あの頃の世相を少し呼び戻す。「わたし、吉田拓郎のコンサートに行ったよ。あなたに会えるんじゃないかと思ったから」。1970年代の前半といえば拓郎の絶頂期で、コンサートはよく催された。「渋谷じゃんじゃん」、「新宿ルイード」、「新宿アートシアター」、「吉祥寺ぐゎらん堂」。大きい会場なら、「神田共立講堂」が、当時のフォーク全盛時のメッカだった。
妙子さんのアパートにはギターを持参し、拓郎を歌って聴かせた。彼の歌は一緒にデュエットするという感じではない。歌ってるのか喋っているのかそんな類で合わせられない。当時はギターケースを買うお金もないので、そのままを持参して電車やバスを乗り継いだ。拓郎のコンサートにはよく出向いたが、妙子さんと出会くわすというページは用意されてなかった。
人と人との出会いをさも運命のイタズラとか、「赤い糸」に引かれてなどと思い込む人もいるが、ある場所でたまたま出会ったということが、それほど不思議なことなのか?「袖振り合うも他生の縁」などの慣用句に影響されてのことかも知れない。そういえばある女が、「だって袖振り合うも多少の縁っていうでしょう?」といっていた。間違いやすい諺かも知れない。
「多少」でも意味は通じぬこともない。「出会いは必然であり、すべての出会いには意味がある」などと言う人がいる。根拠は数十億という人間の数を挙げるが、信じたいなら信じてもよいし、信じるのは自由。そう考えれば何でも必然となる。宝くじで一等が当たったのも必然となる。何十万に一人という難病に罹患した人もである。何でも、「必然」ということには反対でいる。
根拠もないし賛同できない。計り知れないほどの確率であったとしても、起こったことに意味はない。人生に起こる事、宇宙の中で起こる事、ミクロの物理的な現象であれ、すべての起こることに意味などないという考えを信奉する。「(何でも)意味づけしなければ気が済まない」という言い方はあるが、「(何でも)意味付けしないと気が済まない」という言葉はない。
となると、意味付けしない方が正当であるような気さえする。そんなの別にどっちだっていいし、信じる人を揶揄する気持ちはない。妙子さんと出会ったのも、二人が田舎を後に東京に居て、銀座といっても広いが、近場の洋菓子店でバイトする身であったこと、自分が彼女に声をかけて誘ったことが起因している。それらが重なった結果であって、何の意味もない。
どこの洋菓子店にも店員がいて、男が声をかけて女を誘ったら、それが他生の縁なのか?自分の言い分に説得力があるとも言えぬが、多くの人間の中から出会う二人ということに、何の説得力も感じない。「自然に出会った」で納得できる。赤い糸で結ばれたという言い方を女は好むが、二人が冷えて離婚したらそんなことは言わなくなる。これは感情を言葉にしただけだ。
結局二人は運命の黒い糸で結ばれたようだ。なんて言葉を作って見るか…。この場に幾度も書いたが自分は、「運命」という言い方が好きでない。東京で出会った二人が、45年後に会ったのは奇跡でも運命でもなく、彼女の郷がりんご農家であったことだと思っている。その情報がなければ、45年前の青春の一ページで終わっていた。45ページ目は自分の行動が生んだもの。
こんな自分でもまったく偶然や必然を信じないわけではない。あまりそういうものを安売りしたくないだけだ。例えば、自分と妙子さんが、どこかの温泉郷の待合所でバッタリ出くわしたとするなら、いかに自分と言えども運命の仕業、運命のイタズラのようなものを感じるかも知れない。まあ、それはあり得ない。まさか彼女がそこに居るなど考えもしないゆえにおそらく見過ごす。
それが45年というブランクである。20歳の彼女の65歳の姿など、思うに別人ではないだろうか?心に幻影があって、「どことなく似た人?」という風にも互いは思わぬだろう。因幡晃のヒット曲『わかってください」の中に、「町であなたに似た人を見かけると 振り向いてしまう悲しいけれど」という一節があるが、数十年後のシュチエーションでないことは明らか。
荒井由実の、『あの日にかえりたい』は、「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」と歌われるが、なかなかいい詩である。容姿・容貌も含めて、あの頃の自分に戻って会うというなら、それに勝るものはない。過去の恋人に会いたいと、ネット相談をする人に対して、「止めた方がいい」という返信が多い。ほっとけばいいのに、余計な返信をしたい人もこの世にはいる。
外野のアドバイスなど、何の意味もないと思うが、ネット相談という形で、問う方も問う方だから、返信もありかと納得する。聞いても仕方ない事、答えても意味をなさぬ事、それがひとしきりのネット交流であり、現代人の孤独を紛らわす場となっている。拓郎が取り持つ縁ではないが、もし拓郎のコンサート会場で逢っていたら、二人が現状とは違うページを作ったであろう。
そういえば、あらためて拓郎の初恋の相手、準ちゃんをの画像を眺めながら、どころなくデビュー間際の浅田美代子に似ている感じがした。彼女がTBSのドラマ『時間ですよ!』に出ていた当時の、あのぽっちゃり感である。浅田は1977年、21歳の時に拓郎と結婚したが、6年後の27歳の時に離婚している。そういえば妙子さんも27歳の時に離婚をしたと言っていた。
二人は以後ずっと独身を通しているが、違いといえば妙子さんには子どもがいたこと。妙子さんは短大の声楽科で声もよく、歌も上手かったこと。浅田はアイドル時代、歌が下手なのに歌手をやっていると、業界内外から叩かれた。それでも売れたからやっかみはヒドく、同僚女性歌手からは嫌がらせまで受けていたという。唯一庇ってくれたのが青江三奈だったそうだ。
浅田は美人であるが、男の噂は立たなかった。「結婚に向いていない」などと浅田が漏らした様子は、検索した限りはないが、妙子さんは、「自分は結婚に向いていないという不安を持っていた」という。そういう言い方をする女性は自分の周囲にも、何人かいたが、「向き、不向きの問題じゃないよ」と自分は言い含めた。向き、不向きがどういうもの分からない。
結婚とは一般的に男女の結びつきをいう。したがって、向き、不向きがあるとすれば男女の性差や性格、資質の問題か。女は男が分からず、男は女を分からない。よって、自分は女の分からぬことを女性に聞く。男の分からぬところは自ら考えるしかない。いかに愛し合っている男女であれ、相手への愛の気持ちがちょうど同じ程度であるということは、おそらくないだろう。
だとするなら、大きな愛情を持つ側の方が、相手よりも苦しみ、悲しみという悩みを背負い込む。愛される幸福感も大事だが、愛するが故の悲しみや苦悩はせつなくとも、それが人を成長させることになる。切なさ、やるせなさに耐えて、素直に物事を見、考えることを避けないなら、他人の苦しみとて自分の苦しみとして感じられ、慰めや励ましという善意を持つことができる。
それが心豊かな人間ではないか。トルストイもこのように述べている。「深く愛することのできる者のみが、また、大きな苦悩を味わう」。生きている限り我々は、何度も人を愛することの辛さ、儚さを経験し、一層大きい人間に、心豊かな人間になるように思う。45年を経て人と再会するというのは、それはそれでひとしおの体験である。だから、真心の発露もあった。
訣別の意を決した時の気持ちは複雑だったが、自分は人に妥協しないところがある。これ以上、交流を続けてみても、失うもの・得られないものは、別段この年にあって重要ではないが、あまりの人間的乖離を相手に感じると妥協しない。それが懐かしや45年前の恋人であろうと…。哀しい現実だが、丁度その時にネットの友人からメールがあり、電話でこの一件について会話した。
上は会話後のメールである。ブログ記事とてそうだが、書いているときと後で書いたものを読む時と、精神状態がまるで違うのはなぜだろう。書いているときは感情であり、読む時は理性的であるからなのか。この二面を引っ提げて人間は生きて行く。ゆえにか、いつ時感情的になっても、石の地蔵さんのようであっても、それが同じ人間という不思議さでもある。
自分は思考派である。が、行動する時は感情派である。行動とはそういうもので、考えていては何一つ行動に移せない。甘党と辛党の両党がいる。異性、同性、両刀の遣い手というのもいる。同様に自分は理性派であり感情派である。が、幼少時期からの高い感受性に鑑みていえば、自分の本質は感情派である。それを抑えたりカバーするために理性を耕している。
今回の彼女の対応に懸念はない。65歳と20歳を一緒に考える方が愚かであるし、あの時の彼女はなるべくして現在の彼女になったのだ。今はもう20歳の彼女の面影を抱くこともない。65歳の彼女と昔話に興じる気も失せたなら、何も言わず去ればいいこと。一切の想いは自分の胸にしまい込んでおけばよい。彼女が今の彼女になったことに於いても彼女に罪はない。