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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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  • 06/01/17--16:37: 豆腐88円の贅沢 ③

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    豆腐のルーツは中国といわれている。今から2千年以上も前の前漢の時代。初代皇帝劉邦の孫である劉安が家来に作らせたのが、豆腐の始まりとあるが、この説の根拠は16世紀明の時代、李時珍が編纂した『本草綱目』の中に「豆腐の法は漢の淮南王劉安に始まる」とあり、この記述が「豆腐淮南王説」を広く普及したものと考えられているが、他説もたくさん存在する。

    『本草綱目』は、今でいう百科事典のようなもので、当時の文化人の必読書であった。『本草綱目』以外にも、「淮南王説」が出てくるが、この説には疑問が残る。というのも、劉安の時代の中国には、まだ豆腐の原料となる大豆が存在しなかったからで、中国に大豆が入ってくるのは、この時代から半世紀もたってからだ。したがって、豆腐の明確なルーツは謎のまま。

    劉安は哲学書『淮南子』などの著作を残した著名な学者であったが、彼が書いた書物の中に豆腐の文字は一切出てこない。ところが百科事典ともいえる、『本草綱目』の影響からか、「淮南」や、「淮南佳品」という言葉は、中国では豆腐の別称として残っているようだ。現在、豆腐を食べる地域は、中国から朝鮮半島、日本、東南アジアにまで広がっている。

    日本と中国はともに、「豆腐」と書き、朝鮮半島では、「トブ」、ミャンマーでは、「トーフー」、ジャワ島でも、「トーフ」と、多少のなまりはあっても、ほぼ共通した呼び名が使われている。誰が考えたにせよ「豆腐は不思議な食べ物」といったが、豆腐ができた経緯を想像するに、この、「陸の肉」ともいわれる滋養に富む大豆をどのようにして食べるかであったろう。

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    その結果、豆乳という形態が一番消化がよいことを経験から知り、これに塩味を加えて調味し、豆腐の原形が生まれたのではと推測される。日本に豆腐づくりの技術が入ってきたのはいつ頃か?奈良時代に遣唐使が中国と日本を往来するようになり、日本に仏教が伝えられるが、それとともに寺院で使う食材の一つとして豆腐が持ち込まれたのでは?という説がある。

    が、文献に初めて豆腐という文字が現れるのは平安時代の後期である。奈良~平安から鎌倉時代に入り、中国から禅宗が伝えられる。禅宗では修行の一環として肉や魚を避け、植物性の食品だけで作った料理をとるようになる。いわゆる精進料理で、そのためはどうしても不足しがちなたんぱく質を補うために、大豆が重宝されるようになり、それが豆腐であった。

    江戸時代になると、それまでは主に僧侶や武士の食べ物であった豆腐は庶民の間にも広まる。江戸時代に作られた狂歌に、「ほととぎす 自由自在に聞く里は 海屋に三里 豆腐屋に二里」というのがあり、この歌からしても、豆腐屋がいろいろな場所に作られていたことが分かる。1782年(天明2年)、100種類の豆腐料理を紹介した『豆腐百珍』が出版されて話題となる。

    なんと翌年には続編が出版され、その後付録までが出版されています。合わせて3冊に紹介された料理の種類はなんと約240種類。それだけ、江戸時代に豆腐は幅広く使われた人気の食材であった。さて、豆腐嫌いの自分が唯一好んで食べるのが冷ややっこで、すき焼きやしゃぶしゃぶ用の木綿豆腐より絹豆腐を好む。木綿豆腐は歯が欠けるからではなうが、やはり硬い。

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    したがって中華料理の定番、「麻婆豆腐」は注文したことがない。確かに豆腐を使った中華で人気もあり、家庭でも手軽に作れるのが麻婆豆腐。これを日本でポピュラーにしたのは、「料理の鉄人」である陳建一の父・建民の功績といわれており、いわゆる四川料理である。「麻婆豆腐」の生みの親は、四川省の都・成都に住んでいたチャオチャオという女性であった。

    彼女は顔にあばたがあったが、とても魅力的な少女だった。17歳で結婚した彼女が移り住んだのが、成都の郊外にある三軒長屋で、住まいの両隣には、豆腐屋と羊肉屋があった。菜種工場で働く夫と彼女は仲睦まじく暮らしていたが、その夫が10年後に急死することとなり、若くして未亡人となったチャオチャオは、その後も独身を通し、つつましく暮らしていた。

    そんなのチャオチャオが生きるの糧となったのが、彼女が作る料理であった。両隣が豆腐屋と羊肉屋で、お客さんは油かつぎの人夫たちが多かった。これはもう、料理の材料にはこと欠かない。彼女の料理の評判は、成都では知らぬ者がないほど有名になっていった。このときの人気の豆腐料理が、「麻婆豆腐」であった。チャオチャオはこれを、「羊肉料理」と名付けた。

    ところがチャオチャオが亡くなった後、彼女の得意だった、「あばたのおばさんの豆腐料理」を誰ともなく、『麻婆豆腐』と呼ぶようになったという。『麻婆豆腐』寒い四川省にあっては身体を真から温めてくれるばかりか、栄養満点の申し分のない料理である。豆腐をビタミンEが豊富な油脂を使って料理をすると、大豆に含まれるゲステニンの抗酸化作用が高まる。

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    唐辛子や長ねぎ、しょうが、にんにくなどにも抗酸化作用をアップさせる働きがあることから、「麻婆豆腐」は、抗酸化作用が抜群にいいお料理といえる。人間が酸素を吸って生きる動物であることが、反面は酸素の害に晒されることで、抗酸化物質がにわかに言われるようになった近年である。酸化は金属を腐食させるように、人体の老化を促進させることにもなる。

    「麻婆豆腐」は四川省から中国のあらゆる地域に広まり、中国人になくてはならない国民食となる。話は変わるが、天津丼は中国には存在しない中華料理である。確かに天津なる地名は中国にあるが、天津丼を知る中国人はいない。ご飯に八宝菜のあんをかけた「中華丼」日本の中華料理店で考案された。あの「エビチリ」も陳建民考案の日本人向けの料理である。

    陳建民が日本で中華料理店を開く際に、「乾焼蝦仁(カンシャオシャーレン)」というエビを辛いスープで炒めた中華料理を、ケチャップで甘めにアレンジして作ったものだ。確かにアメリカで食べたケンタッキーFCやマグドナルドが、まるで日本と味が違うのに驚かされたように、食は国の文化である。スパゲティの定番であるナポリタンも本場にはない。

    あるイタリア人が、「パスタにケチャップってどういうこと?あり得ん!」と思うらしいが、ある日本人がイタリアのナポリでナポリタンパスタを食べさす実験をした動画がある。やや社交辞令入りのボーノ(美味しい)であるが、デパ地下の試食で、「マズ~い」といわないのと同じだろう。以前、歯科医院の衛生士がパーマをかけたニューヘアを「どう思います?」という。


    自分は、「何その髪、ぜったいに似合わない、おかしいよ」といったらしょげてしまった。デリカシーの無さはお世辞が言えないということだろうが、オカシイものはオカシイのだ。数日後、彼女はこういった。「娘に、『そのお客さんは絶対に正直な人だと思う』といわれました」といったが、オカシイものでもカワイイといわれたいのが女であるのは知っている。

    口説く意図があるなら速攻で、「いいね、かわいいよ」といったかも知れない自分って、現金な男だぜ。昔、デブ女がケツの割れ目が半分どころか、3分の2以上もでているパンティを履いていたのに驚いて、「それってパンツの役目を果たしてなくない?」といったことがある。事実だからそのまま言ったし、悪気はないのだが、おそらくとんでもない悪者になったようだ。

    少なくとも自分はイヤミでもなく、もう少し大きいのがいいのではと思っただけでグンゼのズロースを奨励したのではないが、彼女は自分に二度とパンツを見せる気を失せたようだ。ま、当然といえば当然で、以後は相手がイイと思うものに、こちらの主観を言わないよう心得た。チャラい男になる気はなく、なれない自信はあるが、女の前で男は誠実より寡黙がいい。

    寡黙であるのと聞いてないは別である。聞いてはいるが意見は言わないのは、率直な人間のたしなみの一つであろう。率直も度を越せば「愚直」となる。嘘も方便や世辞の類は身につけなければならぬものと、ある時期に感じた。他人の妻の不平の一つに、「夫は私の言ってることをぜんぜん聞いてない」がある。いわゆる、「馬耳東風」の夫であるが、気持ちはわかる。

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    ようするに、減らず口女房なのだろう。一般的に男は、うるさい女に口をつむぐ。何かをいっても、相手の思いに合致していなければ攻撃されたり反感持たれたりで、「馬耳東風」は防御の心得であろう。東風とは「春風」のことをいう。諸葛孔明の有名な東風が吹くのを待って、火計を用いたという場面がある。孔明は東風を吹かせるために壇(拝風台)を築き、祈祷をした。

    いかにも出来た話だが、孔明の呪術的・道教的な風景を挿入せんがための作り話であろう。宮城谷昌光の、『三国志』にもそう書かれている。「人は春風(東風)が吹けば春の息吹を喜ぶが、馬は耳を撫でる東風に何も感じない」という意味である。夫の、「馬耳東風」は、聞いていないではなく、返答を憂慮して聞いてないふりをしている。と、豆腐の話が東風にて落着。


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  • 06/02/17--16:37: 豆腐88円の贅沢 ④
  • 豆腐について記事を書くとは正直思ってはなかった。豆腐は嫌いな食材であったが、何が好きとか嫌いとか、そうした個人的なことは自分で分かっており、何の問題提起の必要もないこともある。「あまり日常的な周辺のこととか書かないんですね」といわれたことがある。いわれて気づいたくらいで、意識はなかったがそういう事に目がいかないからだろう。

    日常生活や周辺の身近なことに目がいけば書いてると思うが、いわゆる個人の日記みたいなものにワイワイつるむのは男の分際ではないのかも知れない。「井戸端会議」という言葉は男にはないということだ。自分と自分の周辺の人間関係に興味を持つ女性と違い、他のブログを見ても男は巨視的である。巨視とはマクロともいい、事物を全体的に観察するさま。


     または、人間の感覚で直接に識別しう 程度の大きさを対象とするさま。の意味もある。小さい細々したことより、大きな観点で事物を考えたい、扱いたい、というのが男的であって、「大物になりたい」という言葉も男に向けた言葉である。「大物」とは、器量の大きいすぐれた人物。を指した言葉で、かつて野坂昭如のCMで、「俺もお前も大物だ!」というのがあった。

    「大物」は、とかく男の憧れの言葉である。釣り人が、「今日は大物を逃したよ」なども耳にする。抽象的な言葉だが、大物の反義語は「小物」である。「小者」ともいうが、「者」も「物」の類との意味で「小物」で人間を現す。したがって小物とは、人間としての度量や魅力に欠けた人物のこと。くだらない人間。という意味で言われ、使われる言葉である。

    なぜか、男は「大きい」ということに拘りがある。男に向けて「大きい」というのは誉め言葉である。ナニが大きいだけでなく、大きい人、太っ腹(太鼓腹ではない)な人、声の大きい人など用いられる。「大きいことはいいことだ!」と、これも森永YELLチョコレートのCMであった。「大きい」は、男の感性を揺さぶるのは間違いなかろうと、自分は見解する。

    「小物」は屈辱的な言葉である。「奴は小物だ」、「小物は黙ってろい!」といったりする。あるテレビの生番組で橋下から、「小銭を稼ぎのコメンテーター」と揶揄されて激怒した水道橋博士が、「今日限りでこの番組を降ろさせてもらう」の言葉をのこして退出した。怒るのは本心を突かれたからで、惨めな醜態晒して後で言い訳に終始するのを見ても小物である。

    言い返すこともせずブチ切れて逃げる水道橋をつまらん男とするのは男の見方であろう。大体番組の終了間際になって、「橋下さん、冒頭で小金稼ぎのコメンテーターと言われたんで、ぼく今日で番組降ろさせていただきます」とぶ然とした表情で席から立ち、「(小金稼ぎとは)違います。それでは3年間、ありがとうございました」と右手を挙げて去るって無様すぎる。

    水道橋個人ではなく、「男なら遣り合えよ。小銭稼ぎでない信念があるなら怒れよ、つまらん男だな」と番組を観ていた自分は感じたが、あれが水道橋の資質なら仕方がない。後になって橋下を、「自分だって(以前は)そうじゃないか?」は情けな過ぎる。町山智浩は、「大人げないといわれても、人間はバカをやってないとバカになる」という言い方をしている。

    確かにそれは言えてる。バカをやるのは理性であるからして、自身を客観的に眺めて笑っていれるが、バカになれないバカは硬直した人で気の毒に感じられる。町山の言うは、あくまで意識的にバカをやる自分を言っており、水道橋のようにマジギレはその限りにあらず。男は相手も容赦ない男であるから日々戦場という場面はあり、それを搔い潜る技術も必要だ。

    大体、男は鎧・兜を纏っている分、小心的なところがあり、それらをさらに理論武装で対抗せねばならない。弱点は誰にでもあるということだが、その辺は女性の方が肝が据わっている。淫売女に、「あんた、何でこんな仕事をしてるんだ?」などといってみても、「余計なお世話でしょ。こっちは身体張ってんだから、チンカス男ごときに言われることじゃないよ!」。

    などといわれ、「スミマセンでした」は笑える。女を買う男が「何でこんなことを?」というのがバカ過ぎる。なぜなら、「商売女を買う脳ミソしかないんでしょ、あんた?」と思っているからである。それを事前に言わない女は商売人として賢く、いくら客とはいえども、同じ穴のムジナでありながら、そういう事をいう男は恥知らずと言っておこう。

    という話はこれくらいにして、男を大きくするのは学問ではない。どういう男の子になって欲しいという願いや希望も親によって様々だが、自分の場合、息子には大きい男になって欲しいと願っていた。願うだけではなく、あれこれ触発したが、最も重視したのが、何でもやらせて失敗を咎めないということだった。「やることの意義」を口酸っぱく言い連ねた。

    失敗をあげつらえば委縮するだろう、それが子どもだ。主体的に何でもやってみようという心を育むために、親の不安や心配はむしろ害になる。大きな人間という要素には、「心の大きさ」がある。まずはそれなくして、すべてのものはないと考えた。とりあえず、「器の大きさ」とは、「心の大きさ、広さ」を言う。それは単に「優しい」だけとは異なる。

    卑屈な物言いを戒める、人によって態度を変える姑息な人間を批判する、知らないことを知ったかぶりしない、人を責めずに自分に原因を探る、思考の上での反論はいいが、反射的な言い訳はダメ、努力や頑張りを誇示しないなどを箇条書きにして壁に貼っていた。その都度口に出していうより、家訓のように目に見えるところに張り出すのはよいだろう。

    「大物になる人」に共通する10の特徴というのがネットにあった。アメリカの「LIFE」誌から抜粋されたもので、だからといってアメリカ人御用達というわけではない。「LIFE」誌は、1936年に発刊されたが2007年、その功績を終えて4月20号を最後に休刊となる。ロバート・キャパ、土門拳ら、有名なカメラマンも同誌で活躍した。以下が大きな人間の10箇条。

     1.物怖じしない性格で堂々としている
     2.責任感が強く最後までやり遂げられる
     3.優れた洞察力を持ち合わせている
     4.五感や鋭い直観を生かしてチャレンジしている
     5.ひとつの考えに固執せず機転を利かすことができる
     6.あらゆる人に対して細やかな配慮ができる
     7.自分の時間だけでなく人の時間も大切にする
     8.人望があつく、広い交友関係を持っている
     9.人からいただいた恩義は一生忘れない
     10.迅速な判断力と決断力を持っている

    個人のことは様々に思考し、羅列できるが、会社という組織にもさまざまな社是や社訓がある。それが良い会社にするということだが、「社訓」が「社則」といわんばかりの道徳的・具体的な細かい羅列を見ることもあるが、以下の社訓はどうだろうか。「本物の男前は あなたを裏切ったりしない」。何とも奇天烈で率直であるが、これが、「男前豆腐店」の社訓である。

    「男前」でなく、「本物の男前」としたのは後述する意味がある。男前豆腐店の伊藤信吾社長の家業が豆腐屋だった。彼は家業に興味がなく、大学を出てシンガポールでフカヒレを売る会社で働いたり、築地でバイトしたこともあり、魚屋をやろうと思っていたとき、父とイロイロ話すうちに、父の豆腐製造会社、「三和豆友食品」に営業として入ることになった。

    豆腐業界で、自身の世界観を作ろうと思った伊藤だが、右も左も分からず、あげく居並ぶ諸先輩の中にあって最初は大人しくしていた。ところが会社の業績も厳しくなり、商品開発担当の上司が辞めたりもあって、営業経験から今までと同じような商品ではダメと痛感していた伊藤は、営業部でありながらが商品開発を始めた。そうして生まれたのが「男前豆腐」である。

    「男前」の意味は単なる語呂合わせだった。ようするに、容器を二重底にしたことで、出荷から数日後に豆腐から水分が切れて固くなることから、「水もしたたるいい豆腐(男)」という連想で名付けたが、ネーミングだけでなく、豆腐の製法も大豆の皮をむくという業界の常識外の製法を採ることで、豆腐は大豆の甘みが強まり、なめらかな味に仕上がった自信作となる。

    開発当時は、「汗臭そう」、「名前を変えた方がいい」なども苦言が相次いだが、「豆腐屋さんとは思えないファンキーなホームページが話題になったり、それが個人ブログで商品をネタにされたり、ネット上のクチコミの力が大きく、ヒットに至ったと」彼はいうが、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」という豆腐らしからぬ名前にパッケージの効果は特筆である。

    「商品はスーパーの店頭で売ることにしているので、豆腐売り場で他の商品と一緒に並んで目立つにはどうすればいいか。存在感のあるデザインにし、ブログで話題になることを狙った。お父さんが間違えずに買えるよう、豆腐のネーミングは斬新にし、分かりやすくした」と伊藤はいうが、お父さんが間違えずに買うという細かい発想もなかなかである。

    つまり、常時スーパーに買い物に行かないお父さんに対する配慮といっていい。「こうみえて、僕は結構気を遣うタイプなんです」という伊藤は、上に記した、「6.あらゆる人に対して細やかな配慮ができる」の持ち主であり、それ以外にも他の項目にも合致する大物の素質を兼ね備えた大物である。現在は実家の三和豆友食品(三和豆水庵)とは、いろいろあって絶縁状態。

    であるが、伊藤の元の会社で父が創業した会社だが、うちが本家とばかりに、「男前豆腐」という商標で販売している。伊藤の実父は退任後、三和豆友食品と男前豆腐店の関係が解消し、男前豆腐店側が三和豆友食品製造のジョニーとの混同を防ぐために、2006年9月初旬から男前豆腐店側は、「京都ジョニー」の商標に変更した。三和豆水庵は以下の見解をだしている。

    ◎ 三和豆友食品株式会社と男前豆腐店株式会社は、同じ男前豆腐を製造・販売して いるが、現在は別会社であり、いかなる資本関係、製造委託、交流もない。

    ◎ 二社が同じ男前豆腐を販売しているが、これは、男前豆腐店株式会社・代表の伊藤信吾氏が三和豆友食品株式会社在籍中に、「男前豆腐というネーミング」を行った事、「関西圏での販売等を目的として、男前豆腐店株式会社(当時は有限会社)を設立」した事、その他の経緯を経て、現状に至っている。

    ◎ 男前豆腐の味を最初に生み出したのは、三和豆友食品株式会社である。

    伊藤が独立開業して男前豆腐店を立ち上げたことを快く思っていないようで、文面から対立が汲み取れる。そんなのは消費者には問題ではない。ぎくしゃくした裏話はあろうと、売れた側が勝利するのが商いの世界。「男前豆腐店」の、「男前豆腐」の方が自然だが、三和豆水庵の「男前豆腐」はスーパーで目にしたことがないが、あれば味比べをしてみたい。


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  • 06/04/17--16:44: 「人生いろいろ」


  • 島倉千代子の、「人生いろいろ」という歌が流行ったのは30年前でだった。1987年4月21日にシングルリリースされた。お千代さんは4年前に亡くなったが、当時彼女がテレビにでると必ずこの歌を歌っていた。この曲は演歌というより8ビートのアップテンポが演歌嫌いな若い世代にも違和感もなく、ノリの良さも相俟って大ヒットし、お千代さんのの代表曲となっている。

    本曲が話題になり始めたのは1987年10月13日の、「第20回日本作詩大賞」の受賞がきっかけである。同年には、「第29回日本レコード大賞」で作詞賞を受賞し、さらにはフジテレビ『オレたちひょうきん族』の、「ひょうきんベストテン」コーナーで、山田邦子が島倉のものまねで本曲を披露したことで、徐々にオリコンチャートや有線放送チャートを上昇し始めた。

    楽曲の大ヒットというのはは、こういった複合的な要因があるのだろう。作曲のハマクラ(浜口庫之助)のビートもいいが、中山大三郎の詞が印象的である。レコ大作詞賞をとるくらいである。「100万枚記念パーティー」会場には、山田邦子とコロッケが本曲ヒットの功労者(?)として招待され、山田は島倉本人の目の前で物真似による、『人生いろいろ』を熱唱した。

    場を和ませる山田の芸に対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのお陰で、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と2人を賞賛するも、コロッケに対しては、「コロッケさんは酷いと思う時もありますが…」と、冗談交じりに述べていたが、実はその裏ではコロッケ本人に対し、「もっとふざけてやっていいのよ」などと話していたという。

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    作詞の中山は長らくテレビのコメンテーターとして茶の間に登場していたので顔なじみであろうが、ハマクラはあまりテレビに顔を出さなかった。『人生いろいろ』のタイトルを引用したのが、後の小泉純一郎であった。2004年(平成16年)、当時内閣総理大臣の小泉純一郎が衆議院決算行政監視委員会で、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と答弁した。

    まさに変人総理の異名を持つ彼らしい。政治家御用達と言わんばかりの、取って付けた難しい言葉で国民を煙にまくことをせず、国民目線のやさしく、時には冗談ともとれる言い回しで野党党首を翻弄させる小泉は、国民に多大な人気があった。党首討論における当時の岡田民主党党首に対しては掛け合い漫才が如くはぐらかし、岡田のうんざりした顔が印象的だった。

    総理でありながら、人を食ったような真摯な政治家らしからぬ発言には批判も多かった。靖国神社参拝を「心の問題だ」などと本質からズラした発言に怒る国民の以下の投書が新聞に掲載された。「小泉首相は靖国参拝について、『心の問題に他人が干渉すべきでない』と、中・韓両国政府の反発に不快感を示したといいます。私はこの発言に唖然としました。

    東京都は、卒業式の君が代斉唱に起立しなかった教師を処分しました。首相は、『心の問題を強制してはいけない』と、石原都知事を諫めたことが一度でもあったでしょうか。また首相は、有事のときに国民に協力義務を課す、『国民保護法』を作りました。戦争に協力したくない良心から、私有地の提供や食品の保管命令を拒否という人たちを罰する法律です。

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    首相の発言は、あまりに自己中心的です。仮に『心の問題』発言が正しいとするならば、いま、『内心の自由』をないがしろにされている多くの人々がいることに気付くべきです」。投稿者はあまりの正論、あまりに核心的である。「心の問題に干渉するな」と言うなら、東京都の先生たちの心も救済すべきである。後に小泉は化けの皮が剥がれ、ペテン総理となっている。

    「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」というのはその通りである。一切をまとめて、「人間もいろいろ」ということになる。人間は始まった時からいろいろであったろう。野坂昭如がCMで、ギョ・ギョ・ギョエテかシルレルか、と歌ったのはゲーテとシラーのことだが、ゲ・ゲ、ゲーテとしなかったのは、「ゲゲゲの鬼太郎」調になるのを避けたからか?

    シラーをシルレルと読むのは太宰治の、『走れメロス』にも出てくるシラーのドイツ読みで、そのシラーは、「人間を偉大にしたり、卑小にしたりするのは、その人の志である」と述べている。勉強ばかりで遊ばない子どもは間違いなく鈍くなる。年がら年中仕事ばかりしている大人も、持っている才能を十分に発揮できなくなる。いかに気分転換が大事であるか。

    熱中するのは悪いことではないが、自制という意味で自分も週に一度はブログから離れるよう心掛けている。「鈍い」、「鈍くなる」というのは、応用や創造などの能力が失われることで、仕事や環境に追い回されていては、仕事も環境も自分の考え通りに使いこなせる人間にはなれないのでは?以前、「ブログで小銭を稼いでいるんでしょう?」とコメントがあった。

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    熱心にやるから金儲け半分と思ったのだろうが、仕事でないからやれるという発想がない。スキで自由にやることを仕事にした途端、景色が変わって負担になったりする。自分は自分を良く知っているからわかるが、遊びに金銭がからまるとつまらなくなる。趣味で歌が好きでも業にすれば嫌なこともでて来ようし、仕事にすれば純粋な気持ちではなくなってしまう。

    趣味における楽しさ、自由さは、小銭を得ることなど比べ物にならないだろう。他人はどうであっても自分はそうである。仕事は強制が入るからやれる部分もあるが、遊びは食う糧ではないゆえに自由である。「志」とは聞こえがいいが、勤勉・熱心のことだけではなく、自由奔放も志である。自分は野坂昭如という人間が好きだった。彼らは焼け跡世代と呼ばれた。

    小田実、大島渚、石原慎太郎ら同世代はみな饒舌だが、野坂は朴訥ゆえに言葉に重みがあった。田原総一郎は長い野坂との付き合いから以下の様に評している。「野坂さんは、自分が完全に時代の落ちこぼれになること、つまり劣等性になることで、その変わりに何でも言うぞ、何でもやるぞ、という人だった。それが彼の魅力だった」と、上手い表現をしている。

    変にインテリぶらない、かしこまらない、自分に何がしか垣根を作らない、保身に回らない、そういった境界線のなさが野坂に自由なスタンスを与えた。物怖じすることのない怖れ知らずの野坂は真の自由人であった。大親友である大島渚のパーティーでは彼の顎を力任せに殴った。あれは本気のアッパーカットであり、これ見よがしのパフォーマンスではなかった。


    やられた大島も本気で殴り返す。大島の怒りの程は手にしたブロンズ像で、野坂の脳天を殴り返すのだ。まさに生気を失った子どもの喧嘩であるが、ゆえに彼らは純粋である。「あきらめ根性」、「みてくれ根性」に支配されない、純粋なバカをやれる飾り気の無さが彼らの特質である。その場、その場の思いや情念を素直に表出できる、それが真の友人(友情)であろう。

    友人にはこれを言ってはいけない、こういうことをしてはならない、そういうものが二者間をぎくしゃくさせる。こんにちの友人関係や友情が如何に欺瞞に満ちたものであるか、裸でぶつかりあっていないからである。適度に距離を置いた折り目正しい関係は、実は嘘だらけであろう。何故にこうなったか…?人間の脆弱さではないか?傷つきやすい自己を隠し持っている。

    焼け跡世代は、何もないところから自分を含めた一切をマニュアルなしに作っていった世代である。焼け跡世代の強さ、逞しさを望むなら、もう一度戦争を始めて国を焦土化すべきである。坂口安吾は「戦争論」で、「戦争は人類に多くの利益をもたらせてくれた」と述べた。石原慎太郎も都知事時代、「東日本大震災」に天罰発言をしたことで顰蹙を買った。

    石原はあの時、安吾の「戦争論」を引用しているなと感じた。平和に惰眠を貪り、我欲に邁進する民を諫めたつもりだろうが、言葉の表層のみとらえられた。被害にあった少女が、「これまでどれだけ幸せであったのか…、よくわかりました」と述べているのを聞き、我々は返す言葉につまされた。子どもだから言えた言葉であるが、石原より説得力に満ちていた。

    あの時、自分には次の言葉が去来した。「私たちは好敵手からいたわってもらいたいとは思わない。そして私たちが心底愛している人たちからも、いたわってもらいたくはない」。この言葉には人間の強さがある。大切なことは慰めや同情ではなく、人間の奥底から湧き上がる意志である。我々が同胞に何ができるか?それを「善」なら、「善」は「善意志」から生まれる。

    「善」とはそういうものだ。人から悲愴な内輪話を聞かされることがある。聞けば聞いたで気になり心配になる。だからといって、言葉をかける以外に何もできない己の無力さを知るにつけ、言葉をかける事すら躊躇われる。「どうなりましたか?」と聞かずとも、どうにかなっているであろう。それを知ろうとする自己満足は、何ができるかには到底及ばない。

    相手の不幸に自己満足でいていいのか?自身のことならいざ知らず、他人の不幸に立ち入ろうとする自己満足は、優しさの押し売りの臭いがする。我々はときどき、親切の押し売りをするが、こういうときにこそ「善」の意味を思考すべきだろう。「善」とは、「純」であらねばならない。そして、我々が本当に知るべきことは、人が人にかかわる限界である。


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  • 06/04/17--16:45: 「人生いろいろ」
  • 島倉千代子の「人生いろいろ」という歌が流行ったのは30年前でだった。1987年4月21日にシングルリリースされた。お千代さんは4年前に亡くなったが、当時彼女がテレビにでると必ずこの歌を歌っていた。この曲は演歌というより8ビートのアップテンポが演歌嫌いな若い世代にも違和感もなく、ノリの良さも相俟って大ヒットし、お千代さんのの代表曲となっている。

    本曲が話題になり始めたのは1987年10月13日の、「第20回日本作詩大賞」の受賞がきっかけである。同年には、「第29回日本レコード大賞」で作詞賞を受賞し、さらにはフジテレビ『オレたちひょうきん族』の、「ひょうきんベストテン」コーナーで、山田邦子が島倉のものまねで本曲を披露したことで、徐々にオリコンチャートや有線放送チャートを上昇し始めた。

    楽曲の大ヒットというのはは、こういった複合的な要因があるのだろう。作曲のハマクラ(浜口庫之助)のビートもいいが、中山大三郎の詞が印象的である。レコ大作詞賞をとるくらいである。「100万枚記念パーティー」会場には、山田邦子とコロッケが本曲ヒットの功労者(?)として招待され、山田は島倉本人の目の前で物真似による、『人生いろいろ』を熱唱した。

    これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのお陰で、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と2人を賞賛する(ただしコロッケに対して、「コロッケさんは酷いと思う時もありますが…」と、冗談交じりに述べていたが、その裏ではコロッケ本人に対し、「もっとふざけてやっていいのよ」などと話していたという。

    作詞の中山は長らくテレビのコメンテーターとして茶の間に登場していたので顔なじみであろうが、ハマクラはあまりテレビに顔を出さなかった。『人生いろいろ』のタイトルを引用したのが、後の小泉純一郎であった。2004年(平成16年)、当時内閣総理大臣の小泉純一郎が衆議院決算行政監視委員会で、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と答弁した。

    まさに変人総理の異名を持つ彼らしい。政治家御用達と言わんばかりの、取って付けた難しい言葉で国民を煙にまくことをせず、国民目線のやさしく、時には冗談ともとれる言い回しで野党党首を翻弄させる小泉は、国民に多大な人気があった。党首討論における当時の岡田民主党党首に対しては掛け合い漫才が如くはぐらかし、岡田のうんざりした顔が印象的だった。

    総理でありながら、人を食ったような真摯な政治家らしからぬ発言には批判も多かった。靖国神社参拝を「心の問題だ」などと本質からズラした発言に怒る国民の以下の投書が新聞に掲載された。「小泉首相は靖国参拝について、『心の問題に他人が干渉すべきでない』と、中・韓両国政府の反発に不快感を示したといいます。私はこの発言に唖然としました。

    東京都は、卒業式の君が代斉唱に起立しなかった教師を処分しました。首相は、『心の問題を強制してはいけない』と、石原都知事を諫めたことが一度でもあったでしょうか。また首相は、有事のときに国民に協力義務を課す、『国民保護法』を作りました。戦争に協力したくない良心から、私有地の提供や食品の保管命令を拒否という人たちを罰する法律です。

    首相の発言は、あまりに自己中心的です。仮に『心の問題』発言が正しいとするならば、いま、『内心の自由』をないがしろにされている多くの人々がいることに気付くべきです」。投稿者はあまりの正論、あまりに核心的である。「心の問題に干渉するな」と言うなら、東京都の先生たちの心も救済すべきである。後に小泉は化けの皮が剥がれ、ペテン総理となっている。

    「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」というのはその通りである。一切をまとめて、「人間もいろいろ」ということになる。人間は始まった時からいろいろであったろう。野坂昭如がCMで、ギョ・ギョ・ギョエテかシルレルか、と歌ったのはゲーテとシラーのことだが、ゲ・ゲ、ゲーテとしなかったのは、「ゲゲゲの鬼太郎」調になるのを避けたからか?

    シラーをシルレルと読むのは太宰治の、『走れメロス』にも出てくるシラーのドイツ読みで、そのシラーは、「人間を偉大にしたり、卑小にしたりするのは、その人の志である」と述べている。勉強ばかりで遊ばない子どもは間違いなく鈍くなる。年がら年中仕事ばかりしている大人も、持っている才能を十分に発揮できなくなる。いかに気分転換が大事であるか。

    熱中するのは悪いことではないが、自制という意味で自分も週に一度はブログから離れるよう心掛けている。「鈍い」、「鈍くなる」というのは、応用や創造などの能力が失われることで、仕事や環境に追い回されていては、仕事も環境も自分の考え通りに使いこなせる人間にはなれないのでは?以前、「ブログで小銭を稼いでいるんでしょう?」とコメントがあった。

    熱心にやるから金儲け半分と思ったのだろうが、仕事でないからやれるという発想がない。スキで自由にやることを仕事にした途端、景色が変わって負担になったりする。自分は自分を良く知っているからわかるが、遊びに金銭がからまるとつまらなくなる。趣味で歌が好きでも業にすれば嫌なこともでて来ようし、仕事にすれば純粋な気持ちではなくなってしまう。

    趣味における楽しさ、自由さは、小銭を得ることなど比べ物にならないだろう。他人はどうであっても自分はそうである。仕事は強制が入るからやれる部分もあるが、遊びは食う糧ではないゆえに自由である。「志」とは聞こえがいいが、勤勉・熱心のことだけではなく、自由奔放も志である。自分は野坂昭如という人間が好きだった。彼らは焼け跡世代と呼ばれた。

    小田実、大島渚、石原慎太郎ら同世代はみな饒舌だが、野坂は朴訥ゆえに言葉に重みがあった。田原総一郎は長い野坂との付き合いから以下の様に評している。「野坂さんは、自分が完全に時代の落ちこぼれになること、つまり劣等性になることで、その変わりに何でも言うぞ、何でもやるぞ、という人だった。それが彼の魅力だった」と、上手い表現をしている。

    変にインテリぶらない、かしこまらない、自分に何がしか垣根を作らない、保身に回らない、そういった境界線のなさが野坂に自由なスタンスを与えた。物怖じすることのない怖れ知らずの野坂は真の自由人であった。大親友である大島渚のパーティーでは彼の顎を力任せに殴った。あれは本気のアッパーカットであり、これ見よがしのパフォーマンスではなかった。

    やられた大島も本気で殴り返す。大島の怒りの程は手にしたブロンズ像で、野坂の脳天を殴り返すのだ。まさに生気を失った子どもの喧嘩であるが、ゆえに彼らは純粋である。「あきらめ根性」、「みてくれ根性」に支配されない、純粋なバカをやれる飾り気の無さが彼らの特質である。その場、その場の思いや情念を素直に表出できる、それが真の友人(友情)であろう。

    友人にはこれを言ってはいけない、こういうことをしてはならない、そういうものが二者間をぎくしゃくさせる。こんにちの友人関係や友情が如何に欺瞞に満ちたものであるか、裸でぶつかりあっていないからである。適度に距離を置いた折り目正しい関係は、実は嘘だらけであろう。何故にこうなったか…?人間の脆弱さではないか?傷つきやすい自己を隠し持っている。

    焼け跡世代は、何もないところから自分を含めた一切をマニュアルなしに作っていった世代である。焼け跡世代の強さ、逞しさを望むなら、もう一度戦争を始めて国を焦土化すべきである。坂口安吾は「戦争論」で、「戦争は人類に多くの利益をもたらせてくれた」と述べた。石原慎太郎も都知事時代、「東日本大震災」に天罰発言をしたことで顰蹙を買った。

    石原はあの時、安吾の「戦争論」を引用しているなと感じた。平和に惰眠を貪り、我欲に邁進する民を諫めたつもりだろうが、言葉の表層のみとらえられた。被害にあった少女が、「これまでどれだけ幸せであったのか…、よくわかりました」と述べているのを聞き、我々は返す言葉につまされた。子どもだから言えた言葉であるが、石原より説得力に満ちていた。

    あの時、自分には次の言葉が去来した。「私たちは好敵手からいたわってもらいたいとは思わない。そして私たちが心底愛している人たちからも、いたわってもらいたくはない」。この言葉には人間の強さがある。大切なことは慰めや同情ではなく、人間の奥底から湧き上がる意志である。我々が同胞に何ができるか?それを「善」なら、「善」は「善意志」から生まれる。

    「善」とはそういうものだ。人から悲愴な内輪話を聞かされることがある。聞けば聞いたで気になり心配になる。だからといって、言葉をかける以外に何もできない己の無力さを知るにつけ、言葉をかける事すら躊躇われる。「どうなりましたか?」と聞かずとも、どうにかなっているであろう。それを知ろうとする自己満足は、何ができるかには到底及ばない。

    相手の不幸に自己満足でいていいのか?自身のことならいざ知らず、他人の不幸に立ち入ろうとする自己満足は、優しさの押し売りの臭いがする。我々はときどき、親切の押し売りをするが、こういうときにこそ「善」の意味を思考すべきだろう。「善」とは、「純」であらねばならない。そして、我々が本当に知るべきことは、人が人にかかわる限界である。


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    映画『卒業』のインパクトは半端なかった。余韻とでもいうのか、アレコレ思考が脳を巡るゆえに名作であろう。アメリカン・ニューシネマのいいところは、アンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドというリアルさにあった。『卒業』しかり、『明日に向かって撃て!』しかり…。キャサリン・ロスは、上記二作品に出演していた。彼女の地味で自然な演技に好感を抱く。

    有名な『卒業』のラスト。教会でなりふり構わず、「ベ~ン!」と絶叫するエレンの情念に、身も心も持っていかれる。何度観てもこの場面で目を潤ませる人は、かつての情熱の記憶を心にしまっている人だ。世界中の若者があの場面に、恋愛の壮絶なパワーを見せつけられたことか。「情熱と現実の生命力こそ若さの象徴」と安吾は言ったが、情熱どころか狂気の二人である。


    有名なスタンダールの『恋愛論』はさておき、「恋愛論」と称する書籍はさまざまある。観念的な書もあれば、指導的な手引書や実体験記述などイロイロだ。タイトルは目に入るも、自分は安吾の、「恋愛論」以外は読んでない。安吾の、「恋愛論」は全集に入っていたことで目にしたものだ。彼の辛辣さ、率直さは、「青春論」、「堕落論」、「悪妻論」、「戦争論」など衝撃を受けた。

    が、「恋愛論」においては、そのタイトルと中身が一致せず(読解力がなかった)、ガッカリ感を抱いた若き日の記憶がある。「恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。」で始まる彼の、「恋愛論」の要旨は、以下の点に集約されている。「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず滅び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。

    若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている。恋は幻だということを。年齢には年齢の花や果実があるのだから、恋は幻にすぎないという事実については、若い人は、ただ、承った、聞き置く、という程度でよろしいのだと私は思う。本当の事というものは、本当すぎるから、私は嫌いだ。」

    今読めば面白い表現だが、10代の自分にはつまらなかった。年齢には年齢相応の実があり、花もあるがゆえにつまらなかった。安吾は、「恋愛論」の最後をこう絞めくくる。「ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない」。当時は分らなかった中身が今は分り過ぎる。

    イメージ 1「孤独は人のふるさと…」とはよい表現だが、孤独は男に似合っている。女は賑やかに振る舞うのがお似合いだ。「孤高の男」という表現は、孤高の阿羅漢と重なる。つまり、俗世間から離れて(あるいは精神的に離れて)、ひとり自分の志を守る。また自分を高めることに専念する人でもある。最近は語尾に、「力」をつけるのが流行りのようだが、「孤独力」というのはない。

    ないけれども孤独のバロメータはいろいろだ。特別、「孤高」でなくとも、「孤独」を愛する男は無造作、無頓着につるむ男に比べ、群れないオオカミのカッコよさがある。つるむという淋しさが男の品位を下げる。そういう男に逞しさは感じられないが、孤独を愛する男は必然的に逞しさが滲んでいる。だから男としてカッコいいのだ。孤独についてはいろいろ書いた。

    安吾は何事も肯定的である。物事を理路整然と肯定する説得力がある。堕落を肯定、悪妻を肯定、戦争すらも肯定し、悲恋すらも肯定する。例えば、「私は繰り返して言う。戦争の果たした効能は偉大であった。そして、戦争が未来に於いて果たすであろう効能も、偉大である」。平和学習を強いられた我々戦後世代にとって、度肝を抜かれる戦争肯定論である。

    彼の肯定論に難儀をしたが、今はよく分かる。安吾はまた、両親と子どもによる家制度の合理性を欺瞞と批判する。近年に至ってはそうした著書が出回るが、安吾は80年も前にこう述べる。「家制度はこんにちの社会秩序を保たしめているが、又、そのために、こんにちの社会の秩序には多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上を阻むものがあるのではないか。

    私はそれを疑るのだ。家は人間を歪めていると私は思う。誰の子でもない、人間の子ども。その正しさ、広さ、温かさは、家の子どもにはないものである。人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、我が物とすると私は信じている」。安吾は、非民主的な家制度によって子どもの個性が損なわれると批判する。

    戦争についても、「雨降って地固まる」という論理に貫かれている。家制度の崩壊が新たな秩序を生むように、戦争は世界単一国家の「魁」になると述べている。安吾はグローバリズムの信奉者として戦争賛美を行っている。こうした一見反動的ともいえる道理を生み出す安吾の性格は、どういう環境から養われたかに興味を抱かずにはおれず、安吾について文献を漁った。

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    安吾は小学校入学時から手のつけられない腕白坊主で、学校から帰ると家に鞄を投げ入れて夜まで帰らなかった。母は家にカンヌキをかけ、「大阪の商人に養子に出す」と威し、毎日叱責したという。ここまでは自分と同じ環境だ。「私は極度に母を憎んでいた。母の愛す他の兄妹を憎み、なぜ私のみ憎まれるのか、私は8歳の時、出刃包丁で兄を追い回したこともあった」。

    母を極度に憎んだのも自分と同じである。自分の母は事あるごとに、「寺に預ける」だった。情緒短絡的な母親は威したり、スカしたりで子どもを手名づけ、そういう子を、「いい子」と錯覚するなど、バカもいいとこである。男の子にそんな威しは無意味で、逆に心が離反するばかり。安吾には沢山の兄妹がいたようだが、自分は一人っ子ゆえに、兄妹と比べられた経験はない。

    その代わりというか、近所の大人しくて従順な子どもと比較される。女の性分というのか、すぐに他人と比較したがる。それによって相対的な価値を見出そうとするが、男の生き様は絶対的価値観であろう。他人がどうあれ自分は自分というのが、ぶれない男の信条である。あるピアノ教師が、「女の子は他の子の進度が気になるけど、男の子はそんなの気にしない」という。

    「そんなのカンケーねぇ!」が実体的な男の世界観である。小学時代は腕白だが利発で成績も良かった安吾、中学の人物評がこう記されている。「性質は粗暴、挙動は稍軽騒、言語明瞭にて作文優秀、勤怠は怠ル/勤ムレバ上達スベシ」。安吾は三年生の第一学期出席すべき88時間を欠席、落第は必須だったが事前の配慮で、東京の豊山中学に編入学させられている。

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    欠席の理由は松林でごろりと物思いに耽っていた。後年安吾は、「私にとって古里は家ではなく、空と海と砂と松林であった」と述懐する。この頃、谷崎潤一郎の『或る少年の怯れ』を読みふけっている。谷崎の特異な世界観で少年の深い心の闇が描かれた秀作だ。確かに安吾は得体の知れない作家である。彼の心中、奈辺は知るすべもないが読めば見えてくる。

    彼は日本人として、日本的であり、日本人の代表選手のようで、書いてる作品はすべてが和風であるが、うどんや焼きそばというよりも、和風パスタの味わいがある。自分はカツオだしの代わりにブイヨンを使い、隠し味にバターを使っても旨味醤油で味付けた和風パスタに、炒めたしめじをてんこに盛って食べるのが好きだ。具材は「ディ・チェコ(De Cecco)」の1.6mm

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    以前は面白がって、「スケベニンゲン(SCHEVENINGEN)」という具材を使っていたが、置いているところが少なく、昨今はもっぱら、「ディ・チェコ(De Cecco)」一辺倒である。パスタのことは置いておき、安吾に、「論」のつくエッセイは上記の5つ以外に、「続堕落論」、「敬語論」、「戦後新人論」、「推理小説論」、「花田精輝論」、「戯作者文学論」、「デカダン文学論」。

    「戦後文章論」、「歴史探偵方法論」、「神経衰弱的野球美学論」、「エゴイズム小論」、「天皇小論」、「咢堂小論」などがあるが、エッセイの数は、彼の作品量からすれば少ない。そんななか、「恋愛論」は朴訥の中に雄弁さが潜む。あんな文章を書けるのは彼をおいてない。彼は人が貶すようなものをワザと褒めてみせる。ハゲ頭を褒めたり、誘拐犯を褒めたり。

    堕落を促し、淪落を肯定する。かと思えば、「大根脚は隠せ」と書く。安吾の眼中には物事の本質(実質)しかない。「淪落」なる言葉はとうに死語だが、太宰や織田作には見る。寺田寅彦の、「映画雑感」に、「おしまいの場面で、淪落のどん底に落ちた女が昔の友に救われてその下宿に落ち着き、そこで一皿の粥をむさぼり食った後に椅子に凭ってこんこんとして眠る」とある。

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    戦争はいけない、堕落すべきでない、泥棒は罪、ということは簡単至極。誰にでもいえる。当たり前の正論を当たり前に言って、楽する人はゴマンといる。正しいことを言うのは大切だが、もっと大切なことは、いかにして言うか、どう伝えるかである。一つの問題を縦横斜めから見、あらゆる角度から捉え、いったんは自らの考えから離れ、戻れるものなら戻る。

    こうした精神作業から、「論」が生まれるが、恋愛に真理はない。男と女が織りなす気まぐれな情動だ。安吾の、「恋愛論」には一般的な、「恋愛論」にある言葉は出てこない。愛が破綻し、それぞれが別の異性の面影を抱くようになったとき、さてどうすべきか?などの答えもない。いかなる真理も万人に当て嵌まらぬように、恋愛においても各々自身に照らして答えを見つけるしかない。


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    自死は何をも解決するものではなく、逃げであるのはあきらかだが、さんざん悩み苦しんだあげくの自死を一概に「いけないこと」とはいえないだろう。自尊心を喪失して生きながらえるのは死より羞恥という自殺もある。STAP細胞問題のとき、理研の笹井芳樹の自殺にその思いを見た。インテリジェンスの高い人間ほど、羞恥の度合いは強いのではないだろうか。

    深谷隆司という自民党代議士がいた。浅草生まれの下町育ちの深谷は、歯に衣着せぬ物言いで人気を博したが2012年引退した。「深谷隆司の言いたい放題」というブログを開設、新着の記事は、「人、色々」である。歯に着せないのはいいが、自民党員という党籍を背負った人の発言には真の自由さがない。何を書いても元自民党員の肩書が未だに背負われている。

    彼の2014年4月11日の記事、「恥の文化は失われたか」に以下の記述がある。「全ての責任は小保方氏1人としたことも、トカゲのしっぽ切りのようで不愉快だ。(略) 理化学研究所は、最初の発表の時、彼女をことさら過度に持ち上げて宣伝材料としたのではなかったか。(略) マスコミの報道も相変わらずであった。センセーショナルに煽り立て、ちょっと怪しくとなると手のひらを返したように叩く。

    褒め、貶し、往復で稼ぐ何時ものパタ-ンだ。なんだか日本の良さ、『恥の文化』が失われつつあるようで悲しい」。本記事の前段部分は、渡辺喜美代議士の政治資金疑惑についてだが、「政治をなめるな、冒涜するな」と、辛辣に批判をする深谷もかつては政治家であったろう?自身も政治家であるのに、政治家が政治資金に関して偉そうなことを言えるのか?

    あげく、「恥の文化」という意味のはき違えをしているのは滑稽千万である。日本人の恥の文化についての考察は、ルース・ベネディクトの著書『菊と刀』である。かつて日本を支配していた武士階級は、志高く、倫理観も高く、世間に顔向けできないことをしたら、「恥を知れ」とばかりに自ら腹を切った。それほど恥というものを重んじていたと一般的には解されている。

    ところが、ベネディクトはそうは言わないばかりか、決して武士を誉めてはいない。ベネディクトは西洋の「罪の文化」に対比させて日本人の、「恥の文化」を以下のように提唱した。西洋の人間は、自分たちの行為は常に神から監視されていると信じ、ゆえに倫理的に正しい行いに務める。したがって、誰かに悪行が知られることがなくても、人間は罪の意識を感じる。

    ところが日本人は、誰かに自分の悪行が知られたら、非常に恥ずかしさを感じる。その結果として死さえ厭わない。反面、他人に自分がやっていることがバレなければ、自分のやったことを悪行と感じない。言われてみればその通り、これがベネディクトの言う、「恥の文化」である。同著には西洋の子育てと日本の子育てのちがいについても書かれている。

    幼少期において、西洋が厳格に管理して育てるが、日本は甘く温情的に育てる。青年期には、欧米は子どもの自己責任に委ねて育てるのに対し、日本は厳格に管理して育てると対比している。子育ての厳格さの時期が、日米ではまったく逆になっているという。まさしくその通りである。日米の文化の違いが子育てに起因しているとのベネディクトの指摘は背筋が寒くなる。

    深谷が偉そうな言い分の裏には、自民党が長らく政権与党に属しているからである。日本人というのは、その人が何をしたか、どの様な人格の持ち主かより、どのような集団や組織に属しているかで、個人の存在価値を量る傾向が強い。ゆえにか組織集団のリーダーは、集団の評価を高めることこそが最高の目標と考え、個人の権利や人格を軽視する傾向を持っている。

    集団の名誉という全体の利益の前には、個人の権利などは単なるエゴイズムとされてしまうが、この傾向を根強く持っている組織が日本の学校である。特に進学校と称する高偏差値校の教師は、生徒のことより、学校の評判ばかりを気にしている。これらが生徒たちに不評ならいざしらず、進学校に人間性など無用とばかりに毒された生徒も哀しきかな被害者であろう。

    自分はどのように己の人生を全うするか、という個人主義社会における、個人の権利保障より、集団や組織の名誉の方が優先する点で、「恥の文化」は日本の集団にはで根強いものがある。笹井氏が会社の中でクビを吊っているのが発見されたとき、それが会社の中という事からして、笹井自身にとって理研という組織に対する物言わぬ抵抗であったと感じた。

    「死んでしまおう」と悩むのはあっていい。が、悩める人間を救おうという力も配慮も組織にないと悟った時、人は孤立する。家庭や家族があるではないか?と考えるが、仕事がすべて業績がすべての人間にとって家庭は寝場所に過ぎない。その意味で笹井は身勝手である。日本人は組織や集団という看板を背負わない個人になると、途端にに我がまま、身勝手になる。

    背負い過ぎても家庭と仕事の分別がつかなくなるようだ。仕事はビジネスと割り切れない日本人の勤勉さでもあろう。これからの日本人に必要なのは、学校や会社などの特定の集団の一員としての自覚ではなく、人間としての尊厳と責任ある個人としての自覚なのではないだろうか。学校教育の場においても、この様な自覚を持つ育てなければならないと愚考する。

    ベネディクト女史は、集団の中に埋没し、そこに生きる場を求める人間を批判した。「恥の文化」では、自律的な人格は育ちにくいと指摘した。笹井氏の自殺は言わずもがな集団埋没型であり、同じように中学、高校生の自殺も集団埋没型から離れて生きることのできない苦悩であろう。それらは被害者のみならず、加害者側にも反映するなら、何をかいわんやである。

    いじめがなくならないのは、見つからなければ悪いことだと思わないからである。政治家のいう「恥の文化」の思考はまるでお角違いだが、少なくても自分のした悪行が他人にばれたら恥ずかしく感じる日本人の傾向を指したベネディクトであるが、こんにちにあっては、悪行が露呈しても恥ずかしいどころではないころが、「恥の文化」退行であろう。

    悪いことを悪いことと思わず行為をし、見つかって悪いことだと指摘を受けても、悪いことだと感じないのはどこ原因があるのだろうか?それは家庭にあるように感じる。例えばいじめ、例えば万引き、そういった世の中で曖昧にされているような悪事について、親が強い問題意識を有しているかどうか…。タカが万引きくらい、たかがいじめくらい、誰でもするよ。

    そういう親の意識が怖い。小さなミスこそ口酸っぱく言い続けなければならないという野球監督のことを書いたが、そうでなければ人間は自分で自分を簡単に許してしまう。巨人の10連敗に思うのは、監督のおぼっちゃま性向が多分に感じられる。そんな素人が犯すようなミスは絶対に許さんという気迫がなければ、人間はぬるま湯につかる。「いい湯だ」に厳しさは無かろう。

    これだけいじめ事件が発生しているのなら、食事時に父が、「いじめみたいなことをやる卑怯者は許さん」と言い続けることでできよう。「万引きはバレたら恥ずかしくないか?」と子どもに問うことはどの親でもできる。そこから話を膨らませて、「見つかって恥と思うことは、見つからなくても恥だろう?違うか?悪ではないのか?」などという対話が必要と思う。

    親が日々啓発し、子どもが触発されていく。これが親と子ではないのか?仮にも、「食事中にそんなうざい話は止めてくれない?」と子どもに言われるような親であるなら、子どもが生まれた時からやり直さなければならない。惨めだが、すべては親のまいた種。それこそがベネディクトのいう、「幼児期の厳格さ」である。子どもは存在だけで可愛いものだ。

    甘やかさなくても可愛い。ならば、後は厳しく善悪良否を判断できる子どもであってほしい。母親がダメとは言わないが、善悪良否や正義の教育を担当するのは父親が適任とされる。なぜなら、我が腹を痛めて生んだ母親と違って、客観的に我が子を見つめることができるからだ。自死を急ぐ子について、自分的にはその子を産み育てた親に責任はないとはいえない。

    「不足の教育」は事件ではないがゆえに、いじめという犯罪や事件性に言及するしか仕様がないということだが、いじめた犯人を見つけ出そうが、学校の管理責任を追及しようが、子どもが生きて戻るわけではなかろう。事後においてもやることはあるにはあるが、それで満たされるものは空虚である。「死なない子ども」、「強い子ども」を育てるが勝る。

    おそらく、死ぬ直前の子どもは視野狭窄で、パニックになっているのかもしれない。確かに我慢の形跡は見られるものの、とどのつまりは、「もう耐えられない。我慢の限界です」などの文面を目にする。やはりこれは、「あきらめ根性」というものだ。耐える一つの方法、頑張る一つの方法は、自分などよりとてつもなく苦しんだ人を伝記かなにかで見聞きすること。

    そうした想像力で耐え抜いた人も現実にいる。あとは、孤立を目指す方法もある。自分と周囲に神聖なるバリヤーを貼りめぐらせ、誰にも立ち入られない。自らもそこを超えない。できるかどうかは、とりあえず試す価値はある。死も選択種にはちがいないが、あまりにも勿体なさすぎる。ただ、どんな優秀な頭脳をもっていても、人は死ぬのだと笹井氏の自殺で知った。

    死を前にすれば乞食もノーベル賞候補者も何ら変わらない。ゆえに死は人間にとって唯一平等である。この人は才能ある人だからと神の恩恵があるわけでない。稀に見る善人であれ、稀代の悪人であれ、神に忠節な敬虔信者であれ、それが寿命の長短に影響しない。その部分をして、自分が無神論者であることを肯定できる。自死を超えるものを人は見つけるべきかと。

    お千代さんの『人生いろいろ』から取った表題だが、実は島倉は知る人ぞ知る金銭的苦労をした人である。人の善さが講じて数十億円を騙し取られたという。ある席上で島倉は名前こそ明かさなかったが、「法律が許してくれるならば(その人を)この手で刺したい」と述べている。とかく芸能人は金のなる木であり、その木に群がる人間の話は少なくない。


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    人間は偏見の塊りである。情緒や感情に左右されないよう気をつけていても、理性を揺るがす多くの偏見には気づいてないものだ。中立、公正、中庸が如何に難しいかは、人間が本能の趣くままにではなく、何かに影響される動物であるからであろう。聖人と言われる人の思想や言葉も、対立する側から見れば偏見と言えなくもない。何にも毒されずに生きることは可能なのか?

    おそらく無理であろう。身近なところでは、血液型、県人気質、国民性、家族構成、親、師、友人、あるいは偉人、あるいは宗教などから影響を受け、何かに賛同し、肯定し、己の糧とする。染まるということは、他人が黒といえども白に見えることをいう。したがって、自分が信じるところを書いたところで、他人から見ればただの漢字や文字の羅列に過ぎない。

    枯れた花を見るのはいたわしい。花の命の短かきを思うと切ない。多くの人はそんな気分になるのではないか?ウォーキングの途中、色々な花の枯れた姿をみるにつけ、自分は決してそんな気にならない。むしろ心の中では、「ごくろうさん」とエールを贈りたくなる。あれほど美しく咲き誇った花びらの残骸であるが、そこには花のちゃんとした役目がある。

    勿論、賛同し、共感することもあるが、その場合は同じ偏見者であったということになり、それが数十万、数百万人となった宗教においても、偏見者の増大という見方は可能である。「これぞ真理也」というものほど偏見であろう。自分が信じていることを、「一つの意見」という言い方をするのは誤魔化しであり、本当に信じる以上は偏見であるからだ。

    アインシュタインは、「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」と言った。ならば、19歳以上は何なのか?と言った友人がいた。そうではなく、頭の柔らかい年代に、凝り固まってはダメだと言ったに過ぎない。「三つ子の魂百まで」になぞらえ、アインシュタインは18歳を3歳児と捉えた言い方をしたに過ぎない。創造性とは常識を疑うことから始まる。

    何を信じてもそれが他方から見て偏見であるなら、その偏見を信ずることは間違いにはならない。なぜなら、他方も偏見だからである。この世のすべてが偏見なら、偏見を信ずればいい事になるからして、堂々と己の信念を偏見として主張すればいいわけだ。世の中、つまるところは偏見と偏見の一騎打ちということになる。それでいいのではないか?

    自分は儒教思想の、「親を敬え」、「親孝行をせよ」に偏見を抱いた。「尊敬に値する親なら…」という全文があるなら分からぬでもない。確かに、「どんな親でも親」というのは正しい。今は少ないが昔は捨て子が多かった。そんな親でも親には違いないが、尊敬できる親であるハズがない。物事を一つの価値観で貫いた言葉には、どうしても偏見にならざるを得ない。

    「尊敬に値しない人を尊敬しろ」という教えが間違っているのは、誰の目にも明らかである。よって自分は、儒家思想から距離を置いた。孔孟の儒家に対抗する形で老壮の道家思想がある。が、老壮思想にいうても、妄信はオカシイというところはありすぎるほどにある。一例をあげると第20章、「学を断てば憂い無し」について以下のように述べられている。

    「学問をすることで種々のことが分かってくるが、それと同時に、これまでは何とも思わなかったことが悪く見えるようになったり、物足りないと思えるようなものが増え、不安に陥ったり、不満を抱くことが増えるゆえに、そうしたことに執着しないようするために、学問は止めてしまった方が良いのではないか」。これは明らかに学問の利点に言及していない。

    思想も含めて、主張というものは論を強調づけるためにこういう言い方になる事が多い。儒家の、「親孝行」にしてもそうであるように。でなければ、どっちつかずの曖昧な考えになってしまう。自分も偏差値至上主義教育には反対だが、偏差値の高い人間には、低い人間よりも優秀なところは多だあろう。が、総合論、相対的に、雑草の強さを述べているに過ぎない。

    知識があるとないとでは事物の見方がまるで変ってくる。表題に殉じてこういう例を出してみる。「枯れた花を見てどう思うか?」これに対して、三態の人間があるのではないか?ある人は、「悲しい気持ちになる」。別のある人は、「なんとも思わない」。さらに別のある人は、「ご苦労様と感じる」。自分は、「ご苦労様」と枯れた花弁を称えるが、その理由は?

    花は自らの役目を果たしたと悟ると枯れていく。花(花弁)の役目とは、自らの存在を虫や鳥にアピールして花粉をつけにきてくれるようにするためのもの。花はそのために咲いている。受粉が終われば花弁の役目はもはやない。花は人のために咲いていないということだが、あまりの花の美しさについ我を忘れて見とれてしまう。今の時節はふわふわと蝶が花に舞っている。

    素朴だが心にしみる禅の言葉はたくさんあるが、「柳緑花紅(りゅうりょくかこう)」とは、11世紀の中国の詩人で禅の居士、蘇東坡(そとうば)の言葉で、彼は真実を見抜く力を持っていた。柳はみどり、花はくれない。見たまま、そのまま、いずれも真理の具体相であり、転じてさとりの実態をいう。さとりとは本来の姿をそのままに受けとめるさまをいう。

    花は春になると百花爛漫として咲き競う。花は誰のために咲くのか。人に見てもらうためなのか。鳥や虫を呼ぶためなのか。春を告げるためなのか。そうは言えど、早春に綻ぶ花もあれば、晩春を彩る花もある。確実なことは、花は他の評価を期待したり、思惑を気にしたりで咲くのではない。本来具わった天分が、時節因縁を待って開花するだけのことである。

    花に限らず、この世の一切の事々物々は天真自然の妙で、持って生まれた天分が内から躍り出たものである。蘇東坡居士は、自然のありのままで姿に不変不動の真理が宿っていることを直視し、「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」と道破した。真面目とは、人や物事の本来のありさまや姿をいう。真面目とは日々の生活を懸命に全力で生きることで養われる。

    人がそのように生きるなら、ある日ふと、「柳は緑、花は紅」の境地に至るのではないだろうか。当たり前のものを、当たり前に受け取ることの大事さを説いた禅語である。禅と言えば座禅、座禅をやるうえで大切なことは、「調身」、「調息」、「調心」といい、これは姿勢と呼吸を整え、心も整えていくという考え。これによって本来の姿に戻していくのである。

    「日々是好日」、「行雲流水」、「一期一会」などが禅の言葉である。「行雲流水」は自分の好きな言葉である。、自由に生きる。大空に浮かぶ雲。行く手を阻む大きな岩が出てきたって、なんなく流れていく水はこだわりなくぐんぐん進むのだ。だから自由に生きて行こう、ということであり、老子の道思想と、インドで生まれた仏教思想には多くの共通点がある。

    老子の、「無為自然」、ありのまま自然体であることの大切さを説いており、中国仏教の、「禅宗」と密接に結びついていたと言われている。「言葉に頼らないこと」、「流暢な言葉や美言、饒舌は信用できない」。これは禅宗、老子の共通の教えである。「花はそれぞれ互いに嫉妬しない」これも老子の言葉。「憧れ」はいいが、「嫉妬」は良くないと誰かがいった。

    二つは似て非也のようだが、実は似たもので違いは紙一重である。遠い憧れをぐんと身近に感じたら嫉妬になる。嫉妬は、「悪」、憧れは、「良」に見えるが、紙一重ゆえに危ない。日ごろからこれらの感情を持ちやすい人は、「他人は他人、自分は自分」と割り切るようすべきであろう。他人と違う点、つまり個性を優先して自分の存在価値を高めるよう邁進すべきかと。

    老子の、「無為自然」思想は偏見を超えた真理を説ていると感じられるが、決して錯覚や思い込みでないのは、例えば、風の吹くことも、雲の動くことも、河水の流れることも、日が照り、雨が降り、雪の降ることがあるのも、鳥や、虫の飛ぶことも、獣類の走ることも、草木が繁茂ことも、花が咲き枯れることも、何ら疑いようのない自然の摂理であるからだ。

    人が生まれ息絶えることもである。人は雨を嫌がるが、他方の人は雨を恵みとする。人間的視点に立てばすべては相対的だが、天地自然の側からみれば、万物を平等に慈しみ愛している。集中豪雨や大水害においても、人間が罪深いと感じるだけで、それ自体は慈しみである。弱肉強食も自然の掟だが、象を食べない人間が象を殺戮するのは生きるためなのか?

    行きつくところ、「人間は何のために存在するのか?」である。 「人間が何のために存在するか?」を科学的に解明できないがゆえ、哲学や宗教が必要だった。しかし、人間がいかなる存在であるかは、実は科学で解明できている。「人間は自然の破壊者である」というのが答えである。自然の対義語が、人為(人工)であるのを見ても、その答えに異論はなかろう。


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    本当か嘘か知らないが、女は失恋すると髪を短く切るという。ある日髪をバッサリ切った女に、「あれ、何で?失恋でもしたんか?」などの言い方をした記憶はある。その時に、「そうなの…」というのはなかったようで、大方は、「ちがう、ちが~う」だった。「髪は女の命」といわれた平安時代の女性の長い黒髪は、切るに切れない命と同じものだったのか?

    洗うこともままならず、ふだんは櫛で梳かしてケアするしかなく、シャンプーは一年に一回くらいだったという。当時はシャンプーといっても洗わず、米のとぎ汁を櫛で梳かすさいにつけて梳いたようだが、米ぬかを使えば確かに艶はでよう。したがって当時の美人の条件としては、百人一首に描かれたような、黒くて艶々した超ロングヘア―女性ということだった。

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    髪を長く垂らしたスタイルを大垂髪(おすべらかし)といい、女性が髪を結うようになったのは、江戸時代の初めであった。生まれて死ぬまで一度も切らず、7メートル超えの女性もいたというから驚きである。とにかく、長い黒髪が美人の条件である以上、必死で伸ばしたようだが、ワカメやヒジキの御利益はあったのだろうか?ただし、生まれながらのクセ毛女性もいたはずだ。

    そういう女性は、誤魔化すためにつけ毛(いわゆるかつらの部類)をしたらしい。日本人女性は直毛が多いとされるが、何らかのクセ毛の比率は多く、70%くらいといわれている。したがって、ストレートパーマを施している女性は多い。思うに流行なのか最近はロングヘヤーが多いようだ。確かに髪を長くすることで、並顔が中くらいにアップするのだろう。

    「失恋=髪を切る」は、今も昔も定着した女性の心理なら、そこにどういう意図が働くのだろうか?髪が女性の命なら、失恋したことで命を断とうとする疑似的行為なのか?ネットで調べてみたところ、失恋で髪を切る女性の割合は案外と少ないようである。自分もそういう図星の女性に遭遇しなかった。切る原因は単純にロングが好きな彼氏に合わせていただけという。

    おセンチな理由ではなく、そういう彼氏と別れたから自分好みに切ったという。確かに、失恋=髪を切るが定着している現状で、同じことをしたら失恋しましたと公言したことになり、なんやかんや聞かれるのも面倒くさい。男と違って女は他人のことをなんやかんやと聞くらしい。ただし失恋女性が、気分転換にバッサリ切るのはないわけでなく、少数というデータである。

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    ジャニ系の少年たちにもロングヘアは多く、髪を茶に染めて自己主張というより、いかにもホストって感じがする。つまり、男にとっても髪は自己を装飾するツールのようだ。昨日初防衛した将棋の佐藤天彦名人は、どちらかといえば長髪で、おまけに対局中に自分のつむじ周辺の髪をクルクルと触る癖が頻繁に現れるので、見ていて不思議な印象を与えてくれる。

    男のロングヘアは大流行の後に衰退したが、最近はまた復活の兆しが見える。流行は繰り返されるものだが、男女ともにロングヘアのする一つの要素として、顔に自信がなく隠すためのアイテムという考え方もある。特に女性でショートヘアの似合う人は、折り紙付きの美女であろう。ショートヘアの似合う条件の一つに、目鼻立がハッキリしているという事がある。

    他にも、あごのラインが綺麗、首が細くて小顔、中世的な魅力があるなどの他に、耳が大きすぎないというのも必須である。自分たちの青春時代で、ショートヘアの似合う女性といえば、恵とも子、いしだあゆみ、九重佑三子、田代みどり、内田有紀、小泉今日子、原田知世らが思い浮かぶが、おそらく自分はショートヘアのボーイッシュな女性が好みだったのかも知れない。


    セシルカットが流行したのは、1958年に公開された映画、『悲しみよこんにちは』の主人公だった17歳のセシルのヘアスタイルにちなんだもの。ロングヘアで覆い隠す女性も美しくはあるが、自分がショートヘアを好む理由はなんだろう?そこまで考えたこともなかったが、しいて言えば、ショートヘアには、"隠さない真実が満ちている"とは、言い過ぎだろうか?

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    本当にそうなのか?そう思っているのか?自問するが、ロングヘアの女性には美しさはあるが、ショートヘアにそれを求めない。求めるすべもない。その点はロングヘアとの最大の対比であろう。美しさを求めないなら、何を求めるのか?を思考した時に、「真実」という言葉が見え隠れする。槇みちるが『若いってすばらしい』という歌で出てきたことがあった。

    彼女のショートヘアで快活さがたまらなかった。ボーイッシュというのだろうか、エレガントな女性よりも「素」の魅力に溢れていた。痩せた鶏ガラ女性よりもぽっちゃりが自分の好みだった。友人には、「何でお前はブサイクな女が好きなんだ?」といつも言われていた。確かに化粧女性は好きでなかったし、これも女性に真実を求める性向かもしれない。

    どこか美しい物には欺瞞が潜んでいるように思えた。これは偏見であろうが、決して食わず嫌いというのではなく、お化粧塗りたくりの女性もいるにはいた。が、お化粧の臭いが好きになれなかった。それに比べてすっぴん、素面の女はいつも女の臭いがした。だから、女に化粧をさせなかったし、自分が嫌うのがわかって、女も同調した。楽でいいというのもいた。

    ショートヘアは確かに、「顔丸出し」である。爽やかで清潔感もあり、なにより快活だ。それにぽちゃを加えれば、これぞ自分の思う女の極致である。だから、友人から「ブス好み」と揶揄された。バラやユリより、レンゲやタンポポのような雑草が好きだった。花屋に売ってないような、それでも少女が摘み取って首飾りにするようなレンゲ草には、家庭の臭いが漂っていた。

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    こんにち、ロングヘアが主流だが、時にショートの女と出会うと、キラリと個性が光る。美しさではロングに及ばないが、ショートには可愛さが漂う。絹の美しさに対する木綿の味わいとでもいうのだろうか、素朴で嘘がない感じがする。偏見もないではないが、やはり経験的なものが大きいだろう。おまけにショートですっぴん女は外出する前に時間がかからない。

    詞に書かれているような、小指を噛むという女に出会ったことはない。♪あなたが噛んだ小指が痛いという詞もあるにはあるが…。噛まれた小指に、「そっと唇を押し当て、あなたのことを偲んでみるの」などとこういう詞で曲が売れないハズがない。作詞は南沙織の楽曲が多い有馬三恵子である。有馬は広島カープの応援歌を三曲手掛けていることでも知られている。

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    理由は佐々木久子が主宰する、「カープを優勝させる会」のメンバーであったことによる。癖の類であろうが、子どもの頃の癖が抜けきらず、大人になっても小指を噛む女はいるという。一般的には精神的な不安感が強く、指を噛むことによって気持ちを安心させたいといった心理が背景にあるといわれる。普段は抑えていても、プレッシャーを感じると現れるという。

    一人淋しく部屋にいるときにも現れるようだが、一般的に子どもの癖は親がしつこく注意をするので直る。表題の、「強く小指を噛んだり」の詞は、いかにも自傷的行為の臭いがし、女の苦悩の状況が現わされている。小指を男が立てて、「コレ」というとなぜか恋人もしくは愛人を意味する。子どもがよくやる、「指切りげんまん」もなぜか小指であるが、これには深い意味がある。

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    げんまん(拳万)の意味は、拳で1万回叩いてよいということ。指切りの起源は、男女が愛情の不変を誓い合う旨を証拠立てることを、「心中立」といい、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節から指を切って渡したことに由来する。かなりの激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も遊女の思いに応える気構えが必要であった。

    しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回ったらしい。そうした、「指切」が一般にも広まり、約束を必ず守る意思を表す風習へと変化したといわれている。それにしても誰がいいだしたのか、「針千本」などと、とても用意できない嘘をつくのはどうだろ?飲めば死ぬに決まっているが、「殺すよ!」を、「張千本」に言い換えるのは子どもらしい情緒である。


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    藤井聡太四段の快進撃が止まらない。23連勝など誰が予測し得たろうか?そういう事が言えるのは、どこだかの霊能者くらいだろう。「予測した」ではなく、「予測した」と言えるのが、霊能者という職業だから。それなら自分でもいえるが、言って箔がつくわけでもないし、バカ呼ばわりされるのがいいとこだ。自分においてももそういう事をいえばバカだと思うので言わない。

    当たればこれみよがし、当たらなければ黙りこく霊能者を結構みたが、彼らにどういう存在意義があるのか分からない。彼らのいうオーラや前世や守護霊についての蘊蓄などを耳にするに、運命論を肯定する気には到底なれないし、特に若い人は自身の可能性や人間の未知性を信じて頑張って欲しいと願う。運命論は人間をネガティブにする「無用の短物」である。

    長すぎて役に立たないものを、「無用の長物」というが、長物にもならない短物とあえてした。「自分の人生はあらかじめ決められている」というのが運命論だが、「自分達の人生は、自分達が生まれる前に決めてきた」というのが自己責任的運命論である。職業、居住地、結婚相手など、多くのものが選択可能であるが、一切はすべて決まっているという。

    先の大戦をはじめ、多くの人々が紛争や戦争や事故や病気、あるいは事件などで命を落とす人達の生を、死を、持って生まれた運命などと言ったところでバチは当たらない。頭がいかれてると逮捕されることもない。どういう根拠があるにせよ、根拠をもたない無責任な発言をすることも可能だ。霊能者は責任ある発言をするが、素人さんは無責任な発言だと、誰が決める?

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    信じるものが決めるだけだ。霊能者はすごい人なんだと…。信じるというものはそういうことだ。霊能者も様々な矛盾を指摘され、返答に窮することもあって、以前のような決めつけ断定をしなくなった。逃げ道を用意する言葉を選んでいる。断定の方が説得力に富むが、ボロが出た時に困るからであろう。今なお第一人者(?)の江原啓之はこんなことを言うようになった。

    「運命は努力によって変えることができるんです」。「は~?変えられないもの、生まれながらの台本を運命というのではないのか?努力はそれを変える?」というのは若者に光明を与える言い方だからそれはいいとして、あらかじめ決まっていた運命を努力によって変えたと、どうして解るのか?変えたではなく、努力して得たものがその人の運命というのは分かる。

    運命という語句より、「努力して得たものがその人の人生」の方がいい。変わる前に決められていた運命が分からないのに、それでもあなたが努力する前の運命はこういうものだったと、どうしていえるのか?適当な言葉しかいいようがない運命論には腹も立つが、腹が立つ理由は、そういう誤魔化しを人に信じさせようという態度にである。何故にそれほどまでに「運命」に拘る?

    運命がなければ人は生きるのに困るわけでもない。むしろ、悲惨な現状に陥った人に、「ああ、これが自分の運命などだ」と、生きる希望をなくすことが問題である。いろいろな人間の存在を考えると、「運命」などという言葉はない方がいい。どうしても使いたいなら、寿命を全うした人が、「自分の運命はこうだったんだ」と回想に浸る場合は、良い言葉かも知れない。

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    あるいは、未来のある少年が、「自分は絶対にプロ野球選手になる運命のもとに生まれて来たのだ!」と自己暗示をかけて奮発するのは結構なことだ。何でもない奴らが、したり顔で「運命」などと言わなくてよろしい。彼らの言葉には何の益も観られない。したがって運命論者が、「運命は努力で変えられる」と言った時点で、運命論者を辞任したことになる。

    「自分を責めて死んだ人はいる」。「自分を責められて死んだ人もいる」。どちらも死を選択するという悲しい結末である。自分を責めるのはいいが、死以外の選択を考えること。自分を責められるのは仕方がないが、死以外の選択はある。なぜ、死はダメなのか?常々思うのは、「もったいない」である。たまたま与えられて命を絶やすってもったいないだろに。

    デブになって着れなくなったお気に入りの洋服だって、タンスにしまってあるだろ?もったいないからである。いつか着れる日が来るかもしれないという、ささやかな願いが捨てられない。命も同じものよ。今は辛い、苦しい、だけどいつかまた笑顔を取り戻す日が来るかも知れない。その日のために生きて居よう。洋服と命は違うかも知れないが、同じ部分を見つけること。

    風が吹くことと桶屋が儲かることと、何の関係もないようだが、実は関係するように、そういうロジックで自分をみたらいい。狭隘な視点だけではなく、色々な視点で物事を考えるようにする癖をつけると、困った時も困らないで済む。用意周到であっても、何気に失敗もし、ミスもするし、人間はミスをする生き物だ。自分の犯したミスを隠そう、誤魔化そうはよくない。

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    大概のミスは不注意から起こるが、起こしたミスを隠さず、誤魔化さず、それを受け止めて生きるとそれなりの人間が作られる。自分は遅刻の常習犯だった。が、嘘をつくまい、言い訳をすまいと考えたのは、自分は絶対に遅刻をするという自信があったからで、「お前は強いよ」と人は勝手にいっていただけだった。どうせ、言い訳は底をつくと、最初に判断しただけ。

    それくらいに遅刻をする自信は消えなかった。「すいません、寝坊です」。こんな簡単に済んでしまうことを、嘘八百並べて言い訳するなど、自分から見てバカに思えた。言い訳しない自分をバカだと思う奴もいた。どちらがバカかはさておき、嘘をついてでも自己を正当化し、人に認めさせようとする人間を自分は軽蔑していた。なぜなら、それが母であったからだ。

    どうしてああまでして自分の正しさを人に認めさせようとするんだろう。母のそういう行為は歪で愚劣にしか見えなかった。そうした親の行為を、親という垣根を超えて、人間の愚劣さとして客観的に冷静に見据え、一人床に入って考えていました。したがって、嘘を弄してまで自分の正しさを訴えるのは、自分が自分を軽蔑する事なのであり得ない。

    前に述べた、「恥の文化」とは、ある行為を自分が「得」と見るか、「軽蔑」と見るかによって行為が決まる。人に恥じる行為は誰でも嫌だろうが、見ていないとか、嘘で誤魔化すとかと違って、自分に恥じる行為は誰より自分が分かっているし、誤魔化せない。したがって、人を護摩化す人間は自分を平気で誤魔化せる人間だろう。我が心を痛めるより、得を選ぶ。

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    無責任に放言を垂れ流す人間も信用できないが商売なら仕方がない。商売の原則は買い手何を売るのも自由。わざわざ他人の偏見をお金を払って聞きに行く人もいるが、そこには商いが成立している。戦争や冒険や宇宙旅行、世界探訪とか、誰もが経験でき得ないことを体験者・実践者から聞くのは感動させられる。自分は小野田寛郎元少尉の講演に行ったことがある。

    霊能者に無視を決め込む人も多い。所詮は目に見えないものを信じるか、信じないかという世界だから、否定するしないより、信じるか否かの世界だからだが、辛辣な映画評論で知られる町山智浩ほど江原啓之をクソみそに貶した奴はいない。『27時間テレビ』(フジテレビ)での"やらせ"発覚騒動でBPO(放送倫理・番組向上機構)から「放送倫理違反」を指摘された江原。

    胡散臭さが完全に露呈してしまった「スピリチュアル」という分野には未だ根強いファンは少なくない。何を信じるかはその人の自由で、輪廻転生自体は古くからある仏教思想だが、前世、来世をあまりに楽観的に電波で発言すれば、自殺願望に加担することになる。やはり、こういう人は特定の信者を前に有料で話すのがいい。ファンなら金を払っても行くだろう。

    ある江原講演会会場で冒頭江原が、「今日ここにいらっしゃったのも偶然ではなく……」と言うと、みなが声を揃えて、「ひつぜ~ん」と叫ぶ。のっけから学芸会状態の様相で、やることが幼稚すぎる。パフォーマンスではない真に思想を供与するなら格調高くと思うが、近年宗教は、半分はパフォーマンスに彩られ、そのパフォーマンスに魅入られて入信するという。

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    町山の雄叫びはこうだ。「江原だけは許せね~。霊能力とか、スピリチュアルって、小学館のマンガ雑誌じゃね~んだから、フザケんじゃね~って。(いきなり声を荒げ) 霊能力とかねーだろコノヤロー。ホントに霊能力があるっていうんだったら、俺を呪い殺してみろよ、このデブ!絶対に呪い殺せよ、このヤロー!分かったか!」と、いうことだ。

    真に悩める人には何が必要なのか?大人なら宗教もあるだろうが、小学生、中学生、さらには高校生…。子どもたちは、自分を責めるしかない。相手を責めても解決しないのが分かっているからだ。虐待されている子どもは絶対に親を責めないという。自分を責めるしかないというのは、そういう親でも生きて行くためには依存の対象であるからだという。

    依存のように見えるが、子どもを育てるのは子どもを作り、産んだ親の義務である。「お前なんか産まなきゃよかった」といわれ、「だったら作るなよ。産んだ後でいう言葉か!」と自分は返した。怒りにまかせて母は何度かその言葉を言ったが、そう言い返されて言葉につまり、いわなくなる。権威に歯向かうとは、相手に何も言えなくすることと悟った。

    自分ばかり責めるのは良くない。自己否定や自分を責める心理の深層には、実は自身の中に存在する無意識が何かをしようとしてくれている行為である。その何かとは、己のあら探しをして短所や落ち度のようなものを見つけて、それで安心したいという心理である。その人にとってそれを見つけることが自信となる。自信のはき違えだが、長年の癖が身についている。

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  • 06/09/17--17:13: 泣いてすごしたわ
  • 乳がんで闘病中の小林麻央の病状や状況が毎日のように更新されている。過去にも芸能人の闘病報告はあるにあったが、これほど取り上げられるのはなぜだろうか?彼女はブログを綴っているわけだから、気になるファンはそちらを読めばいいと思うが、麻央だけではなく海老蔵が、「どうしたこうした」までメディアが取り上げるのは、二人が国民的有名人だからか?

    ブログでファンに報告するのはいいが、それにしても各メディアが日々重複して取り上げるのは、単純に言ってメディアに利益があるのだろう。でなければ、あえて毎日ブログ記事からチョイスするのはどうにも解せない。「麻央ちゃんはすごい人です彼女は強い人です」などのファンの反応も掲載するが、がんで余命いくばくもない芸能人フィーバーの様相に思えて仕方がない。

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    世間に知られることもなく、病と格闘した多くの無名の人々を想像するに、「みんなすごい人、みんな強い人」であったろう。現在もひっそりとではあるが、日々病気と闘っている人に小林麻央は勇気を与えるとあるが、本当にそうなのか?無名の人々には彼女から何がしか恩恵を得るのだろうか?そういうこととは別に報道され、メディアがそのように書いているのでは?

    誰に頼るでもない、誰から力を得るでもない、無名の闘病者は己の潜在的な生命力を信じて頑張っていると察する。誰に同情も必要とせず、誰にも心配をかけることもせず、公開することも公言することもせず、黙々と頑張っている人たちにも自分は思いを寄せてみる。6月5日の記事には、東日本大震災の被害者のことを書いたが、以下の言葉について意味を問われた。

    「私たちは好敵手からいたわってもらいたいとは思わない。そして私たちが心底愛している人たちからも、いたわってもらいたくはない」

    前段はともかく、後段についての疑問であったが、いわれてみると確かに分かりずらいのは、常用的な言い方ではないからだ。前も後も一人でも強く生きて行こうとの意味だが、自分を愛してくれる人から施しやいたわりを受けることが、強く生きる雑念になるとの決意と感じる。さらには、「愛するひとたちゆえに迷惑をかけたくない」という愛の本質が言葉の中に含まれている。

    「見ず知らず人に迷惑をかけない」というのは公共道徳の基本だが、身近な人、愛する人にも迷惑をかけたくないというのは、至高の愛の形ではないだろうか。他人から恩恵や施しや同情を喜ぶ人はいるが、自分にはよくわからないところがある。感情よりも、理性が働くからであろうが、他人からの施しはできることなら受けないでいたい性格である。

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    が、相手の率直な行為を無にするような非礼な態度はとらないが、自分のものはt自分で買いたい、自分の食ったものも自分でお金を払いたい。その方が充実感を感じられる。「情けは無用」、「武士は食わねど高楊枝」という言葉が好きだった。男と女が別の生き物であるのは理解としては知っているが、どうしてこれが同じ人間なのかと、理解を超えることがある。

    「あたし、ワリカンしたことないの」といった美女がいる。あるテレビ番組に、「ブス枠」、「美人枠」というコーナーがあり、その、「美人枠」に登場したことから美人と言うことだ。名をMIHOといい、職業は美女ダンサーとある。今どき、「美人」が珍しいわけでもないが、「ワリカンしたことない」などと、自慢風にほざく女は、自分のなかでは「ド」ブスの類である。

    なぜ、女は男にたかりたがるのか?というのも、女の子同士の旅行についていえば、それこそ1円単位にまでキッチリ清算してワリカンにするという。そうするのは正しいことではあるが、斯くも大雑把な男の旅行に比べると、女の細かさが如実に現れている。であるのに、女が男にあやかろうとするのは、女は男に愛されたい、言い寄られたいと思うからではないか?

    あくまで自分の考えであるが、男に心から入れ込む女は貢ぎまくるからである。したがって、男に何でもカンでも支払わせ、あげくアレコレものを強請る女は、男の本体を愛しているのではなく、自分に貢いでくれるという男を愛しているに過ぎない。「心底愛している人たちからも、いたわってもらいたくはない」が愛の極致と考える自分には、愛する対象の相手ではない。

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    「ワリカン」したことがないという女は、さも自分が美人でイイ女という自負を標榜したいのだろうが、男がそう思うなら結構なことで、他人がとやかくの必要はない。が、美人でいい女でも、育ちがよく、思い上がったところがない女性は、他人に支払いをさせて恐縮するものだ。昔気質で昔人間の自分は、女に支払いをさせるなどは、男の領分ではないとの気持ちで生きてきた。

    が、上京してまもなく付き合った女が、一緒にデートした際の彼女の支払い分を、細かく記帳していたのか、別れの際に、「これは今まであなたが私のために払ってくれた分です」と、小銭が満載の貯金箱と、置手紙には驚きを超えた感動があった。この女はどれほど自分のことを愛していたのかという思いに気づかされた。付き合う女のなかで、最後に出会う女がいい女であるという確証はない。

    最初であったり、5人目であったり、恋多き男なら10人目、20人目であったりするが、よりによって最悪の不作を伴侶にする男もいよう。女についても同じことが言えるが、これはもう言って行くところのない自己責任である。愛する男が自分と会うことを避けるようになった。拒んでいるのが明らかである。そういう時の女の気持ちに思いを巡らしたことはかつてない。

    いつも自分のことだけで行動した。恋人をカップルといってみても、二人でワンセットではなく、思考そのものは自己中心である。したがって、他の女に目が行き、心が奪われるようになれば、これまでの恋は終わりを告げる。そういう時に、女は一人で物悲しく泣いているのだろうか?上に記した女は、花一輪を自分の部屋にかかげ、合鍵をおいて田舎に帰って行った。

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    その花が、「都忘れ」であったことを後に知った。男の発想には及びもつかない、いたいけな女の心情である。自分の過去においてもっとも感傷的なワンシーンである。人はさまざまな経験を頭の隅において人生を過ごしたことだろうが、男と女が繰り出すあらゆる出来事を、生きた証として感謝すべきであろう。青春の一ページは儚くも切ない物語に彩られている。

    流した女の涙など男は知る由もない。知ったところでどこ吹く風。愛の終焉は受け入れるしかない。もがけども、苦しめども、どうにもならないからだ。すがってまとわりついても、迷惑がられるだけである。自分がどんなに愛しても等価の愛を供与されるわけではない。失恋の打撃は、単に恋人を失っただけでなく、自らに供給し続けたものをなくすことでもある。

    自分が幸せなら相手の苦しみが分かる余地もない。自分が幸せであればこそ相手を不幸にするのも恋愛である。人はより幸せを求めるが、新たな幸せより、現実の高揚を図るべき、それが婚姻関係ではなかろうか。今の相手に抱く不足が、許容できるものかできないかはケースバイケースであるが、そうではなくて、単純に新たな幸せを求めるなら結婚はゲームと化す。

    愛を感じ、愛を知ることが他人と良い関係を樹立できるが、それだけでは自分にだけリビドーが行ってしまう。リビドーとは心理学用語で、生のエネルギーのこと。強い衝動、欲求、欲望、本能。また、性欲の意味でも使われる。自己愛にとどめることなく対象愛を求め、究極的には見返りもなく相手を愛せる状態になる事こそ、成熟した自己愛であるとしたのがフロイトである。

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    反面、自分だけが一方的に愛されたいというのも、人間関係にあっては未熟な自己愛とされる。自分が相手に何も与えることをせず、「私は美人だから、あなたが私を愛するのは当然よ!」、「私のような美女と一緒にいれて幸せでしょ?」みたいな思い上がった女は存在する。その手の人間は男にもいる。が、こういう人は推して知るべきことがある。

    表面的な魅力で愛の漂流者ではいれるが、おそらく結婚においては破壊者となろう。本来結婚とは、男にとっても女にとっても保守的な生き方を選択したことであり、いかに美人であろうと、いかにイケメンであろうと、それ自体が結婚に寄与するものは何もない。ばかりか、こういう未熟な自己愛所有者は相手から尊敬され、愛されることはおそらくない。

    人間関係には自然に発露する、「ギブ・アンド・テイク」が必要である。与えるだけでも、求めるだけでも良好な人間関係は樹立しない。相手が自分に何を望んでいるかを常日ごろから想像し、察知し、そうした心理的なニーズを与えてこそ喜ばれる。気の利いた女性が好まれ、優しい男が好まれるのも、そういう気配りや配慮が身についているからであろう。

     利己性や独占欲は愛のコミュニケーションを阻害する。親子にあっても、母親の子への強い独占欲は、「過保護」という問題を引き起こす。本来、愛情は相手に束縛を与えてはならない。真に子を思い、大切に思う感情が愛であるが、それが行き過ぎたのが独占欲というエゴである。自分が愛されているか、支配されようとしているかの判断は、頭のよい子なら感じるだろう。

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    いや、それをキッチリ判断できるから、頭がよいということになる。その点、自分は頭のよい子であったことが幸いし、親の操り人形にならなかった。が、子どもはどんなに親から虐げられても、親を見捨てないといわれる。哀しいかな、それが唯一自分がこの世に生存できる、「糧」であるからだ。親を捨てることは至難だが、それを決断すると呪縛から解放される。

    親は一人ではない。そう考えた時に、自分は父への依存を決めたが、孤立した母は、ますます父と自分を目の敵にした。怒り狂うと見境の無い母を知る父は、見えないバックアップで自分を支えてくれたが、そうした明晰さがなかったなら、母は自分と父を歯牙にかけたかもしれない。ヒステリーは情緒短絡を遥かに超えた、「キチガイ」とまさに紙一重である。


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    人は生の過程において、「自分はどうしようもない人間だ」、「なんて愚かだろう」などと、誰でも一度や二度は思うのではないか。自分の存在までもが周囲に迷惑と感じられ、いっそ死んでこの世から消えた方がよいのでは?と思う人もいたはずだ。そのような回想を浮かべられるのは死を選ばなかった人であり、ゆえに、後にその時の思いが間違っていたと気づく。

    笑い話と回想することもあろう。「後悔先に立たず」というが、誰もが後悔しないように生きたいと望むも、後悔しない人間などいない。誰もが苦しみたくない、悩みなどもちたくないと思うが、悩みのない人間などいない。辛い出来事や事件が起こるなども誰も望まないが、何も起こらなかった人生などはない。悩みや問題を解決したくてもできない人は多い。

    苦悩は深くなるばかり…。事件や問題を解決できない人は、自分の気持ちによって動くからだろう。問題を解決するということは、自分の気持ちを抑えることだというのは、年を重ねると分かってくるが、若い時にはそのことが分からない。たとえそれがいかに人間的な感情であっても、そうした感情を抑えることが問題解決に繋がるという、そのことが分からない。

    若さとは元気がいいにはいいが、自分をコントロールできない。ならば苦しみや悲しみを我慢すること。人間はどうあがいても、我慢ナシでは生きていけない。苦しみに耐えかねて暴発した人は沢山いたし、乗り越えた人が生きられた。我慢をするというのは感情を抑制すること。人間は社会的動物であり、社会の中で生きて行く以上、社会性を備えなければならない。

    社会性とは、家の中で親に甘えてわがままに暮らすことではない。したがって、親が子どもに我慢を教えることは、社会性を教え育むことだが、それをやってこなかった親に育った子どもは、感情の抑制ができず、社会生活を営めない。社会の最小単位は2人である。社会には我慢が必要であると、当たり前に親が考え実践していたら、子どもは苦労しなくて済む。

    欲しいものがあるのに得られないというのは、子どもであれ大人であれ辛く苦しい。普通の親なら何でもカンでもすぐに買って与えはしないだろう。それが良くないことを知っているからだ。思い出してみればいい。子どもの頃に欲しくても手に入らなかったモノを…。とはいうものの、近年の子どもは(自分の孫を見て思うのだが)、普段でも結構大金を持っている。

    昔の子ども、つまり我々の時代や前の世代も、少し後の世代も、まとまったお金を手にするのはお正月くらいだった。それでも大金というほどではない。小学6年生になったとき、父の提案で小遣いを月額500円と決められた。周囲に聞くと月決めが珍しかった。皆は時々に必要なものは親に買ってもらい、おやつも親が買い置きしていて、小遣いは不要といっていた。

    父には意図があったのだろうが、「考えて使うように」と言われた。それでも、親の目を盗んでは時々家の金を盗んだ。家のお金を盗むのが、「悪」かどうかはともかく、ある程度親の容認があったように思う。子どもが親の金を盗んでも犯罪にはならないが、やってることは、「オカシイ」と今にして思う事。ビートルズのシングル盤が330円だった時代である。

    LPレコードは1500円であった。子どもには大金であり、LPを買うなど夢であった。だから親の金を、「ちょろまかす」。「ちょろまかす」とは、他人の目をかすめて、物を盗むこと。ちょろまかすに悪の意識はなかったが、他人の金を盗むなどは考えられない。親のお金は家のお金、家のお金は自分のお金で、他人のお金を盗むとは違い、罪悪感は希薄であった。

    「おかしい」、「おかしくない」の曖昧な境界線は子ども時代に誰にもある。「家のお金を盗んだことないよ」という人もいるだろう。それは立派である。確かにしてはいけないことに違いない。が、そうすることで得たものもあったはずだ。正当化というより、結果的に見て…。若いころにやった、「おかしなこと」、「よくないこと」が何かをもたらしたかも知れない。

    子ども時代に格別にイイ子だった子だけが、いい大人になるとは限らない。そういえば、人間は胎児時代の記憶を持つと話題になったことがある。子どもに問えば、その子が胎児時代のことをあれこれ話すだというが、自分は信じなかった。多少なりイマジネーションの強い子なら、そうした創作話もできるようし、胎児期の大脳や記憶中枢の発育を考えると、到底信じ難い。

    子どもに聞き取る以外にしか方法はないのだから、研究といえどもいかがなものか?「胎児には素晴らしい能力がある」。という触れ込みで、1970年代後半から、胎児や新生児のすぐれた知覚や記憶力について書かれた本が、日本で相次ぎ翻訳出版された。『暴力なき出産』フレデリック・ルボワイエ(仏・1974)、『胎児は見ている』トマス・バーニー(米・1981)。

    『誕生を記憶する子どもたち』デーヴィッド・チェンバレン(米・1988)などがあり、僅かながらも関心を持つ人が出てきている。胎内記憶と、誕生記憶に分類され、前者は胎児期の記憶、後者は生まれ出るときの記憶。2002〜3年にかけては、長野県諏訪市と塩尻市全域の保育園の協力を得て、3601組の親子に大規模なアンケート実施がなされた。その結果は…

    ◎ 胎内記憶が「ある」33パーセント、「ない」40パーセント、「どちらともいえない」27パーセント。

    ◎ 誕生記憶が「ある」21パーセン、 「ない」46パーセント、「どちらともいえない」33パーセント。

    「ない」という回答のなかには、親が質問したことがない、子どもが幼くて上手に話せない、というものが含まれているので、実際にはもう少し多くの子どもたちが、生まれるまでの出来事を覚えているのではという。ただし、6歳を過ぎると記憶のある子は10パーセントに減り、中学生では2.5パーセント。成人してしまうと、ほぼ1パーセントに減っているという。

    子どもは空想力に長けているので、正真正銘の胎内記憶、誕生記憶ではないと自分は思うが、そう決めつけたいわけではない。胎内記憶が話題になったころに、2歳児、3歳児の我が子に胎内のことをどうであったかを問うた母親もいて、子どもとの会話の様子がネットに紹介されているが、いずれも母と子の楽しくも、他愛のないやりとりと感じられる。それでいいのではないか?

    「ママのお腹にいた時のこと、覚えてる?」
    「覚えてる~」

     「ママのお腹の中で何してたの?」
     「ねんねしてた」

     「ママのお腹の中は何色だった?」
     「赤色」

     「お腹にいる時も、ママの声聞こえてた?」
     「聞こえてた~」

     「お腹から出てくる時、痛かった?」
     「?(ちょっと考えて) 痛くなかったで~」

    「『ねんね』、『赤色』は同僚の子供の話と全く同じでした。子供と胎内記憶の話をしたことがある方、ぜひ内容を聞かせてください!すごく神秘的です」と母は結んでいるが、科学的な証明とか考察というのではないようだ。まあ、聞かれた子どもが、「そんなこと覚えてるわけね~だろ、バカいってんじゃない」といえば、それこそ親はショックかも…

    人間の子どもは未熟なままで生まれることが分かっており、胎児出産といわれている。他の高等哺乳類には生まれてすぐに立ち上がるものは珍しくないが、なぜに人間だけが数年も親の保護を受けなければならないのか、進化の過程でそのようになったのかにはさまざまな考察がなされている。野生の動物はそうでないと、他種から襲われる危険性があるとの考えは理解に及ぶ。

    胎児のままで産む方が母体への影響が緩和される。新生児が無力で未熟で長期間親の保護を必要とすることで、親子の愛情が構築される、などの納得できる。ヒトの乳幼児の無力さについて記された最初の記録は、ギリシャの哲学者でミトレスのアナクシマンダー(前611~547)といわれている。彼はあらゆる種の中でヒトだけが長い授乳期間を必要とすることに気づいていた。

    ヒトがもとから現在のような姿であったなら、おそらくヒトは生きながらえることはできなかったろうと述べている。とすれば、ヒトはかなり早い段階から独力でやっていけるような、ヒトとは別のある種の生物から生まれたと考えた。アナクシマンダーはその種とは、水棲の、「魚人」といえる一種で、それが次第にヒトに変形していったと仮説を主張している。

    この魚人⇒地上人への変態が、ゆっくりとした形態変化説の最初の記録である。19世紀になって、「全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけ、自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした」のがダーウィン(1809~1882)であるのは誰でもしっている。進化論は創造主(神)の存在を否定する考えでもあり、精神・科学の両面から多くの否定者が存在した。

    表題から起こした記事なので、あまりに別方向にいかぬよう、ダーウィンのことは取り置くが、「人間は、教育を必要とする唯一の被造物である」とカントがいったように、人間は教育によってのみ人間となる。サルは人間が育ててもサルだが、人間はオオカミが育てるとオオカミになるように、いかに人間の本能支配が薄弱であるか、精神が脆弱であるかを示している。

    自分の幼児期、少年期、青春期、あるいは壮年期でさえ、「なんという愚か者であったことか」と思うほどに未熟であったが、裏を返せば、そのように思えること自体、自分の成長があったということになる。自己教育力も含めた、「教育」の賜物であろう。自分が敵としたのはいつも自分より高みの相手だった。軽蔑に値する人間をライバル視する無意味さを知っていた。

    自分が尊敬できる相手であるがゆえに、自分の力を出し切って競争できる。たとえ競争に負けたところで、成長に役立つ多くの物を手に入れることになる。弱い相手を競争相手に選べば十分に力を出さずとも勝てようし、勝ったところで自分は成長も向上もしていないだろう。将棋というゲームにおいてもいえる。プライドの高い人は、自分が勝てない相手とはやらない。

    自分が勝てないと面白くないという人は多い。「あんたとはもうやりたくない」と言われることもある。今さら強くなろうと思わずともいいが、どうして趣味として楽しめないのだろう。つまらぬ自尊心ばかりが先行するのだろうか。不思議で仕方がないが、近年は分からぬことは、「そういう人だ」と思うようにし、理解をするように努めるが、相手から避けられるのは仕方がない。

    「ねえ、おかしいでしょ若いころ」というならともかく、70歳、80歳になって、こういう風に笑われては情けないと思うが、人はいろいろである。いろいろな人がいるから、人生もいろいろということになる。人が一種類ならつまらない。いろいろな人がいるからいろいろ学んでいける。しかるに人間関係とは、身につけるべく様々な人への対処力といえなくもない。


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    滑稽と可笑しいの意味の違いは、「滑稽だから可笑しい」という用法から分かろうが、「可笑しいから滑稽だ」とはいわない。滑稽は、中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語で、当時は、饒舌なさまを表した。転じて後世には、笑いやユーモアと同義語として日本に伝わり、滑稽本などを生んだ。一説によると滑稽の語源は、酒器の一種の名であった。

    その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになったという。ニワトリの品種に烏骨鶏(うこっけい)というのがあるが、字も違うし何の関係もない。卵一個の値段が400円くらいする高級品種だが、食べたことはない。何でそんなに高いのか滑稽だ。

    若いころのあまりの思慮の無い行為は、今となっては笑い話になるが、自分がもっとも「滑稽千万」といえるような何があったろうか?胎内記憶、誕生記憶というのがしきりに言われたこともあったが、自分の中で最古の記憶というのは、自営で多忙であった親に変わって、祖母が自分の子守りに参じていた。祖母の背中に背負われて寝かしつけられたある夜のこと。

    大きな満月が自分の視界に入った。背中でお守りだから2歳かそこらだったと思うが、祖母の背中でみる月は、なぜか自分たちの後を突いてくる。歩けば木々や家々はどんどんと後方に下がっていくが、なぜか月はいつも自分の左横について来た。まるで自分たちと歩調を合わせたかのように、歩けど歩けども月はついてくる。疑問を抱くというより、じっと月をみていた。

    イメージ 2これでは寝るわけがない。「月夜のふしぎ」、「月のふしぎ」がどうやら最古の記憶である。後は母から受けた虐待の記憶が多い。小学一年生の書き取りのマスは大きい。そこに習った漢字を書くのだが、目の前には鬼の母が、綺麗な字を書かせようと監視体制である。膨大な書き取り練習を泣き泣きしていた。子どもは筆圧が強いから薬指のペンダコが痛くなる。
    自分の痛みは他人に分からない。親と言えどもだが、それが痛くて泣いていた。男の子だから泣くのを容赦しない母は、泣くと板の間に正座をさせる。何故か正座が罰であった。「抱き石」といって、十露盤(そろばん)板と呼ばれる三角形の木を並べた台の上に正座させ、膝の上に重石を載せる刑罰があった。それは刑罰であり拷問であったが板の間の長時間正座もキツイ。

    いたずらをすると体を縛って押入れに入られるのだが、子どもはどうして押入れが嫌なのだろう。押入れは闇の恐怖、そこにはお化けがいると思えた。冷静に考えたらこんな滑稽なことはない。手足を縛られ、押入れに入れられたところで、嫌がりもせず、怖がるどころか、暗くて寝るのに丁度いいと、あっけらかんとなぜできなかったのか、今にして思う。

    自分ながらにひねくれていたと思うが、押入れが怖いというのはさすがに子どもである。「押入れなんか屁でもないわ、入れたいなら入れてみやがれ」とまで言えるほど、ひねくれてはいなかったのだろう。もし、前世も来世もあって、前世の記憶が来世に残っているなら、「押入れに入れてみやがれ!」と言おうと思っている。が、前世も来世もおそらくないとの考えだ。

    ましてや記憶となると正気の沙汰とは思えないが、「自分の前世は仏陀である」とか、「あたしの前世は天草四郎なのよ」という人は、へそが茶を湧かすほどに滑稽と思っていた。前者は大川隆法、後者は美輪明宏である。彼らが特別な何者かなどは一切思わないが、そうではないと証明できないのを逆手にとってか、好き放題いう人間はイカレていると見るのが妥当。

    1990年代初頭、オカルト、超能力、霊界ブームがあった。「幸福の科学」を始めとする「不思議宗教」が出現もした。スピリチュアルや宗教というのは、本来は、「神聖な分野である」はずなのに、扱う人間によってはビジネスや詐欺に利用された。日本の仏教や神社などと同じで、利益を得てはいけないわけではないので、扱う人間の本質的拠所になっている。

    既存の宗教概念ではとらえようがない不思議宗教だが、阿含宗、GLA、真光系教団など、「新新宗教」と呼ばれる一群の新しい宗教とて同じであろう。宗教的な広がりはないものの、一部の霊感所有者の多くは、「現代的な霊界観に基づく体系的宇宙観」や、「新宗教の重要な要素ともいえる"心なおし"をうたうことで、信者獲得を広げんとしている。

    人間には下半身があるという理由からか、新興宗教教祖が絶対に口にできなかった、「自分は神」という言葉を使う者まで現れた。「幸福の科学」しかりの大川隆法は、普段一見はヌーボー感漂う人間だが、講演となると別人もどき変貌する。饒舌で声が裏返る白熱さには引いてしまう。声の裏返る人は決まって高めで早口で饒舌、落ち着きの無さを感じる。

    声が裏返るのは、故大島渚、ジャパネット高田社長、物乞い賢者テラ、将棋の加藤一二三は、ただでさえ高い声が興奮すると自制効かずで裏返る。裏返る手前で止めればいいが、独りよがり人間の特質だ。大島はただの騒音、高田社長は商売熱心、自称神の賢者テラは自宅のキッチンで説法、加藤に至っては奇人以上、精神異常者以下。若くもないが彼らは滑稽だ。

    独りよがりにならぬよう、落ち着いて冷静に話すを旨とする自分は、説得より相手が納得するを心掛ける。目を凝らさずとも世の変化は凄まじい。30年、50年前に比して近年の時代変化の特徴は、社会の個人化という様相である。そうした中で自我をどう支えて行くのかだが、ゆえにか、自己実現のためのチャネリングを通した各種の啓発セミナーが盛んである。

    流行と見る向きもあるが、ともあれ宗教や異次元霊界には、現世利益的な個人の安心、他方は理想に献身するなかで、自らも救われるという二面の機能が、信者の魅力となっているようだ。人間の基本は自力なのか他力なのかは、大きく分かれるところだが、地力は自信、他力は依存である。それぞれが自分の心や性格にあった生き方を選択するということのようだ。

    確かに、「他力」というのは、日本史におけるもっとも深い思想であり、凄まじいパワーを秘めた〈生きる力〉である。法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなすのも〈他力〉である。法然は難しい往生の修行をやさしく説いたし、親鸞は法然の説いた道をより深めた。さらに蓮如は、親鸞が深めた信仰を、広く人々に手渡さんと、自らの生涯を賭けて行った。

    したがって日本の仏教は、「難しいことを易しく」、「易しいことを深く」、「深いところを広く」という三人の聖人の働きによって、日本人の心に長く定着していった。宗教に帰依せずとも生きては行けるといいながらも我々は無意識に宗教の影響を大きく受けているだろう。ただ、御利益を期待しないのが、信仰に与しないものの鉄則と言い含めている。

    つい人間はその弱さもあってか、詣でに参じて小銭を投じ、大きな願いをかけたり祈ったりするが、これとて滑稽千万と自分には映る。如何に「苦しい時の神頼み」とはいえ、虫が良すぎるのではないか。そういう辛辣な考えもあれば、「別に大願成就など叶うとも思わない。神社仏閣においては儀礼的に手をあわせているだけ」という考えも、いかにも日本人らしい。

    父の墓前で手を合わせるとき、お願いごとをするなどもっての外と、「南無阿弥陀仏」というしかない。神や仏や御先祖様が、身勝手な私利私欲を聞き入れるはずもない。ヴェルディのオペラ『トスカ』では、毎日祭壇に花を捧げ、お祈りを捧げたトスカ姫は無常のアリアを絶叫する。信者が神に対するこうした屈折した心情を抱くなら、無神論者は楽と言えば楽である。


      私は芸に生き 歌に生き
      人様には何ひとつ 悪いことをしませんでした
      不幸な人を知れば そっと手を差し伸べ助けました

      私はいつの日も 心からの信仰をこめて
      祈りを聖壇に捧げましたし
      心からの信仰をもって 祭壇に花を捧げました

      この苦しみの時に、何ゆえに・・・主よ
      私にこのような報いを お与えになるのですか?

      私は聖母マリア様のマントに 宝石を捧げましたし
      星に・・・天に・・・歌を捧げれば それらは天上で
      いっそう美しく 微笑んでくださいました

      この苦しみの時に、どうして・・・主よ
      私にこのような報いを お与えになるのですか?


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    「倒行逆施」について書いた記憶がある。史記『伍子胥伝』にある言葉で、伍子胥といえば、「孫子の兵法」の著書とされる孫武とともに太子の夫差を補佐し、国力を養った後に呉は夫椒で越を大敗させ雪辱を果たした。呉越春秋のロマン溢れる話は読みながら体が震えたものだ。「孫子の兵法」の他にも、「呉越同舟」、「臥薪嘗胆」などの言葉が知られている。

    孫武の後半生については記録がなく、墓もハッキリせず、実在した武将かどうかも古くから中国史学者の間では論争が続いていた。『史記』列伝には、『三国志演義』同様、物語的な要素が甚だ多く、最も物語色の強いのは、『伍子胥列伝第六』である。「倒行逆施」は同巻に出てくる言葉で、仇敵の逃亡の無念さを晴らすため父(平王)の墓をあばき、屍に300回鞭打った。


    伍子胥の友人申包胥は伍子胥に人を使わせていった。「いかに復讐とはいえ、おまえの仇打ちのやり方はひどすぎないか。格言にも言うとおり、『人は一時は天(運命)に勝つことが出来ても、やがては天の報い受ける』。おまえはもともと平王の家臣だった。その平王の亡き骸を辱めるとは、いまに天罰が下るぞ」。伍子胥は使者に向かってこう述べた。

    「申包胥に言ってやれ。吾、日莫(く)れて途(みち)遠し、吾、故に倒行して之を逆施すと」。意味は、自分はもう年を取っているので、手段など選んだりする暇は無い。であるが、この場面が、「倒行逆施」の語源となっている。呉越春秋の話を知らずとも、「臥薪嘗胆」、「呉越同舟」の言葉を知っていればいい。それこそ、「もう物語を読む時間がないのかも…」。

    若い時でなければ忙しさにかまけて、『史記』や『三国志』や『水滸伝』は読めないかも知れない。寿命なんか湯水のように溢れていた若き時代に比し、死というものがグンと身近に感じられる年代である。ならば、関心事が健康管理に変わってくる。もっとも顕著なのが食生活である。以前のように、好きなものを選ばず考えず、思うがままに食べることはなくなった。

    これを「節制」と言えばそうとも言えるが、やはり悲惨なデブにはなりたくはないし、いまさら見栄え云々というより、若いころと比べて基礎代謝も下がり、弱った血管もいつ破裂をするのか分からない。足腰の筋肉は衰え、特にインナーマッスルといわれる腰や骨盤を支える大腰筋も衰えが見え始める。したがって老齢で大事なことは、何より現状の維持ではなかろうか。

    それには若いころと同じ食生活でオーバーカロリーは禁物である。人間を総称して「心身」というように、身も心も自己管理の対象となる。今更、あれが欲しい、これが食べたいというのは、自然に退行していくべきで、したがって節制を無理強いすることもなれば幸便だ。現在は過去の集積である。未来もまた、現在から予測は可能である。特に肉体においては…

    マツコは国民に支持され、人気があるようだが、それは芸能人という着眼で、彼を色物的に見るからであろう。彼はまだ44歳であり、それであの容姿、様相では世間で普通に生きることは難しい。ならば水を得た魚のように、芸能界という世界で生きる彼は、図体こそクジラかシャチのようであっても、天職を得ているといえるが、お世辞にもお手本にできる体型といえない。

    あの体型は余程の不摂生のたまものであり、お手本にする者はいないだろう。あんなお化けのQ太郎のような服しか着れない生活は芸能人であればこそだ。マツコ曰く、「食べれないわけではないが肉・魚が嫌い」らしく、「米が大好き」という炭水化物依存症であるらしい。テレビでいうには、ご飯を炊いたら茶碗によそわず、炊飯器の釜をドンブリにして食べていたという。

    その産物である。現在、20kgのダイエットに成功し、それでも120kgというが、彼のBMI指数からみた理想体重は約70kgで、50kgオーバーは難しい数値である。過去を悔いているのか、現在の状況に満足しているのか、そこは分からないが、お金があっても自制心は身につかないし、お金持ちでもデブにつける痩せ薬はない。本人がアレでいいならいいのだろう。

    ああはなりたくないという人なら、自堕落は禁物だ。明日食う米に困るようになれば、何もしなくても痩せられるから、疑似的にそういう環境を作り出すのも一案だ。自己責任の国アメリカでは、野球やバスケのチームが、日本のような全体管理をしてくれないが、代わりに厳しい自己管理を求める。ビジネスマンにおいても、デブは自己管理できてないので失格となる。

    自由の国である反面、責任が表裏を成している。強く自由を望む自分だから、当然のごとく責任ということを強く自覚している。数々の名言を残している英国の劇作家バーナード・ショーの言葉に、「自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を恐れる」というのがある。言い換えれば、「自由を束縛されたものには責任は発生しない」となる。

    ところが、自由とは何か?をつき詰めた場合、「自由とは束縛のないこと」では決してない。弁証法的な言い方になるが、つまり人が自由を感じるためには、束縛が必要となる。不倫する者が婚姻者であるように、婚姻という枠の中からでて、自由を満喫する。言い換えるなら、「自由とは、存在する束縛の外へ飛び出す事である」と、いえば分かりやすい。

    妻(夫)が悪い、よくない、結婚が失敗だったという人もいるが、相手にも家庭に不満はなく、結婚が失敗だったわけでもないが、それでも配偶者以外と性的関係を持ちたいのも、婚姻という枠に飛び出す自由を求めるからだ。夫婦は互いに貞操を守るよう要求する権利を持つ。これを守操請求権というが、実は民法の条文のどこにも、貞操を守る義務についての明確な規定はない。

    夫婦に貞操義務はあるが、条文にすら書かれていないのはなぜか?つまり、罰則を設けることが適切でないからである。というのも、夫(妻)が浮気をした、不倫をしたからといって、罰を与えなければならないものでなく、要は被害側(浮気をされた側)が、絶対に許さないというものでもない。つまり不貞行為は、「離婚の原因になり得ますよ」ということである。

    離婚を望む者にとって、離婚理由にはなり得るが、離婚を望まぬ者には、その限りでない。上記した、「夫婦は互いに貞操を守るよう要求する権利(守操請求権)というのは、不倫相手に対して以下のような理由に基づき、原則として損害賠償(慰謝料)を請求することができる。妻が夫の不倫相手に求めるのが一般的だが、夫に求めたケースもないわけではない。

    有名なのが小柳ルミ子の元夫大澄賢也に対する1億円とも言われる損害賠償である。離婚を認めない小柳に対し、離婚を望む代わりに要求された1億円を分割で払った大澄は明晰である。もし、あのまま離婚しないで小柳の僕(しもべ)となっていたら、大澄は自由を供与されない奴隷同然であったろうし、ルミ子女王さまの呪縛を切る1億円なら、安いものではないか。

    己の望みを叶えるために小柳の言い分を受諾した大澄、その後に及んで小柳の悪口や不満を一切言わなかった大澄は男である。13才年上の小柳に自分から交際を申し込んだというが、離婚の原因について、「小柳のおかげでいろんな仕事をしていくなか、冷静さを欠いていた」と大人の発言である。「彼女には感謝の気持ちを抱いている」と、大澄は男を上げた。

    過ぎさったアレコレを笑い話にできることはある。笑い話にできないこともある。笑い話にできるのは笑い話に転換できるからで、笑い話にできないことは、笑い話にできない何かが被さっている。「あの時はマジで死のうと思った」。「死ぬつもりだった」なども、死ななかったから笑い話にできるが、もし、自殺などしていたら、そのこと自体を悲劇というしかない。

    生きていれば如何なるなことですら、笑い話にできたはずと、考えるなら笑い話を笑い話にできないのは悲劇である。「笑いばなしに涙がいっぱい」との表題だが、悲しくても生きているから笑い話となる。泣きながら、涙に目を曇らせながら、そういう笑い話もある。笑える話だけが、「笑いばなし」というのではなかろう。人間は複雑であるがゆえに、人生はいろいろである。

    泣いて哀しむ笑い話というのは自分の過去にはないが、情緒は分からなくもない。うれし泣きがあるように、泣き笑いもある。人間社会における最大の罪は、殺人ということになっている。が、それは法治国家として決められた最大の罪であって、人間社会の矛盾は、最大の罪を最大の罪とできないことにある。つまり、殺人以上の罪が存在するということだ。

    ヒドイ仕打ちに比べたら殺人などは罪のうちにはいらない。そんな罪も人間は起こし得る。殺人以上のヒドイことは、この世にいくらでもある。しかし、どういうものが殺人以上の罪であるかを、個々具体的に決めるのは至難だろう。決める側の主観によっても異なる。また、殺人以上の罪を認めるのは、社会秩序の問題もあるが、複雑な人間社会には殺人を無罪とする人間愛もある。

    法律用語で、「情状酌量」という語句を使うが、殺人が無罪になるケースについては、被疑者が起こした殺人行為より、被疑者が被った仕打ちや虐待を殺人以上の罪とすることだろう。動機には要因がある。殺人を犯した動機、殺人を引き起こすことになった動機の要因、果たしてどちらが重いかを人間は正しく量れるものなのか?自分は「否」である。


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    「笑い話に涙あり」、「涙話に笑いあり」どちらも、「涙」の経験はないが、気持ちは理解する。夏川りみのヒット曲、「涙そうそう」の詞は、森山良子が急死した兄の想いを書いたもの。「涙(なだ)」も、「そうそう」も沖縄の首里方言で、沖縄の方言を用いた理由は、ある番組でBeginと一緒に曲を作る事となり、Beginから送られてきたタイトルが、「涙そうそう」だった。

    「涙そうそう」とは、「涙がとめどなく溢れる」との意味で、森山はこれまで心にしまっていた兄への想いを、一晩で一気に書き上げたという。Beginの曲であったが、2000年の沖縄サミットで彼らが歌うのをテレビで観ていた夏川が、「これこそ自分が歌いたかった曲」であると、Beginのライブに行ったときに楽屋を訪ね、「この歌を私にください!」と直訴した。

    Beginの比嘉は、「まあ、そうあせらずに」といって、夏川りみ新しい曲を書いた。しかし、夏川はどうしても、「涙そうそう」を歌いたく、再度Beginに、「歌わせてほしい」と、頼み込み、了承を得た。レコーディングに立ち会った比嘉は夏川にいった。「りみちゃん、そんな歌い方じゃ、お客さんに全然伝わらないよ」と、森山がこの詞を書いた経緯を伝えたという。

    それを知った夏川は別人のようにこの曲を歌いあげたという。「愛別離苦」とは仏教の「八苦」から取られた言葉で、親子や夫婦、兄弟など、愛する人と生別や死別の苦痛や悲しみである。毎日、この国で、世界のどこかで沢山の人の死が報じられる。そうした知らない人の死もいたわしいが、やはり人間は、自分に近しい人の死に触れると、とめどない悲しみに襲われる。

    自分の命はもちろん自分のものであるが、自殺などで命を投げ出す人はどれだけ自分を愛してくれている人を悲しませるだろう。もちろん、不治の病や不慮の事故で命を落とすことさえも、変わらない悲しみや苦しみを与える。一人旅断つ死者は死後の時間を共有しない。死にゆく人も無念だが、悲しみという点においては、残された者の方が大きいかも知れない。

    しんみりした場の状況などを例えて、「なんだか通夜みたいだな」などの言い方をするが、通夜の起源は釈迦の入滅後、悲しんだ弟子たちが遺体を見守りながら、死後7日間、釈迦が生涯をかけて説いた説法を弟子たちが夜通しお互い聞き合ったという故事による。日本の仏教における通夜は、「線香や蝋燭を絶やさず、親族が一晩中起きて遺体を守る」というのが一般的。

    「通夜振る舞い」という風習は、酒やビール、寿司などを別室にて遺族から弔問客へ振る舞う食事会のようなもので、お礼の意味が込められている。地域の風習もしくは個々の通夜への考え方もあって、飲んで踊って大騒ぎをする通夜もある。一見、遺体を前に不謹慎なようでもあるが、それなりの理由がある。遺体を一晩置くのは、生き返る事例は珍しくなかった。

    死んだ者が生き返るわけがなかろう、というのは医療の発達した近年の考えで、そうでなかった時代には仮死状態を死とされたこともあった。つまり死人が生き返るのではなく、死んでいなかった人間が、「一体なに事じゃ?」とばかりにムックリ起き上がっていたといえる。これは喜ばしいことというより、当時は死人が生き返るというのは恐怖であったらしい。

    経験はないが、いわれてみると死んだ人間が生き返るというのは、さすがに怖いことかも知れない。通夜で寝ずの番をするのは、生き返るかどうかを見守るとともに、皆が酒を振る舞って大騒ぎするのは、死人が生き返る恐怖心を紛らわすためであった。年端もいかぬ子どもが、親の通夜に酒に酔って大騒ぎをする縁者・近隣者に怒りを覚えたと聞いたことがある。

    肉親の死を経験した者には、まさに眠っているようにしか見えず、今にも起き上がりそうな感じで見守ったりする。それこそが肉親の情愛である。自分は父の死が受け入れられず、遺体を布団に3日間置いてもらったが、時間とともに変化するの眺めていた。もっとも顕著に変化するのが眼球で、瑞々しい眼球が干からびて行く様は、もはや死を現認するしかなかった。

    涙のなかに笑いは持てなかったが、友人などには明るく振る舞えたのは、自分にしかとケジメがついたからで、その様子を友人の方が驚いていた。「お前、大丈夫なんか?」とかけられもした。あれを、「盤石」というのだろう。周囲に哀しい素振りを演出する人もいるのかもしれぬが、遺体の前にひざまずき、流した涙は多くとも、自らを悟った人間には強さも宿る。

    慟哭過ぎ去り自身にケジメがつけば、めそめそ、くよくよはしたって始まらない。そういう切り替えは培ってきた理性の賜物であろう。その場に及んでじたばたする人間も好きではなく、天下を目論んだ信長の、「是非に及ばず」と、同じく覇権を目前に散った項羽の、「天道是邪非邪(天道是か非か)」だが、これほど武将の最後の言葉にに相応しいものはなかろうかと。

    本能寺における、「是非に及ばず」は、この場に及んで善悪を論じても意味はない。襲うというなら戦うのみ、との意味。これは有名な、「直江状」(上杉家家老直江兼続が家康に宛てた書状)にも同じ文言がある。これほど家康をコケにした文書はない。項羽の、「天道是か非か」は意味が違って、「天道は正しいのか、正しくないのか」と自らに問うている。

    自分は、「天道非邪」の考えを信奉する。儒教で聖人とされる伯夷は、「天道に親無し。常に善人に与す」と説いているが、天が常に善人の味方ではない。これは『老子』第79章にも書かれている。「自然界の動きとは非情なもので、善人も不善人も区別なくうちのめす時がある。が、長い年月の間には、善人の味方であることが証明されるだろう、と、老子は信じていた。

    時々にはいろいろあるが、究極的には天は悪より善に与するだろうと老子は信じたものの、長い年月に於いてのことゆえに、「である」というよりも、「ではないか」ということだが、自分には天がどうであるか、正直分からない。分からない問題について答えを出すなら、「天」など存在しないということになる。在るのか無いのかの天について、「無い」を信奉する。

    人はいろいろだから、分からないものはとりあえず、「在る」と、分からないものはとりあえず、「無い」という人に分かれる。どちらも、「とりあえず」だから、確信ではないが、これを論拠にして思考を組み立てる。とって、お化けも神も信じないスタンスである。確かに世の中分からないことだらけであり、「何を信じていいか分からない」という人もいよう。

    「信じるものは正しいものであって欲しい」、誰もが望むことだが、これは誰にも分からないことなので、信じたものが正しくなかったり、信じた人に裏切られたりも世の常だと見切った方がいいのではないか?つまり、誰にも分らないことは自分にも分からない、だから何かを信じてみるが、それが正しくなかったという結果によって、はじめて知ることになる。

    それでは嫌だからと、最初から正しいものを目論んで、宗教を信じたリ、スピリチュアルカウンセラーなる人の言葉を信じるのもいいが、それらが本当に自分に即しているものかどうかも疑わしい。自分で答えを出せない人は、誰かの何かを信じるのだろうが、それについて自分で答えを出せる自分は何も言えない。自信のない人の気持ちが分からないからだ。

    自信とは、言葉通り自分を信じること。自分を信じる代わりに責任もとる。自信のない人は、自分が信じられず、できたら責任も取りたくないのだろう。だからといって、人にあれこれいう人が責任を取ってくれるわけでもない。そういう人にお金を払って言葉を得るのは、どうなのだろう?商品なら、お金を出すものには責任を取ってもらえるが、言葉にそれはない。

    そのような論理を組み立てると、自己責任で完遂するのがよいように見える。自分に取って、「自己責任」という言葉ほど煌めくものはないからだろう。自分のことは自分で考え、自分のことはでき得る限り自分で行う。人を頼り、人に期待しても相手に責任をどう取ってもらえるというのか?そこが分からない。果たして人が人の責任を取れるのか?にも帰結する。

    自分的には、単純で明確で分かりやすい生き方に思えるのだが…。世の中、名だたる大企業であれ、政治家であれ、責任を取りたくない人が多いようだ。おそらく、権威・権力を有する人たちの、しがない無様な生き方であろう。自分にはそのようにしか見えない。それらを総合すれば、責任を取らない企業の商品は買えないし、責任を取らない人間の命令は聞けない。

    そうはならないのか?必然的な論理と思うのだが…。嘘ばかりつく親の言いつけは聞けなかったし、誰でもそうすべきではないのか?そういう毅然とした生き方が、強い生き方ではないのか?自分のことだからよく分かるから、言いもし、書きもするが、自分は強く是は是、非は非と定めて強く生きたいが、幸いにして過去、「是非に及ばず」というほどの経験はない。


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    「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と国会で発言した日本の総理大臣の低レベルさを今更あげつらうこともないが、こんなことをいう首脳は日本以外にはいないだろう。安部首相も負けず劣らずの低レベルぶりで国民を愚弄しているが、その安倍首相は2年前の衆議院予算委員会で、他の議員の発言にヤジを飛ばして議長から注意を受けるなどの体たらくぶり。

    安倍首相のヤジがあったのは、2月19日午後に行われた民主党の玉木雄一郎衆院議員の質問中でのこと。砂糖の業界団体の関連企業から、西川公也農林水産相の政党支部に献金があった問題を巡り、西川農水相が答弁していた。すると、開始20分過ぎごろだろうか、座って聞いていた安倍首相がいきなり玉木議員に対して、「日教組!」とヤジった。以下はその様子。

     安倍首相<「日教組!」

     玉木議員<「総理、ヤジを飛ばさないでください」

     玉木議員<「いま私、話してますから総理」

     玉木議員<「ヤジを飛ばさないで下さい、総理」

     玉木議員<「これマジメな話ですよ。政治に対する信頼をどう確保するかの話をしてるんですよ」

     安倍首相<「日教組どうすんだ!日教組!」

     大島委員長<「いやいや、総理、総理……ちょっと静かに」

     安倍首相<「日教組どうすんだ!」

     大島委員長<「いや、総理、ちょ…」

     玉木議員<「日教組のことなんか私話してないじゃないですか!?」

     大島委員長<「あのー、野次同士のやり取りしないで。総理もちょっと…」

     玉木議員<「いやとにかく私が、申し上げたいのは…」

     玉木議員<「もう総理、興奮しないでください」

    疑惑が報道されている西川農水相とのやりとりを見ても、玉木議員の質問は良識的なものだが、なぜに突然、「日教組!」とヤジを飛ばす理由があるのだろう?一国の総理が一議員をヤジるなどと、甚だ下品で見苦しい。これが、『美しい国へ』(2006年:文春新書)を著した安部晋三なのかと呆れる。自らが、「汚い国」へ率先して誘導している安部晋三である。


    小泉元首相と安部首相の共通点は、共に国民に人気があることだが、二人の大きく違う点は、小泉純一郎のすごいところは、いくら、「単純」と謗られ、罵られようとも、馬鹿の一つ覚えの如く同じフレーズを繰り返し、「馬鹿呼ばわり」されることを何ら厭わなかったこと。小泉は慶応大だが上目線で偉ぶったところがないのは、同じ慶大の田中眞紀子とは大違いだ。

    田中は外相時代に安部首相を、「首相はバカだから成蹊大」と発言した。お膝元の新潟県内での講演会での発言だが、身内の寄り合いということで多少の緩みやサービス精神もあっただろうが、東大生時代に安部の家庭教師を務めていたという、ある自民党議員から聞いたという話でこのように述べたている。「(安部首相は)本当に勉強嫌いで頭が悪かったそうだ。

    彼は、『あれだけ教えれば、どんなにバカでも慶応くらいは入れたはず』といまだに悔やんでいる」と、ブチ上げ成蹊大出身者から顰蹙を買った。 端的にいえば、「安倍はバカだから慶応に入れず、慶応より下の成蹊に入学した」と言っているわけだ。まあ、世の中には偏差値というものあり、それをオトナになっても拘り、引用して揚げ足をとる田中も品格がない。

    論理的な言い回しより、人格批判や悪口材料を見つける事に長けた、いかにも女性らしい醜悪さであるが、田中眞紀子はひときわそういう女である。父の威厳を傘に驕り高ぶり、人を上からしか見ないから官僚も使いこなせない。成蹊は慶応より偏差値は低いが、学業ができることと社会で生きていくセンスは別のものであるという認識がまるでない無知女である。

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    学歴はともかく、安倍首相の答弁や行状などから、はたまた出しゃばり妻を見ても、安倍首相の本質は、「バカ」とは言わないまでも問題があり過ぎる。現在、取り沙汰されている、「加計学園」問題も内心は慌てふためいているのだろうが、自民党内に対抗馬がいないこともあってか、この問題が党利党略によって、うやむやにされる怖れを危惧するのだが…。

    それにしても、「ヤンキー先生」として一躍教育界で名をあげた義家弘介議員も、バッヂを付けた途端、つまらぬ人間になってしまった。誰の入れ知恵なのか、本人の勇み足なのか、「内部文書が存在すると職員が内部告発して明らかにした場合、国家公務員法(守秘義務)違反に問われる可能性がある」と、副文部科学相の発言として述べたことが波紋を広げている。

    国家公務員法は、職員が職務上知りえた秘密を漏らすことを禁じているが、義家はミソもクソも一緒のバカ発言である。守秘義務というのは、漏らした情報が形式的に秘密として扱われていたというだけでなく、実質的な秘密として保護するに値する場合でなければ罪は成立しない。今回のケースは、省内で秘密文書に指定されていたものでないのは法曹関係者の認識である。

    誰に言わされたのかは不明だが、本人が口を開いたなら本人の発言であり、責を負うべきだが深い知識もないままに軽率なことを言うから、吐いた唾を飲まなければならなくなる。副大臣という職責で気負ったのだろうが、ヤンキーも政治家になればドンキーな人間になる。内閣府が国家戦略特区と位置づけた国策の議論は透明性をもって進められるべきである。

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    であるなら本来は、文科相や内閣府の担当相が、進んで事実を明らかにすべき事柄であって、どこが守秘義務違反になるのか?これについてある現役裁判官は、「守秘義務違反で罪に問われるのは、秘密を流出させた方法が著しく社会常識から逸脱しているなど、極めて例外的な場合に限られる」とし、別のある裁判官も、守秘義務と公益性について以下の見解を示す。

    「形式的に守秘義務違反に当たる場合であっても、公益のための内部告発など、目的に正当性があれば、裁判では違法性が否定される可能性がある」。この件がなければ、内部通報という正義は廃るばかりである。公益性は秘密に勝るという正義が行使されなければ、この世は暗黒政治に牛耳られる。ロッキード事件のとき、「司法取引」という言葉がメディアに載った。

    当時ロッキード社会長であったコーチャン氏の嘱託尋問調書が、司法取引によって免責の上でなされた。「真実をいうなら罪に問わない」というやり方は日本人に馴染めないのか、司法取引は日本の司法制度にはないが、メリット・デメリットは当然にしてある。日本でも司法取引採用の動きはあり、2014年9月18日に法制審議会は司法取引制度の新設を提起した。

    新たな司法取引制度は、取り調べの録音・録画の義務付けを柱とする刑事司法制度の改革案を正式に決定、2016年5月に、「改正刑事訴訟法」が成立した。2018年までに施行される見込みとなっている。日本の司法制度は、諸外国に比べ100年遅れているといわれた。それらから、裁判員制度や改正少年法など司法改革が進められ、ついには、「共謀罪」の適用に踏み切った。

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    「共謀罪」とは、犯罪を初期計画段階から処罰する、「改正組織的犯罪処罰法」の趣旨に沿うもので、昨日早朝参院本会議で成立した。これまでの日本の刑法は、犯罪をどのように立案・計画しても、実行に移した段階から処罰するものであったが、計画段階で取り締まることになる。反対論者の意見は、告発(タレこみ)があった場合、一般人が捜査対象になるという危惧である。

    法案はこの点が曖昧にされており、さらに政府は共謀罪法案が、「テロ等準備罪」を処罰するものと強調するが、テロのための条文はどこにも書かれていない。英米法には昔から、「共謀罪」は存在するが、かといって頻発する英国のテロや米国の「9.11テロ」を防ぐことはできなかった。市民団体や労組、NPOなどがターゲットとなってしまうという乱用が危惧される。

    前置きが長くなったが、小泉首相の、「いろいろ発言」を借りれば、「首相もいろいろ、議員もいろいろ、官僚もいろいろ」である。人間がいろいろなのは、話したり、付き合ってみて初めて分かるが、話せない、付き合えない人のいろいろは、報道などで判断するしかない。人間のいろいろとは、心のいろいろ、考え方のいろいろという内面の違い、容姿・容貌のちがいである。

    「男もいろいろ、女もいろいろ」は「人間のいろいろ」に含まれることで、とりわけ「男のいろいろ」、「女のいろいろ」と分けて指摘できないことはないが、細かく分類するよりも、ひとまとめに、「人間いろいろ」とした。島倉千代子の、「人生いろいろ」の歌詞から取った表題で書き終えたが、最後、「女だっていろいろ咲き乱れるの」というのは、怪しい歌詞だが納得する。

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    昔から女は花にたとえられる。「職場の花」ともいう。「紅一点」というのも実は花からきた言葉で、中国の王安石が作った『詠柘榴詩』の中にある、「万緑叢中紅一点」の略。意味するところは、「緑の草むらの中に一つだけ赤いザクロが咲いている」。女が花なら男は何?花が女なら男は蝶…という歌の歌詞があるが、「男は大地」もしくは、「男は大樹」ならカッコイイ。

    父をして、「一家の大黒柱」という言い方をしたが、近年、「大黒柱」というにふさわしいお父さんはいるのだろうか?人間いろいろなら、花もいろいろ、男もいろいろだろう。「寄らば大樹の陰」という言葉は、身を寄せるなら、身を隠すなら大木の下が安全であるとの意味。こうした若者、こういう男ばかりで日本の将来はないが、そういう男は親が作るのか?

    最近の小学生の男の子に、「女子嫌い」が増えているという。「一番キライなモノは女子」という男の子。これも自分が思うに、わんぱく小僧、やんちゃ小僧が少なくなった現れではないのか?カエルや毛虫を投げつけては女子に嫌われる男の子の方が、よっぽど男の子らしい。「男子なんか大嫌い」などと、どんだけ言われたか。それにしても、「女子は嫌い」とは、な・さ・け・な・い…


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  • 06/16/17--18:24: 進撃の藤井聡太

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    「勝負ってのは、勝ったり負けたりするから『勝負』であって、負けない藤井聡太は勝負してると言わんのじゃないかね~」と、将棋仲間が言う。面白い事をいうなと思いながら、「そうかもしれないね~」と反論せず、とりあえず相槌を打っておいた。何を勘違いしてるんだか、「勝負」とは、勝者と敗者がいることをいい、たとえ勝率10割といっても眼前に敗者がいる。

    若い時はともかくも、ひと年とったら人を見てむやみな反論はしない。広島の方言に、「やねこい」というのがある。キツイ、しんどい、苦しいの意味もあるが、難儀だ、面倒だ、むずかしい、という意味もあって、「やねこい人」は難儀な人、面倒な人のことをいう。上記のように言い返せば、「そっか、なるほど」といいそうな人、そうでない人は何となく分かるもの。

    やねこい人には適当にあしらい、相槌を打っておくのがイイ。商売人が、面倒な顧客を上手くあしらうようにである。「あしらう」には主に二つの意味がある。①応対する、応答する。②相手を軽んじた(見くびって)応答をする。一般的には後者の意味合いで使うが、あしらってうるのを察知されないようにすれば悪いことではない。むしろこれは人間関係術といえる。

    相手に分かるようにワザと、「あしらう」態度も見せるが、良くはないといっても、面倒な相手を遮断する人間関係術である。こちらの態度を明確に、あからさまに提示して相手に分からせるのも時に必要だ。相手がどう思おうと知ったことではない。しつこく、面倒で、付き合いたくない相手に対する露骨な態度は、「No!」をいうのと同じ拒否であろう。

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    これが出来ない人は、無理をするので神経症になりやすい人。自分も、この場で露骨にあしらった相手はいた。曖昧にするより、ハッキリ伝えてお引き取りを願うのは、何ら悪いことでもない。幼稚園の標語ではないし、「だれともなかよくしよう」などあり得ない。付き合う相手は選べばいいし、相手に選ばれることもある。相手に選ばれてないなと気づくことも大事。

    人間の行動は、自らに殉じた行動もあれば、相手の気持ちを考えた行動もある。人間はいろいろである以上、相手を見極め、相手に即した応対が必要となる。相手に合わせるというのではなく、相手を理解したうえで適切な行動を心掛ける。逆に相手から捉えた自分をみるに、意思をハッキリ伝えるのは相手のためでもあり、相手に考えさせる意味で大事なことだ。

    「No!」というのは、自分のためでもあるが、視点を変えれば相手のためでもある。こう考えると、「No!」が言えない人にも「No!」大切さを理解できるだろう。まずは理解し、そして行動だ。一人よがりでなく、明確な理解があれば行動は意味を持つ。人間がいろいろなのは、育てられ方という環境が大きい。過保護で甘やかされて育つと、自分のことしか考えない人間になる。

    甘やかされて20歳以上まで育った人間に他人の気持ちを考えろなどと、毎日毎日100回、100年いいつづけたところで無理。斯くの人間は、口で言おうが、殴ろうが、蹴とばそうが、そんなことをいくらしてみたところで無駄。できるようになるには自ら気づき、自ら努力がいる。愛知県の美浜に、「戸塚ヨットスクール」というのがあった。今はどうか調べたら営業は続いている。

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    営業なのか、現存というのか、生徒がいるなら営業だろう。1976年、戸塚宏により、「オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てる」という理想の下で設立されたが、独自のスパルタ式指導により、不登校児や引きこもりや家庭内暴力などの数多くの非行少年を矯正させたという触れ込みで、戸塚ヨットスクールはマスメディアに登場し話題となった。

    当時は校内暴力が社会問題化していたため、問題行動を繰り返す青少年の矯正を行えると自称した同スクールが注目されたが、訓練中に生徒が死亡したり行方不明になるなど、いわゆる、「戸塚ヨットスクール事件」が明るみに出たことで、1983年に傷害致死の疑いで強制捜査が行われ、校長の戸塚宏以下、関係者15名あまりが逮捕され、起訴されるに至った。

    長年に及ぶ裁判の末、戸塚およびコーチらは有罪判決を受け、校長の戸塚は懲役6年の実刑で服役した後、2006年4月29日に静岡刑務所を出所し、スクールの現場に復帰した。その後も2006年、2009年には行方不明から死体で発見されるなどがあったあが、いずれも事故死・自殺とみなされた。2010年はスクール内の寮から転落し重傷を負う事件が発生したが、自殺未遂とされた。

    2012年1月9日、スクール内の寮の前で頭から血を流して倒れている21歳の訓練生の男性が発見され、病院搬送後に死亡した。「ヨットスクールの生活がつらく、このまま生きていくのもつらい」と書かれたメモがあったことから、飛び降り自殺と考えられている。6年もの懲役刑を受けた戸塚であるが、釈放後も怯むことのない持論を展開し、行く先々で講演をした。

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    2014年11月28・29日に開催された、「第27回日本総合病院精神医学会総会」では『私の脳幹論』と題した講演で、子どもに与える恐怖の重要性を説き、「恐怖の使い方がその子の進歩になるか、落ちこぼれるかの境目」として、体罰によって訓練生へ恐怖を植え付ける正当性を主張した。こうした戸塚氏の主観論に対し、日本児童青年精神医学会は以下の声明を発表する。

    ◎戸塚氏が、戸塚ヨットスクール事件に至る理論的背景であった「脳幹論」を当時と変わらずに主張し、それがいまだに死傷者を出現させているにもかかわらず、恐怖を与えることの正当性を主張していることを、精神医学に携わる者は無批判のままに放置しておくべきではない。

    ◎「脳幹論」(「本能論」)自体が何ら医学的根拠を持つものではないにもかかわらず、医学雑誌である「精神医学」に無批判に「私の脳幹論」が掲載されたことは極めて問題である。

    ◎戸塚氏は医療を提供する立場ではないが、「脳幹論」(「本能論」)に示される戸塚氏の考え方が、朝田氏が期待するように、「これからの皆様の臨床の中で活かされることがあれば」それは私たち精神医学の臨床現場への重大な破壊行為である。

    ◎戸塚宏氏は、「脳幹論」を掲げ続け、以前の戸塚ヨットスクール事件と同様の「トレーニング」を繰り返し、死傷者を出現させている。戸塚氏の講演録を無批判のまま医学雑誌に掲載することは、子どもの最大の利益に反するものであり、精神医療に携わる者にとって許されるものではない。

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    戸塚氏の思想には、「儒学」が反映しており、さらには嫌韓(韓国や朝鮮民族を対象とした嫌悪感情)を主張している。彼は、「体罰は教育である」と公言して憚らない稀有なスパルタ教育信奉者である。考えを共有する保護者が戸塚氏を頼り、ヨットスクールに子どもを預ける以上、戸塚氏の持論は生かされることになる。批判者はいれども信奉者がいる限り人は慕われる。

    いつもながらに思うは、「他人を理解することの難しさ」である。色々取りざたされるが、我々は戸塚氏の思想や行動を笑えるだろうか。他人の行動を我々は自分の理解し得る範囲内において理解する。よって、「理解できない」というのは、真に理解できないというより、理解したくないとの要素が強い。ニーチェの書が同時代の人には理解はできなかったように。

    ばかりか、彼は奇人としかうつらなかった。確かに古来偉大な人物というのは、常に孤独の影を宿している。三島事件の際も、さまざまな人間がさまざまな解釈をした。が、真の三島の解釈よりも、個々の人間の器量の表明に過ぎないものが多かった。それを果たして理解といえるのか?世の一切のものを理解する必要もない。付き合う人間を選ぶように、付き合う思想を選べばよい。

    人を恐怖に落とし込んで、何かの効果を得ることが例え事実であっても、それが優れた方法とは思わない。よって戸塚宏の思想を自分は敬遠する。愛知といえば藤井聡太が日本中の関心事。自分の興味がある事にはとことん集中するというところから、彼はアスペルガー、ADHDの典型では?という声もあるが、どうであれ彼の将棋のセンスは無比である。

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    あと数年でタイトルを取る、稀代の名棋士になる、そんなことをメディアはいうが、どうせなら気の早いこといえば、愛知の偉人になるだろう。愛知の名棋士といえば、今期A級に上がった豊島将之八段(一宮市出身)が秀逸と思っていたが、藤井四段の陰で存在感が薄れた感がある。とはいえ、5月7日、瀬戸対一宮の尾張対決が三河の岡崎市「五万石藤まつり」で実現した。

    結果は一宮市豊島の圧倒的勝利で、公式戦で観ることのない藤井聡太の負けで、藤井は豊島を、「さすがA級棋士」と称えたが、「悪いところも分かっていますので…」と怯むところは見せなかった。本日も午後2時から対局があり、勝てば27連勝となるが、相手は東大生で学生チャンピオンの藤岡隼太。隼太vs聡太対決となるが、アマチュアの方がプレッシャーがあるかも…

    天下人三人を出した愛知に新たな天下人の予感がする。以前、愛知は関東か関西かの談義で、ある奴がこう言った。「関東、関西の境の起点は、天下分け目の関ケ原で、愛知は関東になる」。思わず笑ってしまった。「天下分け目」の意味をはき違えている。「関」とは箱根の関所をいい、関の東を関東といったのは、主に畿内住民の言葉で、当時、関西という言葉はなかった。

    昔のことを言っても始まらないので、現在の関西の範囲は、大阪府、京都府、兵庫県、滋賀県、奈良県、和歌山県の2府4県が一般的だが、関西地域振興財団は、福井県、三重県、鳥取県、徳島県を加えた2府8県を関西と定義している。したがって愛知はどちらでもない東海、もしくは中部というが、大阪と東京の間にある名古屋を、「日本の中心」とは誰もいわない。

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    坂本博之というボクサーがいた。元日本スーパーウェルター級チャンピオンだが、世界タイトルには届かなかった。過去4度、世界タイトルマッチに挑戦したが、いずれも敗れたものの、元WBA世界ライト級王者畑山隆則との試合は壮絶で、ボクシング史上に残る名勝負といわれている。福岡県生まれの坂本は物心ついたころには両親が離婚、以後も不遇の人生を送っている。

    両親の離婚で親類宅に預けられたが、なぜか食事を許されぬ事が多く、川でザリガニなどを食べて飢えをしのんでいたという。小学2年のとき、福岡市の児童養護施設「和白青松園」に入園し、そこで初めて三食の食事を与えられたという。 高校卒業後、東京都内のボクシングジムに入門した坂本は、ノンタイトル戦でもファンや観客を魅了するボクサーに成長した。

    その彼に『僕は運命を信じない』という著書がある。読んではないが、ハードな練習に明け暮れる日々のスポーツ選手が、運命などという天の声を信じないのは理解するし、運命は自らが切り開くものと信じてトレーニングや練習を積むのだろう。同著は2007年出版だが、2011年には『運命を跳ね返すことば』、2015年には『運命を変える』などの著書が出版された。

    いずれもタイトルには「運命」の文字があるが、『僕は運命を信じない』としながら、「運命を跳ね返す」、「運命を変える」というのはどこか変では?「跳ね返す」も「変える」も、いずれも定まった運命というものがあるような口ぶりに矛盾を感じる。本当に運命を信じないなら、跳ね返すも変えるもなかろう。己が踏み出す一歩一歩が自らが作る道(人生)である。

    そのことに拘るというより、運命を信じないなら信じないような、信じるなら信じる考えがあろうハズだ。別に、信じたリ、信じなかったりでもいいが、一環であるのが分かり易い。自分の意思ではどうにもすることができない、人生はすでに筋書きが決められている、というのが運命肯定派の考えだが、運命否定派は、「そんなもん、あるわけないだろ」となる。

    女性の側に運命や占いを信じるものが多いのは経験上分かっているが、運命を信じる男がどのくらいいるのかのデータを見ると、信じないが65.4%であった。つまり信じる者は3割ちょいの少数派である。まったく先入観もなく、想像もしていなかったので、数字の感想については、「そういうものか」であった。女性には興味はないが、数字は逆程度かそれ以上か…。

    自分の周辺でも極度な運命論者はいなかったようだ。いたとしてもすぐに遣り込められただろう。なぜなら、運命という台本を肯定すると矛盾が噴出するからで、運命を信じない人間は、そうした多くの矛盾を根拠にしている。要するに、すべてが生まれながらに決まっているというのが納得できない。出会う人も付き合う相手も、すべて決まっていた。言うのは簡単だろう。

    さまざまな矛盾があるが、矛盾とも気づかないのか、こういう運命論者がいる。「私も含めて人間は修行するために生まれてきた。この世で生きることそのものが修行なのだ」と持論を展開し、「人間の未来は運命によって決められている」というが…「???」オカシイだろ?修行って、自分を高みに導くためのものでは?人生が決まっているなら何を頑張るのか?

    「あなたの人生は修行で頑張るという運命にあるのです」というが、そういうしかない。さらには、「運命は決められているが、人間はそれを知ることはない」などと言う。「いかに筋書きがあろうと、それを知ることが出来ないというなら、「運命などないと同じでは?」といえば、「人間が感知できないものでも在るものは在る。人間がそれを知り得ないだけ」という。

    どうしても、霊とか前世とか来世とか、見えないもの、確定できないものを言葉で確定しようとする。それを言えば、「あなたも見えないものを言葉で否定しようとしていませんか?」と、永遠に平行線なので、運命論については矛盾を提起して終わりにした。「この世は修行」というのは嘘に聞こえるが、いう人にとって、自分は修行する運命に導かれているという。

    「この世は修行の場」という言葉は、「未来は何も決まっていない」という風に取れる自分だから、「人は修行するために生まれて来た」などと言うなよ!と若いころは思ったものだ。今は、「好きに言えば?」で何とも思わない。思考も含めたすべてのものは、それぞれに与えられたものであるからだ。したがって、自分は多くの可能性を信じる派である。

    結婚相手だって、決められていた、与えられていたではなく、自分が自分に合った相手を見つけたのだと。それを適当に、いい加減に、「決まっていた」などと死んだ後でも思わない。浮気を妻に見つかった夫が仮に、「俺はお前と結婚した後に、浮気をする運命にあったのだ!」と、そんなことで正当化できるわけなかろう。運命ではなく、お前の不始末だろに。

    まあよい。運命については否定的でいればよいし、すべてのことは運命ではなく、自己責任であるとの生き方が真摯である。運命論者が抱える矛盾はこちらには関係ない。矛盾といえば、戸塚ヨットスクールの戸塚氏は以下のようにいう。「ワシのいう体罰とは、相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使であって、あくまでも相手の進歩を目的としたものである。」

    驕った人間はあまりに安易、あまりに単純、あまりに傲慢である。ようするに、自分の思う有形力の行使は正しい力の行使であって、受ける側はそれを善意に受け取らねばならない。お前の進歩に根差したものであるのだから」といっているようなもの。子どもを殴る蹴るの暴力を正しく受け取れって、戸塚のおっさん、あんたは、相手の善意一切を善意に受けるのか?

    だてにハゲてはいないし、そうであるなら立派であるが、すべての人間が、すべての子どもがそのように受け取るわけでもなかろうが、それなら相手の受け取り方が間違いということになる。人の心は見えないものだ。見えない心は分かりにくい。だから、善意が仇にもなって、誤解を生むなど往々にしてある。戸塚氏の論理は、こうした独善論に貫かれている。

    体罰を暴力といってもいいが、我々が子どもに行う暴力は、「質の高い不快感」であって、戸塚ヨットスクールの目指すものは、「質の高い不快感」を生徒に体験させることだという。「質の高い不快感」を与えているだけなのに、それをそのように受け取らないなら子どもが悪いということになる。今更ながら、バカだね~、短絡的な傲慢オヤジだね~というしかない。

    親が子に、教師が生徒に、師が弟子に対し、いかなる暴力も認められないというのが一貫した自分の考えであるが、その理由は、こちらの意図がそのまま善意に相手に伝わらない怖さを秘めているからだ。戸塚氏のような傲慢な考えになれば、いかなることも正当化できるであろう。御国のためなら若い命とて、犠牲にすべきという考えにも通じるものである。

    元中日ドラゴンズの星野仙一は、同じような鉄拳制裁主義の監督だった。言葉を用いる人間が、言葉によって話し、言葉を受け取る、それこそが人間の秩序であって、言葉を用いない鉄拳制裁は無秩序である。かつて日本軍は上官が兵隊に鉄拳制裁をしたのは、兵隊から言葉を奪ったことであり、そのことが日本軍が同胞におかした最大の罪ではなかろうか。


    人が人から言葉を奪ったなら、残るものは動物的攻撃性に基づく暴力秩序である。言葉を持たない野生の動物に話し合いはない。野牛は暴力攻撃でしか決着できないように、戸塚や星野は人間にあらずと自分はみていた。事もあろうに日本軍の上官は、「鉄拳は天皇陛下のものである。有難く頂戴しろ」と正当化した。兵隊はどんなに殴られようと、「有難う御座います」という。

    指導者の威圧によって自分の思った行動は去勢され、個人の個性を奪うことが必要だったというのは、一つの考えであって、その中でも短絡的な方法である。日本軍におけるスパルタ的手法は、兵士たちの思考を停止させ、上官の指示通りに動くように訓練されるが、ゆえに日本軍兵士は無思慮で無意味な、「万歳攻撃」や神風特高で多くの人命を失ったのだ。

    体罰を肯定する親はいるのだろう。肯定はしないが無意識に手が出る親もいるのだろう。「いけないと思いながら、つい手がでて…」そういう母親は多い。これは肯定そのものであろう。本当に肯定したいなら、曖昧にせず暴力を否定すべき。権力を振りかざし、躾の名のもとに怒り感情を暴力で示しても、子どもは叩かれる痛みと恐怖心で親の言いなりになっているだけ。

    親が伝えたいことはまったく伝わらない。そしてその子が親になり、子どもを動かす方法として、親と同じように暴力という手段を取るであろう。虐待の連鎖は、自分もそうされたのだからという親の真似である。そのことを暗に自己肯定化し、それが手っ取り早いということになるのだろう。中学高校になり、もし親の暴力に本気で挑んだら親は一たまりもなくなる。

    手加減しないというのは、つまり肉親ゆえにである。だから家庭内暴力は本気になるがゆえに怖い。子の親殺しは、ある意味手加減する怖さである。手加減して足腰折って入院し、くどくど言われることを考えたら、いっそ殺して無き者にした方が、仕返しで睨まれることもない。他者から危害を加えられた者が逆の立場に転ずるときほど、容赦ない行動に出る。


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    坂本博之というボクサーがいた。元日本スーパーウェルター級チャンピオンだが、世界タイトルには届かなかった。過去4度、世界タイトルマッチに挑戦したが、いずれも敗れたものの、元WBA世界ライト級王者畑山隆則との試合は壮絶で、ボクシング史上に残る名勝負といわれている。福岡県生まれの坂本は物心ついたころには両親が離婚、以後も不遇の人生を送っている。

    両親の離婚で親類宅に預けられたが、なぜか食事を許されぬ事が多く、川でザリガニなどを食べて飢えをしのんでいたという。小学2年のとき、福岡市の児童養護施設「和白青松園」に入園し、そこで初めて三食の食事を与えられたという。 高校卒業後、東京都内のボクシングジムに入門した坂本は、ノンタイトル戦でもファンや観客を魅了するボクサーに成長した。

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    その彼に『僕は運命を信じない』という著書がある。読んではないが、ハードな練習に明け暮れる日々のスポーツ選手が、運命などという天の声を信じないのは理解するし、運命は自らが切り開くものと信じてトレーニングや練習を積むのだろう。同著は2007年出版だが、2011年には『運命を跳ね返すことば』、2015年には『運命を変える』などの著書が出版された。

    いずれもタイトルには「運命」の文字があるが、『僕は運命を信じない』としながら、「運命を跳ね返す」、「運命を変える」というのはどこか変では?「跳ね返す」も、「変える」も、いずれも定まった運命というものがあるような口ぶりに矛盾を感じる。本当に運命を信じないなら、跳ね返すも変えるもなかろう。己が踏み出す一歩一歩が自らが作る道(人生)である。

    そのことに拘るというより、運命を信じないなら信じないような、信じるなら信じる考えがあろうハズだ。別に、信じたリ、信じなかったりでもいいが、一貫であるなら分かり易い。自分の意思ではどうにもすることができない、人生はすでに筋書きが決められている、というのが運命肯定派の考えだが、運命否定派は、「そんなもん、あるわけないだろ」となる。

    女性の側に運命や占いを信じるものが多いのは経験上分かっているが、運命を信じる男がどのくらいいるのかのデータを見ると、信じないが65.4%であった。つまり信じる者は3割ちょいの少数派である。まったく先入観もなく、想像もしていなかったので、数字の感想については、「そういうものか」であった。女性の運命論に興味はないが、数字は逆程度かそれ以上か…。

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    自分の周辺でも極度な運命論者はいなかったようだ。いたとしてもすぐに遣り込められただろう。なぜなら、運命という台本を肯定すると矛盾が噴出するからで、運命を信じない人間は、そうした多くの矛盾を根拠にしている。要するに、すべてが生まれながらに決まっているというのが納得できない。出会う人も付き合う相手も、すべて決まっていた。など言うのは簡単だ。

    さまざまな矛盾があるが、矛盾とも気づかないのか、こういう運命論者がいる。「私も含めて人間は修行するために生まれてきた。この世で生きることそのものが修行なのだ」と持論を展開し、「人間の未来は運命によって決められている」というが…「???」オカシイだろ?修行って、自分を高みに導くためのものでは?人生が決まっているなら何を頑張るのか?

    「あなたの人生は修行で頑張るという運命にあるのです」というが、そういうしかない。さらには、「運命は決められているが、人間はそれを知ることはない」などと言う。「いかに筋書きがあろうと、それを知ることが出来ないというなら、「運命などないと同じでは?」といえば、「人間が感知できないものでも在るものは在る。人間がそれを知り得ないだけ」という。

    どうしても、霊とか前世とか来世とか、見えないもの、確定できないものを言葉で確定しようとする。それを言えば、「あなたも見えないものを言葉で否定しようとしていませんか?」と、永遠に平行線なので、運命論については矛盾を提起して終わりにした。「この世は修行」というのは嘘に聞こえるが、いう人にとって、自分は修行する運命に導かれているという。

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    「この世は修行の場」という言葉は、「未来は何も決まっていない」という風に取れる自分だから、「人は修行するために生まれて来た」などと言うなよ!と若いころは思ったものだ。今は、「好きに言えば?」で何とも思わない。思考も含めたすべてのものは、それぞれに与えられたものであるからだ。したがって、自分は多くの可能性を信じる派である。

    結婚相手だって、決められていた、与えられていたではなく、自分が自分に合った相手を見つけたのだと。それを適当に、いい加減に、「決まっていた」などと死んだ後でも思わない。浮気を妻に見つかった夫が仮に、「俺はお前と結婚した後に、浮気をする運命にあったのだ!」と、そんなことで正当化できるわけなかろう。運命ではなく、お前の不始末だろに。

    まあよい。運命については否定的でいればよいし、すべてのことは運命ではなく、自己責任であるとの生き方が真摯である。運命論者が抱える矛盾はこちらには関係ない。矛盾といえば、戸塚ヨットスクールの戸塚氏は以下のようにいう。「ワシのいう体罰とは、相手の進歩を目的とした有形力の行使、力の行使であって、あくまでも相手の進歩を目的としたものである。」

    驕った人間はあまりに安易、あまりに単純、あまりに傲慢である。ようするに、自分の思う有形力の行使は正しい力の行使であって、受ける側はそれを善意に受け取らねばならない。お前の進歩に根差したものであるのだから」といっているようなもの。子どもを殴る蹴るの暴力を正しく受け取れって、戸塚のおっさん、あんたは、相手の善意一切を善意に受けるのか?

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    だてにハゲてはいないし、そうであるなら立派であるが、すべての人間が、すべての子どもがそのように受け取るわけでもなかろうが、それなら相手の受け取り方が間違いということになる。人の心は見えないものだ。見えない心は分かりにくい。だから、善意が仇にもなって、誤解を生むなど往々にしてある。戸塚氏の論理は、こうした独善論に貫かれている。

    体罰を暴力といってもいいが、我々が子どもに行う暴力は、「質の高い不快感」であって、戸塚ヨットスクールの目指すものは、「質の高い不快感」を生徒に体験させることだという。「質の高い不快感」を与えているだけなのに、それをそのように受け取らないなら子どもが悪いということになる。今更ながら、バカだね~、短絡的な傲慢オヤジだね~というしかない。

    親が子に、教師が生徒に、師が弟子に対し、いかなる暴力も認められないというのが一貫した自分の考えであるが、その理由は、こちらの意図がそのまま善意に相手に伝わらない怖さを秘めているからだ。戸塚氏のような傲慢な考えになれば、いかなることも正当化できるであろう。御国のためなら若い命とて、犠牲にすべきという考えにも通じるものである。

    元中日ドラゴンズの星野仙一は、同じような鉄拳制裁主義の監督だった。言葉を用いる人間が、言葉によって話し、相手は言葉を受け取る、それこそが人間の秩序であって、言葉を用いない鉄拳制裁など無秩序である。かつて日本軍上官が兵隊に鉄拳制裁をしたのは、兵隊から言葉を奪ったことであり、そのことが日本軍が同胞におかした最大の罪ではなかろうか。


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    人が人から言葉を奪ったなら、残るものは動物的攻撃性に基づく暴力秩序である。言葉を持たない野生の動物に話し合いはない。野牛は暴力攻撃でしか決着できないように、戸塚や星野は人間にあらずと自分はみていた。事もあろうに日本軍の上官は、「鉄拳は天皇陛下のものである。有難く頂戴しろ」と正当化した。兵隊はどんなに殴られようと、「有難う御座います」といわねばならない。

    指導者の威圧によって自分の思った行動は去勢され、個人の個性を奪うことが必要であるのは一つの考えで、その中で暴力はもっとも短絡的な方法である。日本軍におけるスパルタ的手法は、兵士たちの思考を停止させ、上官の指示通りに動くように訓練されるが、ゆえに日本軍兵士は無思慮で無意味な、「万歳攻撃」や神風特高で多くの人命を失ったのだ。

    体罰を肯定する親はいるのだろう。肯定はしないが無意識に手が出る親もいるのだろう。「いけないと思いながら、つい手がでて…」そういう母親は暴力肯定者である。口では肯定はしないといって行為するなら、暴力を否定と言うべきだ。権力を振りかざし、躾の名のもとに怒り感情を暴力で示しても、子どもは叩かれる痛みと恐怖心で親の言いなりになっているだけ。

    親が伝えたいことはまったく伝わらない。そしてその子が親になり、子どもを動かす方法として、親と同じように暴力という手段を取るであろう。虐待の連鎖は、自分もそうされたのだからという親の真似である。そのことを暗に自己肯定化し、それが手っ取り早いということになるのだろう。中学高校になって、子が親に本気で挑んだら親はブチのめされて一たまりもない。

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    手加減しないというのは、つまり肉親ゆえにである。だから家庭内暴力は本気になるがゆえに怖い。子の親殺しは、ある意味手加減する怖さである。手加減して足腰折って入院し、くどくど言われることを考えたら、いっそ殺して無き者にした方が、仕返しで睨まれることもない。他者から危害を加えられた者が逆の立場に転ずるときほど、容赦ない行動に出る。


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    嘘か真か定かでないが、女は失恋すると髪を短く切るという。ある日髪をバッサリ切った女に、「あれ、何で?失恋でもしたんか?」などの言い方をした記憶はある。二度や三度ではないが、「そうなの…」という返答はなくて大方は、「ちがう、ちが~う」だった。「髪は女の命」といわれた平安時代の女性の長い黒髪は、切るに切れない命と同じものだったのか?

    洗うこともままならず、ふだんは櫛で梳かしてケアするしかなく、シャンプーは一年に一回くらいだったという。当時はシャンプーといっても洗わず、米のとぎ汁を櫛で梳かすさいにつけて梳いたようだが、米ぬかを使えば確かに艶はでよう。したがって当時の美人の条件としては、百人一首に描かれたような、黒くて艶々した超ロングヘア女性ということだった。

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    髪を長く垂らしたスタイルを大垂髪(おすべらかし)といい、女性が髪を結うようになったのは、江戸時代の初めであった。生まれて死ぬまで一度も切らず、7メートル超えの女性もいたというから驚きである。とにかく、長い黒髪が美人の条件である以上、必死で伸ばしたようだが、ワカメやヒジキの御利益はあったのだろうか?ただし、生まれながらのクセ毛女性もいたはずだ。

    そういう女性は、誤魔化すためにつけ毛(いわゆるかつらの部類)をしたらしい。日本人女性は直毛が多いとされるが、何らかのクセ毛の比率は多く、70%くらいといわれている。したがって、ストレートパーマを施している女性は多い。思うに流行なのか最近はロングヘアが多いようだ。確かに髪を長くすることで、並顔が中くらいにアップするのだろう。

    「失恋=髪を切る」は、今も昔も定着した女性の心理なら、そこにどういう意図が働くのだろうか?髪が女性の命なら、失恋したことで命を断とうとする疑似的行為なのか?ネットで調べてみたところ、失恋で髪を切る女性の割合は案外と少ないようである。自分もそういう図星の女性に遭遇しなかった。切る原因は単純にロングが好きな彼氏に合わせていただけという。

    おセンチな理由ではなく、そういう彼氏と別れたから自分好みに切ったという。確かに、失恋=髪を切るが定着している現状で、同じことをしたら失恋しましたと公言したことになり、なんやかんや聞かれるのも面倒くさい。男と違って女は他人のことをなんやかんやと聞くらしい。ただし失恋女性が、気分転換にバッサリ切るのはないわけでなく、少数というデータである。

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    ジャニ系の少年たちにもロングヘアは多く、髪を茶に染めて自己主張というより、いかにもホストって感じがする。つまり、男にとっても髪は自己を装飾するツールのようだ。昨日初防衛した将棋の佐藤天彦名人は、どちらかといえば長髪で、おまけに対局中に自分のつむじ周辺の髪をクルクルと触る癖が頻繁に現れるので、見ていて不思議な印象を与えてくれる。

    男のロングヘアは大流行の後に衰退したが、最近はまた復活の兆しが見える。流行は繰り返されるものだが、男女ともにロングヘアのする一つの要素として、顔に自信がなく隠すためのアイテムという考え方もある。特に女性でショートヘアの似合う人は、折り紙付きの美女であろう。ショートヘアの似合う条件の一つに、目鼻立がハッキリしているという事がある。

    他にも、あごのラインが綺麗、首が細くて小顔、中世的な魅力があるなどの他に、耳が大きすぎないというのも必須である。自分たちの青春時代で、ショートヘアの似合う女性といえば、恵とも子、いしだあゆみ、九重佑三子、田代みどり、内田有紀、小泉今日子、原田知世らが思い浮かぶが、おそらく自分はショートヘアのボーイッシュな女性が好みだったのかも知れない。


    セシルカットが流行したのは、1958年に公開された映画、『悲しみよこんにちは』の主人公だった17歳のセシルのヘアスタイルにちなんだもの。ロングヘアで覆い隠す女性も美しくはあるが、自分がショートヘアを好む理由はなんだろう?そこまで考えたこともなかったが、しいて言えば、ショートヘアには、"隠さない真実が満ちている"とは、言い過ぎだろうか?

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    本当にそうなのか?そう思っているのか?自問するが、ロングヘアの女性には美しさはあるが、ショートヘアにそれを求めない。求めるすべもない。その点はロングヘアとの最大の対比であろう。美しさを求めないなら、何を求めるのか?女性にはハートを求めるが、ショートヘアにはどこか、「真実」が見え隠れする。槇みちるが『若いってすばらしい』という歌で出てきたことがあった。

    彼女のショートヘアの快活さがたまらなく好きだった。ボーイッシュというのだろうか、エレガントな女性よりも、「素」の魅力に溢れていたし、痩せた鶏ガラ女性よりもぽっちゃりが自分の好みだった。友人には、「何でお前はブサイクな女が好きなんだ?」といつも言われていた。確かに化粧女性は好きでなかったし、これも女性に真実を求める性向かも知れん。


    どこか美しい物には欺瞞が潜んでいるように思えた。これも偏見だろうが、決して食わず嫌いというのではなく、お化粧塗りたくりの彼女もいるにはいた。が、お化粧の臭いが好きになれなかった。それに比べてすっぴん、素面の女はどこからも女の臭いがした。だから、彼女に化粧をさせなかったし、自分が嫌うのがわかってか、女も同調した。楽でいいというのもいた。

    ショートヘアは確かに、「顔丸出し」である。爽やかで清潔感もあり、なにより快活だ。それにぽちゃを加えれば、これぞ自分の思う女の極致である。だから、友人から「ブス好み」と揶揄された。バラやユリより、レンゲやタンポポのような雑草が好きだった。花屋に売ってないような、それでも少女が摘み取って首飾りにするようなレンゲ草には、家庭の臭いが漂っていた。

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    こんにち、ロングヘアが主流だが、時にショートの女と出会うと、キラリと個性が光る。美しさではロングに及ばないが、ショートには可愛さが漂う。絹の美しさに対する木綿の味わいとでもいうのだろうか、素朴で嘘がない感じがする。もちろん偏見もあるが、経験的にもショートヘア女は屈託のなさを感じる。ショートですっぴん女なら、急な外出でも壁塗りの時間がいらない。

    詞に書かれているような、小指を噛むという女に出会ったことはない。♪あなたが噛んだ小指が痛いという詞もあるにはあるが…。噛まれた小指に、「そっと唇を押し当て、あなたのことを偲んでみるの」などとこういう詞で曲が売れないハズがない。作詞は南沙織の楽曲が多い有馬三恵子である。有馬は広島カープの応援歌を三曲手掛けていることでも知られている。

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    理由は佐々木久子が主宰する、「カープを優勝させる会」のメンバーであったことによる。癖の類であろうが、子どもの頃の癖が抜けきらず、大人になっても小指を噛む女はいるという。一般的には精神的な不安感が強く、指を噛むことによって気持ちを安心させたいといった心理が背景にあるといわれる。普段は抑えていても、プレッシャーを感じると現れるという。

    一人淋しく部屋にいるときにも現れるようだが、一般的に子どもの癖は親がしつこく注意をするので直る。表題の、「強く小指を噛んだり」の詞は、いかにも自傷的行為の臭いがし、女の苦悩の状況が現わされている。小指を男が立てて、「コレ」というとなぜか恋人もしくは愛人を意味する。子どもがよくやる、「指切りげんまん」もなぜか小指であるが、これには深い意味がある。

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    げんまん(拳万)の意味は、拳で1万回叩いてよいということ。指切りの起源は、男女が愛情の不変を誓い合う旨を証拠立てることを、「心中立」といい、遊女が客に対する心中立てとして、小指の第一関節から指を切って渡したことに由来する。かなりの激痛が伴うため、それほど愛してるということを意味し、貰う客も遊女の思いに応える気構えが必要であった。

    しかし、実際に切る遊女は少なく、贋物(模造品)の指が出回ったらしい。そうした、「指切」が一般にも広まり、約束を必ず守る意思を表す風習へと変化したといわれている。それにしても誰がいいだしたのか、「針千本」などと、とても用意できない嘘をつくのはどうだろ?飲めば死ぬに決まっているが、「殺すよ!」を、「張千本」に言い換えるのは子どもらしい情緒である。


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    甘酒はかつては暑い夏を乗りきるための栄養ドリンクとして庶民に親しまれるポピュラーな飲み物だったため、俳句において甘酒は夏の季語として使われている。昨今、大ブームの甘酒には言わずと知れた『麹(こうじ)』が入っている。麹とは、蒸したお米や麦に麹菌を付着させ、ある条件下で培養させたもので、麹菌はアスペルギルスというカビに属す。

    アスペルギルス属のカビは、強力なカビ毒を出すものが多いが、なぜか麹菌は毒をつくるDNAが欠落しているために、同じアスペルギルス属でもカビ毒を作り出すことがなく、「日本の奇跡」と言われている。なるほど!麹菌は身体にもよい特別な存在のようだ。つまり麹菌は、"日本の国菌"と認定される貴重なカビであり、日本人はその恩恵に預かっている。

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    麹の歴史は古く、化学調味料や合成保存料などなかった時代、先人たちがさまざまなカビの中から、麹菌(コウジカビ)を見つけ出し、麹を旨味のモトや天然の保存料として、味噌、醤油、漬け物、日本酒、焼酎など、日本独自の発酵食品を日々の生活に上手に取り入れてきた。我々が今日美味しい日本酒やお味噌汁を飲めるのも、麹菌を見つけてくれた先人のお陰である。

    麴には良質の酵素がたっぷり入っており、中でも三大消化酵素といわれる、アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼをはじめ30種類を超える酵素が豊富に含まれている。甘味の元となるアミラーゼは、でんぷん質を消化し糖に分解、プロテアーゼはタンパク質をアミノ酸に分解して旨味の元となる。リパーゼは脂肪を分解する。よって三大消化酵素と言われている。

    食事から様々な栄養素を摂ったところで、体内の酵素が不足しているとうまく分解(消化)できないために栄養素を効率良く吸収できない。さらに年齢とともに体内の酵素量は減少していく。また、消化・吸収には各種ビタミンも重要で、麹のパワーは、ビタミンB1、B2、B6、ナイアシン、パントテン酸、イノシトール、ビオチンなどを作り出すことができる。

    誰が言い始めたのか、麹を「飲む点滴」と言われるゆえんである。いつ頃か、スーパーの店頭に甘酒が並ぶようになった。最初はあまり意識はしていなかったが、いつの間にやら各社がこぞって瓶入りの高級甘酒を販売し始めた。どうやらテレビで甘酒パワーが紹介されたようだ。テレビで何かを特集すると、そのある物が品切れになるという現象は毎度のこと。

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    これまでにいろいろなものが出ては消えたが、「ある物」が何であったかすら記憶にない。今回の甘酒はかれこれ2年くらいになりはしないか?最初は300円程度の1リットル入りの紙パック商品であったが、今は高級瓶入りで1000円を超すものも出回っている。自分は甘酒を冬によく飲むが、冷やして飲むという発想はまるでなかった。そこでどんなものかを試してみた。

    冷やで飲む甘酒ってなかなかいけるではないか。といっても、甘酒は甘酒の味がするだけだが。子どものころから寒い日には子供会などの行事のあとに、生姜入りの甘酒の炊き出しがあり、ふーふーしながら飲んだものだ。元来甘酒は体を温めるものだと思っていたが、時代は変わったものよ。今回の甘酒ブームの背景には、美容とダイエット効果によるものだという。

    それに加えて健康効果もあるという。健康効果としては、①血圧の上昇を抑える、②免疫力をアップさせる。先の美容効果には、①保湿効果、②美白効果、さらには美容法として甘酒パックやスキンケアアイテムとして使うという。さらにはダイエット効果の理由として、①満腹感の促進効果、②新陳代謝の促進効果などがあり、これだけあればそりゃ売れるだろう。

    お酒を飲まない自分は、奈良漬けでも酔うほどにアルコールに弱く、酒粕の甘酒は子ども時代から好きでなかったし、大人になった今も麹の甘酒しか飲まない。朝食時に以前はオレンジジュースを飲んでいたが、数日前から甘酒にした。自分の朝は、リンゴ1個、キウィ1個、ミニトマト数個という食事であり、ときどき、バナナ1本を加えることもあるが、これで満腹だ。

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    菓子類は食べないが、おやつには冷凍えだ豆、ゆで卵、豆腐、アーモンド、クルミなどが常食か。ナッツ類は敵粒を毎日とっている。要するにたんぱく質重視で、筋肉を落とさないよう気を付けている。体重は71kg~73kgで、体脂肪率は現在21%程度だが、できたら体重を65kg、体脂肪率を15~17%台にできたらと思っている。ウエストは78cmだが、70cmにできないかと…。

    10代の頃のウエストは常時68cmを維持していた。水泳をやっていたので腹筋もボコボコだった。いつの日か、ボコボコになってやろうと、無理をしない程度に臨んではいるが、運動しても落ちないのは基礎代謝量が減っているからだろう。が、秘かに、「今にみておれ」という気持ちは持っている。肉体美に数十万円を投資するのは、それもお金の使い道だ。

    他人の金の使い道に批判はないが、そうはいっても、自己管理ができないままに強制的に痩身体を作っても、すぐに元に戻るのではないか?ライザップのCMを見て思うのは、金はあってもダイエットに関する知識が無い、自己管理ができないので自分1人だとモチベーションが保てない、そんな人が人を頼って痩せようとしているという風にしか思えない。

    摂る量を少なく、出す量を多くすればいい、という簡単な図式と思うが、それが出来ないからお金を払って人に強制を願い出るのだろうが、無理を強いて強制的に痩せているわけだから、一たび強制力を解かれ、元の生活に戻ったとしたら、体は元に戻ると思うがどうだろう?自己管理をキチンとできればいいが、自己管理できないから他者管理に依存するのでは?

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    イメージ 4ライザップでCMで一躍注目を浴びたのが赤井英和だ。かつてのボクサー時代に戻ったような肉体美には自分も驚いたし、結構驚いた人は多いのではないか?ライザップにある赤井のデータを見ると、体重は77.1キロから70.1キロまで減少し、これは38年前の高校生時代と同じという。ウエストは100センチから84.5センチ、体脂肪率は20.8%から13.2%となっている。これはもう目覚ましい変化というよりないが、いかにハードな筋トレに食事制限があったか想像がつく。

    元SMAPの香取慎吾もライザップCMで肉体美を披露した。彼は1日5000kcalを摂取する大食漢であったというが、これまで自己流ダイエットをしてはリバウンドの繰り返しだったという。要するに今までより半分くらいに食事におけるカロリー摂取を減らし、筋力をつけることで基礎代謝を多くし、トレーニングやジョギングで脂肪を燃やし、カロリー消費をすればそれをダイエットというが、とかく人間は摂るカロリーが多い。

    専門家の指導と管理と強制の元に美しい肉体を作るが、他者からの強制や管理が終われば後は自己管理が待っている。これを継続ディなければ元に戻るのは当然だ。何事においても大事なことは、依存ではなく意志であろう。「学ぶより好む。好むはまた愉しむに及ばず」という慣用句があるが、「自分のことは自分で」という標語が我々の子ども時代にあった。

    近年は皆がリッチになり、外注教育や金銭教育が当たり前になっている。自分は何かをやろうとする前、習う前にこれを自分はできないのか?と考える習慣がついている。人も自分も人間なら、人にできて自分ができないハズがないと思うからだ。また、自分ができることを何故に他人に委ねるのか?これも合理主義的思考である。日本にもDIYの考えが浸透したのはいいことだ。

    子どもの頃、ケペル先生の教えは、「何でも考え、カンでも知って、何でもカンでもやってみよう」であった。それこそが、「学ぶより好む。好むは愉しむに及ばず」と自分には思える。結局はその時々の感慨が、その人間に与えられる教育である。分かりやすくいうなら、覚えていることのみが教育である。ケペル先生は人形であるが自分の師かも知れない。

    それにしても甘酒までもがダイエットとは驚きである。昔ダイエットで甘酒を飲む者はいなかったろう。自分は酒がダメなので甘酒は好きだったが、冬に温めて飲むものという先入観があり、冷やして飲むなどの発想はなかったが、飲んでみると意外や美味しい。ジュース断ちをして当分のあいだ、甘酒を飲むことにする。ダイエット効果はあまり信じていない。

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    中高時代に鍛えた腿とふくらはぎの筋肉量はアスリート並みで、脚力の自信はあるが、高校時代のように腹筋を割ってみたい。そのために始めたばかりのプランクを1回2分。1日3回くらいはやっている。これはインナーマッスル(大腰筋)を鍛える効果があるという。大腰筋が弱くなると骨盤が歪み、悪い座り方、歩き方、運動不足・老化が促進する。腰痛や肩こりの原因にもなる。

    上半身と下半身をつなぐ唯一の筋肉なので侮れないが、30代から減少し始め、老化に伴う衰えが大きい筋肉。加齢で腰がまがったおばあちゃんは目にするが、骨粗しょう症の他にも筋肉の低下が原因である。予防はできるので、女性は背筋や大腰筋のケアした方がよい。大腰筋は腰の奥深い位置にあるので、鍛えるのが難しいが、プランクを1日30秒継続すればO.K!


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