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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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  • 12/08/17--16:44: 「忍ぶ川」の志乃
  • 中三の卒業記念の寄せ書き帳に、全学年トップ成績(であっただろう)の才媛Kが、自分の差し出すノートにこう書いた。「想い出は美しいもの切ないもの、一人寂かに忍ぶもの」。忍ぶは偲ぶではなかった。当時はまだ、「偲ぶ」という漢字はあまり見なかったが、さすがにKは書くことが違うなと思った。何度も読んだが、中3当時は的確に意味を理解していたと言い難い。

    諺としても見たこともない言葉女であり、女性しさも感じられた。「偲ぶ」は人を思うと書くが、「忍ぶ」は忍耐の「忍」であるからして、辛いことを我慢する意味であるが、他にも人に隠れてこっそり何かをするという意味がある。「一人寂かに忍ぶもの」は偲ぶでなくとも美しい情景である。三浦哲郎の『忍ぶ川』は特別な何かもなく淡々と描かれる日常が美しい。

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    「忍ぶ川」とは東京・下町の小料理屋の名称であるが、そこの看板娘である志乃という女性を、三浦は理想像として美しく描いている。小説を読むまでもなく女性の真の美しさとは内面の美しさであることを疑う余地はない。三浦は志乃への理想を説明的な書き方をせず、理想とされる魅力の一切を行動によって描いている。ゆえにか彼女の一層の美しさに惹かれてしまう。

    新婚旅行の二人が雪国地方の風習として裸で床に入る有名な場面で、哲郎は志乃に、「寝巻なんか着るよりずっとあたたかいよ」という。哲郎の言葉に応じる志乃の凛とした佇まいが、奥床しき日本女性の美しさを漂わせる。自分にはかつて上越育ちの女がいた。雪のような白い肌の女性である。彼女を志乃に見立てて哲郎の言葉を言ってみた。彼女もまた従順であった。

    東北地方の夫婦は裸で寝ると、柳田国男の『遠野物語』に書かれている。下半身に下着をつけていると仲が悪いなどといわれるとも記されてあり、寒い地方ではすることもないから早々に床に入るが、床に入ってすることはひとつ。昔は性技堪能な女を、「床グセ」がついてるなどといった。ゆえにか、経験豊富であっても、控えて舞うのが女性の習わしだった。

    女性は控え目であることが、「良し」とされた時代、処女信仰が蔓延っていた時代の話である。「昔の女は良かった」というとき、男の多くは控え目で従順な女性をいった途端、「おやじの懐古主義」と若い子に罵られ、愚痴をこぼす。「だったら、昔は良かったでなく、昔は面白かったといったら?」と知人に言ったことがある。若い子にやり込められるおやじの憐れさよ。

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    昔を良しと言うから疎まれるのではない。話し方や表現に感性の低いおやじ的な物言いが敬遠される。自らを古い世代人という枠に押し込んだ物言いは自分が聞いても小汚い。自分も古い世代のおやじだが、若者と居る時は同じ線上にいる気さえする。幼児に接する母が自然と幼児言葉になると同じ意識であり目線である。世代ギャップは、「ある」より、「作られる」。

    世代断絶の存在を否定しないが、ギャップを積極的に感じる必要はない。上記の才媛Kがいうまでもなく、想い出は美しく彩られることが多い。遠く過ぎさりし夢の世界のようだ。夢は美しい方がいい。途中で目が覚め得ても、つづきを見たくて寝直したいような夢がいい。『忍ぶ川』は度々映像化され、映画にもなったが、栗原小巻の清楚で美しい志乃が脳裏にある。

    哲郎と志乃は深く結ばれる。哲郎が、「忍ぶ川のお志乃さん」と囁くと志乃は、「もう忍ぶ川なんてさっぱり忘れて、明日からは別の志乃になるの」と返す。別の志乃…、志乃はどんな志乃を描いてそういったのであろうか。小料理店忍ぶ川での志乃と哲郎はお女中と客という関係であったが今は夫婦であ。店じまいの時間もなければ、日々寝食をともにすることになる。

    客から夫へ、お女中から妻となれば役割もちがう。二人はひたすら愛を深めていけばいい。プラトンは著書『饗宴』のなかで、「愛(エロス)とは美における生産である」といった。哲学者は難しいことをいう。『饗宴』はエロスについて種々述べているが、「美しいもの」が何?「善いもの」とは何か?。エロスが肉体の場合、男女が身体的に交わろうとすることをいう。

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    他方、「美しいもの」が精神の意味である場合、精神の場面で最も美しいものとは、「知」に他ならず、エロスとは、「知」を求めることを意味する。したがってエロスとは、「知を愛し求めること」即ち、「哲学すること」になる。したがってプラトンにとって、「エロス」とは「哲学」のこととなる。我々は心を惹きつけられる思想や感情の持ち主に出会うときに愛を感じる。

    そしてその思想や感情を自分のものとし、新たな自分に生まれ変わろうとする。また、顔かたちや身体的な美しさを所有する人を見れば、その人と結ばれ、自分の子どもを生みたい(生ませたい)という気持ちが起こる。これが愛であろう。確かに、心を惹きつけられることから男女の愛は始まるが、時を経て強く深くなる真の愛情は、二人の日々の生活中で育まれる。

    互いに助け合うことで、人間として成長していく過程で生まれてくるものではないか…。生きるということは良い事ばかりではない。勝ち負けや成功や失敗を体験する。いつも勝利し、いつも成功ばかりなどはあり得ない。であるなら、我々にとって大切なのは、負けたときや失敗したときに、その負け方や失敗の仕方が、立派なものであるべきではないか。

    人によってはズルい方法で勝利を得たり、成功したりする人もいるだろうが、そういう人は人間としての進歩や成長はできない。どんなに辛くとも、嫌なことでも、それが避けられないことであるなら、ありのままの自分でぶつかり、取り組めばよい。力も能力もないみすぼらしい自分であれ、ありのままの自分なら、すべてはありのままの自分から始まったのだ。

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    体面を気にしたり、背伸びをしたり、見栄を張ったりすれば、隠したり誤魔化したりする人間になる。ありのままの自分を出し、ありのままの自分を日々高める努力をすれば、自らに誠実になる。自身に誠実なら、他人にも誠実となる。能力が低いのは恥でもなく、素直に認めて能力を高めようと頑張れば必ず向上する。「足るを知る」ことがすべての始まりの一歩かなと…。

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    学童期というのはいつ頃までをいうのか?「童」の語句から考えてみた。「童」は「わらべ」、子どものことを言う。印象深いのはシューベルト作曲『野ばら』であり、日本では、♪ 童は見たり 野中の薔薇と歌われるが、ゲーテによる原曲の訳詞は、♪ 少年が見つけた小さな野ばら とても若々しく美しい。童が子どもなら、子どもはいつまで子どもなのか?
     
    子どもの定義や用法は一口にはいえない部分がある。子どもに限らず、胎児、赤ん坊、幼児、学童、少年、青年、成人、大人、壮年、老齢者といった用語は、すべて生物学的にも発達上の観点からも現実に対応してはいない。恣意的なものであろう。「青年を英語でblue ageっていうの?」と聞いた女がいた。young manでも、young peopleでも、youngerでも通じる。

    adolescenceは青年期、adultは成人と訳される。単語の語源は、ラテン語のad (~に向かって)と、olescere (成長する)から派生している。が、成長もまたキッチリと決まって起こるものでもなく、20歳をめどに止まるものでもない。成長は、生きることの必須条件だから、身体的にみても、成長はたんに大きさや重量や幅が増すという問題では決してなかろう。

    生きる限り成長はある。髪の毛が生涯にわたって成長し続けるのは明らかである。ある人達の多くはその一部分を失ったとし、つまりこれをハゲというが、他の部分はしっかり伸びるので散髪が必要だ。この世のハゲゆく人々は、「何でハゲるんだ?」と、素朴な疑問を持っている。持つのは当然、持って悪くはないが、持ったところで、知ったところで恩恵はない。

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    美人を美人といい、そうでない人を不美人という。ハゲはハゲというが、ハゲでない人を不ハゲとも非ハゲとも言わない。ハゲの人を、「ハゲ」というのは普通はためらわれるが、「このハゲ~!」と半狂乱で怒鳴る女性がいた。あれは印象操作であろう。前後の脈絡を省いて、言葉だけを取り出し、「こんなことをいう女です!」という秘書だった男の惨めな仕返しだった。

    ハゲ以上にみすぼらしい。不始末をしでかしながら怒る相手の言葉だけを取りげる汚い手を使うが、それに群がる人間はうんちにたかる銀バエか?女は言葉の動物である。もし被害者が男だったら、怒りにかまけて暴力をふるっていたかも知れない。暴力はダメというが、神は女に言葉を与え、男に力を与えた。力を与えたと同時に自制する理性も与えた。

    暴力は理性で止めるべきだ。ならば言葉の暴力はどうなのか?言葉の暴力を自制する理性は女にないと自分は思っているので寛容する。「女に理性はない」といわれてムカつく女がいる。だったら、言葉の暴力は止めることだ。同様に男で暴力をふるうのも非理性男というしかない。非ハゲ男はいいけれども、非理性男は脳の小ぶりな爬虫類男であろう。

    爬虫類は哺乳類に比べて脳が小さいゆえに凶暴といわれるが、科学的に正しく非科学的でもある。哺乳類よりもさらに大脳前頭葉の肥大した高等哺乳類は、なかでも人間は、自身を理性でコントロールしなければならない。いつ頃から言われ始めた言葉なのか定かでないが、「ハゲに悪人無し」といった。こうしたひとくくりにした慣用句は結構あるが、いずれも根拠はない。

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    「女性に理性はない」という自分も、勝手な独断である。が、これは諍いを防ぐためにである。そのように思っていればいちいち腹も立たない。バカを対等とみるから腹も立つのだから、「バカだから仕方がない」と思う方が自己の精神衛生上にもいい。「それって、人を見下してないか?」というが、常時見下しているのではない。バカがバカなことを言うときだけ。

    すべては怒りを自制させるための自己啓発法である。常時人を見下し、つまらぬ自尊心を引っ提げて悦に入っているなら羞恥であろう。争いごとを避ける時は、相手のレベルに自分を落とさぬのが良い。赤ん坊がわんわん泣き叫ぶのをみて、放り投げる男がいたが、この男は赤ん坊と同レベルの幼児、いや、乳児であろう。つまらぬことに腹を立てない生き方に勝るものなし。

    人は誰でも心の「師」を持っている。その人が職業教師である必要はないが、自分にとっては教師である。「師」にもいろいろあるが、教わる師なら人は誰も「教師」である。大百科事典に、「学童期」の用語解説として、「発達区分の児童期 (6~12歳)と一致する」とあった。12歳といえば6年生である。5~6年生の担任は金剛七五三子という女性教師だった。

    旧制師範学校卒の才媛であったようだが、才媛が人間性を伴っているかは種々の人間から違和感を抱いている。彼女に背中を思い切り鞭で叩かれたのは、今となってはいい思い出である。問題はその後の自分の担任に対する態度である。子どもは自分に正直であり、心を偽ることの利点を知らない時期でもある。だから、面白いもの、つまらない物には遠慮なく反応する。


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    授業の下手な教師は子どもにそっぽを向かれるのは当然だ。一部のおりこうさんの子どもが聞いているフリをするおかげてメンツを保っているが、自分などのような普通の悪ガキは、こんな教師の授業など聞いていられない。おりこうさんな子どもがいいのか、率直な悪ガキがいいのかは、その時点で判断されるより、その子の将来的な暗示を示すものだろう。

    「フリ」の得意なおりこうさんは、そのように生き、それができない悪ガキはそれらしく生きていく。鞭で叩かれた以降の自分は、何の遠慮もなく露骨にその教師に反逆した。それができたのは、母に対して同じようにそうしていたからである。おそらく自分はこの教師と今後一切口を開かないと誓ったようだ。そういう意地を持った童であった。それこそ「素直」の一字である。

    相手におもねる、媚び諂うなどは絶対にしないと、それを母親とのバトルで身に着けていた。金剛先生はあの時鞭で打ったことの傷をずっと引きずっていたのを自分は後に知った。彼女は卒業前のある日、自分を教員室に呼び、全員の文集を冊子にするためのガリ版印刷を自分一人に命じた。毎日放課後、暗くなるまで一人で鉄筆で蝋紙に向かい、インクまみれになった。

    それが教師の自分に対する心の謝罪であったのだ。女は一時的なヒステリーを起こす。「このハゲ~!」ではないが、そういうものも含めて女である。そうした一切のものを背負って生きてきた女性である。金剛先生が自殺した数年後、実家にお参りに行ったとき、母親からいろんな話を聞かされた。人が背負うものの大きさには目が向かないが、それらは必ず今に現れる。

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    実母も明治生まれの巌窟な父親に長女として厳しく仕込まれたゆえにか、逃げ場としての嘘の達人となる。みなが己の自尊心を守る術を身に着けるのだろう。小津安二郎に、『彼岸花』という名作がある。結婚適齢期を迎えた長女と父親の確執を描いた作品だが、彼岸花の花言葉の中に適齢期というのがあり、おそらく小津はそれを作品の題名にしたのだろう。

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    『彼岸花』は1958年製作・公開された小津の初のカラー作品である。自分がこの映画を気に入る理由は、以下の台詞のやり取りに見られる、娘の結婚相手を気にいらないと反対する父親に対し、真っ向立ち向かう娘の意志の強さを見るからだ。娘の突然降ってわいた結婚話に怒る父が、「許さん」と承服できない旨娘に告げるが、古い観念を娘は打破しようと抗う。

    大手企業の常務である平山渉(佐分利信)には、適齢期の長女節子(有馬稲子)の良縁に思いをめぐらしていたが、突然平山の会社に、谷口(佐田啓二)という男が節子との結婚を認めて欲しいと現れる。平山は急な話でもあるとの理由で、すぐに返事はできないと谷口を諭す。が、平山は仕事から帰ってきた節子にそのことを話すが、谷口は自分の行動を節子には話していなかった。

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    「谷口という男知ってるね?今日、会社へ来たが、お前はそのことを知ってるのか?」。父から聞かされた節子は谷口の独断行為に驚く。

    「お前と結婚したいといってるが、どういう知り合いだ。いつから知ってるんだ?」。執拗に尋ねる父に対して、節子は会社の同僚とだけ伝える。

    「お前もそのつもりか?どうなんだ!」と父の強い口調に節子は「はい」と頷く。

    「じゃ、なぜ今まで黙っていたんだ。なぜ両親に相談しないんだ。お前の縁談のことを心配してるのを分かっているはずじゃないか…。お父さんは賛成しない」。

    へそを曲げた父に節子は毅然という。「あたし…、自分で自分の幸せを探しちゃいけないんでしょうか?」。母親(田中絹代)は、「節ちゃん!」と父に歯向かう娘をたしなめる。言い終えるや否、節子は家を飛び出し谷口の元へ行き、父に会った経緯を聞き、今しがたの経緯を話す。谷口は、「そう、それでいい。」と、節子を讃える。谷口に送られて家に戻った後も平山は節子を責める。

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    「お前は、自分が軽率だと思わないのか?親にも相談しないで結婚を勝手に決めていいと思ってるのか?お前のやってることは間違ってると思わないのか?黙っていては分からないじゃないか!」。この時代の父の威厳たるや半端ない。節子は視線を落としたままじっと聞いている。平山の執拗さは増すばかりで、ついに節子は我慢ならず反抗の言葉を父に向ける。

    「そりゃあ、あのひとはお父さまがお望みになるような立派な家柄ではないかもしれません。が、それで不幸になるとは、わたし、思いません」。

    「お父さんにはそう思えないね」。

    「それはお父さまの考え方です。私は違います。私には私の考えがあります」。
    「どんな考えだというのか、いってみろ」。

    「いったって…、分かっていただけないと思います」。

    「なに!」声を荒げる父と娘の間でおろおろする母に向かって節子は言う。

    「お母さま、お父さまは最初からお幸せだったのよ。私たちはいい生活はできないかも知れないけど、できなくてもそれが不幸だとは思いません。私たちのことは、私たちで責任を持ちます。お父さまやお母さまにはご迷惑はかけません」。


    「でもね、節ちゃん」、母が口を開くが節子は、「もういいの」と制止し、溜まったわだかまりを抑えきれず、両手で顔を覆って泣いた。何という場面であろう。1958年製作とはいえ、良家の家庭とはこんな風に子どもうぃ躾けているのか?成人でありながた自分のことを決めるのにも親の許可がいるなど信じられない。娘の言い分は正当であり、筋も通っている。

    平山の発言の不条理は、親という不条理である。当時の良家の子女は親の不条理を受け入れていた。父の威厳が絶対的であることは、子の自由を束縛することで成り立っているに過ぎない。子どもが反抗すればもろくも壊れる父親の絶対的威厳である。なぜ逆らわないのか?そういう時代であったとしか言いようがない。結婚にまで親が口を出すのが当たり前だったのかと。

    家長制度に見る歪な家庭の在り方をしみじみと感じさせられる。親が決めた相手と一緒にさせるなど、なんともバカげた話であるが、それが当たり前に横行した時代である。恋愛に自由がなかったのは、家の重み、家柄のという体裁、親の見栄と欲目、そんなものであるようだ。自由主義者の自分には耐えられない。自由主義者というのは決して自分だけの自由を望まない。

    相手の自由を認めてこそである。妻の自由、子の自由、世の中のすべての人の自由を容認するからこそ、自分自身も自由を横臥できる。経済も思想も体制も自由であらねばならない。昔の家長(つまり父親)は、自分は自由でありながら妻・子の自由を認めないという愚かな制度の典型であり、戦後になってマッカーサーによって、「こんなものいらん」と捨て去られた。

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    妻が夫に依存し、子どもが親に依存するのは、多少なり不満はあっても不安はない。そういう観点から親に依存する男もいた。典型的なのが長男である。跡目を継ぐということで大事にされ、温室でぬくぬく育てられた長男に危惧の念を感じていたのは他ならぬ徳川家康もである。「総領の甚六」という慣用句がある。総領とは長男、甚六とはろくでなしの意味だ。

    また、伊藤野枝しかりである。彼女は自分の預かり知らぬところで親が勝手に決めた結婚相手と祝言はあげるにあげたが、それには親の都合という事情があった。野枝が東京の女学校に行くための学費を卒業まで引き受けるという約束を親同士が交わしており、その事情を縁談の事由として聞かされた野枝は式に臨むしかなかった。が、野枝は婚家には一晩だけ泊まった。


    新郎には指一本触らせず、新郎を捨てて福岡から東京に家出をする。家出というより、女学校時代に好意を寄せていた辻潤の元へ奔った。女学校時代に辻との男女関係はおそらくあっただろう。具体的な記述は散見されてないが、辻と東京・上野で開かれた青木繁の作品展に出かけた辻と野枝は、公園の繁みで骨も砕けんばかりの抱擁を辻から受けたと記している。

    親は親、子は子、親の都合は親の事、子どもに親の都合を押し付けたり被せるべきではないが、どうにも親は子どもの製造者という傲慢を捨てきれない。これをどう戒めるかか、親の最重要課題であろう。「分かってはいるけどできない」という親は多い。「分かってできない」のは方便であり、行為できない分かるは、分かっていないと自己批判をすべきである。

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    できないのに、分かっているなどと自分に甘んじるのは止めた方がよい。分かる努力、つまりできる努力をし続けるべきであろう。親が子どもを思い、考えて行為することが子どもの幸せだと信じる親も多いが、仮に自分がそのように親の言いつけに従い、それで幸せだったという充足感を得たとしても、子どもはまた親とは性格も考えも価値観も違うわけだ。なぜ一緒に考える?

    視野が狭窄的だからである。自由を与えて責任を子どもが取るという図式が、結果においてではなく、そのプロセスにおいて正しいと自分は考える。結果なんてものは事前に左右されないだろうし、だから歩留り論に気持ちが揺らぐのだ。子の人生は子が開くということを信奉すれば、乞食になったところで本人は悔いがないのではないか?親は自由を与えたと誇ればよい。

    節子のいう「貧しくとも幸せ」を許さない親の気落ちは物質的幸福から抜け出せない。平山の最後の言葉は、我が思いにならぬ節子への醜い抵抗である。「もういい、ほっとけ!とにかく俺は不賛成だ。若い女が外に出るとロクなことがない。2~3日家にいてとく考えてみろ」。「会社があります」と節子はいうが、「よせよせ、会社になんか行くことはない」。

    ここまでいう父である。節子は意を通して結婚に辿り着くが、式には出ないとひねくれオヤジなら出ぬがよい。婚礼写真に姿なき父の姿は、永遠の恥として晒しておけばよかろう。父に祝福されない結婚が不幸を招く理由などどこにもない。娘にバイ菌がついたと慌てふためく父など、今では漫才のネタにもならないが、小津映画の古き良き、いや悪しき時代に堪能する。

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  • 12/12/17--15:25: 彼岸花
  • やはりというか、映画『彼岸花』の記事を書いていた。2008年2月3日だから、9年と10か月前だからアバウト10年前となる。30年前、50年前でも自ら体験したことなら克明にとまでいわずともそれなりに覚えているが、ブログの記事執筆は体験と言わず、「10年ひと昔」に書いた記事は覚えていない。昨日の記事と比べながら読んでみると、いろいろ感じることもあった。


    前回の内容はレビュー主体で、今回は親に屈しない節子の谷口との愛の強さを主眼である。愛についての名言は多く、狐狸庵先生こと遠藤周作がいいことを述べている。「魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。 だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色の褪せるとき本当の愛情が生まれる」。最後のセンテンスはどういう意味か?

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    遠藤の言葉の出典は『愛する勇気が湧いてくる本』の中の一節、「愛とは苦しみを通して他人と結びつくこと。美しいもの、魅力あるもの心ひかれることは容易い。たとえそれが魅力を失い、色あせたとしてしても守り通すことが大切なのだ」であろうか?同様のことを他のエッセイにもあるが、「色の褪せるとき本当の愛情が生まれる」が、どの著書のどの箇所かは分からない。

    『沈黙』や『わたしが・棄てた・女』という小説で、「棄てないことが愛だった」というようなことを書いている。なるほど、棄てないことが愛というのはそうかもしれない。生徒を見捨てる教師、子どもを見捨てる親、女(男)を捨てる男(女)に愛がないようにである。ならば、「捨てる神あれば拾う神あり」はどうなのだ?拾う神はいいとして、神は人を捨てるのか?

    「捨てる人あれば、拾う人ある」なら分かりやすい。あえて神にしたのは、神が捨てる=よほどの事、という誇張した表現であろう。諺の意味は、どんだけ不運に見舞われようと、困ったことがあろうと、必ず助けてくれる人もいるので悲観してはならない。ただ、だれも救ってくれないこともある。信じて心を折らぬようにとの戒めであろう。自殺者は救いを求めていない。

    もしくは求めてはみたが、これといって身にならなかった。だから死んでいくのだろうか。死ぬということが解決だと思うのだろう。どうであるにせよ自分には自殺する理由は分からない。正確に言えば、「他人の自殺の理由が分からない」のではなく、自分が自殺する理由が見いだせないということ。他人が失恋してそれで自殺しても、それがその人の死ぬ理由である。

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    自分と比較はできないということ。何にせよ、他人と自分を比較しても大きく異なるなら、比較することに意味がないように思う。他人のおならが臭いとあれこれ言ったところで、自分の臭くないおならの評価が上がると思いたいのは自分だけだ。「隣の芝生は青い」という有名な諺があるが、とかく人は他人と自分を比べ、相対的評価をしがちだが、止めた方が良い。

    他人と比べての劣等評価だけでなく、優越評価もすべきでない。なぜなら、どれだけ自分が優れてると思ってみても、上には上が腐るほどいるのだから、「誰より勝っている」などは所詮、目糞・鼻糞である。将棋を指す人に結構いる。自分は誰より強いとえばる人。そういう人は、自分は誰より弱いなどといわない。理由が分かるから批判はしないが、本人には自分が見えていない。

    どの世界にも自分より上はいる。「足るを知る」のは人間の生きる基本だが、「余りを知る」という慣用句はない。当たり前だ、人にはいくらでも上がいるから、最上位者と比較して、「余りを知る」というなら立派である。子どものころに、「どんぐりの背比べ」という言葉を知った。子どもながらに比喩とは知らず面白いと感じた。栗は食べられるが団栗(どんぐり)は食べられない。

    硬いからではなく仮にやわらかくしてみても、タンニンやサポニンなどのアクの強い成分が多くて食用に適さない。しかし、秋になるとデンプン質に富んだ堅果を大量に落とすため、ツキノワグマやリスなどの動物 にとっては貴重な食料となっている。大量に落ちているどんぐりをみながら子どものころの自分は、これが食べれたらいいのにな~などと思ったりした。

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    子どもはなぜかどんぐりを拾い集める。以下はある随筆。「出口の方へと崖の下を歩く。何の見るものもない。後ろで妻が「おや、団栗が」と不意に大きな声をして、道脇の落ち葉の中へ入って行く。なるほど、落ち葉に交じって無数の団栗が、凍いてた崖下の土にころがっている。妻はそこへしゃがんで熱心に拾いはじめる。見るまに左の手のひらにいっぱいになる。

    余も一つ二つ拾って向こうの便所の屋根へ投げると、カラカラところがって向こう側へ落ちる。妻は帯の間からハンケチを取り出して膝の上へ広げ、熱心に拾い集める。「もう大概にしないか、ばかだな」と言ってみたが、なかなかやめそうもないから便所へ入る。出て見るとまだ拾っている。「そんなに拾って、どうしようと言うのだ」と聞くと、面白そうに笑いながら、「だって拾うのが面白いじゃありませんか」と言う。

    ハンケチにいっぱい拾って包んで大事そうに縛っているから、もうよすかと思うと、今度は「あなたのハンケチも貸してちょうだい」と言う。とうとう余のハンケチにも何合かの団栗を満たして「もうよしてよ、帰りましょう」とどこまでもいい気な事をいう。団栗を拾って喜んだ妻も今はない。お墓の土には苔の花がなんべんか咲いた。山には団栗も落ちれば、鵯の鳴く音に落ち葉が降る。

    子どものころ、彼岸花が好きでなかった。どことなく怖かったのは彼岸花のあの「赤色」と、怪しげな花の形だったろう。花が好きだという女性にも彼岸花は好きになれない人はいる。「人里に生育し、田畑の周辺や堤防、墓地などに見られることが多い」ということもあるのだろうか。見事な景観という表現もあるが、自分にとっては、不吉に群生する彼岸花である。

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    人が育種しなくてもどぎつく存在を主張する控え目の無さの花の代表である。ヒナギクやタンポポなどの可憐な野草にくらべて、存在感がありすぎるのも嫌味である。もう少し、控え目に咲けといっても無理からぬこと。彼岸(あの世)という花名の影響もあるかも知れない。別名を曼殊沙華といい、法華経などの仏典に由来することで「死人花」、「幽霊花」ともいわれる。

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    猿は人間が育てても猿にしかならないが、もし、人間を猿が育てたらおそらく人間としての大部分の能力は開花することはないだろう。学びを必要とするのは人間に限ったことではないが、人間は生涯にわたって学んでいける動物である。子どものときは遊びを通して多くを学ぶ人間を、遊びを遮断してひたすら物を記憶させる訓練ばかりする親を憐れと思っている。

    が、憐れと思わない親たちはそれで満足し、自分のような考えの人間を憐れと思うだろう。だから、「人は人」ということになる。それでいいというより、そういうものでしかない。そうした汚れてしまった大人のことはいいとして、子どもを観察して思うことは、「好奇心」が何より重要であるのが分かる。人間の能力は様々に分類されるが、こういう記述を目にしたことがある。

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    「人間の能力で大事なのは、①創造力、②理解力、③記憶力であるが、③<②<①という順であろう」。創造力発芽のカギとなるのが好奇心である。好奇心はさらには、想像力を富ませ、遊び好き、偏見のなさ、何でも試す、柔軟性、ユーモア、新しいものへの受容性、正直さ、学習意欲、さらにはもっとも普遍的かつ、もっとも価値ある特性として愛することの欲求をの土台となる。

    そうした人間的な特性の習得を無視し、早期から塾漬けにする親は自分から見れば憐れである。他人を心で批判するのは、自らの糧とするわけだから、口に出していう必要はない。こういうところに書くのは何ら個人攻撃でもないし、灘高⇒東大三兄弟の人間的懸念は抱いても、母親を露骨に貶したりはしない。理由は簡単なこと、彼らの家庭の問題であるからだ。



    ただし、妄信して真似をする親に対する危惧について具申をする。つまり、親や大人に堕落させられない限りにおいて正常な子どもは、上記の特性を自然に備えている。だから彼らは、「なぜ」、「なぜなの?」、「何のために?」、「どうして?」というような際限のない問いを発する。そうした必然的な問いが沸き起こる前に、高等レベルの知識を植え込もうとする。

    それが子どもの将来にとって多大な御利益と思うからだろうが、失われる部分には目がいかない。そういう親は失われる部分は些細なことと感じているのだろう。反面自分は、失われる部分の方が大事だと思っているその価値観の違いである。相対的価値基準であるからして、これは選択の問題である。子どもは正直で純粋であり、そうした喜びや嬉しさが笑顔を見せる。

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    彼らは、大人や親から怒られはしないかと疑う時を除き、真実を語る。また、見た通りを口にし、水を吸い込むスポンジのようにあらゆるものを吸収する。彼らは机の前に座していなくとも、常に学んでいる。世の中の一切が学習なのである。にも拘わらず、親という愚かで憐れな種族は、学習とは教科書の勉強であり、それ以外を認めないとするのだから滑稽である。

    数年前から自分は、「子どもは何か?」、「どうあるべきか?」について考えるようになった。が、子どもには必然的に親がいる。だから、子どもに問題意識を持つことは親に問題意識を持たせることである。そういう気持ちで書き込みを始めたが、親が問題意識を持つことの障害になるのが社会の体制であることに気づいた。社会というのは国家体制の根幹である。

    どうにもならない問題と感じた。もっとも、自分がどうにかすべきなどの考えもない。市井の末端のなかで社会の成り行きを見分しているに過ぎない。社会の中の一員が、社会の動きを眺めるのはそれはそれで面白いものだが、人はそれなりの年齢を重ねると、新しい情報を引き出すような質問をしなくなるものだが、そういう大人に抗っている自分は昔と変わらぬ反骨の雄。

    なぜ大人は慣れないものに出くわしたとき、子どものように、「なぜ?」、「何のために?」、「どうすればよいのか?」などの問いもしない、意識さえもないのだろうか?様々なことが考えられる。「付和雷同的な多数派でいたい」、「慣れないことに神経を使うのが面倒臭い」、「無知をさらしたくない」、「思ったところで何が変わるものでもない」などなど…

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    こういう大人は嫌いだが、多くの大人がこうである。彼らは興味深い新たな考えや体験にはなぜか無関心である。古い様式のなかに新しいものを取り入れるのは、たんに面倒を引き起こすだけだと考えるのだろう。自分がそうではなく、常に新しいもの、良くなるものに思考を試みるのは、「面倒」を禁句にしているからなのか?確かに「面倒」というのは自分の辞書にない。

    どんなことが面倒なのか良くわからないから、人が至極単純なことを「面倒だ」というのが刺激的で面白い。「こんなことのどこが面倒なのか?」と思うようなことを面倒というなら、相当に込み入ったこととには、面倒を超えて逃げ出すのではないか?などと思ってしまう。現にそういうことが多い。逃げ出すということも自分は好きではない。だからやらない。

    「逃げ出す=解決ではない」とするなら、解決のための思考をする。それが生きてることの面白さである。「何でも考え、何でもやってみる」の、「何でも」という言葉は、嘘偽りのない額面通りの、「何でも」である。子どもの遊びは単純だ。それこそどんぐりや棒切れや河原の小石でも遊んでみせるが、大人遊びは、「レジャー」などと遊びに金がかかるし、道具も装置もいる。

    そういう遊びを「自分は好まない。かつて、「大人と子どもの違いはオモチャの値段にある」といった人がいたが、最近は子どものオモチャもバカにならない。あらゆる面で大人と子どもの差がなくなっている。昔の子ども靴はズックという安いものだったが今はナイキやアディダスだったりする。洋服も同様だ。世の中の変節だから、昔と比較してアレコレ言っても意味がない。

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    映画『彼岸花』から多くのことを学べる。節子が家を飛び出して谷口の部屋に行ったとき、谷口は節子に帰るように諭すが、今なら早速布団を敷くところかも知れない。チューもしないのはカメラが回って脚本もあるから…?それを言っちゃ~おしめ~だ。谷口は節子を送っていくが、その時に履いているのがなんと下駄であった。下駄など何年履いていないことか。

    カランコロンは、「鬼太郎」だが、下駄といえば、「あ~した天気にな~れ」と跳ね上げる。表が晴れ、裏なら雨。当たったためしはないが、子どもは無邪気である。遠足の前はテルテル坊主を作った。こんにちなら天気予報が正確だが、テルテル坊主は呪文の世界である。子どもにとって下駄は激しい運動の際には邪魔だ。音もうるさくそういうときは脱いで裸足で遊ぶ。

    変わって登場したのがゴム草履。我々の時代に草鞋(わらじ)はなかったが、ゴム草履を万年草履といった。万年履けて減らない草履の意味だが、底は減らずとも鼻緒の部分が下駄と同様に切れやすい。下駄の鼻緒は直せるが、ゴム草履の鼻緒が切れると致命的だ。今ならビニールテープで直せるが、それも間に合わせ程度。切れると縁起が悪いなどといったもの。

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    彼岸花』の主人は誰であるとか、中心人物が誰とか、そんなことよりもこの映画は何を創りだしているのかを考える方が面白い。物語の内容や監督の製作意図は映画を観れば誰にも分かる。天才監督になるさっぱり意図の見えない映画もあるが、小津はそういうタイプではない。ありきたりの話をありきたりに見せ、カメラワークやカット手法などで観客を感動させる。

    作品のほとんどが家族を題材とし、そのなかに日本的在り方としての人情や人生の機微や哀歓を表現しようと試みるが、それを争いや対立といった形で見せるのではなく、あくまでも落ち着いた調和のなかに見いだそうとする。本作は父と娘の結婚観の対立であるが、対立を別の視点からうまく調和させ、最終的にはしこりを残さぬようにまとめる小津の家族への愛が感じられる。


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    老若や男女や親子には当然ともいうべき価値観の相違があり、それらは対立の要因となってしかりで、何の対立もないというのはどちらかが死んでいることになろう。対立を善悪で考えるなら対立は一層深まり、解決の出口は見当たらない。老の善は若からみれば老害となり、男(女)の善を女(男)から見れば勝手な言い草でしかない。親の善は子から見ればむしろ悪となる。

    映画は世代間の相違や親の子に対する傲慢を小津的手法で見事に解決させている。そこは自分の思う映画の見どころではない。問題克服の要点は、様々に考えられるが、本作においてはやや作り話感がある。夫唱婦随の原点は、妻が夫をたて、夫は妻の手のひらで踊らされながらも、威厳を保っているところ。妻は無謀と思う夫であっても、子どもの前では夫批判をしない。

    この手法がなぜ良いか?家の中に船頭が二人いるのは組織としてよくない。プロ野球でも監督は一人であり、コーチと監督に確執があると選手の方向性が定まらないことになる。これは組織論の根幹であろう。「船頭多くして船山に登る」というが、船が山に登るほどおかしな方向に進んでいくという例えである。「内助の功」とは、これができる妻を言う。

    「そんなこと言ったって、夫があまりにもバカすぎて…」という妻がいるが、それほどバカな夫なら全権委譲に持っていくしかなかろう。とかく夫婦は子どもの教育において価値観の違いが派生するが、離婚理由としてベスト10にもないのは、子どものことは妻に任せきりという夫が多いからだ。自分場合は総理・文科省・財務省は自分にあった。妻は厚労省と農水省がメイン。


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    まったく波風は立たなかった。大臣として熱心に仕事をしていたので、妻も依存で安心だったのだろう。この場合のメリットは子どもが母親にごねない点である。何かしらごねたら妻は速攻で、「お父さんに言いなさい」で済んだ。子どもは、「何も言えなかった」という不満を今ならこぼすが、4人の子どもがそうなら、「自分勝手はできない」と不満は収斂されていく。

    小津の映画手法は、ロー・ポジションアングル、カメラの固定と標準レンズ、カットつなぎ、カーテン・ショット、快風快晴(全編を通して)、正面向きのショット、連続した時間の流れ、相似形の構図、反復などの特徴が頑ななまでに守られている。さらには何といってもあの台詞の言い回しは、まるで台本をそのまま読んでいるかのごときで、最初はずいぶんと違和感があった。

     「そうかね」・「そうですわ」
     「やっぱりそうかね」・「やっぱりそうですわ」
     「いいよ、いいんだ、いいんだよ」
     「やめちゃえ、やめちゃえ」
     「よしちゃえ、よしちゃえ」
     「ちいせぇんだ、ふとってんだ、かわいいいんだ」
     「そうよ、そうなのよ」
     「凄いな、凄い凄い」
     「そうかね、そんなものかね」
     「ふーむ、やっぱりそうかい」

    上記した小津映画の、「反復=繰り返し」、また「鸚鵡返し」は意識してなされているが、理由としての解釈は種々あれど、真実は分からないままである。クラシック音楽にソナタ形式というのがあるが、提示部⇒展開部⇒再現部⇒繰り返し、という決まった構成の音楽の表現形式だが、小津作品にはそれを感じる。奇をてらわない実に単純な小津作品も特筆ものであろう。

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    「全て偉大なものは単純である」という言葉があるが、小津はそれの模倣なのか?映画の核ともいえる平山の中学時代の級友三上にも文子という年頃の娘がいるが、彼女はキャバレーのバンドマンと同棲しながらバアで働いている。同棲といい職種といい、平山には底辺に位置する人間であろう。もしこれが平山の娘であったら首に縄をつけても連れ戻し勘当も辞すさない父である。

    平山は三上に頼まれたこともあって、文子がどういうつもりでいるのか、今後のことも含めて直接話を聞くためにに、文子のいるバアに向かう。文子は平山に父親の不満を洗いざらいぶちまける。父の友人がわざわざ自分に会いにくるというなら、おおよその勘はつけるだろうし、そうはいっても文子も適齢期の女性である。中高に説教するわけにはいくまい。平山はこう切り出す。

    「君はお父さんのことをどう思っている?」

    「父は気の毒だと思ってます。でも頑固なんです。理解もなさすぎるし、ちっとも分かろうとしてくれません。自分の考えだけが正しいと思ってるんです」。

    「そうかね?そうだろか…」。平山は同じ父親としての顔を見せようとする。

    「父は何でも自分の思い通りにならないと気にいらないんです」。

    「そうでもないだろう。お父さんは君のことを心配するからじゃないのか」。

    「心配なんかしてもらわなくていいんです」。

    「そうもいかないだろう。で、君はどうなんだ?幸せか?」

    「幸せです。ちっとも不幸だなんて思ってません」。毅然と答える文子に「そう」と頷くしかない平山である。

    文子の彼氏が迎えにくる。「文子はこれで失礼します」といったとき、平山はポケットから用意していたこころざしを渡そうとするが、断る文子。「ほんのお小遣いだ。遠慮するほどのものでもないよ」というが、「そんなことしていただかなくていいんです」と店をでる文子。この時代の女性らしい節度が感じられる。一人その場に残りグラスにビールをつぐ平山。

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    この映画の中で文子への平山の善意に毅然とする態度が印象的だった。現代女性のような無用な愛想はなく、貧困でも強く生きんとする姿勢が感じられた。文子が父を気の毒といったのは、社交辞令というより、普通の結婚から家庭に入る一般女性とは違う自分であるからだが、それが彼女の幸せであるなら何の問題もない。親が見栄や世間体を気にするのは親の都合である。

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  • 12/15/17--17:20: オシドリ夫婦
  • 誰が名づけたか「オシドリ夫婦」。雄雌が番(つがい)となって生涯離れないことから、夫婦仲の睦まじいことことの例えとして使われている。ところが、実際のオシドリはそんなではない。ラブラブカップルのオスは、メスに恵まれないもてないオスたちから自分の妻を取られないようにするために、いつも寄り添って見張っているが、ここまではオシドリ夫婦である。

    ところが、オシドリのオスはメスが卵を産むと、抱卵や子育てをまったく手伝うこともせず、用済みとばかりにメスのもとから去って行く。メスのもとを離れたオスは、また別のメスに出会うとその場で求愛の行動をとることもあるという。したがって、繁殖のたびに毎年のように恋のお相手を変えるために一生同じ相手と暮らすことはない。オスもオスならメスもメス。

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    鳥のメスが考えるイクメンの条件は何をおいても忍耐心である。それをどう見分けるか?ほとんどのメスはオスがナンパをしに言い寄って来てもも必ず逃げる。真に嫌な時は飛び去ることもあるが大体は歩いて逃げる。そんな逃げるメスに最後まで追ってきたオスを忍耐力があるオスとして、メスは求愛を受け入れる。鳥の人を見る目、いや鳥を見る目はすごいね~。

    すべては弱肉強食の世界であり、優れたオスの遺伝子を求める本能は健在だ。だからメスはこっそり浮気をする。人も人なら鳥も鳥だ。夫は移り気なメスに用心し、警戒もし、妻に言い寄るオスを追い払うがオスはオスで浮気の相手を探しているという。人の世界も鳥の世界も何ら変わらない。オシドリは実は一夫多妻で、一番きれいなオスだけが多くのメスを獲得する。

    確かにオシドリのオスは極彩色で美しい。孔雀やカモもそうであるように、鳥のオスはメスに比べて一般的に美しい。が、夫婦でいるのは交尾の期間だけで、オスは子育てを手伝わない。また、一番になれないオスにメスは見向きもしない。皇帝ペンギンのようにイクメンオスもいるがオシドリにはなく、同じメスと一生を共にするわけでもなく、「おしどり夫婦」ではない。

    忍耐強く優しい夫と一緒になってめでたしめでたしと思われていたが、遺伝子親子鑑定で驚愕の事実が判明した。鳥の子どもの約4割が浮気の子だったという事実。つまり、いっしょに子育てをしていたイクメンのオスは、浮気相手の子を一生懸命育てていたことになる。人間にもそういう事例はあるが、産んだ本人でさえ一体誰の子かを特定できない淫乱女もいたりする。

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    人間の場合は美男との子種を宿したいという生殖本能ではなく、美男とやりたい一心である。ところが妊娠が判明し、さては困ったとばかりに目星をつけた男に結婚を言い寄る。言い寄られた男はご満悦だろうが、産んでびっくり、「この子どこの子?」というようなことは昔は言われなかった。科学的な鑑定法もなく、そんなことはないというのが道徳である。

    出生の問題は山崎豊子の『華麗なる一族』のもあったし、最近は大沢樹生と喜多嶋舞夫婦のことがあった。大沢の起こした訴訟は、2015年11月19日に判決が出た。子どもの出生時期や、大沢さんが生物学的父親でないとのDNA型鑑定結果から、実子でないと判断、200万から500万の慰謝料付きの判決である。喜多嶋には石田純一、奥田瑛二などの父親候補がいた。

    自分も三女に、「お前を作った記憶はないんだけど、多分となりのおっさんの子やろ?」と言えば、三女も負けじと、「私の性格はお父さん以外に考えられん」と返す。「さすが…、お前は生まれるとき、口から出てきたもんな~」。「頭でしょ!頭」とまた返す。バカ話はおいといて、世の中には面白い話があるからこそ楽しませてもらえるし、所詮は他人事だ。

    オシドリの実態が、巷いわれるようなオシドリでないなら、オシドリ夫婦もいわれるような夫婦でなくてもよかろう。ならばオシドリ夫婦の語源はどこにあるのか?中国の故事に『鴛鴦(えんおう)の契り』というのがある。これはオシドリを漢字で、「鴛鴦」と書き、「鴛(えん)」はオス、「鴦(おう)」はメスのことを表す。時代ははるか遡って、中国の戦国時代のことである。

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    宋の康王(こうおう)が、家来である韓憑(かんひょう)の美しい妻を権力で奪い取った。韓憑は痛憤のあまり自殺するが、妻もまた、「夫と一緒に葬って欲しい」という遺書を残して、後を追った。民衆は2人に深く同情したが、これに怒った康王は、2人の墓をわざと向かい合わせに造り、「もし墓を1つに合わせられるなら、やってみるがよかろう」と、言い放った。

    「そんなことができるわけがない」と見こしたうえでの嫌味であった。ところが、一晩でたちまち梓(あずさ)の木がそれぞれの墓から生え出てきたではないか。さらに10日もすると、2つの木は枝がつながり、根は1つにからまり合った。梓の木によってふたりの墓は2つに合わさった。この木の枝の上にひと番(つがい)オシドリが棲みつき、1日中悲しげに鳴いていた。

    これが、「オシドリ夫婦」の語源らしい。一度つがいになると相手が死ぬまで同じ相手と夫婦を続けるのが鶴。鶴はどちらかが死ぬと生きてる方が死骸にキツネやカラスが近づくと、翼を広げて威嚇したり、くちばしでつついて撃退する。骨だけになっても行動は変わらず、大雨で死骸が流されたり、雪に隠れて見えなくなって初めてどこかへ飛んでいくという。

    人間は個々の性格が反映されるが、鶴にそれはない。これを生態という。芸能人に限らず、オシドリ夫婦の御両人は自分たちが公言したわけでもなくイメージであろうから、片方が浮気をすれば違っていたということになる。芸能人や政治家は公人的イメージが大切なので、個々の欲求や私情は自制するしかない。それが嫌なら政治家や芸能人をやめればいい。

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    藤吉久美子が不倫疑惑をかけられ、ホテルで相手にマッサージをしてもらっていたと、面白い言い訳をした。マスコミは、「それは胸ですか?」と聞かないが、彼女の涙の意味はなんだろう。芝居といえばわかりやすい。マスコミに事実をいう必要はないが、夫への謝罪は真実をいうこと。真実を赦すのは男の度量だが、嘘をつかれて、「僕は信じる」などはマヌケである。

    「いいか、真実ならどんなことでも過ちとして赦すが嘘だけはつくなよ。嘘を赦すマヌケ夫をあざ笑う妻など俺はイラン。謝罪とは自分を放棄してこそ謝罪だ。事実を話して相手に身を委ねる。それが謝罪」。亭主関白を気どるもいいが、裏で不倫をする妻に対する太川の態度は、己の脆弱さを妻に見透かされ、亭主関白気分に利用され、踊らされるありがちな夫。

    生命体としの男の弱さやだらしなさを、「男の一言」や、「亭主関白」などの言葉でカムフラージュするのか、そうした自制心から自我格闘をして真に強くなろうとするのか。男の真の強さとは妻子を守ること。そのためには、何よりも真実の上に事が成り立つべきであり、女の嘘の涙に翻弄されるなどは惨めの骨頂。女には嘘はつかせないし、ついたら蹴飛ばす度量がない。

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    ◎号泣会見は亭主関白すぎる太川が怖くてと思った。太川の笑顔の陰に物凄い怒りが見えて逆に奥さんの今後が心配だ。

    ◎なんか奥さんを女として見てない感じがそもそも浮気に走った理由な気がした。

    ◎男上げたか? 逆に器の大きい旦那像を装っているのが見え見え。奥さん、息苦しくて、安らぎの場を求めたような気がする。
     
    ◎太川は亭主関白でDV男でしょ。だから奥さんの心が離れるんじゃないの?
     
    ◎太川さんはものすごい亭主関白で奥さんに対する言動が精神的に追い詰めるDVっぽいんですよね。

    ◎寝取られた男が頭おかしくなったとしか見えない会見。笑っているようで目が笑ってなかったよ。

    ◎マスコミもみんなもやけに称賛してたけど違和感覚えた。クロを理解した上で、「信じてるよ」なんてある意味一番残酷で相手を苦しめる言葉だよ。自分の好感度upも兼ねて計算で発したとしたら結構怖いと思う。

    ◎奥さんの軽率な行動が引き起こしたとはいえ奥さんをかばう会見に男を上げたとか…ベタ褒めなのが何かな…

    いろんな考えがある。意見もある。太川も藤吉も画面で見るだけの遠き人だから、一切は印象で判断するしかないが、もっぱら太川は亭主関白との評である。亭主関白ってのは何だ?どういうものをいうのか?妻に影で浮気されるのが亭主関白なのか?「亭主関白だから浮気をされるのよ。奥さんの身がもたない」という意見が面白い。これを亭主関白というなら笑える話。

    事実、太川は文春記者からの直撃を受けたとき、「えぇ!?」と驚きを隠せなかったといい、続けて、「それはショックで…。(記者に)なにを聞かれたか覚えていないくらい」だった。「カミさんが帰ってきて『説明しなさい』と。説明を聞くと『本当にバカもん!』と。一言聞く度に『バカもん! 何やってんだ』の連続でしたよ」。と、会見で明るい口調で気丈に振る舞っていたという。

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    太川の会見を見ていないし、録画影像も見る気がない。藤吉の会見は断片的に聞いた程度で、泣いている姿の真意を探っていた。太川は妻から話を聞く際、「ホテルの件は、それはダメだよ。それはダメでしょう」と諭したという。藤吉から、「疑われるような軽率な行動をとってすみません。そういうの(不倫関係)じゃないから信じて下さい」と謝罪を受けたという。

    所詮は犬も食わない夫婦の間のことであり、他人のことでもある。批判はしないが、他人のことについて考えることはやぶさかでない。太川が妻に諭したという、「ホテルの件は、それはダメだよ。それはダメでしょう」この言葉に相当に違和感を持った。こんなことをいう男(夫)がいるのかと不思議に思えた。藤吉はホテルで体をほぐしてもらいに行ったと述べている。

    それに対して、「それはダメだよ。それはダメでしょう」といったのか?だとするなら、何とも的を得ないノー天気な発言に思う。そもそもホテルは男に体をほぐしてもらいに行くところか?太川という男がノー天気でメデタイのは、それを真に受けたからであろうが、「それはダメ」ってあらたまって言う言葉か?まともに聞いて、まともに答えているところは笑うしかない。

    藤吉は56歳。太川58歳。文春はホテル内の部屋に入る藤吉、男の部屋に合いカギで入る藤吉の画像を掲載しており、もはやこれまでのハズだが、女の仰天言い訳は言葉を選ばない。太川とのやり取りがどのようなものであっても、言葉の掛け合いでしかない。「こうだ」と言い切る女に、「違うだろう?」は無意味。自分ならこういう女は、「問答無用」と聞く耳を持たない。

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    太川は自分ではないし、自分は太川でないので、自分のことを言っても意味はないが、明らかな嘘をつく場合の対処の方法が問答無用ということだ。あらゆる手段を講じて自分を守ろうとする女は事実を述べるハズがないのは分かり切ったこと。確たる証拠を持たない側には、どのような言い訳も可能とタカをくくっている。上司が部下の嘘の遅刻の言い訳を聞くのも同様だ。

    明らかな嘘の言い訳と知りつつも、それを部下に対し、「お前よくもそんなデタラメな嘘を言えるな?」といったとする。それに対して開き直った部下が、「ぼくのいうことを信じてくれないんですね。上司は部下を信頼すべきじゃないんですか?」などと言われてどう答える?「人を舐めるなよ。お前みたいなバカは必要ない、今すぐ辞めてとっとと田舎へ帰れ」。

    これは日本式ではなく、自己責任を重んじる欧米流である。あちらでは風邪や病気が事実であれ、業務に支障をきたすのは間違いない。ゆえに、それらを誘発する体調管理がなされていないというところにまで自己責任を持っていく。上司には部下の欠勤の理由などはどうでもよいこと。探る必要もないし、部下の欠勤で業務に支障をきたすことが問題となるだけ。

    上司としての自分が目指すもの、求めるものは、「あの上司には言い訳は通用しない」ということを早期段階から社員に徹底させること。これは個人の人間関係に於いてもである。自分には言い訳をするなを女に分からせる。一切が信頼関係を得るためだ。上司と部下というのは社内におけるビジネス上の関係である。一概に悪いとは思わないが組織を重視する大企業ならそれもいい。

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    組織で成り立つのが大企業であるが、中小企業で大事なのは組織論でなく人間関係である。ゆえに部下との心を通わせた人間関係が仕事をする上において重要。ビジネスという英語は経済行為を表す用語であるが、狭義から広義まで様々な意味を持ち、1つの日本語に置き換えて表現することはできない。人間関係を割り込ませない冷静な対応という場合にも使われる。

    日本人は、「人情」や、「義」というものが幅を利かせ左右されるが、「ビジネスとして割り切る」という中にはそれらの入り込む余地はない。つまり欧米社会における人間関係とはビジネスによって一線を課すものだが、日本人は味噌も糞も一緒に考えるから、シビアに割り切れない。儒教思想の影響の濃い東洋と、キリスト教色の濃い西洋では、「徳」の質が違う。

    儒教は、「礼に複(かえ)る」。聖書は、「神に複る」。過去を遡ってみると、自分は人から嘘をつかれたこともついたこともある。嘘は自分にとって日常的ではなく、人を選別する時における一つの非日常的な行為である。ゆえには気ごころ知れた相手を咄嗟といえども偽る・嘘を言うなどはしない。気ごころ通った相手とは、そういうことで我が身を守る必要のない相手。

    嘘をつける相手とは特段意識のない普通の相手。そういう選別をしないですべての人間に心を許すとしっぺ返しを食らうことになる。そういう過去の経験を踏まえた危機管理ともいえよう。腹を割れる人間は、自分を裏切ったりはしない相手と定めている。人間関係にはそうしたレベル(基準)は誰にもあろうが、上のことを言い換えると、親友は裏切ってはならない。

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    人を信用しない人間というより、むやみに人を信用しないことが大事。つまり、人を信用するためには、相手が信頼を得るに値する人間かどうか、誠実で嘘をつかないことをを目指す人間かどうかも大事。自分を信じてくれないなどとぶつくさ文句を言う人間は、自分が信頼される人間であるかどうかを客観的に認識していない。上司は部下とそこまで踏み込んだ話すべきである。


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    「友人に裏切られた」という言葉は、友人であることが錯覚だと思えば済む。真の友人とは自分の利得のために相手を裏切ることはない。太川に話を戻すが、彼は「妻を信じる。その理由は妻だから」といった。一方の妻はといえば、不倫は否定したが、開き直ることをせず、ひたすら泣いて見せ、「こんな妻で申し訳ない」と殊勝な言葉で自らの非をアピールした。

    「太川さんなしでは生きていけない」とまで言われた太川は、やふにゃふにゃ状態。長年の亭主関白家庭で得た彼女のしたたかさであろう。夫を持ち上げていればいいわけだし、こうした彼女の夫への従順性は女の計算高さでもある。女の男に対する最も明晰で最善の立ち回り法は、「男に従属することによって逆に男を自分に隷属させてしまう」。今回の一件はまさにそれである。

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    機に臨んで得をするのは普段の行いの賜物。威張りたい夫をのさばらせ、従順がごとくに見せれば単純バカ男などちょろいものよ。常時夫の監視下にいるわけでもなし、不自由の中の自由はむしろ刺激を強めよう。男とホテルに宿しても、「妻を信じる」と夫に言わしめた藤吉の圧勝だ。もっとも太川は、「斬り捨て御免」の剛毅な男ではなく、妻の従順で威張っているだけの男。

    こういう男は逆に妻に三くだり半を突きつけられると土下座もしかねない男である。「知らぬは亭主ばかりなり」とはいったもので、これは妻が夫の騙し方に長けてることをいう。映画『うなぎ』では、夜釣り好きの亭主にやさしい言葉に手作り弁当を持たせる良妻を絵にかいた妻だが、亭主の留守にお忍びで訪れる男を近所の老婦が見かね、夫の会社宛てに匿名の書状を送りつける。

    坂口安吾は『悪妻論』の中でこう記している。「思うに多情淫奔な細君は言うまでもなく亭主を困らせる。困らせるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている亭主の方が多いので、浮気な細君と別れた亭主は、浮気な亭主と別れた女房同様に、概ね別れた人に未練を残しているものだ。(中略) いわゆる良妻というものは、知性なき存在で、知性あるところ、女は必ず悪妻となる。

    知性はいわば人間性への省察であるが、かかる省察のあるところ、思いやり、いたわりも大きく又深くなるかも知れぬが、同時に衝突の震度が人間性の底に於て行われ、ぬきさしならぬものとなる。人間性の省察は、夫婦関係に於ては、いわば鬼の目如きもので、夫婦はいわば、弱点欠点を知りあい、むしろ欠点に於て関係や対立を深めるとうなものでもある。」

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    「欠点において対立を深める」というのは当然にして当然で、人間が互いの長所において対立することはない。人間が欠点の塊なら、相手の欠点を自らがどう咀嚼するかにかかっている。安吾は以下、良妻について疑念を呈する。「いわゆる良妻の如く、知性なく、眠れる魂の、良犬の如くに訓練された奴隷のような従順な女が、真実の意味に於て良妻である筈はない。(略)

    男女の関係に平和はない。人間関係に平和は少ない。平和を求めるなら孤独を求めるに限る。(略) 大体恋愛などというものは、偶然なもので、たまたま知り合ったがために恋しあうに過ぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間を知った上での選択ではなく、少数の周囲の人からの選択であるから、絶対などというものとは違う」。運命論者はゆえに思い込みだと思っている。

    思いたい人の人生を否定はしないが、「袖振り合うも他生の縁」という仏教の言葉を信じているのだろう。安吾は良妻は偽物だという。良妻を演じるなら陰の「悪」部分は発生し、それを自身がどう処理するかということになる。とはいえ、悪妻が良妻ともいえない。悪妻に一般的な型はなく、「知性あるものに悪妻はない」という。悪妻ではないが亭主を悩ませる。苦しませる。

    悪妻とは夫と妻の個性における相対的なものであろう。絶対的な悪妻というのはない。法的な罪を犯したからといってそれは人間の罪であり、妻の問題ではなかろう。悪妻を定義するのは安吾のようにはいかない。それでも「悪妻は百年の不作」という。将棋仲間のFさんは72歳で小遣いが月に千円。携帯は着信制限を3件に限定され、こちらからはできないという。

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    なぜか将棋を嫌うらしい妻からの電話があると、「図書館にいる」とFさんは言う。「図書館にいるといえば安心するから」と笑いながらいう。「何で将棋がダメなわけ?」と聞くと、「とにかく嫌いなんだよ」という。こうしたすべてのことを楽しくいうFさんは、妻を悪妻などと微塵も感じていないようだ。我々から見ればとんでもない女だが、Fさんは愛されていると思っている。

    自分の妻も人の妻も妻は妻なら、自分に関係ない他人の妻を悪妻と見るのも自然なことだが、当の夫が悪妻と思わなくとも他人が見れば悪妻である。他人の妻は自分に何の利益も害もないが、それでも悪妻とみれば悪妻である。近所の良い子を良い子と見るように。知らない女を美人と見るように。それにしてもFは、愛とは自由ではなく束縛と感じているらしい。

    奇特な人だが本人はそうも思っていない。Fさんの妻も悪妻などとは思っていない。世の中そういうものか?そういうものだ。藤吉久美子を自分は悪妻とは思わないその理由は、家から叩き出されてこそ夫にとって悪妻である。悪妻についての自分の考えは、嘘を言う妻に限定する。人に嘘をつかないというより、自らに嘘をつかない女を良妻とし、悪妻はその反対である。

    言い訳、言い逃れ、その場限りの嘘をつかぬ女がこの世にいるのか?渡辺淳一は、「女の嘘は車とタイヤのごとき密接不可分」といったが、多くの男はそう思っている。女の嘘の特性は分かっているつもりの自分だが、男はどう処すべきか。嘘は大きく3つに分類される。①幻想的な嘘、②社会的承認を求める嘘、③自衛上の嘘。①はファンタジックな女に多く罪はない。

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    ②については背伸びのようなもので、これは男にも多い。害がなければ罪を問わない。最も問題なのは、③だろう。端的に言えば困ったり不利な状況になったら、逃げるか嘘をつく。様々な嘘や虚言を問題にするというより、自分から見た嘘つき女とは、絶えずいうことが変わる女をいう。昨日と今日で違う。30分前と後でも違った。それほどに情緒に問題がある。

    自分はこれを母親から体験して苦労した。言ったことを言わない、言ってないことを言ったなどは、どうにもならない状況。だから、こういう女だけは困る。したことをしていないととぼけても、突っ込めば嘘だと分かるが、嘘と認めさせる手間と時間が無意味でくだらない。どれだけ自分にとって都合の悪いことでも、嘘をつかない女がいるのを自分は知っている。

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    それ以降、嘘をつかぬ女が自分にとっての良い女の基準となる。あきらかな女の嘘は問い詰めない。問い詰めるより嘘だと確信する洞察力の方が大事で、嘘つき女と分かった時点で見切るため。もしそれが身近な妻だったらどうする?言わせてもらうなら、自分はそういう女をハナから妻になどしないし、「信頼されたいなら嘘をつくな」を早期の段階から言い含める。

    言い換えるなら、これを教育というのだろう。「自分に害を及ぼすことはするな!それをやると叩き出す!」とも言っておく。何もしないで何かがあったら、手をこまねく狼狽夫もいるが、何もしておかなかったツケの責任は自ら取るしかない。苦吟する也、暴れるなりすればよい。「真実を恐れるな、真実から逃げるな」とは自分の人生哲学であり、このように生きれば嘘に頼る必要はない。

          かつては女の離婚を、「出戻り女」と世間は冷笑したが、夫に三下り半を突きつける女は多し


    自分は遅刻の言い訳を絶対にしなかった。もともと言い訳は浅ましいことだから好きではないが、遅刻の言い訳をしない理由として、①真実を恐れない。②嘘に耳を傾けなければならない上司への同情。③己の良心が許さない。それくらい信憑性のある「言い訳」などない」ということ。明らかな嘘を平然と言うほど恥知らずで愚かな人間である、という人間観もあった。

    「妻を信じます」と、「妻を信じてます」の言い方は微妙に違う。「信じる」は、単に自分の考えを述べるという意味で「信じる」。が、「信じている」は、信じるだけでなく、「理解している」となり、「理解するだけでなく実践する」という意味にもつながるではないか?実践するためには理解が必要となる。一般に、「信じる」と、「理解する」は同じに使われる。

    太川が、「妻を信じる」といったのは、今回の事に対する妻の説明や言い分を信じるとしたもの。仮に、「妻を信じている」との言い方なら、今回の件に対する妻の言い分に限らず、過去に遡って彼女を信じているとなる。様々に解釈されるだろうが太川は、「事情聴取のように3、4時間かけて話を聞いた。それで『何もない』って言うからそれで終わり」という。

    これが男気だそうな。週刊誌には男の自宅マンションに合鍵を使って入る様子や寄り添うツーショット写真などなど、あらゆる証拠がテンコ盛りだ。仕事で訪れた宮崎県内のホテルの一室で一晩を明かしたとも報じられた。その経緯について、太川は、疲労困憊だった藤吉が相手からマッサージを受け「(2人とも)そのまま寝ちゃった」という説明を受けたという。

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           「体をほぐしてもらった」などの嘘を思いつく女のボキャの才能。男は太刀打ちできない


    普通なら通用しない言い訳を太川が信じるのは太川の問題だからいいが、自分は絶対信じない。信じるに値するものは言葉ではなく行動である。さらには、何もない潔癖なら、どう疑われたところで鼻息荒くデンとしてられるはずだ。デンとしていられるから、軽率な行動だったと、自らも笑って済ませられるもの。とかく、女のやることはちぐはぐで支離滅裂である。

    政治家の山尾志桜里は、今でこそデンとした態度をとってはいるが、最初に文春記者から突撃取材を受けたときは、顔もひきつり、言葉もしどろもどろの動揺が感じられたが、時間もたてば知恵もつく。「ない」という筋書きの脚本を完成してしまった。自分も経験あるが、ないものをあると噂になっているのを知った時は、笑うしかなかったし、腹も立たなかった。

    女が自分と関係したと振りまいていたのだが、したかしないかは本人が一番わかっているし、言いふらす女にも分かっていること。ならば、「ない」を、「ある」と言いふらす理由が存在し、そこを考えれば動機は見える。自分はその意図が分かっている。が、「あんな女に誘われたからって、正直、金をもらってもやりたくないわ」と返報するほどのバカではないのよ。

    そういうことをいうメリットはゼロである。自分の自尊心はそんなことでは壊れないし、他人からあらぬ疑いをかけられたところで、惨め女の狂言には笑ってやるしかない。過去において不倫の疑義をかけられた芸能人や政治家で、その場で笑顔で笑った者はいない。それからすれば自分はすべて事実であったと思っている。文春がなぜあのような突撃取材をするか?

         「しおらしい」にはいろんな意味があるが、この時の山尾は今とはまるで違うほどに志桜里しい


    なにより最初の第一声が事実の可否を決定するものであるからだ。それ以降は誰でも繕うに決まっている。自分が自分のデマを聞かされたときに、大笑いをしたが、その時の上司の驚いた顔は今でも忘れない。疑義がデマであるなら、文春記者の前で大笑いすればいいのよ。笑って誤魔化すのではなく、出べそでないのに、「出べそでしょ?」といわれたら笑えるハズだ。

    山尾の狼狽した顔が穏やかならぬ胸の内を物語っている。藤吉も報道陣に囲まれ、「今回は私の軽率な行動によってご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」と消え入るような声で謝罪したあとは号泣するばかり。本当に何もないなら、「文春さんも大変ですね~、残念ながら期待に添えるようなものはなんにもありませ~ん」。と、笑っていえると思うが…。

    人間は言葉よりも態度に現れるものだが、政治家ともなると攻撃されるほどに、支持を落とさぬために虚言という武装を強め、態度を装う。政治家ほど真実に生きなければならないはずが、政治家ほど嘘や詭弁に身を包む者が多い現状だ。いつも思うのは、「言葉は行動を隠すために与えられた」という名言だ。「言葉には興味がない。あるのは行動だけ」という言葉を信奉する。

    「あった」ことを「ない」とぬけぬけというのも女なら、「ない」ことを「あった」というのも女である。前者はとりあえず羞恥心の問題だろうが、後者は完ぺきにバカであろう。だから、自分はバカには何も言わなかった。「お前、ないことをなぜそんな風に言いふらす?」という言葉さえもいう意味を感じなかった。当たり前だ、バカのやることに意味などない。

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                        一者との合一とてままならぬも、多者とは欲深きこと           


    芸能人や公人というのは、仕事とはいえ、商売とはいえ、大変だと思うわ。それでもアバンチュールを楽しみたいなら、腹をくくってやるしかなかろう。人間にとってのエロスとは山尾や藤吉をみても、中年にとっても重要なのだろう。エロスの力とは合一である。人間は「個」として、自分と他を区別した存在であることを認めたいと望む反面、他との合一・融合を望む。

    エロスとは、そういう合一の欲求や衝動を示すもの。中年夫婦は同居はするが、別室に寝て性関係はない。が、エロスの火が消えたわけではない。エロスの方向がどのように向かうかは色々である。中年以降になるとエロスの対象は人間以外のものになる場合が多い。趣味や収集、料理や文化、ペットの飼育…、そこには不思議ともいえる合一の感覚が働いている。

    エロスの対象を人間に求める人もいる。一夫一婦制の規律社会においては、婚姻関係外にエロスの対象を持つのは「悪」と裁断される。違法ではないが、不道徳として衆目の矢面に立たされる。世間はまた道徳を踏み外した人たちを肴に、悪口というエロスを楽しむことにもなる。何においてもとかくこの世は面白くできており、楽しめるようになっている。


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  • 12/20/17--15:19: 赤穂義士の武士道 ①

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    師が走り回るほど忙しい時節というが正確な意味ではないようだ。11月25日は、三島由紀夫切腹の日、12月14日は浅野長矩切腹の日だから一週間遅れの「忠臣蔵」だ。命日は忌日ともいうが、人が死んだ日を命日としたのは、『灌頂経』という仏法における法律や慣習を記述した書物の中にある、「命過日(めいかにち)」から取られている。「過」は過ぎるということ。

    一期の寿命が過ぎ去った日という意味からこれを略して、「命日」とした。「命の日」ではなく、「命過ぎ去る日」それが命日である。父の生年月日を忘れることはないが、時にであるが、命日を忘れるのはなぜか?自分のことでありながらもこれといった理由はわからない。父の誕生日は大事でも、死去した日は自分にとって大切な日ではないのかも知れない。

    父が存命なら何歳…などと考える。死んで何年経ったなどはあまり考えない。おそらく自分の心のなかには、生きた父のことばかりある。父の思い出はありし日のものしかなく、当たり前だが死後の父に思い出はない。死後に対面したが死に顔は思い出さない。少年期の想い出、青年期の想い出、少しだけ壮年期の想い出もあるが、父は今でも自分のなかで生きている。存命なら101歳だ。

    いつだったか上京した父と二人で泉岳寺に行った。父が最も行ってみたい場所、それが泉岳寺だった。慶長17年(1612)、外桜田(現・千代田区)に創建された曹洞宗の寺で、寛永18年(1641)の大火によって焼失、現在の高輪の地に移転再建された。その際、浅野家が尽力した縁で菩提寺となった。赤穂浪士は元禄15年の義挙後には四十七士の墓所としても知られている。

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    一般に、「忠臣蔵」の名で知られる、「元禄赤穂事件」とは、元禄15年(1702年)12月14日深夜、江戸の本所(現・墨田区)にある吉良邸へ、赤穂浪士47名が討ち入ったことをいう。江戸開府からほぼ100年。著しい経済発展とともに町人文化が花開いた時代である。当時、武士階級は侍というより、官僚として事務仕事に精を出す者がほとんどで、世の価値観が大きく転換する時期であった。


    そんな時代にあって、元禄14年3月14日、藩主浅野長矩切腹から1年9か月後の元禄15年12月14日、君父の仇討ちに吉良邸にお討ち入った赤穂の浪士は、武士の意地と「義」を貫いたことで一躍庶民の英雄となった。彼ら四十七士の物語は、300余年経った現在においても魅力を失っていない。史実となる、「赤穂事件」と、芝居となった、「忠臣蔵」では、様々な点で違いがある。

    芝居としての、「忠臣蔵」のもととなる、「仮名手本忠臣蔵」は、寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演されたが、もととなる、「碁盤太平記」を書いたのは戯作者の近松門左衛門である。「碁盤太平記」は、南北朝時代の軍記物語『太平記』の世界を映したものだが、大星由良之助(大石内蔵助)、高師直(吉良上野介)などの名が登場し、「仮名手本忠臣蔵」に引き継がれる。

    史実の赤穂事件については資料が現存するが、江戸城内における浅野内匠頭長矩の刃傷事件が発端となる。一国一城をなげうって刃傷に及ぶのは正気の沙汰ではなく、その理由ろして逆上説や持病説がある。しかし長矩は、「遺恨覚えたるか」と叫びながら吉良に斬りかかっている。当時、仇討ちの際は、「覚えたるか」と大声発しながら斬りかかるのが作法であった。

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    作法通りに行動した長矩ゆえに、突然キレたとは考えにくい。今に至って刃傷の理由ははっきりせず、長矩自身も目付の取調べに対し、「遺恨あり」としか答えていない。遺恨の内容を語っていないことで様々な説が生まれ、吉良義央と長矩の対立の理由がいくつか言われている。その中で、「勅使饗応役の伊予吉田藩主・伊達宗春より進物が少なかった」という説がある。

    長矩は伊達宗春とともに勅使饗応役を命ぜられたが、その際、高家筆頭吉良義央より作法指南を仰ぐことになり、その返礼として吉良家に届ける進物が伊達家より少なかった。この点について映画『赤穂浪士』のなかで脚色されている。長矩と昵懇である脇坂淡路守が浅野邸を訪ねた際の帰りぎわ、重臣片岡源五右衛門に吉良への進物に何を持参したかを問う場面がある。

    源五右衛門は躊躇いながらも、「鰹節一連に御座ります」と答える。それを聞いた脇坂は、「世情の噂でによれば伊達家からは、加賀絹数巻、黄金百枚、狩野探幽筆龍虎対幅(掛け軸)などが贈られたと聞き及ぶが…」というが、源五右衛門は毅然として、「派手な贈答は避けるようとの、殿の御指示」と意に介さず。脇坂はこれに対し異を唱え、以下のやりとりがなされた。

    脇坂 :「殿がそう申したとて、側近にはそれなりの才覚もあろう?」

    片岡 :「主命に背けと仰せか?」

    脇坂 :「相手は上野介じゃぞ。犬に犬の好む餌をやるだけじゃ。さすれば尾を振って内匠頭に吠えかからぬであろう。無事に済んだ後、主命に背いた罪を責められることとならば、責任をとって腹を切ればよい。それが主君の信頼に対する家老の重職を委ねられたる者の責務ではないのか?」

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    源五右衛門は脇坂淡路守の言葉を親身に受け取って後、己の至ら無さ、才覚の無さを長矩に申し述べるが、「気にせずともよい。儂は儂の信ずる道をゆく」と長矩は源五右衛門たしなめる。それを受けて長矩の台詞が圧巻である。「賄賂などは卑しきこと。卑しい人間と知りながらその意を汲もうとするは、卑しき彼らより、己の心をより卑しくすることではないか」。

    相手を卑しい人間と定めたとき、あるいはそうではなかったとしても、相手に媚を売り、へつらうことが己の卑しき心を助長することになろう。似たような場面に出来わすとき、必ずこの場面を思い出す自分であるが、その点においても本映画を知ってよかった。自らを卑しくせぬために卑しい相手に迎合しない。何とも簡単なことであるが、己の卑しさを軽蔑するから可能となる。

    「男は奢って当たり前」という女を嫌うようになったのもこれらから派生した。卑しき者は男にもいるが、女ほど露骨ではない。余談はさておき、浅野長矩は、播磨赤穂藩の第3代藩主。安芸広島藩第4代藩主の浅野綱長は、浅野家宗家5代当主である。兵庫県赤穂市と、NHK朝ドラの「マッサン」こと竹鶴政孝が生まれ育った広島県竹原市は、共に塩田で栄えた。

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  • 12/21/17--15:55: 赤穂義士の武士道 ②
  • イメージ 1宗家を広島藩主に、分家を赤穂藩主に持つ浅野氏家系は、清和源氏頼光流土岐氏の庶流で、承久の乱後に土岐郡浅野の浅野館に蟄居すると共に浅野氏を名乗る。当主浅野長勝は尾張織田氏に弓衆として仕えた。天正年間に安井城(現・愛知県名古屋市北区)を築城後、後に浅野城(同県一宮市)に移る。その後、織田信長の命により羽柴秀吉に属す。養女ねねは秀吉の正室となる。

    広島藩浅野家の支藩にあたる播州赤穂城主浅野長矩は、5万石ながら塩田の実入りが多く、実質は7万石超であったといわれている。長矩は別の支藩である備後三次(広島県三次市)藩主・浅野長治の三女阿久里を妻に迎える。長矩の刃傷事件後、赤穂藩は改易となるが、阿久里は長矩切腹後の2日後には赤坂にある実家の三次浅野家下屋敷に引き取られて落飾、瑤泉院として夫の菩提を弔った。

    元赤穂藩家老の大石良雄らが吉良邸討ち入りを決定すると、瑤泉院は自身の化粧料である赤穂の塩田から上がった運上銀を大石に託し、彼らの生活を陰ながら支えた。討ち取り後幕命により切腹となった浪士の遺児たちのうち、伊豆大島へ流された吉田伝内・間瀬定八・中村忠三郎・村松政右衛門の赦免運動にも尽力し、宝永3年(1706)病死した間瀬を除く3名の恩赦を実現させた。

    それらから瑤泉院という人は慈愛に満ちた女性であるのがわかる。長矩切腹後、赤穂藩筆頭家老であった大石は、仇討ちよりも家名断絶だけは避けるべく立場であった。長矩の弟浅野大学によって浅野家が再興されることを期していたが、大学は広島の浅野本家預かりとなる。もし、大学によって浅野家が再興されたならば、大石は仇討ちをしなかったのではないか。

    つまり、討ち入りを決めた理由は、浅野家再興の夢が完全に断ち切られたことで決意をしたとみるのが妥当。家名断絶は何としても避けたい当時の状況からして、君父の仇討ちが家名再興に優先するなどあり得ない。大石の浅野家再興運動は結果的に実を結ばず、大学が浅野本家預かりとなったのが元禄15年7月18日であった。吉良邸討ち入りはその5か月後に行われた。

    歴史に、「たら・れば」はないが、浅野大学によって再興されていた後に仇討ちをするなら、何のためのお家再興であろう。その後に吉良邸討ち入りなら、それこそ一族郎党島流しである。よって、「たら・れば」はなくとも確実性の高い事象と推察される。元禄という太平の世にあって、庶民の多くは君父の仇を討つなど、そんな立派なことができるわけないと思っていた。

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    そんな忠臣はいないと…。それが四十七士を忠臣蔵に押し上げた。昔から良い物は蔵に収めるものであるから、義士を蔵に収めたのだろう。忠臣蔵の意味が分からず、大石内蔵助のもとに集まった忠臣の意味であろうと思っていた。浅野家再興の可能性があったころには120人もの同志が、再就職を目論んでいたが、その夢が消えると脱盟者が続出、大石は改めて誓紙を交わす。

    これで50名に絞られたと赤穂藩の家臣の動きに詳しい『江赤見聞記』は伝えている。最終的に討ち入りに参加したのは47名で、多くは下級武士であった。大高源吾は20石5人扶持に過ぎない。100石未満は、間喜兵衛ら20名、部屋住みは大石主税ら8名、不破数右衛門は浪人、堀部弥兵衛は隠居の身であった。大石内蔵助は1500石、次いで片岡源五右衛門は350石であった。

    討ち入りの中核を担ったのは、150石から300石の馬廻り(主君の乗る馬の傍で警護にあたる)階級で、16人を占めていた。長矩の弟大学を建ててお家再興が主眼であった事を知らずでか、『葉隠』の山本常朝は赤穂義士を批判している。『葉隠』には、「打果すとはまりたる事ある時、例えば直に行きては仕果せ難し、遠けれども此道を廻りて行くべしなんどと思はぬもの也」。

    という事がかかれており、「武士は、事を処理する時期を失ってはならず、その場を外すとかえって不甲斐ない、間の抜けたものになる」という教えである。これ故に『葉隠』は、赤穂浪士を批判する。「又浅野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延び延びなり。若し、その内に吉良殿病死の時は残念千万なり。

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    上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕様は上手なれども、長崎喧嘩の様に無分別にする事はならぬなり」。批判は以下の三点。①吉良を討ち取った直後に泉岳寺で切腹しなかった。②刃傷事件後に内匠頭が切腹してから、吉良を討ち取るまでに1年9か月の間を置いている。③討入りのような用意周到で衆目を賑わすようなやり方はできても、無分別な喧嘩ができないことなど。

    喧嘩、口論、交渉事など、武士はその時その場の時機を外さず、断乎やるべき時はやる。例えば今すぐやるのは諸般まずかろうとか、遠いが廻り道をした方が成功の確率が高いなどと考え、延ばし延ばしていたら、心に弛みができてやれなくなってしまう。これが『葉隠』の考え方である。つまり、結果よりも志と行動を尊重する論理で、正に、「死狂い」思想そのものである。

    三島由紀夫に『葉隠入門 三島由紀夫』という著書がある。が、三島の11・25の行動そのものだということだ。『葉隠』は、太平洋戦争時の万歳攻撃や、航空機による特攻に受け継がれる思想である。こうした無策、戦略論なき精神性は、「大和魂」という言葉に変換されたが、今の時代においては死語になっている。つまり、戦略論は精神論を凌駕するという近代思想である。

    「犬死にの美学」は、合理的思考の前に持て囃されることがなくなった。日本人の精神性は欧米合理主義の前にひれ伏さなければならなくなった。三島はアナクロニズムの思想家などで説明をされることになる。五木寛之は、「もし三島がロック(音楽)に興味を持っていたなら、ああいうことにはなかったろう」と述べているが、どういう意味かを考えたことがある。

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    細かいことは除いて大意をいうなら、結局五木にとっての三島は、悩めるおぼっちゃまということだったようだ。自分を深く洞察することで、自分という存在が他人とは違うのだという特殊性を持った三島の不幸は、育てられ方にあった。特殊性と普遍性、非凡と平凡、正常と異常という自己の二重性の矛盾を我が身に引き受けないものは、間違いなく抑圧者である。

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  • 12/22/17--16:21: 赤穂義士の武士道 ③

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    沈む夕陽のなかに赤く染まりながらも、「平凡に生きたい」。「平凡な人生が欲しい」と涙する三島であったなら、彼こそは平凡な人生を送る資格者になり得ただろう。自己の存在の特殊性という悲劇に涙することなく、ただ当たり前のように平凡な生活を始めるものは、抑圧に加担していることになる。三島が唯一、「真」と見つめるものが「死」であったかもしれない。

    自身の言動について、それが愚直なまでに真実であることを、人はどのように説明できるであろうか?言葉などは嘘の塊として利用される。己の行為を言い訳や理屈を排除し、真に意図するものであるのを証明する方法は、死んでみせること以外になかろう。だから、武士は切腹をしたのである。死ぬことによって、二言なきことを証明して見せたのである。

    「これは本当だ」、「偽りなき本心だ」、「命を懸けてもいい」、などと大袈裟にいうが、それだけ大袈裟にいうことで信憑性を証明する。「命を懸けて…」とはいうものの、誰が死んで見せる者がいよう。所詮は口ばかり、口だけで真実を証明しようとするが、武士は言葉というまやかしに頼らず死んで見せる。何という愚鈍さであろうか?それが現代人の思いである。

    三島のアナクロニズムは、それを実行できる精神性を磨いてこそ、アナクロニズムたる所以である。特攻も万歳攻撃も厭わぬ武士道の精神性は、赤穂義士とは対極であろう。赤穂義士に武士道はない。『葉隠』のいう、吉良を討ち取った後に生きながらえんとした理由は何であろうか?太平の世のもたらすふやけた時代観なのか?やはり、元禄時代の武士道精神は歪であった。

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    「元禄忠臣蔵事件」というのは、「武士道」の是認する、「正義」の発動のイメージされがちだが、当事者たちの残した史料からは、そうした体系をもった、観念としての「武士道」は読み取れない。「赤穂四十七士」が、「赤穂義士」と呼ばれるようになったのは、儒者である室鳩巣が彼らが切腹の年に、『赤穂義人録』をあらわし、浪士たちを称揚したことによる。

    新渡戸稲造も著書、『武士道』のなかで、敵討ちは武士道が是認した正義の発動と記している。しかし考えてみるに、「武士道」という観念がまずあって、赤穂浪士たちはその間尺に合わせて行動したのではなく、順序においては逆あった。四十七人の浅野家浪人たちが成就した亡君の仇討ちという行動様式の内なるものを後人が、「武士道」という名で顕彰したに過ぎない。

    命名の前に行為の実態があり、四十七士当事者たちは自らの行為の精神性をどのように見ていたのだろうか。武闘派の雄として名高い堀部安兵衛は、『堀部武庸筆記』にこう書いている。浅野家を再興するという口実で、主君の仇敵を見逃すなどという事ができるか。上野介は亡君が無念にも討ち洩らした敵ではないか。我らは大学様にさえ手向かうのを辞さない」。

    安兵衛は行のなかで一か所、「武士道」という言葉を用いている。我らの主君は誰であるか。浅野大学は分家の親類というまでのこと、我らが主君と仰ぎしは、内匠頭様の他にはいないと、これが安兵衛の心意気である。彼には大学への忠誠心はひとかけらもなく、大学によるお家再興は、浪士の命を惜しむ遁辞と見えていたようだ。安兵衛は大石すらそうではと疑っていた。

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    史料なきゆえに分からないが、内蔵助が大学に忠誠心を持っていたかどうかも何とも言えない。浅野大学は四十七士の討ち入りが成功した7年後、幕府旗本寄合衆に復職したが、それで満足をしていたという程度の人物である。もし、討ち入りが上手くいかなかったらそんな処遇もなかったろう。内蔵助の大学への忠誠心の有無について思考の前に大石は城代家老である。

    したがって大石の第一義の責務とは、浅野家の家筋を立てることである。それらが武闘派安兵衛らに歯痒い思いをさせていた。ところが元禄15年7月、幕府は大学に内匠頭係累からの赦免をしたが、赦免といっても広島の浅野本家にお預けという処置であった。これではもはや選択の余地はない。大石をはじめ浅野藩勇士は、江戸の武闘派と合流すべく天下りを開始した。

    吉良邸討ち入りの12月14日まで5か月前であった。方針が一本化して実行計画が固められたこの時期、四十七士の内の何人かが親元や親類縁者、友人宛に書き送った書状が残っている。書状のなかには当人たちがなぜ最後まで復仇徒党に踏みとどまったかの心情が綴られているが、9月5日の大高源吾の老母に宛てた書状は長文ながら分かり易くしたためてある。

    大高の禄高は二十五人扶持と軽身ながら、内匠頭の生前には中小姓を勤めていたが、特別の愛顧を受けていたという君臣の仲でもないが、源吾にはかつて側近く仕えた日々のことが忘れられない。と源吾は書き起こしている。こうした文面から思い出されるのが佐賀藩士山本常朝の『葉隠』である。『葉隠』は1716年頃に書かれたもので、討ち入りの14年後となっている。

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    『葉隠』には、主君の目に止まる止まらないにかかわらず、らだ一途に思いつめることが御奉公とある。常朝はその心情を、「長けの高き御被官なり。恋の入れのやうなる事なり」と形容した。これは、「葉隠武士道」のエッセンスたる、「忍ぶ恋」の極致であろう。『葉隠』にいう、「君臣の間の恋の心の一致成る事」教義なるは、まさに武士道は衆道と表裏一体である。

    衆道とは、「男色」をいうが、市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫と共に自害した森田必勝(享年25歳)を彷彿させられる。『葉隠』の赤穂浪士批判は、「浅野殿浪人夜討ちも泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。また、主を討たせて敵を討つこと延び延びなり。もちその中(うち)に吉良殿病死の時は残念千万なり」とある。要するに間を置かずにすぐに討ち入る事こそ武士道という。

    成否などは問題ではないというところに、行為としての武士道の美学をみる。戦時中の日本兵が、機銃や鉄砲の弾丸の中に突撃をする、「万歳攻撃」こそが武士道の神髄を模写したもので、欧米の戦術論からすればこれほど無為無策のバカげた行為はない。まさに狂人如きの振る舞いであろう。1946年に出版されたルース・ベネディクトによる『菊と刀』は日本人論である。

    日本人識者にも賛否両論あるが、哲学者の和辻哲郎は、「各人が自分に相応しい位置を占める」という標語を侵略主義者が使ったからといって、この語自体、侵略主義的な意味を付するのは詭弁であり、この標語が日本文化の型の核心である階層制度を表現しているというに至っては非常に独断とし、国粋主義的軍人の型を論じているが、日本文化の型を論じていない」と批判した。

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    『菊と刀』は読むに値しない本であるという。『ビルマの竪琴』の著者であり、ドイツ文学者で小説家の竹山道雄は、「諸文化は総体的であり優劣は言えない。罪の文化と、恥の文化が、どっちが上とも言えない」と述べている。民俗学者の柳田國男は、日本人ほど、「罪」という言葉を使う民族はいず、日本人は道徳律欠如したという著者を、「事実に反する」と切り捨てている。

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  • 12/24/17--15:36: 赤穂義士の武士道 ④
  • 南部藩士を父に持つ新渡戸稲造は、まぎれもない日本人だが、英語で『武士道』を著した。日本人が異国語で武士道を論じたということは、その事だけでも異国人の目で武士道を見たことになる。英語によって武士道を可能な限り典型的な、能う限り日本的な美徳として描き出そうとする新渡戸の感性および知性の裏付けとなったのは、典型的な西欧思想(キリスト教)だからである。


    「忠義」を道徳的教義よし、寡黙で感情を面に出さず、高い品性と武を貴び、赤心の証明のためには躊躇いなく腹を切る。その切腹に重要な役割を果たすからこそ、刀は、「武士の魂」となった。斯くなる武士は、「美しい理想」を体現する存在となり、「花は桜木、人は武士」と讃えられるようになった。新渡戸の『武士道』にある説明を大まかにいえばこんな感じである。

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    が、「武士道」は武士が本質的に新渡戸のいうような在り方をしていたから自然発生的に生まれた言葉ではない。戦国時代に来日したイエズス会の日本巡察使アレッサンドロ・ヴァリニアーノは、当時の武士を以下指摘した。「武士は好色、男色も好み、それを誇りにする者もいた。平気で嘘をつき、残虐に人を殺し、絶えず諍いを起こし、酒におぼれる者も少なくない。

    また、主君に対する忠誠心に欠け、都合悪くなれば悩むことなく主君を裏切った。粗野なエネルギーに溢れ、自由奔放に生きている。これはまあ、武士に限らず人間とはこうしたもので、特筆することでもなければ、禁欲的キリスト教信者から見たら誰でもこういう風に映ろう。こうした人間の本性を枠に嵌めて規制をすることで支配体制の確立を狙ったのが家康とブレーンである。

    天下平定した後の徳川家康以下幕府中枢がいろいろと考えを巡らせた結果、儒教道徳を基盤とする武士道が組み立てられ、幕藩体制を勧めていった。つまり武士道とは、あくまでも封建制度、独裁政権の確立と維持のために発生したものである。また、支配階級である「士」を、それ以下の階級である、「農・工・商」と差別化をするためのものでもあったといえる。

    徳川の治世下で武士道が形を整えてゆく様子をフランスの思想家モーリス・パンゲは、「義務を尽くすことの満足感を学び、尊敬に値する外面を保つことが全ての侍たちに要求される。暴力は凝り固まって規律となる。重々しい動作、深みのある声音、勿体振った立居振舞、儀式ばった作法、要するに侍は自己の全身をもって威厳というものの劇場たらしめるであろう」と皮肉った。

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    平たく言うなら、武士道はとりあえず武士の「恰好付けの道具」だった。そうはいっても長い歴史を生き抜いた武士の生き方の美点を拾い上げて集大成したことに異存はない。また、天文18年(1549年)8月に日本に来た宣教師フランシスコ・ザビエルはこのように述べている。「武士はまた領主に奉仕することを非常に自慢しながら、領主に対しては平身低頭である。

    これは主君に逆らって主君から受ける罰という恥辱よりも、主君に逆らうことが自らの名誉の否定だと考えているからであるらしい」。幕末の安政6年(1859年)に開港した横浜にその二年後に来日、プロテスタント宣教師として働いたマーガレット・バラは、忠臣蔵に眉をひそめて述べた。「私たちには大罪として考えられていることが、日本民族の育成に、微妙にその影を落としている。

    このような社会組織の中で生まれ育った人たちが、外国人に対する大量虐殺を、高貴な愛国心の発露によるものと見なしても不思議ではないでしょう」。バラは武士道の鑑と賞賛される仇討ちが、危険なナショナリズムにつながる事を見抜いている。事実はその通りになり、昭和年代に日本は壊滅的な打撃を被ることになった。バラは先見の明で武士道を見つめていた。

    子どもの頃から時代劇映画を観、チャンバラごっこに興じた我々にとって武士道の概念はどのように浸透しているのだろうか?バラのいう「外国人への大量虐殺と武士道を結び付けるのは違和感を感じるが、武士道がさらなる蒸留され、鈍化されて、「大和魂」に高められていったのは間違いない。新渡戸自身も国威発揚期の武士道観としての印象を述べている。

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    貶す神あれば褒める神もある。元フランスの駐日大使ポール=クローデルは、第二次世界大戦の最中の1943年に次のようにいった。「私が決して滅ばされることのないようにと願う一つの民族が日本民族だ。あれほど興味のある太古からの文明をもった民族を他に知らない。(中略) 彼らは貧乏だが、しかし彼らは高貴だ。1863年生まれのクローデルは詩人でもあった。

    侍が、子孫代々伝えてきた日本特有の特性としての武士道の道義(節・義・廉・恥)といったものは、幕末から明治期を通じて、淡いながらものこされていた。明治維新の前年に来日したイギリス人フランシス=プリンクリンはも武士道に接した印象を以下書いている。「来日した途端に欧州の中世時代に似た日本の風物に接し、驚き目を見張り、日本人の礼儀正しい姿に魅了された。

    そのことがあってから私は心から日本人に愛着を感じた」。さらにプリンクリンは日本永住を決意した動機が、偶然目撃した武士同士の果し合いにあった。彼が言い知れぬ深い感動を覚えたのは、果し合いで勝利した武士が先ほどまで敵として刃を交え、自ら斃した相手武士に自身の羽織をもって遺体を覆うと、その場に跪いてい恭(うやうや)しく合掌した姿を見た事であった。

    それ以来、名門の出でもあり将来を嘱望されたいたにもかかわらず、45年もの間、プリンクリンは日本女性を妻に娶り、日本の誠実な友人として生涯を日本に送った。大正元年10月、日本政府は71歳で没したかけがえのない友人に勲二等を贈り、葬儀には貴族院議長・徳川家達、外務大臣・内田康哉、海軍大臣・斎藤実らが参列し、多年の友情に感謝の意を表した。

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    プリンクリンと同時期に日本に滞在し、後に帰化したラフカディオ=ハーン(小泉八雲)もそうした一人だった。明治23年に来日したハーンは、終生、日本のよき理解者であった。ハーンは友人宛の手紙で、「古き日本の文明は、道徳面においては西洋文明に物質面で遅れをとっているその分だけ、西洋文明より進んでいたのだ」と逆説的な指摘をしている。

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  • 12/26/17--02:03: 赤穂義士の武士道 ⑤
  • 先のプリンクリンが感動したという場面というのは、日本の武士が生命に変えてまで守り抜こうとした、「名誉」の美しさにあった。大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の御大葬の日、陸軍大将乃木希典は天皇に殉じて自刃を遂げた。殉死は300年前の寛永三年(1626年)に禁止されていた。赤穂浪士の武士道は、『葉隠』のいう「死ぬこととみつけたり」とは異質であった。

    赤穂浪士たちは結局死にはしたが、それが最後に残された選択肢となるような、合理的な合理的な思考径路をたどっていたことになる。物事は時として裏から見なければならぬこともある。「武士道」について、いわゆる義士の側から見た事例は史実の通りであるが、さて、それを不義士の側に立ってみればどうであろう。大石と並ぶ城代家老だった大野九朗兵衛のこと。

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    大野は途中で変節したのではない。彼は確信犯的な不参加者であった。元禄時代、赤穂塩田の経営並びに浅野家の財政は赤穂藩4人の家老のうち、末席家老で当時城代の職にあった大野九朗兵衛が万事を執り仕切り、筆頭の国家老大石内蔵助は、算盤もできない駄目男であった。そのため藩内で大石を昼行燈とあだ名して笑っていたというが、これは正しくない。

    それはいいとして、取り上げたい二名は、大石と共に江戸へ下り、決行直前になって逐電した脱落者の中村清右衛門と鈴田重八である。二人はそれぞれ置手紙を残して消えた。清右衛門は、父親もしくは目上の親族から、「討ち入りの徒党に加わるなら腹を切るとか、年老いた母を見捨ててよいのかと迫られたようだ。重八も母を捨てるか武士の一分を守るかのジレンマである。

    両者とも切羽詰まっての脱盟のようだ。これが武士道足り得るのか?彼らは武士なのか?いや、これが武士道であり、彼らは紛れもない武士である。人間の心は変わりやすいのである。「節婦は二夫にまみえず」という言葉があるが、個人の主体的自由の精神でいえば、こういう禁止は非人間的であろうが、女心は変わりやすいという洞察の真理に於いては人間的である。

    女心は変わりやすいが、男心が変わらないということではない。武士道とは武士階級に発達した道徳に過ぎないゆえに、道徳を破るのもまた人間である。二夫にまみえようが節婦でないと誰が言えよう。「忠臣はニ君にまみえず」も同じことで、二君にまみえようとも忠臣は忠臣である。多くの助命嘆願があり、幕府内でも論争があり、林大学頭と荻生祖徠は意見が対立した。

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    林は「同情宥免論」、荻生は「有罪厳罰論」で、二人の対立意見は出発点が違い、目標とするところが違うから、妥協点が得られない。が、将軍綱吉はこのどちらかを選ばねばならぬ。綱吉は殿中刃傷の際は、老中の諌止にも耳を傾けず即日切腹を命じた気短でありながら、吉良邸討ち入り事件の裁断に躊躇、12月15日に浪士を四家へお預けにした後、年が明けても決裁を与えない。

    独善主義の綱吉であるが、一面理義に明らかで、自分が忠孝主義者であるために、その好むところに偏して、天下の大法の権威を失墜せしむるような事をしてはならぬと、常に自ら戒めていた。彼はその衷心に於ては助命してやりたいと希望しながら、法の権威を維持するのは自分の何よりも大なる責任と考えて、涙を揮りながら、「切腹申付けよ」と裁決するに至った。

    坂口安吾は『堕落論』の中で赤穂義士について以下のように記している。「徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって、永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七士の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡俗へ又地獄へ転落しつづけていることを防ぎようもない。彼らが生きながらえて生き恥をさらして名を汚さぬようにとの老婆心であろう。

    武士道における「死」の概念は宮本武蔵の『五輪の書』にもある。「武士論の説く、忠の不忠の、義の不義という議論は生命に執着する人間に、生きのびることを正当化する理屈を用意するものであって、死ぬ事のみにおいて真実に生きうるとするものである」。"死ぬ事のみにおいて真実に生きうる"の意味は分かるが、現代人は真実に死ぬより嘘で生きながらえたい。

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    「武士道」を敢えて「武士道精神」というのは、江戸中期に始まり、明治になって武士から軍人へと引き継がれた為政者の論理で押し付けられた武士道という概念ではなく、義と意地のためには命さえ惜しまぬ武士個人の生きざま、魂、美学などの精神をいう。赤穂義士の武士道と新選組の武士道を比較するに、新選組は何の思想も持たない殺人集団という見方がなされる。

    新選組の「局中法度書」は、武士として生きんがための憲法であり、生への道標である。ここでいう「死」とは、罰則規定に他ならないが、私心を殺して誠忠をつくせ、という訓戒である。至誠貫徹のための局中法度書に反した者は幹部といえども切腹の厳罰となる。その番人が土方歳三だった。土方の旧友であり、大幹部であった山南敬介とて例外ではなかった。

    元治2年(1865年)2月21日、山南敬介、藤原朝信が脱走した。大津の宿で沖田総司に捕らえられ、尋問を受けた後に沖田の介錯で切腹した。山南の脱走理由は定かでないが、局中法度書第一条、「局を脱することを許さず」に抵触したための切腹である。新選組の隊長近藤勇は千葉・流山で投降斬首にて散る。副長土方歳三は弁天台場に孤立救出のため敵陣に突進した。

    近藤も土方もともに隊士救出のために自ら犠牲を厭わなかった。二人の行動は義を貫いた士道の実践である。新選組の武士道とは散華と見つけたり。赤穂義士の武士道には観念としての武士道はないが、元禄という平和で浮かれた時代に仇討ちを果たして庶民を驚かせた彼らの武士道とは情念の武士道であろうか。歴史を遠くから眺めれば、そこにはロマンがある。

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    時空を超えたはるか昔、この地、あの場所で繰り広げられた幾多の出来事。空間と時間のロマンがそこにある。45年前の恋人に遭遇したのも、人間の刹那の人生における歴史の1ページであろう。50年前になるだろうか、「人に歴史あり」という番組があった。人はみんなそれぞれの自分史っていうものがある。変えることのできない生きざまが自分を作ってきた。

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    人間がその成長過程で自己と格闘するものだが、なぜ格闘するのかを考えてみる。誰もが思うのは朝起きがけに、「あ~、仕事に行きたくない」という思い。「行きたくない」の程度の差こそあれ、「温かいベッドから離れたくない、このまま続けて眠れたらどれだけ幸せであろうか」などは当たり前に思う事で、一日の始まりはそうした自己との闘いから始まっていく。

    ごく小さな闘いであるが、「仕事に行きたくない」の原因が、それらとは違った会社の内情や人間関係に起因するなら事態は深刻である。「仕事に行きたくない」という小さな理由が大きくなれば、「仕事を辞めたい」となるが、その場合は一般的に転職を意味する。なぜなら、仕事をしなければ生きてはいけないという死活問題ともいえる目的意識があるからだ。

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    本当に仕事をしなければ生きていけないのか?乞食やルンペンはちゃんと生きてるではないか?その前に雑学として「乞食」と、「ルンペン」を記しておく。まずは、「ルンペン」という語句。本来はドイツ語で、「ボロ(服など)」を意味する言葉が最下層の労働者への蔑称として使われるようになり、日本語ではこれが転じて、浮浪者の意味で使われるようになる。

    「乞食」は、元々は仏教の修行のひとつ。托鉢(信者から必要最小限の食糧などをいただく)のことであったが、ここから食べ物を貰う姿だけを転用し、物乞いを指すようになったもの。「乞食」と、「ルンペン」は混同して使われるが、「乞食」は、「物乞い」をいい、必ずしも定住していないとは限らないが、「ルンペン」は、「浮浪者」をいい、物乞いをするとは限らない。

    したがって、「乞食」というのは職業的要素が強い。ちゃんと家もあって、乞食という職業に出かける場合もある。かつて傷痍軍人という白装束を纏った物乞いがいた。松葉杖の不具者であったり、黒い眼鏡で目を覆って目が見えなそうであったり、子どものころは彼らの異様な雰囲気に同情したが、父が、「あの人たちは働けるのに働かないズルい人達」と教えてくれた。

    父の言葉は同じ戦争体験者としてのシビアな見方でだったろう。みすぼらしい軍服姿で義足を付けて立っていたり、手や足がないままに路上に座り込んでいたり、その姿は他人の善意に付け込んだ、悪く言えば自らの力で生きつ気持ちがない人。近所の時計店の店主は足がない。義足を外して机の前に座し、一日中時計の分解・修理を行っていた。足がなくても働ける。

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    小卒で船場の問屋に丁稚奉公にだされ、主人に頬を叩かれて左耳の聴力を失った父だが、それを推して戦場に赴いた。脳裏には父の想い出と息子への父の想いが交差する。縁あって母との間に自分を設けたが、情緒障害(ヒステリー)の母に対して機嫌を損なわぬ配慮をする父の痛々しさは、母への腹立たしさと増幅していった。父が自分を拠り所にするのは分かった。

    が、母と息子を奪い合いすることはせず、想いはいつも遠くの岸からであった。母親は息子に依存するあまり、自分に息子を依存させんと企てる。母親の突き放せない愛情は自立を阻み、子どもに依存心を芽生えさせるなら間違った愛であろう。子の親殺しという惨事に触れるたびに、いずれもが「殺人」を犯した以上の罪を、親が子どもに与えていたのではないかと。


    人間は格闘するといった。自分と格闘し、親も含めた他人と格闘し、習俗と格闘し、道徳や倫理や法とも格闘する。「真面目な人」という言い方がある。定義は難しいが、規則を守り道徳や他人の言いつけを守り、朱に染まって生きていく人のことだと自己規定している。が、それが抑圧であるのは、真面目といわれる人の越した犯罪が実はあまりに多いからであろう。

    北海道・南幌町における高2女子の祖母と母殺しは胸が痛んだ。一般的にこの世で殺人ほど重い罪はないとされるが、そうした罪・罰は法治国家の建前論であり、人間社会の深部に目をやると、罪にならない殺人以上の行為はある。これをして、人間社会の矛盾とは、「最大の罪を最大の罪と規定できないことにある」。南幌町親族殺人はその顕著な例といえるだろう。

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    自分の母は猛烈なやきもち焼き人間である。だから、他人(息子)を己が意のままに支配しようなどの意識が強い。自分の家庭と似た事例はいくらでもある。以下はある実話である。嫉妬深い母親は自分の娘が父親と遊んだ後で、子どもをいじめたり、つれない態度をとる。父親は露骨にそういう態度を娘に取る母親を知ると、娘が忍びなく哀れに思い娘と遊ぶのを避けた。

    時たま娘が、「パパ、遊ぼう」といってくると、「ママと遊びなさい」と突き放した。そうした行動をとらねばならぬ父も哀れであるが、妻のためというより娘のためであった。父は自分が娘に嫌われてもいいと考えて、そういう態度をとった。その方が家庭は円満である。そうするうちにやがて娘は母親と結託し、「パパなんか大嫌い」と面と向かって言うようになった。

    そんなでは仕事も手につかず、家庭の中で孤立し、妻に対する善意と娘に対する配慮は一体何であったかという苦悩に陥る。二人から粗大ごみ扱いされ、あげく妻は離婚を前提に娘を連れて実家に帰ってしまった。父親は自問をし、その結果として出した答えは、「妻は絶対に許せない」というものだった。妻を殺したいほどの憎悪に駆られたが、彼は以下のように自分を納得させた。

    「自分の受けた仕打ちは、殺人を超えるものではない」。冷静な考えだろう。思えば自分も母殺しを企てたが、それを実行しなかったのは、「母親の自分に対する罪は、殺すほどのものではない」であった。罪にならない殺人以上の罪は絶対にある。そう信じるが、法はそれを許さない。殺人以上の罪はこの世にいくらでもあろう。が、法はそれを許すことはない。

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    感情の赴くままに行為するか、「理(法)」に殉じるかという選択であろう。法というのは、殺人以上の罪を認めてしまうことはできない。なぜなら、社会の秩序維持が保てなくなるからだ。情状の酌量はあっても、暴力や陰湿ないじめはが殺人以上の罪に該当することはない。人間にとって究極的なもの、決定的なものは理性である。決して感情に左右されてはならない。

    人間の謙虚さというものは理性のなせるわざゆえにか、その行為が卑屈にみえても、事に処するには「理」に適っていれば、何をも怖れぬ果断な一面を自分は有している。自分は幼少期から、感受性の高い子どもだった。感受性が高いとは、感性の研ぎ澄まされた人間である。何事も感性に優先で決めてしまうが、それが果たして判断なのか?と突きつけられた。

    判断というのは理性で行うもので、それはまた感情を抑え、追いやるものでもある。自分に最も欠けて、最も過ちを起こしやすいものは理性というのが分かった。感情とは思考ではないがゆえに、理性を育むことを自らに課した。自由主義者の考える自由とは、感情的な自由ではなく、理性に留めた自由である。昨今の自由礼賛は、そこが欠けているように思う。

    教師や弁護士や警察官による理性の欠片もない行動は、「自由」と、「感性」の穿き違えとしか言いようがない。「正当」とは何か?あるいは、「正統性」をいずこに求めるか?深く思考をすべきであろう。正統性を社会倫理に求めているだけでは、正統とはいえない。そういうしたことで自己の正統性を主張するものは、自らの行動を倫理に基礎をおいているに過ぎない。

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    「覆水盆に返らず」の出典は後秦の時代に成立した『拾遺記』とされ、以下の要旨となっている。太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。太公望が周から斉に封ぜられ顕位に上ると、女は太公望に復縁を申し出た。太公望は水の入った盆を持ってきて、水を床にこぼし、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。

    女はやってみたが当然できなかった。太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻ることはない。それと同じように、私とお前との間も元に戻ることはありえないのだ。」と復縁を断ったという。もう一つ有名なのが朱買臣の逸話であろう。平安末期に編纂された27話からなる説話集『唐物語』の第19話、「朱買臣会稽といふ所に住みけり…」とある。

    昔、朱買臣というものがいた。彼は努力家で、とても勉強家だったが、生活は苦しかった。そこで彼の妻は言った。「別居して、それでも愛し続けられるか試みてはどうでしょう」。朱買臣は妻にこういった。「私は50歳になったら富貴な身分になるが、もう40歳を超えた。お前は今までずっと苦労していたから、私が富貴になるのを待っていれば大いに報いようと思う」。

    それに対して妻は、「貴方と一緒にいてものたれ死ぬだけです。どうして富貴になれましょう」と怒ってしまい、仕方なく朱買臣は離縁を許した。翌年、県知事となった朱買臣は国に戻り、妻を探したが見つからない。ある日遠くにとても貧乏で身分の低い女とその夫が道を清掃しているのを発見した。見間違いかとも思ったが、よくみると間違いなく元妻である。

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    声をかけるのを躊躇い、気を使って日が暮れるのを今か今かと待ち、日が暮れた瞬間に声をかけた。女はびくっとして朱買臣を見、元夫であるのを悟った。朱買臣は二人を車に乗せて太守の公舎に置いて食事を給したが、斬鬼の念に堪えられない元妻は一月ほどして自殺してしまった。朱買臣は夫に葬る費用を与え、その他にもかつて恩があった者と会食するなどし、恩に報いた。

    伝説・説話には美しいものが多いが、史実とは限らない。朱買臣は前漢の人物だが、太公望の時代は書物などほとんどない。我々後人は、このような説話から何を学び、何を得るかであろう。坂口安吾はこう述べている。「人倫は水のように自然のものなんだ。ひっくりかえって流れた水は、どう仕様もねえや。もっとも、自然に元へ集ってくれるなら、それも良しさね。」

    「覆水盆に返らず」は、その出典から、「一度離婚した夫婦は元に戻ることはできない」とされ、それが転じて、「一度起きてしまったことは二度と元には戻らない」と言う意味に使われる。本当か?本当だろう。しかし、「絶対」という言葉はこの世にない。例えば光の速度は秒速30万kmを超えないという物理現象として自然界にはあっても、人間界に、「絶対」はない。

    「絶体絶命」という状況はあっても、どう好転するかわからない。自分は、「覆水は盆に返る」を信じる。が、安吾のいうように、「自然に元へ集ってくれるなら…」とはならないし、安吾は人為では難しいことを表現したのだろう。ネットには、「元には戻らない」という肯定派が多く、理論的な説明がなされているが、理論は行為ではなく、やってできないとは思わない。

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    「不可能」という言葉を絶対的に使うのも正しくない。なぜなら不可能は、「可能にあらず」ということだからやってみることがまずは前提であり、問題はそのやり方にあろう。例えば、信じあっていた彼氏や彼女、夫や妻の浮気はされた側にとっては苦悩であろう。が、許しがたい苦悩かどうかは、過ちを犯した側の真摯な反省と、以後の捨て身で接する行為にかかっている。

    それをやれてこそ真の反省であり後悔である。どのように罵倒されようと、叩かれ、足蹴りにされようと、犯した事実は消えることはないが、「赦し」によって減免され、犯した側の態度遺憾によってはついには赦免になることもある。赦免は感情の問題だから、赦免をしたくなるような相手の態度があってこそである。それを不可能というのは言葉の論理でしかない。

    現実に元の鞘に収まったケースはいくらでもあるが、これは、「覆水盆に返った」事象とは言わず、「盆に新しい水が乗った」という。などと理屈をいう者もいるが、言葉はどうであれ、当事者が赦免によって許され、わだかまりのない状態に戻ったなら、零れた水が盆に返ったといえなくもない。理屈好きには承諾できないだろうが、つまらぬことで意地を張るなである。

    昨日、「渡辺謙と南果歩が“離婚交渉”をスタート!」という見出しがあった。渡辺の不倫疑惑報道は2017年3月に遡る。渡辺は会見で不倫の事実関係を認めたものの、今後の結婚生活については、「言える立場ではない」と明言を避けていた。これが有責配偶者としてのあるべき態度であろうが、その後の別居生活などから、修復への歩み寄りは見られなかった。

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    こういう場合に、「盆に水は返らない」となる。渡辺が盆に返そうとしなかったということなら、妻はすることは何もない。泣いてすがっては見ても、夫の態度が頑ななら、むしろ泣いたりの行為はすべきでない。なぜなら、妻に直接的な非はないのだから…。しかし、夫婦のこと、男女のことにおいて、一方だけに全面非があることはない。だから、話し合いでそこを見出す。

    真の話し合い、善意なる話し合いというのは、互いの非を認めあうことであって、そういう態度が大事である。自分の非を指摘されずとも客観的に認め、それを反省し、解消する努力ができるかどうかであって、それがやれるなら覆水は盆に返らぬことはないが、人間は弱いがゆえに傲慢である。自分を変えて不自由に元の鞘に収まるなら、新たな生活を望むだろう。

    要は元に戻りたいか、戻りたくないかということだ。したがって、「覆水盆に返る」というのは、それを絶対的に目指そうという強い意志がいる。なぜそうしたいか?これが夫婦という男と女の一期一会を大切に、大事にする気持ちである。人間は誰にも自尊心がある。その自尊心をかなぐり捨ててでも、相手との信頼関係を大事にするか、したいかということになる。

    昨今の夫婦の多くはそれがない。所詮夫婦は他人であり、婚姻は紙切れ一枚のものというのは、古今同じであるが、それが、「覆水盆に返らず」の乱造となっている。今井絵里子、斉藤由貴、山尾志桜里、乙武洋匡ら、「疑惑も含めて、不倫の何が悪い」という態度は、誰かの言葉を借りれば文化遺産であり、それとは異質の涙会見を見せた藤吉久美子の不倫否定の核心を考える。

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    藤吉久美子の不倫疑惑報道で感じたのは、何のために太川陽介が会見したのかである。それだけ見ても太川のバカさ加減が判ろう。おまけにあの笑顔である。意図は分からぬでもないが、亭主関白夫が妻に浮気をされたことの体裁の悪さを、どう誤魔化すかという会見だったに過ぎない。「笑って誤魔化す」という言葉があるが、あれはまさにその場面であった。

    だから会見を開いたのだろうが、最近の亭主関白というのはなんともチャラいものよ。それでありながらあの対応や妻を信じるという発言が高感度を示したというなら、我々には今の時代感覚は理解できなくて当たり前ということになる。「人はその時代を生きる」というが、その時代とは人のピーク時をいう。藤吉は不倫はないといい、太川はそれを信じたという。

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    あれほど状況証拠がそろっているにも関わらずである。「人を信じるということは美しい」といわれるが、それは真実が疑われた場合である。真実が尊いのであって、嘘で誤魔化す相手を信じるのがどこが美しいのか?「妻を信じる」という以上、妻は真実を述べなければならない。それとも太川は、妻のいうことが嘘だとしても信じたいというなら、何とも目出度い男よ。

    普通に考えるなら、「妻のいうことは真実であるから信じる」なら分かる。「妻のいうことは真実とは思わないが信じる」というなら、その「信じる」は、「信じるに値しないこと」となる。「信じるに値しないことでも信じる」は、美しいのか?正しいのか?こんなバカげた小汚い話はなかろう。ならば問題なのは、藤吉が夫に真実を述べたか、嘘偽りを述べたかである。

    人は誰も嘘をつく。その中には自分を守りたいがゆえの嘘もある。前にも述べたが、女が自分を守るために嘘をつかなかった経験がある。あの時の体験は自分の女性観を、いや、人間観を変えるほどのものであった。世の中には様々な「価値」があるが、その中には、「真実の価値」もある。「真実の価値」とは何か?改めてそれについて考えてみたい。

    「道徳」というものがある。人間の社会にはさまざまな道徳がある。「他人に親切に」、「困っているひとを助けよう」、「信頼を裏切らない」、「浮気をしてはいけない」、「人のものを盗んではいけない」、「人を殺してはいけない」。これらを道徳という。「盗むな、殺すなは道徳というより犯罪だろ?」と思う人もいるが、道徳を法規制しているということだ。

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    重大なる道徳違反あ、主体性に委ねるのではなく、強制的に守らせようと法で縛る。倫理・道徳・コンプライアンスなどが大切なのは誰もが分かっており、法で縛っているにも関わらず、不倫が横行し、犯罪が多発し、コンプライアンスを守ららない企業は、歴史のある大企業にまで及んでいる。一体なぜだ?なぜに人はそういうものを守ろうとしないのか?

     答えは簡単である。「目的のために手段を正当化しているから」である。不倫もそう、凶悪犯罪もそう、企業の不祥事も、みんなそれで片づけられる。言い方を変えれば、「目的のためには手段を選ばない」ということ。これは正しいのか?正しくはなくとも、分からなければいいという図式である。これも別の言い方をすれば、「善悪は露呈したときに判断される」となる。

    絶対悪が風化し、社会全体が相対悪になりつつある。それを感じさせる現象ではないか。あの日産自動車が、神戸製鋼が、三菱が、東芝が…超優良企業の不祥事など珍しくなくなった。同じように、「えー、藤吉久美子が不倫?」と驚いた人は少なくない。不倫全盛の時代とは言え、不倫をしそうにない者がしたというのは、やはり驚きであるが、すべては仮面だったことになる。

    もっとも本人は否定をし、相手の男は雲隠れしている。幸いなるかな藤吉の夫である太川にも、「(不倫は)なかったと信じる」と言わしめた。自分は下半身に人格はないと思っている。というのも、恋多き女であっても、仕事をし、キビキビもし、さっぱり感もあり、頭脳明晰で、どこから見ても淫乱風情はなく、どこかしこ崩れていない女性を幾人か見てきたからだ。

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    「英雄色を好む」という言葉があるように、仕事のできる女性が「色」を好んでどこがおかしい?女性は清楚で控え目で大地に根を張った植物の如く、男探しにうそうそ動いてはいけないというのは、女性が虐げられ、抑圧されていた時代の名残である。「色を好んで何が悪い」、「男好きで何が悪い」とはいわないが、道徳的に崩れた人間の持つ弛んだ精神はどこにもない女性。

    なぜ、彼女はそうであるのか?周囲が不道徳とみなす性の乱れを、堅物の偏見と意に介さないのはなぜか?話せばわかるが、ようするに彼女は強い女性である。自分が自由であるがゆえに、自分の好きな男が他の女とどうなったところで、それを許せるほどの強靭な精神をもっている。多くの人はこの記述を見ただけでは理解はできないだろう。想像力に長けていなければ…

    「他人に依存しない者は自由に生きる権利を持つ」という言葉を自分は好むし、そのように実践をしてきた。これは「期待の期待というメカニズム」である。例えば不倫を嫌悪する人にとって、不倫実行者は自分の期待に添わぬ人、非好意的な人である。やがて人はそうした他人の期待を先取りする。そして不倫が個々の要求ではなく、社会一般の要求となっていく。

    内心は「羨ましい」と思いながらも、道徳的な人にとっては批判の対象として自らの羨望を抑える。不倫批判者の多くの人の内心は「羨望」であったりするものだが、そんなことはおくびにも出さない仮面をかぶる。道徳は守るべきというものではなく、自分の弱さ、自立できないから仕方なく従っているに過ぎない。これも人間の卑しさと解釈できる。

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    未成年者や子どもに対して「道徳的」に厳しいのは、彼らが単に未熟だからである。したがって、「所詮は道徳なんてものは、自立できない人間の弱さを表すに過ぎず、それがいいものだとはお世辞にもいえない」ということを理解できる人は、キチンと成熟した人間であろう。他人を傷つけたくないと躍起になる人間がいる。それはその人が傷つきやすいからだ。

    だから、自分が傷ついた時のあの気持ちを、いま同じように他人が味わうと思うとたまらなくなる。井上陽水の『氷の世界』の中に以下の歌詞がある。♪ 人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな だけどできない理由は、やっぱりただ自分がこわいだけなんだな…。ユニークな詞のようだが、実態としての陽水自身のことを書いている。彼は長年「感傷」を美と捉えていた。

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    映画『うなぎ』は夫の夜釣りに乗じ、妻が夫を自宅に引き入れていた。夫はそれを確かめるべく自宅に戻り、妻の浮気現場を目撃する。全裸で夫に対峙する妻は無言のままに夫に刺されてしまう。浮気現場に突然夫の出現という不測の事態に言葉を失う妻がリアルであった。そういえば元モー娘矢口真理も、夫留守中に自宅で浮気の最中に夫に侵入されている。

    言い訳や問答無用の現場直撃である。夫の中村昌也は矢口を刺し殺すこともなく、1千万程度の慰謝料で決着したという。殺す価値もない女を殺して自分も刑務所に入るバカバカしさを考えるとずっと賢明であろう。映画の妻はあまりに良妻すぎたことで怒りが増幅したのかも知れないが、この女を刺し殺すことで何の益が自分にある?などと考えないのが怒りというもの。

    浮気は夫のするもの、妻は夫の浮気に泣くもの。これはもう過去の時代の遺物。男女同権時代にあっては、「女が浮気をして何が悪い?」ということか。確かに男には妾が許された時代もあったが、戦後になって民主主義が導入され、自由・平等の男女同権思想が女性を家庭から解放し、社会参加を容認した。そのことで不倫や浮気の機会が増えたといっても間違いではない。

    婚姻であろうが抵抗なく自由な恋愛(不倫)をする女性も多くなったが、それでも男の浮気より女性の浮気の方が風当たりは強いのが正直なところだ。その裏には根強い男女差別が見え隠れする。国内ニュースをお騒がせしている不倫報道の数々をみても、女性側に非難が集中してしまうのが日本特有社会である。様々な事例はあるが、英王室のダイアナ妃を例にとる。

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    ダイアナは皇太子妃でありながら、婚姻中に幾人かの男性と交際していたのは有名な話で、特にジェームズ・ヒューイット大尉という自身の乗馬教師と5年間にわたり交際を続けていたが、当時は非難轟々だった。夫のチャールズ皇太子が現夫人のカミラと不倫していた時はダイアナの不倫ほど嫌悪感を抱かなかった人が多く、やはり女性の浮気の方が問題視されるようだ。

    理由は色々あろうが国民の意識調査においてもほとんどの男は、「妻の浮気は許せない」とあり、もし浮気が発覚したらまずは離婚という選択肢である。もっとも、妻にケツの毛まで牛耳られたひょっとこ男にはそういう気概がないかもだが、亭主関白を是認する太川陽介の場合、妻の浮気が事実だったら離婚するだろうか?あくまで想像だが、自分はそれはないとみる。

    妻の藤吉は疑惑発覚後に、男女関係を全面否定し、太川を持ち上げたうえで、彼なしでは生きていけないといったが、それほどのことをいう女が男と逢引き・逢瀬していたとなら、いかにも矛盾である。藤吉は文春に不倫疑惑報道をされた途端に、取った対策と見るのが妥当だろう。自分を守るためならどんなことでも言ってしまう、女のしたたかさを実感した。

    太川は不倫であろうことを疑いながらも、妻のあのような崇高な演技を見せつけられれば、怒りの矛を収めるしかなかった。藤吉も太川という男に許しを乞うためにはどうすればいいかを知っていたはずだ。それで元の鞘に収まるならメデタシ・メデタシといっておこう。が、あえて自分ならどういう解決策をとったかを考えてみた。ハッキリ言えるのはグレーゾーンにはしない。

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    元来、黒白をハッキリつけたい性格なので、自分にとってそのことは利害よりも重要である。まず、藤吉の言葉は信用しない。それはなぜか?ああいう女だからである。泣こうがひざまずこうが、大事なことは事実であって、泣けば事実を言ってるなどと全く思わない。事実をいうならむしろ泣く必要はないであろう。藤吉を信じないならどうする?相手の男を呼びつける。

    むろん、その前に自分の夫としての立場・自尊心を妻に話し、お前が嘘をつくということは相手の男を庇うことになるので、そうまでして夫を愚弄するような妻なら、信頼も何もないので即刻退去願うというだろう。そこではもう一つの案を出す。自分は何よりも嘘を許さない。事実を曲げて嘘をつく妻は許さないが、真実を話すなら今回は逢う過ちとして不問にする。

    そのためには相手の男を自宅に呼び、あらん限りの尋問をする。男の嘘というのは論理の上になされるので、論理の一貫性を崩せば簡単に落ちるし、自分にはその自信がある。その時にはお前の嘘もバレることになろう。それでも不倫関係はなかったと言い切るか、正直に述べて謝罪をするか、1日時間を与えるから考えること。2日後には男を呼びつけるからな。

    要するに何がしたいか?嘘をついたままの謝罪などは謝罪とは言わない。そんな嘘つき妻を持つノー天気夫にはならんという態度表明である。相手の男を問い詰め、ゲロを吐かすことになれば、妻は自分に嘘をついて相手に加担したことになる。そんな女は退職金(財産分与)なしの懲戒解雇を申し付けるということだ。財産が欲しければ裁判所に訴えたらいい。

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    面白いではないか、相手の男を自宅に呼んで、冷や汗たらたらで尋問をするのは…。もっとも、妻が正直に事実を認め、相手に加担することもなく、夫の敵は自分の敵と共闘してこそ、完全なる縁切りであろう。嘘の謝罪ではなく、正直に詫びて、相手男とあったことを正直に話させるのが理想であり、その上で男を呼びつけるのが、真の夫婦である。相手は誤魔化すつもりで来るだろう。

    ところが、妻は夫に真実をゲロしてしまっている。にもかかわらず、男は知らぬ存ぜぬと嘘をつきに来るわけだから、これほど傑作な話はない。男が観念した暁には、「一体どういう経緯で妻をたぶらかせたのか。正直にゲロせい!」と拷問並みに尋問をかけて、相手の自尊心を粉砕させ、「誠意があるなら自分で慰謝料額を決めて持ってこい!」ということもできよう。

    妻の嘘の謝罪と、相手男に加担して真実を言わない態度が許せないということで、こういうことをやってみる。正直に話すのと、嘘をついて、その嘘がほころぶさまをドキドキしながら夫の不倫男への尋問を聞くのと、どっちを選ぶか?こういう選択を妻に迫ることで、人間は嘘をつく利が本当にあるのかないのかを考えるだろうし、考えさせるべきと思う。

    大体において、人間が真実を隠して嘘をつくのは、嘘に「利」があると思うからだが、本当にそうなのかを考えさせなければ真実を言わないだろう。つまり、真実を言った方が自身の「利」になるという風に持っていければいいわけだ。親は嘘をつく子どもを戒める際に、「嘘をつかずに本当を言えば許す」という手を使う。それで子どもが正直にいうと、許さない。

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    こういうのは卑怯千万である。本当を言わせるために親が嘘をついている。こういうことをされると、子どもは親に対して信頼をなくすだろう。本当に真実を大事にしたいなら、正直に述べた子どもの罪を不問にし、正直に述べたことの感謝をすべきである。真実に勝るものはない。という教育はやってできないことはなかろう。もちろん、妻に対しても通用する。

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    沢山の出会いがあった。出会いの数だけ別れもあった。思春期の入り口を15歳とし、その後に異性との別れは結構あった。男と女が恋をすれば、恋から学ぶのは異性の正体だろう。正体?いや、実態というべきか。異性を知るためにはまず己を知ることが先決だが、そうもいかないのが若さというものだ。自分を知らずに、「異性が分からない」と、これが若さである。

    「異性が理解できない」などという。それ以前に自分の性が持つ性質をわかっていないことが、異性についての苦悩であり、悩みの種である。「何で男はああなの?」、「なぜに女はこうなんだ!」。これらは、自身の特性を知らずに自らの主観で相手を見てしまうために起こる不満であり、イライラである。相手のせいというより一切は自分が作り出したもの。

    これは異性に限らない。他人と自分の価値観の違いにおいても起こり得る差異とは、自分と他人を同じ価値基準で見てしまうところにある。これを視野が狭いという言い方をするが、視野が狭窄なのは人間が未成熟であるからだ。球はどこから見ても球だが、世の中は四角四面でなりたっており、球であるがごとく、どこから見ても丸く収まるということにはならない。

    相手が分からない、理解できないからと責める前に、相手を理解できないのは自分の何であるかを考えること。視点や思考を己の内に向けてみると答えは導き出されることが多かった。したがって、相手を理解できないのは、理解できない自分がいるということになる。他人のことは自分の問題なのだと。例えば男は女ほど感情を使わず、理性的に判断することが多い。

    それが理解できずにイライラを募らせる女性がいるが、理性的になれといってもすぐには無理だろう。女ができることは、男には男なりの考え方があるという性差を理解する。自分が絶対的に正しいなどと思わず、相手の考え方と自分の考えの相違点について考えたり話し合える人を賢いひととし、それ以外はバカ。これが目指すところの人間の成長もしくは成熟である。

    「そんなことやってられない」とか、「そうまで冷静でいられるわけがない」という人、これがバカの常道。将棋を指す人にもいる。「俺はあまり考えない早指しだか…」などというが、自身のスタンスだから結構なことだ。なのに負けたときにこんな風にいう。「自分だって考えて指せばこんなもんじゃない」、「考えないから負けた」。よくもこんな羞恥なことをいうよ。

    そんな言い訳をする奴らがじっくり考えて指すのを見たことがないし、できないことを、「しない」といってるに過ぎない。学校の成績についても同じことをいう人間がいた。「勉強すればできたけど、しなかったから」などと、こういうことを恥と思わぬところに成熟を感じない。勉強ができない人間を一般的にバカというが、「やればできた」、というのはバカを超えている。

    当たり前のことを過激な言い方をするとこうなる。正月早々、「過激」が悪いとは思わない。そもそも、近年の正月のイメージは昔人間から見れば、以前のような独特の正月風情はない。それも正月ならかつての正月らしさはないが、これが現在の正月らしさという時代観である。昔人間はまた、「一年の計は元旦にあり」といったものだが、これもあまり聞かなくなった。

    今年の正月は、ちょいと驚くことがあった。1月1日の0:01分に届いたメールである。それが誰かはおいおい話すが、思い出すのは、誕生日の前日から彼女のアパートに泊まったことがあった。一応することをして寝ていた矢先の夜中の0:00に起こされた。何があったのかと思いきや、0時を超えたら自分の誕生日だと、それでわざわざ寝てる男を起こす女も迷惑千万だった。

    感動し、喜ぶとでも思ったのだろう、それが彼女の情緒である。こういう女の行為を「かわいい」と思うか、「わざちらしい」と思うか、男の感性であろうが、自分は起こされて不機嫌だった。なぜ、0時を期してでなければならぬのか?相手がそうしたかったという情緒の問題だ。最近の言葉でいうなら、「演技性人格障害」に十分当て嵌まるやりすぎの行為である。

    「なんでこんな時間でなきゃいけないのか?」、「だって、そうしたかったんだもん」。小さな座卓の上には冷やしたシャンパンとバースデーケーキがあった。男の中には羨むものもいよう。自分もそんな風にされてみたい。望んでされるものでもないが、メーワクなことでも、喜んであげる感性は自分にはなかった。正直なのも時と場合によっては仇とでるもの。

    さて、0:01分のメールの送り主はここにも記した45年前の恋人だった。書いてはなかったが、「一年の計は元旦にあり」を行為したのだろうし、そういう世代の女性。自分はこういう計略的なことはしない。「善は急げ」、「思い立ったが吉日」、「今日の仕事を明日に延ばすな」で生きてきた。物事を先送りするのが性に合わないし、今できる事を明日に延ばす理由がない。

    もっとも、「今日できない事を明日できる人間はいない」ということを信奉している。人間は忘れることもあるから、何事も先送りする人間は、ついつい忘れて失敗をしたことがあったろうし、自分にもある。忘れにために手の平に書いておけというのも方法だが、何といっても忘れない最善は、今できることを今行うこと。これに勝るものはないし、沁みついている。

    差出人のアドを見たときから、中身の想像はしたが、そのものズバリだった。出だしの言葉は、「45年もずっとどうしてるかと想い続けていて、偶然話ができた事嬉しかった。でも、突然私の前に現れて又突然去って行ってしまうのかと、やりきれない思いです」。45年前のことについても彼女は同じような言葉を述べていた。「何で突然私の前から消えたの…?」

    彼女の視点に自分はそう映っていた。今回もそうだが、そうせざるを得ない理由をすくなくとも彼女は想像しただろうし、想像はすれども確たる理由は分からない場合が多い。世の中の人たちは、そうした際には、自分の責任をあれこれ考えたりするが、もし彼女がそうであったならのっけの書き出しは違うものになったであろう。おそらくこんな言葉が浮かんでしまう。

    「突然のお別れを言われ、私なりにあれこれ思いを巡らせました。あなたがそうしなければならなかった原因は私にあったと思います。自分の非を認めることなく、あなたを責め、嫌な気持ちにさせたことは時間を経て、冷静に落ち着いてみればわかったりもするものです」。というように、少なくとも自らの非を、落ち度を真剣に思考する人なら、導かれる答えとなる。

    思いのほか長文で、彼女がこんな長文を書く人とは思わなかった。その理由として、出会った当初は全角70文字のショートメールでの交流を提案され、自分はそれには不承知だったが再会の重みを考えて受け入れた。自分の携帯は子どもから贈られたもので、家族連絡に使うだけで、携帯は自分には荷物ツールである。持ち歩かないし、出会う人に番号を教えたりもない。

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