可能であるけれども、想像しただけでも興味深いシュミレーションである。その根底にあるのは、子どもは親が作るであった。四人兄弟の末っ子であった小野田さんの三人の兄は、いずれも相当のエリート...
View Article「作家と読者」という関係 ③
安吾はまさに言葉の産婆、産婆術を持っている。産婆は聞かなくなったな、今は婦人科医というが、その婦人科医も少子化のせいかなり手がいない。子どもを身ごもると鉄道やクルマで隣町の産科・婦人科医の元に通わなければならない。子どものころ、婦人科医は羨ましいと思っていた。なにしろ、ただで飽きるほどナニが見れるわけだが、それでもなり手が少ない。これもAVビデオ氾濫の影響か?というのは根拠のない想像だが、友人のレン...
View Article「作家と読者」という関係 ④
自分の経験で言うなら、母親に嫌われているよりも、母親を嫌う方が家には帰りたくないものだ。こんな風に考えてみるといい。自分を嫌ってる誰かと一緒に仕事をしたり、毎日顔を突き合わせることと、自分が嫌いでどうしようもない相手と毎日顔を突き合わせなければならないのと、どっちが嫌か?まあ、前者は他人事と思えばいいが、後者は耐えられない。自分も家から出たきり夜まで帰らなかったが、安吾もほとんど家に寄り付かず、哀し...
View Article「作家と読者」という関係 ⑤
坂口安吾に『青春論』というのがあって、かなり早い時期に読んだけれども、これのどこが『青春論』かとガッカリした事がある。青春論とは、青春を論ずるものであるから、青春を論じてもらわねばならないが、安吾の『青春論』は、4部に分かれていて、1.わが青春、2.淪落に就て、3.宮本武蔵、4.再びわが青春、という構成だ。「淪落」とは落ちぶれること。「わが青春」の段の中で安吾は自分は70歳になっても青春ではないか、...
View Article『青春論』
安吾は『青春論』の中で「淪落に就いて」の段がある事は書いた。それとは別に『淪落の青春』という表題の短編を書いている。前の記事にも書いたが、「淪落」という聞きなれない言葉は、落ちぶれること。落ちぶれて身をもちくずすこと。彼は都度自らを淪落者といっている。安吾はまた同じことを書くクセがあり、それはクセというよりも彼一流のクドさでもあろう。同じことを繰り返して言ったり、長々と言い続けたりで、相手をうんざり...
View Article『青春論』 ②
過去、青春については表題のあるナシに関わらず書き綴ったが、いざ『青春論』などと気負うと何を書けばいいのか。青春を振り返って思うのは、ポジティブな視点、ネガティブな視点の両方だ。苦あり楽あり、山あり谷あり、悲あり喜あり…、どれも青春、すべてが青春だ。怒りもあり静寂もある。人によっては暗い青春もあり、輝いてる青春もある。輝いてる青春か…青春時代にもっとも親しまれていたカーペンターズというグループがあった...
View Article『青春論』 ③
『青春論』と題したからには青春を突きつめて考えたい。青春と言っても人生と同じように3つに分けられる。つまり、自分の青春、他人の青春、一般論の青春である。青春について書くなら自分の青春が的確であろう。なぜなら、自分と言う人間はこの世でただ一人である。他人の誰にも青春はあるが、この場合の他人とはとりあえず自分に近しい人をいう。それでも何十人、ともすれば百人超える。彼ら、彼女らにもそれぞれの青春があったは...
View Article『青春論』 ④
親は子どもをダメにする愛情を持っている。それが愛情?と疑問は抱くが、親が愛情と思っているなら愛情であろう。「親は子どもをダメにする愛情を持っている」、はオトナの成熟した思考であり、当時子どもであった自分がそんな風な考えを抱くはずもない。その当時自分は、「このヒトの言う通りしていたらダメな人間になってしまう」という思いだった。ヤブから棒に反抗したのではなく、母のいう事、する事一切がまともではないと感じ...
View Article『青春論』 ⑤
父と息子を描いた作品でひらめくものと言えば、『子連れ狼』と『ロード・トゥ・パーディション』であろうか。『子連れ狼』は、小池一夫原作・小島剛夕画の日本の時代劇漫画(劇画)作品で、1970年9月から1976年4月まで『漫画アクション』(双葉社)に連載され、萬屋錦之介主演のテレビ時代劇として、1973年から1976年にかけて日本テレビ系列で放送された。漫画は読まなかったが、テレビドラマはちょくちょく観た。...
View Article『中年論』
青春が終ると中年か?その前に青年がある。ならば『中年論』の前に『青年論』か?「青年の主張」はあるが、「中年の主張」はない。『青年論』で何を書くかも難しいが、『中年論』ならなおさらである。何を書くべきか、書くことがあるのか、見当もつかない。そんな状況の中、『中年論』と気負ってみたが、そのように追い込めば何とかなるだろうくらいの気分である。『青春論』はさまざまに想いを寄せる時期だが、『中年論』として書き...
View Article『中年論』 ②
青春期と中年期のもっとも大きな違いは、青春期は独身、中年期は家庭を持つことではないか。ただし例外もある。19や20歳で婚姻した者もいるし、40代で独身もいる。30代で独身というのは普通といえるほど珍しくない。結婚適齢期というのは、結婚に適切であるとされる年齢であり、様々な社会においておおよそ決まっている。女子の場合は出産年齢の限界という問題もある。日本産婦人科学会によれば、高齢出産とは「35歳以上の...
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