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「作家と読者」という関係 ②

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子どもをめぐる環境や状況はさまざまあるが、面白いことを考えたことがある。実行不能ではあるが、子どもが親の性格や育て方によってどのような人間になるのかである。同じ一人の子どもを10人の別の親がそれぞれ育てたら…。絶対に不可能であるけれども、想像しただけでも興味深いシュミレーションである。その根底にあるのは、子どもは親が作るであった。

四人兄弟の末っ子であった小野田さんの三人の兄は、いずれも相当のエリートかつ高学歴の現役陸軍将校であったが、小野田さんだけ軍人の道を歩まず、また旧制高等学校への進学もせず、兄弟の中では経歴・学歴面で浮いた存在であった。中学校卒業後は民間の貿易会社に就職するも、三人の兄との比較を親にされたりと、家に居たい理由はなかったと推察する。

「小野田自然塾」設立となる直接的な動機は、ブラジルに移住して数年後に邦字新聞で「金属バット事件」を知り、大きなショックを受けたことだった。「金属バット事件」とは、昭和55年、大学受験の浪人生が、父母を金属バットで殴り殺した事件である。日本は経済的に豊かになったが、子供たちが何かに追い詰められて歪んでしまっていると小野田さんは感じたという。

当時小野田さんはこんな風に述べていた。「ぼくは、金属バット事件が起こったときに、"ああ、子どもたちがかわいそうだな、追い詰められてるのかな"と思いました。親と意見が合わないんだったら、ぼくみたいに家を飛び出すとか、やってみるといいんだね。そのかわり親には、『もう一銭もいただきに来ませんから』と言い切って家を出る。そうすればこんな悲惨な事件は起こりません。

イメージ 1結局はね、暴力に訴えるうちはまだ甘えがあるんですよ。親が気に入らないんだったら、自分で独立すればいい。たとえ何歳であろうと、自分で働いて食えばいいんです。依存しているから親にストライキをやったり、デモンストレーションをやる。それがああいう形になってしまう」。この考えがすべてで、そのために一人で生きて行く何かを身につければいいが、何はさておき精神力である。まあ、甘えさせる親にも責任があるけれど、そんなに親が嫌で、殺したいほどなら、とっとと家を出ればいいんだ。実際小野田さんは17歳の時に、親にそう言って家をでたという。「とにかく子供にしっかりしてほしい。子を甘やかせるようなダメな親でも、不幸にならないよう子供が希望を持ってくれれば、希望が目的になるから」。小野田さんはそのように語る。

もし、安吾を知らずにいたら、自分は別の自分であったろう。安吾から影響を受けた部分は大きいし、自分にとっての彼の最大の魅力とは何であろうか?何よりインパクトのあった言葉は、「堕落しろ!」であった。大体、「堕落人間」なんてのはサイテーの人間であろうし、そんな人間を目指すなどあり得ない。目指さずとも自然に堕落して行くものだろうし…。

「堕ちろ」、「堕ちろ」という言う安吾って何者?人の人生にちょっかい出してアレコレいう作家は稀有である。多くの文豪・作家たちは、非才なる市井人のお手本になるべく文化人であった。そんな中に無頼派といわれた少数派作家がいた。彼らは既成の純文学や文学全般を批判、あるいは同傾向の作風を示す作家は、いわずもがな反俗・反権威・反道徳的であった。

真あらば偽、善があらば悪、正あらば邪などと、物事には表と裏がある。表の部分は出し、裏は隠すのが一般的なモラルであるが、「裏を出して何が悪い」というお行儀の悪さが、虚飾を排した人間的魅力であった。上品な人は、下品な人がいるからそのように言われ、バカがいるから賢いといわれるのであって、したがって上品は下品の、賢いはバカに恩恵を受けている。

なのに下品を見下し、バカをバカにしていては、せっかくの恩恵が仇になろう。人を下品といえば下品でなくなり、バカと罵ればバカでなくなると錯覚しているのだろう。人を下品と言うときは、自分も下品だな、人をバカと罵るときは、自分も大概バカだと省察しながら言うべきである。自分もよく「バカ」を使うが、言いながら自分もバカと思っている。

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たまに忘れることもあるが…。坂口安吾、太宰治、織田作之助、石川淳、壇一雄ら無頼派作家は、派閥ではないので徒党を組むことはないが、彼らは昭和10年代に作家としての位置を確保し、反俗、反秩序を基とする無頼姿勢もすでにその時期に固まっていた。戦後それが一挙に噴き出したのは、戦争と言う愚行をした国家権威に対する反動、抑圧への反発であろう。

自堕落な生活、乱れた男女関係を旨とし、そこに人間の根源的な「生」を見出そうとしていた。坂口安吾という作家は、幼少期から親という権威に果敢に反発してきたこともあって、彼の反動精神はそういうところから培われたものであろう。斯く言う自分もそうである。「権威」という物は従うものでは決してなく、反抗してこそそこに価値を見出すのだ。

何事も反対、反対のイデオロギーを持った政党もあるが、真の反動というのは、周囲や社会が「悪」と断ずるものに光を当てるし、「良」というものに正当なる陰をみようとする。例えば安吾の『戦争論』はこのような書きだしで始まる。「戦争は人類に多くの利益をもたらしてくれた」。この書き出しを見ても安吾と言う人間がどういう目を持っているかがわかる。

安吾の『戦争論』は以下続く。「それによって、民族や文化の交流も行われ、インドの因明がアリストテレスの論理学となり、スピロヘーテンパリーダと共にタバコが大西洋を渡って、やがて全世界を侵略し、兵器の考案にうながされて、科学と文明の進歩は進み、ついに今日、人間は原子エネルギーを支配するに至ったのである」。これは科学の進歩が戦争によるという視点。

イメージ 3「多くの流血と一家離散と流民窮乏の犠牲を賭けて、然し、今日に至るまで、戦争が我々にもたらした利益は大きい。その戦争のもたらした利益と、各々の歴史の時間に人々が受けた被害と、そのいずれが大であるか、歴史という非情の世界に於ては、むしろその利益が大であったと云うべきであろう」と結ぶ。我々は百年の時間の中にあって、非情なる歴史の一員なのだ。
「なるほど」。安吾の魅力は物事を「これでもか!」と肯定するところにもある。同じ無頼派と言われた阿佐田哲也こと作家の色川武大は、安吾を「眼の性のよさ」と称している。性(さが)とは、生まれ持った性質・資質、運命などの意味だが、長所・欠点などと後天的に作られる要素もあり、「眼の性のよさ」とは、視点に遜色がないとの意味であろう。

「坂口安吾は、私などが断定意味にいうのも変なことですが、眼の性のいい人だと思います。なによりもその点で、おそろしい人だと思いました。眼の性がいいということは、事物がよく見えるというだけでなく、遮蔽しているものを透し、またそのもの自体の陰になって見えない部分も一緒に視点に入れ、矛盾し合う要素、無縁に近い要素、いろいろなものを混合させたまま、しかも一枚の絵を見るように見てしまう、というようなことでありましょうか。たとえば、雨を見て、霧を見、雲を見、埃を見、有効性無効性、或いは無定型、雨の中に含まれる雨ではないもの、それらを一場の雨の中に一瞬で見てしまう力。」(雑誌『ユリイカ』:1986年)

中上健次も安吾の「怖さ」を述べている。「自分の背丈など、到底及びもつかぬものがあることに気づいている。頭の上の、はるかに上にだ。それをひとまず、天と言ってみる。それがあるのに気づいてはいるが、知らない。また、知りたくない。頭の上の、はるか高みを、みたくない。安吾のはなしをして酒を飲むと、きまって悪酔いする。もちろん、いつも悪酔いしか出来ぬのだが、はじめのうち、アンゴ、素晴らしい、と言いつづけ、しまいには、自分の体のどこかが、ぶちっと潰れ、アンゴ即ち自分だと、激情がはじまる。ほとんど狂っている。アンゴ、すなわちマットウの人だが、このマットウの人は、人を狂わせる。(『夢の力』より講談社文芸文庫)

「遮蔽しているものを透かし…」という色川氏の表現に頷かされる。中上氏もアンゴの説得力に無意識に同化する体験を記している。安吾は物事の及ぶ可能性の限度、人間の力、生きる限度に視点をみつめた書き方をするが、彼は事物における「限度の発見」を重視しており、実際、そのように述べている。以下は安吾による太宰論『不良少年とキリスト』の最後の部分。

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「原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。(中略) 学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。」

限度を熟知していれば、何事も怖るに足りないということは往々にしてある。学問に限らずとも、酒も博打も女も限度をわきまえぬから身を滅ぼすというようにである。自分の存在を正しく知ることが求められるが、これがなかなか難しい。モンテーニュに『エセー』なる著書あり。この中でモン爺は何と言ってるか、すべてにおいて「ありのままで居なさい」と言っている。

最近流行った歌の歌詞のようだが、ビリー・ジョエルだって40年前に書いている。『素顔のままで(Just the Way You Are)』の歌詞に心をうばわれた。権力志向も夢を叶えるもいいけれど、そんなものは人生の添え物だ。人生を肯定し、普遍的存在としての自己を描き、人生という畑を耕していけばいいだろうと、何より大切なのは日々を生きることと、モン爺はいう。

死ぬまで生きれば立派なものよ。健康第一、「焼肉焼いても家焼くな!」ってなもんだろ。膨大な『エセー』の末尾にこう述べられている。「自分の存在を正しく享受することを知るのは、ほとんど神に近い絶対の完成である。我々は自分の境遇を享受することを知らないために、他人の境遇を求め、自分の内部の状態を知らないために、我々の外に出ようとする」。

イメージ 5イイこといいますね~、さすがモン爺。安吾もモンテーニュも分際をわきまえろみたいな、いじけた封建思想ではなく、「限度」を「発見」しなさいという。そこを見つけ、ギリギリの可能性まで人間を突きつめろ、という大いなる肯定思想である。他人を羨み、妬む生き方より、自分の限度内で楽しく生きた方がいいだろう。自分が一番でなければ楽しくないだろうと。

「自分の境遇を知らないがために、他人の境遇を求める」というのを知るだけで、己の愚かさに気づく。安吾の太宰論は『不良少年とキリスト』という題目だが、安吾のエッセイで初めて自分が笑ったのがこれ。それまでの安吾にない珍妙な文体は、安吾が太宰の死に動揺したかが伺える。そして、この珍妙なる文は、太宰の自殺に対する安吾一流の怒りであろう。

安吾は、太宰治の自殺した昭和23年6月頃から鬱病状態となる。これを克服するために、短編やエッセイの仕事は断り、長編「にっぽん物語」(のち『火』)の連載執筆に没頭することになる。しかし、不規則な生活の中でアドルム、ヒロポン、ゼドリンを大量に服用したため、病状は更に悪化し、幻聴、幻視も生じるようになり、ついには東大病院神経科に入院する。

『不良少年とキリスト』は、以下の書き出しで始まる。「もう十日、歯がいたい。右頬に氷をのせ、ズルフォン剤を飲んで、寝ている。寝ていたくないのだが、氷をのせると、寝る以外に仕方がない。寝て本を読む。太宰の本をあらかた読み返した。(中略) 原子バクダンで百万人一瞬にたたきつぶしたって、たった一人の歯の痛みが止まらなきゃ、何が文明だ。

女房がズルフォン剤のガラス瓶を縦に立てようとして、ガチャリと倒す。音響が、とびあがるほど、響くのである。「コラ、バカ者!」。「このガラス瓶は立てることができるのよ」。先方は、曲芸を楽しんでいるのである。「オマエさんは、バカだから、キライだよ」。女房の血相が変わる。怒り、骨髄に徹したのである。こっちは痛みが骨髄に徹している。

グサリと短刀を頬へつきさす。エイとえぐる。気持ち、よきにあらず。や。ノドにグリグリができている。そこが、うずく。耳が痛い。頭のシンも、電気のようにヒリヒリする。クビをくくれ。悪魔を亡ぼせ。退治せよ。すすめ。負けるな。戦え。かの三文文士は、歯痛によって、ついにクビをくくって死せり。決死の血相、ものすごし。投資十分なりき。偉大。

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ほめてくれねえだろうな。誰も。歯が痛い、などということは、目下、歯が痛い人間以外は誰も同感してくれないのである」。という一節だが、これのどこが、「太宰論」なのか?というところが安吾らしき文体であり、最後は、「学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う」で、閉じる。いかにも安吾なりきだし、ワンコの身体白けりゃ、尾も白い。というほどに面白い。

自分の歯の痛さを文字で表現するのに、今、自分と同じ歯の痛さを感じている人以外には分らないだろうという、これ以上にないくらいに当たり前で正しい。いかなる言葉を駆使しようとも、痛みを文字で表現するのはこの方法以外無理だ。安吾のそういう現実的なところが何ともたまらない。奇をてらうでなく、あまりに現実的、あまりに朴訥である。


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