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仮面か正体か!三島由紀夫の11・25 ①

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仮面夫婦という言葉は昔はなかった。昔といっても100年、300年前ではなく、50年くらい前くらいの昔をいう。仮面夫婦という言葉はいつ頃から言われはじめたのか?また、いつ頃耳にしたのかを思い出そうと、記憶を辿りながらおおよその見当をつけると、3~40年くらい前ではなかったか。自分が結婚した頃にはなく、それから10年後くらいに出てきたように思う。

「仮面舞踏会」というのは日本にはない西洋の文化である。「仮面」という言葉は西洋では早くからあったが、日本ではどうなのだろう?日本で仮面と言われるものは能や神楽や民族的な祭事の際に使用される天狗や鬼などは、お面というが仮面といわない。能面、狂言面、鬼面、獅子頭などと呼ばれ、それらは日本の幽玄の美を現すもので、秋田のナマハゲしかりである。

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表(おもて)と裏という言葉がある。表は裏の対義語であり、表は表で裏ではないが、表も裏などだというところから、「表裏一体」という語句が生まれた。なぜに表が裏で裏が表なのか?「私の裏の顔」などという。この場合の「裏」とは意識や自制から隠匿された顔を言う場合がある。であればこちらが本物で、それを裏の顔というのは表に出せないからである。

「私の裏の顔」が実は本性であったりする。「おもて」には、「表」のほかに、「面」という漢字がある。「表」の反語は、「裏」であるが、「面」の反語は何かを調べたところ、「他面」とあった。言葉にしていえば、「自分の面(つら)」の反対は、「他人の面」だから、なまじ間違いではなかろう。能の演者は面を、「おもて」と呼び、「おもてをつける」という。

「おもてをかける」ともいう。したがって、能面を彫ることを、「おもてを打つ」という。「刀を打つ」とはいかにも、「打つ」だが、「おもてを打つ」はこしらえるの意味であろう。「手打ちそば」というようにそばを打つとう。「手打ちそば」に刀のような、「打つ」という動作はないが、「叩く」の動作は、「打つ」に近い。「打つ」はまた、「鍛える」という意味がある。

「心を打つ」、「相槌を打つ」などと、精神面にも使われる。ある事柄が感動としてまさに物理的に心を打った、打たれた気分になる。日本語とはなんと情緒的であろうか。ふと感じたことだが、面の対義語を、「仮面」というのはどうだろう。正装に対して仮装というではないか。正面の反対は背面といい、側面ともいう。「仮面」の対語を調べると、「正体」であった。

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「正体」とは意外である。想像もし得なかったが、言われてみれば納得。確かに、「仮面」の反対が、「正面」ではおかしく、「正体」というなら、なるほどとなる。月光仮面に悪漢どもが、「何者だ、正体を見せろ!」などというが、これは仮面を取れと言うことだ。「仮面舞踏会」というのは正体(身分や素性)を隠すことによって、羽目を外そうというもの。

安全地帯に、「マスカレード」という曲がある。♪あなたは嘘つきな薔薇 身を守る棘ももたず 溜息の理由を隠し まだ揺れ続く…、なかなか良い詞ではないか。カーペンターズにも、「マスカレード(This Masquerade)」という曲があり、詞の内容はこちらの方がより深遠である。爽やかでいつものカレンの声のトーンは、この曲においては深刻な表現力を感じさせる。

 こんな寂しいゲームを演じていて
 本当に二人は幸せなのかしら
 ふさわしい言葉を探しても見つからない
 とにかく分かっているのは
 私たちがこの仮面舞踏会で道に迷ってしまったこと
 最初はあんなに親しかったのに
 今では二人の心は離れていき
 お互いそれを口にするのを恐れている
 話し合おうとしても
 言葉に詰まってしまう

 二人はこの寂しいゲームの中を彷徨っているの
 別れようと思っても
 あなたの目を見るとそんな気持ちは消えてしまう
 どうしてこんなことを続けているのか
 どんなに考え込んでも 理由はわからないの
 私たちはこの仮面舞踏会で彷徨っているの

仮面を被れば何でもできる。仮面舞踏会というのは、貴族が身分を捨て去ることで破廉恥になろうというゲームである。実生活のなかにおいては、あってはならない悲哀であろう。三島由紀夫は、「仮面の告白」と題した自伝小説において、他人とは異なる性的な偏向傾向に悩み、生い立ちからの自己を客観的に分析し、生体解剖をしていく自身の告白の物語である。

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三島は本作品のなかで同性愛的傾向性やその種の趣味について延々書き綴っているが 、傾向はあれど自ら同性愛者と認めてはいない。読者の側も、傾向はあったとしても、奇をてらったネタではと勘ぐっている。たが、あまりに理知的で容赦ない表現はさすがに天才の片鱗である。美輪明宏は、三島と恋愛関係にあったような思わせぶりな言い方をするがケツ友は本当なのか?

美輪のあれこれ発言の真意は、ナルシスト的誇張と推察する。1970年11月25日の記憶は、一人の天才的作家の、バルコニーにおけるささやかなクーデターであった。あの日の記憶は未だ消えることはないが、三島は『葉隠』の、「武士道とは死ぬこととみつけたり」に多大な共感を抱いていた。何事も徹底した考えを貫くことで、三島は中途半端を諫めた。例えば以下の発言である。

「文武両道なんていうのは絶対に不可能なんだ。片方で何かやり、片方で何かをやるというのは、文武両道じゃないんで、そこはよくわかっているつもり。それは、最終的なことしかないんで、最終的な時に、文武両道というのは何であるか、分かるようになるだろう」。三島はこうした、「無救済の理想」の苛酷さについて、『太陽と鉄』の中でこんな風に語っている。

「『文武両道』的人間は、死の瞬間、正にその『文武両道』の無救済の理想が実現されようとする瞬間に、その理想をどちらの側からか裏切るであろう。生そのものの力であったのだから、死が目前に来た時、彼はその認識を裏切るだろう。さもなくては、彼は死に耐えることができないからである。」

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ふつう、「文武両道」といえば、武術と学問・教養に秀でることであるが、「文武両道にはあらゆる夢の救済が絶たれている」と三島はいう。彼はどうしてこのような複雑な形で文武両道を考えつかねばならなかったのか。「武」とは、「散る花」である。その、「散る」ところが花の花たる所以である。ところが、文士たる三島は文が、「散らぬ花」=「造花」であることに気づく。

「散らぬ花」の虚妄に気づいた者は、「武」の、"花の散る"ということそれ自体に向かわざるを得ない。三島の一連の行動をそんな風に考えるなら、すべてはまことに明快となるが、表面の言葉、表面に現れる行動だけで、本質を理解することは、これまたまことに至難である。死するものの心は死する者のみぞ知る。死する者の外にいる者は、しかし、それを知りたいと望む。


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