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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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  • 09/05/18--16:00: こどもとは何か? ⑪
  • 「頭の中にある意識ばかりを大事にし、心の感覚を大事にしていない…そんな時代になったのは、なんでもかんでもすぐに答えを求めようとの姿勢から起こった。知識ばかりを詰め込んだ今の頭でっかちな若い人をみていると、もっともっと自由に生きられるのではないか」。と、これは話題の著書『遺言』の中で養老孟司氏が述べている。考えない若者もいるにはいるが。

    が、総体的にみればつまらない若者が増えたのかも知れない。若者はこども時代に得るべきものを得ず、つまり、こどもの純粋な感性を育むことなく、大人の書いた図面を拠り所にしてきたのではないか?こども時代の記憶は何より遊び。お兄ちゃんたちから伝えられてきた、「かくれんぼ」や「缶蹴り」などの伝承遊びを楽しく引き継いできた。それらがある世代で止まった。

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    さまざまな、「伝承遊び」の中で、鬼が出てくる三つの遊びについて考えてみる。「鬼さんこちら、手のなるほうへ…」、これは幼児を目隠しにして大人たちが手をたたいて引き寄せる遊びだ。おそらくこれは耳という感覚器官に意識を集中させると同時に、目の見えない不安から目の前の障害物を怖れるあまり、鬼の手は宙をまさぐる。これは触覚を重視する意識であろう。

    単純だが学習効果を織り込んでいる。それが遊びである。こどもの「遊び」についての心理的特性を端的にいえば、「遊び・遊ぶことは何より快楽」である。したがって、本質的な満足をもたらすものでなければならない。傍目には辛く苦痛を伴っているように見えても本人は楽しみである。例えば、馬跳びとか、おしくらまんじゅうとか、現代では危険とされる遊びもある。

    馬跳びの記憶をいえば、受け方として小学年の低学年の我々が、相手の股の間に頭を突っ込んで踏ん張る。そこに大きな中学生の兄ちゃんがつぶすために勢いよく背中に乗ってくる。それは乗ってくるなんてやさしいものじゃなく、ドーンと押さえつけてつぶそうとする。下の子はつぶれないよう必死で頑張るのは、つぶれることで迷惑がかかるからである。それはもう涙目の様相。

    遊びによって頑張ること、耐えることを身につけるのだが、必然的に精神力も足腰も鍛えられることにもなる。これを児童心理学的にいえば、自己意識の発達ということになる。つまり、遊びは不快を快に変えてしまう要素をふんだんに持っている。こんな素晴らしい伝承遊びをしなくなった子どもたちを、正直可哀そうに思う。もう少し視野を広げて思考・整理してみる。

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    「伝承遊び」はなぜ消滅したのだろう。さまざまな原因が考えられる。①地域にこどもの集団がなくなった。②こどもの自由時間が少なくなった。③遊び場の減少。④遊びの高級志向。これらについては、①少子化、②学習塾・習い事、③要所に公園はあるが、宅地開発で空き地の減少は自明。④誰もが貧乏だった時代であり、遊びにお金をかけるほど余裕がない。

    この中でもっともこどもをリスペクトしたいのが④である。家が貧乏だからお金のかからない遊びを考えたこどもたちである。そんな時代は大飢饉、大凶作、大恐慌でもない限り二度と復活はみないだろう。メーカーはせっせと高級な遊び機器や機具の開発に余念がない。そんな時代が良かったというのではなく、人はその時代にしか生きられないものだ。

    こどもが時代を担うのではなく、時代がこどもを作っている。したがって、遊びの変容は時代の流れであり、遊びそのものの質や遊びの方法の変化は、善悪の問題ではない。上記した「鬼」が登場する三つの伝承遊びとは、「鬼ごっこ」、「かくれんぼ」、「かごめかごめ」が浮かぶ。「鬼」とは、「鬼定め」で、これはこどもの優位関係もしくは公平に順番で決める。

    思うに、いつも鬼を割り当てられる子はいた。なぜかといえば、広義でのいじめに似たものだが、陰湿ではなくとも、当人には不満であったろう。彼は否応なしに他の仲間から隔てられ、疎外されねばならなかった。鬼ごっこで鬼を命じられても、足が遅かったりで捕まえることができず、しないには泣いて帰る子もいた。それでも次の日には広場に集まってくるのだ。

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    泣いた下級生を上級生はいたわり、「今度は俺が鬼をやるからちゃんと逃げろ」。にもかかわらずその子はいの一番に捕まってしまう。これは年齢差、脚力の問題だから当然の結果であるが、それでも一緒に遊んでもらえるという至福感は満たされる。対等・平等が実は対等でなく不平等であって、それは仕方のないこと。そうした理不尽さを超えてこどもは学んでいく。

    思想史家の藤田省三は、著書『精神史的考察』のなかで、「かくれんぼ」の鬼体験を以下のように指摘する。「鬼と定められた者の味わう、突然に遺棄された孤独、砂漠の中を一人彷徨する体験というのは、「はずされ者」としての行動を強いられる。鬼は、おいかけ、探し、捕らえることで、懸命に仲間への復帰を目指すのである。それは要請ともいえる行為だ。

    もし、鬼がその役割を放棄し、探さない、追いかけないという勝手な動きをするなら、遊びは直ちに崩壊する」。とにかく、互いは互いの役割を精一杯に演じることが必要で、どこを探しても見つからない時の寂寥感、不安感を耐え忍び、それでも見つけたとき、捕まえたときの喜び・至福感。そうした真剣さや一切合切こそ遊びの本質であり、こどもにとって遊びがいかに重要かである。

    そんな遊びの中で、「鬼ごっこ」や、「かくれんぼ」でふと思い出すのが、歴然としたこどもの個性である。普通は嫌な鬼役であるが、鬼役を喜ぶ者もいた。彼は足も速く、洞察力に長けていたのだろうが、それがまた鬼を率先してやることで、能力に磨きをかけたようだ。ただ逃げ回る者たちより、一人一人見つけ出す、あるいは捕まえることの達成感を喜びにしていたのだろう。

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    想像するに、こういう人間が戦国時代や三国時代に勇猛な将軍となる資質だったかも知れない。創造力を膨らませると、たかが、「かくれんぼ」、たかが、「鬼ごっこ」ですら壮大なものになっていく。また、「かくれんぼ」には面白いルールがあって、見つけた相手は鬼側のメンバーとして働く任務を与えられるのだ。これは相互反転性で、鬼を好むものはこれもあったかも。

    別の見方をするなら、鬼役の救済措置といえなくもない。将棋でいうところの相手の取った駒を捕虜とするだけでなく、飛車は飛車、金は金としての位のままで自軍の一員として働かせるわけだ。これは陣地の拡大を目指す囲碁とは違って、捕虜に謀反を起こさせる点において人間味が溢れている。誰もこれを非人道的とは言わない。この将棋独特のルールに関する逸話がある。

    昭和22年の夏、升田幸三八段は突如日比谷のGHQに呼び出され、米軍係官に将棋に関する事情聴取を受けた。当時は将棋大成会(のちの日本将棋連盟)は任意団体で、法人化申請中だったが、決定権を握るのがGHQであった。そこでこのように詰問を受ける。「チェスとちがって日本の将棋は、取った駒を自軍の兵として利用するが、これは捕虜虐待の国際法違反ではないのか?」

    日本にチェスを普及させる意図なのか、戦勝国の傲慢な難癖に対して升田はこう返す。「冗談をいわれては困る。取った駒を使わぬチェスこそ捕虜の虐殺ではないか。日本の将棋は敵の将兵を殺さぬばかりか、そのままの役職でそれぞれに働き場を与える正しい思想である」。「アメリカは民主主義を振り回すが、チェスでは王が危なくなると女(クイーン)まで盾に逃げ回る。

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    これはいかがなものか」。などと升田は、通訳が困るほどに果敢に出まかせを述べた。これに感心したホイットニー准将は、「君は実によく喋る珍しい日本人だ」といい、土産にウィスキーを手渡したという。戦勝国米軍に物怖じせず、忌憚のない発言をしたのは、升田幸三と白洲次郎であろうか。白洲は最もカッコイイ日本男児といわれ、升田は将棋界に理論革命を起こした。

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    最後にこどもを取り巻く問題のなかで、命にかかわるという点においてもっとも大事ないじめについて考える。これまで何度もいじめについて考えたがいじめが一向になくならないのは、皆が真剣に考えないことも原因に思える。いじめは昔からあった。いじめを自己解決できないこどもはまずは教師を頼る。それが学校内でのことだから、教師なら解決できると思うだろう。

    人にもよるが大方の教師は無能である。教師はいじめを解決することより、いじめのないクラス運営が評価が高く、そうありたいの自負心が邪魔をしたりで、物事をフラットに見たり考えたりできない。その程度の自負ならないのがいいのだが教師とて人間である。良い教師と認められたい思いや多少の思い上がりもあって、いじめなどのマイナス因子を見て見ぬふりをする。

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    本当に有能な教師なら、問題を起こさないことより、問題を率先して速やかに解決を図ることのできるそんな教師である。問題が起こらない、起こさないのは所詮は無理とのスタンスで、起こった時の対処法を常日頃から考えておく人間は、教師に限らず有能な人間である。「起こらない」、「起こさない」というのは、単に願望に過ぎない原発事故のようなものである。

    何事も「想定内」という考えが危機管理意識の高さを示すもの。すぐに適切な対処ができる点において、彼は有能である。小学3年生のとき驚いたことがあった。当時の担任教師Yが自分とHくんに放課後教室に残るように言ってきた。そう命じられた時に自分が何を思ったかの記憶はないが、こんにち頭に残るのは、あの教師はこどもたちの全体を見渡していた良い教師だった。

    Hは自分の家から50mの近所で幼稚園のころから遊び仲間で、3年生で初めて同じクラスになった時はうれしかった。近所の誰かと一緒になることは滅多になかったし、あえて避けているのかというくらいに不思議だった。自宅の隣のNも対面のFも6年間同じクラスになっていない。50人学級で7クラスもあればそういうものか。そんな中で唯一Hとは一緒のクラスになれた。

    ところが担任に呼ばれたとき、自分とHは全く口を利かない絶交状態だった。見かねた担任が二人を残したのは事情を聴くというより、仲裁目的だったと思っている。何を聞かれてどう答えたかの記憶はないが、「どうした、喧嘩でもしたのか?前は仲よかったのに」という感じだったろうか。この教師は、義務感・使命感というより、二人が気になって仕方なかったのだ。

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    こどもたちの動向を眺め、割って入って仲裁を買って出る、こういう教師を有能という。同様に有能な親というのは、人をいじめない子、いじめを受けない子を作るような躾というか、対処法というか、それはあると思っている。さらには機敏な対処も大事だ。どこかから我が子がいじめを受けている情報を耳にしたなら、即刻行動すべきで、早期発見・早期治療が鉄則だ。

    いじめは昔からある問題だが、悲劇にいたる要因というのは、親がこどもと平素から十分なコミュニケーションがとれていない、親としての役割を十分果たしきれていないことだと考えている。いじめは学校で起こるが、新聞やテレビ報道によれば、いじめた側もいじめられた側の親はいじめに気づいていなかったという。自分はそのことが何より問題と思っている。

    親が親として機能し、役割を果たしていたら、自分のこどもが学校でいじめに荷担していたり、いじめられたりしていることには、さまざまな手立てから気づかねばならない。物は見方である。教師に言ったところで、教師はいじめと認識しないだろう。しないものを認識しろといっても土台無理。あるいは、認識しても適切な手立てが教師にできるだろうかという疑問。

    大前研一氏はこんな体験談を述べている。「 私の子供が学校でいじめられていることを察知し、もう限界と思ったので別の学校を見つけて転校させた経験がある。もちろん先生と子供、先生と親の対話も成り立っていないのだろうが、それよりも親子の“ノー・コミュニケーション”のほうに根本的な問題がある」。同じように、自分も教師にいじめ解決は無理と思う派だ。

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    それもあって、もし自分の子がいじめを受けているようならこどもには、「先生に言っても何もしないよ。してくれるはずがない。だから宛にしないこと。いじめの解決は親がするもの」とまずは思わせる。とにかく、対処法などを話すよりも、いじめについての会話を始終こどもとするだろう。対処法なんてのは大人の考えであって、絵に描いた餅である場合が多いからだ。   

    親が真剣になるしかない。「こどものことに親が口出しすべきでない」という偏った意見は、いじめ被害を救わない。確かに、対策は後手であり、対策を講じなくていいよう先手で教育するのが理想で、これは自分の考えでもあるが、万が一いじめを受けているとのことでの対処を記した。アメリカではいじめる子に対し、「今度いじめたら腕をへし折ってやる」などの親もいる。             

    「ただいま」の帰宅の声の調子、足取り、雰囲気の変調さから、母親その日その日のこどもの体調・心を読み取っていく。家族そろっての夕食時の様子でもこどもを捉える。そんな素朴で当たり前のことが少ない時代なのだろう。学習の出来栄え以上に心の健康は大事である。確実にいえることは、いじめにあう子は弱い子である。弱さとはいろいろあろう。

    それ以前にいじめをつきつめると、過剰な競争社会における犠牲者である。大人や社会に追いつめられ、人間的な価値を見出せないこどもたちである。大人もこどもも他人の不幸を喜ぶというそんな社会の縮図をいじめに感じるなかで、人を不幸に陥れたり、傷つけることがなぜに快感となるのかという、屈折した人間の心に歪に向き合わない限り、いじめはなくならない。

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    単純に考えれば、相手を汚いと罵ることでどういう快感が得れるのか?これはその時点で自分のコンプレックスを一掃できるのだ。人を見下す人間ほど、「人より優位に立ちたい」気持ちが強いように、他人をバカにすることで、「自分の方が優れている」というアピールである。自分の有能さは他人に指摘されるものなのに、誰も授けてくれそうもない人間は、自らに授けるしかない。

    「人の不幸は蜜の味」なども人間の心理的コンプレックスを現している。「自分が幸せになりたい=他人が不幸になる」が等価である。ふつうは、自分が幸せになれないなら、なれるような何かや物を探せばいいが、それを見つけようとしない。それで試験に落ちたなどの不幸な体験の怨念が、他人も同じ思いをすればとなる。短絡的で手っ取り早い気持ちを晴らす方法だ。

    こんな風な人間にならないためにどうすべきか?他人のことには目もくれず、自己追及に精を出す、自分に一心を捧げる、いろいろあろうが、大事なのはまずは思考。「他人の不幸は自分の幸福とならない」という当たり前の原則を、思考できる頭を所有しているか。それを当たり前に感じられない人は、そうであると信じることだ。「信じる」はいつしか自分の信念となる。



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    イメージ 14月29日に行われた2018年度「第43回小学生名人戦」で優勝した西日本代表の間悠亜(とい・ゆうや)君(福井県永平寺町松岡小4年)が、奨励会6級に合格した。入会試験は大阪の関西将棋会館で8月17日に行われ、間君は名人戦優勝を受け1次試験が免除、2次試験の奨励会員3人との勝ち抜け戦に臨み、1人目の対局で勝利した。その後の作文、面接試験などを経て合格の通知があった。

    22日からの奨励会での初対局に臨む間くんは、「いろいろな戦法を勉強してオールラウンドな戦い方ができるようになりたい」と話す。四段になれば福井県初のプロ棋士誕生となる。間くんが初めて本格的に将棋の指導を受けた石内奈々絵さん(34・福井市)は、将棋ファンなら知る元奨励会員で、1998年9月に関西奨励会に6級で入会。翌1999年7級で退会した。

    彼女は自身の奨励会経験から、「プロへの第一歩として奨励会入会はチャンスだが、入ってからが大変。強い子ばかりなので、くじけず上を目指す強さが必要」と間君にエールを送った。石内さんは奨励会退会後は、アマチュア棋士として華々しい活躍を見せ、アマ時代の里見加奈さんにも勝利して、「女流アマ名人」、「アマ女王」の二冠に輝いたこともある。

    現在は一児の母の傍ら、自身が考案した紙製の子供の知育教材、「きょうりゅうしょうぎ」を商品化した知育教材開発部の社員として、商品や教材を利用した教室やイベントで活躍中という。小学名人戦の準決勝・決勝では相手の攻めを冷静に受け流し、勝負どころを見逃さずに決める将棋センスに、対局を解見守ったプロ棋士も、「まるで大人のよう」と絶賛した。

    間くんと将棋との出合いは幼稚園のころに父から教わったが、面白さに目覚め、めきめき力を付けた。攻め急ぎがちになる子どもたちの将棋の中、相手の攻めをどっしり受けつつ攻守のバランスが取れた指し方は、「子ども離れしている」と現指導者の中屋光太郎六段(28)。この日、大盤解説したプロ棋士の中村太地王座も、「大人のような指し方」と、その冷静さを称えた。

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    誰もその子の将来を予測できないが、8月22日の記事に書いた市岡真吾くんも2年前の小学生名人戦で同じ四年生で優勝、奨励会7級入会したものの成績が振るわず強制退会となった。これについては三通りの見方があろう。①本人の才能の欠如、②努力不足、③指導者の問題となる。①と②は不明だが、③についての意見はあるようだ。指導者とはアマ棋界最強の早咲誠和氏。

    彼の将棋については主観的な様々な評がある。しかし、大変な努力家であったのは間違いない。同郷の故杉崎里子氏によると、早咲氏が将棋を覚えたのは中学に入ってからで、熱病のように将棋の魅力に取りつかれた彼は、将棋年間の棋譜をすべて暗記していたというから求道者的なところもあろうか。まあ、アマ強豪といわれる人なら将棋は飯より好きというのは普通か。

    「求道的変人」というが、一つことにはまると普通でなくなることがある。普通が無難を示すなら、無難は可もナシ・不可もナシ。よって、可もアリなら普通ではないことになる。加藤一二三や、桐谷広人予備軍はいくらでもいるし、お二人も周囲を気にしないで我が道を行くタイプだった。棋士に社会性はそんなに必要でない。早咲氏には、「早咲名人の将棋のきまり」という格言がある。

     ・「相○○なら、先に攻める方が良い」
     ・「玉頭は手厚く」
     ・「自分の駒台に金をのせる」
     ・「玉頭をねらう」
     ・「自分の駒台に金をのせ、相手の駒台に銀や角なら、勝つ」
     ・「定跡は覚えなくていい(将棋は生き物)」
     ・「先を読まない(バランスだけで指す)」
     ・「自陣角は死んでも打たないこと(角は敵陣に打ち込むもの)」
     ・「戦う相手とは自分、いつも自分と指している」

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    など、独自の見解を持っており、早咲玉の考案者でもある。そんな師に影響されてか、市岡くんもタブレット使って、飛車と角の位置を入れ替えるなどの「独創的」な勉強していたようだが、奨励会に入ってすぐにBに落ちてそのまま退会というのは、プロには向かなかったというのが早い段階で分かって、それはそれで幸せだったということにはなろう。物は見方で変わる。

    奨励会三段まで行けるというような、中途半端な才能が一番いらないということも言えるが、才能なのか努力なのか見極めは難しい。ハッキリといえるのは、将棋が多少強くともプロにはなれない、不向きだということになる。それでも努力を積み上げて再挑戦した瀬川や今泉の事例もある。彼らは好きな将棋で飯が食えるならそれでよく、タイトルに無縁であれ悔いはなかろう。

    我が郷里の代表棋士といえば升田幸三である。今では同郷の棋士は多いが、同世代的には桐谷くらいだった。桐谷は升田の唯一の弟子で、当時彼は多くの棋譜を暗記し、「コンピュータ桐谷」と呼ばれた。升田は弟子志願の桐谷に、「ワシの弟子になったらいじめられるだろうが、辛抱せい」といったというが、独創的な升田将棋とは正反対の桐谷をたいそう可愛がったという。

    さて、今年度の「第43回中学生名人戦」では初の女性名人が誕生した。富山県富山市出身の中学3年生野原未蘭さんである。彼女を指導するのがアマ強豪の鈴木英春氏。彼は元奨励会三段で1981年に年齢制限により退会となったが、その時のことがNHK『勝負~名人への遠い道』と題されてドキュメンタリーとして放映され、奨励会のことが世に知られるきっかけとなった。

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    後に英春はアマで活躍するが、升田将棋を愛した彼は英春流という常識と定跡破壊戦法を考案した。奨励会時代も独創升田将棋に傾倒するあまり成績があげられなかったと察するが、アマチュアで彼の独創性が開花した。英春を師と仰ぐ野原さんは英春流一辺倒のようだが、小学生名人間くんの、「なんでも指しこなせる棋士になりたい」という柔軟性はない。

    「英春流を継ぐ者は彼女。タイトルを取ってほしい」と後継者に期待を寄せる鈴木氏だが、アマ考案戦法の後継者などと言われては、野原さんが英春流外の戦法をやりにくくなろう。拘束などせずに、たまに英春流も指す程度が真に彼女のためと考える。プロ棋士にも「〇〇流」はあるが弟子におしつけることはしない。先日、TV特別棋戦で羽生竜王が立石流を採用した。

    慣れない戦法に佐々木六段は時間を使うも羽生竜王を撃破。プロ棋士考案戦法には、森下システム、藤井システム、中座飛車、鷺宮流、横歩取り中原流、加藤流、青野流などがある。全国中学生のトップに立った野原さんが目指すは女流棋士、片や小学生名人は奨励会。小学生名人と中学生名人なら中学生が強いハズだがそうも言えない。彼女は奨励会受験をしないのでは?



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  • 09/09/18--16:11: 親子とは何か? ①

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    母とは何?父とは何?こどもとは何?と続いてみると、「親子とは何か?」も必然であろう。考えるのは論理的に頭を働かせることだから、結論の有無にこだわらない。筋道立てて知的に分析し、客観的に判断することで得られるもの、それが「考える」という作業であって、「思う」とは異なる。「思う」は、突発的・瞬間的な心の変化や感じ方を率直に伝える時に使う。

    「親子についてどう思う?」と聞かれて、「自分はこう思う」と即答できるのが、「思う」の気楽さである。他者の論や知識を基に深く思考するのを、「脳トレ」などの造語が示すスポーツのようなもので、体力とは違って思考力が必要となる。目の前にある事実は一つであれ、見方を変えることで結論も変わる。ある種の結論をまとめたつもりでも年齢や成長とともに変わる。

    一口に、「思考」といっても、根本が違えば導かれる結論も変わってくる。「存在論」や「認識論」などを持ちだせばそれこそ念仏の世界となり、馬の耳を持つ我々には馴染めない。難しい専門用語を駆使したブログもあるが、宗教も哲学も突き詰めれば難解となり、「ひょい」と棚からぼたもち程度ならさらりと読めて、宗教や哲学のご利益に与ることにもなる。

    親と子の問題を語るときにすぐに浮かぶは芥川龍之介の以下の警句。「人生の悲劇は親子になったことに始まる」。小津安二郎の『一人息子』の冒頭に取り上げられたことでこのブログにも書いたが、親子関係の始まりそのものの中に人生の悲劇の始まりを見るなどというのは、容易ならざる言葉であろう。この警句の意味がどれだけ複雑な内容を含んでいるか見当もつかない。

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    が、悲劇の意味はいろいろあるくらいは思考できる。人生そのものが悲劇であるかないかはともかく、我々の人生は例外なく親子の関係から始まることになる。厭わしい親であろうと、好ましい親であろうと、親との関係からしか始まりようがない。生まれてすぐに親に捨てられ、親とは無関係になろうとも、「親に捨てられた」という関係の中からその子の人生は始まるのだ。

    親子には血のつながった親子、そうでない親子、実子を非嫡子と誤解した山崎豊子の『華麗なる一族』悲劇もある。親子の血に絡む悲劇は、小説、映画の題材となる。子を捨てた母がある日突然現れ、「私があなたの実の母よ」といったとする。そんな母に息子は感涙するだろうか?そんなのあり得ない。ほとんどの場合、「今更なに母親づらしてるんだ!」であろう。

    こどもを捨てて去っていった母親に対する当然の報いであろう。思慮ない母親を描くからドラマ性の面白さがあるのだろうが、子どもを置き去った父親が同じようにぬけぬけと、「お前の本当の父だ」などの場面は想像できない。これは思慮の問題というだけではなかろう。父と母の本質的な違いと考えられる。単に子種を撒いただけの父と、腹を痛めて生んだ母のちがいかと。

    親と子が何らかの理由で引き裂かれていたとして、親にとって耐えがたいのは母親ではなかろうか?気にもならない母もいるだろうが、一般論でいうのなら気になるならないは、非情というより性格的なものかなと。「岸壁の母」という言葉がある。映画にもなり歌にもなったが、言葉の意味も映画も歌も知らない世代が増えた。二葉百合子って誰?ということか?

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    「岸壁の母」とは、第二次世界大戦後にソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくるであろう息子を待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称である。息子の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ未帰還兵の母端野いせがモデル。いせは後に『未帰還兵の母』を発表した。

    「人生の悲劇は親子になったことに始まる」について時々の年代ごとに考え、時々の答えを出してみた。最終的な結論としての親子の悲劇とは、互いが他人でないというところから起こるものということだ。当たり前のことがなかなか結論されなかったのは、親子が肉親であるというのが盲点になっていた。「親子」や「兄弟」の争いは、「血の醜さ」と言われたりする。

    「兄弟は他人の始まり」というように、血肉を分けた熾烈な争いは他人の比ではない。最近、長嶋家(長嶋茂雄を父とする)のことがいろいろ取り沙汰されているが、少し前は若貴兄弟のこともあったが、世俗ではそんな話は腐るほどある。兄弟はともかく、「親子の愛情とは血とは無関係」である。「血は濃い」などというが、親子の本能的な愛情に寄与することはない。

    なぜなら、他人同士の間の愛情の場合は、離婚した夫婦の例においても、友情だとか恋愛とかにおいても、愛し合えるだけの条件が失われた時には解消してしまうのが一般的だ。ところが親子間の愛情は、親子であるという関係そのものが愛情の土台と信じられている。だからか、友人に母との確執を述べても、「親子でそんなにいがみ合わないで仲良くしろよ」などという。

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    平和な家庭環境の人間にとっては、親子がいがみ合うこと自体が異常らしい。体験しないものには何も分からないというのがよく分かった。親子は愛情で結ばれる関係である。こんにちのような情報社会になれば、50年前とは多少は違い、いや大いに違っているような、親子や兄弟の確執は報道もされたりで、何ら珍しいものではなくなった。尊属殺人も多発している。

    子が親を殺めるのは何事か?と、尊属殺人は一般殺人より刑罰が重かったが、それも改訂された。他人を殺す場合に比べて、子が親を殺すなどは余程の情状があろうという人道的な判断をされるようになった。子の親殺し、親の子殺しは多分にそういうものである。苦慮に苦慮、耐えに耐えとの事情から発生するもので、近年の尊属殺人は大いに酌量の余地がある。

    したがって、「人生の悲劇は親子になったことに始まる」というのを、「親子の悲劇は互いが他人ではないところから起こる」としていいのではないか。実の母と思って育てられたが違っていた。「自分の本当の母は何処の誰なのか?今は何処にいるのか?恋しい母よ…」そんな風にはならない。気にならないといえばウソになろうが、思い悩むことなどない。

    『瞼(まぶた)の母』という歌がある。今は耳にすることはないが、子どものころはよく流れていた。題材は戯曲からとられ、「番場の忠太郎」といえば思い当たる世代もいよう。番場の忠太郎は30歳すぎの旅姿の博徒。番場の旅籠屋「おきなが屋忠兵衛」に生まれるが5歳で母のおはまと別れ、12歳で父も死去。以後やくざの世界に生きるが、母恋しさに博打で貯めた百両を懐に江戸へ行く。

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  • 09/10/18--16:03: 親子とは何か? ②

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    日本人の意識構造は住居環境が大きく関わっていると和辻哲郎はいう。ならば親子関係にも影響はあろう。近年はどこか旅に出向いても、古い旅館に泊まらぬかぎりお目にかからなくなった襖について和辻はこう述べる。「襖は、それを"へだて"として使用する人々が、それを"へだて"として相互に尊重し合うときにのみ、"へだて"としての役割を果たす"へだて"である。」

    なるほど。ことはそれだけにとどまらない。つまり、部屋の中に人が居り、襖が閉ざしてあるときは、ある場合は「入ってくれるな」、ある場合は入るときには「合図をしてから」という意思表示である。あるいは風よけたらめだけで、何のへだても意味していない場合もある。内側で誰かのヒソヒソ話が聞こえれば、「聞いてはならぬ」という意味である。それが襖というもの。

    西洋の家屋に比べて完全なプライバシーが保たれてはいないが、それでも襖はプライバシーの役割を果たすものでもある。完璧なプライバシーを保てる部屋にすればいいものだが、それをしない日本人の、「察しと思いやりによる相互理解」という文化が生まれた。別の観点でいえば何事も曖昧にする日本人気質も、こうした居住空間からもたらされたといえなくもない。

    子どものころに、襖から漏れる両親の会話や、あの声などを聴いた子どもはおそらくいるはずだ。思い出すのは実家の隣のNという同級生の女がこんな風にいっていたこと。「〇〇ちゃん聞いてくれる?うちの〇〇(末の妹)が夜中に、聞いて聞いていうから何かと思ったら、『今お母さんがエッチな声出してる』とかいうのよ。あの子はホントにどうしようもない」。

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    Nは三人姉妹の次女。長女は絵にかいたような落ち着いた優等生タイプ。二級上なのにずいぶんお姉さんに感じられた。三級下の三女は愛らしく憎めないユニークなキャラで、屋根伝いに窓から自分の部屋に遊びに来るような子。ただただそれだけなのに、自分の母は勘違いをして、隣の親に文句をいっていた。そんな母の行為に、「バカじゃないの?」と二人は笑った。

    文化は家屋や生活からも作られる。民族はまた個々の生活や言語を有し、それが民族として文化の基になっていく。佐藤真知子氏の、『日本育ちでない日本人の子供が見た日本』には、彼女らが外国の現地校に初めて入ったときの戸惑いやいじめ、現地語に慣れて友達ができ始めたときの喜び、帰国後、日本の学校へ再編入したときの逆カルチャーショック体験などが味わえる。

    日本人の形式主義的な文化を改めて知るが、いかにも日本人的というくだりは以下の記述である。「娘たちが転校生として日本の学校に初登校した始業式の日。まずは職員室によばれ、副校長が居並ぶ先生の前で娘二人を紹介。大勢の先生の視線を浴びて二人は上気する。されにはクラスの教壇で、自分で名をいい、「どうぞよろしく」のいわゆる転校生としての儀式がある。

    その際教師からは、「声が小さすぎて全員に聞こえない。やり直し」と声がかかる。この教師は、はきはきとしたクラス作りを目標に掲げているのだろう。二人は家に帰ってこういった。「あんないやなことはなかった。あんなことしなくたって、だんだんと他の生徒にもわかってくるのに…」。転校生や転任の先生に対してこんな儀式めいたことは外国にはありません。

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    娘たちは日本の学校環境のなかでは、自分の意志で行動するより、学校の管理体制の糸で操り人形のように動かされることに閉口した。日本を脱出してオーストラリアに戻るときに二人の娘は、「もう二度と日本などには来ない」と囁く。子どもたちにこんな風に感じさせる日本社会の構造因子はなんなのか、管理主義から得るものは一体何?責任を取ることにビビる日本人?

    先に述べたが、血縁による先験的な愛情は迷信である。血縁関係は共通の遺伝子を有すことで同じ特技を持っていたり、姿形が似る傾向はあるが、固定的なものではなく、流動的で常に変化していくもの。深まる関係もあれば絶縁もある。親子は互いが成長し、変革させていく関係でもある。以下はある作家が生き別れになった実の母について自伝的に書いたもの。
               
    「私が彼女のことを実の母でないと知ったのは、郷里の実家に帰ってからでした。毎日の折檻やいじめを受ける私を憐れんで近所のおばさんたちは、時に慰めの言葉をかけてくれた。「あんたもさぞや本当のお母さんが恋しかろう」というのだが、その意味がよく分からないでいた。不思議とどんなに辛く悲しい時でさえ、実の母を恋しがったことは一度たりともなかった。

    懐かしがろうにも、私には実母の記憶がまるでなかったからだ。小学4年生のころ、生母はときたま学校に会いにくるようになる。が、私はそれが迷惑で仕方がなかった。なぜなら、生母に会うことは父や継母から厳しく禁じられ、背いたら腕をへし折るとか家を追い出すとか脅かされていたからだ。それでも恋しい母なら脅しにひるまず内緒で逢って喜びを噛みしめたであろう。

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    それもなかったことで、私は無理やり会いにくる生母を恨んだ。腕を折られたり家を追い出されたりの恐ろしい材料を押し付けにくるとしか感じなかった」。なるほど、ありがちな体験である。実母・生母が何かを当の作家は述べているが、単に罰を与えられるから嫌だったとはいえ、本当に恋しい母なら何をおいても会いたいものだから、生母に恋しさがなかったようだ。

    血のつながりなど関係ない。生母との接触は小・中・高と続いたが、迷惑と思いながらも無碍に断ることができなかった。それは単に言い出しにくいというだけで、配慮でもなんでもなかったようだ。観念で実母と思うことはあっても、心で「母」を感じることはなかったという。いきなり知らないおばさんから、「あなたの実の母ですよ」といわれても、キョトンである。

    「母もの映画」というのは、母性愛の美しさを強調される。母性は無条件にて無償のものであるがゆえに感動的であり美しいとされている。頑なに信じられていた「母性愛」や「母性本能」が女性だけの遺伝的特徴であるというのは、科学的に証明されておらず、将来的にも証明されることはないであろう。なぜなら、「母性本能」とは「学習行動」であって本能行動ではない。

    哺乳動物においては科学で判明した本能機能として、「子供を可愛いと感じる遺伝子」が発見されている。これが母性本能の正体ではないかと考えられているが、この遺伝子は男女を問わず両方に存在する。と同時にそれは、「父性行動の動因」でもある。愛情というのは、我々が共同に生き合っていく具体的な人間関係のなかから、自覚的な感情として形成されるもの。

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    本能の中から生じる感情は、見かけ的にどんなに愛情に似ていようとも、愛情とはいいがたいものである。性欲に突き動かされて本能を満たしたいためだけの気持ちで異性を求めるのも恋愛とは言わないようにだ。人間の自覚というのは時に都合の良いように自身に認識され、そういった思い込みは他者から否定されても無駄であり、自己に正しく向き合うことも難しい。

    親子に限らず、友情であれ、恋愛であれ、師弟や同志において、それらが愛情である限りはそれが生まれるための条件があり、育つためにはそれなりの法則がある。だから、か条件を失わぬよう努力し合うもの。ところが、親子の愛情は決して無条件的なものではないことを知ってか知らずか、愛情関係の土台を踏みにじるような行為が、多くの悲劇を生んでしまった。

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  • 09/11/18--20:32: 親子とは何か? ③
  • 9月8日(日本時間9月9日)に開催された全米オープン決勝でセリーナ・ウィリアムズ選手を破り、日本選手として初の四大大会制覇を果たした、大坂なおみ選手。20歳の王者は、試合後、母の元へ駆け寄り、抱き合って喜びをかみしめた。大坂選手は2017年のインタビューで、これまでの人生でもっとも影響を受けた女性は?という質問に、迷わず「お母さん」と答えている。

     「お母さんはこれまでずっと頑張ってきて、私もずっとその姿を見てきました。だから私もお母さんが一息つけるよう、結果を出したいと思い続けてきました」。

    「お母さんは、私のためにたくさんの犠牲を払ってくれました。母は普段、あまり試合は見に来ないんです。だから私の試合を応援することは、母にとって本当に大きな意味があるんです」。

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    今回の全米オープンはしこりを残したいわくつきの大会だったが、セリーナが審判に吐いた暴言は、彼女がナーバスになっていたとしても、聞くものに不快感を与えたのは間違いない。女子テニス界の第一人者でもあり、もちろん大人でありながら言ってることは、まるで子どもがダダをこねているような言葉だった。特に情けないと思ったのは以下の発言である。

    「他人(男子)ならよくて、なぜわたしが同じ振る舞いをするとダメなの?」とあの場で男女差別を主張するところではなかろう。男子がよくて女子ならいけないではなく、どちらが行ってもよくない行為である。女子がやるとヒステリックされるのは、「ヒステリックに寛容であれ!」と主張している。審判を脅かすような行為に審判が怯まなかったことが審判の正しさである。

    テニスに限らない。何か注意を受けたときに、必ずといっていいほど、「みんなやってるのになぜ自分だけいわれるの?」という人がいる。ほとんどの子どもはこういう言い方で逃れようとする。大人も同様に、自己正当化と責任回避をしたいのだろうが、この言い方はまさにその人の性格を反映している。子どもじゃないなら、この言葉か適切かどうかを考えるべき。

    大坂なおみの母は娘と抱き合ったときに耳元で、「あなたを誇りに思う」といったという。2014年ことはスポンサーもなく、試合に必要な飛行機、ホテル、遠征先の食事代一切は両親が支えたが、携帯電話をねだると、「賞金で買いなさい」と、そんな母であった。当時、日本のテレビ局の取材では、「私のやることは娘に何を食べさせるかくらいしかありません」と言っていた。

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    確かに大坂なおみには父も母もいた。母は料理でサポートしたように、テニスを始めるきっかけを作った父でさえ、世界一になった娘の前にでることもない。親としてこれほど誇らしいことはないだろうが、「あなたを誇りに思う」と娘に伝えるのが愛情であろう。テレビにでたり、本を書いたりで、子どもの手柄の一分にでもあやかろうとするのは愛ではなく自己顕示である。

    こどもがなにがしか成功したとして、親がちやほやされていい気分に浸るのを悪いとは思わぬが、そのことがこどもにプラスになることはなにもない。例えば五嶋みどりの母の五嶋節。彼女の『「天才」の育て方』という著書のタイトルからして、天才を育てたという自負がある。親がこどもに何をするのも親の特権だが、五嶋みどりを憐れに思ったのは他者になる以下の記述である。

    「みどりも、自分が母親にとって必要な人間だということがわかっていた。両親がうまくいっていないこと、自分がいなければ母親は生きていけないことをこども心に感じていた。このため、どんなに厳しくてもバイオリンは一生懸命に練習した」。これは読むに耐えない事実であるが、親がこどもの人生を搾取し、こどもがそれを了承したということが自分的に憐れである。

    節もあきらかに幼児虐待と感じながら、結婚の後悔と夫への不満という私的なストレスをこどもに向けていたが、結局それで天才を作ったという自己完結が慰めとなっている。そうでなければ惨めな母子であろう。もっとも自分は五嶋みどりが天才として育てられたとしても、人生を搾取されたこどもにとって、親の敷いた道を歩んだという点において不幸だと思っている。

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    人間はこの世に生を受けて以降、個人として生きていく上で自己を取り巻く幾多の障害がある。それに邪魔をされ、押し込められていては、自身の「生」という固有の恵みを賜わったことにはならない。誰だか失念したが世界的なテニスプレイヤーの母が、メディアから何かを問われた際、「わたしがしたことは彼を産んだこと。ただそれだけです」といったのが印象的だった。

    世界一ににでもなれば、言いたいこともあろうし、多少なり自分の手柄と感じたいこともあろうが、それらは一切こどものプラスにならぬことを分かる親をスケールの大きい親と感じる。五嶋節は自己顕示欲丸出しだが、大坂なおみの親は至極控えめである。石川遼の父も早くから息子に自伝を書かせ、記念館を建てたりの自己完結が、息子にも自己完結をさせたのか?

    東大医学部三兄弟の母もチャラい母である。自分が社会からちやほやされることはあっても、こどもに何の利益があろう?どんな事由で東大医学部に入ったなどは内部の者にとっては関係ない。母親の努力で入ったから称賛されることもない。狭くひしめき合った競争社会は陰湿だ。「君があの有名なマザコンなの?お母さん、随分はしゃいでるね」などといわれることもあろう。

    他人を認めない、蹴落とそうとする社会でそんな風な皮肉は日常である。母親の一言一句が知られることは、冷やかしの材料でしかないなら、学内の息子にとってプラスになることはない。彼女の自己顕示は満たされても、「恋愛禁止をよく守ったよな~」など、皮肉の種がいいとこだ。そんなことで目立つ必要はなく、実体として何も分からぬ方が色眼鏡で見られないで済む。

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    親がでしゃばらず、陰で子を支えるのが愛情であって、自分がちやほやされたいのはただの自己顕示欲とみる方がわかりやすい。思い余った息子から、「母はそこらの普通の母と同じで、自慢をしたいだけなので大目に見てほしい」などの声をあげさせている。いかに自分が自己完結したとしても、成長途上こどもの将来を考えるのが愛情なら、自分の手柄などどうでもいいこと。

    親が自己完結の様相を見せればこどもにも伝わろう。難しいことではない、親はこどもの幸せだけを願って、自分の得点をあげたいために周囲に自慢することはやめるべき。こども自慢=親自慢ではなくこどもの幸せを節に望む。それを大坂なおみ母娘の抱擁に感じた。あの母も苦労しただけスケールがでかい。それこそ、「わたしはなおみを産んだだけ」と言いそうだ。

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  • 09/12/18--16:10: 親子とは何か? ④
  • この世の物すべてを解明して人生を終えたい。というような大それたことを願うほどにマヌケではないが、身近な問題に思考が及ぶのは生きてる証といえる。生まれたときから自分に指示命令をし、立ちふさがる得体のしれない親とは一体何なのか?自分が親になってみれば多少の理解はあるが、受けると与えるでは根本がちがい、受けたものの辛さが消えることはない。

    親子の愛情というのは血のつながりに根差すものではなく、親と子らしい生活関係から生まれてくるのは疑いようのないこと。こんな想像をする。生まれた子どもを捨ててどこかに行ったとする。数十年を経て成長した息子に会い、「お前の父だ」といいたいものか?相手も迷惑だろう。それが親子か?どこが親なのか?血がつながりか?で、それが何だというのか!

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    他の男がどうかは別にして自分的にはあり得ない。先にも書いたが男親ってそういうもの、身勝手を超えて自己断罪に生きるもの。生き別れの息子を遠きから眺める母の思いは分からぬでもない。一目会いたい気持ちも分からぬでもない。陰から眺めるのはいいが、子どもの前に現れ、「実の母ですよ」などの行為はすべきでない。子どもに何の得があるかを考えるなら…。

    「生活のつながり」による、自然的・必然的に母子の愛情が芽生えるのは何ら不思議でない。「産みの親より育ての親」というくらいだ。ここでこんなことを書かずとも、誰もが育ての親の慈愛に一票投じるだろう。『海街 diarly』という映画を観たが、面白いから二度も観た。吉田秋生原作のコミックの映画化で、親に見捨てられ、親なしで生きる三姉妹の設定がユニーク。

    神奈川県鎌倉市で暮らすそんな三姉妹の元に、15年前に離婚して家を出た父の訃報が届く。長女の幸は次女と三女に葬儀に出るよう頼むが、幸は自分たちを捨てた父を許せず葬儀には出ない。ところが葬儀当日になぜか幸は現れる。そこで中学1年生の異母妹・浅野すずと出会う。三姉妹はすずを鎌倉に呼び、一緒に暮らそうと提案、すずもそれを受け入れ、4人の生活が始まる。

    そして一年が経ち、父の一周忌を鎌倉で行うことにした。今度は実母の都が北海道から駆け付ける。こども三人を捨てて男を作って家を出た母である。長女の幸は自分勝手な父も母も許していない。死んだ父と言葉を交わすことはできないが、葬儀に出席しないことで反抗の意を露わにしたのだった。母とは久々の対面だが、幸は母の一切合切が気にいらないのか激しく遣り合う。

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    都:(鎌倉の近所の大船に住む叔母(父の妹)との会話) 実はこの家を思い切って処分しようと思ってるんだけど…。庭の手入れだって大変でしょう?この娘たちだっていずれはお嫁にいくことだし。(おそらく家は父名義のままか、母名義に書き換えたのかはともかく、母の勝手な言い草にキレた幸が鬼の形相で母に食って掛かる)。

    長女:「勝手なこと言わないでよ。お母さんにこの家のことをどうこうする権利なんかないでしょ?庭の手入れなんかお母さん一度もしたことないじゃない。この家捨てて出て行ったのに何いってんの!」

    母:「なにそんなにムキになってんの。ただ、どうかな~って思っただけなのに」

    叔母:「はいはい、もうやめましょうね」

    母:「どうしてあんたはいつもそういう言い方すんの?悪かったと思ってるわよ。でも…、もとはといえば、お父さんが女のひと作ったのが原因じゃない」

    次女:「ちょっともう、ふたりともやめなよ」

    長女:「お母さんはいつだってひとのせいじゃない。私たちがいるから父と別れられない、おばあちゃんがダメっていったからあんたたちを実家に連れていけない」

    母:「だってしょうがないじゃない。ホントのことだもん」

    長女:「いい年してこどもみたいなこといわないでよ」

    叔母:「ふたりともそれでおしまい。さっちゃん、言葉が過ぎるわよ。仮にも母親じゃないの…、都ちゃんも女を作られるのはあんたにも悪いとこあったのよ」

    母:「だって…」

    叔母:「だってもなにもありません。この話はこれでおしまい。兄さん死んでてよかったわ、もう、なさけない」


    そもそもこの映画はバルザック風喜劇である。父がこども三人を捨てて家を出、父の再婚相手のこどもを呼んで4人で暮らす。そこに同じように子どもを捨てて北海道の実家に帰った母が現れる。妹たちを親代わりに守り育てきりもりした長女にすれば、こんな身勝手な親は火あぶりにしても気持ちは収まるまい。そんな幸は妹たちに対し小姑のようにうるさくなってしまう。

    「事実は小説より奇なり」というが、是枝監督はドキュメンタリー出身だけあって、場面のカットもセリフもリアルで細やかで才能を感じさせられる。こんな身勝手な親ならいない方がマシ、子どもだけで生きていける。「親はなくても子は育つ」というが、親不在のこどもたちだけの生活を是枝は、親がいないからこそこどもたちが情緒豊かに育ったといいたげである。

    2008年に起きた四川大地震のときに、中国人カメラマン・鄒森(ゾウ・セン)さんが撮影した、「母愛・地震」と言うタイトルの写真が話題になった。作品は翌年の中国国内の報道写真のコンテストで最優秀報道写真賞を受賞している。母親と9歳の娘は倒壊した自宅の下に下敷きになり、その後救助隊員が8時間かけて掘り起こしたものの、残念なことに二人はすでに亡くなっていた。

    よくみると母の手には一膳の箸が握られている。これは地震発生時に母と娘は食事中だったと思われる。母親は箸を置く間も無いままに娘をかばったのだ。これが自己犠牲的母の愛なのか、子を持つ母の当たり前の行為なのか、どちらであったとしても美しいものは美しい。母として当たり前の行為というなら、それを本能的母性愛というが、父であっても同じ行為をするに違いない。

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    親子関係がもっとも美しいと説いたのは誰なのか?確かにその手の話は多い。子どものころに読んだ『野口英世物語』では、囲炉裏でやけどを負った息子の母の寝ずの看病場面は今でも脳裏に焼き付いている。美しい母物語は、他にも何冊か読んだが思い出せない。美しい親子愛があるのは認めるが、親子関係こそがもっとも醜い事実は、先に述べた他人でないから起こる。

    美しい親子からも、醜い親子からも我々は学べばいいのである。良いこと、悪いこと、美しいこと、醜いこと、これらは天が決めたことではなく人間が決めたこと。子どもは無知で未熟であるから、子どもの良心形成の多くは、親から教わらねばならない。悪口好きな母親が、平気で他人や父親の悪口をいうとどうなるか?試してみたいならやってみるのがいい。

    そんな母親の結果はこどもに現れる。試さなくても知るのが知識である。人をいじめる子も親からのストレスを受けているという。どんなに母親が悪口好きでも、善悪を書籍や道徳から身につけた利発な子は、不甲斐ない親に批判を向けるが、子どもの多くは親の言動を踏襲するものとされている。したがって親は、子どもとの関係において、自分を抑制しなければならない。

    何をおいても子どもに対しては、自身のむき出しの醜い欲望は抑えるべきだが、思慮ない母親、感情むき出しの母親は、自身の欲望をさらけ出す。親がこどもに自己抑制すべきかを経験的にいえば、子どもに親の心を見透かされるからである。であるなら、「これはお前のために言ってる」などといったところで、子どもは親の都合で言ってることを見透かしている。

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  • 09/13/18--16:55: 親子とは何か? ⑤
  • こどもに見透かされるのは憐れな親である。一言一句のすべてをこどもに読まれていながら気づかぬ親は、親として機能していない。「本当にお前のためを思って言ってる」は親の常套句だがダメ教師も多用する。強調するところに信憑性がない。本当にこどもを思ってかどうかの判断はこども自身が感じることだから、押し付けるより真心を持って接すれば伝わるだろう。

    自我を抑えて親におもねるそんな心の弱い子は親の強権によってそのように育った。50代になって初めて親に逆らったという教師がいた。彼は親に反抗しない人間が立派と信じていた。反抗期がなかったのではなく、反抗期を悪として抑えていたことで、自我が真っ当な成熟をしなかった。こうの人と話すと分かるが、自我を抑え、自己を抑えようとするのがよくわかる。

    相手に反論するようなことは絶対にしない。相手に異論を唱えて自己を主張したい場合でもそれをしない。それでどうなるか?相手は憤懣を別の人間にぶちまける。ぶちまけられた人間が、自分に教えてくれる。「〇〇がお前のことに腹を立ててあれこれいってた」。自分の前ではいい子をしているが、腹に一物である。本人には言わず、裏では歯ぎしりするタイプは結構いる。

    おそらく親に反抗しなかった子、もしくは自分を抑えて人から良い人間と思われたい性向である。上辺と本心がまるで違う人間信用できない。「〇〇がお前の悪口をいってた」と他人から聞かされる場合の多くは、自分の前ではそんな素振りを見せないのが多い。こういう人間とは疎遠になるのが一番。悪口が嫌ではなく、信用できない人間の最たる者で避けるに限る。

    本当は嫌ってる人間の前で、「お前は嫌いだ」という態度や素振りを見せない人間にどういう態度で接するかは人それぞれだ。自分はこのようにいう。「お前は俺のこと嫌ってない?当たってるなら遠慮しないでいい。好き嫌いはあっていいし、無理してもストレスたまるしな」。人が誰を選ぶのも避けるのも自由だから気にしないが、思いや意思を表示をできない者もいる。

    上記言葉は、そういう人間への思いやり。だからか、嫌味でなくさらりというのがよい。言われた側は大概否定をするが、否定の仕方をみれば程度もわかる。「ごまかしても感づいている」という態度を見せておくのも思いやりだ。おそらく親の接し方、環境で、「いい子」は作られるのだろう。大事なことは自らの気持ちを正直に出させ、それを受け入れる親のキャパが求められる。

    「嫌なことは嫌だ」。こどもにそれを封じる親はいる。親はこどもの嫌なことを抑えつけるところがあっても、「嫌だ」という言葉すらを言わせないようにすると、こどもの精神は自己分裂をきたし、挙句は破綻するかも知れない。嫌なことでもやらねばならぬことは世の中多い。ならば、「嫌だ、嫌だ」と口にしてやるのが自然だが、エゴイスティックな親はその言葉さえ封じる。

    今の親は、「それが親に向かっていう言葉か!」などというのだろうか?これは親に対する口答えや反抗を戒める躾言葉だった。自分たちの世代は当たり前のように言われた言葉だが、言われてどう感じたかの小学生ころの記憶はない。「お母さん」と呼んだのは3年生くらいまでと記憶する。毎日が言い合い・喧嘩だから、「ババ~」や、「クソババ~」が常套句だった。

    親の言葉が嘘だと分かっていても言い返すとは限らない。言い返さない子だからといって、ちゃんと伝わってると思うのはマヌケな親。子どもが言い返さない理由はいろいろあって、聞いたふりをしておくのが得と思うのは、言い返すとその倍の言葉が返ってくることを分かっているからだ。言い返さないからと自分のエゴをこどものためと押し付け続けるとどうなるか?

    こどもはそういう親を疎ましく思うようになり、言葉に耳を傾けなくなる。前記した親の専売特許言葉の、「お前のため」、「将来のため」などを乱発しすぎると、こどもに見透かされ、終には見下される。だからか、私心を持たぬ親なら、「お前のためを思って…」などを口にせずとも思いは伝わるもの。言い返さぬをいいことに子を侮った親の結末は火を見るより明らかだ。

    こどもに背かれる親は、背かれるべくして背かれるが、親の身勝手な都合で強引にこどもの方向性を決めるなどすれば、余程洗脳された大人しいこどもは別として背かれぬ方がどうかしている。ただ、親の言いつけを守る子、親に反抗しない従順なこどもを良い子と感じるのは、親が権威を意識するからで、それが、「産んでやった」、「育ててやった」という言葉にでる。

    ボブ・ディランの『時代は変わる』の歌詞、「国中の母親、父親たちよ、聞いてほしい。あなたたちが理解できていないことを批判してはいけない。もし、手を貸せないというなら、せめて邪魔だけはしないで欲しい」にいたく感動した。ところが後年、ツルゲーネフの『父と子』を読んだときに、ディランもこの作品を読んだのだろうと感じた。そこにはこう書いてあった。

    「私には倅の言ってることや、やってることについて、何ひとつ理解してやることはできなかった。しかし、父親としての私の唯一の誇りは、倅のすることに対して、何ひとつ邪魔をしようとしなかったことだ」。そっくりそのままディランの詩に被る。親の誇りとは、原則として子の邪魔をしないこと、子のしたがることの援助をすること。つまり、子どもの主体性が先にあること。

    それがなぜに「誇り」であるかを説明する。「子どもが親の理解できないことをやって、それで子どもを信頼せよといっても無理だ。こどものすることに盲信していては親の責任が果たせない」という考えが一般的で理屈は通っている。が、親の責任というのは、子を信頼に値するような人間に育てあげることであり、親が理解できる範囲の善人に仕立てるのではない。

    親が安心できる範囲の行動につなぎとめたりすることではない。ところが保守的な母親はアレスチックに行っても、「これは危ないからダメ」、「これはいい」と支持をする。こどもは親が怖がるものを怖がるように、臆病な母親が臆病なこどもを育てる。母親が家庭を牛耳ったことで、脆弱で臆病でヘタレな男の子が増産されたのか。「リスク回避」を主導した結果である。

    「親の心子知らず」というが、「子の心親知らず」といわない。これも親の権威性を示すもので、たいていの親は子の問題に絡んで自分が被害者だと思っている。しかしほとんどの場合、子の被害の方がはるかに大きい。周囲や誰かから「過保護では?」のアドバイスを受けようと、親という名の「老人」たちは、ちょっとやそっとで自分の過ちを認めたり、改めるようなことはない。

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  • 09/14/18--16:09: 親子とは何か? ⑥
  • 親が子を大事にするということはどういうことか?子が親を大事にするというのはどういうことか?について考えてみる。良い上司というのは、部下の手柄を部下の手柄として賛辞するが、悪い上司は、部下の手柄をさも自分の功績のように上に報告する卑しい人間である。同じように、良い親とは前者に似たものがある。世界一のプレイヤーになった母の言葉を思い出す。

    「わたしは彼を産んだだけです」。この言葉の意味するものこそ親の子に対する真の愛情ではないか。なぜなら、どんなに素晴らしい英雄を産んだ母親であれ、ただその子を産んだだけなら手柄でもなんでもない。両親がどんな子を創造し産むということは、両親の意思や努力に何の関係もないが、こどもを自由にし、理解もし、積極的に協力して支えたからこそ道は開かれた。

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    これに疑いの余地はない。多くの精神的・物質的協力をこどもに与えたのも間違いない。にもかかわらず、「ただ産んだだけ」というのは、こどもが英雄になったのはこどもの意思と努力によって生み出された功績であるかのごとき振る舞いである。部下の手柄を横取りする上司ではないが、自分の手柄と言わんばかりの親はこどもへの愛情を超えた自己顕示欲であろう。

    それでも収まりがつかないのか、本でも書いてしまおうとする。「我が子を誇りに思う」のと、「世間に自慢したい」のは何の関係もない。大坂なおみはこう述べた。「 お母さんはこれまでずっと頑張ってきて、私もずっとその姿を見てきました。だから私もお母さんが一息つけるよう、結果を出したいと思い続けてきました」。母を大事にすることがモチベーションとなっている。

    「ママのいうことは絶対。だからママのいうとおりにやる」。この五嶋みどりの言葉とは似て非なり。自分にはまるでちがって聞こえる。大坂のポジティブなモチベーションに比べて、五嶋はネガティブなそれである。前者は愛、後者は義務。育ちの違いからくるこどもの差。自分の母も思うようにならないこどもに対し、「誰に産んでもらったと思ってるんだ!」を繰り返した。

    この言葉が如何にバカげたものであるかは子どもですら理解する。この世のすべての子どものなかで、産んでもらうよう親に頼んだ子どもがどこにいる?いるわけないにも関わらず、そんな言葉を吐く親がバカであるのは間違いない。残念ながら早い時期に子どもから見放された憐れな母親である。親はこどもに尊敬はされなくとも、「バカ」と思われたらおしまいである。

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    産んでもらったこと、育ててもらったことを無条件に感謝しろというバカげた説教をするなど、憐れを超えた情けない親である。育ててもらったことには、道徳的な感謝もないわけでないが、本来は産んだものの責任で、「した」、「したくない」の問題ではなかろう。それらから、子どもを産み育てる一切のことを、「恩着せがましく」いったり、感謝要求などはあさましい。

    男の子の心を知らないで育てる母親は多い。男の子を知らなくても育てられるが、あまりに男の子を子ども扱いすると、いつしか男の子が怖くなるほどに立場が逆転することがある。こういう場合の多くは、男の子が母親のバカげた言葉に我慢を重ねた結果で、自我が芽生えたころに爆発したとみる。「小さい頃はいい子だったのに、今は怖い」とこぼす母親はこういうタイプ。

    誰だって小さい頃はいい子で、反抗せずに親に盲信する。だから自我が芽生えた「反抗期」というものがあり、その時に対処を誤ると男の子はとんでもないことになることがある。男の子は論理的に物事を考えるので、ごまかそうとする親に不信感を抱く。男の子の疑問には理屈が必要だから、逃げずに論理で誠実に対処する。母親にできない場合は父親に委ねるのがいい。

    親の言うことを聞く子を良い子、そうでない子を悪い子とみるのは親の都合であるから、このことに固執する親からスケールの大きな子どもは育たない。「親のいうことを聞く子がいい子」ではなく、自己意識を持ち、目標や価値観を抱いてそれに向かって自発的に行動する子を親は望むべきだが、以下は男の子の心象を現した事例であり、親の言うことは絶対という時代のこと。

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    発端はというと、男の子が便所に行くときに母親が、「紙は持ったの?」と声をかけたが、そんな些細なことだった。その時のことをこう記している。「私は癪に触った。馬鹿にするな、便所に行くのに紙を持たぬものがいるか。このことだけではない、何かにつけて子ども扱いされることにむしゃくしゃするものがたまっていたのであろう。思わず私の返事の声が大きくなった。…」

    自我を意識するところまでの成長前にあっては、親の利己心との衝突は起こらないが、自我が芽生えた時期に親は子ども扱いを止めるべき。結局、「親を大事にする」ということは、親だから問答無用に大事にするのではなく、自分が大切にしたい気持ちが自然に発露するような親であるべきである。親孝行は義務でもなければ強要されるものでもなく、自発的なものでしかない。

    大坂なおみ選手は日本人であるのかないのか、そういう議論を何のためにするのかの賛否はあってもいいが、親の育て方と育った環境が性格に影響する。彼女のインタビューの受け応えがチャーミングという指摘があるが、そうした表層的なことより印象深いのは、思ったこと、感じたことを素直に言葉に出すところ。これはやはり日本人の女の子にはない資質であろう。

    彼女は、よそ行き言葉を言わない、意識もしない、いい子ぶらない、これを言うべき、これは言わぬべきという作意が感じられない。これを世俗用語でいえば、おりこうさん的な受け応えをしないということか。ではなぜ日本人がおりこうぶった物言いをするのかといえば、自分がみられているという意識が強いからで、だからありのままの自分を出さないし抑制する。

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    大坂なおみは自分がみられる意識で受け応えをせず、自身が主体的に相手を見ている。相手を見すえて自分をどう表現するかの受け応えである。彼女から受ける自由さには、"いいこぶる"の発想がない。誰の前であろうと自分は自分、だから自然に自己表現するというのが外国育ち。これを世俗的な言葉でいうなら、形式主義よりも実体重視の考えによる生き方であろう。

    少し難しくいうなら、日本人の生活様式に固有な、個人的衝動をきびしく抑圧するものがない。日本人がそうなのは常に他人を見て暮らすからである。他の面でも幼少時期から学校などで規律を重視され、がんじがらめに縛られることで、抑圧は無意識に子どもたちに内面化されていく。規律が人間にもっとも強く感化を及ぼすのは、三つ子の魂というように幼年期である。

    その後は、だんだんと個人的創意が認められ、自制的規律を遵守するようになる。したがって、もっとも自由でのびのびした幼少年期に過度の規制や不自由を強いられると、こどもの自由な創造性は喪失し、大人がみてちゃんとしたおりこうさんに変貌する。表面的な変貌ならまだしも、中身まで塗り替えられた子は、二度とない自由な時期を逸し、企画化された子羊となる。

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  • 09/16/18--15:48: 親子とは何か? 🈡
  • 親子に起こる問題は、世代断絶、価値観の違い・押し付けなどがある。さらには前記したように、15~20歳の子が5~6歳に人間として扱われるなど、ナルシスチックな家庭はこどもにとって牢獄である。「嫁にやる」という言葉も私有物的なニュアンスがあり、「嫁に出す」、「嫁つがせる」がいい。娘は一人の男と恋をするのだから、「やる」はいかにも傲慢な印象を抱く。

    「親子の愛は美しい」と決められているのではなく、「美しいものになり得る」であるから、「醜いものになり得る」こともある。母親の愛も美しいものになり得る場合もあれば、この世で最も恐ろしい存在にもなり得ることもある。「指導死一覧」をみると、1955年7月5日に小学二年生(8歳)の赤田治男くんが、鉄道自殺を遂げている。8歳の学童が教師に叱られただけで自殺?

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    当時の新聞記事によると、神戸市のある小学校で、学用品なを隠して遊ぶ、「かくしごっこ」がはやっていた。ある日、生徒が隠している現場を見つけた教師が朝の授業時間に、「平常こういういたずらをしてる人は立ちなさい」というと、12~3人が立ち、赤田くんもいた。教師は、「こんなことをする子はどろぼう学校に行きなさい」といった。赤田くんはこの言葉がこたえた。

    帰り道に級友の修一くんに、「帰ったらお母さんに叱られる。もう死んでしまいたい。君も一緒に死のう」といい、たまたま突進してくる貨物列車に遭遇、「死ぬ、死ぬ」と叫びながら列車に立ちはだかり、跳ね飛ばされた。事件の新聞報道は先生の、「叱り方」を責めた。確かに、「どろぼう学校に行きなさい」はいかにもどぎついが、週刊誌に投稿したある教師の記事が目を引く。

    「どこの学校でも行われている遊びや教師の叱り方より赤田くんが、『帰ったらお母さんに叱られる』と、母親をそこまで怖がらなかったら先生の叱り方だけでは、おそらく死んでいなかったろう。赤田くんは家に帰らなくて済むために列車の前に立ちはだかった」。自分も同じ考えにある。彼の最後の言葉は、「家に帰ったらお母さんに叱れる。死んでしまいたい」だった。

    真相は分からないが、赤田くんの母親が、学校で叱られたことや、よそで犯したいたずらや過失や、その他にも赤田くんの不平不満や怒りや悲しみなどをなんでも話し合える、そんなやさしく暖かい母親でなかったのは事実で、むしろ、こちらの方が自殺の要因と考えられる。幼い子どもには、子どもの立場を理解し、尊重し、子どもの主体性を保護するのが親の役目である。

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    赤田くんは優等生だった。ゆえに母親は優等生の暖簾に傷がつくことを怖れるがゆえ、赤田くんはプレッシャーに圧し潰された。彼がもし劣等生やいたずらっ子だったなら自殺はあり得ない。優等生の子は親が何を求め、自分に何を要求するか、どう管理されるか知っている。「あなたは母の顔に泥でも塗るつもりなの?」と説教されるのを怖れて死を選んだと見る。

    こうしたクソ真面目で融通性の利かない母は、自らのこどもへの愛情ではなく、おそらくこのような言葉を躾の柱とするだろう。「お前がお行儀よくいいこにしていないと、みんなに笑われるのよ」。さらに実母を思い出せば、「お前のせいで親が笑われるんだからね」である。自分はこの、「親が笑われる」という言葉には怒りすら覚えた。「お前のせいで親が笑われるだと…?」

    「だったら笑われるようにしてやろうじゃないか」となる。そうはいっても、ワザと悪事を働くとか、親が笑われるためにあえて法外なことをやるとかではなく、そんな言葉で規制をされてもまったく規制にはならなかったということ。「お前のために…」が嘘に聞こえ、「親が笑われる…」が知ったことではないとなると、親のこどもへの躾は崩壊しているといっていい。

    それでなぜ不良にならなかったかといえば、不良がバカに見えたからである。不良たちがなぜ不良をやるのかを考えるに、彼らは自身がバカだと思って、だからバカな行為をするのだろう。つまり、バカに見合ったバカな行為をするのだろうと自分には映った。それが答えなら、「彼らはなんであんな行為をするのか?」という疑問は解消されたも同然である。

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    成人式に大騒ぎをしたり、「族」にいう大音響で深夜にバイクを飛ばしたり、人に迷惑をかけることでしか、バカにとっての自己顕示はないということだ。やはり、バカでも人間は人から目立ちたいのだろう。自分はバカと見定めたものは徹底批判するとことがある。母親もそうであった。バカを批判しないで果たして批判するものがあるのか?そういう目だけは失わなかった。

    軍人気取りの体育系バカ指導者どもが、脅したりすかしたりの指導がやっと問題にされる時代となる。遅きに失すが、犠牲になったものたちは多い。バカにはバカなりの指導法があるのだろう。星野仙一が鉄拳監督で名をあげた(?)ときも、どんだけ無能なバカ監督と思っていた。落合が監督に就任する際、鉄拳を一掃を決めたが、「五年かかった」と後に述べている。

    日本のこどもの躾には、仲間外れや脅しなどがあるが、バカな親の常套手段でしかなく、そんなことでこどもの両目を失う事態があってはならない。傲慢・貪欲な親に我慢し、片眼を失いかけたこどもも憐れである。家庭で飼われる動物が、飼い主の言いなりになるのはバカなのか利口だからか?どちらにもみえるが、彼らはそのことを語ってはくれない。

    基本的に犬は服従、猫は不服従といわれる。どちらも飼い主にとっては魅力となるが、犬と違って猫は飼い主を、「主人」とも、「親」とも思っていない。故に猫は本能のままに生き、「飼い主を喜ばせよう」、「褒められたい」などの気持ちで行動しない。人間はどうか?人間は服従か不服従かは本能支配ではなく、大脳の思考の領域である。つまり、利害優先に起因するようだ。

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    それとは別に、反抗したいのにできないのは奴隷志向である。しかし、自由を獲得してきた人間の歴史をみれば分かるように、人間の歴史が不服従であるのはアダムとイブにまで遡る。神は二人に木の実を食べることを禁じた。アダムはその命を守ったが、イブは命を破り、アダムを唆して自身の不服従に加担させた。罪を分散しようとする女の企みが如実にでている。

    とまあ、唯物論の立場を信奉する自分が聖書の話を持ち出すのも、例えとしての効用である。自分は自由主義者であるが、自由とは何かについては種々思考した。それで分かったことは、キリスト信者にとっての自由とは、聖書に従って生きることだということ。仏教者もそうであろう。自分いう自由とは宗教を遮断するのではなく、いいところ、よき言葉はとり入れる。

    自由とは何か?幸福とは何か?それぞれ言われることはある。宗教的戒律はあっても信仰者にとってそれが自由である。信仰のない自分にも自由な「何か」の指針がある。「何か?」は「何だ!」と限定はできないが、人間個々はそれに沿って生きる。自由とはまた他者との違いを見つけることでもある。見つけて尊重すること。そういう大人になることも自由という。

    仏教者のなかでも親鸞は自由な考えを持っていた。「念仏を唱えて死んだときの極楽をあてにする」という迷信にとりつかれず、支配階級からビタ一文の援助も受けず、寺院も建てずにひたすら大衆とのつながりだけで伝道生活を押し通した。だからこそ、支配階級の利害に奉仕することなく、働く農民の人間的な欲求を支持し、それを宗教的な言葉で代弁し抜いた。

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  • 09/17/18--16:25: 自由とは何か? ①
  • 昨日の記事の最後に自由について触れた。おそらく自由について書かれた書物は1000や2000冊どころではなかろう。根拠のない想像だが、人間にとって、愛と自由と死はもっとも関心の高いものであって、それらについて多くが述べられている。人間は愛がなければ生きてはいけない。にも拘らず人は人を心から愛することができない。そこで宗教が生まれるのではないか?

    人間はまた自由が供与されなければ「生きた」とはいえない。自由といっても自分の自由と他人の自由がある。自分の自由が他人の不自由、他人の自由が自分の不自由であったり、これは人が人を拘束する状況であって、これを愛とはいわずエゴというが、人は人を束縛することで自由を奪う。自分に自由があるように他人の自由がある。他人と自分の違いに気づくのが大人。

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    人は他人の行動を自分なりに解釈するが、あくまでそれは自分が理解できる範囲内での解釈でしかない。だから、別の人間から見ると正しいとは言えない。お前の考えは浅いといわれることもあれば、間違っているといわれることもある。自分の考えを他人からそのように言われて憤慨する者もいるが、「なぜ浅い?」、「なぜ間違っている?」と問い返す者もいる。

    問い返すことで相手の考えを聞くことができるが、憤慨すればそれで終わることになる。自分と他人は違うのだと気づくこと、認めることが大人の第一歩といったのは、異なる考えを聞こうともせず憤慨する人間は大人ではないことになる。他人はみな自分と同じように感じるはずだと思っているのだろうが、こんな考えでは世の中を生きていけるはずがない。

    また、自分と他人は同じことをやっていても、その動機や目的も違っており、それを認めるところに自分の自由と他人の自由が存在する。同じ行為を自分の目的と同じでなければならないなどと、いちいち口出しする者がいるが、これも大人になりきれていない人間である。どういう目的で、どういう意図で、恋愛しようが結婚しようが、不倫をしようが他人の自由である。

    タレントが偉そうに同業者をいたぶるのはどうなのか?「偉そうに」というのは言葉通り、「偉くないから偉そうにする」であって、自分はバカだといってるようなもの。一口に恋愛といってもその動機たるや幅が広い。孤独を慰めたい者、恋愛相手に母なるものを求める者、異性に性的欲求を求める者、純粋に愛を育もうとする者、これら自分と違う人は当たり前に存在する。

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    人間の行為の動機はさまざまでも、究極的に人間は自分が望むものを、恋愛や仕事や友情や結婚から達成しようとする。多くは無意識の範疇だが、意識の中に起こせばこういうことになる。「自分の自由は他人の不自由、他人の自由は自分の不自由」と述べたように、支配を基軸とする人間関係において、自由な関係とはいつでも壊れうる関係といえなくもない。

    恋愛関係、夫婦関係、友人関係、いずれも壊れないのがいい、少しで長く続くのがいい、仕事場を変えないで長く勤めるのがいい、その他にも、「長いのがいい」というのが日本人の理想的な基本概念のようだが、「なぜ長いのがいいのか?」についてどう答えるのか?例えば親子関係について、子どもと親の成長スピードを考えてみるといい。明らかに成長速度は親と子で違う。

    子どもはものすごい勢いで成長するが、ピークを越えた親に成長はなく日々後退するばかり。これはどういうことかといえば、年ごとに親子の関係は変化をすることになり、ついに子供は親から離れていく。こうした当たり前の図式が頭にない親は、子どもの心身の成長を喜ぶこともできないで、自分がどんどん子どもに置いて行かれるように感じるのかも知れない。

    このあたりの人間の子どもへの執着心と愚かさにおいては、野生のライオンの方が賢いように見受ける。長く続く夫婦もいるが、それが普通であるとか、当たり前とかの考えに固執する時代は去りつつあるのか、破綻になるケースを異常とは考えなくなった。結婚に踏み切った時は互いが互いを理解できたとしても、努力の甲斐なく様々な理由で離婚に至ることもある。

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    友人関係や恋愛関係においても、自分のやることを相手が理解できないケースもある。理解できないだけではなく、苦情をいわれたり、制止を要求されたり、しかも強引に言われることになるなら、無理して関係を続ける必要はなく、友情の長さ、恋愛期間の長さを誇ることもない。互いのために付き合いを止めるべき。会社に長くいたからと、何で表彰されねばならぬのか?

    「あれは我慢の表彰だろ?」という皮肉も分からなくもない。長く居ればいいってもんじゃないだろ、確かに…。転職を悪といわれない時勢において、長年勤続表彰は消える運命にある。自由の意味を別の角度でいうなら、自由とは壊れることを認めることでもある。若き五輪のメダリストも組織に長く君臨すれば老害でしかない。「長い」に自由がない状況はあちこちに存在する。

    全ての「長い」を悪だといわないが、長きに及ぶ友人関係や結婚生活を終えるとき、いや終えたときに自由を感じるのは、そのことが如何に不自由であったかを示している。互いが互いを尊重し合う関係が長きに及ぶなら、それを良い関係といっていい。『愛は束縛』はサガンの小説。一度借りて読んだが、ピアニストの夫が資産家妻に依存しながら負い目を抱くストーリー。

    負い目を抱きながらも妻を支配したい男の心理。妻は自身の境遇も夫の心理も理解しながら夫を束縛し続けていた。が、妻の根底にある心情とは、いつの日か夫は自分の財産を必要としなくなり、自分から離れていくのではないかという恐れである。金持ちで美人だが支配的で嫉妬深い女に、果たして男はどういう気持ちで接していくのか?幸せになりたいのになぜ二人は不幸なのか?

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    愛とは内面から湧きおこる心情であって、物質的な財産や、愛とは対極の支配や嫉妬というエゴが幸せをもたらすことはない。愛とは自覚のようで実は他人が感じること。愛し合っていながらも痛々しくも哀れな男と女は、愛という錯覚の中に生きているのだろう。ただひたすら女の顔色をうかがいながら、機嫌を取りながら生きる男がいる。それを女が望むからだろう。

    当人たちはそれでいいと思いながらも傍からみると不幸でしかない。思うにこういう男は女に過大な期待をかけているからである。女に愛され、女にちやほやされることで自らが救われると錯覚している憐れな男。女に憎まれ、嫌われたら生きてはいけないと思う情けない男。行動の動機が自己の救済以外の何ものでないのを、身をもって示す去勢された男である。

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  • 09/18/18--16:12: 自由とは何か? ②
  • 母親の締め付けがキツかった子どものころ、どれだけ自由に憧れたことだろう。自分の求める自由とは、ただ母親から離れること。それだけで十分に自由であるように思え、離れてみると実際その通りだった。友人や仲間のことをボロカスにいい、「あんなのと付き合うな」と制止する。思春期時期には恋愛の邪魔をする。こうした行為が嫌がらせでないなら何だというのか。

    彼女とは河の土手を散歩する程度の純愛だが、母は不良女と罵り交際を禁じる。従わないでいると、なんと彼女の姉の勤め先を探し出し、姉に息子と会わないようにと頼みこむなど、やってることは狂人である。何が気に入らないという以前に、執拗な嫌がらせとしか感じなかった。母は気に入らぬことはいかなる手段を講じても阻止しなければ気が収まらない性格である。

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    が、そんなことは大人になって分かったことで、中高校時代には敵対する自分に対する嫌がらせとしか考えなかった。理由はともかく、当時も今も、そこまでする親はキチガイとしか言いようがない。親として、母として、女として、いかなる心理的理由があろうと、そんなものは認めることはできない。こんな異常者から逃れない限り、生きる実感など味わえるはずがない。

    それほどに母には決死の覚悟で反抗したが、それに対する仕返しが必ずなされることからして、決して自由を獲得するには至れなかった。母を亡き者にしないでよかった、自らを葬ることをしないでよかったのは正直な思い。そこまでせずとも離れることで解決する問題であり、ひたすらその時期を待てと言い聞かす。我慢とか辛抱とかは、展望があるからこそできるものだろう。

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    そうした、「展望」の二文字を掲げて親の横暴に耐えていた。辛抱や苦悩を題材にした小説などを好んで読んだが、何の希望や展望もないにも関わらず我慢をして生きた人たちに頭が下がる。「女工哀史」や、「からゆきさん」の話からは、自分の労苦や我慢などは屁でもないのを知らされる。それもあって、人間が耐えることは人間のもっとも優れた能力だと思っている。

    「信仰」や「宗教」を別にすれば、希望や展望なしに何かを耐えられる人たちについて、その人たちが何を支えにしたのかについての答えを未だ見つけていない。信仰を拠り所に耐えるというのは、自分にとっては人間的興味の対象外である。「宗教はアヘンである」という言葉がある。もちろん、敬虔な宗教者にとっては許されざる言葉、納得できかねる言葉であろう。

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    信仰を旨とする人の思いはそうであれ、宗教を成り立たせる要素には神や霊魂がある。肉体が滅びても霊魂は不滅であるとか、天国や地獄には否定的だった。「ヒマラヤを黄金と化し、さらにこれを二倍にしても、一人の人間の欲望を満たすことはできない」と、こうした釈迦の言葉には耳を傾けるが、人間の身もだえから生まれる宗教それ自体に興味は沸かなかった。

    人間の苦悩や身もだえに寄与する言葉が、宗教者であれ、賢者であれ、偉人であれ、隣の無学の老婆であれ、分け隔てなくとり入れる自分にとって、誰が言ったかより、何を言ったかが大事である。誰から授かろうとも心に沁みる言葉であれば権威の有無など関係ない。どの宗教であれ、神仏の愛顧を勝ち取るためにか、人間としての行動の正しさを要求する。

    多くの宗教が教祖らの特殊な能力や予言に満ちた言葉が実しやかに伝わるが、それらとは異質の現実的な行動規範に関する説教のなかには、人間の生き方を正しくさせるべく一般的に通用する教えもないではない。立派な教祖と崇める信者は少なくないが、そうした耳障りのよい言葉を吐く教祖が美しいからといって、その宗教が無条件に美しいとするのはどうであろうか?

    というのも、企業家や政治家がどんなに美しい言葉を吐いたとしても、実際問題として縄で後ろ手に縛られた企業家も政治家もいるように、彼らと宗教の教祖は同じ人間である。人間は言葉の生き物である。言葉と行動が違っても、それすら人間である。確かに信仰で変わったという人はいよう。ヒドイ人間だった自分だが、信仰なしで多少は変わったとの自覚がある。

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    例えどのような模範的な実例があろうとも、信仰が幻想の上にある以上、根無し草のもろさを持っている。つまり、信仰というのは教祖がぐらつけばおしまいだし、元より悪くなる可能性もある。オウムのことを例えていえば、彼らが信仰によって立ち直った精神力や持ちえた新たな生き方というのは、信仰によって得た幸福な実例というより、むしろ不幸な実例である。

    結局彼らは、根無し草程度の幻想しか頼りにするものを身近に発見することができなかったのだ。宗教以外の身近な事例をあげるなら、「玉の輿」結婚というのがある。「玉の輿」に乗っかることが女性にとって最高の幸せと誰がいったか、それにつられ、そのことを信じて、「玉の輿」に乗れる相手を探す女性はいるようだ。実際に見つけてたいそう自慢をした女性もいる。

    資産家の彼だから、欲しいものは何でも買えて、家政婦付きの豪邸に居住できて、高価なおべべに身をまとい、高級車に乗って子どもを学校に送り迎えする。それを「玉の輿」というのだろうが、なんでも買えてなんでも手に入るという自由さとは、所詮は相手に依存して得ているもので、自身が主体的に持ちえた自由ではなかろう。依存の悲劇は相手の気変わりで一変する。

    「玉の輿」婚そのこと自体を悪とは言わぬが、同じ自由とはいっても自由が生む悲劇も現実的に起こり得る。女は「玉の輿」と結婚するのではなく、男と結婚する純然たる事実。何処だかの資産家爺々に嫁いだ若い女が、夫が死んで後に期待すしたはいいが、「遺産のすべては県に寄贈する」という遺言書だった。「事実は小説より奇なり」というが、漫画より漫画的である。

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    母親から離れることだけが自由であった自分の子ども時代はさて、とかく「自由」という言葉の響きからは、「好き勝手に生きること」だと勘違いする人間も少なくない。100人の人に、「自由とは何だと思うか?」と聞けば、面白い答えが聞けそうだ。「好き勝手に生きること」、「好き勝手な行動をすること」、「誰にも縛られないこと」などの答えが想像できる。

    まあ、口ではいうけれども、人間が好き勝手に生きることも、好き勝手に行動することなどできるはずがないし、誰にも縛られずに生きていくこともできない。だから、本当にそれをやりたいということではなかろう。つまり、人間にとって真に自由などはあり得ないということになる。細かくいうと、世間の誰からも非難されず、法律からも制裁を受けずに生きられない。

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  • 09/19/18--16:12: 自由とは何か? ③
  • なにびとからも強要されず、すべてのことをを自分の意思だけで決めていけるのは、無人島に漂着した以外にはあり得ない。ロビンソン・クルーソーではないが、無人島ではそう生きるしかできない。誰にも相談できない、協力も得れない、自分の行為においても正しいか否かも分からない。それがいいのか?それが幸せなのか?というより、それ以外に生きる方法がない。

    そこでは自分が行ういかなる行為における善悪の定義もなければ、善か悪かを心配することすらもない。と…いいたいところだが、よくよく考えるとそうではない。善か悪かを考える必要はある。確かに、誰に気兼ねなく、したい放題にふるまうことはできるが、ただし、自分のためによくないであろうことはしないはずだ。それが自分にとっての善・悪の基準となっている。

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    無人島についたからといって、何もないから何もしないのは、自分にとって善とはいわない。石器時代の人間のように、魚を捕るための釣り針や棹を作ることも善である。そこで死にたいならともかく、何とか生きるために行うすべてのことは善となる。晴れたある日にたきぎを沢山拾い集めた。その後に幾日も雨が降れば、「ああ、善いことをしたんだ」と思うだろう。

    これをみても一人で生きていく際に、自分にとっての善悪は存在するが、これらは道徳的な意味での善悪ではない。人間社会における人間の善悪とは、自分がしたいと思うことでも、「悪だから」と止め、自分がしたくないことでも、「善だから」と行為することは必要だ。歩道を歩いていたら向こうから豊満な胸の女性が来た。すれ違いざまにその胸を触って通報された。

    駆けつけた警官はとりあえず、「何でそんなことをしたんだ?」と理由を聞くだろうが、「つい触りたくなったので」、「魔が差した」などと答えたところで、行為の犯罪を許してはくれない。「お前な~、いい歳こいてバカやってんじゃね~ぞ!」とお叱りも受け、書類送検される。人と人が共生する社会において、共通認識としてのルールが、道徳的な善悪と定められている。

    にも拘わらず同じようなことを繰り返すなら、彼は人生の多くの時間を獄舎に繋がれる。自由きままで好き勝手な行為の代償が獄舎なら、人が社会で自由に生きることは、自由を制限する必要がある。「人は自分の思うように自由には生きられない」。人間の善悪とは、人間が繁栄し、共同生活を行う中から生まれ、それが社会の発展ともにさまざまに変化したものである。


    無人島漂着者にとっては、彼個人の利害が善悪の基準となっている。しかし、社会が複雑になればなるほど、人間総体としての共同善が一筋縄ではいかなくなった。つまり、自分の利害と他人の利害とが、しばしば対立しあうのは珍しいことではない。それにはさまざまな要因があるが、分かりやすい一つの例をあげれば、需要と供給のバランスの問題もある。

    一流大学と三流大学があれば、誰もが一流大学に入りたい。中には自分はのんびりやりたいので三流大でいいと思う者もいるが、お金を出す親がそれを許さない。本人がしたいことをさせない親の傲慢が、こういうところから生まれてくる。挙句は無理をして一流大に入ったはいいが、勉強についていけず留年の連続で、遂には退学を余儀なくされるケースもある。

    親の見栄の犠牲になった子どもは少なくない。大した頭のつくりでもないのに近年の学習塾の隆盛もあってか、過去問をたくさん解いたことによる即席学力が幅を利かす時代でもある。近年に至っては学力はお金で買う時代と揶揄されている。こんなくだらない競争社会に誰がした?一流高校、一流大学に定員があることで競争が生まれ、どんどんエスカレートしていった。

    競争社会が生んだ多くの負の遺産の一つに、他人の不幸を望む人間が増えたこともある。学校も就職も競争なら、人は我が身の安全のためには他人の能力が高まらぬよう願うか、もしくは他人よりも能力的に向上が見込める塾などに籍を求める。皆が能力を高めて活躍すれば社会は発展し生活も豊かになるが、その反対を願う社会は、仕組みそのものが間違っている。

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    こうした構造的誤謬になぜ国は本腰を入れなかったのか?明らかに受験産業と官僚や政治家の癒着が見える。官僚も政治家も国のことより自分の生活を考える似非公僕に成り下がった。人間の基本は自己中であり、善悪の根本的な規準の心得を知り、問題点を把握していても、本気で取り組もうとはしない。ある文部官僚が危機意識から、「ゆとり教育」を打ち出した。

    ところが「ゆとり教育」は、あれよあれよという間に悪玉にされ、最終的に潰されてしまった。ケンブリッジ大のある教育研究者は、「ゆとり教育」をやり玉にあげた日本の内情について、「日本の生徒が世界一になる可能性を潰した」と述べている。試験でよい点を取るだけの教育に傾斜しがちな日本人への警鐘だが、その裏には巨大な受験産業の目論見がある。

    「ゆとり教育」が問題視されたのは、2003年に実施したPISA(国際学力テスト)の結果が2004年に発表され、日本の読解力の得点が下がったとわかるや、その原因として、「ゆとり教育」が槍玉に挙げられた。そうした批判に敏感に呼応した日本政府は、次第に数学や国語の時間を増やすようになり、2011年には、「ゆとり教育」のほとんどは廃止されることとなった。

    日本の子どもの、「15歳時点の学力」は世界トップレベルにある。が、「世界大学ランキング」では苦戦しており、大学生の“質の低下”を嘆く声も聞かれる。なぜそうなってしまうのか。国際学力テスト「PISA」で優秀な成績を収める5カ国を実地調査したクレハン氏は、「世界大学ランキング」は、学生の能力の高低を表すものではないとしながらも、日本独自の問題点を指摘した。

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    この件の詳細は省くが、「何が善で何が悪か」を探すのは、倫理学の根本問題である。このことで昔から多くの学者が頭を悩まし、多くの戯言も述べてきた。代表的に二つをいえば、「人間の欲望」を規準とするもの、もう一つは、「神の意志」を規準とするものである。しかし前者の問題点は、欲望に逆らい苦痛を犯して実現される、「善」についての説明がつかない。

    また、「神の意志」を規準とする学説においては、人間離れしたような頭ごなしの命令ともいうべく押し付けには納得し難いことも多く、「神の意志」であることを納得させるためには、「神」が確実に存在するという証明も必要となってくる。どちらであったとしても善悪自体が矛盾を持つものであるから、どのような説を持ち出し、規定をしたところで土台無理がある。

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  • 09/20/18--16:53: 松田優作とは何か?
  • もし、優作が死なないで生きていたら、今日が69歳のバースデイになる。一体どんな優作なのだろうか?ならばと、優作と同じ1949年生まれの芸能人をあげてみた。大竹まこと、オスマンサンコン、ガッツ石松がヒット。むむむむ…、ちょいアレなので、48年生まれを探すと、沢田研二、泉谷しげる、柄本明、前川清。な、なんと…、もうちょい広げて50年生まれを見る。

    神田正輝、志村けん、舘ひろし、梅沢冨美男、山本譲二、細川たかし、鹿賀丈史、綾小路きみまろ、宮川大助、滝田栄、と豊作だ。こその中から優作にふさわしいタイプとして、沢田研二、神田正輝、舘ひろし、山本譲二、鹿賀丈史の五人に絞ってみた。さらに体型的に絞られた(?)人を絞ると、神田正輝、舘ひろし、鹿賀丈史。最終的なイメージ選考で舘と鹿賀が残る。

    おそらく優作はこんな感じの69歳であろうか。そういえば鹿賀と共演した『野獣死すべし』はこれまでの野卑なイメージが一転、青白インテリ風な役所に驚かされた。この役を与えられた優作はクランクインの前、「役作りのために少し時間が欲しい」と、しばらくの間スタッフと音信を絶つ。その間に松田は10kg以上減量、頬がこけて見えるようにと上下4本の奥歯を抜いた。

    優作は台本を読んで独自の役作りをみいだすが、痩せ細ってスタジオに現れた優作のあまりの貧弱な容姿に怒ったのが監督の村川透である。「なんじゃ~お前のその腑抜けた身体は…、俺のイメージするキャラとはまるで違うぞ、コンニャロめ!」といったかいわずか、二人は激しい口論をしたという。さらに優作は役になりきるためには、足を5cm切断するとも語ったという。

    当時公表されたプロフフィールには185cmとあるが、前妻である美智子さんの著書『越境者 松田優作』によると183cmとなっている。本作品で優作演ずる主人公伊達邦彦の身長設定は、「180cm前後」もしくは「180cm以上」とされ、数値にさほど差はないが、完璧主義者優作にとっては納得がいかなかったようだ。それにしても足を切断するとは、どこをどうするのだろう。

    原作者である大藪春彦は主人公の伊達邦彦の経歴について、以下記している。伊達の生年は第二次世界大戦前。中華人民共和国黒竜江省ハルピン市生まれ。父英彦、母(名前不明)、妹晶子という家族形態で、父の英彦は精油会社を経営していたが、邦彦の物心つく頃には既に乗っ取られて建設関係の官吏となっていた。戦争が始まると英彦は兵士として狩り出される。

    北朝鮮の平壌で終戦を迎えるが、帰国船をよこさない日本政府に憤慨し、日本人集団で船を借りて家族と仁川まで脱出、徒歩と車で釜山に辿り着き、船で佐世保に着いた。故郷の四国に戻り、先に復員して県庁の土木課長となっていた父の出迎えを受けた。名門高校へ進んだ邦彦は、新聞部で天皇を罵った記事を書き、没収されて校庭で焼かれた後に一週間の停学処分となる。

    この頃、英彦が死亡する。邦彦は演劇部へ入り、複数の女性と関係。特に新納千佳子との恋と別離は痛手となる。千佳子が服毒自殺を遂げ、葬儀車を見つめているときに初めて「野獣死すべし」の不気味な不協和音の幻聴を聞いた。高校卒業後、プロテスタント系の神学校に入るも放校となる。 私立大学に進んだ邦彦は、射撃部へ入る。卒業後大学院に残り、アメリカ文学を専攻する。

    邦彦の原作からの経歴はその後、警視庁の警部を射殺、拳銃と警察手帳などを奪ったが、これが初めての殺人だった。院生時代も度重なる犯罪を重ねるとともに、修士論を書き上げる。さらには大学時代の同級生である真田徹夫(鹿賀丈史)とともに、池袋にある関東大学の入学金1600万円を強奪するが、口封じのために真田を殺害した後にハーバード大学大学院へ進学した。 

    という原作だが映画とはまるで違っている。映画の伊達邦彦は、東京大学卒のエリートで頭脳明晰で射撃の心得もある。大手通信社外信部記者で海外派遣で戦場を見てきた後通信社を退職、翻訳家をしながら読書とクラシック音楽鑑賞に没頭、社会とは隔絶した生活を送っていた。銀行強盗を計画した伊達はある日、大学の同窓会でウェイターとして働く真田と出会う。

    真田に銃の訓練を指導した後、遂に2人は銀行襲撃を決行するが、伊達に思いを寄せる華田令子が行内に偶然居合わせるという予期せぬ事態が起きる。行員達を次々と殺害し、地下金庫から大金を収奪すると逃走を図るが、そこにはマスク姿の伊達を見つめる令子の姿があった。令子は伊達と認識するが、伊達はマスクをはずし、躊躇うことなく令子に向けて銃弾を放つ。

    まさに圧巻のシーンである。真田に銃の扱い方を教えた伊達は、「動く標的」として真田の恋人殺害を強要する。真田は言われる通り恋人を射殺した。その際に伊達は狂気のごとく乱舞して真田に、「君は今確実に、神さえも超越するほどに美しい」と称え、社会性や倫理感を捨て去り「野獣」として生きていく術を説くのである。伊達が令子を殺すのは当然の所業であった。

    あの時の優作の形容したがい表情は永遠に忘れない。自分に思いを寄せる恋人を撃つ優作、思いを寄せる男に撃たれる華田令子役の小林麻美、二人の表情の対比が人間の獣と聖の両極を見せつけられる。令子はマスクを取った伊達に銃を向けられて顔色一つ変えなかった。避けようともしない。おそらく撃たれるなど考えもしなかったろうし、心の中は「なぜ?」が充満。

    令子は胸に銃弾を受けて、初めて事情を理解した。「自分は撃たれた」のだと。そして撃ったのはまぎれもなく想いを寄せる伊達であるのだと…。令子が撃たれて絶命までに何を思ったか。何かを思うというにはあまりに短い時間である。自分はこの場面で撃たないと思っていた。人間は人間にこんな哀しい死を向けられるわけはないと一人の観客として願っていたのが…。

    世の中に初めて「ニヒル」という言葉を登場させたのが、前出に紹介したツルゲーネフの長編『父と子』である。ニーチェの、「ニヒリズム」はその後になる。『父と子』は世代の対立の悲劇を描いたものだが、主人公のバザーロフがあらゆる権威を否定する性格で、そこからドイツ語の否定の語である、「ニヒト」から、「ニヒリズム(虚無主義)」と呼ばれるようになる。

    パザーロフの父親は、自身の思想や趣味から、「虚無主義」運動を否定していたが、息子には何ら干渉せず、邪魔をしなかったことを誇りといえることができた。映画『野獣死すべし』はある意味難解である。主人公伊達邦彦役の優作をクールと呼ぶファンはいるが、伊達邦彦は人殺しをなんとも思わないニヒリストである。令子を撃ったのも、一切のものを否定するニヒリズム。


    令子と距離を取ったこと、マスクをとって自らを晒して令子を撃ったことも、ニヒリスト伊達の令子への答えである。彼は憶することなく真の自身を令子に差し、令子の中の不可解な疑問の答えを出す。ニヒリストのニヒリズム的な愛の奉仕である。伊達に出会って知った恋の予感、出会わねば知ることのなかった殺伐の愛…、令子に束の間の幸せと不幸をもたらせた。

    「松田優作とは何か?」が、「伊達邦夫とは何か?」になったが、それくらいに本作品の優作は印象深い。見どころは多いが、あの場面の優作は好きではない。自分に想いを寄せてくれる美しいお嬢さんを殺すなんて…、「優作、それはないだろ?」が正直な気持ちである。がしかし、役者としての優作を堪能するこの場面は、道徳的善悪を超えて永遠に心に残る。

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  • 09/21/18--17:34: 自由とは何か? ④

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    「自由恋愛」という言葉がある。考えようによってはおかしな言葉で、人は誰もが自由に恋愛するのではないのか?強制的に結婚させられることはあっても、強制的に恋愛をしろといっても無理というもの。なぜに、「自由恋愛」という言葉が存在するのかを紐解くと、「自由恋愛」とは男女が互いの意思で恋愛することがよくないとされた時代に用いられた語句である。

    現代人にはピンとこないだろうが、かつては男女の恋愛に関して封建的な制約があった。戦前の家父長制度下においては結婚相手の選択権も決定権も親が握っていた故に自由な恋愛は許されなかった。親同士が勝手に決めて、結婚式当日まで本人は顔を見たこともない結婚もあった。こんにちのように自由に恋愛して結婚相手を自分で見つけるなどとんでもない時代である。

    不思議な時代だが、それが当たり前としてまかり通っていた。そういう時代だからこそ、「自由恋愛」という言葉が生まれ、親の反対を押し切って二人の気持ちだけでする結婚を、「自由結婚」といった。まだ、「恋愛結婚」という言葉がなかった時代である。愛情にもとづかない結婚に異を唱え、親の決めた結婚相手と挙式はしたものの、指一本触れさせずに逃げた女性がいる。


    彼女の名は伊藤野枝。野枝は家父長制度時代に恋愛結婚を遂げた勇気ある女性である。明治時代に恋愛結婚の事例は北村透谷ら、あるにはあったが野枝の場合は単に「恋愛から結婚へ」という成り行きを辿ったというより、思想的な確信のもとに「体制」の圧力や妨害や親族らの罵倒などの激しい闘争が敢行され、当時の「自由結婚是非論」の渦中に立った女性である。

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    野枝は親の決めた相手の家から挙式直後に脱出し、女学校時代の恩師辻潤の元に逃げ帰る。この騒ぎで辻は学校を辞職、野枝と結婚する。辻は野枝と昼夜を問わず情交を重ねたと回想しているが、二人の婚姻は続かなかった。野枝は自由結婚を失敗とし、1917年9月の『婦人公論』に、『自由意志による結婚の破滅』と題する論文を掲載した。書き出しは以下の内容である。

    「破滅ということは否定ではない。否定の理由にもならない。私は最初にこの事を断っておきたい。不純と不潔をたたえた沈滞の完全よりははるかに清く、完全に導く」。保守反動の輩は、「それ見たことか」と、自由結婚の破滅を野枝の敗北とみず、自由結婚そのものの当然における敗北といいたてた。昨今の離婚ブームにも同じ論調があり、同じ批判がなされている。

    他人の恋愛も、悲恋も、結婚も、離婚も、それぞれに千差万別の理由があり、性急に非難すべきものではないが、評論家気取りのタレントが分かったように批評するご時世で、そういった悪口罵倒を面白がる視聴者で番組は成り立っている。野枝はこうした思慮なき野次馬世評への抗議を辛らつに述べている。頭の良い彼女らしい、まこと一読に値する説得力ある文面である。

    最後に野枝は、自己弁護や言い訳に終始することなく自己断罪も忘れない。「私は自分の失敗に対しては、自分の不用意に責任を持たなければならないと思っている。それはほとんど、全てといっていいくらいに、私の心持や行為と、私の根本思想や態度との矛盾に対しての判断がはっきりしなかったためである。私は、自分の失敗から、これだけの結論を受け取った。」

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    野枝から湧き上がるのは、自己の意思と真の愛情を大事にし、それを妨げるものと闘った自由結婚者として我慢できない相手から逃走する勇敢さも分かろう。当時の多くの女性が自身の意思を無視、あるいは否定されて押し付けられた結婚にも従順でしかなかった弱さは、我慢すらでき難い夫の元でも従順であり続ける。統計上、離婚が少ないのはこうした理由もあろう。

    「私は私の恋愛には成功した。私は朝夕を愛人と共にする事が出来た。二人いれば、どのような苦しみもさほどには感じなかった。私達は本当に幸福であった。私達の生活の全部が、愛で完全に保たれた。けれど、それは夢の間だった」。彼女のこうした正直な告白も、失敗の陰に隠されるものでもない。結果が悪くても過程において満ち足りた日々はあったのである。

    離婚したからとすべて一切が否定されるものではない。「破滅は否定ではない」と、冒頭に野枝も述べている。自由結婚における野枝の最初の誤算は、彼女は辻潤と結婚しただけのつもりだが、実態は辻家の嫁になっていた事。彼女はこう記している。「そこには姑も小姑もいた。私達とはまるで違った思想、違った趣味、違った性格をもった、私にとってあかの他人がいた」。

    無理もなかろう、当時彼女は女学校卒業したばかりの17歳である。いかに才媛とはいっても社会体験は未熟である。彼女は自分の親とは闘えたが、姑や小姑など「あかの他人」に囲まれた辻家では闘えず、さぞやいびられたことだろうが、飛び出すこともできなかった。辻家を出ることは辻と別れを意味し、せっかくの自由結婚を放棄することになる。野枝は耐えたが力尽きた。

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    最終的に彼女は大杉栄と結婚するが、死ぬまで大杉野枝になることはなかった。彼女が選んだ同棲という形態は、失敗から学んだ結論の実行であろう。その点はフランスのボーボワールと同じ思想を抱いておたことになる。こんにちのように、結婚が自由なものであるなら、離婚もまた自由なものでなければならない。「自由とは壊れることを認めること」と先に述べた。

    古いものを壊して新しいものを生み出すのも自由な発想である。コペルニクスやニュートンやアインシュタインがそうであったように、古いものを壊す自由は誰にも止められない。もしも今、真理があるとしてもそれは暫定的なものである可能性が高い。これまで真理とされたものがどれだけ覆されたことか。となれば、真理は真理として通用している仮定でしかない。

    いつひっくり返るか分からない、そんな頼りないものにまともに取り組むことなどできない。我々の、「知る力」には限りがあるのは誰もが認めるところ。「今はそうだが、いつかはなくなる」、そんな普遍的な真理とされる一切が、思い込みの産物の可能性もある。「知る力」を無限に発揮させて真理を手繰り寄せればいいが、足りない「知る力」を補うものが仮定である。

    世の中には仮定となったままで止まっているもの、保留されたものは多いが、やがては仮定の域を脱することになろう。人間の歴史は戦いの歴史である。戦いといっても土地の奪い合いや戦争に限らず、人間を脅かす病原菌や疾病を撲滅する戦いに勝利してきた。そして今、人類を脅かす最大の敵である癌と格闘中だが、必ずや癌を撲滅するであろう事を信じて疑わない。

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  • 09/24/18--16:01: 自由とは何か? ⑤
  • 「自殺は人間の最後の自由」というのは検証する必要はなかろう。間違いなく自殺は人の自由な行為に違いない。生きることが辛く苦しい状況にあって、死ぬこと以外にその苦しみから逃れる方法がないなら、死を選択するのは仕方のないことかもしれない。が、思い立ってすぐに死ねるほど人間は単純ではない。死を敢行するまでの気持ちの成り行きは複雑・微妙だろう。

    すぐに死なないで迷うのは、本当は死にたくないのだろう。それでも死を実行するのは、死にたいが死にたくないに勝利した結果で、本当に死にたくなかったなら人は死なないだろう。死んだからには死を決意し、実行したのは分かり切ったこと。自殺者の遺書の中に、「ぼくは死にたくないです」、「本当は生きていたいけど、もうダメです」などの文言を見ることがある。

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    言葉通りの意味なら分かり難い意味ではないが、自殺をする人は死にたくない気持ちがすっかり片付いた後に自殺するとも思えない。おそらく生き延びたい願いの炎が激しく燃え盛るなかで我と我が身を殺してしまうのではないだろうか。生きたくないから死ぬのではなく、生きたいからこそ死ぬというのが自殺の矛盾であって、果たしてその矛盾を解くことは可能なのか?

    もし、人間が生きることだけを求める生き物なら、これほど多くの人が自殺をすることはない。人間の多くは生きがいを求めて生きているはず。生きがいとは一口にいえば、自由に生きることの喜びであろう。したがって、精神面や物質面において自分が求めているものへの到達の自由が塞がれてしまったと感じられるときに、人は手元の最後の自由の行使を考えるだろう。

    それが自殺である。このように考えるとやはり自殺は、"人間最後の自由の行使"と考えられる。さまざまな自殺の原因はあろうが、人間関係のトラブルが多いのではと察する。いじめや孤立感など人間関係の思い悩み、上司との関係や仕事上のプレッシャー、失恋や受験などの挫折感から将来を憂いての自殺もある。分からないのはいじめを苦にした子どもの自殺である。

    なぜ、死ぬ覚悟を決めた人間が、死ぬ気でいじめ加害者にぶつからないのだろうか?仕返しさせるのが怖いのか?核家族時代においては、兄弟げんかなどの怒りのぶつけ方・鎮め方のノウハウを得ない子どもが多いのか?兄弟げんかには心理学的な功罪がある。兄弟に上下関係は歴然とあるが、喧嘩の際には上も下もない。親子げんかも上も下もない。対等だから喧嘩になる。

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    戦いといっても、殴る蹴るの暴力ばかりではない。本音をぶつけるのも抑圧されていた気持ちを爆発させるのだから、言い合いも含めて喧嘩である。ある時期に自殺を考えた者は結構いる。自分もそうだが、多くの人間から自殺を考えたときの状況を聞いたが誰も遂行していないし、だから話が聞けたのであって、「なぜ止めた?」の理由の多くは、「死ぬ勇気がなかった」と聞いた。

    なるほど…。死ぬのは勇気がいるようだ。自分の場合、親への当てつけであったが、どう考えてもそんな動機で取り返しのつかない自殺は大きな損害に思えた。「親への当てつけ」というのは、被害者意識丸出しであって、それ以外に親を反省させる方法、悔いいらせる方法がないという短絡発想だった。自分の命と引き換えに親を反省させてどうなるというのか?

    自分は男の子だから、そんなことを論理的に延々と考えた。してその結論は、死ぬのはバカげているである。おセンチになったり、ナイーブになるから自殺を美化するのであって、そんあのは感傷的自殺と命名する。子どもの自殺、特に少女の自殺はナルシシズム的感傷自殺が多いのではないか?死ぬことによって、自らをヒロイズム世界に誘導するのだろう。

    少女はセンチメンタリズムを美化するのかも知れない。後先を深く考えないで、死んでいく自分を哀れなヒロインと見立てるなら、死ねば未来を失うという損得感情は沸かない。あくまで想像でしかないが、傷つきやすい多感な少女期の複雑な心情と解する。死ぬのに勇気は必要だが、感傷があればそれも死への誘いであって、自分という個体の損失は勿体ないという発想はない。

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    この世で生命の損失が何よりも勿体ないと思う。なぜなら、修復・再現は不可能だからである。壊れた機械のように修理は効かない。どんなにつらいいじめにあっても、死ぬのは損、勿体ないと考える子は死なないだろう。あるいは自分のように、バカげていると考えたりの子。自殺は最後の自由であるが、「最後」というところに含みがある。同じ自由でも、「自由を得る」ではない。

    「自由を使い切る」ということだ。死ぬために自由を使い切るというのも損ではないのか?しかし、苦しく生きていけない人にとっては、最後に用意された自由を行使することになる。自分の自由を害されることで生きがいを失うといっても、他の何か生きがいを探すこともできるわけだ。あるいはどんな人間も100%の願いが満ち敵って生きてるわけではないのだから。

    だれかれなしに不自由を生きている。こんな風に発想を膨らませていけば、目先のことは矮小化されていく。いじめは嫌でも、いじめられることが自分のすべてではなかろう。一日24時間の中で、いじめられる時間はそれほど多くない。もっとも、いじめを受けてるものにとって、多い少ないではないのかも知れぬが、多い少ないという考え方に持っていくことはできるだろう。

    自殺が一つの自由であるというのなら、自殺せずに済ませる道もあるということだ。それなのに、自殺一点に凝縮させて考えるから、自殺しか頭に浮かばない。自殺行為者は、広い視野、広い視点で物事を考えないのかも知れない。「子どもは大人を模倣する」。これは昔から言われることだが、もしも大人の自殺が少なかったら、子どもの自殺は減るのだろうか?

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    「禅の悟りとは、いつでも死ねることかと思っていたら、いつでも生きられることだった」と正岡子規は言っている。どんな過失やどんな失敗を犯そうと、思いつめることなく図太く生き抜いてやろう。生き抜くことの方が死ぬよりも難しいと子規は禅から受け取った。これに対して、「死ぬのがそんなにたやすいというなら、死んでみたまえ」と皮肉ったのが芥川龍之介。

    その芥川はこの三か月後に自殺したのだから、正岡を皮肉ったころの彼は死ぬことをしきりに考えながらも、なかなか死ねなくて苦しんでいたことになる。死ぬことの難しさ、大変さにイラついていたときに、気安く死を語る正岡に腹を立てたのだろう。正岡は22歳で肺結核、さらに脊髄カリエスを患った。腰から歯ぐきから出る膿みをたえず看護者にふき取ってもらっていた。

    それでいながら普通の人の何倍もに仕事を成し遂げる不屈の人生を送った正岡は、『病牀六尺』のなかで、「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならねば生きていても何の面白みもない」と述べている。正岡は句界に大きく貢献したが、34歳にて没した。確かに、死ぬことが苦になる限りにおいては、寿命がいくら延びたところで同じことかも知れない。

    人生において一番大きな、そして一番根本的な矛盾は、じっとしていても腹が減るのに、働かなければ食えないということ。これは芥川の箴言集にでもありそうな言葉だが真面目な問題で、我々の生命そのものの本質的な矛盾をついている。人は生きる努力をしないでじっとしていれば死ぬのよ。「命」の本質は死、無理に自殺などしなくとも、じっとしていれば死ぬ…

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  • 09/25/18--16:59: 自由とは何か? ⑥
  • 「働かざる者食うべからず」という言葉は誰もが耳にしたはず。にも拘わらず働かざる者が増えてしまっている昨今は、上の慣用句が何の意味もなくなっている。「働かぬ子に食わす飯などない」という親はいないのか?働かず引きこもる子に餌を与える親の心中は?時代も変われば新しい慣用句も生まれよう。「働かざる者に食わせる親がいる」と広辞苑にのせるべき。

    彼らニートたちは、人間だから生きていられるのである。人間以外の動物なら、とっくにくたばって死んでいる。グリーンランド東部のノバヤゼムリャ島は繁殖地であるカオジロガンは、捕食者から卵を守るため、高い断崖絶壁の上に巣をつくる。ヒナが生まれてわずか数日で親鳥はまず自ら崖の下へと飛び立っていく。そしてもう二度と崖の上の巣に戻ることはない。


    ヒナが巣にいてもである。カオジロガンは習性としてヒナのいる巣に餌を運ぶ本能行動がないからで、ヒナは今後は自分で餌をとらなければ生きていくことはできない。その為、親鳥の待つ地上に自らの力で辿り着かなければならないのだ。親鳥はヒナの来るのをひたすら下で待つ。崖の上から地上まで、その高さは100メートルをはるかに超えているが、翼のないヒナは飛べない。

    あとは映像にあるとおりで百聞は一見にしかず。決死のダイブは本能習性であろう。生まれて間もないヒナが考えての行動ではない。飛び立った、いや、飛び降りたヒナは途中何度も崖に体を打ちつけられてしまう。それはもう、見ていられない情景である。最後は崖から転がるように落ちてきた。心配でたまらなかった両親が近寄ってくるが、親は心配以外の何もできない。

    厳しい自然の中でもっとも過酷な生存の為の通過儀礼とはいえ、カオジロガンのヒナたちの勇気を心から称えたい。この映像を見たニートたちが、「ああ、人間でよかった」と思うのか、それともこの映像からなにがしかの触発を得ることになるのか…。彼らの自由裁量であろう。カオジロガンにはカオジロガンの、人間には人間の生き方があるのは疑いのない事実である。

    が、成長や成熟というのは誰かや何かに影響され目覚めることだから、人間がオケラやミミズに影響を受けたところで、何の悪かろうはずはない。引きこもりやニートたちがカオジロガンから何かを得たとしてもである。確かに巣(家)は安住であるが、彼らにも普通の青春の若者としてのもとの性質はあろう。伝統であったり、民族性への帰結であったり、あるいは反逆であったり。

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    逃亡であったり、そうした衝動をもって若者は存在するはずだ。それはまた、滅亡か新生を賭けて、新しい土地、新しい場所で、新しい生活を求めるためにだ。そういう自由が与えられていながらなぜに行使しない。家でくすぶっている若者たちはいつ巣立ちをするのだろうか?せっせと餌を運んでくれる親が他界すればなのか?そうであっても、そこにはもう若者はいない。

    人間は自由のもとに成長する。与えられているにも関わらず自由を行使しないなら、人間はその自由のもとに頽廃することもあろう。つまり、人間にとって自由とは、真に生き甲斐を得ることのできる自由であった。だが、またある人にとって自由とは、生き甲斐と自らの価値観を失ってしまう自由であった。このように考えるなら、自由とは人間の試練の場でもある。

    自由のもとに栄えていくか、自由のもとに滅びるのか?それら誤魔化しの効かない生き方によって、自らの存在意義を確信できる時代は過ぎてしまっている。二度とない青春を横臥したものにとって、若さとは香しいものである。貴重な時間とは知らずに過ごしたものの、貴重な時間であったのはそれなりのことを成したからだろう。何かをしないで何が脳裏を駆け巡る?

     たれかおもわむ鶯の 涙もこおる冬の日に

     若き命は春の夜の あゝよしさらば美酒(うまざけ)に

     うたい明かさん春の夜を

    島崎藤村の「春」の冒頭である。子どもの頃、天文学博士になりたかった。天体望遠鏡で星空を観測する子どもの漠然とした夢であった。本当になりたいというのではない他愛ないもので、当時の男の子の将来の理想像を、「末は博士か大臣か」と表現したのも世間的には最高の栄達と考えられていた。それに迎合していった訳ではないし、博士が単にカッコよかったからである。

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    ものしり博士のケペル先生、アトムを作った天馬博士、アトムを修理・管理するお茶の水博士、ロボット三等兵のトッピ博士、鉄人28号を作った敷島博士、ゴジラを研究する山根博士など、白衣をまとった博士は子どもの憧れだったが、ケペル先生は普段着だった。さらに日本人として初のノーベル賞受賞の湯川秀樹博士は、ノーベル賞を知らぬ子どもにも凄い人だった。

    ノーベル賞もしらない、湯川博士が何をしたかも知らない。高校物理で原子核内部の陽子と中性子が中間子をやり取りするのを教わった。それを発見したのが湯川博士である。もっとも湯川博士が最初から現物の中間子を発見したのではなく、当初中間子理論は仮説にすぎなかったが、「仮説を考えついた、思いついた」とは、くだけていえば、「閃いた」である。

    いろいろなものがトイレで浮かぶことは知られているが、博士は中間子のことを寝床で思いつき、二年後に発見された。「閃きも真実になる」。「嘘もつきとおせば真実となる」などという。これはエンゲルスの、「誤謬は真理となる」をもじったものか。確かに間違いは真理の現象であって、間違いを無限に改めていくことが真理の本質である。間違いを怖れることなかれ。

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    大事なことは間違いを改めること。無限の自己否定の彼方に真理はあろう。故に変革を怖れる者や現状維持を望む者の側に真理は現れない。唯物論信奉者として真理などの言い方は好きではないが、間違いを改める姿勢を崩さなければ、いつしか正しいものに近づいていくだろう。現状に固執することなく、変革を怖れず、失敗も気にしない、それが自由かも知れない。

    「日課」というのは日々の生活のなかで何かを自身に課していることをいう。自分ならウォーキングとブログだろう。前者は手軽な筋トレ、後者は気軽な脳トレかもしれない。確かに歩くのは身体の運動になり、文を書くのは頭の運動になる。「課す」は「強いる」とは違って強制でなく、「義務づける」ニュアンスがある。もはや義務づいてるならそれは生活だろう。

    生活とは、食う、寝る、出すがメインの自然現象で、ウォーキングもブログも義務意識はない。メシを食い、ウンチを出すように歩いている、書いている。習慣になると意識すらなくなる。では、モチベーションはどうなのか?食事やトイレにモチベーションはない。最近はコラボ、モチベーションなどと普通にいわれるが、前者は共同作業、後者は動機付けの意味。

    ということならウォーキングもブログも動機付けや意欲の低下はない。おそらく無意識の動機付けはあるのだろう。前者は健康のため、後者はボケ防止というような。意識をして始めたものが、意識がないでもやれるのが習慣というものか。日課を気軽に習慣といっていいなら日課である。カントは散歩を日課としていたが、自らを強いるでなく自然に靴を履いたのだろう。

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  • 09/26/18--17:17: 貴乃花親方に寄す ①

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    昨日は広島カープの三連覇で、選手もファンも大騒ぎの広島の街だが、135試合目にしての長い道のりでの優勝だった。長いといえば長いが、それだけファンもヤキモキ、一喜一憂させられる、それがまたファンにとって、選手にとってのプロ野球である。それに比べて大相撲の15日はあっけない。場所が始まったと思えば、「え?もう千秋楽?」と、わずか2週間の決着である。

    大相撲人気とプロ野球人気が異質なのは、個人とチームの違いもあるが、数年前には八百長問題や力士の野球賭博問題でテレビ中継中止という陰りもあった。それにもめげず相撲人気が回復した理由の一つは、貴乃花親方が打ち出したサポーター制導入など、これまで相撲界では敬遠されがちだった積極的なファンサービスなど、「親しみやすい相撲」を作り出していったこともある。

    取り組みが行われる会場には以前にはなかった、たこ焼きやおでん、ピザなどの売店が次々と並び、プロ野球スタジアムのようなビールの売り子も登場した。また、横綱に赤ちゃんを抱っこしてもらえるという「特典付きチケット」が販売されるなど、新企画も続々と投入され、Twitter、Facebook、LINEといったSNSにおいても相撲に関する情報が発信されるようになった。

    そうしたソーシャルメディアの影響もあって、ジジ・ババ人気の相撲から若者の相撲人気も高まったが、なんといっても、若乃花・貴乃花時代は忘れることができない。兄弟力士といえば逆鉾と寺尾も人気があったが、やはり兄弟横綱には及ばない。極めつけは平成7年11月場所の二人の優勝決定戦である。なかなか実現しない取り組みがリアルに起こって大騒ぎとなった。


    それから5年後の平成12年3月場所、5日目に栃東戦で敗れて2勝3敗となり引退を発表する。若乃花は引退後年寄藤島を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職、29歳だった。貴乃花は兄引退の3年後の2003年1月場所の9日目に引退を決める。引退後は一代年寄貴乃花を襲名する。

    引退から二年後、貴乃花は協会運営などに関する持論をメディアで繰り返し発言し、その挙動が連日マスコミを連日にぎわせたことで相撲協会内との確執が表面化した。見かねた役員全員が口頭で貴乃花を厳重注意し、この時ばかりは本人も頭を下げている。 やはり改革は内部からと決断したのか、2010年1月場所後に行われる理事選に急遽立候補することを表明した。

    2月の相撲協会理事選挙は10人の改選で、5つある一門ごとに理事候補を調整し、無投票で決定するのが慣例であった。貴乃花所属の二所ノ関一門は既に現職理事の放駒と二所ノ関のほか、新人の鳴戸が立候補を予定し、これに貴乃花が加われば4名となる。前例のない事態に二所ノ関一門は候補者選定会議を開き、4人の中で最年少であった貴乃花に立候補を断念させる方針に傾く。

    ところが貴乃花親方は2010年1月8日に一門を離脱し単独で理事選に出馬することを正式に表明した。これを一部マスコミでは、「貴の乱」と称した。さらに2010年1月17日の1月場所8日目、6年半振りに大相撲中継で正面解説を務めた貴乃花は、テレビの前で理事選立候補の所信を表明した。 なりふり構わぬ貴乃花の行動に対し、二所ノ関一門は同年1月19日に緊急会合を開いた。

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    そこで下された結論は、貴乃花を支持する間垣、阿武松、大嶽、二子山、音羽山、常盤山の親方6人および間垣部屋、阿武松部屋、大嶽部屋の3部屋は事実上破門された。既に一門からの離脱を表明していた貴乃花親方と貴乃花部屋に対しても、同様の措置が執られた。同時に二所ノ関一門からは現職の放駒と二所ノ関のみが立候補し、鳴戸は立候補を断念せざるを得なくなった。

    4期(8年)ぶりに評議員の投票で、11人が10の理事を争う形になったことを受け、武蔵川理事長はこの騒動を厳しく批判した。貴乃花の固めた票は上記7親方の票だけで当選ラインの10票まで届いていないために苦戦が予想された。2月1日の理事選の投開票では落選という予想に反し、上記7親方の票以外にも他の一門から3票の上積みがあり、10票を得て当選した。落選は大島親方だった。

    新理事会の結果、理事長は武蔵川親方の続投となるも、相撲界にも新しい波の到来かと期待もあり、その旗手としての貴乃花親方を、一部のマスメディアは「相撲協会の革命児」と報道している。 貴乃花とその支持派閥は暫くの間、マスメディアで「貴乃花派」、「貴乃花グループ」と呼ばれる派閥を形成し、合同で稽古を行うなど一門に準じた形態で行動していた。

    協会としてもこの状態を放置しては、貴乃花いじめとメディアが騒ぎ立てるばかりで、それを懸念してか2014年度より他の一門と同じく協会から助成金を支給される待遇を得たことを契機に、同年5月23日から正式に「貴乃花一門」となった。これによって、これまで5つの頑なな一門構成が1つ増えることになる。これを機に貴乃花は理事とは一線を画し、独自の主張を繰り返していく。

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    2010年7月4日に行われた臨時理事会では、大関・琴光喜が野球賭博に関与して解雇処分になったことを不服として、貴乃花親方は処分軽減ならびに現役続行を強く訴えたが、外部理事からの反発で却下された。また、理事選にて自身を支持した阿武松の弟子と床山、それに大嶽が野球賭博に関与して処分の対象となったことも背景にあり、貴乃花親方は理事の退職願を提出した。

    これは保留扱いとなり受理はされなかった。その後、貴乃花親方は部屋の朝稽古を見た後に退職を撤回した。男の一言を翻したことで協会内からの批判はあった。このあたりのところを見ても貴乃花親方の性格が読み取れる。敵と味方を明確に区別し、感情の起伏が激しく一時的に盲目になってしまう。他人のために尽くす蓑をかぶり実は自己の保身優先でこれを「男気」といわない。

    この時の貴乃花は、「(退職願を提出した事実に関しては)何もお話しすることはありません」と明言を避け、「弟子の育成のことが常に頭にあります」と協会に残留する意向を示した。思い立ったら吉日が如くの感情的に振る舞い、冷静になると前言を翻す行為は、男としては見っともない。二所ノ関理事(元関脇金剛)は、協会内部を代表してか、辛らつに貴乃花を批判する。

    「とんでもなく無責任すぎる。あれだけ立派なことを言ったのに。誰が見てもおかしい。何のために理事になったのかね」。二所ノ関一門を離脱し、「改革」を掲げて当選した貴乃花理事の今回の行動に対し、残留という形で矛を収めたものの、貴乃花への不信感は免れない。一匹狼を気取ってみても、こんなことでは協会内での立場は厳しいものとなるのは当然であろう。

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    大きな志を掲げて進む人間というのは、その信念を疑われるようなものがいささかも虚偽でなきよう振舞わねば不信は増す。三島由紀夫の言葉を借りるなら、「行動の美はあくまでも孤独に関係する。男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動というものが最終的には命を駆ける瞬間にだけ煮詰められることと関係している」。三島は最終的に、「一回性」に辿り着く。

    我々の人生とは、うつろいゆく時間から成り立っており、何ひとつ再び戻ってくることはない。己の口から吐いたことを翻すのは、時間の経過に逆らい過去に戻ること。このようなことを繰り返す人間に、その時その場の責任感などあり得ない。よくよく考えないで発言・行為するバカならともかく、明晰なる男子は不動の信念を軸にあらゆる、「一回性」を生きねばならない。

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  • 09/27/18--16:14: 貴乃花親方に寄す ②
  • 突然の引退、親方廃業、残されたのは弟子、かくして平成の大横綱は終焉せり。協会への恨みつらみ会見には、感動的の「か」の字も沸かない。あれが貴乃花という人間の貴乃花的生き方というなら我々は黙って貴乃花を眺めるしかない。黙って眺めることはできても心に種々を感じるのが人間である。自分は貴乃花をどう見た?相撲協会をどう見たのか?その思いを言葉にする。

    貴乃花親方の突然の廃業は、かつて同部屋の兄弟子で、引退後も昵懇であった元関脇貴闘力にとっても寝耳に水だったらしい。テレビでそう公言した。断絶中の実兄花田氏も驚きを隠せなかったようだ。貴乃花親方は弟子の暴力騒動が発端となり、協会役員を解任されて以降、協会内で孤立無援状態だったというが、25日に急遽引退会見を行ったのはそれなりの理由があるという。

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    その理由とは、25日の番付編成会議と27日の年寄総会出席を避けるためといわれている。年寄総会に出席せねばならない貴乃花親方だが、年寄総会では親方が内閣府に提出した告発状が議題のひとつになる予定だったという。この問題については3月場所終了後の年寄総会においても散々つるし上げを食らった貴乃花親方だったが、気丈にも最後まで自分の非を認めなかった。

    協会の親方衆にとって、自分たちの生活圏を脅かす貴乃花親方の言動は許せない存在で、総会で再度つるし上げを食らうのは分かり切ったこと。しかも親方は審判部所属のために出席義務がある総会前日の番付編成会議において、包囲網を敷く親方たちと数時間もの間、顔を突き合わせなければならない。これはプライドの高い貴乃花親方にとっては我慢のできないことだ。

    そうした憶測から急遽しつらえた25日の引退会見といわれた。そのあたりを察知したのか協会の芝田山広報部長も、「貴乃花親方は退職届を出すべきで引退届は受理していない。よって番付編成会議には出席義務がある」と、これはいじめとしか言いようのない追い打ちだ。貴乃花は両日ともに欠席、あたらに退職届と千賀ノ浦部屋への弟子転籍に関する書類を代理人が提出した。

    貴乃花親方自らが姿を見せず、代理人が受け付けに書類を置くのみという手法に、いつもは甘い笑顔の芝田山部長もぶちきれた。「あれだけの大横綱。しっかりケジメをつけてもらいたい。彼のこれからの人生のためにもきちっとしないと」と声を荒らげた。書類も重要だが、大事なのは仁義。まずは八角理事長に願い出るのが筋とし、貴乃花親方に対し、協会に来るよう命じた。

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    「告発状は事実無根」とする協会に対し、「真実を曲げて告発は事実無根だと認めることはわたしにはできない」と貴乃花はいうが、これは言った、言わないの水掛け論である。ただ、こうなる以前に親方は告発状について協会に、「認識が違っている部分があれば教えて欲しい」と注文を出し、それに対する協会の「事実無根」である。協会は八百長問題のときもこう突っぱねた。

    貴乃花親方の告発状の中身は内閣府の関係者がいうところでは、言い掛かり、イチャモン、こじつけのオンパレードだったらしく、「部屋で暴力事件を起こしていた春日野親方(元関脇栃乃和歌)に理事の資格はないと指弾し、貴乃花親方が落選した理事候補選の選挙方法にも問題があるとし、記名式の投票は公益財団法人としていかがなものかと主張している」と語っている。

    理事候補選についてある親方はこう指摘する。「前回の理事候補選は理事にふさわしいと思う親方の名前を記入する方式で行われた。貴乃花にすれば、筆跡で誰がどの親方に投票したのか分かってしまう。自分の名前を書けば執行部に目を付けられるのを怖れて票が集まらなかったと言いたいのでしょう。貴乃花にすれば選挙で親貴乃花の裏切り者をあぶり出す目論見があった。

    ところが、フタを開けてみれば獲得票は自身も含めてたったの2票。ほとんど全員に裏切られていた。春日野批判にいたっては、どのクチが言うかと言いたくなる。貴斗志裁判の裁判記録には、貴乃花自身が付け人を殴ったと書かれている。後に貴公俊が付け人を殴ったことが明るみに出て告発状を取り下げたものの、自分のことは棚に上げた完全なイチャモンですよ」。

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    貴斗志裁判とは、2014年10月18日の朝稽古中に幕下貴斗志が貴乃花親方から、「不良みたいな態度を取りやがって。荷物をまとめて出ていけ」などと怒鳴られ、部屋から追い出された。 貴乃花親方は元貴斗志について、「起伏の激しく、精神が乱れることが多々あった」、「やる気がなく、力士の模範とならず更生も望めない」と判断し、同20日に引退届を提出した。

    裁判記録で浮き彫りになったのが貴乃花部屋内の暴力問題。貴斗志は、09年初場所でともに初土俵を踏んだ同期で、当時すでに幕内の関取だった貴ノ岩と暴力騒ぎを起こしている。元貴斗志の主張によると、14年4月に番付上位の貴ノ岩が、「お前、挨拶もしないのか」と絡んできたため、「すみません」と謝ると、「お前何様のつもりだ」と平手で3発殴られたという。

    とことが貴ノ岩は法廷で、「貴斗志が『あんたの若い衆(付き人)ではない』と殴りかかってきて、喧嘩ではなく一方的に暴力をふるわれたのが真実」と反論している。貴斗志は、「格上である関取に手を出してしまったことでのけじめが必要」と一旦は引退の意向を示し、断髪式も予定されたが、相撲への強い思いから撤回。その半年後に師匠から追放されたことになる。

    かつて貴ノ岩の付き人で14年名古屋場所を最後に引退した貴翔馬も以下の証言をした。「貴ノ岩関は私には暴力を振るうことはなかったが、他の力士には先輩、後輩関係なしに暴力を振るったり、新弟子時代から先輩力士に対して聞く耳を持たなかったり、いじめていたのはよく知っています」。日馬富士の被害者貴ノ岩が、実は部屋内では毎日のように暴行を振るっていた。

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    貴乃花親方は貴斗志が引退に至った経緯について、「貴ノ岩の印鑑を使って、協会の経理に巡業手当を取りに行き、そのまま着服していたため」と証言。「(貴斗志に)問いただしたところ答えないので、『答えないではすまないぞ』と言いました。彼はそのあと部屋を出て行きました」と説明している。ところが貴乃花親方は、元弟子の貴斗志から訴えを起こされた。

    その際、このように述べたという。「ウチを辞めていったオキ(元貴斗志)が裁判をかけてきている。あいつはカネをふんだくりたくて、裁判をかけてきてるんだ。同じ釜の飯を食った仲間なのに。そんなヤツに俺は負けるわけにいかない。若い衆、力を貸してくれ。証言してくれ。オキの悪いところを知っているやつは全部俺に教えろ」と力士たちに協力を求めたという。

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  • 09/28/18--16:02: 貴乃花親方に寄す ③
  • 元横綱日馬富士に暴行を受けた貴ノ岩が、逆に“暴行疑惑”で昨年12月に東京地裁へ証人として出廷していたことが判明。引退した貴乃花部屋の元幕下貴斗志が日本相撲協会を訴えている民事訴訟で、3人の元力士が貴乃花部屋で行われていた暴力の実態などを証言。貴乃花親方と花田景子夫人も貴ノ岩と同日に証人尋問で出廷した。訴訟は18年2月23日、和解が成立した。

    貴斗志将吏は埼玉県越谷市出身で、小学5年生で双子の兄(将匡)とともに相撲を始める。その後、兄弟で茨城県の東洋大牛久高校に進学。2008年のインターハイで同校を団体の部初優勝に導く。高校卒業に合わせて父親の勧めで貴乃花部屋に入門。翌2009年1月場所に貴斗志の四股名で貴月芳、貴ノ岩とともに初土俵を踏む。同期生には他に宝富士、皇風、徳勝龍、東龍らがいる。

    貴斗志は2014年11月場所は自己最高位の西幕下3枚目に昇り十両昇進も射程圏内に入ったが、この場所が始まる直前に所属する貴乃花部屋から突如自身の名前が消え、場所後の11月26日に正式に引退が発表された。しかし、この引退は自身の同意もなく、師匠の貴乃花親方の一方的なものとして、2014年12月に日本相撲協会に対し地位確認などを求める訴訟を起こした。

    貴斗志裁判の一審では原告側が敗訴となり、東京高裁において控訴審が行われたが、控訴審の際に原告側から提出された貴乃花部屋出身の元力士A氏の陳述書によると、A氏は貴乃花親方の付け人をしていた現役時代を振り返り、部屋内でのいくつかの暴力沙汰について証言している。その中で、「師匠(貴乃花親方)からひどい暴行を受けたこともありました」と語っている。

    陳述書によると、事件があったのは13年11月の九州場所中のこと。貴乃花親方が急遽、審判部長の代理をすることになり、A氏は紋付き袴のアイロンがけを命じられた。ちゃんこの準備などの仕事もあり忙しかったA氏は、本来の仕事である衣類の洗濯を、同期の力士に依頼。ところが翌日、A氏は貴乃花親方から呼び出された。その時のやり取りは以下のようである。

    「ちゃんこの準備をしていると師匠から呼び出され、洗濯ものがない、着るものがない、と言われました。調べてみると頼んだ同期の力士が洗濯を忘れてしまい、洗濯前の衣類が下の階に置いてありました。私がそのことを師匠に報告し謝ると、師匠は私の胸ぐらをつかみ、まず平手で10発くらい往復ビンタし、その後、こぶしで私の顔面を10発以上殴りました。

    私の口の中は切れ、血しぶきが飛び、師匠の部屋の壁と下着姿の師匠のTシャツに血がついたのを、私はみました」。A氏はさらに、貴乃花親方が指輪をつけた拳で他の力士の顔を殴り、その力士が出血したこともあった、とも証言している。A氏は元日馬富士の暴行事件では被害者となった貴ノ岩から暴行を受けたと証言している。これらの証言が本当ならば穏やかではない。

    これについて貴乃花部屋の代理人の弁護士は、「いずれも事実無根の話です。このような事実無根の話を報道されるようなことがないよう、慎重にご対応されることを要望いたします」と、貴乃花親方と貴ノ岩が暴力を振るったという裁判での証言のすべてを強く否定した。しかし、貴乃花部屋の元力士のB氏はこう証言する。「師匠はアップダウンの激しい人。

    ニコニコしているのはアップの時、ダウンの時は部屋の力士、景子夫人にしか見せない別の顔がある。協会で何か言われると嫌な顔をして帰ってくる。貴乃花部屋では、断髪式をやってもらった力士って少ないんですよ。私もしていない。そういうことが多いこともあり、部屋を辞めた力士は引退後、あまり相撲界のことを話したがらないんです」。確かに誰にも裏の顔はあろう。

    問題は裏の顔そのことではなく、暴力を引き起こす人間かどうかであって、火のないところに煙は立たないということは往々にしてある。平成の大横綱として騒がれ、兄弟横綱として相撲界の人気に貢献した貴乃花と兄の花田氏の絶縁状態もそうだが、人気横綱貴乃花の足元が少しづつ崩壊しつつあるのは、日馬富士の貴ノ岩暴力事件が、ブーメランになった辺りからだ。

    当時貴乃花親方は協会の理事であった。「理事とはいわずもがな会社で言うところの取締役である。取締役には、「忠実義務」というのがあって、「忠実義務」というのは、「会社の利益を犠牲にして自己の利益を図ってはならない義務」。この定義に照らせば貴乃花親方の違反は明らか。「相撲協会の利益を犠牲にして自己(貴乃花)の利益を図って」行動と解釈されよう。

    「忠実義務」違反は、懲戒もしくは理事解任に相当するが、貴乃花親方の理事降格は想定内で、本人も覚悟の上だったろう。貴ノ岩が暴行を受けたとされる件についても、理事として相撲界全体を司る立場を度外視してこう述べた。「何としても弟子を守るのが私の務め…」。貴乃花親方は弟子こそ我が命のような言い方だが、協会役員という立場・認識が希薄なのは明らか。

    貴ノ岩の暴力事件に対する貴乃花の対応があまりに私憤的、独断的であり、少なくとも協会理事という立場での穏便な解決法をなぜ模索しなかったのか?いきなり被害届を警察に出すのが彼流の改革なのか?彼は役員である。内々の問題を話し合いで解決しなかったのが貴乃花の組織論的失敗である。組織の体質を変えようと組織に喧嘩を売っても逆に組織を敵に回すだけ。

    当時被害者と思われていた貴乃花親方が、加害者になるという逆転現象が起こった。この一件で親方は精神的に大きなダメージを受けたことになる。自身に投げられた石を投げ返すのはいいが、裏で身内がコッソリ石を投げていたとあってはマンガである。貴乃花親方があれほど拳を高く上げのは、組織改革の旗手としての自負だろうが、やってることは子どもの喧嘩だ。

    カッコよさを演じた者は、少しでもボロが出たり綻びが見えると、カッコよさは数倍のカッコ悪さとなって戻る。言葉は魔法のようなもので臆病者でも口では勇者になれる。できもしないことでも言葉の実行は可能だ。言葉に溺れず、出来ないことさも出来るかの如く公言しないよう留意している。人間は言葉の動物、誰もが言行不一致であり、それに甘えないことだ。

    言葉のない動物は言行一致も不一致もない。行動が自らの意思である故に分かりやすい。人間は自分の思いや気持ちを相手に伝えがたいために言葉を発明した。それがいつしか自分を偽るために言葉を駆使するようになった。なぜだろうか?答えは我が身に問えばよい。真実だけでは生きられないのが人間社会。理由はいたって簡単、人間は真実より利害を優先・重視する。

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