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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    金美齢の『家族という名のクスリ』には、長ったらしい副題がある。「家庭ほど安らぐ場所はない 夫婦ほど支え合える関係はない」。レビューを書いたH氏、G氏の両名ともに、「(金美齢の)言ってることは正論」といっている。まあ、この副題を見ても正論を疑う余地はない。しかし、現実問題において家庭が安らげる場所なのか?夫婦が支え合っているのか?

    金は自身の家庭のことを書いているのだろうが、何も問題のない平和な家庭なのだろう。したがって、「家庭ほど安らぐ場所はない 夫婦ほど支え合える関係はない」というのは、彼女のマスターベーションを披露していることになる。だから、「クソババア!」と言われても仕方がないババアである。そんな金の一人よがりを橋下は、「気持ちわりーーっ!」と罵った。

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    せっかく執筆するなら、タイトルはそのままでいいとしても、「安らげる家庭、支え合える夫婦はどうすれば作れるのか?」の副題にそって書くなら、「クソババア」の、「クソ」くらいはとってもいいが、やはり彼女は自慢話が好きな、正真正銘のクソババアである。『家族という名のクスリ』を読んではないが、中身はともかく感情的であるというのが以下のレビューである。

    「作者の自己満足、人生自慢がまるで人類の一般論であるがごとくにすり替えられて随所に散りばめられている。また、全編においてケンカ越しで上からの物言いである。よほど怒りを込めて書いたのであろう。言っている内容は正論だが、そこまで鼻息荒く対抗するようなまとめ方をされると逆に疑問を覚える」。なるほど。疑問を、というのはそうかもしれない。

    『家族という名の病』の主旨は、作者の講演を聞く限りにおいて、ちょっと筋違いの内容ではと思った。まあ、自分にとってはであるが…。「『家族はすばらしい』は欺瞞である」、「これまで神聖化されてきた家族を斬る」という副題に、「家族ほどしんどいものはない」というコピーについて、自分なりの解釈をしていたが、下重の話の内容に「?」を感じてしまう。

    「家族はしんどい」という彼女の、「しんどさ」というのは一体なんなのかがまるで分からない。センセーショナルなコピーのわりに内容がともなっていない。それが自分のいう、「筋違い」である。将棋の戦法に、「筋違い角」というのがあるが、これは角を交換し、元にあった角の位置とは違う筋に角を打つ。つまり、筋を違えることで新たな攻め筋を見つける戦法だ。

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    下重は口うるさい親から厳しく干渉されたわけでもなく、自分のやりたいことができなかったわけでもなく、金銭的苦労があったこともなく、親の扶養を巡って兄弟と諍いや喧嘩もなかったという。ありがちな遺産相続でもめたこともなく、夫の女遊びや道楽で苦労したこともなければ、子どもで苦労もない。夫婦だけの生活も家族であるが、一体に彼女のいう家族の病は何だ?

    夫を奴隷のように手なずけていることもあり、「夫のことを『主人』と呼ぶおかしな文化」などというが、主人がオカシイなら、主婦という言葉だってオカシイだろう?バカをいうんじゃない。どうやら彼女は隠れフェミニストである。所詮『家族という病』は、立派な菓子折り箱に入った普通の饅頭。そもそもベストセラーに良書はないというように、タイトルのインパクトもあったようだ。

    注釈すれば、ベストセラーになるのは、本の良さ(つまり中身の)を理解できる人間がそれほどいるのか?という事。付和雷同思考の日本人には、発売後いきなり数十万部というのはよくあること。作詞家の松本隆はこのように言っていた。「数か月で100万枚売れる楽曲より、10年かかって100万枚売れる、その方が僕は好きですね」。この言葉は何の暗示であろう?

    言わずもがな、「名曲」とはそういうものだを吐露している。アメリカ的にいうと、スタンダードナンバーということだが、日本の楽曲に時代を超え、世代を超えた楽曲があるのだろうか?いわゆる流行歌という言葉は、「流行」に乗るという意味である。だから、すぐに廃盤となり、何とも忙しく、せわしい日本人である。流行り廃りは日本人の常。昔からそういう民族のようだ。

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    以前、「日本人論」というタイトルで書いた。「~論」とか、「~考」とか、学者を気取りたいわけではないが、手っ取りばやいし、様になる言い方であろう。日本人のせわしさについて書いた記憶があるので探してみた。いつ頃書いたかも覚えてないが、検索キーワードは、「死ぬまで生きよう 山田長政」で、掴まえられると思ったら、案の定見つかった。


    古い記事を読むと、「これって自分が書いたのか?」と、まるで人の記述を読むようで面白い。山田長政と言えば、遠藤周作の『王国への道』が有名である。長政を描いた映画は観てはないが、1978年12月1日に放映されたテレビドラマ『南十字星 コルネリアお雪異聞  わたしの山田長政』は早坂暁の脚本がよく、秀逸な作品であった。録画して何度も何度も観た。

    というのも、1976年10月31日発売の家庭用VTRの第一号機ビクターのHR-3300は、定価30万円を超えたが、76年3月に放送された、「吉田拓郎リサイタル」を、3/4インチの業務用Uマチックレコーダーデモで流しており、その映像をダビングしてくれるという量販店に出向のビクター社員の一言で購入した。生まれたばかりの長女の録画もしたく、ビデオカメラも同時に購入した。

    VTRとカメラで70万の買い物だったが、当時の映像はお金には換算できない貴重なライブラリーとなっている。まだ誰も持ってないビデオカメラを、運動会などに持参すると、「おっ、NHKさん来てるじゃないか!」などとからかわれたりした。『南十字星 コルネリアお雪異聞  わたしの山田長政』に主演の吉永小百合は、当時33歳の女盛り、得も言われぬ美しさであった。

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    お雪はオランダ人奴隷から長政に買い戻される。そんな長政に憧れ、恋したお雪だが、長政が計略にかかって死んだ後は娼婦となる。ドラマの最後にお雪を奴隷としていたオランダ商館長フリートの手記『シャム革命史話』の一文が流れる。「~日本人は真に勤勉にして、昼夜なく働く。体面を重んじ、やや短期である。ただ、忙しく働き、忙しく去る。定住することはない」。

    数十年にわたって売れ続ける書籍に、イザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』(1970年・山本書店)がある。今でも売れ続け、ゆうに300万部を超えていると思われるが、これを批判したのが浅見定雄の、『にせユダヤ人と日本人』(1983年・朝日新聞社)であった。今やイザヤ・ベンダサンなる人物が、山本七平であるを知らぬ者はいないが、偽名を使った理由は、シャレであろう。

    なぜなら、ベンダサンと言う名はユダヤ人にないから、偽名というのはすぐにわかってしまう。『日本人とユダヤ人』は今なお売れ続け、300万部近い数字をだしているのではないか?昭和45年に発行され、、名実ともに山本にとって処女作である『日本人とユダヤ人』は、刊行の翌年、「著者不明」まま、第二回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞となった。

    山本書店は小さな出版社で、発刊時の同書の初刷部数は僅か2500。.しかも、実際に配本された部数は1500に過ぎなかった。ところが、日を追って同書は売れ始めたが、その火付け役になったのは、外務省の地階の売店であった。次いで通産省地階の売店に飛び火し、さらには丸の内界隈の書店へと広がって行った。当時、通産官僚だった堺屋太一は以下のように話す。

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    「当時、通産省大臣官房企画室に勤務していた私は、上司の杉浦室長の薦めでこの本を知り、2晩ほどで読み通し、激しい興奮と共感を覚えたのを記憶している」。山本七平のライブラリーには、『空気の研究』、『常識の研究』、『あたりまえの研究』、『派閥の研究』、『人望の研究』に、『常識の落とし穴』などの表題を見ても、「常識」への挑戦こそが山本のテーマであった。

    イザヤ・ベンダサンの実在を含む著者論議が言論界に上ったが、司馬遼太郎や江藤淳ら30人余りの著述家が、ベンダサンに擬されたことになっている。中でも渡部昇一は、「イザヤ・ベンダサンは存在せず、それが山本七平であることを最初に文献的立証し、後に直接山本に尋ねてベンダサンの不在を確認したのは私であった、というささやかな誇りをもっている」と語る。

    さて、浅見定雄は前書きでこう述べる。「私はイザヤ・ベンダサンこと山本七平のこのようなやり方と、その根拠となっているユダヤ学、聖書学がいかに非常識なものであるかを、いちいち証拠をあげて説明するつもりである。このような人が気の利いた「知識人」として歓迎されている間に、日本の国が取り返しのつかない方へ持って行かれてしまうことを恐れるからである。」

    イメージ 6浅見は東京神学大学神学部から同大学博士課程に学び、ハーバード大学神学部博士課程卒業後の翌年、東北学院大学に助教授に迎えられた。同大教授を経て1999年大学を定年退職、同大学名誉教授である。山本七平は商業高校卒の無学の徒であるがゆえにか、アカデミズムの場で彼の業績は評価をされていないが、渡部昇一は山本を、「博学高雅な紳士」と評した。小室直樹は、山本の著書『勤勉の哲学』について、「日本社会科学が生んだ最高業績の一つ」とし、「学説史的といってよい研究でありながら、本書程理解されず、無視されてきた作品も珍しい」と嘆いた。山本の『日本人とユダヤ人』が浅見に批判された際に小室は、「専門学者の役割は、専門外の人を貶めることではなく、アシストし励ますこと」と、言葉を投げつけた。


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    表題を、「学者バカ」とせず、「学者バカという言葉」にしたのには理由がある。「学者バカ」というのは比喩であり、核心でもあるが、専門分野においては知識も多く、さすが学者であるが、そういう学者も一般人から得るものはあっていい。それすらなく、威張っている学者、素人をつかまえて、バカ呼ばわりする学者、そういう学者を自分は「バカ学者」と呼んでいる。

    哲学者カントは、学者だけが人間として偉いのだと己惚れていた。そして、無知の民衆を軽蔑していた。そんなある日、ルソーの書に触れ、彼は自身の眼の眩んだ自惚れをへし折られてしまった。今でこそルソーは思想家とされるが、土地測量などの仕事に従事し、『社会契約論』や『エミール』を執筆したのは、40歳を超えてからであった。カントは貪るようにルソーを読んだ。

    「学者バカ」という言葉は、融通の利かない点、専門領域に一心不乱になるなどの側面を表す言葉で、同じように、「先生というバカでなし」という言葉もあり、だからといって、学者や先生がすべてにおいてバカとは言えない。言葉一つで人をいい表すことにも無理がある。「オタク」、「短気」、「真面目」、「天然」、「スケベ」などと、書けばキリがないほど性向を現す言葉がある。

    占い師が、「当たる!」のは、人間が多面的だからで、いい加減とハッタリの職業。いかにも占い師らしい恰好がワザとらしい。人を一目見て、それが人相であったり、手相や服装であったりで、その人の過去や未来、性格や悩みが判断できるハズがない。「あなたは本当は短気だけど、のんびり屋さんでしょう」と言われて、「当たってる、すご~い!」とはしゃぐ人がいる。

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    「あなたは今、とっても大きな悩み事があるでしょう、それは彼氏のことね」。「わー、当たってる、すご~い!」。喜ぶのはいいが、何か言われて喜ぶためにお金を払っているわけじゃないだろに…。適齢期の女が異性で悩まないわけがない。仕事のこと、家庭のこと、お金のこと、容姿・容貌のこと、多くの悩みを持つ人間を欲とまで言わないが、とかく女に多い。

    沢山の悩みを持てば、それだけ解決も大変である。それで占い師か?彼氏のことが一番の悩みでなくても、「それが一番でしょう?」と言われたら、「ハイ」と言うのが律義な日本人で、こういう人ほど洗脳されやすい。自分に自信がなく、人に合わそうとし、権威的な人なら傾向はさらなり。生きることに深く広く疑問や疑いを持つ人が、その解決に全力をかけるなら大きな人間となろう。

    また、人間は自分に自信が持てるようになれば、人に冷たくできるようになる。無理に冷たくというより、こうすれば相手が喜ぶとか、いい気分になるだろうとか、そういう気持ちで接しないからからで、それを相手が勝手に冷たいと解釈するだけ。優しさとは相手の存在を大事にすることであって、相手に合わせることでも相手に都合の良い自分になる事でもはない。

    人間が多面的である以上、多面的に人は生きるが、あまりに八方美人的だと自分自身すら理解できなくなる。ゆえに嫌いな相手に媚びず、是々非々にすべきかなと。金美麗にコケにされてへらへら笑う橋下なら魅力はない。自分をコケにする人間と仲良くしたいなら、節度は提示しておくこと。自分と他人の境界をハッキリさせるのが節度で、それを曖昧にすると必ず問題が起こる。

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    恋人や肉親家族に問題が起こるのは、緊張感が薄れ、節度がなくなった場合が多い。最初からできないことはあるし、最初からしたくないことはあるが、そういったものは最初だからできると言い換えられる。したがって、最初は嫌ではないと思っていても、後の自分の変節を考えて断る方が実は互いのためになるが、一般的にはそこまで考えないで行動する。

    明石家さんまが小倉優子の離婚について、「お前が悪い。以前から注意していたろ?」と言っていた。小倉は夫と結婚する際、「(小倉の)好きなところを毎日10個言うこと」というルールを課していたという。それを知ったさんまが、「そんなことヤメ~、言わすな」と制止した。ところが、「新婚当時の寝る前にってことでやっただけ」と悪びれない彼女は物事を客観視できない。

    人から言われても、「自分が良くなかった」と思えない彼女の幼稚さである。これでは離婚は必然かと。が、夫にも問題がないとは思わない。そんな、「お医者さんごっこ」のような注文をだされ、「そんなバカなことやれるか!」と言えばよいが、いわなかった側も問題というより、「No!」を言わない事が離婚になったと解釈できる。昨今の離婚理由というのもお粗末である

    どちらも精神年齢が低いというか、未熟というのか、所帯を持つ大変さというのがわかっていない。「誰と食事に行ったかを教えてほしい」と小倉は求めていたというが、これすら人権蹂躙だから、「そんなこといちいち言えるか、バカもん」となろう。「バカもん」は余計にしろ、こんなおままごとに付き合わなければ結婚してあげないという女なら止めるべき。

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    そんな注文や指図をされた時点で、「この女は自分に合わない」となぜ思わない?男からみてその辺も腑に落ちない。こんな夢少女はいるが、結婚が現実ならそれに順応する男もだらしない。結婚するに際し、男と女はそうした、後の禍いとなるようなことは摘んでおくべしだが、お熱いのは分かるが、本来重視すべきことも見えないなら、結婚はお遊びでしかない。

    もっとも、二人のことはあらかじめ話し合えるが、嫁いだ先の姑となると、これ分からない。自分は結婚前の妻に、母親の行状をことごとく話した。対処法もいろいろ告げたが、聞くだけで実感はなかったようで、「率直で分かりやすいお母さんだからいい」などと言っていた。嫁と姑問題は、女の性悪さ、陰湿さもあるが、日常の要因は老若の問題であると思っている。

    「ハタキ事件」というのが我が家にあった。ある日母が自分に向けて愚痴をこぼす。「嫁は掃除を何と思ってるのか?濡れ雑巾も使わず、ハタキもかけない。あれでどこが掃除だ!」。いつものぶしつけな言い方にはぶしつけに返す。「ハタキで塵を飛ばす時代じゃない。あんたの喘息はそれが原因じゃないのか?濡れ雑巾だのハタキだの、大正時代じゃないで」。

    「サッサ」のような科学雑巾も気にいらないらしく、「あれで汚れが落ちるわけがない」というので、「だったら掃除機も洗濯機も使わず、川に行って洗濯せーよ。炊飯器も使わずカマドで飯を炊けよ」。うるさい母親には返す言葉がなくなるような言い方であしらう自分だ。そうすればくだらない反論を聞かずに済む。昔人間が昔を基準に考えるのはある意味仕方ない。

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    が、それだと若い者と同居ができないのは年寄りである。現代の人間を昔に変えるのがオカシイ。なぜなら、昔に生きていない。ならば、現代を生きる老人は、現代に合わせて自分を変えることだ。が、「今どきの若いものは」、「今どきの嫁は」という言葉は永遠である。「当たり前だろ?今どきの嫁だ。あんたの姑も同じように嘆いたんだよ」というしかない。

    江戸時代に本阿弥という人物がいた。肩書は書家、陶芸家、芸術家で、書は、「寛永の三筆」の一人と称された。頭もよく傑出した人物であったが、そんな本阿弥でさえ、「今時の若者は駄目だ」と嘆いている。300年前だろうと500年前だろうと、それが年寄りの本質である。老若の同居には難しい点が多い。孫の好きなハンバーグは気にいらない、パスタは食べない。

    気に入らないだけならいいが文句を言う。文句を言うだけなら聞き流すこともできるが、意地悪やいじめにかかる。利口な姑なら、ハンバーグを食べ、パスタも食すが、姑の厄介さは、子どものような我が侭である。子どもに躾が必要なように、母を躾けるのは息子の役目である。嫁は他人だから遠慮もあろうが、こうした我が侭極まりない人間は諭すか放って置くか。

    なぜに姑が威張る必要があるのか?「老いては子に従え」というように、息子に従えない親は、一人で暮らすしかない。それが組織論である。「学者バカ」で書く予定が、「バカ老人」になったが、「バカ老人」になりたくないというなら伝えたいのは「賢い老人」になる。では、「賢い老人」になるにはどうすればいい?若い頃、「賢い」の条件は学校の成績だった。

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    成績を基準にした。という方が正しい。線引きや基準がないと判定はできないから、テストや試験は合理的だ。そういう時代を経て、社会人や大人になって、賢くなるにはどうするか?「本を読めばいい」、「知識を増やせばいい」などが言われる。それは手段であるから否定はしない。自分も行っているが、たまに、「物知りですね」などといわれることもある。

    子ども時代には、「物知り博士」に憧れていたが、今は物知りと言われても言葉を返さない。返しようがない。知識というのは他人から得たもの。確かにそれで物知りになれるが、物知り=賢いとは別である。我々が本当に賢くなるためには、自分の知恵によるしかないと思っている。我々には試験もテストもないが、経験という行為によって知識を知恵に変えていける。

    それが、「賢い老人」になることであろう。「知る」ことと、「行う」ことは同じではない。正しいと知っていても行えないことは多い。悪いと知っていても止められないことが多いように…。知恵は知識とちがって、我々の汗や涙がにじんだものである。自身が書物などで得た知識に、感情なりがプラスされたもの、それこそが知恵であり、知恵はまた生きるためのもの。

    子どものころ、お年寄りはみんな立派に見えた。が、こんにちお年寄りと交流を持つようになると、皆が皆人格者でないのも分かってきた。バカな老人もいるし、バカな老人は自分がバカであることすら見えていない。どうして愚かと思えないのか?などを考えるに、何が愚かであるかが解ってないようだ。やはり、賢くなるには、「愚か」を知ることが大事のようだ。

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    昨日とは内容を変えて、学者はどうあるべきかを考えてみる。どういう学者がいてもいいし、学者は腐っても学者だろうから、自分の考えは個人的なものだ。浅見は『にせユダヤ人と日本人』を執筆する前の1980年9月13日、某出版社の斡旋にて未公開ながら山本七平と対談を行っている。未公開という条件もあってか、この対談は録音されたが公にされていない。

    未公開という条件は、対談当事者や関係者を含む全員が硬く口をつぐむという条件であろうし、約束は守られなければならない。しかし浅見は、『にせユダヤ人と日本人』執筆にあたり、"問題個所"という断りを置いてはいるが、一部を著書で公開している。これはルール違反でないのか?以下はその部分。浅見は録音テープから問題部分を正確に引用したという。

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    浅見:「(『日本人とユダヤ人』の英訳本について)……あれはあれですね。少なくとも原著じゃなくて英訳ですね。

    山本:「はい。」

    浅見:「原著はないんですね」

    山本:「ええ。」

    浅見がこの点を尋ねたのは、『日本人とユダヤ人』の英訳は、R・L・ゲイジ訳でジョン・ウェザーヒル社から出版されている。浅見の言い分は、「ベンダサン氏が英文で書いた著作を山本が日本語に訳したというなら、その日本語訳をなぜにゲイジ氏が、「英訳」する必要があるのか。この論理から、イザヤ・ベンダサンと山本七平が同一人物という論法が成立する。

    イザヤ・ベンダサンが山本七平のペンネームでは、という噂はもちきりだったが確証はなく、後に司馬遼太郎や江藤淳ら30人余りの著述家が擬されている。山本書店版、奥付の著者略歴によると、「イザヤ・ベンダサンは、1918年神戸市中央区山本通生まれで、彼の両親はエストニアから亡命したユダヤ人。第二次大戦の勃発前に一家は全員アメリカに移住した。

    青年イザヤは戦争中陸軍の諜報活動に従事し、1945年の終戦時に日本に戻った。数年後にはイスラエルの独立戦争で戦い、そして再び1950年に日本に戻り、5年間日本国内で暮らした。1955年、彼は特許ブローカーとして日本とイスラエルとアメリカ合衆国との間を往き来するようになり、インディアナ州のテリ・ホートで幸福に暮らしている。」となっている。

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    日本の実業家でウシオ電機株式会社の設立者である牛尾治朗はこんなことを言っている。「いつだったか、週刊誌などで、イザヤ・ベンダサンは山本さんのペンネームにちがいないと騒がれたことがあった。山本さんに聞くと、あれはヘブライ語で、"地に潜みし者で、誰もさがしだせない者"という意味です、と例のおだやかな微笑みを浮かべられた。」

    堺屋太一は、「同著がイザヤ・ベンダサンと名乗るユダヤ人か、山本七平自身であったかを詮索する必要はないが、私はいまもイザヤ・ベンダサンの実在を信じている。私にも、発想と知識と生き方の点で大いに触発された日本語堪能な外国人の友人がいたからである」と話す。昭和51年時点で谷沢永一は、イザヤ・ベンダサンが誰かの決着はついたと見るべき」とした。

    ジャーナリストで元朝日新聞記者で、『週刊朝日』副編集長も務めた稲垣武は、こんなことを明かした。「ある日、『あれって、あなたでしょう」と聞いた夫人に七平は、『まあね、そういうこと。ユダヤ人から彼らの伝統や習慣については聞いたけどね。日本人は同じ日本人の無名の人間の言うことなんか頭から相手にしないから、外国人の名前にしたのさ。」と言ったという。

    稲垣武は、『 怒りを抑えし者 【評伝】 山本七平 』で第3回山本七平賞を受賞した。稲垣は上のことを山本夫人から聞いたのだろうが、あそこまで詳細に答えることからして、夫より口止めされていたという感じはない。夫人に聞くとは稲垣もしたたかである。山本七平没後に、『山本七平ライブラリー』全16巻を刊行した文藝春秋編集部は以下のように述べている。

    イメージ 3「当初イザヤ・ベンダサン名で発表された諸作品は、山本七平氏の没後に残された談話やテープや知人の証言等から、ほぼ山本氏の著作、もしくは山本氏を中心とする複数の外国人との共同作業と考えられるが、本ライブラリーでは、発表当時のまま著作名をイザヤ・ベンダサンといたしました」。これだけ騒がれるのも、山本がただならぬ著述家であったからだ。
    刊行当時わずか1500部という書が300万部というのは本人すら予期していず、外国人名にすれば多少なりとも読まれるであろうとの山本の日本人観が、ユーモアを交えて、「いざや、便出さん」というちゃらけたペンネームにしたのでは?「地に潜みし者で、誰もさがしだせない者」と、牛尾に述べた意味であるというが、ならば自身の口から明かすことはない。

    騒がれる段階になって、嘘もつきたくないという心情も相俟ってか、「私は著作権を持っていないので、著作権法に基づく著者の概念においては著者ではない」と述べる一方で、「私は、『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも否定したことはない」、などと述べている。山本はクリスチャンである。

    クリスチャンは嘘をつかない、ついてはいけないとされるが、嘘をついたり、悪事をするクリスチャンもいる。ましてや教導職に就いていながらも嘘は言うし、悪い事をする者もいる。キリスト教の神父や牧師が少年少女を犯し、その事実を隠蔽しようとした事件もあったが、世界に20億人もいるキリスト教徒である。悪事をする際は、聖書のことなど頭にないのだろう。

    そのことはともかく、浅見定雄の批判は確かに的を得たものである。彼が学者としての学究的態度は、是を是とし、非を非とする点に於いて評価されていい。が、『日本人とユダヤ人』が40年間も売れ続け、今なお版を重ねている現状に比べて、『にせユダヤ人と日本人』は一時文庫版化されたが現在は絶版となっている。インチキ本が売れ、正当本が売れていない。

    この矛盾はどこに原因があるのか?この問いに対する答えは明瞭である。浅見の山本批判の根底には、学者という真摯な応対を超えた一神教徒にありがちな、自己を絶対化するあまりの非寛容な態度が見える。こういう人が大学の教員であることは、いかにも問題である。政治的、思想的中立は難しいといえ、少なくとも教職にある者は自己絶対化を戒めるべきであろう。

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    帝国主義、軍国主義の時代ならともかく、生徒を色に染めるのは日教組批判と同じもの。したがって、浅見のような憎悪むき出しの論述は、学者としては不名誉であり、、クリスチャンとしての品位の無さは致命的である。これらの指摘は立花隆や小室直樹もしている。たとえ山本の指摘に誤謬があり、その誤謬は小さなものでないにしろ、敵意むき出しの批判は反感を買う。

    ハーバード大学で神学博士の学位を取得する浅見である。そんな学者がヒステリックに山本七平を論破し、その指摘が正確であっても、読むに堪えない本は遠ざけられる。善人が正義を気取り、正論をぶっても、義人でないことが人間的な品位を落とすようにだ。例えばテレビなどで品性のない学者が大声で怒鳴り散らすようなもの。別の言い方でいうなら、「好感度」。

    どんなに真面目で誠実でお金持ちでイケメンでも、好感度が悪い男を女性は避ける。容姿に好・嫌があるように文にもある。金美麗の批判本も感情的に書かれている(らしい)。文は人を表すともいうが、自分も自分をどう現しているのだろう。「山本というかくもいかがわしい、『文化人』が、どうして世にまかり通るようになってしまったのであろうか」と浅見は書く。

    よほど「肌」が合わないのか、論旨を超えた人格批判である。『肌さわりの美学』(安齋伸著 現代情報社、1976)という本がある。著者は上智大学名誉教授。探したが絶版のようだ。「肌が合う」、「肌ざわりがいい」など、物理的な皮膚とはちがい、日本人は、「肌」と言う言葉に独特の意味を持たせる、日本文化の特質を浮きだたせる、もののあはれ的な概念である。

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    肌は人に与える印象のことをいう。つまり、肌さわりのいい毛布のような感覚を持った人。浅見定雄や金美麗には備わるべくもいないが、山本七平という人間にはそれが感じられる。谷沢永一は、「史上最高の日本人」と山本を称した。彼の山本観とは、「読者を上から見下ろさず、読者と同じ平土間で、呟き語るのを好んだ。大向う受けを狙ったことは一度もない」。

    確かに山本にはそうした奥床しさがある。「日本とは何か?」、「日本人とは何か?」この問いに、生涯を費やし、格闘した著述家だが、なぜに山本七平は、日本人に拘ったのかを考えるに、この国には、「現人神(あらひとがみ)」という言葉がある。「この世に人間の姿で現れた神」を意味する言葉で、主に第二次世界大戦終結まで天皇を指す語として用いられた。

    「現人神」なる言葉を誰が考えたのか?山本は、『現人神の創作者たち」にこう記す。「戦後20余年、私は沈黙していた。もちろん、一生沈黙していても私は一向にかまわぬ。ただ、その間、何をしていたかと問われれば、現人神の創作者を捜索していたと言ってもよい。私は別にその創作者を戦犯とは思わないが、もし本当に戦犯なる者があり得るとすれば、その人のはずである。」

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  • 05/12/17--16:18: 現人神と大権現 ①

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    現人神とは天皇のことをいった。現人神が現存する時代の人にとって、現人神は天皇ではなく現人神そのものであった。近年は、「神」という言葉が安っぽい。ある格闘家を、「神の子kid」といい、とある野球選手を、「神ってる」という。戦前にいう、「神」の価値観とは畏れ多き違いである。価値とは何?価値観とは何だ?ふと浮かんだのがある乞食の言葉。

    ある人が乞食に物を恵んだ。人はある人を誉めた。すると乞食は言った。「もらう価値のある俺も褒めてくれ…」と。何という言い方であろうか。こんなところに、「価値」という言葉を置くとは。アレクサンドロス3世といえば、その名も轟くアレキサンダー大王。その大王をして、「自分がアレキサンダーでなかったら、この乞食になりたかった」と言わしめた乞食である。

    バカな学者どころか、バカな王様もいた。自分が裸で街を歩いていることすらわからないような…。その程度のバカなら笑っていればいいが、洋の東西には、「暴君」と言われる支配者がいたが、これは笑い事ではない。自分の気に入らない家来であれ妃であれ学者であれ民であれ、すぐに捉えて首を刎ねる。一個しかない首を刎ねられるのが、どれほど大変かなと。

    そんな君主に気を使いながらは骨が折れるが、骨なら何本折れても首を刎ねられるよりはいい。アレキサンダー大王は大遠征を行ったことでも有名だが、征服地にその名に因んでアレクサンドリアと名付けた都市を建設、軍の拠点として現地支配の基礎に置いた。目的は、「同君連合」である。同君連合とは、複数の君主国の君主が同一人物である状態・体制のこと。

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    アレクサンドロスのペルシャ東征は、広大な帝国を円滑に治めるためでありペルシア人を積極的に登用するなど、祖国マケドニア人とペルシア人との融和に尽力したが、彼は道半ばにて蜂に刺されて死んだ。信長も戦乱の世を収めるために天下平定を模索したが、彼もまた道半ばにて家来の謀反で生涯を閉じた。秀吉は老衰、家康は天ぷらを食べて死んだ(は、俗説)。

    当時の天ぷらは今のものとは大違いで、現代の天ぷらは江戸時代も後期になって発明されたもの。名付けたのは山東京伝といわれている。家康が当たったといわれる当時の天ぷらは付揚げと呼び、三枚に卸した魚を三枚に卸した魚(すり身との説もある)を油で揚げ、生にんにくのすりおろしをたっぷりのせたもので、これは今でいう薩摩揚げのようなものと思われる。

    いずれにせよ、榧油といい、生にんにくといい、どちらも内臓に負担のかかる食べ物ゆえに。高齢で胃腸の弱っていた家康が、「これは美味いがね~!」、こんな美味いもんがとパクパク食べれば、そりゃ腹痛を起こすがね~。文献によると、天和2年(1616年)1月21日、駿府城を出発し、田中(今の藤枝市内)にて鷹狩りをした。当日、鯉の天ぷらを食したのは記録にある。

    当夜は田中城に泊まったが、夜中に激しい腹痛を起こす。田中城に3日間留まった後、駿府城に戻る。徐々に体力が低下し、朝廷からの勅使にも会わずということから、体調は極めて悪化していたようだ。そして、4月17日午前10時頃死去。どうやら胃がんにかかっていたらしい。ところで家康は名君であったのか?静岡に住むとそのように刷り込まれるようだ。

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    まあ、戦に明け暮れた戦国時代の人を殺人犯とは誰もいわない。映画監督のマキノ雅弘はこう憤慨し吠えていた。「やくざ映画が遺憾言うて、なんで信長や秀吉、家康ならええのや。NHKはあんなもんばっかりやっとるが、アレらの方が余っ程ようけ人殺してるんや。アホやで、ほんま!」。NHKは今でもやくざ映画をやらないが、やくざまがいの集金人はいるらしい。

    徳川15代で誰が名君かと言えば、基礎を作った家康と改革をした吉宗だろう。信長は冷静でありながら思い切りのよい点は評価するが、あの冷酷さは日本史の中でも無比といえよう。秀吉は人たらし、そそのかし屋であり、田中角栄と似ている。田中が今太閤と呼ばれたのも分かる。三人の中で誰が好きかといえば、好き嫌いよりも、この三人が上手くつながったようだ。

    「織田がつき羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川」という言葉通りである。が、「一将功成って万骨枯る」というような、「一将」にだけに光や焦点を当てる映画や大河ドラマ並びに通俗歴史書より、埋もれた哀話に生きた歴史がある。山岡荘八の『徳川家康』に登場する鳥居強右衛門がいい。彼こそは長篠の戦いにおける最大の功労者である。

    にもかかわらず、家康が人気がないのはなぜだろう。秀吉は大阪で絶大なる人気があり、信長は尾張のみならず全国的な人気がある。家康が江戸でまったく人気もなく、静岡県では名君と刷り込まれる。尾張はともかくとして、地元の三河ではそれなりに人気があろうが、"それなりに"である。トヨタは東京に行かないが、家康はなぜに江戸に幕府を開いたのか?

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    岡崎にいれば三河幕府という歴史が誕生していただろう。が、家康が江戸に幕府を開いた理由は、朝廷(京都)と政治権力を切り離すためである。秀吉に江戸に遠ざけられた家康にとって、東国「江戸」は、京都の朝廷の干渉を受けない最適地だった。とはいえ、現役時代は京都の伏見城、引退後は駿河の駿府城、本拠地江戸城にいた期間は短かったようだ。

    現代的解釈でいって家康の人気の無さは、日本人の嫌う4つの性質にあるといわれている。①華々しさ、潔さがない。②義理を重んじない薄情さ。③「タヌキおやじ」と呼ばれるズル賢さ。④目的のためには手段を選ばない。しかもそれで成功した「しぶとさ」。などで、歴史に素養あるひとなら、なるほどと頷けるはず。それぞれの項目に注釈を入れるなら…

    まずは①だが、子ども時代に人気があった武将といえば、武勇伝がなによりだが、信玄に負けて脱糞しながら逃げ帰る家康である。義経、信長、幸村にあったカッコよさ、秀吉には貧農から大出世というこれまたカッコよさなどがない。②は、三河の小大名にあっては隣国今川を怖れて従属していたが、義元が桶狭間にて信長に破れると、今川を見限り織田と同盟を結ぶ。

    ③のこれまた三河の大名時代、領内の一揆に手を焼いていた家康は、とりあえず一揆側と和睦して解散させる。ところが、一揆側が解散するや否や手のひらを返し、武力で一揆を制圧する。豊家との「冬の陣」で、秀頼と表面的には和睦とみせ、大坂城の総堀を埋めるや否、「夏の陣」では豊家を滅ぼす。こういうやり方が「狡猾」でズルい家康といわれる。

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    ④については、信長・秀吉がなし得なかった天下統一を果たし、幕府を開く、「大偉業」に対する成功者への、「嫉妬」もあるかも知れない。日本人は姑息で卑屈な、「や・ね・そ」民族である。成功者に対し、喜びや拍手を贈るでなく、「や」っかみ、「ね」たみ、「そ」ねみを抱く。仏陀は、「恨みは恨みによって鎮まらない。恨みを捨ててこそ鎮まる」と言った。

    山本七平も家康を書いている。興味はあったが、自分はもう「信長」、「秀吉」、「家康」に関しては耳にタコができている。が、山本の家康は少し毛色がちがうようだ。紹介文には、「家康はなぜ天下人たりえたか。鮮烈な“山本史観”で、「神君」でも「狸おやじ」でもない、「非凡なる常識人」家康の実像に新しい光を当てる」とある。が、買って読んでない本が山。

    家康についてこんな記述がある。ある武将が家康から、「岡崎城5万石をお前に預ける」と言われ、「家に帰って家内と相談します」と答えたという。が、家内は方便で実は家老たちである。武士なら、「家老と相談する」と言えなかっただけで、実際家老たちとやれるかどうかを話あった。岡崎藩というのは、尾張家に対する目付の役割もあり、政治的な意味が大きい。

    時は戦国の世、命を懸ける武将が、「女房に相談」と言ったことの方が、実際問題「笑い話」だが、誰に相談するというのが問題ではなく、要は、「衆議に照らしまして」ということを明示することである。あの時代は公方の命といえども、命を受けた個人がそれを単独で行動してはならない決まりがあった。必ず衆議に計って一致団結で行動するという規定である。

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    これが日本的集団主義という、「見えざる規範」であった。それはまた、個人の行動原理であった。日本の組織はコンセンサス文化ゆえ衆議や評定が不可欠。話し合いによって関係者の感情への配慮や、コミュニティの調和を重んじる。近年は意思決定のスピードが求められ、相手の顔色ばかり伺う衆議制は、革新的な意思決定に至らないマイナス面が強調される。

    欧米流の自己主張、それに基づく強力なリーダーシップ、あるいは自己を誇示するプレゼンだけでなく、相手の発言を聞いたり引き出したりの対話を通して、利害が対立する関係者たちと調整、協力しながらものごとを成し遂げるコミュニケーションは必要である。本来協調とは自立した者同士が成せるもの、その意味で協調優先の日本の初等教育は間違っている。


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  • 05/14/17--17:21: 現人神と大権現 ②

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    古事記に、「オオクニヌシの国譲り」という物語がある。オオクニヌシとは、「因幡の白兎」の大黒様。大黒様とは本来は大黒天であり、なぜか大国主命(オオクニヌシノミコト)の大国(だいこく)と重なったことで、大国主命が大黒天として信仰されることになった。そのオオクニヌシの尽力で、実り豊かな国、葦原中国(あしはらのなかつくに)が出雲の地に成った。

    ところが、神々のおわす高天原を治めるアマテラスは、この国は我が子が治めるべきと言い出した。アマテラスはその意向を葦原中国に伝えるために、三柱の神々をオオクニヌシの元に送り込む。その際に拘ったのが、「言趣く(ことむく)」、「言向く(ことむく)」といわれる話し合いによる説得と合意であった。日本は言霊の国、言葉には何がしか力があるとされる。

    「言趣く」、「言向く」とは、それを相手に向けることによって、相手を説き伏せ、相手から合意の言葉を引き出す行為と考えられている。アマテラスの、「言趣く」、「言向く」工作による説得は延々と続き、な、なんと11年以上もの歳月を要し、ついに最終合意にいたったという。その合意の内容は、オオクニヌシが、自分のために荘厳な殿社を造営すること。

    高天原の神々の子孫と同等の待遇で自分を祀り、出雲の地の信仰の対象となること。これらを条件に、葦原中国を譲ることに合意したのだった。この物語は、天皇の皇祖神にあたるアマテラス側と、出雲の地に勢力を張った部族との間におきた領土をめぐる争いが、「話し合い」によって決着したことを語っていると解釈される。日本の神々は実に人間的だ。

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    権威をかさに威張ったり、命じたり、強引なこともせず、11年もかけて話し合うとは真に畏れ入る。そもそもGodを、「神」と訳すからいけないのだろう。Godとは一神教の神。世界で一つしかないものだから、英語表記では大文字で書く。日本古来のカミを一言でいえば、自然現象を人格化したもの。『古事記』、『日本書紀』に登場するカミや、神社に祀られるカミ。

    また、太陽、月、風、雨、海、大木、岩や動植物や人間など、並み外れたものはみなカミである。と、江戸時代の国学者本居宣長は日本のカミを定義する。彼によると、人間に、「あはれ」という感動を与えるものはみな、カミなのだという。このように考える日本人にとって、国土は豊かな自然に恵まれ、至るところにカミが臨在している、カミの国である。

    同じ日本人ながら宣長の思想に驚く。古代に神道が発達した要因として、①狩猟採取の縄文人が抱いた自然崇拝の習俗が底流となった。②米作を営むようになった弥生人は、土偶など土地の生産力の象徴を崇めた。③中国から伝わった青銅製の武器や鏡は首長たちの祭具や呪具となった。④中国由来の易や天文暦学、神仙思想は統治者の祭礼や葬礼に反映された。

    ⑤各地の共同体や有力集団はそれぞれの氏神を祀り神社を建立した。こうした要素が渾然一体となって神道と意識されるようになったのは、仏教が伝えられた後であった。つまり、人びとが仏教との相違と対抗を意識してからである。①仏陀は悟りを開いた人間でカミではない。②カミは人間と異なるが、人間の祖先であり、生きていることも死んでいることもある。

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    ③仏陀は男で独身を守る。カミには男女があり結婚もする。④仏陀は仏像をつくり寺に安置するが寺にはいない。カミは神像をつくらない。神社には依代(よりしろ=カミがやってくる場所となる物)を安置するが、カミは神社にはいない。日本に伝わった仏教は中国を経由し中国化した。テキスト(書物)は漢字で書かれた漢訳仏典であり、教団組織や運営は中国流である。

    日本人は、こうして学んだ仏陀と対照し、カミの観念をもつことができた。カミも神も仏もGodも信じない自分だが、信じる人は正直すごいの一言。教えを信じることは、それだけ頼りにしているということか。頼るは依存だが、信仰は依存でないのか?信仰の意味すら分からないが、信仰者は信仰の意味を分かっているのか?依存ではないのか、依存なのかについて…?

    自分には関係ないので不思議な世界だ。信仰もないのに死ねば真宗のお経をあげられ、真宗寺の墓地に埋葬されるが、そんなことは望んでいないので、散骨を願っている。これには遺言がいる。「葬式無用 戒名不用」は、白洲次郎の遺言書。大金を払って戒名をもらい、それを木の板に書いて仏壇に入れ、線香の煙を立てるとか、蝋燭に火を灯すなんて変な宗教だわい。

    人がやってるからやらねばならぬこともない。慕う父であったが、墓にも行かない法事もでない。墓に行って何を拝むのか、法事でじっとしている理由に意味を感じない。念仏とか経とかより、日毎に思い出し、感謝する方が距離感を感じる。冠婚葬祭否定派の自分は、形式より実利を重視する。規制の概念に囚われない新しい時代の人の葬り方でいいと思う。

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    鳴くまで待った家康の様々な局面を史書で知るが、一回きりの人生とはいえ波乱という言葉が相応しい人物である。そうして彼は神になった。本当になったか否かはともかく、家康に神の位を授けたのは天皇である。人が人に神の位を授けられるのか?それはできない。天皇は神道の最高位。国家神道の名称は明治以降のものだが、天皇は遥か昔から『現人神』だった。

    「東照大権現」という家康の神の称号の発案者は、家康の宗教顧問であった天海である。豊臣秀吉は「豊国大明神」という称号だが、これと差別化をした天海の大権現であろう。権現とは、「神が、仮に仏の姿を取って現われた」という意味。東照とは、「東のアマテラス」であり、天照大神という天皇家の祖先神に対峙する、関東武士の祖先神ということになる。

    天海は比叡山延暦寺出身の僧で、江戸を京都に見立て、鬼門方向に比叡山をそっくり配置した、「東叡山寛永寺」を作り、裏鬼門に山王日枝神社を作った。江戸の神社仏閣を完璧に配置した天海が、関東平野全体の結界つくりの総仕上げとしたのが「日光東照宮」で、源義朝の日光山造営に遡り、東国の宗教的権威となっていたが、家康を大権現としてここに祀った。

    日光東照宮には、家康以外にも秀吉、頼朝が祀られているのはなぜか?いろいろ調べたが、「理由は不明」とされている。想像される理由として、秀吉を相殿神(侍従の神)という立場を与える事で、家康の方を格上であると位置づける。もしくは、秀吉の霊が徳川に災いをもたらす疫病神にならないよう東照宮に封印、家康の霊に監視をさせるため。どちらも一理ある。

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    源頼朝については、清和源氏の嫡流で武士最初の征夷大将軍であるが家康は違った。かつて従五位下という官位に任官されるとき、『松平などと聞いたこともない出自の者が任官された先例はない』と断られそうになった家康は、後の征夷大将軍を睨み、『徳川氏は源氏一族である』と吹き込んでいたのは、「将軍にしてくれ」、「お前はダメだ」といわれないためにであろう。

    その後、系図を捏造して源氏性を手に入れたのは知られている。これは家康が征夷大将軍に任ぜられる遥か前の、1566年に三河地方を統一し、三河守に任官を希望した頃である。用意周到というのか、老獪というのか、よく言えば先を見越して手を打っておく性格が読み取れる。いずれにしても家康は、清和源氏嫡の流本物の源氏である頼朝を尊敬していたろう。

    征夷大将軍に任ぜられた頼朝が、京都にも来ず、鎌倉にでんと腰を据えたように、頼朝を真似た家康は江戸に幕府を開き、京都とは別の政治体制を敷いた。幕府という名称は、征夷大将軍が戦争のためにテントを張る(つまり本営を置く)こと、それを幕府という。現代的に分かりやすく言うと、防衛大臣が鎌倉にテントを張って、日本国全体の政治を行うこと。

    これは無茶苦茶な論理であって、律令体制の最高位である太政大臣の平清盛が、日本政府の最高位として全国の政治の仕置きしたのは理に適っている。幕府が国を支配することに怒った天皇には、後鳥羽上皇を始めとする上皇・天皇連合チームは、ことごとく武圧に制された。ついに幕府は政治の実権を握り、それは慶応三年、徳川慶喜の大政奉還まで続いた。

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    平家を京から追い出すなど、目に余る武士の台頭を規制するため、武士政権のための法令(式目)が作られた。貞永元年に制定された「御成敗式目」だが、別名「貞永式目」ともいう。これには国家の統治権は幕府がもつとは一行たりとも書かれていない。何がゆえに幕府が立法権を行使し得るのかについてもかかれていない幕府政権とは、まったく正当性はないものである。

    天皇と将軍、朝廷と幕府による権力の二重構造は、「御成敗式目」が制定された1232年8月10日から、1867年11月9日の大政奉還まで、延々635年も続いた。なぜこのような違法状態が続いたのか?について、「御成敗式目」を制定した北条泰時は、「これは法ではない」としている。法でないなら何の、「式目か」という疑問だが、こんなことは今の日本にいくらでもある。

    労働基準法による企業の違法残業にしても、やっと厳しく監視され、手を付けられるようになったが、企業に都合の良い論理は、労働者に抗えない仕組みになっている。上司に文句を言ったところで、「貴様のそういう精神がたるんどる!」と言われれば何も言えない。精神論が法の上に位置するこの国において、身分保証を求めて司法に訴えるのは、クビ覚悟の行動である。

    泰時の、「御成敗式目」は日本の武士階級の総意であり、暗黙の合意を了承とした創作的申し合わせに過ぎず、あまりに見事な書式であるために以後600年間、誰も文句をつけなかった。日本の政治というのは、ある政権が社会通念上の支持(選挙など)を得れば、合法とみなされる曖昧さがある。一旦認められた憲法なら、議論を積み重ねてみても否定論は難しい。

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    2014年度のNHK大河ドラマは、『軍師官兵衛』であった。JA鹿児島に勤める知人が、官兵衛居城の豊前中津城(大分県)詣での団体旅行の付き添いで数度行ったという。行ったというより行かされただが、ほとんどが高齢者だったそうだ。大河ドラマ放送がその舞台となる地域にもたらす経済効果は、概ね100億円を上回ると言われるが、200億円を超える推計もある。

    2004~2014年までの10年間の図表をみると、2010年放送の『龍馬伝』による高知県の535億円が突出している。また、龍馬ゆかりの地長崎県も182億円の御利益に預かっている。幕末とは、京都を中心に西は長崎、東は江戸の三都市が時代の舞台だった。ことさら学問や医術など西洋文化が花開いた長崎は、幕末の志士らが数多く往来したことでも知られている。

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    龍馬は幕末の人物の中で根強い人気の長崎ゆかりの人物である。彼は文久2年(1862)から大政奉還の慶応3年(1867)までの5年間で、実に2万キロ以上を蒸気船で移動したが、初めて長崎入りしたのは慶応元年だった。もちろん海路である。当時は今より入り江も深く、外国船があちこちに繋留される長崎港の風景を目の当たりにした龍馬は、希望と期待を胸に抱いたことだろう。

    龍馬が愛した人物にお元という丸山芸者がいた。彼女は、「茂木びわ」で知られる茂木の生まれで、よく気の利く男好きする美貌の持ち主であった。琴、三味線がうまく、龍馬は音曲に聴き惚れていたという。龍馬は、海援隊の本部があった小曽根邸に、りょう(龍)としばらく住んだが、りょうが下関に移ってからは、このお元と過ごしくつろいでいたようだ。

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    さて、『軍師官兵衛』の大分県74億円は大河ドラマの経済効果としては少ないが、福岡で169億円となっている。官兵衛こと黒田孝高は播磨国に生まれ、播磨の小寺政職に仕えた後に信長⇒秀吉と主家を変えたが、慶長5年(1600年)に家康が会津の上杉景勝討伐の兵を起すと家康に従って出陣、出兵中に三成らが大坂にて挙兵すると、東軍武将として関ヶ原の戦いに参戦する。

    長政は関ヶ原の合戦の後、家康から勲功として筑前国名島(福岡)に52万3,000石の加増で移封した。「家康が最も恐れた男官兵衛」というのが官兵衛の代名詞であるが、実際、家康が最も恐れた人物は、大阪夏の陣の際に家康本陣に迫った真田幸村であろう。それはともかく、官兵衛(後の孝高)・長政父子は筑前国に福岡藩を立藩、長政が初代藩主となる。

    以後黒田氏は代々福岡藩主となり国替もなく幕末に至る。二代忠之以降は代々松平筑前守の名を与えられた。黒田氏と言えば避けて通れないのが黒田騒動、この原因を作ったのが2代藩主忠之である。忠之は祖父や父とは違い、性格も奔放で我侭であった。長政は世継ぎ継承にあたり長男忠之の狭器と粗暴な性格を憂い、三男の長興に家督を譲ると決め忠之に書状を送る。

    書状には2千石の田地で百姓をするか、1万両を与えるから関西で商人になるか、千石の知行で一寺建立して僧侶になるかなど、嫡子にとってあり得ない厳しいものであった。忠之の後見役である家老栗山大膳は、辱めを受けるのなら切腹を忠之に勧めるも、大膳はその裏で有力藩士の嫡子たちを集め、長政に対して廃嫡を取りやめなければ全員切腹すると血判状を取る。

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    事態を重く見た長政は嘆願を受け入れ、大膳を後見役に頼み死去した。大膳は忠之に諌書を送るが、飲酒の心得、早寝早起きなど、子供を諭すような内容であったため、立腹した忠之は大膳に次第に距離を置くようになる。寛永元年(1624年)に藩主となった忠之は就任早々に自身の側近と、筆頭家老であった大膳はじめ宿老達との間に軋轢を生じさせることとなる。

    小姓から仕えていた倉八十太夫を側近として抱え、1万石の仕置家老に取り立てた。家老には家柄家老、仕置家老の区別がある。家柄家老とは、先祖の功績で家老になる者、仕置家老とは煙たい家柄家老より、藩主が自分の思い通りになる重臣として迎え入れる家老をいうが、忠之は十太夫に命じて豪華な大船・鳳凰丸を建造、200人の足軽を新規に召し抱えるなどをした。

    家柄家老大膳は、忠之が幕府転覆を狙っていると幕府に上訴したが、忠之を担ぐ藩側は、「大膳は狂人である」との主張を行い、将軍徳川家光が直々に裁いた結果、忠之側の主張を認め、所領安堵の触れを出した。ここに10年に及ぶ騒動に幕を閉じた。封建時代にあって藩主と家柄家老は何かと反目した事例は少なくないが、黒田騒動はその代表例である。

    大膳は騒動の責を負って陸奥盛岡藩預かりとなり、十太夫も高野山に追放された。藩主に弓を引いた大膳だが、幕府の裁決は「大膳乱心」とされ、大膳は盛岡藩に実質流罪となった。盛岡藩南部家は大膳を手厚く待遇した。大膳死後、嫡子は黒田家からの招聘を受けたがそれを断り、子孫及び臣下は盛岡藩に定着した。父の恨みを子たちは絶やさなかったことになる。

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    家光の裁定は、「治世不行き届きにつき、筑前の領地は召し上げる。ただし、父・長政の忠勤戦功に対し特別に旧領をそのまま与える」。「大膳は主君を直訴した罪で奥州盛岡に配流。150人扶持を生涯与える」と、領地没収を明記しながら長政の功績にて安堵するとの矛盾したものだが、これは忠之や十太夫の罪を認知したもので、十太夫の高野山追放がそれを物語る。

    徳川家に対する父長政の功績に鑑みて赦免された忠之であるが、主君を直訴した罪ながらも大膳は厚遇を受けたのは、家光の苦心の裁定である。大膳が九州大名の総目付日田代官・竹中采女正に、「藩主に反逆の企てあり」の訴状を差し出した真意は、裁きの庭で長政と家康の関係を幕府に再確認させる目的で、「主への反逆罪」に問われることを覚悟の上の行動だった。

    思惑どおり大膳は江戸城内裁きの庭において居並ぶ老中を前に、「御老中の御威光による御意見をいただく以外には、主・忠之をして神君・家康公の御厚志を守り通さす方法見当たらず公訴の手段をとりました。家康公の御意思をふみにじってはなりませぬ」と釘を刺している。この大膳の命をかけた訴えによって、上記の家光の寛大なる下知が下されたことになる。

    表向きは罪人であった大膳は、盛岡藩においてはで罪人あつかいされることなく、62歳で生涯を終えた。大膳の墓は岩手県盛岡市にあるが、郷里である福岡県朝倉市において大膳は、「黒田52万石を救った偉人」と称えられている。鴎外の小説『栗山大膳』においても、大膳を忠義の人物とし、一連の騒動も忠之の暴政を諌めるために起こした事件と描いている。

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    「三代続けば国は亡ぶ」という諺があったように思うが探しても見つからず。『葵 徳川三代』という大河ドラマがあった。源頼朝は三代で滅んだが、徳川は十五代続いた。それは、混乱の戦国時代から徳川の世の基礎を築いた家康・秀忠・家光の功績であろう。高校の頃に近所の親父が、「商売は子に継がせても現状維持がやっと、孫の代で潰れるよ」と言っていた。

    黒田騒動は、出来の悪い嫡子を世継ぎにすべからずとした親に意を唱えた家柄家老が、その出来の悪い嫡子が藩主となった途端に反目の憂き目にあう。「理」で物事は動かないもの。薩摩藩の、「お由羅騒動」も藩主・島津斉興の後継者として側室の子・島津久光を藩主にしようとする一派と、嫡子・島津斉彬の藩主襲封を願う家臣の対立によって起こされた。

    仙台藩の「伊達騒動」も、三代藩主の伊達綱宗の遊興放蕩三昧を、叔父の一関藩主の伊達宗勝がこれを諌言したが聞き入れられなかった事に端を発する。徳川家光も嫡子でありながら、父秀忠や実母お江に嫌われ、弟の国松を世継ぎにするつもりでいた。これに怒ったのが家康で事なきを得たが、家光が病弱でおっとり性格も原因のようで、三代目というのは問題児が多い。

    自分たちの生まれた時代は、家父長制ではなかったが、名残は残っていた。愛国心とは、まさに国というものが父親として存在するということ。男の家長が、「国」を象徴するという、家父長制が、「国の基本原理」というような認識に通じていた。「庇護」というのは、「強い男」が女・子どもを守るということであり、その強い男というのが、家族の長であった。

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    強さは子どもの第一子(嫡男)にも連なった。下より上の子が強い、お兄ちゃんだから強くて当たり前という考えが嫡子相続に起因する。嫡子はまた、家長の血の繋がった子どもという意味があり、社会制度上、女性は嫡子を産むというのがもっとも重要な役割と言われた。女の子しか産めない女性は、女性に問題があると、肩身の狭い思いにさせれた。

    取り決めというのは偏見も含めて無理があるが、どうであっても取り決めである。よって、「男は自ら家庭を作り、家族を庇護するのだ」の考えになるが、今の若い男の結婚離れはその気概がない。おそらく、女が強くなったのを真近で見ているからであろう。「戦後、女と靴下…」の比喩は、昨今は比喩としても言われなくなった。つまり、当たり前になったようだ。

    女が強くなれば必然的に男が弱くなるのだろう。弱い亭主であれ、それは家庭内の覇権の問題だが、女が怖くて結婚をビビる男が増えていい事はない。昨今の女性はそれを知り、恋愛期間は弱くて可愛い女を演じるようだが、それでも結婚にありつけない女性は、やはりどこか問題があるのだろう。「結婚したくないのか?できないのか?揺れるキャリア女子…」

    「42.7%」。昨年の数字だが、東京都に住む30代前半の女性の未婚率だ。この年代の女性の半数近くが結婚していない計算になる。その中には、男性と同じように仕事でのキャリアを積む一方で、結婚や出産もしたいと願う女性たちも多数含まれている。仕事と結婚の両立は難しいのか?難しいであろうことが、上の数字に表れている。嫡子問題が非婚に移るは終了す。

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    「歴史に、『もし』はない」と言われる。「もし」の話は、どうとでも展開できるから答えがない。「だからつまらない」と言うことだが、それはそれで一つの考えであろう。よく聞かされた話に、「私たち夫婦は運命の糸で結ばれていた。だって、何千万人の中から選ばれたんだもん」というのがある。「過去はすべて必然だ」というのも一つの考えに過ぎない。

    そういう話になると、「そんなバカな…」といつも自分は否定していた。「運命は決まっているものではなく、自ら作って行くもの」という考えでいる。もちろん、自分の考えも一つの考えに過ぎないが、運命は予知も予測もできず、すべて結果論で言われることをいいことに、「過去の一切は起こるべくして起こった」というのは、まさに後出しじゃんけんそのもの。

    ある歴史学者が同じようなことを述べていた。信長⇒秀吉⇒家康は必然であったと…。これもすべてが分かっているから、必然のように見えるだけだ。何事も決めつけたがる人間がいる。勝手に決めつけ、それをさも分かったかの如くいうのは、そこらの素人なら自由でいいけれど、学者は傲慢であってはならない。それでは小さな結論しか生まないことになろう。

    学者が勝手に設定した、「必然」に固執し、どんな世界も、「古代」から、「中世」に至り、「近世」、「近代」に発展するのだと決めてかかり、歴史を固定化することは、事実に基づいていることを単に述べているに違いない。信長の後は秀吉、そのあとは家康なら誰でも知っている。もし学者が、安部総理の後は〇〇総理、その後は〇〇というなら、その学者は学者でない。

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    言うだけなら宜保愛子や江原啓之、細木数子でもいうが、当たればの話。霊視だの霊能だのは、昨今は公共の電波に乗せないことになった。スピリチュアルブームを煽ったテレビ番組に触発され、「来世で幸せになりたい」と現世を悔やんで自殺した少年がいた。それがテレビのスピリチュアル番組一掃の要因になったが当然である。少年は無知で感受性が高い。

    「人に何かしらの影響を与えないテレビ番組はない!」という強者の論理もあるが、子どもが霊能者の影響で自殺するというのは、自殺を留めている潜在者の数を反映しているという予測もできる。よって、番組に対する放送倫理は、多元的な議論をすべきである。昔、スーパーマンがテレビで放映され、マント代わりに風呂敷を背負った少年が全国に出没した。

    自分の友人は背中に風呂敷をなびかせ、屋根から飛んで足の骨を折った。その場に居合わせた自分は苦しむ彼を見ながら近所に駆け込んだが、この一件には3つの考えができる。①マントの効果を試した彼は勇気がある。②風呂敷をマントと見立てた彼は愚か。③彼はバカだ。そんなの怪我するに決まってる。この中の①こそが子どもの、子どもらしさではなかろうか。

    批判されるは江原より、彼を持ち上げたテレビ局である。江原自身の影響力はテレビによって拡散し、増幅されるからである。江原啓之は、「心霊」というおどろおどろしい言葉を、「スピリチュアル」というスタイリッシュな言葉に変換し、一般の人にも、「見えない精神世界」を受け入れやすくした。いわゆる現在の、「スピリチュアルブーム」の礎を築いた人である。

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    しかし、彼はワタナベ事務所に所属する一タレントでしかない。何を言おうが、タレントとしての無責任な発言として逃げられる。信じる大人はいてもいいが、無知で純粋な子どもを煽った責任は番組制作者にある。2004年、細木和子の、『ズバリ言うわよ!』、2005年、江原&美輪による、『オーラの泉』が、スピリチュアルという言葉は一気にメジャーになった。

    高次の霊的メッセージを伝達し、人格の成長を促すことを重視したスピリチュアル・カウンセラー江原は大人気となり、スピリチュアルブームに火をつけた。しかし、少年の自殺という事の重大さを感じたのか、美輪はその手の話を封印した。でなければテレビに出れなかったろう。江原はカウンセリングに霊視や透視を使うが、カウンセリングにそんなものはない。

    あくまで心のうちの相談である。健常なクライアント(相談者)がいだく心配ごと、悩みや苦情などを、面接、手紙、日記などを通じて本人自身がそれを解決することを援助する、それがカウンセリングである。スピリチュアリスト=霊能者という言い方が、自称とはいえ問題となり、あるスピリチュアルカウンセラーは、『私は「霊能者」と思われていますが、「霊能者」ではありません。

     「霊能力を用いてるカウンセラー」です』などと変節した。ブームが過ぎ去って以降、多くのスピリチュアリストは発言を控え、用心もし、消極的になっていったが、信者を止められない人は未だ多い。彼らは一様に、「霊的なものは証明はできないが存在する」というスタンスである。「STAP細胞はありま〜す」ではないが、信じる人の批判はしない。自分が拒否すればいいことだ。

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    ただし、煽るのは無責任と思っている。世の中、煽られないひとばかりではない。確かにテレビの視聴者数は膨大で、行方不明者捜索などは大いにやったらいい。ただし、霊能ブームに乗じて、霊能者を引っ張り出し、彼らに見つけさせるという生番組がヤリすぎである。霊能者は、その人の写真と生年月日が分かれば良いというが、番組は明らかにショーである。

    なぜならあの時期、逃亡中のサダム・フセインを発見したら懸賞金5億円というのがあった。出演料いくら貰ってるか知らないが、誰もが沸く疑問は、「霊能者はなぜ5億円をもらいに行かないのか?」である。行方不明捜索番組の司会者もそんなことを聞くはずないし、矛盾と感じたら真顔で司会はできないだろ。どっちにしても、テレビで霊視、霊能が消えてよかりし…

    占いや霊視、ヒーリンググッズなどが人気となる理由は、目に見えないものを扱うことのできる特別な能力のある人や物に託せば、常識では考えられないところで何か解決策が見つかるかもしれない、という期待や魅力であろう。そんな人を信頼し、託すよりも、霊的な能力など無用とばかりに、自分は物事を解決したい。解決できればそれが能力なのだから。

    大学受験に二度失敗した苦悩から、「エホバの証人」に入信した知人がいた。彼女とはいろいろ話し合ったが、入信後は、「ものみの塔」から常に監視されているので、本当は信者以外の人と教義や教団のことを話してはいけないことになっているという。教団の教えは、「教団批判をする人間は悪魔」と定めているからだ。なるほど、これを洗脳というのか、であった。

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    特別な能力などにあやからなくとも、そんなものは無用とばかりに、生きていくことは可能だが、人間は依存をすることで楽をしようとする。依存を良しとしない自分は、依存は努力をしない横着者と定めている。例えば筋トレなども機器を使わない。買うこともしない。灯油用ポリ容器に水を入れるなど、その手の負荷はいくらでも調達可能で、大事なのは意思である。

    機器を買い揃えた人でガラクタ化した人は多い。機器があればやれるだろうというのは、意思の啓発になるが実行できない。なぜなら、意思とは無から有を生みこと。だから、何もなくてもできる。大事なのはやろうとする意思。そういう気持ちが重たい物を周囲から探し出す。買う必要もない。ヒーリングや占い、霊能者などにかかる人には、次の3つが言われる。

    1.努力なしで今までのことが一気にリセットされ、本来の素晴らしい自分になれるという変身願望

    2.チャネリングなど専門的能力を備えた肯定的な言葉や雰囲気などによってもたらされる、深い安心感とリラックス、そして神秘体験

    3.非日常の中で体験する、自分だけの特別なメニューや特別な自分との遭遇により、人生や自分という存在の意味づけや優越感

    運命的な言い方で笑えたのが、あるデブ女の言葉。「わたしって、生まれた時からこの体型になる運命だったと思う。人もそうだけど、世の中のことって、すべて決まっているのよね」。反論するのを止めようと思ったけど、彼女に努力という言葉を突き付けたくて言った。「ハゲやブスはそうだと思うよ。生まれた時から決められている。デブは違うと思うけどな~」

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    彼女が何と答えたか記憶にない。おそらく答えなかったかもしれない。理由は憤慨したからで、当たり前の正論をいって、憤慨されても知ったことではない。確かに、太る体質の遺伝因子はあるようだ。母親を見ればその子の将来の体型は分かるなどという。しかし、自制心がというのは、何事をも抑制できるのは疑いない事実。デブは間違いなく自堕落である。マツコしかり…

    超人気で彼を見ない日がないマツコだが、なるたけ見ないようにしている自分だ。ミスタードーナツのCMを見たというある外国人は、「結局この人は、女装と食べ物を食べる以外には何をする人なの?」と疑問を呈し、また別の外国人は、「このテレビの巨大な女性は誰?ひたすら食ってんだけど」という。彼こそ、ライザップのCMにふさわしいと思うが…


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    悪妻という響きは世の妻にどのように受け止められるのだろうか?「わたしには当てはまらない」、「関係ないわ」あるいは、「わたしもじゅうぶん悪妻かも」あるいは、「悪妻ってなんなの?よくわからない」などなど…、男の側からの想像だ。確かに悪妻が何を定義するかは人それぞれではないか。良妻の定義もである。要するに、「良悪」は主観であるということ。

    「あの映画は良かった」、「あの子は悪い子だ」、「彼女は良い性格だ」、「なんという性悪女」などは、万人に共通・共有の概念を持たない。例えば、『群青の夜の羽毛布』でいえば、あの映画はイライラしながら観ていたが、母に従順な姉より親に是々非々な考えの妹の方がずっと良い人間に感じる自分だった。姉と妹で浮かぶのが、「南幌町家族殺害事件」である。

    2014年10月1日に北海道空知郡南幌町で発生した、女子高生が母親と祖母を殺害した事件である。事件のあらましは、同日深夜1時頃、地元の薬局に勤める長女が帰宅した際に、1階の寝室で母親が、2階の寝室で母方の祖母が寝間着姿のまま死亡しているのを発見した。母親は喉仏から頸動脈まで切り裂かれ、祖母は頭と胸を中心に7か所刺された状況で発見された。

    二人とも失血性ショック死だった。警察の事情聴取に三女は、「寝ていたのでわからない」と答えたが、のちに犯行を認めた。凶器は台所の包丁で、軍手や衣類とともに、自宅から5km離れた公園内の小川で発見された。この証拠隠滅には長女も関わっていた。次女は同家に同居していない。父と祖母の折り合いが悪くなり、両親の離婚に伴いし、次女は父と共に家を出た。

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    取り調べに対し、三女は犯行の動機を、「しつけが厳しく、逃れたくて殺した」と述べていた。長女によると祖母は、「子どもは一人でいい。犬猫みたいで嫌だ」と言い、三女が泣くと口から頭までガムテープで巻くなど虐待を続け、母親はそれを黙認するだけだった。三女は就学前の2004年2月、祖母に足をかけられて頭に重傷を負い、救急車で病院に運ばれた。

    このとき児童相談所が、「三女に虐待の疑いがある」と判断し、一時は保護したが、母親が迎えに来て自宅に戻された。床下の収納部分に閉じ込められたり、冬でも裸で外に出されて水をかけられるなど、三女への虐待は一層深刻化し、生ゴミを食べさせられていたと長女は証言した。長女と三女は、祖母と母はこの世からいなくなったらなどの妄想話をしていたという。

    三女は供述調書で、姉も(祖母を殺害したいという)同じ気持ちであることを知ったが、長女が交際男性との同居を望んだときに祖母から罵られ、「祖母がいなくなればいい」という言葉が三女の決意を後押しした。事件前に三女は友人に、「自分とお姉ちゃんの自由のため」と、祖母と母の殺害の意思を伝えたという。犯行は姉と三女が計画し、姉は睡眠導入剤とゴム手袋を提供した。

    事件の詳細が明らかになるにつれ、自分はこの姉に憤りを感じた。事件後三女の同級生の親らが減刑のための署名を1万以上集め、同年11月に札幌地方検察庁に提出したことも影響もあったと思われるが、家裁送致された三女は2015年1月、札幌家裁で責任能力を認めた上で被害者による虐待が動機に影響しているとされ、医療少年院送致とする保護処分を決定した。

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    殺害計画に加わったことで殺人幇助の罪に問われた長女の裁判員裁判は、2016年2月に札幌地裁で行なわれたが、懲役4年の求刑に対し、「子どものころに虐待というべき日常生活を余儀なくされた影響が大きい」として、懲役3年・執行猶予5年が言い渡された。長女の用意した睡眠薬やゴム手袋は、「実際の殺害行為を助けるものではなく、目に見えた効果は少ない」とされた。

    こういう見解は到底納得できない。裁判員の判断には驚かされた。刑法62条1項(幇助)の規定は、正犯を幇助した者は、従犯とする。刑法63条(従犯減軽)の規定は、従犯の刑は、正犯の刑を減軽するとあるが、いみじくも、法の規定は人間を正しく裁かないもののようだ。本件のもどかしさは法が人間を規定することにある。自分は長女を刑罰を重くすべきといってるのではない。

    懲役3年・執行猶予5年が妥当ならそれでいいが、長女を、「殺害行為を助けるものではなく、目に見えた効果は少ない」との文言は、到底人間理解に及んでいない。三女の心情や気持ちが反映されていない。が、法はあくまで行為者を裁くものだ。たとえ姉にそそのかされたにせよ、行為者が罰せられる。虚しい…。家族ってなんだ?兄弟・姉妹って、何なのだ?

    当時、長女は23歳、三女は17歳である。祖母と母の死体は長女が発見して110番した(ことになっている)。駆け付けた栗山署員に対して三女は、「(敷地内の)離れで寝ていて気づかなかった」と話す(ことになっていた)。祖母と母は1階と2階の部屋にそれぞれ倒れており、室内には荒らされたような形跡があった(ということは)、物取りの犯行に見せかけた計画である。

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    姉の行為は妹の犯行を隠匿するため、姉自身が考え出した計略だろうが、23歳の姉の方策は、あまりにマンガである。妹は姉の指示に従うも、問い詰められて犯行を自供した。凶器の包丁は自宅から約5キロ離れた公園の中で見つかったのは姉の工作だ。姉は午前1時頃に自宅に帰って祖母と母を発見したというが、これは嘘で、臆病姉は怖くてどこか隠れていたと見る。

    睡眠導入剤とゴム手袋を用意し、凶器を5km先の公園に隠した後に、物取りに見せかけたアリバイ工作を妹に伝授、何食わぬ顔で死体を発見して110番をするのが姉の担当である。妹は祖母は頭と胸を7か所刺し、母親の喉仏から頸動脈まで切り裂く役目である。犯行の悲惨さは、まさに狂気としかいいようがないが、憎悪が人を狂気に駆り立てる。他者がどれだけ理解できよう。

    こうまでした理由、自分にはよく分かる。ただ、犯罪を至らしめる人間をどうすれば抑止できるかも経験上知っている。盗みや万引きとは訳が違う。祖母と母親という近親者二名を殺す凶悪犯罪だが、自分にはそうは映らない。人間は本質的には受け入れられないことでも、表面上は受け入れたかの生活をする。そこに気づかぬ祖母や母親が、気づくこともなく葬られたということ。

    「バカは本当に、死ななければ直らない」ものである。どれほど相手に苦痛を与えていたか、そういう想像力すら考えない人間の悲劇といって、決して言い過ぎではなかろう。友達に宛てた、「自分とお姉ちゃんの自由のため」という言葉がいたわしい。姉が入れ知恵をして犯罪の隠匿を図ったものの、妹の純粋な心は隠匿など望むべくもなかったと自分は察する。

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    そのような大罪を妹に行為させんとする姉、せめて妹のために自分はできるだけのことをやったと、いわんばかりの茶番である。姉の性格が手に取るように感じられる。姉自身が行為する、もしくは妹を諭す、これ以外に何の姉であろうか?一般的に長姉、長兄は大事に育てられる。親とすれば初めての子であるがゆえに力も入り、至れり尽くせりで子育てに取り組む。

    マイケル・サンデル教授を一躍有名にしたのが、『ハーバード白熱教室』という番組だ。その中でサンデル教授が学生に、「君たちの中で長男・長女は?」と問いかける。多くの挙手があった。ハーバード学生の実際の数字は第一子率は70~80%に及んでいる。教授は言う。「君たちは努力したというだろう。が、長男や長女に生まれたのは自分の努力じゃないだろ?」

    面白い問いかけである。さらにサンデル教授は、「長男や長女だから家庭の支援や注目を受けて、最初から有利な位置にいたじゃないか!」とたたみ掛ける。こんな自由な論理を展開するような教授は、日本の大学にはまずいない。これは、「格差原理」といい、人は自らの幸運(第一子あることなど)で利益を得ることが出来るというのを、事例をあげて率直に述べている。

    「長幼の序」とは、年長者と年少者との間にある秩序をいう。下は上を、子は親を、子どもは大人をどもは敬うというだけではなく、上は下を、親は子を、大人は子どもを慈しむというあり方だが、妹に親の殺害を行為させた姉は卑怯である。ズルいどころではない。何のための姉なのか?こういうときこそ姉である。嫌な役を自ら受け持つのが上の取る態度である。

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    裁判員の文言に、「姉は犯罪を防ぐ立場であるにも関わらず、しかも自らの手を汚すことなく妹に殺人行為を暗に望み、加担したのは卑怯である」とすべきではなかったか。人間の卑怯さ、ズルさを断罪するのも、社会の教育力である。にもかかわらず、「(姉の行為は)殺害行為を助けるものではなく、目に見えた効果は少ない」などと、人間の心の奥に潜む自己救済に言及していない。

    長女も三女も、良くない祖母や母を持ったのは同情に値するが、祖母と親を殺したという厳粛な事実を一生背負うことに加担した、出来の悪い姉を持ったことも不幸である。そういう家庭の中に生まれた自分に罪はないが、かといって生まれながらに不幸という人間はいるのだろうか?そんな風に思う者はいる。環境や境遇を呪う者はいる。変えて行こうとなぜしない?

    ぐずぐず言ってるだけの人間がいる。不満ばかりたらたらの人間もいる。状況を変えようとなぜ行動しない?努力しない?そんなに難しい事なのか?三流大を出たのは、そこに行きたかったわけではなかろう。そこにしか行けなかったでは?それを棚に上げてぐずぐず言う前に、平凡な人間が非凡を成すという現実が、なぜ起こるかを考えない。不満を言う前に凡事をやれ。

    「夫が結婚したことを後悔するような品行の妻」。のっけの、「悪妻」を自分はこう定義する。もしくは、「傍目から見てあんな女とは結婚したくないと思うような誰かの妻」。単に、「あんな女とは結婚したくない」と思う女はまだ妻ではないが、将来の悪妻予備軍なのは間違いない。結婚してみて、「こんなハズじゃなかった」と思っても、言って行くところはない。


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    価値とは、或るものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質、人間の肉体的、精神的欲求を満たす性質、あるいは、真・善・美・愛・仁など人間社会の存続にプラスの普遍性をもつと考えられる概念の総称とある。したがって、価値観とは善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値を判断するときの、根底となるものの見方や尺度をいう。

    解り易くいうなら何が大事で何が大事でないかという判断、物事の優先順位づけ、物事の重み付けの体系のこと。「哲学的価値」という考えは多少難解だが、値打ちの吟味と考えればよい。「真の価値」、「善の価値」、「美の価値」、「愛の価値」、「仁の価値」については、さまざまな事象が具体例として指摘できるが、価値の本体は物質自体にあるものなのか?

    ダイヤモンドは美しい光を放つ宝石として最高価値を持つが、原石はただの石で、加工技術を経て価値あるものにする。とはいえども、ダイヤモンド自体に絶対価値があるかと言えばそうも言えない。飢饉で食物難の地域にダイヤモンドを贈るバカはいないし、パンやおはぎの方が断然喜ばれる。人は水や食べ物がなければ死ぬが、ダイヤがなくて死ぬことはない。

    つまり、ダイヤの価値はどういうものかを人は考えられる。将棋に、「一歩千金」という格言がある。将棋を指す者は誰でも経験するだろうが、「金」という価値の高い駒より、もっとも価値の低い「歩」の方が価値の高い局面は随所に現れる。さらに、「飛車」や「角」という価値の高い駒より、「歩」が高い価値を持つ場合もあるが、駒の価値自体がが相対的であることを示す。

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    ダイヤモンドでさえ絶対的価値はないし、将棋の駒にも絶対価値はない。となると、他の例で思考してみる。容姿端麗である美人は、どれだけバカでも社会的価値が高い。市場価値ともいえるが、CM出演などに需要が高い。普通のOLが、20年、30年かかっても稼げない金額を、CM一本で稼いでしまうのは、「美」という価値に対し、社会の市場価値が高いということ。

    価値は無限という言い方をするが、確かに価値観の対象となるものは人間の周囲のほとんどに該当する。食、家事、洋服、居住場所やスタイル、生活習慣、趣味、同性・異性関係、子育て、金銭感覚、イベントなど、あげればキリがない。金銭や生活に関しての価値観は人によって違ってくる。違う家庭に生まれ、違う環境で育てば、価値観が一緒ということはあり得ない。

    他人同士の男女が出会った後、共に生活を営む結婚や同棲には良い面も少なくないが、様々な軋轢のを生むのも事実である。つまり、「結婚」に対する価値観は、生物学的観点から見ても、男性と女性では決して分かり合えないだろうと言われる。確かに、親兄弟ですら微妙に違うのに、生まれ育ちが別々の異性であれば、ささいなずれや溝が生まれるのは当たり前のこと。

    「価値観の相違は必然」という前提なら、さて、それでどうするかとなるが、そもそも他人と付き合うというのは、「価値観が異なる者同士が、互いに影響を与え、影響を受けながら、二人の生活をみつけていくもの」と考えればよい。自分はこうだから、相手もこうであるべきと考えるのは間違い。男女の場合は物の考えに性差的なズレが生じることも多い。

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    そこでどうする?そうした違いを埋めるには、とにかくお互いの価値観を見せ合い、披露しあって歩み寄るしかない。「歩み寄る」というのは、「妥協する」ことでもあり、妥協とは話し合いによってもたらされる。この『三段論法』がまずはなされるべきで、それでも妥協にいたらない、解決できない場合はどうするか?喧嘩をするしかない。言い合いも喧嘩のうちだ。

    自分の気持ちを素直にぶつけ合うのは悪い事ではないが、犬の見ている前で丁々発止、やり合えばよい。ただし硬いものを相手めがけて投げつけたり、刃物を持ったり、相手の肉体を傷つけるのはよくない。理由は、犯罪であるからだ。昔は黙認されたが、昨今は精神を傷つけることも犯罪となる。人間は心身でできているから、身も心も傷つけてはならない。

    ペットのワンちゃんにに静観されながら夫婦は喧嘩をし、ほとぼりが冷めたらSEXしてまた仲良くすればいい。「子は鎹(かすがい)」という言葉があるが、「セックスは男女の鎹」である。男の自分がいうのではなく、山本文緒も同じようなことを言っていた。精神的にも肉体的にも相手を受け入れるのが愛情の形である。肉体的に受け入れるのは女の側の形であろう。

    面白い言い方をする女がいた。男からすれば、「入れる」というのが自然な発想で、だから女は、「入れられる」という風に思っていたが、その女は、「入れられるというより、男の人を包む感じ」と言った。そんな言葉は、その手の小説の表現に眼にしたこともなく、別の女から聞いたこともなく、後にも先にもその女独自の表現だが、時々その女のその言葉を思い出す。

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    「男を包む」という彼女の価値観はどういうものなのか。女性は受け身ではないという強烈な自己主張なのか、それとも途方もない女の包容力のなせるワザなのか、彼女の日常の生活態度や言動から真意を探ったが、真意は分からず仕舞いだった。あまり長く続かなかったからだ。山本文緒は、男女に普遍的な愛はなくとも、瞬間的な愛は間違いなく存在するという。

    一見、普遍的に見える老齢夫婦は、努力と理解の賜物であろう。努力も理解も愛情というなら否定はしないが、愛情を絶やさぬための一方法ではないかと。経年で愛情が増すという夫婦はいる。その背景には互いの理解が深まったと考える。それを愛情という言葉を別の言葉に置き換えて、「信頼」と呼んでみる。我々ははや人生の半分を悠に消化し、超えている。

    経年で物の見方も多元的で冷静になり、人間理解が深まる。それくらいに人間は多面的である。愛情を形にするのが、「贈り物」だといわんばかりのCMがあった。それも山本のいう瞬間的な愛である。商業主義のコピーに惑わされることなく、普遍的な愛を模索するとき、愛情の真の形が「信頼」であることに気づく。愛情とエゴの差異は難しいが、「信頼」に嘘はない。

    「愛情とは信頼」を実感できれば、その人は愛を把握したことになろう。では、信頼というのはどう培われるものか?先ずは第一に、人を信頼する場合、対象(相手)を知っているというのが前提であろう。顔を知っている、存在を知っている程度の、「知る」ではなく、相手のいろいろなことを知るということ。それにはある程度の知識もいるし、経験もいる。

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    知識とはある事象における人間理解についての基礎知識。そうした知識は書物からでも得られるが、主に体験から得られる。あまり相手を知らないのに、信頼して騙される人は多い。セールスマンから、「わたしを信頼してください」といわれ、それで信頼するのは、騙す側の罪より騙される側の罪と自分は思っている。なぜなら、騙された側は言って行くところがない。

    ガラクタを何百万で購入させられた責任を追及でき、そっくりお金が返ってくるならまだしも、泣き寝入りの責任は自ら負うしかない。それが嫌なら安易に人を信頼しないことだ。所詮は、いい人ぶりたい人にこういうことが起こりやすい。騙そうとする人間は、騙すようには見えないが、相手の善意を利用するので、こちらが善人にならず、むしろ嫌われる方が利口である。

    「知る」ということは客観的な事柄であることを念頭においた方がいい。そうすれば、「振り込み詐欺」も防止できる。相手の声や話の内容の主観的な判断は危うい。せめてその程度の知識は必要。主観的な人は月を見ても涙を流す。月を見るというのは純粋に客観的ことなのに、涙がでるのは主観的情緒に溺れている。詩的で悪い事ではないけれども…

    その人にとっては夜空に浮かぶ月の価値が、他の人よりも多いということだから、感受性の高さという評価はできる。ただし、月をただの月と捉えることも大事なことである。日常生活の中でも、客観的事実に自身の主観を混ぜていることは多い。そういう人が自分の考えにない意見に触れ合うとき、自身の主観的矮小さに気づくことになるが、それを認めたくない人もいる。

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    そういう人は権威的な人にはひれ伏すがゆえに、それがセールスマンであればケツの毛まで抜かれてしまう。権威に弱い人は自信のない人が多い。権威を欲しがる人も自信を失った人に多い。権威は虎の子であるが、所詮は虎の毛皮を被って生きることになる。人間の本当の強さとは雑草の強さ、生身の強さである。エリートが脆弱なのは虎の子を被っているからだ。

    確かに指導的立場にある人は権威を必要とする。宗教の教祖のしかり、教員しかり、権威なき指導者が人を指導するのは至難である。昨今は父親の権威がないといわれる。母親に権威が委譲されている。「厳父慈母」という言葉が喪失した時代にも家庭に威厳は必要だが、母親の権威が問題であるのは、男の子が成長するにつれ、バカの雄叫びに見える事。


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    いつの時代にも離婚はある。運命論者に言わせれば、それも生まれながらに決まっていたことになる。人間はどうあがいても、いかに努力しても、運命に逆らうことはできない。運命論者の考えはそれでいいとし、そういうものだとする。苦しくて辛い努力の積み重ねで手にした五輪のメダリストや、スポーツ競技の選手たちに頭が下がる。彼らはなるべくしてなった?

    すべては運命の導くところであったなどと、言ってしまえる人間の無責任さに腹が立つ。「彼らは自らで運命を切り開いた」と称えたい。なにより彼ら自身が、「運命論」に否定的だろう。口には出さずとも、「よくも運命などと簡単にいえるよ」と思っているだろう。「すべては生まれながらに決まっている」と、したり顔でいう奴とは話をする気になれなかった。

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    これも価値観の違いということなら腹を立てることもないが、「若さ」がそれを許容できなかった。昨今の離婚は、歯医者で虫歯を抜く程度の決断でなされているようだが、昔は離婚は大変だった。本人同士の問題という以上に、媒酌人を始め多くの周囲に迷惑がかかるものだった。親兄弟が寄って集って、「子どもを片親にするのか!」などと苦言を強いられる。

    「無責任」と罵られることもあった。それでも、最終的にはやっていけないと本人が判断するしかない。どうしても顔向けできない人は、「失踪」という手段を取った。「何で失踪?」などと、他人のことは不思議というしかないが、当人には言葉にできない苦しさがあったのだろう。知人の弁護士が失踪して3年になる。人間的にも何ら問題の無い奴だった。

    「魔がさした」という言葉が相応しく、それ以外に適当な言葉が見当たらない。妻子を残して忽然と消したのはエリートの脆弱さである。彼は2000年5月に発生した、「西鉄バスジャック事件」の17歳少年の主幹弁護人となるも、「刑事処分が相当」と広島地検が佐賀地裁に送検後にアスペルガー症候群と鑑定され、弁護士の手から離れて京都医療少年院に送致となる。

    着の身着のままで失踪した中丸の足取りは、樹海なのか紺碧の海に消えたのか…。妻子の心配はともかく、孝行息子を絵に描いたような彼をもっとも心配するのは、誰より母である。「なぜ、あのような事件を?」の類は多いが、起きてしまったいかなる事件も動機は単純である。我々が複雑に考えるだけで、人間を愚かであるとするなら一切の犯罪の説明はつく。

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    犯罪も価値が起こすが、離婚も価値の相違で起こる。価値観が多様化などは改めていう言葉ではなくなったが、昨今の離婚の変節というのは意外なことで別れる夫婦が多いという。いつの時代も離婚原因として多いのは、浮気などの異性関係、嫁と姑に代表される両親との同居トラブルだが、そうしたものよりも多いのが、昨今の離婚事情で、ランキングは以下の通り。

    1. 性格の不一致
    2. 浮気
    3. DV、暴力をふるう
    4. 精神的な暴力、モラハラ
    5. 子供への愛情が感じられない
    6. 相手の実家や親族との折り合いが悪い
    7. 家庭をかえりみない
    8. 生活費を渡さない
    9. 浪費癖
    10. 親との同居に応じてくれない

    「性格の不一致」というのは漠然としているが、考え方や価値観など多岐に及ぶ。性生活の問題は深刻だが、食べ物の好みやちょっとした習慣などは、どちらかが譲ることで離婚は避けられるが、性格の相違は共感できることが少なくなる。「合わない」と感じながら夫婦を続けていくことは、昔は当然であっても、昨今は困難と考える夫婦は多いようだ。

    「喧嘩もない。言い合いも一度もない」というと誰もが、「出来た奥さんだよ」という。できた亭主とは言われない。確かにできた亭主ではないし、出来た妻であると自分も思う。理由は、彼女の中には男尊女卑の考えが浸透している。近所でゴミ出し夫を見ても嫌悪感を抱く女だ。まあ、男尊女卑といっても、「尊」に値する少しばかりの何かが彼女にとっては見えるのか?

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    それも面映いが、我慢をしたことはあるだろうし、姑との軋轢を眺めていても、我慢強い女だと感じる。「キレる」、「怒る」はみたことがないが、彼女なりの怒りの鎮め方があるのだろう。「嫁がせた以上は、二度と実家の敷居はまたがせない」という言葉は、父親の常套句というか、それも愛情の表現であったと思う。それだけ世間は離婚に対して冷ややかであった。

    「浮気は夫の甲斐性」というのもまかり通った時代であったが、「浮気は夫の甲斐性は解消」の昨今である。妻の浮気は相手ともども斬り捨てが容認されていた時代もあったが、今では妻の浮気を認める夫もいる。容認なのか放任なのか、男のプライドもあるからして放任であろう。何かおかしいが、知らないでいること、知らないふりをする方がいいという。

    映画『うなぎ』では貞淑な良妻であったが、妻の浮気を訴える隣の老婦の手紙が夫宛てに会社に届く。夜釣りを切り上げ、実情を確かめに帰宅する夫の前に、あられもない妻の醜態であった。夫はすぐさま台所の包丁を手にするが、夫の衝動的行為は良妻の反動であったと解釈した。危機感ほどでもないが、澱んだ空気が流れている夫婦なら冷静であったかも…。

    貞淑な妻への反動…。よもや予期せぬことに人は驚愕するが、男にはできない芸当である。男はあれほどに自身の感情を取り繕うことはできないし、その意味において男は幼児的、女はしたたかである。女は自らの嘘を真実にすることができるが、男は理性がそれを遮る。そのような思い込みは良心の呵責に耐えられない。だから、男の浮気はすぐにばれる。

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    セックスの後に何事もなかったように振る舞う女がいた。あまりの落差に思わず聞かないではいられなかった。自分もまだ幼稚だったのだろう。「さっきまであんなふうで、終わったら別人なんか?」の問いに、「さあ、何かしたっけ?」と、これには驚いた。言葉の綾であるにしろ、それはそれ、今は今という切り替えが、男から見て尋常ではない。学習したということだ。

    意図をもって書かないとあまりに自由になる。自分に自由になるというのは、体裁を捨てる事でもある。腹の中、頭の中を吐き出すことで得れるものは何もないが、功利主義への抗いともいえる。確かに功利主義は、伝統的な幸福説の一つであろう。が、功利主義から自由を導き出すことはできない。なぜなら、「自由」を「効用」で測ることはできないからだ。

    もし、「自由」を「効用」で測ることができるとするなら、自由人と奴隷の差別をした方が、効用(幸福)の総量が増大するであろう。それは、自分以下のの者、下賤な者を見下すことになる。それによって得れる満足感や幸福なに興じる気はさらさらない。人は幸福を求めるものだが、幸福は人により、時により、状況によって変わる。すべては価値のなせるワザである。

    幸福の価値をどこに置くかによって人の価値も決まる。他人の批判は自己を成長させるものでなければならない。よって、他者の批判は自己の批判であるべきだ。批判を「邪」とする人はそういう観点にたっていない、いわゆる偽善者である。人を笑う人がいる。「よくあんなことをやるよな?」そういう笑いは、単に人を見下した笑いである。そういう批判は愚かである。

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    誰も自分を笑われることなく、人を笑える人がいようか?人のことはあれこれ言う。無駄なことをやっているなどと言う。が、自分がどれほど愚かで無駄なことをしているか、愚痴と不満ばかりで生きているか?まあ、そういうことも自分は本人に向かって言わない。なぜなら、言って分かる人間なら、とっくに気づいているからで、愚痴と不満は不治の病と思っている。

    「人のことを言う前に、自分はどうなんだ?」の言い方を得意にする人がいる。自分批判された時の自己防衛的常套句である。が、「ばーか!」といわれて、「お前の父ちゃんデーべーそ!」と、返すと同じ子どもの戯言である。人間は自分が分からなければ何も変わらない。よって、他人は暗示を与える言葉が勝る。押し付けは効果というより反発を助長する。

    「親の意見となすびの花は千に一つのムダはない」という慣用句も風化した。家父長制時代の遺物であろう。親の意見はムダだらけであるのに、それをムダでないと思う親がオメデタイ。真に無駄のない意見をいうなら、子どもの性格や、現在、過去、未来についてのトータル的な状況判断がいる。思い付きで恣意的な言葉なら、誰でもいえるゴミのようなもの。

    真に価値のあるものは、なかなか探せど見つからない。そもそも、真に価値のあるものを探そうということが間違っているからではないか?「これが真理である」というものに真理はない。さまざまな言葉の洪水のなかで、真に価値あるものに出くわすのは、自らがそれに価値を向けたときではないか?春のよさが何であるかは、冬になって初めてわかるように…

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    至言はまた、耳に逆らってこそ至言足り得る。他人に自身の何かを批判されてカッとなり、冷静さを失うのは当然かと。それが直接であれ、間接であれ。がしかし、そこで冷静に思い直し、自身の成長に役立たせようとするなら価値となる。いかに立派な人の立派な言葉といえども、ただただ、聞いて感動するだけでは、少し程度のよいゴミと同じものだろう。


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    自分が誰を好きで誰が嫌いか、を分からない人はいないだろうが、いるとすれば人として壊れている。ただ、物事を曖昧にする人はいる。物事を曖昧にする人は、争いを好まぬ人。嫌いな人間に表立った物言いをせず、態度もみせず、曖昧にすれば人間関係の火種とはならないということだろうが、若い時分にはこういう人間が不思議で仕方がなかった。

    ならばと、「自分のことはどうだ?自分を好きなのか?」と聞けば、自分のことは好きだという。いいながらも彼は、心の中では自身を嫌悪しているようでもある。こういうのを屈折した心情という。さらに屈折した心理を「倒錯」というが、『群青の夜の羽毛布』のさとるのような、心の底では憎んでいるにもかかわらず、母を好きだと思い込もうとする人は結構いる。

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    心理の根底にあるのは依存心。さとるの母もそのことを分かっているから、「あの娘は私がいなきゃダメなのよ」などという。もう一つ、自分の気持ちに正直に向き合うのが怖いという心理状態。こういう相手も幾人か経験したが、自らが感じているように感じることは、心の弱き人にとっては難しいようだ。だから、実際に感じてることから眼を背けようとする。

    受験に失敗した人が失望感から眼を背け、それに手を貸す人に惹かれていくほどに人間はメンタルな生き物である。そこに乗じて利用されたり、洗脳されたりする。オウム事件を回想して解るのは、人間は付き合う相手を間違わなければ基本的な間違いを起こさないが、相手が健全か否かの判断は難しい。まして失望感を抱いている場合はさらなりで、相手次第で人生を棒にふる。

    物事の考え方が健全な人の見分け方はいろいろあるが、最も重視することは、心が不健康な人は、相手が自分のために犠牲を払うと喜ぶ。それを愛と錯覚するからだろうが、相手の利益のために利用されているのに気づかない。心の健康な人は相手が自分のために犠牲を払うことさえ拒む。相手は自分のためにではなく、相手自身のために生きて欲しいと願うからだ。

    これを恋愛関係に当て嵌めてみるとわかる。愛とエゴは紙一重というが、愛とエゴの違いをハッキリ区別できるのが健全な人。恋愛に限らず家庭内の親子関係においても、健全な親は子どもの人生を操作しない。親子は幼少期の依存関係を経て、学童期~青春期となるが、それに合わせて成長しない親はエゴイストになる。人間はだれも欲で、傲慢で、自己中である。

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    ゆえに格闘しなければそうした、「業」から抜けれない。物事は簡単でなく、ゆえに深く考えることで正しい、間違いが判別できる。「理性」とは冷静な視点であり、冷静な視点とは現実的な視点である。視点にも区別があり、直観的視点と客観的視点があって、それらを臨機応変、使いわけれる様にできている。いうまでもない、「感情」とは熱い視点のことをいう。

    ある女が、「読んで欲しい。映画も観て!」薦められて読んだのが、『冷静と情熱のあいだ』という文庫本。ついでに映画も観た。推められたのは20年も前に付き合った女で、「こんな風に会えたらいいね」などとまどろこしい言い方は、いかにも女の情緒である。前置きはどうでも会いたきゃ会えばいいが、率直な男と違って女は物語のヒロインを演出したいのだろう。

    結婚式の煌びやかなクサイ演出に感動するようにである。それにしても、人に薦められた読み物でいいと思ったものがない。やはり相手の、「いい」は、自分の、「いい」とは別物である。自分の読みたいものが自分に合っている。だから、自分も「お知らせ」程度にし、人には薦めないようにしている。昔は違った。自分の、「いい」は人も、「いい」と思っていた。

    人は経年で変っていくが、それこそが成長のたまものだ。人間を理解するも成長である。人間理解とは、他人は自分でないこと。そこの境界をハッキリさせること。「自分が嫌い」という人は問題と言われる。「自分が嫌い」であるなら、他人を好きにはなれないからだ。自分の嫌な部分は誰にもあるが、自分の全部が嫌いという、全否定と部分否定は別である。

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    他人と話したりのとき、無意識に自分の意地悪な部分が出てくるときがある、「何て嫌な奴だ!」と自らに思うことがある。なぜに人間は意地悪なのか?自分の場合、意地悪を言ったりしたりが面白いからだ。冗談交じりのシュチエーションで意地悪を楽しむが、それで相手を傷つけることがある。まさか、これで傷つくとは思わずの結果に対し、悔いるしかない。

    多くの人の意地悪もそうではないだろうか?しかし、現実には本当に、「底意地の悪い」人間もいる。典型的なのは嫁に対する姑の意地悪だが、逆もあるのだろうか?実際は姑の立場が強いから、姑の意地悪が横行する。親と子の年齢差が子より親が偉いと同じように、姑はその年齢差において嫁より偉いのか?他家がどうであれ我が家ではこれはバカげたこと。

    なぜなら、母と息子は息子が上位で、従えぬなら我がファミリーから退場してもらう。のようなことを言っては見たものの、そんな考えに盲従するはずがない。姑は姑の生きた時代を基準に物事を思考し、思考だけならいいが押し付ける。世の中に「老害」と揶揄される人がいるように、昔のことを基準に物を言う人、古い考えを押し付ける人は迷惑でしかない。

    若者の邪魔をするとしか思えないが、そういう人たちは邪魔をしているなど思ってもいない。変に遠慮したり、気を使うよりも、邪魔は邪魔だとハッキリ言って分からせた方がいい。言っても分からないほどに硬い頭なら、せめて自分たちは邪魔なのだと、それくらいは分かってもらい、大人しくしてもらう方がいい。それをのけ者にされたと憤慨する人もいよう。

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    そういう親はそういう性格であってそういう性格に問題があるわけで、いじけた人には自己教育力をもって修正してもらうしかない。会議や話し合いで、相手の意見を批判していじけるのと同じことだろう。それを親に対してヒドイ扱いをする息子だなどといわれたくはない。こちらから見れば障害である。老害と名指しされた人も、自らが自らを改めるしかないようにだ。

    「情」とは相手に媚びたり、遠慮したりではないと考える。人と人との、「情」は大事だが、むしろ、「情」とは、人間社会の道徳を悪い方向に下がらないよう維持するべきであろう。「情」の悪い面をキチンと正しく考えるのも、人間の頭の良さである。「情」という美しい言葉にほだされ、「情」を美化するあまりに、「情」を断ち切れず人生を台無しにする人もいる。

    「多情淫奔(たじょういんぽん)」という言葉も死語になったが、誰にもカレにも情を抱き、すぐに体を許す女のこと。昔、近所にいたし、男はその女のところに押し寄せたというが、いかなる男と飽くことなき性を楽しむという、病的なまでに下半身の緩い女は、「情」を捨てて商売に徹した方がまだしも利口である。昨今にあっては性に目覚めた中高生に傾向をみる。

    婚姻者の不倫大ブームの背景には、双方がやりたい相手を選ばない、抑制もしないという社会に移行しつつある。それが離婚に至る程度なら自己責任の範疇だが、一夫一婦制という社会制度が困難という問題に突き当たれば、制度改変も検討されるべきだ。異性との不法行為が離婚に至る昨今の現状は、結婚そのものがゲーム化しているように感じられる。

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    断定するわけではないが、様々なゲームが流行る時代には、大切なことすらゲーム感覚で捉えるようになるのかも知れない。菊池寛作、『藤十郎の恋』の濡れ場面、藤十郎に言い寄られて苦慮の末に行燈の火を消したお梶だった。途端に藤十郎は、立ち上がり部屋を出る。藤十郎の芸の肥やしに利用されたと知ったお梶は、己の淫らな行為を恥、翌日首を吊って死を遂げた。


    名場面の台詞。「この藤十郎も、人妻に恋をしかけるような非道な事は、なすまじいと、明暮燃え熾る心をじっと抑えて来たのじゃが、われらも今年四十五じゃ、人間の定命はもう近い。これ程の恋を――二十年来偲びに偲んだこれ程の想を、この世で一言も打ち明けいで、いつの世誰にか語るべきと、思うに付けても、物狂わしゅうなるまでに、心が擾(みだれ)申して、かくの有様じゃ。

    のう、お梶どの、藤十郎をあわれと思召しめさば、たった一言情ある言葉を、なあ…」。と、藤十郎は狂うばかりに身悶えしながら、女の近くへ身をすり寄せている。ただ恋に狂うているはずの、彼の瞳ばかりは、刃(やいば)のように澄みきっていた。余りの激動に堪えかねたのであろう、お梶は、「わっ」と、泣き俯してしまった。

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    闇の中に取残されたお梶は、人間の女性が受けた最も皮肉な残酷な辱しめを受けて、闇の中に石のように、突立っていた。悪戯としては、命取りの悪戯であった。侮辱としては、この世に二つとはあるまじい侮辱であった。が、お梶は、藤十郎からこれ程の悪戯や侮辱を受くるいわれを、どうしても考え出せないのに苦しんだ。

    それと共に、この恐ろしい誘惑の為に、自分の操を捨てようとした――否、殆ど捨ててしまった罪の恐ろしさに、彼女は腸(はらわた)をずたずたに切られるようであった」。名作である。命を懸けた人妻の恋に感動、だから名作というではなく、これほどに人間の情念、本質の心理描写である。「恥の文化」が切実に感じられた時代は、今に思えば遠きいにしえか…

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    長幼とは、年長者と年少者。また、大人と子どもをいうが、親と子にも当てはまる。「長幼の序」の「序」とはいうまでもない、「秩序」のことをいう。年長であることをいいことに、威張り腐っていいわけはない。親は子の健やかな成長の妨げになってはならない。そのように考えると、教師は生徒の、師は弟子の、上司は部下にどうあるべきか正されるハズ。

    「正される」としたのは、現実には長が幼を制するという現実がある。儒教思想の問題点は、幼は長を敬えというが、長が幼を慈しむことをしない。子どもの争いに際して親が下を叱るのは間違いだと思っていた。勿論、状況にもよるが、友人などから下の立場にある者の不満をたくさん聞いたからである。「お姉(兄)ちゃんに反抗してはいけません」などと…

    反対に、「お姉(兄)ちゃんなんだから、妹(弟)を可愛がらなきゃだめでしょ!」も、同様に上の者は納得できない。上だから、下だから、を基準にした裁定は、家庭の中に儒家思想を持ち込んでいるのだが、良い(便利)な面もあるわけだ。「親に逆らうなど許されない」というのは、まさに最たるものである。こういう言い方をされると納得できないのが人間だ。

    兄(姉)だから、親だから文句をいうな、従うべきだ、反抗はとんでもない、こんな言い方を受容できるのは警察や軍隊や消防などの階級社会所属者である。そういう社会は、規律や命令を最大尊重しなければ、個々がバラバラで組織行動ができないからである。家庭は組織ではないが、企業は組織である。したがって、「イズム」を機能させて成功した企業は多い。

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    新しく着任した上司が気に食わない、前の上司が良かったなどは、中小規模の会社ではありがちだが、大企業においてそんな問題は大事の小事であり、存在することが問題とされる。つまり、組織は組織力で稼働し、人間関係だどうのこうのであってはならない。新規入社の歓迎会・送別会、Vデイの義理チョコ、はたまた慰安旅行などを禁止の大企業に習う時代になった。

    人間関係重視の中小企業ではそういうものが必要なのはわからなくもない。家庭も人間関係で成り立っている。封建時代や家父長制はいにしえのこと。自分は家庭を持つときに、何より家庭内の人間関係を重視することを目指した。したがって、我が家では「お姉ちゃん」、「お兄ちゃん」という言葉は生まれなかった。下も上も名前で呼び合う。

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    苗字ではないのは当たり前で妹が姉を、「佐々木さん!」と呼んでどうする?それでも上の権威は必然的に生まれた。自分は、「権威というお荷物」という表題で、中学の学級新聞に投稿したことがある。確かに権威は必然的に生まれるものだが、権威ある者が誤った権力を持つことが問題。権威とは?権力とは?その辺りを学習したのがなだいなだ著『権威と権力』である。

    ナダルはテニスプレーヤーだが、なだ氏は精神科医である。同書は1974年3月28日初版とあるが、以後も版を重ねているのだろうか?これは幼子を持つ親、これから親になろうとする人には、そこいらの育児書より(読んだわけではないが)はるかに良書であろう。著者を訪ねてきたという高校生でクラス委員のAくんと筆者の対話形式で問題を浮き彫りにしていく。

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        はじめに
        第一章:失墜した権威
        第二章:権威と権力
        第三章:権威とは何か、権力とは何か
        第四章:いうことを聞く心理
        第五章:判断と権威
        第六章:日常の中で
        第七章:説得の方法
        第八章:権威と反権威
        第九章:まとまりなき社会
        あとがき


    なだ氏は、Aくんがクラス委員として打ち明けた悩みから出発し、やりとりの最後に以下の言葉をAくんに投げかけた。「ま、君も、自分がクラス委員としてクラスの調和をもたらすことができなくとも、絶望するんじゃないね。自分の理想を押し付けて、無理にまとまりを作り上げるよりも、失敗に終わっても、その方が人間にふさわしいことなのだから」。

    「その方が人間にふさわしいこと」。この意味は何であろうか?自分はいろいろ考えたが、時々目を通す著書の最後の言葉は、年齢ごとに理解が変わっている。基本的に変わらないのは、「失敗は絶望ではない」ということ。したがって、失敗は何かをやったことの「証」であり、結果いかんにかかわらず、何かを「やる」という行為に勝るものはないということかと。

    自分がそのように生きてきたのは、この著書の恩恵だけではないが、何かを行為する時には当たり前に結果は起きてないわけだから、結果を憂える、結果を怖れるというのは、「おかしなこと」から始まって、昨今では、「道理に合わないこと」となっている。確かに未知のものを怖れるのが人間であるけれども、怖れるあまりに行為をしないというのはバカげている。

    「結果よりも、過程の中に多くのエキスが詰まっている」。失恋も、別離も哀しいが、そのプロセスに勝るものはない。こんなことをいう人は多い。「ペットを飼いたいけど、死んだときの哀しさを考えると、とても飼えない」。言ってる意味は分かるし、この言葉に反論したことはなかった。少年時代に広場で子犬三匹を飼っていた。名を、ゴロ、コロ、チロとつけた。

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    ある日学校から帰ると小屋に姿がない。大捜ししたが近所のおじさんが、「犬捕りが連れて行った」と教えてくれたが、母が保健所に電話したと分かった。自分の食事や、家の食べ物を犬にやるのを気に食わぬ母。そんな母の悪口をありったけ家の壁に書いた。憎き保健所の悪口も書きなぐった。子どもにはそれくらいしかやり場がない。本当は母を殺し、保健所に火をつけたかった。


    自分が最も大切にしているものを奪われ、命までも葬る大人にやり場のない怒り、それに加担した母はクソババでしかない。どうしてあんたは自分をそんなに苦しめるんだ?子どもの苦しみなんか、まるで分からない鬼であった。それはともかくとしてもペットを飼えない人の哀しみも気持ちもよくわかる。が、生あるものに対する気構えは生あるものの心がけであろう。

    たとえ最愛の動物の死が寿命であったとしても、大切なものを奪われるのは事実である。当たり前だが、生きるということは死ぬことでもある。だれにでも等しく訪れる、「死」という現実。人は死ぬために生きているともいえるだろう。この事実に向き合い、積極的に受け入れることで、よき、「生」につなげる。「死への準備教育(デス・エデュケーション)」の考え方もある。

    死という現実に目を背けることなく、死を受け入れるために人間は絶対にネガティブであってはならない。自分の体験で言えば、自分が死のうと考えたとき、相手を抹殺しようと考えたとき、それが単に考えであったことは実行しなかったことからしてその通り。がしかし、それ以降の自分が、いっそう、「生」に執着するようになった。つまり、「死」を見つめたからだろう。

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    そのことで、「命の大切さ」以上に「時間の大切さ」を知った。人間にとって限られた時間、つまり、「生きる時間」は限られているという現実は、普段はあまり意識されない。意識されないことを考える機会に携わったということ。ギリシア語に、「時間」を意味する言葉が二つある。「クロノス」時間、「カイロス」時間という言葉だが、目に耳にした者はいよう。

    古代ギリシャ人は、過去から未来へと一定速度・一定方向で進む時間をクロノスとした。これは現代人の時間感覚と同じで、何もせずじっとしていても時は過ぎ行く。もうひとつのカイロス時間は、ギリシャ神話にでてくる機会(チャンス)を意味する男性神カイロスに由来する。彼は前髪は長いが、後頭部は禿げた美少年だった。美少年がハゲという疑問は沸くがそれはさておき。

    チャンスの神クロノスは前髪しかないないので、素早く掴まなければ掴み損ねるということである。一度きりで二度と訪れない決定的な瞬間、質的な時間、「カイロス」である。一度たりとも、「死」を意識することにより、今まで漠然と過ごしてていた時間を、かけがえのない一度限りの機会としてとらえ直せるなら、一瞬一瞬を大切にして生きることができる。

    年端もいかない少年や少女の自殺をはじめ、年間約3万人もの人が自ら命を絶つという今の日本にこそ、「生」と「死」を考える教育が重要だ。日本の教育水準の高さは世界に誇れるが、「死への準備教育」の面では不十分と言えるが、これは宗教的なバックボーンによるものかも知れない。さらには、「生きる」といえども、「自分らしく生きる」のも個性である。

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    若者とそうでない者の差は年齢であるが、他にもある。人生の前半期は、誰も彼も、「すべきこと」に追い立てられるように、それだけすべきことが多すぎる。恋愛、結婚、繁殖、蓄財、遊興、仕事しかり…。ところが人生も後半になれば、これらのことには決着がつき、したがって、生き方にも自由度が増してくる。これを、「余裕」といっていいだろう。

    「ゆとり」ともいえる。忙しい子どもたちに、「ゆとり教育」を強いたこともあったが、高齢者の、「ゆとり」は自発的なものである。これらは、「もう一つの人生」と名付け、置き換えていいものだろう。今までとは別の、ちがった、余裕のある、ゆとりの人生をどのように横臥するかは人それぞれだ。それを前向きに楽しむ人こそ、「死への準備学習」といえなくはないか。


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    「過去と未来」ではなく、「回想と未来」にした理由は、「過去」が所有する範囲があまりに多すぎるからで、「回想」なら自身の周辺や人生に特化した範囲で語ることができる。正しくは、「過去の回想」かも知れない。『回想録』なる書物がある。想うだけでなく書き置く以上は記録に分類される。過去の日記とは違って、その都度書き留めていたものではない。

    日記は時々の出来事をその時点で書き置いているわけだから、数十年前の事柄をその時点で記憶を呼び戻す「回想」に比べ、正確さや資料的な点において日記の方が正確だろう。かつて自分は日記を書いていた。夏休みの宿題の絵日記ではない。かといって、文房具店などで売っている、「日記帳」というものでもない。自分用の小さな手帳に1ミリくらいの文字で書いた。

    「日記を書いた」という改まった言い方でなく、おもむろに付けていた感じ。あったことの記録を付けるだけでなく、出来事についての主観や分析から啓発する内容だった。感傷に酔って埋没するような日記は好きでなかった。人一倍好奇心が強く、感受性が極めて高い自分は感傷的になりやすいところがあった。センチメンタリズムを、「美しい」と感じた時期もある。

    が、ある時期を境に、「感傷に浸るのは自身の敵」と考えるようになり、同時にセンチメンタリズムを、「美しい」と思わなくなった。おそらく付き合ったある一人の女性の、あまりの感傷的な態度・仕草に嫌気が差したのかも知れない。例えばペットが死んだことについて話せば、それはもうこの世で自分が一番不幸であるかのような語り口になり、聞くのが疲れてしまう。

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    「おセンチ」という言い方がある。おセンチとは感傷的な、情緒的な、涙もろいを示す意味の英語「sentimental(センチメンタル)」を略したもの。最近はあまり聞かなくなったが、「おセンチな彼女」、「おセンチな少女」などといった。「おセンチな少年」、「おセンチな男」という言葉はなく、したがって自分が、「おセンチ」であるのは男として恥でもあった。

    考えてみると、「〇〇ねばならならない」、「〇〇であるべき」という言葉は昔は多かった。「男は強くなければならない」、「男は逞しくあるべき」、「女は気が利く方がいい」、「愛想なき女は女じゃない」。さらには、赤は女の色。男が赤い靴下など履くものじゃないというのもあった。だからか、ランドセルは赤と黒しかなく、赤が女子、黒は男子が定番だった。

    他人のことをあれこれ言わない妻がある日、こんなことを口にした。「〇〇さん(我が家の長男と同級生の男子)は、お姉ちゃんのおさがりの赤いランドセルを使ってるけど、ちょっとビックリ…」。その話には自分もビックリだったが、〇○の父は自分と小中高の同級生だった。名は賢治であるが、あだ名は、「ガタケン」といい、みんな彼をそう呼んでいた。

    誰がつけたか、「ガタケン」の意味は、「ガタがきている=壊れる一歩手前状態」であり、かなり侮辱的なニックネームである。同じ同級生で、「ゼロたん」と呼ばれたHは、0点ばかりとっいたことに由来する。「おケツ」のあだ名のAは、屁ばかりコいていたからだ。ほとんどのあだ名は近所の先輩から受け継がれたもので、あだ名で呼び合うことが常態化していた。

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    「姉のおさがりの赤いランドセルを嫌がらない躾をしたんだろう」。少し間をおいて自分の考えを妻に述べたが、本音は違っていた。そこまでする躾に異論があったが、父親は恥も外聞も気にしない徹底した変わり者であるのを知っていた。家が極度に貧しく、成人してからも家賃があまりに安いからと、スラムのような汚い家に住んでいた。貧困が沁みついているのだろう。

    ガタケンの意味は一家が壊れそうなくらいにガタガタという意味だったかも知れない。「一億総中流」といわれた高度経済成長期においても、貧困者と中流家庭の差は歴然とし、それは衣服などに顕著だったし、彼はツギだらけの服を当たり前に着ていた。男が赤いランドセルだからといじめに合うことはなかったし、そういう配力は昔の学校はなされていた。

    姉の赤いランドセルを与えられて卑屈にならない彼は、将来どういう大人になるのかを期待する点もあった。父は写真に興味があったようで、高校は写真部に在籍、卒業するとカメラ店に就職し、地道に勤めていたが、店が廃業し、しばらくガソリンスタンドで働いていた。後のクラス会の席で彼が、「『お前がDPE点は廃る」と言ったのが忘れられん」と言ってきた。

    自分は早くからビデオカメラや動画に触発されていたので、「もうカメラの時代じゃない」みたいなことは言ったのだろうが記憶はない。言った側より、言われた側は覚えているものだ。動画全盛の昨今だが、静止画カメラの需要が全くないわけでないが、フィルムは廃れた。焼付・現像よりデジタル画像はその場で楽しめる。そういえば、すぐに見れるポラロイドカメラも廃れた。

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    50年前に誰が今の世を予測できたであろうか。多くの物が流行り、廃れていった。世界をあっと驚かせたユリ・ゲラーのスプーン曲げは世界を震撼させたし、日本人だけを煙に巻いたミスター・マリックの超魔術もである。スプーンを曲げることが世の何かに寄与するわけでも、尊い価値があるわけでもないが、それだけで御殿を建てたのだからゲラーは立派である。

    ゲイツやジョブズとちがって起業家ではないが、稀代の詐欺師として名を残している。詐欺師の多くは法に触れたり収監されたりだが、ゲラーは違法なことは何もやっていない。2000億円にものぼる詐欺事件を起こし、殺害された豊田商事の永野一男会長は中学卒業後、トヨタ自動車に勤務、社名を、「豊田商事」としたのは、トヨタ系列と錯覚させるためだった。

    また、1000億円詐欺で起訴された、「法の華三法行」の福永法源は、懲役12年の刑期を終えて出所した。早速、『ひとり野に咲く花』ホームページを立ち上げ、「福永法源写真集『追憶の情景』」を刊行するなど、ナルシストぶりは相も変わらず。「法源ブログ」に精を出すのをみても、未だ冷めあらぬ信者もいたりである。こういう人は、生ある限り大人しくはしない人だ。

    懲りぬは信者なりけりであろう。ミスターマリックも日本人をアッと驚かせたが、彼はユリ・ゲラーの"超能力"番組を見たのが超魔術を編み出すきっかけになったという。ゲラーの超能力はアメリカの有名なマジシャンであるジェームス・ランディが全て解き明かし、ゲラーと対決を望んだものの、ゲラーはランディの前で超能力を発揮することはできなかった。

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    また、ゲラーの超能力を辛辣に批判する、「サイコップ委員会」に対して訴訟を起こすも、和解を提示されたゲラーは、「軽薄な告発」の賠償としてサイコップ側に対し12万ドルの賠償金を支払っている。その後は、日本に活動場所を移動し、日産自動車のCMに出たり、番組でスプーン曲げを行うなど、優しい日本人と日本のマスコミに親近感を抱いていたようだ。

    それでも絶対に曲げられないスプーンの登場で、今はもうスプーン曲げなどやっても誰も目もくれない時代である。ブームとは何か?ブームと流行はどう違うのか?難しい理屈はともかく、サッカーブーム、スピリチュアル・ブームというが、今年はインフルエンザがブームといわない。インフルは流行である。そのニュアンスからブームと流行の違いを感じればいいかと。

    一時のスピリチュアルブームも華々しかったが、テレビ局の自粛は総務省の指導であり、今後も番組として成立はしない。ブームの時流にのって多くのスピリチュアリストが登場したのはブームに便乗したからに過ぎない。ブームが去っても信念を貫くリストはいるが、さっと手の平を返したかのように、今度はスピ批判をメシのタネにするなど、節操のない人もいたりする。

    この手のものに惑わされたり、振り回されたりしないためにどうすればいいか?何も自分が語らずとも、ネットにはいろいろ書かれている。がしかし、ブームに便乗して恥をかくのは信者側も同様であって、あの勢いや熱心さ、それに蓄えた知識は今後の彼らの人生の糧になるのであろうか?それとも笑い話と一瞥するのか?無関心な世間の中で立ち位置はない。

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    自ら信じることを変えるのは自己の否定になるのでできないという人はいる。自己否定は新たな自分を作るために有用だ。宗教の改宗が大変なのは、改宗者の言葉を聞くと分かる。「信じる者は救われる」というのは、善意な人間を圧迫する言葉である。10000円のおそなえより、100万円出す方が深い信仰のあらわれ、などと言われると、同じ信者なら100万出さねばの気になる。

    「いや、自分は1000円程度の信者でいい。それで十分!」という気には、なかなかどうしてなれないらしい。どうせ信者なら10000より100万の信者でいたいということになる。こういうことを自分は愚の骨頂、バカげた張り合いと考える。誰もが自身と格闘し、あげく無理をし、破滅する。して、ご利益はない。これはアーチストに対するファン心理と似ているところがある。

    自分自身と格闘する点に於いて。あるアーチストのファンである濃度を測るのは、そのアーチストの公演に誰よりもたくさん出かけるCDも買う、本やグッズを買う、それをすることが自らに対するファンの証という自己満足である。自己満足である以上、他人があれこれいう必要はない。人は自らの価値に沿って生きればいいのであるが、問題なのは孤立であろう。

    人と考えが合わないから孤立ではなく、孤立を自由という観点から実行するのはいい。集団に属せば、その空気に飲まれて意に反して挙手をすることにもなる。自分が信じるものは自己のためであって、あまり他人に披露しない方がいい。よしんば披露する場合は、批判を受け入れる覚悟がいる。批判を超えた非難や攻撃に耐えられるだけの度量があるならいいが…

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    ただ、自己主張をしたいだけのために持論を披露する人がいるが、これは対話の精神に合致しない。視野が狭く、頑固で柔軟性はない、一神教の信者のような人は、同じ考えの人とスクラムを組むのがいい。異なる価値観を持つなら、同時に異な価値観を受け入れる度量も必要。つまり、他の人の意見を耳を傾ける際は、自分の考えや概念などは横に置くことだ。


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    映画『卒業』のインパクトは半端なかった。余韻とでもいうのか、アレコレ思考が脳を巡るゆえに名作であろう。アメリカン・ニューシネマのいいところは、アンチ・ヒーロー、アンチ・ハッピーエンドというリアルさにあった。『卒業』しかり、『明日に向かって撃て!』しかり…。キャサリン・ロスは、上記二作品に出演していた。彼女の地味で自然な演技に好感を抱く。

    有名な『卒業』のラスト。教会で、「ベ~ン!」となりふり構わず絶叫する女の情念に、身も心も持っていかれる。何度観てもこの場面で目を潤ませる人は、情熱の記憶をしまっている人だろう。多くの若者たちがあの場面に、恋愛という壮絶なパワーを見せつけられたことか。「情熱と現実の生命力こそ若さの象徴」といった坂口安吾の言葉を頷けられるものでもある。


    世に「恋愛論」と称す書籍はさまざまある。哲学的、観念的な書もあれば、指導的な手引書や実体験記述など、実にイロイロだ。タイトルは目に入るも、自分は安吾の「恋愛論」以外は読んだことはない。安吾の「恋愛論」は全集に入っていたことで目にしたものだ。彼の辛辣さ、率直さは、「青春論」、「堕落論」、「悪妻論」、「戦争論」など衝撃を受けた。

    が、「恋愛論」においては、そのタイトルと中身が一致せず(読解力がなかった)、ガッカリ感を抱いた若き日の記憶がある。「恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。」で始まる彼の、「恋愛論」の要旨は、以下の点に集約されている。「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず滅び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ。

    若い人たちは同じことを知っていても、情熱の現実の生命力がそれを知らないが、大人はそうではない、情熱自体が知っている。恋は幻だということを。年齢には年齢の花や果実があるのだから、恋は幻にすぎないという事実については、若い人は、ただ、承った、聞き置く、という程度でよろしいのだと私は思う。本当の事というものは、本当すぎるから、私は嫌いだ。」

    今読めば面白い表現だが、10代の自分にはつまらなかった。年齢には年齢相応の実があり、花もあるがゆえにつまらなかった。安吾は、「恋愛論」の最後をこう絞めくくる。「ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない」。当時は分らなかった中身が今は分り過ぎる。

    イメージ 1「孤独は人のふるさと…」とはよい表現だが、孤独は男に似合う。女は賑やかなに振る舞うのがいい。「孤高の男」という表現は、孤高の阿羅漢と重なる。つまり、俗世間から離れて(あるいは精神的に離れて)、ひとり自分の志を守る。また自分を高めることに専念する人でもある。最近は語尾に、「力」をつけるのが流行りのようだが、「孤独力」というのはない。

    ないけれども孤独のバロメータはいろいろだ。特別、「孤高」でなくとも、「孤独」を愛する男は無造作、無頓着につるむ男に比べ、群れないオオカミのカッコよさがある。つるむという淋しさが男の品位を下げる。そういう男に逞しさは感じられないが、孤独を愛する男は必然的に逞しさが滲んでいる。だから男としてカッコいいのだ。孤独についてはいろいろ書いた。

    安吾は何事も肯定的である。物事を理路整然と肯定する説得力がある。堕落を肯定、悪妻を肯定、戦争すらも肯定し、悲恋すらも肯定する。例えば、「私は繰り返して言う。戦争の果たした効能は偉大であった。そして、戦争が未来に於いて果たすであろう効能も、偉大である」。平和学習を強いられた我々戦後世代にとって、度肝を抜かれる戦争肯定論である。

    彼の肯定論に難儀をしたが、今はよく分かる。安吾はまた、両親と子どもによる家制度の合理性を欺瞞と批判する。近年に至ってはそうした著書が出回るが、安吾は80年も前にこう述べる。「家制度はこんにちの社会秩序を保たしめているが、又、そのために、こんにちの社会の秩序には多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上を阻むものがあるのではないか。

    私はそれを疑るのだ。家は人間を歪めていると私は思う。誰の子でもない、人間の子ども。その正しさ、広さ、温かさは、家の子どもにはないものである。人間は、家の制度を失うことによって、現在までの秩序は失うけれども、それ以上の秩序を、我が物とすると私は信じている」。安吾は、非民主的な家制度によって子どもの個性が損なわれると批判する。

    戦争についても、「雨降って地固まる」という論理に貫かれている。家制度の崩壊が新たな秩序を生むように、戦争は世界単一国家の「魁」になると述べている。安吾はグローバリズムの信奉者として戦争賛美を行っている。こうした一見反動的ともいえる道理を生み出す安吾の性格は、どういう環境から養われたかに興味を抱かずにはおれず、安吾について文献を漁った。

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    安吾は小学校入学時から手のつけられない腕白坊主で、学校から帰ると家に鞄を投げ入れて夜まで帰らなかった。母は家にカンヌキをかけ、「大阪の商人に養子に出す」と威し、毎日叱責したという。ここまでは自分と同じ環境だ。「私は極度に母を憎んでいた。母の愛す他の兄妹を憎み、なぜ私のみ憎まれるのか、私は8歳の時、出刃包丁で兄を追い回したこともあった」。

    母を極度に憎んだのも自分と同じである。自分の母は事あるごとに、「寺に預ける」だった。情緒短絡的な母親は威したり、スカしたりで子どもを手名づけ、そういう子を、「いい子」と錯覚するなど、バカもいいとこである。男の子にそんな威しは無意味で、逆に心が離反するばかり。安吾には沢山の兄妹がいたようだが、自分は一人っ子ゆえに、兄妹と比べられた経験はない。

    その代わりというか、近所の大人しくて従順な子どもと比較される。女の性分というのか、すぐに他人と比較したがる。それによって相対的な価値を見出そうとするが、男の生き様は絶対的価値観であろう。他人がどうあれ自分は自分というのが、ぶれない男の信条である。あるピアノ教師が、「女の子は他の子の進度が気になるけど、男の子はそんなの気にしない」という。

    「そんなのカンケーねぇ!」が実体的な男の世界観である。小学時代は腕白だが利発で成績も良かった安吾、中学の人物評がこう記されている。「性質は粗暴、挙動は稍軽騒、言語明瞭にて作文優秀、勤怠は怠ル/勤ムレバ上達スベシ」。安吾は三年生の第一学期出席すべき88時間を欠席、落第は必須だったが事前の配慮で、東京の豊山中学に編入学させられている。

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    欠席の理由は松林でごろりと物思いに耽っていた。後年安吾は、「私にとって古里は家ではなく、空と海と砂と松林であった」と述懐する。この頃、谷崎潤一郎の『或る少年の怯れ』を読みふけっている。谷崎の特異な世界観で少年の深い心の闇が描かれた秀作だ。確かに安吾は得体の知れない作家である。彼の心中、奈辺は知るすべもないが読めば見えてくる。

    彼は日本人として、日本的であり、日本人の代表選手のようで、書いてる作品はすべてが和風であるが、うどんや焼きそばというよりも、和風パスタの味わいがある。自分はカツオだしの代わりにブイヨンを使い、隠し味にバターを使っても旨味醤油で味付けた和風パスタに、炒めたしめじをてんこに盛って食べるのが好きだ。具材は「ディ・チェコ(De Cecco)」の1.6mm

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    以前は面白がって、「スケベニンゲン(SCHEVENINGEN)」という具材を使っていたが、置いているところが少なく、昨今はもっぱら、「ディ・チェコ(De Cecco)」一辺倒である。パスタは置いておき、安吾に「論」のつくエッセイは上記の5つ以外に、「続堕落論」、「敬語論」、「戦後新人論」、「推理小説論」、「花田精輝論」、「戯作者文学論」、「デカダン文学論」。

    「戦後文章論」、「歴史探偵方法論」、「神経衰弱的野球美学論」、「エゴイズム小論」、「天皇小論」、「咢堂小論」などがあるが、エッセイの数は、彼の作品量からすれば少ない。そんななか、「恋愛論」は朴訥の中に雄弁さが潜む。あんな文章を書けるのは彼をおいてない。彼は人が貶すようなものをワザと褒めてみせる。中ハゲ頭を褒めたり、誘拐犯を褒めたり。

    堕落を促し、淪落を肯定する。かと思えば、「大根脚は隠せ」と書く。安吾の眼中には物事の本質しかない。「淪落」なる言葉はとうに死語だが、太宰や織田作に出る。寺田寅彦の「映画雑感」に、「おしまいの場面で、淪落のどん底に落ちた女が昔の友に救われてその下宿に落ち着き、そこで一皿の粥をむさぼり食った後に椅子に凭ってこんこんとして眠る」とある。

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    戦争はいけない、堕落すべきでない、泥棒は罪、ということは簡単だ。誰でもいえる。当たり前の正論を当たり前に言って、楽する人はゴマンといる。正しいことを言うのは大切だが、もっと大切なことは、いかにして言うか、どう伝えるか、である。一つの問題を縦横斜めから見、あらゆる角度から捉え、いったんは自らの考えから離れ、戻れるものなら戻る。

    こうした精神作業から、「論」が生まれるが、恋愛に真理はない。男と女が織りなす気まぐれな情動だ。安吾の、「恋愛論」には一般的な、「恋愛論」にある言葉は出てこない。愛が破綻し、それぞれが別の異性の面影を抱くようになったとき、さてどうすべきか?などの答えもない。いかなる真理も万人に当て嵌まらぬように、各々が自身に照らして答えを見つけるしかない。


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  • 05/25/17--17:38: 「恋愛」は人生の花
  • 安吾は、「恋愛は人生の花」といった。が、昨日の表題はあえて、「恋愛はこの世の花」とした。「恋愛は人生を彩る花」に対して後者は、「恋愛はこの世の中で存在する事象であり、男女の世界を彩るもの」といういみである。島倉千代子のヒット曲『愛のさざなみ』の冒頭歌詞は、「この世に神様が本当にいるなら、あなたに抱かれてわたしは死にたい」とある。

    「あなた」は神様ではなく、神様に抱かれたいでもなく、「神様、どうか彼に愛されますよう願いを叶えて…」の意味である。神様に抱かれるなのキモチわる過ぎる。神様はセックスなんかしないに決まっている。セックスが下賤だからではない。神は崇高であるからだ。崇高であるから、セックスもしない、うんちもしない、屁もコかない、食事もしないということ。

    勿論、偶像である。偶像だからこそ崇拝できるのだ。いかに口があり、言葉があっても、狂信的な新興宗教の教祖とはいえ、「自分は神である」と言った人はいない。なぜなら、彼らには下半身があるからだ。下半身を弄ぶ人間の何が教祖ぞ?ということだろう。かつて、「性」を押入れの隅に押しやっていたいた時代、親や教師はそういうことをしないものであった。

    子どもに尊敬を抱かせるために、親や教師は白目をむいてセックスしてのたうち回ってはならなかった。だから、親は子どもに性を教えられなかった。学校で性教育の話が持ち上がると、自分ではできない親たちは、「教師がやってくれるならこれ幸い」とばかりにほっと胸をなでおろした。困ったのは教師である。「先生もやってるん?」という問いは必然だ。

    「どう答えたらいい」、「どう答えるべき」などというのが当時の教師の実態であったのを知っている。「教師は聖職」という考えはさすがに廃れていたが、それでも子どもたちの前で教師は自己欺瞞を強いられていた。聖職でなくとも、生殖を教えられない。苦心惨憺の結果、「性は子孫を反映させる行為」と教えるのがやっとだった。それでも冷や汗ものである。

    生殖の性は、人間以外の動物の営みである。彼らの性は生殖目的以外にないが人間は違う。人間の性教育を生殖目的と偽った時に、コンドームの役割を説明できない。そもそも、学校で性教育を必要とした理由は、エイズ予防、望まぬ妊娠という悲劇を食い止めることだった。コンドームの必要性、有用性を子どもに教える主眼から、学校における性教育ははじまった。

    生殖だけに性があるなら、「コンドームは何であるの?」と聞かれて教師は閉口するしかない。つまり、性教育元年において、教師は生徒と水平な関係であらねばならなかった。なぜなら、性の話題は大人と子ども、親と子、教師と生徒を水平の関係に誘うよい教材であるからだ。親も教師もやることは変わらない、その中で親や教師の権威を模索する必要が生まれた。

    家が隣で一緒に保育園に通った幼馴染のNが20代の成人になってこんなことを言った。「うちね~、お父さんとお母さんがそういうことをしているって、ショックだったし、思わないようにしてた。でも、妹が、『お姉ちゃん、昨日お母さんの凄い声が聞こえたよ』と言ってくるんよ。聞いてる方が恥ずかしくなるしね。あの子は、ホンとにどうしようもないから…」

    確か、10歳以上離れた遅出来の妹で、近所でも評判の、「不良少女」の烙印のあった子だった。小さいころから、「見て、見て」といって、スカートの後ろをまくり上げて男の子(自分も含めて)を喜ばせる、サービス精神に満ちた子であった。「お母さんの声が…」くらい、彼女ならいいそうだが、姉はそういう妹に手を焼いていた。それにしても、親の性がショックとは…

    「綺麗な物しか見ない、見たくない」などは、幼児期からクレヨンや多色の色鉛筆を使い、「いかに塗り絵を綺麗に塗るか」という女の子の女の子としての性であろう。男はどうしてあんなにもガサツで汚い塗り絵になるのか?一緒にやっていて、いつもNから見下された。「塗り絵しよう」と言われて、仕方なくやるのだから、ガサツで汚いのは無理からぬこと。

    おママゴトだの、塗り絵だの、そんなつまらない遊びに付き合わされた記憶がある。「もう女と遊ぶのは止めた」と、男の子なら当然である。それにしても、塗り絵を色鉛筆を駆使し、薄く見事に塗る女は男から見て天使に思えた。自身の中に潜在する美への憧れ、探求心が、具現化されるものであろう。お姫様やプリンセスや可愛い題材を偶像化する女の子である。

    30代にもなって塗り絵に没頭する女がいた。「いい年こいて塗り絵かい?」と部屋に入って驚いたが、少女のまま大人になった(なり切れない?)そんな女だった。題材は子どもの塗り絵とは比較にならない、細かいデテールで、あれはおそらく欲求不満のはけ口、癒し効果があるのだろう。認知症予防になるからと、老人ホーム入居の婆さんが塗り絵をやるらしい。

    塗ること自体はシンプルで単純な作業であるが、脳の様々な分野を使って脳を活性化するというが、やはり爺どもに塗り絵は向かない。闘い好きの男には囲碁や将棋の方が向いている。そもそも脳の構造からして違う男と女は別の生き物を実感できることは多いが、言われてみると笑える部分も多い。facebookblogでより多くの「いいね」や、「ナイス」を嬉しがったり…

    細かく分類はされても、基本は他人と自分との比較における、「自己認知」が女の特質のようだ。自分が本当にやりたいことは何か、それを見つけて邁進する男にとって、いちいち他人を気にしていたら自分のやりたいことはできない。卓球の平野美宇の「脱いい子宣言」の決意を聞き、世界という目標を掲げるなら人に好かれようなどは止めて孤軍奮闘で頑張るべきかと。

    アスリートという種族は、目的とするものが大きいほど自制心も必要になる。体脂肪10%以下、サッカーのカズやバスケの田臥の節制は気が遠くなるほどだ。「ここ何年も、とんかつや揚げ物などのカロリーが高いものは口にしていません」。当然と言えば当然である。そもそも脂肪というのは肉布団を羽織っているようなもので、体脂肪増加は身体のキレが悪くなる。

    飽食時代において一般人は節制が難しく、「食」という娯楽は至難である。ゆえに節制をしないでダイエットで後手を引く。そのダイエットが続かないのは、甘いものの誘惑だ。甘いものを止められない人は、摂る時間帯に留意すること。体内には脂肪細胞に脂肪をため込む働きをするたんぱく質があり、なぜか1日のうち明るい時間帯、午後3時前後に最も分泌が少なくなる。

    したがって、「3時のおやつ」は理に適っている。最近、スーパーなどで甘酒が目立つと思っていたら、テレビで、「ダイエットにいい」と報じられたという。甘いものがダイエットにいいというのは、どう見ても話し半分で、メーカーが仕込んで書き込みをさせている部分もあろう。例えば人間は、ジョギングなどの運動などで疲労すると甘いものを脳が要求する。

    そこでコーラやジュースなどを飲むとどうなる?糖質を摂ると血糖値が上がり、血糖値を下げるためにインスリンが分泌される。このインスリンの分泌がポイントとなる。インスリンは糖質を脂肪に変えてしまう一方、脂肪分解を抑制する働きがある。したがって、インスリンの分泌量が増えると太りやすくなる。カロリー制限しても痩せないのはこういうこと。

    インスリンは24時間休みなく少量ずつ基礎分泌され、さらに食事で糖質を摂ることで基礎分泌の何十倍ものインスリンが追加分泌され、脂肪蓄積を促そうとする。よって痩せるにはここがポイント。3大栄養素(糖質、脂質、たんぱく質)の中で血糖値を上げるのは糖質だけ。そして、インスリンの追加分泌が行われないと、体脂肪の分解がノンストップで続くのです。

    つまり、糖質を制限するとインスリンの追加分泌が抑えられて、ダイエット効果が期待できる。これが巷で言われる糖質制限ダイエットである。糖質制限ダイエットでやることはシンプルで、要は糖質が多い食品を知り、それを食べるのを抑えればいいわけだ。先の、「甘酒はダイエットにいい」ではないが、「ダイエットにいい」の文言を誤解する人は多い。

    目の前の甘酒を飲むと飲まないとどちらがいい?当たり前に飲まない方がいいが、飲む方がダイエットに効果があると勘違いをする。「ダイエットにいい」の言葉の真意は、ショートケーキやチョコレートを食べるよりは甘酒一杯にしなさいであって、ケーキやチョコを食べて甘酒を飲むのがいいのではない。あくまで甘酒はケーキやチョコの代わりということ。

    食べないで痩せようとするのが厳禁の理由は、脂肪が落ちる前に筋肉が落ちてしまうからで、たんぱく質を多く摂り、基礎代謝を上げることだ。ダイエットをする人は、これくらいの基礎は誰でも知っているが、続かない理由は最後は意思の問題。ライザップで50万かけたが、痩せた期間が6か月では一時の自己満足である。CMに起用されてもリバウンドした芸能人も多い。

    などと、書いた後で笑ってしまった。本日は表題を書いて記事を書いたが、「ダイエットは人生の花」状態。こじつけるわけではないが、恋愛願望女性にダイエットは必須。付き合い始めはポチャで可愛かったのにどんどん痩せて、胸もしぼんだ女性がいた。まだ女心が分からず、「前の方がいい」などと不満を言い続けた自分は彼女を傷つけた。遅いがあん時は「ゴメン」。


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    「恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない」。これは自分が唯一読んだ坂口安吾の『恋愛論』なる表題の冒頭の書き出しである。さも分かったように恋愛を語る人間の多い中で、"恋愛がなにかを知らない"というところが彼らしい。知らないもの、知らないことを書けるのか?という野次は的外れであり、知らないから問題提起をできるし、だから書けるのだろう。

    「論」とは評論であり、「恋愛小説」の類ではない。恋愛小説も読んだことがなく、恋愛小説を読んでワクワクした経験もない。ワクワクなら推理小説に匹敵するものはなかろう。いや、まあ、自分の思うところであるが…。オンナコは恋愛小説が好きなようだった。オトコノコが推理小説SF小説が好きなようである。「なぜ女が恋愛小説を好むのか、私は知らない」。

    それを解明する前に、「なぜ男は恋愛小説を読まないのか?」を導入として考えればいい。とある大学の研究による第一の理由は、恋愛小説は昔から、「女性のもの」という思想が男性の中に深く浸透しているという。その理由は、「軟(やわ)」なものとの見下しである。男が恋愛小説を読むと、「女性化」しているなどと周囲から変な目で見られるからだろう。

    「女性的なものに興味がある」と思われることすら屈辱であった。いわゆる、「らしさ」という自己規範が、社会規範によって作られていた時代である。「なんだあいつは、男のくせに〇〇なんかしやがって」、「女のくせに木登りするなよ」などと、ハッキリと峻別されていた。これらは家庭教育にも顕著で、「男がめそめそするでない」、「それが女の子なの?」など。

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    学校教育の場においても、男はきびきびとした態度や返事を求められた。「なんだ、その返事は?男らしくないぞ」とやり直しをさせられる。地域の教育力もあった時代だから、弱くめそめそした男の子は近所のお兄ちゃんに、「肝試し」の洗礼を受ける。肝試しの場は人の住んでいない民家や墓場と決まっていたが、怖くてもやせ我慢をして度胸を付ける。

    こうした学校、家庭、地域という教育力が機能していた時代、子どもはそれなりに足りないものを補い育っていた。これを「男が男で、女が女だった時代」とするのは、当時の時代の要請である。今の時代に、「オカマ」や「女装愛好者」を非難するのは、差別主義者ということになるようだ。が、男の女装が許されるのは、特別な職種、特別な職場であることに変わりはない。

    一般の企業や会社で、男が口紅を塗りたくり、スカート履いて、「おほほほ」なんてことはあり得ない。マツコやミッツマンという色物が許容されるのは、彼らの特別な社会においてであって、社会的な支持を得ているというのは、思い高ぶっている。許容はするが特殊なのは揺るがない。いわゆる、「らしさ」の崩壊、「価値」の多様化が起こった時代にも遭遇した。

    時代の価値観を変えた人はいろいろいたが、自分たちの世代で筆頭に上がるのはビートルズであろう。彼は長髪という男子にあるまじきヘアーを主張し、みるみる全世界に浸透した。自分たちの少し前、エルビスの腰をふるセクシーな動きは保護者の批判に晒され、良識を基調とした、「エド・サリバン・ショー」出演の際、下半身は映さないとスタッフに厳命されていた。

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    これまで、「ダメ」とされたものが、「なぜダメなのか?」について明確な理由がなく、「ダメなものはダメ」という校則程度のものでしかなかったということ。次いで丸山明宏(後の美輪明宏)のノンセクシャルな風貌が、「ゲテモノ」、「キモチ悪い」と批判されたが、ピーター(後の池端慎之介)が続いたことで、オカマという価値観が徐々に市民権を持つようになる。

    社会学的な分類をすればまだまだあるだろうが、上記の人物は、自分の中で大きく価値観を変えた人である。価値観の変革はなぜ起こるのか?これについても様々な理由があるが、我思うは、「感覚の変容」がもたらすものではないか?クラシック音楽の歴史を見て思うのは、西洋音楽の変遷は、「教会(宗教)音楽」から始まり、バロック~古典派~印象派と変節した。

    モーツァルトの伝記映画『アマデウス』のなかに、「音楽は愛に満たされるもの」という発言がある。イタリア人のサリエリは、「(音楽に)愛など、我々にはまったくない」と苦笑するように、彼らにとって音楽は神聖ローマ帝国の名残であり、宗教的なものである。モーツァルトの『フィガロの結婚』のフィナーレは、登場者全員の愛の多重唱を聴かせてくれる。

    これに対してサリエリは、「オペラのフィナーレは派手にバン!とやるべきだ」と批判をするが、こうした音楽の作為性と純粋性の対比が、サリエリとモーツァルトの差異に現れている。同じくモーツァルトの『魔笛』のアリアには、「感情は愛情だろうか、そうだ、大事なのは愛情だけなのだ…」と歌われる。さまざまな感情の中で、もっとも大事なのは愛情である。


    上記『フィガロの結婚』の有名なケルビーノのアリア、「恋とはどんなものかしら(Voi che sapete)」の歌詞は、「恋とはどんなものか、ご存知のあなたが、さあ判断してください。僕がそれを心の中に抱いているかどうかを…」で始まり、同じ歌詞で終わる。これは伯爵夫人への求愛ソング。年端のいかない少年ケルビーノの伯爵夫人への切実な想いが伝わってくる。

    ケルビーノの苦悩を代弁するまでもなく、「恋」の本来の意味は、相手に強く引きつけられている思いが満たされず、苦しくつらく思う気持ちであろう。つまるところ、恋の神髄は苦悩にあるといっていい。悩むことこそ恋であり、その思いを何とか満たさんと行為し、努力するところに人生の意義があるのではないか。恋とは人が生きていくうえでの無上の喜びの一つである。

    苦しくとも、人を恋する気持ちこそが人生における花である。それほどに恋には計り知れない力がある。昔の人は、「惚れてしまえば千里も一里」といったが、飛行機も新幹線もない時代である。今は電話やネットで世界は縮まっている。恋はまた、人間としての情感を豊かに育んでくれる。恋は一人でできるが、恋愛は二人でするもの。恋と恋愛の違いはそういうこと。

    一人でする恋は自己の愉しみだけに終始できるが、恋愛はそうはいかない。なかなか自分だけが愉しむというわけにもいかず、そういうエゴイスティックな人の恋は破綻する。恋愛の基本は、相手を愉しませることに集中すべきである。相手を愉しませても自分が愉しくないと感じるひとは、恋する年齢に達していない。相手の愉しみ=自分の愉しみ(喜び)であらねばならない。

    愉しませるといっても、笑わせることではない。安っぽい笑い生む側も提示される側も疲れてしまう。相手が心から愉しむ状況を作り出し、その上に自身の愉しみが築かれていくものだろう。恋をした人に必ず起きるのは、自身の変化である。意識、無意識はあっても、確実に起こる変化が、「恋」の現れでといえる。ただし、人は恋の対象相手の舞台だけに立っていない。

    仕事、家族、友人、趣味といった別の世界にありながら、恋の舞台に立つわけだが、恋に熱中するあまり仕事に手がつかない、友人関係もおろそかに、家族にも頓着しなくなるというのはありがちだ。これらの善悪を論じるよりも、それくらいに熱中するものであるなら、自制も必要となる。恋はまた、「闇」といわれ、思慮分別を失い、正誤の判断を誤ることもある。

    こういう風に書くと、恋に対する注意書きとなるが、恋する人に注意書きを述べても仕方がない。恋に際してどのように対処するかは、自らが行うもので、友人・知人に相談する人の気持ちも分からぬではないが、恋の相談に他人が的確な返答は無理であろう。他人の考えはあくまでその人間個人の価値観を基準にしており、人の恋路の相談には理性的に答えるのがやっとだろう。

    当事者の感情や状況に即して思考しても、下す答えは理性的なものとなる。思いは口に出さなければ伝わらないこともないが、実際、身振り素振りで伝えようとする女はいる。これをどう読むかについて、正しく読むのは難しい。意図的に思わせぶりを愉しむ女もいるからで、愉しむだけなら被害はないが、騙そうとする相手も少なからずいる。気もないのに物を強請る。

    自分は物を強請る女は、自分の純粋な意思の発露ができない点において好きではない。「何か欲しいものがある?」と問われての意思表示ならともかくだが、そういう女は決まってこういうセリフを用意する。「好きな人から貰うと嬉しい」。そうであるなら、強請っていいものか?「好きな人から貰って嬉しい」のは主体性という愛情であり、それが物に変わったもの。

    強請って買ってもらったものが果たして愛情か?人はともかく自分は違う。女は愛情を物に簡単に変換するが、それは「物が先」というのが根底にある人間で、愛情が先の人間は自身のエゴをしまっておこうとする。愛情はエゴを抑えたものであり、エゴとは愛情を裏切るもの。子どもに勉強しろというのは親のエゴ、勉強するまで口を出さないのが愛情である。

    ところが、「そんなこと言わなければいつまでたってもしないじゃない」というセリフを用意するが、親がこに命じるもののほとんどが親のエゴであろう。がしかし、親のエゴであっても吟味し、行為を促すものもある。要は、藪から棒に何でもカンでも命じたりしないこと。こういう風にうるさい母親になると、一言一言の言葉に重みがなくなるので注意されたし。


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    恋愛賛美は若い人に与えられた特権ではない。かと言って、「老いらくの恋」を奨励するのでもない。恋愛は万人共有の共感現象といいたいわけだが、恋愛否定論者はおそらくいるであろう。恋愛は男女の愛情を育むが、愛憎を芽生えさせることもある。恋愛否定者には、恋愛による苦い体験を含む何らかの愛憎劇のようなものがあったのかも知れない。

    若いころに、「恋愛の目的は結婚である」という友人がいたが、恋愛に目的があるのか?という自分である。確かに恋愛結婚は自分で相手を探し、結婚をアプローチし、承諾を得ることで成される自助努力であり、自己判断でもあり、自己責任と言える。お見合い結婚は、親もしくは仲介者のアレンジする結婚であり、恋愛結婚を望む者は多かった。

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    恋愛の極致を結婚とするのは否定をしないが、結婚が形式なら同棲に決まった型はない。かつて同棲はふしだらとされた。結婚もしない男女が共に暮らすのはふしだらなことだった。なぜふしだらと言われていたのか?一般的に結婚とは、子どもを設け、家庭を作るなどの目的が正当化されるが、同棲というのは性的な目的だけで互いを必要とし合っている。

    そうかどうかはともかく、そのように見えることがふしだらだったのだろう。「婚前交渉」という言葉すらなくなった現代にあって、「婚前交渉の是非」が盛んに議論された時代である。恋愛中の二人においても、結婚という契りが成されないで勢い肉体関係を結ぶのは、一般女性にとって欲望を抑え込む、「力」になっていた。結婚に処女を持参すべきものだった。

    結婚を前提とした付き合いのカップルであっても、勢い余った男が自制できず最後の一線を越えようとする寸前、「ダメよ、結婚するまで…ねっ、分かって!」というのは小説の中の話ではない。今では、「最後の一線」という言葉すらなくなった。中高生の恋愛小説には出てくる言葉なのか?こんにち社会は最後の一線を、最初の一戦にいたすようである。

    昔の人間は、「昨今は性が軽んじられている」との見方をするが、昔を基準に現代の荒廃を嘆くというより、性を封じ込めたり、根拠のない純潔教育賛美に問題はなかったのか?硬直した考えであったのは事実である。昔人間といってもいろいろで、昔を基準に考えれば現代批判になるが、昔人間の誰もそういう考えではない。「昔とてそれほどでない」と感じる者もいる。

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    「昔は良かった」という言葉はしばしば耳にする。何がよかったのかについては人によって違うが、こういうことを言いたくなるのものジジババのノスタルジーである。「今の若者はなっていない」と、これも耳にタコができている。昔はマナーも道徳もちゃんとしていたのか?昔もダメな若者はいたが、確実にいえることは、若者自身が、「若者はダメだ」とはいわない。

    昔の日本の公衆道徳はそんなに優れていたのか?たばこの吸い殻やマッチの燃え殻が至る所に散乱していた光景をよもや忘れてはいまいだろうか?車のゴミを道路の植え込みに平気でなげる、雑木林に粗大ゴミをまとめて捨てる人など普通にいた。ペットを飼うのはいいが、生まれた子犬や子猫をリンゴ箱にいれて、遠くに捨てに行く。まだまだあるが書けばキリがない。

    画像は40年前の、「鉄道ジャーナル」に掲載された、大阪発富山行きの特急雷鳥の車内である。床にゴミが点在しているのが分かろう。昔の日本といっても、何時が昔かの議論はあろうが、昔のヒドイ若者(自身も含めて)のことなどコロリと忘れ、「最近の若者は~」みたいな発言を、メディアのバックアップを得て口にするジジババにはいささか反感を持っている。

    沢山記事を書いてきたが、「今の若者は~」というのは、ただの一行たりとも書いてない自分だ。その理由は、自分たちの時代を頭ごなしに押さえつけたオトナや学校や社会や親に反感を持っているからでもある。昔は良かった派のジジババと自分はそこが違う。とはいえ、昔がダメで今が良いというではなく、是々非々に物事を見るからして、現代批判も少なからずある。

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    政治家、官僚、教育者に揺るぎない批判は当然だ。特に教師の質の低下はどうしたことか。人権意識の高い教師が、「教師とて人間だ」などというが、それで盗撮、買春、覗きなどは本末転倒である。人を指導する職業においては、何より強い自制心が求められるとの自覚がない。確かに教師も人間であるが、子ども託す教師がエロでロリコン人間であっては困る。

    一般的に恋愛感情と性の意識は相伴うものであるべきだが、メディアや社会が性ばかりを強調し、喧伝することで、恋愛感情と性の意識バランスが崩れ、興味の対象が、「性」に限定されるような時代になったと自分は推測する。性の抑圧はよくないが、性を煽る社会より、まずは恋愛という花を咲かせ(正当化させ)、その後に実をつけるべきというのは、決して古い考えではなかろう。

    実とは体験のこと。性あっての恋愛ではなく、恋愛あっての性であるがゆえに、恋愛というものが人間の両性に営まれるもののなかで、もっとも美しく、かつ難しい愛の交換行為と思われる。近年の性重視の関係においては、あまりにイージーであり、愛の交差という人間関係の難しさを知らない、それが離婚の多さにも繋がっているのではないかと愚考するのだ。

    確かに男女の引き合う力は、子孫という実を結ばせるための、「罠」としての花であったと、そういう風な見方もできなくはない。すべての恋愛の実態を指し示すものではないが、欺瞞の恋愛もあろう。したがって、「恋愛論」というのは、ジジババの年代に書かれものが多元的で深みはある。が、若者は恋愛という花に愛着し、迷い、疑い、嫉妬し、苦悩するのが現実だ。

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    偏った視点でいえば、恋愛は自然の授けた性の策略のようなものであるが、それにぶつかった当事者にとっては、自身の生きる上においての最大の意義となるべく、重大な精神の問題である。それ即ち、恋愛と性の同一化の問題であろう。近年は、そうしたまどろっこしい関係をあえて避け、「セフレ」などという性欲のはけ口としての異性を求める傾向にあるようだ。

    このことは昔にも存在したが、相手にその意を気づかれぬよう配慮したものだが、互いがセックスフレンドであるを公言するという、このあっけらかんとした態度を我々の世代人は理解できない。共通認識というのは便利で使いよいが、そういう男女関係はいかにも味気ない。商売女を買うというのはあるが、そこに男女の人間関係というものはない。あるのは金銭関係だ。

    長く生きて分かることもあるが、同時に分からぬことも出てくる。「セフレが2人いる」、「3人いる」と臆せず公然と口に出せる女とはいったい何者か?我々の知る、「女」の概念は、我々の時代にともに過ごした女でしかなく、こういう女は理解を超えている。団塊の世代が、新人類と称する若者を、「まるで宇宙人。さっぱり理解できない」と困惑していたと同じか。

    「昔がよかった」というより、昨今は簡単に異性をゲットできるつまらなさに、昔に生きて良かったと感じる。面倒臭がりやで、恋愛よりも性欲放出主体ならソープや、"立ちんぼ"という路上売春はあったが、金銭関係だけの味気無さにはまるで興味を持てなかった。堅いガードの女性がデパートの特選品売り場なら、安っぽい女はバーゲン商品である。どちらが価値が高い?

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    男遍歴の女もいたが、彼女たちは気のいい優しい人間だから、すぐに人を好きになってしまう。そういう彼女たちでさえ、「セフレ」という言葉は頭の引き出しにもなかったようだ。彼女たちでさえ、「セフレ」という定義は味気なく、「今のオンナノコはわからない」という。分からぬことを想像するに、性のモラル意識が無いというより、恋愛の悦びを省いている。

    「恋愛は自然派生する性の欲求を正当化するための修飾である」という一文を目にしたとき、「ちがうだろ?」と感じた。というのも、思春期に体験した純愛には、性の欲望を抱かなかった。性に臆病というではなく、人を好きになることと性の欲望は別であった。動物はどうか知らないが、傍にいるだけで、手を握るだけで心が満たされた時期を「青春」というのだろう。

    異性に対する畏敬の念であるのか?それとも異性を神聖化していたのか?どちらもあったように記憶する。異性に相対し、異性のミステリアスな部分に慄いている、それが思春期である。異性に対する情報もなく、先輩やオトナたちから耳に入れる情報に心をときめかす。思春期女性は恋愛小説を読みふけって、これまた異性という疑似体験をするが、男はさすがにそれはない。

    男は能動的であり、想像力よりも接触欲が勝る。頭で考えるより触れて触って確かめるという刺激を求めるようだ。女性のヌード写真に興じる男もいたが、二次元よりは生身の女性が目の前にいる。男の分岐というのは、その辺りでかわってくるようだ。自分は女体そのものより、異性に自然本能的な憧れを抱いた。ひたすら優しい女性を求めたのは母のトラウマであろう。

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    「性に目覚める」という言葉がある。生体的には内分泌の成熟だが、自覚されるもので、自分にも時期も到来した。それまではプラトニックラブ(精神的恋愛)を美しいと感じていたが、要はそれ自体が美しいのであって、それだけで恋愛関係が成就することはない。ましてや、精神的恋愛だけで結ばれた同士の結婚生活が、うまくいくのを保証するものでは決してない。

    が、「処女をなくしたらお嫁にいけない」と考えていた女性は多かった。ようするに、あの時代に国策としてなされた純潔教育は、女性に対してのみ一方的に、処女での婚姻を奨励したのは、封建制度の名残であろう。「女は三界に家なし」という慣用句が示すように、「家にありては父に従い、嫁しては夫に従い、夫死しては子に従う」と、まさに安住の地はないという事。

    「処女と結婚する男が男果報者」というのがいかに茶番であったか。妻の過去を知って打ちひしがれ、苦悩する男がいた。「なぜに出会う前の女の日常を、お前が拘束できるたか?今の出会いをなぜに良しとできない?」素朴な疑問だが、言って分かるものではない。言われて分かろうとするなら分かる。要するに、「分かる」とは、本人の理解力でしかない。

    タイムリーなのが菊川怜。アラフォー直前に射止めた彼は資産家でイケメン。自尊心の高い彼女には申し分のない結婚相手だが、男の下半身は緩すぎる。入籍はしたものの、未だ同居していないのはショックの表れか。「(夫の過去について)知りたくなかった」と言うように、祝福されない結婚であるが、菊川が、「いい」ならいいのであって、最後は彼女のキャパの問題だ。

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  • 05/29/17--17:21: かまぼこ板の贅沢
  • ピーマンとかまぼこをオリーブオイルで炒めて、ウスターソースをかけて食べると美味しい。ピーマンの薬味にかまぼこの甘さがマッチし、それをウスターソースが溶け合えば味のハーモニー。簡単すぎる一品だが、果たしてこれを料理というのか?炒め物とはこうしたものだろう。料理であるかないかの自己問答なら、目玉焼きもゆで卵も料理とはいいにくい。

    一人前だがピーマン5~6個は使う。幅1cmくらいに切り、かまぼこは3分の2ほど使う。全部入れればいいのだろが、各々食材はバランスが大事である。ハーモニーとはバランスの調節だ。混声合唱なら、ソプラノ・アルトとテノール・バスのバランスが上手く取れていると美しく響く。同じく料理はまさにバランスの神髄である。まあ、何につけてもバランスは大事だ。

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    時々、体がピーマンを欲しがるようだ。スーパーでピーマンの前にピタリ立ち止まると、体が求めている。何が食べたいか分からない時、ある食材の前で体が止まれば、今自分はそれを欲しているという、食における自然の摂理。残ったかまぼこの3分の1を包丁で切らず、板のまま噛ぶついてみた。子どものころ、親によくかまぼこ板をのすけられた思い出がある。

    「のすける」とは広島地方の方言で、手渡すの意味。板に残るかまぼこを歯できれいにこさげて板だけにしてゴミ箱にポイ。上流家庭はこんな行儀の悪いことはしないが、貧乏家庭では当たり前の技。カレーの皿も洗う必要のないくらいにきれいに舐めたりしたが、これを女の子がやると、「行儀が悪いからやめなさい!」と親は叱るのだろうか?たとい貧乏家庭でも…

    親は男の子と女の子では育て方が違うはずだ。我が家においても、長女と次女は年子、長男は3歳下であったが、女の子には弟をママゴトに誘わぬよう厳命していた。上が女二人だと資質的な影響を受けるからという配慮だった。何事も最初が肝心というのが自分の考えで、物事は後手を引かぬように先手、先手の対処が大事と思っていた。風邪予防の対策と同じこと。

    風邪は引くかな?と思ったら即効で対策をすれば引かないで済む。風邪に効く薬はなく、医師や薬剤師は風邪薬を飲まない。というのも、風邪薬が副作用で逆効果になる場合もあるからだ。風邪の原因はほとんど複数感染ウィルスで、市販薬は、複数の症状に対応した薬が配合されているため、軽度な症状のときに飲むと副作用が強く生じ、だるい、発熱などを起こす。

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    「くしゃみ三回、ルル三錠」というキャッチコピーで三共の「ルル」は売れたようだ。「ルル」シリーズの中には、市販の風邪薬には珍しい、「トラネキサム酸」という成分を含有しているものがある。ヒトの体内には、「プラスミン」という物質があって、これは、炎症を引き起こす物質であるキニン類の働きを強めて、体内で炎症を引き起こす原因となるようだ。

    「トラネキサム酸」は、上記プラスミンの機能を抑えることで、炎症を鎮める働きをする。風邪の場合でいえば、のどの腫れや痛みを抑えることになる。また、トラネキサム酸は、「トランサミン」の名で、医療用医薬品としても使用されている成分だが、これは約50年の使用経験のある成分でありながら、風邪に対する効果についてはよくわかっていないのが実情。

    「薬は毒に、毒は薬に…」というように、毒と薬は表裏一体の同じもの。「毒をもって毒を制す」というのが、人体と薬の関係といっていい。毒の王様である青酸カリは人工毒だが、自然界は毒の宝庫である。「毒」は怖い、恐ろしい、のイメージが強いが、毒は非常に身近な存在である。そもそも、「毒」というのは、人間の都合で命名したに過ぎないということ。

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    「トリカブト保険金殺人事件」というのを記憶する人も多いだろう。1986年(昭和61年)5月20日に発生した保険金殺人事件で、凶器としてトリカブト毒が用いられたことが話題となった。、司法解剖を行った医師が被害者の血液などを保存していたため、その後の分析で殺人であることが発覚した。急死した犯人の妻は、当初は急性心筋梗塞と診断され、事件性はなかった。

    犯人神谷力は、事件発覚までの過去5年間に、事件の被害者を含む3人の妻を亡くしていたが、いずれも保険金詐取の毒殺をしていながら葬儀で涙を流すなど、完全犯罪を目論んだ悪い奴であった。公判中から自らの無実を訴え、『被疑者―トリカブト殺人事件』著し、服役後も『仕組まれた無期懲役―トリカブト殺人事件の真実』を著すなど、無実を訴え続けた。

    用意周到な計画もあってのことだが、突然死した被害者である妻の友人が不審を抱き、知人の1人が手当たり次第に保険会社に本件の内容を連絡した。保険会社でも、3人の妻の突然死に不審を抱いたこと、妻への保険金額が常識では考えられないことから警察に相談した。以下に示すように、四社の掛け金総額185550円で、保険金額は1億8500万円であった。

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    この話はさておき、世の中にはすぐに薬を飲む人と、飲みたがらない人がいる。自分は後者だが、他にもそういう人の声はたまに聞くが、どちらかといえば前者の方が圧倒的多数である。どちらが正しい?という事もないが、「薬をやめれば病気は治る」という医師が書いた本がある。読んだわけでも読むつもりもないが、あまり深刻にならず面白く読むのもいいではないか。

    安易(と思える)に薬をだす医師は多く、薬づけ医療が問題になった日本社会は、多少なり改善の兆しが見える。それでも医師の処方する薬に、「薬は結構です!」と言えない日本人の問題がある。ピーマン炒めからこんな話になっているが、何を書いたところで大層なこともなく、取り立て主眼もない所詮は暇つぶしの道楽ブログなら兼好法師流がよかろう。

    板付きのかまぼこを食べながら、ふと板を見てちょいと驚いたのは、四方柾の木取であった。四方柾とは読んで字のごとく、切片の4面すべてが柾目という木取りの中でも最も贅沢なものだった。柾目であるのは2つの理由がある。一つは煉り状態の柔らかいかまぼこを板に乗せたとき、かまぼこの乾燥に合わせて水分を出し入れすることにより長期間一定の水分量を保つ。

    金属や樹脂では不可能な木材の特性であり、これによって腐敗を抑える効果がある。かまぼこ板の原材はホワイトファーで、日本名はもみの木。クリスマスツリーの木ですである。もみは木肌が白くて柔らかく(水を吸いやすい)くせが少ないために使用される。反りや狂いの少ないのも大事な要素だが、そのために柾目を使うが、四方柾はもっとも狂わない木取り。

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    かまぼこ板が反ったり、ひん曲がっていたのでは味には関係ないが見た目が悪い。それらを考えると、かまぼこというのはつくづく贅沢品であるなと思うわけだ。ついつい趣味の将棋盤や駒に重ねて考えてしまう。駒にも柾目と板目があり、見た目にも柾目がいい。材の黄楊(ツゲ)はとても堅く、板目であっても狂うことはないが、木目がつまっているので美しい。

    同じ柾目でも、幅の広いのを荒柾、狭くつまったものを細柾、さらに極細を糸柾という。日本のツゲの産地として薩摩ツゲ(鹿児島県)と御蔵島ツゲ(伊豆諸島に属すが東京都御蔵島村)があり、気候のよい鹿児島の方が木が育ちすぎるので、柾目の感覚は広く、台風などに見舞われ苦しく難儀して育つ御蔵島のツゲの方が、色、艶、密度など全てにおいて高級品となる。

    一方、将棋盤は榧油でなじみの榧の木が最高級とされる。樹脂が多く、木に粘りと弾力があり、打ち付けてもクッションのせいもあって、疲れない。堅い木に硬い駒や碁石を打ち付けると、しびれてしまう。用材的に最高級はヒノキであるが、将棋盤や碁盤に柾目取りで使うとなると、少なくとも直径1.5m以上の大木が必要となるし、これなら柱が数十本も取れる。

    したがって、ヒノキの大木を盤に木取るのは効率上適切と言えない。とある将棋愛好家が、特注した台檜(台湾檜)の7寸盤を見たが、榧の甘い香りはなく、ヒノキ独特の臭いがきつく、色合い的にも榧盤が勝ると感じた。盤にも板目、柾目があり、柾目版は木の中心から左右の木取りをするため、大木でなければならない。板目版は木の中心が盤の天面に板目模様と現れる。

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    柾盤は高価で、柾盤の天面は柾目である方が視覚的にもよいとされるが、近年は榧の大木が産地に希少となり、もっぱら中国四川省産が輸入されている。価格も国産榧に比べて半分~3分の1程度と安いが、日本産榧とちがって香りがキツイ。バブル前、国産日向榧の天柾の6寸盤は100万~200万が当たり前だが、昭和50年に板目の6寸盤は家宝にとの思いで買った。

    趣味は道楽になり兼ねない。後に柾盤を買った時は夢を手にした気分だった。趣味と道楽の違いは、お金のかけ方か?安い盤と駒でも将棋は指せるし、それが純粋な趣味であろう。道楽は自身の楽しみだがこれも道なら仕方がない。他人から反感を買うこともあるので対局あいてはを選ぶに限る。無用と知りつつ買うわけだから自慢とはいい難くも、人にはそう解されないこと多し。

    いいものを持つ人なら見に行きたいし、素直に称えたいが、お金がかかっているからか人によっては嫌な気分になる。これは仕方のない。趣味は良い響きだが、道楽には良い意味がない。道楽息子、酒道楽、女道楽など…。「かに道楽」というのは悪いイメージはないが、最近はかにも飽きて食べたいと思わない。かにカマが意外に美味しい。が、あれには板がないな。


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  • 05/30/17--17:39: 豆腐88円の贅沢 ①

  • 子どもの頃に嫌いだった豆腐は、大人になっても好きな食材でなかった。すき焼きに木綿の焼き豆腐は定番だが、入れるには入れるが豆腐は箸が避ける。大体豆腐やこんにゃくには味がなさすぎだし、それが好きになれない理由のようだ。おでんのこんにゃくは食べた記憶がない。ところが、40代、50代頃になると嗜好が変わるのか、豆腐やこんにゃくに手がつくようになる。

    好きな物、美味しい物だけを食べるだけではよくない。バランスを考えながら、体に良いものを摂る必要があると、少し利口になるからだ。だから、すき焼きやしゃぶしゃぶの際に木綿豆腐を少しではあるが食べるようになったが、大量に食べるのはやはり 肉・肉・肉…。動物には草食動物、肉食動物の区分があるが牛は草食だ。牛が牛肉を食べたら共食いとなる。

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    犬はステーキを喜んで食べるが、牛はまさか自分の肉が美味しいなど知らないで生きている。肉に切り刻まれるためだけに生きている牛は、そこを考えると憐れである。したがって動物愛護の究極が菜食主義者に向かうのは理解する。近年、キリスト教圏のセレブたちも高級毛皮を身につけなくなったのは好ましい。「肉食は止めるべき」と、あるベジタリアンは訴える。

    が、他人に対して、「肉食は止めるべき」とは決して言わない。本人もそう心掛けている。周囲から、「なぜ肉を食べない?」と聞かれても、「肉が好きでない」とか、「健康のため」とか、適当に答えている。彼は事情を知らぬ人に、ベジタリアンなどと公言はしない。あえて言わない理由の一つに、「日本人とは冷静な議論ができないから…」という理由は頷かされる。

    日本人は初等教育時からディベートの訓練がされず、異なる意見の持ち主に適切な対応ができない人が多い。したがって、論理は論理、感情は感情の境界がなされず、意見の違いが人間の好き嫌いにまで移行する。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺があるが、袈裟を考えや価値観とするなら、「袈裟が憎けりゃ坊主憎し」というのが日本人の心の狭さである。

    ベジタリアンには動物愛護心を持つ人は多く、先のベジタリアンもその観点から自身の信念を周囲に喧伝していたというが、喧嘩や言い合いにしかならずいつも徒労に終わっていた。その後はガンジーのように無言の平和的レジスタンスに努めていたという。人間の体は生体科学でいえば、肉食種に合致していないという。その理由は歯や腸にあるといわれている。

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    人間の歯は成人の場合、親知らずを合わせると32本、雑門歯・犬歯・臼歯などがあり、犬歯以外は草食・雑食用なので総合的にみて雑食と考えられる。また、胃腸などの消化器系の長さや機能は、草食に近いといわれている。こんなことを肉好きの人に言ってどうなろう?「ワシには関係ない。お前が肉を食わねばいいこと」と辛辣な言い方をする人もいたりする。

    それを辛辣と感じるか、主義は押し付けるものではなく、個々の自由裁量と思うか、公平中立に見れば菜食主義者が信念や知識を披露するのはいいが、押し付けがましい言い方は良くない。権威や権力を持てば人をひれ伏すことができるが、「自分は賢者である」、「神である」といったところで僅かばかりの奇特な人を除いては、狂人扱いされるのがいいろころ。

    したがって権威なき主義者の場合、押し付けない方が息を永らえるが、無用に息を永らえたところで所詮は自己満足の領域である。人の価値観を変えたり、心を動かすのは大変なことであり、いかに正しい信念を有し、行為・行動をしてはみたが徒労に終わった人は多い。足尾銅山の鉱毒問題に敢然と立ち向かった田中正造は、愛用のずた袋の中に聖書があった。

    キリスト信者ではない彼が、「人を動かすのは宗教しかない」と悟ったというが、宗教とは人間を動かす最高の権威者である神を土台にする。戦後70年を過ぎた。飽食の時代はとどまることなく、世界の隅々の地域の人間の口に魚や家畜などの肉が供給されている。これは畜産が巨大ビジネスになったことを現し、安全性の問題は利潤追求の前に隠匿されやすい。

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    近年は魚介類の養殖も盛んになったが、確かに漁業というのは大変である。取れるかどうかも分からないのに、体を張ってお金をかけて捕獲に行くというのが如何に不合理であったか。ばかりか、魚資源もだんだん少なくなり、国際的な規制もかけられるなら漁業従事者は死活問題となる。それに対抗する手段として、養殖というのは自然発想でもあり頷かされる。

    が、発想は自然であれ、自然の掟に反した行為には不自然なことが必要となる。大きく分けると、①エサの問題、②狭い生け簀の問題、③薬の投与の問題が挙げられる。養殖魚の人工の配合飼料の種類はさまざまあるが、天然魚が普通は食べることのない、脱脂粉乳、鶏卵、小麦粉、米ぬか、大豆油粕、ビール酵母、大豆レシチン、植物油などまで配合されているという。

    さらに添加物として、各種ビタミン、ミネラルから酸化防止剤、防カビ剤、増粘剤、乳化剤、PH調整剤、色素まで加えられている。(酸化防止剤、防カビ剤などはとんでもないが、これらの添加物はサプリメントのように、魚の健康に良いと勝手に人間が判断しているだけだ。BSE(狂牛病)が社会問題になるまでは、牛の肉骨粉も飼料として使われていたという。

    ②狭い生け簀の問題はどうか?広い海を泳ぐ魚にとって、人工的に囲いを設けるのは、どれだけ広い生け簀であれ、魚にとってはストレスとなる。そのために運動量が減った魚は、脂肪たっぷりの成人病状態になっている(食べるほうにしてみれば、脂がのっていて美味しい)。人間の疾病の多くはストレスというが、魚もストレスを与えると病気になりはしないか?

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    さらに問題なのが③薬の投与。養殖魚介類の病気の治療や予防に使用される医薬品を「水産用医薬品」といい、細菌感染用の抗生物質、寄生虫用の駆除剤、病気の予防用のワクチンなどがある。公的機関が残留検査を行っているが、ある一定の基準値以内はOK、それを超えればOUTという判定をしている。が、流通するすべての魚の検査を行っているわけではない。

    かつてハマチの養殖業者が、防護網に付着する不純物の増殖を防ぐために農薬のようなものを使っていたが、業者にすれば自然な発想だろうし、業者は自前の養殖ハマチを食べなければいい。こうした問題は農業従事者にもあった。JAに出す農作物とは別に自家用は有機で作るというのも、善悪を超えた自然発想である。所詮、人の口は人の口でしかない。

    薬剤の残留した魚というのは、病気でもないのに常に薬を飲まされていることになり、それを食べた我々が病気になるなら何をかいわんやである。今やほとんどのスーパーに並ぶチリ産の銀サケは、価格も手ごろで日本産時鮭より一般的に親しまれている。時鮭となるものは日本の河川で生まれたサケではなく、ロシア北部の河川で生まれたサケと考えられている。

    回遊中に日本の近海に現れた若い個体であり、まだ成長途中で卵巣や精巣も成熟していない。そのため、身肉に栄養素や脂が凝縮されて、非常に美味とされている。一般的なサケの旬が秋であるが、春から夏にかけて捕れるため、時期が異なるという意味で「ときしらず」とも呼ばれる。鮭の身が赤いのは、強い抗酸化物質アスタキサンチンを体内に溜め込んでいるからだ。

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    鮭の生態は謎の部分が多いが、鮭の一生は泳ぎ続ける生涯であるのは分かっている。川で生まれた鮭がそのまま川を下って海に出て、広い海で数年間を泳ぎ回って生活し、生まれ故郷の川に戻る。川をさかのぼり、産卵して一生を終えるのだが、一生の間にこれほど長い距離を泳ぐ魚は他にいない。最後は激しい流れの川を逆行するという過酷な生涯を遂げる鮭。

    したがって、鮭の体内には大量の活性酸素が生成され、鮭にとって、この活性酸素をどうにかする必要がある。そこで鮭は強い抗酸化作用のあるアスタキサンチンを含むエビやカニなどの甲殻類のエサを好んでたくさん食べる。鮭はアスタキサンチンを多く含む甲殻類をたくさん食べることによって、たくさんのアスタキサンチンを体内に溜め込んでいることになる。

    川を逆流して上るためには強い瞬発力が必要となるが、実は鮭は白身魚(エサで赤くなるが)であり、鮭の筋肉は耐久力に相応しい遅筋であるべきだが、白身魚故に瞬発力に優れた速筋である。が、大量のエネルギー消費で発生する活性酸素を抑えるために、活性酸素を除去するエサを食べる鮭ってなんでこんなに賢いのか?誰にも教わらない動物の本能は凄いの一言。

    以前、チリ産の養殖鮭はエサに色素を混ぜて赤くし、チリ人は誰もチリ産鮭を食べないという風評が出回った。過激な環境保護家による行き過ぎた発言という事になったが、確かに環境保護家には荒々しいのが多い。それだけ熱心という事だろうが、イルカやクジラの保護団体は、捕鯨船に体当たりをするなども厭わなかった。主義主張はいいが狂信的な暴力団体はいかがか。

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    90年代前半における「過激な自然保護活動」と、「それに関連する言動」が自然保護ブームになり、この時期は日本でも世界でも、「自然の中で住むことが健康にいい」という一種のムーブメントが巻き起こった。クリスチャン・ラッセンの絵画が流行したものこの頃である。ブームが去って以後に考えれば、とても冷静とは程遠いような言論が飛び交っていたのも事実だった。

    オカルト・ブーム、スピリチュアル・ブームも同様である。ブームは過激を正当化し、メディアがさらにそれを煽る。そもそも、メディアとかジャーナリズムというのは、まがい物の番人でなければならないが、スポンサーをバックに商業主義に走り過ぎるとこうなる。国民がそれに乗せられ、浮かれることこそ危険で、我々は冷静に物事を自らで検証し、確かめなければならない。

    ①水族館のシャチやイルカは、すべて自然に返すべきだ!
    ②ゴルフ場は自然を破壊するから、ゴルフそのものを禁止しろ!
    ③観光開発計画はすべて絶対悪!

    無知も甚だしい突発的思考を根拠にする。はじめてゴルフ場に行った人なら、誰しもが木々の意外な多さに驚かされるが、「残置森林比率」というものが自治体条例で定められている。そもそも、「ゴルフは平原でやる」という認識が間違い。ゴルフのOBは、Out of boundsの略で、プレーできる区域外のこと。つまるところゴルフは森がなければ成立しないのだ。

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  • 05/31/17--17:06: 豆腐88円の贅沢 ②
  • それにしても豆腐というのは不思議な食材である。「それにつけてもおやつはカール!」というCMで、かっぱえびせんと同様に国民のおやつだったカールが、売り上げを落とし、ついには関西以西のみの販売となった。発売開始50年も経てば消費者の嗜好も変わるだろう。カールはポップコーンに着想を得、日本初のスナック(菓子ではない)との触れ込みだった。

    それにつけても豆腐が食卓から消えることはおそらくないだろう。特に冷ややっこの手軽さは、そのヘルシーさも相俟って若い女性にも大人気、入れ歯のばあちゃんにも大人気だ。これぞ日本人の国民食であるその豆腐が、今や大変な目にあっているという。大手スーパーなどの買いたたきによって、納品価格がどんどん下げられ、今では一丁20円で売られているという。

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    あまりに哀しい豆腐の命運であるが、大手スーパーの傲慢は看過できないとばかり、ついに今年3月、農水省が重い腰を上げた。豆腐の買い叩き防止のため、スーパーと製造業者間の取引を適正化するためのガイドラインを発表した。農林水産省の担当者は、「日持ちのしない商品で、売り先が地域的にも限られる場合、どうしても買い手側の立場が強くなってしまう。

    そこで作り手である食品製造業者に大きな負担がかからぬようガイドラインを策定した」と説明する。行政の指導するガイドラインは、あらゆる省庁に様々存在するが、自主規制ということもあって、守られたためしがない。国交省が賃借人に対して取った敷金返還のガイドラインも、なんやかんやと難癖つけて大家の代行業務の不動産業者が借主に加担することはなかった。

    あちこちで訴訟が展開され、有名無実となっているガイドラインにテコ入れするためか、ついに民法改正という大英断を行うこととなった。民法は1896年(明治29)年に作られて以降、120年ぶりの大改正である。その中で「敷金返還の義務化」は弱い立場の消費者に朗報となろう。他人から借り受けた住居を人のものだから、と無配慮な賃借人もいるにはいるだろう。

    それはともかく、一般的な良識ある賃借人が普通に生活していたただけなのに、なぜに大家にガッツリふんだくられなければならぬのか?国交省の決めたガイドラインには「自然損耗は居住者の責任ではない」とあるが、相手はプロ、こちらはトーシロ、「原状回復義務」などの宅建知識などをたてに専門用語を並べてくれば、まともにやり合って勝ち目はない。

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    賃借人は消費者センターなどに知恵を求めて駆け込む、センターは少額訴訟を勧める。そんなこんなで敷金返還訴訟が全国に展開されることとなった。これはもう、国としても捨て置けないということになった。契約書に何が記載されていたとしても、その内容があまりに貸主に都合のよい独断的な記述であれば、法の精神に照らして無効になるということを消費者は知らない。

    だからか、「ゴチャゴチャいうまえに、契約書に〇〇書いてあるでしょう?」といわれれば納得せざるを得ないようだ。最近はないが、昔はひどかった。個人で契約している部屋に彼氏と同居していることも契約違反、新婚夫婦が入居するのはいいが、子どもが生まれると夜泣きなどの近隣に対する騒音被害を理由に退去要請されたり、個人の生活への締め付けがひどかった。

    若者なら彼氏(彼女)はできよう、結婚すれば子どもは生まれよう、こうした当たり前の生活環境への配慮や理解がなかったということだ。「そんなこと聞いていない」といえども、「ちゃんと契約書に書いてある。読まないあなたが悪い」と突っぱねることができた。そうした後出しじゃんけんの陰険さを防止するために取られたのが「重要事項説明義務」である。

    書いてあるナシではなくてきちんと最初に説明し、納得の上で契約を交わすという法律が出来たのも消費者保護である。契約社会といわれる欧米は、甲と乙は対等だが、日本人の場合は、「〇〇させていただく」と、「〇〇させてやる」という関係になりがちだ。いい例が師匠と弟子という関係で、これはもう封建時代の名残をそのまま踏襲している。

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    学校における授業態度をうるさくいうのも日本的で、教師は授業態度が悪い生徒に頭にくる。儒教の名残の国だからというのもあるが、あちらでは教室内で帽子をかぶろうが、足を机の上にあげようが、あご肘をつこうが、要はその生徒がリラックスできる態度であれば、それが学習の効率があがるという考えである。授業態度が良ければ頭に入っているというのではない。

    外国に居住しなければ文化は理解できないが、とかく日本人は日本人が正しい、美しいと思いがちである。日本人が明るく住みよい民主社会を作り上げるためには、除き去らなければならない心の持ち方として、「あきらめ根性」、「みてくれ根性」、「ぬけがけ根性」を指摘したのが、『荷車の歌』でなじみの広島県府中市出身で作家の山代巴(1912~2004)であった。

    『荷車の歌』は1959年、山本薩夫監督により映画化された。「あきらめ根性」とは、権力を持つ人に抵抗してでも自分たちの工夫や努力を積み重ねて運命を切り開いて行こうとする、「長い物には巻かれろ」拒否する考え。「みてくれ根性」とは、近所隣や世間の噂に動じない、耳を貸さないなど、外面的、形式的な見栄ばかりに執着せず、本当の生活の喜びを作り出す。

    周囲を見て暮らす人は結構いるが、自分は自分を生きればいいのに、ありのままの自分を隠し、他人の声が気になるなら、背伸びするしかない。「ぬけがけ根性」とは、他人の不幸をみると自分が幸せになったかのような思い違いをすること。あるいは、ズルい方法で自分だけが利益を得る、自分が良ければそれでいいという考えで、今でいう自己中と同じことだ。

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    天皇主権国家から主権在民となった戦後であるが、国は民に奉仕しなければならない。国民の生活が支障なく豊かであるためには法の改正は必要だ。今回の民法改正案は、成人年齢を20歳から18歳へ引き下げ、女性が結婚できる年齢は現行の16歳から18歳とし、男女とも18歳に統一する。法案成立後3年程度の周知期間を置き、早ければ2021年に施行することになる。

    が、問題もなくはない。成人年齢が引き下げられた場合、社会経験の乏しい18歳、19歳の若者に消費者被害が広がる懸念が指摘されている。現在は親の同意のない20歳未満の契約は後から取り消すことができることになっている。これら被害の防止策などをしっかりと議論し検討する必要がある。また、家庭の子育てにおいても早期から自己責任を植えつける必要がある。

    豆腐から社会問題に話が進展したが、豆腐の買いたたきも社会問題である。1960年には約5万1500件あった豆腐事業所は、2015年には約7500件のまで減少。豆腐・油揚製造業の売上総利益も1999年には約2180億円だったが、2012年には約1500億円と市場が縮小している。製造業者の利益が極度に減少した理由の一つは、原材料である大豆の高騰があげられる。

    20年前は、安い豆腐を作るための大豆は一俵2000円だったのが、今は5000円になっているという。豆腐の価格も2倍になってもおかしくないはずが、なぜかそのままにされている。もう一つが大手スーパーによる買いたたき。豆腐、納豆、こんにゃくなどの日持ちのしない商品を『日配食品』というが、これらは恒常的にスーパーから「安くしろ」と言われ続けている。

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    そのせいもあって製造会社はバタバタと潰れていっているが、1927年創業の豆腐製造業者、「株式会社いづみや」の青山隆社長は、「スーパーで100円で売られている商品は、かつては82円で納入していたが、現在は60円以下で、我々の手取りは30円以下」と嘆く。いづみやはかつて、1日15万丁を作ることができる工場を持ち、大手スーパーなど約100社と取引をしていた。

    が、約10年前にスーパーとの取引をすべて停止し、現在は直売所など、地元客向けに販売を行っているという。おそらくスーパーの値引き要請攻勢に頭にきたのだろう。「『日配食品』ということで足元見やがって、ザケんじゃねー!」と、青山社長の、「あきらめ根性」のなさが、権力にひれ伏さなかったと解する。ある流通コンサルは、「豆腐の適正価格は、一丁200円」という。

    知らなかったが、今や一丁20円台もあるというし、言われてイオンを除いてみると50円台も売っていた。豆腐は毎日食べるが自分は今のところ、男前豆腐店謹製の、「特濃ケンちゃん」一点に決めているので、他の商品に触手が動かない。はじめて見つけたときは、面白いパッケージだなという印象で、食べて以降すっかりリピーターになる。それにしても男前豆腐とは?

    激減する豆腐製造業者にあって、活気あるメーカーの代表が男前豆腐店だという。社長の伊藤信吾氏は二代目だが、父親が経営していた豆腐メーカー三和豆友食品(現三和豆水庵)在籍時に、「男前豆腐」、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」といった、今までにない斬新な名称とマーケティング手法で独立起業した。豆腐の古い概念を打ち砕いた伊藤氏のセンスというしかない。

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    名前だけで売れるほど消費者もバカではないから、味も良いということになるが、豆腐嫌いの自分を好きにさせてくれた豆腐として印象深い。豆腐製造業者は、現在も家族従事者を主体とする小規模事業者が圧倒的多数を占めているが、個人営業豆腐製造業者が減りつつある中で、豆腐文化そのものの存続も危惧されつつも、中規模以上の元気な豆腐メーカーが存在する。


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