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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    入社1か月で辞めたモンスター新人の言い分が、「耐えることに何の意味がある?」だという。あまりに面白い表現に思わず笑ってしまったが、表現といういうより理屈だろう。笑ったのは、「今どきの若者は…」と、バカにしたのでも見下したのでもない。青年期になりかけのころ、このように思った。「大人になったら、『今どきの若者は…』なる言葉を絶対口にしない」と。

    理由は、自分が若きころに大人たちからそうした言葉を吐かれ、バカにされたからで、それがとても嫌だった。大人たちは自分たちのことなんかまるで分かっちゃいないと思ったりもした。「今どきの若者は性根が腐ってる」、「今どきの若者はホントにダメだ」、「今どきの若者は何を考えているのかさっぱり分からん」などと、すべて否定的なダメ出し言葉だった。

    大人になったら絶対に言わないと自分に言い聞かせたが、言わないは思わないではなく、面と向かってそういう言い方をしないということだ。「腹で思っているなら口に出さずとも同じではないか?」。確かにその論理は成り立つが、世の中、思っていても口に出すべきでないことは多い。太った女性に、「太ってますね」、「デブですね」など言っていいわけがない。

    もし、「今どきの若い者は…」を若者にいうのなら、せっかくだから肯定的に言ってやりたい。肯定的といっても、正しいという意味ではなく、近所のおばあちゃんが、「今どきの子だよね~」などと、おそらくおばあちゃんは、若いころの自分たちと比べて今の若者はあまりに違いすぎるが、否定をしたところで仕方がない。だから、「今どきの子」という言い方になる。

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    確かに、今どきの子(若者)は、今どきの子であることに間違いはない。彼らが昔の子(若者)と同じであるはずはないし、たらいと洗濯板でゴシゴシ洗濯していた時代と現代はまるで違っている。どこから見ても今どきの子は今どきの子であって、だから、「耐えることに何の意味がある?」という言葉を時代の流れとするなら、こんなことが言える時代なのだと感心もした。

    我々の若き日にはそんな疑問すら持たず、だからか上司や経営者にそんなことを言うなどあり得なかった。「耐えることは当たり前」と思っていたのである。なぜ、「当たり前」と思ったのか?おそらく、耐えることで何かが自分に身につく、あるいは耐えることで強くなれる、さらには、耐えることで必ずや希望(光)が射すだろうと、「耐える」に意味を見出していたのだろう。

    それからすれば、「耐えることに何の意味がある?」という今の若者は、耐えることになにがしの意味を見つけようとしていない。つまり、「耐えることに何の意味がある?」というのは、自身の疑問に対する他人の答えを求めているようにも感じられる。自分で考えることをしない、自分で答えを見つけようの気持ちがない。これは現代若者の依存心と見た。

    それなら理解もできよう。自らで考えようとしない、答えを見つけようとしないは依存心であると決めつけた。どうしてそんな若者になってしまったのか?みながみなそういう若者ではない。「耐えることに何の意味があるか」の意味を自分で見つけようとする若者もいるはずだし、いて欲しい。自ら考えて答えを出せば、自ずとそのことに対処していけるだろう。

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    「耐えることに何の意味があるんですか?」を上司に尋ねてどうする?なぜなら、上司がくれる答えに納得できるとは限らない。だから、自分の答えを見つけるのだが、おそらく彼らは疑問というより反抗態度をぶつけているつもりなのか?そういう彼らにどんな風に答えようと否定的にとる。もし、自分が上司で新入社員がこういう言葉を口にされたら何と答えるか?

    「何の意味があるかって?そういうことは各々が自分で考えるのよ。自分のことだろ?人に聞いてどうするんだ?脳みそがあるなら君の答えを見つけろ。それとも糠みそか?社会に教科書はないんだよ。自分なりの答えを出すしかない」などといいそうだ。当たり障りのないkとをいっても彼の身にならない。耐える、耐えないは本人の自由、耐えたくないなら去るしかない。

    人から教わることより自己教育力こそが身になる。今の若い子は(といういい方を便宜上するが)、何事も教えられ過ぎて育っている。それが自ら思考する習慣を阻み、育まれていない。会社の上司は塾の講師ではない。覚えることが膨大であり、考える時間を無駄とし、テクニック史上主義に走る。手っ取り早さを求める指導者ゆえに、合理主義的マークシート人間が育った。

    「教えすぎの弊害」は一朝一夕に改まるとは思わぬが、だからといって手を差し伸べてばかりでは、彼らの依存心は一向に改められない。しかし、それでは仕事ははかどらないというジレンマとなる。だから、独立自尊の考えを持った若者を確保すべきかもしれない。そうかといえば、上意下達を旨とするロボトミー志向企業もある。多くの製造業は工場でロボットが稼働する。

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    文句も言わず、不平も言わず、便利な代物だ。が、機械に向上心はなく、機械の向上は、人間の頭脳の向上となる。反面、機械は努力をしない代わりに嫌なこと(意識はないが)を文句も言わずに延々とやるが、人間は努力をし、それによって向上する。一般的に努力とは、「苦痛に耐えて目的を達成すること」と見られがちだが、「苦痛に耐えること」=「努力」ではない。

    なぜなら、自分が嫌なこと、したくないことを延々と、ロボットのように続けられる人間などいるハズがない。人生とは幸せになるためにある。ならば、「努力」は幸せになるために使うべきであろう。人はそれぞれが不足な状況(環境)に生きている。「幸福というものは、それぞれの人間が持つ不幸というものを、それぞれが癒すためにこそ生きている」と以前に述べた。

    物事は考え方である。考え方で意識は決まる。ならば嫌なことを我慢し、努力するのではなく主語を「幸福」に置き換え、「幸福になるために我慢して努力をする」とすればいいのでは?そういう考えに立てば、「耐えることに何の意味がある」という問いに、一つの答えがもたらされる。「幸福になりたい、幸福になるのを目指して耐える」というのも立派な答えである。

    ネガティブな人間は後ろ向きに物事を考える。それなら、努力も耐えることも味気のないものになる。ポジティブ・シンキングがすべてに、「良」とは言わないが、ちょっと視点を変えるだけで、行動が生き生きとはかどることもある。「どう考えるのも自由」であるが、同じ世を生きるなら、前向きに考え、前向きに生きていけたらいい。後ろ向きに走るのは難しいものよ。

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  • 06/01/18--08:04: 松山英樹と石川遼

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    プロゴルファーの松山英樹がプロ宣言をしたのは2013年4月2日だった。彼は当時21歳の東北福祉大の学生で、プロ宣言の第一声は、「やっていけるという自信を持ちました」である。何とも謙虚な言葉なのか、あるいは本音なのか、どちらともとれなくはないほどに彼のアマチュア時代の成績は素晴らしく、まさに、「最強のアマ」に相応しい成績を収めている。

    松山の高校は名門・明徳義塾ゴルフ部での寮生活だった。当時の明徳義塾ゴルフ部監督・高橋章夫氏が語る。「うちの中でも過去最高の練習量を誇っていた。皆が寝ている早朝から1人起きてランニングや打ち込みに取り組んでいた。昼休みも、練習終了後も、休日も自主練習を欠かさない松山にくっついて一緒にやる子も出ましたが、途中からついていけなくなるんです」。

    やみくもに多くの試合に出場せず、きちんと試合を選んで照準を合わせることで、高2の時には早くも、「全国高等学校ゴルフ選手権大会」で優勝するなどの結果を残してきた。当初松山は高校卒業後にはすぐのプロデビューを希望していたという。高橋監督は、「『それでは大きく伸びない』と大学進学を勧めました。また、将来的なアメリカ行きの話もしました。

    アマチュアでチャンピオンになってからプロ転向したほうが名前も売れて、プロとして値打ちも付きますからね」。石川遼もタイガー・ウッズから大学域行きを進言されたが、進学はせずに高校卒業後すぐにプロに転向した。松山は谷原秀人、池田勇太らをはじめとする多くのプロを輩出した名門東北福祉大に進学した。同大ゴルフ部の阿部靖彦監督が回想する。

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    「入部してきた時から松山は世界でメジャートーナメントを戦う人間になることを強く意識してやってきた。それでも『これだけ練習してます』というのを人に決して見せません。トレーニングの取材は一切受けないしね」。大学1年時の2010年、「アジアアマチュアゴルフ選手権」では日本人初優勝を飾り、日本人アマとしては初めて、「マスターズ」の出場権を獲得した。

    翌11年にも同選手権を連覇し、いずれもマスターズで予選通過を果たす。同11年に「三井住友VISA太平洋マスターズ」を制したが、アマでの日本ツアー優勝は、倉本昌弘、石川遼に次ぐ3人目の快挙だった。アマチュアとして十分すぎるほどの実績をあげた松山だが、常に比較されてきたのが、同学年であり、やはりアマ時代から注目されてプロ入りした石川遼だった。

    プロ入りは5年も石川が先輩である。アマ時代の松山は、何かと石川と比較されても慎重な受け答えが目立っていたが、プロ転向後のインタビューではこんな思いを吐露している。「アマ当時は、遼を意識しないようにあえて意識しているというのが本心かな。自分より常に先を行っている存在なので、追いかける立場の自分がライバルというのは違うかもしれない。

    プロになって少しは近づいたかなと思うけど、追いついたとは思えませんね。だって、自分はようやくプロになったというのに、遼はアメリカですから」。当たり前だが5年も早くプロになっていた石川に後れを取っていた松山である。その時点においては日本ツアーで10勝をあげ、賞金王にも輝いたことのある石川のほうが、実績も人気もはるかに松山を上回っていた。

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    それでも松山の快進撃は凄まじく、成績で、「石川超え」を果たすのにさしたる時間を要さないのではと思わせた。プロ初戦となった、「東建ホームメイトカップ」でいきなり10位に入り、2戦目の、「つるやオープン」では最速優勝を成し遂げた。連覇を目指した、「中日クラウンズ」は惜しくも2位となったが、早くも賞金ランクトップとなるモンスターぶりを見せつけた。

    石川越えなるか?マスコミは同年齢の両雄を盛んに煽りるも、「誰か1人に勝ってもしょうがない」と松山はかわした。その一方で、「出る試合は全部勝ちたい」とも口にしている。そんなことは無理に決まっており、心意気としての発言と周囲は捉える。しかし松山の場合は本気で考えているのではないかと思わされる、とあるスポーツライターは書いている。

    明徳義塾高時代の恩師高橋監督は松山のプロ転向後の勢いを、「今が頂点じゃありません。まだまだ進化している感じですね」といい、そうした進化の中で松山は肉体改造に取り組んでいた。誰が見ても松山の肉体の変貌は感じるだろうし、石川遼はまるでスタイリストモデルを堅持しているかのようである。確かにファッション的には断然石川に軍配があがる。

    この際率直に、「容姿も…」と言っておこう。石川に遅れること5年の2013年から、松山の、「遼超え」伝説は始まっていた。松山は2013年~14年シーズンから本格的に米ツアーに参戦するが、同時にトレーナーを帯同させて下半身強化を図る。松山のトレーナーは、中嶋常幸プロに従事したこともあり、日本のゴルフ界で真っ先にハードトレーニングを取り入れた先駆者である。

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    過酷な練習内容は聞こえてこない。15年に拠点を米国のフロリダ州オーランドに移した松山について米国在住のスポーツライターが話す。「ゴルフ場そばの一軒家を購入し、トレーニングマシンを備えている。転戦先のホテルの選別もジムの設備内容で決め、早い時は4時ぐらいに起床、ストレッチに始まり、ランニング、体幹トレ、サーキットトレーニングを1時間ほど行う」。

    トレーニングは移動中以外の毎日行われ、帰国先でもサーキットトレは欠かさないが、下半身を鍛えて筋肉量が増えることで、スイングフォームの調整が必要となる。ここがゴルフの難しさだといわれる。下半身強化に伴うフォーム作りに明け暮れる松山は、米ツアーの公式サイトの中で、“練習の鬼”とまで称されている。となると、石川と松山の実力差は練習量の差なのか?

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    松山の肉体がスケールアップしたのは一目瞭然だが、石川の体形はあまり変わっていないように見える。こんな投稿を目にした。「石川遼と斎藤佑樹の共通点はプロなのに体力づくりに取り組まない」。まあ、プロだろうから全然やっていないことはないだろうが、見た目が変わらないのは、変わる人ほどやってないということか。斎藤佑樹と田中将大、石川遼と松山英樹のライバル。

    体形が変わった側が実力をつけているのを見ても、プロは基礎体力あってこそ長い帳場をカバーできる。5月31日から6月3日までの期間、アメリカでPGAツアーの「ザ・メモリアルトーナメント」が、日本では、「日本ゴルフツアー選手権」が行われている。初日松山はトップタイ、石川は2日間を終えて予選落ち。よほど嫌われているのか石川へのエールはない。

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    耐えることで何かが身につく、耐えることで強くなれる、耐えることで希望を見出せる…、などの自己啓発するが、これらは「耐えることの意味」というより価値である。そうした価値を拠り所にするから、そこに留まることができるが、残念ながら価値を見出せないなら去って行くしかない。たとえ「価値」が見いだせなくとも、「忍」の一字で頑張るという克服もある。

    本記事は今春東京の大学を卒業し、都内の一部上場メーカーに就職した堀田(仮名)という男性に関するものだが、彼は、5月中旬には会社に辞表を提出し、学生時代にアルバイトをしていた飲食店で週に3~4回働きながら、秋節採用や第二新卒向けの就職セミナーに通う日々を送っているというが、退社の理由は、「思い描いていた会社と違っていた」ということらしい。

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    「そのままダラダラ続けるよりも、早くやりたいことを見つけたい」ということも善悪というより個々の選択である。自分に合った仕事が見つかるまでバイトで食いつなぐという選択自体間違いとは思わないし、彼は耐えることに価値を見出せなかったから去ったのである。「耐える価値を見出せないなら去るしかない」といった自分からして彼の行動は理に適っている。

    自分のいう理には適っているが、僅か一か月で退社をし、辞表を出した場合は一か月はいるものだが、彼はそれもしなかった。その理由は、「新人だし、部下もいないし、引き継ぎもない。そういう無駄なことは意味がないと話しました。そもそも、内定が決まるまではいかにも〝お客様〟扱いだったのに、入社した途端に〝会社の歯車〟的なことを言われた。

    面接では個性だなんだと言っておきながら、今度は個性を出すな、言われたとおりにしろ、と真逆のことを言われているような気がして…、面接のときに話していた内容とまるで違う」と憮然とする。こうした彼の思いに他人が口を挟むこともなかろう。彼の言い分はそれなりに筋が通っており、精神論などを持ち出さなければ、しかとした現実認識の考えを持って生きている。

    「内定が決まるまではお客様扱いだったが、入社した途端に、『お前は会社の歯車』だ」などの言われ方に憤慨するのも現代の若者らしい。こうしたドライな思考は、愚痴や不満を口に働く人間に比べればいかにも男らしい。「文句たらたら言いながら働くことに何の意味がある?」という考えは自分と同じであるも、世間はそんな人間を、「我慢が足りない」と批判をする。

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    彼は、「我慢が足りない」のではなく、「我慢を放棄した」のである。これを軽々に批判するのも思慮が浅いというしかない。確かに我慢は美徳とされるが、我慢しないの美徳というものもある。最も非難すべきはどっちつかずの中途半端な考えである。我慢が花を咲かせることもあれば無駄な我慢もあり、どちらが最善であるかの状況判断こそ人生の難しさであろう。

    新婚早々に、「こんな人とは思わなかった」と相手に失望することはある。交際期間が短かったのが原因というではなく、交際期間中には隠匿していた本性が、結婚という形になった途端に現れるのは珍しいことでない。女性の多面性をさまざま経験した自分に言わせると、女性が女として最も恥辱を感じるのは、「自分の本心を知られること」であるのを知って驚いた。

    ひた隠しにしていた本性を、ちょっとした油断でタガが外れてしまい、「地」を出すことになった場合である。ある女性は、「ああ、恥ずかしい。こんなところを見せてしまって…、ごめんね~」と、咄嗟にそう言った。自分は、何を恥ずかしがっているのか、何を謝る必要があるのかを理解できなかった。普段から「地」を出しっぱなしの男に分からないのも当然であった。

    「女はそんなことが恥ずかしいのか?」。女性が自分を隠して生きるのが少しづつ見えるようになったのは、あの時の正直な言葉がきっかけである。「地を見られることを恥ずかしい」という女という生き物は、長いこと男をやっている自分にとって不思議であり新鮮であった。話を戻すと、結婚相手が、「自分の思った相手」でなかったとしても婚姻継続する夫婦は多い。

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    結果的にそれで良かったということになり、「こんな人だったのか?」の初々しき思いは、後年笑い話となる。こういう例をあげるまでもなく、我慢をしてよかったことは生きていればしばしばある。反対に、我慢しなくてよかったということもある。「こんな人とは思わなかった」と我慢することなくさっさと離婚をし、自分に合う相手に巡り合えたというのは好例である。

    「一寸先は闇」という戒め言葉もあるように、離婚して別の相手と一緒になったはいいが、前の夫の方がまだマシということも現実だ。すべては行動してみなければ分からないこと。少しでも前例よりは上を人は願うし、いい結果を求めた上での行動であれ、思うようにならないのが人生か。前より良かれと思いながら、期待外れに終わった場合に、「運」として慰める。

    自身の見誤りであるのを運とすれば、その人にとっては運となる。「耐える」ことの価値を見出せずに会社を辞めて、別の仕事に転職するのはよくないとされた時代もあった。「履歴書が汚れる」と諫め、辛抱人でないと批判された。が、退職や転職を、「厳しさからの逃げ」と判断するのは偏見である。言葉を変えれば、終身雇用時代の遺物であり、会社に依存する甘えである。

    終身雇用なんかまっぴらゴメンとばかりに、会社を飛び出したのは実は有能な人間が多かった。彼らは、不満と愚痴を言うために出社する人間とは根本が違っていた。人と違うことを良しとする、「逆張り」人生を望んでいた。もっと面白い仕事をしたい、活気にあふれた仕事をしたい、そういう人が多かった。それが転職の契機になったのは、ポジティブな人間だからである。

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    何事において、成功するかどうかなんてのは結果に過ぎない。大事なことは、「現在」であり、その人が情熱をもって過ごせているかどうかである。今が面白くないという人においては、運もお金も逃げていくもの。お金というのは、基本は楽しいところに集まってくる。これは決して言い過ぎというのではないが、比喩的思考である。しがみつきや依存の人生は最悪だ。

    終身雇用が解消されたことで、甘えた人間の居場所はなくなった。受付嬢の顔を楽しみに出社するような無能古参社員もいた。リスクというのは元気の源、つまり活力源でもある。リスクというのは案外風評であったり、保守的思考であったりの場合が多い。みんなが、「危ない」というものの中には、なんにも危なくないものがあったりする。そういう体験は多かった。

    「自分たちがダメということはやるな」というネガティブな先人もいるが、「自分たちがやれなかったことをお前たちが叶えてくれ」という先人にこそ魅力的だった。だから、新しいものが生まれてきた。臆病で保守的な人間は前者を拠り所とし、自由で革新に満ちた人間は後者に勇気づけられる。「転職は有能者の証である」とみられる時代は間違いなく到来する。

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    「勝負」とはその字の如く、勝ち負けのこと。勝敗を争うこと。ゴルフのような個人スポーツもあればサッカー、野球といった団体で争うもの、囲碁・将棋のような思考ゲームも勝ち負けを争うためになされる。それらを職業とする人をプロと呼ぶ。かつては玄人(くろうと)といったが、現在でも年配者にこの語句を使う人もいるが、若い人にはほとんど使われなくなった。

    対義語である素人(しろうと)も現在ではアマが一般的だ。プロは、「プロフェッショナル」、アマは、「アマチュア」を略したもの。『NHKのど自慢』は1946年の放送開始で当初は、『のど自慢素人音楽会』とし、翌年から『のど自慢素人演芸会』と変更、1970年から『NHKのど自慢』となる。「のど自慢」という言葉も古く、近年は「カラオケバトル」などと変わった。

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    これらも勝敗(点数)を争うのが主体となっており、受験も入社試験も広義には勝敗を争う勝負といえよう。とかく人間が2人集まれば、「争う・争わない」は別にして、なにごとか争いごとは発生する。争いごとが好きな人もいれば嫌いな人もいて、好きな人を、「勝負事が好き」などという。後者を「平和主義者(愛好家)」といってもよかろう。とかく無駄な争いは避けるべきだ。

    とはいえ、争うことで進歩したのも事実。争いごとが好きな動物を、「闘争本能」と捉え、人間の場合は行うのも観るのも好きなことから、これがスポーツの源流である。日本の剣道や柔道や弓道などの武術は武道として高められていったが元をいえば、狩猟技術や戦闘技術から発達し、神事、礼儀、呪術など農耕生活や、信仰生活の行事と密接な関係をもって発展していく。

    敬愛する劇画家平田弘史の『弓道士魂』なる作品は、弓術の一種目「通し矢」を描いたもの。通し矢とは、京都蓮華王院(三十三間堂)の本堂西側の軒下(長さ約121m)を南から北に矢を射通す競技で、いくつかの種目があったが、一昼夜に南端から北端に射通した矢の数を競う「大矢数」が有名。江戸時代前期、有力藩の後ろ盾のもと多くの射手が挑戦して記録更新が相次いだ。

    起源については諸説あるが、通し矢の記録を記した『年代矢数帳』(慶安4年〈1651年〉序刊)に、明確な記録が残るのは慶長11年(1606年)、尾張国清洲藩主松平忠吉家臣の朝岡平兵衛が最初である。彼は1月19日、京都三十三間堂で100本中51本を射通し、「天下一」の名を博した。以後各藩の腕利きが射通した矢数を競うようになり、新記録達成者は天下一を称することとなる。

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    寛永年間以降は尾張藩と紀州藩の一騎討ちの様相を呈し、次々に記録が更新された。寛文9年(1669年)5月2日には尾張藩士の星野茂則(勘左衛門)が総矢数10,542本中通し矢8,000本で天下一となる。貞享3年(1686年)4月27日には紀州藩の和佐範遠(大八郎)が総矢数13,053本中通し矢8,133本で天下一となった。これが現在までの最高記録となって以降、大矢数に挑む者は徐々に減少した。

    『弓道士魂』は、上記尾張藩士星野勘左衛門について描かれている。物語の最後、星野勘左衛門はその功績により主君より千石の加増を受けるもそれを断る。そして通し矢は今後一切とりやめるよう願い出るのだった。彼の心底には、弓術練磨の集大成としての通し矢が、いつしか藩の名誉をかけた競技・競争に堕ちたことが真の弓術の道であるかという問題提起であった。

    藩主の前に着座し、褒美を辞退した勘左衛門はこのようにいう。「小藩においては、百姓、町人に税を加えてまでも通し矢のための資金をしぼりだしておるとの噂も耳に致しまする。莫大な金銭を使い、失敗に終わった弓術者を犠牲に追い込み、真の弓術の姿を歪める通し矢競争…、得るものはただ一つ名誉のみ。これは児戯にも似た振る舞いといわせねばなりませぬ。」

    殿を前に無礼な勘左衛門の口上に重臣たちは、「だまれ!競争あったがゆえに五十一本が八千本まで伸びたではないか」と遮るも勘左衛門は動じない。「武士を象徴するほどの武器と教えられた弓矢も、もはや実戦には役立たぬ時代となり、さすれば通し矢は所詮は武家の遊戯とみるしか御座りませぬ。遊戯に命をかけ、犠牲を出して何の名誉と申せましょう。

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    したがって、藩の名誉をかけての通し矢競争は一切に止めにし、今後は真の弓術を極めんとする者のみが競うべきと存ずる次第に御座ります」。千石をなげうって諫言する勘左衛門の言葉にしかと耳を傾け、受け入れた藩主であった。自分はこの話を400年を超えた現代にも当てはまるものと感じた。「人間を高める学問がいつしか受験戦争による家族総出の遊戯となり果てた。

    本人はともあれ一家の名誉と子どもを鼓舞する親も少なくない。学問とは、学を極めんとする者のみが競うべきであろう。昨今の幼稚園化した大学に、親のすねをかじって遊び呆けるものたちの末路が、卒業証書に合致する幸福感を得るものであるか?」などと共通項を感じるのだ。本質を逸脱した無意味な受験戦争の歯止めに国が乗り出す前に親の本質が変わる必要がある。

    人は人と争うべきなのか?「競争あるところに進歩はある」を間違いとは思わぬが、将棋界などを見て思うに、他人と何を争うというのか?「〇〇より勝ちたい」というのがモチベーションちなるのは否定はしないが、自身がする努力の対象(ターゲット)は自身であるのがいい。石川遼との比較を言われた松山英樹は、「一人に勝ったからといって何になる」とかわした。

    真に努力をする者の敵は自身である。「相手に勝つより自分に勝て」ともいうが、人間は基本的にズルしたい、横着をしたいもので、自らを偽るために他人を表面的なターゲットにするのが楽なのだろう。26歳にしてゴルフ連盟会長を受けた石川だが、自ら真に向上を目指すつもりなら、名誉職などは腕も落ちた老成した選手に任せればいいこと。それでは練習不足は補えない。

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    「ゴルフ人口の拡大のためにひと肌脱ぐ」というが、公性を持ち出した方便に聞こえてしまう。そんなことを考える前にもっと自分を向上させるべきかと。イチローが国民栄誉賞を辞退した際、「現役の自分はまだまだ向上したい。栄誉賞は現役を退いた暁において、それでも自分が賞に相応しいというなら受ける」と述べていた。これはあくなき現役選手としての意志である。

    自らを向上したいなら、向上の妨げになるようなものは一切排除する。イチローの自らに対する挑戦意欲を感じさせられた。石川が、「会長という多忙職にあっては練習もままならないのは当然で、それは衆目の理解するところ」。口には出さぬが、イチローとの対比からして、成績下降の言い訳の先取りに聞こえる。まだまだこれからの年齢なのに、彼は早く成功を手にしすぎた。

    自分にはゴルフの素養はない。勝者がなぜ勝てたのか?敗者がなぜに負けたのか?などが分かる人は技術や理論が上級レベルにある。それは野球もゴルフも将棋も同じこと。石川の技術的な問題点は、サッカーの日本代表がなぜ負けたかと同様に、競技レベルの高い人ならわかろう。藤井聡太が勝つのも将棋にある程度の素養がある者なら分かるように…

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    真実は何のために有用なのか?「客観的真実は幻想である」という有名な言葉がある。これは、「人間こそが万物の尺度である」を基調とする。自分が見たものは真実であるが、見ていないものや想像から得た、「であろう」なる真実は、幻想でしかない。したがって、「客観的真実などはどうでもいいこと」であり、「いっそ幻想である」と認めた方がいいということになる。

    他人からの入れ知恵で悩んだり苦しんだりするのも人間だ。「あの女と付き合うのは止めたほうがいいよ」、「彼はメチャクチャ性格悪いらしい」、「あの男はたくさんの女性を泣かせているってよ」などと忠告する人がいる。忠告者は何の意図でそうするのか?「あなたのため」という親切心は大方おせっかいである。経験からいって他人の他者批判は無視するのがいい。

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    他人のする他者批判などは所詮はその人間の判断でしかなく、自分とは別のものである。他人があることを、「これが真理だ」などという。果たして別人がそれを、「真理」と受け取っていいものなのか?人は人に流されやすい。とかく権威的な人ならなおさらであるが、普通の人にも流されることもある。流されてもいいが、誰もその責任は取ってはくれない。

    そこが分かっているなら神に妄信するのも、「是」であろう。宗教の起源は道徳である。真理などといったところで、真理が何かといえば単に解釈されたものに過ぎない。それが道徳であったりする。何事も始まりがあるように、ニーチェは、「すべての道徳には起源がある」ことを見抜いた。事実、キリスト教道徳は弱者の強者に対するルサンチマンから発生したもの。

    ルサンチマンとは、怨恨、復讐を意味する語。ニーチェは強者の、「君主道徳」と対比した弱者の「奴隷道徳」は、強者に対するルサンチマンによるものだとした。元来、道徳の根底には生命の根源からくる力強さがあるが、弱者は強者に対する反感をもち続け、一般の既成道徳を生じさせるとした。彼はまた、すべての哲学上の真理にも起源があることを見抜いた。

    彼のいう、「起源」とはなにかといえば、人間の解釈である。したがって、「真理とは人間によって都合のいいように解釈されたものに過ぎない」。とすることで、真理を完全に相対化させてしまった。これがニーチェの考える真理である。たくさんの人間が真理について述べている。だからたくさんの新興宗教がある。新宗教ともいい、仏教などの伝統宗教と区別されている。

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    子どものころ、新興宗教は身近にあった。母が天理教の信者であったことで、いつも自転車に乗せられて分教会に連れていかれた。習わぬ経も自然に頭に入り、分教会長らが、「この子は賢い子だ」と決めつけられて、母の得意満面の顔が今も頭に残っている。いつごろからか覚えていないが、教会に行くといわれて逃げ回っていた。理由は、つまらないところと感じたからだ。

    つまらないと感じて逃げ回る子どもでよかった。それが子どもの正常値であり、親の強権に脅威を感じていなかったからだろう。「子どもは親への義理立てなんかするものではない」という考えは、自らの経験から生じたものである。高校の頃、家が新興宗教の支部だった級友が、日々のお布施を親が貪り、文句をいいながら生活費に充てていたことを具体的に話してくれた。

    事実をそのまま語る彼であるが、これも宗教の内幕と考えればその一面を知ることにもなる。会社の裏面を知って、「ひどい会社」と辞めていく者もいる。彼も親の宗教を嫌悪していたし、跡を継ぐ意思はなかったようだ。宗教も商売と考えれば、代々続く実家の商売を継がない子どもに何の罪はない。たとえ老舗であっても、途絶えることでの罪は子どもにない。

    自分も親の仕事には無関心だったが、20代の半ばころだったか結婚を考えていた彼女の父親から、「実家の跡継ぎ息子が、それをしないのはどういうことか!」と非難された。「そういうところに望んで生まれてきたのではありません」と言葉を返したことで彼女は親から批判された。そんなこと、自分の知ったことではないが、親の強権に逆らえない彼女に未練はなかった。

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    自分たちの若い頃は(今でもそういう部分はあるかも)、「〇〇でなければいけない」、「〇〇だから〇〇すべし」という古い価値観道徳との戦いだった。古い大人たちはみんな同じ考えを共有し、若者にそれを押し付けた。そんなものを打破する人間はいつの時代にも現れ若者の胸を打った。プレスリーやビートルズ、ディランや吉田拓郎らはまさに旗手であった。

    時代は60年代である。80年代にある若者の名を知った。尾崎豊である。彼は受験戦争に苦しむ若者に活路を与えた旗手であった。いつの時代も若者は大人に虐げられて苦しんでいるのだと、改めて考えさせられた。苦しい年貢の取り立てや飢饉で苦しむ農民の前に、日蓮や親鸞が現れたのも、広義には同じ理屈である。尾崎は宗教者ではないが、教祖と崇められていた。

    鍬を武器に見立てて戦った一向宗門徒に、信長ら時の権力者は脅威を感じていた。国王や政府の圧政に苦しむ国民の反乱は世界中のどこにも起こった。昨日配信された『News Week』日本版は、『エホバの証人』の世界的な弾圧を報じていた。『エホバの証人』のルーツは19世紀の半ばに遡り、キリスト教に対する非難から出発した創始者ラッセルの教えではじまった。

    大人たちが自らの意志でいかなる宗教に傾倒するのはいいとしても、親の宗教の影響を受ける子どもが被害者でないとは決して言いきれない。『エホバの証人』は、『モルモン教』と同様、信者に伝道を課すが、徹底して子どもを伝道者として訓練する組織の圧力は大変なもので、「自分が死ぬか生きるかは伝道にかかっている」と親も子も洗脳され、教育されるのである。

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    親の都合で純粋・無垢な子どもを巻き沿いにするというのを最も忌み嫌う自分も、やはり幼少期の宗教体験が基にあるのだろう。子どもを被害者にするいかなる教育も、子どもの意志とはならない。子どもの意志にあらずことを、「成功」と評していいものかの問題意識を抱えている自分は、「結果善ければすべて善し」という功利主義にはなぜか与することはできない。

    ない才能に見切りをつけるのは個人であるが、ない才能を執拗に助長する親も問題である。自分が歌手になりたいと思いながら歌手になるだけの能力を持たぬ場合、生涯、「歌手になれたら、歌手になりたい」と思って過ごすよりも、歌手に向かない自分を受け入れて、歌手になることをあっさり諦め、同時に自分に適する職を探す生き方の方がはるかに積極的であろう。

    子どもの頃、宗教者らが寄って集って自分を褒めちぎるも、その場がつまらぬものであった自分に称賛は喜びとはならない。自分の朱に染まらない独立した精神がどう養われたか分からぬが、他人の賞賛によって自らを支えようとしたり、あるいは他人を見下げたり、バカにしたりで自らを支えることの虚しさ。他人に頼らず自らを支える独立自尊の精神を養うべし。

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    「独立自尊」といえば福沢諭吉だが、さらに遡れば聖徳太子に行きつく。国際化が進んだ現代は、太子や諭吉が考えたような独立自尊の精神が必要では、と言われている。国際社会の中で自分自身の責任を理解し、世界の人々と対等につきあう態度というものが必要であり、それが独立自尊の精神である。戦後70年を経たが、同じ敗戦国でありながらドイツと日本は大きく異なる。

    両国の大きな違いは戦後処理であろう。ドイツは、いや、ドイツ人は、自国の歴史の恥部から目をそむけず、真正面から対決することによって周辺諸国の信頼を回復し、欧州連合(EU)の事実上のリーダーとなっている。日本はよくも悪くも米国に依存してきた。そのことでアメリカの属国のような立場をとり、経済発展はしても他国からは独立国として認められない。

    なぜ、日本とドイツの間になぜこれだけの違いが生じたのかを考える学者がいても、実行できないしがらみが政治体制にあれば、「絵に描いた餅」でしかない。独立するためには依存を止めなければならない。言い換えるなら、依存を捨てなければ独立はできない。これが、「独立」、「自立」、「自尊」の基本である。独立自尊については身近な問題としてこれまで多く述べた。

    「他人に自分の人生を支配させてはならない」ということが核にある。当たり前だが、自分以外はみな他人である。「親も他人」といえば、「親は肉親でしょう?」といわれたりした。「肉親であろうが他人」という考えを自身が理解できない人に、説明は無用である。自分は学校の先生ではないのだから。こういう人には、「他人に自分を支配させるな」の意味も分からない。

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    「挑戦」という言葉、人間が主体的に挑んでいくもののように思うだろうが、実は「挑戦」というのは人間誰しも受けている。改めてその様に言われて、「?」と考える人もいようが、この際、考えてみるべきである。我々の周囲には規則(法)や制度が満ち溢れている。どちらも人間が生きていくための恩恵と考えられる。法や制度があるからこそ我々は社会に守られている。

    が、人間がいろいろである以上、法や制度についても様々な考えがある。つまり、「法や制度は自分たちの生活を守るもの」という感覚を持った人間と、「法や制度は自分たちの生活を不自由にし抑圧するもの」と実感する人間もいる。どちらが正しい?ではなく、どちらも人間の本質であろう。法は時代に合わなくなれば改定される。制度改革もしばしばなされてきた。

    それらが意味するものは、法や制度も人間を拘束しているという現実がある。自分たちの中学・高校時代は、男子は丸刈りだった。強制は憲法違反だから自主的にということだが、明らかに強制であった。制度存続を望む教師や保護者、制度改革を唱えるのは生徒のみならず、保護者や教師にもいた。にも拘わらず、甲子園球児を見ても分かるように、運動部の丸刈りは残っている。

    高校野球部の丸刈り率は90年代に5割から3割に減ったものの、近年は以前にも増して8割を超えており、バスケやバレーなどの運動部にも波及しているという。増加の理由は何なのか?単純に考えれば、「見た目」であろう。高校野球好きな人は、「彼らが一心にハツラツとプレーしている姿がたまらない」という。自分は高校野球には50年も前から関心がなかった。

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    それは今も変わらない。プロ野球も好き嫌い程度の関心事しかない。関心度の高低はブログ記事に一目瞭然現れる。高校野球の記事はおそらく一記事たりとない。プロ野球に関する記事も、選手や監督などの資質的な問題を取り上げることが多い。つまり、野球やゴルフやボクシングを通しての人間的な関心度といえよう。スポーツは単純に勝った・負けたの世界である。

    物事結果にあまり固執せず、一喜一憂しないのも、自分の生き方哲学の土台である。数日前に、「『なぜ勝てる?なぜ負ける?』その理由」という記事を書いたが、物事の結果より過程に興味が行く。世の中のあらゆる、「勝ち負け」には、実は壮絶な人間ドラマが潜んでいたりする。人の容姿よりも、中身に興味があるところも、結果より過程への無意識の興味であろうか。

    この顔で生まれてきたなら問題にしたところで仕方がない。それがさらに嵩じて、「問題にする意味がない」とくくってしまう。結果をあれこれ論じるより、人がどう成長したかに関心がわく。一人の美人がいる。彼女に抱く関心は、彼女が美貌をもってどう生きてきたかである。その方が断然面白い。アメリカの小中高の授業を見ていて感じるのは、その「自由」さである。

    肩肘をつこうが、帽子をかぶったままだろうが、鼻にピアスをしていようが、机の上に足を乗せようが、授業態度を注意されることはない。本人が最もリラックスできる姿勢や体制が、知識を吸収する上でもっとも大事と考えるからだ。要するに、日本人は形式主義、西洋は実利を重視するという、そこが大きく異なっている。大事なのは成績であって授業態度ではない。

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    「そういう授業態度だから、成績が悪いのだ」と日本の教師はいうが、そんなのは勝手なこじつけ、決めつけである。自分たちのころ、教室にストーブもなく冬は寒い。手をポケットに入れているだけで立たされる。おかしな罰だが、「だったら手袋してもいいですか?」という自分に、周囲は笑うだけ。教師も、「言い分けないだろう。誰もそんなことはしていない」という。

    人がしていないからというのが善悪の基準、それが学校である。「横断歩道みんなで渡れば怖くない」という言葉は、そうした全体主義を揶揄したものとして生まれた。「みなでやれば正しく、一人なら正しくない」は完全に間違っている。正しいことは一人でも正しく、正しくないことは多数であれ正しくない。が、「正しいことは一人でもやれ」という教育はこの国にない。

    「正義とは多数」という日本人の考えは、信仰を土台がない。高校野球をはじめとする多くの部活動は、「教育の一環」としての意義をもつ。その効果は否定はしないが、それでも部活動の不祥事は起こる?加熱する部活動、行き過ぎた部活動の現状を、部の顧問や学校や市教委、県教委はどう考えているのか?大学にもつまらんコーチがいるように中学・高校にもいる。

    子どもの正しい目とは、つまらぬ人間をつまらぬ人間と見ることではないか。今回の日大の反則プレーの問題も、犯した学生が、「自分に責任がある」と断罪したことが何より評価である。監督やコーチの指示に従わなければ、自分が干される。試合に出られなくて何の部活であるか?これはネガティブな思考である。真のポジティブ思考は、ダメな人間を見据えること。

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    彼らをダメと見据え、彼らの上に自らを立てる。それならダメ人間に支配されることはない。「他人に自分の心を支配させない」ためには、ダメ人間に媚び諂わない。小学高学年で母親をダメと見据えた自分だが、もし母親に媚びていたならどんな人間になっていたろうか?考えただけでゾッとする。バカをバカと見定められただけで、少なからずバカから逃れている。

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    人は生きるために生まれてくる。生きることを叶えてやるのが親の役目である。なのに、子どもにとって狼のような親もいる。「鬼親」という言葉も言われるが、子どもを殺すなら、赤ずきんちゃんの話でいえば狼である。子どもはなぜに哀しいほどに弱く小さく愛くるしいのか?そうであるがゆえに大人や親がかわいがる。そのためだと、聞いたことがある。

    言われてみるとそうかもしれない。おそらくそうであろう。なのに、どうしてこのような親がいるのだろうか?こういう親は上記したように、狼だからである。人間は人間にとって狼である。だからこそ人間を守るために何らかの制度化は必要となる。一般的に親子の愛は先験的なものとされ、制度とは関係なく親は子どもを守る。だから保護者と呼ばれている。

    その親が子どもに鬼の仕打ちをし、狼のような振る舞いをし、ならばそういう親から子どもを守るために制度化されたものがある。警察や児童相談所がその任を負っている。危険な親から子を守るための制度はちゃんと存在するにも拘わらず、制度を機能させるのは人間である。彼らが今回、子どもを救えなかった自責を抱くなら、今後はさらに子どもたちを救って欲しい。

    あまりに悲しい出来事に、情緒的になっても何も生まないばかりか、この親が結愛ちゃんにナニをしたカニをしたなどと書く気も起らない。幼い命を絶たれた結愛ちゃんに、生まれてきて楽しかったこともあっただろうと慰め以外に何もできない自分である。彼女の屈託のない笑顔をみて心は和むが、あまりに短き彼女の命に想いを寄せ、怒りをこらえるしかない…

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    人はなぜ生まれる場所や両親を選べないのだろう。依存しなければ生きていくことすらできない子どもたちは、親を怨むことも憎しみを抱くこともできない。親から何をされようと、「じぶんがわるい」、「ゆるしてください」としか言えない結愛ちゃんに、悪の鉄槌を振り下ろす親にどういう裁きがあるというのか。罪に相応する罰とはなんと理不尽なものであろうか…

    人を殺せば殺人である。殺人なら殺人に罪を負うべきだろうが、過失致死という罪が存在する。人間が過ちを犯すものである以上、明確な殺意を争うのが正しい司法の在り方というが、そんなことでは死んで浮かばれたものなどいるハズがない。日本の司法制度は犯罪者に緩い。「死んだ者が浮かばれようが、浮かばれまいが、知ったことではない」と言わんばかりである。

    「パパ、ママいらん」、「でも帰りたい」、結愛ちゃんは児相でこのように語っていたというが、ヒドイ親であることすらも理解できず、言われるままに自らを責めながら、それでも必死に愛を求めて親にしがみつく子ども…。口ではうまく詫びれないから手紙を書いたという。体力は弱りこころ萎えた天使は、自らに相応しいとことへと迎えられ召されていった。

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    「大阪教育大学附属池田小事件」は、2001年6月8日に起きた。昨日で17年になる。当日午前10時20分頃、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った宅間守が侵入し、次々と同校の児童を襲撃した。被害にあった児童21名のうち、8名が殺害され、児童13名と教諭2名が傷害を負った。宅間は、校長や別の教諭にその場で取り押さえられ、駆け付けた警官に現行犯逮捕された。

    宅間は最後の一人を刺し終えると、凶器の出刃包丁を床に落とし、「あーしんど!」と呟いたという。なんというふてぶてしい発言か。宅間は殺人罪などで起訴されるが、逮捕当初は精神障害者を装った言動を取っていた。宅間への精神鑑定は、起訴前と公判中の2度行われ、どちらも、「統合失調症は認められず、責任能力を減免するような精神障害はない」とされた。

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    これは責任能力を認める結果が出たことになる。刃物を持って教室内に乱入、逃げ惑う子どもたちを次々に刺した後で、「あーしんど!」などと、まるで一仕事終えたといわんばかりの言いぐさである。これを精神異常者の所業でなくてなんだというのか?と言いたいが、それでは罪に問えないことになる。幸い(?)にも鑑定結果は、責任を問えるものという判定だった。

    キチガイに行動理由を問う意味はないが、正常な人間の行為なら、なぜこのようなことをしたのか?なぜ小学校で、なぜ大教大付属池田小なのか?逮捕直後に宅間は、「薬を十回分飲んだ。しんどい」と供述して医師の診察を受ける。宅間が飲んだとされる薬は自宅の捜査から、抗精神病薬「セロクエル」、抗うつ薬「パキシル」、睡眠剤「エバミール」の三種と判明した。

    これらの薬剤を10回分服用しても眠くなるだけで、奇怪な行動を起こしたりすることはないとされている。宅間の自宅の捜査からは、睡眠薬や抗精神病薬など10数種類、約200錠の薬物が押収されているが、これは宅間が複数の病院に通院し、医師に「眠れない」などと睡眠障害・不眠症を偽って薬を処方してもらい、飲まずにため込んでいたものであることが分かった。

    逮捕後の宅間の供述から血液や尿を採取して仮鑑定したが、精神安定剤の成分は検出されなかった。捜査員がこの事実を宅間に突きつけると、「すみません。薬は飲んでいません。作り話でした」と、あっけらかんと嘘を認めたという。どこまで不届きな男であるかがわかろう。犯行後に精神障害者を偽ったり、作り話をしたのは、罪を逃れようとする意図だったのか?

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    宅間の精神鑑定を行ったのは京都府立洛南病院副院長の岡江晃氏である。京都府立洛南病院は単科の精神病院であるが、岡江氏は鑑定の依頼を受けたとき、たとえ世間から非難を浴びようとも自説を主張しようと心に決めて引き受けたという。重大犯罪を起こした統合失調症や妄想性障害の人たちは、刑罰を受けるべきか治療を受けるべきか、氏の考えは治療優先である。

    統合失調症なら完全責任能力はないということになる。被害遺族の心情を理解はすれど、医師としての判断は、「情」に左右されるべきではない。岡江氏は大阪拘置所の面会室で17回にわたって宅間に会って話を聞いたところ、彼が統合失調症であるかという判断はすぐに消えた。「宅間守は統合失調症ではない」。これが鑑定人や鑑定助手ら4人の一致した意見となる。


    宅間は大阪教育大学附属池田小学校での事件の前から、数々の粗暴な事件を起こしているが、事件と事件の間にしばしば精神科を受診している。1回のみの診察を含めると、15人以上の精神科医に診察を受けている。強姦事件後には自ら精神科を受診して入院し、学校の用務員時代にはお茶に薬物混入という事件を起こし、その時も警察官と共に精神科病院に来院している。

    宅間の公判において、彼を診察した幾人かの精神科医たちが証人尋問で述べている内容には共通点がある。それは、「注察妄想」(周囲から、あるいは街中などで他人から、観察されているという妄想)と、「関係妄想」(本人にとってはまったく関係のない周囲の人々の動作や見聞きした出来事を、自分に対してある意味や関係があると強く思い込む妄想)を訴えている。

    精神科医は、「統合失調症の疑い」(もしくは「統合失調症」)と診断はしたものの、思考の異常は目立たなかった。と証言をした。宅間はなぜ精神科に受診したのか。精神科医の一人は、「診察の後で医局会を開くが、そのときに数人の医師で宅間君のお茶事件について論議し、これは彼が21歳のときの入院も偽装ではないかというふうな結論に達したわけで…」と証言している。

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    宅間は4人の女性との結婚歴があり、離婚訴訟や借金、詐欺などといった様々なトラブルを抱えていた。その中でも3番目の元妻に対しては、別居してから3年半の年月にわたり、「復縁したい、1000万円の賠償金をとりたい、どちらもできないなら殺したい」と考え続けていたようで、本件犯行の16日前には殺すことを決心し、具体的な準備を始めていたのだという。

    ところがなぜか目的が小学校での事件に変わっていく。宅間守は1963年、兵庫県で生まれた。小中学校時代から粗暴な言動が目だつ。同性の友人はおらず、女性に対する態度も逸脱的。公務員だったこともあるが職を転々とし、犯罪歴も多数ある。精神科への断続的な通院歴と4度の入院歴がある。また、4度の結婚と離婚をし、犯行の直前には3度目の元妻への復讐を考えていた。

    同情しにくい人生ではある。鑑定書が出した結論は、人間的な感情に乏しい、「情性欠如」。ただ、あまりに常軌を逸した行動が多すぎて逆に気になる。鑑定書もまた、「いずれにも分類できない特異な心理的発達障害があった」とし、「現在の精神医学の疾患概念には当てはめることのできないほど、バラバラな症状と非定型的な症状である」ということも述べている。

    一方の宅間は公判中に、「下関事件の模倣犯になりたかった」とか、「命を以って償います」という言葉を初公判の際のみ、反省・謝罪の弁を口にしている。「下関事件」とは、1999年9月29日に山口県下関市のJR西日本下関駅において発生した無差別殺人事件である。同日午後4時25分頃、加害者である上部康明がレンタカーで下関駅構内に突っ込み、60m暴走して7人をはねた。

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    その後車から降りた上部は、包丁を振り回しながら改札を通過し、2階のプラットホームへと続く階段を上る途中で1人を切りつけ、プラットホームに上がってからさらに7人を無差別に切りつけたが、駅員に取り押さえられ山口県警察鉄道警察隊に現行犯逮捕された。これらの行為により、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。事件の3週間前には、「池袋通り魔殺人事件」あった。

    上部は公判で、「この事件を意識した」と述べた。2002年9月20日、死刑判決を受けて控訴するも、広島高裁は山口地裁判決を支持し控訴を棄却する。上部は最高裁に上訴するも棄却、死刑が確定する。2012年3月29日、広島拘置所内で上部の死刑が執行された。上部は九大工学部を卒業、一級建築士資格を持つエリートである。宅間は上部をヒーローと仰ぎ模倣したという。

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    子どもの悲劇の多くは親がもたらすもの。といえば、「親だって子どもによって不幸にさせられる」という反論を受けたことがある。例えば、少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の両親、先日犯人逮捕となった広島・廿日市女子高生殺人事件の両親をはじめ、子どもの犯罪によって煽りをくった親の多くは近所付き合いもできずにひっそり暮らすか、多くは転居を余儀なくさせられる。

    自殺を遂げた親もいた。「今田勇子」の名で犯行声明をした、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人宮崎勤の父親である。宮崎は10か月の間に4人の幼女を殺害した。第一の事件は、1988年8月22日、埼玉県入間市に住む4歳の女児が行方不明となった、これが「今野真理ちゃん事件」。第二の事件は、同年10月3日、埼玉県飯能市に住む7歳の女児が行方不明となった。

    これが「吉沢正美ちゃん事件」。第三の事件は同年12月9日、埼玉県川越市に住む4歳の女児が行方不明となる「難波絵梨香ちゃん事件」。3つの事件の関連が取り沙汰されるなか捜査が進められた。1989年2月6日、入間市の今野真理ちゃん宅玄関ドアの前に段ボール箱が置かれていた。中には黒っぽい灰や泥、焼かれて炭化した木片に交じって人骨や小さな歯が混じっていた。

    埼玉県警は、段ボール箱に入っていた乳歯3本、永久歯7本について鑑定した結果、歯は真理ちゃんではなく、別な幼児のもの」と発表された。ところがその後、鑑定にあたった東京医科歯科大鈴木和男教授は、朝日新聞社の取材に対し、「詳しくしらべた結果、真理ちゃんとは別人の歯とする根拠はなくなった」と答えたことで、県警の断定発表が批判されることになる。

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    鈴木教授は、県警発表の時点では別人と断定していたわけでなく、県警に対し、「断定発表をせぬよういっておいた」と話したがつまらぬ失態である。その様をあざ笑うかのように1989年2月10日、東京・中央区築地の朝日新聞東京本社に、「社会部」宛の封書が届く。差出人は、「所沢市 今田勇子」名で、B4判のコピー用紙三枚の、「犯行声明」が入っていた。

    中にはインスタカメラで撮影された真理ちゃんの顔写真が同封されていた。翌11日には真理ちゃん宅宛てに朝日新聞社に届いたものと同じ文面のコピーと、真理ちゃんの顔写真が送られてきた。差出人は同じ、「所沢市 今田勇子」である。声明文には、「今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です」とあり、連れ去ったときの概要が記されていた。

    こんなものを読まされた親の心境はいかばかりか。生きていれば現在は29歳になる真理ちゃんである。犯行声明文は、利き手とは反対で書いたと思われる特徴ある筆跡だった。届いた犯行声明や真理ちゃんの写真などから埼玉県警は狭山警察署内に、「今野真理ちゃん誘拐・殺人事件捜査本部」を設置する。真理ちゃんの葬儀・告別式は3月11日正午、入間市蓮華院で行われた。

    父親は、「遺骨の中に真理の手と足がなかった。これでは天国で歩くこともできない。食べることもできない。天国で歩けるように、食べられるようにしてあげたいので、是非、全部返していただきたい。」と述べ、450人余の参列者の涙を誘った。真理ちゃんの葬儀も終わった3か月後の6月6日、今度は東京都江東区内で5歳の女児が行方不明となる。これが第四の事件。

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    「野本綾子ちゃん事件」である。綾子ちゃんは5日後の6月11日午前11時頃、埼玉県飯能市宮沢の宮沢湖霊園の公衆トイレ脇で、バラバラ死体の胴体部分が発見された。遺体が発見されたのは、第三事件の難波絵梨香ちゃんと第四事件の野本綾子ちゃんの二名だけで、絵梨香ちゃんは、不明となった6日後、埼玉県入間郡名粟村の山林内で手足を縛られた全裸死体で発見された。

    犯人逮捕の契機となったのは、同年7月23日、東京・八王子市内の美山街道に面した手洗い場で、9歳と6歳の姉妹が水遊びをしていたところ、乗用車から降りてきた青年が、「写真を撮らせて」と二人に近づいてきた。姉妹を撮影した青年は、6歳の妹を姉から引き離し、「川の向こうに行ってみよう」と連れ去る。不信を抱いた姉が自宅に駆け込み、父親と一緒に妹を探し回った。

    妹は沢の岩場で服を脱がされて全裸の状態で左足をあげるポーズの被写体の最中であった。色白でやや小太りの青年は、父親に取り押さえられてポカポカ殴られたが、いったんその場を逃れて沢の奥に逃げ込んだ。しかし、砕石会社の前に駐車したクルマを放置したままでは逃げても無駄と気づいたのか、引き返して通報で急行していた八王子署員に逮捕された。

    わずか10か月の間に4人の少女が誘拐され、無惨に殺害されるという、日本中を震撼させた、「宮崎勤事件」のあらましと逮捕に至る経緯である。以下は宮崎が現行犯逮捕された後におけるこれまでの事件についての自供経緯であるが、青年を取り押さえることになった姉妹の父親は、後に連続幼女誘拐殺人犯宮崎勤と知って愕然とし、多くのマスコミの取材を受けている。

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    父親にすれば、自分の娘も同じことになったかもという気持ちがよぎり、姉の機転があったからこそと考えるだけで胸を撫でおろしたことだろう。いつなんどき何があるか分からないと考えるなら、幼児(特に女児)の一人遊びは危険である。それにしても姉と二人でいる妹を狙う宮崎の大胆さというのか、軽率というべきなのか、結果的にそれで墓穴を掘ったことになる。

    たまたま姉の機転で救われた格好である。取調官による宮崎への尋問は数十時間もの音声記録として残っている。普段は世に出るものではないが、こうした取り調べ段階の録音を初めて聞いたのは、1963年3月に発生した、「吉展ちゃん誘拐事件」の犯人小原保と取り調べを担当した名刑事平塚八兵衛とのやり取りだった。犯罪者の切々と語るありふれた声に漂う恐怖感…

    人を殺した人間による殺す場面の生々しい供述は、被害者の親族・身内にとっては耐えられない苦しみや痛々しさである。我が娘を見知らぬ男に弄ばされた挙句に殺害されるという理不尽さに加えて、犯人のみが知り得る事実を耳にしながら、怒りと虚しさと、憎しみと嫌悪と無念さが入り混じった形容しがたくも、犯罪被害遺族が受け入れねばならない現実である。

    「あの日(8月22日)、クルマで走っていたらトイレに行きたくなり、団地にクルマを止めて茂みで立小便をした。クルマに戻ろうとしたら女の子が歩道橋に一人で立ってるのが見え、周りには誰もいないので近づいて、「一緒に涼しいところにいかないか?」と声をかけた。クルマに乗せて八王子方面に向かい、山の中で首を絞めた」。と、今野真理ちゃんについての供述した。

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    難波絵梨香ちゃんの状況はこうだ。「団地に一人でいるところを見つけて、暖かいところにいこうと声をかけた。最初は写真を撮るだけで殺すつもりはなかったけど、急に泣き出してどうしていいか分からなくなり、駐車場にクルマを止めて首を絞めた」。クルマで少女が泣き出したくらいで殺すのか?「家に帰ろう」といえば泣き止むが、宮崎には隠された動機があった。

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    前記した状況を経て1990年3月30日午後1時10分、東京地裁刑事第二部(中山善房裁判長)は、宮崎勤に対する殺人等被告事件の第一回公判を開いた。審理を行う一〇四法廷は傍聴席96席と最も大きい。裁判長が起訴状を読み上げ、「起訴状に書いてあることに間違いはないかね?」と宮崎に問う。罪状認否に対して大抵の被告人が、「間違いありません」といって頭を下げる。

    そうした改悛の情を示すことで、裁判官の心証を良くしようとの戦術であるが、宮崎はこう反論した。「(絵梨香ちゃんに)誘拐を企てたとか、殺意をもってとか、そういうところは間違っている。(八王子で)裸になってね、とは言っていない。性的欲望を満たす目的というのは違う。醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか…」などと答えている。

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    「公訴事実の訂正を求める?」と裁判長が確認すると宮崎はこう述べた。「(綾子ちゃんの)両手と両足を投棄したのは間違い。両手は自分で食べた。両足は、家に出入りするキツネかネコに食べられたと思う」。宮崎は衝撃の発言をするが、表情は何ら変わるところはなかった。思い出すのは今野真理ちゃんの父親が葬儀の挨拶で列席者に向けて言った言葉である。

    「遺骨の中に真理の手と足がなかった。これでは天国で歩くことも食べることもできない。天国で歩けるよう、食べられるようしてあげたいので全部返して欲しい」。綾子ちゃんの手を食べたという宮崎は、今野真理ちゃんもそうであろう。親としては耳を塞ぎたい気持になる。初公判時のこうした宮崎の発言から弁護側は宮崎の異常性を強調、精神鑑定を要求した。

    逮捕後の宮崎は1989年8月24日に東京地検で簡易精神鑑定を受けているが、一回の面接により精神障害の有無を見分けるもので、宮崎に面接した鑑定医は、問診とロールシャッハーテストを行い、「直ちにわかる異常はない」と報告している。それを受けた東京地検の検察官は、宮崎を刑事責任能力を問えるとして起訴に踏み切った。弁護士が正確な鑑定を要求したのは当然である。

    弁護士の請求を受けて宮崎の精神鑑定は1990年12月20日から92年3月31日まで1年3か月に及んだが、これを第一次精神鑑定とする。というのも、宮崎の精神鑑定は第一次精神鑑定終了後、92年4月27日から審理が再開されたが、犯行の異常性から「責任能力有り」の精神鑑定に納得しない弁護団は、宮崎被告の再鑑定を請求するが、これが第二次精神鑑定である。

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    第二次精神鑑定は1992年12月18日より、94年11月30日まで二年にも及んだ。ところが再鑑定の結論は、「多重人格症」と、「精神分裂病」に割れてしまう。逮捕直後の簡易精神鑑定を含む三つの精神鑑定を裁判所がどう判断するかに注目が集まったのは当然である。人が人を裁くのも主観だが、人が人を鑑定するのも精神医学という科学的手法を用いながらも割れてしまう。

    宮崎勤は4人の少女にどのように接し、どのような経緯で殺人に及んだのか、供述書から彼の行為を知ることになれば、専門家でなくとも個々の判断はなされるだろう。当時はまだ裁判員制度はなかったが、裁判員になったつもりで宮崎についての異常性が、正常な範囲であるのかを思考するのもやぶさかでない。最近言われる言葉に、「サイコパシー」というのがある。

    「サイコパシー」とは精神病質であって、病気(いわゆる精神病)ではなく、ほとんどの人々が精神病質を持ちながらも通常の社会生活を営んでいる。犯罪心理学者のロバート・ヘアが講義中に述べた有名な言葉がある。「すべてのサイコパスが刑務所にいるわけではない。一部は取締役会にもいる」。その時の講義のタイトルは、「身近にひそむ捕食者たち」であった。

    「サイコパシー」、「ナルシシズム」、「マキャベリズム」…精神科学の分野ではこの3つが、「邪悪な人格特性」としてセットされる。そして高い職位と経済的成功を得た人々の間で、これらの特性がより顕著に見られるということに我々は驚かされるが、邪悪な性格は成功にどう関係するのかについても研究され、まとめられている。今回はそのことに言及はしない。

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    が、一般的なこれらの特徴的性質は、「サイコパシー」は、不正直、自己中心的、無謀、非情といった傾向性を見る。「ナルシシズム」は、誇大妄想、過大(往々にして不安定で脆い)な自尊心、他者を思いやらない利己的な特権意識などと関連し、「マキャベリズム」は、上辺だけの魅力(愛嬌のよさや話の上手さなど)、人心操作、偽り、冷酷さ、衝動性などと関連する。

    邪悪な性格は病質であっても病気ではないと、二つは区別されている。「異常」と、「正常」には大きな開きもあれば、さほどの開きがない場合もあるように、「病質」と、「病気」もそういうことになる。「あいつは普通じゃない。病気だよ」と比喩的に言ったりするが、実際は病気の場合もある。宮崎は異常性はどちらであろう?我々自身、供述書から判断は可能である。

    「今野真理ちゃん事件」
    1988年8月22日、宮崎はディスカウント店の帰り、入間ビレッジで真理ちゃんを見かけた。一人と分かって性器を見たり触りたいと思った。今ならこの子を盗めると、ドキドキした。自分のものにしたいと祈るような気持ちで、「お嬢ちゃん、涼しいところへ行かない?」と誘ったらついてきた。

    真理ちゃんをクルマに乗せ、すぐにドアをロックしてクルマを発進させ、すぐにラジオを鳴らした。「ボタンさわっていいよ」、真理ちゃんはラジオのボタンを押し、選局して面白がって遊んだ。クルマを八王子市へ走らせながら、この子を解放すれば誘拐が発覚するので、人目につかない場所に行って殺すしかないと思い始めていた。「寝てもいいよ。お昼寝するんでしょう」。


    話しかけて不安がらせないように努め東京電力新多摩変電所先の空き地へ乗り入れ真理ちゃんを下ろした。「今度は電車に乗ろうね」。ハイキングコースを1キロばかり歩き、「ここで休もうね」と、日向峰山林内で並んで腰を下ろすと真理ちゃんがシクシク泣き出した。鳴き声がハイキングコースを通る人に聞かれると怪しまれて犯行が発覚すると思い殺すことにした。

    並んで座っていたが、私が真理ちゃんの前に回るとビックリした表情を見せたが、すぐに親指を首に当てると真理ちゃんは私の顔を見て、私のすることを悟ったような目つきだった。怨んでいるような目なので、顔をそむけて覆いかぶさって押し倒し、体重をかけて首を絞めた。翌23日朝、杉並のレンタルビデオ店に行き、ビデオカメラを借りて再び殺害現場に立ち寄った。

    その場で死体の陰部などに指を入れるなどし、ビデオ撮影した。真理ちゃんの衣服を自宅に持ち帰り、物置に隠した。4か月後の12月15日ころ、テレビ報道で真理ちゃんの母親が娘の身を案じているのを知り、真理ちゃん宅に、「魔がいるわ」と書いたハガキを送ったのは、生きていると思わせたかったからで、「入間川(いるまがわ)」をもじって、「魔がいるわ」とした。

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    「その後、絵梨香ちゃんの遺体が発見され、テレビで絵梨香ちゃんの父親が、『死んでいても見つかってよかった』と言っていた。89年1月中旬ころ、真理ちゃんの遺骨を両親に届けるために殺害現場に行った。現場には頭蓋骨など白骨が散乱していたのでいくつか拾い集めてバッグに入れて持ち帰る。骨を燃やして拾い集めて段ボールに入れ、2月6日に自宅玄関前に置いた。」

    8月22日に行方不明となった真理ちゃんの骨が半年後に自宅前に置かれたタイムラグには、上記のような経緯があったと伺える。他人の金品を盗む者は、盗まれた者の気持ちなど考えず、己の実利だけでなされる行為である。他人を不幸に陥れてまで己の幸福や快楽優先の人間というのは、どのような家庭環境から形成されるのか?宮崎の父親はなぜ自殺をしたのか?

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    宮崎の父親は東京都西多摩郡五日市町の、「印刷センター・新五日市社」社長で、新聞折込みチラシ広告を印刷しながら、1957年に週刊『秋川新聞』を創刊した。社長の父は町会議員、祖父は村会議員を務め、地元の名士という家柄である。勤は宮崎家の長男として生まれ、地元の小・中学校を卒業後、高校は私立の名門明大付属中野高校に、片道2時間かけて通学した。

    高校卒業後は東京工芸大学短大部画像技術科に進学、1983年に卒業して父親の口利きで小平市の印刷会社に3年6か月勤め、86年9月から新五日市社で家業に従事する。父親は、「秋川市に支店を出して息子に任せたいので、そろそろ結婚させねば」と周囲に語るも、アニメ愛好家の勤は離れの居室にビデオ6千本を所蔵し、マンガ同人雑誌を発行するなどしていた。

    宮崎は上記の事件で少女の父親に取り押さえられ逮捕されたのが7月23日で、翌24日に父親が五日市警察署に電話をし、「新しいカメラの試し撮りに出かけた息子が、丸一日たっても帰宅しない。交通事故でも起こしたのでは?」と問い合わせた。地元でPTA会長も務め、署長とも面識のある父親に対して警察は、「八王子署に留置中だが大した事件ではない」と知らせた。

    「他愛もないことで警察に迷惑をかけたようですが、将来のために厳しく戒めて下さい」といい、面会に出向くこともなかった。宮崎は警察署で家族との連絡を求めることもなく、留置中の雑談として、「去年5月に大好きだった祖父が急死して、家族に味方はいなと」と刑事に話している。警察は送検し、8月7日、東京地検八王子支部は、宮崎を猥褻誘拐・強制猥褻で起訴をした。

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    1989年8月 9日 - 野本綾子ちゃんの殺害を自供。
    1989年8月10日 - 綾子ちゃんの頭部発見。犯人のマスコミ報道が始まる。
    1989年8月11日 - 野本綾子ちゃんの誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕。
    1989年8月13日 - 今野真理ちゃん・難波絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供。
    1989年8月21日 - 宮崎の自宅から押収された約6千本のビデオテープの中から、真理ちゃんの遺体を撮影したものが発見される。
    1989年8月23日 - 綾子ちゃんを撮影したビデオも発見される。
    1989年8月24日 - 東京地検が庁舎内に精神科医を呼び、宮崎の簡易精神鑑定を実施。結果は「直ちにわかる異常なし」。
    1989年9月 1日 - 警察庁が「広域重要指定117号事件」に指定。
    1989年9月 2日 - 東京地検が「綾子ちゃん事件」で起訴。
    1989年9月 5日 - 吉沢正美ちゃんの殺害を自供。
    1989年9月 6日 - 東京都西多摩郡五日市町日向峰で吉沢正美の遺骨発見。
    1989年9月 8日 - 埼玉県警が「真理ちゃん事件」で宮崎を逮捕、狭山署へ護送。
    1989年9月13日 - 西多摩郡五日市町日向峰で今野真理ちゃんの遺骨発見。
    1989年9月22日 - 東京地裁が国選弁護人として鈴木淳二、岩倉哲三を選任。
    1989年9月29日 - 埼玉県警が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で宮崎を逮捕。同日、東京地検が「真理ちゃん事件」で宮崎を起訴。
    1989年10月19日 - 東京地検が「正美ちゃん事件」、「絵梨香ちゃん事件」で起訴。

    逮捕・起訴後の宮崎は、2日後の9日に第四事件となる野本綾子ちゃん殺害を自供した。10日朝には奥多摩町の山林から綾子ちゃんの頭蓋骨が発見されている。一連の動きは宮崎家のみならず、日本中の家庭を震撼させた。10日の午後、宮崎の両親はテレビのインタビューに応じている。「息子は子ども好きな優しい性格で、あんな恐ろしい事件に関係するとは思いません。

    小さいときから大人しい物静かな子です。趣味といえばアニメのビデオを収集することで、あの子の部屋を見てもらえば分かります」。母親は、「お父さんも理解を示し、印刷の仕事に向いていないなら、ビデオで生計をたててもよいと言ったほどです」。取材陣が、「部屋を見せてくれませんか」と持ち掛け、親は息子の部屋を公開し、〝ビデオの部屋〟に日本中が注目した。

    「どんな親でも親は親」というのは、儒家思想的洗脳だろうが、「どんな子どもも子は子」という言葉はないが、子を持った親の自然な思いかも知れない。子どもを虐待で死に至らしめる親もいるが、子ども憎しというより、親の理想や要求を子どもに課したり求めた結果ではなかろうか。どのように考えてみても、4~5歳の幼児を親が殺したいほど憎むなどはあり得ない。

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    「親の心、子知らず」、「子の心、親知らず」というのは確実に起こること、それぞれの立場、それぞれの視点で物事を判断するからだ。親は子どもを所有物としてみるから、子どもの人格を無視できる。子どもが親を権威と感じれば反抗はできない。子どもを従わせることが親の喜びなら人権無視、親の権威に尻尾を振ったりするのは自分のために生きていないことになる。

    それなりの知識があればどちらも良くないのは親には分かる。後は分かって歯止めをかけるかどうかである。残念ながら親に依存しなければ生きていけない子どもにはそれが分からない。強権的な姿勢を強める親に対し、それに従おうとする子どもは多く、これは「貢ぎ」の心情である。「貢ぎ」は、「幼児的依存心」と置き換えられ、そうすることで親の愛を得る。

    子どもの頃に親に貢いでいた人は、大人になっても貢ぎの心を変えられない。つまり、「貢ぐことが相手の愛を得ること」というのが内面化されているからで、これは真に不幸なことだ。なぜなら、相手に貢いだり媚びたりしなくても、愛情を得る方法はたくさんあることを体験的に知らないのだろう。他人に媚び諂う性格は、親が子どもをそのようにしてきたからである。

    また、そういう志向の親であっても、媚びることを子どもが嫌悪するならその限りにない。子どもはできる限り早い時期に、自分の幸せにとって相応しい相手(親)であるか、そうでないかを考えられる子の方がいい。真に頭の良さとはそういうものではないだろうか。親に媚びているのが楽だの、得だの、都合がいいだの、それは賢さであってもズル賢さというものだ。

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    確信や断定というわけではないが、オヤジに数万をもらって援交するような女子中高生は、報酬を餌に何事かを躾けられたのではないのか?それなら、論理としては理解しやすい。お金を貰って親に自由を売った子どもと即断するのは間違いかも知れない。ただし、そのようなことをする親の躾が、「決していい親でない!」ということは知っておくべきである。

    こどもにとって害悪とする躾が、そのままに子どもに身につくとは言い切れないが、そうした可能性を含むという危機感をもっていれば、子どもにつまらぬ習慣をつけさせなくて済む。習慣というのはその時点では身についてはなく、数年、数十年を経て現れるものゆえに親は油断をする。「これくらいは…」、「この程度のことは…」という油断が後の習慣化となる。

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    そのことについて考えたことはあった。考えるまでもなく「悪」を行為しない人間などいない。しかるに「悪」とは何?何をもって「悪」という?世の中の「悪」について書き出せば何でも、「悪」になるほど範囲は広い。同様、「善」が何かも難しい。例えばこういうことを耳にする。近所から凶悪事件の犯罪者が出た場合になど、加害者を知る人々はこのようにいう。

    「真面目そうでキチンと挨拶もするいい人ですよ」と、概ね評判は悪くない。なのに凶悪事件を起こしたなら、「いい人」ではなかったのか?それとも、「いい人」なのに凶悪事件を起こすことになったのか?どっちであるかを言い当てることなどできないし、そんなことはどっちだっていいことだ。凶悪事件を起こしたことで、その人は、「悪い人」と決めつけられる。

    そのように見られがちだが果たしてそうなのか?自分にいわせるとそれも違う。凶悪事件を起こしたその人を悪人とするのではなく、実際は善人が起こした凶悪事件かも知れないからだ。「悪人だから事件を起こす。善人は事件など起こさない」というのはいかにも短絡的で、「善人も凶悪犯罪を起こす」、あるいは、「悪人であっても善良な行為をする」と考えるべきだ。

    「表は裏であり、逆もまた真である」。何事も定義づけるのは難しい。二等辺三角形に二辺の長さが等しいのを証明することはできない。なぜなら、二辺の長さが等しい三角形をそのように定義しているに過ぎないからだ。ある哲学者は、「悪とは弱さから生じるすべてのもの」と定義した。そのことを我々は理解できるのか?映画にもなったが、こういう悲しい事件があった。


    重度の障害を持った子どもを養育してきた親が高齢になり、子どもの先行きを案じ、悩んだあげく子どもを殺してしまった。親のこれまでの労苦を知る周囲の人々はこの親に対して、「殺人罪で裁かないでほしい」と、署名嘆願運動を開始した。 ところがこうした動きに対し、身障者団体の人々はこの嘆願運動への批判を始めた。これは一体どういうことなのか?

    こうした嘆願運動は善いことなのか?悪いことなのか?考えれば分かることだが、すべての人がこの嘆願運動に賛成したのなら、「重度障害の子どもを持つ親は、子どもを殺しても殺人罪で裁かれることはない」ということになる。これを身障者の立場、つまり殺された子どもの側に立てば許されることではない。したがって、殺人も嘆願運動も、「悪」ということになる。

    これこそが法の主旨である。が、「法外の法」という視点で見れば、重度障害の子どもを殺した行為は、「弱さから起こしたもの」である。世の中でもっとも恐ろしいのは、「すべての人が法に殉じること」と同時に、「すべての人が法を無視すること(無法状態)」である。ニーチェは悪をこう定義し、フロムもまた、「すべての犯罪は人間が孤独でいられないところで起こる」とした。

    いずれの思想を推し進めるとナチズムの社会心理を分析したものとなる。ナチスのやったホロコーストは、弱い者(つまり知能の遅れた人)、身障者、先天的に劣っている人たちは子孫を増やさぬよう、さらにはゲルマン民族の優秀性を保つために、ユダヤ人を強制収容所へ送り大虐殺を行った。ニーチェの『善悪の彼岸』とは、平たく言えば「善悪の境界線はない」である。

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    「法」というのは人間が決めた確固たる不文律であり、なんびともこれを破ることはできない。したがって裁判においても、「法」と、「法外の法」との両方が勘案されて判決が下され、情状酌量という人間味あふれる判決となる。人間社会において「法」は大事であるけれども、「人間味」ということも大切だ。介護疲れは決して弱音ではないが、対象者を殺すのは「弱さ」である。

    人間においては、「善悪」の正しい判断及び行使は難しいこととなるが、「善」とは、愛があること、存続させること、活かすことと解釈するなら、「悪」とはその対義である、愛のないこと、破滅させること、殺すこと、となる。また、実存主義は「客観の不在」の哲学であり、「客観的に正義と言われるものは、定義不可能である」という立場から出発している。

    ニーチェの「神は死んだ」という言葉は一見すると、無神論的で悲観的な言葉に聞こえるが、エメラルド・タブレット(錬金術の基本思想(あるいは奥義)が記された板)によれば、「上なるものは下なるものが如し、下なるものは上なるものの如し」なる表現を見る。仏教思想にいう「八正道」にいう、正しい行い、正しい見方、正しい…というのは、一体何を正しいというのか?

    「正しい」が何かを分からずに、そんなことができるわけがない。よってか、「禅思想」に至っては、「仏陀を殺せ!」という言葉すらも出てくる。これはニーチェのキリスト教批判にいう、「神は死んだ」と同じことであろう。しかるに世俗において我々は、隣人・知人との関係を大切にし、父母を敬い、困っている人に手を貸してあげることを、美徳としているのである。

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    「挨拶」を例に考えてみる。多くの学校の校門で、「あいさつ運動」なる取り組みがなされている。「挨拶という習慣は学校が教えることだ」という保護者がそうさせているのか、教師の主体的な実践なのか分からないが、こういう形式的な取り組みはいかにも日本人的発想だ。「挨拶をする」のはなぜに善いことか?凶悪犯ですら近隣住民は、「挨拶できるいい人」であった。

    これを別角度でみれば、「挨拶できたから善人とはいえない」という風にも考えられる。理屈や屁理屈はともかく、自分は、「挨拶は善いこと」だと思っている。理由はいたって単純、「相手の存在を認めること」であるからだ。出会って挨拶しないで無視する場合を考えてみればいい。挨拶しないで無視する理由は、「相手の存在を認めたくない」からではないか?

    気がついても知らぬふりをしたり、人によってはわざと道をそれたりして、その人と出会わぬようにする。「相手の存在を認める」ことが挨拶で、それを善というなら、こういう行為は悪であるのか?ある人は言うだろう。「たとえ嫌だと思う人間でも挨拶をするべき」だと…。ある人にはある人の考えであるが、自分はそうは思わない。ただし、嫌いな人間でも顔見知りなら頭くらいは下げる。

    それは社交辞令であっても挨拶ではない。嫌いな人間に好かれても迷惑するので愛想をしない。が、逆に相手が自分を嫌っていても、自分が好ましいと感じる人物には接していく。自分にとっては、「善い人間」という理由がそれをさせる。道で知らない人から挨拶されることがある。どういう理由かなどと考え、人によってはその理由が垣間見えることもある。

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    子どもの場合は決められていることをやっている。挨拶と一緒に笑顔までいただく場合、相手から滲む人柄を感じたりする。道ですれ違う相手に儀礼的会釈をするものとの思いの人なら、そのように伝わってくる。自分はしたり、しなかったり、その時の心情に自分を委ねている。決めつけもない強いることもない。素通りする関係だから気分で相対してもいいと思っている。

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    「親孝行」を妄信する者は、「親不幸」を罪という。親から直々に、「親不孝者」といわれたり、親を批判すれば周囲から言われり…。世間の価値基準など今は黙って聞いていれるが、若いころは反発した。「何が親不幸なんだ?お前のいう親孝行が何かを説明してくれんか?」などとつまらん質問をぶつけたりもしたが、つまらん問いにはつまらん答えしか返ってこない。

    世間的価値基準からみて、「親不幸」の誹りを免れない自分だ。そんな自分も子どもの親であるなら、被親孝行・被親不幸の立場でもあるが、「それ」って何?が正直なところ。例えば、「いじめ」や、「セクハラ」の定義は以下決められている。「いじめ被害者がいじめと感じること」。「セクハラ被害者がセクハラと感じること」。つまり定義とは、「被」側の実感である。

    ならばこういうことも起こり得る。同じことをAにやればいじめ、Bにはいじめとならない。セクハラも同様である。「定義」とは決め事だから例外はない。つまり、万能ではないことになる。長い期間会ってない級友に会うと、「お前どうした?まるで死ぬ一歩手前のしょぼくれ爺さんじゃないか…」。男同士なら普通の掛け言葉で、変に相手を持ち上げたりしない。

    同じことを女性にいえば気分を害することもある。腹が立っても顔に出さないが、傷ついたりもあろう。社会には女性に向けた言葉と、同性に向けた言葉を違える必要があり、それが社会人のたしなみである。これは定義というよりモラルであるが、「いじめ」や、「セクハラ」は法に触れる以上、定義づけが必要となる。「法」は決め事であるゆえ、矛盾点もあろう。

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    「親孝行」に法の定義ではない。だから何が親孝行であるかは個々で決めること。Aの親孝行はBとは違う。Cの親不幸はDにとって何でもない。「いじめ」や、「セクハラ」と同様に親自身が感じる「親孝行」、「親不孝」なら、子どもは混乱するだろう。自分は子ども言った。「何が親孝行で何が親不幸などは一切ないから、親孝行は必要ないし、親不幸は大いにやればいい」。

    親孝行を望む親、親不幸を望まぬ親、当たり前かも知れぬが、こういう当たり前のことに疑問を抱く自分だ。どちらも子どもへの要求である。親の子どもへの要求は、「願い」という形で、子ども自身の幸せを望むことである。だったら、「親のことなんか考えなくていいから、自分のこと、自分の家族のことを考えればいい」というのが親の理知ではないだろうか。

    あるいは本能というべきもかと。もっとも、本能には欲もエゴもあるから、それらを排除した理知である方がいい。子どもを思うあまり、それが見返りを求めるようでは無償の愛とは言えない。「親孝行を望む」、「親不幸はするな」という考えそのものが親のエゴに他ならない。真に子どもを活かすためなら、親は消えてなくなる方が良いし、もしくは関わらないことだ。

    巷にいう親孝行や親不幸が、親自身が感じることだとするなら、親の性格によっては子どもを無視した自己中心的な要求もあろう。それも親孝行と感じるなら、その子は完全に親に毒されている。子どもを自分の意に添わせたいという身勝手な欲求から逃れられず、親に支配され、毒された人間が親から自立した家庭を持てるのか?自分が嫁なら、「こんな夫は冗談じゃない」。

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    日本人には、「恩」という受動的に蒙る義務が存在する。「仰げば尊し我が師の恩」ではないが、「親の恩」以外にも、天皇から受ける、「皇恩」、主君から受ける、「主恩」の他に上記した、「師の恩」などがある。鶴や猫にも、「恩返し」を求めるのが日本人的情緒である。「恩」を受ける側から見れば、「忠」、「孝」、もしくは、「任務」、さらには、「義理」という日本的な情もある。

    「義理」を正確に理解するなら、自分の受けた恩恵に等しい数量だけを返せばよく、また時間的にも限られた負い目といえる。「義理」の中にはやや強制力のある、「義務」という行為もある。こういうものがさらさらない合理的思考の欧米人にとって、「忠孝」や、「義理」の理解は至難である。したがって日本人を、「過去と世間に負い目を負う者」と定義することになる。

    親に対する孝行や、親戚・友人・知人への義理、師への義理をこよなく果たす人間は、自分を善良な人間と思っている。本人がそう思いたいから思うのは何ら構わないが、善人(と勝手に思う人間)が厄介なのが、「善」であるがゆえに、「悪」という対義が人に下されること。人間の善悪というももは、環境や場合によって変わるものだが、そういう客観的な思考もない。

    「現在利益」を求めないで他人にこよなく尽くすからといって、「善良な人間」とは言い切れない。ところが、勝手に善人と思う人間の何と多きかな。厄介だし、付き合い難い人間の類である。善人でも何でもない自分だが、時にその様に受け取られるような発言もし、行動もする。無理に非善人ぶる必要もない、わざに悪態をつく必要もないゆえ、それも自然な行為であろう。

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    4月の末だったか、突然以下の内容のメールが舞い込む。yahoo mailなら古いものでも残っているが、goo mailは2014年の暮れにシステム変更のため、それ以前のものがすべて消去となり、バックアップは取らなかった。差出人の記憶はまるでなかったが、近年はいかにも知人を装った詐欺商法メールもあり、控えめで返信を求めないところに詐欺メールの違いを感じた。

    が、確かめる意図もあって、「どういう会話をしたのかlogを送ってくれませんか?思い出すかも知れません」と用心も兼ねて返信したところ、自分が書いたとみられるコピーが添付されていた。これって自分の文?という内容だった。仰々しく、型ぐるしく、過去のblogなどを読み返すときも、「これって自分?」と思うことは多だある。いろんな自分がいるんだと認識させられる。

    が、表記した文の自分が相手にとっての自分である。人と人は長い期間、話し合わなければ見えてこないものだろう。が、あまり自分のmailに嫌気がさし、「確かに自分の書いたメールです。改めて読むとチョー真面目くさって、おそらく自分としては無意識でしょうが、いわゆるネコかぶりかも知れませんね~」と言っておく。いろんな自分がいるのは承知であるが…

    すると相手も、「私も過去メールの返信を読んでいると、これ本当に私⁉︎って感じるくらいネコかぶりでした。笑」の文を読みながら、「人は人に合わせるものかと」、「本意や真意とは別の会話もなされるものかと」、人と人の〝不思議さ加減〟を感じてしまう。「人と人は打ち解けてナンボ?」だが、自身を乱したい願望は実生活よりはメール相手に委ねるものかも知れない。

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    「いい子ぶる」、「ネコを被る」というのは、人間が社会に管理されていることの虚しさであろう。人間は社会的な動物である。その中で、「自由とは何か?」を問われれば、「自由とはやりたいことをやること」という模範解答はあっても、これは、「どこまで自分を捨てきれるか」という命題を突き付けられていることでもあり、「いかに自由が難しいか」に、収束する。

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    「いろんな自分がいるのを認識させられる」と書いた。別の言い方をすれば、「人間はさまざまな顔を持つ動物」。それこそ人間の1日をとってみても、気分のいいときはニコニコ笑い、不機嫌な時は言葉少なに押し黙る。ケンカ気味に言い合いをしたり、着飾ってご満悦だったり、トイレで沈思黙考しながら何を考えているのやら…、文章からもさまざまな顔が感じられる。

    確かに自分が書いたものには違いないが、書いてるときと日を改めて読むときとまるで違った感じを受ける。何を書き、何を行為したとしても、それらはあくまでその日その場の雰囲気の自分であって、その日その場の自分は二度とない。だからか後日に、「どうしてあんな風なことを書いたのか?」となる。悔いているわけではないが、いろんな自分を発見する。

    いろんな自分と付き合うのも自分だ。他人から悪意に満ちた非難や中傷を受け、反論するときはそういう文になる。正常に戻れば何でもないが、精神が荒れれば文も荒れるもの。まあ、他人の中傷は笑い飛ばすしかないし、茶化した応答を楽しんで書いたりする。以前は若さゆえにか腹の立つことはあったが、昨今は何を言われようがヘタレ中傷に動じることはなくなった。

    いろんな自分はどれも自分で、変幻自在の自分をすべて知る相手はこの世に存在しない。だから、真面目な人が凶悪事件を起こす。さて、親孝行には無縁の自分だが、周囲の「親不孝」の声にも、「勝手に言ってろ」と動じなかった。弁解しなかったのは、人を黙らせる必要も、分からせる必要も感じなかったからだろう。自分の問題であって、他人の問題ではない。

    自分と同じ考えを共有する人を求めたりはないがいても不思議でない。異にする考えもあれば同じ考えもあり、だから同士となる。誰にもない独自の考えを躊躇うことはない。自信とは驕り高ぶることではなく、自分を信じるという文字そのもの。親孝行を要求する親を自分は批判を超えた非難をぶつける。親や他人がそれを親不孝というなら、エゴ人間の称号を贈るだけ。

    子どもは親への忘恩を戒められるが、ないならないでいいではないか。恩着せがましく振る舞ったところで、恩の押し売りだろう。子どもに自然に湧き上がる子育てをすればいいだけのこと。ということ。「恩着せがましい親」は思慮なき親である。そんな親を尊敬できるハズがない。「そういう恩着せがましい言い方しかできないんか?」と、何度親に言ったことか…

    子どもに指摘されて自らの恩着せがましい言動に気づき、「よくないことと」改めるような親は利口な親。多くの親は子どもの発信に耳を傾けないのは親という権威なのか?子どもの言葉に素直に耳を傾ける親は子どもと共に成長する親ではないかと。その子も行く行くは親になるわけだから、子ども時代の親に対する矛盾や問題意識は、善い親になる予行演習である。

    問題意識とは親の批判である。「自分はこういう親には絶対にならない」という誓いすら生んだ少年期を思い出す。「批判が自分を作る」も自己啓発法である。批判を嫌う者は表面的で薄っぺらい人間である。何事もありのままに見、ありのままに感じることこそ大事なこと。「親を非難する人間にろくな人間はいない」という人がいるが、彼の目も耳もお飾りに過ぎない。

    自分が親になって子どもの批判を恐れる小者は、自らをそういう考えにしておく。他人を批判しない人間は、実は他人の批判を怖れている。「あなたのことも言わないから、私のことも言わないで」という女がいた。「私のことで気づいたことは遠慮なくいってね」という女もいた。後者に向上心を感じたのは自然なこと。「私は人の批判はしません」という女がいた。

    本人はそれを立派なことだと思っていた。自分の勇気のなさを、物は言いようであるが、そんな言葉に騙されない者もいる。他人からも立派な人間に思われたい、そういう気持ちも伝わってくる。ポジティブな批判精神もなければ勇気もなく、表面を着飾っていい女だと言わんばかりの浅薄さが透けて見える。それも人の生き方なら避ければいいだけ、口に出すこともない。

    一般的な親は子どもの孝行を喜ぶものか?喜ぶのが悪いと思わぬが、何がそんなに嬉しいのかよく分からない。大事にされてると感じるからか?子どもべったりの依存より、何かに打ち込む充実感を見出すことは山ほどあるのでは?そんな風に生きる自分からすれば、子どもに孝行される喜びを感じる暇はない。楽しみは能動的であるべき、受け身では思いに適わない。

    「親孝行だの、親不幸だの、言葉はあっても行為は存在しない」と思うからか子どもにそう伝えている。「そんなことは考えるな!」である。子どもに何かを貰って感激する親も良く分からない。自分なりに感激することは山ほどあって、だからかそんなことに感激してる暇はない。自分に言わせると、すべては暇人の所業である。人は自ら楽しみを見つけたらいいのよ。

    親になった頃から、親は子どもに義務しかないとし、親が子どもに権利を要求する何があるのかは、以前も今も何ひとつ浮かばない。だから「ない」ということだ。義務といっても成人になるまでで、そこからの親子関係は、対等な人間関係としての親子である。こういうスッキリした考えは、ともすればべったり慣れ合った親子関係を避け、良い意味での距離感がある。

    「独立自尊」とはこういうものだろう。子どもが巣立てば親も独自の楽しみを見つけ、人生を楽しむ。子どもに親孝行を要求しないでいても、子どもが主体的な行動をとる場合がある。それをどうするか?いろいろあろうが自分の場合は、他者に何かを施し、相手から謝礼など差し出されても受けないようにと決めているが、それと同じ姿勢でいることは何ら難しくない。

    他者からの自発的な謝礼であれ、子どもの親孝行であれ、受けないことは可能である。「気持ちだけは有難く戴いておく」という言葉は、決して罪ではないし、礼を逸することではない。相手の気持ちを慮るなら、その言葉の前に、「折角のご配慮に失礼かとの思いもありますが、気持ちは十分伝わりますので…」の言葉を置いてもいいし、子どもならフランクに伝えられよう。

    謝礼や歓待の類は一切受けないよう決めている。理由はいろいろあるが、最大の理由は、過去、そうしたものを暗に要求する卑しい自分に気づいたからである。人間の卑しさは自分で意識しないと、「自己正当化」に埋もれてしまう。ここに人間の卑しさを隠匿せんとするズルさがある。卑しさとズルさを拒否するためであり、そういう自分から脱皮するために始めた。

    「卑しさ」、「ズルさ」と分かりやすく述べたが、もっと奥深い情動が潜んでいる。自分は情に厚く、感受性も高いがゆえに感激屋さんである。よって、他人からそういうものを受けると判断を謝ることも多かった。戴く相手とそうでない相手と同等に見ることのできない「情」を自らに発見した。冷静に、公平に、正しく物事を判断するために課した啓発法である。

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    若き頃の自分は卑しさの塊だった。情のもろさが災いしてか、感情に左右されることなく物事を理性的に判断することができなかった。できているつもりでも、若さゆえの思い込みに過ぎなかった。他人から物を戴く立場にあっては、当たり前に受け入れた。「地位が人を造る」というが、地位はまた人を傲慢にする。よほど戒めぬ限り。人間は醜さを増幅させて堕ちていく。

    ズルく醜い人間が目標ならそれもいいが、そういう人間を嫌悪するようになっていく。自分を客観的に捉えたあの日を思い出す。そこには、欲深く醜さ丸出しの自分がいた。少年期に許せなかった母と重なった自分には、母の遺伝子が受け継がれているように感じられた。ズルく、浅ましく、理知の欠片もない、そんな母と自分が同じことをやっていると気づかされた。

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    自分の中に母の遺伝子が存在すること自体、たまらなく嫌でならなかった。あれほど嫌悪した母である。それに気づいた自分は、自分の中に巣食う母を追い出しにかかる。反面教師の極意というのは、嫌悪する対象を徹底批判することである。人間というのは、時々の都合で善悪良否を決めるズルさを持っている。無意識であっても人間は、実は自己正当化の名人である。

    「あんな人間には絶対になりたくない」という対象批判は、「あんな素晴らしい人間に近づきたい」という対象の模倣以上に即効性があることを自分は知っていた。「良い人の真似る」より、「嫌な奴を真似ない」ことのほうが行為として楽。それほどに人間の嫌悪とは激しい情動である。ズルく愚かで浅はかな行為を許せなかった少年も、やがて汚れていく。

    大人になる、社会に生きるとは、そういうことかも知れない。確かに人間が現に自分があるところのものであり続けるのが一番安泰である。人間にとっての困難は、現にある自分から脱し、彼方に向かって自己を投げかけること。そうした自分を変革することが、生の実在感を手に入れることに思えた。世の中には、人であれ、物であれ、「捨てて得るもの」が必ず存在する。

    そのことに気づいた人間は幸運である。捨てるべきものですら捨てられず、あるいは捨てるべきものを後生大事に抱えて、悩み苦しむ人間の何と多きことか。捨てることで楽になるものを捨てられないのはなぜ?おそらくは、未だ在らぬ彼方へ自己を投げかける不安だろうか。手中に在るものを手放すことの怖れであろうか。ズルさは「得」と認識されるが、その理由は分かる。

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    それが人間の実体というのも分かる。人間の本質は汚く、綺麗に生きるのは勇気がいる。「損して得取れ」という言葉の意味が若い頃に分からなかった。「損は損だろ?得であるハズがない」という理解しか得れなかったが、「得」は、「徳」が変化したことを知る。ならば、「損して徳取れ」である。が、「徳」が何かわからない。そんなことから思想書を手にする。

    バーゲンセールに群がる人たち、試供配布品を求めて並ぶ人、試食品をおやつ代わりに子どもに食べさせる親、一等が多い宝くじ売り場の長蛇の列、電車の空いた席の奪い合い、他人の財布を宛にしたタダ飯、卑しさ剥き出しの無節操な歓待など、得の欲求を戒めることが徳なのか?「得」の対義は「損」だが、損得勘定に縛られないのは徳ではなかろうか。

    節操なき「得」を批判すれば非難を受けることもある。「何を気取ったことを言ってるんかね~」というのも人間である。批判とは自己主張と思っている。他人がする他人の批判はその人の自己主張。そのように思えば他者からの批判や非難は他者の自己主張と気にならない。同じ100円の商品が80円ならいいに決まっている。自分もそうするが、列に並んでまで求めない。

    一切は個々の価値観である。美味しい定食屋に並ぶのもそうだが、自分は信号待ちも嫌がる性向で、よく言えばテキパキ屋、悪く言えば落ち着きがない。だから並ぶことは実損と感じる。実利・実損は節度の問題もあるから、何事かの答えを他人に求める人は付和雷同志向が強い。他人の悩み事への自分の答えは、あくまで自分にとって正しく、他人には当てはまらない。

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    そう思うようになった。よって、「あくまで自分場合…」と前置きを付け足すようにする。自分にできて人にできない、他人ができて自分はできない事は当たり前にある。ある女性からこう問われた。「どうしたら、人が自分をどう思うか気にならなくなりますか?」。他人の目を気にする人は多いが、他人の視線をまるで気にしない自分に問うのは、実は筋違いなのでは?

    「あなたがそうだから聞く」というが、自分にできることが他人にできるのか?その女性にはこう答えた。「自分に正直に生きたらいいのでは?」。言葉の意味をどう理解したか分からない。自分に正直に生きられない女性は多いと思いながらも妥当な答えである。「正直」が難しいなら、「エゴを捨て去ること」と言うほうが理解しやすかったかも知れないと後に思った。

    なぜなら、「正直に生きる」とは、「自分を誤魔化すのを止める」ということ。自分を誤魔化すのはそれなりの理由や事情があるからで、女性にすっぴんで街を歩けといってるようなもの。女性の分からなさは常々思うこと。将棋仲間宅の前庭で立ち話をしていたところ、買い物帰りの奥さんに遭遇する。紹介されたので挨拶をすると、「あら、どうしましょう、恥ずかしい…」。

    口を手で覆い隠して寝ぐせがついているわけでもない髪を撫でながら、「普段はあまりお化粧しないんです。ごめんなさい」と、はにかんでいた。年齢は70前といったところだが、これが自分の思う女性の不思議さである。男からすれば、まさに別の生き物でしかない。初対面の人であれ、不意に不用心の素顔を見られることの羞恥は、どうにも男には理解できない。

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    女性が男とは別種であるなら、女性からの悩み相談を男目線で答えるのがどうして適切であろう。以前は思わなかったことだが、安いチラシを見つければ、隣町にまで出かけるというのが主婦感覚であるらしい。こうした防衛本能と男の大雑把加減は言い合いになってもオカシクない。夫と妻の喧嘩ネタは尽きぬようだが、「一度も喧嘩したことない」といえば不思議がられる。

    男と女、夫と妻は、喧噪あってこそ普通であるという。だからか、「お前のところはできた女房だ」とか、「喧嘩したことないって、それはできた奥さんでしょう?」などといわれる。自分が褒められることはないが、妻の、「できた人」にも反論はない。自分は自分に合った相手を妻と娶ったに過ぎず、「夫唱婦随」を信奉する自分には、眼鏡に適う相手が必要だった。

    世の中のこと、書けど書けどもキリがない。それが世の中というものの広さであろう。気取ったエッセイなど書いても屁のツッパリにもならぬと、人間を抉りもし、炙り出してみる。そうした視点で事物を見るのは、こうした書き物の恩恵なのかもしれない。対象に目をやりそれについて考え、より確かな自分の在り処を発見する。書く行為はまた、遠きを見近きを見る。

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    人目を気にしないのは自分のために生きるからだ。「自分の生き方を人からとやかく言われたくない」ではなく、「言われても気にならない」のは真の自分を生きる人に共通の思い。人の目線が気になる人は、まるで他人のために生きているようだから女性に対し、「自分に正直に生きたらいいのでは?」といった。できるできないに関係なく「自分を生きる」法則だ。

    「自分に正直に生きる…」。言葉の意味は分かるだろうが真意は理解はできないかもしれない。なぜなら、彼女が自らが思考して得た考えでなく、所詮は他人の受け売りで、自ら考えて答えを出すこと=理解であろう。他人から正しい答えを得る場合もあるが、「正直に生きたら?」と意見されるのと、「正直に生きよう」と自ら答えを出すのとはは雲泥の差がある。

    考えを行動に移せばさらに得るものが加わる。理論と実践の違いは行動すれば分かる。自らに忠実に、正直に生きていけば、次々と試練にぶつかる。試練というのは、他人から叩かれ、罵倒されることで自身のエゴが蹴とばされ、あるいは踏んづけられ、自分で自分がどうにもならないへとへと状態になり、これ以上は生きていけないくらいに追いつめられる。

    そこまでになった時、「この際もうエゴを捨てて生きる以外に自分の生きる道はない」という悟りが湧いてくる。こういう悟りは、自分を誤魔化して生きる人間には、絶対におとずれない悟りであとう。自分は佐藤愛子が好きで、彼女は自らに正直に生きてきた人である。傲慢な母親に苦しんでいた時、彼女のエッセイを読んで心の重しが吹っ飛んだことを忘れない。

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    正々堂々生きる道を教えてくれた人である。彼女は実存の人である。94歳にしてますます実存たけなわの人である。おばあちゃんという感じがまるでない。したがって実存の対義である観念を嫌っているところは自分と同じである。観念という語句そのものが宗教用語であるが、哲学的には、「人間が意識の対象について持つ、主観的な像」などと解されている。

    観念を排して自らに正直に素直に生きる彼女は、時に人から非礼と誤解されたり、頭がイカレているのではないかと思わせる言動も多だある。「母のバカバカしさに20年耐えました」と、娘の言葉が笑わせる。佐藤が夫である田畑麦彦との離婚の顛末を書いた小説『戦いすんで日が暮れて』の最後、夫に向って「あなたは人間じゃないわ、観念の紙魚(しみ)なのよ」という。

    本当に言ったのかどうかは分からないが、佐藤がこの言葉を書きたかったのは伝わる。「作家は何を書いても結局は己を語るという結果に成る」と彼女はいう。母親と喧嘩して家を出たことで自分で稼ぐしかなかった佐藤は、電車賃を節約するために長々と歩いたことで足腰が鍛えられ、それが長寿につながっているのかもしれない。楽をする現代人は足腰から弱っていく。


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    「エゴを捨てればいい」。言葉では簡単に言えるが、それがどれだけ大変であり、苦しみを伴うかを言葉で示してみたが、実際に体験すると言葉以上の苦しみを実感する。人間が、ズルく、汚く、愚かな行為を排除するのはどれだけ大変であるかは、やったものでなければ分からない。「少しでも他人より得をしたい」という、我が身を利するのを否定するわけだから。

    物事を成し遂げようと努力をするときは、多少なり問題があっても徹底してやらなければ、人間はどこかに隙間を見つけてそちらに流れてしまう。だから苦しい。自制という苦しみは他者からの強要より勝るといった女性がいた。確かに言われた通りをやるのが楽なのだろう。こういう葛藤は誰にもある。先日、死刑のために出頭しなければならない夢にうなされた。

    あれは本当に苦しかった。本質は自由であることの苦しみである。独房に収監されて、死ぬ日を待つ苦しみより、市井の中で自由を横臥しながら、日時を決められて主体的に出頭する、その時間の迫りに自分はうなされていた。これほどの苦しみがあるだろうかという疑似体験であったし、まさに夢でよかった。夢の中であれほど思考をしていては脳も休めなかったろう。

    自分は死刑制度に対する固定観念はない。夢は現実ではないが心の投影であるなら自身の中にこうした強迫観念が存在する。たとえ無意味と思われることであっても、その不合理性を本人は意識せざるを得ないのが人間である。それらのことが自己の意志に無関係に絶えず頭の中に浮かび、除去しようとすれども取り除けない状態が強迫観念といわれるが、「死刑」の是非は難しい。

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    夢の真意は、「死刑を傍観する側と受ける側の両面の葛藤を超えて答えを出せ」という指令だろう。自由主義者の自分は観念に縛られた人は不自由と思うが、「有る」と思い込んでる固定観念をぶち壊すためには思考はいらない。自らの内面に向かって、問い掛けることだ。考えるではなく、「有るのか」と問いかけることによって、自分の中の固定観念が壊れていく。

    内側に意識を向けて問いかけることで何かが変わっていく。だから、何かを変えたいときには、思考するより自らの内なるものに問いかけるのがいい。わかりやすくいうなら、自身の固定観念に疑問を持つこと。現実というのは意識の投影であり、一切は内面で起こっている。仏教用語の観念の本来的意味は、仏を観察思念すること。ゆえに、「観念」の対義は「実在」である。

    観念的なものを好む人、観念的な生き方しかできない人もいれば、生の実在感を求める者もいる。観念的思考というのは現実から如何なる源泉を得ていないことを考えれば、現実からの抽出に関与する抽象的思考の方がマシであろう。現実的な親子関係の対比として観念的な親子関係というものがある。現実は善くも悪くも現実だが、固定観念的な親子関係には弊害がある。

    例えば毒親への罪悪感を抱えたまま大人になる者もいる。天才的頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられないウィルと、心理学者ショーンとの心の交流を描いたヒューマンドラマ、『グッド・ウィル・ハンティング』。ショーンがウィルに、「It's Not Your Fault(君は悪くない)」と何度もいい続ける場面は圧巻。ウィルはショーンの言葉で解放される。


    人間はいかなる世界に居ようとも、固定観念に縛られている限り、「自分が正しい」、「自分のいる世界が安心」と思い込んでいる。トラウマから脱せない青年たちも、苦しみながらもそれでも自身の世界から逃げないでいる。それは何故か?自分以外の考え方や世界観を極力排除しようとするからだ。だからこそ、「固定観念」という言葉が存在するのである。

    拠り所とする世界が固定観念であるのを気づかぬ人は多く、気づいてもそこから脱せない。その極めつけが宗教という観念世界で、その世界がどれだけ生きづらいものか、これはもう離れた者でなければ分からない。観念的親子の弊害とは、毒親から擦り込まれた親を主体の親子関係という固定観念である。親軸を自分軸に変えるべきだが、そのことで罪悪感は持たぬこと。

    子どものうちは親に依存するが、子どもが大人になった時に親が子どもに依存する状況なら、子は必然的に親不幸にならざるを得ない。自立とはそういうものだから、自立を阻む子どもべったりの親の依存心は批判すべきである。精神的、肉体的、経済的・物質的においても、親の加護から抜け出て一人で生きていくのが自立で、こんなことは親子関係の必然である。

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    観念的な家庭に育った子は親を裏切る苦しみを持つという。双方にとって親不幸となるからだろう。親のいうところの、「親孝行」とは子どもに自己犠牲を強いること。子どもの、「親孝行」とは、自己犠牲を厭わぬこと。こうした日本人の道徳感は、恩義に報いて義理を果たすことと解釈できる。自分は日本人だが、「こんなバカなことをやってていいのか?」である。

    子どもとして、「やっていいのか」と同時に親の立場として、「子どもにさせられない」であると、親孝行についての記事で書いた。「孝行息子」という言葉はあっても、「孝行娘」というのは聞かない。娘は嫁いで他家の人間になるからだろうか?しかるに、「孝行息子」は独身時代に限らず、配偶者を娶った以後も親に孝行すること。悪いことではないが難しい側面もある。

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    さまざまなケースがあるので画一的には論じられないが、例えば夫婦と子どもだけの家族構成の場合、夫婦それぞれの親との関係は、訪問という短時間の接触となり、さほど問題になることはない。問題になりやすいのは、一つの家に夫婦とその親が同居する場合である。昔も今も続く厄介事が、「嫁姑」問題。なぜ問題になるかもさまざまあって、一概に、「これ」とは言えない。

    一つの例として、「嫁姑問題」は、夫婦関係に親子関係が優先する、あるいは拮抗することで起こる場合がある。むろんこのケースは夫の親と夫婦が同居の場合に起こりやすい。いろいろな話を耳にもするし、映画や小説の世界でも知るように、こうした嫁姑問題で自分たちの親や祖母がいかに苦しんだか、またこんにちにおいても姑に苦しむ多くの女性がいるであろう。

    嫁姑問題がなぜ起きるかについて昔から言われることは、そこには2つの無理が介在するからである。一つは二人の妻(舅と息子)が台所を共有するという無理。もう一つの無理は、長男継承による家族制度にある。息子は父の跡継ぎであり母親にとっては夫の代行者。それなら母親は息子をあたかも自分の夫のような位置づけをし、それが息子と妻(嫁)と拮抗関係に移行する。

    舅の跡継ぎということで息子を支配しがちな姑も姑なら、父親の妻である母に牛耳られてしまう息子も息子である。互いがここに節度をもって触れ合えばいいが、できる者もできない者もいる。問題になるのは後者の側である。が、こういうことは西欧諸国には起こらない。理由として母と息子の関係が、息子の成長とともに一旦シフトするのと、夫婦関係優先社会だからだ。

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    さらに日本の「家」制度の特徴は、子が年老いた親の面倒をみること。親の側からいえば、老後の安泰とはそうしたことにあるという価値観である。が、近年はこうした「家」制度が崩壊したことで、老人問題が深刻化してきたといわれるが、こうした夫婦中心の社会制度をバックアップするためには、国の老人福祉政策が何より充実していなければならない。

    「家」制度の崩壊により、親を老人ホームに押し込むことが親不孝者といわれた時代は去った。それを嫁の義務とされた時代の嫁の心労負担は大変なものであったが、親をないがしろにする親不孝な息子、それはおそらく息子に入れ知恵する悪妻などという風評がまかり通った時代でもある。世間に顔向けできないでは近所付き合いもままならぬといった時代の怖さであろう。

    親子の夫婦が同居しないことが慣習となってきたこんち社会では、自然にその解決方法を発達させてきたといえる。何事も踏み出せば新たなものは生まれてくるもので、当初は後手に回ることはあれ、それに準じた対策は徐々に出来上がることをみれば、改革を怖れることはない。改革こそが進歩である。嫁の心労負担がなくなり、日本も先進国になったといえる。

    嫁が姑の介護を含む面倒を見るのを、「したくてたまらない」という人はマズいない。いるとすれば、余程姑から愛情を供与されたか、あるいは偽善者であろう。つまり世間や周囲から善い人間と思われたいから、無理もさほど負担にならない。偽善行為というのは、自分に正直に生きていないからやれるのだ。親孝行というのは恩義から発生する義理であると書いた。

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    すべては求める側の罪であり、差し出す側には弱さが見え隠れする。そうした弱さを「美徳」と感じることで我が身を慰める人多し。実の母ならともかく、いじめられた姑のシモの世話をしたい嫁などいない。「徳」と「偽善」は紙一重だから、その正体本質は本人には分かっている。妻は姑に、「私はできません」と前もっていったが、無理をしてですらもできなかったのだろう。

    正直な人間は利害に関係なく正直でいれる。ある行為をしたくなくても、せざるを得ないことは世の中にあって、それらを義務と解されている。義務にもいろいろあって、さほど躊躇しないでやれる義務もあるが、絶対にしたくない義務もある。義務教育を拒否すると3000円の罰金と聞いたことがあるが、戦時中の徴兵義務を拒否すれば大変な目にあわされたという。

    逃亡とかでなくその場で徴兵拒否の意思表示をすると、憲兵に捕らえられ収監される。刑期は定かでないが、刑期が満了すると被告は、即日出頭すべきところの原隊に護送され、その時点から2年間の軍隊生活を余議なくされる。逃亡でもしようものなら、逃亡罪として軍法で厳しく罰せられ、その後に入隊したところで前科者として、最前線送りのような酷い扱いを受ける。

    もっとも拷問や非人道的待遇は当然にしてあり、「治安維持法」では本土で75681人が送検され、明らかな虐殺65人、拷問等による獄死114人、病気等が原因とされる獄死1503人という記録が残っている。GHQ最高司令官マッカーサーは、「治安維持法」や、「特別高等警察」など、思想や政治信条により人を取り締まる制度を即刻廃止させている。

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    飛躍した義務の一例は今となってはの視点であって、戦時中は当たり前のことであった。徴兵義務の時代もあったように、かつては、「嫁の義務」というものもあった。明文化されたものではないが、長男家に嫁ぐ嫁にはそれなりの義務と大きな覚悟があった。女は定まる家はないといわれた時代のことで、今の時代に「嫁の義務」などというものはおそらくない。

    どこかの若い夫婦が自分に問うなら、「夫婦が幸せになること」つまり、嫁の義務は夫の義務でもあるというだろうか。同じように、嫁の義務は姑の義務である。上手くやるためには、双方に等量の潜在的な義務、あるいは使命が存在するが、そのことは友人関係にも言える。片方が義務を果たすのに、もう片方が義務を果たさないことで、果たす側に不満がでる。

    それらを考えると、無駄な義務などは一切排し、合理的に接することが最善と思うが、「それでは世間が…」という縛りに拘束されるのが、あらかたの日本人。もう一つ、嫁いだ先での嫁の義務は、実の親より義理の親を大切にすることだろう。「大切にする」というのはいろいろな解釈があるから、わかりやすく言うなら、「優先する」というのが適切かもしれない。

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    女が実家を出るということは、嫁ぎ先に新たな親ができることになる。同じことは夫の側にも言え、彼らにも新たな娘ができることになる。なのになぜに娘(嫁)をいびるのか?原因の一端は昨日述べたが、新たな家族の仲間入りをすれば、家のしきたりに順応するために嫁は努力をするだろう。幸いなるかな女性は頑なな男に比べて順応しやすい特質がある。

    「女三界に家なし」の三界の一つは姑でなく夫である。自分の妻は夫の考えや価値観に順応した。さらには姑にも順応する必要があったが、ここで問題なのは、夫と姑の価値観が異なる場合である。我が家はそれが顕著であった。自分が右といえば姑は左という、これまさに母と息子の対立である。嫁は板挟みにあって右往左往することも考えられ、自分は姑に強権で接した。

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    「『船頭多くして舟山に登る』というが、我が家のことは自分が決めるので口を出さないで欲しい。老いて子に従えないなら同居はできない」と、言い渡す。息子と実親は肉親で嫁は他人なら、肉親同士は遠慮せずに物を言った方がよい。親に気を使ったり、遠慮するから支配的な親は、息子や嫁まで支配しようとするので気を抜けない。自分は親の支配に断固抗った。

    家族を養う夫は方向性を自ら決めるべきであり、それ相応の価値観が存在する。それを壊そうとする親が同居していいものか?息子の上に立とうとするバカな老婦に夫は釘をさすべきと考える。ゆえに嫁姑問題は夫の責任だろう。自分は自分のカラーを出すために、因習・慣習に一切について親の意向を無視した。「そういうものに自分は拘束されたくない」と、親を諦めさせる。

    妻は何も言わずにいたが、そういう場合に意地汚い親は、「お宮参りもさせないバカは世間の笑いものだろ。嫁がちゃんと言わなきゃダメだ」などと入れ知恵をする。それでも自分には何も言わず、結果的に親の顔に泥を塗ることになる妻の心労はいかばかりであったか?自分は母の支配を早期段階で徹底排除しなければ、後々大変なことになると感じていた。

    無理知で無神経に人を操縦(意のままに操る)する傲慢な母と理解していた。ゆえに嫁の操縦をするだろうし、反抗できない嫁はロボットにされるのは目に見えていた。自分が入信する新興宗教に勧誘するわ、孫にまで天理市で行われる大祭に連れて行こうとする母に対し、「バカげた宗教もだが、今後自分を差し置いてつまらん吹込みをするな!」と最後通告をする。

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    この人にはこれくらいでないとダメと知る自分である。孫可愛さに金銭を渡す年寄りは多いが、孫を手名付けるためにそれをやるのはどうであろうか?母の支配が孫に及ぶ懸念はあったが、長男ばかりを特別扱いすることで、三人の娘からは批判も出る。妻は長男を説得し、「祖母から貰ったお金はみなで分けるから」と自主申告されたのはいいアイデアであった。

    それくらいに露骨な長男贔屓をする母は、「長男は跡取りだからあんたたちとは違いのよ」と、昔の人にありがちといえばそうだが、そうした理知のない言動を平気でする。兄弟は対等であるのは皆の思いであることも分からない。狭い考えに支配された人間の怖さである。世の中の多くの家庭で差別をされた兄弟が、牙を剥くことになった事件はいくらでもあるだろう。

    自分が幼少期に苦労した母が、自分の家族にまで強権支配するのは許せることではない。自宅から仕事場まで1時間もあったこともあり、引っ越しを考えたが、学校を変わりたくない子どもを思う妻は姑の我慢はできるという。結局、あることを機に、「お前のような嘘つきバカ親とは二度と口を利きたくない」と自分だけが家を出る。どうしても許せない行為への示しであった。

    あれから20年経過している。14~15年ぶりに会ったときも、皮肉をいう元気さは衰えてはない。いろんな意味で、「脳タリン」や、「バカ」とは話す意欲が萎える自分は、そうした毅然とした自分の生き方を好きでいる。世の中には自分が嫌う相手でさえ、何事もないかの媚びた態度をとる人間もいるが、「自分は一体どんな人間なんだ?」と自己断罪をしてしまうだろう。

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    先日、県東部に嫁いだ三女から呼び出しを食う。何事かと思えば1月に生まれた長男のお宮参りであった。何も言わなかったのはおそらく妻の入れ知恵だろう。「お宮参りといったらお父さんは来ない」くらいは想像がつく。三女には、「4人子どもがいたが、初めてお宮参りをした。それも騙されて…」といえば、「『そんなことする必要ない』といってたしね」と妻がいう。

    おそらく、「ああしろ、こうしろ」などと因習や慣習にうるさく、あるいは何事も、「世間、世間、世間…」と耳にタコができんばかりの、母への反抗心から作られた自分である。「世間が何だ」という反逆心を持つ人はいるだろうが、「世間=他人」と考えるなら、「自分の人生がなんで他人に関係ある?」という生き方ほど自由で楽なものはない。それができない人は不自由であろう。

    自分がこうなったのは、「因習・慣習、そして世間体」をやたら持ち出す母のご利益だったかも知れない。子どもに関わる行事や儀式を一切しなかったのも、それを主導しようとする母を押しとどめるということもあったし、日本古来の文化に不服従を誇るものではない。妻とて子どもの、「お祝い行事」をしたかったろうが、女はやはり舟である。船頭のとる舵の方向に進んで行く。

    これまで価値観の違いによる言い合いはなく、すべては自分に合わせる、完璧な「夫唱婦随」型の典型である。「責任はとるので任されたい」ということで能力を発揮できる自分の性向に合致した妻である。いちいち横やりを入れる女の思慮の浅さは、共に進んで行こうという気にならなかった。「女は男に従属することで、逆に男を隷属させている」とは言ったものだ。

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    夫婦喧嘩や言い合いの類は、人から聞く度に不思議であった。建設的な言い合いもあるのだろうが、大方は犬も食わないものが多かったし、「なんでそんな風になるんだ?」しかない。「生きるに値するもの」、「行為としての価値」、「高貴なる自己所有物」、そういうものに自分を貫くべきであろう。そのためには、自らのエゴイズムと戦い、打ち勝つ必要もある。

    確かに理想を唱えるだけで、周囲から冷笑されたりすることはあるが、冷笑する人間は一体に何を基準にしているか?にまで思考をすれば答えは明瞭である。それら多くはマジョリティであり、人と同じことをやっている安心感が異端を認められない。理想を貫く道の多くは少数派である場合が多く、自らが自らの理想という精神的搾取からの解放ではないだろうか。

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    「もう少し自分の頭がよければ…」、「美男 (美女)に生まれていれば…」、「もう少し体が丈夫なら (運動神経がよければ)…」、「もう少しお金もちの家に生まれてさえいれば…」、こんな切ない人生でなかったろうに。などと思えばなんだか悔しいやら、情けないやら、そんな風に思った人はいるはずだ。それを屈辱と感じて、耐えて生きてきたのかも知れない。

    あるがままに素直に生きるのは辛い。だから自分を偽り、強がったりの生き方に光を見出そうとする。「あるがままの自分を受け入れる…」言葉だけなら簡単だが、それができない理由も分からなくもない。が、何歳になってもそういう生き方から抜け出せない人であるのは、同じ年齢になってみるとよくわかる。これまで自分を変えようなどと思わなかったのだろう。

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    自分を変えようと決断する契機を持たなかった人たちに思える。つまらぬ自尊心や虚栄心を拠り所に死ぬまで生きていくのか?そういう人は自然に相手が遠ざかることに気づかない。他人に文句ばかり言う人は、他人からも疎まれるという感受性がなぜかない。自分のような年代になると、付き合う相手を吟味するし、つまらん人とは同じ時間を持つことはしない。

    「つまらん人」にはいろいろあるが、自分がもっとも避けるのは、エゴ剥き出しで他人への「思いやり」、「やさしさ」がない人で、これはすぐに判明する。できるなら早い時期がいいが、自分を変えようとする時にはこれまでの自分を捨てる覚悟がいる。これまでの自分の無知さ、愚かさ、自己中心さを自己の探求から見つけ出すこともあれば、他人から指摘されることもある。

    相手の言葉に素直に耳を傾け、偽りの生き方に気づくかどうかが自己変革の契機となる。「人は自分のことをそんな風にみてたのか」というのは驚きであり、「自分はそういう人間であった」という事実を知る。単に人がそう見ていただけでなく、自分の存在を思い知ることになる。そんな醜い自分をどうする?他人の指摘は無視をできる。それが自己愛というもの。

    自分が可愛いければ他人の批判に耳を貸さないばかりか、批判されて逆上する人間もいる。それくらい他人からの批判を嫌がる人間は、自分に自信が持てない人間である。批判を受け入れるなら、自分は無に帰するという怖さである。だから他人から善人と思われようと、めいっぱいの行動をとる。他人が嫌がることですら嫌ではないと、自他の差をつけようとする。

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    「できた人間」に見せているが、哀しいほどに自分に無理をして生きている。普通はしんどく息詰まるがそれすらにも慣れる。周囲の多くを騙せても、経験豊富で洞察の強い人には見透かされ、親切心から、「もっと自分に正直に生きたら?」と指摘されても、反発心もあって変えられない。自分に素直になれない人は概ねこういう感じである。偽善に生きる人は見ていて痛々しい。

    男にもいるが、圧倒的に女性に多かった。女はなぜにそうなるのかをいろいろ考えてみたが、やはり他人から見た自分を生きるからであろう。自分が他人からどう見られているかが、その人にとっての最重要になる。なぜそうなるのかは、「女であるから」という言葉で言い足りている。心理学的・社会学的分析はできるが、「それが女というもの」で十分足りている。

    鏡を見ながらうっとりの時間など、男にはないからだ。鏡は自分を映すものだが、男は鏡に映る自分が嫌だというところがある。つまりは、自分が人にどう見られているかより、自分が人をどう見るかを優先するのだろうか。少なくとも自分はそうであるから、鏡なんかほとんどみることがない。やはり嫌なのだろう。自己変革は自分を捨てることから始まるといった。

    自分を捨てることがどんなに難しいか、その障害になるのが自己愛である。昔ある人がこう言った。その方は賢人であった。「人が自分の取捨選択を強いられるのは、子どもをもってからだよ」。結婚前の自分にその意味は分からなかった。「それって自己変革を強いるってこと?」と尋ねたら、「自分を捨てる本当の意味は、子をもってわかるということ」そういう教えだった。

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    「恋人ができたら変わるといいますが…」というと、「それは自己変革というより、虚栄心を増幅させるだろうね」という。なるほど、「いいかっこってやつですね」。そんなやり取りと記憶する。確かに子どもをもって見て、自分を変える必要に迫られた自分だが、おいそれとそう簡単には変えられない。そこで自分が考えたのは、理想の父をイメージし、演じることだった。

    素のままの自分で子どもに接すればとんでもない子になるような気がしたからだ。もっとも、それまでに幾度か自己変革を強いられる他人の言葉はあったし、嫌な自分を変える努力はしたが、まだまだ道半ばであった。が、理想の親を演じることは、さほど難しいとは思わなかった。なぜなら、親のエゴを排して子どもの気持ちをつかみ取るのは、自分の親の理想であったからだ。

    自分の幼少期に親からされた何が嫌だったかを思い出せばいい。誰もかつては子どもだったからだが、幸いにして自分はそれらのことを憎悪として内面化していた。子どもを躾けるのは何のためにか。子どもを養育する目的は誰のためにか。そういう根本的な問題においての結論は、子どもは親の自我を満足される道具ではないということ。要約すれば、「子どもは誰のものか?」

    「子どもは親のものではない。神からの授かりもの」という欧米の宗教観は、親の子どもに対するエゴを戒めている。さまざまな形の愛があるのは頭で理解はする。キリストの愛とかは言葉尻から知っており、友愛、恋愛、性愛などは実体験もある。しかし、そうした愛はどこか欺瞞的なものがあった。ところが子どもへの愛は、これほど真実なものはないものだと知る。

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    そのことが、「自分を捨てる」という本当の意味を理解させられた。レンジでチンというわけにはいかないものだから、すぐにはできないにしても、理想の父親を演じているうちに少しづつ、親のエゴやつまらぬ自分を捨てられるような気にもなれた。「人間は本当に人を愛すことができたら、完全に自分を捨てることができる」という、そのことだけは理解に及んだ。

    自己イメージを高めるために子どもを利用する母親は、「誰のための子ども?」というのを自らに突き詰めるべきかと…。子どもの手柄は親の手柄という親でも、子どもはさほど嫌がらず、親があってこそというよそ行き言葉を耳にする。部下の手柄を横取りするような上司は上司にあるまじき批判に晒されるが、子どもは年齢的な未熟さもあってか、親批判ができない。

    もっとも自分は、何でもカンでも親の恩というのは親をつけあがらせるもので、子を持った親として当然の義務であると考えている。なぜなら、自分も間違いなく親になるからだ。我が親には恩を抱き、我が子に、「恩はいらない」という器用な振る舞いができればいいが、立派な考えも突き詰めれば矛盾である。「子育ては親の先験的な義務」と考えるのが理に適っている。

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    「さんざん親の悪口を書き綴って、なんなんだこのブログは…」と感じる人はいるはずだ。そういう人には気分が悪かろうし、内容は戯言でしかなく、親批判の親不孝者としか映らないだろう。斯くの人物にとっての親とは、心の支えであったり、拠り所であったり、できることなら同じ境遇に在ったらの思いは消えることはないが、子どもは親を選んで生まれてくることができない。

    心無い親の下に生を受け、虐待されて心に傷を負った人たちや、死に至らしめられた子どもたちを思えば、自分なんかはるかに救いである。心ある立派な親に育てられた人も、世の中にはそんな親もいるということを知ることは、何の得にもならないにしろ、損になることもないだろう。世の中で起こることはすべては現実である。善くも悪くも現実であり、悪いことに蓋をすることもなかろうし…

    子どものころ、父から戦争の話を聞かされた。聞くのが好きだったからか、父は戦争の話をよくしてくれた。決して非道で残虐な話ではなく、戦争に憧れる自分の心情を理解した内容だった。戦艦や駆逐艦や巡洋艦という鑑別の説明も子どもながらに理解に努めた。子どもは棒きれを手にすると、「チャンバラごっこ」をしたが、いつしか「戦争ごっこ」なるものを始めたのはテレビの影響である。

    『コンバット』という戦争映画は、60年代を代表する海外ドラマとして人気があった。4~5歳のころに父から聞く戦争の話は観念のようなものだったが、テレビで観る戦闘シーンはなぜかカッコイイものだった。刀が機関銃に格上げされただけでも、男にとってはたまらない魅力である。サンダース軍曹の愛器、「トンプソンAMサブマシンガン」という名はすぐに覚えた。

    「AM」はオートマチックの略だというのも理解した。あれが欲しくて欲しくてたまらなかったが、終ぞ手にすることはできなかった。話がそれたが、まあいいだろう。「書き綴ることが展望となる」という表題は便利なもので、何を書くのも自由であるからだ。拘束を嫌う自分は表題に拘束されることも嫌うので、書いた後で表題を考えることにしているが、これなら何を書いてもお咎めはない。

    来場者のお咎めを気にするというのではなく、 ブログには「アクセク解析」というのがあり、書き主に見れる。それによると、どういう検索ワードで来場したか、自分の記事を何人が見たかを知ることができる。ということは来場人数を増やすためにはいかに「表題」のウエイトが大きいかということになる。確かに、自分が読みたい記事をワード検索して任意にブログを選ぶことになる。

    そう考えると自分のブログは訪問者にとって宛が外れることもあろう。だからか、いっそ表題はない方が自他のためかと相成った。いつか気分が変われば元に戻すだろうし、決めたり限定するのも好きではない。すべては自由に柔軟に、なすがままに…。戦争への興味は子ども心の他愛のないものから、テレビ映画や戦争映画から、やがては戦争体験記へとフィクションから現実へと移行する。

    沢山の戦争体験手記があるが、山本七平に触手が動いたのは、彼の戦争体験を通した日本人観や独自の日本人論に評価が高かったこともある。彼の『私の中の日本軍』(上・下 1975年文藝春秋刊)は、日本陸軍を解剖した所見としては他に例をみない鋭利さで書かれ、広い読者層を得た。山本が戦場で筆舌に絶する労苦を重ねたことはこれらの著書で明らかだが、以下の記述も心に残る。

    「内地の犠牲になる、自分が命を縮目ればそれだけ家族の命が延びる、そう考え、そう考えるだけで自己を支えて、最後の最後まで元気だった彼は、結局、私の犠牲となり、自らの命を縮めて私の命を延ばした。前の日に、『オレが手を貸すから…』と言って、無理矢理にでも前哨まで引き揚げさせれば、彼も生きて内地の土を踏んだであろう。それをしなかったことは永遠の痛恨であり、またそれをせずにさらに救出も打ち切ったことは、どう理屈をつけても、結局、生涯癒えることのない心の傷となった。」  (一下級将校から見た帝国陸軍)

    戦争体験記というのは戦争への憎悪、上官への悪口・悪態となるのはやむを得ない。それだけ戦争体験が凄惨であったからだが、彼らの意図は決して戦争への憎悪・上官に対する悪口に固執するものではなく、いかに戦争の真実を後世に伝えたかったである。自分も、実母への悪口・悪態に固執するではなく、労苦体験を含むあった事実を親であろう人や、親になる人の気構えとして書いている。

    優れた親もいれば、尊敬できない親もいる。それをまとめて、「どんな親も親は親」というのは、味噌も糞も一緒といってるようなもの。味噌と糞が違うように、善い親と毒親とはまるで別物だ。人を利用しようとする人間が性悪であるように、子どもを利用する親が善意であるはずがない。人間は性質が悪いこともあってか、「子どものため」という言い訳を自己正当化に用意する。

    こうした思い込みが、永遠に尽きることのない親子の問題である。小津安二郎の自『一人息子』の冒頭、「人生の悲劇の第一幕は親子となつたことにはじまつてゐる」の字幕が出る。小津は、伝統的な日本文化の世界を描くことが多かったが、一人息子である自分はこの作品を我がことのように見入った。冒頭の字幕は、芥川龍之介の箴言集『侏儒の言葉』から採られている。

    母の存在の是非について考えさせられる作品であり、母には絶対になれない男親から見て、母親の子への思いはあまりに近すぎてか、無惨にすら見えてしまう。「子供に対する母親の愛は最も利己心のない愛である。が、利己心のない愛は、必しも子供の養育に最も適したものではない。この愛の子供に与へる影響は――少くとも影響の大半は暴君にするか、弱者にするかである。」

    芥川は続いてこのように述べている。作品の中心となる母子家庭の一人息子は、母の期待に応えられないことに苦悩するが、「そもそも子どもが母の期待に応えることが親孝行ではない」という小津の意思が自分には読み取れる。どちらにも負担を強いらず、しこりも残さぬ親子の正しい在り方とは、「決然と親不幸をする子どもと、それを何のわだかまりなく享受する親」ではないかと。

    「道徳」というのはある場合において、「便宜」の異名と理解すべきである。他人の道楽や快楽の餌食になって命を落とす少女は哀れでしかないが、防ぐ手段がないわけではない。「箱入り娘」というのも非現実的である。他人はさておき、親の横暴や倒錯した価値観の犠牲になる子どもは、命を奪われるのは問題外とするも、幼児期は親の支配下に生きる不幸を背負う。

    反面、「自分のために生きる」という活路を見出す者は、非権威主義者でもある。他者によって自分の存在を認められて喜びを感じるというそのことは、「自分のために生きる」ことにはならない。人から支持されたり評価されるのは悪いことではないが、真に自分のために生きるなら、他人の評価を受けずとも不安を感じることもなければ、見栄を張ることも意識することもない。

    子どもを虐待する親も、子どもの奴隷になる親も、関わりすぎる点においては子どもにとっての害となるが、一切のものが、「見方」であるなら、なぜか後者は評価される。だからか、『子どもを東大に入れる』本も、『子どもを天才の育てる』本も売れるのだろうか。「普通の子で十分」という親もいるにはいるが、何もせずに放っておいても、藤井聡太は生まれてくる。

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