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Channel: 死ぬまで生きよう!
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45年を経た再会。その是非 ③

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事は45年前の恋人再会話であるが、そのことだけをオーバーヒート気味に一喜し、一憂したところで己が拙いマスターベーションに過ぎない。あえて書き、共感を得たところで主婦の日常日記と同等である。事象に何が潜み、何を学び、何を糧にしていくかを摸索して生きた自分は、未だその名残がある。公益とは烏滸がましいが、今後も人間理解に準拠して行きたい。

「若者は未来に生き、老人は過去に生きる」などという。過ぎ去りし昔を懐かしむのは老年の特権であろう。老人に未来がないのではなく未来像がない。若者にも過去はあるがノスタルジーがない。過去は老人に美しく、若者にとって過去は悔いの山。あの頃の日々が美しかったわけでもないのに、若さへの憧憬が美しき日々に勝手に押し上げた幻想にすぎない。

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美しいと思うがゆえの幻想である。『輝く青春』という映画があった。『青春の輝き』という曲もある。青春が輝いて見えるのは、青春を終えた者の郷愁であろう。春が何であるかは冬になって初めてわかる。牢獄にいて初めて人は自由の価値を知るように、人は青春に於いては苦悩の只中にあるが、少しばかりの楽しみを享受し、辛抱しながら生き切った者に青春は輝く。

青春の苦悩に耐えかねて命を捨てた者たちがいたわしい。彼らには後の輝く青春はない。人生を曲がりなりにも生きてきた我々の義務とは、「何としても苦しさにを耐えよう」そのことを、少年・少女たちに諭すことか。そういう思いでブログを書きながら、若い人の新たな死を耳にすれば心が痛む。いじめのもっともな原因は、他人の短所ばかりに目が行くことだ。

自分の行いはさて置き、人は他人の行いを見る時に、長所を見、短所には目をつむるべきである。他人の短所を見れば、自分の方が優れていると錯覚し、それはまた自らの向上に寄与しない。長所を見れば反対の効用となる。強い劣等感に苛まれた者は、他人の短所ばかりに目をやり、それを自分の生き甲斐にする。つまらぬ優越感を拠り所とした人間の末路は想像できる。

それを美しいと思うことで、何でもなかったあの時を特別の日々にしようとする。過去の恋人に会いたいなどはノスタルジーの典型であるが、そういう投稿は結構ある。読む側に羞恥心が芽生えてきそうなほどに、精神年齢の甘さを感じさせる。過去に拘る女性もいるだろうが、往々にして男のロマンチシズムである。女は現実に適応し、現実に順応して生きて行く。

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「ね~、静岡に出てこない」。意外な言葉だった。特別深い意味はないのだろうが、「今はプラトニック気分満載だ。おいおいそうなればいい」。自分は正直に答えたつもりだが、「おいおいそうなればいい」と言ってはみたが、その実が心にもない言葉であった。自分は彼女に会いたいなど思っていないし、交流が続いたところで、そういう気持ちにはならないだろう。

会いたいと思えば会うのは難しいことではないが、無理を承知でいうなら、自分が本当に会いたいのは45年前の彼女である。彼女の消息を知りたかったのは事実だが、会いたいからではない。45年前の想い出を語り合いたかっただけで、65歳の彼女に会うことはむしろ避けたいのが本音である。理由はただ一つ。会うことによって何かが損なわれるのが嫌だからである。

何かとは何だ?20歳の彼女の想い出を大事にしたいからで、それが壊れるのは明らかと思うからだ。45年前に思いを寄せる本当の理由は、45年前の自分に会いたいということで、どういう意味かといえば、自身が当時の気持ちになりたいのだ。そのために、彼女と電話で話す必要があった。20歳の彼女のイメージを抱きながら65歳の彼女に会うことなど考えもしない。

それは「衝撃」の予感を感じさせられる。1999年にあるテレビ番組を観た。吉田拓郎が、地元広島の放送局の企画で、彼の初恋に相手嶋田準子に再会するというもの。嶋田準子と言えば拓郎ファンなら誰もが知る、『準ちゃんが吉田拓郎への与えた偉大なる影響』という楽曲。「たくろうオン・ステージ第二集」A面トップにあり、タイトルも長いが曲も10分以上と長い。


拓郎は彼女とは高校を卒業してから会っていなかったので、テレビ局が企画した再会劇は38年ぶりということになる。再会場所と演出は、拓郎が高校生時代を過ごした県立皆実高校の教室である。当時拓郎は、放課後ここに嶋田さんを呼び出し、自分が作った恋歌を聴かせたという。もちろん拓郎は38年間一度も彼女の顔をみていないが、彼女は拓郎の顔も活躍も知っていた。

いざ、「ごたいめ~ん」となり、現れた嶋田さんを見た時の拓郎の驚いた様子が、そのままテレビに映し出された時、観ている我々とて驚いてしまった。何に驚いたかといえば嶋田さんのその日の井出達である。岩下志摩の極道の妻ばりに結いあげた日髪に、留袖の和服姿。なぜ彼女はそのような商売服で現れたのだろう。拓郎も自分も予想だにしない準ちゃんであった。

正直な拓郎は再会を喜び、感激のあまりのたうち回る感じはまったく見られず、困惑し狼狽するのを何とか隠そうとの態度ありありだった。これは今でいう放送事故レベルである。拓郎ファンの我々にとっても、「準ちゃん」というのは、これまで姿も見たこともない謎の女性であっただけに、驚きはかなりのものだった。これ以上はいうまい…、という全貌である。

曲中に以下の歌詞がある。♪準ちゃん君がどう変わっても、想い出だけは残る。38年ぶりの再会で準ちゃんのあまりの変わりように言葉を失った拓郎が、準ちゃんに会えてよかったと思ったのか、思わなかったのか、それはテレビを観た我々が判断するとして、妙子さんから伺った彼女の結婚の経緯は何とも切実だった。短大を卒業して二年間東京で働き長野に帰ったという。

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何の仕事をし、何で帰郷したのかは聞かなかったが、信州の山奥の閑村に帰った22歳といえば、当時の女性の適齢期であった。過疎地における男女の出会いは想像以上に大変なようで、彼女に地元での縁談話はなく、静岡のとある町工場の跡取り息子話を親から聞かされていた。彼女はその気がなかったようだが、とりあえず住み込みで働いてみることを親に命じられた。

結婚の約束というではなく、しばらく相手方で仕事を手伝うということで送り出されたというが、同じ部屋で寝泊まりすれば周囲の思惑通りに事は進んでいくだろう。子どもができて祝言をあげたが、「結婚相手を選べなかった。自分には結婚は合ってないと思う」という彼女の言葉には同情させられた。27歳で離縁したものの田舎には帰れず、静岡で娘と生計を立てることになる。

出戻り女がおめおめ田舎になど帰れない時代である。その後の事は聞いていないが、女一人手で幼児を連れての生活は想像を絶する。過疎地ゆえのこうした形の結婚は理解はできても、自由恋愛を営めなかった彼女は被害者のように感じられた。多少なり彼女を知る自分として、恋愛下手という感じは否めないが、「自分に結婚は合わない」の真意は測り兼ねた。

こうした苦労をする女性もいるんだなと、制度や時代が生んだ犠牲者としての彼女に感傷を抱く。翌日、自分は長野の兄嫁にリンゴ配送の電話をし、その際静岡の彼女の住所を教えてほしいと頼む。本人に聞けないわけではないが、無断で地元の名産でも送りたいとの流れで聞きだした。さて、何を送ろうか。牡蠣もいいが、好き嫌いもある。となると洋菓子が無難か。

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かつて彼女は洋菓子店で働いていたこともあり、広島でも人気の高い佐伯区の、「無花果」の広島バームクーヘン、瀬戸田町レモンケーキを送ることにした。母と娘が食後の団欒の後で紅茶でも飲みながらの状況を浮かべながらの舌づつみを想う浮かべながら、真心を届けたかった。「真心を贈った女は二人」と記事にある妻と、もう一人の片割れが彼女である。

知人女性が長きに渡って友人と贈り物交換している。男同士ではあり得ないから理由を問うた。「プレゼントはお酒だったり、ハンカチや靴下など友人の好みそうなデザインのものだったり、選ぶ楽しさと最近その友人の存在に感謝の思いが以前より深まり、『元気でいてくれてありがとう』の気持ちで年に一度のお祝いです。大袈裟かな。」とメールに記されていた。

今回の行為の背景には、「元気でいたんだ」の気持ちも彼女にあったが、母娘のひと時の団欒イメージが大きかった。「真心」というものは自身の内なるものであり、伝える必要はないとの考えを披露したが、ポイント稼ぎや良く思われたいなどは微塵もなくば、真心などと意識もなく、美味しいものを美味しいと、ひと時の幸せに浸って欲しいとの気持ちであった。

人の行為における複雑な要素は、自らに分からぬこともある。こちらの住所は広島県広島市広島町一丁目一番地とした。同封の手紙にその理由を、「気を使わせたくないから…」と記す。着いたらお礼はくるだろう。なくてもよいがそうもいかぬ人間社会。ただ、お礼などは無用と思いながらも、お礼を言われて返事に窮することもある。人間関係にあってお礼は謝罪同様難しい。

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お礼に対して、ある時は、「いいえ」。ある時は、「はい」。または、「ご丁寧に」などが常套句。「お礼なんかいらない…」は、礼をいう相手を慮ってないので使わない。礼を言う側も、どういえばよいかなどを苦慮することもある。ならば端的に短く、「ありがと」でいい。礼に対する意識の希薄のあまり、不愛想になることもあったが、これはお礼下手の自らへの反省の種でもある。

股旅の放浪ヤクザが、とある村の諍い事の助っ人をする。座頭市シリーズも概ね同じ内容だ。彼らは義侠心に満ち、人助けは糞を垂れるが如くだが、助けられた村人にとっては天の成敗である。しかし、礼に愛想をせず、芋の一個とて受け取らない。たまりかね、「せめて、お名前だけでも…」とすがる村人に、「名をいうほどのものじゃ、ござんせん」と去って行く。これが男の世界。

翌日夜にメールがあった。おそらく返礼であろう…


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