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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    神や霊魂や前世・来世、あるいは運命の糸などといった、現在の科学で証明できないことはあるのかも知れない。例えば神の存在については多くの哲学者が論理的な証明を試みたが、理論物理学が理論的な模型や理論的仮定を基に理論を構築し、既知の実験事実(観測や観察の結果)や、自然現象などを説明する学問同様、神や宗教概念についての理論的考察を行う学問もある。

    それらを「神学」といい、主にキリスト教を指すのが一般的だが、これは他宗教における神学を否定するものではない。他宗教における神学は、「イスラム教神学」などと宗教名つけて呼ぶ。神道や仏教では「宗学」、「教学」が用いられる。日本のミッション系大学などでは「教育」と、「学問」を合わせた、「教学」とし、欧米のキリスト教神学とは別のものである。

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    神学とは何?神学と定義するものは何?ややこしいもののように思うが、何のことはないキリスト教の神学とは、単に、聖書に啓示された神の言葉を深く掘り下げ、理解しようとする学問ということになるが、キリスト教にとって聖書とは唯一無二の聖典だが、実はキリスト教のみの聖典ではない。『旧約聖書』は、ユダヤ教、イスラム教の聖典でもある。

    これが無神論者にとっては、ありもしないことをひたすら時間と労力をかけて学んでいるとしか思えないのだが、信仰者と無神論しゃというのは両極である。したがって、神学とは信仰を前提にするものだが、日本のキリスト教系ミッションスクールは、信仰者である必要はなく、先祖代々仏教徒であっても、カトリック系、プロテスタント系の学校に行く子は多い。

    日本のカトリック学校は、信者を増やす目的ではなく、カトリックとはこんなものですよ、と紹介するために作られている。プロテスタント学校は様々のようだが、仮に信者を増やす目的で作られていたとしても、信仰を強制することはできない。一見して矛盾のようだが、日本のキリスト教信仰者は1%程度であり、信者だけではなりたたない、運営がやっていけないということ。

    仏教徒が青学や上智や立教に行こうとも、聖書の授業はあったとしても信仰を前提に行くわけではないなら、何の矛盾もない。信仰があろうがなかろうが、学校は勉学をしに行くところだ。純粋な信者もいるが、宗教で問題になるのは、前世や因果、因縁話を吹き込んで恐怖や罪の意識を煽り立て、印鑑や数珠や念珠、壺や多宝塔、仏像を高額で売りつける宗教である。

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    これを霊感商法といい、特に統一教会による霊感商法は徐々に社会問題化していく。有名芸能人を広告塔に、アンケートや手相鑑定を装うなどして、街頭で手当たり次第に声をかける。物品販売が社会問題化すると、今度は手を変え、献金と称して現金を支払わせるなどに移行した。信者もしくは信者になり立ての人に預金や保険を解約させるなどさせて献金させる。

    「広く浅く」という以前の手口に比べ、「狭く深く」へと移行したことで、一件当たりの被害が高額になり始めた。統一教会のこうしたやり方は警察の摘発を受けることとなり、民事事件から刑事事件化され、各地の教会に家宅捜査が入り、逮捕者も多数でたことで霊感商法は影を潜めて行く。摘発されたマニュアルには、「印鑑を売るな開運ろいう幸福を売れ!」とある。

    福岡高裁の、「霊感商法事件」では、ある被害者が先祖の因縁話を信じ込まされたあげく、一冊3千万円もする、「聖本」という文鮮明教祖の説教集を十冊も売りつけられる悪質極まりない事件だった。3千円ならともかく、本一冊3千万というから恐れ入る。被害者は、信者になってわずか五年間に4億3千万を超えたという。判決は教会側に4億円の弁済で結審した。

    「殊更に不安や恐怖心の発生を企図し、あるいは、不安や恐怖心を助長して、相手方の自由な意思決定を不当に阻害することによって過大な支払いをさせるのは違法」と、従来にました踏み込んだ判断は、協会側が上告をしなかったことで本判決は判例として確立する。信仰の深さは自分がもっとも大事にする金銭を吐き出すことで決まるというのが、「金持って来い宗教」の台本である。

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    こうした宗教の、宗教的実践とは勧誘の信者側にも当てはまる。つまり、多額の集金が信仰の証しであるとされ、信者自らも経済的収奪を受ける組織体系に組み込まれていくのだが、信者たちは誰もこういった組織体系に組み入れられることを知らされないし、知らぬままに信仰を植えつけられ、あげくは組織から離脱できなくなるという怖さである。ヤクザと宗教は似て非也。

    以前、「エホバの証人」信者を離脱させるために頑張ったが、証人たちは伝道に費やした時間、信者獲得の数こそが信仰の証しと洗脳させられていた。率先しての伝道ではなく、玄関払いの恐怖に満ちていた。それに対する作り笑顔を強制され、嫌々ながらも自信のステータスを上げるためとの、涙ぐましい現実を知り、何という憐れな子羊たちとの思いに至る。

    大学受験に失敗し、貧しい家庭ながらもアルバイトをしながら、予備校に通う彼女の自責の念はいかばかりか。そんなとき、ふと訪れたエホバの証人伝道者を室内に招きいれたことで一変する。挫折感と失望感の交差する日常のあって、初めて人から愛の言葉を聞き、そのことで今の自分の虚しさを悟ったという。彼女の悟りは彼女のものだが、看過できない自分だった。

    会衆所というところで、同じ目的を持った信者たちが聖書の勉強に励む、そんな日々は予備校の勉学の先行きの見通しが立たない不安に比べ、幸せを予感するものであったろう。彼女は大学受験の失敗を自身の至らなさと決めつけた。大学に受かった友人たちと自分の存在の違いが自分を苦しめた。反省すればするほど、その苦しみは強く重くのしかかっていた。

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    すべてを払って新たな挑戦をすればよいのだが、自責の念の強い人間は、自分を周囲に対する加害者とみなし、それがさらに自分を苦しめる。受験の失敗は被害者なのか加害者なのかという問題提起を持っていた。貧困が彼女を親に負担をかける被害者に仕向けたようだった。他人に比べて自分の存在の特殊性に悲嘆し、涙する彼女を救ったのが宗教である。

    彼女が自己の存在の特殊性に涙するのは、彼女の父親の言葉でもあった。「お前はどんだけ迷惑をかけるんだ?」の言葉の裏には出来のいい姉の存在もあった。浪人すると親に告げたのは勇気のいることだったが、受験に失敗して働く勇気がなかったというが、「来年頑張ればいいよ」という親を持たなかったことも不幸である。誰も彼女の慟哭を理解しなかった。

    予備校を辞め、荷物一つで家を出て信者宅で同居を始めたのは、余程の感化であったようだが、彼女の宗教者としての新たな一日が始まった。家庭にも親にも愛がなかったことが、何よりも彼女の背中を押したという。彼女の目指すものは安っぽい幸福ではなく、高貴なものであったという。彼女の心の苦しみと世俗の価値観との戦いが、彼女を美しいものにした。

    「会衆の長老にあなたのことを話したら、悪魔とは手をきるようにといわれました。今後も私たちは、ものみの塔の上からエホバの神に監視されます。わたしはここで生きて行くことにしました」。これが彼女の用意した最後の言葉だった。改宗は徒労に終わったが、人は誰も自然の生き物としての要求を持っている。それを抑える人に比べれば、自然に発露できる人は幸福だ。

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    そのように考えると彼女を別の見方で眺められた。これまで彼女が親や学校や友人などの環境から得たもの、あるいはそういった過去に制約されて物事を考えていたことから、まったく異なる世界に向かうことにはなるが、彼女はそこに新たな生き場所を求めた。「失うものを失いたかった」というトルストイの言葉にあるように、「失うものを失えない」そんな人もいる。

    「失うものを失うこと」によって、得たいものを得たというのは逆説的真理である。欲しくないものなど失いたくはない。人間は失いたいものをこそ望む。これが人間の矛盾であろう。自分もそれは母親という、「失うものを失いたかった」という経験で分かった。そもそも自由というのがそうした矛盾をはらんでいるものなら、矛盾もまた実用的といえなくもない。

    彼女が親を捨てた時に、それはそれで勇気のいる、強い決心であったろう。人が人を捨てる時、完全にその捨てた人が自分にとって何でもなくなるまでには、多くの激痛を支払わねばならない。捨てたということが、何の良心の呵責を覚えなくなるまでに人は多くの戦いという体験をしなければならない。罪の意識に苦しんでいるうちは、まだ捨てきれていない証拠である。

    自分に対する仕打ちと同時に、相手のどうしようもない醜さを露骨に見てしまったとき、人は人を捨てられる。子は親を捨てられる。捨てなければその呪いの中で自分は永久に不幸になるだろう。完全に捨てるということは、完全に相手の醜さが分かるということである。人に騙されているのに気づかない人がいる。「お前はそんなこともわからないのか?」といっても虚しい。

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    分からないから騙され続けるのだが、口を開けば天使や聖人のようなことをいい、物を書かせばキリストのような人間に人は騙される。人間は頭から人を疑うことがどうしても難しいのだろう。ことに、青春の一時期とはそうしたものである。宗教者や賢人・賢者と自称する人間は、神の生まれ変わりのようなことを言ったりするから、つい信用してしまう。

    「40過ぎたら自分の顔に責任を持て!」いい言葉だ。どんなに辛い悪条件においても、自分を大切にし、自分を励まし、素直に、そして粘り強く生き抜くとき、それが目立たぬありきたりの人生であれ、結局は自分が築き上げたものだ。自分の人生において、自分が責任を取らないで誰がとる?そう考えることが、人間の成熟さを示すもの。それが人の顔だ。


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    子どもの頃、幽霊を信じていた理由は、子どもだからである。幽霊がいるから幽霊の映画や怪談噺があるのだろうと子ども心に信じていた。疑う根拠も知恵も知識もなかったがあるとき、「幽霊の正体見たり枯れすすき」という句を知った。なるほど、これが大人のいう幽霊の正体だったのかと思った。子どもの自分には幽霊だが、大人にとっては枯れすすきなのだと。

    幽霊の映画で怖かったのは、『四谷怪談』であった。主人公はお岩の亡霊である。なぜかお岩の幽霊とは言わないが、子どもにとってお岩は幽霊だった。幽霊はまたお化けと言った。亡霊と幽霊について確たる違いはあるのだろうか?違いは、幽霊というのは幽かな霊。亡霊というのは亡き人の霊。など言葉から想起できるが、意味の違いの有無を改めて調べてみた。

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    幽とは、「幽(かすか)な、はっきりしない、弱々しい」という意味で、したがって幽霊は見えるか見えないか、朧げな存在という意味。「幽霊とは死者の霊が、生前の姿をして現れるといわれる現象」という説明もある。「実体は無いのにあるように見せかけるもの」と踏み込んだ説明もあるが、この説明は主観的なものか、客観的なものか、自分は後者と考える。

    亡霊とは、「死者の魂、亡魂となり、つまり亡き人の霊というのは、化け出てはこない亡くなった者のことも含む」とあるが、この言い方なら、化けてでるお岩は亡霊でないことになる。要するに、幽霊、亡霊を定義するとオカシナことになるの。定義に無理があるということだ。お岩は幽霊であり、亡霊であり、お化けであって、本人に聞かずとも何の問題もなかろう。

    幽霊の決まりセリフは、「うらめしや~」である。「うらめしや~」とは、「うらめしい」という形容詞に助詞の、「や」を付けたもので、生前に自分に対する相手の行いを恨む気持ちが込められている。当然ながら民谷伊右衛門に対し、筆舌に尽くし難い恨みを持っており、復讐の意をこめてそのようにいうし、「伊右衛門どの~」と、名指しで言ったりもする。

    この世に未練があり、あの世に行きことができない、つまり成仏できない霊を幽霊という。単に人を驚かせるための幽霊ではなく、彼(彼女)らにはさまよう悲哀がある。幽霊には女性が多いのは、男よりも執着心が強い、別の言葉でいうなら、「しつこく、執念深い」性向であろう。「怒りゃすねるし、叩けば泣くし、殺してしまえば化けて出る」は、女をあらわす川柳である。

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    ま、何にしても男の幽霊は様にならん、みっともない、男らしくない。何をされたにしろ、謀略にかけられたにしろ、食うか食われるかの弱肉強食の男世界にあっては、止むを得なきことだから、いちいち化けて出るなといいたい。潔く、キッチリと往生すべきものだから、「往生際の悪い男だ!」という言葉も生まれた。この言葉は男向けで、女には言わないようだ。

    つまり、女は往生際が悪くて当たり前ということだ。ジェーン・S・ヒッチコックに、『魔女の鉄槌』という著書がある。神秘的でオカルトチックで宗教的で、途中で読むのをやめたが、中世キリスト教における宗教裁判で魔女にされ、火あぶりにされた多くの女性など、キリスト教史の暗黒面などがパーツとなっている。そういえばかのジャンヌ・ダルクもそうであった。

    魔女とはアニメの主人公キキとは違い、簡単に言うなら性欲を露わにする女性のことである。なぜ、女性が性欲を露わにするのを中世キリスト教社会が嫌悪し禁じたのか?男から、「求められ、所有され、支配される」存在としての女、という捉え方はどこの国とて同じこと、同著は、『魔女の鉄槌』と呼ばれた中世の宗教裁判で使用された法律について書かれている。

    霊魂や運命や前世などは、有るのか無いのかよりも、信じる、信じないの世界である。信じない人間にとっては、神様なんて居ない。天使も悪魔も居ないし、天界も魔界も天国も地獄もない。神様なんて居ない。天使も悪魔も居ないし、天界も魔界もあの世も地獄も何もない。全てが人間の妄想の産物であり、我々に与えられているのは現世だけで死んだらそれまで…。

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    前世も来世もないと考える。時たま、前世の記憶を持つ人が出たりするが、彼らの説明にはいろいろと足りないものがある。抽象的で単発的で理路整然としていず、しかも独善的である。独創的と言った方がまだマシである。美輪明宏が、「自分の前世は天草四郎」と言った時に、1630年代に死した彼が、誰にも生まれ変わらず400年近くどこかに浮遊していたのか?

    それとも魂Bankのようなところに、一時預けになっていたのか?そうして、美輪明宏という相応しい人物に定めて、霊が乗り移ったとでもいうのか?などの疑問が、腹が立つほど湧いて来た。そもそも前世が誰かに宿るを信じる人間にとって、魂がいつ宿るかはバラバラだ。ある人は、「受精した瞬間」といい、受精卵と胎児の霊魂は「銀の糸」でつながっているという。

    「胎内で成長する過程」だという人は、これまで胎芽と呼ばれていた8週目から11週目が、胎児と呼ばれるようになり、ようやく人間の形となるわけで、このときに、魂が宿るという。別のある人は、「自我をもった瞬間から…」という。生まれる瞬間という人もいる。これら、統一見解もないままに、好き放題をいうオカルトや超常現象、スピリチュアルなことは矛盾だらけ。

    魂がいつ宿るかを明晰に、理路整然と真実を語れる人などいるハズもなし。したがって、このような曖昧で矛盾に満ちたものを信じるよりも、そんなものはないとのスタンスはいかなる矛盾に晒されることもない。自分は知らずにいたが美輪明宏が、前世は天草四郎は嘘だったと訂正したという。信じてない自分はいいが、一介の芸能人の発言を信じたものもいる。

    イメージ 4美輪は、「自分の前世に天草四郎はありません。丸山明宏の名で売れなくなっていたので、自分の前世は天草四郎だと称することで自分の名を世間に売ったのです」。ま、「あの時はああ言うしかなかった」、「言わざるを得なかった」を戒め、禁句としている自分は、都合主義の言い方を嫌悪する。
    そもそも、「あの時はああいわざるを得なかった」という虚言は、言い逃れ、言い訳など、バカげた生き方と思うから自分はしないが、人がいうのは、「勝手に言ってろ!」で済ませる。

    他人の事情、他人の都合は自分に関係のないが、付き合う相手として気をつける。「他人の都合は自分に関係ない」と思えるようになると、人を責めることがなくなる。人は誰も嘘をつき、自分の利害を基準に物事を考える。それでいいとするしかない。自分とて、したくないことはしないと自分の利益で生きているのであって、自分の利益とは自身が目指すもので、これまた他人には関係ない。人間がいろいろなのは、そういうことだと思っている。

    だから、これが正しい生き方はないと思っている。人にとって「正しい」がある以上、自分の正しさを押し付けることもない。正義の代弁者を気取るつもりもない。自分にとって大事なのは、自分が変わろうとするその一瞬、一瞬である。近年の合理主義が設定した人間像は、幸福になりさえすれば救われるという、どこか固定された、動的なものではなくなっている。

    幸福を欣求する人間の、明らかなる固定的で、静的な人間像から受ける印象は、人間は果たしてそうした画一的なものではあり得ないという反発である。幸福による自己救済への反逆は以前から自分にあった。それを自問するとき、すべてのものが「操作されるもの」の立場に追いやられていることへの反乱である。決まったもの、決まった価値観、決まった幸福…

    それら一切の多数派思考の付和雷同性であろう。物心ついたときから少数派を自認する生き方に真性なものを見つけようとした自分が、安易な多数派に与しないのは当然である。心を打った言葉やセンテンスは沢山あるが、『二十歳の原点』の高野悦子の深層には共感が多かった。彼女は一人であること、未熟であることを二十歳の原点として戦い、傷つき、死んでいく手記である。

    「私は見知らぬ世界、人間に対して恐れをもち、人一倍臆病であったので、私に期待される『成績のよい可愛い子ちゃん』の役割を演じ続けてきた。集団から要請されたその役割を演じることによってのみ私は存在していた。その役割を拒否するだけの『私』は存在しなかった。その集団からの要請(期待)を絶対的なものとして、問題の解決をすべて演技者のやり方のまずさに起因するものとし、演技者である自分自身を変化させて順応してきた。」

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    仮に彼女のこうした生き方で幸福を手に入れたとしても、人間が真に自らに求める、「生の実在感」を手に入れられない、そのことに彼女は気づくのだった。その生き方を改めることには程遠い道のりと、新たな苦悩が要求されることに耐えられなかった。そして彼女は、「旅に出よう」の辞世を詩を最後に、自身のつたない生き方にケジメをつけたのである。

    彼女の求めたものは、小市民的な幸福ではなく、人が生きているを実感する「生の実在感」であったが、それが自分にとって果たし得ない遠き道のりであったことへの挫折であった。高野悦子の日記の最後、「旅に出よう」は6月22日に書かれたもので、彼女が鉄道自殺を遂げる2日前、48年前の1969年の今日であった。書き出しは「また朝がやってきた。」で始まっている。


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    「また朝がやってきた。19日以来の、このどうしようもない感情、憂さ晴らしに酔うだけ酔って、すべてを嘔吐し忘れた方が良かったのかもしれない。(中略)あなたと二日の休日を過ごしたい」。長い長い記述の最後に、旅に出よう…の詩で最後の日記が閉じられている。19日のことで神経を揺さぶられている彼女だが、何があったのか、日記の冒頭には以下の詩がある。

      一切の人間はもういらない
      人間関係はいらない
      この言葉は私のものだ
      すべてのやつを忘却せよ
      どんな人間にも 私の深部に立ち入らせてはならない
      うすく表面だけの 付き合いをせよ
      一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが
      今の唯一の私の友
      人間を信じてはならぬ
      己れ自身を唯一の信じるものとせよ
      人間に対しては 沈黙あるのみ

    中ごろには、「みごとに失恋――?」とある。よく読むと片思いであったようだ。彼女は片思いを、「恋」と認めてはいないようである。「君。失恋とは恋を失うと書くのだぜ。失うべき恋を君は、そのなんとかという奴との間にもっていたとでもいうのか。共有するものがないのに恋だって?全くこっけいさ…」と、自らを、「君」という受け手の二人称で書かれている。

    この詩から感じるのは、己の片思いを恋に見立てないことで、失恋の痛手をかばっているのだろう。片思いを恋に昇華させられないもどかしさもあるのだろうか。うまくいかぬものも恋だが、彼女にとっては失恋の感傷は自らを傷つけるものだから、傷つかぬ防御を張るのだろう。素直に失恋を認めて感傷に浸る女性もいるが、それが出来ない、強がったところが見受けられる。

    「君にいま残っているものは憎しみさ。アッハッハッハッ。こっけいだねぇ。君という人間は全く楽しい人物だ。そんなことを書いて、ひそかに喜びさえ感じているんだから」。行間を読むに、自分に真正面から向き合えず、素直になれない倒錯的な心情が、彼女をひどく混乱させている。是は是、非は非、喜は喜、悲は悲と、自らを偽ることをせず正直に生きるなら解決できるものを。

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    簡単なことを複雑にするから、解決が遠のく。にっちもさっちもいかなくなって、思考のない世界に逃避を求めるのだろう。難しいことは難しくてしかりだが、簡単なことを難しくしてしまうと、人間は生きてはいけなくなる。失恋なら失恋でいい。涙に暮れながら、嘆きの思いを書き綴ればいい。それが出来ないというなら、それなら彼女に何ができるのか?

    彼女はいつも行き詰まってばかりに思える。女の涙は、事に素直に向き合って解決するために流すものである。弱い人間がこんなに強がっていたら、自己矛盾に耐えかね、崩壊するだろう。弱い人間は強がるものだが、人は欺けても自分を欺くことはできない。他人に嘘の自分を隠し、本質が露呈するのではないかとビクビクして生きれば、人間嫌いにもなるだろう。

    「他人に弱さなんて見せちゃったら、ろくなことにならねーぜ!ちっきしょー!」と、これが高野悦子の性向である。弱く、もろく、傷つきやすい少女が傷つきたくないと誤魔化して強く見せるが、強く生きようとするのと、強く見せるは違う。人に強がると人に頼れなくなる。我が身を人に預けることもできなくなる。それで苦労したり、強く孤独感に苛まれたり…

    少しづつでもいい、時間をかけて自分を取り戻すことはできたはずだ。自己変革に払う代償は大きい。それでも嫌な自分を変えたくて頑張った自分にすれば、現状のままが楽という人間もいよう。高野はそれすら選択できない生真面目さが災いし、自らの鬩ぎに耐えきれなくなった。近年の心理学は、「無理に自分を変えることはしない方がいい」とされている。

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    自己否定より、自己肯定が良いとされている。昔は違った。自己否定が自分を作るといわれていたが、現代人は自己否定に耐えられないほどに脆弱なのだろう。生活環境や多くの事が楽になったことも、現代人の弱さを加速させている。耐え忍ぶということもほとんどなくなったし、親の子どもの育て方にも厳しさがない。これでは弱くて当たり前である。

    逞しい精神、強い精神力とはどのあたりをいうのか分からぬが、誰も自分が精神的に強いなどと思わないだろう。自分も決して強いとは思ってはいないし、頑張ろう、頑張っているに過ぎない。ただし、「頑張ろう」がそれほど無理難題でないということに過ぎない。今の時代に比し、昔は耐えることが多かったが、そうした負荷が、耐性に寄与したのかも知れない。

    石川達三の中編小説『青春の蹉跌』は、1968年4月から9月まで「毎日新聞」に連載され、1968年に新潮社から単行本化されてベストセラーとなった。高野悦子が鉄道自殺したのが、1969年6月24日だから、新聞連載は知らずとも、単行本は知っていると思われるが、日記にないからして彼女は読んでいない。「蹉跌」とは挫折である。読めば何かが変わったろうか?

    タラは北海道ゆえにそれは分からない。結果論でいえば、高野は20歳の短い命と引き換えに日記を残した。死を選ばず生きていれば、どこかで68歳の普通のおばちゃんをやっていよう。日記が公開されることもなく、おそらく嫁ぐ前に焼却したのではないか。つまり、彼女が生きていれば、彼女の青春期の愛と性、恋と日常は、彼女しか知り得ぬままに葬られた。

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    どちらが良かったとは言い切れないが、結果がすべて、彼女の、「生」は、結果で判断するしかない。死んで有名になる事の是非は分からないが、結果的に彼女は日本でもっとも有名な女子大生となった。「立つ鳥は後を濁さず」という言葉がある。彼女の下宿先には処分されないままの大学ノート10数冊に及ぶ日記が残されていた。それを見た父親は涙にくれたという。

    母親は書籍にすることを猛反対したというが、決断にいたった父の想いは何であったかを察するに、公益性と判断した。一人の少女が、青春のただ中にあって、孤独に苦しみながら、自らに生きる意味を問い続けた魂の叫びを、棺に入れて葬っていいものか?死して体面を尊重する母親に比し、少女の生きざまの資料として我が娘の日記を公にするのは、ただならぬこと。

    死ねば彼岸、生きてこそ此岸とする母の愛、死してなお此岸に存在する娘に寄せる父の愛、違ってしかりである。『アンネの日記』は、多くの人に読み継がれた少女の日記である。が、これとて刊行当初は父によって性にまつわる部分がカットされた。今では原文ままに読めるが、悦子の日記においても、父親にとって娘の直視したくない部分は多だあったと思われる。

    それを人目にさらすことには躊躇もあったろうが、綺麗なものだけを飾り立てたい母親にとって、娘のプライベートな日記を公開するなど許し難いことである。しかし、編集もなきままに刊行されたのは、真摯な父親の理性と愛情と見る。娘の生身の存在をあるがままに受け入れたのは、父の心の大きさである。巷、レイプ事件報道で少女・幼女が匿名にされる。

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    マスコミは申し合わせたように配慮をするが、「氏名を公表して欲しい。娘は何も悪いことをしていない。何の罪も犯していない」などと、訴えるのは決まって父親である。男にとっては、この世は清と濁で成り立っていると考える。何事も美しい物だけにまみれてはなく、事物をあるがままに直視すべきであるという、それが、「清濁併せ呑む」ということだろう。

    高野は真面目な性向であったが、「生真面目」さを徹底できるほどの、「強さ」が彼女にはなかった。思春期に異性を強く求めるところもあるにはあったが、と同時に性欲への自己嫌悪も見える。これは純粋少女の誰もが抱く性への葛藤である。彼女はそれらを誤魔化すこともせず、曖昧にせず、自身を直視しようとするが、人間を汚くとらえる感性は少女に希薄である。

    自己否定が強いと自己愛とのバランスが崩れて鬱になりやすい。鬱病や神経症などの心の病は昔からあったが、2000年辺りから患者数が激増したが、理由はいたってシンプルで、精神科や心療内科を受診する人が増えたともいわれる。精神疾患に病んだ人は元々一定数存在していたが、精神科の激増とともに、患者数も増えたというのは卵かニワトリかの論理であろう。

    高野悦子もうつ状態と考えられ、受診をしていたなら、「社会不安障害」、「パニック障害」、「ストレス性適応障害」など、いずれかの診断名はついたと思われる。彼女が青春期であった1960年代、精神病院をきちがい病院と呼んだのは、精神病患者をきちがいといったからだ。言葉は適切でないと葬られたが、言葉が変わっただけで中身が変わったわけではない。

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    うつが薬で治らないとしながらも、抗うつ剤という名の薬もある。抗うつ剤とはうつを抑えるもので治すものではないということ。向精神薬とておそらく同じことだろう。「誰も治すとはいってない」し、「どこにも治るとは書いていない」。殺菌という言葉はあるが、殺鬱はない。消鬱も滅鬱もない。「抗うつ薬」は、単に臭いものに蓋をしているだけというのが現状だ。

    精神安定剤は精神の安定に寄与するが、人生を安定させない。自殺者の多くはうつ病もしくは、うつ状態であるといい、生きたくて死ぬ者と、死にたくて死ぬ者がいるのは遺書などで分かる。生きたいならなぜ死ぬ?と思うが、ずいぶん前、自殺願望の女性は、「どうせ死ぬのになぜ生きるのですか?」といい、自分は、「どうせ死ぬなら、死ぬまで生きよう」と返す。

    「死ぬまで生きよう」とは、自然死の、「死ぬ」である。自殺は自らを殺す人為である。「死にたいなら死ねばいいのでは?いけない理由がわからない」というのをしばしば耳にする。これについては同意する。楽をしたい人間に無理強いしてもダメ。自分は「楽」より、「苦」に生き甲斐を見る。楽は超えるものがなくてつまらない。「簡単」より「難解」を、「単調」より「面倒」を好む。

    高野の日記にはベートーベンのソナタ『悲愴』がでてくる。6月22日にもあった。ピアノが弾ける彼女は、おそらく『悲愴』を奏でたであろう。3月16日に日記に、「『悲愴』をウィルヘルム・ケムプで聞きたい」とある。1969年の明日、彼女は死んだ。彼女の死が悲しく傷ましいことなのか、自分にはわからないが、彼女の聞きたかったケンプの『悲愴』を贈りたい。


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  • 06/23/17--16:29: 小林麻央さんを偲ぶ

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    小林麻央さんが長い闘病から解放された。彼女の痛みや苦しみがどれほどであったかを想像するのは難しいが、死が彼女を救ったのだと感じた。人の死は悲しいが、人の死はまた苦しみを和らげるもの。おそらく彼女は、どうしてこんなに苦しまなければならないのかを日々実感していたし、この苦しみを耐えることが良い方向に繋がると信じたこともあったろう。

    が、いつしか苦しみの果てには悲しい現実が訪れることも予感していただろう。その思いは麻央さんのみならず、親族家族の誰もが共有するものであった。苦しみの果てにあるものが生か死かは誰にも分からない。病による数多の死を看取ってきた主治医をはじめとする多くの医療専門家においては、症例から死の予兆は想像できたはずだ。そして、想像は現実となった。

    彼女が闘病中のさなかに、彼女には何が大切なのかを考えてみたことがある。生死を分かつ重い病であるという前提で、ときおり公開される症状などから類推し、末期がんという病からの完治や回復は奇跡に近いと感じていた。そういう中で、彼女は何が大切なのだろうか。同じ境遇にならないとも限らない自分が、どうあるべきかを見立てた疑似体験でもあった。

    健康体である自分のあらゆる想像力をもってしても、直面する死についての現実的な思考などできるものではないし、彼女が何をすべきかは彼女が考えること、彼女の肉親が考えること、また彼女の主治医が専門家として考えることでもあるが、宣告された余命にどう向き合い、どのように日々を過ごすかが難しい問題であるだけに、自分なりの答えを模索した。

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    がんがあちこちに転移し、体中に巣食っている状況下の苦痛や心労は想像に絶するが、そういう時にこそ人は祈るのであろうか?誰もが認める人間の有能さも、病魔に襲われれば取り付く島もない。それを悟ったとき、やはり人は祈るのだろうか。神を信じる人も、信じない人も同じように祈るのだろうか?「なすすべもない」人間にとって、祈りは行為となるのか?

    人は闘病にあって、その病気がどういうもので、現在はどうなっていて、先行きはどうなるのかを知るのは権利である。今自分がどこにいて、どういう状況下に立っているかを知るように、見えない体の内部を知ろうと患者は主治医に問う。同じように近親者も問う。主治医は患者本人に告げる場合もあれば、告げない場合もあるが、近親者には真実を告げるだろう。

    告げる人、告げない人を医師が選定する根拠は何であろうか?昔は不治の病は告げないことになっていたが、その理由は、死の宣告を受けた患者の驚きや悲しみや絶望を配慮してのことだった。今は違うようだ。何も知らず、知らされず、死ぬというのは患者に対する配慮というより、患者の知る権利を冒涜するものとして、告知義務違反で訴えられる可能性もある。

    したがって、告知はいかなる場合でも行われる義務であり、告知をすることは患者の区別なく正しい。そこに配慮という感傷は立ち入るべきでない。現在の医療はが緩和治療を含めた患者のQOLを重視する体制であるなら、将来的に緩和療法に移る場合にこ告知がなされてないと、「手を抜かれた」と、患者や親族から誤解を招く恐れがあり、医師との信頼関係が保てない。

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    真実を知らせることを医師のモラルとしたのは、「なぜ患者に知らせた」、「それでも医師か!」などと感傷的気質の親族、あるいは患者からも鬩ぎを受ける事態があったからだ。したがって、「確実に病が命を奪う」という宣告であっても、患者の葛藤や苦悩の先に生きる意味を見つめたり、大切な何かに気付いたり、権利としての患者の理解がされたことになる。

    病と闘うことは、破壊と再生というヒューマンドラマであり、ゆえに小説や映画の題材として取り上げられることも多い。自分たちの世代で真っ先に浮かぶのは、『愛と死を見つめて』である。大学生河野實(1941年生まれ)と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島みち子(1942年生まれ)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したもので、大ベストセラーになった。

    マコとミコの愛称と二人の純愛物語は多くの日本人の心に宿った。64年1月にラジオドラマ化され、4月にはテレビドラマ化され、9月には吉永小百合と浜田光夫の日活青春コンビで映画化された。記憶をたどると、当時の周辺では見なければいけないような雰囲気があった。2006年には草剛と広末涼子でテレビドラマ化、3月18日・19日、前・後編2時間半枠で放映された。


    今となっては風化した物語であるが、1冊の本が日本を揺り動かした。53年も前だが知らない人はいない。大学3年にしてわずか1年間で126万部の大ベストセラー作家となった当の河野實氏は、当時の印税で3400万円を手にした。現在の貨幣価値で5億円と言われている。純愛のヒーローとして脚光を浴びた河野氏だが、単独で大金を手にした彼をマスコミは叩き始める。

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    現在76歳の河野氏だがそんな彼の口から出る言葉は、「マスコミはヒーローを作り、叩いて儲ける商売」と辛辣である。 ヒーローには人知れぬ労苦もあったのだろうが、マコとミコの事は、「そんなこともあったな~」くらいで、自身においても風化している。さて、死を前にして生きる人の気持ちというのは、正直どういうものかよく分からない。想像はすれど理解は遠い。

    さらには、34歳で人生を終えるというのも想像し得ない。自分の人生が34歳で終わっていたら…と思うと麻央さんには申し訳ないが、それも自分の罪ではないし、麻央さんの罪でもない。生きとし生けるものはすべて死するが、その早き、遅きに不平等を感じる。人の命に平等も公平もないが、それを運命などとは思わない。自然の摂理であり、人間は自然に生きている。

    よって、自然に死ぬのも人間だ。「今日で自分の一生が終わるが、それでいいのか」という問いは、そういう状況になれば必然かもしれぬが、自分が死ぬということなどを夢にも考えなかったよりは、いくらか死への準備はできていよう。おそらく麻央さんもその準備はあったのではないか。では、死の準備というのは必要なのか?これが最初に提示した問題である。

    不治の病を実感し、闘病する人が考えるべきことが、ここにあるように思う。それが、死への準備であろう。準備もなしに、突発的な事故や意に沿わぬ事件などで、命を落とす人もいるが、そういう人に死の準備も何もない。「余命を宣告され、明日の死を待つというより、いっそバッタリの方がいい」という人はいた。「苦しみながら死ぬのは嫌だ」という者もいた。

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    確かに人の死はいつの時代も関心事だが、こんにちほど「死」が話題になり、論議もされる時代も珍しい。勿論、「生きること」、「いかに生きるか」がテーマであった時代もあるが、近年は「いかに死ぬか」、「クオリティ・オブ・デス」という言葉が盛んにいわれはじめている。「クオリティ・オブ・デス」の見地に立てば、がんは幸運な病気であるということになる。

    確かに若いがんは進行が速いが、それでも心筋梗塞や脳溢血でバッタリ倒れて意識が無くなる死に比べて、自分は有難い病気だと思う。確かに死が襲い来るという恐怖はあるが、そこをどのように考え受け入れるかが、「クオリティ・オブ・デス」でもある。人は自分の死を淡々と迎えることができるのだろうか?できるなら、それに越したことはない。

    散々な目に合ってきた人なら、「人生疲れたけど、これでやっと休めるか」という気持ちで死に臨めるかも知れないが、それ程の苦労もない人間にとっては、一日でも多く、明日の命を永らえたいだろう。ましてや麻央さんのように30代なら何をかいわんやである。60代の自分と30代の彼女は、当然にして死に対する考え方の違いはあろう。自分には30代の死を想像し得ない。

    同じように麻央さんも、60代の死に対する考えを想像し得ないだろう。違いはあろうが、死ぬということは同じである。幼子二人を抱えて、差し迫った子どもたちのランドセル姿も見ることのない、それ以後の事も…と考えると、「いたわしい」以外に言葉はないが、さりとてそれが命運であるなら、如何ともしがたいことだろう。言っておくが、「運命」と、「命運」は違うものだ。

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    「運命」は人の境遇や力量に関係なく、幸・不幸を与えたりする力のこと。まえもって定められたものをいい、「命運」とは、命そのもののこと。「命運尽きる」とは、命が終わることをいう。運命を変える方策はないが、命運を変えたり伸ばす手段はある。現在の医療は、延命については高度な手法を持つが、だからといってやみくもな延命が意味のあることか?

    医療としての延命に釘をだすのが上記した、「クオリティ・オブ・デス」の考え方である。生まれることに選択の余地はないが、せめて死ぬときの自身の選択はあってもよいのではと考える。終末医療が緩和される時代になったが、それでも身体に感じる違和感や苦痛から解放されたいというのはあろう。このままベッドの上で苦しむなら、いっそ死んで楽になりたい。

    生きてることの意味、価値を考えると、ただ生きながらえることは自分的には無意味に思える。親族・肉親の顔をみるだけの、「生」にどれほどの意味があるのか?どれほど自分が執着するのかは、今の時点で分からないが、「生かされる」ではなく自ら、「生きる」ことを選びたい。健康体のときに何を言ったところで、死に向き合う人の言葉の方が現実的には重みがある。

    報告会見は見なかったが、家族の悲嘆は想像できるし、家族とはちがう自分なりの受け入れ方があればいい事。病気の人や悩める人の心の痛みや苦しみは、家族親族外には伝わらないし、家族にさえ伝わらないものもある。孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すこともできないし、ならばこの痛みや苦しみは、自らが背負うものと思えるとき、その人は何倍も大きくなっている。

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    麻央さんは感傷的にならず、明るく、背伸びをすることなく現実をしかと受け止めているようで、何より大事にしたのが日常であった。そんな彼女の意思を家族は受け止めているようだったが、悲しみを乗り越えることも必要である。言葉として浮かんだのは、「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」。刹那を生きた麻央さん、ごくろうさまでした。


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    人は誰でも嘘をつくが、嘘をつくときは真実よりも嘘に価値を置いているからで、そのとき嘘は自分に利益があるからだ。いかなる動物にあって、人間だけが嘘をつくが、「嘘も方便」として許容される嘘もあるといい、果たしてそれは都合のいい解釈であって、「嘘も方便」とさえいえば、いくらでも嘘をつける、正当化もできよう。20代のころ、こういう論争をしたことがある。

    人間だけが嘘をつくのは言葉があるからで、動物は絶対に嘘などつかない」というと、同僚が、「なことないだろ?ここ掘れワンワンのポチは、正直爺さんには本当をいい、欲張り爺さんには嘘をついたじゃないか」と絡んできた。「あれはお伽話じゃないか」などというのは、気の利かない人間であり、話の腰を折ったところでつまらない。論理で向かって行けばいい。

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    彼は続けてこうもいった。「ポチって犬は嘘もつけるが、人を見る目もある賢い犬だと思うな。正直爺さんには宝の入ったつづらの在り処を教え、欲張り爺さんには、ガラクタのつづらを教えた。犬にしてはすごい才能だと思わないか?」面白い突っ込みだが、こんな論理は穴だらけで承服できない。犬は人間よりも何倍も純粋で嘘などつくハズがない。自分はこう返した。

    「バカいっちゃいかんよ。純粋で心のきれいな犬が、嘘なんかつくわけもなく、正直爺と欲張り爺を見極めたなど勝手な解釈だ。ポチは嘘はついてないし、正直爺と欲張り爺を見極めたのでもない。ポチはただ鼻が利くので、土中に埋まっているつづらの在り処を二人の爺さんに知らせたに過ぎず、人間を見極めたわけでも、中身を知っていたわけでもないよ。

    結果的に正直爺には宝の山、欲張り爺にはクズやガラクタとなったのは、日ごろの品行に対する天の定めであって、ポチのせいではない」。「なるほど…」と、彼は納得したのに面食らった。「鼻が利くなら、宝とガラクタくらい嗅ぎ分けるんじゃないんか?ポチは中身は宝と知り、ガラクタと知って『ここ掘れワンワン』したと思うけど、まあ、ポチに聞かねば分からない」

    くらいはいうかと思っていたが、彼はどこまでもこじつけて押し通すタイプではなく、自分にない斬新な論理に触れると素直にきびすを返す奴である。自分もそうだが、論理を愉しむというのはこういうことだが、言い出したら引っ込みがつかない人間もいるから人間は面白い。ただただ人の揚げ足をとりたいのか、論理より感情むき出しで挑んでいるから言葉に中身はない。


    負けず嫌い性向なのはわかるが、女はこうした不毛の言い合いをする。テレビ討論になぜ田島陽子みたいなヒステリーを出すのかといえば、彼女がバカを晒すのが制作側の狙いであろう。「田島ってホントにバカだわ」と思わせる狙いである。最近売り出し中の女性論客三浦瑠麗も、橋下などに論駁されると、本人は隠しているつもりでも、情緒の変動は顔にあらわれる。

    上から目線でこれみよがしに正論をたたみかける三浦も、新進気鋭の学者として正面から一歩も引くことなく渡り合うが、三浦が橋下に、「それは男目縁」と禁句をだしたことで、ここぞとばかり橋下の餌食となる。ある問題に真摯な議論をする場合、「君は若い」と老が若に、「子どもは黙ってろ」と大人が小人に、教師が生徒に、親が子に、こういう物言いは禁句である。

    「それは男の考え」、「女の考え」も同様、こうした排除の論理は卑怯な手法で、言った時点で卑怯者となる。三浦と橋下が慰安婦問題で議論した際、三浦は橋下に対し、「内向きの男性目線」と指弾、さらには大阪維新の会について以下の発言で橋下を追い込む。「中途半端に提起して、意図的に切り取られたことによって女性票を相当失い、国際的な期待がしぼんだ」。

    「今に至るまで女性からの維新評価は相対的に低く、それは政党のポテンシャルとして大きな損失だった」。こんなことは、慰安婦問題についての真摯な議論というより、感情的な橋下への個人攻撃であって、まったく口にする必要のないこと。これに対して橋下は、「学者は世間知らずの無知」という持論を、さすがにお若い女性には向けなかったが以下反論する。


    「有権者の顔色ばかり伺うなら僕が政治家になる意味なんてない。慰安婦問題の国際社会での論点は、国内で議論されるような慰安婦の強制連行があったか否かではなく、問題は、「残虐性のレベルの話」と指摘、「学者や自称インテリが完全に勉強不足」と批判し、「国際社会から特別な非難を受けるような残虐性の高い人道に対する罪は和解条約では解決しない」とした。

    橋下は、「戦場における他国が行った性の同類事例と比べてどうなのか」という問題提起を常時掲げており、「世界諸国による戦場の性の問題と比べて、日本の慰安婦問題が特別残虐性でも特異性だったわけではない》と持論を展開する。番組内で三浦が、「政治学者が避けて通る論点に全速力で、深い知識とかがなく突っ込んでいった」という言葉にはこう切り返す。

    「政治学者や自称インテリの、めんどくさいモノには触らないという無責任さへの一石」とし、それでもしつこくたたみかける三浦に対し、「あの問題提起を『内向きの男性目線』と評価するようでは、貴女もそこらへんの学者とかわりませんよ」と、これは彼の持論である、「学者は無知で世間知らず」を、回りくどくいったのは、女性への配慮かもしれない。

    それにしても、『花咲か爺さん』の話はよくできている。殺されたポチを燃やした灰が枯れ木に花を咲かせるというアイデアは、素朴ではあるが発想が素晴らしい。同じ灰を今度は欲張り爺さんが枯れ木に登って撒いたら、灰が殿様の頭にバッサリとかかり、怒った殿様に牢屋に入れられた。というのも、子ども騙しとしてなんという卒のないストーリーであろう。

    さすがに、「日本五大童話」の一つである。やさしくて誠実な人は幸運を手にするが、欲深い怠け者は人を羨み、マネはするが失敗するという、「物うらやみ話」である。人の心の中にある妬み心を浮き出させているが、妬み嫉みの人は必ずいる。影響されず、見下さず、うまく付き合って行くしかない。そのためには、「なったものは仕方ない」と思うことだ。

    心理学で、「妬む」と、「嫉妬」は近い概念ながらも意味を分ける。大きい違いは感情の強さであり、「妬み」より、「嫉み」の方が激しい感情とされている。つまり、「嫉妬」はその激しさゆえに相手を攻撃することもある。この感情は日常生活の上でごく普通に起こるもので、例えば、①好きな人が他の異性と楽しそうにしてる姿を見た時に起こりがちな感情。

    さらには、②会社の同期が自分より出世した時、③友達が自分より充実した生活を送っていると思った時など、ありふれたものである。つまり、妬みや嫉みとはどんな人でも感じてしまう心理で、そのため、多少の妬みや嫉みは仕方のないことと思う方が自身に無理をしないで済むが、妬みや嫉みがあまりにも強すぎると様々な悪影響が出てしまうので、抑え方を身につけるべし。

    抑え方はさまざまあろうが、それよりも資質的な問題を自問し、根本解決に努力をするのがいい。妬みやすくなる性質とは、①自分に自信がない、②他人と比較してしまう、③感情に流されやすいなどが挙げられる。これらをすぐに矯正はできないが、自分に自信を持ち、他人と比較をせず、感情に左右されないというのは、思い起こせば自分が目指した事でもある。

    妬む性格だから矯正したわけではないが、「自信を持つ」に関しては父がよく言っていた。「自信と自慢は違うぞ、自慢はダメだが自信は大事だ」。「自慢は人のためにするが、自信は自分のためのもの」と細かく補足をつけてくれたり…。何かと卑屈な人間は、「自信家だね~」などというが、自信のに必要なのは、それを裏付ける学習や原体験の量であった。

    ようするに、根拠のない自信ではなく、「どこからでもかかって来い!」というような、装備とでもいうのだろうか。それが知識であったり、話術であったり、洞察力であったり、行動力であったり、とかく自信がある人間は逃げ隠れを好まない。好まぬというより、逃げる・隠れるの必要がない。だから、どっしり構えていられる。そのためには己の弱点、不足を補うことが大事であろう。

    自分が思う自分の最大の短所は、情緒的なところだった。要するに、涙もろく、感情的になり、すぐに相手に同情したり、心を預ける。感受性の高い人間の性質だから仕方がない。しかし、そこに果敢に挑んだのは、人に冷たいといわれるくらいで丁度いいという判断があった。普段なら手を差し伸べる相手だが、心を鬼にし、情緒に先走らないようにした。

    物を貰う部下と貰わない部下、自分に寄り添ってくる部下と自分を嫌っている部下、そうした情緒に惑わされないようにするのは大変だったが、そういう役職を与えられたことで挑戦することができた。自分では気づかずとも、周囲の他人から見れば贔屓の引き倒しは誰の眼にも明らかだし、接し方や口の利き方の違いさえも、他人の眼は目ざといもの。

    管理職で大事なのは、自分の情緒を戒め、公平に人を見る目、接する態度を養うことであろう。それが出来なければ、公正中立な管理職ではなく、部下からも情緒的と批判され、反感を抱かれるかねない。分かりやすくいえば、自分が好まぬ相手、反りの合わぬ相手と、そうでない相手と同様に対処できるかであり、これは生身の人間としてとても難しい事だった。

    自分に利する相手をいい人、そうでない相手を悪い人と見定め、公言し、対処していた母に強い反感を持った。巨視的な視野で物を見ない母であっても、せめて子どもに対する慈愛があれば、男の子は父と母を別の視点でとらえるが、それがない母には批判の言葉しかなく、視野も広く、逞しい父の背中を追っていた。ゆえにか世代対比で若者を見下げることはない。

    「今の若いもんはダメだ、なっていない」と、子ども時代に大人たちから言われたものだが、いずれも矮小な大人たちであった。大人になった自分が同じようなことをいうなら、自分も矮小な大人ということになる。年をとると、異世代に理解しずらさはあっても、「若いもんがダメ」というより、現代的視点でみれば、「クソ爺いはダメだ、なっていない」のかも知れない。


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    10年位前だったか友人が、「打ちのめされるようなすごい本があるので読むか?」というので、「これまで借りて読んだ本で気に入ったものはなかったが、誰の何ていう本だ?」と聞くと、「とにかく打ちのめされるようなすごい本。明日持ってくる」というので、「いいよ、面白くなければ止めるが…」。翌日持参した本のタイトルを見て、「なんじゃこりゃ~」と笑った。

    タイトルはスバリ、『打ちのめされるようなすごい本』、作者は米原万里。TBSの「ブロードキャスター」にコメンテータとして出ていたので顔と名は知っていたが、東京外大ロシア語学科を出て一線級の通訳から小説家に身を転じ、『不実な美女か貞淑な醜女か』(1994年)で読売文学賞、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2001年)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

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    彼女は稀代の読書家で、速読術を身につけていることもあって、1日平均7冊を読むというが、『打ちのめされるようなすごい本』のタイトルは、彼女がこれまで読んで打ちのめされた本の書評と、自身の卵巣がんの闘病記であった。がん患者の闘病記というのは、おそらく死の道程を意識してのことだろう。それがブログであれ、公にしない個人の日記であれ…。

    過日、逝去した小林麻央さんのブログは多くの読者を要したようだが、自分は読まなかった。2014年1月16日にスキルス胃がんで他界した元四人囃子のベーシスト佐久間正英のブログはしっかり読んだ。彼ががんの罹患を知ったのが2013年4月、ブログには公表せず、同年8月9日のブログで初めて罹患と闘病を語る。次にアップされたのが同月19日だから、10日後であった。

    そうして10月27日、3回目のブログが最後となり、1月16日の逝去の報は息子によってなされた。佐久間氏の10か月の及ぶ闘病生活だが、闘病記なる記事は3回のみで、以下の記事が最後となる10月27日のもの。感情を交えず、淡々と病状報告のなかで、「この瞬間生きている事への悦びが噛みしめられる」という言葉に、死期の近い人間の「瞬間」の充実を見たようだった。

    我々は、1日であれ10日であれ、1か月であれ、無駄な時間をどうということなく過ごしているが、余命を切られた人の集約された日々の時間の、なんと貴重なものであるかを知らされた。知らされたとはいえども健康体の我々が、変わるものでもない。これを贅沢といわずして、他にどんな贅沢があろう。人間が生きるということは、ただただ欲望の充足でしかない。

    愚か者の我々にとって、果たしてこれ以外に何があろう。結局我々は、死期の近き人からも学ばない。彼らをどのように捉えるかは人それぞれだろうが、根底にあるのは、自分が健康で良かった、がんでなくてよかった、余命を切られるなんて耐えられないし、そういう人はお気の毒。以外に何があるというのか?いかに考えようとも、それ以外になにもない。

    自分が健康である。まだまだ当分、死ぬことはない。ゆえに、死が迫る人に同情を向けられる。そのことは罪でもないし、不道徳でもないが、本当にそれしかないのか?人間はその程度の生き物なのか?いくら考えても、答えは見つからない。死を最大の不幸とする限り、生は最大の充実であろう。佐久間氏につけ、麻央さんにつけ、我々の脳裏には一つの事しかない。

    彼(彼女)は今、どういう気持ちでいるのか?死を前にした人の気持ちを類推することが、我々の死の認識か。死を体験できないが死を知ろうとする我々は、その題材として、死期が迫った人の心情を理解することかと。佐久間氏は最後のブログの一行に、「それでも人生ってまだまだ楽しく面白い」と記している。おそらく我々の「楽しく面白い」とは意味が違う。

    が、我々は佐久間氏の、「人生は楽しく面白い」を理解できないだろう。同じ境遇となって理解できることに思える。我々と違って末期がん患者のブログはダイイング・メッセージ的な意味もあろう。我々のブログは頭の整理や自己確認、もしくは色んな方との情報交換や、励まし合いや、傷の舐め合いなどなど、人によって様々だが、死を目前の闘病ブログを自分も書くのだろうか?

    現在やっていることも広義のダイイング・メッセージであるが、切実な状況下で何を書くのか、書かないのかを今は想像もできない。闘病記を書くという行為を想像でいえば、自分で理解している目的の他に、何か自分でも釈然としない、言語化すらできない、モヤモヤした気持ちがあるのではないかと。柳田邦男は闘病者の記述を以下のように分類している。

     1、苦悩の癒し
     2、肉親や友人へのメッセージ
     3、死の受容への道程としての自分史への旅
     4、自分が生きたことの証の確認
     5、同じ闘病者への助言と医療界への要望

    では闘病記を読むという行為はといえば、言わずもがな死への疑似体験である。たとい疑似体験であれ、「死を受け入れることは何より生きることを充実させることに繋がると思うのだが、自分の肉体を哲学するのも闘病記であるような気もする。自分はこの世から何時おさらばするのだろうか、そう思いながら書ける幸せ=生きる幸せを嚙みしめるのちがいない。

    すべての事を自分に問い、一切の答えを自分で出す。闘病者というのは、究極的に自己中心者である。今更、誰の考えや意見に触れたところで何になろう。死ぬというのは、絶対的な自己責任の上においてなされるものだ。さて、猫またぎについてだが、こんな悠長なことを書いていられるのも健康体だからである。さりとて死が目前に迫っても健康体の記事を書いてみたい。

    何を書いても生きていられる人、何を書いても死を目前の人、この違いは大きい。あちこちに病気が集まってくる自分の体を自慢するのも一興だ。佐久間正英も小林麻央も米原万里もみながんで逝った。胃がん、乳がん、卵巣がんと、それぞれ発症部位は違うがいずれもがんであるが、上記した3人には三様のがんとの闘いがあった。人事を尽くしたのは唯一小林麻央のようだ。

    発見段階ですでに手の施しようがないと医師に告げられた佐久間は、放置するのも釈然としないからと中国漢方と丸山ワクチンを試したといい、肉体へのダメージが大きい三大療法(手術、抗癌剤、放射線)を避けるも、脳に転移した大きな腫瘍は音楽活動に支障がでるので取り除いた。そのせいか、劇的に落ちていた左の腕や指の運動能力は回復したという。


    10月27日の最後の書き込みには、痛み止めとしてモルヒネ使用を公表した。頭朦朧、食欲減退、便秘、激やせなどの副作用から、鏡に映る姿に憂鬱となるも、この時期はもう足の極度のむくみで歩行困難になるという。「もう仕事はできないのか」、「やりたいこと、やり残したことは山積みになってしまう」としながら、「それでも人生ってまだまだ楽しく面白い」と綴る。

    やはり人間はこうなのだ。「まだまだ楽しく面白い」という進行形の記述に生の執着を見る。一方、米原も医師との確執を書き綴っている。2003年10月、卵巣嚢腫の診断を受け、内視鏡で摘出手術をしたところ、嚢腫はがんと告知された。S医師は、「開腹し転移の恐れがある卵巣の残部、子宮、腹腔内リンパ節、腹膜を全摘し、進行期を確認した上で抗癌剤治療」を提案。

    米原がセカンド・オピニオンを提案するも、S医師が診療情報の提供を拒否されたことで、米原はこの医師には「今後一切関わるまい」と決意する。転院したJ医大のO医師から以下の4つの提案された。①S医師と同じ。②抗癌剤投与をした上で開腹し、残りの卵巣、子宮、関係リンパ節などの除去。③抗癌剤を投与しつつの様子見。④何もせずに経過観察(いわゆる様子見)。

    O医師が勧めるのは①とのことだが、4つの案のどれを選択しても対応すると言う。米原は④を選択した。別のセカンド・オピニオンを近藤誠医師に求め、近藤医師もその選択を支持する。経過観察の一環として、「活性化自己リンパ球療法」を受けることにし、瀬田クリニック系列新横浜メディカルクリニックへ。1回約26万円、1クール6回、3カ月で約156万円を負担する。

    最初の手術より1年4カ月経過した2005年2月ごろ、左鼠経部リンパ節へ転移が判明。J医大O医師から、「患部のリンパ節および転移可能性大のリンパ節すべてと原発である卵巣残部および子宮の切除、その後の抗癌剤治療を提案」される。これについてセカンド・オピニオンの近藤誠医師から、「手術も抗癌剤も再転移の可能性大なので、効果が望めないだろう」指摘を受ける。

    さまざまな文献を漁った米原は、安保徹の「癌患者は免疫抑制状態にあり、それを解除するだけで癌は自然退縮に向かう」という免疫理論に傾倒する。安保は医師であるが、免疫学研究医で臨床医ではなく、彼の臨床に関するユニークな主張には医学的根拠はない。『薬をやめれば病気は治る』などの著書を出しているが、臨床データも無く彼の個人的見解にすぎない。

    「免疫理論」は学術論文として発表されたわけでもない、「免疫理論」は、存在すら学会では知られておらず、科学的な検証を受けることもない。元新潟大の研究医であった安保氏であるが、国立大学元教授の肩書きで、検証されていない個人見解を、一般大衆向けの「健康本」として出版するのはいかがなものか?特別規制はなく、新潟大も個人的見解と述べている。

    米原はその後も、「温熱療法(ハイパーサーミア)」(千代田クリニック)、「刺絡療法(自律神経免疫療法)」(東京近郊のZクリニック)などの門戸を叩くが、Zクリニックは米原に、「いちいちこちらの治療にいちゃもんをつける患者は初めてだ。治療費全額返すから、もう来るな」と言われる。2006年2月、これまで頑なに拒否していた抗癌剤治療を開始する。

    いずれの療法も、治療とはいい難く、成果もないままに万策尽きたのだろう。同年4月末から自宅療養をするも、1カ月後の5月25日、自宅にて死去。56歳であった。彼女はさまざまな選択をしたが、何が善く、何が善くなかったというのは分からない。米原と30年近い交流のあった岩手県立大教授の黒岩幸子は、著書『言葉を育てる 米原万里対談集』のなかでこう記している。

    「(死後に出版された)読書日記を読みながら何度も私は、『米原万里よ、もういい加減にしないか、つまらぬ療法に関わらずに、思い切ってメスで切ってしまえ』と叫びたくなった。特に医師たちとの軋轢があったことを思わせる箇所では、声を上げて泣かずにはいられなかった」。人の選択が他人から見て愚かであろうと、自身を動かすのは、責任において自身である。

    読書というのは、他人の頭で物を考える一面がある。それも必要な部分ではあるが、読書家といわれる人と話してつまらないのはなぜだろう。そこには経験を土台にした独創的な知恵や知性と出会うことが少ないからだ。耳年増を超えた、観念の塊りという人物もいる。他者の内在的論理を正確にとらえる公正な精神というのは、実は簡単ではないが、これも大事なことかと。


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    「あいつは単細胞なやつ」という。単細胞とは単一の細胞の意味だから、考え方が一面的で単純な人。物事をあまり深く考えない人。などを総称した言葉で、言わずもがな誉め言葉ではない。がん細胞は、DNA(遺伝子)が何らかの原因によって傷ついてしまうと、ある1つの正常な細胞が突然変異し、無秩序に増殖する。これががんの始まりとされ、増殖の仕方はまさに暴走である。

    普通の細胞は例えば切り傷などの場合、皮膚の細胞はけがの部位に増殖して傷口をふさぐが、傷が治れば増殖を停止する。ところが、がん細胞という奴は、体からの増殖停止命令を無視して増え続ける。なんで、がんというバカは言うことを聞かず勝手に増えまくるので、周囲の大事な組織を壊したり、本来がんのかたまりがあるはずがない組織で増殖したりする。

    がん細胞に目的があるとすれば、人間の体内で増殖を繰り返すことで、人間は機能不全で死ぬことになるが、同時にがんも死ぬ。つまり、がんは自分のコピーを増やしまくった結果死滅する。それが目的なら、がんは何という単細胞のおバカであろうか。自分が死滅するまできばらなくても、もうちょいと頭を使って、ゆっくりと共存したらどうなんだ?

    そんなに急いでどうすんだ、頭悪すぎる。今度から単細胞という言葉をがん細胞に言い換えたらいい。それほどがんはバカだろう。しかし、このバカ野郎のせいで、人間が死ななければならないのはクソ面白くない。がんだけやっつける薬なり、電光銃なり、最強効果のある武器を早く開発してくれ。もっとも、世界各国で頭のいい人たちが寝る間を惜しんで考えてくれている。

    早く、早く、早~く、開発してくれたら、死なずに良い人がたくさんいる。人間はいつの日か、がんに勝てるのか?末期がんにさえ勝利できるのか?麻央さん34歳、佐久間が61歳、米原56歳、今井雅之54歳、川島直美54歳、ジョブズ56歳、まだまだ大勢の命が失われた。誰でもがんになっているという。が、免疫機能ががんを退治してくれているおかげで発症しない。

    ところががんは免疫機能を弱めていることがわかった。それでは免疫機能を高めればいいというのが、これまでの免疫療法の中心だった。ところが、最新研究でわかったのは、がん細胞が免疫のはたらきにブレーキをかけて、免疫細胞の攻撃を阻止しているという。がんという奴は何という奴であろう。そこまでするとは、最強の防御と最高の攻撃性を完璧に備えている。

    これではいくら免疫力を高めても、肝心のガン細胞には効果が無いことになる。それならどうするか?がん細胞によるブレーキを解除することで、免疫細胞の働きを再び活発にしてがん細胞を攻撃できるようにする、そういう新たな治療法が考えられた。つまり、がん細胞がまとっている"鎧"を破壊し、免疫による攻撃を最大化する治療法であるという。ついにやったか!

    といいたいが、課題も多い。研究がスタートしたころに比べると、薬剤が肺がんや卵巣がんで有効な症例を得ているが、がんはそれだけではない。他のがんへの効果が期待されている。さらには、薬剤の効く人と効かない人の要因を特定することも重要な課題という。酒に酔う人、酔わない人のような、何か特定の要因があるのだろうが、それを解明することも重要。

    アメリカでは1971年、ニクソン大統領が、「がんとの戦い(War on Cancer)」を宣言。国を挙げてのがん撲滅政策を指しているが50年近く経つというのに、「なぜ"がんとの戦い"にいまもって勝てないのか」という興味深いレポートがあった。一言でいうと、安易にシンプルに考えていた節がある。これが、ニクソン大統領の、「がん撲滅」宣言のベースにはあったようだ。

    おそらくウィルスが原因なのだろう、という発想だったが、ウィルス説が覆されされ、「遺伝子の突然変異」ががんの原因という考えが浮上した。が、1980年代初期、がんの原因となる変異遺伝子の数はそれほど多くはなく、それを解明すれば、ほかのすべてのがんについても構造がわかるはずだ、と考えられていた。まるで物理法則のように簡単に考えた。

    ところが、それも間違いであることが分かった。残念なことに、こんにち明らかになっているがんの本質は、「単純に説明のつくものではない」ということ。これまでの各種の病理体系では説明できない、一人一人のがんはすべて異なっている。そしてその一人一人のがんさえも、日々、変化しつづけいる。とてつもなく複雑で魑魅魍魎としたものこそがんの正体なのだと。

    その上で、新薬開発を行っているが、鬱が薬で治らないように、がんを薬だけで治すという試みは、実質的に不可能に近いということが、世界の第一線の医学者たちに明らかになっている。唯心論をベースにした非医学的なアプローチでがんに取り組む研究者もいるが、これは地道な努力のみであるという。これらがこんにち、「人間ががんに勝てない」最大の要因である。

    がんになった人は誰もみな最後の瞬間まで命を全うするために闘う。「明日の命かも知れない、仮にそうであっても今日、自分はリンゴの樹を植える」と、迫りくる死と闘うのは感動のドラマであろう。簡単に命を投げ出す人もいるにはいるが、簡単に命を差し出すわけにはいかないと、かけがえのない命を惜しむというのは、美しき哉「生」に対する執着である。

    死とはその人の人生の集積である。であるなら、死を前にした人の心に躍動するような生命力のある言葉…、それが「明日で終わるいのちであれ、今日リンゴの樹を植える」ではないか。死は生きるものにとって避けられない必然だが、それぞれの人の死は、寿命を限定されない以上、「意味のある偶然」であろう。我々の日常で、「意味のある偶然」はしばしば起こっている。

    自分もいつかは死ぬが、いつの日か分からない。がんで死ぬのか、脳卒中か、心筋梗塞か、肺炎か、腹上死か、想像もつかない。が、最後のだけはないだろう。何で死にたいか?適うならば「老衰」がいい。老衰とは字のごとく、「老いて心身が衰えること」であって、病名ではなく、特定できる病名もなく、加齢に伴って自然に生を閉じることだが、こんにちでは少ない。

    食欲がないとか、食事を摂れなくなったとか、どこかしこが痛いとかの場合、病院で検査をして、何らかの病名がみつかり、早期がんなら手術、末期なら別の何かというように…。楽に生きたいなら老衰であろう。枯れるように逝くのが一番ではないかなと。映画『おくりびと』誕生のきっかけとなった、青木新門の著書『納棺夫日記』に以下の記述がある。

    青木氏が納棺の仕事を始めた1970年代前半は、自宅で亡くなる人が半数以上で、「枯れ枝のような死体によく出会った」そうだ。その後は、病院死が大半となり、「点滴の針跡が痛々しい黒ずんだ両腕のぶよぶよ死体」が増え、「生木を裂いたような不自然なイメージがつきまとう。晩秋に枯れ葉が散るような、そんな自然な感じを与えないのである」と記されている。

    ベッドから立ち上がれない状態になれば、本でも読むしかなかろう。さて、何を読むかだが、大体決めている。筆頭は、セネカの『人生の短さについて』を読もうと、今は読まずに置いている。「人生は短いのではなく、浪費している」と彼は言う。セネカのいう、「仕事に忙殺されることを避け、自身のための時間を確保せよ。これが人生を長く生きる条件」とした。

    自由主義者の自分は、60歳から24時間の自由を得、横臥している。もっとも、多分に浪費しているが、切羽詰まってやることがないゆえに、浪費が自然かもしれない。生きるということは、過去を顧みても、様々なことにぶつかり、勝ちもし、負けもし、成功も失敗もした。人間は負けや失敗が大切であり、負けてますます強くもなれば、失敗しても自信がつく。

    そのように前向きに生きてきた。ずるい方法で勝ちを得、成功してみても、人は人間として進歩も成長もしない。嫌なことでも避けられぬことなら、ありのままの自分でぶつかればいい。いかにみすぼらしい自分であれ、それがありのままの自分であるなら、隠したり、誤魔化したりはナンセンス。すべてはありのままの自分で対処するのが楽であり、自由というものだ。

    老子の中で最も気にいった、「跂(つまだ)つ者は立たず。跨(また)ぐ者は行かず」は、うまい表現である。人は跂とうとするし、跨ごうとするし、なぜにそうするのか?跂ちたいから、跨ぎたいからだ。跂てば背は高く見える、跨げば2歩が1歩で済む。けれど、跂つのはゆらゆら安定しない。跨げば着地がドスンとなり、足腰に負荷がかかろう。自然が一番という教えだ。

    自分の死はもう少し先であるから、受け止める準備を万端にしておこう。どのように考えようと人間はある期間の生を与えられたに過ぎない。ある者は死にある者は死なないというなら、死ぬ人は不幸を感じるであろうが、誰もいつかは死ぬというのは救いである。死ねという定めなら文句も言わず、消え去るべきである。まして、我々は自分の死を知ることはない。


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    「人間は最終的にとことんのところ何を欲しているのか。それは世に理解されることであり、世に認められることである」と、谷沢永一は言っている。それこそ人間は、「息をひきとるまで生涯をかけて、私を認めてくれ、私を認めてくれと、声なき声で叫びつづける生き物であろうか」。マズローの欲求5段階説のうち、承認欲求は4番目の欲求に位置付けられている。

    承認欲求はその名の通り、「欲求」であり、その人が満たしたいと感じているものであって、「他者から認められたい、尊敬されたい」と願う気持ちは分からないでもないが、一体誰に認められたいというのか?確かに、承認欲求は多くの行動の動機になっている。満たされていないものを満たそうとする心の働きは、行動の動機(モチベーション)につながるだろう。

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    承認欲求が根底にあってブログを書く人は、一体他者から何を認められたいと思い、自分の何を尊敬されたいのか?賢い人、善い人、優れた人などと思われたいのだろうか?そうした欲求があって、それが満たされることで幸福感を抱くのは解る。幸福感とはその程度のものだ。自分についていえば、そういう欲求はゼロとは言わないまでも意識することはない。

    人に認めてもらわずとも楽しく、不満もなく、そんな生き方もあると思うが、人間は目先の事を考え出すと、いろんなことが気になるようだ。確かに特定の欲望が叶えられてることは、幸福が成立するための条件であろう。が、承認欲求について言えば、人に認められる以前に自らを認めるのが先決ではないかと。「幸福とは、満ち足りた状態にあること」と辞書にある。

    特定の条件としたのは、欲望は主観的に決めるものだからで、たとば10万の月給で喜ぶ人もいれば、100万もらって満足できない人がいるように、「満足」とは個々の主観によるなら、特定の欲望は計量化することも難しい。また、そこに自己欺瞞を働かせるのも人間だ。「欲しいものなどない」、「お金なんてなくとも俺は幸福だ」などと言う人は少なくない。

    真実か否かなど疑うのも面倒で、疑ってどうなるものでもない。自分に関係のない他人のことゆえ信じてやればいいと、そうしている。幸福に冷めた見方をする自分だが、幸福を口にする人間には無知者が多いのを知っている。幸福感(満足感)というやつは、実をいえば、「知らないこと」に支えられている場合が多い。例えば、浮気しまくり妻をよそに幸せに浸る夫。

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    聞き分けのいい子どもに充足感を感じる母の陰では、「うちの母親なんかノー天気のバカ、鈍感なのよね~」などと思う子ども。ばかりか、オヤジに金貰って援助交際しまくり娘である。幸福とは実はそういうものだったりする。「知らぬは亭主ばかり」、「母親なりけり」である。知らなければいいというが、知った時に、「あの時は幸福だった」といえるのか? 

    人間は摩訶不思議な生き物で、以下のケースもある。ある女が男に騙され続けていた。稼いだ金は搾取同然のように、男に貢ぐものだから預貯金も底をついていた。周囲は彼女に、「騙されている」と伝えるが、「いいの騙されてても…」とにべもない。それでも男を好きと、女は幸福感に満ちていた。自分はこの女にとっての不幸とは、男が去っていく事だと知った。

    自爆テロで死んでいくタリバン兵士も幸福である。幸福とは定義できない、得体の知れないものでもある。だから人は、「幸福」の呪文を唱えながら、幸福感に浸って生きていきたいのだろう。病人がいて、健康人がいて、どちらが幸福かと問えば、誰もが健康人という。病人であるから病的なふるまいをするとはいえない。病人であっても心が健康な人はいる。

    まるで狂信者たり得る健康人がいる。腐った心を持ち、疚しい健康人もいる。病気とは精神の病も含む以上、病人と健康人の境界というのは曖昧である。両者の境い目に位置する人もいるが、一般的に病人と健康人を区別する指標というのは、「他者の承認を求める」ことになる。最近、にわかにブームとなったアドラー心理学のアルフレート・アドラーはこう述べる。

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    「他人から承認を求めることに、ことさら神経症になる人には隠された動機が見える」。たとえばストーカー行為をする男は、自分を拒否して逃げ惑う女から、何が何でも承認を得たい動機にかられている。こういう男は、キチガイ、変質者、何をいわれようと平気、むしろ変質者という承認を得ることで、あらゆる責任を放棄でき、ストーカーを自己正当化できる。

    こうした極度の神経症者の根底には、「それほどまでに病んでいるの?」という同情という承認である。アドラーは承認欲求を捨て、嫌われる勇気、褒められない勇気を奨励するが、そのために必須なのは自信であろうか。それにしてもがんというやつは、何処までも人間を駆逐するしつこいストーカーである。「分かった、お前はがんなのだ」と承認してやっても止めることはない。

    唯一がんと妥協する道は、「お前を道ずれに死んでやる」という対決姿勢であろうか。「いつ死ぬるか分からぬ、つかの間の幸福に寄り添う」か。死に行く者の切実な思いを、他人である我々は傍観だけはできる。何一つ手を差し伸べることはできない。傍観する者がどのように苦しくとも、我々は他人の不幸には十分に耐えられる強さだけは持っているのである。

    米原万里ががんになったとき、「開腹し転移の恐れがある卵巣の残部、子宮、腹腔内リンパ節、腹膜を全摘」という医師に従うことをしなかった。セカンド・オピニオンとして『患者よがんと闘うな』の著者である近藤誠医師を提示したところ、主治医から診療情報の提供を拒否された。相手が近藤医師ならさもありなんであろうが、それが元で米原は転院する。

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    転院先の医師は4つの選択を提示したが、最善は切開・全摘を奨励した。米原は外科手術を拒否し、近藤医師を信奉した。数々の著書で知名度を上げた近藤医師のセカンド・オピニオンの料金は30分で32000円と高額である。思い上がったものだが、これも暖簾代であろう。米原は、「活性化自己リンパ球療法」、「温熱療法」、「刺絡療法」などの代替療法を試した。

    近藤医師と同じく慕う安保徹医師の、「爪もみ療法」も試した。「奇跡が起こる爪もみ療法」という触れ込みだが、このように書けば藁をも掴む気持ちになる。米原の他にも、ジョブズ、忌野清志郎、川島なお美らが、手術や抗がん剤を拒否し、代替療法に頼り、亡くなった。この中で川島と米原は近藤医師批判し、米原は近藤医師がいかにいい加減であったかを著書に綴っている。

    標準治療を拒否した理由は、近藤や安保の理論に傾倒しただけではない。外科手術にしろ、放射線治療にしろ、抗がん剤にしろ、がんの治療は激烈を究めるがゆえに、うまくいくものなら代替療法や近藤医師の、「放置療法」に頼りたくなる気持ちも分からないわけではない。が、切開・全摘を勧める医師を拒否したのは、本人の責任ではないのか?川島も、米原も…

    信じたものに裏切られたと言えば聞こえはいいし、自身が選択した責任はないように取れるが、信じてもらえなかった側の医師にとっては、自業自得というしかない。そこを踏まえてなお、代替療法を批判したいものかと。それぞれに、それぞれの事情もある。咽頭がんの忌野は声が出なくなるのを嫌がった、小林麻央も乳房の全摘嫌がったという、これは覚悟の問題でもある。

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    医師だけの問題ではないが、結果が裏目にでると誰かの何かの責任にしたくなるのが人情だ。米原の親友の黒岩幸子も、「なぜ切らなかった」といい、別の親友であるイタリア語通訳者の田丸公美子は、「なんであんなに言いたい放題言っていたあなたが、がんになんかなるのよ!」と、根っこに言及した。これについては死後に書かれた米原の妹が姉について述べている。

    「何者も怖れず、自由に書き、大胆に発言した――、しかし万里は少し臆病な少女だった」。姉を身近で見てきた妹だが、これはよく分かる。「何者も怖れず、自由に書き、大胆に発言した――、しかし自分は少し臆病な少年だった」と、自分も置き換えられる。臆病で、いい子ぶって、控えめで、消極的といったネガティブな自分からの自己変革を試みたからである。

    つまり、何者も怖れず、自由に書き、大胆に発言するという行為は、自己変革の必要性から挑戦すべき事柄であった。できることをやるではなく、できないことをあえてやるのを挑戦というなら、辛く苦しいことをやったその結果として身につくものが、「強さ」であろう。人が変わるということは、変わろうとする強い意志と勇気の結果、手にする新たな能力ではないか

    目指すものを手に入れるために捨てなければならぬものがある。まずはそれを捨てる勇気が必要だ。よって、「勇気」とは、決別だと思っている。もし、死ぬことを怖れない勇気が身についたなら、それは「生」への完全な決別であろう。臨終の間際に読みたいといったセネカの言葉に、「いつ死ぬか分からないのに老後の計画はバカげている」とあるが、刹那主義というより現実か。

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    1993年9月6日午後3時、日本テレビ本社内2階のホールで緊急記者会見を開いたフリーアナウンサーの逸見政孝は、テレビカメラを前に緊張した面持ちで以下のように述べた。「私が今、侵されている病気の名前…、病名はがんです。このままこれを放置すれば…、年単位ではなくて、月単位でがん細胞は蝕んでいくであろうと、いうふうにおっしゃいました…」。

    上記の言葉は要旨であり、記者会見の臨んだ逸見の第一声は以下のように始まった。発言にもあるように、実は逸見は93年1月18日に東京・赤坂にある前田外科病院でがんと診断され、25日に入院、2月4日に胃の4分の3と周囲のリンパ節、腹膜の転移病巣を切除する3時間程度の手術を行っていた。本人には初期がんで胃の2/3を取り除いたと伝えたが事実ではなかった。

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    執刀した前田医師は逸見の妻晴恵には、「ご主人の病状は、実際は初期の癌ではなかった。ギリギリの所ですべての癌細胞を取り除いたんですが、残念ながら5年先の生存率はゼロに近いでしょう」と宣告していた。逸見は2月25日に退院、翌日には仕事に復帰した。逸見は病名を十二指腸潰瘍と偽って公表、退院後も、抗ガン剤投薬や前田外科病院への検査通院を続けた。

    仕事は順調に増えたが、5月下旬にメスを入れた手術跡の線上がケロイド状に膨れ始め、担当医は、「術後に起こる症状で心配ない」と言われたが、突起物が次第に大きくなり、服を着るにも邪魔なほどになった。同年8月12日、「突起物を除去する」という名目で2度目の手術を受けたが、癌はすでに腹腔全体に広がるまでに進行し、もはや手のつけようがない状態だった。

    そのような状態にもかかわらず、執刀医は逸見本人に癌の再発を一切告知しなかった。晴恵はガン再発を告知するよう依頼するも執刀医は、「逸見との信頼関係を崩すから」と断固拒否されたという。前田病院への不信感からか、晴恵は渋る逸見に転院を促し、土下座してまで頼み込んだことで、9月に東京女子医大への転院となった。逸見はこの時初めて再発を知らされた。

    東京女子医大の医師は触診の際、「何故ここまで放っておいたのですか?」と、厳しい現状を告げた。逸見はそのことを冷静に受け止め、再々手術を決意する。そして上記の記者会見となり、逸見は自ら進行胃癌(スキルス胃癌)であることを公の場で告白した。同年9月16日に13時間(臓器摘出手術に5時間、大腿部から腹部への皮膚移植手術に8時間)にも及ぶ大手術を受けた。

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    術後は歩行訓練を行ったり、粥などの流動食から普通食へと順調な回復を見せた。ところが大手術から1ヶ月が経過した同年10月23日、突然激しい腹痛を起こして食べ物を嘔吐した。検査結果が腸閉塞と判明、これにより絶対安静となり、絶食と高栄養の点滴を行うも逸見は徐々に衰弱して行く。その状態にありながらも11月上旬から抗癌剤投与が開始され、副作用に苦しむ。

    激しい吐き気を催し意識朦朧、うわ言を発するなど病状は悪化して行く。体重が50kgを下回っていた12月16日には、再検査で癌は腸にも転移していた。主治医は12月1日、「ご主人の体に再びメスを入れる事はこれ以上不可能。残念ですが、年を越せるかは厳しい状況です」と家族に宣告した。12月24日は長男の誕生日だったが、この日遂に意識不明の危篤状態に陥った。

    最初のガン発見から341日後、ガン告白の記者会見からわずか3ヶ月半後にあたる翌12月25日午後0時47分、東京女子医科大学病院にて死す。享年48歳という若さであった。死後になって、「末期の状態であったにもかかわらず、なぜ大手術を受けた(受けさせた)のか」、「クオリティ・オブ・ライフを無視した手術だった」といった疑問・批判の意見が多方面から多数あがった。

    手術も抗癌剤投与も行わず処置した方が、苦しむこともなく1年程度は長く生きることができたとの見方もあった一方、腸閉塞を防ぐため、中・長期的な生存のために必要な処置との見方もあり、賛否両論が渦巻いた。そんな中、治療内容の問題点について具体的に発言したのは、当時慶応大学医学部医師・近藤誠だった。逸見の死から3年、逸見夫人晴恵氏と近藤氏は対面する。


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    近藤氏は揺るがぬ信念を持った医師であるが、彼が引き合いに出す逸見政孝の他に梨本勝や中村勘三郎がいる。逸見は初回手術から10カ月、再手術から3カ月で死去。芸能リポーター梨本は、肺がんの抗がん剤治療を始めて2カ月半で逝った。食道がんの手術から4カ月で他界した勘三郎は、いずれも医者がすすめる、「がんの治療」で余命を短くされた悲劇と近藤は指摘する。

    がんが恐ろしいのではなく、恐ろしいのは、「がんの治療」という持論を展開する近藤は、がんと宣告されても治療をしなければ、最期まで頭がはっきりしていて、痛みが出てもコントロールができる。全く痛まないがんも多い。などと一般的な医師の行う現代医学におけるがん治療の主流とされる三大療法(手術、抗癌剤、放射線)に真っ向から意を唱えている。

    近藤医師のがん放置の考え方は二通りで、一つは発見がんを治療せずそのままにしておくこと。もう一つは体の中にがんがあるかもしれないが、それをわざわざ探し出さないで放置しておくこと。などと徹底している。この論理でいえば、がん検診はおろか、早期発見なども無意味となる。それに呼応するように、最近はがん検診が無意味という考えもでてきた。

    先ずは、「がん」というものに対し、極度のアレルギーを誰もが持っている。想像で考えてみるといい。がんを診断されることは大きなショックを伴う。たとえ進行は非常にゆっくりだと説明されたとしても、「自分の中にがんがある」と思うだけで、不安にならない者はいないだろう。がんが発見されたというだけで、深刻なストレスに悩まされる人も少なくないハズだ。

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    自分は便鮮血から大腸がんを発見、告知されたが、その時に思ったことは、「なったものは仕方がない」ということ以外に浮かばなかった。告知された日のブログにも、「しょーがない、なったものは…いらんもんは切って取って、ゴミ箱捨てるしかないねー」。などと書いている。ショックもなく、じたばたしても始まらないということが分かっているからか。

    翌日にはこう書いている。「いわれた瞬間、「やっぱりか!」と受け止めショックはなかった。医師もちょっと面食らったかもな。時間が経つにつれ、何も出来ない自分を知ると、普通にいつもと同じ自分になっていった。翌日もふつうに目覚め、がんであることを深刻に受け止めることもなく、気が重いなどは全然無く、ただ自分はがんなんだ、という事だけは忘れていない。

    がんなどなったこともない時は、がんといわれたらお先真っ暗で嫌だろうなと思っていたが、昨日がんだといわれたのに、胸のつかえもなく、腹も減るし、宣告前と同じ状態の自分がいて、そのことがちょっと予測と違っていた。がんなのになんでふつうで居れるのかと、そこをちょっと考えてみた。多分だが、宣告云々というより、なったものはしょうがない。

    自分の身体が勝手になったんだし、それが自分の意志と無関係であっても病気というのはそうしたものだろう。過去を思い返せば、もっと苦しいこともあった。(略)それは恋愛の悩み、親のこと、仕事のことだが、そんな事よりもがんなのに、おそらくはがんの方が苦悩は上位だと思うのに、そういう気持ちにならない理由は、おそらく60歳を超えた年齢かもしれない」。

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    不惑の年齢が40歳、50で天命を知る。60歳は耳順といい、修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうるというが、確かにそういう心境であった。翌々日は、「人事尽くして天命を待つ」ようなことを書いている。以降は何ら変わらぬ普通の日常で、ストレスもなく、女々しい記述もない。がんについての記述は差し控えていたと8月4日に書いている。

    過去の記述というのはまさに記録である。今はすっかり忘れた当時のことを呼び起こさせてくれる。「ふ~ん、こんなことを考えてたのか」と、それくらいに思い出せない過去のこと。自分は嘘を書かないので、時々の記述を疑うことはなしに読める。本当を書くことのメリットはそれだ。もし、時々に都合のいい嘘を書いていたとしたら、過去の想い出に浸る意味などない。

    ところで、がん検診の有効性はどうなのだろう?昨日は、とある自治体で胃がんと大腸がんの検診で4割もの見落としがあったという。一体にこれは誰の責任で、何処に文句を言うべきか?専門家は、「他の都道府県でも同様の調査を行い検証すべきだ」と指摘したらしい。一事が万事であるなら当然である。すぐに調べろ。どうせ誰の責任ということもないんだし。

    いい加減なのも人間だ。罰則がないなら、さらにいい加減は増す。さあ、どうするがん検診、受けるのか、受けないのか?これはもう、検診による利益と不利益を天秤にかけて、利益が勝るものを選んで受けるようにするしかない。 それこそ人のいろいろだろう。がんになっていても気づかない、がんがあってもなっていないと太鼓判、罪から言えば後者であろう。

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    前者は自己責任。後者は他者責任である。ところが罰則はない。「がん検診を受けよう」、「早期発見が第一」と呼びかけるが、近藤医師にすれば、どちらも無意味という。一体どちらを信じればいいのか?これほど誤解だらけの病気もないだろう。風邪の誤解だらけとは訳が違う。ネットで調べると見つけにくいすい臓がんや、生存率の低い肝臓がんなどの見つけ方がある。

    これも一つの方法だ。あれほど言われた前立腺がんのPSA検査がまるでいわれなくなったのは、アメリカに笑われたからだろう。「頭痛で脳波を調べるのは無意味」、「前立腺がんのPSA検査はほとんど無意味」。アメリカの各医学会が、これまで行なわれてきた医療行為で、「無駄なもの」を追放するキャンペーンを始めたという。さすが、合理のお国である。


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    情報社会と言われる現代だが、情報の洪水のなかで必要な情報が埋もれてしまい、課題を正しく理解したり、意思決定したりすることが困難になる状態を、「情報のオーバーロード(information overload)」と定義し、一般化させたのはアメリカの作家で未来学者のアルビン・トフラーである。彼は1970年『未来の衝撃』のなかで、こんにちの情報過多社会を予言した。

    情報が多すぎることでそれらの処理能力が遅れるばかりか、適宜で正しい情報の選択がされず、結果として誤った意思決定もしくは、意思決定の質の低下が発生する。思えば我々は情報のない時代に生きた。思春期時期にもっとも興味のある異性や性の情報は、諸先輩や大人から生唾を飲みながら聞いた反面、情報雑誌や情報番組が新しい時代の到来を予感させた。

    トークと音楽が中心の若者向け情報番組、『ヤング720(セブンツーオー)』や、日本初の深夜のワイドショー『11pm』は、深夜ということもあり、アダルトでセクシーが売り物だった。『ヤング720』は新陳代謝の激しい若者向けゆえに4年半で終わったが、『11pm』は24年間の長寿番組となった。情報は活力の源泉であったが、昨今の情報過多社会は想像し得なかった。

    メディアや公共体や企業が発信する情報を、ひたすら受け取るという一方通行型情報時代から、近年はインターネットで個人が情報を発信する時代にある。自分もこうして私的情報や公的情報を発信しているわけで、それらがちょっとした収入や小遣い稼ぎになるということで熱心さも加速する。「余暇を収益に!」との触れ込みで、AMWAYなどのマルチ商法もあった。


    そういうキャッチコピーに影響されてか、初めてはみたが頓挫する友人は多かった。自分は、「バカバカしい、遊びの時間に仕事なんかできるわけなかろう」という自己認識があった。仕事というのはある程度強制されるからやれるのであって、「してもしなくてもいいですよ」などと、やらないで済むなら誰もしたくない。強制は嫌だが食う糧だから止むを得ない。

    自由な時間を仕事になどと、それで稼げたとしても嫌になる。仕事は仕事、遊びは遊びという割り切りが、むしろ仕事にも身が入るし、遊びも横臥できるというものだ。ブログで収益をなどは一見合理的だが、やる気が失せるのは目に見えている。自由というのはお金では買えないものであって、集客のために何を書けばいいかなど、考える事自体が不自由で嫌悪感を抱く。

    「己を知る」ことは大事であり、そのことで無理なことはしないでいられる。若者が無謀なのは、「己を知る」という冷静さが欠けるからで、それはそれでよいと思う。無謀とは謀(はかりごと)が無く純粋であり、さらに若者は理知的・保守的でないほうがいい、失敗から教訓を得る方がいい。年寄りの老婆心などに耳を貸さぬ方がいい。反抗心こそ若者の宝であろう。

    が、昨今のような情報過多時代にあっては、若者も取捨選択に迷うのではないか?そこらの近所のオッサンだけが若者にあれこれいうのではない、ネットの情報というのは、日本中いや、世界中の先人の言葉に満たされている。あからさまな異性の発言なども耳目にすれば、異性への突進力も薄れる。情報はある方がいいが、異性には先入観なしに突進すべきである。

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    なまじあれこれ考えると用意周到となり、行動力が鈍る。鈍るだけならまだしも、恐れ慄いて行動自体を避けるなら、これも情報時代の負の要素である。「案ずるより産むがやすし」というのは、お産の苦しみや怖さを和らげる言葉だが、何についても言える。できるなら失敗を避けたいと考えすぎる若者は、情報が錯綜し、頭が混乱しているのではないかと危惧する。

    「こういう場合に女はこうである」。「デートの時はああした方がよい」。これを遵守するのをマニュアル世代というが、老婆心からかこうした、「HOW TO本」、「マニュアル本」の類が乱造している。若者は自由にやり、やらせた方がいい、なのに塾の学習システムのように、無駄な考えをさせるよりもあっさり回答を教えた方が早いと、こういうこともマニュアル化の一因か。

    考えたリする時間よりも、一つでも多くのことを覚え、他人より一題でも多くの過去問をやる方が勝るといった合理的学習法が、若者の行動規範になってはいないかとの懸念がある。思考行動型はひと年とってからで、若者は行動思考型である方が、勇気や逞しさも身につく。いずれにしても情報化社会にあっては、若者に限らず大人も老齢者にも様々な混乱がないではない。

    今回、がんについてあれこれ書いているが、がんというだけに書きつくせないほどに多面にわたるが、医師でもない自分が、がんになったらどうすべきの知識があるわけではない。それこそ、情報化社会のさまざまな情報から取捨選択をするしかない。もっとも自分は2011年に大腸がんに罹患し、切除手術を経験した。幸い初期がんでもあり、転移もなく目安の5年が経過した。

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    7月22日にがんと宣告を受け、8月26日に入院、30日に手術、9月10日に退院との流れであった。セカンド・オピニオンもなく、主治医に委ねることに戸惑いはなかった。近藤氏を周知していたが、彼の理論に与する気はない。はじめて近藤誠なる医師を知ったのは2001年、『文藝春秋』11月号であった。この号は立花隆の、「自爆テロの研究」を読みたくて買ったもの。

    その号のなかに近藤氏の、「ポリープはがんにならない」という9ページに及ぶ記事があった。人体内部に発生するポリープを部位ごとに種別し、胆嚢ポリープ、胃ポリープ、大腸ポリープについて説明がなされ、近藤氏は胆嚢ポリープがん化説を明確に否定し、胃ポリープがん化説については、「医学の歴史と文脈のなかで検討する必要がある」と述べている。

    こんにちポリープがもっとも話題になるのは大腸ポリープだが、発見される多くのポリープは、「過形成性ポリープ」であり、大部分が5mm以下の小さな隆起性病変とされる。これについてもかつては悪性化の可能性が言われたが、「過形成性ポリープ」46症例観察結果では大きくなったのは僅か一例であり、悪性化があっても極めてまれと考えられるようになった。

    現在は内視鏡で過形成性ポリープは診断でき、切除の必要もなく放置でよいとされている。が、臨床医療現場では過形成性ポリープの大多数が切除されているという。近藤氏の忌憚のない主張によると、内視鏡検査に習熟のない医師は過形成性ポリープとの診断ができず、切除後の病理検査で過形成性ポリープであっても、「がんになる前に切って置きました」と言える。

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    また、放置しない第二の理由として、内視鏡検査は15500円、ポリープ切除だと63000円にも跳ね上がる。別に金儲け主義でなくとも、診断をつけられず切除する医師の方が実入りがよいことになる。それを証拠に大腸ポリープは医師間では、「宝の山」と言われている。こうまで露骨にアウトサイダー的発言をする近藤氏が、医師から敬遠されるのは当然であろう。

    自分は近藤氏の著書は一冊も買ってもいないし、読んでもいないが、その理由は彼の論を信用するとか、疑うとか、どちらでもない。「無症状ならがんは放置すべき」と主張を軸に、がんの、「標準治療」を批判し続ける近藤誠医師は、2014年に慶應義塾大医学部放射線治療科を定年退職、現在は、「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開設している。

    近藤氏の、「がん放置」理論とは、食道がん、胃がん、乳がんなど、塊を形成する固形がんには、「本物のがん」と、「がんもどき」の2種類しかなく、検診や人間ドックで見つかったがんのほとんどが転移のない、「がんもどき」で生命を脅かさない。がん発生初期から転移能力を備える、「本物のがん」は、発見時にすでに転移しているので治療は無駄とする。

    治療しないほうが、穏やかに長生きできると指摘する近藤氏は、治癒の見込みのない末期がん患者に、「QOL」を落とさぬとの思想が背景にある。末期がん患者の、「苦痛」の多くは、がんそのものではなく、手術や抗がん剤などの治療によって起こるからとする。それに比して標準治療を望む患者は、あくまで治療としての治癒を望むからで、そこが根本的に違う。

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    「できるならがんを治したい」と、そのための治療であって、苦しみはない代わりに治癒の見込みもない、後は楽な死を待つという患者の精神状態がどういうものか、どれほど虚しいものかを想像はすれども、実感はできない。「死ぬ」より、「治る」に希望を見出すか、苦しまずに楽に死を迎えるか…?多くの医師は、どこまで治すための可能性を信じるのか?

    近藤氏に対して批判的であれ、実際に近藤氏と議論し、対決を望む医師が少ないなか、東京女子医科大がんセンター長でもある林和彦医師は、逃げる事なく対談を買ってでた。東京女子医大は逸見政孝のスキルス胃がんの手術を行い、逸見の体力を奪い、死期を早めたと批判を浴びていた。後に林は外科医から腫瘍内科医に転身したが、その理由を率直に述べている。

    「がんを治すなら手術と、"神の手"と言われた故羽生富士夫先生のもとに入局しました。羽生先生は普通なら焦るような局面でも素早く処理をし、術後もとてもきれいだった。その地点にたどりついたとしても、治らない人がいる。私は沢山の手術をしましたが、それでも心のどこかで、『この人、治らないな』と思いながら手術をしていた。そんな不誠実な外科医でした。

    林は言葉を選んで言っているが、自身の不本意さと病院の指示との間の葛藤に揺れていたのではないか?治らない無意味な手術は患者の体の負担を考えるとすべきでないが、しなければならない事情があったのだろう。それが、「この人、治らないな」と思いながら手術をしていた。であろう。あくまで想像だが、「手術をさせられた」というのが妥当ではないかと。

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    開業医と大学病院の勤務医の違いはあろうし、近藤は林に以下の質問をぶつけている。「逸見さんへの手術はするべきではなかった。当時、執刀医羽生氏に対する、あなたを含めた部下たちはどんな思いで見ていたのか?」。内の利益・不利益を考えれるなら答えづらい質問であろうが、自らを、「不誠実な外科医」と飾り立てない林は率直に答えている。

    「がんを治すなら手術と、"神の手"と言われた故羽生富士夫先生のもとに入局しました。羽生先生は普通なら焦るような局面でも素早く処理をし、術後もとてもきれいだった。その地点にたどりついたとしても、治らない人がいる。私は沢山の手術をしましたが、それでも心のどこかで、『この人、治らないな』と思いながら手術をしていた。そんな不誠実な外科医でした。


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  • 07/03/17--16:40: 聡太、勇気に屈す!

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    社会には話題にすれば様々なことがある。社会に話題は必要なのか?ならば誰が必要とするのか?話題の張本人が話題にされて喜ぶならそれもよかろう。でなければ、メディアやマスコミが勝手に話題にして、何かにあやかろうとしているのは、腐肉にあやかるハイエナのようである。藤井聡太四段が将棋が強いというだけで、ああまで話題にしていいものか?

    将棋を知らぬ人の話題にしていいものか?まるで国民的話題としての騒ぎようである。それによって、将棋連盟に御利益はあるのだろうし、先般の三浦問題が一蹴されたのは、藤井風が吹いたおかげであろう。一心に将棋が強くなりたいとの無欲の一念が勝利につながり、29連勝に寄与しただけなのに、そうした思いをよそに連勝記録だけを話題にするマスコミ。

    芸能人アイドルなら騒がれ、話題にされることも勲章だが、藤井聡太はアイドルでもなければ、将棋が好きというだけで、時の人でもなんでもない。マスコミがこぞって大騒ぎをし、彼は愛想を振りまいているが内心は迷惑であろう。対局日に対局場に向かい、将棋盤を介して対局相手と向き合い対局を開始する。まさに盤上没我の境地であろう。それなのに…

    アイドル並み、いやそれ以上にメディアは騒ぐ。騒がれるほどの何ほどもしていないというのが実直な思いであろうが、騒がれれば愛想をせねばならない。確かに世の中には美人がいる。好きでなった美人ではないが、彼女が街を歩けば多くの男が振り返る。そのことは彼女の罪でも何でもない。迷惑と感じる人もいる。気分のいい人もいる。どちらも美人である。

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    美人に生まれて嫌だという女性はいない。と思うだろうが、ある美人がこういった。「どうしてこんな顔に生まれたのか、自分がすごく嫌なんです」。事情を知らぬものが聞くと、ブサイクな女の僻みに聞こえるだろう。美人に生まれたことを嫌がる少女の心が奈変にありや、知る由もないが、いろいろ話した記憶はある。話の中身は記憶にないが、一つだけ思い出すのは…

    無言電話や差し出し人無記名の手紙などが舞い込むという。体操服に着替えた制服のポケットや靴箱の靴のなかにも手紙、手紙…。本当にうんざり感を抱いていたようだ。付き合った彼女の妹は胸が大きいのが嫌で、さらしを巻いて登校していたという。「そこまでするの?」と聞いたが、そこまでするほどに嫌だったのだろう。それが唯一の答えである。

    映画『櫻の園』のワンシーンで、胸が大きいというだけで、「この子はマセているから気をつけた方がいいよ」と、母に告げる祖母の言葉。「(胸が大きいのは)いけないことだと思っていた」という少女の想いである。美人とは言わないまでも、「こんな顔に生まれたくなかった」という少女と同じ想いであろう。少女は学童期から思春期にかけて肉体の変化は大きい。

    そんな時期に、「女に生まれて嫌だった」という声は結構耳にした。男には分からない女の感情であろう。彼女らは、「何で女だけが、こんな面倒臭いことがあるの?」というのは生理が嫌、ブラをつけるのが嫌という。なぜに胸が大きいことを嫌がるのかを想像するに、自分の肉体がどんどんと雌に特化していくのが耐えられないという思春期前特有の心理と察する。

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    一たび女になれば、今度は女としての魅力を増大させていこうとする心理が芽生えてくる。「女は女に生まれない。女になるのだ」は名言だが、これは旧態依然的な男に虐げられた女に、主体性を持つよう諭したものだが、イスラム教はその教義において、「外に表われるものの外は、彼女らの美(や飾り)を目立たせてはならない」と、コーランに記されている。

    アラーが言わんとする御意思は、「女性は着飾るな。美しさを他人・外部の誇示するな」ということだ。アッラーの要求は単に、「女性は体を隠せ」ではなく、「女性が自分を美しく見せることが御法度」。たとえ、女性が全身をスッポリ覆っても、その姿が美しく見栄えがするようであるなら、本来の趣旨に反することになる。一神教の神というのは何とも傲慢だ。

    男は女をいつ頃から女としてみるかは、人によっても違うが、例えば3歳児の女の子がセパレートの水着を着ているだけで、女であるニュアンスを醸している。乳あては何の意味もないが、あれを着けさせたいのは本人でなく親であろう。なくて嫌がる幼児はいないが、ないと嫌がる幼児はよほど自意識としての女が強いのか?ちなみに着けているのを取るとなぜか嫌がる。

    幼児にして女の意識の芽生えであろうか。乳あてをしてこそ「女」という疑似意識であろう。20歳を過ぎたある女はこういった。「みんなが隠すから隠すけど、わたしは別に恥ずかしくない」と、真顔でいったところに嘘はないかと。欧米のアスリート女性は日本人ほど乳首の隠匿に神経を使わないようだが、「あるものはある」、隠すいわれはないというけれども…

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    こういう逸話がある。入浴中の女性の浴室のドアをいきなり開けると、欧米人は胸を隠すが、日本人は陰部を隠す。つまり日本人が胸を隠すのは、白人の性癖が日本に持ち込まれたとの説で、かつて東洋では乳出しはそんなに不思議なことではなかった。江戸時代に日本に来た外国人が、女たちが恥ずかしげもなく胸を出している姿に驚いたとの記述がある。

    混浴は当たり前の時代で、つまり裸で風呂に入っても恥ずかしくない当時の風俗は、おおらかというよりも当たり前になっていたからだ。かつては若いお母さんであれ、電車などで赤ちゃんに授乳させるなどもごく普通の光景であったし、変な目で見る男性もいなかった。近年、性産業の隆盛で女性の裸が金に結びついた結果、見られたくないようになったのか。

    もっとも、公然と胸を見せるのは法律で禁止されている。身体のことはともかく、女の胸の中身を思考すれども、女の心などは何十年考えようとも男には無理難題である。犬が猫を理解するより難しいかも知れない。美人コンテストに応募する女性がいる。他薦・自薦があり、自薦はともかく、他薦は、「あなたは美しい、是非…」と推挙されたりで出場する。

    そうはいえど、本人もまんざらでないという気持ちがなければ断ろう。自薦はそれなりの自信を持ってのことだが、選ばれるコンテストに自信の有る無しは関係ない。本人が、「わたしが一番キレイ」と思えど、親兄弟親戚がこぞって、「うちの子は世界一」と思おうと、審査に影響することはない。価値の高低は自分が決めるが、自身の価値の高低は他人が決める。

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    他者が決めた価値で人生が一変することもある。大資産家の御曹司に見初められるのを、「玉の輿婚」というが、これも人が人を決めることの一例だ。美人であることで得をした女性は多い。街道を歩く殿様に見初められ、側室となったケースも多だあった。家柄無用の百姓娘でも美人なら持ち帰る。あのデビ夫人も、妾とはいえ大統領夫人という肩書がついた。

    ハリウッド女優のグレース・ケリーも、人気絶頂の最中にヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退した。彼女は不幸にも52歳で死去し、まさに美人薄命であった。「こんな顔に生まれたくなかった」と嘆いた彼女は、今はどこでどう生き、どういう人生を送っているのか?今も変わらぬ美人であろうか?それとも皴皴婆であろうか?人の出会いも儚いものだが。

    藤井聡太四段は、負けたことで一つのプレッシャーから逃れることができたろう。普通に対局し、その結果としての勝ち星が29個連なったに過ぎない。メディアに追い回される事が将棋を強くするわけでもない。彼の母は、「聡太は自分の番組は観ないようです」というように、周囲が勝手に騒ぐだけで彼にはどうでもよいこと。将来は愛知の偉人だろうが、今はただの中学生。

    佐々木勇気五段には、「よくぞ負かしてくれ」たと称えたい。彼には、「刺客」となるべく準備をし、藤井が29連勝した6月26日にも対局室の隅に座し、伺っていた。「虎穴に入らずんば…」の心境であったろう。他の棋士は、「これは珍しいこと」というが、彼にはむしろ必要なことだった。「雰囲気にのまれず、連勝を止める気で臨む」と、対局前に力強くコメントした。

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    「良薬は口に苦し」という。耳にするのは辛いが自分のためになる事。負けは辛いが、「負けて覚える将棋かな」とも…。黒星は大きいが、匹敵する大きな何かを得た。負けたことで本当の意味で勝負の世界に足を踏み入れたことになる。マスコミは佐々木をイケメン棋士と喧伝するが、斎藤佑樹や石川遼ではあるまいし、佐々木に将棋外の評価は無用にされたし。

    佐々木は今回の作戦面の詳細をこう述べた。「将棋の内容や形に囚われては勝てない相手なので、とにかく勝つという一点に集中して対局した」。自分の役割は、彼の連勝を止めること、そういう結果を求められていること、それらが作戦面や将棋全体に現れて、その迫力に藤井は苦しい将棋を強いられた。将棋に負けてやっと普通の中学生に戻れたことが何よりである。


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    「逸見さんが末期であったにもかかわらず、羽生先生が手術をしてしまった理由は、正直私にもわかりません。私なら、おそらくやらない手術ではある。『なんとかなる』という思いがあったのかもしれません」と、これは執刀医の羽生富士夫批判ともとれる言い方だ。当時羽生はゴッドハンドと言われていた。その羽生を批判することは誰もできなかったろう。

    林にすれば、ゴッドハンドとて過ちを犯すと今ならいえる。羽生は後に胆管がんとなり手術を受けたが再発したとき林に、「オレを診てくれ。全部お前に任せるから」。林は化学療法を選び、幸い治療がうまくいって元気になったことで羽生は学会などで、「林はクソ生意気な男で、私の元を離れていったが、今度はこいつに助けられた」と話していたという。

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    羽生は2010年8月17日他界したが、林は主治医でもあり、この際何でも聞いておこうとの思いから、「死ぬのは怖いですか」と聞くと、「怖くはない。でも、苦しむのはいやだ」と話した。林は緩和ケアで痛みを取るために最善を尽くした。ゴッドハンドを看取った林は、こんなことをいう。「現代の日本のがん医療に必要なのは、『スーパードクター』ではありません。

    がん治療のさまざまな分野について十分な知識や経験を持ち、病状の回復や進行に合わせて治療の選択肢を示し、患者のガイド役となることができる、「がんの総合診療医」ではないでしょうか。『医者の専門性を高め、役割分担を進める』と言えば聞こえはいいですが、患者にとっては手術、化学療法、放射線治療と、治療法が変わるたびに主治医が変わることを意味します。

    それでは患者と医師の信頼関係を築くのは難しい。現実には患者の年齢や希望によって、治療の選択肢は変わります。40歳代か、70歳代か。「100歳まで生きたい」と思っているのか、「もう十分生きたので、身体的に負担の大きな治療は避けたい」と思っているのか。そうした患者の情報や病状の変化に応じて患者に選択肢を示し、アドバイスをするのが医者の務めでしょう。」

    「がん難民」という言葉がある。手術や抗がん剤など科学的根拠に基づく、「標準治療」では打つ手がなくなった後も、治癒を求めてさまざまな治療法を試みる患者のことをいう。一部の自由診療クリニックでは、こうした患者を対象に、科学的根拠に乏しい免疫細胞療法などを実施している。多くの場合、治療費は数百万円に上るが、これは正当な医師から見てどうなのか?

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    日本医科大腫瘍内科教授の勝俣範之教授は、「免疫療法を高額で行う医者は、基本的に『インチキ医者』です。日本ほど、こうした根拠に乏しい医療が横行する先進国は類を見ない」と批判する。その一方で勝俣は、「がん難民が増え、自由診療クリニックが繁盛する理由の一端は、自分たちのように保険診療を行う医者の側にもあると思われます」と自省する。

    現代医学では、進行がんや再発がんの完全な治癒は困難で、医師の多くは積極的な標準治療が終了した時点で患者に、「もう治療法はない」と告げるか、効果の乏しい抗がん剤治療を続け、副作用で患者の余命や生活の質を悪化させてしまうかの選択を迫られる。それに代わる「治療法」として欧米ではすでに広まっている、「早期からの緩和ケア」を勝俣は提唱する。

    それを治療というのか?「緩和ケア」とは治療であるのか?勝俣曰く、治療の開始時から患者との対話を重視し、「がんを治すことより生活の質を大切にし、よりよいがんとの共存を」という治療目標を共有する。患者には、「決して見放さない」と約束し、余命の告知はしない。看護師らと協力し、早期からの緩和ケアを実践した結果、患者のがん難民は減ったという。

    免疫細胞療法などにに頼ることもなくなったという。早期から緩和ケアを行うことで、進行肺がん患者の生存期間の中央値が、8.9カ月から11.6カ月に伸び、生活の質も向上したという米国の研究もある。「患者と医者間の『信頼関係』は、延命効果が実証された立派な標準治療です」。勝俣はそう主張するが、「緩和ケア」と聞いただけで患者は死の宣告と解する。

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    勝俣は近藤理論にも真っ向挑み、『医療否定本の嘘』(副題として、「ミリオンセラー近藤本に騙されないがん治療の真実」)や、『「抗がん剤は効かない」の罪』(副題「ミリオンセラー近藤本への科学的反論」)を著している。読んではいないが、書評を読む限り、現代先端医療の限界を書いており、それは「医療を提供する側」と、「医療を受ける側」の差異であると。

    「治らないものは治らない」と医療側と、「治らないものを治したい」という患者側は、どこまでも平行線である限り、どこに妥協点を求めるかの問題となる。「早期緩和ケア」を推奨する勝俣氏であり、8.9カ月から11.6カ月に伸びたことは医学的には大変な延命だが、近藤批判における針小棒大な記述は、キチンとした批判とはいいがたく、近藤理論に抗う価値はないという。

    逸見政孝一人についても、同じ医師で見解が異なるように、がんも複雑、人間の体も複雑、抗がん剤の効果も複雑である。竹原慎二は抗がん剤による劇的な効果で膀胱がんを治癒させた。彼のブログによると、抗がん剤の副作用はきつかったが、抗がん剤の効果でがんが1/4に縮小した。医師からも、「抗がん剤だけでここまで良い結果がでるのはななかなか珍しい」と指摘された。 

    竹原は、「嬉しかった。苦しい治療に耐えてきた甲斐があった。僕は今回抗がん剤治療を受けて本当によかったと思っている」とし、「万が一今後の定期検査で再発や転移が見つかった場合の標準治療について、僕は抗がん剤治療を選ぶ」と肯定的に書いている。ブログの最後には、「そしてなにより諦めず癌を放置なんてしなくて本当に良かった」と結んでいる。

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    そりゃそうだろう。抗がん剤が効いたから存命しているわけだし、効かなくて死んだ人は、次は別のものを試すわけにはいかない。抗がん剤についての疑問は、製薬会社が医師側に研究費を負担させている現状があり、この点は大きな問題であろう。それを廃止にする体制もなければ、医師が製薬会社に肩入れした都合のいい論文を書いていないとは言い難い。

    抗がん剤は効くのか効かないのか、いつまでも議論するよりデータを取ればいい事だが、ついに認めた! 本年4月、政府と国立がん研究センターが、高齢のがん患者に対する抗がん剤治療について、「延命効果が少ない可能性がある」とする調査結果をまとめた。この調査を踏まえて厚生労働省は、年齢や症状に応じたがん治療のガイドラインを作成する方針という。

    調査内容は、平成19年から20年に同センター中央病院を受診したがん患者で70歳以上の高齢者約1500人を対象に、がんの種類別に抗がん剤治療を中心に行った場合と、「緩和ケア」に重点を置いた場合とで、受診から死亡までの期間を比較した結果、肺がん、大腸がん、乳がんで末期(ステージ4)の高齢患者は、抗がん剤治療の有無にかかわらず、生存率は同程度にとどまった。

    これは、抗がん剤治療が明確な効果を示さない可能性があるという。例えば肺がんの場合、生存期間が40カ月以上のグループは抗がん剤治療を受けなかった患者のみだった。同様に75歳以上で見た場合、10カ月以上生存した人の割合は、抗がん剤治療を受けなかった患者の方が高く、生存期間も長かった。このため、肺がんでは抗がん剤治療は5年生存率に効果を示さない可能性があると指摘した。

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    胃がんと肝がんについては高齢の患者数が少なく評価を見送った。とあるが、どうにも釈然としないのは、なぜ高齢者だけの調査なのか?別段、70歳以上の高齢者に限定せずとも、各年代で調査はできよう。まして70歳以上の調査としながら、75歳以上の身の生存期間を発表するのもオカシイ。悪い結果は発表したくないとの、製薬会社と国との癒着を感じる…

    取りたくないデータを75歳上の高齢者だけに限定し、渋々取ったのではなかろうか。もしくは50代、60代のデータもあるが、発表しない可能性もある。国や役所は国民目線で仕事をしているんだろう?データはキチンと取れ!隠さず出せ!こんな簡単なことができないハズがない。医者と病院と製薬会社がボロ儲けという図式に、国まで加わっているのかと。

    日本は世界でもっとも薬の値段が高い国。その理由は、日本の薬価は一部の人間が、「適当」に決めている。一部とは厚労省管轄の、「中央社会保険医療協議会」(中医協)で、中医協は先進国のなかでも特殊なもの。アメリカでもイギリスでも、薬の値段は製薬会社が決め、その値段で買う買わないは、保険会社や、「NHS」(国民保険サービス)に入っている保険者次第。

    日本は中医協だけにしか決定権がなく、医療現場を知らない中央官庁の職員が薬価を決めている。中医協は狭い、「村社会」で、医療業界の利益を確保することを第一に考えている。また、中医協が決めているのは薬価だけでなく、診療報酬も彼らが決める。たとえば、心臓マッサージを30分間施した場合の診療報酬は2500円だが、風邪の診療報酬は4000円となっている。

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    生死がかかる治療のほうが安く、3分で終わらせる診察のほうが高い、そういう図式になっている。理由は簡単、需要の多い方が高ければ儲かる。最近話題の、夢の抗がん剤「オプジーボ」(小野薬品)で、これが問題視されたのは、年間3500万円というあまりに高額な薬価であるからだが、同じオプシーボ100㎎は日本約73万円、米国では約30万円、英国では約14万円。

    かつて日本の大蔵大臣(後の総理となった池田勇人)は、「貧乏人は麦飯を食え」と言った。今の時代に相応しいのは、「貧乏人は死ね」であろう。そういう過激な言葉は口には出さないが、現実をみればそういうことだ。医療費も高い、高額な薬に高齢者ケアハウスも高い。欲張らず、現実を見据えて、自分にあった死を選べるのは、突発的な事故死よる幸せ哉。


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    国立がん研究センターによると、都道府県別のがん死亡率(人口10万人あたり何人ががんで死亡したか)で最も高かったのは青森県で、2004年から12年連続でのワースト記録を更新中だ。一方、1995年から20年連続で最もがん死亡率が低かったのは長野県である。青森県で長きに渡ってがん死亡者が多い原因のひとつとして、同県の喫煙率が高いことが挙げられている。

    厚労省2013年国民生活基礎調査によれば、青森県の喫煙率は男性が40.3%で全国1位、女性が14.3%で全国2位となっている。また、飲酒量の多さも指摘されており、2010年国民健康・栄養調査では、一日1合以上の飲酒を週3日以上続けている飲酒量の多い男性は51.6%で全国1位。このような状況に対し、青森県は2008年、「青森県がん対策推進計画」を策定した。

    がんの一次予防対策及びがん検診の推進、がん診療連携拠点病院を中心としたがん診療水準の向上と地域連携の推進などに取り組んできた。さらに2013年には、「第二期青森県がん対策推進計画」を策定し、早期発見・早期治療のための二次予防対策、がん対策の研究・分析などを補てんし、がんの予防から治療まで全県をあげて取り組んでいるという。ところが…

    青森県における胃がん検診と大腸がん検診で、患者の4割が見落とされていた可能性があるとNHKが報じた。これについて専門家は、胃がん検診で見落としが40%は多いとの印象としながら、検診の質に問題がある可能性はあるが、後述するようにがん検診の、「見落とし」を数える方法は複数あって、それら詳細な情報がない限り明確なことはなんとも言えないという。
     
    「一般にがん検診では20%程度の見落としは許容範囲と考えられている」と、これも専門家の意見である。というのも、がん検診の種類にもよるので大雑把な言い方に聞こえるが、その辺りを正確に伝えるのは難しいので、こういう表現になるのは仕方がないのだろう。一般的なX線による胃がん検診での、「見落とし割合」は20〜30%は相場として認識されているという。

    また、便潜血による大腸がん検診での、「見落とし割合」は7.1%〜70%。これらの数値は国立がんセンターのサイトにあるものだから、これが、「相場」といわれれば我々は納得するしかない。それにしても、大腸がんの便潜血検査の7%~70%という数字のあまりの開きには驚くしかない。100人中7人の見落としならまだしも、100人中70人の見落としも許容されているという。

    それでも検診を奨めるのか?とりあえず奨めるが、「見落としがあっても知りませ~ん」というなら、なんのこっちゃである。自分も便潜血でがんが見つかったが、便潜血をやれば100%見つかるものだと思っていたが、この数字には愕然とするし、運が良かったということか?いずれにしろ事情を知れば、「ラッキー!」ともいえるし、「やれやれ」という気持ちになる。
     

    運がいいとか悪いとか、生死にかかわる問題を「運」が左右するなら、何のための検診であろうか。宝くじは当たらずとも許せるが、検診の見落としは許せない。とはいっても、どこに文句をいい、見落としの責任というのをどう取ってもらえるのか?そういう前例は効いたことがないが、責任を取らないならもちょっと検診の精度を究めることはできないのか?

    がんの治療は難しいとしても、人体にがんが発生しているかいないのか、それくらいは見つけられると思うが、「見落とし」というのはあまりに不甲斐ない。もっとも、「がん検診」というのは、がんを疑わせる兆候が無い人に行われるもので、いわずともがんを発見するための検査である。胃がん、肺がん、乳がんなどの集団検診、人間ドッグ、職場の健康診断などがある。

    普通に考えれば、いかなる臓器もがん検診を受ければ、受けない場合より多くのがんが発見されるだろうし、検診の御利益を否定するものなどいない。ところが、医療専門家はそうは考えない。がん発見後に手術などを行って死亡するケースもあれば、重大な後遺症という不利益もある。したがって専門家はがん検診を受けた人の寿命が延びた場合に利益があったと考える。

    がんを告知された後で、PET検査を勧められることは多い。X線検査、CT検査、マンモグラフィ検査に比べてPET検査では従来の検査では見つけられないような、数ミリの大きさの癌細胞を見つけられる可能性があることから、PET検査が登場したころには、PETで救える患者が増えると一大ブームとなり、自分もCT検査の後、さらにPET検査を勧められた。ところが…

    実際にはそれほど効果的な検査法ではなかった。確かにPET検査で小さながんが見つけられることは間違いないが、PETを利用すれば必ず小さながんでも見つかるわけではなかったことで、PETブームは現在鎮静化している。国立がん研究センターの内部調査においても、画像検査PETによるがん検診では、85%のがんが見落とされていたことが分かり、効果に疑問符がついた。

    PET検査の仕組みは、放射性物質が含まれた薬剤を体内に注射し、がんに集まる放射線を検出してがんを発見する装置で、国立がんセンターでは2004年2月から1年間に、約3,000人が超音波、CT、血液などの検査に加えてPET検査を受けた150人にがんが見つかった。ところが、150人のうち、PETでがんがあると判定された患者は、わずか23人(15%)しかいなかった。

    残りの85%は超音波、CT、内視鏡など他の方法でがんが発見されており、PETでは検出できなかった。がんの種類別では、大腸がんが見つかった32人のうち、PETでもがんと判定された人は4人(13%)。胃がんでは22人中1人(4%)だった。また、PETによる発見率が比較的高いとされる肺がんでも、28人中6人(21%)、甲状腺がんで11人中4人(36%)という結果にとどまった。

    PETは1994年ごろから使われ始め、現在は100近くの医療機関が導入、多くでがん検診にも使われている。がん検診の場合にはPET検査の保険がきかないため、10~20万円程度の費用がかかる。ところが、がんの告知を受けた場合は健康保険が適応となり、PET検査費用は75,000円、3割負担だと22,500円。プラス診察代など合わせて35,000円程度と考えておけばいい。

    自分はPETの知識もなく主治医に言われるままにPET検査を受けたが、これくらいに効果が疑問視されるPETなら、「受けません」と拒否する患者もいるだろう。CT検査が10mm以下のがんは無理ということだったが、近年は造影剤を注射することで、5mm程度のがんも発見可能となる。日本医学放射線学会においても、PET検査の限界示す報告が各医療機関で相次いでいる。

    PETが85%のがんを見逃しているというのは驚きだが、PETでは見つからなかったがんが、超音波、CT、血液検査で見つかることも珍しくない。PETは早期がんを見つける夢の機械ではなく、あくまでがんを見つけるための検査方法の一つで、過度な期待はしないこと。また、PETでがんが見つからなかったからと言って、自分はがんではないと判断するのも間違いである。

    前々回、アメリカに笑われたPSA検査と書いたが、欧米ではPSA検診の意義を確かめるべく、大規模な比較試験を複数回行っている。比較試験とは、がん治療の効果(利益)の有無を調べるためには、何万人の健常人を二つの群に振り分け、片方には定期検査をし(検診群)、他方は放置して何か異常が生じた場合に検査をする(放置群)。そして両群の総死亡率を比べる。

    比較試験は日本では未実施だが、欧米諸国にあっては、肺がん、乳がん、大腸がん等の比較試験があるが、近年行われたのが前立腺検診である。前立腺検診は血中の、「前立腺特異抗原(PSA)」値を測定する。高値の場合、前立腺に針を刺して組織を採取する「生検」を行い、がんか否かを顕微鏡で判断する。がんであった場合、様々な選択種を患者と相談して決める。

    前立腺全摘手術、放射線治療、ホルモン療法などが行われるが、いずれも失禁、排尿困難、性機能喪失など、重大な後遺症の発生頻度が高く、QOLが落ちる。生検で異常がなく、PSAが少し高いというだけでも、がんの嫌疑が生じたことに怯えで一生を暮らせば、これまたQOLが低下する。それもあって、欧米ではPSA検診の意義を調査すべく大規模な比較試験を行った。

    その結果、検診群の総死亡数は、放置群と同じとなった。比較試験の結果を受けて、米政府の予防医学作業部会は、2011年10月、「すべての年齢の男性にPSA検査は勧めない」という勧告案を公表した。これとは別に、PSA検査が無用であることを示すものとして、PSA検査で発見された前立腺がん患者を二群に分け、片方は前立腺全摘、他方は放置という比較試験を行った。

    その結果、総死亡率ばかりか、前立腺がんによる死亡率も両群で変わりはなかった。なぜ、前立腺がんを(発見し次第)治療しても、放置しても、死亡率が変わらないのか?これについて近藤氏は、前立腺がんの大部分は転移のない、「がんもどき」であり、放って置いても命取りにはならない。残りは、すでに転移のある「本物のがん」であり、転移があるので治癒しない。

    放っておいても大丈夫ながん、治療しても治らないがん、それらが一緒こたになって前立腺検診で発見される。したがって、その治療は無意味どころか有害となる。近藤氏の考えを理解しないで検診に携わる専門家は、比較試験で差がないという事実や、「もどき」と、「本物」の存在にも気づいてないと、近藤氏の考えは理路整然とし、PSA検診を無意味とする。


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    前立腺がんで浮かぶは映画監督の深作欣二と将棋連盟会長の米長邦雄。このお二人は自他ともに認める性豪の称号がある。深作が前立腺がんを診断されたのは1998年だから68歳であった。荻野目慶子は公然の愛人であり、不倫関係にあった彼女との性生活に支障がでると、抗がん剤やホルモン療法を拒否、放射線治療に専念したが、脊椎転移で2003年1月12日死去。

    前立腺がんのなかで、もっとも根治が期待できる治療法が、「前立腺全摘出術」であるが、乳がんの乳房全摘が女性にとって身を削がれる思いであるように、男にとっても前立腺摘出は男根の勃起不全という後遺症を覚悟しなければならない。命を取るか女を取るかということだが、深作は女を取った。これは王手飛車をかけられて、飛車を逃げて王を取られると同じ事。

    68歳にしてそんなにやり足りないのかと思うが、35歳も若い美女と同居するとそんなもんかなと…。前立腺を取ってSEXできないなら生きていてもしょうがない、だから王を逃げずに飛車を逃げ、それで死んでも本望かと。と周囲は言うが、そうそう簡単に死ぬなど思ってはいず、放射線療法で治ればとの目論見と理解する。治るものなら乳房を取りたくない心境と似ている。

    米長氏の場合も主治医は全摘を奨めたとある。彼はブログに、「癌ノート」があり、最初の書き出だしは、「これから述べることは、私が前立腺癌とどう向き合ったかを正直に書いてゆくものです」とある。「1月10日、2008年12月15日に放射線治療を行いました。高線量率組織内照射(HDR)と称する治療である。午前と夕方の2回行う。翌16日は一日様子を見て17日に退院」。

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    とあり、簡単にいうなら、前立腺を摘出せず、一部分を焼いたということでしょうか。生検方法はいろいろあるが、肛門から管を入れて先端のハサミで前立腺内の細胞を切り取るのが一般的だ。米長氏は、PSA(前立腺特異抗原)値の推移について記している。07年3月2日 PSA4.40、07年10月1日 PSA5.08、年が変わって、08年3月4日 PSA7.26と、PSA値は上昇している。

    米長氏はPSA値が7.26に上がって初めて生検を受けている。その結果、12か所採取して組織の8個はセーフ。4個が癌と判断したとの報告を受けた。癌だからといって、すぐに手術や放射線治療の選択をということではなく、医師は、「骨に転移しているかを調べましょう。万一骨に転移していますと前立腺とは全く別の話になります」とし、骨シンチグラフィー撮像を言う。

    骨はその形を維持しながら、常に新しい骨組織に置き換わっている(破壊と再生を繰り返す)が、骨に病気が発生すると、この破壊と再生のバランスが崩れ、骨を作りすぎてしまったり(骨造成、骨硬化)、作らなかったり(骨吸収、溶骨)といった現象が起こち。骨シンチグラフィー検査はこの骨造成を反映する検査であり、がんの骨転移の有無を検出するのに利用される。

    がんが骨に転移しているかどうかは、がんの治療を進めていくうえで重要な情報となる。検査方法は、まず骨シンチグラフィーの薬の注射を行い、薬剤が全身に浸透する注射後3時間ころから約30分程度の撮影を行う。画像の矢印が示すように、肋骨、胸や腰の背骨、腸骨、仙骨などに黒い部分が見えるが、これは前立腺がんの骨転移病巣に薬剤が集まり画像として見えている。

    米長氏の骨シンチグラフィーの結果は、「左大腿部に転移の疑いあり」となり、再度MRIを使った精密検査を行う。米長氏は同じ検査を別の病院で行っている。結果は、「前立腺内に血が少しある」、「前立腺に癌らしきものを発見」、「骨は癌ではない」。骨には異常がないのが判明し、前立腺癌と直接向き合うことになり、担当の医師は全摘を勧める。以下、一問一答。

    「あのうー。前立腺を全部摘出するとアッチが役に立たなくなるんでしょうか」

    「はい。少し可能性はありますが、諦めてもらうことにはなります」

    「この種の癌は進行が遅いと聞いていますが」 一応私も抵抗するのですな。

    「おっしゃる通りです。あなたが75才過ぎであれば放置をお勧めします」

    「放置?何もしないということでしょうか」

    「その通りです。75才過ぎですと、癌の進行も遅く、前立腺癌によって死亡するよりも他の要因つまり脳出血とか心筋梗塞とか、交通事故とかの死因も考えられます。放置していても、それによって死に至るよりは違うことになりそうですから」

    「それでは64才の私が放置はどうなんでしょうか」

    「放置だけはいけません。あなたはあと10年は社会的に活躍すべき人です。ですから何らかの手当てを講じる必要があります」

    「先生はどうして全摘を勧めるのですか」

    「医者は患者が自分の診察した病氣で死ぬことが一番嫌なのです。私はあなたが他の要因で死ぬのであればともかく、前立腺癌で死ぬことだけは避けたいのです」

    「先生、ひとつ質問があります」

    「どうぞ」

    「75才になった時は多分アッチは役立たずになっていると思います。役に立たなくなったのに全摘しないで、まだ現役なのに全摘して駄目にするとはこれ如何に」

    「私は医師としての立場で申し上げているので、あとはあなたがお決めになることです」

    担当医と問答の結果、米長氏は一応は全摘と心に決めたものの、同じ前立腺がんの諸先輩などの意見を聞き、インターネットで体験記などを読むなど、文献をあさったという。その結果セカンドオピニオン外来を受けることにした。現在の病院に許可をとり、了承を得、渡されたすべてのデータをもって別の病院に行く。セカンドオピニオンの費用は2万円であった。

    その結果、セカンドオピニオンの医師からも全摘がベストと告げられた。米長氏は踏み切れないままに全摘経験のある4歳上の先輩から体験を聴いた。先輩の話によれば全摘は男としての一番の楽しみがなくなるうえに、尿もれの後遺症があるなどの情報を得た。「いいか米長。絶対に切るなよ。小線源療法に限る」という先輩の言葉を元に米長は、「小線源療法」に傾く。

    「小線源療法」とは、これは前立腺の中に針を埋め込む手法で、その針から一年くらいの時間をかけて放射線を放出して癌細胞をやっつける。体内の針は永久に残つが、それ自体は困ることにはならない。文献で得た知識をもとに米長は担当医に「小線源療法」を願い出たが、「残念ですが、それはお勧め出来ません」と、医師はハッキリと米長にこう告げた。

    その理由を医師はこう述べた。「あなたの癌の位置が問題です。右側と左側の両方に2ヵ所づつあります。これはもしかすると全体を覆っているかも分からず、小線源では弱すぎます」。ようするに、小線源療法が適しているケースも少なくないが、それは癌の部位や状況により、米長氏には適さないという。それでも最後は自分で決めるが、この時点では善悪正誤より選択であろう。

    医師は預言者ではないので、リスクに応じた可能性を言うが、患者は希望的な可能性を望む場合が多い。医師を信じて結果に殉じるか、自分を信じて結果に責任をとるかだが、自分を信じて医師を無視して、悪い結果になった場合に医師に文句を言うのも人間である。医師に頼りたい、が、自分も信じたい。こうした二律背反に人は悩む。松田優作と医師とのやり取りが浮かぶ。


    優作のような人間には、他人に下の世話は人間の尊厳否定に通ずる羞恥心があったのだろう。ガンによる痛みは一層激しさを増したが、「痛みは我慢するから、麻薬は止めて欲しい。頭をクリアにしておきたいんだ」と、彼は医師に告げた。そうしたある日、彼は信頼していた医師と衝突する。それは優作と医師との以下のやり取りが原因だった。

    優作: 「これからはどんな治療でもやってみたい。先生、二人で病気を治していこう。」

    医師: 「残念だが、治療の段階は、もう過ぎています。」

    優作: 「そんなに悪くなっているのなら、どうして、あなたは言ってくれなかったんだ。それだったら、俺はジョイナーとのテレビドラマなんかやらなかったかもしれない。ジョイナーとは一緒に仕事したかったし、村川監督とも久しぶりに組みたかった。だけど、基本的なメリットは、それだけだった。それほどひどい状態だと分かっていたら、俺はタバコもやめて、酒もやめて、きちっと自分で努力していたはずだった。何でちゃんと言ってくれなかったんだ。」

    医師: 「病状については、お話してあったはずです。お酒やタバコをやめ、節制して治るものなら、とっくに勧めていましたよ。」

    改めていうが、医師は霊能者でも預言者でもない。さまざまな症例やデータから、症状の動向を予測し、未来のことを患者に話す。が、患者の描く未来はさまざまあって、必ずしも医師と同じ未来を共有するとは限らない。近藤氏の理論や発言もまったく標準治療を無視したものではなく、すべてのがんをひとくくりにせず、進行がんか否かを見極めると進言する。

    たとえば胃潰瘍という病気を診断した医師が、「胃潰瘍は放っておくとがんになりかねない」、「がんになる可能性があります」などと、片っ端から胃の切除を行った時代がある。予防という名目の必要な手術というが、それが本当の予防であったかどうか、医師に根拠があったわけでもなく、病変は切除しておくに越したことはないという医師の判断が優先的に尊重された。

    潰瘍がん化説は、はるか昔からあったもので、顕微鏡で検査すると、ときに潰瘍の縁に粘膜内がんの小病巣あり、それが潰瘍がん化説を補強したと近藤氏は述べている。しかし、潰瘍がん化説は因果の順序がまったく逆であった。つまり、粘膜内がんが先に発生、それが潰瘍化していたに過ぎない。こうした因果の順序を医師が誤り、良性潰瘍切除の口実を外科医に与えた。

    その結果、日本全体で数十万人が、胃袋を摘出されてしまったが、現在では潰瘍がん化説は廃れ、胃潰瘍で手術することはほとんどの場合においてない。胃潰瘍はストレスなどの原因で胃酸過多から胃の粘膜が胃酸によって欠損(穴があく)状態で、がんとは何の関係もない良性疾患である。それを放置しておくと悪性化し、がんになるというのが潰瘍がん化説であった。

    人間は根拠のないこと、まやかし的なものを信じる傾向にあるが、それが心霊や宗教などのバックボーンによるもので、そこに立ちはだかったのが科学である。科学は宗教と相いれず、ダーウィンの進化論が、創造者であるろころの神を否定し、愚弄するものだと大騒ぎになった。宗教はまた、太陽は地球の周りを回っていると大きな間違いを容認したこともあった。

    キリスト教カトリックは長い間進化論を否定したが、1993年10月23日、ローマ教皇ヨハネ・パウロII世は、「新たな知識により、進化論を単なる仮説以上のものとして認識するにいたった」と公式に教皇庁科学アカデミーに対して述べた。教皇は、神様のみが人間の魂を造ることができることを支持するならば、創造と進化は矛盾なく、両立すると語ったのだった。

    ガリレオの時代、ローマ・カトリック教会は、異教である天動説やアリストテレスの思想を取り入れていたが、ガリレオの発見は、それらの思想に挑むものであったが、聖書の正当性を問うものではなかった。ローマ・カトリック教会は、ガリレオ事件において、完全に間違っていたと証明されて以降、新しい科学概念に関する議論には慎重にならざるを得なくなった。


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    「死ぬのは怖くない。でも、苦しむのは嫌だ」。これがゴッドハンドと言われた外科医ががんに侵された際の本心である。医者はがんと闘うが、それは他人のがんであって、腕利きの医師であれ自身の手術はできない。医師が患者のがんと闘う目的は、いかに延命させるかであろう。治癒の見込みがないとならば、一日でも長く生きていたい患者の心情である。

    であるなら、医師は患者の要望に応えるために、あらゆる手立てを尽くして延命を図るのか?がんの痛みがどういうものかを知らないし、末期がんの痛みは緩和を施さなければ壮絶というが、人は人の痛みを感知できない。痛みに襲われて、耐えかねている人から痛みを聴いても、「痛そうだな」と想像するしかない。いかに文才あれども、「痛い」の表現は難しい。

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    普通の怪我やキズの痛みとちがって体の中から起こる、湧き上がるがんの痛みは、全身を かきまわす痛みであるらしい。お産も苦痛というが、子を外に出すという希望があるから耐えるが、がんの痛みなど何の希望もなければ迷惑以外のなにものでない。自分がこれまで経験した痛みの最大は尿路結石であった。あれがどう痛いのかを書くにしても上手は書けない。

    ただし、どれほど痛かったかは自分がとった行動に現れている。夜中の痛みが睡眠を妨げたので、朝一番に病院に行こうと電車に乗った。自宅から徒歩5分の最寄りの駅から路面電車に乗り、25番目の駅で下車をし乗り換え、さらに2駅目で降りて徒歩で15分、目指す広島大学病院までの所要時間は約1時間。これが通例で何度も通っているから遠いとか面倒とかもない。

    タクシーなどに乗ろうという気はまるでない。そもそも自分はタクシーという交通機関を、便利で合理的と思ったことがない。300円で済むところを3000円も払ってタクシーに乗るなど、必要性もなければメリットもない。すぐにタクシーに乗る人がいるのは知っている。同様に自分のようにタクシーに絶対に乗らない人間も知っている。その差が何であるか分からない。

    乗る人は便利で合理的と思うのだろう。乗らない自分の理由も分かっている。時間の制約がないなら、これほど無駄な出費はないかと。過去、何のためらいもなくタクシーに乗ったのは、父の危篤の報を受けて東京から飛行機で広島に帰り、実家まで60kmをタクシーで走ったが、タクシーがこれほど遅い乗り物かを実感した。料金のこともまるで頭になかった。

    イメージ 235年前のことで、それ以後タクシーに乗った記憶はない。乗らないと決めているから記憶も何もない。尿路結石で病院に行くために電車に乗ったものの、苦痛に耐えきれず2つ目の駅で下車してタクシーに乗った。3000円ちょっとかかったが、座席では前のめりになって腹を押さえていた。自分にとって尿路結石の痛みとは、タクシーに乗るほどの痛みだった。

    この世で最も痛いのが、「くも膜下出血」、「心筋梗塞」、「尿路結石」で、三大激痛といわれている。「尿路結石」をタクシーに乗るほどの痛みは比喩的だが、自分には合理性がある。ネットにはこのように書かれている。「尿路結石」は、背中やわき腹などに激痛が走る。痛みは夜間や早朝に起こりやすく、約3時間から4時間程度続き、あまりの痛さに失神する者もいる。

    失神するほどの痛みといわれるが、失神しなかった者に、「失神するほどの痛み」という表現は成り立たない。こういう場合によく使われるのは、「筆舌に尽くし難い」である。怒りの最強表現を、「五臓六腑が煮えたぎる」という。最高の喜びの表現は、「喜色満面」か。最高の悲しみは、「悲憤慷慨」という四字熟語があり、「流す涙も尽き果てる」などもいう。

    最高に面白い、可笑しいは、「へそが茶を沸かす」。誰が言い始めたのか、上手すぎる表現である。最高に驚くを、「地球が静止するほど…」などの表現を使うが、「Oh! My God!」は、「ああ、私の神!」が直訳だが、「マジか!」、「なんてこった!」、「どっひゃ~!」などと訳される。これもいい表現だ。さて、本日の表題が分からなくなってきた。

    がんについてだが、末期がんの壮絶な苦痛に喘ぎながら、一日でも長く生きたいそんな思いはない。治癒しないと見極めるのは至難なのか。医師から余命宣告を受けたリ、実際そういう段階になった時、この世に未練を抱かぬ覚悟を決めたい。延命を望むことでそれに充当する豊かな人間生活への復帰や、日々の営みに繋がる見込みがあるなら延命に意味はある。

    社会復帰とまでいかなくとも、病床だけの生活であっても、それなりに家族や知友らとの接触で、最終局面とはいえど自分なりの人生を横臥できようものなら、生存の意義を見出すこともできる。社会貢献はできなくとも、自身の利己的な生の意味は紛れもなく存在する。しかるに、いかばかりかの延命のために苦しむことに、生の意義や意味があるのだろうか?

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    上記した有能外科医の言葉、「死ぬのは怖くない。苦しむのは嫌だ」も、そのことを暗示していよう。医師の施す無用な延命は、医師によって目的もいろいろあろうが、昨今は善意の行き過ぎと非難もされる。末期医療行為というのは、医療行為者側にとって過大な収益をもたらす要素も含んでいたようし、医師のそうした利潤追求姿勢が健保財政を大きく悪化させた。

    収益に走りたがる医療機関は間違いなく存在する。かつて、「医は仁術」と言われた。こんにち、「医は算術」と揶揄されるようになった。「尊厳死」という思想が世界の潮流にあるのは、「楽に死なせる」ことも医療行為であり、立派な手段であって、決して生かすだけが医療ではなくなっている。人間は等しく、「生きる」権利と同様、死ぬ権利も存在する。

    「自殺」を一概に悪とは思っていない。が、未熟な年齢の子どもたちの死の選択は由々しい限りである。「由々しい」という言葉の意味は、「余程の事」、「余程の一大事」であり、子どもたちが死なずに済む選択種はあると思う。死なずに済む選択を自分で考えられるだけの情緒もないなら、誰かが諭してやればいいが、彼らは死を打ち明けないで死ぬ。

    なぜだろう?親に打ち明けないなど、親としてこれ以上ない最大のショックであるのに、子どもは親に相談もせずに勝手に死ぬのはなぜ?自分に言わせると、親が何ら頼りにされていないということではないのか?子どもから見た親というのが、「勉強しろ」の親であるなら、そんな親に生きる苦痛を果たして子どもが相談するだろうか?自分には到底思えない。

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    子どもにとって親は人生のよき理解者であるべきで、だからよき相談者となり得る。大人と子どもが、水平の目線で対等の関係になれるような、意気投合できる話題が無ければ、子どもにとってよき理解者といえず、よき相談相手とならない。親が子どもの目線に降りなければ、「決まりきったことしか言わない」得体の知れぬ遠くの大人ではないのか?

    親はまさか我が子が死ぬなどと思っていない。子どもは親が、まさか自分が死ぬなどと思っていないのを知っている。死ねば親は驚くだろう、悲しむだろう、それでは単なるドッキリカメラであり、子どもにとって親は、やはり一緒に人生を歩んでいく同伴者であるべきで、それなら人生に躓いたときに、よく相談相手になれる。そういう親子はどこに行ってしまった?

    またしても話を戻す。死ぬ権利は自殺者にある。ただし、少年少女が自殺に至る短絡さを社会は問題にし、改革をしていくべきだ。大人が自殺するのは仕方がない。大人として情緒として決定したのなら、それが死ぬという選択である。問題は健常者ではない疾病患者、死の病に罹患し、もはや生の望みが絶たれた人には、希望があるなら医師は尊厳死を実行すべきである。

    末期医療においては、患者を耐え難い苦痛から解放するのが何より優先すべきだが、その判断は医師に委ねられている。それを正当な医療行為として認めていいのではないかという主張と、医療行為として認められないという主張と、両者の食い違いが過去に繰り返された「尊厳死論争」である。日本では1977年、当時の「日本安楽死協会」が、安楽死法草案を作る。

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    ①患者の自己決定権、②医師の裁量権、③書面による意思表示、などを骨子とし、1万人の署名とともに政府、国会に立法化の請願を開始した。ところが、世界にも例のない「積極的安楽死」の合法化と受け取られ、作家や医師などが、「安楽死法制化を阻止する会」を結成、各界交えた大論争へと発展していく。そもそも、「尊厳死」の概念は、消極的安楽死である。

    「積極的安楽死」には、医師が患者の死の手助けをするという自殺幇助の側面がある。第二次大戦中、ナチスが安楽死の名にで精神障害者を抹殺したという悲惨な記憶もあり、一つ間違えば患者の生命軽視、弱者切り捨てになり兼ねないというのが阻止派の主張。「法律で決めれば日本人は安楽に死ねる。現代医療の矛盾は解決する」という発想は安易であろう


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    がん告知のメリット、デメリットはいろいろあるが、かつては患者のみ非告知で、家族には告知されたが、その最大の理由は告知された患者が不安にや絶望感に襲われ、自殺の恐れすらある、というのががんを知らせないとする最大の論拠であった。2人に1人が何らかのがんにかかる時代にあって、いつまでもそんなことでは患者に疑心暗鬼を抱かせることになる。

    がんになるのが稀な時代なら、それでもよかったかもしれぬが、それとは別の告知の最大の利点は、治療法を患者が選択できることだろう。告知がなされない時代にあっては、当然にして患者が治療法の決定に参加はできなかった。医師が良いと思う治療を医師の独断、あるいは家族にのみ選択権を与えて、家族と相談しながら行った。いずれにしろ本人は不在である。

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    もっとも患者ががんであることを知らない場合、末期医療が行えない、あるいは不十分になる。隠しておくより、がんと告げて医師は患者を励ます方がいいし、医師がそういう態度をとらないと患者はくじけてしまうと医師はいう。仏教に憧憬の深い作家の五木寛之はその著書『他力』のなかで、「私は闘病という言葉が、どうしても好きになれません」と書いている。

    ある有名な医師との対談で、「結局、医者を信じて、絶対に病気に打ち勝つんだという強い気持ちを持つ患者さんの方が治るんですよ」という言葉にいささか疑念を抱いている。「治るものは治るし、治らないものは治らない。治ったように見えても人間は死のキャリアであり、いずれ死ぬわけです。老いにも、病にも、勝利などということはあり得ません」と五木は言う。

    五木は仏教的な悟りの域に達しているようだが、「闘病」、「病に勝つ」ということについて考えてみる。闘病の是非については、人間の肉体そのものが反射的に、生理学的に病の抗原と闘っているわけで、そこに精神の在り方がどのように加味され、影響を与えるのかについての知識は自分にない。つまり、「気」と「肉体」の相互関係はあるともないともいわれる。

    様々事例などから、精神と肉体の相互関係が検証されているが、精神と肉体との関係性は厳密な解明という言い方なら、未だ闇の中であろうが、こんにちにおける科学者の研究成果の中では、全てを解明出来ていないにしても、ある程度の説明が付く。たとえば、赤ちゃんに精神と肉体の相互作用はないとみる。その理由は、「自我意識」が発達していないからだ。

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    自我意識は肉体的・精神的に成長することで芽生えるわけだから、赤ちゃんには『心と身体の関係性』を問うための宛先がない。ところが不思議なことに何も知らない赤ちゃんが全て知っている事実がある。心臓の動かし方、呼吸の仕方、暑い時の対策方法、寒い時の対策方法や、安心する事、不安になる事、更に、恐怖において、身も心も同時に対応している。

    赤ちゃん研究は人間の肉体と精神研究に多くをもたらせるが、考えてみるに人間は大脳の自覚意識が非常に発達したことで、精神活動・知的活動が飛びぬけた高等生物になった。まるで「精神」こそが全てのように言われ、精神(心・大脳)があるから肉体もあるという、精神至上主義が基軸となる。しかし、大脳に活動のための栄養を送っているのは肉体である。

    WHO憲章に、「健全な精神は、健全な肉体に宿る」とし、身体の健康の重要さを説いている。ともかく幼児は歩行が始まる頃になると、危険から逃げるようになるが、あれも不思議である。ヒトの新生児がどれほど未熟で、その未熟さが実際にどれほど続くものなにか、十分に理解されてこなかった時代、不安定な発達期の幼児の要求は気づかれることがなかった。

    人間は生きる事より、「愛する」ことの方が大事である。愛がなければ健全な精神の成長も発達もなく、本当の人生などあり得ない。未熟児が保育器のなかで懸命に死と闘っている姿を見ると、人間というのは知恵がつき過ぎると五木のような考えになるものだ。老いにも病気にも勝利はないという五木は、「健康法や検査など、いくら努力しても病気は向こうからやってくる」という。

    イメージ 3五木は五木に生きればいいわけだし、あえて批判はせぬが、動物が動くというのは本来の在り方である。自分はウォーキングを日課にしている。歩くことの良い理由など、腐るほどあり、山ほど言われているが、取って付けたような知識を並べ立てる前に、歩くことが、「良い」ということの単純な理由は、「歩くということは、座っていないということである」と…。

    考えてみれば当たり前のことだが、何事も当たり前のことがすべての基本になる場合が多い。難しいことを言わずとも、考えずとも、簡単明瞭なことが真をついている場合多し。だからか自分はよく人に、「簡単なことを難しくしてはいけない」と言った。江戸時代の儒学者林羅山は、「色を好むは真の情」といったが、難しいことを言わずとも勿体つけず斯くの如くサラリといえばいい。

    五木は『医者に頼らず生きるために』という著作がある。誰とて医者に御縁なき方が良いが、五木も本年9月で85歳は長命である。同著のなかに、シャンプーを止めて髪がふさふさになったとある。2カ月に一回しか髪を洗わない五木というが、皮膚のなかにいる常在菌を落とし過ぎるのはよくないというが、洗浄便座で肛門を洗いすぎるとよくない以下の理屈と同じ。

    皮膚の表面にはたくさんの常在菌がいて、バリア機能やうるおいを保っている。肛門も同じで洗いすぎると抵抗力が弱まり、かぶれや湿疹を引き起こす原因になる。強すぎない水圧で、軽くふき取る程度でとどめておく」だそうな。温水トイレの水流は可能な限り弱く、使用時間は5秒から10秒、長くても30秒以内にとどめ、肛門に傷があり痛みや出血がある時は使わない。

    おしりの拭き方も、紙でこすらず抑えるようにして水分を吸い取るように。『洗浄便座は危ないの?』の著者でもある倉田正氏は、「紙でこすらず穴しめる」という表現で、上記の正しい拭き方を奨励する。さらにトイレは5分以内にと、長すぎると痔になる危険があるからだというが、洋式便所は楽であるからそれはないだろう。いずれにしろ、洗浄便座を正しい知識で使用すべし。

    日本では日常生活で欠かせない存在となっている、"ウォシュレット"。一般家庭をはじめ、ホテルや旅館、ショッピングセンターなど、どんな場所でも見かけるようになった。唯一ないのが公園のトイレ。ところが、なぜか外国では普及しない。日本に来た外国人が驚いたり感心したりする物の代表として、よくあげられる洗浄便座が外国で普及しない理由とは?

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    日本の水は、「軟水」だが海外では、「硬水」の地域が多く、ヨーロッパでは水道水さえ石灰分を含み、飲料にも適さない硬水。これを洗浄便座に使用すると、含まれている石灰分が内部で凝固し、ポンプが故障したり、ノズルが詰まる。さらに衛生上の問題として、海外の水道水は不純物も多く含まれ清潔でないため、人体のデリケートな部分への直接使用には問題がある。

    持ち去られる危険性もあり、イタリアでは普通の便器でさえ持ち去られるため、便座のないトイレもあるという。最近ボーイング社の最新鋭の旅客機787に搭載されたり、一部の高級ホテルで導入されたりするなど、少しずつ人気の兆しが見える。中国では人気が過熱だが、「汚い、不便」なトイレ文化で育った中国人には、日本の清潔で便利なトイレ文化に憧れがある。

    うんはさて置きがんに戻る。『医者が癌にかかったとき』という有名な本がある。医者が癌にかかるとどうなるか?興味はあったが、当時はがんに無縁の意識もあって、読みたい本ではなかった。著者の竹中文良氏は、日赤医療センター外科部長で、自身の大腸がん闘病体験をまとめたもの。氏は55歳で大腸がんにかかり手術を受けたが、後に肝臓がんで79歳で死去する。


    がんを告知された人の受け取り方はいろいろだが、「運命だから受け入れざるを得ない」という人もいるが、運命嫌いの自分は運命的なものなどと思わなかった。「がんになっても仕方がない食生活も含めた不規則な生活態度…」というのがすぐに閃いた。今さら反省よりも、医師に従うしかない。20歳の虫垂炎以来、入院体験はないが久々の入院・手術である。

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    どんな看護士に世話をされるのか、ちょっぴりワクワク感もあったが、大人のスケベ心か、ヤンチャ小僧の延長か。ネガティブやおセンチを嫌うプラス思考であるが、かつて思っていたような、「がんになったらショック!」というのはなかった。もっとも、「長くて1年です」などといきなり余命をきられると、それは違うだろうが、切れば簡単に治るとプラスに考えた。

    母も15年前に大腸がんを手術してぴんぴんしており、あいつがそうなら、自分も負けておれんというのもあった。同じがんといっても、発見された時の進行度によっては、盲腸程度のがんもあるということ。比較的進行の浅い人に対し、「告知」という言い方は大げさかも知れん。いつ起こるか分からない、脳卒中や心筋梗塞の方が、速攻死に繋がる怖い疾患に思える。


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  • 07/11/17--16:15: がんを生きる…

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    がん「告知」と言っても、早期がんと末期がんとでは、告知する医師の気持ちがちがうように、告知を受けた患者のナーバス度も違うだろう。昨今の早期がんの治癒率は目に見はるものがある。告知の是非が議論された十数年前、末期がん患者を収容するホスピスでさえ、入居者の半数以上が自分の病名を知らない患者が多く、医師も看護師も家族も芝居を強いられた。

    一般的にがんは治療後5年以内に再発しなければ治癒したとみなされる。これを「五年生存率」という数字で示されるが、それとは別に、「10年生存率」を財団法人癌研究所附属病院がまとめた。1980年にがんと診断されて治療を受けた1575人を対性調査、825人が10年後の1990年まで生存していることを確認、「がんも2人に1人は治る時代」を、数字は裏付けたことになる。

    患者の家族には知らせても、患者には知らせない場合には、家族の演技の得て不得手もあってか、疑心暗鬼になる患者もいたことだろう。そもそも自分のことを自分で決めるのは当たり前であるはずなのに、それが生命にことになると、なぜ自分のことを人に決められてしまうのか?これは素朴な疑問である。知らせない方が治癒の確率が高いということでもない。

    がんと知らなければ、治癒法の決定に自らかかわることも無理であるし、病名を知ることは自己決定権を行使するうえでの大前提となる。自身ががんであることを知る権利を他人が勝手に制限できることは、どのように考えても可笑しい。身内を思いやるという優しい心情を持つ日本人が、本人に病名を知らせないのは分からなくもないし理解はできるが、「正しい」とは別である。

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    「自分のことは自分で決める」というのが、自分の思うところの、「正しい」である。人によって、「正しい」が異なるゆえに、尊厳死や脳死の問題は決着をみない。がんを告知するのは、事実を知って、治療の含めたその後の人生の選択権を自身が決定できるのは、大いなる収穫であると思うが、これまでにはがんであることも余命も知らされずに、死んでいった患者も大勢いた。

    がんであることを患者に告知することと、余命を告知することは無関係であり、本人が知りたいならともかく、聞かれもしないのに不正確な余命を告げるのはどうなのか?よほどの致命的末期がんならともかく、余命は当たらないケースは多い。当たることの善悪よりも、聞いて愕然とする余命は告げなくとも、「治癒は難しい」と言えば、患者がそれなりに判断しよう。

    告知は医師の義務とは言い難いが、緩和ケア治療に移行する場合、告知は行わざるを得ないように思う。医師の告知義務については、「(医師は)告知をしないことにより患者が不利益を被る場合、告知しなければならない」というのが綱領のようなものだが、告知の利益、告知の不利益の判断を、医師が本人を見越して正確に判断できるかどうかの問題はある。

    最終的にはご本人の余命であって、本人がQOLを考えるべきと思うが、医師が指導したり、サポートするのは当然にして必要だろう。嫌がる鈍牛を水飲み場に連れて行くことはできないが、賢い牛ならそれなりに考えることはある。比喩ではなく率直にいうなら、本人の頭がしっかりしており、メンタルに問題ないと判断する場合、余命告知は、「正しい」と言えるかもしれない。

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    「がんは老人疾患」と自分の主治医はいったが、20代や30代でも乳がんや子宮がんになる女性もいたり、男女ともに概ね40代まではがんのリスクは高くない。主治医は一般論を言ったまでで、確かに高齢になるほどがんのリスクは高まり、特に60歳以降の男のがんの発症率は急激にあがる。これは喫煙による肺がんや、飲酒による胃がん、肝臓がんの発症率が高まるため。

    がんは発生したばかりの頃は成長も遅く、検査で見つかるぐらいの大きさになるまでに、10~15年はかかると言う。例えば60歳でがんが見つかったなら、そのがんは45歳頃に生まれた可能性もある。生活習慣や食生活などで不摂生を続けていたとし、その時に大病を患うことはないが、それらが蓄積されて60歳を過ぎる頃になると一気に症状として表に出てくる。

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    自分もがん宣告を受けたとき、すぐに過去の生活習慣の不味さが頭を過ったが、それらとは無関係に子どもでもがんになる。耳にすることは多くはないから子どものがんについての情報・知識はまるでない。高齢者ががんになるのは、それらの蓄積とは別に、免疫力の低下も原因とされる。さらには、「遺伝子変異の蓄積(コピーミス)」といった原因も分かっている。

    人体には60兆個もの細胞が常時細胞分裂を繰り返している。人間が一生の間に行う細胞分裂は1京回(1兆の千倍)と言われている。それほど繰り返していればコピーミスだって発生する。ただし、コピーミスが起こっても免疫力が強ければ、癌細胞を消滅させることができる。誰にでも起こるコピーミスを、がん化させずに抑え込めるかどうかはその人自身にかかっている。

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    「2人に1人がガンになる」といわれるが、昔と比べて現代人ががんに罹りやすくなっているというわけではない。食生活の欧米化で肉中心の食事が原因でがんになる事もないわけではないが、がん患者が増えている一番は原因は少子高齢化のようだ。がんは免疫力が落ちるほど罹りやすい病気ゆえ、高齢者が増えればがん患者も増えて、がん死亡者も増えることになる。

    日本は世界有数の長寿国ですので、必然的にがんで死亡する人も多くなる。がんの発症率グラフを見ると、50代までは女性の方が高いが、60代からは男性の方が高くなる。乳がん、子宮がん、卵巣がんなどの女性特有のがんは、比較的若い年齢でも発症し、それによる死亡数が多くなるが、全体で見れば女性よりも男性の方が圧倒的に、がんで死亡する可能性が高い。

    がんが一般的に高齢者がかかる病気なら、若くして乳がん、子宮がん、卵巣がんにかかる女性は運が悪く、気の毒というよりないが、それにも増して子どものがんは何ともいいようがない。子どもを不幸にする親はいるが、数は多くはないががんに罹患する子どもは不幸なのだろうか?という命題について思考してみる。小児がんは、子どもに起こる悪性腫瘍の総称をいう。

    白血病、脳腫瘍、神経芽腫のほか、悪性リンパ種、ウィリムス腫瘍(腎芽腫)などが主な小児がんで、普通大人がかかる胃がん、肺がん、大腸がんなどはほとんど見られない。2011年『がん対策推進協議会小児がん専門委員会』の資料によると、1970年代は年間2500人ほどの子どもが小児がんを発症していたが、80年以降になると、1600~1900人程度に減少している。

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    これは小児人口1万人あたり約1人の計算になり、小児がんにかかる確率はかなり低いといえる。近年の小児がん患者の減少は、少子化にともなう小児人口そのものも減っている結果と考えられている。昔は不治の病と言われたが、1960年代以降は化学療法や放射線療法によって、7~8割が治るようになったものの、年齢別に見た子どもの死亡原因では高い順位を占めている。

    1万に1人の確率とはいえ、もし自分の子どもが小児がんになったら確率もなにもない。子どもの身体の心配もあるが医療費の不安もある。しかし、小児がんと診断されても医療費はそれほど心配する必要はない。治療期間が長く、医療費が負担になりがちな特定疾患については、「小児慢性疾患医療費助成制度」を利用でき、ほとんど公費で賄ってくれる体制が整っている。

    この制度は児童福祉法に基づいた、「小児慢性特定疾患治療研究事業」として国が定めたもので、各都道府県が実施している。18歳未満(引き続き治療が必要な場合は20歳未満)の患児を持つ保護者を対象に、所得に応じてひと月の自己負担限度額を設け、それを超えた分はすべて免除される。高額療養費制度に似ているが、自己負担の限度額は比べ物にならないくらい低い。

    さらには、重症患者認定を受けた場合は所得に関係なく全額免除となっている。子どもは未来の宝、誰の罪でもない疾病に対する手厚い保護体制は良いことであろう。成人のがんは老化現象の一つと捉えられるが、子どものがんは成人とは性質が大きく異なるが、そのひとつに細胞の分化度の問題がある。分化とは細胞が分裂して成熟していく過程のことを言う。

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    体内で機能的な違いのなかった細胞が固有の機能をもった細胞へと徐々に変化して行く。分化の度合いは未分化、低分化、中分化、高分化と表現され、がん細胞では未分化なものほど悪性度が高いとされ、高分化になるほど悪性度は低いとされている。それに反し、化学療法の効き目は逆で、未分化なものほど薬への感受性が高く、高分化になるほど感受性が低いとされる。

    小児がんは、増殖能力の高い低い分化レベル腫瘍が多い。そのため成長のスピードが特段に速い。発見時にすでに10cmを越える大きさの腹部腫瘤で見つかる場合も稀ではないようで、そういったケースは特に腹部で多くみられる。いたいけな子どものがんは、運命を呪いたくなるほどに理不尽であるが、単に不幸と解するではなく、家族の温かいケアが不可欠だろう。

    子どもががんを宣告されることは、家族を根本から大きく揺さぶる出来事であろう。最初に病気のことを聞くのは両親であり、その驚きとショックは想像する。「未来あるはずの我が子が、がんにより命を落とす可能性がある…」ということを受け止めるのは、本人以上に辛い親の定め。何も知らない、知らされない子どもの無邪気な笑顔はいたたまれないだろう。

    がんになった本人以上に両親へのケア・サポートが大切とされる。親が不幸なら子どもも不幸、親が日々笑顔であるなら子どもは幸せ。たとい周囲の子どもたちとは違って辛い治療や病院だけの生活だが、短い命を生きるただそのためだけに生まれてきた子どもを、最大限に幸せにしてあげるのが親の務めである。与えられた日々を笑顔で生きる子どもたちのために…

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  • 07/12/17--16:29: がんに死す…
  • 死を選べるなら何で死にたい?こんなことを60過ぎたオッサン(いや、じいさんか)が、まともに答えるわけもないが、若いころはこんなくだらない会話をしたものだ。選べるハズもない死だからするだけ無意味だが、若いさというのは無駄も含めて有り余る時間に恵まれている。当時は、「がん」がもっとも悲惨といわれていたし、がんで死にたいというのはなかった。

    「ぽっくり心臓麻痺がいい」が圧倒的だった。理由は、「痛いのは嫌だから」であり、それ程にがんの痛みは浸透していた。自分は面白可笑しく、「腹上死」と言って笑いを誘う。女の子に向けて、「お前が上なら腹下死になるな」と、こんなことを言っただけで顔を赤らめる、そんな奥床しき女が多かった。今の女子高生が内股で自転車をこぐのは見たこともない。

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    なかにジャージの半パン履いてるからといっても、どこか怖いものを見せられているようだ。心臓麻痺でポックリ死ぬってのは、苦痛の無い死に方というだけで、着の身着のまま、いきなりポックリは何の整理もできないから選びたくない。死が分かっていても、カウントダウンのある死の方が、「生」の整理ができるだろう。死は恐怖であっても、それがいい。

    突然死は、死の恐怖を避けられる意味もあるのだろう。「自分の最後は自分で決める」といっても、どんな病気かを選べないし、歩道を歩いていてトラックが突っ込んでくる、あるいは飛行機にのっていて落っこちる、あるいは北朝鮮からの核ミサイルが飛んできての爆死かもしれない。病死か事故死かの想像もできないが、とりあえず病死、それもがん死について考える。

    先日他界した小林麻央さんは、在宅ホスピスであったようで、自宅で看取られるメリットというのは病院のベッドよりは比較にならない高いQOLに満たされるだろう。昨今は、年間死亡者数の8割が病院で亡くなるといわれるが、40~50年程度前は8割以上が自宅で死を迎えている。この逆転現象は世界に類をみない、日本だけに起こっている事態であるといわれている。

    ふと思うのは、病院は(救急搬送を除く)怪我や病気を治療するところであって、死を迎える場所なのか?という疑問である。患者がの、「病院死」がこれほど主流となっているのは、何か合理的な理由があるのかもしれない。「人生の最期は、でき得るなら住み慣れた家で過ごしたい」、「最期まで自宅で自分らしく生活もしていたい」というのは、ごく自然なことだろう。

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    が、そうすることで家族に迷惑がかかる、完全看護の病院の方が家族への負担も少ないなどから、患者が遠慮することは大いに考えられる。この期に及んで自分のわがままをいうのも気が引けるというのは分からなくもない。人生の最期において、一番必要なものは、「治療」ではなく、自宅で過ごす、「生活」ではなかろうか?病院と自宅…、どちらが気兼ねかの問題もある。

    病室とはいっても、ゆったり個室だと差額ベッド代もかさむし、同室であれば他の人に気も使うであろう。同じ病人であっても、個々の生活レベルによって格差は必然であるし、個室を希望しても満杯で入れないということもある。ならば、「トイレも気兼ねなしに…」、「好きな時間にお風呂に入れる…」、「娘や孫たちと一緒に食事ができる…」など、在宅が勝っている。

    それとは別に患者自身が病状の変化に対する不安から、病院に入る方が何かと安心という人もいれば、まったく回復の見込みもなく、余命いくばくもない患者においては、残された時間を有意義に過ごすためにも在宅がいい。あとは在宅を受け入れる家族の愛情であろう。人によっては、「病院にいてくれる方が都合がいい」というそんな家族もないわけではなかろう。

    兄弟が親をたらい回しにしている。長男が次男や三男に押し付けるなどの話を聞くと、それならいっそ病院の方がいいという場合もある。末期がんで余命を1~2か月と区切られた場合は、ほとんど寝たきり状態で食も細くなり、もはやそういう患者の場合こそ、自宅で自身のペースで平穏に最期を過ごせる、「在宅療養」こそが、人間らしい最期ではあるまいか?

    イメージ 3普通に考えれば、「在宅で看取る」というのは、病院に比べて家族にとって大変であり、重い負担を強いるように感じられるが、町中には外来診療と在宅医療を専門とする町医者といわれる医師がいて、週に1~2度の往診と緊急時の電話番号を聞いて、後は訪問看護師に委ねるのが一般的である。つまり、在宅での患者の生活を支える主役は、実は訪問看護師である。

    がんの終末期というのは、ほとんど食べられないし、水分も取れない状態になる。病院ではがんでもがんでなくても脱水はよくないと、1日1000~2000mℓもの点滴を注入されるが、人間の終末期の脱水はむしろ自然なことで、もはや身体が水分を欲さない状態であるという。終末期における緩やかな脱水は。「省エネモード」移行であると指摘する在宅医もいる。

    最小限の水分やエネルギーでも、人間は問題なく生命を維持できるといい、脱水の方が胸やお腹に水が溜まらず、腹水を取るなどの苦痛も軽減され、むしろ長生きするという指摘もあるくらいだ。人間は昔から、「枯れるように死んでいく」と言われたもので、病院のマニュアル化した無用な点滴漬けや、過剰医療は苦しみを増大させるだけとの批判もある。

    『平穏死 10の条件』や、『家族が選んだ平穏死』の著者でもある長尾和宏氏は兵庫県尼崎市に「長尾クリニック」を開業する在宅医である。医院のホームページには、「在宅療養支援診療所」として、訪問看護、ケアマネジメントを含めた総合的な在宅ケアも提供しています。とあるが、長尾氏も市立芦屋病院勤務時代には、延命治療を重ねた病院医であったという。

    その長尾氏が「延命医療」の考えを変えた芦屋病院時代のある患者について記されている。「咽頭がん終末期のその患者さんは、何も食べられないにもかかわらず、点滴一切を拒否されました。一週間も持たないだろうなと思っていたら二か月も生きられたのです。最期は苦しむことなく、枯れるように死んでいかれました。私が初めて経験した、「平穏死」は衝撃でした。

    人間には、筋肉や脂肪をエネルギーに変える能力もあり、少量の水分だけで何も食べなくても1か月ないし、数か月間は生きられます。その上さらに飢餓状態になると脳内にモルヒネ様物質が分泌されるので、意外に本人はハッピーなのです。病院の偉い先生は、病気の診断・治療の専門家であって、看取り専門ではないので、こうした死への自然過程をあまり知らない。

    僕自身、最期まで延命医療を施すのが全体的な善と思っていましたが、今に思えば余計な医療で患者を苦しめていたんです。あの患者さんから死を学び、考え方が変わりました」と長尾氏はいう。人間が死ぬということは、神経がある以上どうしても苦痛から解き放たれることはない。自然死といわれる老衰であっても、死の直前には苦しみを伴うといわれる。

    骨粗鬆症の患者さんであれ、寝たきりになれば背中(脊髄)に激痛が走るという。したがって、ホスピス施設や大病院だけでなく、在宅医療や地域の療養病床においても、緩和医療は欠かせない場である。逸見政孝氏や今井雅之氏や小林麻央さんの末期には相応の緩和ケアが施されたようだ。今井氏にあってはもはやモルヒネも効かず、壮絶な苦しみであったという。

    が、長尾氏の言うように、最期は歯を見せてにこやかな笑顔だったという。人の最期が悶絶ではなく幸福というのは、何とも人体の不思議であろうか。ジャーナリストの竹田圭吾氏も51歳の若さで亡くなったが、彼はテレビにコメンテータとして出ていながら、体重の激変ぶりを視聴者に晒しながらもがんを告白しなかった。「聞かれないので言わなかった」と本人はいう。

    2015年の夏ごろは別人と見まがうほどの激痩せで、誰の眼には異常さは伝わったが、9月になって番組の関連もあって、「実は私もがんで闘病中です」と唐突に発言した。あの時期はもう覚悟を決めたカミングアウトであったろう。そうして、恥も憚らず画面で妻に「、愛してるよ~」と、これまでの理性的で冷徹な彼らしくない、彼の真の内面を晒したのが印象的だった。

    「この際、怖いものはない。冥途の手土産に言ってみよう」そんなことを自分は想像した。照れることもなく、電波を私物化することに臆することもなく、きちんとメガネも外して、真っ直ぐテレビを見て、「愛してるよ」の言葉は心に響いた。竹田氏は2016年1月10日に他界したが、前日の9日に妻裕子さんは病室に泊まるが、看護師に促され、二人の子どもを病室に呼んだ。

    妻が、「お父さんに伝えたいことがあったら今だよ」といい、二人の子どもは思い思いに父に言葉をかけた。裕子さんは、「今まで本当にありがとう」としか言えなかったが、その言葉を言った途端、涙がとめどなく溢れてくる。涙が止まらない息子に竹田は、「泣くな」と言った。小康状態となった竹田を囲み、三人は竹田の呼吸に耳をそばだてていたが…

    裕子さんはくるべくその時のことをこのように書いている。「呼吸の数が少しずつ減ってきた。間隔がどんどんあいていき、最後に呼吸が止まってしまうことも容易に想像がつく。看護師さんからもそう言われた。でももう一通りのことを昨夜やってしまったからか、穏やかにいられる。息子はずっと主人の手を握っていたが、何がきっかけだったのか、気づくと泣いていた。

    「『泣いているのをお父さんはわかったみたいで、手を握り返してきて、その間は呼吸も早くなっていた。夜に泣くなって言ってたでしょ。だからまた泣くなって言ってるんだと思った』と、後で教えてくれた。入院して五日目、本当に眠ったまま逝ってしまった。」自分は父の死に居合わせられなかったが、想いは伝わったはず。それぞれの家族には、それなりの善い死がある。


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  • 07/13/17--16:09: がんとともに…
  • がんというやつがシャーレ―にあれば簡単に殺すことは可能だが、がんの治療がこれほど難しいのは、がんが人間の体内にあり、正常な細胞を殺すことなくがん細胞を殺さなければならないからだ。がん細胞というと、とんでもない悪玉のイメージがあるが、実はがん細胞というのは普通の正常細胞と基本的には変わらない。大きく違うのは増殖のスピードである。

    過去半世紀にわたってがんの研究者は、この増殖こそががんの本性と見据え、増殖に狙いをつけて抗がん剤を作ってきた。ところが、増殖する細胞を殺せど、殺せども、がんは治らなかった。抗がん剤でがんは根治しないのは間違いないが、それでも抗がん剤を使うのは、増殖を止められるからである。しかし、毒性の強い抗がん剤が激烈な副作用を伴うことに変わりはない。

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    正常細胞を殺さずにがん細胞だけを殺す方法として、放射線治療や重粒子線治療があるが、いまだにがん治療で最も効果的なのは外科手術であるのは動かない。がんの部位を物理的に切除するのは理に適っているが、それでも取り切れないがんは多い。悪性脳腫瘍などは周囲の正常細胞に沁み込むようにがん細胞は散らばっており、手術で取り切っても間違いなく再発する。

    がんには普通のがん細胞とがん幹細胞があり、普通のがん細胞を動物に移植してもがん化しないが、がん幹細胞を移植するとがんができる。がん幹細胞が親玉とすればがんは子供であって、親玉と子供はまったく性質が違うものである。抗がん剤はがん細胞には効くが、がん幹細胞にはまったく効かない。理由は抗がん剤は増殖する細胞を殺すよう設計されている。

    増殖中のがん細胞には効くが、冬眠中(静止期)のがん幹細胞は全く効かない。であるなら、静止期のがん幹細胞をむりやり起こして殺すというのが、がん幹細胞を殺す新しいアイデアであるが、どんながんにも有効かなど確かめられていない。研究の成果として少しずつがんを追い詰めてはいるが、静止期にあるがん幹細胞を無理やり起こすのは危険という説もあったりする。

    動物実験段階で効果は見えても、人間に用いる危険性は実証されていないし、確認もされていない。現時点ではがんは予防的意味合いが強く、その成果で減少しつつあるのは間違いない。肺がんの大きな原因とされる喫煙が減り、胃がんの主原因であるピロリ菌や、肝臓がんの原因であるB型やC型肝炎ウィルス、子宮頸がんの原因であるパピローマウィルスの対策が講じられている。

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    今後益々がんは大きく減少するであろうことは予測される。我々はつい、「がん研究は進むこともなく、停滞しているように感じる」が、研究の世界というのは5年、10年の短期間でみれば目立った進歩はないが、50年、100年単位で見れば大きく進歩している。50年前のがん研究と比較しても格段に進歩していることになり、少なからず恩恵を受けているのだ。

    小池都知事が豊洲市場移転問題の記者会見で庁内検証報告を発表した。政策決定過程の責任者は特定できず、組織内の連携不足が原因と指摘。「ガバナンス(統治)、責任感が欠如していた」と批判した。「それぞれの段階で流れの中、空気の中で進んでいった」と説明、山本七平の『空気の研究』を引き合いにだし、「空気が動かす都庁」と間接的ではあるが断罪した。

    日本の思想史に多くの功績を残した在野の思索家山本七平の『日本人とユダヤ人』、『空気の研究』はあまりに有名、死後25年になるが未だに売れ続けている稀有な本である。七平は1991年12月10日、すい臓がんにて69歳で没した。彼は不幸なことに入院先のK病院の担当医から十分な痛み止め治療がなされず、憤慨して救急車で国立がんセンターに転院する。

    その様子を絶筆となる闘病記『病床つれづれ草』のなかで、「人間というものは、他人の「痛み」にいかに無頓着であるかを、改めて思い知らされた」と記している。1990年11月7日、16時間にも及ぶ手術を経て翌91年2月24日退院となる。以後は会員制の在宅ケアのサービスを受けられる、「ライフケアシステム」に入会、創始者でもある佐藤智医師の往診を受ける。

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    9月24日、国立がんセンターの定期健診でがんの再発を告げられ、妻のれい子に入院治療を奨められるも頑なに拒否、「自宅で佐藤先生に診ていただく」と、最期まで自宅で過ごす決意をする。「自分の最期は、自分で決める」の好例だが、自分の最期の選択を他人に託す人もいるであろう。正解はないし、個々の選択の問題だから、自分も延命治療はせず緩和ケアを選択する。

    今がどんなに健康であれ、死の準備というのは健康な時にこそすべきものである。歩けるときに歩く。食べられるときに食べる。買いたいものは買う。趣味も存分に楽しむ。言いたいことは言う。書きたいことは書く。行きたいところは行けばいいが、特にない。今の境遇は1日24時間が自由に供与されているので、自由人志向の自分には何のストレスもない。

    これら一切が死の準備であるが、それでも死ぬのが悔やまれるなら、贅沢というものだ。人間はどうあがいても永遠の命はないわけだから、痛くない死さえ選べたら何の不足もない。できることなら、脳卒中や心筋梗塞でバッタリだけは願い下げだが、あくまで希望である。近年の芸能人の死から受けるまでもなく、かんと診断される人の割合は増加しているようだ。 

    国立がん研究センターがん対策情報センターの2013年データによると、生涯でがんと診断される確率は男性で62%、女性で46%である。これが、「日本人の2人に1人がガンになる」という根拠のようだ。がんと診断される人が増えているのには、診断技術の向上も関係しているとはいえ、「半分の確率でがんになる」といわれるのはもはや誰もが知る常識に思う。

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    ただし、実際にがんになるとしても、それが自分自身にどれほど差し迫ったものか、数字に惑わされることなく、年齢によって大きく異なることを考えてみるべきだろう。上記国立がん研究センターのデータを基に、たとえば30歳男性なら、10年後の40歳までにがんと診断される確率は0.5%となり、この確率は20年後の50歳で2%、30年後の60歳でも7%にとどまる。

    あくまでも統計的にみれば、60歳までの現役世代のうちにがんになる確率は10人に1人以下に過ぎない。では、「2人に1人がガンになる」のはいったいいつ?現在30歳の人なら、男性は50年後の80歳で42%、女性は50年後の80歳から天寿を全うするまでの間の46%となる。が、日本人の平均寿命は男性80歳、女性86歳で、死亡の確率が半分になる頃とほぼ一致する。

    がんは身近な病気とはいえど、「2人に1人」の確率で発生するのは、ほかの要因も含めて死亡のリスクが高まる世代になってから。したがって、「2人に1人はガンになる」という通説には誤解があるということになる。さらには人によってがんになりやすい体質かどうかの問題もある。一部のがんに遺伝的要素はあるが、がんが遺伝疾患でないことは分かっている。

    それでも用心深いアンジェリーナ・ジョリーは、発病もしていないのに乳がん予防のために乳房の切除手術を受けた。これはアンジェリーナの母が、乳がんで10年もの闘病生活の末に56歳で他界、さらに母方の祖母も卵巣がんのため、40代の若さで亡くなったことによる。アンジェリーナは2013年に両乳房、2015年には両側の卵巣・卵管を切除する手術を受けている。

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    ほとんどのがんは生活習慣によって引き起こされ、同じ遺伝子を持っていても、がんになるかならないかはその人の生活次第である。がんのでき始めは進行が遅く、不摂生の影響が出るのは数十年後。がんの患者数は60歳以降に増加し始め、70歳以降に急増するが、突然がんになったわけではなく、体に悪いことを積み重ねた結果、高齢になってがんを発症している。

    健康に神経質になる必要はないが、若いうちから健康に気を配っておけば、将来がんになる可能性を下げられることになる。「転ばぬ先の杖」ということだが、両乳房の切除、おまけに卵巣・卵管も…、ここまで踏み切るとはよほどの覚悟と想像する。小林麻央さんが乳房全摘手術を受けなかったのは本人や海老蔵であり、医師は摘出を勧めたというが、全ては終わったこと。

    がんは優れた治療法が確立していない怖い病気であるが、それゆえにがんと共存する時代にあることも事実である。反面、がん患者の半数は治癒しているのも現実である。外科手術ががん医療の担い手で、外科手術で治らなければもうダメだ、という冬の時代が長く続いたが、最近では、放射線、化学療法が格段に進歩し、がんが多少進行してもコントロール可能となっている。

    樹木希林さん(73歳)は自ら、「全身がんだらけ」を公言するも、昨年2月、「クローズアップ現代」に出演した際、キャスターの国谷裕子氏に、「全身にがんが転移しているとはまったく思えないが?」と問われると、「来週にはまた治療に入るんですけれども (中略)、私は死ぬ死ぬ詐欺なんて笑っているんです」。と自嘲気味な微笑を浮かべながら答えていた。



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  • 07/14/17--16:34: がんの未来に… ①

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    こんにちの日本は誰もが知る高齢化社会であるが、一般に高齢化といっても三段階に分かれていることを知る人は少なくない。高齢化社会には、「高齢化社会」、「高齢社会」、「超高齢社会」に分類されており、その3つの分類をどのように行うかについていえば、これは全人口を通して見た高齢者の割合を示す、「高齢化率」という指標によって決められている。

    ここでいう高齢者とは満65歳以上の人をいい、実際にその指標を元に日本のデータを見てみると、2013年の時点で高齢者の数が日本の全人口の25.0%となっている。わかりやすくいうなら、4分の1が65歳ということになり、かなり高い数字になっている。2013年から4年も経てばさらに増えていると思われる。ゆえに、今後はますます老人介護の需要が増えるのは間違いない。

    この25%という数字が高齢化率といい、「超高齢社会」とはどういうものかといえば、「高齢化率」が21%を超えたものというのが基準となっているから、高齢化率が25%の日本は、とうにその段階を超えている。しかも、驚くべきことに日本の高齢化の進み方は、他の先進国と比べてもかなり早い。諸外国の、「高齢化社会」から、「高齢社会」へ移行する期間を比べてみる。

    ドイツが42年、フランスは114年と、それなりの年数を要しているが、なんと日本は24年という短期間で高齢化率21%を超えてしまった。それには相当の理由があり、ざっくりいうなら、夫婦が子どもをたくさん持たなくなったことと、老人がしななくなったこと。これが高齢化を促進したようだ。用語的にいえば、長期的な出生率の減少と、医療技術が格段に進歩したこと。

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    何で子どもを産まなくなったのか?夫婦にはそれぞれ理由があるが、未婚者や非婚者が増えたことも理由に挙げられる。我々の世代にあっては、女性は高校を出るとどこかにお勤めし、5年くらい働いて23歳くらいが適齢期の上限という風潮だった。男も30歳となると、ちょいと見下されたりしたものだ。「やもめ」という言葉は最近聞かないが配偶者のいない人をいう。

    未婚者、独身に限らず、妻(夫)を失った(離婚や死別)人もやもめといった。古い言葉に、「男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く」というのがある。今や完全に死語となったが、妻を失った男や、一人暮らしの男は不精で不潔な環境にあるのに対し、夫を失った女や一人暮らしの女は、身綺麗で華やかである。と、この例えはなかなか辛辣だが上手い表現だ。

    厚生労働省が発表している平均婚姻年齢(初婚)の全国平均をみると、徐々にじわじわと年齢が上がっているのがわかる。♪ 15でねえやは嫁にいき…と、いわれた時代もあったが、2017年には女性も30歳に達したか?きわどいところかも知れん。あくまで平均であって、早い人も遅い人もいるが、晩婚化が進んでいるし、この傾向は今後も続いていくのではないか。

    さらに驚くのが第一子出生時の母の平均年齢で、1975年…25.7歳、1985年…26.7歳、1995年…29.1歳、2005年…29.1歳とこの辺りが上限と思いきや、2014年にはついに30.6歳という数字がでてしまった。晩婚化が進み初婚年齢が上がれば、第一子の出産年齢が上がるのはも必然である。30歳越はもはや珍しくもないし、今後も上昇傾向は続くだろう。

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    確かに子どもが増えないと成立しない社会であるが、産まない権利、産まない自由は保障されるもので、その自由を覆す言葉の何処に正当性があるのか?と思ってしまう。いつだったか女優の山口智子が、子どもを産まない理由が話題になったことがあった。彼女は、「私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました」と、これは衝撃発言だった。

    「何故…?」理由も気になるところだが、「子供のいる人生とは違う人生を歩みたいとする理由を、「私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない」と語り、栃木の老舗旅館の一人娘として祖母に育てられた環境をあげている。彼女は女優になった理由を、「実家の旅館を継ぎたくなかったから」とし、彼女の特殊な家庭環境を以下示す。

    人の環境はその人独自のもの。その人以外には理解はできない。ただ、一つだけ言えるのは、彼女は、「親」になりたくないというほどにまで、トラウマを背負ったということになろう。そういえば、ピアニストの中村紘子も似たようなことをいっていた。人はそれぞれの環境の中で、それぞれの生き方を見つけて行く。「学ぶ」のなかには、「捨てる」もあるということか。


    嫌な体験を沢山もったことを生かすだけでなく、生かしたくないという事もありだ。嫌な親をもち、嫌な師をもったことで、将来、自分は絶対にそんな親にはならない、そんな師にはならないというポジティブな考え方、生き方もあろうが、生かさない生き方、関わらない生き方もある。これらは、その人個々の性格にい大きく関連し、左右されるものかも知れない。

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    前置きが長くなったが、日本は急速に高齢化社会になったことで、日本人全体の疾病構造も大きく変わった。高度な医療が進む一方で、それを上回る高齢化社会とならば、がん死は増えることになる。年間のがんによる死者数は三十万人を超え、これは3人に1人はがんで死んでいることになる。反面、早期の胃がんや大腸がんは切除すればほとんど治癒するようになる。

    小児がん、乳がん、大人の血液がん、肝臓がんなどは抗がん剤が効くケースもあり、その他の治療法で治癒する例や、完全治癒しないまでも、再発する度に治療を繰り返すことによって、長期生存するケースも多くなった。かつては予後数か月と言われた末期がん患者が、1年とか3年とか、生きることも珍しくなくなったばかりか末期がん患者の緩和ケア体制も整っている。

    全国にはホスピスが数百個所に増え、最期まで自宅で過ごせるよう緩和ケアできる医師と看護師が訪問する在宅ホスピスの取り組みも広がり、がん末期の痛みの治療法も大きく前進した。こうしたこともあって、がんの告知率も大きく様変わりし、胃がん、大腸がん、乳がんなどでは100%近い告知、肺がん、肝臓がん、腎臓がん、白血病などでも、告知はかなり高率である。

    告知がされにくいのは治療の困難で進行したすい臓がんなど一部とはいいつつ、それすら告知が増えている。将来的ながん治療においてはある日突然に、ノーベル賞級の大発見がなされるような気もするが、その時こそ人類ががんに勝利宣言をする日であろう。それがいつの日であるかの予測はできないが、いつの日か必ずや人類はがんに打ち勝つに決まっている。

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    人間とがんとの闘いによる、「生と死」の風景が、多くの研究者にとって、貴重な記録になっている。竹田圭吾は、「がんというのは、必ずしも、『襲われて』、『闘う』ものではないと思う」と述べ、「闘病しない」の意味について、そもそもがんを、「告白」したり、「闘病」したりというイメージに傾いて扱うのをやめたほうがいいのでは、と言いたかったわけで、とした。

    確かに、誰に、どのように、がんを告白してみても、結局は個人の孤独は動かない。がんに罹患する患者と、何もない健常者とが、共有できるものは、がんにおいてではなかろう。それ以外のもの、例えば世の中や社会の動向についての共有は可能だ。一本の映画さえ観合っていれば共有できるが、がんである事を不特定多数に告白するメリットも理由も特にはない。

    おそらく自分は竹田氏と同じ感性かなと。、そういうつもり(意味)では、告白しないかもしれないが、言うとすれば、事実は事実、隠しておくことでもない…という意味で口に出すかもしれない。有名人や名士や有能者が死んだときに、「惜しい人を亡くした」や、「あまりにも早すぎる死を悼む」などの文言を通例的にいうが、人はどうあれ自分は使いたいと思わない。

    天が人の上に、人の下に、人を作らないなら、どんな人が死んでも惜しい人であったはずだ。社交辞令というなら、なおさらのこという必要がない。「惜しいひと」がいる限り、さほど惜しくない人がいると言っているようなもの。誰の死も、誰かにとっては惜しい死なのである。竹田はむしろ、黙って逝った人である。かつらを自ら茶化す彼の茶目っ気がミスマッチすぎて素敵だった。

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    自分のがんを画像で見たとき (正確にいえば医師に見せられたとき)、自分のがんというのは実感のないもので、他人のものを見るような感覚で見入った。もっとも、自分の腹の中など見ることもないし、よくは分からないところであるから、実感がわかないのも仕方のないことかと…。心に傷を負った人が表面的にはなにごともないかのように見えると同じように。

    ♪ 身体の傷なら直せるけれど、心の痛手は癒せやしない…という歌詞がある。ふと気づいたことは、傷を治すではなく、傷を直すという文字の疑問。直すと治すにどういう違いがあるのか?「直す」はもとの良好な状態に戻すだから、壊れた機械を直す、文章を直す、など範囲が広いが、「治す」は病気を治すだけに使う。ならば、「傷を直す」は、「傷を治す」が正しいようだ。

    「車の傷を直す」ではなく、「身体の傷」なら、「治す」が正しい。が、詩的表現として含みをもたせるなら、傷の意味を切り傷や擦過傷とかでなく、壊れた身体という重い表現を指すなら、「直す」でいいかも知れない。治療ではなく修正としての、「直す」に味わいを感じる。と、自分の解釈である。がんは治療すべきだが、失われた日々や人生、直せるものなら直したい…


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