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「関係ない」という関係

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誰だったか名前のでない芸能人で、「そんなのカンケーナイ!」というギャグを飛ばしていた。調べれば名前くらい判るが本当に忘れており、知らずとも、ワザワザ調べなくとも、分かる人もいるからイイかも。「知らない」、「忘れた」も人間的である。ずっと以前には柴田恭平(こちらはスラリと出た)が、彼は「カンケーないね」がトレードマークであった。

「関係ない」ではなく、「カンケーない」としたのは、実際に言葉でそう言っているからで、「カンケイ」が正しいのに、「カンケー」というのは、「ケー」と伸ばしたいからで、「バカ」も「バーカ」と伸ばすことでいかにも強調した感じになる。「アホ」は「アーホ」と言わず、「アホー」というが、伸ばさず「ドアホ!」みたいに切って言う方が迫力ある。

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「アホードリ」という鳥を「アホドリ」では可笑しい。やはり伸ばさなきゃ変だ。正しくは「アホードリ」ではなく「アホウドリ」という。なぜ、そういう名前がついたかといえば、翼が大きすぎて助走なしでは飛ぶことができず、だからか地上にいるときは動きが鈍く捕まえやすかった「アホな鳥」ということで、「アホウドリ」という名前になったといわれている。

アホウ、アホウと鳴くからとの説もあるが、「アホな鳥」が正式な命名理由なら、命名者は関西人であろう。生息地は関西ではなく、小笠原諸島である。とすると、調査隊の中の命名者たるお偉い学者さんが、関西人であったのかも知れん。鳥にとっては大変な侮辱的な名であるが、「アホの坂田」で平然とする人間もいるくらいだから、「そんなのカンケーナイ」のアホウドリ。

木枯し紋次郎という有名人がいた。笹沢左保による股旅物時代小説。また、その主人公の異名である。原作は漫画にもなり、テレビドラマ、映画にもなった。テレビドラマでは中村敦夫のニヒルさが人気を博す。映画では紋次郎役は菅原文太であった。その紋次郎が劇中口にする決め台詞が、「あっしには関わりのないことでござんす」が、当時の流行語にもなった。

これを友人仲間同士で、「It's non of my business」と言ったりした。「そんなのカンケーナイ」と同じ言葉である。が、少し異なる。「あっしには関わりのないこと」と紋次郎がいうのは理由がある。「いちいち人様の願いを聞いていたり、人様の揉め事に首を突っ込んだりしていては、自分の命がいくらあっても足りない」との思いを持っているからだ。

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時代も時代であり、また、無宿の渡世人である紋次郎に対する頼み事とは、たいがい刃傷沙汰になる。いつ命を奪われるかわからない無宿の渡世人が、義理ごとで命を張ったり、見知らぬ誰かの為に何かをしても得るものはない。そういう歯止め言葉である。それでも紋次郎は毎回揉め事に巻き込まれるという設定であり、人間の心の葛藤を見せてくれている。

ご老公が葵の印籠を出すと同じ、ワンパターンドラマである。『ダイ・ハード』もそうで、何も起こらないなら映画として成立しない。ところで柴田恭平の「カンケーないね」だが、「これを最初にいったのはオレだ」と田代まさしが主張する。消えた芸人田代はこのセリフをよく口にしたが、田代は柴田のマネということで広まったのは皮肉であろう。

結局、どちらが有名であるか、人気があるかの世界である。柴田のオリジナルでなく、田代が元と言われているが、さらに大元として木梨憲武説もある。「元祖正露丸」は訴訟にもなったし、「元祖ボール」という駄菓子もある。「元祖・ドッキリカメラ」は、その名の如く、日本テレビが最初に「ドッキリ」を始めたが、フジがお株を奪った形で人気を得た。

「元祖」問題は、「長浜ラーメン」など訴訟も多い。そんなに「元祖」が大事なのか?断りもなく真似をされるのは腹立たしい。和食の定番「肉じゃが」だが、「われこそは元祖なり!」と、肉じゃが発祥地論争が、広島県呉市と京都府舞鶴市で勃発した。元々肉じゃがは、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を撃沈した、東郷平八郎が考案したといわれている。

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旧海軍の軍港がある呉に、東郷が参謀役で赴任していたことから、ここに呉発祥説が生まれた。しかし東郷は、京都の舞鶴市にも鎮守府長官として赴任していたこともあり、こちらも「肉じゃが発祥」を宣言した。ここに呉と舞鶴という、旧海軍港間で“発祥の地”をめぐる論争が巻き起こった。両市とも確固たる証拠はなく、この論争に決着がつく宛はない。

「そんなのカンケーナイ!」の芸能人が、小島よしおであるのを急に思い出した。考えていたわけではないが、突然、脳裏に現れるなどはよくあること。記憶の不思議さである。「そんなのカンケーナイ!」は、小島を人気にした代表ネタであるが、その前ぶりは以下の状況であるらしい。ハッキリいって自分は全然知らないことなので、wikiから抜粋する。

1.まず体験談などを話す、小ネタをやって見せたりするなどの前振りを行う。

2.途中で言葉を間違えたり先にオチを言ってしまったりといった失敗に気付き、「あー、下手こいたー!」と落ち込んで床にひざまずき頭を垂れる。

3.すかさずBGMが流れだし、リズムにあわせて尻を高く突き上げたあと勢いよく立ち上がる。そして軽快な音楽に合わせてネタを始める。最初は、「ウィー!」、「ホラホラホラホラ!」、あるいは両肩を揺らしながら、「揺れてるよー!」などから始まる。 尺が短い場合はBGMを流しながら登場して、ネタを始めることもある。

4.先の失敗を受けて、「ア、ソレ、ア、ソレ、ア、ソレソレソレソレ、○○○、(だけども だっけぇど)、×××、でもそんなの関係ねぇ!あー そんなの関係ねぇ!あー そんなの関係ねぇ!」と、利き腕の左腕を、こぶしを握り締め振り下げる。


やってるところは何度もみたことはあるが、何の脈絡ナシにやっていると思ったが、行き着くまでの設定があるんだなと。で、これがそんなに面白がられた理由まではよく分らない。小島のネタはともかく、「そんなのカンケーないじゃん?」という奴は結構いた。「自分には関係ないこと」と蓋をする奴も結構いた。その時の顔まで思い出すことができる。

まったく関係ない訳じゃないのに、そういって遮る奴に腹を立てたこともあった。子どもが何か不祥事を起こしたときに、「お前が甘やかせるからだ。オレには関係ない!」という夫が妻に文句をいう光景もあった。子どものことで責任をなすりあいをする夫婦って結構いたりするが、「何も言わなかったから責任がない」というのは絶対にないバカ夫である。

「何も言わなかったという責任」がある。子どもの教育や家庭全般を仕切る妻はいるが、そういう妻でさえ、何かあれば夫の責任にしようと狙っている。ある妻は夫に、「何もしてくれなくていい、してもらわなくていい、お金だけ稼いでくれれば…」と申し渡している。よくもまあ、ヌケヌケというものだが、口に出さず夫をないがしろにする妻もいる。

夫が、「オレには関係ない」と言いたい気持ちも分からぬでもないが、こんなときになすりあいをして問題が解決するわけでもあるまい。普段は「何もしないでいい」と口出しを遮って置き、何かあった時は、「何もしない夫」というセリフを吐く妻にも腹が立つ。口を出させないなら、責任も取らせないという心意気もなく、その場の都合、都合で立ち回る女。

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夫は踏んだり蹴ったりであり、見ていて腹立たしいが、「あっしには関わりのないことでござんす」だ。「二人で言い合いしてろ!」と腹で思うだけ。一度だけ、やんわり言ったことがある。「そうやって相手の責任にし合って、イイことになるのか?何か解決つくわけでもないだろ?」と。「いい加減にしろよ、お前らの子どもだろ?」、が本心であったが…。

それくらいの醜態である。「仕切るなら責任も取れ」も道理。部や課を仕切っていながら、責任逃れする上司もいるが、責任者が責任を取らないという図式がいかにも日本的である。諸外国の責任者というのは、ケツの毛まで抜かれるほどに責任をとらされるが、上に甘く下に厳しい日本の企業である。東京オリンピックのすったもんだもいかにも日本的だ。

問題が発覚した時に、「オレはカンケーナイ」、「そんなのカンケーナイ」と言わせない組織作り、体制作りがされていない。何かの時の「逃げ道」を用意しているズルさ、これが日本人が日本人を超えなければならない壁である。日本人が日本語や日本文化に呪縛されて枠を超えられないといった心理的な壁が、ものの考え方、感じ方すべてに支配されている。

これに早くから気づいたのが福澤諭吉である。福澤は、徳川封建制で培われた「人間関係」の形や服従心を基軸にした日本人の国民性と、日本の国家のあり方を縦横に論じた『学問のすゝめ』、『文明論之概略』を著す。そこで生まれたのが「独立自尊」の考え方である。福澤は1400年前の聖徳太子と同じ、日本人としての基本理念や精神が同じであったようだ。

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福澤は、『学問のすゝめ』で、こう述べている。「独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人にへつらうものなり」。聖徳太子、福澤諭吉、ともに最高紙幣に相応しい、日本人たるアイデンティティをもった代表としての御仁である。近年、「聖徳太子は存在せず」が定説のようで、あの肖像も別人らしい。

イエス・キリストにだって不在説はつきまとっている。たとい聖徳太子が不存在であろうと、聖徳太子的日本人観は、日本人の心に脈々と続くだろう。「福澤諭吉?カンケーないね」、「聖徳太子なんか、自分に何のカンケーもない」という人はいるだろう。が、本人が「カンケーない」と否定すれば、関係ないのか?関係が絶たれるものなのか?それはないな。

親が人を殺して逮捕・収監された。「親は親、カンケーない」と言う人はいるが、自分が拒絶しても関係が途絶えないし、周囲も認めない。関係ないとは思っても、「カンケーない」などと言わず、黙しているべきであろう。それが社会であり、我々が社会の一員である事でもある。社会とは自分を他人がみることでもあり、よって黙すことが利口なことが多い。

子どもの不祥事に夫婦が、「自分は関係ない」といわず、黙しておくべき。関係ないと思っていても、通らぬことは黙すべき。「そんなのカンケーない」と言って、関係がない事にはならぬことくらいは、社会人として理解すべきこと。東野圭吾の『手紙』は、加害者家族が社会から受ける連帯責任について書かれたものだが、不条理といえども社会である。

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親子であれ、兄弟であれ、人が人との互いの関係のなかで、自分が自分に近づくというのは、自分の中にある醜い部分、好ましからざるものを互いが突き出すことであろう。我々は自身の中の醜いものを、ことさら突き出して生きていけるほど、強靭な神経をもっていない。が、もし他人と誠実な関係を結ぼうと望むなら、そういったものを出していくしかない。

そして自分が一歩一歩、真の自分に近づく過程において、互いの関係も変わってくる。その関係の変化によってまた自分も変わる。そうしているうちに、醜いものが消えていくか、あるいは無理して突き出さなくても、自然のカタチになって存在できるようになるかもしれない。自己変革と成長の過程で、変革と成長に寄与した人との関係を捨てる必要も生まれる。

稚拙で虚飾にまみれた関係であっても、その時期その人と関係したしたのである。数年、数十年を経て、互いが成長したことを互いは知らない。大事なのは成長の暁ではなく、時々にあっての人との未熟な関係も含めた、事実であろう。その時は互いが若かったというのは、紛れもない事実である。今は捨てられた関係であっても、双方の心に残っている。

関係は常に変化する。30年前の恋人は当時の自分しか知らない。関係が変化するのは、人間が変化するからで、人間が変化するのを成長という。だから関係は固定的なものではあり得ない。25歳で結婚した同士が、40年、50年連れ添って、「よくまあ、ここまで来たものだ」と実感するように。人間関係が難しいと思うのは、互いが未熟であったに他ならない。

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もっとも顕著な例は親子関係であろう。何でも「はい、はい」と親のいう事を聞くだけのかわいかった子が、テコでも動かなくなり、親の命じたことを無視するようになる。これに腹を立てる親も多いが、腹は立つけれども、「成長」の証しと感じる親に、キャパシティを見る。親子は依存から始まるが、最後に親は子に必要とされなくなることを喜ばねばならない。

親子関係が難しいのは、親に関係のない子どもの事に親が首を突っ込むからだ。親が解決できない子どもの問題はあるし、子どもに解決させるしかないが、子どもが頼ってきたら親は力を貸せばいい。それもないのに、勝手にしゃしゃりでて、アレコレ口をはさむのは、子どもにとってこれほど迷惑なことはない。親の勝手な心配は、親自らが処理すべき事。


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