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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    親子のこと、夫婦のこと、嫁姑のこと、いずれも家族を中心とした人間関係の問題である。人間が社会的な動物である以上、社会生活の中で様々な人間関係が派生するが、こうしたさまざまな人間関係を社会生活のなかで一生かけて学んでいく。そうしたなか、もっとも身近な家族や家庭を通じて、社会における人間関係の基本的を身につけていくのが手っ取り早い。

    両親と子どもからなる単位が家族の原型として、さまざまな社会のなか、こんにちまで変わることなく存続してきたのは意味のあることだ。子どもは成長し、やがて結婚という形で新しい家族を作る。したがって結婚は家族のはじまりといえる。結婚すれば子どもが授かり、子どもが増えればキョウダイという関係も生まれるが、「キョウダイは他人のはじまり」といわれる。

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    それほどに兄弟姉妹関係は弱いということになる。家制度にあって女はいったん嫁げば、「他家の者」との考えが強く、長男に限らずとも家を継ぐ者以外の兄弟姉妹は、いずれ他家の者になるという気持ちが家族内に強くあった。そのことが、兄弟姉妹関係を弱くさせたといえる。家を継ぐ者と継がぬ者との兄弟間差別は、昔において、それは強いものがあった。

    改めて述べるまでもなく結婚は夫婦という新しい単位の設定であるが、それぞれの親との関係が断ち切れるわけではないし、当然にして配偶者の親との関係が生じることになる。一組の夫婦は二組の親との関係に立つことになるが、この関係は夫婦の居住条件よってさまざまな様相を呈する。何より問題になるのは、夫婦優先か親子優先かということではないか。

    例えば、小家族形態を理想とするアメリカでは、夫婦は家族の中でいかなる関係にも優先するという信条にたっている。したがって、夫婦のそれぞれの親との関係は、夫婦関係とは同列に論じられないばかりか、拮抗することのない関係となる。ところが日本人は、個々の状況に応じた行為の基準を柔軟に設定している限りにおいて、状況主義者といっていいだろう。

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    日本人は夫婦関係・親子関係、どちらを優先させるかといった信条はなく、「行為を通じてそのつど自己やシステム(秩序)を生み出す」。つまり、日本人的な自己は西洋的アイデンティティという自己決定的な自己ではなく、ベネディクトがいう、共同社会の外圧に従ってつど決定される自己でもなく、環境変化に応じて自己を限定する自己の在り方のようだ。

    そうした自己の在り方が、「人さまに迷惑をかけてはいけません」、「誰とも仲良くやれるよう」という、子どもに対する躾にもなってくるのだろう。燃える火にはそのように向き合い、静かな清流に応じてはそれに向き合うというような自己である。西洋のような、相手が火であろうと水であろうと決して変わらぬ自己同一的(アイデンティティ)な自己ではないようだ。

    「行為の絶対基準がない日本人」と、ベネディクトは述べている。行為の善し悪しが内面の心に宿る罪の自覚によって決まる、「罪の文化」に対し、「恥の文化」といわれる日本人の善悪とは、その行為が外側の世間から是認されたり、制裁を受けたりによって決まるようだ。「そんなことをしたら世間の笑い者になる」という状況的外圧に基づいて善行が導かれるという理解でいい。

    嫁姑のこと、親孝行のこと、親不幸などについて書いたが、親不幸についてさらに書き加える。響きの良くない言葉であるが、親不幸は必然的な成立過程を辿るものだ。日本人の家制度の考え方は、親が決して、「絶対悪」にならないという前提にあった。たとえ悪い親であるのを知っても、親を、「絶対悪」の立場で論断する心情は日本人に希薄であり、それが文化でもあった。

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    もし、自分が自分自身を突き放すことができるなら、それこそが自身への思いやりであろう。「察し」という言葉でもいい。ところが日本人はそれができない。自分自身を直接的に絶対者と結合させる信念も宗教もないからである。たとえばある歴史段階において、あるいは社会条件において、そういうものが人々を吸い付け、力を持つことがあったのは間違いない。

    しばらくの時の経過が、やがてはそれを相対化の世界へと雲散霧消させてしまう。かつて日本に、日本人に流入した一枚岩的な、単眼的な思想や宗教の辿った運命はそのようなものだった。バカな人間が教祖となりバカな行為をしたことで、そういう奴を神輿と担いだ者がバカでなかったと、どうしていえよう。かつてオウム真理教の幹部だった上祐史浩は当時をこのように述べた。

    「麻原を担がなければいけないような周囲の空気観に逆らえなかった」。彼が、「ああいえばジョーユー」といわれたヘタレ理屈こきであるのは、この言葉に現れている。麻原を親とするなら、親不幸ができなかったことへの詭弁である。親不幸をすべきなのにそれもせず、詭弁を弄して立ち振る舞う人間を自分は信用しない。悪には悪として構え、対峙すべきである。

    何を言ったところで我が身可愛さの保身である。権威主義が何かも分からず、権威に寄り掛かろうとする宗教など屁のツッパリにもならない。封建社会や封建性が何かも分からず威張る人間も多いが、「思いやり」や、「察し」の心情を我がものとするに必要なのは修練なのか?それでは時間も必要なので、素直で正直な視点で物を観、人に接すればいい。自分はこちらを選びたい。

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    現代社会の親子や嫁姑に見られる強い反発と隔離は、「察し」と、「思いやり」の無さに要因があると思う。教員と生徒、師と弟子、上司と部下、先輩後輩、そしてチームの監督・コーチと選手、という社会関係においても同じ傾向がみられる。日本人社会の上下関係は封建的で当然という慣例にメス入れてこなかったばかりか、「体育系」という言葉で濁して済ませる。

    こういう事象を、「日本人の人間喪失」と自分はみていたが、許されざる者に断固反抗という態度をとってきた自分の矜持である。女子レスリングや日大アメフット部の監督・コーチの在り方が問題になったが、たまたま大きくクローズアップされただけで、こんなことは日常的に起こっていた。すべては人倫的関係の無さを、「体育系」でくくっていたに過ぎない。

    「察し」と、「思いやり」こそが上位と下位者の相互理解であって、上意下達という毅然とした美しい姿が、さも教育であるかの如き風潮は、今もって時代遅れである。だから、自分は高校野球が大嫌いだ。人間が人間を動かすのは難しいが、世にいう無能者といわれる指導者は、石ころを動かすだけでしかない。その程度のことは、どんだけバカな指導者でもやれてしまう。

    人間が石ころでなく人間を自負するなら、バカな指導者やバカな親には断固従うべきではなかろう。麻原をバカと見下せず、「反抗できない雰囲気だった」などと、後出しじゃんけん如きの上祐が、新たな宗教を立ち上げて教祖に収まっている。「ああいえばジョーユー」を封印、殊勝な態度で教祖を演じているようだが、宗教家の偽善をあえて問題にする意味はなかろう。

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    読書はライフスタイル変換のヒントを得るもので、目的論思考によれば、自分の未熟さの原因の一切は自身にある。それすらに気づくことなくあれこれ理屈をつけて、「意味づけ」をしたところで何も変わらない。理屈で納得させようとする行為そのものが未熟さであり、未熟な思考回路をどのように使い回したところで、他者を納得させるような明晰な理屈を見いだせない。

    「しかと自分を見よ。逃げることなく正面から向き合え!」という果敢さこそが男らしさ。自分を誤魔化すことなく深く見つめて思考すれば、見えてくるものがある。それこそが自分が認めたくない本当の自分であろうし、自己変革や自己の改善はそこから始まる。アドラーは、「劣等感そのものは健全なもの」 と述べているように、「劣等感」を好ましいものとした。

    劣等感は、「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」から生まれるもの。ハゲがハゲを悩んだところで、「ハゲは可笑しい!」という人ばかりではない。「ハゲってかっこいい!」という女性もいるし、男もいる。自分はどちらでもない。人間の外面的より内面に価値を見出すからだ。美人は美人であるのは間違いないが、素敵な女性というのは人の心になかにある。

    解決できないことを悩むのは、なんという無益であり、徒労であろうか。劣等感が主観的な解釈で生まれる以上、その解釈を変えればどんな風にでもなる。「真理などない。すべては解釈である」をモチーフにアドラー心理学は成り立っている。主観的解釈はどのようなものでも選ぶことは可能であり、客観的に事実ですら、他者と自分を比較せねば何でもなくなる。

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    先日、在るところでのこんな会話をした。知人のAと見知らぬBが将棋対局をしていたところに顔を出した。しばらくしてAはBに負けた。Aは自分にBと指すよう促した。自分はBと指したが、あまり強くないBは、一度も王手をかけられず、ヒドイ惨敗だった。Bはもう一番といわず、何やら言葉を置いて不機嫌な様子でさっさと帰っていった。たまに見る光景である。

    A:「Bさんかなりムっとしてたね」

    自:「ヒドイ負け方でああなる人はいるよ」

    A:「あんなBさんは今までみたことなかったな」

    自:「そう?将棋は人柄がモロにでるから…」

    A:「でもあんまりいい態度ではないね。大人げないというか…」

    自:「なんであんなになるかを考えたことがあるよ」

    A:「負けず嫌いだから?」

    自:「それもあるけど、人を認める度量がないんだろうな」

    A:「なるほどね」

    自:「指せば実力差は分かるのに、それでも相手を認めたくない。相手をリスペクトできない心の弱さと思う。」

    A:「いや~お強い!完敗です。歯が立ちませんわ、といえば済むことなのに」

    自:「できないんだろうね。自分はすぐに言える。目の前に純然たる事実があるからで、なんでそんな簡単なことができないんだろ?」

    A:「ま、それを狭量とか、器が小さいとか言うんだろう」

    プライドとは、誇り。自尊心。自負心をいう。自尊心とは己の人格を大切にする気持ちであるが、それが災いして現実認識ができないという短所を背負う。自尊心はまた、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度であるが、他人と能力の優劣を争うことではない。自分より能力のある人を素直に認めることのできない人間は、向上心には無縁となる。

    プライドだけで上級者に勝てるわけもないのに、相手をリスペクトできずに張り合ってしまうのは、気持ち的に負けたくないのだろうが、気持ちと実力は別のものだ。負けたくないという気持ちは努力や研鑽に生かせばいいし、そのためには自分の実力のなさを素直に認めることだ。相手の強さも自分の弱さも認めたくない、という自尊心は捨てなければダメだ。

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    こういうつまらぬ自尊心を蓄えた人は、向上心もない。努力をせずに現状に満足しようと躍起になる横着者と吾は断罪する。孔子の言葉に、六十歳は耳順、七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えずとあるが、誰もがこうはならず、人間の理想である。近年、「老い」について考える機会が多いが、森鴎外は老いについて、「暫留の地」という語句を使っている。

    「暫留の地」とは、「暫留の時間」でもある。決して加齢によって減少するとは限らない己を傷つける日毎の生活上の不協和音は、遂には生の終焉の希求を結果することになることもある。生きているのは生かされているわけだから、死は不意に訪れる気まぐれものだから、ある日突然の脳卒中、突如の心筋梗塞、気づかぬだけで体がガンに侵されているかも知れない。

    ある老年学の書物に成熟型の老人として、「建設的・積極的」で、対人関係にも満足し、「過去に対する後悔も将来に対する不安もない」とあった。「一切の」という言葉を省けば、「過去に悔いも将来に不安もない」という人はいる。「ほどほどに満足」という生で十分であり、余程の楽天主義的な人でなければ、「後悔や不安は一切ない」とは非現実的であろう。

    もっとも、過去は過ぎ去ったのではなく、深まりゆく、「今(現在)」の中に生きているし、未来もまたその時の熟する日々を内蔵する、「今」の内にある。老人に未来はないというのは比喩であって現実的ではない。ただ、「待つ」ほどの未来がないのが老人であることは理解できる。「今」がずっと続いていてくれたらそれがいいと、やはり老人は未来を怖れるところがある。

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    我々はいつか死んでいく。それは間違いのないこと。あの世を信ずる人は幸せであろう。死んですらも幸せになりたい。だからあの世を信じるのか、そういう人に対する勝手な想像をするが、死後の世界はないと思っている。死んであの世で生きていたいなど思わない。「一体、死んでいつまで生きるつもりなのか!」と死後の世界を信じる友人をからかったことがある。

    一度きりの人生では物足りない人もいるなら、一度の人生を大事にしたいという人間がいてもよかろう。死んで行くところなどないなら、生きてる間に動けばいい。足腰立たぬこともあるというなら、不自由が来る前に動いていればいい。運命に逆らうことはできないが、理想の運命を選択したいがために、足腰や心肺機能を高めたいと努力する人はいる。

    定まった運命はなく、あるのは、自らが望むべく運命に近づきたい人間の努力である。努力の結実は未定であっても努力はすべきもの。なぜなら、努力の結果と、努力なしの結果が同じであるという断定は誰にもできない。ペシミズムの対義はオプトミズムである。何をしても何も変わらないというペシミズム、何かをすれば善いことにはなるだろうのオプティミズム。

    人間は自らを選択できるもの。結果は選択の彼岸にある。消極的な老人はロッキングチェアを好むだろうし、積極的な老人はスニーカーを好むだろう。どちらを好むか、それが選択である。いろいろな人の晩年があるが、精神科医で心理学者のユングは晩年にこう述べている。「人々が私を指して博識と呼び、『賢者』というのを私は受け入れることなどできない」。

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    これは老子のいう、『俗人は昭々たり。我独り昏(こん)のごとし』と同じことをいっている。老年は死の問題を抜きには考えられない。およそ人類の歴史が始まって以来、数十億人が一度は死を体験している。万人が体験するものなら、死を必要以上に怖れることもなかろう。この考えも死の怖さを緩和するが、どうあがいたところで生かされている人間は、死ぬときは死ぬ。

    「死ぬまで生きよう」。これほど簡潔な言葉はないが、老子もこう述べている。「よく生きながらえる人は十人に三人、ただ死んでいく人が十人に三人、命を守ろうとして動き回り、かえって死を早めてしまう人が十人に三人」。はて、どれに属すのか?「いつ死が訪れてもいい」との覚悟を持ち、ことさらに生に執着することなくその日をを楽しむ他に何がある?

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     おじいちゃんはとてもゆっくりうごく
     はこをたなにおきおえたあとも
     りょうてがはこのよこにのこっている
     しばらくしてそのてがおりて
     からだのわきにたれる
     
     (中略)

     きのうおふろばでおじいちゃんをみた
     ちぢこまったおちんちんがみえた
     おじいちゃんおじいちゃんおしえて
     むかしのことじゃなくていまのきもち
     いまいちばんなにがほしいの
     いまいちばんだれがすきなの

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    谷川俊太郎の「おじいちゃん」という詩である。これはどこだか凄い視点である。老人に対して老いを主題にその愛を問うという、従来の童謡にない世界観を映している。もし、幼い孫が自分に同じことを聞いたらなんと答えるだろうか?「いまいちばんなにがほしいの?」、考えてみてもすぐには浮かばない。おそらく欲しいものがないからだろう。それでも折角だから答えてみる。

    「そうだね~、力が欲しい」
    「なんのちから?」
    「いろいろな力かな。ゆっくり動くのは力がなくなったからだよ」
    「うんうん、そんなふうにみえるね」
    「だから、いろんな力が欲しいかな」
    「いちばんすきなひとはだれなの?」
    「一番は一つでなきゃダメかい?」
    「そりゃ~ね。一番は一つだよ」
    「そうか、だったら自分だな」
    「へ~、じぶんなんだ」
    「そう。みんな自分を一番好きでいいと思うよ」
    「あんまりかんがえたことなかった。けど、そうなの?」
    「自分を一番好きになって、人からも愛されるといいね」

    人は誰もが老いて死ぬという避けがたい事実を新たな視点で冒険的に表した谷川ならでの作品である。『おじいちゃん』を載せた雑誌は、「児童文学の冒険」という副題を持つ斬新な季刊誌であり、実験的な仕事の香りは否めない。元来、童謡とか絵本というものは、本来が子どものためにのもので、彼らがこの世界に生きる喜びを歌い、未知の世界を発見させたり、教示したりのもの。

    したがって上記の詩が子どもに不向きとは言えないまでも、子どもにとっては、「暗さ」が感じられるのは、「老い」に対峙しているからだろう。どのような視点、いかに理屈をつけようと、「老い」はネガティブなもの。かといって、決して子どもに無縁のものではないもの。学童期の子どもにとって、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」は、どういう存在であるのだろうか?

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    自分のことを思い出すしかない。祖母にはあちこち連れられた。誰かに会うと、「その子は孫?」と尋ねられ、嬉しそうに答えていた。あるとき祖母が、サーカスを観に行こうと誘った。自分は小学生だったが、祖母は自分を背中におんぶして幼稚園の代金で済まそうとする。自分はそれが嫌だから、「小学生っていうよ」と祖母を脅すが、「いい子じゃから黙っておいて」と頼まれた。

    あるとき祖母が、「呉に橋を見に行こう」という。「なんで橋を見に呉まで行かなきゃならないのか?」と不思議に思った。行ってみて分かったのは、当時としては画期的な「音戸大橋」であった。昭和36年12月3日開通したその日だった。孫に日本の橋梁技術の結晶を見せてやりたいという、祖母の教育愛だったのか。これまでに見たことのない不思議な橋が目の前にあった。

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    明治生まれの祖父は剛毅で寡黙で近寄りがたい人だった。まともに話すこともなかったが、先見の明とでもいうのか、母の大反対を押さえつけて、自分にクルマの運転免許を取ることを促した人である。甚だしくも近視眼的な母は、クルマに乗るなどトンデモないという考えであったようだが、吠える母に向かって祖父が、「ごちゃごちゃ言わんで黙ってろ!」と一喝する。

    それで引き下がる母を見て、我が家で神が如く君臨する母を手名付ける祖父の偉大さに驚くばかりだった。費用はすべて祖父が持った。合格した暁に自分は、バイトで貯めたお金で祖父の好きな一升の樽酒をお礼に差し出す。祖父は長いこと樽を開けなかったという。何も語らず何も言わぬ祖父であったが、いつも遠きから自分を見ていたのだと、そうした男の理知を知ることになる。

    祖父と孫も老人と子どもの組み合わせである。人生の辛酸をなめつくした老人が、人生の戸口にまで至らぬ子どもの導き手になるというのは、昔から児童文学で扱われてきた題材である。代表的な『桃太郎』をはじめ多くの物語が存在する。外国では理想主義者でヒューマニストのロマン・ロラン、グリム兄弟、ルイス・キャロル、スイス人のヨハンナ・シュピリなどが浮かぶ。

    老人が少年の自立を促す話は多い。なんだかの話で、少年が旅立ちの前夜に老人に手紙を書くが、老人は少年の里心に配慮し、あえて返事を出さない。少年は旅立ち、老人は残され、それでも生き続けねばならない。時が経って少年は老人となり死の予感を感じながらこういう。「『夢の終わりこそ人生の始まりだ』と、私は思った。私は死のうとしているが、その前に覚っておきたい」。

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    物質的にも精神的にも荒廃した世界で晩年を生き続けねばならない。かつてあの老人は、あのとき少年だった自分の内部に存在したもう一人の自分である。なるほど…、これに似た体験を持つ人は世の中に居るはずだ。「人間とは何か」、「生きるとは何なのか」、「他者との関わり合いとは何であるか」という、大きな主題や命題を含む児童文学の力作は諸外国には少なくない。

    谷川俊太郎にはなぜか、「ひらがな詩」というものが際立っているが、ある外国人劇作家が谷川の「ひらがな詩」にこういう指摘をしている。「(谷川のひらがな詩が)あれほど力強く素晴らしいのは、ひらがな詩であるがゆえに、漢語の、いかにも知性と哲学が充満しているようにみえるけれども、実は空疎な抽象性しか持たぬ数々の落とし穴から、免れているからだと思う。

    詩がひらがなで書かれていれば必ず児童詩ってことにはならない。こむづかしい漢字を書き連ねてありさえすれば、即深遠かつ意味深長な作品ととらえられやすい傾向がある。焦点の定まらない内容を漢語の羅列で誤魔化しているのだろう」。同じことは観念的な文の羅列にも感じられる。そこには実体や実存というものとはかけ離れた空疎な世界があるのだろう。

    谷川には『おじいちゃん』と対をなすもう一つ、『おばあちゃん』というのがある。これはばるん舎という聞いたことのない小出版社刊行からして、実験的な仕事であろう。発行部数の多い福音館書店発刊の、『もんぐりむんぐり よねばあさん』という、山姥が出るという山麓でひとり暮らしをするおばあさんの話があるが、これはわたなべ・ふみよになる創作現代民話。

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    「もんぐりむんぐり」とは、ばあさんにせんべいをあげたときに、歯のないばあさんが、しわくちゃの口でせんべいを食べるときの口の動かし方のこと。そうしたひとり暮らしのばあさんと、それを温かく見守る近隣の人の触れ合い姿を描いている。谷川の『おばあさん』は、『おじいさん』とは違って、「死」が主題となっており、両者には大きなちがいがある。

     びっくりしたようにおおきくめをあけて
     ぼくたちにはみえないものを
     いっしょうけんめいみようとしている
     なんだかこまっているようにもみえる
     とってもあわてているようにもみえる

     まえにはきがつかなかったたいせつなことに
     たったいまきづいたのかもしれない
     もしそうだったらみんなないたりしないで
     しずかにしていればいいのに
     でもてもあしもうごかせないし
     くちもきけないから
     どうしたいのかだれにもわからない

     おこったようにいきだけをしている
     じぶんでいきをしているのではなくて
     むりやりだれかにむねをおされているみたい
     そのとききゅうにそのいきがとまった
     びっくりしたままのかおでおばあちゃんはしんだ


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    「老い」がなんであるかを確実に理解するのは、自らが老いてみてである。同じように、「死」がなんであるかは死ねば理解する。であるなら、我々は死を永遠に理解できない。しかし、春がなんであるかは冬になってわかるように、死があってこそ、「生」が輝くと理解に及ぶ。牢獄につながれてこそ、自由の値打ちを分かるのも人間である。これらのことから何を学ぶのか?

    悲しみ寂しさ生きる苦しさ、それらを、「ある」ものとして受け取って、諦めることなく生きていくこと。我々は死ぬまで生きることができるのだから、急いで死ぬこともなかろう。確かに自らの意思で死ぬ自由は与えられてはいるが、「死ねば必ず後悔はする」と思えば、そう簡単に命を捨てられるだろうか?生きて、生き抜いて、後悔した人がこれまでいただろうか?

    「あの時死ねばよかった」などと人はいう。確かにそれは後悔の念として伝わるが、それはその人が生きているからこその言葉(後悔)であって、「なぜあのとき、思い余って死んでしまったのだろう。死ぬんじゃなかった」という後悔は、当たり前だが聞いたことがない。「後悔しないような生き方を…」というのを努力目標に掲げる人がいる。そりゃ、誰だって後悔などしたくはない。

    後悔は、「生の証」である。自分が生きてる証と考えれば、後悔とてまんざらでもなかろう。残念なのは、後悔したくてもできない状況で、それが死というものだ。我々は後悔と共に生きればいいのである。「後悔先に立たず」という教えがある。誰が言い出したかわからないが、これって可笑しな言葉ではないのか?「別にオカシクない」という奴はいたが承服できなかった。

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    少しばかり言い合いになったが、「後悔先に立たず」の意味は、「既に終わった過去を、後で悔やんでも絶対に取り返しがつかないということ」である。「だから、後から後悔するぐらいなら、事前に十分注意をしておくよう促しているのだよ」。と友人は言った。そんなことは分かっている。自分が言いたいのはそうではなくて、後悔は後でするから後悔というのだと。

    「何かをする前にそのことについて悔やむことなどあり得ないだろ?」ということ。「それはそうだが言葉の意味は、後悔しないようよく考えて行動しろという注意なのだよ」と彼はいう。自分は食い下がる。「後悔しないようによく考えて行動すれば、後悔しないものなのか?」といえば、「感情を持つ人間のやることゆえに現実的にはあり得ないが、あくまで促し言葉だろ」。

    彼も自分と同じで将棋を指す。それに殉じていえば、プロの棋士であれ、アマチュアであれ、一局のだけならともかく、何十局、何百局の対戦において、後悔しなかった棋譜があるだろうか?負けたから後悔するのではない。勝った勝負であれ、後悔は必ずあるが、「まあ、勝ったから良しとする」と自分を慰める。すべての対戦は、事前に後悔せぬように戦った結果である。

    結局、二人はそういう話に移行し、話の終着点というのは、「後悔先に立たずとはいえど、後悔するのが人間だ」ということに落ち着いた。「後悔先に立たず」には、「とはいえど、後悔するのが人間」という言葉が略されている、で折り合った。、あらゆる諺や慣用句とは、先人の教えを網羅したもので、「犬だって歩けば棒にあたる。だから気をつけなさい」と促す。

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    が、これを人間に当てはめるなら、「犬だって歩けば棒にあたる。だから気をつけなさい。それでも人は棒にあたる」が正しい。どんなに注意し、用心はしても、「難」は起る。福島の原発事故は象徴的な事例であり、そのことで一気に原発不要論が沸き起こる。「想定外」という言葉は便利である。想定し、対策を講じていたにも関わらず、「想定外の事故に耐えられなかった」である。

    どの口で言ったにせよこれは詭弁である。人間はこういう言葉を勝手に造ってまで、自己責任を回避しようとする。それを思えば、武士のハラキリの潔さには人間という傲慢な生き物に対する提言であろう。さっこんは、「内股膏薬」は死語になってしまっている。「内股膏薬(またぐらこうやく)」と読むが、内股に貼った膏薬は右についたり左についたりと変幻自在。

    そのことから、「方針や信念もなく、その時次第であっちについたり、こっちについたりする節操なき人」のたとえとして用いられるようになった。が、この言葉を使わなくなったのは、「内股膏薬」はスタンダード化したことによると自分はみる。かつては節操ことが今では標準化されたのなら、誰もそういう人間を責めない。責めたとしても我に当てはめて許す。

    世はまさに、「皆で渡る赤信号」に時代になってしまっている。政治家の違法献金が発覚した時点で、政治家は弾劾され失職すべきである。それがなされないのは、それを許すための詭弁が用意されているからだ。して、そういう詭弁は政治家によって作られ、生まれている。こういうインチキ国日本であるのを国民は知っているが、騒いだところでどうにもならない。

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    「政治倫理」というのは単なる言葉に過ぎず、「リンリ、リンリと鈴虫ではあるまいし…」と総理大臣がこのようなたばかった発言が許される国である。国民は政治不信を抱きながらも、喘ぎながらも政治家と共存している。なぜなら、地元民への利益誘導をしていれば、票がいただけるからであろう。民主主義とは選挙によって選ばれることなら、そのことに何の不足はない。

    国民の政治離れなどどこ吹く風、「それならそれで結構」とばかりの政治家の心中すらも見えてしまう。そんな奴らと共依存関係の国民である。つまり、不肖の政治家を地元民は選挙に落とさない。ここにも「赤信号は皆で渡れば怖くない」との論理がまかり通る。老いがなんであるか、老いて分かるように、政治家というのも政治家になってみて「汁が旨い」と感じるようだ。

    今井絵理子、山尾志桜里らは、穴に潜ってしまっている。春になればの心境だろう。細野豪志が5千万円?こんなことも不祥事どころか、「適切に返却処理はした」ということで手打ちで終わる。総理の問題も総理夫人関与の問題も、最高権力者ということでどんないいわけでもまかり通る。元総理が現総理批判をしたところで、蚊帳の外ばかりと発言は一蹴される。

    親を選んで生まれないと同様、好きでこの国に生まれたわけでもない。親には反抗できても国家にはただ憤るしか術がない。つまらん人間を前にし、つまらん人間は何もできぬままに、己のささやかな享楽の中に身を投じ、楽しき余生を送るしか能がない。鴻鵠の志なき凡人のしがない一日は、何事もなく終わっていく。「何事もない一日こそ幸せ」と思えば済ませられなくもない。

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    富を手中にした人は幸せであろう。なぜなら、富を求めて叶えることができたからだ。幸せになろうと富を求めるも、「賢明であれ」と貧困を授かった人も幸せである。不幸な富裕者もいれば、幸せな貧困者がいるように、「幸福」は意識の持ち方である。何事もなく過ぎていく一日が幸せであるとを感じる人がいる。「幸福」とは小さなことに気づくことかも知れない。

    手で水を飲む人にコップを与えて分かることもある。コップを与えられた者は幸せそうな顔をするだろう。こんな小さなことに感謝できる人は幸せである。不満ばかりで生きてる人は、そんな小さなことには喜べない人である。すぐ人に腹を立てる人は感謝ということを知らない人、相手を認めることすらできない人である。長く生きてみてそのことが分かるようになった。

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    そういう人はどこから道をそれていったのか?人を認める度量の無さは己に自信のない人だから、他人を認めるだけで不幸を感じてしまう。小さなことに満足できない人は、大きな満足を求め過ぎて小さなことに気がつかない。たとえ気づいても小さな満足では満たされない。どこらあたりまで過去を戻せば、人は小さな幸せにでも満たされる生き方ができるのか。

    各々が自らに問うしかない。自信とは自分を信じることだといった。自分を信じられない人は、他人の評価を気にして生きる。ごく自然なことだが、「他人の評価を気にしないようにしたい」と考えて努力をする人には、それをやりたい理由がある。経験者としていうなら、自分を信じることは自分を誇示する必要がなく、あるがまま以上に見せることもしない。

    何故そうなるかといえば、ことさら誇示する自分は本当の自分ではない。誇示する人は本当の自分を見せてはいないことになる。「自己顕示欲」というものは誰にも備わっていてない方が可笑しい。「自己顕示欲」を葬るためには、それがないかの如く振る舞うではなく、自らに存在する、「自己顕示欲」を嫌だと感じること。それが武装を捨て、生身に正直に生きる第一歩となる。

    それが講じて、「生身」の自分を楽しむことができるようになればしめたもの。己を大きく見せたり、見栄を張ったりする人間が滑稽に見えてくるようになる。他人のそういう生き方を表立って批判する必要はない。相手はそれをしたいのだから。そうではなくて、自分がもしそうであったなら、みっともないし、羞恥であって、カッコ悪いと思えるなら幸便である。

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    そんな自分なんかと自分は付き合いたくない。そのように思うようになった。人間が付き合う相手は他人に限定されない。人は自分と付き合うことにもなる。だったら、自分は好人物でありたいのでは?自己変革についての啓発本というのは山ほどあるが、一冊も手にしたことも、手にしようと思ったこともない。人間は考える葦というが、それでこそ人間である。

    嫌な相手と付き合いたくないということを頭で考えないように、嫌な自分と付き合いたくないためにどうするかくらいは自分で考えられるはずだ。こんなことは実に簡単である。むしろ、やるかやらないかという行為の方が難しい。いや、それも簡単だ。自分に言わせるなら…。なぜなら、嫌な相手と付き合わない方法が簡単であるようにである。自分にとってだが…

    面白いのは、嫌な相手であっても、付き合いを断るのは難しいという人がいる。その理由は分からないことではない。つまり自分も、そういうことを経験しているからだ。だから、嫌な相手と付き合わない方法を模索したところ、実は簡単なことだった。なにかをどうするか、どうすればいいか、そういった答えは思考から簡単に導かれることが多い。人間が考える葦であってもだ。

    他の動物比較して人間の知能は優秀だが、不得手なところは、もたらされた結論や方法なりを実行することだろう。ここに人間の難しさ、人間が病み苦しむ原因がある。古人は人間がそうした生き物であることを知るからこそ、「己を超えよ」と言葉を投げかけている。それらを体系的にしたものを「思想」という。「哲学」ともいうが、「思想」と、「哲学」は違うのか?

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    図示にあるように、「思想」という枠のなかに「哲学」、「宗教」があり、「哲学」はさらに「西洋哲学」、「東洋哲学」に分類される。共通点は、「自分や人間について、世界という物事についての本質を徹底的に思考し、真理を追究する」となるが、やはり考えに考えた暁には、「真理」というものが見えてくるような、そうした錯覚は、誰であれ抱くのではなかろうか。

    あえて、「錯覚」といったが、真実、事実が思い込みであるなら、真理も同様に錯覚である。他人の考えは他人から見れば錯覚となる。それくらいに、真理といわれるものがこの世に多数存在する以上、すべては錯覚とするのが公平であろう。どれが正しい、どれが間違いと、的確にジャッジするものがどこにいるというのか?すべての思想は独自のものである。

    あえてそれを、「神の発言」、「神の思考」とすれば、語句を強めることが可能である。「神」を持ち出すのはズルいといえばズルいが、神という最高権威を持ち出せば、思想は絶対真理となり、言葉は至言となる。が、世の中に多種の人間はいて、「自分はそんなペテンには乗らん」という者もいる。自分もその類であって、つまり、否定はしないが絶対真理と受け入れない。

    葦如き思考であれ、たかだか市井の凡人であれ、我を信じて行動するのが、自己責任の王道か。間違えばそれでまた一つ賢くなったと思えばよい。絶対に間違わないで生きていたいから、神の権威にすがるという人もいてもよいが、間違いを恐れて生きたくない。すべてが肥やしと思えば何でもできようし、偏らず多くを体験し、かけがえなき、「生」を横臥したい。


    人から多くを学ぶが、自身にとっての最高の師は自分その人である。他人の卑しさ、ズルさ、脆弱さを横目で笑えるようになれたのは、自分がかつてそうであったからに他ならない。だから、他人を見下げて笑うというより、自らをかつてを笑いたいのだ。よくもそんな人間をやれていたものかと、嫌になるし、恥ずかしくもある。自己変革は今なお継続中である。

    これほど嫌で嫌でたまらない自分なら、そういう己にいつかおさらばできるだろう。自分を厳しくとらえていないと、人間は安易に流れてしまう。なぜなら、安易が楽だからである。こういう詩に気づいたことがある。泉谷しげるの『春夏秋冬』である。1972年にリリースだから、彼はまだ24歳の若造。ズルくなる盛りであろうが、〝照れ笑い″という自己嫌悪が正直すぎる。

     となりを横目でのぞき 自分の道をたしかめる
     またひとつずるくなった 当分てれ笑いがつづく
     今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる
     今日ですべてが報われる 今日ですべてが始まるさ


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    人間は自分を見つめることが如何に大事かを記した。それくらいに人は自分のことが見えない、目も届かない。ばかりか、自分の行為を正しいと思いたいのも人間である。正しくはないのにあれこれと理屈をつけて、自己正当化したがる人は多く、そうであるかどうかは話してみれば分かる。なぜに自分を是々非々にみれなう?そういう自分を発見できない?との疑問がわく。

    意地とか見栄が邪魔をし、素直になれないのか。こういう人を鼻持ちならない人という。プライドの高い人間は自己愛が強いあまり、必要以上に自分に執着する。人から指摘されたり、教えを乞うなど最も嫌がるタイプである。自己教育力さえあれば自己の向上は望めるが、それすらなく他人の指摘にも耳を貸さぬ人は、人間としての器も小さくお山の大将的な人になり易い。

    自分を支えるものがプライドなら、それを逸すれば何も残らぬことになる。「自信家の人は上目線で威張っている」などの言い方をするが、思うにそういう人は実は自信のない人にも多い。「自分がすごいこと」や、「自分が偉い」、「自分が人より優れている」、「いかに自分が人から愛されている」などを他人に伝えて自信を持ちたい、認められたい自己顕示欲が働く。

    自信がないから何かで人に認めてもらいたい場合と、自信を誇示したい人間がいる。後者は単に自慢という面もあるが、上司やコーチに自己をアピールする方法であり、それすら広義の自己顕示欲であるが、こういうタイプには何かと努力の裏付けがあることからして、ただの目立ちたがりとは違う。人は人に認められたいという承認欲求は誰にもある自然なことだ。

    反面、努力の裏付けのないただの目立ちたがり屋は、他人の信頼を得ることはない。日本人は積極的な自己アピールを嫌うところがある。それらは日本人の本流に流れる、「奥ゆかしさ」ともいうが、見方を変えるとシャイ(内向的)な民族である。それは積極性を疎んじ、消極性に甘んじる姿勢である。近年は以前ほど、消極性を美化する風潮は退行したようだ。

    「自己顕示欲」が強いと、つい自分自身を大きく見せるために噓をつく。そのような例はいくらでもあるが、STAP細胞の小保方晴子と、ゴーストライター問題の佐村河内守らが記憶に新しい。小保方のような人物をある精神科医は、“空想虚言者”と名付けている。“空想虚言者”の特徴は、自分がついた嘘を自身が信じ込み、周りの人を騙していくというもの。

    彼女は未だにSTAP細胞を信じているのだろう。彼女の手記は読んでないが、断片的な記述からすれば、彼女は自身が被害者だという強い思い込みを感じているらしい。現代社会においては、「被害者」という肩書は誰でも手に入れらる。「私はこんな被害を受けた」と声高に叫べばいいのだから…。ただし、それをいうなら、問題の本質を明らかにすべきである。

    この世で人間ほど厄介で難しい生き物はいない。飼うのが難しいペットもいるらしいが、人間はペットどころではなかろう。その難しい人間をペット状態にし、楽に飼育しようとする親もいるが、順応する子もいれば反抗する子もいる。「人間とは何?」が難しいならせめて、「自分とは何?」くらいは見つけたい。が、自分自身の人格を言葉にして語れるのか?

    あれやこれた分析は可能で、自分を「かくかくしかじか」と語る人はいる。ならば言葉にして語ることがその人であり、その人の人格なのか?本人が語っているのだからそうであろうと肯定する人もいようが、自分はそうは思わない。なぜなら、本当の自分、自分の本当の人格とは、自分を全く意識しない時に現れるもので、西田幾多郎も述べていることでもある。

    人間の不確定さは、「陽子力学」世界のようでもある。目を閉じ、「だるまさんがころんだ」と発するときに、動く彼らこそが本当の彼らであろう。人は静止状態の対象しか見ることができない。『人間とは何か』の著者Ⅴ・E・フランクルも、同じようなことを述べている。「自己超越をした時にこそ自己実現が叶うもの」であると…。つまり、人間には自己を取り巻く幾多の障害がある。

    それに邪魔をされ、押し込められている状態においては本来の自分を発揮できていない。したがって、障害を排除して自分を超えることが必要だ。自己を超えることといっても、はるかに超えることを、「自己超越」といい、その先に、「自己実現」がある。いかなる状況においても、「生きる意味」を見出せる人は、どんな困難に遭遇し、陥っても生き続ける人である。

    生きる意味を見いだせない人、それを捨て去った人は、困難に遭遇したとき、生き抜く力が湧きあがらなかった。だから自死を選択する。常々思うのは、「困難や苦悩の中にこそ、真実の幸福が隠れている」。これをいじめで生きる力を削がれた少年・少女たちに伝えられないだろうか?その前に、彼らが苦悩を乗り越えるには、生きる意味や目的を見出す必要がある。

    いじめを受けて、「生きる意味がない」と感じるのは短絡的だが、彼らが小さなキャパであるのがいたわしい。いじめ以外に生きる場所はいくらでもあるはずなのに、なぜいじめのことだけで、「生きる希望をなくするのか?」。いじめの問題について考えるとき、「いじめ=抗議」という現実を避けられない。いじめで命を絶つ者の多くは、いじめた相手への抗議である。

    いじめ相手に対する消極的反抗である。自分も母親への抗議から自殺を考えたことがある。自分が死ねばさすがの鬼も悔いるであろうというのも仕返しであって、死ねば精神的に楽になるなどは目糞ほども考えなかった。諌死によって信長をでち直らせた傳役の平手正秀だったが、バカな母を死で諫める価値はなく、バカバカしい限りならと、積極的な反抗を選ぶ。

    バカを相手に大切な命を冗談じゃないと自らを諫めながら強く生きた。誰でも弱い時期はある。ナルシズムに酔い、自死を情緒的に感じる者もいるが、現実的な死を情緒と対比させるのは勿体ない。命を大事にする教育がなされているようだが、美辞麗句や情的な物言いは、かえって死を美化させてしまう。欧米のように死の画像はぼかしたりに自分は反対だ。

    死者の尊厳に思いを馳せるより、真実から目を背けない教育が優先する。子どものころ目にした鉄道自殺による轢死体は人間の残骸であった。散乱した人間の部位や肉片を集める駅員たちを眺めながら、子どもながらに思ったのは、人は人の形をしてこそ人である。人はジグソーパズルの完成品でなければ人にあらず。「死」の直視によって、「生」の執着は高められよう。

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    「心の弱さ」はどこに起因するかを考えると、「過保護」の子育てに突き当たる。温室で育った植物は希少で価値も高いが雑草の強さがない。エリートが雑菌に弱いのも同じ理由だし、人をいじめる奴らは雑菌である。「あんなバカなやつらに、自分の命を差し出すなんか冗談じゃない」という意識はどうすれば芽生える?まずは、親が子どもを温室育ちにしないことだろう。

    「老いと死」のテーマが、若者や少年や少女の死に拡散する。「老い」を外せば、人間の死は様々ある。鹿児島の知覧に行ったとき、若き特攻兵士に思いを寄せ、若者たちの未来を奪った国の指導者に怒りが沸いたが、国家が死を命じないのに命を捨てる少年・少女たちを何とかできないものかとの思いが募る。遺書にある、「生きたいけどもうダメです」というのは甘えである。

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    本当に生きたいなら生きられるはず…。この子たちの心のどこかには死への憧れがあるのか?死後の世界を賛美するようなテレビのスピリチュアル番組が禁止となった。自殺の動機は自殺者にしか分からない。太宰や芥川や三島や川端の自殺についても多くの人があれこれ推測するしかない。坂口安吾は、『太宰治情死考』なる表題で以下のような辛辣な指摘をした。

    「太宰の自殺は、自殺というより、芸道人の身もだえの一様相であり、ジコーサマ入門と同じような体をナサザルアガキであったと思えばマチガイなかろう。こういう悪アガキはそっとしておいて、いたわって、静かに休ませてやるがいい。芸道は常時において戦争だから、平チャラな顔をしていても、意味もない女と情死し、世の終わりに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。

    こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてである」。ジコーサマとは、当時の信仰宗教の女性教祖(璽光尊)のこと。璽光尊こと長岡良子は、1903年(明治36年)、岡山県御津郡江与味村に農家の娘として誕生した。小学校卒業後、看護婦をしていたが、1945年6月25日、神からのお告げがあったとして自らを「璽光尊」と名乗り、璽光尊の住まいを「璽宇皇居」と称した。

    普段は、「璽宇皇居」にこもってめったに姿を現さないが、天変地異の到来を吹聴して終戦直後の人々の不安を煽り、世直しをうたって信者を集めていた。力士の双葉山定次や、囲碁棋士の呉清源らも入信した。双葉山は1947年1月の「璽光尊事件」の際、体を張って教祖を守り、公務執行妨害で逮捕される。釈放後は、「夢から醒めた気持ちだ」と言葉を残して教団を離れた。

    イメージ 2世情が不安定な混乱期にはさまざまなものが出没するが、自己妄想的な思い込みとペテン師的資質を有する者が新興宗教を興すようで、宗教が個人の信仰の次元から国家の枠を揺さぶるというのが、新しい文明の形であるかのような肥大した新興宗教も存在する。憲法に保障される信教の自由が「オウム真理教」を生んだとき、麻原を擁護した文化人に吉本隆明がいる。

    吉本は新聞紙上で麻原彰晃について、「存在を重く評価」、「マスコミが否定できるほどちゃちな人ではない」、「現存する仏教系修行者の中でも世界有数の人物」と述べている。オウム事件が公になった際に吉本は、「彼の犯罪は根底的に否定する」と、思想と犯罪は別という言い方である。彼個人が思想家麻原を評価し、教義内容に関心を持つのは自由である。

    が、それらを公表する文化人としての責任はあろう。オウムがテロリスト集団であることが明らかになってすら、「麻原には不明なところがたくさんある」と留保したものの、新聞紙上における吉本自身のオウム真理教への関心の示し方は、宗教家としての麻原への肯定、評価、礼賛に変わりはなく、それは留保の程度を超えているということを、吉本自身は見えていない。

    「麻原のやったことをすべて否定するなら、日本の仏教のなかで存在を許されるのは浄土宗、つまり法然、親鸞系統の教えしかないことになる」と述べ、多くの批判を浴びらが、吉本には一聴すべき言葉も多く、「新しい歴史教科書を作る会」における(西尾・藤岡・西部)らの運動に関し、「教科書を作り直せば健全な子供が育つというのは大間違い」という考えには共感する。

    旧来の左派・右派のいずれにも組しない独自の、「自由主義史観」の構築を提唱した藤岡信勝らによって始められた、「新しい歴史教科書を作る会」も、集合離散を繰り返したあげくの2011年に一定の役を終えた。英雄は孤独である。統治者も孤独であるべきと考える。エコ贔屓はよくない、身内で固めるのもよくない。対等に議論するなら支え合う同志の存在はいてもいい。

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    が、政治を「私」する統治者であってはならない。変人総理の小泉純一郎は孤独な一面があったが、お友達の多い安倍総理に孤独な苦悩の欠片も見えないばかりか、婦人が政治を「私」するなど言語道断である。カントは、「私は孤独である。私は自由である。私は自分自身の統治者である」と述べている。人間は生を受けて以降、いずれかの枠に所属していることになる。

    家族も国家も組織も企業や団体、共通の主義や信条にいたるまで、何らかの対象に所属して生きてきた。そうした中、可能な限り「無所属」の時間を楽しんできた自分である。それはカントのいうように、「自由」を望むからである。人はそうした制約を自らが精神的に解放しない限り、解放はできない。「所属」という安寧は理解できなくないが、制約より自由を望みたい。

    以前、「尊敬する人は誰?」と問われて、田中正造と答えることは多かった。今は聞かれることもないが、田中は孤高の老人であった。孤高ゆえに変わり者とされたが、当然である。多数派に属さない者は変わり者なのは当たり前で、欧米ではむしろ評価となるが、文化の相違から日本では変人となる。自身の生き方の選択であるから、他人の視点はどうでもいいこと。

    『弧狼の血』というヤクザ映画が上映中だ。長男と長女の夫が観に行ってきたらしい。誘いはなかったが、どうせ行くなら一人で行きたい、「孤老」の自分である。若いころは同じ小説や映画の価値観を戦わせたが、今は戦わせる気などない。それぞれが自身の解釈を秘めていればいい。そういう気持ちが支配的になることが、「孤独」である。誰かとつるんでの安心はない。

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    五木寛之も近刊で、『孤独のすすめ』なる書籍が平積みされていた。売れているのだろうが、中身も目次を読む気もおこらなかった。そんなことは誰かに言われなくてもやるし、やっているので教えを乞う気がない。概ね老人が人生後半に不安を抱くのは当然だろう。だから、心構えを書いているのだろう。「人生後半の生き方」という副題からしてそうであろう。

    それすら自分で考えればいいこと。人生に不安を抱くなら、①友人を増やす、②健康に留意する、③子どもに寄っかかるなどの方策が考えられるが、②以外は興味なし。自身の健康は何においても自己責任である。暴飲・暴食はないにしろ、基礎代謝などが変質した年齢において、以前と同じ間食も含めた食生活は、負担になろう。「一汁一菜」が美食とされる年代である。

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    自殺の名所に立て札が置いてある。「死んで花実が咲くものか」、その意味は分かろう。「死んではもともこもない」、「何の意味もない」ということだが、「花実」とはそのまま、「花」と「実」である。「花」を咲かせる、「実」をつけるとは出世を表す言葉で、古くは『日本書紀』にも出てくるが、対義として、「死に花を咲かせる」、「死んで花を咲かせよう」という言葉も生まれた。

    ①立派な死に方をして、死語に名を残すこと。②死ぬことでかえって、ほまれが増す、との意味だが、こじつけ、当てつけ言葉でしかない。「死の美学」や「滅びの美学」を信奉するものにとっては美しく、感銘を与える言葉になる。例えば三島由紀夫、あるいは西部邁。彼らは、「死の美学」を持ち、実際にその体現者として生涯を終え、「口先三寸」の輩ではなかった。

    太宰も芥川も自殺したが、彼ら自身の言葉にも、評論家においても、「死の美学」という言葉の納得のゆく解説はない。「死の美学」というのは所詮は美意識に対する理屈であるが、「生の美学」、「生きる美学」は理屈にすらならない。人間は理屈で生きるものでもない。「生き甲斐」というのは、人間を内側から支えるものであって、「生き甲斐」というのも理屈ではない。

    「そこに山があるからだ」といった山登りがいた。彼の言い分は、「山登りは理屈ではない」という言葉の現れである。我々は理屈で考えるから、「なぜ、山に登るのか?」などと問うが、彼らにとって山登りは理屈ではなく生き甲斐である。生き甲斐であるからこそ、苦労して山に登ろうとする。人間の意識下にあるものは、善や悪や、正か不正かよりも不合理なものである。

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    生き甲斐のない人にとって、不合理な生き方は理屈で考えるしか理解はできない。それを思うと生き甲斐というのは、何をも超越したものでもある。同じように、死のうとする人間に、どんな理屈が通じるだろうか?生を肯定するための一切の説教、一切の理屈すべてが、「うっさい」となる。が、こういう話は聞いたことがある。自殺を思いとどまったという理由である。

    ある男が自殺をしようと断罪絶壁の岬にたたずんでいたところ、沈み行く太陽の輝きのあまりの美しさに死ぬのを止めた。沈む太陽の美しさに自分を掛け合わせたとはいっていないし、単に美しい光景に生の希望を見出したのかもしれないし、いずれにしても、自殺をとどめた理由は理屈ではない。様々なところで人は死ぬが、そこに何かを求めているように思う。

    人間が何かをこの世に求めているのは間違いないが、場所を求めたりや、どこかに飛び込む場合にキチンと履物を整える行為も、この世に求める何かであろう。何も求めないから死ぬというのは、おそらくないように思う。生きることにおいてもそのことは言える。生きる意味はない、生きる目的も、生きる理由もない。と言いながら生きる人間にも、無意識に求めるものはあるはずだ。

    人間は理屈で生きられない以上、生きてるという実感において生きている。「死んで花実が咲くものか」という人は自らの意思で死ぬことはないが、「死んで花実を咲かせよう」という理屈を持で死を美化すれば、死ぬことも可能である。三島は熟年の45歳、西部の78歳は初老といっていいのか?男子の平均寿命が80歳であるからして、78歳は晩老といえる年齢であろう。

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    三島の自決は語り尽くされているが、西部の死は、「自裁死」と評されている。西部自身の言葉ではないが、生前に彼が周囲に漏らした、「死ぬときは自分の意思で死ぬ意向があることからメディアが、「自裁死」の表現をつかった。「自ら死ぬ」という意味においては、「自害」や、「自決」と同じであるが、それらの言葉がそぐわないこともあっての、「自裁死」という表現。

    西部の死は、自己救済追及の果ての死であった。誰に迷惑をかけず、手も借りぬに死ぬ方はあったと思われるが、西部を慕う私淑の二名が、自殺幇助で逮捕されている。「西部先生の死生観を尊重して力になりたかった」などと供述しているが、「死の美学」といっても、老いて病める老人性鬱状態の西部と、ナルシズム的自決の三島とでは、「美学」の意味は違っている。

    「死んで花実を咲かせた」のはいずれであろう。「もったいない死に方」(川端康成)、「三島さんは本気だったのか」(開高健)、「彼がロックに興味があったなら…」(五木寛之)、「常軌を逸した行動」(中曽根康弘)、「気が狂ったとしか思えない」(佐藤栄作)。結局彼らの結末はああであった。もし、彼らの死を他者が、「恥」というなら、他者にとっての、「恥」であろう。

    「欲望はつねに他者の欲望である」と、精神科医のジャック・ラカンが言ったように…。だれか他人が、「あれがいい」、「これがいい」と言うものだから、いつのまにかそれが良いものに見えてきて、自分にとっても欲望の対象となっているということはままある。ある対象について、「それは恥だ」、「バカだ」、「狂っている」と人がいえば自らもそうなるという。

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    一握りの反抗人間もいるだろうが、反抗も同意も同じ臭気がする。真性なのは何にもよっかからないで自らが下す思考である。情報化社会の只中にあっては、他に影響されないということ自体が難しいこと。自分も古語や名言に影響を受けており、頻繁に引用もするが、すべては肥しと思えば滋養にでき、あとは知識をお荷物とせぬよう、「知行合一」を念頭に置く。

    我らが先輩に、「焼け跡派」といわれる世代があった。幼少期と少年期を第二次世界大戦中に過ごした世代で、野坂昭如、小田実、大島渚、五木寛之、小沢昭一、石原慎太郎らが浮かぶが、この中では野坂を気に入った。朴訥で非常にシャイでメディアに出初めのころはいつも黒いサングラスをかけていたのは対人恐怖であったからで、「恥ずかしい」が彼の口癖だった。

    野坂が逝ってはや三年半。司会者として彼らを束ねていたジャーナリストの田原総一郎は、野坂の死に際してこんな言葉を寄せている。「日本は空気を読まないと生きていけない国。野坂昭如さんは自ら落ちこぼれ、空気を読めないと言い切ることで自由に生きた」。「空気を読めない」は真実ではない。野坂は空気を読まない加害者より、「読めない」被害者面を好む人だった。

    朴訥なる自己主張ゆえに敵も牙を剥いては来ず、面倒な応戦をする必要もなかったようだ。「和して」という平和主義者ではないが、決して喧騒は好まなかった。小田や大島のような大声や金切り声を上げることもなかった。浜ちゃんやまっちゃんが怒らせようとケシかけても、笑って応対していた。声を荒げて見境なく怒るのは野坂の意に反することと推察する。



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    「老兵は死なず。ただ去りゆくのみ」。これも有名な言葉であるが、若かれしころには疑問であった。子どもや若者は疑問の宝庫、だんだん大人になっていく。「老人が死ぬのに、なぜ老兵は死なないのか?」そういう疑問でなく、比喩と分かりつつ言葉の真意が理解できない。後年、さまざまに解釈されたが、いろいろな含みもあってか、真意はマッカーサーのみが知る。

    実はこの言葉は引用であった。ウェストポイントの士官学校で歌われたバラードの一節にある、"old soldiers never die, they just fade away"から採られ、自身も、"old soldiers"のように消えていくと述べた。士官学校の歌詞の元は以下のイギリス軍歌で、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」のあとに、「若い兵士は消え去ることを願う」と続いている。

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    ここにいう、「消え去るのみ」というのは、名誉あることを指し、幾多の戦場を生き延びた古強者にしか許されない静謐な最期ではなかろうか。若き兵士たちもそうあるよう歌われる。「老人は老醜をさらすまえに後進に道を譲るべき」、「私は自らの義務を果たし、今ここに静かな最期を迎える」、「私は軍を去るが、私の魂はここに置いておく」などの解釈が考えられる。

    マッカーサーが職を解かれた際のスピーチであり、彼は、解任という不名誉を名誉に置き換えた。「老兵」を、「老人」に置き換え、カッコよく当て嵌まる語句はないだろうか。老人は解任されることはなく、「私はいずれ死ぬが、私の足跡は自らのなかで決して消えることはない」というような月並み言葉しか浮かばない。凡人においては生きるも死ぬもただの摂理である。

    他者に誇るほどの名誉も、自らを癒すほどの自負もないままに、誰に知られず死んでいく無名の市井人は、自ら正直に生きたという自負があれば十分であろう。生を受けた者の義務であり、自分を生きることこそ役目である。ひとたび生を得れば自身の精神も肉体も自身のものである。親のものでもなく国家のものでもない故、誰にも自分の人生を支配させてはならない。

    「我」を生きるとはそういうことだと書いている。自分を支配せんとの親には鉄槌を、同じくそういう妻なら、追い出すか出ていくかを奨励する。逆において同じ理屈だ。自分(親)を支配するような子どもであるなら寄りかからない、妻を支配せんとの夫なら捨てるがよかろう。支配は我慢で耐えようし、耐えたいとなら、それも自らの選択だが、我慢するにもほどがある。

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    無慈悲な親に虐待されて命を終えた船戸結愛ちゃん、つたない言葉で謝罪文を書いた彼女への想いが今も頭に残る。子どもは親を捨てられない。そのことに児童相談所が積極的に関わらねば子どもを救えない。児相は安易なお役所仕事ではあってならないという、国民総意の憤りである。自分たちは子どもを守り、救うのだという使命感のない者は児相の仕事に就くな。

    幼い命が奪われし後に取って付けたような安易な言い訳。誰も責任を取ろうとしないこうした風潮が、この国の特質である。責任を取るために置かれる責任者が責任も取らず、断罪されない。子どもが命を落とすのは親の責任であって、自分たちとは無縁であるといわんばかりの児相である。児相施設再点検が命じられたが、人道姿勢は体制よりも意識の問題である。

    国家が若者の命を奪う戦争も悲惨だが、幼児の命を奪う保護者の存在根拠は何だ。「こんな親は死刑にしろ!」という怒りもあるが、死ぬ価値すらもない親である。いかなる刑罰よりも、子どもへの愛情も含む、親の主体的な意識の問題は、誰が教え、諭し、指導すべきなのか?核家族化という問題も原因の一端なのか?かつて孫にとって祖父母は救いだった。

    身を挺して母から守ってくれた祖母。そんな祖母との別れは切ない思い出が過る。生まれ育った地から車椅子に乗っけられ、叔父貴(長男)の居住する京都に旅立つ際の、赤子が如き祖母の号泣は、容赦ない叔父貴への恨みのようですらあった。良かれとの思いで母を引き取る叔父貴の心痛に思いを馳せていた。別離という親不幸の叔父貴にあって、それが祖母の宿命だった。

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    親と子どもの関わり方は、子どもと親のそれも含めて様々に変貌する。一切の人間関係を捨てて、見知らぬ地にいく辛さとはいかばかりであろう。「老いては子に従い」とはいうものの、自ら死地を選べない祖母にとって身を裂かれる心情であった想像する。祖母は明治の最後の年に生を受けたというから、西暦にすれば1912年となり、明治はますます遠きなりけりだ。

    よほどのことがない限り、明治生まれの人に出会うこともない。大正5年生まれの父ですら生きていれば102歳だから、大正も遠き時代となっている。いずれは昭和もその命運をたどることになろうが、昭和の最後の年は1989年で、その年生まれは29歳、昭和が懐かしい時代はずっとずっと先であろう。長きを生きて今の時代を眺める立場にあるのは事実である。

    その類を老人と呼ぶ。数日前、いつもの坂を上る前方に女子高生らしき姿を見つけ、さっさと追いつき、追い越し間際に声をかけた。「しんどそうだね」、「はい」、「だいぶ後ろから目標に追いついたよ」、「すごいですね」、「何歳にみえる?当ててみようか」、「そうですね~、52歳くらい?」、「残念ブー!もう少しで70歳…」。といえば、「えーーーー!」。思わぬ地声にちょい躊躇う。

    女性と違って男はそんなことを喜ばない。いくつにみえようが、実年齢は変わらないし、相手が勝手にそう見たことを喜ぶ理由とはならない。喜びたいはむしろ体力の強さである。体力測定で体力年齢とやらを、機会があれば測定してみたい。それくらいに同世代の人間がいうに、自分は驚異的な脚力であるらしい。が、こちらも相対評価より絶対評価を重視したい。

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    何事も絶対基準で物事は判断したい。誰と比べて、「〇〇」や、「△△」というのは気休めである。自分を向上させることの方が先決で手っ取り早い。人はそれぞれが個々であって比べる意味がない。松山英樹がプロデビュー時に、何かと石川遼と比べられて発した言葉が印象深い。「一人の人間に勝ったところで、どうなるものでもない」。自身の絶対価値を高める名言だ。

    己の絶対価値を高めんとする姿勢、生き方に憧れる。邁進したい。勿論、精神的な価値も含めてだが、そのためには何よりも他人と比べてのささやかな自己満足を戒めること。人間はズルく弱いからついそうして楽をしようとする。「昨日までのことは、自分にとって意味がない」というイチローの言葉も、極めつけの自己向上心である。カッコいいではないか!

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    書き留めている訳ではないが、一日に数回思い浮かべることがある。考えるというより、状況を思い描いてあれこれ想像する。それは、「死んだら面白くないのだろうか?」という自問であり、それに対する考えは日々によって違う。普通、「死んだらどうなるのだろう?」などと考えるようだが、自分はそうは考えない。なぜなら、死んでいくところなどないからだ。

    死ぬということは、今の世の中から消えるということで、だから、誰にも会えない、語れない、好きな音楽も聴けない、スポーツ中継に一喜一憂もできない。美味いものも食べれない、将棋も指せない、運動もできないなどなど…。だから、死んだら面白くない、つまらないような気もするが、死ねば意識もないわけだから、「楽しくない」という感情すらないではないか?

    それらを突き詰めると、死ぬのは怖いというより、やはりつまらないという気持ちになる。「つまらない」という気持ちは意識(実感)はないが、何もできない状況こそがつまらないのである。しかし、それが死というものだ。受け入れるしかなかろう。誰もが受け入れて死んだように、人並みに受け入れなければならない。生きていたい、世の中を意識として感じていたい。

    見回していたい、親族の声も聴きながら動向を見つめていたいが、死はそれができない。やはり、人間にとって死が一番つまらないこと。避けては通れないこと、誰にも起こることなので不平等ということでもない。もっとも、寿命年数が人によってまちまちなのは不平等という気もなくはない。どうしてそうなるのかを問うが、人の死ぬ時期が同じであるはずがない。

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    探れば科学的論拠はあるのだろう。単純にいえば、成長の終焉こそが死で、それを老化という。いつ訪れるやも分からぬ死を、座して待たねばならない我々である。誰も死期の予測はできない。このようなことを、最低でも一日に一度は考える。それがまた、「生」の執着につながっているのかもしれない。とはいいつつ、何をやっておく、やっておけば、というものは沸いて来ない。

    自然界の仕組み、世の習わしとはいえ、人や動物や植物が生まれては死んでいくのは、なんとも不思議なことである。自分も彼も彼女もあなたも同じ一員であり、もはや一員として生を全うした人もいれば、新たな命を授かる人もいるわけだ。この不思議な仕組みの中、残りの幾ばくもない日々をどう生きるかについて思考を巡らすも、特別な何かをしないという不思議。

    志を持って美的に生きるということもない。あるがままを受け入れて、惰性気味に生きるのが人間なのかと、そういう結論に終始する命題である。酔狂に生きてみるかと啓発をすれど、人と同じことを好まぬ自分は、これまで酔狂に生きてきたような気もしないではない。故にか一念発起ということもない。が、もっぱら運命の不平等には立ち向かっているようである。

    人に運命が定められているなら、運命は間違いなく不平等である。そうした不平等に立ち向かうことが運命を否定することになる。定められていてもいなくても、運命に対する挑戦姿勢は変わらない。「格差社会」という文字がしばし踊る昨今の時世だが、富裕家庭に生まれる人、貧困家庭に生まれる人は運命なのか?思いたいならそれでもいいがこれは自然摂理である。

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    親を選べないのも、国や民族や地域を選べないと同じことで、いちいち運命といいたがる人もいるが、ならば何でも運命となるなら運命という言葉は不要である。しかし、運命は社会システムの不備といっていいこともある。社会が整備されていると、(あるとされる)運命すら変わることも沢山あるが、自分の頭に今浮かぶのは、児相の不備で命を落とした少女のこと。

    抜かりのない社会整備は不可能かもしれぬが、足りないところは点検し、周知徹底するのも行政の仕事である。幼い命が失われずに済むならそうすべきである。国家の命により戦場に命を捧げた若き兵士は、それ以外に生きるすべはなく、これを運命とするなら、それすら社会の不備である。二十世紀は戦争の世紀といわれたが、これも世界が整備されていなかったからだ。

    世界の変貌は人智の予測を超えたものだったかもしれぬが、「どうせ我々は死ぬのだから」とはいえど、後の世を整備しておくのも人間の叡智であろう。それくらいに人類は先の世紀の多大なる罪を犯している。少年法も児相も児童養護施設や老人福祉施設も国民生活向上のための社会施設である。多くの身寄りのない子どもや年寄りがそうした施設で暮らしている。

    ネガティブ運命論者の言い分は、「そこで暮らす運命だった」などと、何事も運命としなければ気が済まない自分はそうは考えない。児童養護施設も老人福祉施設も、彼らにとっては救いであったという理解である。なぜなら、これらは彼らの運命を変更させたポジティブシンキング。と、人間はいろいろ考えるものだが、実る思考もあれば実らぬ思考もあっていい。

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    大切なことは知識の量ではなく、「知っていること」より、「意見がいえること」。人が知らないことは多く、あることを知らない場合、「そんなことも知らないのか?」と、やや見下され気味にいう人間ほどマヌケに見える。なぜって、知らないことは何ら恥でもない。諸外国では、ある事件についての情報を知ることより、それについて意見がいえるかである。

    羞恥の文化に生きる日本人は、「知らないことは言わない方がよい」、「下手に何かをいうと笑われる」などの人が多い。恥ずかしがり屋ともいえるが、同時に見栄っ張りという見方もできる。知らないことを堂々と知らないといえることこそ自信である。偉そうな物言いするやつに、「ああそのことね。自分はそれを知らない絶対的な自信がある」といったことがある。

    「それって自信なの?」、「自信だろう。知ったかぶりをするより、絶対に知らないというのは自信だよ」と、煙に巻くのは楽しい。知ってることを得意気にいう人間もいるし、悪気のないやつもいる。「さも知ってます~」という言い方には、「謙虚」という配慮がない。「『知るものは言わず、言うものは知らず』という言葉をお前に贈るよ」と、ある奴に言った。

    決して嫌味ではなく彼を気づかって言った。それを彼がどう受け止めたかは自分の範疇ではない。言葉は口から出た後は相手のものである。見方によれば、「トゲ」のある物言いで、今はそうしたすべてがお節介と思うようになった。人は自らに責任を持って生きる。「彼のために言ってやらねば彼は人から嫌われる」と、これは正義感でも友達思いでも何でもない。

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    自分の正義は他人は悪意に感じるかも知れぬがそれを、「悪意にとるのが問題であり、自分は善意である」を長いこと信奉したが、結局、相手が善意に受け取らないことを嘆く。あるいは立腹するなら、どこが善意なのか。それが分かってくると、善意の押し付けをする以上、一切は自己が責任を負うべし。そういった過渡期を経て、辿り着いた境地は、「沈黙は金」。

    今になれば簡単な論理と理解するが、「善意とは相手を思う心」というのは間違いないが、それを受け入れる相手にキャパがなければ暴言と変わりない。理想の夫婦のように、相手の心と自分が表裏のように一体化したような関係ならともかく、善意は通じないものと判断することに随分と時間がかかった。「良薬口に苦し」というが、そうそう他人の良薬になどなれない。

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    サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件の首謀者であり、教団教祖の麻原彰晃ら7人の死刑が6日午前に東京拘置所などで執行されたことが分かった。死刑は法務大臣の職務命令により執行されるが、命じた上川陽子法務大臣を評価したい。同法相は2014年10月、公職選挙法違反の疑いで辞任した松島みどりの後任の法務大臣に任命された。

    2015年6月、闇サイト殺人事件(2007年発生)で死刑が確定し、名古屋拘置所に収監されていた死刑囚1名の死刑を執行したのち、同年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣の発足に伴い法務大臣を退任。自民党憲法改正推進本部事務局長に就任した。2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣で、再び法務大臣に任命され、同年10月の第48回衆議院議員総選挙で6選を果たす。

    上川法相は日本国憲法改正に賛成派に名を連ねるほか、集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに反対の立場をとっている。同法相は衆院選当選の2か月後の12月19日、市川一家4人殺人事件(1992年発生)で死刑が確定した、犯行当時19歳の少年死刑囚を含め、死刑囚2名(いずれも東京拘置所収監、再審請求中)の死刑を執行するなど、テキパキと仕事をなさる。

    そうして今回のオウム関連の死刑囚7人の執行を命じた。「肝が据わっている」という言い方はそぐわないが、なかなか死刑執行を命じない臆病(?)な法務大臣も多い中、大物死刑囚を次々執行する姿勢は、まさに順法精神の鑑たる法務大臣の在り方を感じさせる。鳩山邦夫法相も毅然としていたが、法相が絡まなくとも自動的・客観的な刑の執行案などを提案していた。

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    できることなら命じたくないというのが本音であろう。法相は死刑執行後の記者会見で麻原らの悪事を復唱、慎重に検討を重ねた結果と述べたが、会見で残念に思ったのは、官僚の用意した想定問答集など用意されてか、全体的に原稿の棒読みが多く頭が上がらない。その当たりが外国の要人記者会見と異なる。確かに官僚は有能だろうが、自分の意見を言うべきである。

    死刑囚の精神状態は人道的見地から常にケアされているというが、他人に命を獲られるというのは残酷である。が、彼らも他人の命を残酷にも奪ったわけだから、そのことに就いては自戒するしかなかろう。「死は怖いというより、つまらないこと」と書いたが、他人の手で強制的に死に至らしめられる、命を奪われるというのは、相当の恐怖だろうと想像する。

    腰が抜けて足が地につかない、歩けない、歩く気力も失せるという恐怖であろう。凶悪犯罪者は、罰として命を獲られることと、そうした束の間の恐怖を味わうことになるが、罪人は自らその鬩ぎを負わねばならない。名古屋市千種区の闇サイト殺人事件の被害者磯谷利恵さん、岡山元同僚バラバラ殺人事件の被害者加藤みささんは、「助けてください」と懇願したという。

    殺されるいわれのない善意の彼女たちの恐怖もいかほどであったか…。両事件の住田紘一死刑囚・神田司死刑囚は、被害者が一人にもかかわらず死刑となったが、いかに身勝手で凶悪事件であったかである。前科もない初犯であった住田は、被害者である加藤さんを強姦した後、「誰にも言わないので命は助けて」という必死の懇願を、一顧だにせず殺害、遺体を切り刻む。

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    この事件をさまざま思考したが、住田の主目的は強姦であって殺人・死体遺棄ではなかったはず。ならばなぜ被害者の、「誰にも言わない」を信じてやらなかったのか?仮に婦女子強姦を訴えられても被害者が負傷していない場合、懲役三年程度の量刑で済む。にも拘わらず、小心で臆病な性格が災いしてか殺してしまう。性格はさておき、行為そのものは非人間的ある。

    人間の引き起こす凶悪犯罪の経緯を、アレコレ理性的に判断することは何の意味もない。彼らがそうした理性判断に至らなかったからこその凶悪犯罪だ。善意な第三者たちの命を無慈悲に奪う犯罪は、子どもの虐待死と同様にいたわしい。重犯罪は現在では懲役刑もしくは死刑だが、世界の潮流は死刑廃止である。死刑が残酷な刑罰というのが大きな理由。

    火あぶりや磔などは言うに及ばずだが、死刑を採用する日本にあって、「残酷な刑罰」に対する最高裁の判断は、「不必要な精神的、肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰」とし、絞首刑については、人道上残虐性を有するとはいえないと解釈する。死刑の威嚇力による犯罪の予防、死刑執行によって特殊な社会悪の根源を断ち、社会の防衛を目指している。

    麻原ら受刑者の誰もが死にたくなかったろう。同じように麻原たちによって命を奪われた人たちも同じ思いである。宗教教義を独善的に捻じ曲げ、身勝手な妄想から多くの無実の人を我が身を差し出すことで弔うべきであろう。麻原の駒となって犯罪に加担し、死刑を宣告された信者たちも同様に、誤った指導者を師と仰いだ己の愚かさを、死をもって悔いるしかなかろう。

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    日本が死刑制度を破棄しない理由には、日本人独自の死生観がある。外国がどうあれ日本人文化において、「自らの命を差し出すことこそ最高の償いである」という考え方が根強い。死刑制度をなくすると刑罰の最高刑は無期懲役となるが、これだと日本の法規にある仮釈放制度が審理されることになる。死刑は命を奪うこともあるが、仮釈放を認めない刑罰ともいえる。

    オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件で、坂本弁護士の母さちよさん(86)がコメントを出す。「今日、麻原とその他の幹部に対する死刑が執行されたと聞きました。麻原に対する裁判が終わったときは、「やっとか」っていう気持ちになったし、死刑判決が出てからもいつまでも生かされているということで、「なんでいつまでも死刑にならないの」という声も聞きました。(中略)

    息子たちの救出活動に尽力してくれた方々、救出活動の訴えに長い間協力して下さったマスコミの方々には本当に感謝しております。ただ、今は、体調のこともあり、皆様に直接お話しすることができないことをご理解いただけたらと願っております。長い間、本当にありがとうございました。」坂本さちよさんは29年前、33歳の息子夫婦と孫一人を失っている。

    なぜ一家全員の命を奪ったのか?ターゲットはあくまで、「オウム真理教被害者の会」の坂本弁護士一人だが、自宅に押し入る計画の際、実行メンバーの早川紀代秀が、弁護士の家族をどうするかの指示を電話で麻原に仰いだ。麻原は、「(家族を巻き添えにすることは)しょうがないんじゃないか。一緒にやるしかないだろう。」と一家全員の殺害を命令した。

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    坂本弁護士殺害実行部隊は、岡崎一明・村井秀夫・新実智光・早川紀代秀・中川智正・端本悟ら6人で、11月4日午前3時頃弁護士宅に侵入、就寝中の一家を襲った。端本が坂本弁護士に馬乗りになり、顎を6、7回殴った後に岡崎が首を、早川が足を押さえ、中川が尻に塩化カリウムを打った。筋肉注射ゆえに効果が無く、2、3回やり直したが針が曲がったので窒息死させた。

    坂本の妻は新実に馬乗りされ、上半身を蹴る・殴るなどの暴行を受け、端本に腹を蹴り飛ばされて膝落としをされた後に村井、早川、中川に首を絞められる。中川からは塩化カリウム注射をされた。「子どもだけは…」と命乞いをしたり、村井の指を噛んだりなどの抵抗したが窒息死した。一歳の長男が泣き出したため、中川と新実が鼻口を押さえつけて窒息死させた。

    早川に子どもの殺害を命じた麻原は、この時の心境を以下検事調書に述べている。「私は一瞬、子どものことが頭に浮かびましたが、私も小さいときから親から離れて苦労しており、子どもだけ生き残らせても逆に残酷だと思い殺害を許可した」と、子どもへの慈悲を表しているが、このようなとって付けた言い訳を誰が信じる者がいようか?少なくとも自分は信じない。

    これまでいろいろ言われたことでもあるが、秀才・エリートの彼らはなぜ麻原彰晃の元に集まったかについて、公判の中で彼らが直に口にした言葉がある。細菌兵器研究した遠藤誠一は、京大大学院医学研究科博士課程中退である。ボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造において中心的役割を果たした遠藤は、麻原の四女の“許嫁”としても知られる。

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    四女は遠藤を、「とても子どもっぽい人だった」と述べている。裁判当初は、「包み隠さず、すべてをあらわにしたい」と語っていた遠藤だが、他の被告が彼に都合の悪い証言をすると、「作り話だ」などと言い立て、「サリンで人は死なないと思っていた」などと自己弁護に終始した。オウムの裏を仕切った、「側近中の側近」の井上嘉浩は、日本文化大中退である。

    中学まではサッカー好きの活発な少年で、高校は京都市内の進学校へ進んだ。両親の期待は大きかったが、同級生も親も気づかないうちにオウム真理教に出会い、高校2年のときに入信した。両親の説得に加えて麻原が、「大学に行きなさい」と諭したことで、いったんは大学に進学したが、半年もたたずに退学して出家した。当初は心配していた母も後にオウムに入信している。

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    「(教団内の高学歴エリートに対して)屈折した心が当時の自分にあった」と井上は述べている。教団の中で最も血なまぐさい男とされた新実智光は、愛知県岡崎市に生まれ、愛知学院大法学部を卒業した。オウム真理教が起こした7件の殺人事件のすべてにかかわった新実は、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。この人数は麻原彰晃の27人に次ぐ多さである。

    大学卒業前の1986年、オカルト雑誌に掲載されていた麻原の空中浮揚写真を見てオウムに関心を抱く。教団の機関誌ではこの時のことを、「修行をしながら自らを高める姿勢にひかれた」と振り返っている。オウムの前身、「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、修行に取り組むと体が浮き上がって光が見えた。「もう、一生ついていくしかない」と確信したという。

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    大学を卒業後、地元の食品会社に就職したが、半年で退社して本格的にオウムにのめり込んでいく。公判では、「グル(麻原)の指示なら、人を殺すことに喜びを感ずるようでなければならない」、「一殺多生。(被告人は)最大多数の幸福のためのやむを得ぬ犠牲である」と述べたりもしたが、新実の裁判に検察側証人として出廷した井上嘉浩死刑囚には心を見透かされている。

    「新実さんも本当は(誤りに)気づいているのに、見ていて悲しい」。また、新実の部下で地下鉄サリン事件の運転手役を務めた杉本繁郎受刑者も、「教団を否定するのがつらいのではないか」と心中を推し量る。死刑が確定後、被害者への謝罪と反省の言葉が全く聞かれなかったのは、新実智光に対する、「マインドコントロール」が最後まで解けなかったことを示す。

    早川紀代秀は麻原よりも6歳年長の1949年、兵庫県川辺郡東谷村(現在の川西市)に生まれた。団塊の世代で、大阪府堺市で地方公務員の一人息子として育った彼は、神戸大学農学部時代はバイオ技術を学び、大阪府立大大学院農学研究科に進学し、緑地計画工学を専攻した。大学院卒業後は大手ゼネコンに就職し、土木技術部開発設計課に勤務したが5年後に退職した。

    退職後は2社に勤務し、84年に阿含宗に入信、86年にオウムに入信した。きっかけは麻原の著書を読んだことだった。翌87年には全財産を寄付して出家し、若者が多い教団内では、「おやじ」と呼ばれていた。教団内ではゼネコンでの勤務経験を生かし、土地買収などの先頭に立つ。「尊師が『やれ』と言われたことをやる」との姿勢で、「建設」に関わるすべてを仕切った。

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    裁判当初は麻原への帰依を捨てきれず、被告人質問では、「今も麻原被告を信じている。ポアはご本人のためになる」と述べた。坂本弁護士事件の実行中、麻原に弁護士外の家族の処置を仰いだ早川であるが、犯行後に当時1歳2カ月だった長男龍彦ちゃんの遺体に布団をかけた理由を聞かれ、「寒そうだったから」と悲鳴に近い声を上げ、1分近く証言台に突っ伏した。

    かたくなだった態度は審理が進むにつれて変化していく。一審の終盤には、「自分たちのしてきたことは地獄をつくり出しただけ」と認め、「今なお私が人間として存在していることに対し、申し訳無さと恥ずかしい気持ちでいっぱいです」と謝罪した。最年長者であった早川は、公判の過程で老成していったのか。一審死刑、控訴審でも判決は覆らず、死刑が確定した。

    1965年生まれの土谷正実は、サリンを製造した「狂気」の化学者である。筑波大大学院化学研究科中退であるが、都立高校卒業後、筑波大学農林学類に入学した。化学に興味を持ち、88年に同大大学院へ進学して、有機物理化学を専攻。「非常に研究熱心」だったという。オウムとの出会いは大学院2年の時に同乗していた車の交通事故がきっかけで、彼はむち打ち症になった。

    その際、知人に誘われて水戸市内にあったオウムのヨガ道場に通うようになった。周囲には、「オウムには大学以上の設備がある。1日に20時間以上も研究できる」と嬉しそうに話していたという。修士論文は提出したが、研究室からは足が遠のきオウムにのめり込んでいく。1日1度しか食事を摂らず、朝から晩までアルバイトをして、収入のすべては教団に布施をした。

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    両親は脱会するよう再三説得し、茨城県内の更生施設へも入れたが、すきを見て抜け出し、91年に出家した。「サリンというものがあります。作ってみませんか」。土谷は麻原に提案した。「やってみろ」と言われて製造を始め、サリンの合成に成功する。94年から95年にかけての松本・地下鉄サリン事件で使われたサリン、信徒襲撃事件で使われたVXは土谷が製造した。

    公判では、「(麻原への)帰依を貫徹し、死ぬことが天命と考えます」と表明、遠藤や村井に命じられるままサリンを作っただけで、「使途は知らなかった」と無罪を主張。検察官に、「何言ってんだ、バーカ」、「お前が死刑を求刑するのかよ」などの不規則発言も目立った。最高裁では麻原への信仰がなくなったと強調したが、死刑回避の保身も遅きに失し死刑が確定した。

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    地元・岡山県の名門高校から京都府立医科大学へ進学。在学中は柔道部で活躍をし、5年生の時は学園祭の実行委員長を務めた。車いすのボランティア活動を6年間続け、学園祭では車いすを押して会場を回ったという。正義感が強く、心優しい青年――そう評価する声も少なくない中川智正である。オウムとの出合いは、医師国家試験を間近に控えた6年生の冬だった。

    冷やかし気分でオウムの道場を訪ねたとき、早川紀代秀に瞑想を勧められた。やってみると光が体を通り抜け、あたりが真っ白になるような神秘体験をした。中川はその日からオウム道場に通うようになる。「道場に行かんと体に力が入らん」と周囲に語り、卒業後は道場に通いながら大阪鉄道病院に研修医として勤務するも現場に適合できず、1年余りで退職する。

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    「人のために尽くしたい」と、出家してオウム真理教付属病院の顧問となる。出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件実行役に選ばれる。弁護士の寝室に入り、他の実行役が夫妻を攻撃するのをしばらく見ていると、幼児が泣き始めた。「子どもをなんとかしろ」という己の内なる声が聞こえ、タオルケットで口のあたりを押さえると幼児の泣き声はやみ、動かなくなった。

    さらには隣で手間取っていた村井秀夫に代わり、夫人の首を絞めた――。公判での供述によれば、人を殺めたにもかかわらず、「息が聞こえるくらいの近さに麻原氏がいるという一体感を感じて嬉しかった」と述べていた。事件後、麻原の主治医となるも、教団が犯したほとんどの凶悪事件にかかわった。起訴された事件は、麻原の13件に次ぐ11件、死者は26人にのぼった。

    公判ではほとんどの信徒が、麻原の指示に抵抗を感じても服従するしかなかったと語る中、中川だけは、「積極的に加担した」と認めている。事件に関与するたび、「神秘体験」をしたと繰り返し主張している。当初は麻原を、「尊師」と呼んでいたが、「正確な証言をするのに、言葉に引きずられたくない」との理由で途中からは、「麻原氏」と呼ぶようになった。

    麻原の裁判に証人として出廷した際は、「サリンを作ったり、サリンをばらまいたり、人の首を絞めて殺したりするために出家したんじゃない」と正論を述べ、証言台に突っ伏し泣き崩れる一方で、「麻原氏のせいという気持ちはない。教祖である麻原氏がいなければ事件はなかったが、私たちがいなければやはり事件はなかった」という論法で、自己の責任を男らしく認めた。

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    最高裁の判決前には、「どうして事件が起こったのか、明らかになっていない」とコメントを出した中川の言葉を聞いた時、エリートはある意味中卒程度のバカと感じた。『仁義なき戦い』の獄中手記を書いた美能幸三は、「つまらん連中が上に立ったから下の者が苦労し、流血を重ねた」と自己完結をしている。「つまらん連中」を率直にいえば、「馬鹿な連中」であろう。

    「自軍の将が馬鹿だと敵軍より恐い」などといわれるように、中学を2年で退学した美能幸三に理解できて、中川に理解できぬはずがない。そこがヤクザの親分と絶対的宗教教祖の違いなのか。子どものころから利発で、「神童」と呼ばれていた中川を弁護した河原弁護士は、「人を殺すような性格ではなく、とても温厚だった。宗教のせいで誤った道をたどってしまった」と残念がる。

    「稀代のペテン師である麻原というバカに気づかなかった」という現実認識ができないところに宗教の怖さがある。どれほどの秀才であれ、バカを正しくバカと判断することこそ頭の良さではないか。「敵を知ると同時に、己を知らねばならない」と孫子もいっている。多くのエリートたちが麻原に心酔した理由を、「ヒーロー不在感」と解釈した判断は、当たらずとも遠からず。

    プライドの高い彼らの求めるヒーロー像は、勤務先の上司でも経営者や社長でもなかった。エリート意識に長じた人間の最大の短所は、他人と自分との比較でしか、自己を認識ができないところにあって、これが競争社会に埋没する人間の相対的原理となる。偏差値世代の悲哀と言い方もなされるが、他人の優劣を偏差値や出身校で即断するよう、彼らは作られてしまった。

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    こうした高いプライド所有者は存在感も居場所もない一般社会では、我慢がなされず不満が露出する。「なんであんなバカに自分は命じられねばならない?」なら勤務は難しい。オカルトや神秘体験に関心を抱く彼らが、不満でしかない勤務先の雑多な人間関係を、「原始仏教」の麻原彰晃に帰依し解放された。彼らは狭い世界の中でしか生きられない人間だったろう。

    今回改めて死刑執行された6人の信徒たちの経歴や人となりを眺めてみたが、事件に関連する何かは想像するしかない。バカな教祖の神輿を担いだバカな男たちと詰ってみても、真相は彼らの心の奥にある。当ブログで声高にいうのは、「他人に自分の心を支配させるな」であるが、信者や信徒というのは、信じる者たちの総称だ。人を信じたところで自己責任は免れない。

    人を操るのが巧みな麻原は、人材派遣会社経営が似合っている。信徒たちも人材派遣の出向なら、プライドを傷つけられたら行かねばよい。自尊心も大事だが、自尊心の高さも時に災いする。自尊心より大事なのは向学心であろう。「私は地道に、学歴もなく、独学でやってきた。座右の銘というのではないが、『我以外皆師なり』と思っている」と吉川英治の言葉がある。

    有名進学校の優秀生徒は、学校や塾で王様のような扱いを受ける。彼らは宣伝マンでもあるからだ。エリートというのは自意識なのか肩書なのか、どちらでもないのがいい。なぜなら、自己の向上をどこかの時点で止めて眺めると、向上が止まってしまう。職業にも企業にも貴賤はないが、あると思う人にはあるのだろう。どんな仕事であれ、その仕事になりきっている人は幸せである。

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    人の死には死刑もあるのだとと、今回の7人同時死刑に考えさせられた。確かにこれも人の死である。麻原彰晃を唯一落としたとされる宇井稔検事は2015年他界したが、取り調べ時の麻原の素顔が宇井検事のインタビューに残っている。「坂本さんの事件については自分が指示をしたって調書があるんだよ。自供したわけ。でも、あとは全部弟子の責任だって言っていたな。

    『自分は目が見えないからできないんだ』と繰り返してな…。これを端緒に全部語るって思ったんだ」。麻原の心は揺れていた。「麻原は本当のことを語らないといわれたけど、あと一歩で語ろうとした瞬間もあるんだよ」。そんな思いをもって取り調べにあたった。が、松本死刑囚は一転して話したことは間違いだったと言い、事件について一切口を閉ざしたという。 

    「麻原はおしゃべりだったよ。事件のこと以外はよく話したよ。壁抜けられるって言うから、『どれ、抜けてみろよ』って言ったんだ。そしたら抜けられなくて申し訳ないって。ずっと座禅しているから、何しているんだって聞いたら『修行』だとかなんとか言ってたよ」。意味のわからない発言を繰り返したり、裁判を拒んでいた松本死刑囚とは違う顔が見えてくる。

    「こんなくだらん裁判はやらんでいい」。「ここは裁判所なんかじゃない、劇場だ」。「退廷させて死刑場につれていくのはOKだ」。「射殺したければ射殺すればいい」。「こんなばかな茶番劇のような裁判はやっても仕方ない」。「私はあなた方が裁くことはできない」などと言い放った麻原も、信徒たちの告発を受けた2002年2月25日の公判以降は、まったく応答しなくなった。

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    「間違いないのは麻原は死刑を恐れていたよ。死刑が怖かったんだ。自分が死刑になるかもしれないから、あとは弟子のせいにしようって思ったんだろうな」。宇井検事は結んでいる。宇井さんは他界し、麻原の死刑も執行された。最後まで口を閉ざし続けた麻原。彼の頭の中に来世は存在したのか?「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」が真なら、往生はしただろう。

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    本日発売の週刊新潮によると、麻原彰晃の新たな殺人事件の記事が報告されている。教団の初期の事件であるといい、ある女性信者が麻原教祖に首を絞められて殺されていた――というもの。これまで全く表に出ていなかったが、この隠された殺人事件についての噂が広がったのは昨年の秋頃のことで、服役中の新実智光死刑囚が、麻原の余罪について告白していたという。

    新実証言によれば、被害者は当時27歳だった教団の女性信者Yさん。金銭トラブルで麻原の部屋に呼び出され、「ポア」された。自分(新実)と中川智正が手足を押さえ、麻原が手を下した。部屋には故・村井秀夫、女性幹部、上祐史浩もいたという内容だ。これについて新潮の記者が上祐氏に問い合わせを試みるも、当初は“調べてみます”などと誤魔化すばかりだったという。

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    踏ん切りがついたのか上祐氏はようやく重い口を開き、女性信者殺害の現場に居合わせたと認めたうえで上祐氏は、「新実が取り押さえ、中川が注射器を用いて殺害した」と、新実証言とは異なる説明をする。「中川は彼女の左腕に注射した。しばらく後、中川はYさんの胸に耳を当て、“心臓が止まった”と言いました。麻原はその間、ソファーにずっと座っていました」。

    上祐は、「ひかりの輪」を立ち上げたとき、オウムのことについてはすべて話といったが、知られたくないことには口をつぐんでいた。これを見ても信用できない人間だ。新実証言と上祐証言とどちらが正しいか、新実もいない今となっては問いただすこともできないが、教団初期に信者への殺人を命じる麻原に信者たちが批判を向けることはできなかったろう。

    理性が働かないのをマインドコントロールというが、初期のころから人を殺すことに慣らされてしまったのだろう。自分の目の前で人が人を殺す場面など見たこともないが、恐ろしいことであってもそれを見せられた人間は、多少なりそのことに免疫ができるのだろうか。死刑のボタンを押す刑務官は、それが仕事であっても5人が同時にボタンを押すという配慮がなされている。

    人が人を殺すという恐ろしいことを麻原は幹部の信徒たちに慣らしていったのだろう。オウム真理教は宗教であり、かつ犯罪集団であった。宗教がある段階から犯罪集団になったのではない。最初から犯罪集団であって、宗教の形をして信者を集めたに過ぎない。最者から犯罪集団として人を集めるのはヤクザである。しかし、やってることはヤクザどころではない。

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    宗教と社会の関係において、日本の歴史の中で宗教を警戒したのは、江戸幕府のキリスト教くらいではなかったか。秀吉はキリスト教を禁止したが、家康は宗教には比較的寛容だった。自身は浄土宗だったが家臣の大半は一向宗徒、忠臣の大久保忠孝は日蓮宗だった。キリスト教を容認していた家康が急に、「禁教」に踏み切ったのは、「岡本大八事件」が契機と言われている。

    本多正純の家臣岡本大八が有馬晴信から賄賂を騙しとり、それが露見して処罰が免れない状況になった大八は、自分を訴えた晴信が、「長崎奉行暗殺」を企てていることを獄中から曝露した。大八は火炙りに、晴信は斬罪となるが、二人がともにキリシタン大名であったことから、キリスト教を邪教と思ったようだ。遺言があったのか、迫害が始まったのは家康が死後のこと。

    近代日本にあっては、政治は恐れるが宗教を恐れる傾向がない。ゆえにか、信教の自由とか、政教分離の考え方は国家から宗教を守るものであったが、オウム真理教の出現でわれわれは違う次元の問題に気づかされた。オウムは反国家、反家族であったが、宗教とはそうしたもので、昔からそうであった。マインドコントロールという言葉も流行ったが、これは洗脳のこと。

    いかに秀才たちが麻原にマインドコントロールされたからといっても、エリートたちにはマインドコントロールされたことの人格的責任がある。男に騙された女も、女に騙された男も、監督に操られた選手にしても、自己の責任があるのは疑いない。自己の責任はないと思う者はいようし、あっても責任を逃れたい人間もいよう。だから苦しい言い訳や自己弁護をする。


    遅刻の言い訳一つとっても、人間は愚かな生き物だと思ってしまう。すべての言い訳は醜いと決めている自分だが、人に言うと「カッコいい」と言われたことがあった。まあ、茶化し言葉だろうが、「カッコいいと思うならお前もやれよ」といったこともある。今回の新たな信者殺害事件についても、上祐氏は、「今日まで恐怖と不安で言えなかった」と見苦しい言い訳をした。

    これは言わなかった(隠していた)ことの言い訳でなく、露呈したことの言い訳であろう。言わなかった理由は、「言いたくなかった」以外の何がある?「言いたくなかった」は、隠しておきたかったである。これはもう殺人の共犯であるのは疑いのない事実。「恐怖とはそれか?」時効があることくらいは分かる脳ミソはあろうが、上祐という男も案外いいこぶりっこだ。

    こういう言い訳など10や20でも言える。つまらん嘘より一つの真実で済むものを…。遅刻の言い訳なども苦労して考えることもない、「寝坊しました」で済む。薄っぺらなつまらん言い訳する男を自分は好まない。美能幸三の、「つまらん」は、「馬鹿」と言い換えられるといったように、つまらん言い訳も、つまらん男も、「馬鹿」ということなら、二字節約できる。


    オウムは最初から犯罪集団といったが、目の前で女性信者が殺害されて(麻原が命じたなら)殺人を犯したことになる。麻原の手下となった幹部はどういう了見だったのか?社会に出ていきなりは下っ端でも、オウムなら役職を与えられた幹部。こういうおママゴトにうつつを抜かしていたのか?人間は地道な努力をするようになっている。こんなイカレタ団体は二度と出て欲しくない。

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    一つことに集中するといっても、学者タイプではないが、この際徹底したオウムづくしでやってみよう。根ほり葉ほりでも書き足らないものだが、どちらかといえばこのブログは考えるためにやっている。小学生頃の絵日記は、「今日は雨がふったのでどこにも行けず、楽しくなかったです。」、「今日は海に泳ぎに行ったので楽しかったです。」というものばかりだが懐かしい。

    あったことよりそれについての思いや意見を書くのが大人で、そういう類の他人の日記なら意見も聞けるから読み甲斐もある。あったことを記録しておくのもその人の日常で否定はないが、考えるために書くのなら物足りない。以前、「趣味は思考」と言った自分は、ありきたりの趣味が嫌だから、半分ジョークも交えた言い方だが、考えることで世界が広がり、世界は広い方が面白い。

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    1987年、「オウム神仙の会」と改称、宗教団体「オウム真理教」が設立された。
    1989年、オウム批判をしていた坂本堤弁護士とその一家を殺害。
    1990年、真理党を結成、第39回衆議院議員選挙へ麻原と信者24人が集団立候補。
    1994年6月27日、松本サリン事件。
    1995年2月28日、東京都内で公証人役場事務長逮捕監禁致死事件。
    1995年3月20日、地下鉄サリン事件。
    1995年4月23日、村井秀夫刺殺事件。
    1995年5月16日、上九一色村の教団施設内で麻原彰晃逮捕。
    1996年4月24日、麻原彰晃こと松本智津夫被告第一審の初公判
    2004年2月27日、東京地裁が松本智津夫被告に死刑判決。弁護側は即日控訴。
    2006年3月27日、東京高裁が同被告の控訴を棄却。弁護側は最高裁へ特別抗告。
    2006年9月15日、最高裁第三小法廷は特別抗告の棄却を決定。死刑判決が確定。
    2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚らの死刑執行。

    オウム真理教全盛時にはオウム、オウムと、オウムのように繰り返され、オウムの話はもうたくさんだったが、久々にオウムや麻原の活字を見ると新鮮である。オウム真理教事件は近代社会において未曽有の出来事であり、見方を変えるとオウム真理教は小規模ファシズムといえる。党が支配し、旗が振られ、制服を着た軍隊が闊歩し、独裁者が演壇で演説する。

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    こうしたファシズムの観念的イメージがあるが、先進工業国でこういうファシズムは起こることはなく、宗教を土台にしたファシズムである。ファシズムは、①秘密警察、②強制収容所、③独裁者直属の親衛隊という3つのテロ機構からなるが、この機構を駆使したのは世界史上、ドイツのナチズム国家とスターリズムの共産国家で、北朝鮮にはわずかに残骸が残る。

    オウムにはこの3つの機構が備わっていたが、一体オウム真理教とは何の宗教だったのか?キリスト教やチベット仏教だったり、こちゃまぜの混雑イデオロギーの臭いがあった。なぜオウム真理教は生まれ、なぜインテリジェンスな若者が麻原に魅了されたのかについて、多くが語り尽くされたが、根本的な要因は麻原彰晃という人物の存在である。ドイツにヒトラーがいたように…。

    麻原の魅力は我々には分からない。AKBのファンしか彼女たちの良さがわからないように。ただし、アイドルやアスリートのファンと違って宗教は心の問題である。各自がどのような信仰を持つ自由はあるが、信者が抱く宗教的善が国家国民の善とは違っている。宗教が国家国民の枠を揺さぶらないよう、EC諸国は、「カルト決議」という対抗措置をとっている。

    「カルト決議」には細かい条項がある。①未成年者を強制的に勧誘しない、②献金したり入信の際は熟慮期間を与えること、③入信後も家族や友人・知人との連携・連絡を保証すること、④学校に行きたい者を抑えてはならない、⑤棄教、脱退希望者が外部の助言を望む権利の尊重、⑤資金の獲得に強要があってはならない、⑥住所氏名を告知しなければならない。

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    まだまだたくさんの注意義務や遵守項目があり、これに違反した団体は強制的に解散させられる。このような決議は欧州ならではで、曖昧な日本人には毅然とした覚悟はない。なぜなら決まりは順守してこそ決まりである。国民はオウム事件や統一教会の壺販売などが骨身に染みていると思われるが、そうはいっても喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう国民である。

    新興宗教とは、「お金もってきなさい宗教」である。たくさんのお布施や献金=幸福度というまやかしは、傍からみれば暗黙の強要にみえるが、信者は肯定的にとらえている。これこそが宗教の旨味と自分は考える。初詣の賽銭箱には、一円玉から万札まであるというが、賽銭なしのお願いは気が引けるのだろう。神仏を拠り所にしない自分は寺にも神社にも出向かない。

    そもそも賽銭というのは神仏に、「祈願成就」の御礼の気持ちを奉納する金銭のことで、事前のお願いではない。それがいつの日か、お願いが聞き入れて貰えるという考えに変わったのはどうかと思うが、今さらそんなことを言ってみても神仏祈願の慣習は変わることはないだろう。「感謝の意」を表すことと、図々しい、「祈願」というのは大きな違いがある。

    「祈願成就」も、「大願成就」も自分の努力と思って、自分に美味しいものでもご馳走してあげたらいいんじゃないか?といったら、「運もあったのだから神様には感謝しなくちゃ」といった女性がいた。「偉いね~、いい心がけだ」と褒めておくのが無難だろうが、「そうかい、そうかい」と言っておく。神仏に祈りたい人の気持ちは分かるから否定も肯定もない。

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    他人の価値観に配慮を心がけるよう自分は変わった。若いころは何かと自己中で、そんな配慮などすることはなかった。「神様にお願いごとも、御礼も意味はないのでは?」などといっていた。傷つく人もいたから無神経な言葉である。言葉は性格を表すもので、性格を直したいなら言葉も注意がいる。一にも二にも配慮、三、四がなくて五に配慮の昨今である。

    強い性格は抑えるようになった。他人への配慮は気づかれというが、自己変革と思えば何でもない。セクハラ同様無意識に備わるようになればいい。率直な性格である自分は、その意味でも自己変革が必要である。他人を傷つけぬよう配慮するなどは意識を深めておかないとできないことで、できないことをやるのも自己への挑戦と思うこともプラス思考となる。

    自分にプレッシャーをかける勉強法というのがある。遊び気分でやるより効率はいい。巷に出回る、「〇〇勉強法」とか、「知的△△術」とかの本は、売らんがためのものだろうし、役に立つとも思えない。自分に合ったものや方法を見つけるに限る。学生時代は嫌いで退屈な勉強も、ある年齢で好きになることもある。ま、それが本当の身になる勉強かもしれない。

    オウムで書き始めたのでオウムに戻すが、「現存する宗教修行者のなかで世界でも有数の人物」とまで持ち上げた吉本隆明の麻原擁護論を再考する。麻原が史上類のないテロリストの首謀者として裁かれると、「彼の犯罪は根底的に否定する」と腰砕けになった吉本。それでも犯罪者としての麻原と、宗教家としての麻原を分離できる独善思考をもっていた。

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    吉本が代弁せずとも麻原の宗教観は麻原が語ればいいことだが、左翼思想家あがりの吉本にとっての麻原評価は、国家転覆を本気で企てた行動性への羨望ではないのか。思想家吉本は所詮は、「書斎の人」。麻原や三島のような、「行動する人間」の実践性に親和性を抱く。現に三島の自死を吉本は、「自分にできないことをやった」という言い方をしている。

    科学の世界では、いかに理路整然とした美しい理論であっても、色々な科学的批判や検証作業を経たもの以外は単なる『仮説』に過ぎない。全共闘世代にとってカリスマと崇められた吉本であるが、如何に彼が激烈な思考をしようと、観念世界に埋没して実践できない。そうした潜在欲求が麻原擁護になったと考えるなら、いかにも吉本の幼児性であろう。

    「殺人はなぜ悪なのか?」と観念論思考で問い続けるのはいいが、殺人を犯して確かめるのとでは距離感があり過ぎる。ラスコーリニコフはついに実行してしまうが、実行後に果てしなき問いが彼を追いかけた。国家転覆を図ろうとした三島や麻原に傾倒する戦後の思想界の巨人は、実践なき観念論者であるがゆえに、「麻原擁護は間違い」の言葉を残さぬままに他界した。

    共産党神話を突き崩した剛直の思想家吉本隆明であるが、共産党が衰退すると吉本自身色褪せた感もなくはない。晩年は娘ばなな作品を目尻を下げての礼賛はいいとして、麒麟も駑馬に劣る麻原礼賛である。「自分が正義の代弁者ごとく振る舞うときは、どんなに謙虚になってもなり過ぎることはない」。こんな言葉を残した吉本も、麻原擁護者として晩節を汚した。

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    麻原がはじめた、「オウムの会」(のちに「オウム神仙の会」)は、ヨガを愛好しチベット密教を学ぶ小さな修行サークルだった。それがわずか10年余りのうちに、国家転覆を画策するテロ組織に変貌した。オウムの当時の資産総額について謎もある。強制捜査で警察が押収した金品の数倍もの金を教団は持っていたとも言われるが、何百億円にものぼる大金はどこへ消えた?

    麻原に洗脳され、麻原を師と仰ぎ、麻原の足の指まで舐めたインテリたちも、裁判の過程で目を覚ました者もいたというが、本当に麻原と決別したのか、フリをしたのか、彼らの心底は分からない。キリシタン弾圧の、「踏み絵」で敬虔な信者ほど踏んだと遠藤周作は描いている。そういう場面でキリストは間違いなく、「踏みなさい」と仰せになるだろうと遠藤はいう。

    麻原は信者たちを、「アルタード・ステイツ・オブ・コンシャスネス(ASC=変性意識状態=日常的な意識状態以外の意識状態)」に持っていく催眠術師であり、幻覚を見る状態にさせて自身に心酔させることを可能にする。精神科医の片田珠美氏は「感覚遮断」、「飢餓」、「睡眠制限」、「性欲の制限」の4つのカギに集約される手法で、それを成し遂げていたと指摘する。

    麻原は以下のような発言をする。「私たちは本質的に、7万2千本のナーディ(気道)から成っている。うち、むさぼりが2万4千本、怒り・愛着が2万4千本、無知・知恵が2万4千本、この3つのナーディの中には、苦しみの人となる命題が存在する。それはいじめられること、叩かれることでしか落とせない。これが圧力。また、徳によってエネルギーを満たす作業をサンダリーという。

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    エクスタシーをもった熱を昇華と増加させることで、7万2千本のナーディは至福に満ち、新しい私と呼ばれる5つの身体が形成される。5つの身体は、この世で生きる変化身。心の世界の法身。心の世界に通じる啓上世界の報身。心の世界と啓上世界の両方を生きる金剛身、さらには本性身」(以下略)などと、このような何の根拠もない事実でもない言葉を彼は創りあげる。

    まともに聞ける話ではないが、エリートたちはこの手の観念的な話の内容に心酔するのだろう。第三者には到底理解できない宗教用語を駆使し、自身と他者の間に煙幕を張っているようなものだろう。法事などで僧侶がなにやら難しい話をした際、何のことやら理解できなくとも、「有難い説法を戴いた」と遜ったりするが、理解できなくともインテリは難解な話を好む。

    信者たちをACS到達に導く構成要因をさまざまに駆使した麻原について、「日本脱カルト協会」代表理事で、立正大学心理学部対人・社会心理学科教授の西田公昭氏は以下のような分析を行っている。「麻原はオウムを創設する前に、阿含宗など様々な宗教団体を渡り歩いた。新興宗教には解脱を説きながら、いざ修行しても何も起きないという空虚感がありがちです。

    麻原は宗教渡り鳥の経験があるから、その果実を与える大事さを知っていたのでしょう。そのうえでハルマゲドンという世界最終戦争の到来を予言し、"時間がない。救済への道を急ごう。さもなければ、世界は崩壊する″と、不安を煽ったのです」。 いかにACSに導く技法レベルが高くとも、信者がファースト・コンタクトで拒絶反応を起こし、修行に入らなければ元も子もない。

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    この点については前出の精神科医片田氏は以下のように解説する。「麻原は巧妙な催眠術的手法を用いています。彼は盲学校を卒業後、東大進学を目指したが挫折した。この時の屈辱感から、自己愛を傷つけられた人間がどんな心情に陥るかを体感的に分かっていた。一方、人間とは子どもの頃、サッカー選手やノーベル賞を獲るような科学者になりたいといった夢を描くもの。

    普通は成長の過程で厳しい現実と折り合いをつけるのですが、オウムに入信した高学歴信者には、この『幼児的万能感』を諦められない人が多かった。医師であれば、救えない患者に出会う場面は必ず訪れ、そこで無力感に苛まれます。麻原はそういう悩みを抱えながら近づいてきた人たちが、どういう言葉をかけてもらえれば、救われるのかという洞察力に長けていた。

    "君の能力はオウムにいてこそ役に立つ″などと持ち上げ、囁かれれば、『万能感幻想』が満たされます。それを求めて、彼らが自ら教祖を神格化した。麻原の対人操作能力に踊らされたのです」。要するに彼らは麻原におだてられて木に登ったブタといい方もできよう。自己の軌道を持たず、他人の口車に支配される人間は、少なからず先行き不安を抱えている。

    もっとも、人間である以上不安を抱えない者などいない。しかし、言葉巧みに言い寄ってくる人間を信じる、信じないの違いは頭のよさというより、原体験の多さも重要である。人は何かを知っているようで何も知らない。そのことに謙虚であるべきだが、なまじエリートとして多少なり他人からちやほやされた人間は、「自分は頭がいい」という自負心がどこかにある。

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    数学ができ、受験英語ができ、物理や化学ができて、テストの成績が良ければ周囲からも崇められ、自らも錯覚する。科目なんてのはすべて解答のある問題だから点数化できるのであって、本当の頭の良さというのは点数化できない、答えのない問題に答えを出していくこと。受験学力エリートというのは、クイズの答えを知っているのと何ら変わらない知識の量。

    それプラス知識の記憶力。それを頭の良さと思う人はいるだろうが、原体験の希薄な人間の特徴は、根拠のない想像で物事を判断する危険性がある。勉強のできる秀才と、原体験をたくさん持った無学の老人とでは、比べ物にならないほど前者が頭でっかちである。「頭でっかち尻すぼみ」という慣用句があるが、これは別の慣用句、「竜頭蛇尾」と同じ意味。

    「自分は竜だ。と思っていたが実態は蛇だった」ということだ。誰が考えた上手い言い方で、おそらくその手の人間を目の前にして思いついたのだろう。エリートというのは一瞬のものでもある。財務官僚たちが、つまらぬことで失脚するのを見ながら、彼らはいつまでエリートだったのかと考えさせられる。つまり、学歴エリートというのは、実態的に虚像なのかもしれない。

    誰が彼らにエリートという虚像を植え付けたのか。エリートはエリートとして持ち上げられるからエリートである。有名人という言葉も似たようなもので、有名人とは有名であるから有名人であり、無名の有名人などいない。「かつての有名人はどこに行った?」というのとは意味が違う。有名人が有名人でなくなるのは、有名人を作り出した力がその人物を破壊していく。

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    破壊されたエリートは本当にエリートだったのか、虚像に過ぎなかったのか。エリートを作り出した力によって自らが破壊されたと自分は見る。人間の肩書は案外と一過性のもの。自分は子を持って父という肩書と役割を得たが、子どもがすべて30歳を超えて独立すれば、不要な肩書は呼称として残るだけ。ただの呼称なら、「お父さん」以外の呼び方がむしろ面白いか…。

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    オウム事件は超高学歴エリートたちの多さが特筆され、誰もが「なぜ?」という疑問を抱いたように自分も同じ疑問を持った一人だった。がしかし、エリートという言葉を直視すれば、エリートとは、社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のことであるなら、彼らはオウム真理教という組織の中でエリートだったに過ぎず、社会のために何の役にたっていない。

    別の見方として、現役の医師であり、東京大学医科学研究所を経て医療ガバナンス研究所を主宰する上昌広氏は11日、「オウム真理教事件は受験エリートの末路」と記している。有名大学卒という高学歴所有の彼らが、社会の中で優秀とされる指導的役割を持つエリートどころか、彼らは社会で挫折し、見切ってオウム真理教に入信と理解する。出家であって挫折ではないというが…?

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    宗教に身を投じるために物理や化学を専攻し、あるいは医師免許を取ったわけではあるまいが、東大出の芸能人もいれば、東工大卒のフォークデュオ、慶大出の漫才師もいたり、それを挫折と思うか否かは本人の意識。他人がどう見るかそのことは問題ではない。さらにいうなら、理学部や法学部を出て営業や事務職のサラリーマンなど珍しいことではない。

    オウムの高学歴信者も、学歴欲しさに大学に行ったと思えばどうということもないが、「オウム真理教事件は受験エリートの末路」を書いた上氏は自身の経験を元に、「(オウムに入信した高学歴信者たちの)背景にあったのは、リアリティーの乏しさ。私と入信した友人を分けたのはわずかな差だった」と振り返る。上氏も実はオウム真理教に少しかかわっている。

    高校(神戸市の灘高校)、大学(東京大学)の同級生の中に幹部になった人がいたという上氏。特にI君とは仲が良かった。彼は真面目で信頼できる人物だった。医学部時代や研修医のころ、I君からはしばしば電話がかかってきた。夜中に私のマンションまで車で迎えにきてくれて、南青山の教団の道場にお邪魔したこともあり、カレーとジュースをごちそうになり、勧誘もされた。

    自分たちの担当は井上嘉浩元死刑囚だったという。「当時、NHKスペシャルでチベット密教が取り上げられ、私も関心があったので番組を観て、その後出版された本も読んだ。I君らの主張は基本的に番組で報じられている内容と同じだった。私はチベット密教という権威に抗いがたい雰囲気を感じた。I君と井上氏からは、富士山の裾野で修行しようと何度も言われた。

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    「信頼する友人がいるのだから、一度だけ行ってみようか」と何度も思ったが、最終的に私は行かなかった理由は彼らが、『剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる』と言ったことにある」。高校時代から剣道をやっていた上氏は自信のあった剣道で挫折経験がある。大学にも強い選手は多かったこともあって、上氏は当時、「剣はしょせん膂力」と考えていた。

    「膂力(りょりょく)」とは、人間の力、腕っぷしの意味で、それからしてオウムの主張はリアリティーのない机上の空論に感じたという。将棋の羽生竜王も、「天才とは努力し続ける人のこと」といった。数日前には若手の実力者永瀬拓矢七段が、「将棋に才能はいらない。必要なのは努力のみ」といった。ある有名なピアニストも、「才能だけでピアノは弾けない」といった。

    負けても言い訳の多いプライドの高い相手に、「プライドで将棋が強くなれるんか?」といったことがある。「努力にプライドは無用だろ?」との意味だったが、言われてむっと来たなら仕方がない。「味噌も糞も一緒」という慣用句を自分は好まない。味噌と糞は違うし、言葉や情緒に溺れることなく、その違いをハッキリ認識し、自らに言い聞かせるべきである。

    上氏にはそれがあったことでオウムと縁が切れた。「剣は膂力」という持論を疑わぬ人間が、取って付けたようなことを言われても逆に不信感を抱くことはいろいろな部分やに存在する。「気のエネルギーで接触しなくても切れる」などの言葉は、「気のエネルギーがあれば将棋で相手を負かされる」と言ってるようなもの。こんなまやかしを信じる人間、信じない人間の差であろう。

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    自分が上氏でも、そんな世迷いごとをいう君とはおさらばする。勧誘というのはとかくしつこいもので、こちらが曖昧な態度を見せたり、優柔不断であったりすると付け込まれる。バカな奴だと思ったた理由を告げずにおさらばすればよい。友達が自分にどう接してきても友達ではなく、無用と感じた時点で切るべきである。強い意志というより、当たり前のことだ。

    「人に振り回されない」、「他人に自分を支配させない」、「己の信ずるままに、おもねず、なびかず」自身の信じる美と酔狂に殉じればよい。こういう生き方をすれば、人間の浅はかな行動がたちどころに見えてくる。人を見る目というのは、こうして身に着けていくものだろう。自分を信じるという自信は大事である。無知な自分ではあるが、他者妄信よりはましである。

    権威や肩書に左右されたり、翻弄されることのない自分を作るためには、まずは非権威から始めるのがよい。権威があってもバカなことを言う人、無学・無教養の人でもいいこという人には耳を傾ける。そうしたリベラルな考えでいればそうそう迷うこともない。日本人の世間体感覚は、ともすれば他人から利用され易い。他人の目を気にして牢獄に這いつくばる必要はない。

    他人を蔑むから、自分が蔑まれぬように躍起になる。だったら他人を蔑まないことから始めたらいい。自分が理解できなかったのは、「教育ママ」という種族であった。なぜあれほど受験勉強を強いるのか、なぜにバカと揶揄されながらも、教育ママは出現するのか。その理由がまったくわからない時期があった。今はそんなことは簡単明瞭に理解もし、説明できる。

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    ようするに、「教育ママ」とは理由ではないということ。そんなのはバカげた理屈であることくらい、彼女たちにとっては百も承知である。が、彼女たちはどんなに理屈がわかっていても、感情優先の女であるがゆえに教育ママになる。「蔑む」という感情を身に着け、「蔑まれない」ようにとの必死のあがきというしかない。男は感情を理性で食い止めるからこそ男である。

    人を蔑むという感情は、理屈抜きで存在するがゆえに、理屈で分かっていてもどうすることもできない。それが、「女」という性の致命的な欠陥といえる。彼女たちは幼少時期のいつの時点で、「蔑む」学習をしたのだろうか?「傷つけてごめんなさい」という言葉を女性からしばしば発せられた。勝手に何かをいい、勝手に相手が傷ついたと思い、勝手に詫びる女の滑稽さである。

    意地悪女が、意地悪をし、謝罪でいい子ぶるという図式。一人で何役も演じる女である。男も簡単に傷つくものと思っているようだが、女性にも、「いわゆる強者」と、「いわゆる弱者」がいて、その違いを説明するなら、女の涙にも強者の涙と、弱者の涙に分けられる。「いわゆる強者」の涙とは、悔しくて口惜しいから歯をくいしばって我慢をし、一人になって泣く女である。

    それに比べて、「いわゆる弱者」の女性は、人目を憚らずワァーワァー泣くが、一人になるとケロっとしている。ニヤニヤうる女もいたりする。つまり、「いわゆる弱者」には意地や誇りなどがない。この世のすべてのものが、自分の役に立つか、生活に利用できるかと功利主義的に考える。だから、「いわゆる弱者」の女というのはしたたかで、本当は強い女である。

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    「いわゆる」という連体詞は、「世にいわれている」、「いうところの」という意味であるから、実態とは違うことになる。「いわゆる弱い女」とは、本当は違っていたとしても、「弱い女」と見られている。「いわゆる真面目男」が変態だったというようなものだ。人は人のことなどわかっちゃいないということだが、人は少なくとも実体験から人について学んでいく。

    麻原の元に走った多くの高学歴信者をインテリと称されたが、インテリの本来的意味からすれば彼らは、「いわゆるインテリ」である。インテリの悲哀とは、自分より無学な者にこき使われる無念さであろう。そうした誇り高きプライド保有者たちをインテリ気質という。実体的にインテリでなくてもそういう枠づけになる。オウムのインテリたちも社会のあぶれ者だった。

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    インテリ気質にいうところの高邁な自尊心所有者は、使う側から見ても、「哀れ」というしかない。「仕事もできない、機転も利かない、率先して動くこともないただの指示待ち人間でありながら、プライドだけはいっちょ前の頭でっかち…」との印象である。インテリまたはその原語であるインテリゲンチャとはロシア語である。知識階級とも訳されるが、早い話が勉強馬鹿のこと。

    大学を出た彼らの就職先の上司や先輩を見下すことはあったろうし、彼らが理想と思い描く社会への反感と苦渋が、麻原のような人畜無害の人間を拠り所としたのかもしれない。自分は彼らを怠け者の類という見方をしている。つまり、石にはいつくばっても社会の荒波の中で生きていこう、生き抜くんだという人間としての地道な努力に対し、ウンザリ感があったのだろうか?

    自分たちが躍起になった受験勉強の果てがこういう社会だったのか、そうした挫折感があったものと推察する。勤め人には、「五月病」という言葉がいわれるが、正式な病名ではなく、五月の黄金週間のある日本にだけ言われる虚脱感の比喩である。学生気分からの変化疲れが要因ともいわれる。人間は基本は怠け者だから、かのヒポクラテスが紀元前400年頃にこの病気に言及している。

    彼は、「サタンの仕業だ!」といったというが、こうした非科学的な思想は、いつの間にかかき消されていった。「石の上にも三年」という言葉は、とかく社会は辛抱するところという教えであろう。が、理想意識が強い者や自尊心が高く忍耐力に欠ける者は、自力で変えられない社会から逃げ出すことを考える。しかし、職を失いことは食を失うことゆえに不安は否めない。

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    そうした不安を一掃し、自分がすべてをかけられるもの、信じるに値するものが見つかったときの人の行動はさまざまである。拠り所とする対象を英雄と仰ぎみるようなヒーロー待望論の時代に合致したように麻原彰晃は出現した。すべての始まりはこの一冊という本がある。以下の文言は、1986年に出版された麻原彰晃著『超能力「秘密の開発法」』のはじめの言葉である。

    「驚かないでほしい――これが本書を手にしたあなたへのお願いである。本書には知られざる超能力の世界が広がっているのだ。超能力といっても、知られざるとわざわざ付け加えたように、普通考えられるような力だけではない。まず、本書の口絵の写真をご覧になっていただきたい。わたしの身体が宙に浮いているのを確認することができるだろう。これはトリックなど使っていない。合成写真でもない。

    空中浮遊と呼ばれる超能力の一種なのだ(1986年1月25日撮影)。重さのある肉体が重力の束縛から解き放たれて宙に浮くというこの超自然的な現象を、現代物理学で説明できないのはもちろんである。(中略)。わたしは、以前は超能力者ではなかった。ごく普通の人間だった。ふと人生に疑問を感じ、真実を求めて試行錯誤を繰り返すうちに、超能力を獲得する秘伝に巡り会ったのである。その秘伝を今明かそう、そう決心した…」

    この一文を読んでどのように感じるかは人によって大きな差があるだろうが、つまり、オウムの問題の本質は、宗教的な教義がどうのこうの、マインドコントロールがどうのこうのという前に、麻原の同著が信者を増やしたきっかけになったのは事実であり、同著はまた信者にとっての必読の書でもあった。ということは、今回死刑を執行された6人も麻原を超能力者と信じていた。

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    1980年代とは「超能力」の時代である。ユリ・ゲラーが頻繁にテレビに出演し、超魔術をうたったMr.マリックもテレビでどんどん有名になっていく。1989年、日本テレビ系『木曜スペシャル』でMr.マリック単独の特別番組の放送が始まり、28%を超える視聴率を獲得した。彼は、「超魔術」、「ハンドパワーです」、「きてます!!」の言葉で、一大超魔術ブームを巻き起こした。

    社会がブームを作り、ブームはまた社会を席捲する。1986年の流行語で最も印象的な言葉は、「新人類」と、「亭主元気で留守がいい」である。ヒーロー喪失の時代とは、父性喪失の時代でもあった。日本で「父の日」が行事化されたのも1980年代になってからで、それを助長させるような時代のムードがあった。「亭主は粗大ゴミ」という言葉は評論家の樋口恵子が紹介した。

    日本語俗語辞書によると、「『粗大ゴミ』とは定年退職後の手間がかかり邪魔な夫に対する嫌みを込めた例えで、評論家の樋口恵子が主婦から聞いた粗大ゴミという表現を1981年に新聞で紹介したことから広まった」とある。『拝啓「粗大ゴミ予備軍」殿―30代・40代夫婦の生の声』といった書籍も発刊され、主婦たちの夫に対する「粗大ゴミ」コールが過熱した時代である。

    オウムに入信した信者たちの社会に対する苦渋と、ヒーロー待望論の証としての麻原という人物を、宗教家を装っただけの山賊の親分と見抜けなかったことが信者の人生を狂わせた。国家転覆を狙った麻原の霊言に操られ、無間地獄への道を辿った山賊集団の末路は、国家によって命を奪われることだった。拠り所とした相手を間違ったのは如何とももいえど自己責任である。


    「信者」というのは、信じる者のことをいう他に意味はない。「これはトリックではない。合成写真でもない。空中浮遊と呼ばれる超能力の一種。重さのある肉体が重力の束縛から解き放たれて宙に浮くというこの超自然的な現象を、現代物理学で説明できないのはもちろんである」。この程度の言葉で、なぜ超能力や空中浮揚を信じてしまったのか、と疑問を持つのが良識である。

    ところが、疑問を持たずに信じた人たちが信者となった。つまり信者は疑問を持たない人たちだったということ。前出の上氏は、「剣の達人になれば、気のエネルギーで接触しなくても切れる」と言われて不信感を抱いたというが、人間の差というのはあることを「信じる」、「信じない」というものである。神を信じる人、幽霊を信じる人と信じない人の差でもある。

    神を信じない自分はどこの誰が何を言おうが、この目で見ない限り神を信じることはないが、麻原の空中浮遊を見ないで信じた者は、当然にして自己責任である。当時、麻原の空中浮遊の写真はインチキとされ、「オウム被害者の会」の弁護士自らが同じ写真を提供した。にも関わらず、オウムの信者たちはそんな声に耳を貸さず、麻原を信じたのはヒーロー視という呪縛である。

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      これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか?
     信じるものがあったとしても 信じないそぶり

    吉田拓郎の『イメージの詩』は、シングル『青春の詩』などと共に、「広島フォーク村」時代に製作した楽曲で、同世代の人間もしくは世代を超えた人たちにも、少なからず影響を与えたろう。冒頭に歌われる歌詞の一節だが、当初から素朴な疑問だったのは、なぜ、「信じないそぶり」をしたのかである。こうして歌詞をよく見ると、「信じる」と、「信じれる」の違いに気づく。

    「信じれる」は、「信じる」の未然形である、「信じ」に可能の助動詞、「られる」がついた、「ら抜き言葉」である。「信じる」と、「信じ(ら)れる」の違いを分かりやすくいうなら次の文章が適当か。「自分を信じるゆえに、相手を信じられる」。できるかできないかではなく、するかしないか、これが、「信じる」に能う。ならば、「信じられる」は、できるかできないかということになる。

    「信じられるものがあったとしても、信じないそぶり」の意味を考えると、「信じれるものがあって、それを信じたいけれども、猜疑心もあってか全面的には信じられない。そうそう物事を簡単に信じていいのだろうか?」という用心さが、「信じないそぶり」ではないかと…。信じてはいるのだが、対外的に軽薄に見られたくない。だから、信じないそぶりをするのだと…。

    「お前はそんな(アホな)ことを信じているのか?」と言われたくない気弱さも見え隠れする。拓郎は案外と小心者のようだ。まさに、「文は人なり」である。信じられるものがあったなら信じればいい。信じないというなら、信じられるものでないということだが、「信じられるものがあるのに、信じないそぶり」という行為は、どこかニヒリズムの臭いが漂っている。

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    ニヒリズムとは、「この世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場」である。この立場でいうなら上の言葉は、「どうせ信じたって無駄でしょ」という風にとれる。「それでも信じたい」というのも人間の情念である。オウムの信者たちは、「信じられる」ものを信じたのだろう。

    有神論者が、「幸福は神から授かり、不幸は神の行為ではない」の言い方に笑ってしまう自分である。「占いもいいことだけを信じる」という女性がいるが、同じ言い方に聞こえてしまう。幸福も不幸も、幸運も不運も、神とは何ら関係ないところで起こるとしか思えない。ならば運とはなに?「運」とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指す。

    「運」と神の関係もないと思っている。自然に起こる事象を、人間が都合のいい解釈に置き換えて、「運」、「不運」と言っているに過ぎない。例えば、1000人の中からくじで生贄に選ばれた少女を不運といい、1000人の中で一等賞が当たった人を幸運という。自然の中で偶然に起こったに過ぎないことを必然と考えたり、人間の都合という解釈が、「運・不運」を決めている。

    「信じる」、「信じない」は善悪というより選択だから、麻原を信じる選択をした者たちは、如何に行為を悔いたところで責任は自分にある。「人がこうしろといったからした」という言い訳は、子どもなら許せても大人が言えば笑止であろう。まあ、子どものときでさえ、「お前は人が死ねといったら死ぬんか!」と言ったりしたが、男の言い訳ほど見苦しいものはない。

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    「親バカ」という方便で自分を甘やかすのを戒めるのが、正しい親の在り方だと思っていた。子どもへの厳しさは、親自身への厳しさと考えていたから、心を鬼にしなければ実行はできない。子どもに嫌われたくないとか、子どもの喜ぶ顔を見るのが癒しになるという気持ちは捨てた。そういう自己啓発が親に必要だった。子どもに、「好かれない」を前提にやるのは楽な仕事ではなかった。

    どんな子どもも自ら成長して親になれば、親がどういう気持ちで自分に厳しく接してしていたかを知ることになる。分からなくてもいいが、分かる子どももいる。「分からなくてもいい」とは、済んだことだからで、後になって感謝されてもどうということはなく、大事なのはその時その場のこと。昔の恋人に再開し、「あの時ああだったのね」と誤解が晴れるのと違って親業は仕事である。

    第一回共通一次試験は1979年1月に実施され、彼らを偏差値世代といった。オウム信者では上祐史浩が該当する。上祐は『宇宙戦艦ヤマト』と超能力好きな少年で、早稲田大理工学部卒業後は、特殊法人宇宙開発事業団に就職するも、1ヶ月で退職しオウムに出家した。村井秀夫は上祐より4歳年長だが、彼もSF少年で、望遠鏡で星を観察したり、超能力に興味を抱く少年だった。

    真面目な村井は、大阪府立千里高等学校ではただ1人無遅刻無欠席を成し遂げ表彰され、卒業後は大阪大学理学部物理学科にトップ合格、X線天文学を専攻し、大学院を出て神戸製鋼に入社、金属加工の研究に携わるが、会社にも家庭にも生きがいを感じなかったという。麻原彰晃著『超能力秘密の開発法』に感銘し、1987年オウム大阪支部を訪れ、翌日会社に辞表を出した。

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    これまで述べていなかった上祐と村井の経歴を書いたが、彼らにとって、「これこそと信じるもの」がオウムであった。元信徒らの発言や手記をたどると、神秘体験などの好奇心や仕事への絶望感から入信後、「ここにしか真実はない、自分たちの居場所もない」と思いつめていったようだ。宗教の魔力とはそういうもので、脱会することはすべての自分を否定せねばならない。

    改宗も脱会も勇気のいること。かつて、「エホバの証人」信者の脱会に携わった時に発せられた信者の言葉や慟哭は、悲壮感漂うものであった。信じる宗教こそが彼らの生きることの絶対善であり、彼らにとっては宗教というのは、生活の中で呼吸する空気のように必要不可欠なものとして根付いており、「宗教を辞める」という概念すら思いつくことはなかったようだった。

    生きるために必要な水や空気と同じ概念だから、「脱会=死」を意味することになる。これほどの世界の存在を傍から見るだけで、恐ろしい世界であるのが感じられた。宗教の狂気性は信者以外には歴然だが、狂気の教義に染まった信者たちには、狂気の概念がまったくない。「洗脳」とは、「brainwash (脳を洗う)」の日本語訳であって、「洗う」に特別の意味はない。

    英語の、「wash」は、「瓶などの中を洗う」という意味がある。脳を容れ物に例えてその中を洗う(それまでの考えをなくさせる)という比喩として使われているのかも知れない。日本語的な意味での、「洗脳」なら、むしろ脳を洗ってきれいにするという表現に受け取れる。オウムの内部組織は省庁制を採用し、トップを〇〇大臣とするなど、おママゴト風にシステム化されていた。

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    システム界にあっては、システムに殉じることが楽である。システムの内部に居る者は外から眺めることはできない。ばかりか、システムを攻撃する者には巣を荒らされたスズメバチの大群のように襲い掛かる。彼らはいかなることがあろうと、システムにしがみつく以外に自己の存在証明を得ることはない。理解不能なオウムだが、その程度の信者の心情は理解できる。

    上祐史浩は、「麻原の空中浮揚はヤラセ」と発言したのが2012年。麻原の『超能力「秘密の開発法」』が1986年発刊だから26年も経っている。「最初から嘘と見抜いていたが、当時は言えなかった」と調子のいいことを抜かす、「ああいえばジョーユー」のような御都合主義男は信用できない。「自分はバカではなかった」と言いたい彼のしょぼい自尊心が醜い。

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    麻原ら7名の死刑執行がなされて10日を過ぎた。不思議なものでそのことがだんだんと薄れていくのは、日々の日常の移り変わりからすれば不思議というより真っ当なことだろう。大雨により被害も甚大で、広島県だけでも死者は108人となった。死刑もさることながら、崖崩れや河川の氾濫という自然災害で命を落とす人もいるのかと、いたたまれない気持ちに襲われる。

    自然災害や交通事故や病死や死刑しかり…、様々な死者の報に触れるが、こうした場合に我々は死を直接見るではなく、死の報から知るということになる。直接目にする死より、報じられる死がほとんどである。肉親の死、知人らの葬儀にでけた場で体験する死は圧倒的に少ない。数日前だが、イノシシの子どもがクルマに跳ねられたのか、道路わきに置かれていた。

    道路上でクルマに跳ねられた動物や、飼っていたペットの死に遭遇することもある。生きとし生けるものはすべて死ぬという事実を知識として得ている。このブログのテーマは様々だが、始めたきっかけは遺書替わりであった。他界した父が何か書き留めていたものがあったなら、読めば思い入れもあろうと、そんな気持ちで始めて10年が経った。今なお家族には内緒である。

    炎天下の中、災害の爪痕の片付けは大変のようだ。家が壊れたり、水につかったりで2000人近い人たちが避難生活を強いられている。災害を前に、自然というのは何と無慈悲であるのか?そんな思いも過るが、実際は自然に慈悲も無慈悲もない。こんにち「飢饉」という言葉は死語だが、飢饉で作物が実らず、雨乞いもした。そんなときの雨は、「慈雨」といわれた。

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    日照りが続けば雨を望み、豪雨が続けばそれとて困る。ついつい自然の慈悲の無さを責めたくもなるが、自然には慈悲も無慈悲もない。起こったことは起こったことに過ぎず、それだけのことだ。麻原ら7名の死刑執行には、国の内外からは戦後最大規模の死刑執行であると衝撃が走った。それにしてもなぜ、死刑執行に対する非人道的との批判は起きるのだろうか?

    欧州連合(EU)加盟28カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスは6日、今回の死刑執行を受けて、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」などとする共同声明を発表した。そのうえで、「日本には、引き続き死刑制度の廃止を求めていく」とした。

    EUは死刑を、「基本的人権の侵害」と位置づける。欧州で死刑を執行しているのはベラルーシのみで、死刑廃止はEU加盟の条件になっている。加盟交渉中のトルコのエルドアン大統領が2017年、死刑制度復活の可能性に言及したことで、関係が急激に悪化したこともある。法制度上は死刑があっても、死刑判決を出すのをやめたり、執行を中止していたりの国もある。

    ロシアでは1996年に当時のエリツィン大統領が、人権擁護機関の欧州評議会に加盟するため、大統領令で死刑執行の猶予を宣言、プーチン大統領もこれを引き継いだ。2009年には憲法裁判所が各裁判所に死刑判決を出すことを禁じた。韓国では1997年12月、23人に執行したのを最後に死刑は執行されていない。2005年には国家人権委員会が死刑制度廃止を勧告した。

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    今回の死刑執行を伝えた米CNNは、日本の死刑執行室の写真をWebに掲載。「日本では弁護士や死刑囚の家族に知らせないまま、秘密裏に死刑が執行される」と指摘した。ロイター通信は、「主要7カ国(G7)で死刑制度があるのは日本と米国の2カ国だけだ」と指摘。日本政府の2015年の調査で、国民の80.3%が死刑容認を示す一方、日弁連が2020年までの死刑廃止を提言していると報じた。

    自然が起こすことに慈悲も無慈悲もない。自然に感情はなく、人間がそのように解釈するだけだ。人間界で起こることにはどうやら慈悲や無慈悲がありそうだ。人間が感情の動物であるからで、死刑制度廃止は世界の潮流でありながら、他国から非難されながらも死刑制度を継続する日本人は無慈悲な国民なのか。自分も容認賛成であり、80.3%の中の一人である。

    では、「死刑は廃止すべき」との回答は9.7%で、「裁判に誤りがあった時、死刑にしたら取り返しがつかない」(46.6%)、「人を殺すことは刑罰であっても人道に反し野蛮」(31.5%)、「死刑を廃止してもそれで凶悪犯罪が増加するとは思わない」(29.2%)、「凶悪犯罪者でも更生の可能性がある」(28.7%)などとなっている。死刑容認を支持した人が挙げた理由は以下。

    「死刑を廃止すれば、被害者やその家族の気持ちがおさまらない」(53.4%)、「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」(52.9%)などとなっている。死刑という刑罰についての批判や意義はいろいろあろうが、「人の命を奪ったら命をもって償うのが当然」という報復論とは別に日本人の、「死をもって償う」という謝罪を信奉する。阿南陸軍大臣は、「一死大罪を謝す」と腹を切った。

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    己の身勝手で人の命を奪っておきながら、「死をもって償う」という自省に至らぬ人間に対しては、国家がそれを命じるというだけのこと。本当は、主体的に率先して死を所望すべきところだが、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というのが人間である。殺された被害者の声なき声を加害者は、死刑判決を受けて刑が執行されるまでの期間内に感じ取って供養すべきではないか。

    先に執行された7名の死刑囚にあって、広島拘置所で執行された中川智正は、最終意見陳述で、「一人の人間として、医師として、宗教者として失格だった」と謝罪した。中川の母は、「あの子がいつこの世からいなくなったとしても当然だと思っています。償いはそれしかありません。いえ、そんなことをしたって償いにはなりません。執行後に迎えに行きます」と述べていた。

    中川智正母子に見る、「覚悟」という態度が好きだ。「好き」とか、「嫌い」とかは、言葉的には単純であるが、人間というのは、「好き嫌いこそがすべての始まり」ではないかと考えるようになった。「好き」なものも、「嫌い」なものも、大事であるということ。「息子はいつ死んでもいい」といった母、智正も手紙で交流の相手に、「死ぬ覚悟はできている」ようなことを述べていた。

    諦観のように聞こえるが、「もう死んでもいい」というのは見方を変えると情熱である。そういう見方さえできるようになった。カミュの『異邦人』に、「不条理とは、死にたくないのに死んでいかなければならない人間のありさまである」という行がある。人間が生きていることの幸福を感じ取ることは、死にたくないということにつながらない場合は、どういうときであろう。

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    本当の幸福を感じ、味わっているとき人間は、「もう死んでもいい」と感じても不思議でない。それほどの感動と体験を味わえるのは素晴らしい。中川の母の言葉には息子に対する悔いというより情熱こそ感じられる。「長男なのに生きてるときは何もしてくれなかったんだから、あの世で世話をしてもらいます」。こういう心情は、男親には到底理解できない母の情熱である。

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