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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    イメージ 1早いもので、かれこれ11年になるが、この場にいろいろ書いて来た。「書く」は「思う」の具現化、書かなくとも思いや思うことはある。が、「書く」は行為であり行動である。好きな異性を心に思えども、愛の手紙を書けばそれは想いは行動に乗る。心の中は見えない、意思も見えないが、行動することで意思は表明される。為せど成らぬこともあるが、「為せば成る」ともいう。

    昭和39年の東京オリンピックで、女子バレーを金メダルに導いたニチボー貝塚監督大松博文の『為せば成る』を思い出すが、後にこれは上杉鷹山の言葉であるのを知った。鷹山は次期藩主・治広に家督を譲る際に 申し渡した3ケ条からなる藩主としての心得であり、伝国の辞であった。やれば出来ると誤解されているが、やらなきゃ何も起こらないという本意である。

    10余年の記事の中で最も多いのが子どもについての記事であろう。子どもと言っても我が子ではなく、子どもという総称であり、子どものことを書くと熱が入る。「子どもに自由を」が基本理念だが、製造者としての親の価値観が子育ての基本となりやすい。そのことはいいけれども、一切合切をがんじがらめに縛るという親から子どもは解放されるべきと考える。

    自由と責任は表裏にあり、自由にさせるからには責任が伴い、子どもに責任を取らせるのは無理であるからして、子どもに自由を供与した責任は親がとる覚悟が必要であろう。それらについて種々思考した。英才教育を施すのはいいが、全てを犠牲にし、遊ぶ時間をも奪って学習に専念させたはいいが、それで挫折した場合の責任を取る覚悟をもって実施する親はいない。

    挫折や落伍者になるなど、ハナから前提にしていないからだろうが、子どもの自由を奪うことで偏向的で歪んだ性格の責任を親は取りようがない。その点、親から自由を供与された子どもが後に、「なぜ勉強しろって、うるさく言ってくれなかったの?」と親を責めるだろうか?自由にさせていても、自覚して主体的に向学心に殉じる子どもはそれなりにいた。

    元来勉強嫌いの子を無理強いして成功したケースがあるのか?馬を水辺に連れて行けども、水を馬に飲ませることはできない。足るを知らぬがゆえに親が我が子に夢を抱く。よって、子どもを自由にさせた親が、子どもの責任を取る必要はない。ただ、自由にさせる=躾をしない、善悪良否を教えないというのではない。よって、芸能人の大麻息子は親の責任だ。

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    今回、清水アキラの息子の不祥事で会見に臨んだ父のアキラが涙ながらに、「家族なんで…」と喚うていたが、その意味は、「他人なら知らんが、家族だから痛い」ということだろう。これが肉親の情であろうか。自分は肉親の誰とて自分以外は他人と考えているからか、息子が悪を行えば悪人である。悪に手を染めた息子に涙を流して嗚咽するなど考えられない。

    その事で批判が渦巻いたからか、一転清水アキラは勾留中の良太郎被告に、「保釈させるつもりはない」と伝えたことを明かした。これとて共依存親子である。未成年の息子ではあるまいに、150万円の保釈金を親から工面してもらわねば払えないわけではあるまい。これは親子の世間イメージを挙げるための臭い演出芝居だろうが、こんな子供騙しでイメージが上がるのか?

    保釈は何びとにも認められた権利である。勾留されている期間が『反省するにはまだ短い』と清水は息子に話したという。ブタ小屋の飯を多少長く食らえば反省が増すというものでもあるまい。なのに、「良太郎は黙って父親の言葉を聞き、『わかりました』と声を絞りだすように言ってハンカチで涙をぬぐいながら、『妻と子供をたのみます』と話したと明らかにした。

    こういう浪花節的ヘボ芝居を誰が感動して聞くだろうか?清水アキラも涙を流し、「オレも、お前の兄貴も、家族だから」と伝えたことも明かした。こんなの明かさなくていい、臭い三文芝居なんか、ケツに蕁麻疹がでそうだ。良太郎被告は父に1億円もの家を買ってもらっているというが、そういう親であるから息子の不祥事に関与するのだろう。どこまでも共依存親子である。

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    一般的に子どもは第二次性徴期に自我と格闘し、様々な苦悩を持つが、そこに親は立ち入ることができるだろうか?できるとは思わない。親が立ち入るのは、子どもの思春期の障害となることばかり、それが自分の忘れ得ぬ体験である。子どもの悩みについて話を聞こうとする親はいるにはいるが、さりとて本音というより、道徳論主体の建前ではないだろうか。

    子どもの悩みが果たして建前論で解消するとは思わない。そういう時にこそ人生体験の多いフランクな親は建前を排し、本音で向き合う。子どもにとって、これほど現実的で勇気づけられる生きたアドバイスはない。道徳論をかざす親は、実体験が少ないゆえに、儒家思想的道徳論に委ねてしまう。子どもに大切なのは真実の伝達であるべきだが、その勇気が親にない。

    立派な親であったと君臨したい気持ちもあるのか。自分は中高生の悩みに触れる機会が多くあった。多くの子は、「どうせ努力してもぼくはダメ、放っておいてよ」などの言葉が目立った。彼氏の子を身ごもった高校生は、「うちは頭悪いし、顔も悪いし、モテないし、でも彼は『好きだよ』といってくれた。嬉しかったけど、妊娠するなんか考えなかった…」と嘆く。

    「子どもの人権」が流布される傍ら、限りなく沈黙し続けるものが気がかりで仕方なかったが、自尊感情が育まれる土壌が希薄な社会のなかで、彼らにどのようにして自尊感情を身につけさせればいいのか。大人の若者に向けるメッセージは、偉そうな嘘にまみれた言葉ばかり。中高生の望まぬ妊娠は大人の責任である。性行為の素晴らしさと同時に避妊の重要さも教える。

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    諸外国の親は子どもを見くびることなく、キチンと向き合えるから性を日常的なものとして子に伝授できる。性の真実は人間の真実である。親と子、教師と生徒を水平の関係に誘える唯一のことである。人間の真実を隠さず、過不足なく知らせて初めて、人には『自尊』の活力が漲ってくる。であるのに、学校も家庭も子どもの自尊感情を育む教育をしてはいない。

    「教育とは何か」のお題目ついて、学校教育には学校教育法に順どった目的があるのは知っている。そうした目的や目標に沿って子どもを指導しようとすることで、教師は生徒を拘束し、強制する立場にたつことになる。が、果たして、「学校教育法」は人間教育なのか?その昔、「修身」というのがあった。これは帝政時代の遺物であるが、まさしく人間教育であった。

    何びとにあっても、10代、20代という年齢は、まちがいなく友情や愛情に揺れ動く。友情と愛情とどちらの価値が高いか、それを問うのはどうであろうか。なぜなら、愛情の前にあって人の友情は無に等しくなる。ゆえにか、愛を必ずしも良しとしない考えもある。仏教においては、愛は厄介で困った感情とされているが、自己犠牲的奉仕がキリスト教的愛である。

    自分は仏教や、キリスト教を含む宗教全般にに造詣はないが、それがなくとも愛は人の中で自然発生するもの。宗教はそれらを体系づけたものであろう。ところで愛と愛情のちがいについて考えてみる。ただの愛ではなく、その下に情がつくことでどういうちがいが生まれるのか。愛も情も目には見えないが、愛とはある種人間の理知的な感情という気がしないでもない。

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    それに情が加わることで、瑞々しくも潤いに富んだ、生き生き感が加えられるように思うが、どうであろうか。漱石は、「情に棹差せば流される」というがどういう意味かといえば、前半の、「智に働けば角が立つ」と対に考えると理解になろう。彼は、「智に働けば角が立つ。情に棹差せば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」といった。

    前半部分の意味は、理性的・合理的過ぎるとちょいと冷たく協調性にかける。で、情に掉を差すとどうなるか。船の棹は、川底を棒で突いて舟を進めて行くものだから、棹を強く突けば突くほど早く進む事が出来る。元々、(情という)流れがある所に、更に情でもって棹を突けば、どうしようもなく流れて、舟をコントロールできない状態になってしまうだろう。

    自分や自分に近い人の事は、親子や夫婦、兄弟の事にあっては、理性では分かっていながらも、ついつい感情が先に出てしまいがちになる。ということを述べている。さするに文面からが、漱石が人間の、「智・情・意」をネガティブに捉えているのが伝わってくるようで、人情、同情、強情、欲情、多情などの言葉は、古臭い感情の代名詞として嫌悪される部分もある。

    愛が人に施す何かであつというなら、愛情とは自分をそういう気持ちにさせられる何かである。「行為」が大事か、「思い」が大事か、これについて自分は後者である。なぜなら、行為で心(情)をごまかす事はできるが、心は行為がなくても存在する。が、相手に伝わらない事はままある。伝えたいと思うか、伝わらなくても自身が満たされるか、後者は人間の成熟であろう。

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    愛情の消失した夫婦が長年の慣習で、クリスマスやバースデーにプレゼントを贈ることにどういう精神的意義がある?内館牧子の『義務と演技』ではないが、こういう自己欺瞞は自分に堪えられない。呼びかける愛もあれば、無言の愛もあると長年思ってきた。以前、「真心は形にして伝えよう」というお歳暮のCMがあったが、まあ、「お歳暮するな」とは言わない。

    真心は自分の中にあればいい、相手が気づかなくても自身のそれは動かないものだ。もし相手に伝えたい気持ちになったなら、それは本当の真心なのだろうか?「真心だって、伝えたいかもしれないじゃないか」との異論はあろうが、真心ってのは相手に伝えるべきものなのか?自らの内にある真心を伝える必要を自分は感じない。なぜなら、真心は自分のものだからである。


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    昨日はブログを書いた後にウォーキングに出た。歩きながらずっと考え続けていたが、「真心」についてである。「真心」という言葉を使うには使ったものの、「真心」というのは一体何なのだ?「真心」が何か分かっているのか?分かっていて、それで使ったのか?などなど…、「真心」についてしこたま考え続けたが、「真心」が何であるかを突き止めるは、実は至難であった。

    「真心」という言葉の意味ではなく、現実的な、「真心」の実態である。言葉がある以上存在するだろうが、「愛」と同様に漠然として定義づけられない情動の理解は難しい。難しいけれども、「これが愛だ!」、「これが真心だ!」など、言うのは簡単である。試験の答案用紙ではないのだから、実態を納得できるほどに把握するためには何が必要か?頭のよさではあるまい…

    それで方法論としてこう考えた。自分の過去において、「真心」なるものを誰かに抱いたことがあるか?もちろん、「真心」には段階があろうし、とりあえず3段階に分けてみた。上の真心、中の真心、並みの真心と分け、いろいろな人間を浮かべながら真心を送った相手の有無を探ってみた。翳んでしまっている過去の記憶を、当時のままに思い出すのも大変である。

    それでも自分は人から50年前、60年前のことを覚えている性質なのか、竹馬の友らは一様に驚く。自分的には、「彼らはなぜ覚えていないのだろう?」である。おそらく感受性の問題だろう。自分の最古の記憶は2歳~3歳ころ、寝かしつけられるために祖母に背負われて夜道を往来していた時、月が自分の視線から消えずにずっとついてくる。それが不思議で仕方がなかった。

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    これこそが忘れ得ぬ最古の記憶である。「真心」というけれども、「真心」を本当に分かる年齢というのはいつ頃からだろうか?心と真心に区別がつけられる年代といえば、やはり思春期あたりかも知れぬ。恋心を抱く異性はいても、真心を抱いた相手が出てこない。恋心と真心は字も違えば実態も違うだろうが真心を、「真剣な心」と解せば、当時の恋心は真剣だった。

    異性にはある種の畏敬の念があった。手に触れたい、抱きしめたい、唇をふれ合わせたいとかは全くない。ましてや、入れたいなどはとんでもない。少年期のあの頃の異性を想う気持ちを言葉にするのは難しいが、まぶしくも美しく輝く存在であっただろう。異性の美しさとは本能的なもので、幾多の巨匠が絵にし、掘り物として異性を描くのは、そこに美を見るからだろう。

    肉欲的な、「性」とはまったく無縁の、手に触れることさえ躊躇わるほどに異性に跪く僕であった。異性と同所で同じ空気を吸えればそれでよかった。恋愛というのもが人間を性の営みに駆り立てるのを知ったのは、20歳にはなかったろう。異性との性の営みはどこか罪悪感もあり、本質は恋愛だった。ある異性を好ましいと思う恋情は、必ずしも性そのものに結びついていなかった。

    性の欲求の希薄さより、上記した罪悪感である。プラトニックラブ(精神的恋愛)なるものこそ尊ばれるものという内なる支配が、欲情を罪とした。が、恋愛感情と性の衝動が分裂することなく、一つのものとなる時期はいつぞや生まれてきたが、自分の場合はやや遅く、女を性の対象として見え始めたのは、23~24歳くらいではなかったか。それまでは好意の対象であった。

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    「好きでもない相手とできるか?」。今なら小中学生レベルの問いであるが、20歳過ぎた青年期においても話題になった。自分は、「ノー」といい、ほとんどの友人は、「イエス」であった。それが根底にあったのか、自分は商売女というものに触手が動かなかった。恋愛を生じないままに性衝動が発生することのなかった自分は、周囲の男とは違った人種では、と思っていた。

    また、愛の実態も分からず見えず、愛という意識などより、ただ、「好き」という気持ちが異性に向いた。自身の青少年期の異性に対する精神活動は、精神恋愛が原型にあった。性は罪悪と思いつつも、性はまた本能であった。異性に好意を持たれることより、自分が異性に好意を抱くことが優先した。人を想う心、人を恋うる心、返しはなくとも満たされるものがあった。

    話を戻すが、真心を抱いた相手についてだが、率直に浮かぶのは妻である。結婚前の妻ではなく、結婚後の新婚時代の妻でもなく、10年後、20年後の妻でもなく、婚姻後25年辺りの妻である。その理由とは?結婚後25年目にして初めて妻に贈り物をした。結婚25周年を世間では、「銀婚式」という。それもあってか、過去一度もなかったプレゼントを思い立った。

    理由は、「銀婚式」ではなく。感謝という、「真心」が自分の中に沸いたことで、それならばとの行動である。贈り物はミキモトパールの50万円のネックレスと、封筒に入れた100万円の束である。この時ばかりは妻に、「真心」を形にしたいと素直に感じた。が、お金はともかく、ネックレスを喜ばないのは分かっていた。ネックレスなどの装身飾りを嫌う女は、人がしてもしない。

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    宝石など何の興味も示さぬ女であるのは知っていた。が、「真心」の大きさを表すための、気の利いた買い物といえば宝石くらいしか浮かばなかった。この一件以外に、真心を込めて何かを表した相手は見当たらない。「真心」さえあれば行為は厭わないが、それすらない相手に繕った行為の発想は自分にない。彼女と言われる女は少なくないが、真心を贈った記憶は誰にもない。

    一人だけ指輪をせがまれて買ったことがある。当時流行っていたムーンストーンは、流行っているから欲しがっている程度に思っていた。他の彼女に買ったものはあるが、心を込めて贈ったという記憶はない。そんななかで今回、「真心」のようなものに出くわした。相手は45年前、短い期間だが好意を抱いて会っていた女。当時は、彼女や彼氏とかの言葉はなかった。

    付き合うという言葉も交わさぬ時代。好意がある同士が自然に引き合い会い、男女として結ばれる。今風に言えば彼女で、自分は彼氏となるが、45年前の相手にそういう言葉は似合わない。どうして再会したか?ここ1年くらい自分は毎朝リンゴとキウィが常食である。それに加えて季節の果物を添えるが、今はもっぱら柿が多い。して、出会いのきっかけはリンゴである。

    45年前に、彼女が田舎から送られてきたというリンゴを剥いてくれた。そのリンゴはなんと中心部がリンゴの白さでなく、蜂蜜のようであった。今でいう蜜のことだが、そんなリンゴは初めてだった。彼女にとってはそれこそがリンゴだといい、彼女の実家は長野の伊那地方、リンゴ農園を経営農家と記憶していた。ということで、ふと何気に伊那地方のリンゴ農園を探した。

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    あった。彼女の姓と同じ農園だ。産地直送とリンゴ狩りをやっている。これが彼女の実家かも知れない。そう思いながら電話をしてこのように問うてみた。「リンゴ狩りに行きたいのですが、そちらは〇〇妙子さんのご実家でしょうか?そうであれば、伺いたいと思います」。それに対する応えは、「いえ、うちは違います」であった。残念だが再度同じ姓の別の農園に電話を入れた。

    同じように尋ねたところ、「妙子さんの実家ではありませんが、彼女の実家の農園を知っています。妙子さんの兄さんと仲がよかったので…」。先方の言葉にときめく胸を押さえつつ、冷静に告げた。「是非そちらに伺いたいので、よろしかったら電話番号でもお教えいただけませんか?」。「イイですよ。兄さんは3年前になくなったので、嫁さんの携帯でよければ…」

    早速、伺った番号にかけてみた。「妙子さんのご実家と〇〇さんからお聞きしました。東京の学校に行かれていた妙子さんで間違いないですか?」。「はい、わたしは妙子の兄の嫁です」。「お兄さんは亡くなられたとお聞きしました」。「はい、今はわたしが一人で農園をきりもりしています」。「妙子さんはお近くにお住まいですか?そちらのリンゴの味が忘れられません」。

    兄嫁には、自分が東京在住時代の友達と、彼女が一緒に住んでいたと言っておく。「妙子は静岡の方に嫁いで、今もそちらに居住しています」。言いにくいが自分は意を決して言ってみた。「もし、差支えなければ、妙子さんの電話番号なりを教えて頂けたらと思うのですが、当時のリンゴのことなど話してみたいので…」。怪しまれぬよう計らいながら明るく尋ねた。

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    兄嫁は自分の姓を聞き、一応彼女に問い合わせてみると自分に断った。その間、2~3分であったろう、兄嫁から連絡があった。先ほどと打って変わった和らいだ声でこういった。「知ってるそうです。下の名前まで言ってました。電話をしてみてください」。何という流れであろう。遂に彼女を探し当てた自分の行動力を褒め称え、お目当ての妙子さんにかけてみた。

    数回の呼び出し音に続いて、「は~い」とその声は紛れもない記憶の隅にあった彼女の声だった。現在は65歳になっているが、声は顔と同じに名残を残している。自分は当時の呼び名を呼んだ。「〇〇ちゃん?」、「そうで~す。〇〇ちゃんだよ」。45年の歳月を飛び越えて耳にする彼女の声…、そして彼女が聞くは自分の声…。二人にもたらせたもの、これがノスタルジーというものか…。


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    彼女との出会いは、彼女のバイト先の銀座並木通り「喫茶ポニー」だった。自分も同じ「銀座コージーコーナー」でバイトしていた。「ポニー」のケーキ売り場に二人の女がいた。一人は音大生のバイトで当時19歳。もう一人は正社員の女で当時23歳。何度か会話をしているうちに音大生をデートに連れ出すことになった。名は妙子といい、控えめで優しそうな子だった。

    自分は巷にいうところのナンパ師ではないが、こと恋愛には積極的だった。「いい」ものはいい、「よくないもの」はよくない、「すき」なものはすき、「きらいなもの」はきらいという率直な気持ちは人間に対して躊躇いはなく、話しかけることを遠慮する理由は何もなかった。行為は自分のためになされるものだが、ゆえにか、相手が迷惑であるか否かには敏感であった。

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    「彼は純粋であるが、害を及ぼすことはない」。「彼は真っすぐであるが、激することはない」。これは『老子』58章の中の一節だが、純粋はいいことでも他人に害を与えてはならないを言い換えれば、他人に害を与える純粋さは正当化できないということになる。相手が迷惑と言えば、いかなることも迷惑であり、それを察知したなら、自分は相手にとっての害である。

    自らの気持ちに正直に行為することを悪いとは思わない。がゆえに、相手が迷惑か否かについては敏感であるべきかと。純粋であることを自負する者は、この基本をはみ出してはならないと常に言い聞かせている。これが今回の記事の大きなテーマでもある。洋菓子店でバイトをしていながら、別の洋菓子店でケーキを買うのは何らオカシクない。だから洋菓子店は乱立する。

    ということでポニーで彼女を見初めた。「何でわたしみたいな女に声かけたの?」と初デートの時に言われたのを覚えているが、同じことを今回もいった。「みたいな」という言葉の意味はわかっているが、若い頃の自分はそれを上手くは説明できなかった。でも、今回はキチンといえた。「派手でケバイ女は好きじゃないんだよ。〇〇ちゃんはすっぴんで素朴だった」。

    もっと率直にいうなら、「ブスが好みなんだよ」ということだが、これは本人を前にいうことではない。もう一人の女は化粧も派手の多岐川由美似の美人だった。「ブスが好み」というのは大概理解されない。が、そのことを自らで考えたことがある。松たか子が出て来たとき、自分は彼女を美人と断じたら、「あんなのどこにでもいる普通の顔」と言われて驚いた。

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    ノーメイクのすっぴんの地顔の美しさを評した自分である。かつての吉永小百合や和泉雅子、本間千代子ら、日活清純スターはノーメイクが売りだった。清純派は化粧などしてはならないとの決まりはないが、化粧を施さなくても美しい地顔を持っていた。松たか子はそうした化粧全盛の時代に「ふっ」と現れた女性。だから、「どこにでもいる女」と評された。

    自然の造形ほど美しいものはなく、ゆえに芸術とは「自然の模倣」だといわれる。自然の美しさに人が心を奪われるからだろうが、多くの巨匠たちによって画かれた女性の美しさに顔の美しさの描写はない。美人を描くというより、生身の女性を描くということに芸術家は虜になっている。したがって自分の考えは、美人でなくとも女性であり、十分に女性であり得る。

    世に、「美と真」があるなら、「美は真理の先導者」であろう。つまり、真なき美は美にあらず。芸術家の格闘は表層の美など見向きもしないだろう。ロダンはブロンズ彫刻の中に骨や筋肉や内臓や血流を求め、ダ・ビンチも、白い肌に透けて見える動静脈を表現を意図した。美しい旋律である自らの5番交響曲を、「作為に満ちた駄作」とチャイコフスキーは嫌悪している。

    知覚とは心の総体である。ユングも、「意識の機能は心の総体」といっている。美人を美しいと感じるのも、不美人をいいと思うのもその人の心の総体であるということを長々と書きたかった。妙子さんは自分と出会った直後にポニーを止めたが、自分その後もポニーにモンブランを買いに寄っていた。ある日、ポニーのもう一人の美人から小さな紙片を渡された。

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    後は省略するが、今回彼女にはそのことを話した。「あんな子のどこがいいの?」って言われたと、その後の流れも正直に話し、いまさらながら「ごめんなさいね~」と無意味な謝罪を、無意味と知りつつ面白く述べた。それでも彼女は驚いたのか、「わたしの知らないところでいろいろあったんだね~」という。それはそうだし、人間は自分の前の事しか見えないもの。

    あらゆる人間は、親子であれ、夫婦であれ、恋人であれ、それぞれが別の事実を生きている。別の日常が互いにありながら、時に時間を共有していることになる。ゆえに、それぞれ個々の時間も体験も、決して共有できないそれぞれ個々のものである。この現実を踏まえて、他人が行為した事実を、片方は、「隠し事」と責めるのは、不条理なエゴというものだ。

    別々の時間を生きる者に、隠し事などないはずがあろうか?いかに共同体に生息する者でも、個人は尊重されるべきだが、そういう許容量のない、エゴイストが他人の携帯を覗いたりする。これは信頼関係を損なうものであろう。では、信頼関係とは何か?婚姻者であるなら貞操を守ることなのか?守るべき義務を課せられた貞操ゆえに、守るに越したことはないのだが…

    これは他人が他人を上段から見据えることでなく、当事者の問題である。当事者間に起こったことを当事者が判断し、解決するものである。善悪良否は誰でもいえるが、人間はのっぴきならぬ生き物であって、ゆえに間違いも悪も行為する。それぞれに個々の時間がある以上、共同体意識はあっても、時に共同体意識から離れた、個人の時間である。その流れは止められない。

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    夫や恋人の携帯を無断で覗く理由が、「何もないなら見られて困ることはないのでは?」。これほどバカげた言い分があるだろうか?手紙やメールは誰にも侵されるべきでないプライベートなもの。夫婦に親子に恋人にはプライベートがないと言い切る、バカの所業である。その内容遺憾に関係なく、他人のプライベートを犯す権利は誰にもないが、独善論で正当化する。

    まあ、自分には関係ないがバカと言っておく。行為者も同じように独善論を振りかざして、自分をバカと言えばよい。共同生活者は、信頼の上に成り立ち、信頼を裏切らないのはやぶさかでないが、裏切る・裏切らない以前に、信頼を損なう行為をすることが問題であるという、そのことに気づかぬエゴ所有者。を、身近に置いて文句がいえないのも自分の選んだ相手である。

    「彼は信頼を裏切った」と、携帯を覗き見した者との罪の大小ではなく、「目糞鼻糞を笑う」者同士が、納得のいく話し合いをすればよい。どちらも自己正当化をせずに話し合えば、間違いなく解決はできる。民事などの些細な紛争にしろ、出会いがしらの交通事故にしろ、夫婦の諍いにしろ、親子の価値論争にしろ、自分の非を認めあって話せば、必ず解決はする。

    自分の非を認めようとしないという愚かさが問題である。話し合いとは言い合いではなく、自分の非の認めあいである。世の中には気づかぬこと、知らないこと、正しくないこと、正しいこと、そう言うことが山ほどある。人間自身も至らぬこと、強欲なこと、的確でないこと、思い込んでいること、そういった感情支配がある。そのぶつかり合いが人間社会だ。

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    自分は優で相手は劣、自分はまともで相手は変、自分は正だが相手は邪、そういう見方はいくらでもできる。先般、米コロラド州にある空軍士官学校予備校の学生寮で、黒人学生を侮蔑する人種差別的な罵倒が、学生の部屋のドアについた伝言板に書かれた問題を受け、士官学校校長のジェイ・シルベリア中将は9月28日、士官学校の全校生徒と教職員を集め、強い口調で述べた。

    「本日は、私自身の最も重要な考えを皆に伝えておこう。もし、誰かの尊厳を尊重し、敬意をもって接することができないなら、すぐにここから出て行け。性別の違う相手を尊重し、敬意をもって接することができない者は荷物をまとめてここから出て行け。人種が違う、あるいは、肌の色が違う相手を尊重し、敬意をもって接することができない者は今すぐ出て行きなさい。

    我々みんなが一丸となって、道義的な勇気を持てるように、スタッフや関係者及びこの部屋全員すべてが我々の組織だ。諸君が私の言葉を必要とするなら、私の言葉を心に留めて欲しい。もう一度繰り返す。たとえどんな形でも人を侮辱するような者は、ここから出て行ってくれ!」。多種多様な価値観や思想を背景に持つ人々が、同時、同所に生活する際の教訓である。

    「人をいじめていい気になる子は学ぶ資格がない。そういう子は学校から出て行きなさい。家でいじめる相手はいないが、親からいじめられるなら、わたしのところに相談に来なさい。自分の不平や不満を、人をいじめてはらそうとするような子、また、それに乗っかるような子はこの学校にふさわしくないです。それでもいじめを止められないようなら、明日から学校に来なくていい。」

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    自分が校長なら、これくらいは言うかも知れない。おそらく現行の学校教育法では問題になる発言かもしれない。が、考えてみよう。いじめがなくならないのは、強い気持ちと信念をもって教師が行動しないからだ。上の言葉でいじめがなくなるか、それは分からないが、問題のある所においては、問題のある解決法が、試される場合がある。それでクビなら即刻辞める。

    45年を経ての恋人との再会話が別の内容になった。が、次元の違う話のように見えて、顛末を知る自分にとっては、一切が物事に関連する。思わせぶりも本意でないので結果をいうが、45年目の再会は、あることを契機にわずか3日で終焉した。つまるところは、別々の人間個々の価値観の違いであり、苦言を述べることではない。ダメと思えば止めれば済むこと。


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    老年期にある人間には誰にもノスタルジーはある。自らが体験しなくても、45年の歳月を経て再会と聞けば、無関係のものでも多少の感動は生じるだろう。様々な話の中で、「わたし離婚したよ。27歳で…」。離婚などに驚く理由はないが、驚いたのは次の言葉。「それからずっと娘と二人暮らししてきた」。「そうなんだ、娘さんはいくつ?」、「39」、「お嫁に行かないんだ…」

    この時彼女は、「そうなのよ、行かないんだって」と、嬉しそうにはしゃいでいた。自分が期待したのは、「そうなのよね~、いい人見つけて幸せになって欲しいんだけど…」であったが、その思いは瞬時に覆された。ばかりか、嫁に行かない娘であることが凄く幸せであるような感じに違和感を持った。引き合いがないのか、意思がないのか、理由は種々あり即断は禁物である。

    下手なことも言わぬがよかろう。自分の家族状況を聞いてくるので、さりげなく答えておく。そういった会話の中で、彼女が心に溜めていたと思われる言葉がでた。「でもさ、何でわたしの前から急に消えたの?」。これは女が男に向けた最大の責め言葉であろう。一瞬、たじろぐ自分。彼女はそういう思いを引きずっていたのかと、男としての罪悪感が湧きあがる。

    5分ばかし話したところで、「ごめん!わたし今仕事中なの。日本生命やってるよ。今、車でお客さんの家に行く途中だから、夜の八時にかけてくれる?」。いったんそこで電話を終えた。その時点で最も意外な事実だった。離婚のこと、39歳の娘と同居を超えた彼女の生保レディという仕事に自分は驚いた。45年前の清楚で控えめな彼女が保険の営業など信じがたい。


    あらためて、「人は変わる、環境や境遇とともに、また時代とともに…」という言葉が頭を過る。彼女の罪ではないが、自分がもっとも嫌いな職種が生保レディであったことも重なった。自分に限らず生保レディのしつこさを嫌う男は結構多い。ネットで「生保レディ」を検索すればわかる。なぜ生保はレディが主役なのか?男のしつこさより、女性の方が社会の許容量があるからだろう。

    女性を主にした勧誘は以前からあったが、自分の知識でいうと、住友生命が極度に若くて美人を雇い、会社や事務所に集中攻撃をかけていた。若くて美人に同僚が鼻の下を長くしてええカッコするのが、たまらなく滑稽だったが、自分は美人に言い寄られてうつつを抜かす男は嘲笑の的だった。「俺が美人をちやほやするとでもおもっているのか?」と、不愛想を強める。

    美人にちやほやされる男の気持ちが分からぬではないが、承服できないのは美人に対して男は腑抜けになるということを自覚し、利用する女に我慢ができない。「美人を糧にそそのかしたいだろうが俺には効き目はない」と、自分の男として矜持である。昔のアイドル歌手はそれなりに歌もこなせた。デビュー前に厳しく鍛えられたのだろう。聖子はともかく、明菜もキョンキョンも。

    ところが近年の歌すら歌えないアイドルは噴飯物である。団体で誤魔化すとかも同列であり、そういう中身がなくて表層で取り入れようという魂胆が気にくわない。人はともかく自分はだまされない。と、これは自分が人間としての矜持である。本物志向というのか、これが昭和20年代を生きた我々の矜持である。つまり、我々の時代の特質は本物が出現したことにある。

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    「団塊の世代のハートを揺さぶるCMは、本物志向のインパクトを与えること」。これが電通、博報堂などの大手広告代理店のコンセプトである。ディランを初めとし、プレスリーからビートルズ、日本では拓郎、陽水、赤い鳥、オフコース、チューリップなど、誤魔化しのない本物のアーチストに触れてきた我々世代の眼力は、本物とまがい物をくっきりと色分けできる。

    そういう自負と現実こそが我々世代の矜持である。美人は何かにつけてちやほやされるが、それ自体は美人のせいではない。男の可愛さであろう。だから、自分はそんなマヌケな男にはならんと戒めた。陽の当らないブサイク女にこそ、「知・情・意」を宛てる採掘主義者に憧れを抱く。気が付けば少数派、反権威で天邪鬼、これこそが自分という人間の矜持である。

    何が面白くて付和雷同であらねばならない。100人が右の道を行けば、臆することなく自分は左を選ぶ。そこには強靭な自己責任が伴うのは承知である。したがって、「みんなが右を選ぶから自分も選んだのに…」そんな言葉は我が辞書にはない。こういう人生の楽しみかたってあるし、ともすれば「男は偏屈であるべき」という偏見を持っている。

    多勢に属さぬことで、個性と勇気と力と責任感が備わり、備わってきたとの意識がある。群れなければ何もできない若造には、孤立を怖れぬ強い精神力を養えと言っておきたい。そうはいっても自己分析に鑑みていえば、人間というのは複合的に成り立っており、「雄々しい」外見の人の内に、なんとも、「女々しく」も優しい女性的な部分が潜んでいるものである。

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    善悪というより、それが人間の多面性であり、複合的な在り方であって、人が一筋縄でいかないのはそういう点でもある。妙子さんが生保レディであることに何の罪もないが、基本的に彼女らのしつこさの源泉というのは、他人の都合などまったく考えないという職業脳である。もっとも、営業という職種はそういうものだと思っている。相手の都合や気持ちなどを考えたら仕事はできない。

    よって、優秀なる営業社員とは、自分のノルマや成績や収入の事でイッパイであるが、いかに相手の身になっているかを演じ、演出することだろう。「慌てる乞食は貰いが少ない」というように、慌てず、せかさずなど短絡的にならず、見込み客の地道な管理こそ、優秀営業マンではないか。人を騙すような営業は最低だろう。同級生の生保レディを出入り禁止にした。


    これほどあからさまな嘘をつき、嘘をついたとも思わず、他人を責めるようなバカは、図々しさとか厚顔無恥を超えた、イカレポンチとしか思えないが、理性的な男にもそういうのがいるにはいるが、女性の感情主体傾向に理解のある自分でさえ、許せない嘘がある。嘘をつくだけなら許せるが、嘘をつきながらもその嘘をベースにして相手を責める。これは人倫に悖る行為。

    夜の8時を待っていたかのように、電話を入れた。話は当然ながら45年前から始まる。「でもさ、何でわたしの前から急に消えたの?」という会話の続きということもあり、自分がその話題を振った。「急に消えたといったけど、自分が君のアパートに出入りしてて、友達は気を利かして外出してくれていたのを、その子の友達に責められたろ?確かに配慮はなかった」。

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    というと、彼女は、「なにそれ?そんなの嘘でしょ」という。ルームメイトに遠慮なしの彼女自身の振る舞いから、第三者が乗り込んできて、苦言を言われたことくらい、忘れぬはずはなかろうと思うのだが、まったく記憶が飛んでいる。その友達のことを「キツイ物の言い方をする」とは言っていたが、自分の出入りを咎められたことは、まったく覚えていなかった。

    二人の行く末にとって大事なことだからと、自分は明快に覚えていることで、現にそれ以降自分は出入りを止めている。それを彼女はただ、「あなたはわたしの前から急に消えた」と、結果だけを頭に入れているのが腑に落ちなかった。結果には要因があるが、その要因を飛ばして結果だけが頭にあるのが女というものなのか?不思議な感覚に襲われたが、彼女は絶対にないと言い張る。

    自分は日記をつけていたわけではないがと、ここは確かな記録として聞かせたく、「当時の日記に書いてあるから聞いて」と、ブログの文を読み上げた。すると、彼女はやや嫌悪感的ないいかたで、「日記って自分のものでしょう?人に聞かせるものじゃないと思うけど…」。この言葉を耳にし、自分は彼女が頑固で思い込みの激しい人間であるのを瞬時に理解した。

    二人は事実を確かめ合ったハズ。それを、「日記なんてのは…」という言い方は本質からずれた、自己正当化の覆りを拒否した言い方である。女にとっては事実などはどうでもよく、大事なのは自分の思いである。それが思い込みであったとしても、それを拒否するという脳細胞の構造ではないのだろう。と、同時にそれは彼女の自分を恨む気持ちであろうと、善意に察した。

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    彼女に哀しい思いをさせたのは事実のようで、それが分かればそのことだけは受け入れようとした。なぜなら、彼女の気持ちに立てば自分の主張の一切は言い訳、弁解でしかなく、それは無意味なものに思えたからだ。「あなたの当時の気持ちを理解できました。哀しい思いをさせて済まなかった」。45年前の結果が覆らぬ無意味な謝罪と思いつつも、それが適切と感じた。

    そもそも、謝罪とは何のためになされるものか?謝罪をして事が覆ることは往々にしてない。だから謝罪は無意味とは言わぬが、謝罪に変わるものを摸索するなら、それは誠意である。誠意をどう形にして表すかは、状況や人によって異なるが、企業などの不祥事に対する、ありきたりの、型通りの謝罪が何のためになされているかを想えば、行為にすら苛立ちを覚える。

    「社員は悪くありませんから」と、自主廃業となった山一証券の当時の野澤社長が、目を真っ赤に腫らして泣いた姿に誠実さを感じた。「ああいう席で泣いてどうする!」という批判の声もあるが、それをいうなら、「ああいう席で泣けるか?」である。泣きたい嗚咽を我慢して泣かない、そういう人間が批判するならいいが、涙の一つも出ない形式社長に批判の資格はない。

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    事は45年前の恋人再会話であるが、そのことだけをオーバーヒート気味に一喜し、一憂したところで己が拙いマスターベーションに過ぎない。あえて書き、共感を得たところで主婦の日常日記と同等である。事象に何が潜み、何を学び、何を糧にしていくかを摸索して生きた自分は、未だその名残がある。公益とは烏滸がましいが、今後も人間理解に準拠して行きたい。

    「若者は未来に生き、老人は過去に生きる」などという。過ぎ去りし昔を懐かしむのは老年の特権であろう。老人に未来がないのではなく未来像がない。若者にも過去はあるがノスタルジーがない。過去は老人に美しく、若者にとって過去は悔いの山。あの頃の日々が美しかったわけでもないのに、若さへの憧憬が美しき日々に勝手に押し上げた幻想にすぎない。

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    美しいと思うがゆえの幻想である。『輝く青春』という映画があった。『青春の輝き』という曲もある。青春が輝いて見えるのは、青春を終えた者の郷愁であろう。春が何であるかは冬になって初めてわかる。牢獄にいて初めて人は自由の価値を知るように、人は青春に於いては苦悩の只中にあるが、少しばかりの楽しみを享受し、辛抱しながら生き切った者に青春は輝く。

    青春の苦悩に耐えかねて命を捨てた者たちがいたわしい。彼らには後の輝く青春はない。人生を曲がりなりにも生きてきた我々の義務とは、「何としても苦しさにを耐えよう」そのことを、少年・少女たちに諭すことか。そういう思いでブログを書きながら、若い人の新たな死を耳にすれば心が痛む。いじめのもっともな原因は、他人の短所ばかりに目が行くことだ。

    自分の行いはさて置き、人は他人の行いを見る時に、長所を見、短所には目をつむるべきである。他人の短所を見れば、自分の方が優れていると錯覚し、それはまた自らの向上に寄与しない。長所を見れば反対の効用となる。強い劣等感に苛まれた者は、他人の短所ばかりに目をやり、それを自分の生き甲斐にする。つまらぬ優越感を拠り所とした人間の末路は想像できる。

    それを美しいと思うことで、何でもなかったあの時を特別の日々にしようとする。過去の恋人に会いたいなどはノスタルジーの典型であるが、そういう投稿は結構ある。読む側に羞恥心が芽生えてきそうなほどに、精神年齢の甘さを感じさせる。過去に拘る女性もいるだろうが、往々にして男のロマンチシズムである。女は現実に適応し、現実に順応して生きて行く。

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    「ね~、静岡に出てこない」。意外な言葉だった。特別深い意味はないのだろうが、「今はプラトニック気分満載だ。おいおいそうなればいい」。自分は正直に答えたつもりだが、「おいおいそうなればいい」と言ってはみたが、その実が心にもない言葉であった。自分は彼女に会いたいなど思っていないし、交流が続いたところで、そういう気持ちにはならないだろう。

    会いたいと思えば会うのは難しいことではないが、無理を承知でいうなら、自分が本当に会いたいのは45年前の彼女である。彼女の消息を知りたかったのは事実だが、会いたいからではない。45年前の想い出を語り合いたかっただけで、65歳の彼女に会うことはむしろ避けたいのが本音である。理由はただ一つ。会うことによって何かが損なわれるのが嫌だからである。

    何かとは何だ?20歳の彼女の想い出を大事にしたいからで、それが壊れるのは明らかと思うからだ。45年前に思いを寄せる本当の理由は、45年前の自分に会いたいということで、どういう意味かといえば、自身が当時の気持ちになりたいのだ。そのために、彼女と電話で話す必要があった。20歳の彼女のイメージを抱きながら65歳の彼女に会うことなど考えもしない。

    それは「衝撃」の予感を感じさせられる。1999年にあるテレビ番組を観た。吉田拓郎が、地元広島の放送局の企画で、彼の初恋に相手嶋田準子に再会するというもの。嶋田準子と言えば拓郎ファンなら誰もが知る、『準ちゃんが吉田拓郎への与えた偉大なる影響』という楽曲。「たくろうオン・ステージ第二集」A面トップにあり、タイトルも長いが曲も10分以上と長い。


    拓郎は彼女とは高校を卒業してから会っていなかったので、テレビ局が企画した再会劇は38年ぶりということになる。再会場所と演出は、拓郎が高校生時代を過ごした県立皆実高校の教室である。当時拓郎は、放課後ここに嶋田さんを呼び出し、自分が作った恋歌を聴かせたという。もちろん拓郎は38年間一度も彼女の顔をみていないが、彼女は拓郎の顔も活躍も知っていた。

    いざ、「ごたいめ~ん」となり、現れた嶋田さんを見た時の拓郎の驚いた様子が、そのままテレビに映し出された時、観ている我々とて驚いてしまった。何に驚いたかといえば嶋田さんのその日の井出達である。岩下志摩の極道の妻ばりに結いあげた日髪に、留袖の和服姿。なぜ彼女はそのような商売服で現れたのだろう。拓郎も自分も予想だにしない準ちゃんであった。

    正直な拓郎は再会を喜び、感激のあまりのたうち回る感じはまったく見られず、困惑し狼狽するのを何とか隠そうとの態度ありありだった。これは今でいう放送事故レベルである。拓郎ファンの我々にとっても、「準ちゃん」というのは、これまで姿も見たこともない謎の女性であっただけに、驚きはかなりのものだった。これ以上はいうまい…、という全貌である。

    曲中に以下の歌詞がある。♪準ちゃん君がどう変わっても、想い出だけは残る。38年ぶりの再会で準ちゃんのあまりの変わりように言葉を失った拓郎が、準ちゃんに会えてよかったと思ったのか、思わなかったのか、それはテレビを観た我々が判断するとして、妙子さんから伺った彼女の結婚の経緯は何とも切実だった。短大を卒業して二年間東京で働き長野に帰ったという。

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    何の仕事をし、何で帰郷したのかは聞かなかったが、信州の山奥の閑村に帰った22歳といえば、当時の女性の適齢期であった。過疎地における男女の出会いは想像以上に大変なようで、彼女に地元での縁談話はなく、静岡のとある町工場の跡取り息子話を親から聞かされていた。彼女はその気がなかったようだが、とりあえず住み込みで働いてみることを親に命じられた。

    結婚の約束というではなく、しばらく相手方で仕事を手伝うということで送り出されたというが、同じ部屋で寝泊まりすれば周囲の思惑通りに事は進んでいくだろう。子どもができて祝言をあげたが、「結婚相手を選べなかった。自分には結婚は合ってないと思う」という彼女の言葉には同情させられた。27歳で離縁したものの田舎には帰れず、静岡で娘と生計を立てることになる。

    出戻り女がおめおめ田舎になど帰れない時代である。その後の事は聞いていないが、女一人手で幼児を連れての生活は想像を絶する。過疎地ゆえのこうした形の結婚は理解はできても、自由恋愛を営めなかった彼女は被害者のように感じられた。多少なり彼女を知る自分として、恋愛下手という感じは否めないが、「自分に結婚は合わない」の真意は測り兼ねた。

    こうした苦労をする女性もいるんだなと、制度や時代が生んだ犠牲者としての彼女に感傷を抱く。翌日、自分は長野の兄嫁にリンゴ配送の電話をし、その際静岡の彼女の住所を教えてほしいと頼む。本人に聞けないわけではないが、無断で地元の名産でも送りたいとの流れで聞きだした。さて、何を送ろうか。牡蠣もいいが、好き嫌いもある。となると洋菓子が無難か。

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    かつて彼女は洋菓子店で働いていたこともあり、広島でも人気の高い佐伯区の、「無花果」の広島バームクーヘン、瀬戸田町レモンケーキを送ることにした。母と娘が食後の団欒の後で紅茶でも飲みながらの状況を浮かべながらの舌づつみを想う浮かべながら、真心を届けたかった。「真心を贈った女は二人」と記事にある妻と、もう一人の片割れが彼女である。

    知人女性が長きに渡って友人と贈り物交換している。男同士ではあり得ないから理由を問うた。「プレゼントはお酒だったり、ハンカチや靴下など友人の好みそうなデザインのものだったり、選ぶ楽しさと最近その友人の存在に感謝の思いが以前より深まり、『元気でいてくれてありがとう』の気持ちで年に一度のお祝いです。大袈裟かな。」とメールに記されていた。

    今回の行為の背景には、「元気でいたんだ」の気持ちも彼女にあったが、母娘のひと時の団欒イメージが大きかった。「真心」というものは自身の内なるものであり、伝える必要はないとの考えを披露したが、ポイント稼ぎや良く思われたいなどは微塵もなくば、真心などと意識もなく、美味しいものを美味しいと、ひと時の幸せに浸って欲しいとの気持ちであった。

    人の行為における複雑な要素は、自らに分からぬこともある。こちらの住所は広島県広島市広島町一丁目一番地とした。同封の手紙にその理由を、「気を使わせたくないから…」と記す。着いたらお礼はくるだろう。なくてもよいがそうもいかぬ人間社会。ただ、お礼などは無用と思いながらも、お礼を言われて返事に窮することもある。人間関係にあってお礼は謝罪同様難しい。

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    お礼に対して、ある時は、「いいえ」。ある時は、「はい」。または、「ご丁寧に」などが常套句。「お礼なんかいらない…」は、礼をいう相手を慮ってないので使わない。礼を言う側も、どういえばよいかなどを苦慮することもある。ならば端的に短く、「ありがと」でいい。礼に対する意識の希薄のあまり、不愛想になることもあったが、これはお礼下手の自らへの反省の種でもある。

    股旅の放浪ヤクザが、とある村の諍い事の助っ人をする。座頭市シリーズも概ね同じ内容だ。彼らは義侠心に満ち、人助けは糞を垂れるが如くだが、助けられた村人にとっては天の成敗である。しかし、礼に愛想をせず、芋の一個とて受け取らない。たまりかね、「せめて、お名前だけでも…」とすがる村人に、「名をいうほどのものじゃ、ござんせん」と去って行く。これが男の世界。

    翌日夜にメールがあった。おそらく返礼であろう…


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    気心触れ合う同士なら、「余計なことせんでいい」などと平気で言える。最近、山田孝之&新井浩文男のジョージアのCMで、男の世界が表されていて思わず笑った。「あいつの分も買って行ってやるか」と、共に心が重なった。ライバルに塩を送った謙信ではないが男は露骨を嫌う。それが、「余計なことすんなよ」の言葉。黙して分かり合える男の世界である。


    比べて女は言葉を好む。露骨を好む。女はそれでいい。型どおりの礼と思いし目をやるも出だしにに驚いた。「気を悪くしないで聞いて」という言葉…。今はメール一切を削除しており、正確な全文ではないが、以下のような内容であった。「こういうことされると迷惑なので、すみませんがしないでくれませんか。電話とメールで交流したいので(以下略)」などと書あった。

    とりあえず驚いた。が、同時にしてしまった後である。勝手に善意と思ってやったことだから、それが仇になる事も世の中にはあるが、それならそれなりの対応があろうし、とりあえず自分なら相手の善意に以下の気遣いをする。「広島の味を届けてくださってありがとうございます。善意に感謝し、今回は戴きますが、諸般の事由により今後はなさらないでください。」

    迷惑の理由は記されてないが相手が迷惑なら迷惑である。上記の「諸般の事由」なら理由を聞く必要がない。型どおりの謝罪よりも、何を謝ればいいのかを理解する方が、今後の円滑な人間関係に大事であろう。自分は、「悪意はありませんでしたが、迷惑といわれるならキチンと謝罪をしたいと思います。差し支えなければ迷惑の真意を聞かせてほしい」と返信した。

    再度言うが、善意を悪に解されることは往々にしてあるが、「悪」には、盗みや暴力や詐欺などの絶対悪と、相手次第で、「悪」となる相対悪がある。相対悪は、相手が迷惑かどうかを事前に知ることはできない。今回のケースも迷惑の理由は見えてこない。「そちらに迷惑をかけるので」などの言い方を恐縮というが、「こちらが迷惑」というのは初めての体験だった。

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    「夫がいないということで起こした行為で、そういう配慮はしたつもり…」というのも書き添えておいた。が、自分の迷惑の意味に対する彼女の言葉に、再度驚くことになった。「あなたは夫に配慮したといっていますが、娘に配慮をしていませんでした。中にあった手紙を娘が読んで、二人の過去を知られました。だから、今後は手紙は書かないで」という内容である。

    文面から事情を理解できた。が、同時にすべてのことが瓦解をし、崩れ去るのが分かった。悔いも迷いもなく、躊躇いもなく、彼女との交流を終えることをやさしく告げた。こんな内容である。言い訳、弁解の類は嫌いなのでしない。行為は純粋でも人に害があればそれは無に帰す。善意を押しつける気はないので、送ったものは仕事場に持参して皆さんで分けて欲しい。

    最後に、「短い期間でしたが、ときめきを有難う。元気でいてください。さようなら。」と書いた。こういう決然とした態度が自分という人間の矜持である。別れるとは関係なくなること。恋の終わりにおいても夫婦の解消においても、終焉である以上、意図して二度と会うことがない以上、何も言わぬ方がいい。言いたいことは山ほどあっても言わぬ方がいい。

    別れに際し、「これだけはどうしても言っておきたい、伝えておきたい。それが相手のため」。さらには、「このことだけは知っておいてもらいたい」。などの気持ちにかられたとしても、別れることの決断は、それらの一言さえも相手に伝えることなく、別れるということである。とかくしつこい人間がいる。そういう人はこういった場合に於いても、しつこさが出る。

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    元の状態に戻りたい、戻るには何が必要か、それに固執するから悲劇を招く。終わると決めたことは、忘れるも含めた一切をなかったことにするのが、別れをプラスにすることだ。何とかもう一度復元できないかなどと、元の世界に固着し、流れの変化を押し戻そうとすると、かえって失うものが大きくなる。自分は一切をナシにできる精神力を持っている。

    だから人には厳しい。ゆえに相手の吟味も厳しい。自分が譲歩できない部分は絶対にしない。ごちゃごちゃと女々しく何かを言ったりもしない。去ればいいだけなのに、何をいう必要があろう。去りたくない、後ろ髪を引かれる思いがあれこれいわせるのである。「あなたは突然、わたしの前から消えた」と45年前を彼女はいったが、思えばそれが優しさと思う部分がある。

    思わせぶりや、気のないのに相手を引き留めておく、ストックを目論む男がいる。女もいるのだろう。それこそが自分の都合で相手を搾取していることになる。冷酷なようだが、跡形もなく消えてやるのが実は愛情であろう。これ以上に態度を明確にすることはない。言葉を吐くのも、無言で去るのも、傷つくのなら、何も言わぬことこそが清々しい訣別かもしれない。

    罵倒の限りを言い尽くして別れるのは、できるなら避けるべきであろう。憎しみを抱くより、本質的に自分に合わない相手と理解するのが明晰である。親宛ての荷物を開封する、親宛ての糊付け封書を開封する。そういう家庭だったというだけである。それらが当たり前の家庭であったと、ただそれだけである。そうであるなら、こういうシュミレーションにはなってもよかろう。

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    「お母さん、荷物が届いてたので開けてみたら、手紙があったので読んでみた。」

    「あら~、お母さん宛の手紙を?そんなのダメよ。やばいこと書いてなかった?」

    「書いてあったよ。この人、お母さんの初恋の人でしょ?もしや初めての人?」

    「だったらどうする?」

    「素敵だね。45年も経ってまた出会えるなんて、なんか羨ましい…」

    「相手の人が、お母さんを探し当ててくれたみたい。」

    「すご~い。だったらこれから老いらくの恋が始まるのね。顔とかみてみたいな」

    「最初の人が最後のひとだなって、すごすぎない?」

    「なにバカなこといってんのよ。それよりいい人見つけなさいよ。お母さん、明日急死するかもよ」

    「その人、きっと泣いてくれるね…」

    こんな風な母娘でないのは、「迷惑」という言葉に現れている。荷物開封も封書開封もそれはそれでいいが、それを相手の罪にすることが心のキャパのなさである。人は自分の価値基準で他人を批判するが、他人としては至極当たり前のことや、そういう環境を実践していることに対し、他人の批判が何の意味を持つ?批判をし、批判が許せないなら、黙して去ればよい。

    これを自分はカーライルから学んだ。若い頃はカーライルの言葉の本質が分からなかった。例のレストランで不味い料理を出された際の一節である。かーライルは、「文句を言わずに料理を残し、黙って立ち去るのがいい。そして二度といかなければいい」というシュチであるが、黙ってないで文句の一つでもいうべきだと若い頃は思っていたが、今は理解できる。

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    娘が密封の封書を勝手に開けて気まずい思いをしたのは、「あなたが手紙をくれたこと」と言われれば、それすら受け入れよう。その家のしきたりに批判を述べても単なる自己満足にすぎない。上のシュミレーションは素敵な会話と思うが、こういう母娘がそれを読んでもそうは思えない。だから、「迷惑」などと他人に罪をかぶせる。ふと『斜陽』の一節が頭を過る。

    「お母さま、私ね、こないだ考えた事だけれども、人間が他の動物と、まるっきり違っている点は、何だろう、言葉も智慧も、思考も、社会の秩序も、それぞれ程度の差はあっても、他の動物だって皆持っているでしょう?信仰も持っているかも知れないわ。人間は、万物の霊長だなんて威張っているけど、ちっとも他の動物と本質的なちがいが無いみたいでしょう?

    ところがね、お母さま、たった一つあったの。おわかりにならないでしょう。他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、秘め事、というものよ。いかが?」。お母さまは、ほんのりお顔を赤くなさって、美しくお笑いになり、「ああ、そのかず子の秘め事が、よい実を結んでくれたらいいけどねえ。お母さまは、毎朝、お父さまにかず子を幸福にして下さるようにお祈りしているのですよ。」

    「秘め事」とは何とも情緒のある味わい深い言葉であろう。今の子たちか「エッチ」というが、人間の生活自体、あるいは世の中の動態自体に、情緒が失せたのだろう。腹水は盆に返らない、先進的な文化は逆行はしない。古き良き文化を味わうためにはこうした文学を紐解くしかないが、こうした純文学さえも文献資料に変わろうとしている昨今の事情である。

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    妙子さんは自分の惜別を受けて、「誤解をさせてしまったみたいですみません」とあった。後には何やかんやあったが、もはや自分に彼女の一切の言葉は目には入らなかった。「昔の彼女に会いたい」というのはネットに多い。それぞれに求めるもの、意図するものはあるのだろうが、人は人だ。会いたいとも、会おうとしないでも、交流する意味や意義はあったであろう。

    自分は彼女の「生」の実在を知りたかった。空想や想像ではない、声も含めた「生」の実在感である。人の一生は短い。たかだか80年程度とあまりに短いなら、人生行路の中で出会う人はそれぞれに意味も意義もあった。そのなかの誰とて後年に会話を交えるのも十分に意味のあること。こういう形で終わりを遂げたが、この時ばかりはパスカルの言葉が浮かんだ。

    「彼は十年前に愛したその人を、もはや愛さない。それもそのはず、彼女はもはや同じ彼女ではなく、彼もまた同じ彼ではない」

    全てのものは移り変わるという真理を時に我々は忘れている。愛を誓いあって結婚して子どもが生まれたところで、死ぬまで自分たちの愛は変わらぬことにはならない。30年前に誓い合った愛の心とて変貌はあろう。すべては一瞬一瞬に移り変わるという厳しさの現実に、我々は気づくことが大切だ。共同生活とてそれが単に慣習なら、二人は抜け殻である。

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    あの頃の世相を少し呼び戻す。「わたし、吉田拓郎のコンサートに行ったよ。あなたに会えるんじゃないかと思ったから」。1970年代の前半といえば拓郎の絶頂期で、コンサートはよく催された。「渋谷じゃんじゃん」、「新宿ルイード」、「新宿アートシアター」、「吉祥寺ぐゎらん堂」。大きい会場なら、「神田共立講堂」が、当時のフォーク全盛時のメッカだった。

    妙子さんのアパートにはギターを持参し、拓郎を歌って聴かせた。彼の歌は一緒にデュエットするという感じではない。歌ってるのか喋っているのかそんな類で合わせられない。当時はギターケースを買うお金もないので、そのままを持参して電車やバスを乗り継いだ。拓郎のコンサートにはよく出向いたが、妙子さんと出会くわすというページは用意されてなかった。

    人と人との出会いをさも運命のイタズラとか、「赤い糸」に引かれてなどと思い込む人もいるが、ある場所でたまたま出会ったということが、それほど不思議なことなのか?「袖振り合うも他生の縁」などの慣用句に影響されてのことかも知れない。そういえばある女が、「だって袖振り合うも多少の縁っていうでしょう?」といっていた。間違いやすい諺かも知れない。

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    「多少」でも意味は通じぬこともない。「出会いは必然であり、すべての出会いには意味がある」などと言う人がいる。根拠は数十億という人間の数を挙げるが、信じたいなら信じてもよいし、信じるのは自由。そう考えれば何でも必然となる。宝くじで一等が当たったのも必然となる。何十万に一人という難病に罹患した人もである。何でも、「必然」ということには反対でいる。

    根拠もないし賛同できない。計り知れないほどの確率であったとしても、起こったことに意味はない。人生に起こる事、宇宙の中で起こる事、ミクロの物理的な現象であれ、すべての起こることに意味などないという考えを信奉する。「(何でも)意味づけしなければ気が済まない」という言い方はあるが、「(何でも)意味付けしないと気が済まない」という言葉はない。

    となると、意味付けしない方が正当であるような気さえする。そんなの別にどっちだっていいし、信じる人を揶揄する気持ちはない。妙子さんと出会ったのも、二人が田舎を後に東京に居て、銀座といっても広いが、近場の洋菓子店でバイトする身であったこと、自分が彼女に声をかけて誘ったことが起因している。それらが重なった結果であって、何の意味もない。

    どこの洋菓子店にも店員がいて、男が声をかけて女を誘ったら、それが他生の縁なのか?自分の言い分に説得力があるとも言えぬが、多くの人間の中から出会う二人ということに、何の説得力も感じない。「自然に出会った」で納得できる。赤い糸で結ばれたという言い方を女は好むが、二人が冷えて離婚したらそんなことは言わなくなる。これは感情を言葉にしただけだ。

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    結局二人は運命の黒い糸で結ばれたようだ。なんて言葉を作って見るか…。この場に幾度も書いたが自分は、「運命」という言い方が好きでない。東京で出会った二人が、45年後に会ったのは奇跡でも運命でもなく、彼女の郷がりんご農家であったことだと思っている。その情報がなければ、45年前の青春の一ページで終わっていた。45ページ目は自分の行動が生んだもの。

    こんな自分でもまったく偶然や必然を信じないわけではない。あまりそういうものを安売りしたくないだけだ。例えば、自分と妙子さんが、どこかの温泉郷の待合所でバッタリ出くわしたとするなら、いかに自分と言えども運命の仕業、運命のイタズラのようなものを感じるかも知れない。まあ、それはあり得ない。まさか彼女がそこに居るなど考えもしないゆえにおそらく見過ごす。

    それが45年というブランクである。20歳の彼女の65歳の姿など、思うに別人ではないだろうか?心に幻影があって、「どことなく似た人?」という風にも互いは思わぬだろう。因幡晃のヒット曲『わかってください」の中に、「町であなたに似た人を見かけると 振り向いてしまう悲しいけれど」という一節があるが、数十年後のシュチエーションでないことは明らか。

    荒井由実の、『あの日にかえりたい』は、「あの頃のわたしに戻ってあなたに会いたい」と歌われるが、なかなかいい詩である。容姿・容貌も含めて、あの頃の自分に戻って会うというなら、それに勝るものはない。過去の恋人に会いたいと、ネット相談をする人に対して、「止めた方がいい」という返信が多い。ほっとけばいいのに、余計な返信をしたい人もこの世にはいる。


    外野のアドバイスなど、何の意味もないと思うが、ネット相談という形で、問う方も問う方だから、返信もありかと納得する。聞いても仕方ない事、答えても意味をなさぬ事、それがひとしきりのネット交流であり、現代人の孤独を紛らわす場となっている。拓郎が取り持つ縁ではないが、もし拓郎のコンサート会場で逢っていたら、二人が現状とは違うページを作ったであろう。

    そういえば、あらためて拓郎の初恋の相手、準ちゃんをの画像を眺めながら、どころなくデビュー間際の浅田美代子に似ている感じがした。彼女がTBSのドラマ『時間ですよ!』に出ていた当時の、あのぽっちゃり感である。浅田は1977年、21歳の時に拓郎と結婚したが、6年後の27歳の時に離婚している。そういえば妙子さんも27歳の時に離婚をしたと言っていた。

    二人は以後ずっと独身を通しているが、違いといえば妙子さんには子どもがいたこと。妙子さんは短大の声楽科で声もよく、歌も上手かったこと。浅田はアイドル時代、歌が下手なのに歌手をやっていると、業界内外から叩かれた。それでも売れたからやっかみはヒドく、同僚女性歌手からは嫌がらせまで受けていたという。唯一庇ってくれたのが青江三奈だったそうだ。

    浅田は美人であるが、男の噂は立たなかった。「結婚に向いていない」などと浅田が漏らした様子は、検索した限りはないが、妙子さんは、「自分は結婚に向いていないという不安を持っていた」という。そういう言い方をする女性は自分の周囲にも、何人かいたが、「向き、不向きの問題じゃないよ」と自分は言い含めた。向き、不向きがどういうもの分からない。

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    結婚とは一般的に男女の結びつきをいう。したがって、向き、不向きがあるとすれば男女の性差や性格、資質の問題か。女は男が分からず、男は女を分からない。よって、自分は女の分からぬことを女性に聞く。男の分からぬところは自ら考えるしかない。いかに愛し合っている男女であれ、相手への愛の気持ちがちょうど同じ程度であるということは、おそらくないだろう。

    だとするなら、大きな愛情を持つ側の方が、相手よりも苦しみ、悲しみという悩みを背負い込む。愛される幸福感も大事だが、愛するが故の悲しみや苦悩はせつなくとも、それが人を成長させることになる。切なさ、やるせなさに耐えて、素直に物事を見、考えることを避けないなら、他人の苦しみとて自分の苦しみとして感じられ、慰めや励ましという善意を持つことができる。

    それが心豊かな人間ではないか。トルストイもこのように述べている。「深く愛することのできる者のみが、また、大きな苦悩を味わう」。生きている限り我々は、何度も人を愛することの辛さ、儚さを経験し、一層大きい人間に、心豊かな人間になるように思う。45年を経て人と再会するというのは、それはそれでひとしおの体験である。だから、真心の発露もあった。

    訣別の意を決した時の気持ちは複雑だったが、自分は人に妥協しないところがある。これ以上、交流を続けてみても、失うもの・得られないものは、別段この年にあって重要ではないが、あまりの人間的乖離を相手に感じると妥協しない。それが懐かしや45年前の恋人であろうと…。哀しい現実だが、丁度その時にネットの友人からメールがあり、電話でこの一件について会話した。

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    上は会話後のメールである。ブログ記事とてそうだが、書いているときと後で書いたものを読む時と、精神状態がまるで違うのはなぜだろう。書いているときは感情であり、読む時は理性的であるからなのか。この二面を引っ提げて人間は生きて行く。ゆえにか、いつ時感情的になっても、石の地蔵さんのようであっても、それが同じ人間という不思議さでもある。

    自分は思考派である。が、行動する時は感情派である。行動とはそういうもので、考えていては何一つ行動に移せない。甘党と辛党の両党がいる。異性、同性、両刀の遣い手というのもいる。同様に自分は理性派であり感情派である。が、幼少時期からの高い感受性に鑑みていえば、自分の本質は感情派である。それを抑えたりカバーするために理性を耕している。

    今回の彼女の対応に懸念はない。65歳と20歳を一緒に考える方が愚かであるし、あの時の彼女はなるべくして現在の彼女になったのだ。今はもう20歳の彼女の面影を抱くこともない。65歳の彼女と昔話に興じる気も失せたなら、何も言わず去ればいいこと。一切の想いは自分の胸にしまい込んでおけばよい。彼女が今の彼女になったことに於いても彼女に罪はない。

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    こういう言葉があるということは利点もあるのだろうが、言葉の意味するものは母親と娘の共依存を表し、特に思春期以降の場合を指す。「一卵性父子」という言葉は存在しないことからしても問題点を含んでいる。母と娘が仲がいいというのは素敵なことである。母と息子の仲のよさは、時にマザコン傾向を示す。父と息子の仲のよさは、双方に自然な距離感が生まれる。

    父と娘の仲のよさも、仲が悪いに比べるとよいことであろうが、自分の経験でいっても、娘を頻繁に連れ出して外食したり、買い物に出かけたりという密着度はない。ないというのは避けるではなく、そういう事を親の方が望まないこということだ。父と息子の距離感については、「父子鷹」という言葉に見られ、そういった境遇で成功したアスリートの例は少なくない。

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    この言葉を初めて耳にしたのは、宮沢りえ母娘だったように記憶するが、語源は美空ひばりとその母親が二人三脚でスターへの階段を駆け上がっていった姿を指したのが始まりと言われるが、はっきりしたものではない。ひばり母娘が本当なら70年前、りえ母娘なら32~33年くらい前となる。いずれの母の尋常でないステージママぶりをマスコミが揶揄したものである。

    美空ひばりは戦中派世代であり、よくは知らないが、宮沢りえがデビューしたのは1985年で、彼女は小学6年生だった。二年後、初代リハウスのCMでブレイク、翌年には映画『ぼくらの七日間戦争』で女優デビュー、日本アカデミー賞新人賞を受賞する。清楚で目鼻立ちがくっきり感のかわいい少女で、程なく雑誌 『週刊セブンティーン』の表紙モデルとなった。

    彼女が成熟するにつけて、母親との確執が深まり、婚約や婚約解消、男性との交際、さらに拒食症などで心身喪失状態になり、一時芸能界を遠さげている。りえは母娘の共依存を解消するために払ったエネルギーは大変だったと想像する。確かに母子家庭親子は、通常の親子関係に比べて母と子の絆は強まるのは理解するが、一卵性母娘については賛否があるようだ。

    母と息子の共依存はマザコンなどの言い方で一般的には批判対象となるが、一卵性母娘に対する一般的批判はあまり聞かない。しかし、母親というのは息子に対する遠慮はあっても、娘には容赦ない感情を露わにするケースが多いという。『母は娘の人生を支配する―なぜ、「母殺し」は難しいのか』(NHKブックス)という著書もあり、母と娘は永遠のテーマとされている。

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    美空ひばりの母のことが書かれてあった。ひばりは当時人気の小林旭と盛大な結婚式を挙げ、5日間の熱海への新婚旅行も終えた。当然ながら小林旭はひばりが入籍をするものと考えていたが、入籍の話をふるとひばりの母喜美枝がのらりくらりと入籍を拒む。挙式をし、盛大な結婚披露宴をしてはみたが、婚姻後、旭とひばりは終ぞ入籍することはなかった。

    結婚後は何かにつけて夫婦の事にひばりの母が介入する。そして加藤家(ひばりの本姓)のルールに従おうとしない旭とひばり母娘に不協和音が流れ、神戸・山口組田岡組長の説得もあって旭は離婚会見に臨む。「本人同士が話し合わないで別れることは心残り。しかし和枝が僕と結婚しているより、芸術と結婚したほうが幸せになれるならと思い、理解離婚に踏み切った」。

    喜んだのは母親の喜美枝。金のなる木のドル箱スターは手放せない。旭の会見後にひばりは会見した。彼女の語った言葉は、「理由を話せばお互い傷つけることになる」とか、「私が芸を捨てきれないことに対する無理解」であったり、「自分が幸せになる道」などである。母親との関係については、「芸を捨てて母を捨てることは出来なかった」と述べていた。

    ひばりと旭は2年余りの結婚だったが、ひばりは入籍はしていなかったので戸籍上では独身のままであった。当時マスコミはひばり母娘を、「一卵性親子」と呼んでいたという。離婚してからというもの、ひばりは母・喜美枝とますますどっぷりになり、二人三脚時代へと突入する。「ひばりが歌をやめる時こそが、母が本当に死ぬ時」と言わしめた母であった。

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    ひばりを作り、支え、愛するが故に、和枝(ひばりの本名)の幸せをも幾度も奪った人でもある。しかし、この母がいなければ美空ひばりが、生涯スターであり続けることはなかったかも知れない。9歳でひばりが芸能界入りしてからというもの、自分が病気で身体の自由がきかなくなるまで35年もの長い間、マネージャーとして自らの全てをひばりに捧げた母である。

    ギャラ、共演者、舞台公演、衣装、会見、その他全てのスケジュールに口を出し、関係者の間ではひばりの説得より、母の説得が困難であるといわれていた。当のひばりは、子どものころはもちろんであるが、成人しても子ども時代の延長なのか、もともと従順な性格なのか、仕切られようが、監督されようが、ほとんど母親のいいなりに近かったと言われている。

    いうまでもない母子家庭は、すべての愛情が子どもだけに注がれるゆえに、その愛に負担を感じることなく真っ当に受け入ればの話。ひばりはそうであったがりえは違った。これは世代の違いもあろう。親の支配に自立闘争を企てたりえは、終に母と訣別する。そこに費やしたエネルギーは計り知れないものがあったろうが、起こるべくして起こった母子家庭の負の要素。

    昨年、森田剛との交際が報じられた宮沢りえも、過去にか貴花田関(現・貴乃花親方)との婚約破棄騒動に始まり、ビートたけし、故・中村勘三郎、市川右近、ISSA、中田英寿など、そうそうたる大物と浮名を流してきた。奔放な男遍歴の末にようやく2009年、実業家男性とデキ婚して落ち着くかと思いきや、昨年3月に離婚。その際は子どもの親権をめぐりモメにモメた。

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    自由の横臥は締め付けの反動か。圧倒的自由主義者として生きる自分にはよく分かるが、もう一人、苛酷なまでに母の影響を受け、その幻影に怯えたバイオリニスト五嶋みどりが思い浮かぶ。みどりは3歳から母の指導を受けた後、10歳でジュリアード音楽院で学び、1982年12月に11歳でアメリカデビューを果たす。これは間違いではないが、正しくはない。


    彼女はジュリアードを中退しているからだ。指導教授のドロシー・ディレイはみどりを可愛がり、誰もが受けられるわけではない特別指導をみどりは毎日受けた。そんなジュリアードを去ることになった理由は、みどりの母親節が、ジュリアード音楽院側から、「金銭(ホテル代)の不正請求」を疑われたためと言われているが、疑いを晴らすことができなかったのだろう。

    節はバイオリン教師であったが、エリート教育とは程遠い所にいたいわゆる町のバイオリン教師である。自分が厳しく鬼の形相で指導したみどりの才能が認められ、一気に国際バイオリニストとなれば、親とて舞い上がるだろう。自分が手をかけた子ならなおさらである。節は幼児の能力開発に血気になる人とは少し違った。子どもを自らの所有品と扱う点に於いては同じである。

    が、自分の子をどう教育し、指導しようが他人にあれこれ言われる筋合いはない。私の子どもなのだから私が教育する。ジュリアードの高名な教師の指導を受けていてもその姿勢は変わらなかった。そういう口出しがジュリアードと節の間にあったのも中退の一因である。人を信用しない節のような考え方が顕著になると、人からも信用されなくなるのは自明の理。

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    節のような人間はともすれば、他者との間に軋轢が生じる原因になる。これは個人主義のはき違え、たんなる身勝手、狭量さと受け止められても仕方がない。事実、過去に於いて節はそういう批判を多く受けてきたが、他人の言葉に怯むことがなかった。しかし、節がそうであればあるほど、みどりは母の偏執的な思考から抜け出すことができなかったようだ。

    周囲の誰に於いても自分に於いても、母は絶対的な存在であるがゆえに、それに抗うことは天に唾するということになる。母を信奉するも自我の芽生えとともに怯えへと変化して行く。自我と闘うことは母の否定となり、それでも人は自我との闘いに突き進む。みどりはそのことで、拒食症、鬱病を患い入院を経験するが、自我格闘の経過や中身についてはみどりだけが知る。

    現在の五嶋みどりは、衣装を含めた荷物も全部自分で持つ。楽器を背負い、両手に紙袋を持って移動する。宿泊もすべてビジネスホテル。衣装もコインランドリーで全部自分で洗濯し、移動も電車やバスなどの公共機関を使う。これらの事は、普通のことを普通にするということだが、天才の行動としては奇異である。ジュリアードの政治力ある教師から離れた神童の末路である。

    妙子さんの一卵性母娘ぶりに考えさせられる点はあった。39歳の娘と二人暮らしで、娘の食事を作るの楽しみという母の心情は理解できる。娘の存在が唯一の生の支えであるのだろうが、娘を手元に置いておくことを客観的に見れば自分は子どもに対する親による、「人生の搾取」といえなくはないだろうか。一卵性母娘はその意味で「母子カプセル」状態になり易い。

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    「母子カプセル」とは、母子の距離感が近すぎて2人だけの世界に安住している状態を言う。そこに憂慮や危機感というものは発生しないのだろうか?女といろいろ話して分かったものは、「自分の好き嫌いと善悪が同じ」というのが多い。自分の嗜好と善悪が同じと錯覚する時期は誰にもあるが、理知が発達してくると、それは危険なものであるのが分かってくる。

    「娘がいいならいいんじゃない?」、「自分もそれが楽しいからいいんじゃない?」という発想になり、自己肯定となる。娘がいいと、そのことの善悪を見極めて指摘をする。娘と一緒でいれる自分の楽しさがその場的なものか、先を見据えたものかを考えるのが親である。自分の大事なものを離すという哀しい宿命を、自らに課す哀しい生き物。それが親であろう。


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    一卵性母娘という言い方は社会的にネガティブな意味に解されているが、それを知らずでか、「娘とは仲がよくて一卵性親子なんです」などと自ら公言する母親もいる。確かに母親との関係性は、人との距離感を測るベースになることから、それがうまく行くことで、娘であれ、息子であれ、他人とは良好な人間関係を築きやすいと言われる。自分は経験無いが実態はどうであろう。

    経験がないのでよくわからないと蓋をするではなく、実例を見たり書物を読んだり、人から聞き及んだりで理解するのも社会勉強である。何事も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」というが、仲が良すぎるというのも問題がある。そうした問題点についての客観的意識を母なり娘なりが持ち、節度を保つならそれほどの問題はないと思うが、その節度がなかなか難しい。

    イメージ 1言葉でいうのは簡単だが、「節度」とは理性的な抑制である。感情主体の女性にはそうした自制心のようなものが芽生えず、自己を客観視しないで突き進むことが問題を生むのではないか。「一卵性父子」という言葉はなく、「一卵性母娘」が問題になるのは、父と息子にはない、女同士の感情的密着度が根底にある。自分がすること、したいことはイイことである。そのように思考する女と、自分がしたいことは果たしてイイことなのか?
    と疑念を抱く男との顕著な違いを実感させられる。自分は親になった時に、親が子どもにしてやりたいことは良くないことが多く、親が子どもにしたくないことの方に、むしろ子どもにとって正しいことが多いのではとの考えで対処していた。それによって、「親の欲」という感情を抑制することができた。

    「親バカなんだよね」という自己正当化を最も嫌ったのは、「親がバカでいい訳がない」という当たり前の思考であるが、それほどに、「親バカ」というのは、親の「業」として人間社会の理解を得ている。人間以外の様々な動物の生態を追ったドキュメントなどを見るに、その子育てにおいて動物には、「親バカ」という態度は微塵もみられない。そこに「ハッ」とさせられる。

    例えば子どもが自力で餌を捕れるほどに成長するや否や、絶対に子に餌を与えないところは人間からすれば驚きであると同時に感動である。どれもがそうであり、人(動物)によっては甘い親もいるなども皆無である。動物の親は子どもによくないことは絶対にしない。祖父母から伝授されたわけでも、教育書を読んだわけでもない、プログラムされた本能という驚きである。

    そういう話を酒席で話したときにある母親が、「動物は動物、人間は人間でしょう?弱肉強食で生存競争の激しい動物の世界では、何でも自分でやらなければ生きていけないからね」などと言った。それを言った人間も、その時の誇った物言いも、顔の表情もくっきり思い出せる。30年以上も前のことであるが、若さもあってか、「こういうバカもいるんだ」と思った。

    「論」とは言わぬまでも、教育に対する思考や実践は人の数ほどあろうが、人間が子の親になった時に、「みんな仲良く、好き嫌いはいけない」、「大人の言うことはきちんと聞きなさい」、「学校の勉強は大事」、「わがままはダメ」、「決まりを守る」、「嘘はつかない」、「何でも親に相談する」などの言い方が、本当に子どもにとって正しいのかを思考させられた。

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    大事なことは、「生きる楽しさ」であり、それを子どもに掴んでもらうことだと思うが、「生きる目的」だの、「幸せになるべき」などの歩留り論に終始する親が多い。「歩留り」とは、本来大量生産などの場で不良品が生じる率的な意味で使用される言葉だが、教育現場に歩留り論を持ち込んだのは実は親ではなくて、競争原理を持ち込んだ日本の誤った教育制度にある。

    「あなたは頭がいいんだから、もっと勉強しなさい。もっと良い学校へ行くべき、行ったほうがいい。もっと高い収入を約束する資格を取りなさい」というふうに、子どもたちが持っている知的な資質を受験という、「ゲーム」で高得点を取るためだけに限定的に使わせようとする。が、強制に反発する健全な子どもは、「じゃ、やらない」と学校からは脱落してしまう。

    日本の教育制度崩壊の最大の原因は、子どもたちを競争的環境に投じて数値的に格付けして点数順に社会的資源を傾斜配分するというシステムにある。点数の高いものには報酬を与え、低いものには罰を与えるという本質的な貧しさと卑しさが子どもたちを学びから遠ざけている。学校そのものが子どもたちの潜在能力の開花を阻み、健全な子どもたちを脱落させている。

    こうした悪害をいつまで放置しておくのかと憂いていたが、教育産業の隆盛を放置・放任していたその事よりも、多額の教育産業マネーが政府要人や役人に還流していたことが問題だった。何が子どものため、何がこの国のためになるかの視点を改めることで、やっと政府も重い腰を上げたようだ。日本の未来を担うのは子どもたち、という当たり前のことに手を入れ始めた。

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    日本の未来を真に担えるような、知的で、感情豊かで、器が大きくて、目元涼しく、話がおもしろく、包容力があって…そうした輝ける子どもを育てなければならなかった。いかなる国とて、国家の最優先課題は教育である。学校教育に携わる人間は何よりもそれを考えるべきであったはずなのに、人間を試験で計ろうとするゲーム遊びに教育界全体が興じていたように思われる。

    「子どもたちの自意識の抑圧や後退が発生しないような社会」、「強迫的なものでは無く、自意識が好き勝手にそれを選択させるような社会」、それらは子どもにとっての理想社会というより、大人も含めた人間としての理想社会ではあるまいか。官僚や役人や政府要人や教育産業が甘い汁を吸い、あるいは潤う社会は、人間を勉強のロボットにさせる懸念がある。

    「動物は弱肉強食という生存競争を生きるために何でも自分でやらなければ生きていけない」といった母親の言葉は、哀しいかな人間社会に当て嵌まるが、何が弱で何が強であるかにそもそも問題があるように、何の競争か?にも問題がある。それが、「勉強さえやらせておけば幸せは約束される」、「学力は人を裏切らない」の歩留り論に親たちがなびいて行った。

    社会には学力による序列がないという現実に蓋をし、能力=学力と短絡的に考える日本人にとって、学歴はゆりかごのようなもの。ゲイツやジョブズのように大学中退してまで何かを為得たいという人間は生まれないのではないか。高い学力をもって社会に参入したものは、周囲から認知されて幸福になるというのは非現実的である。社会で認められるのは行動的人間と自分は考える。

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    一卵性母娘の悪害とされる、「共依存」から、学歴信仰依存に話が及んだが、相対的な優劣を論じている限り、共依存体質からは抜け出せないと考える。何かに依存するのではなく、何かを創る、生む、そのための思考であるのだということにシフトしなければ、ゆりかごの快感に甘んじて昼寝半分の若者には、日本の危機感に対処できる資質はないと考えていた。

    一介の市井人が考えていたところで屁のツッパリにもならないが、問題意識を書くというのも行動であろう。腹の中に据えていることを書くだけではツッパリにはならずとも、屁の臭気くらいは澱ませることはできる。何かに依存する(水と空気はともかく)を嫌う自分は、自給自足生活に憧れる。人に頼らず自分で何かを生み、創るというのは、人間の原初的な享楽であろうか。

    少しづつ記事を改変する。やはり冗長は欠点である。生きた文というのは、①言うべきことを持つ。②言うに値すること。③適切に表現する能力を持つことであり、どれが肥大しても欠如してもよくない。短文への移行は脳の衰退と考えていたがそれが間違い。かつてある小説家が友人への手紙の末尾に、「今日は頭が冴えていないがゆえ長文となる」と書いていた。

    一挙に半分くらいの文字数・段落にしたいが、とりあえず臨機応変を掲げて、何が何でも〇文字は書くというこれまでの姿勢を改める。後退ではなく前進である。横着ではなく一言一句に精鋭を充てたい。内容にも光を充てたいが、それは無理からぬことと従来どおりの戯言に変わりなし。書くという脳トレ、歩くという筋トレは続行するが、あっちの金トレは卒業か…。

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    仮面夫婦という言葉は昔はなかった。昔といっても100年、300年前ではなく、50年くらい前くらいの昔をいう。仮面夫婦という言葉はいつ頃から言われはじめたのか?また、いつ頃耳にしたのかを思い出そうと、記憶を辿りながらおおよその見当をつけると、3~40年くらい前ではなかったか。自分が結婚した頃にはなく、それから10年後くらいに出てきたように思う。

    「仮面舞踏会」というのは日本にはない西洋の文化である。「仮面」という言葉は西洋では早くからあったが、日本ではどうなのだろう?日本で仮面と言われるものは能や神楽や民族的な祭事の際に使用される天狗や鬼などは、お面というが仮面といわない。能面、狂言面、鬼面、獅子頭などと呼ばれ、それらは日本の幽玄の美を現すもので、秋田のナマハゲしかりである。

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    表(おもて)と裏という言葉がある。表は裏の対義語であり、表は表で裏ではないが、表も裏などだというところから、「表裏一体」という語句が生まれた。なぜに表が裏で裏が表なのか?「私の裏の顔」などという。この場合の「裏」とは意識や自制から隠匿された顔を言う場合がある。であればこちらが本物で、それを裏の顔というのは表に出せないからである。

    「私の裏の顔」が実は本性であったりする。「おもて」には、「表」のほかに、「面」という漢字がある。「表」の反語は、「裏」であるが、「面」の反語は何かを調べたところ、「他面」とあった。言葉にしていえば、「自分の面(つら)」の反対は、「他人の面」だから、なまじ間違いではなかろう。能の演者は面を、「おもて」と呼び、「おもてをつける」という。

    「おもてをかける」ともいう。したがって、能面を彫ることを、「おもてを打つ」という。「刀を打つ」とはいかにも、「打つ」だが、「おもてを打つ」はこしらえるの意味であろう。「手打ちそば」というようにそばを打つとう。「手打ちそば」に刀のような、「打つ」という動作はないが、「叩く」の動作は、「打つ」に近い。「打つ」はまた、「鍛える」という意味がある。

    「心を打つ」、「相槌を打つ」などと、精神面にも使われる。ある事柄が感動としてまさに物理的に心を打った、打たれた気分になる。日本語とはなんと情緒的であろうか。ふと感じたことだが、面の対義語を、「仮面」というのはどうだろう。正装に対して仮装というではないか。正面の反対は背面といい、側面ともいう。「仮面」の対語を調べると、「正体」であった。

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    「正体」とは意外である。想像もし得なかったが、言われてみれば納得。確かに、「仮面」の反対が、「正面」ではおかしく、「正体」というなら、なるほどとなる。月光仮面に悪漢どもが、「何者だ、正体を見せろ!」などというが、これは仮面を取れと言うことだ。「仮面舞踏会」というのは正体(身分や素性)を隠すことによって、羽目を外そうというもの。

    安全地帯に、「マスカレード」という曲がある。♪あなたは嘘つきな薔薇 身を守る棘ももたず 溜息の理由を隠し まだ揺れ続く…、なかなか良い詞ではないか。カーペンターズにも、「マスカレード(This Masquerade)」という曲があり、詞の内容はこちらの方がより深遠である。爽やかでいつものカレンの声のトーンは、この曲においては深刻な表現力を感じさせる。

     こんな寂しいゲームを演じていて
     本当に二人は幸せなのかしら
     ふさわしい言葉を探しても見つからない
     とにかく分かっているのは
     私たちがこの仮面舞踏会で道に迷ってしまったこと
     最初はあんなに親しかったのに
     今では二人の心は離れていき
     お互いそれを口にするのを恐れている
     話し合おうとしても
     言葉に詰まってしまう

     二人はこの寂しいゲームの中を彷徨っているの
     別れようと思っても
     あなたの目を見るとそんな気持ちは消えてしまう
     どうしてこんなことを続けているのか
     どんなに考え込んでも 理由はわからないの
     私たちはこの仮面舞踏会で彷徨っているの

    仮面を被れば何でもできる。仮面舞踏会というのは、貴族が身分を捨て去ることで破廉恥になろうというゲームである。実生活のなかにおいては、あってはならない悲哀であろう。三島由紀夫は、「仮面の告白」と題した自伝小説において、他人とは異なる性的な偏向傾向に悩み、生い立ちからの自己を客観的に分析し、生体解剖をしていく自身の告白の物語である。

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    三島は本作品のなかで同性愛的傾向性やその種の趣味について延々書き綴っているが 、傾向はあれど自ら同性愛者と認めてはいない。読者の側も、傾向はあったとしても、奇をてらったネタではと勘ぐっている。たが、あまりに理知的で容赦ない表現はさすがに天才の片鱗である。美輪明宏は、三島と恋愛関係にあったような思わせぶりな言い方をするがケツ友は本当なのか?

    美輪のあれこれ発言の真意は、ナルシスト的誇張と推察する。1970年11月25日の記憶は、一人の天才的作家の、バルコニーにおけるささやかなクーデターであった。あの日の記憶は未だ消えることはないが、三島は『葉隠』の、「武士道とは死ぬこととみつけたり」に多大な共感を抱いていた。何事も徹底した考えを貫くことで、三島は中途半端を諫めた。例えば以下の発言である。

    「文武両道なんていうのは絶対に不可能なんだ。片方で何かやり、片方で何かをやるというのは、文武両道じゃないんで、そこはよくわかっているつもり。それは、最終的なことしかないんで、最終的な時に、文武両道というのは何であるか、分かるようになるだろう」。三島はこうした、「無救済の理想」の苛酷さについて、『太陽と鉄』の中でこんな風に語っている。

    「『文武両道』的人間は、死の瞬間、正にその『文武両道』の無救済の理想が実現されようとする瞬間に、その理想をどちらの側からか裏切るであろう。生そのものの力であったのだから、死が目前に来た時、彼はその認識を裏切るだろう。さもなくては、彼は死に耐えることができないからである。」

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    ふつう、「文武両道」といえば、武術と学問・教養に秀でることであるが、「文武両道にはあらゆる夢の救済が絶たれている」と三島はいう。彼はどうしてこのような複雑な形で文武両道を考えつかねばならなかったのか。「武」とは、「散る花」である。その、「散る」ところが花の花たる所以である。ところが、文士たる三島は文が、「散らぬ花」=「造花」であることに気づく。

    「散らぬ花」の虚妄に気づいた者は、「武」の、"花の散る"ということそれ自体に向かわざるを得ない。三島の一連の行動をそんな風に考えるなら、すべてはまことに明快となるが、表面の言葉、表面に現れる行動だけで、本質を理解することは、これまたまことに至難である。死するものの心は死する者のみぞ知る。死する者の外にいる者は、しかし、それを知りたいと望む。


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    三島にとって死がなんであるかについては、実践するものでしかなかった。三島は埴谷雄高との対談で革命の真意について語っている。「やはり、ある瞬間、鉄砲が撃たれなかったらだめでしょう。死の情熱がなければ大学紛争なども遊びの延長にすぎない」。埴谷の言葉に満腔の賛辞を表明したが、その後に芸術家自身はどうすべきかという話になり、埴谷はこう述べる。

    「ぼくのいう芸術家は生身で、しかも、死んでいるふりができるのです」。つまるところ埴谷は、「暗示者は死ぬ必要がない」ということのようだがこれに対して三島は、「いや、ぼくは死ぬ必要がある」と、真っ向意を唱えている。「二十一世紀の芸術家は死ぬのではなくて、死を示せばいい」。「死んでいるふりしかできないなら、それは歌舞伎俳優と同じじゃないか」。

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    「知行合一」を説く陽明学信奉者三島の行動はその思想に基づくもの。自らの思想を実践し、美に昇華する思想が陽明学である。安岡正篤を師と仰ぎ、同じ陽明学に傾倒する中曽根康弘は、三島自害の当日、防衛庁長官として以下述べている。「三島は彼の思想である、"知行合一"を完遂したのだろうが、世の中にとってまったく迷惑だ」。と、治安を守る側の意を述べた。

    「仮面夫婦」から、「仮面舞踏会」、「仮面の告白」と文は流れた。仮面親子、仮面友達、仮面師弟、仮面社員…、仮面のついたものは結構ある。人が仮面をつけるのは動かざる自分の顔という土台が必要で、その土台が状況や環境の変化で常時ぐらぐらしていてはダメだ。仮面とはその人の真正の顔が創作した別の顔に過ぎないが、創作した以上はその人の顔である。

    三島由紀夫の心は病んでいたのか、正常であったのかについて、病跡学者の間で激しい論争があった。病跡学とは聞きなれぬ言葉であるが、歴史上の傑出した人物の精神病理的側面を検討し、それが彼らの創造活動に及ぼした影響や意義を明らかにしようとする学問・研究をいう。作家としての三島の作品に精神医学の照明をあて、創作の秘密を解き明かそうと試みた。

    「犯罪精神医学入門―人はなぜ人を殺せるのか」などの著書がある精神科医福島章は、東京医科歯科大学助教授当時に三島について、「自決のかなり前から、ある種の精神分裂病を病んでいた」と指摘する。その証拠として三島の最高傑作『金閣寺』をあげた。作品は、一人の青年僧が国宝・金閣寺に放火した後、自殺に失敗して捕らえられた実話をもとに描かれている。

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    三島は青年僧が国宝・金閣寺に放火せざるを得なかった心の必然性を、以下のように描いている。「総じて私の体験には一種の暗号がはたらき、鏡の廊下のように一つの影像は無限の奥までつづいて、新たに会う事物にも過去に見た事物の影がはっきりと射し、こうした相似に導かれて知らず知らず廊下の奥、底知れぬ奥の間へ、踏み込んで行くような心地がしていた」。

    福島氏は、「こうした表現が凡人の想像力を超えた三島美学の世界と映るでしょうが、精神科医の目からみれば、これは精神分裂病の発病初期の世界です。しかも、共感とか理解とかいうにはあまりにも生々しく、自ら体験するか、ごく親しく患者と接しなければ書き得ない一種独特の雰囲気を持っている。精神医学書を何度読んでも、あのように描き出すのは無理です」。

    氏は三島に診断をつけるとすれば、妄想症か、妄想型分裂病とした。妄想症患者は、ゆるぎない妄想の体系を、数年ないし時には何十年もかけて、がっちり組み立てていくものだという。福島説と対立するのが精神病理学者の梶谷哲男。彼は三島を精神病者ではなく、性格の偏った人物とした。低い背の丈、虚弱な身体、女の子として育てられた生い立ちなどをあげる。

    これらから生じた強い劣等感を、並外れた強い意識的自己統制で克服していく。その過程で作品が書き捨てられた。さらには弱い自分の本質を隠そうと、一見、自己顕示的に振る舞うことで、三島は次第に現実離れした人間になっていったと分析する。さらに梶谷氏は、「仮に妄想症であったとしても、それは病気ではなく異常性格が発展したもの」と診断をつけた。

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    精神病とかかわりを持つ作家は、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治らがいる。太宰治も現代医学で境界性人格障害と言われている。創造性豊かな人ほど精神に異常をきたしやすい傾向があるとの研究もあり、トルストイ、ヘミングウェイ、アラン・ポーらがいる。女性ではシルヴィア・プラス、ヴァージニア・ウルフらがあげられる。プラスは30歳で、ウルフは59歳で自殺した。

    一般的な人間における精神病者の割合は1%に満たないが、これを世界史の中の天才400人を選び出すと、精神病者の割合は15%内外となる。そのなかから特別有名な天才78人を選出するなら、この割合は40%弱に跳ね上がる。そのなかでかなりの変わり者に当て嵌まる人物となると、実に90%が該当し、正常者はたったの3人となる。「天才と狂気は紙一重」と言われる所以だ。

    こうした芸術や科学などの分野における無視できない部分が、狂気という形で純然たる精神病と深くかかわりあって生み出された。凡人には凡人なりの平凡な生活があつように、天才の狂気ともいえる性質が、特別なものや質の高いものを生み出した。もし、狂える人たちがこの世に存在しなかったなら、我々の心の文化ははかならずも貧しく、未開のものであったに違いない。

    人間は子どもに時に頭に叩き込まれた図式が生涯抜けないといわれ、「三つ子の魂~」という諺がしめすようにである。が、しかし、必ずしもそのことが人間の宿命的なものとはいえない。なぜなら、自分の幼少時期はこうであったから、こういう考えをするようになったなどと自己把握をする傍ら、意識的に自己を制御したり、あるいは自己変革のための努力は可能である。

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    であるなら、幼児期に叩き込まれた環境や図式に生涯呪縛されることはなくなるであろう。三島もある時期からそのように自己変革を講じていった。自己変革は言葉通りに容易にはいかず、長い年月と強い意志力を要するが、不可能ではない。「人間に不可能はない」というのは比喩的に用いられるが、鳥になりたいから飛行機を作り、潜水艦を作って魚にさえなった。

    三島の自己変革への強い意志と要求がそれを成し遂げ、やがて彼は国家の変革へと要求を掲げて行く。志士たちの国家を変えたい一心が倒幕運動を完遂させたように、そこには死をも含めた犠牲を厭わぬ意志があった。再び三島の言葉。「やはり、ある瞬間、鉄砲が撃たれなかったらだめでしょう。死の情熱がなければ、大学紛争なども遊びの延長にすぎない」。

    「死の情熱」とは、「死を恐れぬ情熱」ということだろうが、三島の悲痛な叫びの中に以下の言葉があった。「俺は4年待ったんだよ。俺は4年待った。自衛隊の立ち上がる日を。そうした自衛隊の最後の30分に、最後の30分に待ってるんだよ」。野次と罵倒と嘲笑のなかで三島は、「天皇陛下万歳!」の言葉を最後に、バルコニーから姿を消し、世から消えてしまった。



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    三島の死については様々な論評がある。が、「やはり、ある瞬間、鉄砲が撃たれなかったらだめでしょう」という言葉のなかに、三島の意図する美学があった。こんにち、鉄砲を撃ちかけられることがないのは三島にとって想定内である。クーデター蜂起の後始末は司法によって断罪され、獄舎につながれる。そのような辱めは彼の辞書にはひと文字もなかったろう。

    となると、自死以外に彼の美学は叶えられない。三島という人物は、非常に明晰な思考力があり、優れた感性の持ち主であることに異論はないが、そんな彼であっても、論理的に思考すると言う点において問題があったのではないか。あるいは三島は、論理的に思考することを敢えて避けていたのかも知れない。彼には終止美学的感性判断が優先していたのかもしれない。

    女性が優越する家庭で育った三島は、男らしさというものにコンプレックスを抱いていた。また自己の貧弱な肉体も男らしさにはそぐわない。彼は優等生であり秀才であり、大学卒業後は上級職公務員になるが、学習院時代から小説を書くことを得意とし、東大に進学してからも小説を書いていた。彼にとって小説は人工美であり、コンプレックスを補償する一面があった。

    三島の行動および自死については語りつくされており、今さら何をいうすべもないが、11・25の彼の命日に三島を思い起こす人は少なからずいるし、自分もその一人である。つまりあの日の三島のことは、我々の精神史に多大な影響を与えた、「永遠の瞬間」をあらしめたものであった。様々な側面のなかで三島の行動を、「大変孤独なもの」としたのは小林秀雄である。

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    小林は、「三島の死は、我々を浸している疎隔感と、『何か大変孤独なもの』を通してのみ理解されるだろう」と述べているが、少なくとも当時は同じ事柄を見抜いていた人、感じていた人は少なくない。駐屯地のバルコニーで、野次と罵倒と嘲笑の渦巻くなか、誰一人として耳に入れようとしない三文役者の、死を賭けた切なる叫び声は、まさに孤立無援の様相であった。 

    指示・命令系統で動くよう鍛錬された自衛官に、決起や蜂起を促すアジテーション演説などは茶番であり、パフォーマンスとしか映らない。かつて左翼のアジ演説で、「我々はあしたのジョーである」といった者がいた。三島のように終止真面目に訴えかけるより、聴衆に聞いてもらうため、聞かせるためには、「我々はあしたのジョーである」などは笑いの効用である。

    坂口安吾はこのように述べている。「笑いは不合理を母胎にする。笑いの豪華さも、その不合理とか無意味のうちにあるのであろう。ところが何事も合理化せずにいられぬ人々が存在して、笑いも亦合理的でなければならぬと考える。無意味なものにゲラゲラ笑って愉しむことができないのである。そうして、喜劇には風刺がなければならぬという考えを持つ」。

    まるで三島演説の所感を述べているようである。もし、坂口が生きていたら三島のアジ演説には冷ややかな論評を与えたであろう。三島は知る人ぞ知る非常に几帳面な性格で、割腹自殺の前にも依頼された原稿の最終稿を、時間通りに仕上げ、これを編集者に渡している。死を覚悟の前の行動としては、多少なり「?」は否めないが、それこそが三島の几帳面さである。

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    ナルシシズム傾向の強い三島は、自らの人生を自ら美的に演出した。自己の美学に陶酔し、ぎりぎりの場面においてぎりぎりの決断で死んだ。「日本人は今でも、ハラキリするのか?」など、外国人にとって驚きでしかない。こんにち、「ハラキリ」自殺するなどの日本人は誰一人とていないが、その意味で三島は、アナクロニズム(時代錯誤・時代遅れ)の思想家であったといえる。

    三島由紀夫を夫に持った妻の平岡瑤子は、三島自決当時33歳であった。何も知らされていなかった彼女にとって、日本を震撼させた三島の一連の行動のニュースは、乗馬クラブの帰りの我が家に向かうカーラジオで聴くことになったが、いかなる心境であったろうか?夫の右翼ゴッコを、お遊びとして黙認していた妻はその日、ゴッコがただならぬ事態になったことを知る。

    三島由紀夫、本名平岡公威は生後まもなく祖母に取り上がられ、母親は4時間置きに授乳をする以外は、わが子に逢う機会はなかった。祖母は孫の遊び相手に男の子は危険とし、三人の年上の女の子を呼んで、遊びはおママゴトや折り紙や積み木に限定され、およそ男の子らしくすることを許されなかった。そんな状況から、病弱で男の子の遊びを知らない三島に育つ。

    男の子遊びを知らぬ初等科時代には、級友男子にいじめられることもあったが、反面、三島由紀夫の丁寧な言葉遣いや礼儀・礼節・義理立て報恩、人との約束の時間厳守や几帳面さは、祖母の影響が大きく作用したのではと母親は分析している。幼き三島母子は、祖母によって離れ離れにされたが、これがかえって、母子の絆を強めるという側面も持っていたようだ。

    イメージ 4長年保育に携わった保育士は、「子は育てたように育ちます。子ほど、親の育て方がそのまま出るものはありません」というが、三島においても実感させられる。男子の名に、「功」と名づける親は少なくない。近年はキラキラネームと称する名が流行りだが、「功」という名は、「いさおし」という言葉を語源にする。「功(いさお)し」などは初耳という人もおそらくいる。

    ① 勇ましい。雄々しい。② 勤勉である。よく努める。③ 手柄がある。勲功がある。などの意味があり、「古来から此難事業に全然の績(いさおし)を収め得たる画工があるかないか知らぬ」と、これは漱石の『草枕』の一節である。 「いさおし」を賛美する武士がそうであるように、三島は自身の奥に潜む男の、「いさおし」を呼び起こす肉体改造や男の美学を追及した。

    三島存命なら現在92歳である。92歳の三島は想像つかぬが、ナルシスト三島は、「老醜」を嫌悪していた。彼は若き絶頂の美のなか、国に殉じて死んで行くのが望ましく美しいものと考えていた。年を取り、老醜の姿を我が人生に晒したくないと願っていた三島は、「肉体の思考」という思想に辿り着く。「神々に愛されし者は若くして死ぬ」は、三島の理想でもあった。


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    よもや成功するなどとは思ってもみなかったろうし、後の青写真など考えもせず、掲げることのなかった三島由紀夫は、主張通りに国軍となった市ヶ谷の隊員数名もしくは数十名、あるいは数百名は、重火器庫から弾薬・小銃など持ち出し、武装して三島隊長の元へ駆けつけたと仮定する。であるなら、「楯の会」三島隊長はどういうシュミレーションを描いていたのか?

    いや、描いてなどいなかった。その後の綿密な予定など立てていなかったろう。数十名にしろ、数百名にしろ、賛同隊員の蜂起にもっとも困惑したのが三島隊長自身である。何をするにも予定のなきままに、隊員にいかに指揮し、命に添わせるのか?隊列を組ませ整列させ、その場でとりあえず、隊長の訓示などと悠長なことなどやってる場合か?して、三島隊長の決起後のプランは?

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    そうこうする間に、政府は他の基地から自衛隊隊員・機動隊隊員などを呼び集め、市ヶ谷駐屯地包囲にかかれば袋のネズミである。プランも予定もなく、集団訓練すらなくて軍を統率できぬ三島部隊は右往左往するばかり。あげく包囲した駐屯地に向かって、拡声器から声が飛ぶ。「首謀者に伝える。周囲を完全包囲した。30分以内に武器を捨ておとなしく投降せよ」。

    ならばこの場に及んで一戦交えるという気概もなかろう。決死覚悟の三島隊長はともかく、蜂起した隊員には妻子もいようし、ならば命あっての物種だ。あり得ないと思いながらも、図らずもこのような想像をしてはみたが、現実感なき机上の空論である。自衛隊隊員とてサラリーマンである以上、お先の見えぬクーデターに賛同し、生活の糧を葬るなどあり得ない。

    かくなる上は投降拒否の三島隊長が、一戦交えんとするなら、それは誰のため?何のため?これ以上のシュミレーションは無惨であり無理があるので止めるが、ようするに、「三島クーデターの成功」とは、何をもって成功なのかということだ。その答えは求めるまでもなく、三島本人ですらわかっていないことだろう。あることを行為するとき、結果は2通りある。

    成功か。失敗か。普通は成功を良しとするが、三島が成功を目論んでいた節は見られない。三日天下と言われた明智光秀のクーデターは、実際は山崎の戦いで秀吉に敗れるまでの実質13日であったが、市ヶ谷の政変鎮圧は、数時間後には成されたろう。などを考えるに、三島が蜂起に成功するというプラン及び、その後の緻密な行動計画はなかったと考えるのが妥当。

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    そのようなことを論理建てて思考するに、三島のクーデター(のように見える)行為は成功を目論んではいず、あらかじめ失敗を予測していたと思われる。一分の成功さえも意図しない行為は乱痴気騒ぎの狂信的行為とみる人もいれば、行為に意味を見出す人もいる。中曽根防衛庁長官(当時)が言葉少なに吐き捨てた、「世の中にとって全く迷惑だ」というのも理解に及ぶ。

    あの演説をして筒井康隆は、「とてもじゃないが演説の体を成していなかった」と言わしめたが、演説家ならずとも誠に下手な演説であったのは否めない。音声は風と怒号にちぎられ、取材に集まった報道陣のレポートの声に混ざっていた。聞こえぬ話に耳を傾けるなどは苦痛であり、野次の声は次第に増えていく。三島はしきりに、「清聴せい」と呼びかけた。

    が、隊員に清聴する義務はない。三島は、「それでも武士か!」と叱責した。これには隊員も笑うしかなかろう。彼らは武士でも何でもない、ただの自衛隊員である。隊員の多くは東北の寒村から出稼ぎにきた者が多かったという。上官にあらずの一介の文士が、突如自衛隊隊員の命令者となって決起を呼びかけるなどは無茶苦茶である。三島に論理があったとは思えない。

    「諸君は武士だろう」と、この言葉を二度も繰り返した。なぜ、こんな表現をしたのだろう。三島は自衛隊員を武士だと思っていたのか?そうではあるまい。めそめそする息子に対し、「男の子でしょう?めそめそするんじゃない!」と言い含める母親のごときである。三島は隊員を、「諸君は武士だろう」と言い含めたのである。その前提で、次のように扇動した。

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    「武士ならばだ、自分を否定する憲法をどうして守るんだ」。何とも虚しいかなこんな言葉が隊員の心に触れるなどあり得ない。自衛隊隊員らが憲法を守っているのではなく、国民として憲法を守っているのであり、防衛庁という組織が憲法を守らせていることでもある。三島自身とて憲法を守っているはずである。日本国憲法下に生息する国民の義務としてである。

    「憲法がある限り、諸君は永久に救われんのだぞ。自衛隊は違憲なんだよ、自衛隊は違憲なのだ」。遂に三島は自衛隊隊員を逆なでするような発言まで用いてしまう。「はい、わかりました。自分たちが違憲の職業に従事しているなら、国家を転覆させて、違憲状態を変えさせねば…」などと、誰が思うだろうか。これはもう演説というより、国家へのハチャメチャな野次である。

    生徒会長の立候補演説の方がずっとマシである。三島のこの日の行動は、二か月前から周到に計画されていたものだが、ならばどうしてこのような演説であったのか?三島は本気で、真剣に、あの日11月25日をもって自衛隊蜂起など考えていたのではなかろう。彼は妄想実験をしたのではないか。辞世を用意し、切腹用の担当を準備し、国家を騒がせた責任を取る覚悟で始めた。

    あれだけのことをしでかしたのであらば、死ぬ理由には十分すぎるほどの理由がある。三島はハナっからこの日、自らの生を閉じる覚悟でいたようだ。三島らしいナルシシズムに描かれた脚本であった。「万が一にも、自衛隊の決起があったなら…」という考えは想定していなかった。ゆえにすべてが筋書き通りの結末となった。三島の辞世は以下のようであった。

     益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐えし 今日の初霜

     散るをいとふ 世にも人にもさきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

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    三島自身は、己の行為を花ある行為と思ったかも知れぬが、感じ方はそれぞれである。辞世にはその人の生きてきた意味と、死ぬことの意義の二つが読み取れる。三島自身が逆にこの場を目撃する立場であったなら、「三島の行動は痛々しくも滑稽、一分の成功のない愚挙」と記したろう。三島は敬愛する大塩平八郎について以下のように述べている。

    「大塩が思うには、我々は天といえば青空のことだと思っているが、こればかりが天ではなく、石の間に潜む空虚、あるいは生きる竹のなかに潜む空虚も同じ天である」。大塩の行為を、"かたくなな哲学"と共感を得た三島の記憶は、その精神性についての論評を除けば、「ありえないこと」をあらしめる行為であったことだけは、まぎれもない確かなことであった。


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  • 11/30/17--17:01: 「世も末」に寄す

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    公立中学校の35歳の男性教師は、女子生徒が中学2年だった去年1月から授業前の校舎内などで複数回、みだらな行為をしたという。関係は、女子生徒が高校に進学した先月まで続いた。男性には妻がいるが、県教委の調査に対して、「頼りにされ、女性として意識するようになった」と話しているというが、神奈川県教委は、男性教師を24日に懲戒免職処分とした。

    神奈川県は数年前にもわいせつ行為など不適切な言動があった公立学校教員7件の懲戒処分を行っている。7件のうち、飲酒しながら部活動指導した高校の男性教師(24)、男子児童10人にわいせつ行為をした小学校の男性教師(40)など5人は懲戒免職となっているが、小学校で女子児童のスカートをめくったなどで懲戒免職となった男性教師(59)は事実無根を主張、争う姿勢をみせている。

    文部科学省が公立の小中学校や高校などを調査した結果、2013年度にわいせつ行為やセクハラで処分された教師は205人で過去最多となった。わいせつ画像を生徒や同僚などにメールで送る事例が増えている。体罰による処分も3953人と前年度8割増の過去最多となった。文科省は、数が増えたのは2012年に体罰で生徒が自殺した事案を受け、厳格な調査をした結果とみている。

    教師が生徒にわいせつ行為、警官が電車で痴漢行為、元検事や弁護士が不倫をする時代である。何があっても、「驚き」という言葉は、報じるメディアにも聞かされる我々でさえもなくなってしまっている。引ったくりを捕まえた高校生が、捕まえた相手が警官だったと知ったとき、「世も末だと思いました」と述べたという。頭のいい高校生だなと率直に感じた。

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    そういう場合は、「いや~、驚きました」。「びっくりですね」などの感嘆言葉を吐いて繕うのが普通だが、「世も末」というのは、冷静に事の在り方をとらえた批評である。高校生あたりでこういう論評はなかなか出せない。それに触発され、「泥棒を 捕まえてみれば 警察官」 という記事を書いたが、「世も末」とは、仏教の末法思想による言葉で、「この世も終わり」との意味である。


    また、「救いがたい世であること」も指す。それはそうだ、取り締まる側が泥棒したり、痴漢をしたり、人を教え導く側が快楽に乗じるなどは、「世も末」以外に言葉はなかろう。記事にも書いた表題は、「盗人を捕らえてみれば我が子なり」の慣用句をもじったもので、慣用句の意味するものを改めて考えてみたい。捕らえた盗人が我が子というのは、まさに驚きである。

    これはそういった事象を捉えているのではなく、「人は誰でも自分の子を買いかぶるものだ」ということを現わしている。他にもいろいろな意味を感じることもできるだろう。犯人が我が子だと分かった時、警察に突き出すべきか、黙って見過ごすべきかなどと、思いもよらない意外なことに直面し、始末に困ることについて、一考せよと突きつけられているようでもある。

    これによって、ある種の親の力量が試されると自分は考える。他人がやれば犯罪だが、身内がやると普通のこととまではないにしろ、身内の犯罪を庇い、隠そうとするのが親心というもの。これをして、「親バカ」というものだが、常々「親バカ」に批判的な自分は、子どもを突き出すというより、じっくり膝を立てて話し合う。その子のためには何が良いかを話し合う。

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    その結果、隠匿することになるかもしれない、自首させることになるかもしれない、未体験のことゆえ分からない。いずれにしろ、その子になにが最善かを、親として、先人として思考し、結論を出す。その際、子どもの態度も重要だ。親個人の判断や価値基準で子どもの良し悪しを決めるのは良くない。子どもの良し悪しは子どもにリンクさせ、一緒に考えるべきものと思う。

    何よりも子ども自身の人生であるからで、親が決めることは製造者の傲慢である。会社を興した創業者には、創業者利得というのがある。起業利得ともいう証券用語で、会社設立に際して引き受けた株式を売却して取得する利益。株式市場で売却した場合、株式の時価と払込額面価額との差額をいい、利益率の高い企業の創業者ほど大きな創業者利得を得られる。

    創業者利得はあれど、親が子どもから恩恵を受ける製造者利得というものはないと考えている。これは子どもを持った時から、あるいは持つ前からの持論であったが、つまり親は子どもへの義務しかなく、子どもから何がしかの権利というものは持ってはならないと戒めた。「親は子どもから親孝行をされる権利」などと吹聴する親は、「親バカ」の権化と見下していた。

    子に親孝行を命じる親がいるなら、無視すべきである。親孝行などは主体的なものであって、子どもを愛し、大事にし、捨て身の覚悟で育てた親に対して、自然に育まれ、芽生えるもの。そう考えるなら、親孝行を強要する親というのは、欲の皮の突っ張った親と自ら公言しているようなもの。だから、「親バカ」の権化と称してみたが、こんな言葉を吐く親の憐れなりきである。

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    子どもが恨みの果てに父親を刺殺した。居合わせた母が子どもの身代わりになろうとするのは理解できる。が、現場の状況や動機や意図などを分析すれば、母親の作り話の自白が嘘であるのは明々白々となる。気持ちは分かるが、現実認識という点で甘い。母が甘いのはそれでいいが、母を殺した子どもを前に父はどのように対処するだろう。我が子を助けに炎に飛び込む母とは違う。

    父は息子と夜を徹して語り合うかもしれない。起こした行為は元には戻せない。ならば、今後の息子の在り方、身の振り方、などについて時間の許す限り語り合うであろう。罪は行為者が負うものであり、服役した後に心の支えになるよう努める。身代わりになりたいのも近視眼的な母の愛情なら、遠くの岸から見つめて支える父親の愛情。これは善悪というより質差であろう。

    印象に残るは盗人の息子を警察に突き出した母である。こういう母を目にするなら、母親の定義は難しいが、稀有な母だと考える。子を宿し、実際に子を産むなどの行為は男の自分には永遠に理解できぬことであるが、それでも我が子を殺める母親がいるという現実。これも稀有な母親という理解に及ぶしかない。付和雷同志向の日本人であればこそ少数派は輝くのか?


    いや、少数派は葬られるものなのか?組織のなかで浮いた人間がいる。例えば貴乃花親方が話題に上っている。良く言えば一本気質だが、それも裏を返せば融通が利かない偏屈男にもなる――。そういう貴乃花親方を前に彼を身近に知る兄の花田氏は、「彼は損得の計算ができないかもしれませんねえ。だから私とも疎遠なんじゃないですか?」と印象を述べている。

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    利害や損得計算を念頭に行動する人間を打算的というが、良い意味では使われない。が、組織学のなかでは貴乃花親方の在り方は主流とはなり得ない。ばかりか、排除の憂き目にあう。貴乃花には彼の正義があるのだろうが、組織というのは一人では変えられない。自分は村社会に残る悪習や弊害に一人で立ち向かったことがあるが、その時は根回しをしたこともある。

    しかし、裏では確約を取り付けても、公の場では多勢に無勢ということになる。裏で取り付けた話が、「そんなことは言ってませんよ」と公の場で覆されたとき、社会は実態である。生きて動いているものであるのを実感した。それぞれが自身の利害で多勢につこうとする。それを罪と責められない。老害を排除するパワーと、どちらが自分たちの利益か、熱意で訴える。


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    表題の意味の違いはどうであろうか?これはネットで、「尊敬される親になるにはどうすればいいでしょうか?」に引っかかった。「なる」である。どうにも違和感のある、「尊敬される親」であるが、「なぜ尊敬される親になりたいのか?」と聞いたら何と答えるのだろうか?そんなことは一度も考えたことのない自分は、なぜそういう考えにないのかを考えてみた。

    と、同時に、「尊敬される親」になることで何がもたらされるのかも想像してみた。後者の方は簡単に答えがもたらされた。「心地よい」、「気分がいい」、「嬉しい」、「自己満足感」などなど、すべてが情緒的なものである。同じように、「立派な親になるのは?」、「子どもに好かれる親になるには?」などが乱舞するが、そういうものが本当に大事なことなのか?

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    という疑問しか湧かない。自分の疑問というのは、子ども側からの視点で親を捉えよう、意識しようとしている点で、対人関係(親子であっても)において、そういう客観的な視点は大事であるようでもあり、あまり意識することでもないようでもあり、「どちらが良いか」というよりも、価値観の選択に思える。なぜなら、周囲や他人を意識しすぎると思ったことが言えない。

    つまり、「こういえば相手がどう思う」とか、「こんなことを言えば嫌われるのでは?」とかについて、どういうスタンスを取るかによって、人の生き方は変わってくる。とかく嫌われがちな人は、「相手かまわずズケズケという」など言われるように、だから人は嫌われないように意識をし、発言を控えるのだろう。自分は最近意識して発言を控えるようにしている。

    が、これは相手に嫌われたくないからではなく、他人の生き方に他人があれこれ言わずとも、本人が自身で考え行動すればいいと思うからだ。が、そういう理念を抱きつつも、とても本人が自身で考えたとは思えないような、言葉は悪いがバカげた言動については、指摘をすべきか否かを迷うところがある。そんな場合でも、人間関係の親密度を基準に、「言う・言わない」を決める。

    若い頃は、あまりのバカげた言動に対し、「みるに忍びない」などと善意を発動させていたが、それが相手に採って善意でも何でもないことは多だあったであろう。人間関係でとかく問題になるのが、「善意の押し付け」だという。確かにそれはそうであろう。そういう疑問を背景に、「善意とは何であるか?」を考えたとき、「善意」には二つの意味があるのを発見した。

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    「一日一善」の善は、「善い行い」である。そういう気持ちを、「善意」という。もう一つの「善意」の意味は、「相手を思う心」である。災害地などへの、「善意の募金」とは、善い行いを超えた、「相手を思う心」が主眼であろうし、あるべきかもしれない。募金をする自分の心を評価するのではなく、相手を思い労わる気持ちから発露された行為に純粋性がある。

    募金をする自分に美しいと思いたい、そういう気持ちも善意行動の引き金になるけれども、昇華という点に於いては純粋性が勝る。「何をも期待ぜず、見返りを求めぬ親切こそが美しい」というのは、誰が考えてもそうであろう。「贈り物をしたのに礼の一つもない」らしき言葉はよく聞く。貰って謝意をしない側が悪いのか、文句の一つも言いたい贈り主が悪いのか?

    議論の分かれるところだろうが、好き嫌いという判断以外に答えは出せない。それくらいに難しい問題だ。ただ、何らかの反応や言葉を期待した贈り主に対して疑問を抱く自分である。さりとて、礼を言わぬも非礼である。「忙しさのあまり、礼をいうのを忘れていた」というのもたまに耳にするが、事実であっても方便であっても、それは相手には関係ないので非礼となる。

    「忘れていたから罪はない」などという考えの持ち主は、ひと年とった大人にしては未熟である。他人に金銭や物をを貸与して、請求した時に、「ゴメン、忘れてた」というのを自分は許さない。「金を借りて返済を忘れるような人間は、その資格はないと頭に入れておけ」と言ったりした。それに対して、「何様のつもり」と思う者、「確かに言われるとおり」と自戒する者。

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    どちらであっても、自分の役割はそこで終わっている。金を貸したはいいが、請求しづらいというのをよく聞いた。そういう人間のためにも、借りて知らんふりをする人間には、金さん的な断罪をする自分だった。それが公益だと考えていた。公益性のためなら、自分の言動は正しいと考えていた。相手に憎まれるなどは屁とも思わなかった。今はそういう若さを卒業した。

    理由は、周囲の人間関係が爺・婆であるからだ。若い時の人間関係は当然にして若者であり、彼らの将来のために是々非々な対応をしたが、爺婆相手に今さら何をいったところで無意味であると達観する。短所・欠点を引きずっている人に、今さら指摘したところで、豚に真珠である。改める気があるならとっくに改めているだろうし、特に時間や金銭は観念的なもの。

    同じように、癖とか習性というのも、50年も60年も続けていれば、直しようがない。自己変革は、かかった年月だけかかるというのを読んで納得した。遅刻を正当化していた自分は、「目が覚めぬものは仕方ないだろう?」と、自己意識外の不可抗力と思っていたが、やはり遅刻はダメだ、良くないと感じ、改めようとしたら目が覚めるようになった。やはり意識の問題だった。

    話の続きでいえば、爺婆相手に余計なことを言わない。今さら善意などというのは遅きに失すもので、未来のない彼らに善意などはないとしたものだ。明晰な老人といえる人は語らない人である。自分はそこを目指している。自己の主張はある。考えもある。それは老若に関わらず有するもの。したがって、個人的には躊躇いなく披露できるが、述べるにとどまっている。

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    同じことを他人に向けて言うことはない。書くだけなら罪はないが、口を開けば罪を作る。所詮は、「善意」が、「相手を思う気持ち」であっても、悪意に取られて善意の資格はもはやない。正義の行使などと若さゆえの傲慢である。月光仮面のおじさんも、40、50歳には引退したハズだ。バットマンしかり、白髪で皴々顔のスーパーマンなど、見るも無残であろう。

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    昨今においては大学にいく目的は2つ、「なる」と、「する」に分けられる。「大学生になる」のが目的なのか、「勉強する」のが目的なのかだが、近頃の大学生は、7:3くらいで前者であろうと、これはあくまで自分の見立てである。ただ、「学歴社会」という言葉は、「なる」を目的としている。好んで年寄りになりたいという人はいないだろうが、誰もが年を重ねて行く。

    若者には若者の生き方がるように、老齢者にはそれなりの生き方があるが、どちらに共通することもある。巷に言われるのが、「他人の気持ちを考えて行動せよ」である。他人の気持ちを考えて行動するとどうなる?考えないでするとどうなる?答えは違ってくるが、他人の気持ちを考えず、自分しか見えない人間は、過保護に育てられた子どもに顕著な性向である。

    さらに甘やかされて育った人間の特徴に心の会話がない。こういう事例をあげてみる。甘やかされて育った男が結婚し、子どもができた。やがて男に好きな女ができ、逢瀬を重ねることになる。彼はその女性のところに行くと、「死ぬまで君と一緒にいる」という。妻のもとに帰ると同じように、「死ぬまで君と一緒にいる」という。彼は嘘をついているのだろうか?

    そうではない。彼は嘘などついている気は毛頭なく、彼にとって存在しているのは現在だけだということ。毎日毎日、あっちに行き、こっちへ行き、そこでは本当の気持ちを言っていた。つまり彼は、その時その時で、自分が一番楽になれる言葉を吐いていたのである。こうした衝動的な人間は、子ども時代に甘やかされたことで時間の観念が異なるのだから救いようがない。

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    誰でも簡単に親にはなれるが、親に、「なる」と親を、「やる」に分類すれば、親をやるのは難しい。人には「なる」が、人を「やる」のは難しいように…。近年、不倫が横行するがこれを、「他人の気持ちを考えて行動せよ」は一方通行のようだ。この場合の他人とは妻をいうが、不倫の相手女性も他人である。妻の気持ちを考えないが、相手女性の気持ちを考えるから逢っている。

    「誰が誰に好意を抱く、あるいは恋をし、愛してしまおうとも、その気持ちに罪はない」という言葉は、普遍的で真理と思っている。言い換えるなら、「誰が誰を好きになってはならない」ということは避けられない。それを道徳や倫理で戒めることはあっても、それはあくまで制御であって、感情そのものは罪悪とはいえない。ただ、行為が道徳や法で規制されることはある。

    それを秩序という。人間社会に秩序は必須である。かつて浮気は姦淫と法規制された時代もあったが、も罰せられるのは女性に限定されていた。「男はよくても女はダメ」というのは、男中心社会の名残りである。浮気は感情の発露であり、それを抑制するのが理性だが、何のために抑制するのかを考える時、単に倫理や道徳を守るためというのは子どもの発想だ。

    大人はそうもいかない。80km/h制限の高速道路を100km/hで走るのは違反であるが、「何のために守らにゃならんのか!」と考えたときに、「別に危険という意識もないし、取り締まりにかかったらそれも仕方ない」という事で違反をする。なかには、「取り締まりにかかることはないだろう」とタカをくくって違反をする者もいる。正しくない点ではどちらも同じ。

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    正しくないことは絶対にしないという信念と実践で生きる者などどれほどいようか?学校の校則のようなくだらない決まりも、決まりとして存在するが、決まりや道徳のような定言命法よりも、価値に高いものがあると若いころから感じ取っていた。不倫や浮気を性目的とする人を、自分らの年代的には肯定はできないにしろ、性も人間の重要な問題であると否定はしない。

    人は誰も人間としてのの問題を背負っており、個人と社会の枠のなかで、公益と私益をうまく妥協させて生きている。人間肯定論者は、人間が究極的に目指すものは人間であることを肯定するもの。どのように考えてみても、人間の楽しみは他人の不愉快に支えられているといいう事実を知れば、平凡な人生を生きる者は、どことなくズルく立ち回っている人たちに映る。

    ある意味核心、ある意味偏見であるから、理解されぬこともあろうが、平凡であることがまるで「善」であるかのような言い草は、強者として生きる人間にとっては、「悪」なのである。なぜなら、善良なる市民は常に被害者の立場をとろうとする。実際においては加害者であるにも関わらず、常に被害者づらをする人間の類に、「善良な人間」が含まれている。

    こういうズルさを秘めているばかりか、善良な人間というのは、彼らの腹にある悪を認めない。それが善良な人間だと勘違いしている。自分のなかには悪などないと決めつけて生きている。それが善人というなら、「欺瞞人間」ということだから笑って許そう。欺瞞人間を批判してみても治るものではないから、ほっとくに限る。個人的には是々非々に対応すればよい。

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    それが偽善者との付き合い方。曽野綾子の『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』を開いたとき、彼女は達観したのか、それとも偽善を隠すための偽善を編み出したか?など想像をした。彼女は犯罪者になった息子を守ると公言した女。そのような人間に理性の欠片もない。彼女は多くの著書で美辞麗句を並び立てるが、実践とは無縁の人。文筆業とはそういうもの。

    妻子ある男に不倫をやめさせる最善策は、相手女性が去ること。それで間違いなく終焉する。女が逢いたいと、それを拠り所に都合のいい逢瀬を重ねているが、逢うを拒否されることで、妻帯男が独身女と性行為する資格がないのを知る。男がバカなら女が賢く明晰であればよいのだが、残念ながら一部の女は感情と淫欲を抑えられず、妻帯男の性戯に溺れてしまう。

    それらのことは当人同士の問題で、他人がいちいち目くばせすることもないが、下世話好き人間もいる。不倫は刑事罰のない罪であるから、正当な罰のある立小便にさえ劣るが、他人の不倫を寄って集って、あれこれこき下ろす善人気取りの部外者がこれまた滑稽だ。「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」の論理が、不倫を増大させているのかも知れない。

    親には成れても親をやるのは難しいように、人に生まれて、人間をやるのも難しい。男女が意気投合すれば不倫関係になるのは簡単である。あげくこの場合は、「やる」のも難しくはない。すべてにおいて、「なる」より、「やる(する)」は難しいと思っていたが、なるほど、例外があった。さらに熟考すると、男女関係は(真に)親しくなることり、やる方が簡単という、妙な結論となる。

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  • 12/04/17--15:58: 平凡のつまらなさ
  • 同世代諸氏に共通して言われることは、「お前は昔のことをよく覚えているな」である。が、自分としては誰も同じではないか?と思うがどうも違うらしい。自分で体験したことのはずなのい…。例えば大惨事の列車事故、航空機事故、生死を分かつような地震や津波などの大災害を、ニュースで聞いた人はすぐに忘れるが、実際に体験したひとにとっては生涯忘れ得ないだろう。

    自分の幼少体験は、それほどの惨事であったわけではないが、子どもにとって、少年にとっては決して生半可な、「生」ではなく、必死で生き、生き延びたようにも思う。あの時自分を騙した奴のその時の顔や仕草、自分のその時の虚しい気持ち、母親の鬼のような所業、かけがえのない父の優しさ、頬を力任せに叩いた教師、同じく根鞭で背中を強くたたいた教師もいた。

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    ひどい時代だったと思うが、そんなだから必死で生きていたのだろう。そういう体験の記憶は忘れるものではないし、忘れない体験が多かったというのは、いかに自分が一筋縄で生きていなかったかという事になる。記憶がないというのは、いかに平凡に生きていたかという事かも知れない。何も自己肯定をしたいわけでもないが、平凡に生きるのは卑怯な人生と書いた。

    適当に結婚をし、適当に会社に勤め、適当に暮らせたらいいという言い方をするが、いかにも平凡礼賛な言い方に思う。ここには石にかじりついても…という切迫感がない。他人の生き方に批判はないが、平凡が卑怯というのは自分の生き方への問題提起であって、他者批判を核としていない。平凡に生きるのはいいが、平凡が「善」のような言い方には異議がある。

    そこまでいうならこちらも言おう。平凡というのは日向志向である。日向とは日陰の対義語の日向であって、近年は差別用語なのか、「日陰者」という言葉を聞かない。昔、普通に言っていた言葉の多くが差別用語と規定された。例えば天気予報を解説する際、「太平洋側は高気圧」、「日本海側は寒波が」などというが、以前は太平洋側を表日本、日本海側を裏日本といった。

    換えていい言葉はあるようだ。当時は何とも思わなかったが、裏日本よりは日本海側の方がいい。平凡は日向志向といったが、よく子どもが生まれる際に、「五体無事であってくれればそれでいい」と願う親は多い。何でもない言葉の裏には、五体無事でない不具者の人生がどれほど惨めかを感じ取っているからであろう。だから、平凡というのは日向なのだと。

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    さらには日向は加害者、日陰は被害者である。昔は妾の子といっていじめら、差別を受けた。あいのこ、混血児(現在でいうハーフ)といわれ、やはりいじめられた。終戦になって、夫を戦場に失った妻が子どもを抱えて生き延びるために、まともな職業はなく、駐留軍相手の水商売や売春婦となり、その間に生まれたこどもを侮蔑の意味を込めてそのようにいった。

    「昨日まで敵国だった国の人間の子どもなんか生みやがって!」、そういった敗戦の闇である。森村誠一の『人間の証明』は、世界的なファッションデザイナーである母には、かつて戦後の混乱期に黒人との間に産んだ子がいた。その事実を隠匿するため、日本にいる母を訪ねてきた我が子を殺す。人に生まれるより、人間として生きることの難しさと悲哀を描いている。

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    日向志向の人は、平凡であることをまるで、「善」そのもののようにいう風潮は、日陰といわれる人々を苦しめた。あいのこ、混血児という言葉は消えたが私生児という言葉は使われる。婚姻にない同士の間に生まれたことをいうが、仕方がないのか、侮蔑的な意味で言われている。法律用語では非嫡子というが、一般的には私生児という呼び名で言われている。

    人間は自己否定によって真の自分を作っていくが、その過程なくて、自己肯定ばかりするとどうなるであろう。本人はともかく、他人から見ればかなり奇異な人間に映る。自己肯定はアイデンティティとして大事であるが、そのためには幾度も自分を壊し、蘇生してはまた壊しという過程があってこそ、大きな人間となる。自分に幾度も挑んだという意味は大きい。

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    キリスト教という世界宗教は、ユダヤ教という民族宗教からおこったものだが、有り体にいうなら、ユダヤ教からおこり、ユダヤ教に背を向けた宗教である。したがって、キリスト教が他のどの宗教よりも大きな影響をもつようになったのは、ユダヤ教という一民族宗教の自己否定の上に成立したからである。決して最初から世界宗教として生まれたのではなかった。

    ユダヤ教という特殊性の否定の上に普遍性が誕生したことになる。何かを否定して生まれた普遍性こそ、真の普遍性ではなかろうか。人が平凡を望むのはいいが、最初から平凡に辿り着くのではなく、自己のなかの誤謬と格闘し、自己の特殊性を戒め、放棄して到達した平凡なら価値もあろう。それなくして、自己の特殊性の自覚なしに到達する平凡な生活者が加害者である。

    そのように定義をしたかったのだ。生まれながらに平凡に安住し、平凡を善とするものが、不具者を苦しめ、私生児に偏見の眼差しを送り、弱いものいじめの卑怯者となる。そういう平凡志向者が加害者であるといったまで。自分は他人とは違うのだという特殊性の苦しみを乗り越えた平凡なる生活者は、決して加害者にはならない。若い時分の自己否定が大切であろう。

    子どものころから自分は人と違っていた。違うという意識を強く持っていた。人は無難を好み、権威者に従順であったのが不思議でならなかった。大人が子どもの見本であったからで、誰もそれを疑わなかったようだ。自分はもっとも身近な家庭に、どうしようもないバカと思える大人がいたこともあって、大人に対する妄信的尊敬心は芽生えなかったのだろう。


    毎日毎日母と格闘し、理不尽な大人の考えや要求に屈しないように頑張った。確かに妄信する前に、自分の目でしかと見、自分の頭で考えることは大事である。「物を疑え、事象を疑え」は科学の基本であるが、疑うことの基本は批判ではない。本当に信じたいがゆえに疑うことが必要であろう。神を妄信する人は根拠など必要ないが、神を信じたい自分には根拠がいる。

    本当を求めるなら安易はダメだ。本当に信じたいなら、信じるに値するものを見つけ、納得すべきである。「何でも考え、カンでも知って、何でもカンでもやってみよう」と教えてくれたのが科学のわが師である物知り博士ことケペル先生だ。少ない情報のなかで少ない情報を得る、それが学習だった。情報が氾濫気味の昨今は、学習意欲がなくなるのも理解に及ぶ。

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    「ごめんなさいを言わぬ女がいい」。といえば誤解を受けるかも知れぬが、本当に心からの反省とはいえぬ繕った謝罪もある。気持ちのこもらぬ口だけの社交辞令的な謝罪なら、ない方がまだましだと思っている。「謝罪とは何か?」。謝罪は言葉なのか、心なのか?その前に、「言葉は心を隠すために与えられた」というマラグリダ神父の言葉を考えてみる必要がある。


    女はなぜ言葉を好むのか?おそらく、「言葉」の効用を知っているからではないか。言葉の効用とは、言葉で人を簡単にそそのかせることを女どもは本能的に知っている。他方、男は言葉を信用しない。特に手練れた男は女の言葉を真に受けたりしない。「自分は言葉そのものに興味はない。行動で示してくれんか?」。言葉に頼りきり、行動しない女を動かす言葉。

    言葉=心であるべきだが、そうもいかない男女の関係。気持ち(心)のこもらぬ謝罪が存在するのは、謝罪は言葉でするものと思っているからだ。心のこもった謝罪というのは、言葉を必要としないという体験をした。企業の不祥事などでなされる3名くらいの役員らが一斉に、「申し訳ありませんでした」と腰を折る。あれほどバカげた謝罪はなく、まさに羞恥の極みである。

    ああいう三文芝居的な演技謝罪を日本人は好むのか?形式ばったことを好む日本人、付和雷同型の日本人は、謝罪の場面でもあれをやる。バカの一つ覚えじゃあるまいに…。お前も日本人だろ?といわれても、あれほどみっともない謝罪は自分にできない。あの者たちは、どういう態度が消費者に受け入れられ、どういう言葉が謝罪として有効かを考えてやっている。

    謝罪に形式は要らない。むしろ形式ばった行為が、真実を「虚」にさせている。まあ、元々「虚」であるなら何をやろうが…。謝罪のように見えない謝罪こそが真の謝罪也。山一證券社長(11月18日の記事)の、なりふり構わぬ態度と言葉、あれを笑う者は形式主義に侵された人間か。一般的に謝罪というのは相手に許しを乞うためになされるようだが自分の考えは違う。

    謝罪とは罪を明らかにし、罪や過失を正直に認めること。ゆえに謝罪には一切の言い訳をしない。言い訳がましい謝罪は罪を認めていないがゆえに謝罪と伝わらない。つまり謝罪は自らの一切の、「利」を放棄することである。ましてや相手に許しを乞うなどを目的とせず、許さないという相手の怒りを受け入れて反省し、悔い、自らが高みに上ろうと精進することだ。

    一切の言い訳もせず、弁解もしない謝罪ができるようになるには心の修養が必要である。人はこれを人生経験で得なければならない。承服できぬことを承服してこそが、相手目線に立った謝罪である。相手に過失があろうとも、とりあえず謝罪の場面ではそれを不問にすることだ。「文句も不要、謝罪も無用、賢者は黙して立ち去れ」と、カーライルから学んだことである。

    そうした無言の善意が相手に伝わるかどうか、触発を得るか否かはは相手の問題であり、自分の預かり知らぬことである。しかし、人間は仏ではないのでそうばかりもいっていられない。理不尽な相手には自己の保身のために怒ることも、発言することも必要である。過日、体験談としてここに記した。前者は歯科医院。後者はVAN Shop『せびろ屋』の一件である。

    歯科医院は自分が紹介した知人に対し、自分と同じ過ちを犯した。自分だけの時は不問にしたが、立て続けに知人に犯したのは、明らかな気持ちの緩みである。自分は捨て身の換言を決意し、帰り際に次回の予約を取る受付嬢に「今日で最後です」といった。受付嬢は驚き理由を問う。「〇〇さんに一切を話している」とし、その場であれこれ言う事ではない。

    前日、古参の衛生士に事の始終を話し、「明日が最後なのであなたに処置をしてほしい」と伝えていた。言葉で伝えること、伝わることもあるが、信長の傅役(養育係)であった平手の爺こと平手政秀が、いっこうに所行収まらぬ信長に腹を切っての換言を決断した。こういう美学に殉じ、ささやかながらという気持ちである。確かに行為は言葉に勝る教えとなろう。

    同じ行為であっても、感情的な立腹というのではなく、冷静でなければ相手を思う心は伝わらない。斯くいう自分も三島由紀夫と同様のアナクロニズムを背負った人間だろう。ただし、田舎によくいる、「ワシに任せろ!」的な威勢のいいオッサンとは事を異にしたい部分もある。人のために行動する思い上がりを諫めるには、自分の勝手な独善と自らを諭すのがよかろう。

    前日に古参の歯科衛生士には、「明日で最後にするから、あなたに処置をしてほしい」とお願いしておいた。「開店一年で緩みが出ているように感じるので、お仕置きの意味で…」と伝えた。彼女はさすがにそういうミスはないが、開店一年の同輩で、注意する立場にもない。「その日全員で話し合いました。〇〇さん身を呈しての行為に感謝します」とメールがあった。

    思うにそいう捨て身の行為を自分はよくやる。そこに美学を感じ取っているのだろう。いつも冷静で、腹を立てて憤慨はない。冷静な行動でなければ相手の自己啓発を生まない。別の『せびろ屋」の一件は、あり得ない責任転嫁をされたことで、腹も立ち、防御の意味もあったが、怒りの方が強かった。善に気どりの仏さま人間を是認する気など毛頭ない自分である。

    頼んでもいない商品を金おいて持って帰れなど怒って当然である。ゆえに遣り合う必要があった。こんなことされて黙っていられるかを見せつける必要を感じ、本気で遣り合った。言うときは言うのも男である。その必要性がないなら言わないでおくのが賢者である。機に臨めば応じて変わることを旨とするが、どちらが好きかは遣り合う方だが、晩節を汚すのは避けたい。

    世の中にうごめく様々なことに遭遇し、それをどう感じ、どう受け入れて、どのように処理するかを、人間は無意識に行っているが、感じ方、受け入れ方、処理の仕方で人間は異なる。したがって、製品や商品を提供する側の企業にとっては、なかなか一筋縄ではいかない難しさがある。個人の医院や商店と違って全国相手の企業にとって、クレーム対応も至難であろう。


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    前回の記事では表題の二社の社名は出てこない。パロマとリンナイではなく、パナソニックとリンナイは何の関係もなさそうだが、まったくないわけでもない。2007年(平成19年)4月にパナソニック(当時は松下電器産業)がガス器具製造販売から撤退したことに伴い、以後リンナイ製品はパナソニックショップ(当時はナショナルショップ)にも供給されている。

    現在ガスコンロやガス給湯器はリンナイ、パロマ、ノーリツ(ハーマン)の主要三社でシェアを占めているが、リンナイ、パロマはいずれも名古屋を拠点とするライバルメーカーである。営業のパロマ、技術のリンナイと称されたが、2006年、パロマの湯沸器事故の不祥事で、パロマに対する消費者の嫌気(不買ムード)により、給湯器部門におけるリンナイのシェアが延びた。

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    パロマは問題発覚当初、自社及び同製品に責任はないとする姿勢を見せたが、直後に系列サービス業者による不正改造や製品自体の安全装置劣化を原因とする事故が27件中13件あることが判明。パロマは一転謝罪に追い込まれ、会長は辞任した。国内生産を3割減産した結果、パロマは国内で唯一シェアトップだった給湯器部門でもリンナイにその座を明け渡すことになった。

    死亡者多発の事故だけに、消費者にはパロマはだめ、リンナイが良いというイメージを植え付けてしまった。現在は改善されており、死亡事故に至るなどはないが、根強いパロマ嫌気派は存在する。自分はガスコンロはリンナイ、給湯器はノーリツである。リンナイか、パロマか、ノーリツかはひとまず置いておき、表題の、「パナソニックとリンナイ」に移行する。

    記事の内容は修理などのアフターケアについてである。電子機器もガス機器も機械である以上、壊れもし、寿命もあるが、メーカーは少しでも長く使えるような信頼のおける商品開発に取り組んでいるはずだ。一般的にガス給湯器は10年がめど、ガスコンロは10年~15年といわれているが、5年、7年で壊れることもある。それで文句が言えなければ寿命など絵に描いた餅だ。

    文句を言ったところで受け流されるだけで、企業側は文句(クレーム)を聞く担当部署を設け、ユーザーのやるせない不満を聞くだけであろう。寿命が10年といわれる者が、5~6年で壊れ、修理はできるとしても数万も取られたら腹立たしいのは当然である。今回このような記事を書いたのは、給湯器、ガスコンロ、洗濯機、テレビが故障し、修理と買い替えをした。

    買い換えたのは給湯器で、メーカーはノーリツ製である。これは19年使用した。ガスコンロはリンナイ製で、7年間使用して修理を呼んだが、ガスが点火したり、しなかったりの症状エラーが出始めて約1年は使ったろう。点火しない場合は、「一端電源を切ってガスの元栓を閉める」という対策が指示されており、その指示に従って1年使用したが、指示通りでもダメになった。

    つまり、実質6年でオカシクなったということで、これは消費者にとっては、とてもじゃないが、信頼できる商品とはいえない。プラズマ製テレビとドラム式洗濯機はいずれもパナソニック製で、テレビの修理依頼は2015年5月8日で、購入約後9年で故障した。部品保有期間は7年とあるが修理できた。ドラム式洗濯機の修理依頼は2017年8月8日で、購入後約8年である。

    そこで問題にしたいのが修理費用である。明細を残しているので見てみよう。パナソニック製プラズマテレビの故障は、画面がネガポジ反転のようになる症状で、修理代合計金額が19764円であった。内訳は、部品代800円、技術料15000円、出張費2500円、消費税1464円である。技術料が何か素人には分からないが必要なものなら歯科らがない。ただ、部品代800円には好感をもてた。

    ドラム式洗濯機の故障の症状は、回転しながら時々出ていたシャワー放水が出なくなっていた。この時の修理費用は合計11880円となり、内訳は制御基板が1000円、技術料7500円、出張料2500円、消費税880円である。洗濯機の心臓部ともいえるコントローラ(制御基板)を交換することで直ったものの、部品代のあまりの安さは意外だった。テレビの基板交換も800円だった。

    出張料金は一律2500円と決まっているようだが、技術料は前回15000円、今回は半額の7500円の理由は分からないが、部品で儲けようの意図は感じられなかった。家電製品は機械ものであり、機械は壊れるのを前提とする。早々に壊れない製品を作ることがメーカーに求められるのはいうまでもないが、メーカー、ユーザーともに機器部品の経年劣化は必須と認識する。

    修理といっても部品交換で直るもの、直らないものがあるようで、部品交換で直るような商品であれば、長く使えるのは言うまでもない。その際に部品代を安く提供されるのが、製造メーカー側の製造責任ではないだろうか?それはまた、ユーザーにとっても誠意と感じられる。かつては修理費用が商品代くらいかかるからと、買い替えを迫るような時代もあったと記憶する。

    消費者とすれば、修理するか新製品を購入するかに悩むことになるが、修理費用が高額となるのは、買い替えの最もな動機になる。したがってメーカー側とすれば、修理代を高く設定すれば買い替え頻度が上がる。それくらいの理屈は消費者にも分かるが、消費者にとっては修理費用が適正かどうかは分からないだけに、高い修理代金を支払わされるのは何ともやるせない。

    悪辣なメーカーが入りやすいところが修理である。つまり、修理代金設定で企業理念を判別できよう。リンナイのコンロの故障だが、あらかじめ症状を述べた修理代の概算は30000円超という。リンナイ側は制御モーターの交換が必要といい、部品代金がかさばるという。かさばる?それは消費者の心情であって、かさばらないようにするのがメーカーではないのか?

    リンナイの修理窓口の担当女性は、単なる御用聞きであり、消費者の意見はとりあえず聞くが、それに対応し、対処する責任もなければ立場にもない。最近は顧客とのやり取りをあらかじめ録音するとの断りがある。その際、顧客側とのやり取りの応酬を責任者がプレイバックで聞き、判断をするのだろう。企業側においてはクレーマーを種別する防衛策と考えられる。

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    昨今の消費者保護の姿勢は、善良な消費者にとっては有難くこの上ないが、悪辣な消費者が付け込む要素も多分にある。こうしたクレーマーといわれる悪意な消費者対策も企業の悩みの種である。情報化社会は、消費者同士の横のつながりを必然的に生み、そういった情報を元に企業を揺さぶるが、クレームとクレーマーの種別を企業も判別できるノウハウを持つ昨今である。

    論理的で筋立てた物言いの消費者もいれば、怒り任せに感情むき出しの消費者もいる。機械は壊れるという前提であれ、壊れた時の消費者の心情をメーカーがどの程度把握するかが企業の製造責任といったが、製造責任とは善意だと思っている。リンナイ社に対して自分は声を荒げず冷静に意見を述べた。毎日使用するガスコンロだが、近年は大型テレビやドラム洗濯機よりも高額だ。

    コンロが5000円~10000円は過去の話。キッチンそのものが高級化し、ならばキッチン機器もそれに合わせた見栄えのいいものになる。さらには煮こぼれ防止、空焚き防止装置が法制化され、セーフティ機能が機器を複雑にし、その分価格も高騰した。たかだかガスコンロとはいえない商品価格である。価格が高いとなると、修理代金も高く設定されても見合うという事か。

    高い安いは主観的なもので、ネットで、「リンナイガスコンロ修理」で検索してみたところ、「(リンナイ)ガスコンロが故障、その修理内容と料金にビックリ」という書き込みがあった。高い修理代金とは9135円であった。これが高い?自分ならこの程度なら安いと判断するが、まあ主婦感覚だろう。別の以下の書き込みは、無償修理で感謝と思いきや、次回はパロマにするという。

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    メーカーは誠意を見せているが、消費者の気持ちというのはなかなか辛辣である。これも自分なら誠実に感じられるから違和感はない。消費者の気持ちというか、他人の腹の中は分からないものである。当事者としてのメーカーは、様々な消費者とに相対していることだろう。メーカーにとって機器の修理や不具合は悩みの種だが、そっくりそのまま消費者に当て嵌まる。

    いや、その言葉は消費者のみに向けられていい。メーカーはあくまで製造責任を負わねばならない立場である。パナソニックは今でこそ機敏な修理体制をとっているが、かつてナショナル時代は違っていた。直轄のサービスセンターを置かず、近くの販売店(ナショナルショップ)を儲けさせるためなのか、修理マニュアルを販売店に置いたり、研修したりの対応だった。

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    そんなことでは後れを取る時代になっている。機器の構造や電子回路が複雑で、専門技術者の養成が必須である。クルマなどは特に顕著で、昔はキャブ車(キャブレター(燃料噴射装置)搭載車)が主流だったが、現在は電子制御燃料噴射装置(インジェクション車)が主流である。単純な機械的構造を持つキャブ車はメンテナンスも簡単にできたが、今は自分でいじれない。

    コンピュータ制御のインジェクション車は、メカ好きな若者からクルマをいじる楽しみを奪ったのかも知れない。それが若者のクルマ離れの原因とは言い切れないが、メカオンチ男が多くなった、冴えない時代である。子どもの頃の自分は、ゼンマイ仕掛けや電池仕掛けで動く玩具の内部構造にしか興味がなかったこともあり、一通り楽しんだらすぐに飽きて壊して分解する。

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    自分は今回のガスコンロ故障に際し、リンナイ側の企業姿勢を問うた。機械だから壊れてもいいが、修理代金にふてくされるユーザーは結構多く、仕方なしにしぶしぶ払う心理と、パナソニック製品のように、まあ壊れてもいいや(修理部品が安いから…)という気持ちで使用できるのと、壊れて怒りが沸き上がるのとでは、消費者心理には格段の差があるといえる。

    「修理を利益に目論んではいないか?」自分はパナソニックを引き合いに出し、「こんにち大会社たるリンナイに自負があるなら、消費者への社会還元の企業姿勢を見せてもいいのでは?リンナイはそうした社会的使命を負う企業に成熟すべきでは?」などと具申した。これに対しリンナイ側は意見に対する謝意と、「今回は無償修理にさせていただく」という対応を講じた。

    修理代が無料になったことは望外だったが、後日修理に訪れたサービスマンに部品代を尋ねると、21000円+税という。部品入の箱にはわざとらしく、21000円と書いてあるのを見せたが、単体部品としては高い。モーターが何のために必要であるかを聞いたところ、コンロのつまみに丸型とスライド型があり、丸形のみモーターで火力調節をする。スライド式の場合はモーターはない。

    となると、「モーター式の方が壊れやすいのか?」と尋ねたところ、「そうなります」という返事だった。スライド式は自然な火力調節で、これは従来型で昔からの方法だが、最上位機種のステレオアンプのようなつまみ式は見栄えのためであろう。だからといって、壊れやすいでは商品的に問題がある。あげく、修理部品が4~5000円ならまだしも、税込み22680円は高額だ。

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    製造原価はざっと2、3000円程度に思うが、パナソニックのように部品代を安く抑えるのが、本来的なサービスの姿勢である。パナソニックはナショナル時代に直轄サービスセンターを置いてなかった時代を糧としたのかも知れない。サービス事業の強化は自動車メーカーを見ても、近代的経営の一環であろう。ネットで調べてみると、ハーマンがサービスが悪いとあった。

    ハーマンはかつては大阪ガスの子会社だったが、現在はノーリツの傘下にある。ビルトインコンロではリンナイやパロマに比べて経験が長く、両面焼きグリルを開発したのもハーマンである。現在のシェアでは、リンナイ>ハーマン>パロマという情勢だが、ガス調理器メーカーはいずれもオール電化(IH)に怯えている。どちらがいいかの比較要素はいろいろある。

    購入の際にはそうした調査も必要だろうが、自分はIHが好きではないので、今後も使う予定はない。ガスコンロは火を使うので危険、ガス漏れの不安もあるというのがIHのセールスポイントになっているが、ガス機器は2008年10月以降、「調理加熱防止装置」、「立ち消え安全装置」の搭載が義務付けられており、以前の製品に比べて安全性はかなり向上している。

    したがってIHとガスコンロにおける機能面での差はほとんどないと思うが、新築やリフォームの際に結構悩むらしい。さて、どちらの方が耐用年数が長く、故障がすくないのか?気になる点だが、こればかりは機械でもあり、使用頻度や使い方によってもまちまちでどちらに軍配が上がるとは言えない。15年使う人も3年で壊れた人もいるように、機械はきまぐれである。

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