書かずとも思いはあるが…
早いもので、かれこれ11年になるが、この場にいろいろ書いて来た。「書く」は「思う」の具現化、書かなくとも思いや思うことはある。が、「書く」は行為であり行動である。好きな異性を心に思えども、愛の手紙を書けばそれは想いは行動に乗る。心の中は見えない、意思も見えないが、行動することで意思は表明される。為せど成らぬこともあるが、「為せば成る」ともいう。昭和39年の東京オリンピックで、女子バレーを金メダルに導...
View Article「真心」を贈った女は、二人…
昨日はブログを書いた後にウォーキングに出た。歩きながらずっと考え続けていたが、「真心」についてである。「真心」という言葉を使うには使ったものの、「真心」というのは一体何なのだ?「真心」が何か分かっているのか?分かっていて、それで使ったのか?などなど…、「真心」についてしこたま考え続けたが、「真心」が何であるかを突き止めるは、実は至難であった。「真心」という言葉の意味ではなく、現実的な、「真心」の実態...
View Article45年を経た再会。その是非 ①
彼女との出会いは、彼女のバイト先の銀座並木通り「喫茶ポニー」だった。自分も同じ「銀座コージーコーナー」でバイトしていた。「ポニー」のケーキ売り場に二人の女がいた。一人は音大生のバイトで当時19歳。もう一人は正社員の女で当時23歳。何度か会話をしているうちに音大生をデートに連れ出すことになった。名は妙子といい、控えめで優しそうな子だった。自分は巷にいうところのナンパ師ではないが、こと恋愛には積極的だっ...
View Article45年を経た再会。その是非 ②
老年期にある人間には誰にもノスタルジーはある。自らが体験しなくても、45年の歳月を経て再会と聞けば、無関係のものでも多少の感動は生じるだろう。様々な話の中で、「わたし離婚したよ。27歳で…」。離婚などに驚く理由はないが、驚いたのは次の言葉。「それからずっと娘と二人暮らししてきた」。「そうなんだ、娘さんはいくつ?」、「39」、「お嫁に行かないんだ…」この時彼女は、「そうなのよ、行かないんだって」と、嬉...
View Article45年を経た再会。その是非 ③
事は45年前の恋人再会話であるが、そのことだけをオーバーヒート気味に一喜し、一憂したところで己が拙いマスターベーションに過ぎない。あえて書き、共感を得たところで主婦の日常日記と同等である。事象に何が潜み、何を学び、何を糧にしていくかを摸索して生きた自分は、未だその名残がある。公益とは烏滸がましいが、今後も人間理解に準拠して行きたい。「若者は未来に生き、老人は過去に生きる」などという。過ぎ去りし昔を懐...
View Article45年を経た再会。その是非 ④
気心触れ合う同士なら、「余計なことせんでいい」などと平気で言える。最近、山田孝之&新井浩文男のジョージアのCMで、男の世界が表されていて思わず笑った。「あいつの分も買って行ってやるか」と、共に心が重なった。ライバルに塩を送った謙信ではないが男は露骨を嫌う。それが、「余計なことすんなよ」の言葉。黙して分かり合える男の世界である。比べて女は言葉を好む。露骨を好む。女はそれでいい。型どおりの礼と思いし目を...
View Article45年を経た再会。その是非 ⑤
あの頃の世相を少し呼び戻す。「わたし、吉田拓郎のコンサートに行ったよ。あなたに会えるんじゃないかと思ったから」。1970年代の前半といえば拓郎の絶頂期で、コンサートはよく催された。「渋谷じゃんじゃん」、「新宿ルイード」、「新宿アートシアター」、「吉祥寺ぐゎらん堂」。大きい会場なら、「神田共立講堂」が、当時のフォーク全盛時のメッカだった。妙子さんのアパートにはギターを持参し、拓郎を歌って聴かせた。彼の...
View Article一卵性母娘(おやこ) ①
こういう言葉があるということは利点もあるのだろうが、言葉の意味するものは母親と娘の共依存を表し、特に思春期以降の場合を指す。「一卵性父子」という言葉は存在しないことからしても問題点を含んでいる。母と娘が仲がいいというのは素敵なことである。母と息子の仲のよさは、時にマザコン傾向を示す。父と息子の仲のよさは、双方に自然な距離感が生まれる。父と娘の仲のよさも、仲が悪いに比べるとよいことであろうが、自分の経...
View Article一卵性母娘(おやこ) ②
一卵性母娘という言い方は社会的にネガティブな意味に解されているが、それを知らずでか、「娘とは仲がよくて一卵性親子なんです」などと自ら公言する母親もいる。確かに母親との関係性は、人との距離感を測るベースになることから、それがうまく行くことで、娘であれ、息子であれ、他人とは良好な人間関係を築きやすいと言われる。自分は経験無いが実態はどうであろう。経験がないのでよくわからないと蓋をするではなく、実例を見た...
View Article仮面か正体か!三島由紀夫の11・25 ①
仮面夫婦という言葉は昔はなかった。昔といっても100年、300年前ではなく、50年くらい前くらいの昔をいう。仮面夫婦という言葉はいつ頃から言われはじめたのか?また、いつ頃耳にしたのかを思い出そうと、記憶を辿りながらおおよその見当をつけると、3~40年くらい前ではなかったか。自分が結婚した頃にはなく、それから10年後くらいに出てきたように思う。「仮面舞踏会」というのは日本にはない西洋の文化である。「仮...
View Article仮面か正体か!三島由紀夫の11・25 ②
三島にとって死がなんであるかについては、実践するものでしかなかった。三島は埴谷雄高との対談で革命の真意について語っている。「やはり、ある瞬間、鉄砲が撃たれなかったらだめでしょう。死の情熱がなければ大学紛争なども遊びの延長にすぎない」。埴谷の言葉に満腔の賛辞を表明したが、その後に芸術家自身はどうすべきかという話になり、埴谷はこう述べる。「ぼくのいう芸術家は生身で、しかも、死んでいるふりができるのです」...
View Article仮面か正体か!三島由紀夫の11・25 ③
三島の死については様々な論評がある。が、「やはり、ある瞬間、鉄砲が撃たれなかったらだめでしょう」という言葉のなかに、三島の意図する美学があった。こんにち、鉄砲を撃ちかけられることがないのは三島にとって想定内である。クーデター蜂起の後始末は司法によって断罪され、獄舎につながれる。そのような辱めは彼の辞書にはひと文字もなかったろう。となると、自死以外に彼の美学は叶えられない。三島という人物は、非常に明晰...
View Article三島クーデター、成功の行方
よもや成功するなどとは思ってもみなかったろうし、後の青写真など考えもせず、掲げることのなかった三島由紀夫は、主張通りに国軍となった市ヶ谷の隊員数名もしくは数十名、あるいは数百名は、重火器庫から弾薬・小銃など持ち出し、武装して三島隊長の元へ駆けつけたと仮定する。であるなら、「楯の会」三島隊長はどういうシュミレーションを描いていたのか?いや、描いてなどいなかった。その後の綿密な予定など立てていなかったろ...
View Article「世も末」に寄す
公立中学校の35歳の男性教師は、女子生徒が中学2年だった去年1月から授業前の校舎内などで複数回、みだらな行為をしたという。関係は、女子生徒が高校に進学した先月まで続いた。男性には妻がいるが、県教委の調査に対して、「頼りにされ、女性として意識するようになった」と話しているというが、神奈川県教委は、男性教師を24日に懲戒免職処分とした。神奈川県は数年前にもわいせつ行為など不適切な言動があった公立学校教員...
View Article親になる & 親をやる ①
表題の意味の違いはどうであろうか?これはネットで、「尊敬される親になるにはどうすればいいでしょうか?」に引っかかった。「なる」である。どうにも違和感のある、「尊敬される親」であるが、「なぜ尊敬される親になりたいのか?」と聞いたら何と答えるのだろうか?そんなことは一度も考えたことのない自分は、なぜそういう考えにないのかを考えてみた。と、同時に、「尊敬される親」になることで何がもたらされるのかも想像して...
View Article親になる & 親をやる ②
昨今においては大学にいく目的は2つ、「なる」と、「する」に分けられる。「大学生になる」のが目的なのか、「勉強する」のが目的なのかだが、近頃の大学生は、7:3くらいで前者であろうと、これはあくまで自分の見立てである。ただ、「学歴社会」という言葉は、「なる」を目的としている。好んで年寄りになりたいという人はいないだろうが、誰もが年を重ねて行く。若者には若者の生き方がるように、老齢者にはそれなりの生き方が...
View Article平凡のつまらなさ
同世代諸氏に共通して言われることは、「お前は昔のことをよく覚えているな」である。が、自分としては誰も同じではないか?と思うがどうも違うらしい。自分で体験したことのはずなのい…。例えば大惨事の列車事故、航空機事故、生死を分かつような地震や津波などの大災害を、ニュースで聞いた人はすぐに忘れるが、実際に体験したひとにとっては生涯忘れ得ないだろう。自分の幼少体験は、それほどの惨事であったわけではないが、子ど...
View Articleパナソニックとリンナイ ①
「ごめんなさいを言わぬ女がいい」。といえば誤解を受けるかも知れぬが、本当に心からの反省とはいえぬ繕った謝罪もある。気持ちのこもらぬ口だけの社交辞令的な謝罪なら、ない方がまだましだと思っている。「謝罪とは何か?」。謝罪は言葉なのか、心なのか?その前に、「言葉は心を隠すために与えられた」というマラグリダ神父の言葉を考えてみる必要がある。...
View Articleパナソニックとリンナイ ②
前回の記事では表題の二社の社名は出てこない。パロマとリンナイではなく、パナソニックとリンナイは何の関係もなさそうだが、まったくないわけでもない。2007年(平成19年)4月にパナソニック(当時は松下電器産業)がガス器具製造販売から撤退したことに伴い、以後リンナイ製品はパナソニックショップ(当時はナショナルショップ)にも供給されている。現在ガスコンロやガス給湯器はリンナイ、パロマ、ノーリツ(ハーマン)...
View Articleパナソニックとリンナイ ③
昨今の消費者保護の姿勢は、善良な消費者にとっては有難くこの上ないが、悪辣な消費者が付け込む要素も多分にある。こうしたクレーマーといわれる悪意な消費者対策も企業の悩みの種である。情報化社会は、消費者同士の横のつながりを必然的に生み、そういった情報を元に企業を揺さぶるが、クレームとクレーマーの種別を企業も判別できるノウハウを持つ昨今である。論理的で筋立てた物言いの消費者もいれば、怒り任せに感情むき出しの...
View Article