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父とは何か? ⑤

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昨日述べた目的のためにする勉強は、目的が適わない場合は徒労に終わる。予定の目的地を目指す旅も旅だが、行く宛てのない旅は立派でないとどうしていえるだろう。人の長き人生のどこの部分を切ってもそれぞれの人生である。どこからどこまでが自分の人生とは言えないし、そうであるような生き方をすることが必要ではないか。人生は尻切れトンボのようなもの。

このような考え方が母親(や女性)から非難されるとき、「ああ、自分は父親(男)だな~、男なのだ!」と実感する。さらには女性や母親と考えや価値観が違うとき、男でよかった、男親でよかったと思うこともある。母親に病理があるように父親にも病理がある。精神科医たちが父親や父子関係に言及することは、母親・母子関係の考察や研究に比べていかんせん乏しい。

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したがって、精神病理あるいは人格発達に影響を及ぼす父親の問題とは、現実の父親がどのようであったのかという事実的要素に加えて、子どもにとって父親とは何であるか、何をしてくれていたのか、何であったのかを知ることでもある。即ち、父親の問題とは、子どもがどのように父親関係を体験したかという、子ども自身の主観的体験にあるということであろう。

父子関係の客観的観察を実証し得る次元のものではないというほどに、父親病理という研究は父親と患者の個別的な主観的体験のなかにおいてということになる。精神科医や精神分析を専門とする学者による分析もあれば、著名人による自伝に出てくる父親像を知ることもできる。また、作家や文学者が描く作品にでる父像は、学術論文と比べて質的差は歴然としている。

一方は可能な限りの客観性を求められ、他方は読者をいかに共感せしめうるかによって作品の評価は定まろう。作家が作品を描く内的動機は様々であるが、少なくとも共通するのは己を語らずにおれない衝動であろう。それは作家に限らず自分たちにおいても父や母にかかわる一切の事象と己自身の問題とを関連させて表現したい、書き留めておこうと試みる。

「書く(著す)」は、「思う」の具現化であり、書き手自身が自ら、「個」と主体的に取り組まざるを得ない衝動に追いやられていることによろう。身辺に起きている事象と己とは、いったいどのような関わりをもっているのかについて、真剣に問い始めるのである。よくある事象として、肉親や父母の死に遭遇した際の、極限的状況に置かれた際に書かれた文を見ることがある。

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「父親とは何?」という設問の答えは様々であろう。さりげなく思うところの父を語る者もいれば、つとめて父親を究明しよう、してみたいという衝動から細かく思考を重ねる者もいる。そこには自身が父に母に希求し続けたものが一体何であったのかを究明することは自身を問い詰め、真の自分を探り起そうという試みである。自分を知ることは他人を知る上でも重要となる。

雑多な社会の中で、自分とは違う価値観を持った他者を理解し、その違いを認め受け入れるには、自分のことを知っておくのは必然となる。自分という人間はどんな時に、どんな考え方をするのか、どんな感情を抱くのかも自分を知ることになるが、過去に遡って父や母に対し、親の行為や言葉に自分はどう反応したのか、それでよかったのか、別の何があったのか…

それも自分を知ることになるというより、そうした積み重ねが実は自分という人間を作り上げたのかも知れない。「温故知新」とはそういう意味にも取れてしまう。今の自分を成り立たせているものは、過去のどこかに起点があったはずであり、それが、「あの日」、「あの時」であったかも知れないというのは、まさに人間のドラマである。二つにまたがる道の一つを進んだ自分。

それが今の自分を作り上げたことを否定できない。過去に遡って、もう一つの道を進むことはもはやできないが、なぜその道を選んだかに父や母が影響することもあったろう。あの人たちは正しかったのか?正しくはなかったとするなら、自分が安易だったのか?あの日、あの時、正しい道は何であったのか?人生は決して一つではなかったはずなのに、選んだことで限定された。

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自分にはもう一つの生きる道があった。その道を進むことで別の新たな自分像を考えてみることはできる。今という日は二度とないように、過去のあの日も変えられないが、多くの思考を重ねることで、明日の選択は広がるかも知れない。多くの人たちは、「何でもう少し考えなかったのか」、「軽率だった」などという。だからこそ、明日を考えればいいのではないか。

(子として)父にああすればよかった。父として(子に)こうしてやればよかった。二つの父の狭間で父について考えてみる。それで少しは父が何であるかを理解できるかも知れない。坂口安吾は敬愛する作家である。彼にも自伝を綴った『石の思い』という作品がある。その中で驚くのは安吾少年と母との関係。安吾は少年期の長い期間にわたって母を憎んでいたという。

安吾の母は後妻であった。母と年齢もそれほど違わない3人の娘がいて、上の2人の姉たちに共謀されモルヒネで毒殺されそうになったこともあった(『新潟毎日新聞』に事件の顛末が連載されている)。安吾はこう記している。「私は私の気質の多くが環境よりも先天的なもので、その一部が母の血であることに気付いたが、残る部分が父からのものであるのを感じていた。

私は父を知らなかった。そこで私は『伝記』を読んだ。それは父の中に私を捜すためであった。そして私は多くの不愉快な私の影を見出した。父に就て長所美点と賞揚せられていることが私にとっては短所弱点であり、それは私に遺恨の如く痛烈に理解せられるのであった」。父の伝記というくらいに、安吾の父は県議を15年勤めた後、衆議院議員として中央政界で活躍した。

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父仁一朗について安吾は、「父は自分とは無関係な存在だった」という表現をする。しかし、父の伝記を読んだ安吾は、「そこに見たのは私の影だった」と述べている。安吾は1カ月に一度くらい、父の書斎で墨をするのを手伝わされていた。書斎以外で父と接触することもなく、書斎で言葉を交わすこともなく威張りくさった父は自分とは、「無関係な存在」と表現した。

「私は私の心と何の関係もなかった一人の老人について考え、その老人が、隣家の老翁や叔父や学校の先生よりも、もっと私との心のつながりが希薄で、無であったことを考え、それを父とよばなければならないことを考える」。自伝のタイトル『石の思い』の意味とは、父は「石」の様だったと。そしてその父の姿を、面影を偲んで安吾自身が感覚する。自身もまた、「石」のようだと。

県会議員を15年も勤め衆議院議員であった父。代議士の他にも、新潟新聞社社長、ラジオ新潟と株式取引所の理事長などを兼任する父は、安吾にとって畏れ多い父であった。ゆえにか、伝記で知るしかない父であった。果たしてこれが父であろうか?自分がもし同じ境遇であったなら、安吾と同じ、父は自分などと何らかの関係などあるはずもないという感じになろう。

安吾は47歳で父になった。半ば諦めていたからか、『人の子の親になりて』に望外の喜びを綴っている。「私はこの子には何の期待もしていない。どんな風に育てようという考えも浮かばない。ただ真っ当に育ってくれと願うだけで、そして子供の生まれたことを何かに感謝したいような気持が深くなるようである」。『育児』というエッセイにはその子煩悩ぶりが伺える。

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父とは何か? ⑥

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母の数ほど母がいるように、父にも様々な父がいる。そうした父と母が子どもの育て方や教育方針を巡って対立するのは当たり前に起こりうる。が、起こらないのが当たり前だった我が家を基準に物を言っても始まらない。起こるのがいいのか、起こらぬがいいのかという問題は、起こった時にうまく対処できればであるが、子どもの教育観の違いから離婚に至るケースもある。

離婚は夫婦の問題であるが、子どもを巡っての対立も夫婦の問題の範疇。子どもを巡る夫婦間の対立はない方がいいと、当たり前に考えていた自分は、我が家に対立を起こさぬ方策を実践した。その方法とは、自分の方針に妻が一切口を挟まぬことで、これなら対立が起こることはない。その時は考えなかったが、「なぜそうできたのか?」を今に考えるなら理由は明確だ。

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その前に「対立とは何か?」。これは善悪の規準についての考えの相違であろう。一人で生きていく場合における自己の内面対立を、迷いとか葛藤というが、善悪の規準はすべて自身が決定する。婚姻で二人以上の共同生活が始まれば、一人でいたときとは違った共同の利害というものが生まれる。子どもを巡る夫婦の対立は、子どもが成長すれば三者の対立となる。

幼少期の子どもは意見や主張が無視され、ないがしろにされるのは、親と子の力関係から生じること。同じように、夫婦の対立も夫と妻の力関係によって方針が決められることになる。我が家に対立が起きなかったのは、妻が夫にすべてを委譲していたからである。したがって対立のある夫婦というのは、力関係が拮抗している場合、もしくは妻に牛耳られている場合。

「夫唱婦随」が理想とされたのは、そういう家庭は夫婦仲が良いとされたからである。夫の立場や顔を立てることに心を砕き、夫を中心とした円満な家庭を築けたのは、妻の聡明さと理解をしている。夫がこれに応えて責任感を発揮して行動するのは言うまでもないが、女が婦随を行為できるのは、受動性という性差か、そのような育てられ方から派生するものか不明である。

男性ホルモンの攻撃性や女性器の受け身な形状からして、男は能動的、女性は受動的とされる基本習性は、あくまで個人単位の場合であって、集団を組むと男は受動的に女性は能動的に変質するとされる。即ち、男性が集団を形成すると女性化し、女性が集団を形成すると男性化するらしい。その理由は、男性集団は守備(静)に強く、女性集団は攻撃(動)に強い特性による。

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したがって、集団の中で攻撃的に見える男性は女性的な質を持ち、男性的な資質所有者は守り型になる。それらから、男性営業マンは一人で営業活動させ、女性の営業ウーマンはグループ活動させるのが効果的とされている。よって、「一匹狼」とは男専用の言葉になる。男性集団は、「タテ型」、女性集団は、「ヨコ型」の人間関係になることなども導き出されている。

基本は基本であり原則は原則であって、夫婦の力関係は個々の生育環境や性格の強弱が反映されるが、どういう女性であっても主導権は譲らない自分は、単に威張りたいのではなく、自分の能力を発揮できると知っている。従わない相手なら速攻で終わりにする。過去の異性関係においても、無理をしたり、我慢して付き合うことはなく、合わない相手とはさっさと離別する。

自分のためにならないのは相手のためにもならず、別離は双方の「利」と疑いの余地はない。人は自分にプラスになる相手を見つけるべきで、我慢を強いて合わない相手と付き合う理由は、同性・異性を問わないと考える。「別れたいのに別れられない」、「付き合いたくない相手にまとわれる」というのをよく聞くが、単に優柔不断であって、遠慮は互いのためにならない。

夫には夫の正しいがあり、妻には妻の正しいがある、そういう夫婦はどうやって解決を図っているのか?そういう経験がないから分からない。二つの規準のどちらが正しいかを決めるものは力の強弱でしかなく、その上に立って真の善悪を裁く規準がどこにあるのか自分は知らない。どちらも同じ人間、どちらももっともな言い分をもっている場合、その中間が正しいのか?

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確かに右と左の境い目は真ん中である。妻は子どもに中学受験、夫は公立中学を奨励の場合に中間とは何だ?妻はフィギュアスケート、夫は空手をやらせたい。してその中間とは?夫婦の意見が割れた場合の妥協とはどちらかが折れるしかないが、夫婦が交代に折れるというより、対立はいずれかの力を助長することになろう。面倒くさい対立などないのがいいに決まっている。

何でも妻に従う夫なら一切の責任を妻が取るしかないが、女は責任逃れの名人であり、責任は社会的にも男が取るのがいい。女が責任を取らなくてもいいようするのも男の力量なら、自信も大事、自信を損なわぬ努力も欠かせない。ビジネスにおいても、上司から細々うるさく言われるよりは、「お前に任せる。責任も取れ!」といわれる方が俄然と力を発揮できる自分である。

意見の違いはどちらかに決めねば進展しないが、どちらも正しいと思う以上、正しい裁定は二つ存在する。それを力で決めるわけだから、緻密な判断が必要となる。ところが、人間の善悪の判断は概ね個人の利害が規準になるかた厄介だ。多角的で視野の広い人間による判断が重要になるのに、つまらぬ幻想や欲望であらぬ判断をしてしまうときに、それを指摘する理性も必要だ。

そうした場合の真に正しい善悪の判断というのは、社会全体の利害が社会的な生産力の維持と発展に役立つこと、あるいは個人の真の幸福に寄与する、もしくは社会奉仕に寄与するか否かが善悪の規準となる。誰もが個人の利害・幸福を望む以上、決して棚上げされるべきものではなく、守り・高めることであるが、子どもの幸福といいながら無意識に親の欲望が働くもの。

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我が子を有名私立中学に入れたいという欲望を持つ妻。「公立中学でいい」とする夫に理屈をつけて引き下がらない。子どものため、子どものためと、夫を説得にかかるが、妻の性格を知る夫に意図は分かっている。無理やり中学受験を勝ち取るも、バカな子が金銭でつけた即席学力では落ちこぼれは必然。勉強好きで頭のいい子への進路のランクアップはそこが違う。

今の時代はバカでも塾で過去問を繰り返し仕込めば付け焼刃的学力はつくが、子どもらしさや遊びを犠牲にしてまで塾漬けにして、それで幸福が見えてくるということなのだろう。目先の学力躍起になる親は自分にはモンスターに見える。「足るを知る」や、「分相応」が失われ、親の欲望的過ちが子どもを苦しめる。即席ラーメンが生まれて60年、多くが即席化の時代となった。

個人的な利害を離れて社会的な利害に尽くすことが、同時に自分個人の利害として大きく生きてこないのは、その社会の仕組み自体が間違っている。社会の利害に逆らう個人ははじき出さねばならず、個人の利害を守ってくれない社会は作り変えるべきである。二度とないであろう貴重な子ども時代を犠牲にし、暗記ばかりを強いる受験学習を自分は是認できない。

日本文化は性善説というが、これは権力者の都合のいい論理。世の中には善人より悪人の方が多い。同じ目的の集団より、雑多な校風の中で悪の免疫力や耐性をつける必要がある。現実から目を背け、幻想にしがみつく限り、本質理解は遠のくばかりだが、幻想にしがみつくのが楽なのだろう。それこそが甘えなら、子ども以上に甘えているのは母親かもしれない。

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父とは何か? ⑦

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「即席」という言葉を耳にしなくなった。「インスタント」という横文字に変わった。「instant」とは、すぐにでき、手軽であることの意味だが、他の語句の上に付いて複合語を作り、「インスタントラーメン」、「インスタントコーヒー」などと使われる。流行りの、「インスタグラム」は、「Instant Telegram」を略した造語で、画像を電報(Telegram)のようにアップする。

詰め込み学習が即席秀才を作ったが、「インスタント秀才」という言葉は生まれなかった。言葉はなくとも即席秀才がたくさん生まれた。欧米人に比べて日本人が自力で何かを掴むよりも他人を宛てにする傾向は、土居健郎の著書『甘えの構造』から理解できる。刊行されて50年近い同著は、母子の甘えに発する心理構造を日本人の特質として解説した名著である。

母親の依存志向に比べて一般的な父親は、物事は人を宛てにせずに自身が主体的に取り組んでいくものだということを、社会体験から男の厳しさとして把握している。土居のいう甘えとは、「人間関係において相手の好意を宛てにして振る舞うこと」と規定するが、決して「甘え」そのものを否定しているのではなく、甘えから派生する「甘さ」の助長を憂慮している。

「甘さ」にはさまざまな事例がある。「お嬢さん、私の自宅でおいしいパスタを食べません?」とローマ旅行中の女子大生グループが加害者宅でレイプされた事件を当地では、「日本人は何とバカか!」と失笑を買った。見知らぬ相手からお茶を了解したことは、SEXをOKしたと同義といわれる。これは人間的な甘さも含めた日本人の危機管理意識の欠如だろう。

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運が良くてレイプ、悪ければ殺されることにもなりかねない。したがって土居のいう、「人間関係において相手の好意を宛てにして振る舞うこと」の中の、「好意を宛てにして」という、「甘さ」こそが日本人的な「甘え」のエッセンスである。欧米人の母親に比べて日本人の母が甘えを過不足なく与えることで、「(人間的な)甘さ」も同時に育まれるのは自明の理となろう。

父親がその抑止力に機能しなければ、母親の子に対する甘えは底なし状態となる。甘えは新生児の段階から母子関係の中で発生する。「すなわち甘えとは、乳児の精神がある程度発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後に、その母親を求めることを指していう言葉である」と土居が指摘するように、成長段階において甘えは人間形成に不可欠なものである。

要は母親が、乳幼児期の甘えを自我の発育とともに、改めていくか、いけるかということにかかっておる、その監視役が父親となる。父親が、「甘やかせている」といったことにムキになって、「甘やかしてなんかいない。これは愛情です」と口答えする母親は、父親の機能を享受していないことになる。「嫁が怖い」からと何も言えず、見て見ぬふりをすることがこんにちの問題か。

例えば西欧の人々について土居はいう。「個人の自由を強調する西洋では、甘えに相当する依存的感情が軽視され……、この感情を一語であらわす便利な言葉すら存在しないのである」。前記した日本語が堪能なイギリス人の母が、子どもの相談を土居に持ち掛け、それまでの英語での会話を、「この子はあまり甘えませんでした」というときだけ日本語に変えたと土居は述べていた。

イメージ 3「なぜなのか?」土居の疑問に対して母親は、「これは英語では言えません」といったというが、父親の威厳が後退し、母親が父の役割をしなければならなくなった昨今において、「子を愛せない」母が問題になりつつある。「厳父慈母」はもはや死語となり、子どもを虐待する暴母が新聞に取り上げられることが多くなった。母性本能が非科学的といわれる時代、「慈母」とは、「厳父」あってこその産物だったのか?

母子関係の歪さがクロークアップされる問題に対し、精神分析学者の岸田秀は、『母親幻想』なる著書で、これまでの母親が子を愛するということを当たり前とする、″おかしさ″から議論をはじめるべきという。「母性愛」という社会が共同で抱く幻想は、近代になって子どもが社会の中で、労働の担い手として価値を持ち始めたとき、そうした子どもを育て将来は子どもに養って貰うとの考えから生まれたものだとする。

子どもは自立をして家を出ることに価値があり、母親もまた社会的な一員として、「自立」できる可能性があれば、母性愛という共同幻想は崩壊する。そのとき母親が子を前にして、「自分の心の中に母性愛を見出そう」とするも、もとよりそれは自身の内になく、社会というレベルの中で成立したもの。自分は母親としての資格はないのだろうか?母親は問い惑うことになる。

「子どもは自立すべきである」、「女性は社会進出すべきである」、「家族の成員は家族の一員である前に個人である」などという社会構造は、産業文明によって変革がもたらされた。変化の方向は一律ではないが、農業文明段階の母親像に戻っていくことはもはやない。ときに、パラサイト・シングルという逆戻り現象はも見られるが、これは甘えという心理的依存関係ではない。

そこに見られる、経済的依存関係という根深い因子は、これすら広義の日本人的甘えであろう。「人を好きになるってどういうことなの?」と、この言葉は自分の驚きのベスト3に入っている。発言の主は高校生の女性であった。第二次性徴をとっくに終えた年代において、恋愛の必然性というのが性欲の欲求であるとするなら、彼女は未だに生命運動を生じさせていない。

性欲は何ら疚しいものでも汚いものでもない。性欲が不浄なら生命そのものが不浄ということになる。性欲は生命の働きを司どり、自分の生命を次の新しい生命に引き継がせる働きである。性欲は犯罪の温床になるから悪いという考えは、樹を見て森を見ずであって、性欲犯罪は知能の問題である。ただ、「夫に性欲を感じない」という妻がいるが、これは夫を蔑んでいるからだ。

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「子育てに追われ夫の誘いを断っているうちにセックスレスになり、それが嵩じて性欲もなく今さらセックスもしたくない…。それが続くと、夫が他の女性に走るリスクが高まる。もっとも妻も夫以外の男に刺激を求める時代である。携帯電話やSNSの影響で浮気のリスクが低減し、不倫天国と揶揄される新たな時代は、婚姻という箍を外した人間本来の姿かも知れない。

社会構造というのはあらゆる問題がかみ合い、絡んでいるわけだから、のっけに批判した「インスタント秀才」も、即席ラーメンやインスタントコーヒーのごとく、手軽な手法であるが、バカを賢くする根本的な手法というではなく、純金の地金と違って金メッキはいつしか錆びることになる。真に地頭のよい人間は、教科書のない社会の中で他人から一目置かれた存在となろう。

父とは何か? ⑧

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夫婦対立の果てに離婚理由として、「子育てに対する価値観の違い」がある。妻が1人で子育てを抱え込んでしまい、何もしない旦那に怒りを覚えて夫婦仲が悪くなるという場合もあるが、せっかく子育てに熱心な旦那でありながら、いちいち妻から文句を言われると気力が失せることはある。やらなければ文句をいい、やればやったで価値観が違うと文句をいう妻はどうであろう?

これらは、人のすることなすことにいちいちケチをつけたがる性格の問題だろう。どちらにも文句をいうのは災いであり始末におえない。はて、こういう妻をどうすればいい?「わっしゃ、し~らん」としか言いようがない。片方だけに何かいうならまだしも、全方向に文句をいう性悪女につける薬はない。もっとも、他人夫婦の問題に、「上手い解決法」などあるハズもない。


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互いが性格を熟知している以上、本人同士が解決するしかない。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」というが、正しくは、「誰も食ってはいけない」が正解。離婚がポピュラーになったとはいえ、それでも離婚は深刻な問題である。ある社会学者のデータによると、現代人にとって心のダメージが大きい出来事の上位3つは、「家族の死」、「失業」、そして「離婚」となっている。

誰もが幸せになろうと思って結婚したわけだし、離婚を否定的に考える人間が多いのは当然であろう。離婚に否定的な理由の代表が、「たいたい子どもを片親にするなんて…」であるが、両親が揃っていれば子どもは幸せなのか?そうとは言えない実例はいくつもある。そもそも、愛情のない夫婦や、家庭内別居状態の夫婦ほど、子どもに精神的負担をかけるものはない。

となると、離婚によって失うものばかりではないし、得るものもちゃんとあるということだ。面白いのはフランスの劇作家アルマン・サラクルーの以下の言葉。「結婚とは判断力の欠如」、「離婚とは忍耐力の欠如」、「再婚とは記憶力の欠如」と彼は皮肉たっぷりに述べているが、再婚が記憶力の欠如とはどういう意味か?これは、離婚の原因を忘れた人を指していう言葉。

何度も離婚を繰り返す人がいるが、そんな輩においても、ひと歳とって性格が落ち着くまでは離婚を繰り返すことになる。独身で引け目を感じている男性・女性には、勇気づけられる以下の言葉がある。「独身者とは相手を見つけないことに成功した人である」。妻を大きく三つに分けるなら、「母性型」、「父性型」と、「子ども型」に分類されるといわれる。

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夫には「父性型」、「子ども型」がある。「父性型」の妻は論外とし、「母性型」の妻と「子ども型」の夫、「父性型」の夫と「子ども型」の妻の相性が良いとされる。互いの欲求を積極的に満たすのは夫婦にとって大切だが、夫の悪口をいう妻は少なくない。悪口に晒される夫がどうかというより、妻の性格の方に問題がある。女の悪口・愚痴は病理なので黙って聞く。

吊し上げられる夫が欠点だらけとは思えないが、「うちの夫は亭主関白で困る」などの悪口はほとんど耳にしないのは、そういう夫が少なくなったからだろう。女性が社会進出して強くなったのはさておき、大和男児らしい勇気や実行力は一体どこに行ってしまったのだろうか?悪妻も多種であるが、自分の思う最低の悪妻とは、子どもに夫の文句をいったり蔑んだりの妻。

父親を尊敬しないようにと教えられた子どもが立派とは言わないまでも、順調に育つのか?同性の立場からいうなら、夫のやることなすことにケチをつける妻に、優しい言葉をかけ、家族サービスを惜しまぬ夫がどこにいるだろう。妻のいないところで夫が、「お母さんのような女になるなよ」と娘に言わないのはなぜだろうか?それが男だからとしか言いようがない。

父とは何か?は子どもの視点だが、妻からみれば父は夫である。「やれば何だってできる素晴らしい人」と夫を信じ、心から尊敬と信頼の念をもって接するならば、欠点ばかりに目がいっている限りは永遠の欠点だらけの夫となる。夫に敬意をもって接することで、夫は自身に誇りをもち、支えてくれる妻に感謝をし、日々の仕事にも邁進することになるのではないか。

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男は単純だから、やる気を出させる方がよい。自信満々で物事に立ち向かう男は素晴らしい結果を生みだすことになる。「子どもは怒るのではなく叱る」、「叱るよりも褒めて育てる」などと、子どもに関する知識はあっても、夫を貶すだけで操縦法ができていない。男だから分かることだが、男にとって自分の自尊心を守ってくれる妻の存在は何よりも変えがたいものであろう。

「夫は妻からはじまる」という古い言葉がある。確かに夫は父性が芽生えるのは遅いが、そんな夫を生かすも殺すも妻次第。男は常にヒーローでいたいという性を持っている。男の子が子ども時期からヒーローに憧れて育つようにである。さらに妻は優雅な振る舞いとやさしさを兼ね添えたヒロインであればいうことなしで、こういう妻なら夫は、釣った魚に永遠に餌を与え続けるだろう。

人間が多面体であるのは、見る角度やまったく別の方向からみると、短所も長所に見えたりする。煮詰まった夫婦関係に新たな風を通そうとするなら、視点の変更してみるのもいい。自分らの年代になると、子どもが自分をどういう視点でとらえるかなどは考えなくなる。子どもが別の所帯を持っているからでもある。彼らはもう子どもというより子の親として存在している。

ところが妻とはいつまでたっても妻以外の何者でもない。よそのおばさんでもなければおばあさんでもない。妻から見れば自分もそうだ。妻は死ぬまで妻、夫は死ぬまで夫である。互いにくたびれ感はあるが、皺も年輪と思えばあって当たり前。親から独立して所帯を持ち、子の親となった我が子への接し方は変える必要はあるが、古女房への接し方は変える必然性がない。

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アルマン・サラクルーは、「結婚とは判断力の欠如」といったが、「良い判断」だった結婚もある。良い判断というより、厳密にはたまたま的要素もある。若さゆえにか念入りに調査・研究したわけでもない。思えば昨年の11月、45年前の恋人に出会った。妻と同じ年齢の彼女に思ったことは、もし彼女と一緒になっていたなら、判断力の欠如だったかも知れない。

願ってもない昔の恋人との再会ゆえに、ときめきや驚きもあったが、交流を続けられるような相手でないというのが残念でしのびなかった。出会った当初は懐かしさと感動も加わり、どちらかが死ぬまで続くのではないかと思ったものの、2か月間に数回程度のやり取りで自分は二度彼女から去ったことになる。一度目はよりを戻すも、覆水は盆に返ることはなかった。

人の出会いも不思議だが、人の別離も不思議である。続かないと確信を抱く相手であるのを短期間で把握するのは、多くの女を知れば難しいことではない。45年の歳月が彼女を変えたというより、生来の資質だったか可能性もある。二度の離婚歴から読み取るものは、思いやりを欠いた頑固さであろうか。傷つけるので言葉にはしなかったが、人を不幸にする典型女性と感じた。

父とは何か? ⑨

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父について書くことなどないと思っていたが、「たかが父・されど父」ということか。父に関するキーワードとして、「エディプス・コンプレックス」が精神分析学においては重要となる。そうはいってもフロイトが、「エディプス・コンプレックス」の重要性や普遍性を強調した背景には、彼が若くて美人の母に可愛がって育ててられ、母親との間に葛藤がなかったからだろう。

フロイトが自己分析の中で回想したのは、「パパなんかいなくなってママと一緒になりたい」と思った記憶であり、だからフロイトは、エディプス願望は人間に普遍的と考えたが、ユングもアドラーもそうは思わなかった。彼らは遂にフロイトから離反するが、その時に彼らにとって最大の批判対象となったのが、「エディプス理論」であったといわれている。

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ユングは、女の中には男っぽいものがあり、男の中にも女性的なところもあると、常に表裏関係にあると主張した背景には、ユングの生い立ちが彼を疑い深い性格にした。アドラーも彼の兄が立派だったこともあって、劣等感をモチベーションとして生きてきた。人間は劣等感を挽回するために生きているとアドラーは主張するように、彼らは概ね個別の人生を反映させている。

自分の物の考え方や女性観も育ちが大きく影響している。母親のような女性ばかりではないが、女性のどこかに実母のような要素があるのではないかという疑いはある。自分の価値観を押し付け、人の悪口をいい、何かにつけて感謝を要求する。嫌いな母に感謝などするはずもないから、すべてのことを恩着せがましくいうことで、感謝を要求する。母から与えられるすべての物は毒饅頭だった。

およそ善意の欠片もなく、後で勿体つけて言われるくらいなら毒饅頭と手を出さぬに限る。親が情緒的に成熟していないで、種々の問題を抱えた性格である場合、子どもの人格が歪むのは当たり前である。その中でもっとも子どもの心を歪めるのは感謝の要求である。ここには親という善意の無償の愛はどこにもない。親としてもっとも不適格な在り方だと思っている。

こうした情緒的に問題を持った親の最大の犠牲者は言うまでもない子どもである。対等な子ども同士、社会人同士なら、不当な要求は拒否できるが、子どもはそれができない。しかしながら、子どもの物欲を満たしてくれるのが唯一親である以上、子どもは親に反抗して何の得もない。親に反抗することで親から恨まれたら最後、子どもに欲しいものを得る手段はなくなってしまう。

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それでも親を捨てたいと思うなら、子どもには覚悟が必要となる。自分が反抗し、親を捨てたからいうのではなく、子どもは真に自立するためには親を捨てる必要があると思っている。子どもに甘えず、甘えさせず、ほどよい距離感を醸し出す親は明晰な親であるから捨てる必要はないが、情緒的に問題のある親のことだ。過度の要求と干渉に苦しむ子どもの救いの手段である。

以下はある人の手記である。『かあさんの歌』の作者だった窪田聡もおそらく似たような状況だったと推察する。「私は悩み苦しんでいます。それは私がある組織に入っていることが両親に知られてしまいました。その組織とは俗にいう『アカ』です。両親からさんざん文句をいわれ、抜けるよういわれましたが、抜けられません。どうしてもそこに居たいのです。

以前の私がどんな生活であったか、無気力ですねて、不眠症で寝れないから酒を飲み、一切を否定して、不良になろうと思っても勇気はなく、学校では優等生ながらも変人のレッテルを貼られ、自己変革も叶いませんでした。そんな私を、より強い『生』、積極的な『生』へと導いてくれたのが、世間から『アカ』と敵視されている今の組織の中の人々でした。(中略)

私は親不孝をしそうですが、両親にとっての「いいこ」で生きるよりは、親不孝と呼ばれ、世間から敵視されても自分を真実の意味で生かしていきたいのです。両親には「やめた」と嘘をいいましたが、嘘がバレたら家を追い出されます。苦悩の只中にいますがもういいんです。これを書いているうちに気が晴れました。『生』への喜びがあって、この上に何も望みません」。

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書き主は女性で、男の家出に比べて女性が家を出るのは並大抵ではない。彼女にとって組織の価値とは、組織の主張が正しいということではなく、組織に入ることで得られた自らの生の実在感である。自分は〇〇という両親の子どもであるという存在証明ではなく、自分は××をなしたという存在証明である。どちらの方がより実在感を抱けるか、彼女にとっては圧倒的に後者である。

宗教に入信して親と袂を分かつのも同じ理由だろうし、家から離れて彼氏と同棲生活をするのも、親を捨てたことになる。捨てたという言葉が語弊があるなら、離れたでも同じこと。親にとっては自分の子であるが、子どもにとっては、自分の親であることに何の魅力もないなら、親から離れた道をとるのは子どもに許された自由である。どこに問題がある?どこにもなかろう。

親と子の対立のケースは様々な理由と事情がある。他人事なら思考の責任はないが、自分が父親として同じ状況にいたとするなら、子どもに何をいい、何を行為するだろうか。子どもを抑圧したり、強迫観念を植え付けるような親は、「窮鼠猫を噛む」という反乱もあろうが、子どもに感謝と尊敬を要求するような母に対する明晰な父親とは、揺るぎない真善美を持す父である。

マイホームパパもいいが、こうした場合にこそ強大な父親が必要となる。母親にどうにできるものでもないだろう。加藤諦三早大名誉教授は、長いことテレフォン人生相談を続けておられる。若者向けのおびただしい著作や心理分析本も多いが、その加藤氏は、「教育ママは百害あって一利もない」と説いている。世の多くの母親が加藤氏の著作を読むとは限らない。

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読んだところで同意を得るとも限らない。背くというわけではないが、母親自身の自己イメージの高さが下がることもなかろう。反対したり論難したりするために読むのではなく、ただ思い考えるためにである。その結果、自分の深層にある何かに気づかされ、改めることになるならそれも一つの成熟となろう。「良薬は口に苦し」、「至言は耳にさからう」などの慣用句もある。

自分の信念に口出しされると、カッとなって冷静さを失うことは生活のなかでしばしばある。そこで立ち止まって考えることは、それがなぜに、「信念」なのかである。ついでに、「信念」とはどういうものかについても思考をめぐらすべきである。これまで自分の信念がどれほど揺らぎ、変わったかを思えば、「信念」なんてのは無知で薄っぺらいものでしかない。

父とは何か? ⑩

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「母とか何か?」は⑨で終わったが、「父とは何か?」が⑩に延びた。母はもっと延びてもよかったが、好きなカレーも3日も続けば飽きるというもの。「3日坊主」も9日続けば良しとしたものだ。父を⑩にしたのはそれなりに理由がある。母の病理についての文献は多いが、父の病理は寡聞にして知らない。頭に浮かばないが、少なからずあろうし、考えてみることにした。

その一端はエディプス・コンプレックスにあるだろうと…。母親への愛着と父親への敵意並びに、父からの処罰の恐怖をフロイトが、エディプス・コンプレックスと名付け、無意識的な心理に関する精神分析の基本概念となったが、これは実はフロイトの神経症の病因論の重大な転換を意味するものだった。それまで彼は、大人による性的誘惑を重視していたのだった。

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ところが、エディプス・コンプレックスの発見によって、幼児にも性的願望が存在するが、それが四~五歳頃になると抑圧されて意識されなくなり、思春期に再び大人の性生活の形をとって現れてくるのである。フロイトの同理論には彼の幼児期体験が大きく影響する。フロイトの父ヤコブはフロイトが40歳の年に81歳で世を去っている。彼は父の死をどう受け止めたか。

以下は父の死の10日後、親交のあるベルリンの耳鼻咽喉科医フリース書いた手紙である。「意識の背後にある暗い道のどこかで、私は老父の死にひどく感動しています。私は彼を大変尊敬し、正確に理解していました。彼には、深い英知と空想的で軽快な感覚が独自の形で混ざり合ったところがあって、私の人生に多くのものを与えてくれた。私は今や根こぎにされた感じがしています」。

「老父の死にひどく感動」という表現は日本語的にはおかしいが、外国語ではショックも失意も感動と表現する。フロイトの文面には、父を失った息子の悲しみが素直に表され、息子にとって父の大きな意味が語られている。と、見受けられる反面、手紙の後半部分には葬式の晩に見た夢の報告のなかで、フロイトの父に対する複雑な感情を見ることができる。

「…彼らは私の遅刻も悪くとりました。『死者に対して自身の義務を果たせ』と、この夢は通常は遺された家族に現れる自己に対する非難の傾向結果なのです」。実際フロイトは父の埋葬に遅れ、家族の非難を受けているが、この遅刻はすでにフロイトの父に対する屈折した感情が現れているのは容易に伺える。しかしながら、どういう感情であったかの推察は容易でない。

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日本のように焼却場に行く場合、団体さんでマイクロバスやタクシーに便乗するなら遅れることはないが、それぞれが個々に埋葬時間に集合する場合においては、遅れる者も出てこよう。わざとではないにしろ、大事な時間に遅れるというのはいかにも意識の低さではないのか。フロイトは父への屈折した感情を隠しおけなかった。友人の手紙の半分は社交辞令である。

自分は母の葬儀に参列しないと妻に言ってある。妻といえども戸籍上は養女となっており、これは母がしたこと。意図はともかくそれについては何ら批判はない。葬儀に出ない理由は、嫌な人間の死に参列する自身の心を偽るのが嫌だったからで、それも今はない。そこまで頑なでいたいという決意もなくなり、その時の気分次第で出欠を決めようと思っている。

親の葬儀に、その時の気分で出欠を決めるというのは、自分的には前進(?)だが、それほどのものでしかない。拘っているうちは意識があるという意味での前進である。どれほど嫌な人間であれど嫌悪は薄らいでいく。中国の諺にいう、「臥薪嘗胆」ほどの絶やさぬ憎悪というのが日本人にはない。「昨日の敵は今日の友」、日本人は何とも憎悪心の希薄な人種といわれている。

母を嫌い、一度も父を恐れたことのない自分に、エディプス・コンプレックスはない。自分にとって父の死とは何であったのか。その時の気持ちは未だに脳裏に焼き付いている。父が死んでもっとも変わったことがあるなら、死が怖くなくなったことだ。大切な人の死を乗り越えられないという人もいるが、「乗り越える」、「乗り越えられない」という感覚はなかった。

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「人の死を乗り越える」という意味も実感できない。ペットの死にさえ悲痛で乗り越えられない人もいるというが、父の死は自然の摂理と納得させた。亡き父と再会するには自分が死ぬ以外に方法はなかったが、父のためだけに生きているのではなく、家族や仕事も大事である。だから、いずれはあの世で父と談笑し、触れ合うことになるだろう、それが死の恐怖を軽減させた。

しかし、死ねば本当に父に会えるのか?こればかりは疑問でしかなく、答えは授からない。死ぬときは死ぬ、死んだ後のことは死んで分かると言い含めている。さて、懸案の父親の病理についてだが、母親ほど影響力のない父親ゆえに病理となると難しい。父親の病理の解明のためには、父親の使命・役割を網羅する必要があるが、その役割が定かでない。見えてこない。

父親の機能・役割についての心理学的研究は、「父親は共生的な母親との両価関係から子どもを救い出し、子どもが現実感、自己同一性、性別同一性、さらには対象恒常性を獲得し、達成していくうえで重要」とされている。さらには精神病理・人格発達に影響を及ぼす父親の問題とは、現実の父親がどのようであったかという事実要素に加えて子どもとの相対関係に焦点がある。

子どもにとって父親とは何であるのか、何をしてくれたのか、そうした「何である」を知ることでもある。したがって、父親の問題とは、子どもがどのように父親との関係を得たか、という子どもの主観的体験の側にあるはずのもので、父子関係の客観的観察が実証し得る次元のものではない。ということなら、いくら考えても父親(としての自分)が何かを分かりえない。

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したがって、自分の父親が自分にとって何であったかを、父親を紐解くカギにするしかない。母親の病理は腐るほどあるが、父の病理は何一つ出てこない。父は紛れもなく存在してはいたが、いつも遠巻きに自分をコッソリ眺めていたのだろう。当時はそのようである、そのようにされていることすら気づいていない。これらは自分が父になったことで分かったもの。

安吾も述べているが、子どもが生まれて戸惑うのは父である。それは資質であり、子どもに善悪を施す病理というものではない。生まれてしばらく何の役にも立たない木偶の坊が父である。身の回りの世話は体内で命を育んだ母の仕事の延長なら、夫に文句をいうのは横着な女である。父の出番はいつしか回ってくる。それまで鋭気を蓄え、母子をしかと観察しておくべし。

父とは何か? 🈡

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いろいろ述べたが、父親の存在の正当性は、親子からなる小家族(核家族)が人類的な基本単位である以上不可欠なもの。共食単位・財産共有単位としての大家族制の発達した社会形態は、文明社会の所産である。父親が存在することと、父権の存否とは必ずしも一致をみない。普遍的な存在としての父親と、社会・時代・階層によって父権は強調⇔低下を余儀なくされる。

現在の日本が父権喪失などといわれるのは、かつて父権が確立されていたからである。しかし、かつて日本のすべての家族の父親が、父権の名に相応しい存在であったということもなかろう。自分たちが子どものころには、「地震・雷・火事・親父」といったように、「親父」は怖いものの一つだった。実の父でない近所のよそのオヤジですら悪ガキには怖いものだった。

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親父は一家の長として君臨し、全権を掌握しているものとされ、親父への口答えは悪徳とされた。が、自分の家は違った。親父は怖いというより安らぎであり、心の支えだった。東京に出てからは遠き故郷の父を偲びながら日記を書いていた。母のことを日記に書いた記憶はまったくない。「お父さん、もう少し待っていてください。必ずや可愛い孫の顔を見せますから…」

こんな記述が記憶に残っている。自分が父にもっともしたかったことと見受ける。今に思えば我が家の実態は、「カカァ殿下」という形態ではなく、気丈な母に対して父の聡明な態度と思われる。家の基本的なこと、子どもの方針については父の主導だった。もっとも、これは自分が一切母の指示に従わなかったからで、父の強権というより必然的な流れであった。

実際、3歳~5歳頃の父は母を縛りつけ、母の泣き叫ぶ声、自分に助けを求める声を記憶に留めている。母に言われるままに靴や下駄を父に投げつけたシーンも覚えている。母の権威が強いのではなく、強かったのは彼女の性格である。それを思うと怖い父親というのは、実は社会が作り上げていたものではないか。有り体にいうなら、男尊女卑社会の産物であろう。

今や男尊女卑という言葉は、口に出すことすら問題になる。こうした社会は、必然と怖い父親を生むことはない。かつてのような、怖い父親を社会が求め、期待するということもないことは明白だ。もし、怖い父親像を家庭内で創作するなら、父親が自作自演するしかないが、果たして妻がそれを許すかどうか、あるいは、強い父親家庭を妻が理想とし、求めるかどうか。

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自分は女性でないから、妻が夫や父親や家庭に抱く理想像は分からないが、上記のような想像は可能である。自分が妻にどうしたい理想はあるが、妻なら夫にどうしたいというのは実感として浮かばない。とにかく女性については一切が謎である。「怖い父親は社会がつくる」は期待という点で間違いなかろう。であるなら現代は強い妻は期待として求められる時代なのか?

女性の社会進出からはじまり、女性社長や女性大臣、女性〇〇という図式が公然と叫ばれる時代である。政治や経済面だけでなくスポーツにおいても、女性がマラソン?女性が柔道?女性がボクシング?つい数十年前では考えられなかった。こうしたことが、家庭における夫の権威を脅かすことになったのは当然の成り行きと考える。小家族家庭でそれがいいかといえば議論の余地はある。

子を産み育てるという女性の本来的作業のなかで、父親というのももともとかげの薄い存在である。特に日本人社会は、伝統的に母親の占める位置が大きいために、諸外国にくらべた父親の抱く疎外感は一層大きい。それに時代の推移というものが加味され、妻や子どもたちがなんとなく父親を敬遠することで、母親と子の親愛関係が強くなっているのではないか。

女性の社会参加は国家的政策だが、父親のイクメンを国が煽ろうとも、男の習性は子育てより遊びに主眼を置くものだ。自分は子育てに熱心であったが、もともと子どもは苦手でもあり、好きでなかったのが、6時間もののモーツァルトの伝記映画を観て少し様相が変わったように思う。母親を差し置いて熱心に子育てに参画した当時、「子育ては男のロマン」と公言していた。

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これは本音であり、「こんな面白いことを妻にやらしておれない」なども言葉にした。産み・育てるという作業からしても、母親が家庭生活の中核であるのは間違いない。イギリスの社会学者はイギリス人家族について、「まずは母親と子どもからなるサークルがあって、それから少し離れたところに父親がいる」と述べている。が、家族はいかにも父親を重要な位置づけにいう。

これは、対社会的に家族を捉えた場合であって、いわゆる社交辞令的なもの。母親が子どもにかまけて、つい夫のことはなおざりになる、などの傾向はどこの世界や国にあることだ。夫を主人とは呼べない(呼びたくない)妻はざらにいる。その言葉だけで、夫をリスペクトできないのがわかる。主婦という言葉は本人・周辺が使い、「うちの主婦は…」と夫は言わない。

女性は自分を「主婦です」というが、男は自分を「主人です」といわない。主人という言い方は、社会的・対外的な公用語であり、「夫を主人と呼べない」夫婦は、社会性がないことを如実に示している。「夫と書けない(書きたくない)。夫はオットです」。という主婦は、オットットと茶化しているのか?個人で茶化すのはいいとして、対外的に茶化し晒すものなのか?

社会人なら社会性といいうものもあろう。いかなる理屈をつけようとも、「夫」と「オット」と表記する女性の夫への満足度を表したいのだろう。それが心中の屈折感として現れている。公開しない個人の日記なら、「オット」、「バカ亭主」、「アホ旦那」など、自分の夫を好きに中傷するもいいが、周囲にも気持ちを晒さなければ気が済まないのは未熟で幼稚である。

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自分は母の行状を悪口というより事実として客観提示するが、彼女の罪は無知と行為であり、それらを真摯に受け止め謝罪をすればどうこうはない。人間は、「罪を憎んで人を憎まず」でいれるもの、謝罪がいかに大切かである。兄弟のいない自分に対して、「お前しか頼る者はない」が口癖だった母、そんな言葉を一切吐かない父。この違いを、「思慮」というのだろうか。

老父母をたらいまわしにする兄弟が批判されるが、少なからず兄弟にも言い分はあるようだ。ましてやそこに嫁が加われば、問題は大きくなる。結局、兄弟のなかでお人よしの誰かが貧乏くじを引くが、決して親思いというわけではない。中国には昔から「輪流管飯」といって、息子たちが交替で一定期間ずつ親の世話をする。そのやり方が巧妙にシステム化されている。

単に期間を公平にするだけでなく、親の世話の仕方や食事の内容までキチンと決められ条文化されている。これほど徹底したやり方でなくとも、兄弟姉妹が交替に親の世話をするのは他の諸社会でも見られる。日本でこれをやると親は落ち着かないし、「たらいまわし」感を抱くことになる。近年が老人福祉施設が用意され、均等に費用を割れば済む便利な時代になった。

第17期村山聖杯将棋怪童戦

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前回、5月21日以来の久々の将棋記事。8月4日に開催予定だった「全国小学生倉敷王将戦」が西日本豪雨災害のために来年1月5日に延期になった。堤防が決壊した倉敷市真備地区の一日も早い復興を願ってやまないが、広島県呉地区周辺の豪雨災害も復旧中である。呉市では20日、小中学校19校で繰り上げ始業式が行われた。豪雨で休校が続き、授業時間を確保する狙い。

そんななか、村山聖杯将棋怪童戦は今期で17回目を迎え、19日に行われた。A級棋士のまま世を去った村山聖九段の功績をたたえ、彼の生まれ故郷広島県府中町にて開催されている。試合会場の、「生涯学習センターくすのきプラザ」には同じ森信雄門下で広島出身棋士の山崎隆之八段、糸谷哲郎八段、片上大輔七段、竹内雄悟四段らが多面指し指導対局を行った。

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今期は1都11県から245人が参加し、大分市の大分大付小6年生の市岡真吾くん(12)が初出場で初優勝を飾った。「憧れの怪童杯を取れました」と声を弾ませていた市岡くんは、実は元奨励会員でもあった。2016年の第41回小学生将棋名人戦で、4年生ながら優勝し、全国の小学生の頂点に立った。同年奨励会を受験、7級(本来は6級までで7級は特例)に合格した。

小学4年生の優勝は41回の大会の中、渡辺明(第19回:1994年)、佐々木勇気(第29回:2004年)、佐伯俊介(第32回:2007年)の3名のみで、うち渡辺、佐々木はプロ棋士に、佐伯は小学生名人・倉敷王将の2冠を制したが、2010年6級で奨励会を去る。売り出し中の藤井聡太七段は、4年生時に倉敷王将戦で優勝したが、同年の小学生名人戦において県予選で敗退した。

小学生で強ければ中学~高校も強いというわけではないし、伸びる人・伸び悩む人の差が何なのだろうか。どちらの棋戦も小学生におけるプロ登竜門であるが、地区予選敗退者には、羽生竜王、村山九段、広瀬八段、糸谷八段、佐藤名人、稲葉八段、高見叡王、斎藤慎太郎七段、永瀬七段、石井健五段、佐々木大四段など、そうそうたるプロ棋士がいる。

佐伯俊介くんは小学校卒業時に自らの意思で退会したが、市岡真吾くんは七級のBに落ち、強制退会となる。佐伯くんはプロ棋士の加瀬純一教室で研鑽を積み、市岡くんは地元大分のアマ強豪早咲誠和八段に早くから手ほどきを受けていた。早咲氏といえば知る人ぞ知るアマ将棋界の怪物といわれ、彼の出現でアマ将棋界は頭一つ高くなったといわれている。

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全日本アマ名人を4度、全国アマ竜王戦・全国アマ王将戦・全国支部名人戦・全国レーティング選手権・阪田三吉全国大会・全国赤旗名人戦というビッグタイトルを10度以上取り、地方の大会を加えれば300回以上も優勝している。そんな早咲氏に大分県は、「県民栄誉賞」を贈っている。将棋連盟はそれまで規定のなかった、「アマチュア八段昇段規定」を新設、氏に贈っている。

市岡くんは早咲氏の指導を受けていただけに、奨励会退会は残念であった。日本一のアマに指導を仰いだからといって、最後は本人自身の問題ということになる。将棋のプロ養成機関である奨励会の厳しさは言うに及ばず、ここでメンタルを強くすることと、負けた時の気持ちの切り替えや気分の転換などが、勝負師になるための大切な素養であり、要素でもある。

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月二回の奨励会例会は朝八時に集合、九時の対局開始まで倉庫から盤を取り出して並べ、それぞれが黙々と駒を磨くわけだが、その間誰一人として目も合わせず一言も口を利く者はいない。挨拶すらない。隣のコイツを倒さなければ自分が上にいけないと、小学生同士が敵意をむき出しにしている。したがって、奨励会員同士での友達はできにくい。そういう孤独の世界である。

奨励会は六級までだが、実は最底辺ではなく受け皿として七級がある。北海道・名寄市出身の石田直裕五段は、奨励会入会間もなく、2勝8敗を二度繰り返して規定によって七級に降級した。母親の寿子さんがそのときのことを語っている。「七級に落ちた時は今も鮮明に覚えています。主人と新千歳空港まで迎えに行きましたが、後部座席から泣き声がずっと聞こえていました。

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あのときは声をかけられませんでした」。本人も辛いが何もしてやれない親の辛さもわかろう。石田はその時のことをこう語っている。「将棋で負けて初めて泣いたのは、六級から七級に落ちたときです。これだけ親に金銭的な負担もかけて好きな将棋をさせてもらっているのに、あまりにも不甲斐なくて両親に申し訳なく、この時ばかりは泣くしかありませんでした。」

石田は高校入学と同時に上京し、同じ所司八段門下の渡辺棋王と同じ高校に入学、アパートで一人暮らしを始める。2008年の第44回三段リーグに上がり、2012年の第51回リーグで13勝5敗の成績で四段に昇段、23歳でプロ棋士となった。四段昇段後の全成績は120勝91敗で勝率0.5687である。彼は中央大理工学部を卒業しており、大学は万が一のときの石田家の既定路線であった。

好きな将棋なら仕事にするのも一興だが、仕事として勝ち負けが生活に直結する世界の厳しさは、その世界に生きてみて知ることだろう。第17期怪童戦に優勝した市岡真吾くんの笑顔が印象的だ。最強アマ仕込みの彼の将棋は決して貧弱ではなく、一度はプロの道を目指したものの、さまざまな要素が彼をプロから遠ざけた。今後は、高校~大学~社会人で将棋を楽しんで欲しい。

先日、ウォーキング途中にふらりと公民館に入ると、四名が将棋を指していた。一面が間もなく終わったが、相手が中学生ということもあってか長い感想戦を一緒に聞いていた。核心を突いた良い指導と思いながら、強そうな相手でもあったので、「一局よろしいですか?」と声をかけた。初対面、初手合いだが、年長と分かるとマナーとして先手で指すよう心掛けている。

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6手目に中飛車に振った相手は5筋を突かず、左銀を4三~5四と繰り出してこちらの7六の歩をかすめ取る作戦。自分は飛先の歩を2六のまま保留し、2二角を3三に上がらせないで、3七桂から4五歩と突っかける。相手は4二飛と回って受け、▲4四歩の取り込みから角交換。▲7三、△6四に角を打ち合った後、桂交換~銀交換から、▲3三角成から飛車角交換の激しい序盤。

上の図は後手の7六桂にあてて▲8五角と打ち、△8八桂成で取った銀を△7四に打ち返した局面。銀桂交換の駒損に加えて相手の陣形はしっかりし、こちらは薄く浮き駒もあってやや不利。桂をつなぎ、▲4一飛成の詰めろに対し、魅力的に思えたのか△8五桂と跳んだ手が敗着で、簡単な19手詰めが発生。四枚美濃の強固な竪陣が無残というか、何の役にも立たず残った。

△7四銀以下、▲8六桂、△8五銀、▲同桂、△6三銀打、▲9四歩、△9二歩、▲7四歩、△同歩、▲7三歩、△同桂、▲9三歩成、△同歩、▲同桂成、△同香、▲同香成、△7一玉、▲9一飛、△6二玉、▲4一飛成、△8五桂、▲7一銀、△7三玉、▲8二銀不成、△8四玉、▲9四と、△7五玉、▲4五竜、△6五歩、▲7六歩まで、先手勝ち。「三桂あって…」の一局。

夏のリンゴが美味しい理由

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子どものころ、リンゴは大嫌いな果物だった。理由の一つに祖母が買ってくるリンゴは、いつもキズや傷んで人間でいうアオジがあるようなリンゴばかりだった。おそらくそういうリンゴを半値以下で買ってくるのだろう。近年はそのようなリンゴをスーパーで売るハズはないが、昔の八百屋さんでは当たり前に売っていた。傷んでいる部分を切り取って捨てればいいのだが…

国民のみんなが貧乏だった時代、副食としての果物は贅沢品だった。それでも手頃な値段で手に入れられるのは、貧乏人にとって有難いことだった。傷んだミカンは売れないが、リンゴのどころどころの傷みは包丁で切り取れば支障はない。それでもこどもにとって腐ったリンゴにみえた。「ばあちゃんはいつも腐ったリンゴを買ってくる」という作文を書いたこともある。

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リンゴは国産だったが、輸入のバナナは一層超贅沢品で、少々色が変わったバナナでも飛びついて食べていた。食べ物に飢えていた昔の子どもは、学校から帰って山に入るのは、果物の宝庫だったからである。そうした懐かしさもあって、ウォーキング途中にいろいろ果物を取って食べている。木から直接もぎ取る柿や木の実は、お金を出して買うより、なぜか美味しい。

昔は全盛だったが最近はほとんど見ない品種のインドリンゴは、子どものころにもっとも嫌いなリンゴだった。理由はもっとも傷みやすく、だからか祖母は傷んだインドリンゴをよく買ってきた。酸味の少ない変に甘いインドリンゴは、酸味の好きな自分には耐えられないリンゴだった。なぜ今はないのだろうか?おそらくリンゴの美味しさは、あの酸味だからだろう。

それに加えてインドリンゴの触感の無さはどうだ。無さというのは、あの「カリっ」という感覚の無さである。今でも触感のないリンゴは好きではないし、常食は決まってフジリンゴ。もしくはサンフジに決めている。米を食べない日はあっても、リンゴを食べない日はない。というほどに、リンゴとキウィは欠かさない。しかし、昔に比べてリンゴの美味しさは格段に向上したようだ。

以前、もっとも好きなリンゴは紅玉だった。これはあの酸味の強さによるが、傷みやすいのが欠点で、切ったら中が茶色ということもある。腹が立つので今は買わなくなった。フジリンゴがこれほど美味しければ十分満足感はある。ましてや、春でも夏でも美味しいリンゴが食べられるご時世に驚くばかりだが、値段の高さもそれはそれで仕方のないことであろう。

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この時期なら一個が250円はする。リンゴは美味しくなったばかりか、無農薬・無肥料栽培できるほどまで進化した。古来リンゴは、「農薬で作るといわれるほどに病虫害の多い果物だった。リンゴ農家はその戦いに明け暮れていたといっていいだろう。したがって、生産者以上に、肥料・農薬製造会社の研究開発が、こんにちのリンゴ産業を支え、押し上げてきたのである。

リンゴといえばこの人、この人といえばリンゴといっていい日本のリンゴ革命を成し遂げた人が木村秋則さんである。青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれた木村さんは、青森県立弘前実業高等学校商業科を卒業後に上京、トキコ(現日立オートモティブシステムズ)に入社した。1971年に22歳で帰郷、リンゴ農家の木村家に養子として迎えられ妻美千子と結婚する。

リンゴ農家に養子に入ったことで、無農薬リンゴ作りを目指したのではなく、当の木村農園も一般のリンゴ栽培農家と同じように農薬散布で徹底した病虫害駆除をおこなっていた。ところが、その農薬で家族の体が痛めつけられ、秋則さん自身も農薬の害に遭遇したことが無農薬生産のきっかけとなった。農産物に農薬は欠かせないもので、沢山使えば農協からも称賛された時代。

当時は劇薬のパラチオンなども使われ、散布後のリンゴ畑の周辺にはドクロマークの三角旗を立てていたという。ダイホルタンや石灰ボルドー液(硫酸銅と生石灰の混合液)なども、雨合羽ナシの普通のジャンパーや古着を着て手散布作業をするものだから、顔や首筋、腕や長靴の上に農薬がかかる。それが超アルカリ性やけどを起こして、白いポツポツとなって現れる。

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普通のやけどの場合、白くポツポツが出た後に水ぶくれができるが、農薬の場合は白くポツポツが出た後にいきなり皮がベロリと剥がれ、痕が真っ赤になるという。ダイホルタンは低農薬栽培時の農薬だが、発がん性が強いことで発売が禁止されている。昭和39年に許可され、平成元年まで使われていたわけだから、お上の指導でなんと25年も使い続けていたことになる。

農家の人たちもダイホルタンに悩まされていたといい、秋則さんも目元の柔らかいところが腫れて目が見えにくくなる。「女房の美千子はかわいそうだった。漆の強いやつにかぶれるようなもので、散布後一週間は畑にでられず、最盛期には1か月も出られません」。青森のリンゴ農家はどこもみな同じ思いで、青森県のリンゴ生産は体を張った農家の汗と努力だったという。

以上は木村秋則さんの著書『リンゴが教えてくれたこと』の記述である。こうしたことが有機農法の絶え間ぬ努力と結実になったという。が、言葉では簡単に言えるが、どれだけの苦労があったかが著書に書かれている。有機農法に転換したことで、リンゴの無収入、無収穫時代は9年間にも及んだという。収入は月に3千円しかなく、一家は畑の草を食べていたという。

妻は市内のパチンコ店で働き、さらにはキャバレーで働いた。家族には「観光関係」と嘘をいっていたという。それでもリンゴの木はいつしか実のろうと自ら努力をしていたのだという。近所の人たちは、「あんたがリンゴの木を捨てるから、リンゴの木はかわいそう」などと皮肉も言われたりもした。草ぼうぼうのリンゴ畑が、やっと実るメドがついたとき…

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「肥料もいらないわたしのリンゴの木は、まるで自然の山の木のように喜んでいるように見える」という。根の養分こそは少ないが土は柔らかくなり、自由に根毛を張り巡らしていけると感じた。「肥料や農薬を使って作るのが一番」と周囲はいうが、その方がリンゴがかわいそうに見えた。「ほったらかすために、やらなければならないことをやった」と秋則さんはいう。

リンゴは美味しく安全になった。さらには春から夏でも鮮度のあるリンゴを食べられるようになった。これは「CA貯蔵」の恩恵である。リンゴ生産量日本一の青森県では、毎年8月から12月にかけてリンゴを収穫する。11月、12月に流通量がピークを迎えるが、翌年8月まで全国の店頭で販売される。秋に収穫されたりんごを一年中食べるられるのが「CA貯蔵」技術である。

CAとは、Controlled Atmosphere Storage (空気調整) の頭文字。空気中の酸素、窒素、二酸化炭素濃度を調整することにより、貯蔵される青果物の呼吸を最小限に抑制し、鮮度の低下を抑える貯蔵法。従来の温度・湿度の調整に、空気成分の調整を加え、さまざまな青果物を長期にかつ新鮮に保存できる。また、発芽抑制・緑色保持においても大きな効果を期待することができる。

大気中には、窒素約79%、酸素20.8%、炭酸ガス0.03%が存在するが、CA冷蔵は庫内の温度を0度に下げ、酸素を1.8%~2.5%、炭酸ガスを1.5%~2.5%に調整されることで、庫内の酸素濃度を大気中の10分の1にし、かつ低温にすることで、リンゴの呼吸を抑えることが可能となる。このように、リンゴを深い休眠状態にすることで、鮮度を保つことができるようになった。

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窒素と酸素の不思議

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「家電の昭和史 冷蔵庫」によると、家庭用冷蔵庫に独立した野菜保存室が登場したのは昭和48年(1973年)となっている。フリーザー付き冷凍冷蔵庫の発売が昭和36年(1961年)だから、12年遅れということになるが、これで冷蔵庫は冷蔵室・冷凍室・野菜室のスリードアとなる。さらには自動製氷機に独立した製氷室や解凍後に0度を保ち続ける解凍室の5ドア時代となる。

野菜専用室の登場となっても、さらに野菜の鮮度をキープしたり、長持ちさせる方法として、ラップでくるんだり根元をキッチンペーパーで巻いたり、タップに入れたりの工夫は今や主婦の常識となっている。これらは野菜や果物を酸素に触れさせないとの理由だが、科学的にいうなら野菜を呼吸させないためで、リンゴのCA貯蔵で述べたが冷蔵庫で似たようなことをやっている。

地球上の空気の主な成分と割合は、窒素約79%、酸素20.8%、アルゴン0.9%、炭酸ガス0.03%となっている。我々は酸素を吸って生きているというが、実際はもっとも窒素を吸っていることになる。なぜ大気中に窒素が80%近くもあるのか、窒素とは一体何で、どういう役割をするのか?別に知らなくてもいいことだが、これも教養といえるなら知って損をすることはない。

上記したように地球上の大気の99%が、窒素と酸素というガスで占められているのは驚きだ。原子番号「7」の窒素はフランスなどでは、「生命が存在できない危険な物質」を意味する、「azote(アゾート)」と呼ばれ、その日本語訳が、「窒息させる物質の意味で窒素」とされた。なんでこんな穏やかならぬ名称を付けられたかは、窒素の発見の経緯が関わっているようだ。

誰が最初に窒素を見つけたかについては種々の説があり、有力なのは1772年にイギリスのラザフォードが発見したとされるもの。ラザフォードは、密閉した容器の中でローソクを燃やして酸素を二酸化炭素に変え、この気体をアルカリ液で処理して二酸化炭素を除くと後に気体が残った。ラザフォードは地球大気が一種類の気体でできてないことを知る。これが窒素だった。

我々に必要なのはあくまで酸素であって、酸素がなければ生物は生きられないし、ローソクを燃やすこともできない。そのためこの気体は、"ダメな空気"、"生命が存在できない物質"など散々な言われ方をされた。そんな物質なくてもよさそうで酸素だけでいいのでは?となるが、酸素が多すぎるとちょっとした刺激で自然発火する。二酸化炭素の比率が多いと動物には毒。

また窒素が多すぎると生物は窒息死する。窒素は重要な役割というより、控えめに役立っていることになる。そうばかりではなく、実は生命にとって不可欠な物質といえる。空気から酸素を取り除いけば酸化を防止しできる。ラップにくるむと「腐りにくい」のはそのため。つまり物を腐らせるの微生物などのは細菌で、細菌も酸素を使って生きており、酸素がないと腐らせられない。

したがって、窒素でなくてもいいのだが、一番身近に大量にあるので窒素を使うというわけ。クルマのタイヤに窒素の充填を勧められるのも、タイヤを長持ちさせる他に、いろいろメリットがある。つまり、大気が酸素や二酸化炭素だけならデメリットがありすぎ、窒素はそれを薄める役割をするだけでなく、生き物がちゃんと使う窒素は生命に不可欠な物質である。

空気中の窒素をある種の細菌が取り込み硝酸塩に変え、これを植物が取り込み、タンパク質などに変える。したがって、植物の「肥料」配合物として、「窒素、リン酸、カリウム」などが含まれている。ところが、大気中に8割もある窒素なのに、人間を含む動物は、窒素を呼吸ではなく食べ物でしか摂取できないというから、地球はそれほど生物には都合よくできてはいない。

植物は根から水と栄養分を吸収し、光合成によって成長するが、この栄養分が窒素、リン酸、カリウムで、土壌に豊富にあるわけではなく、植物を育て続けると足りなくなり、成長が悪くなる。だから肥料を与えるわけだが、大気中に80%近くあり窒素も、動植物にとって呼吸で取り込めないからこそ、重要な元素となる。かつて肥料は家畜の糞や落ち葉を腐らせた堆肥であった。

これらが生物由来の窒素を含んでいたからだ。それをドイツのハーバーとボッシュが、大気中の窒素分子をアンモニアに変える方法を発明し、1913年に実用化に成功した。つまり、彼らは大気中の窒素を使えるようにしたことになる。しかし、動植物が呼吸で窒素を取り込めなのなら、人間が吸い込んだ大量の窒素は肺から血中に溶け込まないことになる。一体どこにいくのか?

空気中の8割もの窒素を吸っても吸収はされず、基本的にはそのまま出て行くことになる。赤血球は4分子の酸素をくっつけることが出来るが、例えば一酸化炭素はその数百倍の力でくっつく。一酸化炭素中毒は怖いし、二酸化窒素は体内に取り込まれると、呼吸器疾患の原因となる。二酸化窒素は水に溶け易く、亜硝酸水として人体に溶け込に、酸性雨などの原因となる。

同じことが窒素にも言え、窒素はCOとは反対にくっつく力が弱い。しかし、水の中に窒素が存在するなら、窒素は呼吸で水分を仲介して吸収される?これは間違い。ただ、高水圧の潜水夫の酸素タンクには窒素、酸素が8対2で配合されているが、窒素は高圧化の場合に人体組織に溶けこむが、常温で窒素が人体に吸収されないように、上手くできてるということになる。

仮にもし、窒素が人体に吸収し易いことになれば、体内は亜硝酸で侵されてしまう。水質検査測定の際、水槽内からアンモニアが検出されなくなると次に検出されるものが亜硝酸。亜硝酸はアンモニアほど毒性は高くないが、水槽内で亜硝酸が検出されはじめる頃から珪藻と呼ばれる茶色い苔が発生し始める。珪藻は亜硝酸態の窒素分を好んで増殖するからだ。

いかにこの時期に窒素分を除去できるかが珪藻を減らせる、または水質を安定させる鍵となる。こうした自然界の減少には様々な元素や物質が絡み合って様態を起こしている。この素因を化学変化であり、科学の不思議さ、面白さはとりこになると止められない。窒素にまつわる以下の実験なども、不思議を超えているがちゃんと理由を知ると納得させられる。それが科学である。

「人間をある密封容器の中に入れて、容器の中から窒素をいくらか抜き取り、周りの空気が通常時の空気よりも窒素量が低い状態にすると、容器中の窒素は外側から補われることがないにもかかわらず、容器中の窒素量の割合は通常と同じく元通りになる。ということは、人間内部から窒素が補充されたことになる。マジシャンが何もないところからハトやカードを出すようなもの。

あれにはタネがあるが、こちらにもタネがある。つまり、人間はこれまで慣れ親しんできた通りの量の窒素が周りにできるように、自分の持っていた窒素を空気中に放出するということだ。人間は身体の内部と、人間を取り囲む窒素との間に正しい平衡関係を作り出さなければならない事情がある。外部の窒素量が不均衡に少ないことは人間にとって許されないことなのだ。

窒素を呼吸するという必要は無いのかも知れないが、窒素は人にとって大切なもので、空気中に存在するだけの量、つまり80%の窒素がどうしても必要ということになる。これだけのメカニズムを、いやこれ以外の自然界における自然の営みを、神が設計図に描き上げたというのは信じられないが、創造主を信じる側は、「だからこそ神の仕業といえるのだ」と、譲らない。

こどもとは何か? 序

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母とは何か?父とは何か?について、定義できるものはできるが、できないものはできない。定義できるものをできないとするのは、知識や素養のない浅学さであろう。定義できないものをできるとするのは事実ではなく、嘘八百もしくは思い込みだろう。書き手は嘘ではないと思っている、だから許せるものなのか?別によいではないか、学術誌ではない所詮はトーシロのブログだ。

いちいち目くじらを立てるものでもなければ、知識として信じるかどうかに書き手の責任はない。情報というのはそういうものだ。確かにインターネットの普及は情報を得やすくした。数十万の百科事典が売れる時代ではないし、出版社も編纂はしないだろう。が、巷に氾濫する情報の真偽についての書き手の責任は、あるといえばあり、ないといえばない。匿名であることが問題だ。

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記名であっても嘘も書けるしデマも書ける。「自分はいい加減なことは言っていない。記名で責任もって発言している」という人は少なからずいる。悪いことではないが、ただの自己満足であろう。「自分は善人である」、「わたしは嘘はつかない」といってるのと何ら変わらない。善人と公言する人が善人なのか?嘘をつかないという人は嘘をつかないのか?

「人の言うことなんか信じちゃだめだ」といった時に、「だったら何を信じていいの?」と返されてビックらこいたことがある。この女性は人の言うことは正しいと今日の今日まで思っていたのだろう。「人の言うことを信じちゃだめ」といった自分が人の言うことを信じないわけではないが、上の言葉は騙された時に発したものだ。まあ、騙された人を前にすればそういうだろう。

当たり前に言う言葉であって、ありがたがられるものでもない。が、騙された挙句に、「人の言葉を信じちゃだめ」に少しではあるが反抗されたことに自分は驚いた。「そうだね」、「これからは信じないようにする」などが順当だろう。そうはいっても、人はまた人の言葉を信じて騙されるのだ。なぜ人は人に騙されるのか?言葉がコミュニケーションツールだからだ。

「それを言っちゃ~おしめ~だよ」という言葉がある。「おしめ~」の意味とは、いきなり結論じみたことをいっては会話が成り立たないってことだろうか。和気藹々と、「ああでもない、こうでもない」というのがコミュニケーションであるのに、いきなり結論をズバっといって去っていくのは頭が良くても嫌われるもの。が、彼に罪はない。罪は状況が作っている。

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彼はコミュニケーションより、提起された問題を真面目には考え、答えを出しただけだろう。自分は女性の会話の中に入って堂々巡りするのが好きではなかった。今は好きかというと、コツを得たから差しさわりの無い程度にやる。要するに、女性はコミュニケーションが楽しいのであって、問題の解決なんかどうでもいい…と感じるに至った自分の対処法である。

自分が求めても変わらない状況なら、自分が変わるしかないということだ。なによりそれを感じるのが加藤諦三氏である。彼の初期の著作は一読すれば、強烈な女性蔑視感を抱かされる。決して女性蔑視ではなく、女性の甘えや思慮のなさが腹立たしいのだろうが、彼はそのあたりに遠慮がない。本が売れること以上に、書きたい事実、女性の本性的真実を辛らつに書いていた。

一例をあげると、「彼女にとって人生はママゴトでしかない。子どもがゴザを敷いてママゴトをして遊ぶのは、そこで起こることはすべて楽しいからだ。時間が来たらそれぞれ家に帰っていく。だから先のような女はママゴトをやっているのだがら、どんなお説教をしようが何をしようがダメ。こうした女は飢え死にするその瞬間にはじめて現実知るのではなかろうか。」

「子どもを甘やかしてばかりの妻に一言いったところ、逆ギレされたとき、彼は一切を理解した。こういう女を「ふしだら」というのだと。彼の絶望と怒りは大きかったが、父親として子どもにどう責任を取ればいいのかを苦悩するだけだった」。以前の加藤氏には「女性」より「女」という言い方が多く、上記のような言い方はこんにちの書籍ではまずあり得ない。

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加藤氏は人生相談をしながら人の悩み(ほとんどが女性)に接したことで、女性の堂々巡りで理解を得ない発言に嫌気もさしたと想像する。それでも支えになりたい、光を見出して欲しいとの希望を抱いていたが、同調意識の強い女性は自分を否定されるのを嫌がり、肯定を望むあまり、たとえ相談といえども気分を損ねる。それもあってか加藤氏を毛嫌いする女性は少なくない。

同じ体験は自分も多かった。女性とはその日その場限りの楽しい会話が必要と感じる。個人批判はしないが女性の特質を述べるだけで自分のことだと早とちりしてムキになる女性は多かった。したがって、女性批判をする場合には実母を取り上げるのが一番。母を女性のすべてとはいわないものの、批判対象の女性としてはこれ以上ないくらい出来あがっていた。

悪いものを悪い、良くないものを良くないと感じることは、良いものを良いとすることにつながる。これが批判(理性的・建設的)と、非難(感情的・憎悪的)の違いである。加藤氏は確かに辛らつであったが、歯に衣を着せぬ発言に他意はなかった。それでも加藤氏の著書の文体には遠慮というより配慮が感じられる。が、彼の一貫した点は、自身に自身を気づかせたい、気づいて欲しいである。

人が人に何かを伝授したり教えるのは難しいのは、人間に自尊心があるからだ。自分では分かっていても、他人から指摘されればムカっとくるもの。若いころの加藤氏には勢いがあったが、若さ=至らなさでもあった。近況の加藤氏は以前のような上から目線と誤解されるような指摘でなく、「気づき」を主体にしている。人が救われるのは自らに気づくよりないだろう。

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母とは何か、父とは何かについで、「こどもとは何?」は必然といえばそうかも知れない。何かについて思考する際は、根本から考え始めるのがいい。頭の悪い人間ならなおさらだ。哲学者のような秀逸な頭脳はなくとも、哲学的思考は誰にも可能。こどもについてより深くさらに深く考えるなら、それはそれで有効な時間である。分からないから考える価値がある。

確かに母の心は母にしか分からない。父の心もしかりである。あげくこどもの心もこどもにしか分からないといってみても、「それを言ちゃ~おしめ~だよ」とはならない。それぞれを体系的に分析し、学問としてまとめられる時代である。フロイトの、「精神分析学」、ユングの、「分析心理学」は多くの症例を土台にし、人間そのもの解明にいっそう突き進んでいる。

こどもとは何か? ②

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自分がこども時代のことをたくさん覚えている。その時の心情ですら忘れてはいず思い起こすこともできる。すべてとはいわないが、あの時どう思ったか心の流れや動きまで脳裏に浮かぶことはある。そのことが貴重で大事なことに思える。それがこどもが何かを理解することになるだろうと。誰もがこどもであったはずなのに、大人になれば大人の論理や都合が優先する。

物事を正しく考えるならそれも大切だし、否定はしないが、果たしてそれらが正しく考えた上での結論かどうかを、親は自問し苦しまねばならない。なぜなら、正しいことは自分の思いに相反することもあり、苦しまねばならないとは、そちらの方が多いからだ。以前、「逆こそ真の子育て論」というのを書いたが、親が基本的に親バカである以上そういうものかも知れない。

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改めていうなら、「親が子どもにこうしてやりたい」と思うそのことは実は正しくなく、「こうしたくない」や禁止事項に子どもにとって正しいことが多い。自分は冷静にそのように実感した。そうでなくとも、人は自分の行動をつい正しいと思いがちだから、真に正しい行いとは自分の意に反していたりする。そこの見極めや嗅ぎ分けをする労力も行為も実は苦しい。

本当はしたくないことをするのは誰でも苦しいだろう。だから、好きなことを正しいと思うことが楽なのだ。人間はずるいし横着な生き物だ。いつだったか子どものころに、「動物は生きるために食い、無用な食は行わない」という記述を目にしたときは感動した。率直に動物は偉いと思ったことも忘れない。また、動物が動物を捕食することで増減の調整も行われているという。

人間に置き換えて、「増減」を考えると、面白い事実に突き当たる。つまり、必要以上に食べるから太るという事実、果たして人間が賢いといえるだろうか?節操がない、自制心がないという点において、高度の肥満はそれを示している。確かに他人がとやかく言う問題ではない。デブは好きでデブになったのだから、悪口なんか言われる筋合いはないが事実なら正しい。

自分は生まれ持った容姿や境遇に批判を抱くことはないが、自己責任の範疇における自己正当化は説得力がないと判断する。「わたしは好きでデブになった」といってはみても、それは結果論を肯定してるにすぎず、「デブになりたくて乱食いした」のではなかろう。実際問題健康にもよくない酒やたばこにしても、医師に言われるまでもなく自制心は簡単に身につかない。

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子どものころは誰でも不自由であった。親から学校から規則や制約の羽交い絞めの中で生きていたようなもの。大人になって自由を供与された時の喜びはひとしおだったろう。自分も母親から離れて一人暮らしを始めたときは、言葉では言い尽くされない感激を味わえた。奴隷が鎖から解き放たれたようなものだったとう。親を無視したとはいえ、見えない呪縛に縛られていた。

「牢獄にいて人は初めて自由の値打ちを知る」とはいうが、自分で稼いで好きに使える成金亡者を批判したいとは思わぬが、あまりに自由にお金を使う自分に批判的になることはある。どちらかといえば好き勝手に生きたい自分であるがゆえに、自制心の必要を感じるのだ。フランクリンというアメリカの政治家・実業家がいる。彼は凧と雷実験で有名な科学者でもある。

彼はまた、ワシントン、ジェファーソンとともに、合衆国建国の三大偉人としても尊敬されている。その彼が『フランクリン自伝』の中で述べた十三の徳目があり、これは彼が実際に自己の修養のために課したものである。18世紀の人ゆえに、現代人には馴染めないこともあるにはあるが、いきなり、「心身が鈍くなるまで食うな。酔うまで飲むな」は耳の痛い至言であろう。

自戒の意味も込め、アメリカ人であるフランクリンの言語も記してみた。同じ人間であるフランクリンができたのだから自分にできないことはないと思うか、フランクリンだからできたと思うか、フランクリンが何処の誰か知らんが、人は人で自分は自分だと思うか、どれでも自由に選べる。これができたからといってフランクリンにはなれないが、多少の自己向上は望めよう。

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1.節制、自制、節度
 ・心身が鈍くなるまで食うな、酔うまで飲むな。

2.沈黙、寡黙、無口
 ・自他にとって無益なことは語るな。無駄口は慎め。

3.規律、順序、整理整頓
 ・すべての物は場所を定めて置き、すべての仕事は時間を決めて成すようせよ。

4.決意、決心、決断
 ・なすべきことなすよう決心せよ。一旦決心したことは必ず実行に移せ。

5.倹約、節約、質素
 ・自他にとって無益なことに金銭は使うな。

6.勤勉、努力、刻苦勉励
 ・時間を空費するな。常に有益なことを行い、無用なことはするな。

7.素直、正直、誠実
 ・嘘、偽りで他人に害を与えるな。純真潔白で公正に考え、口にも出せ。

8.正義、公正、公平
 ・他人の利益を傷つけるな。なすべき義務を怠って他人に害を与えるな。

9.中庸、穏健、温和
 ・何事も極端を避け、当然にして起こるべく害を受けようとも激怒するな。

10.清潔、きれい好き
 ・身体や衣服、住居が不潔であるのを許容も黙認もしない。

11.冷静、静穏
 ・日常の小事や出来事、不可避なことが起こっても心の平静を失わない。

12.純潔、貞節
 ・性交に耽って身体を弱めたり、自他の評判を損なわぬ事なきようにせよ。

13.謙虚、謙遜
 ・イエスとソクラテスを見習え。

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自制心の必要性を最近は強く感じるようになった。何の束縛も誰からの束縛もない自由を横臥できる境遇なら、意識して自身を絞めなければだらけてしまう。ウォーキングもカントの日々の散歩のように、雨の降らぬ以外はと厳格に続けている。自分のこうした徹底ぶり、へこたれない心の強さに磨きをかけたいとの意図もあるが、最近はそれらに加えて自制心を持ち出した。

ウォーキングを始めたころは、途中で自販機のジュースを、コンビニでアイスを…、欲するがままに飲んだり食べていた。ところが今は一切それをしない。雨には負けるが、風にも夏の暑さにも、自販機の誘惑にも負けぬ心身を作りたいわけではない。自制心の鍛錬である。約2時間30分程度の距離であるが、自販機の誘惑に負けないことを、自制心の鍛錬と課している。

ある意味くだらないが、くだらないことができるとかいえばそれは別。給水ポイントは中間点の公園一箇所と決めている。公園の水をタダで飲み、顔と手を洗い、そこで約15分の休息をとり、以後は自宅まで足を止めることはない。これも自制心。自制心が何を生むか?快感を増大させる。我慢の果てに幸福がある。若きころにある先輩が、「女とヤル時は溜めておけ」といった。

同じことだ。自宅の冷蔵庫の一滴を砂漠のオアシスと見立てる。自宅から30分くらいまで迫ると、あと少しで自宅…、冷蔵庫の冷えた炭酸水が頭を巡り始める…、そんな素朴な思いが数台の自販機を蹴散らせる。こうしたささやかな幸福感を人間は意識で生み出すことができる。130円を使うことで得られる幸福感、130円を使わぬことで得られる幸福感。どちらが高い?

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健康のためとか、何かと理屈をつけて自分を強いるのは能がない。変哲のない行為を楽しむための自制心の効用である。こどものころ、河原から宝石のような小石を見つけた想い出がある。それが幸せだった。こどもは無邪気・正直・素直・そして無垢。大人は理屈で動くが、子ども的感性を上手く自然に巧みに利用する能力(?)を絶やさぬ自分が好きなようだ。

こどもとは何か? ③

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こどもとは一体何のか?かつて自分がこどもだったころの記憶もこどもに思索である。イギリスのロマン派詩人のワーズワースは、「こどもは人の父である」といった。意味は、実際どんなこどもに育てられるかで、その人がどんな大人になるかが決まる。これは絶対的真実ではないが、幼年期が人生の基礎的期間として大変に重要という一般認識の裏付けは真実であろう。

人類といういう種が特殊な進化を遂げた結果、我々はこどもに与えられた豊かな約束を満たすよう設計された種でもある。我々は、「〇〇でなければならない」と教育された大人像になるより、こどものまま成長・発達するよう定められているが、だからといって、幼児段階のままで止まっているよう設計されたのではなく、生涯にわたって成長・発達するよう設計されている。

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大脳を極度に進化させてきた人類も実は宇宙人である。ただし異星人から見ればの話。エイリアンという映画がヒットしたが、alienとは「外国人(外国)の」を意味する形容詞で、名詞として「外国人」、「在留外国人」。原義では、「人間でないもの」のみを指すものではないが、SF小説や映画などで「宇宙人(異星人)」や、「敵対的な地球外生命体」の意味で用いられた。

それもあってか近年はそうした一般名詞としても用いられる。日本の空港の看板等ではかつては来日した外国人を「alien」と表記していたが、これはどうかということになり、同じ意味の「foreigner」に変更された。人類の進化の設計図には、こどもに与えられた豊かな約束を満たすよう書き込まれている。人類は創造主によるものと進化論によるものと大別されている。

前者は宗教的、後者は科学的思考による。映画「エイリアン」の第五作『プロメテウス』では、それらとは違う新たな考え方として、同じ創造論的発想である創造主(神)に代わって、「エンジニア」なる宇宙人が存在し、それが人類誕生の謎を解く創造主だと語る考古学者が登場する。第一作の、「エイリアン」はホラー的恐怖映画だったが、ここまで話を拡大させたのに驚く。

エイリアンのことはさておき、「こどもは宇宙人」、「こどもはエイリアン」という言い方がなされるが、いずれも比喩的な意味。我々大人は幼児段階の発達のままでプログラミングをされていないので、こどもの異次元的行為をそのような言葉で表すのだろう。「設計されている」という言葉を用いたが、決して、「計画者」が存在するということを示唆したものではない。

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人間が個々で違うように、こどもも違っており、それはむしろ人の教育されうる可能性の多様性であり、生涯にわたって成長発達しつづけるよう設計されるこどもは、最善の、健全発達を目指した進化の結果であろう。何が最善、何が健全というのも難しいが、実際こどもは、"成長"するものとして楽しげに自らを実現しようと努めるが、それが大人の目にはエイリアンに見えてしまう。

「こどもは見ていて飽きない」という言葉を聞く。自分もそういうところがある。こどもが好きでなかったかつてに比べて、著しいこの変化がなぜに起こったのか自分自身分かっていない。「こどもは見ていて楽しく癒される」と思うに至る何かしら人生の修羅場のようなものを通って生きてきたのかも知れない。そうして最後に辿り着いたものが純粋・無垢なこどもへの帰結か。

そう考えるのも決して無理ではなかろう。人間がどのような知識をため込もうと、技や術を身につけようと、何も知らないこどもの心に適うものはない、そんなリスペクト感をこどもに抱く自分である。「こどもが遊んでいるのを眺めていると心が洗われる」という表現は、なんと的確であろうか。彼らには大人が備わるであろう妬み、僻み、狡さ、腹黒さなどを持ち合わせない。

こどもと共に時間を過ごすと心が洗われる。宗教的精神も大人の特徴であるなら、こどもにはなんら宗教的精神はない。彼らは善くも悪くも非宗教的な精神に充たされている。たとえば、他者を愛し愛されたいと思う欲求、好奇心、詮索好き、知識への渇望、学習欲、想像力と創造性、偏見のなさ、実験の精神、ユーモアさ、遊び心、歓び、楽観、誠実さ、快活さ、思いやり…

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そのようなものこそ精神と呼び得るものであり、思想や宗教に組み込まれないこどもの素直で正直な精神をリスペクトする自分がいる。もはや逆立ちしても身に着けることのできないそれらは、人生を達観した老熟風情の羨望もしくは懐古趣味か。若さを求めて女性がシワ伸ばしをし、コラーゲンを注入するがごとく、こどもの無垢な精神を求めるも、「ないものねだり」と思いつつ…

こどもは自然であるがゆえに賞賛されるものである。ルソーの『エミール』の序文を読んだ時からその思いは強まった。「自然の秩序において、人間はまったく平等であり、その共通の天職は人間であるということ。そして、よく人間として教育された人ならば誰でも、それに関するものを立派に果たすことができる。(中略) 生きるということが私の生徒に学んでもらいたい職業である。

私の手から離れるとき、彼は法律家でも、軍人でも、牧師でもないであろうことを認める。彼は、まず人間であろう」。さまざまな幸福論が書かれているが、ルソーのいう幸福とは実にシンプルであり、老荘などの東洋思想の影響が感じられる。幸・不幸に関連する、「苦痛」・「快楽」・「窮乏」を三段論法を用いて説得力ある言葉を述べているのが読み取れる。

「一切の苦痛の感情はそれを免れたいという欲望から切り離すことはできない。また、一切の快楽の観念はそれを楽しみたいという欲望と切り離すことはできない。一切の欲望は窮乏を予想している。我々が感じる一切の窮乏は苦しいものである。それゆえ、我々の不幸は、我々の欲望と能力の不均衡に存する。その能力と欲望が同じである存在は、絶対的に幸福である存在であろう。」

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真の幸福に至る道を要約すれば、「自身の能力を超える余計な欲望を減ずること。能力と意志とを完全な平等のうちにおくこと」。これは老子の、「跂者不立」がモチーフか。「跂(つまだ)つ者は立たず、跨(また)ぐ者は行かず。自ら見(あら)わす者は明らかならず、自ら是(よし)とする者は彰(あら)われず。自ら伐(ほこ)る者は功なく、自ら矜(ほこ)る者は長(ひさ)しからず。」

現代語訳は、「背伸びをしようと爪先立ちをする者は長く立っていられない。早く歩こうと大股で歩く者は長く歩いていられない。自分が目立とうとする者は誰からも注目されないし、自分の意見を押し付ける様な者は人から認められない。自分の功績を自慢する様な者は人から称えられないし、この様な者は長続きしない」。欲な人間、足るを知らぬ者への戒めである。

こどもとは何か? ④

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すべての大人にとって確実なのは誰もがこどもであったこと。記憶の大小に関わらずこども体験はしてきた。ただし、こども時代体験の善悪良否についての問題点はあろう。ルソーは人間は自然な存在とし、彼のいう自然の意味とは人間が生来的に幸福を求める存在であるところの自然である。したがって、我々においては、幸福であるということは自然であることになる。

人間が幸福であるためには、自らのうちにその存在を閉じ込めておかねばならない。我々の自由や力は、我々の自然の範囲にしか広がりをもたない以上、我々は自分でできることだけを望むのでなければならないとルソーは考える。そして、このような人が真に自由な人であり、そこには能力と欲望の均衡がある。したがって、自由な人は幸福な人、自然な人である。

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なるほど、ルソーのいう幸福に至る道が、「能力と意志とを完全な平等におく」ということの理解ができる。「すべては、創造主の手を離れるときは善であり、すべては人間の手の中で悪くなる」とエミールの冒頭にあるように、ルソーは人間を本来善なるものと考えているようで、それを悪くするものは人為であるという。教育に対する象徴的なルソーの考えが伺える。

それならこどもには何もしないのがいいのかとなるが、ルソーは教育は不必要で有害なものだとは言っていない。あらゆる教育の中でもっとも偉大で、最も重要で、さらにはもっとも有用な規則としてあげているのは、「こどもには時間を稼がないで、時間を失うこと」であるとしている。この言葉の意味はどういうことをいっているのか?一言でいうと早期教育の否定である。

何をおっしゃいますかルソーさん、今の時代は早期教育大全盛ですぞ。早期教育なくして過当競争の今の時代をカメのようにのろのろ進ませたい親がどこにいよう。「這えば立て、立てば歩めの親心」というではありませぬか。なんとおっしゃるウサギさん、それはあくまで親心であり親の欲目であって、どんなにカメを早くから仕込んでもウサギにはなれないのですぞ。

と、こんにちのご時世にあってっも、実は早期教育は医学的に否定されているのだった。といっても慶応大学医学部教授で小児科医の高橋孝雄先生の意見であるから、正しいのか嘘っぱちなのか、「さあ、どっち!」でござろう。ちなみにこの先生、多くの人に信じられているお腹の赤ちゃんにモーツァルトを聴かせるなど、何の意味も御座らん、止めた方がいいとおっしゃっている。


つまり、胎教を否定されている。このような言葉で…。「残念ながらほとんど聞こえていません。お母さんの心拍は聞こえていますが。モーツァルトを聞こうが工事現場にいようが、変わらないということです」。「…ショック」といいたいが、4人の子どものうちの最初(長女)だけで、あとは面倒なのかやっていない。親って最初の子だけは気負って育てるものなのだ。

長女にはたくさんの音楽を聴かせたし、それを今更まちがいだったといわれても済んだことはどうにもならない。まあ、悪かったってことはないだろうし、良かったこともあったのではないかと…。こどもは全員30歳を超えているので、関係ないといえばないが、胎教是か非かに興味のある方は下のURLから高橋先生のご高説をとくと読んで方針を決めるとよいかも…。


ここで言いたいことは、300年前のルソーさんの時代のことではなく、今の時代においても、「早期教育」の是非が論じられていることに人間の奥深さを感じてしまう。早期教育などの言葉を使わずに、巷で耳にするところの、「早生まれは損」ということでいえば、これは間違いなく早期教育である。つまり、早期教育は良くないというように聞こえるのだが実態はどうなのか?

 ◎ 「早生まれ」とは、【1月1日~4月1日】に生まれた子のこと。
 ◎ 「遅生まれ」とは、【4月2日~12月31日】に生まれた子のこと。

調べてみてちょいとビックリ。【1月1日~3月31日】と思っていたら、4月1日だったとは…。その理由がオモシロい(自分的にはくだらないと思ったが)。つまり、人の年齢の数え方を法律(民法143条:「年齢計算ニ関スル法律」)的にいうと、人間が歳を取るのは、「誕生日前日の深夜0時」だと定められている。我々は誕生日当日に1つ歳を取るわけではないということ。

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なぜ、誕生日前日の0時なのかというのは、2月29日生まれの人のためではないかと言われている。つまり、2月29日の午前1時に生まれた子は、2月28日の0時(時間は関係ない)生まれということになる。この法律と学校教育法の第17条第1項から、「子どもが満年齢で6歳になった翌日以降に迎える学年の初めから小学校へ通うことができる」ということが読み取れる。

さらには学教法施行規則第59条には、「小学校は4月1日から始まり、翌年の3月31日で終了する」と記されている。このことから上記の、「学年の初め」を4月1日と置き換えることができる。以上のことから、なぜ4月1日が早生まれになるのか、4月1日生まれの人について考えてみる。4月1日生まれは年齢に関する法律から、誕生日前日の深夜0時、つまり3月31日に6歳を迎える。

小学校入学は子どもが6歳になった翌日の4月1日以降となり、3月31日に6歳になった4月1日生まれの子は入学できる。これが4月2日生まれの人になると、前日4月1日(午前0時)に6歳となるが小学校へ入れるのは6歳になった翌日以降の年度初めと決められているので、4月2日から小学校入学の資格を得るが、新年度の4月1日は過ぎてしまっているので翌年まで持ち越される。

小学校への入学区切りが、4月1日と2日であることから、早生まれの区切りが4月1日までになっている。4月1日生まれは早生まれの中でももっとも若い存在となり、入学直後に7歳になる4月2日生まれとは1年の差がある。これを早期教育とみるか、1年差で同学年は酷とみるかだが、早生まれの子のメリットは遅生まれと同学年でも同列に扱われたいので努力する傾向にある。

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遅生まれの子は早生まれの子に比べてなんでもできることが多く、自信につながる。この年齢での1年差は大きいが、学年が上がればどうということもなくなる。早生まれの子を案ずるより、早期教育を受けて得した思えばよかろう。ものは考えようだ。ルソーは早期教育を否定するが、上記の場合はシステムなのでメリットと思うことだ。彼の早期教育否定の考えはこういうこと。

子ども時代はのびのびとその時代を楽しませることだ。こどもには難しいことをあえて教えないことで、子どもとしての本来的で重要な真の教育が行われている。こどもの精神を解放させる(遊ばせる)ことを、自由で放任された無駄な時間と考えてはならない。この時期こそが何よりも、「無駄」が大切なのだとし、それが、「時間を稼がない、時間を失うこと」と述べている。

こどもとは何か? ⑤

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「人間は自然である」というルソーは、子どもは大人ではないとし、「自然は、子どもが大人になる前は、子どもが子どもであることを欲する」と記している。そんな意識はなかったが、母親から指にタコができるくらい、泣きながら漢字の書き取りをさせられた場面が映像として頭の隅に残っている。嫌なことを強要させられるこどもの心は傷み、辛いのは当たり前だ。

ペンダコができる過程の記憶まで残っており、、まさに拷問であった。孫を叱る長女もイジメというしかない。叱る親の手前もあるから余計な口出しはしないが、いたたまれずその場を去る。子どもには子どもの固有の特性がある。しかるにその感じ方や物の見方において、子どもは独自のものを持っている。であるからして、子どもは子どもとして尊重されるべきである。

大人が果物の静物画を描くときは、実体としての果物を描こうとするが、子どもは食べて美味しい果物の絵を描くこともあるという。子どもを大人の論理で成熟させるのではなく、子どもを子どもの中で成熟させることに大人は目を向ける必要もあると児童心理学は説く。子どもに存在する絶対的特性を、大人は奪うことも、犠牲にさせることもあってはならない広い視野が必要。

子どもを取り巻く上記の抽象的概念を軸に、子どもにどう接すればいいかは、明晰な頭脳が必要である。文字や言葉を読んで意味を知ることと、意味(本質)の理解とではまるで違うこと。このように書いてあるから、どのようにすればいいかを考えるだけではなく、それを実践するための工夫やアイデアも人間のセンスである。それ以前にやってはいけないことはやらない。

これがもっとも重要である。未来は間違いなく不確実である。小学生のころの優等生に将来的な展望が約束されているわけではない。それを勝手に創作するのを夢想家という。あるいは幻想ともいう。そういう親が問題である。子ども時代という貴重な時間を、不確実な未来のために犠牲にさせていいものだろうか。それは束縛であり拘束ではないだろうか。

優等生というキーワードについて考えてみるに、自分たちの少年時代、「優等生」と称号は勉強ができるだけでは授からなかったが、自分はなぜか、「優等生」という称号は大人寄りで好きではなかった。「優等生」であることは、やんちゃやいたずらやおふざけができない境遇だからでもある。ちなみに優等生に属する友人はいたが、勉強もできる以上に品行方正であった。

彼らのことを当時は分析できないが今ならできる。優等生といわれる人間は、「大人向けのいい子」、「優等生であることが邪魔をして、やんちゃができない」、「真面目で固く融通が利かない」、「野性味、意外性、頓智や知恵、ユニークさというものが無い」、「高慢なくせに臆病」、そんなレッテルが当時の優等生たちに重なる。広場に遊びに出てこないで閉じこもる奴もいた。

優等生だからそういうことをしないのか、そういうことをしないから優等生と呼ばれたのか?腹立たしいのは、「大人向けのいい子」で、大人の中には教師も含まれる。こんなつまらない優等生などに、なりたい者の気が知れなかった。頭がいいとはいえ、小学生の教科書は図鑑程度と何ら変わらず、学問というより遊びである。そんなことより生きることを楽しむのが子どもであろう。

ところが、優等生の奴らは生活を楽しんでなんかいない代わりに、教師の使い走りに満足する人種であった。大人(教師)の評価を拠り所にする、姑息な裏切り者である。レッテルが貼られるのを好む人間がいる。レッテル無しで自由に立ち回るのを好む人間もいる。いうまでもない自分は後者。男の子にやんちゃが止められるハズもなし。いたずら以外の何が楽しい?

やんちゃ坊主は、やんちゃ坊主の自負もあろう。昨年5月の北海道。親の躾ということで置き去りにされた7歳男児、山口では2日間行方不明だった2歳の男児、いずれもやんちゃ坊主。だから寂しく暗い夜を孤独で通せる見事なまでのやんちゃ精神である。やんちゃ坊主には、やせ我慢も含め、肝が備わっている。かつてエリートのことを、「青白インテリ」と呼んだ。

青白(顔面蒼白)といわれる奴らに肝っ玉はない。玉も縮みあがって半分女のオカマである。頭がよくとも面白くなく、大人に媚びる優等生というのは、変に子ども離れして許せないところがあった。そんなものになりたいハズがない。「あなたは優等生なのよ」とある教師が言う。褒めてるつもりが、そんな言葉は屁でもない。大人を敵と定める自分を誰が手名付けられよう。

優等生の本質は、「優等生症候群」という病だ。彼らは早い時期から大人に属そうとするあまり、適応という便利な社会の殻を自覚し、発達させるに勤しむ、「小さな大人」である。周りをみて生きる日本人における最大の予備軍こそが優等生。子どもは周囲のことなどおかまいなしで、だからこそこどもであるが、優等生は正体の定まらぬ不確実な、「自己」を生きている。

優等生という響きに親が酔うのは、見栄や欲望をみたすもので、一つ返事で大人に対処する気持ちのよさに加えて扱い易さもあるだろう。やんちゃな悪ガキよりおとなしい子どもは大人には都合がよい。「おとなしい」は、「大人しい」と表記するが、これは、「大人らしい」という言葉から派生した。子どもが姑息でいい訳ないが、子どもを姑息にするのは、実は大人である。

姑息の、「姑」はしばらく、「息」は休むの意から、一時のがれ、その場しのぎとの意味だが、長男が高学年の時だった。彼の書いた、「父の日作文」を書いたのを見て(ワザ)と大笑いしたことがある。そして(ワザと)言った。「お前な~、こんな嘘っぱちを書くより、ぐーたら父さんの家での実態を正直に書く勇気を持った方がいいんじゃないか。こんな嘘を書かれる方も恥ずかしい」。

姑息な子ども、卑屈なこどもを作らないのは親の重要な役目である。姑息な人間は、「調子のいい奴」ともいう、こういう人間は人から絶対に信用されない。調子のいい奴は鍛冶屋にでもなってくれと言いたい。「いいこ」も、「優等生」も、演じるという点では軽度の精神疾患ではないだろうか。彼(彼女)らは、心に潜む病理を巡る共通の苦悩を所有しているはずだ。

かつて、「よいこの苦悩」、「よいこの悲劇」などの言い方で社会問題化されたが、どちらも大人との対人関係を通して、発達的に形成されるもの。それとは別に友人などの人間関係からも、「よいこ」は作られる。その根本動機とは、親や大人や友人の愛情や評価を求める、あるいは失いたくない、いじめられたくないというような、いじらしいまでの対人指向に発している。

こどもとは何か? ⑥

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優等生について書いたが、劣等生をどう分析・判断すべきだろうか。というのも、劣等生とは一般的に勉強ができないこども(いわゆる頭の悪い)を指す場合が多い。素行に問題のある子は非行(不良)と呼んでいるが、劣等生は頭は悪くとも、わりと自らに正直に生きており、「優等生」症候群的な心的な問題点はないのかも知れない。以下はある大学一年生女子の書き込みだ。

「わたしは勉強以外は目もくれないで一流大学に入学したのですが、失ったものというか、趣味のようなものは何一つやっていません。勉強以外に熱中するものはなく、親友もいません。ひたすら与えられた課題だけをこなしてきたように思います。大学には普通に通っていますが、性格的に異性の友達もできそうにありません。こんな自分をどうしたらいいでしょうか。」

経験はないが似たような話はいくつか知っているので、こうれが「優等生」の心の深層であり、病理といえるものかもしれない。「たすけて欲しい」という叫びであっても、誰も彼女を救うことはできない。劣等生は気負うところもなく、むしろのびのびと生きているからか、こうした優等生の心に潜む闇など理解はできない。では、「おちこぼれ」といわれるこどもはどうなのか?

劣等生にくらべて、「おちこぼれ」という響きはどこか暗い影を感じる。おそらく優等生のような心の闇があると思われる。そういえば、「おちこぼれ」という言葉は自分たちが10代、20代にはなかった。30代にあったかどうかは定かでないが、いわゆる昔にはなかった風俗用語である。「おちこぼれ」のことを心理学用語では、「学業不振児」という言葉を用いるという。

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劣等生は学業不振というより学業嫌い児だろう。勝手にそんな名を宛ててみた。心理学でいう、「学業不振児」という概念にくらべ、「おちこぼれ」には学校生活からドロップアウトした非行少年や登校拒否児(不登校)なども含む、「学校不適応児」的ニュアンスがある。「おちこぼれ」という表現は辛らつで、これに該当する少年・少女の精神は軽やかではないと察する。

「うちはおちこぼれ~」とあっけらかんにいう子がいる。屈託なく自分を受け入れている点は自然である。学校においては、「おちこぼれを作らない」というスローガンで授業の補習などをやってはいるが、授業内容が生徒たちにどれだけ理解されているかという、小・中学校の調査では、中学の場合で半数以上の生徒が授業を理解していないという回答を見たことがある。

「おちこぼれ」をテーマに開かれたとある小学校のシンポジウムでは、さまざまなこどもの例が報告されている。小学生で「おちこぼれ」というのだろうか?中学・高校の思春期時期の、「おちこぼれ」の深刻さは理解する。学業不振ということから、学校へ行きたがらない、家出を繰り返すなど、小学生には見られない行動がみられることから親の心配も増すことになろう。

なぜ、おちこぼれるのか?本人の問題とはいえ、結局は家庭や親などの環境的要因、学校というものが本人にそぐわないなど、ケースバイケースということになるが、『学業不振 落ちこぼれを防ぐ教育の理論』、『伸びる子・伸ばす親 たくましい心を育てる』などの著書のある教育心理学者で大阪大名誉教授の北尾倫彦氏は、学業不振に関する要因を3つの次元にまとめている。

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一次的要因:学習活動の失敗、基礎学力の欠如、不適切な教授法・教授内容

二次的要因:性格上の問題、学習意欲の喪失、知能の問題

三次的要因:学校への不適応、教師との関係や友人関係の失敗、親子関係の失敗

これらが複雑に絡んでいることが多いとされる。が、一次的要因だけが原因の場合は、基礎学力の補充、学び方へのアドバイスによって学力が向上する場合がある。しかし、二次的、三次的な要因がこどもたちの背景に存在する場合、おちついて勉強する以前の状態である。二次的要因の性格の問題はさまざまあるが、学業不振の小・中学生児童の性格特徴を以下に挙げる。

情緒不安定、神経質、劣等感、社会内内向、不安的傾向などが指摘されている。ただし、これらの性格は、学業不振が原因で派生したことも考えられ、性格特性との因果関係を軽々には言えない。「おちこぼれたこどもたち」のなかで幼少期においてはおとなしく、反抗期もなかったというケースをみると、彼らが自律性を延ばす場面や境遇に恵まれなかったと感じられる。

発達心理学でいうなら、母性原理がいきわたった環境こそがこどもの本来的知的好奇心や自発的意欲を延ばすことができるとされる。自分の記憶でいっても、主体的に何かをやる方が伸び伸び自由にやれるが、だからといってゲームばかりやろうものなら、母親のストレスも蓄積される。こどもに制限は必要だが、ゲーム機を隠されたことで家に火をつけ親を殺す事例もあった。

自宅の近くの高校の部活で、部員が5人づつ50m走をするのを見ながら思った。歴然の走力差は先天的だろうと。どう頑張っても遅い子が速い子を超すことはない。学力に差がつく様々な諸条件(記憶力・読解力・集中力・継続力)も先天的なものではないだろうか。運動神経と同じように熱心に取り組む姿勢が多少向上するとしても、バカが賢くなることはあるのだろうか?

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教科書や参考書の記憶や過去問題の反復で学力は伸びるが、受験学力の高い子を頭の良い子と思わない。彼らは受験の技術は得てはいるものの、実際に話してみて頭の良さを感じない。物を覚えている(知っている)のと、知識の有用な活用性は別で、学力数値である偏差値=頭の良さではない。東大出の芸能人にそのことを感じるように、彼(彼女)らは決して頭がよくはない。

運動神経を良くする塾(教室)はあっても、先天的に有した奴を超すことはできないと思われるが、塾で即席につけた学力でハイレベル校に入るも、相当の努力をしなければおちこぼれるだろう。人為的(強制的)につけた学力でおちこぼれた人間は多く、心まで卑屈になったり荒んだりしては哀れである。無理をしなければそうはならなかったのに、親が夢を見たのだろう。

親がこどもに無理を強いればこどもも無理をする。こどもは嫌なことでもやらされなければならないのか?好きで自分に無理をするのは、こどもにとっては無理の意識はない。中学の同級で他校からきたKは、脳レベルが別格の極めつけ才媛で、彼女は地元の国立大理学部に自力で現役入学した。「この子は毎日朝まで勉強してるんで心配ばかりでした」と母親が愚痴をこぼしていた。

勉強し過ぎて愚痴をこぼす親も珍しい。ふと彼女の氏名を検索してみたところ、同級生にも関わらず独身であった。彼女の仕事は、年に数回のセミナーを独自に開いている。受講料3000円で安い会場に数名を集めて、「心霊現象についてお茶を飲みながら話しましょう」というお題目である。インドのサイババに感化されている彼女にふとオウムのエリートたちが重なった。

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理系エリートはなぜそっち方面にいくのだろうか?「有能な科学者が、麻原の空中浮遊をなぜ信じたのかを理解できない」と大槻教授は言うが、教授のみならず誰もが思う謎である。Kさんも同じようにあのインチキといわれたサイババに興味津々だった。あれほどの才女にして彼女の現在は意外だったが、彼女を孤立させたのはあまりに違い過ぎたからでもある。

天才や秀才が孤独なのは、周囲への文化的適応と自己実現、愛情欲求と自己存在確立という矛盾を孕む。本人の自己実現欲求レベルが周囲との文化的軋轢を必然的に生みなら、天才は孤独な道を歩むしかない。卒業文集に、「想い出は 懐かしいもの 淋しいもの いつも一人で偲ぶもの」と美しい文字書かれた彼女の文字は、現在の彼女の心を映しているのだろうか…

こどもとは何か? ⑦

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以前から頭の良さと勉強の出来・不出来は関係ないと思っていた。ただ、勉強を熱心にやることで、頭の良さという項目の中の、記憶力や読解力を育むことはできるのは間違いない。ただし、自分が頭の良さを、「知能や独創的発想」と思うのは、これらが答えのある問題の解答探しではなく、勉強というジャンルを超えた世の中の多くのことに関わるという広い視点からである。

かつて自分は将棋の谷川浩司が好きだった。将棋の強さだけでなく種々の面で尊敬に値する棋士であった。ところが、彼が連盟会長の職にあるときに起こったいわゆる、「将棋ソフト不正騒動」の際に、彼のとった行為のあまりのお粗末さに失望してしまった。将棋の強さや人格者であっても適材・適所の人でなかったといえばそうだが、やはり社会人としての能力が欠けていた。

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谷川会長の判断の甘さというのは、当事者の三浦九段に対する名誉を棄損するだけでなく、三浦九段の行動一つで刑事事件に発展するほどの失態を作ったことにある。誰が誰を疑おうとも、「明らかに不正行為がみられる挑戦者とはタイトル戦を戦えない」とした渡辺竜王(当時)の我がままにひれ伏したのは、連盟会長としての不甲斐ないリーダーシップの欠如である。

在りもしない疑義をかけられた三浦九段が、もしも怒りを爆発させて刑事告訴を行ったとするなら、三浦を罪に貶めたとされる千田翔太五段は、「偽計業務妨害罪」、渡辺明竜王は、「威力業務妨害罪」しかりの有罪判決が出た可能性もある。いうまでもない将棋連盟は公益法人である。内閣府に公益法人と認定されるには、以下の要件が満たされていなければならない。
 
 ◎主な事業を公益目的にする
 ◎運営が公正で透明性がある、
 ◎特定の人(将棋連盟の場合は棋士)に特別な利益を与えない、
 ◎男女の差別をしない

さらには国から委託された第三者機関に事業内容を厳しくチェックされ、運営面で重大な不正を犯して公益法人を取り消された場合、公益目的の財産は国に没収される。これに該当するような事件を、証拠もないままに棋士の独断的な思い込みを谷川会長が明晰な対応で収拾できなかった。これには社会人である氏の実兄ですら、「弟を会長から引きずり降ろせ」といわしめた。

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話がそれたが、れもまあ、将棋の永世名人になるような人は、局面を明晰に捉えて判断をできる有能者と自分が勝手な判断をしていたのが誤りだったということ。世の中、金持ちを自慢する人も、学歴や家系を自慢する人もいるが、資産家が賢いわけでも、高学歴や名家出身者が頭がいいわけでもなかろう。何かを成しえた人は立派だが実はバカであるのが幸いした場合もある。

受験戦争は長きに及んだが、頭の良い人間をつくろうという学問の目的が、いつしか、有名小・中・高⇒有名大⇒有名企業に入るためであったことを、国はもっと早い段階で改善すべきだった。勉強をしたいから大学へ行くという国民と、「学歴」を重要視する国民とのギャップが改善されないままに、無駄な受験勉強に青春の労力を使い果たすこどもたちを救うことはできなかった。

「お前は勉強が嫌いだから、手に職でもつけろ」。それが大工・左官であり、理美容師であり、職工といわれる人たちだが、親がキチンと我が子の度量を見切っていたがゆえに適材人を生んだ。勉強嫌いな子に金を出して勉強させる必要があるのか?子どもの将来のためと他人と我が子の見栄の張り合いに躍起になるも、とどのつまり勉強嫌いの子に落ちこぼれ感を植え付ける。

親自らが、「正しい望み」をこどもに託せばいいと思うが、そのためには昔の親のように、我が子を見切るのも親の力量である。幸福という価値を均一に向けるのは、あまりの付和雷同性だ。人間は生まれつき知能に程度の差があるのだから、平等の幸福などはそもそも間違いであり、知能の程度と、幸福の度合いというのは、正比例しないものだと思っている。

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などと単に理想を述べているとの反発もあろうし、「現実はそうもいかない」という声も耳にする。が、そんな言い分にすら異論がある。「現実はそうもいかない」というのは、「現実を理解したくない」ということで、つまり、「親の欲は捨てたくない」といってるに過ぎない。「したくない」ことを、「できない」という人は多いが、「したくない」ことを「したくない」というなら正直である。

無理やり我が子の底上げに躍起になる親を見ると、バーゲンセール会場で少しでも得をしようと掘り出し物を奪い合う光景に似ている。親がこうしたこどもへの見栄や欲を鎮めれば、どんな子も愛する我が子と輝いて見えるのではないか。金さえ出せば何とかなる時代に、「足るを知れ」の自覚は強い意思がいるが、「自惚れ」より正しい自信を子に持たせる素敵な親は存在する。

勝利した人たちがよく言うのは、「自分の持てる力を出せました」である。勝利できなかった人たちは、「自分の力が出せませんでした」という。人と人の力の差があっても、それですべてが決まるわけではない。だから、努力も鍛錬もしがいがある。10の力があっても5しか出せないなら、7の力しかなくても100%出せば7であるから5の力より上回ることになり、それが勝ちにつながる。

谷川浩司が名人になったのは1983年6月15日で、21歳の最年少名人の記録も作った。谷川は記者会見の場で、「名人を獲ろうなどと欲の深いことを考えなかったのが良かった。とりあえず1年間は、名人を預からせていただきます」と述べた。なんという謙虚な人格者であろうと、彼のファンになった。同じ関西の内藤八段は、「いかにも谷川らしい用意してきた言葉」と茶化した。

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人の力の差は当然にある。だとするなら人間の値打ちというものは、その人の仕事や勉強の成績によってではなくその人の力の表し方で決まる。10の力を持つ人が10の仕事をしたのと、5の力を持った人が5の力をしたのと、成績上は倍の違いがあるが、努力の値打ちは同じことだ。5しかないなら5を出せるようにすればいい。人間は結果だけで判断をされない場合もある。

自信を持った人は素敵だが、自慢する人、自惚れる人に反発を感じることはある。自信がないから自慢する憐れさとみる場合もあるが、自信を持つ人は確信に満ちて生きている点において、心打たれ魅きつけられる。自惚れとは実力以上に自分を買いかぶるだけではない。持ち合わせた器量(容姿)や力量そのものを、「人間の値打ち」と思い込んでいるところが滑稽である。

人間の値打ちはその人の生き方で決まるといったが、現実的に世間は美人をチヤホヤし、力量ある人を重宝する。働き手の仕事量に合わせた、「能力給」体系が持ち込まれたが、実はこれが諸悪の根源だった。能力給の本質とは、「能力を見ること」ではなく、社員の能力に疑問符をつけ(合法的に)給与をあげないこと。要は、「働く人を使い捨てにする時代」の始まりだった。

最近、何かと体育系の連盟や協会に無能の理事たちの乱立が目立つ。名選手を名監督としないアメリカ人はクレバーと思うが、日本的な情緒はそれを許さない。名選手がよい経営者ではなかろう。即刻、外部招聘をすべきである。谷川も名棋士ではあたが、リーダーには不向きだった。その点、日本棋院はトップを外部招聘している。相撲協会にも必要性がいわれている。

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こどもとは何か? ⑧

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遥か遠き彼方の我がこども時代だが色褪せてはない。小学生時代に限定して好きだったもの、嫌いだったものを挙げてみる。まずは好きだったものには、赤胴鈴之助、月光仮面、七色仮面、雷電為右衛門、若乃花、明歩谷、力道山、明智小五郎、植木等、チキンライス、漬物、ラムネ、みかん、日の丸キャラメル、渡辺ジュースの素、冒険小説、ものしり博士のケペル先生。

嫌いなものは、母親、化け猫、お岩、運動会、ラジオ体操、脱脂粉乳、怪人二十面相。好きだった偉人が松下幸之助。強く感動したものは砂漠のオアシス。興味があったのは星座・宇宙・天体観測。これだけでどんなこどもかを判断するのは難しいが、どんなこどもであったかの主観的な判断はできる。ただし、言葉で説明するのは難しい。人一倍好奇心が強かったのは確か。

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これは一般的なこども特徴であるが、他人に物足りなさを感じていたので、その意味で他人よりは強かったろう。″砂漠のオアシス″に感動したのは、冒険小説や冒険漫画を好んで読んだこともあり、砂漠で旅人が暑さと喉の渇きで死にそうになったとき、オアシスを見つけて助かるという話にとても感動した。見たこともないオアシスだが、人の命を助ける天の恵みに思えた。

我々こども時代の最大の恵みは学習塾がなかったこと。皆無ではなく、小さな個人塾はあったが当時のこどもは遊ぶことがこどもの仕事。そもそもこどもは大人のようにではなく、こどもとして発達することを自らに約束されている。ルソーのいうようにゆっくりと大人になればよいし、親が他のこどもより積極的に賢くする方法は、こどもの自身の能力によるしかなかった。

多くのこどもは金銭的教育を受けることもなく自然に子どもを満喫するなかで、足の速さと同じように頭の差もあったが、それは地頭の良さであった。こどものうちから先を見据えた自己達成感を持ち、家庭学習に励む子の多くは母親の意識が強かったと思われる。遊びに誘いに行くと、「遊べないから誘いに来ないでね」などという。こどもなりに可哀相と思っていた。

極度に地頭の悪い子はなぜかいた。発達の遅れが原因か、遺伝的なものか、自身の学習速度を認識しそこなって傷ついたままに落伍してしまったのか、理由は分からない。さまざまな境遇の子を同じ学年で揃えて一緒にするというのは、公平なようで実は正しくないのかも知れないが、横並びが原則のこの国では、諸外国の個人主義社会と違い、飛び級制度は作られなかった。

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熟達の速度や、科目の好き嫌いや、理解力なども人の能力とするなら、すべての科目を同時に、等しく、上手くこなすことをこどもに期待するのは、非現実的であろうが、小学校程度の勉強というのは、できる子には屁でもないくらいに簡単である。そういう子は、算・国・社・理など全ての教科ができるが、ダメな奴はなぜか全部ができない。これは地頭の問題だからか?

やはり、運動能力・運動神経と同等の、学問に向き・不向きという資質の問題であろう。もっとも創造的なこどもを除けば、勉強できるという資質は誰でも共通に持っているが、勉強に不向きというこどもの方が稀有である。天才と称されたアイザック・ニュートンは、こども時代を以下のように振り返っている。「私が世間の人々にどのように見えたか、それは分からない。

しかし、私自身にすれば私はただ海岸で遊ぶ一人の少年ごときであった。普通より滑らかな小石やきれいな貝殻をときどき見つけて楽しむ、そして真実の大海はすべてが未知のままで、私の前に横たわっていた」。普通のこどもが、何らかの影響を受けて、自発的に何かに動かされ取り組むようになったのであって、親が躍起になってこどもに金銭的教育をした偉人はほとんどいない。

時代が時代といえばそうだが、日本も第二次大戦後の学制改革では、教育を受けたいと希望するすべての人に門戸を広げるための方策として、「高校三原則」に沿った新制高等学校の設置が進められた。公立高校は入学試験もなく、希望者全入が原則だった。それが文部行政の転換や、旧制中学の名門校を復活させたい動きも入学試験による選抜を後押し、それが塾を生む要因となる。

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さらには高度経済成長期の豊かさが重なって、受験戦争へと過熱していく。家庭内の労働力としてのこどもはいつしか、家の中心に置かれ労働は免除され、親たちの愛が専ら注がれる存在へとのし上がっていく。当時の婦人雑誌は、「子供は王様」と煽るなどしてグラビアを特集した。子どもが核家族の中心に据えられる時代背景を機に、受験戦争の過熱が不良を生んでいく。

戦後の子どもの第一次非行は1951年である。これは戦災浮浪児というやむを得ない事情もあった。次いで第二次非行は豊かさと受験戦争の1964年に起こる。さらに1976年には少女非行も激増するが、その二年前の1974年に、校内暴力という形で第三次非行のピークを作ったが、鎮静には数年を要した。学校はその対応に管理主義で子どもを抑え、いじめや登校拒否を生んだ。

こどもといっても性格や個性に違いはある。性格は、一般に個人の行動に見られる一貫した傾向と定義されるが、個性とは、ある個人を一つの性格類型と分割できないものとして把握すべきものが個性であろう。「個性がある」とか「個性的」という表現は、その人の性格的特性は勿論、しぐさや顔の表情、物事に対する興味の示し方や対処の態度、あるいは考え方などをいう。

これら分割不可能なものとして他人から区別され、その人独自なものとして捉え得る際に用いられるもの。「個性が強すぎる」と教師たちにいわれたが、この場合の個性は長所というより欠点と指摘された。学校や学級という集団社会で、個性を絶対評価できる有能な教師はいなかった。全体主義の中に埋没してあぶれない人間こそが協調性のある人間と評価された。

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ある一人のこどもが運動的能力に秀でている場合、それを延ばすための特別カリキュラムが別枠で設けられることもないから、せいぜい部活動でいい指導者に巡り合えばの話である。いい指導者というのが問題で、こどもの個性を伸ばすどころかふみにじる教師も少なくない。だめなコーチがいたことで、サッカーがバスケが野球が嫌いになってしまった事例は少なくない。

こどもたちは社会とともに変貌している。愛らしくあることを止め、不可解なものへとこどもが変貌する時代になったのかと思うことがある。特に学校においては、生徒と教師が友達のような関係であることに我々のような旧世代人は驚くしかない。善悪はわからぬが、ただただ驚くということだ。敷居が高くないのは良い事に思えるが、師弟間に境界線はなくていいものか。

こどもとは何か? ⑨

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こどもは何でどうあるべきか思考した。その人の人生における貴重なこども時代の大事さを考えるとき、こどもはどういうこどもであるべきか?親が望むように、周囲のこどもとは別の差異化を図るべきか?そのことがこどもの将来の幸福を約束するものなのか?将来のためにこども時代を犠牲にする昨今のこどもたちを自分たちのこども時代に比べるのは無意味意味なのか?

「人類を偉大にしたのは考えることである」とパスカルはいった。こどもは考えることがすきだ。彼らは常にそうしたがっている。実際、こどもの生活のすべての過程は、終わりのない問題解決の過程だろう。考える衝動がこどものなかで強力であるうちに、考えることを学ばなければならない。そのためには考えることを周囲が励ましてやるべきではないだろうか。

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「絶対的真実」というものはほとんどないに等しく、すべてのものは多かれ少なかれ、確率が高いということだが、それを真実と捉える大人はいる。大人だから仕方ないが、こどものうちは安易に物事を決めつけず、人は真実に向き合い改良しようとする姿勢を教えるべきだ。正しいことの証明ではなく、誤りを立証することを正しいとして教える必要を感じるのだが。

知る欲求は、学ぶ欲求と同じではない。「知る」はハッキリとした概念をもつ、あるいは理解するということ。「学ぶ」ということは記憶にとどめることである。が、こどもにとってこの二つは一緒のもののようだ。こどもは知りたいと思い、また知ることを学びたいと思っている。同時に、学ぶ方法を知りたいと思っている。学校に行くのは義務だが退屈な教師など必要ない。

のんべんだらりな親もしかりである。こどもの高い感受性をさらに高めるためには、こども以上の高い感受性を持つ大人が必要だ。果たしてそんな大人がいるだろうか?いる、いないに関わらず、せめて親がそういう問題意識を持つことだ。感受性の高い親に育てられた子の感性は当然ながら高いはずだ。この世界はおそらく素晴らしいはずだからこどもに教えるといい。

見るもの聴くもの触れるもの香るもの味わうものを総称して、「五感」という。問題集ばかりにらめっこをし、そこに記号を埋めていくよりも、五感という刺激を高める訓練を課すべきである。「そんなことをして何になる?」という親は、それをしなければいい。大事と思う親がすればいいことだ。真に学ぶとは、きづくこと、意識の範囲を広げること、それらを強化する。

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丸暗記に力点を置く昨今の教育は、専門技術の伝授に過ぎず、学習から基本的な要素である創造性を奪うことになる。そんなことは考えればわかること。問題を解くことは宝探しのようであり、それのどこに創造性がある。真の学習とは、人生を生きる、そのためのものであるべきなのだ。「人は成長するこども」という言葉を聞いたことがある。誰の言葉か覚えてはない。

成長は大人になるためだが、上の言葉は永遠にこどものままでいろ、成長を止めずにし続けろということだろう。「幸福かどうかを自問したときから人は幸福でなくなる」といったのはミル。幸福は求めるたびに逃げていく。いっそ、幸福は手軽なものから味わっていくべきであろう。安定と幸福を求める者は、人生という本当のものに背を向けているような気がする。

「ZOZOTOWN」を運営する前澤友作氏が、交際中の剛力彩芽を引き連れて何を食った、何処に行ったとSNSで吹聴して顰蹙を買っていた。好きにしたらいいのに、いちいち反応するのはジェラシーか。金持ちがお金を社会に還元するのは、金融の理論からいっても正しい。だから、お金持ちはジャンジャンお金を社会に落とえばいいのに、文句をいう人間の心のさもしさ。

愛するとは物の生命を生かしきること。お金を愛すならお金を生かし、言葉を愛するなら言葉の命を生かしきる。言葉の命を生かしきるとは、その時、その所、その事、その人にもっともふさわしく一番必要な言葉を使うことか。『愛語よく廻天の力あり』は道元の言葉。愛語とは、挨拶だったり感謝だったり励ましだったり、賞賛だったり慰めだったり尊敬だったり…

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言葉を正しく使うことも結局は愛語と同じこと。こういう言葉を使うことができれば、人間の人生から苦しみは減るのではないか。生きることへの喜びと勇気を与える言葉は、それを使う人にも、使われる人にとっても、大きな幸福を感じさせてくれるに違いない。『愛語よく廻天の力を学ぶべきなり』という言葉を噛みしめながら、若き日の過ちを偲んでみる。
 
社会は家庭と違って厳しいものとする。こんな言い方をしたのは、自分にとっては社会より家庭の方が数倍厳しかった。なぜなら、社会には優しさや愛もあるが、家庭(母親)の愛を感じたことはなかった。父の愛は消極的で素朴なものだったから、感じるというものでもなかった。暖かい家庭に育ったこどもも、甘やかされて育ったこどもも厳しい人生に一人で立ち向わねばならない。

親のエゴイズムとふやけた盲目の愛を断罪した自分は、そのことで依存心が芽生えず自立が加速されたのかも知れない。となると、甘やかされたこどもは社会の厳しさに立ち向かえないままに挫折をすることもあろう。家庭は社会の厳しさに負けないようにする訓練の場という視点を持った親がどれほどいるだろうか?せめてこどもを社会に放つ使命と責任は担うべきである。

家庭で厳しく躾をするのは、社会で苦労させないためであることも、親は知るべきである。そのためには社会の目を持たねばならないが、母親には難儀であるから父親の役目といわれている。環境もちがえば育ちもちがう、親の性格もさまざまだからか、びっくりするような言葉を親に投げかける奴もいた。「母には幸せになってほしい」と願っている女の子がいた。

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その言葉を実際に親に投げかけたというのだ。どういう事情かはともかく、こどもが親に向かって、「幸せになってよ」というものか?言って悪い言葉ではないが、いうものなのか?「で、親はなんて応えた?」と聞くと、「そうね、なれたらいいね」と応えたという。おそらくこの親はこどもに慰め言葉をかけられても何の違和感もないのだろう。仮にも自分の子が…

「お父さん、幸せになってね」といったらなんと応えるだろう?用意した言葉はないが、このように言うしかなかろう。「お前に幸せになってほしい、そのために親をやったのだ」というだろう。確かに、そのための親だったから自然に言葉にでても不思議ではない。だから親が子に何かをするとしてもある年齢まで。それ以降はむしろ何もせずに、それが自立の手助けといえる。

自立の手助けとは、ライオンの親のように谷底に突き落とすのではなく、ただ飯を与えぬこと。こどもが社会人になって、自宅で親子同居する場合も、食費をとるのはそのためである。そのことをキチンと筋立てて話して理解をさせる必要がある。こどもからの食費請求は全然オカシなことではなく、必要なことであるのがわかろう。が、理解を共有するために筋立てた話をする。

こどもだけが幸せでいいというのではなく、親も幸せであるべきである。そのために親子は遠慮なく何でも話せることだ。コミュニケーションが円滑に上手く行ってる同士は幸せである。当然ながら人間は生まれたままの本能だけでは幸せになれない。幸せになるためには、なるための必要な行為や努力がいる。遠慮なく、気兼ねなく何でも話せるのは信頼があるからだ。

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それとて十分に幸せである。世の中には親子、夫婦、兄弟、友人などの人間関係でギクシャク感やいがみ合いは多く、それのどこが幸せか?何気ない小さな幸せだが、いがみ合いからすれば雲泥の差。幸せ感とは何も大それたことではなく、支障のない人間関係だけで十分だったりする。身近に当たり前に潜んでいたりするものだから、気づいた者が幸せだろ。

こどもとは何か? ⑩

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学校が荒れた時代があった。近年はそれが終焉したのは学校や教師や市教委などの体制側の努力によるものか?教師の実像の変化とともに生徒たちも変貌したからなのか?そのあたりの分析はできかねるが、教師と生徒が水平な人間関係にあるように感じられる昨今である。たしかに学校が荒れた時代、教育の荒廃の要因は教師と生徒のリレーションシップの欠如があった。

一例として以下のケースがある。ある「少年自然の家」における合宿。大食堂に八人用の円卓が4面ほどあり、20人ほどの高校生が食事をとっていたが、引率教員の姿はない。教員は教員だけが一つのテーブルで食事をとり、さっさと個室に引き上げて各々がテレビを観るもの、談笑するもの。合宿における食事とは、単に食欲を満たすだけでなく、感情交流の場と解している。

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せっかくの合宿なのだから、生徒と教師が味噌汁をついだり、ご飯をよそおったりという相互関係があってもいいはずだ。夜は夜で教員は生徒の中にはなく、個室に引きこもってビールでも飲んでいるという。それがどうこうというより、生徒と談笑しながらビールを飲んでも何ら問題はない。合宿教育の真の狙いとは教師と生徒の触れ合いであることを教師は知らないのだろうか。

吉田松陰は塾生たちといっしょに左官仕事などをしたといわれている。師弟とは折を見て共同作業を通してリレーションが深まるのである。何かを説いたり語って聞かせたりだけが教育ではない。教育の核とは、教師と生徒の人間関係といっていい。でんければ、教師がどんなにいい話をしたところで、生徒は教師の話をうつろにしか聞かない、もしくは聞いたふりをする。

教師と生徒のリレーションの欠如が教育の荒廃の素因であるのは間違いないだろう。それからすると、昨今の教師と生徒の友達のような関係は良い状況といえる。自分たち旧世代人が驚いただけに過ぎない。リレーションの欲求は、人間の基本的欲求である。実際問題として生徒が教師にリレーションを求めるとの前提は、人間系において妥当であり、良い面が多い。

もっとも、リレーションには二種類あるとされる。一つは「役割関係」、もう一つは「感情関係」となる。教師と生徒のリレーションが良い状態とは、「教師という役割に対する教師自身の期待と生徒の期待が一致していること」。「生徒という役割に対する生徒自身の期待と教師の期待が一致していること」。この二つの条件が揃えば、師弟関係は活気に満ちている。

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ちょっと上の世代のこどもならだれでもやった「馬跳び」や、「おしくらまんじゅう」は、冬の寒い日には体もあったまったが、学校のグラウンドで禁止された。なぜかはこどもには分からなかったが、教師は危険な遊びだという。なぜ危険なのかさっぱりわからず、とにかく学校ではやってはいけないことになった。それでこどもがこの遊びを放棄したのではない。学校ではやらないだけだった。

おそらくどこかの学校で事故報告があったのだろう。背骨が折れたのか?まさか…。事情は分からないが、責任を取れない、取りたくない学校は校則づくめになっていく。学校はなんの目的で行くのか?様々な回答があろうが、今と昔では自ずと答えはちがってくる。かつて学校は勉強するところ。そこ以外に勉強するところはないが、今のこどもは勉強は学習塾でする。

これがもっとも大きな違いだが、今も昔も変わらぬ点は、大勢の人間関係の中で社会性を学ぶ。つまり、学校とは世渡り能力を身につけ、高度な学問は塾で教わる。ならば学校の勉強は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む能力」を教えるところかも知れない。昭和40年代、17歳で自殺した女子高生がいた。今ほど自殺が珍しくない時代であったがゆえにショックだった。

以下はその彼女が英語教師と衝突したときに担任に言われた言葉。「いくら正しいことでも、言って良いときと悪いときがある。社会に出れば年下はどんなことがあっても目上に逆らってはいけない。言いたいことがあっても言うのは自分の損になる。我慢する子が賢い。世の中は矛盾と不正に満ちているのだから、いちいち不正だの間違いだの反抗していたら生きていけない。

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生きるためには現実の問題に全力を注ぐべきで、あなたが正しいと思っても何にでも突き当たるのはよくない。英語の先生は何も悪いことはいっていないし、あなたはすぎに謝ちなさい」。彼女は死を前に自身の思いを長々と綴った。英語教師も担任の言葉も承服できないから死を選んだ。教師であれ間違いは起こす、間違ったこともいう、そんなごく当たり前の認識であろう。

英語教師の間違いは明らかだが生徒からの指摘はプライド傷つける。さらに担任から「英語教師は間違っていない。自分が正しいと思っても逆らってはいけない。謝罪しなさお」と追い打ちをかけられた。真面目で正義感の強い彼女は教師に反抗できず、自身を追いつめるばかり…。「教師なんて所詮はこの程度。タコつぼのタコと同じで世間知らず」という柔軟性がなかった。

権威という重石と重圧に耐えきれず、自らに敗北するしかなかった。物事をぞんざいに思考できない真面目人間ゆえに追いつめられる。彼女は遺書の最後にこう綴っている。「教科書や幾多の書物には、いかなる強大な不正にも屈せぬ強く清い心を作れと教えていながら…、もう、先生なんか信じない」。もし自分が傍にいたら、「信じなきゃいいのよ」となだめたろう。

親が正しい?教師が正しい?そんなバナナ…。信じるものだけを信じればいい。信じれないものに苦吟することない。親、友人、教師、上司、信じれる相手だけを信じればいいし、信じたくない相手には適当に対処すればいい。思いつめたりせず、そうした処世術を学ぶことも大事である。信じたくない相手を信じねばならないという苦悩は、自身が勝手に作りだしたもの。

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こどもの自殺は親への不信感である。生徒の自殺は教師への不信感である。こどもは家庭においては親と子、学校では教師と生徒という二重の存在で、教師が許せなくとも親に支えられる。なのに親が、「先生に反抗しちゃだめ」と言おうものなら、こどもの居場所はない。自分を守ってくれるはずの親が教師の肩を持つのはやるせなく、親にまで裏切られた気になろう。

こどもの前で教師批判はすべきでないというが、批判されるべきはされなければこどもの正義も自我も崩壊する。いじめる相手やいじめに適切対処しない教師の言動を親は漏らさず聞き、無能教師と分かれば文句を言ったとことで埒はあかないと悟ることだ。即刻、転校を願い出る。その際、校長に無能教師の保身とダメぶりをとくと聞かせることだ。とにかくこどもは親が守る。

こどもの気持ちに同化し、絶対にこどもを孤立させないことに全力を注ぐ。「親身」という字は、「親」と書く。親の支えをなくしたこどもは、突然、糸の切れたタコのように何処かに飛んでいってしまう。こうした最悪の場合の危機感を持ち、手遅れにならぬように、いつ動くべきか、動くのがいいかを見計らう。そのためには日々子どもを観察し、話やすい環境をつくる。

こどもを自殺で失った親に、そうした危機意識がなかったのではないか?「そんな感じはなかった」、「いつもどおり」、「まさかそこまで思いつめてるとは…」。こんなことは誰でもいえる。何かが起こった時には、おそらくそう思う以外に自を救う方法はない。自分を救ってどうする?親は我が子においては、どこの有能精神科医やカウンセラーよりも優れているはず。

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