父と息子を描いた作品でひらめくものと言えば、『子連れ狼』と『ロード・トゥ・パーディション』であろうか。『子連れ狼』は、小池一夫原作・小島剛夕画の日本の時代劇漫画(劇画)作品で、1970年9月から1976年4月まで『漫画アクション』(双葉社)に連載され、萬屋錦之介主演のテレビ時代劇として、1973年から1976年にかけて日本テレビ系列で放送された。
漫画は読まなかったが、テレビドラマはちょくちょく観た。映画にもなったが、主演の若山富三郎があの時代にあり得ない二重あごデブで興醒めさせられる。侍が太っていてはダメだ。三船や萬屋体型でなきゃ。テレビ版では大五郎役の西川和孝に人気が集まった。『ロード・トゥ・パーディション』は2002年に公開された映画で、『子連れ狼』アメリカ版に思えた。
記事を書く前に、『ロード・トゥ・パーディション』について調べると、原作者は『子連れ狼』の影響を受けたとあった。『ロード・トゥ・パーディション』とは、「地獄への道」という意味で、これは、『子連れ狼』のキャッチコピーである、「冥府魔道」と同じ意味である。仰々しい言葉だが、原作者小池一夫の造語という。刀をマシンガンに持ち替えた、アメリカ版『子連れ狼』であった。
「冥府」とは死後の世界または地獄で、「魔道」は正しい人の道ではない邪悪な道であり、つまり、地獄に堕ちるような魔物の道を生きる、と言うような意味合いであろう。『子連れ狼』の父子も、『ロード・トゥ・パーディション』の父子も、共に行く道は同じとしての心は通じ合っているが、感情的な絆があまりに冷静であること。これは男同士の世界観である。
主人公拝一刀が、一子大五郎が、感情を露にしたのは、最終回の父が死ぬときの言葉と、大五郎の嗚咽だけであろう。子どもは泣くのが仕事というが、子どもが泣くのは好きでない自分は、いたいけでありながらも泣かない大五郎の肝のすわった気性の強さが好きであった。そのくせ、人の好意や親切心には涙を見せるところが子どもらしくもカワイイ。
『北風と太陽』というイソップ童話は、「力では旅人の服は脱がせない」という哲学的象徴的な話しであると同様、子どもも怖がらせるより、やさしくする方が泣かせられるということ。女も強引に脱がすより、やさしい言葉が効果がある。が、「わたしって、無理やりが好き~!強姦願望あるみたい!」という女には、「悪いな、他を当たってくれ」と言うしかない。
このことは余談としても、大体において童話にはオカシな話が多い。狼がお婆さんに化けたり、潜水具もないのに亀に乗って海の底にもぐったり、お地蔵さんが、コトコトあるいたり、奇想天外であるが故に童話である。が、『北風と太陽』には以下のイチャモンがついていた。「『北風と太陽』は、子供のころは何の疑問も持たなかったが、今読むと納得できない。」
「わたしの かちだね」と、たいようは いいました。
「ね、わかっただろう。ひとは ちからより、やさしさに こころを うごかされるものなんだよ」
「これはおかしい。納得できない。本文には『ちから』とか『やさしさ』という言葉は、この最後にしか出てこないからである。北風は吹きつけるだけのことをしただけだし、太陽は照りつけるだけのことをしたに過ぎない。それが『ちから』かと言えば、どちらも『ちから』だろう。照りつけるのは『ちから』であって『やさしさ』ではない。
さらに、マントをとったのは別に心を動かされたからではない。単に暑かったという理由だけである。最後の教訓は議論のすり替えである。」と、コレは言われているとおりである。「あの山の麓にどちらが先に駆けつくか」を提案したのはウサギであり、それはまちがってはないが、「よし、分かった!」とその賭けに乗ったカメは身の程知らずもいいとこだ。
ところが、話の筋とは上手くつくるものだから、ウサギが途中で昼寝をして負けたことになる。そこは単にウサギの失敗であったが、これが『ウサギとカメ』のお話の教訓である。多くの童話に教訓はあり、すべてのイソップ童話にも教訓が存在する。イソップ(アイソーポス)は、紀元前619年 - 紀元前564年ごろの人物で、童話作家だが奴隷だったと伝えられる。
『北風と太陽』の教訓は、「Persuasion is better than force. (説得は力に勝る)」と英語版にある。後にこう続く。「The complete moral of this is "Kindness, gentleness, and persuasion win where force fails."(この完全な教訓は『親切さ,やさしさ,説得が勝利し,力は敗北する』)となろう。「説得」だけでなく、なぜか、「親切さ、やさしさ」が入っている。
確かに高圧的な物言いでは、「説得」というより、押し付けとなろう。親が子どもに何かを正すとき、その事がどんなに正しいことであっても、吐き捨てるような言い方なら子どもは聞こうとしない。ばかりか、反発する。やはり、親切さ、やさしさが説得の重要なポイントである。カメがウサギに駆けっこの提案をするのは無謀であるが、『北風と太陽』は北風が提案した。
「どうだね、ためして みようじゃ ないか」
と、きたかぜは いいました。
「あの おとこの マントを、ひきはがせたほうが つよいってことに するんだ。やって みるかね」
「いいとも」
たいようは あたたかく ほほえみながら こたえました。
カメとウサギの走力の差は歴然であるが、北風にはパワーという自負、自信があった。よもや太陽に負けるなど、考えもしなかったろう。が、太陽の照り付けの前にあえなく敗れ去った。そうはいっても、太陽の恵みは日照り、干ばつや飢饉と言う災害をもたらせる。旅人のように服を脱がす効果はあっても、熱中症で死者まで出してしまうのも太陽である。
童話にオカシイとイチャモンをつけ、それを正しく修整してみても、物事はすべてが良いという事にはならない。『目くそ鼻くそを笑う』ではないが、自分が目くそである場合も多く、なのに鼻くそを笑うのも人間である。この世はすべてが喜劇と言ったバルザック、この世は悲劇といったシェークスピア、どちらも事実だが、どちらに組するかといえばバルザックだ。
この世にオカシきこと多し。悲劇もあるが世の中は総じて滑稽である。自分の青春期の9割がたは滑稽である。多くの悲劇も年月が経てば笑えてしまう。悲劇は喜劇に変わったりもするが、喜劇は永遠に喜劇である。だから人生は楽しい。「生の道」半ばで自ら命を絶った人に思いを馳せるが、彼らも生を長らえていたなら、一切が喜劇となったであろう。
すべてを笑い話にできたであろう。そう考えると自殺はなんと悲劇であるか?笑い話に転換できない死は悲劇である。戦争で国のために散った若き英霊たちも悲劇である。あれを英雄とする解釈に異を唱えることには躊躇うが、「死」そのものについては悲劇であろう。人を助けるために一命を賭した行為は賛辞に価すれど、「死」そのものは悲劇である。
童話は奇想天外であれ許せるが、人間は現実を生きている。童話に文句を言っても始まらないが、現実の実社会に対して文句を言うのはいい。ただし、自分に言うべく文句を履き違え、すべてを他人のせい、社会のせいにするのはどうであろうか。多くは自身にいうべく文句をグダグダ人にいう場合多し。『北風と太陽』の話にカチンと来た主は、以下の創作話を載せていた。
『北風と太陽』
北風という名前の男がいました。
あるとき,北風が空の太陽と話をしていたときに,言い争いになりました。
「どちらが強いか決めようじゃないか。あの旅人のコートを脱がした方が勝ちってことでどうだい?」
と太陽は自分に有利な条件を出しました。
「いいとも」
北風は微笑みながらいいました。
旅人は女性でした。
太陽が照りつけると,旅人はコートを脱ぎました。
「ぼくの勝ちってことでいいかい」
太陽がそういうと,北風は
「私もやらせてもらっていいかな」
といいました。
「ぼくの勝ちってことでいいかい」
太陽がそういうと,北風は
「私もやらせてもらっていいかな」
といいました。
太陽がかげると,旅人はまたコートを羽織りました。
北風は旅人のところに行って声をかけ,小声で何か話をしました。
北風が札束を渡すと,旅人はコートを脱ぎました。
そして,身につけていた衣服と下着も脱ぎました。
「どちらもコートを脱がせられたから,引き分けってこと?」
太陽はいいました。
「下着まで脱がせたぼくの勝ちでは?」
北風の言葉に太陽はうなずいたようです。
太陽はいいました。
「下着まで脱がせたぼくの勝ちでは?」
北風の言葉に太陽はうなずいたようです。
少し脚色を入れたが、「同じようなことを考える人間もいる」と感じた。何にしても、楽しく文句を言って生きた方がいい。のっけに『子連れ狼』、『ロード・トゥ・パーディション』の話をしたのは、父と息子の距離感について思考したからでもある。自分にとって、「父」とは何か?答が分からぬままに父は世を去った。その答えは自分が父として出していくしかない。
父子に存在する適度な距離感こそが、父子たり得るものと思うが、距離感のない母娘のジャレあいは到底男に理解はできない?父子でそれって、考えただけで気持ち悪い。自分の青春について、親の事について多くを割いたが、やはり思春期の入り口としての心の葛藤も含めて、最も多くの時間を共有する対象であった。さて、家の中から足を踏み出してみる。
やはり、青春を横臥するのは家の外であろう。親から躾けられ、教育された土台を持って子は社会に羽ばたいていく。そういう意味で人間教育は大事であろう。人間教育とは、人間としての賢さ、逞しさ、適応力、性格、情緒、人間としての善悪良否という基本、それらを家庭で施されるが、自分は施されたのだろうか?箸の持ち方、汚い字はうるさく言われた。
家庭教育は人間教育である。人間教育とは、日々の生活や体験から、様々な基本的なことを身体で覚え、適応行動を統合する脳内に体験を積み重ねて記憶させることだが、これらは体で覚える教育。「習うよりは慣れろ」というが、何かを教わって身につけるには、毎日のこつこつとした練習(経験)からそれらに慣れ、いつの間に体で覚えてしまっている事。
低年齢ほど家庭環境や親の果たす役割が大きく、年齢が大きくなるにつれて友人や周囲などの影響の割合が大きくなる。これらを社会体験といっている。井深大氏の『0歳からの教育』の副題は、幼稚園からでは遅すぎるであったが、親になって実践し、またその結果をもみることとなって思うに、人間の基本性格は3歳までにほとんど完成されるようだ。
「三つ子の魂、百まで」と、昔の人はこういう事を科学ではなく、本能的に感じとっていたのに畏れ入る。3歳までに脳に人間的基礎が完成し、次の段階として、知能を統合する新皮質が発達すると同時に、知能を使うトレーニングに移行していく。その年齢の子がしきりに、「これなに?」、「どうしてなの?」と盛んに疑問を発するのは、考え、記憶する脳トレである。
子どもの頃に興味があったことは数限りないが、どうしても果たせなかったことは、川の源流に到達できなかったこと。自転車でどれだけ上流に向かい、そこから歩いて険しい山に何度入ったことか。どうしてたどりつけなかったかは、行けども行けども川の基点は遠かった。「沢登り」というのは、「山登り」の尾根をあるくよりも危険な登山といわれている。
川の支流を上に上につきつめて行くと、最後に沢は無くなり、粒石の木の少ないジメジメした場所に出、そこから上は森林となり、人が入るのは大変だ。たくさんの支流をそれぞれ辿ると、大抵そういう場所に出る。川の源流は山の湧き水であり、最初の一滴などはない。各地には「源流体験ツアー」と銘打った沢登りもあるようで、死ぬまでに一度挑戦したい。
青春時代はいつごろかという定義もない、人によって感じ方も違うだろうから、自分が決めればいい。物事を白黒決めたい人、定義したい人はいるが、定義できないものを定義すること自体がオカシイ。同様に、老人もいつからか定義できない。自分の青春時代は、中2か中3あたりから、25歳くらいまでであろうか。固定的なものではないが、まあ、そんなところか…