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乙武不倫謝罪は「よそ行き言葉」

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「よそ行き言葉」とは何か?確たる定義はないが、「よそ行き」用の洋服があるように、よそ行き言葉もあるのだろう。乙武氏が不倫を暴かれた。驚く人もいるだろうが、驚かぬ人もいる。自分は後者である。警察官が泥棒をし、教師が淫行をし、弁護士が脱法をし、医師が人の命を縮めるように、職業に殉じて生きる人も、職業と人格を分離するする人も同じ人間だ。

強い自制心を必要とする職種もあり、タイガーウッズが不倫をするのとゴルフという職業には何の関係もないが、日本人的には「味噌も糞も一緒」なのだろう。色々と浮いた話も、それ以外にも問題の多いNBAバスケット選手は彼を囲むマスコミの前でこう言った。「本当のオレを知りたい、見たいというなら、コートに来てくれ」。名言というよりそのまんま。

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乙武氏は障害者である。けれどもそれは五体が不満足なだけであって、精神は健常者と何ら変わらない。よって健常者の不倫も障害者の不倫も質的、罰的には同等である。彼の現在の肩書きは文筆業だが、元東京都教育委員、元教職員という履歴はある。それを取り上げて問題視する人もいるだろうが、人の口に戸板は建てられない。どんなことでも言いたい人はいる。

乙武氏自身も奥歯に物がはさまった言い方を好まぬタイプで、屈託のない個性に嫌悪する人もいる。彼を嫌う人は障害者だからというより、むしろ彼の人格からではないだろうか?今どき、障害者を異端視するようでは、人間のキャパが小さ過ぎだ。著書『五体不満足』にある「障害は不便です。しかし、不幸ではありません」と言い切るメッセージは新鮮であった。

『五体不満足』は一般書籍の部数記録としては日本第3位の記録を持っている(2010年現在。出版科学研究所調べ)。相当に読まれた本のようだが、読まれた理由はそれぞれあるにしても、手足のない彼がどう生き、どう克服したかに興味があったのだろう。自分は興味がないので読んでいない。生まれつき手足の障害は、先天的盲人同様、さほど不便でないらしい。

それが当たり前だからであろうが、乙武氏は「不便」と述べている。当たり前に不便であったのだろう。確かに彼は排尿のとき、自分でズボンのジッパーを開けられない。代わりにチャックで玉を挟むこともなかろう。肉(というより皮)がはさまったアレは確かに痛い。教員時代に児童にチャックを開けさせていたことを問題にする人もいたが、男の子なら問題はなかろう。

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女子にさせたわけではあるまいに。大小はともかく、彼には排尿の器官もあり、男にとってそれは生殖器官と同一である。よって、彼には3人の子どもがいる。どうやって作ったかなどをネットで興味本位に聞くバカがいるが、それくらい自分で考えられないのか?昔、皇太子殿下と美智子妃に子が授かったとき、「どうやって作ったんだ?」など大人の声は耳にした。

あって当たり前だ。銀幕の美人女優はウンコもしないのでは?の幻想があったように、ならば美智子妃のSEXなど、想像を超えるもの。しかし、浩宮(現皇太子)という結果がある以上、必ず原因があり、それが当時の皇太子と美智子妃である。下世話な話題ほど花が咲くもの、他人の悪口をいうではない下ネタは罪がない。話しが下に落ちるのは引力のせいであろう。

原節子や吉永小百合がウンコをしないのと、乙武氏がウンコをするのか?は別次元の話題だが、本人に聞くのでなければ、女優さんや乙武氏を蔑むことにはなるまい。女優のケツノ穴は当然にしてあるが、行為とイメージが重ならないという偶像化である。乙武氏の場合は、あの姿からしてどこに何がある?あるべきものはどういう状態である?と言うのは自然な思いである。

人を交えてさまざま想像を交えるのは、それも巷談義であろう。「そういう事は言っちゃダメ」という人間もいるが、想像力そのものには罪も悪もない。初めて乙武氏を見たとき、「これでも人間は生きられるんだ」と、その生命力に驚いた。手指は作業、足は歩行がメインで、その他五臓六腑は同じに有しているわけで、それがあれば、何ら命に別状はない。

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乙武氏の表層部分はともかく、彼が不倫をしていたことで、直接的な被害は妻であろう。子どももそういった状況は間接的に耳に入るが、世の中見渡せば父の浮気に目を閉じている子息は腐るほど存在する。その事が人格形成にどう影響するかは、悪いことばかりではない。親が浮気性ゆえに、絶対に一途でありたいと、そういう価値観になった幼馴染を二人知っている。

大酒飲み、あるいはギャンブル狂の父親を反面教師にした例も多い。「災い転じて福と為す」という事もありし、とかくこの世は何が良いかは決められない。子どもに勉強ばかりをさせ、成績に一喜一憂する親が、そのこと自体は子の幸福を信じてのことであろうが、それで子どもに葬られた親も少なくない。「窮鼠猫を噛む」ではないが、ストレスを与え続けた結果である。

乙武氏の不倫発覚後の声明文というのか、コメントというのか、ありきたりのもので、借りてきた言葉の羅列、よそ行き言葉である。NBAの選手のあの手のコメントなら感動もするが、こういう場合に日本人はお利口さんになるのが多い。意外だったのは、今まで表に出さなかった妻を出してきたこと。これには歪な感じを抱いた。妻は何をおいても乙武の介添え者なのか…

「このたびは私の不徳の致すところにより、多くの方にご迷惑、ご心配をおかけして、たいへん申し訳ございません」。「報道された私の行いは、これまで支えてきてくれた妻と、私を慕ってくださっている方々を裏切る行為であり、決して許されるものではありません」。と、絵に描いた餅宜しく生きた言葉に感じられない。「本当のオレをコートに観に来いよ!」が断然いい。

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多少のイジワルも兼ねて、上記の発言に潜むホンネを暴いてみる。「このたびは私の不徳の致すところにより…」というが、バレたから不徳と言ってるだけだろ?つまり、バレなければ継続をし、もちろん不徳でも何でもないということだ。「多くの方にご迷惑、ご心配をおかけして…」って、多くの誰に迷惑かけたんだ?心配したって誰が?これは乙武ファンに対してか?

ファンを裏切ったなら、「迷惑」や「心配」より、「自分を偽り、いい子ぶってました」の方が正直である。迷惑の筆頭は妻子で、それは文字にするより、直接言えば済むこと。実際問題、「嫁に謝りました」。「土下座しました」。と明かした芸能人は多い。こういう言葉でファンに許しを乞うより、「インチキな自分、偽りの自分を演じてました。すみません」なら謝罪である。

「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております」。と、オフィシャルサイトに手際宜しく、妻のコメントを載せている。穿った見方をすれば、今回の不倫問題において、夫婦間に軋轢や問題がないことをアピールし、今後の仕事のダメージを考えた保身と勘ぐる。誰も言わないから言うが、異例と言える妻のコメントは乙武氏ならではだ。

もし健常者であったなら、同じように妻は謝罪したのか?彼が障害者であることで、妻の手厚い介添えがなければ、彼はさらに不自由な日常生活を強いられていたはずだし、妻が乙武氏に手を差し伸べ、世話をすることで普通の夫以上の愛情が芽生えた可能性もある。それをいいことに(といわざるを得ない)、乙武という人間の思い上がった人間性を見ることになった。

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糟糠の妻を裏切った男のイメージはサイテー野郎。裏の本性を暴かれた彼は、今後は世間や家族を偽った乙武でしかなく、今後はもう善人キャラはダメだな。にしても乙武という人間が、そこらにいる障害者という役得者同様、甘えたズルい男だったのは残念である。「障害者に親切に、愛の手を!」と、我々が初等教育段階から叩き込まれる障害者への配慮である。

五人もの不倫相手がいたと言う乙武氏は自己に甘え、妻に甘え、子どもに迷惑をかけた。我々はいい、乙武ファンもいい、そういう事実が分かったと言うだけで、何の迷惑も被ってはいない。身障者にもズルくて汚いのがいるのを知っているが、彼もそうであったのかは、重ね重ね残念である。ベッキーはイメージの下落で職を失ったが、乙武氏とて作られた自己イメージである。

彼はクリーンイメージばかりでなく、身障者の身で卑屈にならず、強く生きる姿勢を見せてくれた。そのためには妻の尽力もあったろう。が、これでは障害者の甘えがあったと言わざるを得ない。妻は彼の悪行・裏切りを許したわけだが、あまりに分不相応であり過ぎた。『五体不満足』に感動した人は昔で、あの頃から比べて、驕り・昂ぶりもあったろう、彼も人間だ。

妻を利用して事態の収束を図るなどは、身障者という立場のなせる技。「夫として、父として、もう一度、あなたを家族として迎え入れたい」。こういう言葉を美談にするつもりが宛てが外れた。妻の言葉に感動した人間もいようが、乙武の手となり、足となった妻なら、怒るときは怒った方が甘ったれた本人のためだし、障害者といえども野放図ならヤキを入れるべし。

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乙武氏がバカなのは、不倫が露呈したからではない。やったことが、である。発覚して妻に謝罪は当然で、分からなければ、「上手いことやれている!」となる。して、露呈した途端「不徳」などの言葉を用意する。妻に謝罪までさせて保身に利用する。彼のこういう人格がどう培われたかを想像するに、身障者という役得は、やはり彼を甘えた人間にさせてしまったのか。

不倫は悪いと思ってするものというが、悪いことだから刺激であり、ドラッグのようなもの。糟糠の妻を持つ彼は相当歪んだ心を伺わせる。まあ、最低ランクの人間だ。健常者よりも当然のことクローズアップされる。「不徳」などのよそ行き言葉は止め、「バカでした。妻に甘え、障害に甘えていました。他人の善意が自分を斯くも愚かな人間にしてしまった」くらいは浮かばないか?

若い柔肌を忘れ、新車の魅力に溺れぬこと。信頼回復の言葉も無用。斯くの如き人間に信用も信頼もあるまい。世間が乙武を糞男と見たわけだし、もはや偽善は無用。彼は『五体不満足』だが、一部に大満足を求めるモノがあった。あちこちでの酷使は止めることだ。障害者の夫を持つ妻の我慢や怒りの程は分らぬが、次は役得を許さぬこと。「二度ある事は三度」ある。

新婚早々から浮気の虫治まらぬ中村獅童を袖にした竹内結子、同じ理由で陣内智則を捨てた藤原紀香、彼女らの選択は二度と同じ目に会いたくないとの強烈な思いからだろう。花から花へと渡り歩く蝶男なら、そして妻が若いうちでさえ節操がないというなら、男に比べて劣化の早い女の自己保身とも言える。だらしない歩く陰茎男に、「許し」の効用はない。

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離婚は結婚の破滅なのか?①

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こんにち結婚は自由意思によってなされ、憲法第24条においても、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と規定されている。"両性の合意のみ"なら、同性婚は憲法違反?と思われがちだが、憲法制定時に同性婚を禁止する意図などあるはずもない。現存の日本国憲法は、GHQによる英文憲法草案の訳であり、GHQ側にも同性婚など考えも及ばなかった事。

Marriage shall rest upon the indisputable legal and social equality of both sexes, founded upon mutual consent instead of parental coercion, and maintained through cooperation instead of male domination.  (婚姻は、両性の法的・社会的平等にもとづいてなされるものとする。そして親による強制ではなく2人の合意に、男性による女性支配ではなく2人の協力に基礎を置く)

草案の要点は、明治憲法下における家父長制的な「家」制度による、当事者の意思を無視の不平等な婚姻制度を改めることが目的で、"parental coercion"(親による婚姻の強制)、"male domination"(男性による女性支配)を是正するための文言が置かれた。あくまで、家族関係形成の自由・男女平等の理念を定めたもので、同性婚は憲法違反にならない。

ボブ・ディランの『時代は変わる』と歌った。人々を取り巻く環境が変われば意識も変わり、行動が変われば自ずと時代は変わるが、変わるスピードは速くなっている。かつて時代の変化は、それほど速いものではなかった。江戸時代は260年以上も同じ政治システムのまま推移した。鎖国をしていたことで、対外的なことや周辺国からの侵略を考える必要もなかった。


時代の変化であれこれ思うことは多いが、近年、離婚の多さは特筆ものだ。離婚は決してイイことではない反面、絶対によくないとも言い切れないし、離婚した方がいいケースもある。民法は、婚姻の成立に法律上の手続を要求する「法律婚主義」を採用している(同739条)。実質的要件として当事者の婚姻意思の合致、及び婚姻障害事由の不存在が必要とされる。

また、形式的要件として戸籍法に基づく届出が必要とされる。この2つの要件が婚姻に必要だが、婚姻意思の合致という実質要件とは、親の決めた相手と強制的に結婚はできないのは、上記のように憲法の規定にある。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」に続いて、「夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。

婚姻が法で定められている以上、離婚も法に従うことになる。つまり、法律に定める離婚原因にあたることが必要となる。これは裁判離婚においてであり、協議離婚の場合は夫婦で話し合って離婚を合意すればよく、離婚原因に何ら制限はない。いかに法といえど、嫌がる同士の婚姻継続を強いるのはバカげている。互いが合意し、離婚届を出せばその日から他人である。

この場合の他人とは、「肉親⇔他人」という意味の他人であり、「自分⇔他人」という事ではない。「子どもは他人」と言ったら、「そんなことはないでしょう?」などといわれたが、自分以外は誰であろうが他人である。自分が作ったお人形なら、どんな服を着せようと、髪型にしようと自由だが、自分が作った子どもだからと、親が自由にするのは間違っている。

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人間が作った機械(コンピュータ、ロボット)が、人間が住みやすく環境を制御するはずが、造反して人間を殺そうとする怖い映画が、『2001年宇宙の旅』である。長期の宇宙旅行のために人工冬眠を初めとする宇宙船内の環境制御は、コンピュータなくして不可能だが、それが造反するというのは、まさに機械が意思をもったことにある。機械が意思を持つのは人間の願望だった。

数年前にある人工知能の研究者はこのようにいっていた。「人工知能の研究を重ねて分かったことは、コンピュータに心(感情・意思)は絶対にもたせられない。いかに秀逸なプログラミングであれ、感情が主体的に育まれることはない」。自分はこの言葉を聞き、自分の設計どおりに子どもを動かそうとする親の場合、その子の意思(主体性)は希薄となるという懸念をもった。

人間の心は、コミュニケーションによって育まれるもので、自ら動くことのできないコンピュータは、人のようにコミュニケーションを取ることはできない。機械が機械であるのは心(感情)の無さである。だからか、まるで感情が無い無機質人間は、「機械のような奴」などと言われたりもする。アトムがまさに人の心を育んだのは、コミュニケーションのたまものであろう。

近未来社会を描いた手塚治虫は、ロボットを人間の道具として作り出したが、現代社会において工場で働く産業用ロボットは、手塚の意図を反映するもの。手塚はさらにロボットを進化させ、アトムのような自らの意思で思考し、行動するロボットを作り出した。してクライマックスにおけるアトムの苦悩は、どんなに人間に尽くしても、自分は機械であるという被差別意識であった。

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人間の能力を圧倒するほどの秀逸なコンピュータであれ、同様に産業用ロボットであれ、人間と機械を差別をしない。人間にとって機械は区別の対象に過ぎない。ところがアトムのような心をもったロボットは、差別意識に悩んだ。人間も動物もコミュニケーションをするが、唯一人間だけが言葉を使う。言葉はコミュニケーションを高めるが、言葉はまた人と人を裂く。

結婚した同士が、互いに離婚を考え始め、決断するまでの期間は長い場合が多い。突発的に決断する場合もあるが、それは突発的な理由によるが、皆無とはいわないまでも、昨日のことで今日には離婚を決めたいうなら短慮であろう。上記したように離婚にはそれなりの法的要因がいる。わがままで思慮ない人間もいるわけで、そんなのに振り回されてはたまったものではない。

そういう女は交際中ですぐに「もう別れよう」などと言うが、わがまま娘がそういって親からたしなめられたように、同じ事を彼氏や他人にするのであろう。こういう女に振り回される男もいるが、こういうバカはさっさと切り捨てた方が賢明である。この手の相談をしばしば受けたが、人に相談するということからして、冴えない男である。そこを女に読まれている。

女は男の性格や動向を察知し、把握して自分のわがままや行動に加味するところがあるが、わがままが通用しない、思わせぶりをしても気にもかけてくれないと思ったら、それを止めるか、さっさと甘える男のところに行くだろう。もっとも聡明な女は、他人から学習し、自らを向上させるし、そういう女こそ価値がある。親に通用したわがままが他人に通じるなど、とんでもない。

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離婚した女性は、こぞって結婚に失敗したという。その言葉を多く聞いた。中には「私がわがままだった」、「何もわからない子どもだった」という言葉もあった。どちらも思いであるが、後者は自己を客観的に捉える点で大人である。昔は結婚が失敗だの、家庭が破滅しただの、女性にそんな言葉はなかった。従順であるというただ一つの美徳が、唯一の売り物だったからだ。

したがって、離婚して実家に戻った女性を、「辛抱できない女」、「ダメな女」と非難した。「出戻り女」と蔑まれ、近所付き合いも阻まれ、親は親でダメ娘を育てたダメ親と烙印を押された。周囲のすべてが離婚女性を、その家族を、白い目で見る時代。日本人女性の結婚観は、日本人社会から規定されるのであろう。歌は世につれではないが、結婚も時代で変貌する。

あるアメリカ人女性がこのようにいってる。「結婚は元来、経済的の取り決めで、保険の契約ごときものです。生命保険の契約と違うのは、結婚がいっそう結合的なものであり、正確だということです」。こういう考えも契約社会といわれるアメリカ人の社会観が反映されている。かつて女性は結婚相手を、「いかによく自分を保護してもらえるか」という受け身志向であった。

今の時代にそれはない。中にはそういう性格の女性もいるが、時代は女性を主体性化した。言葉を変えれば強くした。その分、男が弱くなったのは仕方ない。元来品質的に弱い男は、女が弱い時代にあってこそ自らを強くしていた。そこには虚勢も反映された。女房、子どもを庇護するためなら男は懸命に働くが、女が働けば男は髪結い亭主が如くやる気が失せる。

イメージ 5ライオンの雄なら役目もあろうが、ヒモは、男の本質的な性分かも知れない。ニート、ひきこもり、乞食、ホームレスに男が多いのを見ても分かるように、男には身を売る覚悟もなければ、逆境に対する強さもないヘタレ。自殺者の多くも男である。中年クライシスといえばまさに象徴的な男の自殺である。情けないね~、しっかりしろと言いたい。結婚観も変わり、同時に離婚観も変わった。

社会を見つめると様々な変化に気づくし、そういった変化に気づかないと、先の展望も読めない。顕著な例として、「一生懸命勉強して良い大学をでて、良い会社に入れば一生安泰」とした、戦後日本の幸福方定式は、多くの企業が年功序列や終身雇用を維持できなくなったこんにちでは、ほんの一部のエリートだけにしか残されていないライフスタイルになっている。

大卒とはいえ会社の業績低落でリストラされたり、恒久的な非正規就労者として生涯を終える。学歴偏重は翳み、超エリート以外の学歴など屁のツッパリにもならない。なのに、以前のままの方定式に固執する親は、本当に子どもの幸せを願った上のことなのか?あるいは、ほんの一握りの超エリートの座を我が子に託してケツをひっぱたいているのか?

「身の程」という言葉がある。「身の程」を知るにはどうすればいい?子どもの「身の程」の前に、親自身の「身の程」を知ろうとしないのが問題。「トンビが鷹を産む」確率は低いが、自己イメージの高い母親を持った子どもは、レールからこぼれ落ちた場合、子ども時代の想い出といったかけがえなき財産を失うことになる。して、こういう親を持った子どもは不幸である。

まさか…、朝霞の少女

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埼玉県朝霞市で2年前の3月に行方不明になった15歳少女が27日、都内で保護された。正直驚いた。よかったよかった、といううれしさ、喜びに襲われる前に、「呆然」とでもいうような驚きだった。彼女が無事に生きていたという喜びにもました驚きである。この事件を知る多くの人も同じ気持ちであろうし、親族・家族の喜びは、それはもう言葉や文字には尽くせない。

だから、世間は(自分も含めた)彼女と彼女の親族・家族の喜び、感激に秘かに共感してあげればいいし、いかなる言葉を持ち出すよりも、そのようにそっと、見守ってあげたい。「謎の多い事件」だとの指摘も多い。あれこれ自分も考えてみたが、すべては想像の域だ。死後の世界のように、絶対に知ることのできないことについて、人間は想像するしか能がない。


が、それを能がないといっていいものか?自分は、「能がある」と規定する。確かに死後の世界も神の存在も謎である。が、今回の事件で思ったことは、「謎」というのは分かってしまえば何でもない事だったりする。言い換えれば、分らないから「謎」である。「事実は小説より奇なり」という言葉があるように、人間は人智に及ばぬことをその様に形容して納得させた。

たしかにそういう面はある。どれほどの想像をめぐらして書く小説といえども、人智を超えるものではない。いとも容易く人間の想像力の範疇で書かれるわけだが、分らない事象や事件が分らない段階で、「何とも不思議…」、「とうてい理解に及ばない謎の事件」となるのは、分らないことを正確に知る手段がないからである。想像は能力といったが、真実には及ばない。

蓋を開けてみれば強制誘拐(少女の供述)であったことの驚き。彼女の意思はまったく反映されていないならば、犯人は働きもせず四六時中見張っておらねばならず、そんなことが可能なのか?無職で2年間食っていける蓄えがあったのか、などなど疑問は尽きない。逃げる意思があるなら、手錠をされていないのだし、すぐにどこかの家に飛び込めばいいはず…

そういう知恵は誰かに伝授しなくても湧くはずと思うが、できない少女もいるということだ。いろいろ「なぜ」は尽きないが、今回の事件に限らずこの世に起こる不可思議な事象も事件も、分かった暁には何にも不思議でなくなる。それほどに事実は真正であり、具体的である。事実を超える事実はどこにも存在しないし、いかに不可思議といえ、起こったことが事実なのだ。

イメージ 5それらの事を考えるだけで人間は然したる能力もない矮小な存在に思える。道端の桜が咲き始める時節だが、同時に子どもの頃に不思議だったミノムシの羽化の頃でもある。ミノムシは確かに不思議な生体であり、子どもにとってあれほど不思議なものはなかった。せっかくミノで被っているのに、ムシって中を見ないわけには行かなかった。破壊したミノムシは10や20ではない。

住居を壊して良いわけではあるまいし、ミノムシには迷惑甚だしき行為であろうが、人間の好奇の犠牲にされてしまう気の毒なミノムシ氏である。住居破壊というなら、カイコさんだって同じ事。養蚕といえば産業であり、産業は人間の生活に役立つものだが、そのために無害な動物や自然の破壊がなされてしまう。自然と人為は対立するものだが、同時に共存すべきものである。

数日前に桜の木の枝にミノムシを見つけた。子どもの頃に思ったと同じように、「上手くカムフラージュしてるな」という感想だった。子どもの頃は何も探さなくてもイッパイいたし、イッパイ彼らの住居を破壊して楽しんだ。小学校の遠足の時に、小枝のミノムシをもぎ取り、いつものように家屋を破壊していると、「かわいそうだからやめて!」と言った女子がいた。

その時どう思ったかの記憶はないが、何につけて女のいいそうな言葉に驚くことはなかった。いろんなことで女子からそのように言われたことは多い。子どもだからむかついたりはしないが、女子に「かわいそう…」と言われて止めるようでは、悪ガキという栄誉ある称号は名ばかりとなる。「うるさい!」と無視するが、なぜに女子はそんなことしか思わないのだろう。男の子の疑問である。

と、同時に女の子の疑問でもあろう。「何で男子はそんなことするの?何がおもしろいの?かわいそうじゃない!」と、この性の違いは何なのだろう。当時は思わなかったが、今に思う謎である。ゴキブリの足を取ったら柿の種、という歌があるが、昆虫お手足を取って乙武状態(悪気はない比喩)にするのは、子どもの遊びだった。なぜ、その様なことが面白いのか?

今はやろうとも思わないし、面白くも何ともない。ならば、同じ年齢の女子が「そんなことして何がおもしろいの?」というのは、今に思えば随分大人の発言ではないか?少年が大人になって判ることを子ども時分に判っていたんか、女子はオトナやね~。そんな風に思う昨今だ。「かわいそう」という女子だけでない。強い性格の子は「やめなさいよ!」と本気で怒る。

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その後には必ず、「何でそういう事するの?」という。「何で」という言葉は問いであるが、そんな問いに答えた記憶はない。「うるせー、だまれ!」を返すだけだ。母親は子どもに「やめなさいよ」を常套句の如く言うが、少女にしてその気質を見せているのが女である。それにして女性はなぜ「何で」をいうのだろうか?何が気にいらなくて、そういう疑問を抱くのか?

ミノムシの家屋破壊をなぜに「何で!」と言うのだろう。行為自体は見れば分かる事だが、行為の本質を知りたいがための「何で?」というより、「許せない」というアピール言葉ではないかと。女性が怒るときの「何で」は「何で?」という疑問にあらず、「何で!」である。もっともミノムシの家屋破壊の理由を問われて、答えられる理由などあるはずもない。

「みりゃ~分かるだろうが!」と子どもはいいそうだ。「何で?」の疑問の答えには成ってはないが、「何で!」の怒りの言葉には答えとして有効だ。女の「何で」は問いではないと男は理解すべきであろう。「何でっていわれても…」と真面目くさった答えを模索する男もいるが無用にされたし。疑問ではないのだから。一種の圧力言葉と考えて、買い言葉を放ったほうがいい。

実例を出そう。缶ビールを飲み干した夫が、テーブルやコタツの上にカンを置いたままにする。そのままであったり、ご丁寧にグシャとつぶしてあったりするが、そこで口うるさい妻が、「何でカンを置きっぱなしにしてるの?」と言ってくる。まさかそういわれて、「何でって、夫の飲んだ缶ビールの空き缶を捨てるのはお前の仕事だろ?それくらい分らないのか?」

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などと言おうものなら、みるみる顔色が変わるだろう。「ざけんじゃねー、てめーが捨てるんだろか、甘ったれるんじゃねーぞ、このボケかす!」などの勇ましい女性もいるだろうが、清楚でおとなしい女性であえ、そんな言葉は禁句である。男はそういうもの、夫はそういうものと思っている妻なら腹を立てることもないが、今どきそんな殊勝な女は少ないかも知れん。

理由の一つに、亭主関白の家庭が少なくなった事が想像できる。亭主関白の家庭に育つことで、「男(夫)はそういうもの」、「女(妻)はそうあるべきもの」を学習し、意識に内在する女性もいるだろうが、反対に「何で男ってああなの?お母さんが可哀想!」という気持ちを増幅させる女性もいる。同じ環境ながら、感じ方の違いは資質であろう。ここでも「何で」である。

「自分で飲んだ缶ビールの缶くらい自分で処理してよ!」に対し、「そんなに言うなら、自分で食った食事の皿は自分で洗うのか?ここは軍隊か?」というのも多少は理に敵ってはいるが暴言である。対等な男女が生活する上でお互いに「絶対禁句集」、「夫婦暴言集」くらいは持ち合わせておくべきだ。優しさというより、自分以外の他者に対する節度である。

確かに夫婦がいちいち自分の食った食器類を洗うのは合理的でないし、一人がついでに全部洗うほうがむしろ手間も省ける。それなのに、なぜ缶ビールの缶の処理をしない夫にむかつくのだろうか?これはむかつく女性に聞くよりないが、然したる理由もないように思う。理由はないが感覚的に腹が立つというのも女らしいところである。「生理的にダメ」という女性用語かと。

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人間は感情の動物ゆえに、売り言葉に買い言葉を返したくもなる。「これ、私が片づけるの?」といつもいい続けると、男は同情するようになり、そんな言葉を言わせないでおこうとなる。そのようにできればいいが、明晰で知略な女性でない限りはそうも行かない。心理学的にいうと、「言われたくない言葉」と「言わせたくない言葉」の差と言っておこう。

「言われたくない」、「言われるのが嫌だから、言われないようにしよう」という男は賢い男である(学習能力があるという点で…)。けれども、世の男はそうばかりではない。賢くとも意地やプライドが邪心となる男もいる。「言わせたくない」男はやさしい男である。相手の気持ちを自分に置き換えて考えることができるからだ。人の能力と言う点でも後者が勝る。

「言われたくないからやる」、「言わせたくないからやる」は、どちらも主体性行動だが、後者の方が思いやり感に溢れている。前者は自尊心が傷つけられたくない上での行動だ。言葉を補足してみればよく分かる。「お前に言われたくないからやる」と、「お前にいわせたくないからやる」では、大違いである。こういう妻の頭脳プレイは子どもへの母としていろいろに生かせる。

頭のいい人間と言うのは、自分の感情や思うままに生きているのではなく、様々なことを考えながら策略をめぐらすものだ。戦争や交渉などにおいては戦略、卑怯な策略は謀略というが、謀(はかりごと)も戦略のいったんだ。思考から生み出されるそれら「知略」は、無思考、無略よりも勝るであろう。が、「策士、策に溺れる」というように、自我自讃の顛末である。

イメージ 1のそういえばミノムシは絶滅危惧種であるという。ミノに身を隠すなど誰からも教わらないのに(教えるものもいないわけで)、あのようなことをするミノムシはどんだけ賢いか?雨風を凌ぐため、敵から身を守るためとはいえ、また本能習性とはいえ、ミノムシは本当にすごい。そんなミノムシくんの家を壊したことを、ここに詫びさせていただく。養蚕業者も心で詫びなさいよ。

朝霞の少女は、監禁されていた男の家をやっと出られることになった。2年ぶりに両親の待つ我が家に戻ることとなった。失ったものの大きさ、多さを考えると同情は余儀もないが、命を亡くしたことに比べると幸いである。人生は30000日である。それからすれば800日のロスは、如何様にも取り戻せる。いろいろクリアすべきことはあるが、何はさておき、これからの人生を楽しんで欲しい。

まさか…、千葉大卒生

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朝霞中学生失踪事件は家出を装った「略取」であった。法律用語で「略取」とは、暴行、脅迫その他強制的手段を用いて、相手方を、その意思に反して従前の生活環境から離脱させ、自己又は第三者の支配下に置くことをいう。刑法225条の「営利目的等略取及び誘拐罪」には、営利、わいせつ、結婚又は生命若しくは身体に対する加害の目的があることが要件とある。

したがって、わいせつ目的で女性を誘拐し、更に営利目的で別の場所に誘拐したときは、225条の包括的一罪(罪数のことで、成立する犯罪が一個)であるが、今回は営利目的ではなく、225条の単純一罪(構成要件に該当する犯罪事実が1回だけ発生すること)となる。営利でないなら、わいせつ目的で争われることになるが、法定刑は1年以上10年以下の懲役と幅がある。

刑法225条において、公訴が提起される前に略取され又は誘拐された者を安全な場所に解放したときは、その刑を減軽する(同228条の2第1項)とあり、「安全な場所」とは、被拐取者がその近親者及び警察当局などによつて、安全に救出されると認められる場所をいい、その場合の安全とは、被拐取者が救出されるまでの間に具体的かつ実質的な危険にさらされるおそれのないことを意味する。

今回は被拐取者の自力脱出で解放にはあたらない。こういう事件があった場合に、必然的に容疑者の親の問題がクローズアップされるが、嘘か真か寺内樺風容疑者の父親は会社経営者で、それも防犯グッズの販売であるという。少女の親のショックもさることながら、寺内容疑者の両親もショックであったろう。大学卒業し、就職もきまり、順調に行くはずだった息子が犯罪者…

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未成年の少女を誘拐して監禁し、少女の「心に傷を負わせた」ことの罪は大きく、2年間という「時間」は、被拐取者の少女には励ましの言葉を投げかけるも、奪った側には強くその責を断罪させるべきである。最高10年の法定刑だが、いかなる事件においても罪と罰の量定は不完全であり、難しい問題でもある。奪われた貴重な2年と獄舎10年が等価であるということだ。

千葉大学生がエリートであるにしろ、ないにしろ、やったことは学業成績には何の関係もないバカの行為で、こういう事件に遭遇するまでもなく、勉強ができれば賢いというのは人間の人格判断に適切でない。学業エリートは、一般的にこういうバカげたことはしないものだが、長崎・佐世保の高3女子殺害や名大生事件など、時として学業成績との矛盾はある。

稀有な例とすべき事象であるが、「バカ」とは起こしたことで判断するしかない。なのに、中卒や高校中退というだけで世間からバカ呼ばわりするのは、自分は一般人的という傲慢であろう。自分自身に対する尺度の認識の甘さもありながら、寄って、集って、つるんで、他者を肴にする娯楽が、現在のネット社会の特質だ。自分を知られないから、何でもいえるという強み。

ノンフィクション作家の吉岡忍は、『自分以外はバカの時代』という小論を新聞に寄稿したのは、2003年である。その2カ月後には雑誌「AERA」に、"自分以外はバカと見なして行動するさまざまな現代人"が描かれたりした。一例として、飛行機の機内における客室乗務員への暴言・暴力などの「迷惑行為」は4年間(2000~2003年)で五倍に急増しているという。

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また、成果主義を取り入れた会社などでは、成果の良いをいいことに、同僚や上司までもバカにする社員が激増したという。自己の本質的な評価をよそに、他人の評価だけで自己を驕り昂ぶるのを盲目的バカといわざるを得ない。同僚の頑張りを認め、称えることは決して自己の評価が下がることではないが、競争社会の激化はこういう人間を生んだのではないか。

他者の評価だけが自己の支えの土台というのは、本来的な自信ではないし、よって他人を称えない人間には自信の無さをみる。自分に自信があればこそ、素直に他人を称えられるハズだ。人を批判しないと自分を守れない、人間の弱さは偏差値や学歴至上主義がもたらした悪害である。以心伝心ではないが、親が悪口好きの家庭は、間違いなく悪口好きの子どもになる。

その子が利口で聡明である場合に限り、親の他人への悪口に嫌悪感を抱き反面教師にする。近年は若者の社会的迷惑行為が指摘されるが、これは社会規範に無知である事を現している。無知というのは社会規範を知らないではなく、社会規範を重視するか軽視するかの違いであろう。社会規範を子に強く植えつけるのは親の役目で、父親は社会の目を子どもに伝授する。

若者の関心は自分のことだけになりがちだが、父親が大きな視点で行動したり、会話をしたり、そういう姿勢は子どもに伝わるものだ。母親は属に視野が狭く、自分と周囲の人間関係以外に関心はないとあっても、子どもと一緒に父親のグローバルな会話を聞くだけでいい。「そんな事は私たちの生活に何の関係もないでしょう?」などと、決して制止はしないことだ。

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社会的迷惑の根底には、自分には直接関係のない人間を軽視するという心性の表れであり、彼らにとって他人と言うのは、物体と同じものになる。社会学者は、社会的迷惑行為が増大する理由のひとつとして、共同体社会の崩壊と、生活空間の拡大をあげている。子どもとは社会問題や国際問題などの話も交えて生活空間を共有し、運命共同体としての家族崩壊を起こさぬ事。

少女略取の寺内容疑者に、なにより欠落していたものは、他人への迷惑であろう。このようなことをすると、当の少女はもちろん、少女の両親や親族、少女の友人、さらには日本の国民にさえ迷惑をかけるし、不安にさせる。少女の両親が捜索を込めたビラを配ることも知っていたはずだが、そういうことさえも他人事のように眺めている。彼の目に他人はただの風景である。

子どもの頃にミノムシをいくつか家に持ち帰り、春を待たずして脱皮してミノ蛾として部屋を羽ばたいていた。蝶もカマキリも部屋の暖かさを春と勘違いしてそのようになる。寺内容疑者は、少女をミノムシよろしく自分の部屋にもち帰り、昆虫の生態でも眺めるように異性に生態に触れたかったのであろう。普通なら芽生えて自然の情の有無は分らないが、それはもういい。

つまらぬ風評や噂を背負って少女は生きていくべきではないし、それが周囲の者の配慮であろう。寺内が監禁少女をどのように介助したかは判らないし、興味がないといえば嘘になる。何を食べさせ、何を着せ、女の子には特殊な事情もあるし、23歳の女性無知(と察する)オタク男が、まさに子どもを育てるに似た日常を、どのようにこなせるものか、想像もつかない。

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寺内容疑者に興味を持つことは被拐取者への興味につながることでもあるし、少女の帰還を評価し、喜ばしいその一心にあっては自制が働くのだ。これほどの被害にあったとはいえ、少女が無事に家族の元に還ったという、その事に勝る以上のものはない。もし、もしも少女の父親であったなら、このことをどのように受け止め、どのように彼女への愛を親として示すか。

その事は考えてみる必要がある。彼女の母校の校長は卒業証書を用意し、今後の学業における全面的なフォローを述べていた。小1で禍に巻き込まれて涙をのんだ子どもの6年後に卒業証書が授与されたケースは、それもまた涙ものであったが、今回の事件の父として決断をすべきは、何が娘のためであるかを、頭を振り絞って思考する立場にある。誰の意見を聞くのでもない。

校長は卒業証書を用意といったが、それは日本人の横並び意識であって、果たして現実的なことなのか?父として誰の意見に従うべきでないといったのは、娘と心を開いて語れるのは唯一両親であり、母と父と意見が違ったとしても、母親の感情もさりながら、脳に汗して真に、"何が娘にとって相応しく、正しいこと"であるかを考えて、決断する立場に父があると思うからだ。

学力の心配とかそんな事はどうでもいい。彼女は中2、中3を経験していないし、その間の学力がなくても問題なく世間を生きて行ける。が、実際問題、彼女が中2、中3時代の学校生活がない、空白のままで年齢だけは15歳になった。つまり中学を卒業する年齢となった。大学で2浪、3浪が珍しくもなく、正しくないなどと言われないなら、2年遅れの中学だって同じだろう。

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浪人が少なき現代の理由の一つに、行きたい学部を偏差値で決めているケースが多い。これを情報を持った予備校が率先して進める。彼らはハッキリ言えば受験ブローカーであり、学生が学歴手段として大学を目指していることを熟知している。だから高偏差値だからと、本人の意思にない医学部を受験させ、「登校から○○大医学部合格!」とビラを貼る。

少女は今現在の学力だと、遊ぶだけの高校に入学しても、授業は大変なのでは?自分としては、2年遅れの中2に進級させたいし、それなら中2時代という学校生活を間違いなく送った、過ごしたという事実は残る。その事を娘に説きたいが、同級生と肩を並べて同じ道を歩みたいのか、有名無実の中2、中3を過ごさず、卒業証書を貰うのか?娘との話し合いしかない。

中2、中3なくして高校に行くのは無理もある。低レベル校に押し込めば学業成績は問題はないが、勉強しなかったでなく、できなかった事情である。再度中2からスタートすれば、望みに叶う高校を目指せる。それが最善の選択種と自分は考える。高校に行かない選択もあるが、行かない選択と中2をやるのでは後者が勝る。なぜなら、高校に行かない選択は行けないからだ。

さまざまな視点を土台に、多角的な思考で、何においても娘と話し合うべきで、その際の父の役割は、娘の希望が最優先といえども、情緒に飲み込まれぬよう、先を見通した思考と判断が大事である。ある選択において、何が良いかが判別できないことは往々にしてあるが、そういう場合は消去法を含めて、理性的・現実的な最善を見つけるために尽力する。

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人間は生きているのが何よりであり、そうした人間の「生」の実在感が、機械的な受験学力などとは比較にならないほど重要と悟ったのではないか?あくまでおそらくであるが、果たして学習塾にやろうなども起きないかも…。人間は生きること、生きてることがすべてと少女の親は実感したろう。事件前と事件後では、子どもに何が重要かが一変したかも知れない。

親は二人いる。こういう場合にも意見の相違はあろう。母親は、「もう一度中2をやらせるなんて、あまりに可哀想」。父親としては、「中2も、中3も経験してないのは、あまりに可哀想」。大事なのは本人の意思だが、父はその理を娘に説得し、母も情緒のみに振り回されず、娘に説得すべきである。それを元に娘が判断すればいいのではないか?

「子育てられ本」の是非

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<15歳少女保護>容疑者祖父「被害者に申し訳ない>  と、こんな見出しがあった。息子の不祥事にダンマリを決める親もいないではないが、一言でいえば責任感のなさであり、それなりの言葉はあってしかりである。今回は父親がキチンと…、いや、よくよくみると父ではなく祖父であった。祖父も親族には違いないが、「ちょっと待った!」である。父はいるんだろう?

父が出てこず祖父が出る理由など、誰が考えても分かること。父は息子の不祥事を少女に、少女の両親に、社会に、詫びることが嫌なのだろう。詫びたい気持ちは山々だが、したくてもできないなどの個人の身勝手な理由など理由にならない。思っているができないというのは、男の論理としては思ってないと同じ事。だからこの親父は詫びたいなど思っていない。

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どうしてこうなるのか?前記事に書いたように、容疑者である息子と同じ、"自分に関係ない他人は他人事"である。これを「親も親なら子も子」というが、それ以外に言いようがない。立派な親から不肖な子が育つことはある。不肖な親から立派な子どもになる場合もある。だから、親は関係ないのでは?そんな論理はどこにもない。後者の人間が強い心を持っていただけだ。

人間は、相対的に弱い生き物であり、猿は人間が育てても猿にしかならないが、人間は狼が育てれば狼になる。つまり、本能習性が弱い典型的な動物と言える。人間が言葉を喋るのは本能ではなく学習である。言葉のない環境に育てば、鳴き声を発するだけであろう。ところが、猿も犬も言葉の環境の中で人間が育てても、言葉を喋ることはない。たまにいる、言葉を喋る犬。

本気でそう思っている人がメデタイのである。メデタイに御幣があるならカワイイ人としておく。そんなことはどうでもいいが、とにかく子どもは親の影響を多分に受ける。自分の親が「親」というものの実体だと思って生きる。自分もそうだった。物心がついて、友人の家などに行き来するようになると、あまりに親切、あまりにやさしい母を見て愕然とした。

これが母親なのか?また、仏頂面で寡黙で人相の悪い父親を見て、なんという怖いお父さんであろうなどと思ったりした。「厳父慈母」というが、自分の母は鬼、父は仏であり、それが世に言う父、母と思っていた。「こんなお母さんだったらいいな」、その事が増幅され、実母はさらに鬼化して行く。朝霞少女略取誘拐犯の寺内樺風容疑者の親について思うところがある。

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まず、樺風(かぶ)という名が目についた。珍しく初めて目にする名である。どういう意図でこの名にしたのか、親がつけたのか祖父母かはわからないが、樺(カバ)とは桜の木の別名と言うのは知っていた。以前友人が家具店にいて、かつて「サクラの木とうたった家具は樺だから…」などと言っていたのを思い出す。サクラの無垢材は高級家具として人気があった。

赤みがかった白色が材の特質で、明るい雰囲気を演出するので、子供部屋などにも使用される。節もなく「木目がお化けみたいで怖い」という子どもにも大丈夫。サクラ材とあればサクラと思うが、樺はサクラではない。なぜに樺をサクラといったのか、理由は日本人の桜好きなのが大きく影響している。樺桜の正体は、広葉樹の女王と称されるマカンバ、欧州のバーチ。

桜に似た柔らかな木目と性質を持つことから、桜の代用として使われたという経緯がある。よって、建築業界や木材業界ではサクラといえば樺桜を指し、本物の桜をしのぐほど人気の木材である。さすがは家具屋の友人である。キチンと調べて納得した。カバの話はこれくらいで、カバを逆しにしたバカ息子の親に言及したい。詫びのコメント一つ出せないでいる父親。

顔を見せろ、テレビに出ろといっているのではない。昔からバカ息子(娘)について、「親の顔が見たい」と言ったものだ。今でもそう思う。自分はかねがね子どもの責任は100%親にあると考えている。感じてもいる。なぜかと言われたこともあるが、それだけ責任感を持って育ててきたからである。他人に委ねた金銭教育は一切行ってこなかったのは自負でもある。

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小学校の夏休み限定で月500円の「こどもテニススクール」に通ったのと習字教室くらいか?習字は先生に頼んで硬筆だけをお願いした。先生的には書は毛筆との思いがあったのは伝わり、「月謝は同じですよ」と言われたのを覚えている。「書」の道よりも、現実的な考えを持っていたからだ。長女は部活でバトミントン、次女はバスケと、特段テニスの影響はなかった。

他人はどうか知らないが、子の責任は100%親という自分に、少女を略取誘拐するなどのバカ息子が輩出される原因は100%親にあると考える。50%だ、80%だ、そんな数字などどうでもいい、親は100%と思っているし、思えばいいと他人にも勧めている。それくらい自己責任感を持って育ててもらいたい。今回、親が顔も出さない、詫びの言葉も発しない。

その事から、子どもに対する親の自己責任感がないというしかない。責任感がないということは、自らが責任を持って育てていないという事になる。さまざまな理由があげられる。仕事、趣味、道楽、友人関係、愛人関係などなど。何が問題かは分らないが、何かがあったことは間違いない。「横着」というのも、「(子育てなど)関心が無い」というのも、立派な理由。

父親は防犯グッズの販売で、息子は影響を受けた可能性もある。日本中を震撼させる事件を息子が起こせば親も体面が悪いだろうが、成人子息の直接的な責任は親にないとの抗弁も結構だが、間接的責任は親にある。世間は親を責めるのか?今さら親を責めて、息子の起こした罪が消えるわけでもない。が、祖父の言葉が出る前に親が口をつむぐのは情けない。

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祖父が親を差し置いて自主的判断でコメントしたとも考えるが、おそらくマスコミは寺内容疑者の実家(親の居住先)にコメントを求めていくはずだ。それがナシのつぶてであったことから、祖父がコメントしたと考える。親族として何も言わないというのは、真っ当な人間からすればあり得ない。逃げ隠れする親(祖父の実子)に見かねての発言であろう。

「祖父に何かを言わせるくらいなら自分が…」そういう気概もない男に見える。「しばらく会っていないので最近の様子は分からない。気持ちの優しい子なので、なぜこんなことをしたのか。被害者に申し訳ないことをしてしまった」と困惑した言葉を祖父は述べた。祖父が育てた樺風容疑者ではあるまいが、親の実態は「馬耳東風」ならぬ「樺東風」に思える。

子育てとは何?である。こういう問題が起こる度に思いを強める命題だ。何時に問い、何処で問われても「分らない」としかいえない。分らないことは考えることにしているが、考えても分らないときは苦悩する。「子育てとは何?」を検索してみたところ、Wikipediaにはこう書かれていた。「子育てとは子を育てることである」。なるほど、これが正解か!

当たり前の中に真実がある。その子育てがなぜに分らないかは、その都度、その場面の善悪が分らないからだ。将棋と同じで、指し手を選ぶときの善悪も分らない。どれほどの高段者であれ、プロ棋士であれ、指し手の善悪は終局後の感想戦にて問題となる。羽生名人はこういう言葉を述べている。「将棋は分かりません」。分らないのはその奥の深さにある。

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将棋も子育ても、分らない点は同じであるが、将棋の著作も子育ての著作もある。分らないながらも、分かる部分もあり、分かる部分を著作する。それが、さらに分らない人には有益となるようだ。分かる部分においては将棋本には間違ったことは書かれてはないが、子育て本には間違いが多い。その理由は、駒に主体的意思はないが人には意思があるからだ。

駒の意思は対局者の意思であり、ある升に置いた駒が対局者の意思に反し、別の升目に勝手に動くことはない。ところが、子育てはそれがなされ、だから難しい。自分の意思に前面服従の駒と人では大違い。ある親が将棋の駒のように、すべての意思を親の思うがままに動かすと、その子はどうなるか?親に逆らわない、親のいう事を聞くいい子に見える。

バカいっちゃいかんよ。そんな子がいい子であるわけがなかろう。いい子とは主体性などなにもない無害のバカを言うのではない。それくらいの事も分からぬ親が、そういったいい子に甘んじを望もうとする。天才羽生名人が、羽生名人の意思のみで指された一手が、大悪手である場合も多いのに、そこらの凡人が事を間違えぬはずがない。親は多くを間違えるものだ。

だから、「子育ては分らない。難しい」となるのであって、「子育て」が良かったと分かる何十年後を待たず、いかにも子育てに成功したなど愚挙甚だしくも、無知の極みであろう。と、自分は思うが、そういう無知者の書く本に人は群がる。同じ事をするわけでもないだろうが、する危険性もある。一切は他人の勝手なので、その事自体を批判するなら、それをしないことだ。

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世に「子育て本」の類は沢山あるが、「子育てられ本」があるのか?その前に「子育てられ本」とは何?これは、育てられる子どもの視点から正しい「子育て」について書かれたもの。親にとって正しい子育てがあるなら、子どもにとって正しい育てられ方もあるはずだ。それらは「子育て本」の中に、正しくない子育てについての記述について収められるのみ。

それはあくまで親が読むもので、子育てをされる側の子どもが読む「子育てられ本」は世にない。育てられる側が主導的立場にないということだ。して、子どもが親から正しい子育てをされているか否かを、子どもが知る必要ないのだろうか?いろいろ思考し思うのは、知る必要がないというより、知ったところで何になる?子どもはいつも被害者でしかない。

訃報・パティ・デューク

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本題の前に、埼玉・朝霞の少女は中学卒業の意思を見せたという。本日31日付けでの卒業となるが、実より名を取った?勉強する気が失せたとも考えられるが、通信制高校にでも行くのか?普通の生活、普通の少女に戻ることが大事で、そのために有用なのはやはり、「時間」である。自殺を図り死に切れなかった寺内樺風容疑者の容態も回復しているという。

自分は少女救出以後の率直な心情を書いてない。どのみち事件の真相はふせられ、よってゲスな想像は少女に無益である。が、寺内容疑者の自殺理由については、少女がよもや逃げるなどは彼になく、逃避という裏切りに愕然としたのでは?彼は深く傷つき、喪失感から放心状態にあったと推察する。それが彼にとっての2年であり、よって自己断罪の自殺ではない。

事件の謝罪メモを持っていたというが、事件の善悪是非より喪失感が強い彼にとって、少女の逃避を現実として受け入れる自我防衛と見る。文字に書くことで強く言い聞かせることにもなる。クソまじめ人間の心中察するに、頭が混乱して錯乱状態になるのでは?「これでいいんだ、これが当然なのだ」などの自己暗示的諦観は、苦しみを和らげる手段であろう


さて、パティ・デュークが亡くなった。死因は腸の破裂による敗血症で、米国時間の29日午前1時20分で、69歳であった。デュークの息子で俳優のショーン・アスティン(45)は米情報サイトTMZに、「母は長い間、痛みに耐えていたので、家族は今安堵している」と明かした。デュークは夫のマイケル・ピアース氏と3人の子どもたちに看取られ、息を引き取ったという。

パティ・デュークは1946年12月14日ニューヨークで生まれで、子役で映画界入り、1963年、16歳で出演した映画『奇跡の人』でアカデミー賞助演女優賞を受賞。1969年には、映画『ナタリーの朝』でゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞している。シリアスもコメディも演じれる芸域の広い女優だった。『奇跡の人』は子どもの頃に観た。

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おそらくこの映画を観せたかった近所の大人(といっても高校生だった)の女性に連れられてだった。彼女の意図とは裏腹に何にも面白くない映画だった。当時観た記憶は何もなく、覚えているのは当時盲人の必須アイテムだったサングラスのロイドメガネ(丸縁のメガネ)をかけた女性が怖かったくらい…。その女性とはサリバン女史といい、ヘレンの家庭教師であった。

『奇跡の人』は視覚と聴覚の重複障害者ヘレン・ケラーの幼年期の物語で、ケラー役をパティ・デュークが演じた。大人になって何度も観たが、サリバン女史のケラーに対する、鬼気迫る壮絶な「躾」の戦いであった。何度も観る価値の映画であるからこそ何度も観たわけだが、「躾」と「虐待」は表面的には同じに見えて大きな違いは信念である。サリバンは信念の人。

映画は『奇跡の人』のタイトルどおり、ヘレン・ケラーをして、目、耳、声の三重の身体障害を克服したとケラーを"奇跡の人"のように受け取れるが、奇跡の人はアン・サリバンに捧げられた称号である。克服したケラーも確かにすごいが、自力でなく、サリバンなくしてケラーは存在していない。どっちが重要、どっちがすごいというのではなくケラーとサリバンは表裏にある。

「奇跡の人」は、別の言い方をすれば「根性の人」でもあるし、「信念の人」でもある。安っぺらな根性、信念と言うのではなく「精魂」の持ち主である。もちろんサリバンも盲学校に入学し、そこでの訓練と数度の手術の結果、ある程度視力を回復した。が、光に弱く常にサングラスをかけていた。サリバンがケラーの家庭教師を始めたのは1887年、21歳のときであった。

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盲目なへレンを特別扱いしたことで我がままに育った。が、自らの腹を傷めて生んだヘレンを溺愛する母に対して父は言う。「こんなのはケダモノで人間じゃない。チャンと躾けろ」。「私にどう躾けろっていうんです?叩いたってこの子にはその意味も分らないんです」どちらの言い分に理はあり、二人の争いは絶えず、両親は家庭教師を雇うことにした。

父はパーキンス盲学校に手紙を書いた。盲学校はサリバンが在籍し、学んだ学校である。家庭教師の依頼が舞い込み、彼女を適任と白羽の矢を立てたパーキンス盲学校校長は、サリバンがケラー家に向かう当日の列車に乗り込み、彼女にアドバイスを与える。校長の愛情の深さは、校長の心中にある不安や思い一切を隠すことなくサリバンに伝える。

校長 : 「よく聞くんだサリバン、最後に一つだけ忠告しておこう…君に欠けているのは柔軟さだよ、適度な妥協は周囲と上手くやるために必要だ。君がその歳までパーキンスにいられたのは、追い出したら行き先がないからという配慮からだ。施設で育った君には帰るべき家もない。そこ(施設)での悲惨な闘いのことは知っているが、とっくに終ったことだ。肩の力を抜きなさい。」

サリバン : 「耳の痛いことですこと。でも、闘うのは私の宿命であるとしたら?私にはあの頃の記憶が消えないんです。」

校長  : 「君は頑固すぎる。もう少し心を開きなさい。向こうの家の人に好かれなきゃ、家庭教師は勤まらないよ。これをあげよう。良い教師になれるように、お守りだ…」と、校長はリングを差し出した。それを指に嵌めながらサリバンは言った。

サリバン : 「…校長先生…、努力します。ほんとに先生のおかげです。意地っ張りで無知だった私を一人前に教育していただいて…」

校長 : 「その意地っ張りがこんにちの君を作ったのだよ。」

サリバン:「また、耳が痛いですわ。」

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サリバンは校長について来た盲学校の数人の生徒と校長に送られてホームを後にした。それにしても、贐(はなむけ)の言葉でありながら、「施設育ちの君を追い返すところが無いから、今まで置いていたのだ」。こんな言葉を率直に言い、相手も事実は事実として卑屈になることなく受け入れる。ホンネを隠し、タテマエ社会を生きる日本人は、これほどあからさまになれない。

こういう事をいえば傷つくだろう、そんな柔な配慮よりも、しかと事実を提示して受け止めさせるという強い教育というのか、配慮ばかりで気づかいを美徳とする日本人に、もっとも欠けていることだ。言うまでもないが、自分はそういう気はさらさら無かったし、本心を子どもに(子ども以外の周囲においても)提示して何が悪いのかと、これは教育観というより性格である。

本音でぶつかり合うのが何より大事な教育、それでこそ信頼関係が生まれる。腹に隠し立てをし、それが配慮というなら人間関係はインチキでしかない。配慮は配慮ですべき場合はあるが、何から何まで配慮というのは偽善である。果たしてそういった関係が関係といえるのだろうか?日本人は、「関係」というものに、もっと正直に向き合うべきではないか。

人と人との関係を述させたり、進行させ、上手く継続させるために、腹の中を隠し、口実を設け、配慮という美名のために本心を隠匿もしくは偽るような関係に何の意味があろう。たまにあるだけの知人・友人ならまだしも、毎日顔を突き合わせる夫婦や親子がこうであるなら、これほど居心地の悪い場所は無いし、そういう性格ゆえに、最初から目指すことなどあり得ない。

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これはパスカルの言葉に触発されたものでもある。正確にいうと、自分の生き様、考えをパスカルが肯定してくれたという方が正しい。パスカルはこう述べている。「(自分という人間が)他人の観念の中で、一つの架空な生活を生きようと欲し、そのために目立つことをする。我々は絶えず自己の架空な存在を飾り、それを保とうと努め、真の存在をなおざりにしている。」

パティ・デュークの訃報に接し、彼女の代表作『奇跡の人』に触れてしまった。が、かつて子ども時代に「パティ・デューク・ショー」(1963-1966)というテレビ番組があった。そこにいりパティは映画『奇跡に人』を演じたパティとは似ても似つかぬ、笑顔が素敵で愛くるしい、正真正銘のパティ・デュークであった。面白かったのかどうなのか、毎週必ず視聴した。

おぼろげに残っている「パティ・デューク・ショー」で見る彼女の笑顔は、なぜか自分の中ではマラソンの福士加代子とイメージが交差するのだ。幸いにしてYouTubeなる文明の利器で当時の、「パティ・デューク・ショー」が視聴できる。見ると自分の頭の中のパティとは少しばかり違っていたが、福士に重なる雰囲気はそのままだ。二人の笑顔は100万ドルに価する。

なにせ、『奇跡の人』でのパティは怒り顔ばかりであった。が、映画のラスト、サリバンが手動ポンプで汲み上げる水を、必死の面持ちで「ウ、ウォラ…(ウォーター)」と言葉を発する場面は何度見ても感動し、込み上げるものがある。人が感動を求める動物であるのを、まさに感じさせる映画である。自分には何度見ても同じ気持ちになれるラストの映画が数本ある。

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『禁じられた遊び』、『サンダカン八番娼館』、そして『奇跡の人』が咄嗟に思いつく。他にもあるが、3本はすぐに浮かんだ。パティ・デュークの訃報と共に、彼女の近影も目にした。率直にいえば、69歳の若さにして老けて見えたのは、顔のシワの多さかも知れない。綺麗な人ほどよく笑うというが、パティの顔のシワは、おそらく笑顔からもたらされたものであろう。

顔のシワは女性の大敵であろうし、セレブな芸能人や女優はコラーゲン注入でシワのばしをするというが、パティの顔はまさに素地のまんまであろう。『奇跡の人』で最優秀助演女優賞のオスカーに輝いたパティゆえに、17歳にして冠番組を持つことになったのだが、これはアメリカテレビ史上最年少の事だった。古きよきアメリカのホームドラマは、あの時代多く輸入された。

「名犬リンチンチン」 、「名犬ラッシー」 、「わんぱくフリッパー」 、「ミスター・エド」 、「ちびっ子ギャング」 、「ルーシー・ショー」、「パパは何でも知っている」 など。日本の住宅事情とは雲泥の差であるアメリカ人の邸宅であり、文化レベルの相違を大いに見せ付けられもした。トタン屋根の雨音を聞きながら、すべてにおいてアメリカ人が偉大に見えた。

一連の作品もアメリカの日本ポチ化戦略であったかも知れない。「コンバット」という戦争映画は、アメリカ兵は正義、ドイツ兵は邪悪にされたのもやむを得ないというのか、勝てば何でも許され、方や敗戦国が負うべく宿命であろう。オトナになってこれらの作品がアメリカのプロパガンダであるのを知ったが、アメリカの国家戦略の凄さに慄くばかりであった。


容疑者逮捕!誘拐事件、解明へ…

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行方不明になってから約2年ぶりに保護された朝霞市の女子生徒が31日、市内の市立中学校を卒業した。校長が30日に両親の意向を受け入れて判断した。卒業を決断した理由については両親を支えて捜索活動を続けてきた「朝霞市行方不明女子中学生を捜す会」代表の男性(43)は埼玉新聞の取材に「今後のことを考えて卒業で区切りを付けたのだと思う。

一番の理由は、同級生と一緒の卒業を本人と両親が望んだからで、学業に関しては学校や市教委と話し合い、本人が落ち着いてからやっていけばいい」と述べた。自分の子なら別の選択をするが、いろいろな考えがあり、他者の決断は他者の考えだ。同級生と一緒にという情緒面を本人が望むのは当然だが。2年のブランクで学習意欲の喪失を何より憂慮する。

容疑者逮捕に少女の両親は、「娘の大事な2年間を台無しにした犯人を許すことはできない」と強調、「娘と私たち家族の2年間を返せと言いたい気持ちです。猛省して、全てを正直に話してほしい」と訴えた。事件の影響でか、「いまだ落ち着かない生活を強いられている」と説明し、「娘の心が癒えるまで、遠くから見守っていただければありがたい」と結んだ。

世間を震撼させた重大なる事件であり、千葉の稲毛から50kmも離れた埼玉・朝霞の少女という、「なぜ」、「どうして」、「何の目的で」などは少女の両親ならずとも、捜査関係も含めた万人の思いである。容疑者が事実を詳細に語るのは、事件として必然だが、親としても事実が公になることの覚悟はいるだろう。何事も真実と言うのは酷いものである。

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真実が親の期待に添わないものであれ、真実は真実である。真実が欲しい、真実を知りたい、そうした真実を求めていく過程で、真実のあまりの酷さに負けてしまいそうになる人は多い。「もういい、やめて欲しい。聞きたくない」などと声を荒げる心弱き人たち…。これまで誰も語らなかった戦争の真実を知ったとき、テレビや映画で観る戦争とあまりの相違に驚いた。

「戦争に英雄などいない…」が、真実を隠匿し、英霊などと祀るあげるこの国の正体を批判するに至れたのは、真実を知ったからである。誰であれ、酷いことは酷い、醜いことは醜いと、あるがままに認めるのは勇気がいることだが、醜いことを美しいと思ったり、思おうとするは欺瞞である。酷い事件に晒された被害家族の辛さは分かるが、それでも真実は知るべきであろう。

朝霞少女誘拐事件について、河野国家公安委員長は29日の閣議のあとの記者会見でこう述べた。「2年間、何がどうなっていたのか分からないことがたくさんある」。と、これは事件の全容解明の捜査を尽くすとの意思表明である。少女の捜索活動に携わった支援者団体が、「警察の初動捜査の時点から疑問に思う点がある」とした指摘について以下述べている。

「どういう状況だったのかを含めて、まずは全容の解明をし、その後で何か問題があったかどうか検証を行っていきたい」。支援団体が警察の捜査の何を問題にしているのかは明らかにされていないが、初動捜査を問題というなら、犯罪や事件性のない家出の線と伝えていた?と考えられなくもない。結果的に誘拐事件であった事で、警察に不信と疑義を向けている。

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警察と少女の家族及び支援団体の間で、どの程度のやり取りがあったかを知る側にないが、河野国家公安委員長のいう、「先ずは全容解明」を公益とするなら、少女の発言や供述も丹念に精査する必要もある。捜査というものはそういうもので、少女のいう「知らない人に声をかけられた」などについても、真実かどうかを捜査するのが犯罪構成要件に該当する。

支援団体側が少女の発言だけを捉えて、「本件は略取誘拐ではないか?警察は当初、家出と軽く考えていたようだ」との指摘なら、警察も威信にかけて事実解明を行う義務がある。本来、この手の誘拐事件においては未成年者のプライバシーもあって、捜査情報を随時マスコミに発表することを控えるが、支援団体から疑義を突きつけられた県警も「ならば」となる。

河野国家公安委員長は、その決意を支援団体に伝えたようで、河野委員長のいうように、一般の誘拐事件とは違って不明な点が多い。現在は少女の発言だけが一人歩きしている段階だが、今後は容疑者の取調べも始まり、二者の供述の整合性を量ることになる。自分がもっとも不思議に思うのは、容疑者が少女のフルネームをなぜ知っていたのかである。

少女はこのように発言している。「知らない男に声をかけられ、男からフルネームで名前を呼ばれた」。さするに男は千葉、少女は埼玉である。男が監禁を目論んで少女を物色するのに、なぜに埼玉・朝霞であったのか?千葉に少女がいないわけでもあるまい…。なぜ、その点をマスコミは疑問視しない?NHKは、「フルネームを知っていたのは事前の準備か?」などという。

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"事前の準備"というのも曖昧表現だ。問題は千葉と埼玉のつながりで、どうして朝霞の少女であったのか?考えられることは、容疑者が朝霞周辺に所用で出かけた際、好みの少女を見つけて家まで尾行し、家のポストで苗字と少女の名前を知る。あり得ることだがそのためには容疑者が朝霞に行く必要がある。が、遠くの地でそんなことをするのか?

次に考えられるのが、少女と寺内容疑者はネットのチャット、もしくは掲示板で出会った可能性で、これなら距離は問題ない。ネットはハンドルネームのやり取りが一般的だが、ビギナーの子(特に低年齢の少女)などは、本名を平気で晒す子もいる。facebookなどのような意図的場合を除いては、危機管理意識の甘さ、希薄さであるが、このケースは珍しくない。

もっとも、ハンドルネームを使用していたとしても、ある意図をもって、さりげなく住所・姓名を聞きだすことは可能だ。寺内容疑者は千葉大工学部情報画像学科に在籍し、コンピューターやソフトウェアに関する研究室にいたわけだから、少女のIPアドレスから詳細な情報を得ることもできる。これくらいなら自分でもやれる。となると、二人はネット出会いの線が強い?

何にしても千葉と埼玉という50kmの距離である。少女は本名を伝え、自身の画像を容疑者に晒した。画像を貼るチャットも多く、別人画像を貼ったり、居住地も姓名もデタラメなどはネットでは当たり前の常識である。容疑者が少女の真正情報を知り、画像を含めた自分の情報一切は嘘っぱちはあり得る。これなら路上で会おうが、ネットの知り合いとならない。

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ネットの知り合いに実際会ってみたら、画像と顔が違っていた、年齢も相当の開きがあったなどはザラにある。会ったら聾唖者で驚いたというのも聞いた。聾唖者との会話は携帯電話での筆談だが、結果的に聾唖者はレイプに及び、それ以降音信が途絶えたという。親に知られたくない少女は被害を出せない。初等教育段階から、「障害者には親切に!」の押し付けがある。

それが、障害者はいい人との偏見も抱くが、障害者に悪人はいる。もっとも、「何ウソついてんの?帰る!」と言える性格の少女ならいいのだが…。ネットには男(ネットナンパ師はともかく)も女も、実社会では「蛇に睨まれた蛙」ではないが、ナイーブなのが多い。もらった画像と実際が違えば、騙されたと腹も立とうが、痴漢被害で声を出せないのと似たパニック状況か。

想定外のことに遭遇してパニックに陥り、適宜な行動ができない女性は多いが、そういう場合にどう対処すべきなどの危機管理意識を教えるのも学校の使命である。二人が何処でどのように出会ったかは、寺内容疑者の供述を待つよりないが、少女のいう、「知らない男にフルネームで声をかけられた」は、顔を知らないだけで実際は知り合いだった可能性もある。

①朝霞で見つけた少女の自宅まで後をつける、②チャットでさりげなく聞き出す、③IPアドレス解析を軸に調査する、これ以外に他人のフルネーム、居住地を知る方法があるのだろうか?と、ここまで書いてネットの記事をみると、寺内容疑者が、入院先の病院から退院し、捜査車両で埼玉県警に移送されたようだ。二人の接点について同じような疑問があった。

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容疑者は、「少女と面識はない」と供述したというが、朝霞には自衛隊駐屯地がある。飛行機好きの容疑者が行った可能性はあろう。また、少女の自宅の表札には少女の名がないのが判明した。上記した以外に少女の名前をいかにして事前に知り、計画的に狙ったのだろうか?千葉の部屋は外から施錠できたが、引越し先の中野の部屋にそれはなかった。

ということは、容疑者が無警戒で出かけたとしても、少女は逃げないという確信、自信があったと考えられる。巷ではペットに逃げられ大騒ぎとばかりに、スーパーなどに「尋ね犬」、「尋ね猫」の張り紙を見る。長年飼っていたペットに逃げられてショックのようだ。そういう経験はないが、籠の鳥が逃げるのは当たり前で、それは犬にも猫にもあることだ。

自分なら、動物の本能と別段動じることはない。容疑者は少女を監禁していたとはいえ、2年に渡って実質的に養育していたことになる。飯を食わせ、風呂にも入れ、服も与え、靴、下着、シャンプー、生理用品にお菓子、飲み物も…、お誕生日ケーキ、まさに親が子を育てると同様の、ありとあらゆる手立てをした。そんな事は頼んでないと、少女の親はいう。

それらは、孤独男の屈折した愛着であろう。何にしても2年の監禁生活はどれほどか、どういうものか、想像もつかない。が、被害者少女に問うのは必然で、容疑者とすり合わせて事実を解明する。容疑者は逮捕後、「面識がない」と言った。ネットの出会いや会話も面識かどうなのか?それも含めて「ない」なのか? とにかく、寺内容疑者の供述が待たれる。

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事実はない。解釈のみがある

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   1日 24255歩 16493m 86/分
   2日 24099歩 16387m 86
  4日 17334歩 11787m 89
  5日 12883歩   8760m 83
  7日 24849歩   16897m 86
  9日   5377歩   3656m 87 
  11日 24582歩 16715m 87
  12日 11940歩   8119m 89
   13日  9990歩     6793m  82
  15日 22815歩 15514m 82
  16日  5316歩   3614m 88
  17日 30811歩 20951m 85
  19日 13637歩   9237m 85
  20日 18120歩 12321m 91
  21日 23832歩 16205m 89
   22日 21347歩  14577m   81
  23日 12016歩   8170m   85
  24日   7732歩  5257m  89
   25日 29265歩  19900m   91
  26日 13727歩   9334m   83
  27日   3262歩  2218m  82
  28日 19830歩  13484m   88
  29日 15983歩  10868m   89
  30日   9388歩  6383m  86
   31日 38905歩 26455m   89

    total  441295歩 300095m 


歩きながら何を考えるのだろうか?哲学者のように一つのある命題について考えることもあるが、考えて考え抜いて答えを出せるような優れた哲学者ならまだしも、凡人になかなか答えを見出せない。自ら考えて自らの答えを出すのは簡単なようで、石のように硬く強固なものである答えを導くのは至難である。人間というのは深く洞察すれば苦しむことになる。

が、真の思索家はその苦悩さえも洞察するのだ。将棋に置き換えてみても、別に考えないでも指せるし、考えないで指す人も多い。同じように人生に置き換えても、別に考えなくても生きて行けるし、考えないで生きる人も多い。将棋の場合、考えないより考えればよい手(手段)が見つかることが多い。もっとも、よい手を見つけたいから考えるわけだ。

同じく人の生活においても、考えないより考えた方がよい手段を見つけられる。誰でも困ったときには思考をするはずだ。不思議なものでよい手段や、考えても出ないよいアイデアというのは、ある日、どこかで突如出てきたりする。トイレでアイデアが浮かぶというのはよく聞くが、ウォーキングを始めてみて思うのは、歩いてるときにそれが顕著であるのが分かる。

アイデアといっても、何かを発明して儲けようというようなことではなく、「何故だ?」、「どうして?」そういう疑問に対して、マンガ的表現でいえば、頭の中に電球がパッとともるような、一週間前、昨日まではまとまらなかったことが、答えとなって収束する。やはり、ウォーキングによって脳に新鮮な血液がめぐるからか?歩いてるときは非常に脳の状態がいい。

人を説得したり口説いたりするときも自然と頭が活性化することが多い。終った後で我ながら感心するような口説き文句、殺し文句が出たりする。が、それらは考えて出るものではないし、あれは何なのだろう。女性同士の会話にみる、速射砲のような言葉のやり取りと同じものかも知れない。コミュニケーションというのは思考というより、条件反射のようなもの。

女性がよく喋るのは、脳をスキャンすると分かるが、男の脳に比べて話す事や言語に関する部分が、非常に活発に働いている。この違いは、すでに幼児期からハッキリと現れている。子を持った親なら誰でも感じるのは、女の子は男の子より言葉が早く、2~3歳にして大人顔負けのおしゃべり能力を発揮する子もいる。大人になっても女性の単語数は男より多い。

また、女性は話ながら仕事をこなせる点で男と違う。電話をしながら料理したりは普通で、「セックスの最中に電話するか~?」とブチギレした知人がいた。よく言えば達人、悪く言えば集中力がない。電話しながら何かできることって、ウンコくらいしかないな。「朴訥」という言葉は女性にはなく、男の集中力の度合いは女の非ではないであろう。

何かに集中して黙り込んでいる男に対し、「何をそんなに真面目くさってやってんの?」、「もっとリラックスしたらいいのに?」などの言葉を女性から浴びることになる。さまざまな世界においても男に達人が多いのは、「凝り性」という男の性分に合致する。料理の世界でも女の料理は家庭料理、男の料理は極めであるのは、テレビの料理番組を見てもわかる。

女性と楽しく会話しながらウォーキングはできないし、一人で黙々と様々なことを考えながら歩くほうがいい。だからしないし、たまにしても黙して勝手に歩くので女性は迷惑この上ない。「何で私のスピードに合わせてくれないの?」これが女性流のわがままである。様々なことに、自分勝手は多いくせに、相手にそれをやられると面白くないようだ。

女性の散歩は山間であっても、街中と同じショッピング気分でゆったり歩きたい傾向にある。基本的に歩く目的が違うのだろう。散歩に行けば何か楽しいことがある、そう思って出かけるものかも知れん。つまり、「○○したら○○の得がある」などの成果主義は男よりも女にその志向は強いかも知れん。目をくばせて思考すれば男と女の様々な違いに気づく。

「女はかくありき」という事を知っている方がいいかも知れない。女も男を色々知れば、いちいち腹も立てずに済むことになる。昔、結婚相手にもっとも相応しいのは、「水商売の女」といわれたものだ。つまり、男の生態を知り、男を手の平にて転がす術を知っている。言葉を変えると「上手くてなづける」もしくは「男の扱いに長けている」ということ。

世間や親族は、「水商売の女なんかと結婚なんてとんでもない」というが、そのよさは資産家のわがまま娘などとは比較にならない。ミヤコ蝶々の若き日の想い出に悲恋がある。10代の頃から旅回り一座の座長として、田舎廻りをしていた彼女は長くで2、3日の公演で次の興行地に旅立つ。一人娘であり忙しくもあり、定住できないことで恋もできない生活だった。

男と少し話すだけで父親に大目玉を食う、そんな時代でもあった。そんな彼女を見初めた青年がいた。彼は和歌山のとある劇場主のぼんぼんで、蝶々追っかけとして巡業先をコッソリと訪ねてくれていた。彼女は監視のキツイ父母の目を盗んでは逢瀬のひとときを楽しんでいた。「どんなことがあっても必ず結婚しよう」、二人は堅い契りを結んでいた。

それから数カ月後、和歌山の彼の劇場に予定が組まれた。蝶々は劇場で彼の親に承諾を得、自分の親にも一切を話して一緒になるその喜びに胸が奮えていた。ところが、「旅役者の娘などと結婚させるわけには遺憾!」ということで、ぼんぼんは親の目に叶う女性を嫁に決めていたという。親にも一座の誰にもみせられない涙を、芝居小屋の布団の中で流したという。

以後、彼女は親の盲目的愛にから強く反抗し、あて付けもあって、一座のある男と駆け落ちを失踪したのだった。親は警察にも出向き、血まなこになって娘の行方を捜した。そして連れ戻されたという。むろん蝶々さんは16歳乙女と決別の春であった。親はげっそりやつれ、一気に年老いた風となり、厳しかった父もそれ以降は人が変わったようになったという。

着せ替え人形の如く、親に押さえつけられた子どもというのは、反抗や行動で訴えることで自我を獲得する。子どもの反抗を親はどういう風に受け取るべきかだが、そのことで自己断罪するしかない。殺されてみて初めて気づく親も多いが、殺されなければ分らない、気づかないなら、殺されるしかあるまい。当たり前だが殺されて気づいた親など一人もいない。

「中学のころから誘拐を考えていた」と供述した埼玉少女誘拐の寺内容疑者は、特定の難しい複雑な家庭環境であのようになったのだろうが、一つだけハッキリいえることは、道徳という視点は強く責められても、鬼畜という事ではないかも知れない。性欲むき出しの大人の歯牙にかかった8歳、10歳の幼女もいるし、監禁とうえ何時でも逃げ出せる状況といえよう。

少女の父親は、「娘の大事な2年間を台無しにした犯人を許すことはできない」と言ったが、酷な言い方かも知れぬが、2年間の長期に及んだのは逃げ出さなかった少女にも責任があろう。食料のほとんどはネットで購入しており、宅配業者が届ける。その宅配業者が「妹かと思っていた」ことからして、監禁という犯罪を微塵も感じない異常(?)な状況である。

これを果たして恐怖心を植えつけられたことに起因する心身拘束と言えるのかどうか、逃げたい一心なら、目の前にいる民間人に助けを求めないものなのか?色々なことが言われたり、分析もされているが、物理的に少女がそこを脱出できた可能性はいくらでもある。それが怖くてできない程に洗脳されていたといえるのか、できる事をしなかった彼女の責はどうなのか?

誘拐で監禁がいかに難しいかは、その物理的な状況を考えても分かろう。監禁者は留めようとし、被監禁者は隙あれば逃げようとする対立関係にある。逃げないようにするためには一寸の隙も油断もできないが、寺内の容疑者のケースは誰が見ても軟禁というよりもさらに隙があり過ぎである。こういう状態にして逃げないように精神を拘束できるものなのか?

物理的には宅配業者や外部の人に助けを求める手立てはあったはずだが、いかなる理由であれ、それをしなかった(できなかった)というには、精神的恐怖だけではない、居心地の良さがあったと見るのが自然である。勉強も塾も習い事もしなくていい、行かなくていい、一日中遊んで暮らして行ける、それを実現するのに然したる苦悩も困難もない状況といえないのか?

再度いうが、子どもにとって、「勉強も習い事もしなくていい世界に行きたい」は、子どもの憧れである。これは、今回の犯罪とは関係なしに考えた場合においての、子どもの純粋な願いではないだろうか?「ああ、勉強のない国へいきたい」、「勉強なんかなくていい」、そんなことを多くの子どもが願っているように思う。かつて自分も子どもであったから…

少女がそうであったかどうかは分らない。犯罪は著しくも犯罪であるが、犯罪を犯している容疑者の論理と、犯罪を犯されている少女の論理とは、同じ犯罪でもまるで違うだろう。我々社会全般は、犯罪を行為する論理だけしか思考しない。が、果たして少女の気持ちになれるかといえば、彼女の気持ちはこの世の誰にも分らないし、分らないから想像する。

犯罪は想像や動機だけで構成はできないが、物事は解明しなければならない事は多い。自供の得られない犯罪も、状況証拠として扱われる。状況証拠といえども、「状況」なんてものは裁判官の胸算様でしかない。人間の考えることは人間なら理解できるといいつつ、それでも少女の心を分かる大人はいない。少女にかぎらない、成人女性でも同じ事はいえる。

小保方晴子の本当の心の中を誰が分かろうか?彼女の心は彼女しか分らないし、彼女自身でさえ、分かっているであろう心を無意識に偽っているかも知れないだけに厄介となる。人間は自分のやったことを良いと思う努力をするもの。よって、真相なんてのは、本人も含め誰にも分らない。「事実はない。解釈のみがある」と言ったニーチェである。


犯罪ピンキリ・監禁ピンキリ

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<女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である>

という表題記事が目に入り、反論を書く気になった。ところどころ引用して意見を述べるが、記事主批判というより、会議やディスで意見が述べられると同様に自分の意見だ。記事主は言う。「周囲に物音は聞こえたのではないか」、「声を出せば届いたのではないか」を問いかける報道があまりに多く、目に余る。」と述べているが、なぜに素朴な疑問を制止する?

「なぜ逃げられなかったのか」という当たり前の疑問に釘を刺す記事主で、その理由が、「監禁されている」からだという。監禁されている身でありながら逃げる行動を起こすと、少女の身の安全を脅かされかねない。場合によっては命の危険性もある。「被害者はそれくらいの損得勘定はするだろう」と述べている。これは一般論なのか、当事件の少女限定なのか?

前者なら決め付け論。日常生活を拘束されて、不自由の身であるなら逃げる算段をするチャンスを伺うを当然とする人間もいる。逃げたら身に危険と分かっていても、それでも逃げることを考える人間もいる。ベルリンの壁や南北朝鮮国境における決死の脱出も、自由を求める人間の行為であるし、さらにいうなら、「逃げる」は人間や動物の自己防衛本能である。

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9.11テロで航空機乗っ取りテロリストに刃向かった人間はバカなのか?「おとなしくすれば危害を加えない」は暴漢の常套句だが、レイプ犯に抗って殺された女性をバカというのか?朝霞少女に限定しよう。人生経験の少ない13歳~15歳の少女が、恐怖心が優先しておとなしくしていればいいと考えるのは判る。が、2年間毎日その気持ちというのも無理がある。

「抑圧環境」でいえば、学校に塾にエレクトーンにバレエレッスンという環境と、囚われの身という「抑圧」だが、数カ月間で環境に順応すれば、不自由でありながらも自由がある。「誰も助けに来ない」などの言葉で脅したというが、誘拐犯罪として思考するだけでは一元的な結論になるが、人間は複雑で多面的だ。3月27日に脱出した少女だが、その日だけが脱出に最適の日だったのか?

解釈は自由だが断定する事実はない。これまでにチャンスらしいチャンスはあったと考えるが、3月27日近辺が彼女にとって、より積極的に脱出を考えるようになった。3月27日が稀有にして最大のチャンスであったというより、彼女が本気で逃げる準備を考えるようになった、その思いがチャンスという言葉に置き換わった。自分は意思の強弱の問題と考える。

10000円の商品が1000円で、限定100名だといわれ、それをチャンスと捉える人にはチャンス、そんな気のない人にはチャンスもヘッタくれもない。15歳の少女は被害者であるが、被害者が毎日を被害者意識で生活するのか?少女は365日被害者意識でいたと考える人もいるだろうが、いずれの認識が正しいかは不明。分らぬことを個々が一定条件下で解釈しているに過ぎない。

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容疑者は大学に行けば長時間部屋を空けるし、2年間に「3.27」と同等のチャンスはあったはずだが、逃げる意思が強くなければチャンスとはならない。少女の境遇は不幸だが、情緒に蹂躙されては真実が遠のくこともある。2014年3月10日からの2年間、ひたすら逃げるチャンスを狙っていた、唯一のチャンスが2016年3月27日であった。などの見方は誰でもできる。

記事主は以下書いている。「この女子中学生は報道を見る限りかなり冷静であり、加害者に過剰な同一化をしているようには見えない。だからこそ隙を見て、逃げ出すことができたのだ。逃げ出せたことが、むしろ称賛されるべきだろう」。"事実などない。解釈のみがある"ではないが、「かなり冷静」というのは独善で、記事主は、現象と心象が別なのを知ってのことか?

以下の考え方も可能だ。「この女子中学生は、勉強や習い事などの家庭的抑圧に比べ、監禁とはいえ三食昼寝付きの自由さに対する満喫があったかも知れない。365日常時、"囚われ"意識ばかりではなく、普通と同じ日の意識はあったはずだ。が、同じ日常の繰り返しの中にあれば、親や友だちを懐かしむこともあろう。3月は日本全国卒業シーズン…

学校に行ってはないが、誰もが卒業と言う寂寥感に襲われる時節である。中学卒業時期の最中に少女が脱出したのを結びつけるわけではないが、すべてにおいて、「あり得ることは、起こり得る」。少女のなかで親や友人たちの顔がとてつもなく、大きくクローズアップされたのかも知れない。2年間もの間、同じ顔の男とだけの会話もいい加減飽きてくるはず」

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これも自然な想像である。思い込みや誇張ではなく、少女に起こり得る心情といえる。人の心は日々移り変わるもの、昨日と今日、今日と明日で情緒の変動目まぐるしい。この時期の少女さらなりであろう。監禁当時の生活は、「自由でありながら不自由」、「不自由であるけれども自由」、そういった二律背反にある。ここの生活も仕方がない。が、飽きるのも人間。

家に戻りたい、友達にも会いたい、みんな何をしているかな、高校生になるんだ、いいな、羨ましい…などの様々な気持ちも交錯するだろう。誘拐犯罪であるから2年間の監禁生活は恐怖ばかりで、何ひとつ満たされてはいなかったというのはおそらくない。"ないものねだり"は人の常。Aという環境にあればBを望み、BになったらAもいいかと、それが人間というものだ。

AからB環境に移るのが、誘拐、拉致という強引な方法だったにしろ、殴る蹴るのない誘拐者に拡大解釈しすぎの感を抱くが。少女は2年もの間、ずっと怯えた状態と思う人にはそうであろう。これまでに発生した幼少女拉致誘拐強姦殺人事件に比べると、寺内容疑者の行為は卑劣であっても、鬼畜というほどではない。1990年に発生した監禁事件は悲惨であった。

未だ記憶に新しい「新潟少女監禁事件」である。2000年1月28日、新潟県柏崎市の加害者佐藤宣行(当時28歳)宅に別件(母親への暴力)で訪れた職員が、中にいた佐野房子(当時19歳)を発見・保護に至り、発覚した事件である。母親と同居する自宅に9年以上少女を監禁したとして社会問題にもなり、母親共犯説(黙認)などと囁かれたが、母親はまったく気づいていなかった。

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1990年11月13日、新潟県三条市内で帰宅中の小学4年生の少女(9)にいきなりナイフを突きつけ、言うことをきかなければ殺す、などと少女を脅し、自分の車のトランクに少女を押し込みそのまま連れ去った。佐藤は少女を自室に連れ込むなり数十回殴打、少女の口や両手・両足をガムテープで縛り、「ここからは逃げられないぞ!」、「俺の言うことを守れ!」などと脅した。

などと脅した。更に少女の腹にナイフを突きつけ「これを刺してみるか」、「山に埋めてやる」と少女を恐怖に陥れる。この時から9年以上にわたる少女の長い監禁生活が始まった。佐藤は自分が出かける時には少女を厳重に縛って逃げられないようにし、1階の母親に気づかれぬよう、大きな声を立てるなと厳命した。少女が泣いたり反抗したりすれば容赦なく顔や頭を殴った。

常にベッドの上にいるよう指示し、部屋からは一歩も出さなかった。風呂にも入らせず、トイレにも行かせず、大小便はビニール袋の中にさせた。後に救出されるまで、少女がシャワーを浴びたのは、9年間でたったの一回だった。母親にスタンガンを購入させ、少女の身体に押し当て放電もした。暴行時に悲鳴を上げると殴られるので、少女は声を上げぬよう必死に耐えた。

競馬番組の録画を命じたが、少女がそれを忘れて、激しく殴られたこともある。着替えは1年か2年ごとで、服がボロボロになってやっと着替えを許された。着替えの服は、佐藤が万引きして調達した。食事は当初、母親が作った夜食を食べさせていたが、だんだんとコンビニのおにぎりしか食べさず、最初は1日2個食べさせていたが、後に1日1個だけになったという。

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こうした生活を長年も強要したことで、少女は誘拐当時、46kgあった体重が38kgにまで減っていた。また、ほとんど歩くこともなかったので脚の筋力は低下し、骨も十分に発育せず、自力で歩くことが困難な身体となっていった。新潟の少女監禁に比べ、朝霞の少女を監禁というにはあまりの違いである。朝霞の少女は寺内容疑者のアパートから逃げた理由をこう述べた。

「両親と会いたいという気持ちが高まった」。これについて上記の記事主は以下のように言う。「監禁されていたアパートから逃げるのに、<理由>が必要だろうか」。理由がないなら必要ないが、現在の状態も悪くはないと少なからず思うなら、それも理由である。手足を縛られ、暴力で痛めつけられたわけではない。凄惨な「監禁」に比べてあまりに自由すぎる。

記事主はさらにこう決め付ける。「今まで逃げなかったのは、両親と会いたいという気持ちの高まりが十分でなかったように読めてしまう」と他者を批判するが、彼女にこの発想はないようで、単一の主張を展開するばかり。最終的にこう結論する。「逃げられるなら、逃げている。逃げられないのは、心理的、物理的、さまざまな理由で、逃げられないからである。

こうした報道自体が、不幸にして次の監禁事件が行われた場合、被害者の救出をさらに困難にしないだろうか。次の被害者を出してしまう可能性すらある。助けられなかった無念さはわかる。しかし、"なぜ"を問いかけるのはやめたほうがいい。理由は、"逃げられなかったから"なのだ」。こういう決め付け論はいかにも思慮が浅い。確かに論理展開的には楽であろう。

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「逃げられなかったから逃げなかった」で、「逃げられなかった」理由を問うのは暴力だという。「それほど逃げたいと思わなかったから逃げなかった」という可能性もありだが、「犯罪だからそんなことはない」に徹している。新潟監禁の「なぜ逃げなかった?」とはわけが違う。犯罪は被害者に落ち度はなく被害者を責めるのは控えろと。責める?分らない事に疑問を抱くだけだ。

いろいろな「犯罪」がある。「監禁」もいろいろだ。本件は、「監禁罪」が問えるのかを捜査中である。朝霞少女は、「新潟監禁事件」被害者が受けた凄惨な暴力はなく、恐怖の度合いはまるで違う。犯罪も監禁もいろいろあるが、一つに決め付けて論理展開する人はいる。正しいと思って述べているようだし、述べる自由はある。が、批判の自由もある。

現在、マスコミは少女に関して報道規制。にしても、「なぜ逃げなかった」などは、疑問すら抱くなとし、「逃げられなかったからだ」と、簡単に結論する。これなら捜査は無用。では、「なぜ逃げた?」に、どういう答えを用意する?「逃げれなかったから逃げなかった」というのは、「逃げられた」ことと矛盾するが、斯くの人は、「なぜ逃げた?」の明解理由が分かっている?

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隙あらば逃げよ!

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<「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である>の記事主は、武蔵大学社会学部教授千田有紀氏である。東京大学文学部からコロンビア大学の客員研究員の経歴を持つ才媛だが、千田氏はあの記事を何のため、誰のために書いたのか?「なぜ逃げられなかったのか」の問いに彼女は、「目に余る報道」とメディア批判を言いたげである。

「監禁の身でもし逃避に失敗すれば加害者にどんな目にあわされるか分からない。殺される事態だってあり得る。だから少女は大声を出さなかった」と、少女を評価するのは、社会学者の論理というより、後出しジャンケンで勝って喜ぶ子どもだ。それでいて、「加害者に同化せず逃げ出すことができた」、「逃げ出せたことは称賛されるべきだろう」と、記している。

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なんともオカシな言い分である。「なぜ逃げられなかったのか」、「周囲に物音は聞こえたのではないか」、「声を出せば届いたのではないか」、などの万人の疑問を批判しておき、それでいて、「逃げ出せたことは称賛に値する」は、あきらかに矛盾する。「少女は恐怖でおとなしくしていたが、逃げたのは勇気ある行動!」が主旨ならなんともチグハグである。

文を書く力はともかく、東大卒の才媛にしては小学生並みの思考である。千田氏は、「逃げれない時は逃げれない」、「逃げるときは逃げた」、だから逃げれない時の状況について、ガタガタ抜かすなと苦言を呈す。これは結果を前提にした都合のいい論旨であり、犯罪被害者への同情・擁護であって、社会学者の深い考察は微塵もない子ども騙しの論法だ。

誰もが考えるところの正当な疑問を、「暴力」と言い切る思慮のなさ、思い込みの激しさではないだろうか。近年はオカシな学者もどき、教育評論家もどきが多い。おっさんなのに、「ママ」と呼ばれてご満悦の尾木直樹氏は、母親ご用達なのか?そんなママ氏も世間やメディアに対して言う。監禁被害の少女に「"なぜ逃げなかった?"という疑問は止めて」。

千田氏の意見にしろ、尾木ママ氏(ママをとって尾木氏としないのか?)にしろ、彼らの意見は母親向け?これまでママ氏の意見に賛同した事はない。ママ氏はスーパーの店内を走り回るガキに、「こら!ここは運動場じゃない!」と注意できるのか?自分は睨む親など屁とも思わず怒鳴る。なぜなら、社会の教育力を担う一員だからである。

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親が注意しないなら、そこらのおっさんが注意すればいいだけのこと。ママ氏はおっさんだろ?教育者の看板を背負うだけの評論家というのは、口(言葉)だけの職業で信用していない。少女の心中が分らない以上、想像力は必要だが、社会学者、教育評論家は、世間受けのいい児童擁護論ばかり言ってるフシがある。つまり、立場でものをいう人たちだ。

千田氏も東大卒の才媛とはいえ、いかんせん人生経験の希薄さか、そこいらの中卒のおっさんの方がいいことをいう。宮台真司氏はかつて行動する学者であった。ブルセラ専門と嘲笑されたが、行動でしか得れない社会体験は貴重である。彼のような鋭い人間観、幅広く人間を洞察る素養は社会学者に必須であろう。誘拐だから犯人に怯え、監禁だから心身の自由は奪われる?

そのように感じて言っておけば無難であろう。が、世間一般人ならまだしも、果たして学者の考察なのか?近年、マスコミやメディアの方が、様々な事件から社会の現実を知る。昔は違った。マスコミやメディアは行儀のいい論調を提示するだけの時代もあった。坂口安吾は『エゴイズム小論』の中、住友邦子誘拐事件におけるマスコミの論評を批判している。

「(中略)これらはいづれも誘拐という表面の事件を鵜呑みにしただけの批判で、この事件の真の性格を理解していないようだ。すべて社会に生起する雑多な事象が常にこの種の安易低俗な批判によって意味づけられ、人生や人の子たるものの宿命の根柢から考察せられることが欠けているのは、敗戦自体の悲劇よりも更に深刻な悲劇であると私は思う。」

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「住友邦子事件」は1946年だから丁度70年前である。お行儀のいいマスコミに果敢に立ち向かう無頼派安吾という図式だが、こんにちは逆転の感がある。もっとも安吾のような歯に衣きせぬ物言いをする作家や学者、教育者、教育評論家もいるだろうが、叩かれ、干されるのを怖れてか、借りてきた猫。「干すなら干してみやがれ!他で食っていく」という気概がない。

公人がこの体たらくでは、素人ブロガーを含めた利害に影響のないネット民がものをいうしかない。ところが、そこにはネットイナゴが襲いかかり、炎上ということもある。不思議な時代になったものだ。こういう事から知らず知らず人は保守的になって行く。千田氏の記述も多分に被害者に同化し、脱出まで2年もかかったことには何ら触れず、脱出した事のみを評価する。

実を言うなら、朝霞少女が生きていたことについて、自分も手放しで喜んだ類である。その事が何よりもかけがえのないことであり、一切のことは思考せず、一切のことは口にすまいと、あの時はそんな風な状況だった。まさか生きていたとは夢にも思わなかった。ところが、少女の供述が公になり、誘拐犯である容疑者の供述を聞くほどに疑問が押し寄せた。

「おかしい」、「何かが変だ」という素朴な疑問だが、犯罪に疑問はつきもので、被害者は被害を被っただけの気の毒な人物、と考えるだけでは現代の犯罪は解明されない。被害者が実は加害者であったケースもある。最大の謎は「逃げる機会があったのに、なぜ逃げなかった」であるが、それについて精神的な支配(拘束)があったとする"よそいき論調"は信用しない。

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少女のいう、「一人でスーパーに行った」についてさえ、容疑者の支配から蹂躙されていたのだろうと、識者(これで識者?)、コメンテーターは、禄を失う不安から無難な言葉に終始する態度は気にいらない。「いっしょに外出するときも手をつながれていた」と少女はいうが、人が手をつなぐのを振り切るのは簡単である。つないでる間中、強く握っているわけではあるまい。

手錠をかけていたというならともかく…。少女はつないでいた手を振りほどく勇気がなく、それはあくまで少女の性格の問題であるが、「行為しないことをできない」と思うズルさは人間の自尊心である。おそらく少女も、自己正当化の意図を込めて、「(逃げられないのは)手をつながれていたから」としたのだろう。大人にもいるが、知恵浅き子どもの論法である。

いずれにしても想像の域を脱しない。そうであっても、なくても、真実に近くとも解釈は解釈である。どれほどの言葉、文字を連ねてもそこは変わらないなら、あえて言うべきことがある。最近、物事を断定するのは控えているが、近年は物分りのいいオトナがあまりにも増えている。その事が世界的に見て、日本が弱者に邁進しているのでは?の懸念。

物分りのいいオトナは子どもを甘やかす。したがって子どもに好かれはするが、子どもの範とはならない。オトナは無知な子どもに知恵を与える存在であるべきだ。学習や勉強とは別の、生きるための知恵を与えるべきであろう。それが表題に書いた「隙あらば逃げよ!」。勇気の注入は家庭環境だから、親の教育観もあって、一朝一夕に身につくものではない。

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だから「勇気を持て」とは言わない。が、勇気を知恵に変換する。考え方の変換だ。公園で知らない男に拘束された、クルマに入れられた、どんなケースでも、ネガティブにならず、いつも「隙あらば逃げる!」気持ちだけを失わぬこと。誘拐犯はどんな人間か、誰にも分らない。朝霞少女事件でも、2年経過したその結果だけでものをいうオトナはダメだ。

なぜなら、寺内が変質者、凶暴性格であるかも知れなかったわけだ。少女をいたぶり、あげくはバラバラに切り刻んで飯のおかずにする人間であったかも知れない。千田氏は、「逃げる行為は殺される危険がある」というが、一切のことが分かった上での辻褄論法で現実的でない。いかなる相手かも、何をされるかも分らない。ならば逃げるが勝ち、これが現実であろう。

だから、常に逃げる隙だけを頭に入れておく。済んでしまった朝霞少女事件のことをいっているのではない。そういう目にあったことのない世の子どもたちに捧げる知恵として目に触れさせたい。千田氏やママ氏は子どもを前にした講演で、「じっとおとなしくしていなさい」、「逃げようなど考えちゃダメ」というのか?そんな講演は耳栓して羊の数でも考えた方がいい。

いろんな意見も目にする。「蛇に睨まれた蛙状態」、「痴漢に声もあげられないと同じ」。これら心象は別に現象を捉えている。いずれにしろ同情や擁護は結果論で建設的でない。「痴漢されたら勇気を出して声をあげよう!」と、それが教育である。後手を引く前に教え正すのが教育である。どこの親も、「拉致されたらいい子しておとなしくしてなさい」と言わないのでは?

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やはり、「隙を見て逃げなさい」では?何をされるかわからないその場にあって、「隙あらば逃げる!」その事だけを四六時中考え、一日でも速く逃げるのが良い。事件解決後に、したり顔で物を言う学者などはどうでもいい。その時点で行為・行動するそのチャンスを伺うことが、最大にして最善の自衛手段である。我が身を守る勇気、勇気や力がないなら「知恵」を出す。

塾で勉強ばかりでは身につかないし、東大卒のお嬢さんにはこういった生きた知恵は浮かばないかも知れぬ。物分りのいいオトナや親が多すぎる時代、あるいは子どもに知恵を授けない教育者が、日本を弱い国にするのか?『トム・ソーヤの冒険』を著したマーク・トウェイン。彼には現実生きるための言葉が多い。そんな言葉の数々が今、あたまを回っている。

最後に本事件の総評だが、誘拐事件もいろいろあったが、本容疑者であったのが不幸中の幸いである。少女が逃げないとタカをくくっていたのか、監禁にしてはかなり緩い。一方の少女だが、逃げる算段がありながら逃げなかったのは、彼女の知能の低さとしておこう。逃げたくなかった?とも考えられるが、頭が悪かったが無難。それが長期に及んだ原因だ。

外出した際、女子トイレに潜伏し、人に110番を頼む方法もあったハズ。したがって、少女は知恵が回らぬ人間とし、人の頭のレベルを責めるのもオカシなことだ。機転の効く人間なら様々な方法を見つけ出して解決は早まった。そして今、少女に誰かがアレコレ知恵を授ける意味はないが、いろいろ聞いて学ぶのは少女自身の向上心といえなくもない。

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少し前、橋下という市長がいた

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昨年12月に政界を引退した前大阪市長の橋下徹氏(46)が23日、テレビ朝日系の特別番組「橋下×羽鳥の新番組始めます!」の中で、参院選の立候補の可能性について「それやったら人間として駄目」と出馬を否定した。羽鳥アナから「町内会長とか。立候補しないですよね」と聞かれた橋下は苦笑いし、「これはない。ちゃんと約束していますから」と明言した。

「(参議院出馬をするようでは)人間として駄目」は、いかにも橋下らしい驕り高ぶらない言葉である。橋下に批判的な一部の人が、「橋下は傲慢」、「上から目線」、「驕り高ぶったものの言い方をする」などというが、それらは橋下の真意を分かってない「坊主にくけりゃ」的見方であろう。彼が弁を最強の武器にするのは、政治に身を置くものとして当然の事。

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彼は府知事や市長を歴任したが、決して地位としてではなく、役目として精力的に働いた。政治に携わる人間としてその辺りに彼のが純粋さを見る。地位に連綿とすることなく役目に徹し、偏ったマスコミや、彼を良く思わぬ造反分子などと正面から挑み、戦った。それを傲慢、上目線というなら、批判を怖れて周囲に媚びる政治家たちの腹の色を見ればいい。

橋下に"腹黒"は似合わない。彼の天をも怖れぬ言葉が人を選ばないのは、心から湧き出るからだろう。人に嫌われることを怖れない人間なのがわかる。腹黒人間を分かりやすくいえば、人に嫌われないように自らを操り、自らを偽る人間のことだ。弁の立つ人間を嫌う人間の多くは、弁の苦手な人間である。橋下は決して「弁舌爽やか」タイプではない。

比喩の多様でトーンを和らげ、主旨を反らす物言いはせず、直球一辺倒である。論を操り論で誤魔化すという腹黒政治家とは似ても似つかぬ男であろう。それを自分は「純」と解釈するが、それは大人の狡猾さと一線を置く、子どもの喧嘩にみる「純」に似て非也かと。橋下は、ズルく、汚い、そんな大人になりきれない少年の心を持った大人と感じる。

だから「やんちゃ」。理論武装を施さない子どもの正直な姿こそが、「やんちゃ」。自分は「やんちゃジジィ」を自負する。人の長所・短所は見方によっても違うし、心の大きさによっても変わってくる。本人が長所と思えば長所、短所と思えば短所でいいし、他人の視点と違っても自分の生き方である。人間は長所を伸ばせばいいのだから、短所はあまり気にしないことだ。

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他人に心を支配されないためにも短所は武器にもなる。人に合わせない人間は傲慢で自己中に思われがちだが、自分をしっかり持っている人間は、自分を殺してまで(あるいは偽ってまで)人に合わせない。自分を持っている人間か、単にわがままかの違いは、その人間が相手を説得しようという姿勢があるかどうか、そこは重要なポイントではないかと。

わがままで頑固な人間にありがちなパターンは、他人の考えに、「それは違うな」というが、「どう違う?だったらお前の意見は?」と水を向けてもいわない。「別に…?違うと思うから言っただけ」などの言い方で持論を説明もせず、堂々意見を主張し、戦わせて相手を説得しようなどまるではない。自らの殻に籠もるが、プライドだけはいっちょ前である。

斯くの人間は、自分と異なる考えが気に食わないだけの器小さき人間である。人に合わせないで文句ばかり言う人間と、他人の意見と戦わせて、正しいものを模索する人間はまるで違う。後者は「人に合わせない人間」というより、「人を引っ張って行く(姿勢の見える)人間」であろう。安易に他人に迎合する人間は、それが他人に受け入れられると錯覚する。

他人に受けいれられたい気持ちの強い人間は、人を説得しようとの発想がない。説得をを面倒と拒む。世に要領のいい人間はいてもいいが、橋下は要領悪き人間の典型であろう。橋下の言動をみながら自分と彼を重ねていたが、「要領が悪い」というより、そもそも「要領」なるが彼にとって嫌悪されている。そこが自分と合い通じる。要領よりも自信が優先だ。

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「(あいつは)要領がいい」と、決して褒め言葉ではないが、「要領」という語句の意味は、物事の要点をつかんだ、うまい処理の仕方であって、むしろ評価すべきことだ。なのになぜ「要領がいい」は悪い意味になったのか。想像するに、要領がいい=頭のいいとなり、嫉妬心から悪い意味に言われるようになったのでは?頭のいい人間に対する誤解であろう。

頭のいい人間は無益なことを避ける。争いも無益として避ける。何が必要で、何が不要かを自身の行動規範とする。それが頭の良さであろう。ところが、橋下や自分にはそういう考えがまるでない。なぜないか?頭が悪いからであろう。何が有用で何が無用という合理思考がない。何事も決めてかからず、戦って有用を勝ち取ろうとする。確かに合理的ではないな。

合理的でなく、回り道であれ、だからこそ得るものがあり、地力もつく。議論や話し合いを必要とし、求める傾向がある。自分の「有用」と他人の「有用」はぶつかり、戦いに必要なのはロジカルである。頭のいい人間は負けることもある戦は避け、他人の「有用」はハナから見下げて無視し、自身の「有用」のみを姑息に袂に隠している。頭がいい=ズルいとも言う。

敵対相手に"手のうち"を見せないのは有用な戦略だが、橋下にそれがない。何でもカンでも包み隠さずオープンにする。脇が甘いといえばそうだが、刃物を袂に隠し持つニヒル性は、橋下の嫌うタイプであろう。自分も腹を割らないタイプを信用しないし、だから生き方的にはその種の対極である。一寸の虫にも五分の魂があるように、バカにも一分の理がある。

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参院選立候補問題について問われ、「それやったら人間として駄目」と、トーンを抑えた。彼は「バカ」という言葉をよく使う。いろんな意味があるから「バカ」を適切な表現として使っているのだろう。自分も好きな言葉だが、他人に対してだけはなく、自分に対して当てはめ、使う。上記はおそらく、「それやったらバカでしょう」と言いたかったハズ。

彼が一面バカでありながら、反面バカでないのはその点で、「(立候補しないのは)約束だから」というのは絵に書いた社交辞令、本心は有名人票を目論む参院候補者など、猿回しの猿が如き恥知らずバカと思っている。選挙は票であり、だから人気がものを言うが、誰でも政治家に向いているのか?橋下はそんなピエロ如き政治家になどなる気がないのだろう。

そういう橋下気質。利用できるものは一本の藁でも…、彼はそんなケツの穴の小さい男ではない。人気があるのを知りつつ、それに乗じない男の気概か。確かに彼はタレント人気で大阪府知事に立候補したが、なったらなったで、それとは無縁に心血を注いだ。長期政権を睨んでの事なかれ主義を避け、議会と対立覚悟で自らの政治能力を試し、量りもした。

身分に連綿とする府議会議員や、市議会議員との軋轢は起こるが、橋下はそういう連中を腹で見下げていたはずだ。「おまえら、どこを向いて政治をやってるんだ?」と。確かに選挙の洗礼を受けるものの身として、府民、市民の一票は飯の種。タレント人気がバックの橋下に対し、そういうやっかみもないではない。が、彼は行動する政治家を目指した。

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タレントに決別し、「力」を人気の土台にしたかった。「力」とはなりふり構わぬ政治的行動力である。そういう橋下の心意気が、市長になって観光の目玉としてぶち上げた「道頓堀プール」や「ATC移転」などの政策だったが思うに捗らず、虎の子「大阪都構想」の住民投票に討ってでた。「大阪都で何がよくなんねん?」の府民の賛同は得れなかった。

他県から大阪を眺めた場合に大阪の人間は、「真面目にコツコツやっている人間」を馬鹿にする、見くびる、下に見る、などの気質があるという。真面目に勉強、仕事をしたりは、「要領悪し」となる。適当に手を抜いて仕事をしないと、"真面目でつまらん奴"、"融通が利かない奴"などのレッテルが貼られ、"都合よく利用する対象"と認定され利用される。

どこにもあることだが大阪は特に顕著かも知れない。とかくこの世は「要領」がものを言う。橋下自身、直球しか投げられない「要領の悪さ」を知りつつ、隠そうなどしない。人間が自らの弱点や短所を隠そうとするのは自然なことであり、偽りの人間を演じても他人によく思われたい、評価されたいのは、誰にでもある心理。政治かも人気稼業ならなおさらだ。

それができない人間を実直という。参院選挙出馬を目される橋下の今だ衰えぬ人気から当選は確実であろうが、そうした人気に甘んじない橋下は、自意識過剰を自ら戒めているのだろう。政治家からいきなりテレビのバラエティ路線への鞍替えに多少なりギクシャク感もあったが、目立つことは嫌いでない彼が、スーツを捨てて以前のヒッピーに戻れるか?

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長かった首長経験からそうそう変わるのも難しいが、主観をいえば彼はバラエティーには向かない。『たかじんのそこまで言って委員会』のような、自己主張番組が彼の個性に合致する。必要以上に自分を殺し、おどけた受け狙いの橋下より、彼の一家言は魅力だった。それらは首長で使い果たし、今後はおどけキャラで行くのだろうか?(本記事は先月の書き溜めである)

「やんちゃ」考

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「○○考」という表題は、○○について思索・思考をめぐらすときに使う。選ぶ対象はなんでもいい、自分もいろいろな「○○考」をここに書いたが、記憶にあるのは、「高野悦子考」、「『混血児』 改め 『ハーフ』考」、「努力・考」、「ホンネ考」、「『「強者・弱者』考」くらい。文学・エッセー、時事評論に「○○考」をみる。「楢山節考」、「蝸牛考」、「同和はこわい考」…


「日本春歌考」という隠れた名著もある。芥川龍之介に「西郷隆盛考」、坂口安吾に「太宰治情死考」がある。「コウ」が3つで「高校考」になる。とにかく人の名でも商品名でもオナラでも屁でもすべて「○○考」になる。論文形式にして「○○論」もあるが、「考」の方が軽い。「おなら考」あらば「放屁論」もある。hanshirouは、『「屁」vs「おなら」』を書いた。

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「屁」と「おなら」は同じ意味で言葉の違いのようだ(屁の丁寧語をおならとすることも多い)が、記事に書いたがごとく、屁はすかしっ屁というくらいだから、音も立てずの無音の風であるが、おならの語源は、「鳴らす」という連用形が名詞に転じたもので、「鳴らし」の頭に「お」をつけた女言葉である。だから屁よりおならの方が気の毒ということになった。

これはあくまで日本文化の習わしであって、外国では音を立てるほうが下品とされるようで、すかしっ屁のほうが尊ばれる。ある映画のワンシーンで、数人の仲間内で臭いが漂ってきたので、「誰か屁をこいたか?」と発すると、こともなげにさっと手を上げる。誰も笑うでなく、責めるでなく、だからさっと手が上がるのだろう。清々しいいい場面を見た気になったが日本では…

あちらではすかしっ屁よりも、音のでるゲップをしたとき、睨まれると聞いた事がある。臭さでいえば断然音のない奴であるが、あちらでは臭さより「音」なのかも知れん。「誰だこのくっさい臭いは?死にそうだ!」などと責められて自殺した女性がいたと聞いたが見つからない。日本昔ばなしの「屁ひり嫁」は、屁を出すときの専用室(屁屋)が現在の部屋の語源という。

「屁ひり嫁」もオモシロイ話だが、あくまで児童向けである。大人向けのオモシロイ屁話にこういうのがある。「ある学者先生の書斎に掃除に来た若いお女中が、一発「ブゥ!」とやらかした。「お許しください」と謝ったが、先生は許してくれそうもない。「罰を与えるからお尻を出しなさい!」といわれ、お女中は仕方なくかわいいお尻をぺろんと差し出した。

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先生は鞭でお尻を叩くところ、アワビを目につい気が変わったようだ、叩くかわりにかわいがった。お女中は苦痛に慄くと同じに顔をゆがめ、苦痛に似た声を塀の外にまで張り上げた。お仕置きが終ると、お女中は何事もなかったように部屋を出る。そして翌日、書斎をノックする者がいる。「誰だ?」の声におずおず入ってくるお女中に、先生は「何の用だ?」と問うた。

お女中は顔を赤らめて言った。「先生、あの~、わたすまたおならをいたしました」。女性には口実がいるものだというのを知る殿方は、よいめぐり合わせに合う機会も多かろう。あくまで古(いにしえ)の女性であって、現代の女性に口実は無用だ。むしろ、男の方にこそ口実は必要かと。「主客転倒」とおぼしきご時世。女は緩めるととめどない。絞めて丁度よい。

その筋の達人おぼしき男のエッセー「まんこ考」というのもある。男なら秘境について書きたいのだろう。躊躇いがないなら書けばよい。自分には躊躇いがあるから書けないが、「女性考」なら書いてもいいと言わずもがな、表題を記さずとも、女性の考察には折りに触れて書いている。漢文を教えるある講師が、「ときどき生徒の読み間違いに苦笑することがある」。と言う。

「万戸侯(ばんここう)」を生徒が大きな声で、「まんここう」と読んだりもある。「万」は「まん」、「戸」は「こ」であるから、そのように読めないこともないが、間違いの対象がそれだけにオカシイ。大阪の学校であるのが幸いしてか、私の生徒たちにとってその言葉の響き自体、あまりインパクトがない。ただ、今や全国区となっており、地方独自の表現も翳んでいる。

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漢詩に「沈沈」とあれば「ちんちん」と読むしかない。蘇軾の七言絶句「春宵一刻値千金」の一節に現れる。別に気にせず普通に、「ちんちん」と読めばいいのだが、男女共学校で、女子生徒がこの漢詩を読むことになれば、女子は皆の前で大きな声で、「ちんちん」と言わなければならない。そこは教師も女子を避けるくらいの配慮はあってしかるべきかと。

  蘇軾の七言絶句 「春夜」

    春宵一刻値千金  
    花有香月有陰  
    歌管樓臺聲細細  
    鞦韆院落夜沈沈 

地理の女性教師が沖縄県にある「漫湖」という湖を説明するとき、おそらく恥ずかしいであろう。ところが、沖縄ローカルの女子アナウンサーは、ニュースで、それも大声で、何ひとつ表情を変えず、ふつうに、さりげなく言っている。まあ、地名だからそれでいいのだが、このような類の言葉をワザと女性芸能人に呼ばせたりと、尖んがった時代になったものだ。 


さて、「ばんちゃも出ばな」は女性に向いた言葉。「やんちゃ」は男専用と思いきや、「やんちゃくれ」というNHKの朝ドラがあった。活発な女性が主人公で、関西ではお転婆女性を「やんちゃくれ」というらしい。もっとも「やんちゃ」の語源は、子どもが言うことを聞かない時に発する、「嫌じゃ((いやじゃ)」が訛って、「やんちゃ」になったとする説がある。

もう一つ、「脂(やに)」は粘って扱いにくいことから、子どもの腕白さをたとえる時に使われた「脂茶(やにちゃ)」が訛って「やんちゃ」となった説があるが未詳。朝どら「やんちゃくれ」は知らなかったし、当然にして観ていないが1998年の作品だ。やんちゃくれな高校三年生女子が主人公。ヒロイン小西美帆は始めて聞く名、始めてみる顔。現在は家族でドイツに居住。 

さて、やんちゃについての考察だが、やんちゃとは、① 子どもがだだをこねたりいたずらしたりすること。また、そのさまやそのような子ども。② 俗に、若者の素行がよくないこと。不良青少年であること、の意。「若い頃はやんちゃしてまして…」というおっさんは多い。が、自分も振り返ればそうであったがそのようには言えない。「言わない」の方が正しいか?

なぜなら今、現在もやんちゃ盛りであるからだ。「盛り」はオーバーかも知れぬが、衰えぬ「やんちゃ」ぶりである。年をとっておとなしくなるのは、「老骨」という言葉があるくらいで、それはそれは気力・体力も衰えよう。が、自分の場合、気力・体力の衰えは微塵もない。ということは、バイアグラいらず?ネコイラズではないんだし、そんなものは無用である。

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無用の理由は女体無用ということ。食べ過ぎたのか無用になった。食べ物にもそういう面がある。何が食べたい(ご馳走の類)というのがまったくなくなった。今、一番のご馳走は、昆布の佃煮、あるいは、野沢菜、白菜やナスの一夜漬けか。はたまた鮭のフレークか。ステーキもトロにぎりも、エビチリも、天婦羅も食べたくないのは、やはり飽きたのだろう。

これを寄る年波というが、そういう意識はない。年齢的にシルバーだから「ジジイ」の呼称はあるにせよ、近年流行の「やんちゃジジイ」である。何をもって「やんちゃジジイ」かといわれれば、ガキ時代のやんちゃがこの年まで続いている、そういう意味のやんちゃである。芸能人にもやんちゃと目される男は多いが、68歳にしてなお体を張る男、高田純次がいい。

彼はニヤケた顔をせず、普通にしていればダンディであるが、不真面目やんちゃキャラの方がお好きなようで、ついつい地を出してしまう。テキトー男の異名があり、何も考えてないようにみせて、その実、何も考えてない素振りが上手いということになる。テイクワン・オフィスという芸能事務所の社長さんでもあり、相手をシビアに観察する有能な経営者タイプであろう。

「思っていないことをいっちゃった」などの言葉を、強調して出すのは、思っていることを言ったということで、後でやんわりと許しを乞う悪気のなさ、人当たりのよさが憎めない性格を現している。その場の空気、雰囲気を敏感に察知する天性の能力を持ち、それに合わせたトークで場を和ませる芸は、芸というより90%は地ではないかと。意外と気遣いのできる男。

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やんちゃの代名詞と言うのは、「イタズラ好き」ではないかと。他人にちょっとしたイタズラをするのが三度の飯より好きな自分は、その時に見せる相手の偶発的本心が、一切の衣を取った真実の人間に見えるからだ。後からカンチョーしたときの反応はこの上ない。多少気心が知れた女性に(「カンチョー」と言いながら、場所を間違えたと少し下を)やるのもこの上ない!

少々の発言、少々の行為ていどなら許されるような、屈託のない、それでいて悪気のない人間を目指したいとある時期思ったことがある。そのためには心を開いて相手を受け入れ、自分も物怖じせずに相手に飛び込む。ギクシャクした人間関係ほど疲弊するものだ。「清濁、硬軟併せ持つ」人間をやる側も楽しい。高田は他人にイタズラよりも、突飛なイタズラを自分にする。

とんでもない恰好をしたりと、それを自らが楽しんでいるのが伝わって来るし、彼のダンディな雰囲気や真面目な顔と、顔の皮が弛み、伸び切ったときのギャップとのあまりの差である。人を楽しませる極意は、自分が徹底的に楽しむことであるのを彼から得る。何事も他人あっての自分だが、自分あっての他人であり、そのバランスが偏らないことであろう。

昨今は地バカ芸人は多いが、バカを演じる知性を持った芸人といえば、高田純次くらいしか思い出せない。明石家さんまは、その境界が不明瞭であり、ビートたけしは北野武という人格が邪魔をして、彼のお笑いはもはや峠を越えてしまった。二足の草鞋を履けているようで、なかなか履くのが難しいと彼を見て思う。そのまんま東も、彼に芸人の看板はあげられない。

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「やんちゃーず」考

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「ザ・ヤンチャーズ」というバンドがある。正式名は「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」で、ロックバンドというよりエレキバンド。といえど、8人のメンバーでエレキをもっているのは加山と高見沢俊彦、エレキベースの桜井賢(2人はTHE ALFEE)で、あとの5人はアコギ。が、近年アコギはエレアコ(エレクトリックアコースティックギター)なので、エレキバンドになる。

メンバーは加山雄三、谷村新司、南こうせつ、さだまさし、紅一点森山良子とアルフィーの桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦となっている。親しき仲間同士の寄せ集め話題先行バンドというコンセプトだろうが、いわゆるフォーク系の7人と、元エレキの若大将で、どういうサウンドを目指しているのやら。存在すらも知らず早速YouTubeで聴いてみたが…

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色物バンドは商業的成功より、楽しくやるならそれで十分。ところでザ・ヤンチャーズがさだまさしの命名という。2010年にデビュー50周年を迎える加山雄三が、彼を慕う友人と結成したバンドで、同年6月4日の日本武道館公演を皮切りに、6月12日には名古屋の日本ガイシホール、6月20日大阪城ホールの三公演を行った。現在の活動はないようだ。

これに先立つ4月7日には、加山雄三デビュー50周年記念シングル『座・ロンリーハーツ親父バンド』をリリースした。加山は1938年4月11日生まれだから、あと3日後には79歳になる。永遠の若大将を自負するだけに、若いといえば若いが、多少の世辞も入っている。どのアーチストにも旬があるように、男優加山の全盛期、ミュージシャン加山の全盛期を素晴らしかった。

そういった往年のファンが日本武道館や大阪城ホールに駆けつけ、会場内はシワ顔、白髪にハゲ頭で埋め尽くされている。自分たちの世代にあって、加山といえば日活若大将シリーズの映画俳優であったが、1965年『君といつまでも』という楽曲で、突如歌手としてデビューしたのには驚いた。俳優よろしく楽曲中のセリフ「幸せだなあ」は、後に流行語となる。

もとはセリフはなかったが、本曲のレコーディングが行われた毎日放送千里丘放送センターにおいて、あまりの編曲の素晴らしさに感動した加山が、「いやあ、幸せだなぁ」と呟いた。それをセリフとして入れようとなったらしい。つまり、俳優としての加山の部分をプラスアイデアにしたのだろう。300万枚を超える大ヒットになり、翌年第8回日本レコード大賞特別賞を受賞。

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加山の音楽的才能は、実は映画俳優デビュー以前の慶応大学生時代に始まっており、全篇英語のバラード「DEDICATED」を作詞作曲している。それが映画若大将シリーズ第4作「ハワイの若大将」で主題歌として採用され、更に第5作「海の若大将」でも使われている。が、当時東宝の製作責任者藤本真澄氏が、今回は「英語の歌詞は駄目だ」と注文をつけてきた。

加山も「日本語では締まらない」と譲らなかった。結局、歌い出しの I love you…、Yes I do…だけ認めてもらい、あとは岩谷時子が日本語の歌詞をつけることで双方が納まった。こうして出来上がったのが、『恋は紅いバラ』である。この曲はシングル盤として発売され、25万枚のヒットとなる。英語のままだったらこういう結果になっていなかったろう。

加山のレコード・ヒットとともに、早速、渡辺プロダクション社長でミュージシャンでもあった渡邊晋から、自作自演による作品依頼が舞い込む。加山は当時渡邊プロに在籍していた。「あの曲より、もっと良いのを書いてくれ。同じコード進行でもいい。1週間後に頼む」と、晋社長は加山に申し渡した。締め切りの前日、ピアノに向い、1時間半で捻り出した。

その曲が『君といつまでも』である。聴けば分かるし、弾いて見ればさらにわかる『恋は紅いバラ』と『君といつまでも』はまったく同じコード進行である。三連音符のシャッフルその他も同じで、作曲というより、『恋は紅いバラ』をモチーフに少し変えただけのものだ。そしてレコーディングとなったが、当日のことを加山は後にこのように述べている。

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「岩谷さんがロマンチックな歌詞をつけ、豪華なオーケストラと合唱を入れた森岡賢一郎さんの編曲も実に素晴らしい。スタジオのマイクの前で、僕は感極まっていた。『しあわせだなあ』」。間奏でふとつぶやいた一言を、ディレクターが逃さずキャッチし、即座にそれを曲中に入れようということになった。「間奏にセリフを言うのはエルビスの真似もあった」と加山。

学生時代にバンドをやっていた加山は、当時全盛のエルヴィス・プレスリーの楽曲は研究し尽くしていたろうし、そういった肥やしが、録音時に生きたのかも知れない。数々の映画の出演し、数々の名セリフも吐いた加山は、『僕は君といる時が一番しあわせなんだ』というアドリブを披露した。『君といつまでも』は、映画「エレキの若大将」のなかでも歌われた。

当時の加山の楽曲はロッカバラード風で循環コードの単調なものであったが、そんな加山の曲にスピリットを与えたのが岩谷時子であろう。岩谷の詞がなければ加山の曲はそれほど見映えするものではなかったろう。貿易商社勤務の父の関係で朝鮮・京城府に生を受けた岩谷は5歳のころに兵庫県西宮に移り住む。西宮の小中高を経て神戸女学院大英文科に進学。

卒業後、宝塚歌劇団出版部に就職。歌劇団の機関誌『歌劇』の編集長を務めた岩谷の作詞の素養は宝塚歌劇団の影響もあろう。そうした中、偶然宝塚歌劇団編集部にやってきた8歳下の当時タカラジェンヌで15歳の越路吹雪と出会う。2人は気が合い、岩谷は越路の良き相談相手となる。越路が宝塚歌劇団を退団して歌手になりたいと相談を受け、岩谷も退職を決意する。

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以後岩谷は越路のマネージャーとなった。そのかたわら岩谷は越路の『愛の賛歌』を初めとする訳詞、作詞を多く手がけていく。モダニズム作詞家である岩谷は、ヨーロッパに行ったことがなかった。海外体験はハワイに一度行ったきり。「現地を体験していないからこそリアル、というパラドクスがここにある。しかし、それが『文学」の力だともいえる」。

まったく対照的なのが作詞家の安井かずみである。海外旅行がめずらしかった当時にあって、世界中を旅をして貴族や有名人と優雅な生活を送った。1967年、ローマにて青年実業家と結婚するも、翌年ニューヨークにて離婚。1969年からパリに暮らし、1971年に帰国。1977年にはミュージシャン加藤和彦と再婚。優雅なライフスタイルで憧れの夫婦として支持された。

安井は55歳の若さで病没したが、2013年に死去した岩谷は97歳の大往生であった。安井は4000曲もの楽曲の作詞をしたが、伊東ゆかり「恋のしずく」、沢田研二「危険なふたり」、小柳ルミ子「わたしの城下町」、アグネス・チャン「草原の輝き」、郷ひろみ「よろしく哀愁」、竹内まりや「不思議なピーチパイ」、槇みちる「若いってすばらしい」などが印象的。

「若いってすばらしい」は数あるJ-POPSのスタンダードと言っていい曲だが、作曲の宮川泰は、「あの曲は歌詞が素晴らしく、だからあっというまにできちゃった」と述べていた。歌った槇みちるもこう述べている。「当時わたしは『スターかくし芸大会』の収録中ですごく忙しかったんです。そこへ宮川先生とかずみさんが来られ、稽古場でその曲を作ったんです。

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その時かずみさんは、『まり太郎(当時のわたしのニックネーム)のまんまのイメージで詞を書くね"といわれ、わたしの雰囲気を感じ取りながら詞を書き上げられたんです。あっという間でした。で、わたしがサビの部分がちょっとちがうかな~、か思いながら口ずさむとかずみさんは、『そういうふうにしたい?じゃ、そうするね」と言われたのを覚えています。」

いずれにしてもこんないい曲って、あっという間にできるんだなと。「あれはホントにいい詞だから」と、まさに宮川曰くである。作詞家は歌い手の個性に影響され、作曲家は詞に触発されるようだ。ピンク・レディを手掛けた都倉俊一と阿久悠、宇崎竜童と阿木燿子、来生たかおと来生えつこも互いを影響し合った。作詞家のなかにし礼もこんなことを言っていた。

TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』は、JR東海とのタイアップにより制作されたシングルだが、当時JR東海の葛西敬之社長がなかにし礼に「新しい鉄道唱歌を作って欲しい」と依頼したという。なかにしが書いた詞を作曲家の筒見京平はこう表現した。「あの詞をもらったとき、なんだか人に会えたという気がした。その世代の人の気持ち、倫理観、そんなようなものです。

久々にそんな気になりました」。なかにしは、「今まで生きてきて、何が今まで自分の生を支えてきたのかな?そういうものを若者に残してみたいなと、そういう気持ちで書いたものです」。筒見はこう続けた。「これまでも、今後も、もうないんじゃないか、そういう迷いの無さのようなものを、礼さんの詞から感じ、後は完成品に曲をつけるしかないと…」

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「詞について二人が何も言い合ったことはないですが、完成された曲を聴いて、さすが京平!そう思いました」。作詞家と作曲家のまさに良い関係の一例であろう。もちろん、逆の場合も多い。「こんなにいい詞なのに、なんてつまらないメロディーか!」もあれば、こんなに素敵な曲を、(後につけられた詞で)台無しにされた感じ!」は、往々にしてあるという。

ならばと、書いて作って歌うという一人三役のシンガーソングライターも生まれた。二十世紀を代表する職業作曲家の筒見京平は、どんな作曲家もライバルとして感じたことはなく、脅威と思ったこともなかったが、吉田拓郎の出現には脅威を感じたという。新しい時代の流れは、少なくとも自分たちの時代の終焉という、そんな脅威であったのかも知れない。

作曲家は曲だけでなく、詞の事まで考えなければいい曲は書けない。自分で作詞をすればいいわけだが、作曲家の多くは、作詞家に歌詞を書いてもらう。ニワトリかタマゴかではないが、ヒット曲業界は、圧倒的に「作曲が先」の場合が多い。作曲家はメロディーとサウンドだけに集中してデモテープを作るが、メロディーにどんな詞が乗るかの想像はつかない。

したがって、作詞家の力量が大きく問われる。メロディーのリズムや高低に合わせ、アクセントなどの違和感なきように、言葉をメロディーにはめ込まなければならない。先に詞ができている場合、作曲家は言葉が違和感なく聞き手に届くメロディーを考える。言葉の句切り、アクセント、ニュアンスなどに気をつけながら、美しく自然なメロディーを作る。

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歌詞の意味やテーマやメッセージも読み取り、メロディーの世界感や雰囲気をそれに合わせための熟練したテクニックと感性が必要となる。洋楽にも作詞家と作曲家のよい関係が、いい楽曲も沢山生んだ。エルトン・ジョン&バーニー・トーピン、ポール・マッカートニー&ジョン・レノン、ブライアン・ウィルソン&ヴァン・ダイク・パークスなどが浮かぶ。

朝霞少女誘拐について大胆予測

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2015年1月20日に「齋藤杏花さんについて大胆予測」という記事を書いた。予測というのは様々な事柄を根拠に思考をするが、根拠とはどんなことか?例えば、少女が携帯と財布を置いていったについて、家出ならせめて財布くらいは持って行くだろう。今どきの人間は何があっても携帯は絶対といい、どちらも置いていったのは、学校に持っていかなかった?

となると家出というより事件?それらの事実のなかから「根拠」を探ることになるが、不確定な事象における根拠(推論)というは、可能性からの選択であるからして、できるだけ多くの可能性を必要とする。したがって予測とは、当たらなかったからダメとか、責められるとかでなく、当たって嬉しい競馬の予想ともちがって、推理小説のような思考トレーニングである。

携帯と財布を置いて着替えもせず、制服のままで消えた真相は、学校から家に帰る前に容疑者から、「親が離婚をすることになったから弁護士のところに行く」と声をかけられ、拒否をしたところクルマに押し込まれて連れ去られたと少女は述べている。しかも、目隠しをされていたというが、少女に目隠しをしたのは容疑者なのか?だとすればクルマの運転前となる。

押し込んだのは助手席か後部座席か?容疑者が少女に目隠しするときクルマは動いていず、目隠しの恐怖から咄嗟にドアを開けて逃げ出しそうなもので、これから起こる何事かの不安を前に、何をおいても逃げるべきだった。「怖くて逃げられなかったのだ」と人は言うが、思うにこの少女は、鈍感で気転の利かないおっとりタイプの性格と考える。行為が俊敏でなく、知性が感じられない。

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その日、母親はポストに少女の手書きのメモを見つける。そこには、「家も学校もちょっと休みたいです。しばらく友達の家です。さがさないでください」とあったが、内容は容疑者の指示であるという。書いたのはクルマの中とし、ではポストに入れたのは誰?少女か容疑者か?少女に指示するのは逃げる可能性もあり、おそらく投函は容疑者であろう。

容疑者がポストに入れるならクルマを降りる。聡明な子ならそこをチャンスとすべきだが、これまた「怖かったからできなかった」と人は言い、自分はそうは思わない。今、起こっていることに鈍感な人間は、何をすべきかも含め、暢気(他の言葉でいえば、ポカ~ンと)に静観するように、少女もそういった性格では?こんな風にいうのも、そういう愚鈍な人間は結構いる。

普通と違って予期せぬこと、想定外のことに遭遇した際、頭が回らないというのか、天然とでもいうのか、ただボケっとするだけで何もしない人間。今、起こっていることの現実を知的に捉えられないのだろう。この少女がそうであるより、そういう人間がいるということ。何でもカンでも「怖くて逃げれなかったのだ!」の意見に対し、自分はこちらを推理する。

人が違えばいろんな意見がある。誘拐に固執するあまり、「怖くて逃げられなかった」ばかりはバカの一つ覚えであり、視野を広げて思考する必要を感じる。カメラのファインダーを覗いて見る視界は、任意の狭い範囲が見えるが、ファインダーの外にも世界がある。ファインダーから目を離すと視野が広がるように、思考以外の思考をすれば視野が広がる。

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それにしても、逃げるを前提に考えればポストのメモさえ謎である。少女の目隠しも容疑者から、「これで目隠ししろ」と指示の可能性もあり、自分が映画監督ならそういう演出をする。なにかにつけて素直に従う少女という設定だ。同じ13歳で、「目隠ししろ」と言われて、「いやだ!何でしなきゃいけないの」と反抗する子もいる。そういう子をは普通に存在する。

親や権威者を妄信的に従う子、反抗を態度や言葉に表す子、反抗心はあっても従う子、それらの違いは家庭環境の差ではないか。子どもといえども、主体性を認めて押さえつけない育て方をする親もいれば、子どもは親が支配するものとばかりに反抗も許さない親もいる。後者は従順、前者はわがままになるが、わがままも考え方を変えれば主体性の発露である。

さて、寺内容疑者の千葉のマンションだが、道路面にベランダがあり、2つの部屋のサッシが別々にあり、どちらの部屋からもベランダに出られる。少女は「部屋の外側から鍵をかけられていた」と言ったが、警察の現場検証によると、外側から施錠などの細工はなかったと発表された。ということは、普通にベランダに出入りできたが、こういわれたのかも。

「ベランダには絶対にでないこと」。それで出なかったなら少女は言いつけを守ったことになる。容疑者は休むことなく大学に通っていたと大学側の発表だが、そんな部屋の状況なら自分は速攻でオサラバ。「ベランダには出るな!」と言われて従う理由もないが、おそらく少女は親にも逆らわぬようにキツク、厳しく教育されていたのだろうか?まるで人形のように。

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「出るなと言われたら出ないんじゃない?」と擁護する者もいようし、その人間は親の言いつけを守る子どもだったのか?捜査本部はこのような状況で、「監禁罪」の適用は難しく、見送るしかあるまい。容疑者側にも弁護士がつくし、こんな状況で監禁罪なら弁護士も黙っちゃいない。少女が、「窓に外からカギがかかっていた」と言ったのはこういうやり取りか。

捜査官:「窓からベランダに出て、道路の人に『助けて』となぜいわなかったのか?」

少女:「そうしようと思ったけど、窓には外からカギがかかっていたし…」

捜査官:「かかってなかったけどね、カギは…」

少女:「そうですか?でもかかってると思ったから」

捜査官:「……」

こういうやりとりは、子ども相手にありがちだ。親でも経験あろうが、親なら「いい加減なこと言うんじゃないよ。そんなんだったら許さないから!」と怒りまくる。被害少女相手に警察は少女の言い分を黙って聞く以外にない。疑問をぶつけてもまともな答えは期待できない。また少女は、「逃げたら殺されると思った」と言ったようだ。これも以下のやり取りを想像する。

捜査官:「一緒に出かけたんだろ?なぜ逃げなかったの?」

少女:「ずっと手をつながれていたし、だから逃げられなかった」

捜査官:「手をふりきれるだろう?トイレといえば男はついてこれないだろう?」

少女:「でも、逃げたら殺されると思ってたので…」

捜査官:「アホ!女子トイレに入ったら殺されるんか?」(などとは絶対言わない)

イメージ 5が、言いたくもなろうし、「もう少し、考えて物を言えば?」なども喉元まで出かかろうが、そんな事は被害少女に言えない。二人で部屋にいる状況も、外出中の状況も、容疑者が長時間大学に行き、一人部屋にいる状況も、なにもかもが同じ状況下、ミソもクソも一緒というのは、正確な状況判断が出来ないという思考停止状態は、頭の悪さというしかない。

我も我もと、少女擁護の意見が多いのは自分を周囲と同じ立ち位置において安心、安住、共感を得たい現われだ。その方が攻撃されない、異端視もされない。「雷同」は雷が 鳴ると万物がそれに応じて響くが、それに「付和」(みんな一緒)を付け足し、「付和雷同」という。思慮を感じる下の書き込みは多勢に無勢の中、誰もが見向きもしないが精彩を放っていた。

「少女は外から鍵がかけられてたいたと説明してますが、実際にはそういった証拠がなく、証拠が見つかったが情報が一切ない。被害者家族は非常に厳しい家でそれを被害者女子はかなり嫌がっていたとの話もあり、単なる家出少女だとは思いませんが、スーパーに一人で出かけたり、掃除や料理までし、鍵がかかってるドアに宅配員に笑顔で出たり、一緒に引越たり。

ご近所からは二人は友達みたいな雰囲気だった。外食店員は頻繁に二人で食べに来てたなどの証言もある。少女の本性がこれからわかりますよ。人間は自分の思考範囲外になると、己にとって都合いい解釈になります。もちろんこの男は犯罪者でもあり、論外ですがこの少女にも問題もあり。短期間ならまだしも多少の自由がある2年間は単なる監禁とも違いますよ。

複雑な思春期の少女の気持ちより、続々に出てくる証拠が真実。今後、短絡的な思考の方の手のひら返しだけは止めてほしい」。当たり前に思考すれば、当たり前に沸く考えである。この事件は、誘拐事件にしてはかつてなかった特異な様相を示している。誘拐されれば被害者であるけれども、過去このような形の誘拐被害者はいなかっただけに、本件は不可解である。

「監禁」という言葉がどうにも当てはまらず、当てはまらない以上、少女がそこから逃げたくない理由は必然的に湧いて出る。例えばスーパーに一人で買い物という事についても、普通に、「買い物に行ってくる」といって、そのまま容疑者宅に普通に戻るのは、怖いからというより、「帰りたくない」、「帰るのが怖い」、「帰るのは嫌」などの気持ちがなかったと考えるのが妥当である。

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それでも、「洗脳されていたから」、「心身を拘束されていたから」の意見は、少女が逃げてきた理由の説明がつかない。つまり、少女は自身が逃げる意思を持ち、逃げようという行動を取れば逃げられたわけだ。「あの日は絶対に逃げられる状況を、少女が悟ったから」と限定するのは、辻褄合わせの詭弁である。逃げるに相応しい状況はもっともっとあったろう。

要約すれば、少女は逃げたいと思ったら逃げ出せたということ。今まで逃げなかったのは、条件云々というより、逃げたいと思わなかったからである。2年間も顔を突き合わせ、一緒に食事もし、テレビも観、会話もすれば、様々な言葉を交わすはずだ。「ウチはもう家には帰りたくないし、ずっとここにいるね」くらいの方便やおもね言葉は、少女といえども女なら口に出すはずだ。

自分に気概を加えるでなく、自分に好意を抱いているくらいはわかろうというもの。そういう相手を喜ばしたい言葉を吐いて、何の損がある?相手のにやけた顔は誰だって心地いいはずだ。オトナの恋愛でも、そんな心ない言葉をいいたいときはあろうし、そういって相手を喜ばす。恋愛ゴッコともいうが、それが人と人の虚実にまみれた「人間関係」である。

ずっと少女の他愛もない証言ばかりが出ており、少女はこうだった。こんな言葉を吐いていた。などの容疑者の供述は出てこない。おそらく捜査本部は出さない。あるいは、少女を慮ってか、少女が容疑者に吐いた一切の言質を自らの内に押しとどめて言わないなら彼も男である。逮捕後も凛とし、顔を上げ、節目がちな姑息な態度を見せない彼に意志の強さを見る。

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自ら決めたことはやるという意志の強さ。誘拐という犯罪で罰を受けても自身の夢に託したのか?人が犯罪に誘発されても抑止するのは、道徳や倫理観もあるが罰が怖いからである。罰は犯罪の抑止力になるが、それを押しのけて少女と時間を共にするという夢の実現は、誘拐という犯罪しかなかった。女を口説けない男の屈折した倒錯心理であろう。

逮捕直前に彼は言った。「上手くいっていたのに、なぜ逃げたか分からない」。憐れと聞き入ったが、初心で無知な男は女の魔性を知らない。ささやかな生活の中で、「わたし、ずっとここにいる」などと言われて天にも昇る心地もあったのか。そんな言葉を間に受ける男は、まだまだ月謝が足りてない。男は女に騙されて大人になって行くが、永遠に大人になれぬ男もいる。

「人生や人の子たるものの宿命の根柢から考察せられることが欠けている…」と安吾は言ったが、人の人生は考察だけでは分らない。人生とは行為するものだし、子どもの心は、大人以上に見えないものだ。子どもの言い訳というのは、それ自体が名言であったりする。言い訳をすることで、すべてを解決できてしまおうなんて、「名言」に決まっている。

子どもの貧困対策

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子どもの貧困が大きな問題となっていることは指摘した。ひとり親家庭の貧困率は50%を超えており、そのことで子どもの6人に1人が貧困状態にあるのは深刻である。子どもの貧困は見えづらいものである。 しかし、食に困るような貧困の子どもたち、親が忙しすぎてひとりでご飯を食べているような子どもたちがいるという現実を我々は報道で知るだけだ。

「貧困の連鎖」、「貧乏は遺伝する」などの記事を書いた。なりたくて貧乏になる者はないが、なったらなったで頑張って生きていくしかない。みんなが貧乏だった時代を知っている。さらにもっと前には食べる米もない、買うお金もない極貧生活の時代も文献や映画などで知っている。それでも懸命に生きた人たちはいたが、何を支えに生きていたかもそれぞれだ。

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「困ったときはお互い様」という、隣近所や地域社会の連携というのもあった。多めに炊いた煮物や、畠になった野菜などを近所にもっていくのは、当たり前の時代であった。今は、残り物を隣に持て行くなど、失礼極まりないであろう。地域社会の連帯が絶え、近所付き合いをせず、それぞれが孤立して生活するのが当たり前の時代に生を受けた人たちである。

地域社会の連帯は人間の集団本能に基づくが、経済的先進国社会にあっては、そこに住む人々は無意識のうちに集団欲求が崩壊していくという。つまり、地域社会の連帯が希薄になるのは経済との関わりがある。さらに経済先進国にあっては、家族間に「はじき出し現象」を生む。夫婦は老人と同居を嫌い、子どもを産み育てることも嫌い、子どもの数は激減する。

自分が親になりたてのころ、「子どもを幼稚園や保育園にやるのは親の怠慢である」という文字が印象的に頭に焼き付いた。そんな事はあたりまえと考えていたのに、その言葉は新たな思考を生みだすきっかけになった。行政は福祉と称して老人ホームを作り、保育園・幼稚園をつくり、結果的に夫婦に老人や子どもに手をかけなくていい社会教育を奨励する。

奨励すれば抵抗なく当たり前に感じるようになり、必然的に老人放棄、育児放棄という危険性も孕んでいる。そこで有用な言葉は、「仕方がない」である。「仕方がない」は便利な言葉で、仕方なくはなくても「仕方がない」といえば、仕方がないとなる。これなら誰でも「仕方がない」を多く使いたくなるはずだ。「仕方がない」は本当に「仕方がない」のか?

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おそらく違うはずだが、「仕方がない」ということによって物事は仕方がないとなる。よって、人間の言い訳言葉のチャンピオンは、「仕方がなかった」である。自分は言い訳を好まず、よって三大言い訳言葉の「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」を禁句にしているが、行為前の「仕方がない」、行為後の「仕方がなかった」も意識して使わないでいる。

人の言う「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」も言い訳としか耳にいれず、「仕方なかった」には腹も立つ。忙しい…無能、めんどう…横着、疲れた…弱音にしか聞こえず、そうとしか受け取らない。「仕方がなかった」は行為しない言い訳であろう。よほどの「仕方がなかった」場合を除いて、人間は行為ができると思っているし、その思いが行動につながる。

つまり、「仕方がなかった」を多用する人間は、行為をしない人間が多い。「仕方がなかった」を言わない人間は、行為の可能性を模索する。世の中、よほどのことでない限り、「仕方なくはない」と思っている。子どもが川で溺れている。助けたいが自分は泳げない、黙ってみるしか仕方がなかった。という「仕方がない」でさえも実は、「仕方がない」とはならない。

なぜなら、「なぜ人を呼びに行かなかったのか?」と問われてどう答える?「仕方がなかった」を言わない人は、さまざまな行為を模索するから、「仕方がなかった」という人より思考の幅が広い。それは能力が高いことになる。上司から見れば、「仕方がない」の多い部下は無能者である。学業成績とか出身校のレベルで判断できない、人間の重要な能力は沢山ある。

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上にあげた言い訳言葉を絶対に言わないと自らに言い聞かせるだけで、知らず知らず、自分の能力は向上する。その理由は行為(行動)の人になるからだ。行動しないで御託ばかり並べる人間は信用されない。男だからか男で行動しない奴、を「へタレ」とする。屁はその場にじっとしてたれるものだ。だから、男の子を間違った風に育てる母親に気づくことが多い。

男の子の腕白や突飛な行動は、社会を渡り歩く土台であり、この芽を絶対に摘まない事だ。親なら誰でも自分の子に幸せになってほしいと願うものだが、だからといって、ケツをひっぱたいて勉強、勉強というばかりではない。「行動する男こそ社会で光る」という事を知っているだけで、男の子に対する見方が変わる。だから母親は女の視点で男の子を見てはダメ。

子どもに入れ込む親は多い。学業に限らず、スポーツでも芸事でも、積極的に子どもに関わる親は多い。この風潮は何十年くらい前からか?おそらく日本が豊かだった時代が起点ではと考えるが、日本の経済成長を振り返ると、日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの約19年間を、高度経済成長期という。

では、経済成長とは何かといえば、GDP(国内総生産)の伸び率を、経済成長率と言うのが一般的だが、GDP(国内総生産)とは何かについて、をキチンと答えられる人は少ない。難しい語句でいえば、「一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額」のこと。さらに分かりやすくいうなら、国内で自動車を製造・販売するある企業の売上高が1兆円だったとする。

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それに対して自動車を作る鉄、タイヤ、シート、ヘッドランプなどの原材料や部品購入費の合計が6000億円とするなら、この会社の付加価値(会社が新たに作り出した追加的な価値)は、差し引き4000億円となる。このように計算した付加価値を、国内のすべての経済主体について足し合わせると1国のGDPが算出できる。ちなみに日本のGDPは約500兆円となる。

つまり、日本人が1年間に稼ぐ所得の合計が500兆円ということだ。アメリカは約1500兆円。中国が約1000兆円、EUが約1800兆円(推計)となっている。現在中国は日本の2倍だが、世界第2位を誇っていたGDPが中国に負けたのは2009年だった。その時は日本が約5,035.14(単位:10億USドル)、中国が約5,059.72(同)だった。日本は2012年から下降が始まった。

現在の日本の貧困率は16.1%で、これは子どもの6人に1人が貧困ラインを下回っている。「子どもの貧困」は、低所得の家庭の子どもが低学力・低学歴となり、将来不安定な就業に陥ることで、次の世代にまで貧困状態が連鎖していく(=貧困の世代間連鎖)問題を孕んでいる。貧困ラインを下回っている人の年収が125万円、月収にして約10.4万円となり、年々増え続けている。

高度経済成長期時代の子どもに比して、今の子どもはその圧倒的な格差の前で、ハングリー精神さえ喪失する。「ハングリー精神」とは、「頑張ればこの状況を脱することができる」という自己効力感あればこそで、圧倒的格差のなかに長期間置かれた子どもは頑張り意欲を喪失し、「金持ちと結婚したい」とか、「生活保護で働かずに生活したい」などになり易い。

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小・中学校は義務教育ゆえに、どんな経済状況でも就学援助で学校に行けるが、高校になって親がリストラや倒産などで経済状況が困窮すると、高校を辞めざるを得なくなったり、進学を諦める状況になる。高校教員間でも、「親がリストラで学費が払えない」とか、「保険証をもっていない生徒がいる」など、学びの質の前に生活そのものが困窮という話題も出たりする。

なかでも離婚などによるシングルマザーなど、一人親家庭の貧困率は50%を超えている現状だ。子ども6人に1人が貧困といっても、「言っていることがよくわからないし、日本に貧困層がそんなにたくさんいるなんて信じられない」という人も多くいる。が日本の貧困率は先進国30ヶ国の中でも4位となっている(相対的貧困率)。なぜ日本に貧困率が多いのか?

諸外国の貧困は移民が多いなどの理由もあるが、それがない日本人で貧困が増えているのは、非正規労働者の問題もあるし、働いても給料が安い母子家庭にも貧困が発生する。安い服を買ったり、義務教育は受けられるので一見普通に見えるが、子どもの栄養状態はよくないし、給食が一番栄養価が高かったりする。果たして子どもの貧困をなくすために何ができる?


子どもの貧困対策 ②

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『貧乏は遺伝する』の記事に書いたが、現段階では「子ども食堂」を各地でつくろうというムーブメントが各地で盛んのようだ。食に困っている子どもたち、あるいはひとりでご飯を食べている子どもたち、また、母子(父子)だけでさびしく食べている親子が、子ども食堂にやってきて楽しくご飯を食べる、そんな取組だ。ホームレス支援の「炊き出し」にあたる。


すばらしい取り組みである。そのことで子どもたちに笑顔が生まれ、それを見る大人たちも幸せな気持ちになり、さらには子どもたち自身が、「孤独ではないんだ、助けてと言ったときに助けてくれる大人たちがこの社会にいるんだ」と思えるようになる。同時に、関わる大人たちも、自分が生活する地域を変えていける、そんなきっかけになるのではないだろうか。

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無料学習支援なども広がっている。居場所づくりと学習支援、これが子どもの貧困対策の主流となりつつある。相互扶助、助け合いの精神は、ヒューマニズムの観点から尊いものであるが、これだけでは不満である。納得もできかねる。憲法25条の条文が過ぎる。1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。これは生存権を謳った文言だ。

生存権を簡潔に言うと、人間が人間らしく生きる権利のことである。人間が生きることそれ自体は「生命権」という問題だが、生存権とは、人が一定の社会関係のなかで、健康で、そして文化的な生活を営む権利がある。それが憲法に保障されている。これらは国家の社会保障制度で補うものである。つまり国民の権利は国家・政府の義務によって支えられる。

生存権は子どもの貧困だけではない。2015年5月29日東京都526人を皮切りに、全国13都府県で「年金支給額の引き下げを憲法違反とする集団訴訟」が始まった。これは年金法で定められている年金のデフレスライドの実施や、年金財政を安定化させるための給付抑制が、最低生活を保障する憲法に反するという主張だ。この集団訴訟の主要なポイントは以下の3点にある。

第1は、個人単位の国民年金の給付額は、40年加入で月額6.5万円、平均ではわずか5万円に過ぎず、これで単身者の生活が保障されるものではないだろう。その上、無年金者が100万人も存在する。第2に、過去のデフレスライド停止分の利得返済(特例水準の解消)は、物価上昇の中で解消するべきで、物価下落局面での年金支給減額は法律違反である。

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第3に、年金の実質減額(マクロ経済成長スライド)は、憲法で禁止されている、合理的な理由なく財産権を侵害する行為に相当する。というものだが、中身を精査してみると、本シルバー訴訟には以下の3つの視点が欠けている。①そもそも公的年金は、憲法25条に基づく生活保護のような最低生活保障ではなく、給付と負担の均衡原則に基づく「保険」である。

②公的年金の受給者が、過去に支払った保険料に対応する財産権を持つとしても、それは現実の給付額の一部に過ぎない。実際には、勤労者世代の財産に強制的に課される社会保険料・税を財源とした、多くの世代間の所得移転を受けていることである。③低所得階層の所得維持のための給付引き上げは、結果的に中・高所得層の年金受給者にも大きな利益となる。

現制度では大雑把に、月1万5590円の国民年金保険料を40年間負担すれば、65歳から月6万5008円の給付を、約20年間(男女の平均寿命)受け取れるが、給付額の半分が税金からの補助で賄われている。これは生涯負担の倍近い給付を保障する高収益の金融商品といえる。それでも高齢者の生活支援に不十分なら、当然にしてそれに見合った高い保険料が必要になる。

ところが保険料の負担増には反発が大きい。それと、無年金者や満額以下の年金しか受給できない受給者が多いという問題については、給与から保険料を強制徴収されるサラリーマン以外に対し、保険料を強制徴収が不完全な年金行政の問題にある。相互扶助の問題として若い時に率先して年金を払わず、貰う時期になって「少ない、足りない」はいかがなものか。

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集団訴訟のポスターには、「若者も安心できる年金制度を」と謳われているが、これは「年金給付拡大の恩恵は、いずれ若者が高齢者になれば受けられる」という前提に依存している。しかし、これは人口の年齢構成が将来も不変という、少子高齢化社会と矛盾した前提に基づく根本的な誤りであろう。確かに、高齢者はそれほど多くの年金を貰っていない。

が、しかし、過去40年間に男性の平均寿命が11歳伸びるなど、長寿化による生涯の年金受給額の増加が重要である。現在の年金制度は500兆円強の積立不足(隠れ債務)が存在しており、この額は日本のGDPの額を上回っているが、現在の高齢者の年金給付が問題なく行われている現状は、勤労世代の積立金を取り崩すことでなんとか賄われているに過ぎない。

集団訴訟のポスターには、「若者も安心できる年金制度を」と謳われているが、これは「年金給付拡大の恩恵は、いずれ若者が高齢者になれば受けられる」という前提に依存している。しかし、これは人口の年齢構成が将来も不変という、少子高齢化社会と矛盾した前提に基づく根本的な誤りであろう。確かに、高齢者はそれほど多くの年金を貰っていない。

が、しかし、過去40年間に男性の平均寿命が11歳伸びるなど、長寿化による生涯の年金受給額の増加が重要である。現在の年金制度は500兆円強の積立不足(隠れ債務)が存在しており、この額は日本のGDPの額を上回っているが、現在の高齢者の年金給付が問題なく行われている現状は、勤労世代の積立金を取り崩すことでなんとか賄われているに過ぎない。

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自分も年金受給者である。65歳になれば満額を自然に受け取れるものだと思っていた。が、社会保険庁から以下の問い合わせが来たのに笑ってしまった。65歳給付を1年遅らせて66歳にしていただけるなら、年8%の増加させますというもの。なぜ笑えたかといえば、仮に支給額が月額20万円として年間240万。それに対する8%増加分は年額19.2万円となる。

年額19.2万なら10年でも192万円ではないか。そのために1年間の240万を貰わないで果たして得なのか?損なのかは、人によって違うだろうが、数字上でいえば、11年以上生きられたら月に1.6万円づつ得をする計算になる。選択の問題であろうが、自分は少し笑ってそれを選択しなかったということ。子どもの貧困ばかりではなく、高齢者の貧困問題もないわけではない。

昨年6月30日、新幹線車両内でガソリンかぶって焼身自殺した男がいた。黒焦げ遺体の運転免許証で東京都杉並区・林崎春生容疑者(71)と判明した。彼は犯行前に年金受給額の少なさと保険料や税金の高さに怒りをぶつけていた。林崎容疑者と40年来の付き合いのある男性は言う。「今春ごろに空き缶回収の仕事を辞めて、6月から年金生活と話していました。

『年金が少ない』とよく言っていて、滞納があったのか、国保や住民税で6万円も払わないといけないと怒っていました。『区役所に縄を持って行って首を吊ってやる』と言っていたし、実際、区役所に行って自殺の話をしたら、職員から『本当にそんな覚悟があるんですか』と言われ、ハヤシさんは、『お前も一緒に死んでくれるか』と言い返したと話していました」。

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林崎の居住する杉並区の生活保護基準は14万4430円で、生活保護受給者は、国民健康保険や住民税などが減免される。林崎容疑者は35年間真面目に年金を納めたにもかかわらず、生活保護水準以下の12万円の支給しか受けられない、「下流老人」だった。アパートの大家によると、1年ほど前に「生活が苦しいから家賃を下げてほしい」と言われ、千円下げたという。

ただ、支払いは2カ月分のまとめ払いだったが、「遅れたことはなかった」と話す。貧困に苦しむ高齢者の実態を記した『下流老人』の著者で、生活困窮支援のNPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さんは言う。「彼は典型的な下流老人です。現役時代の収入が多くなく、貯蓄も底をついた。生活の助けを求めることのできる家族や友人関係もない。

こういった人たちが、いざ年金だけで生活する年齢になると、突然貧困層に落ちる。これはまれなケースではなく、私の試算では、高齢者の9割が下流老人になる可能性があります」。戦後日本人の典型といえる林崎容疑者の生い立ちは、この日本を支えてきた高齢者や老人にとって他人事ではない。政府や自治体がやる子どもの貧困対策が、居場所づくりでいいのか?

よって、この世帯の経済的な問題や複合的な問題を解決が急務となる。2015年12月21日、政府はひとり親家庭などに支給している児童扶養手当の加算額を増やす方針を決めた。現行では2人目の子どもに月5000円、3人目以降に3000円ずつ加算しているが、それぞれ所得に応じて最大で10000円、6000円に引き上げる。2人目の増額は36年ぶり。3人目以降は22年ぶりとなる。

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児童扶養手当は現在、年収130万円未満で子どもが1人の場合、満額の42000円が支給され、保護者の年収に応じて減額される。2人目以降の加算額は固定で、10000円から3000円の範囲で変動させる仕組みに変える。費用の3分の1を国、残りを地方自治体が負担する割合は維持する。塩崎恭久厚労相は、「特に低所得の人に配慮した。限られた財源の中で最大限の拡充を図った」と述べた。

そこに補助金をつけることで、子どもの貧困対策は事足れるのだろうか。子どもの貧困とは、子どもが育つ世帯の貧困であり、子どもの親たちの貧困問題である。多くが非正規や不安定就労、無職などで、子どもたちの育ちに十分な経済的な余裕がなく、あるいは長時間労働で子どもと過ごす余裕がないなどして、孤立している世帯の問題と言わざるを得ない。

この児童扶養手当の増額により、ひとり親家庭の貧困率が54.6%から3%削減されるという。80億円の予算で3%、それだけ厳しい状況であるのが分かるが、スズメの涙の5000円増額でも、子どもの10日分のおかず代になることを考えれば、十分とはいえないにしろ助かるはずだ。さらには女性の賃金を上げること、非正規労働を正すことも今後の課題である。 

愚か賢斗と無念の父

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「残念でしかない」。国内の違法性カジノ店に出入りが判明し、7日午前に遠征先から急きょ帰国したバドミントンの桃田賢斗(21)と田児賢一(26)。香川県三豊市在住の桃田の父信弘氏(51)は、リオデジャネイロ五輪を目前にした突然のニュースに、衝撃を隠せなかった。海外遠征中の息子からは「特に連絡はなかった」といい、事件は報道で知ったという。

確実にしていた五輪出場をふいにした不祥事に、「そんなところに出入りするなんて考えが甘過ぎる。人間として未熟なところがあったのかもしれない」と言い放つ。息子のためにバドミントンを学び、自宅の駐車場にコートと同じ大きさのラインを引いて練習場所を作るなど、息子の背中を押し続けてきた父。「きちんと裁きを受けるしかない」と肩を落とした。

賢斗に賢一、どちらの名にも「賢」があるが、なんともおバカな二人である。本人たちは「バカだった」、「愚かだった」と自戒すればいいが、無念なのは賢斗を世界一に導いたといって過言でない父。桃田の実家には、クルマの駐車場のコンクリート地面には、父が画いたという実物大コートのラインがある。実際のコートの広さを体で覚えさせるためだ。

桃田にはスーパーヘアピンという技がある。これが生まれたのも実家の部屋の中だったという。部屋の入り口の柱と柱の間に、バドミントンのネットの高さに合わせてゴムひもを張り、毎日猛練習していた。「ヘアピンが決まれば楽ですからね。」、「一生懸命にスマッシュを打たなくても点が入る」と説明する父。賢斗選手が将来試合で有利になるようにと秘策を叩き込んだ。

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父親直伝のヘアピンを武器に小学生の頃から大会で他を圧倒した賢斗、2006年には全国小学生選手権シングルスで優勝、12歳で日本一に輝いた。バドミントンに目覚める前は野球少年だった賢斗は、体の使い方や肩の使い方、手首や肘の使い方が野球に似通っているとの理由で、始めたバドミントンだったが、いつしか彼は野球よりバドミントンに打ち込んでいたという。

そして2012年に開催された世界ジュニア選手権シングルスで18歳の賢斗は優勝の栄冠に輝いた。2015年12月、ドバイで行われたスーパーシリーズファイナルズ男子シングルスで日本人で始めて優勝する快挙を成し遂げた。父は帰郷した賢斗に、メジャーリーグ・ヤンキースの優勝パーティーで使用したシャンパン「ボージョア ブリュット」を用意し、優勝の祝杯をあげた。

「ふたりで飲むのは初めてやな」と照れくさそうな表情で語り合ったという。賢斗の名に恥じるバカといったが、名の由来について父は、「生まれて名前を付ける時、"スーパーマン"を思い浮かべてつけた」と語った。そういえば、スーパーマンの地球での名はクラーク・ケントである。「賢く大胆に頂点をとるみたいな。そういう意味で付けた」そうだ。

バドミントンで日本人選手として初めて世界一になった賢斗は、名実共にスーパーマン。そんな賢斗を支えた言葉は、野球界のスーパーマンであるイチローの「毎日の積み重ねが一瞬の奇跡を生む」であったという。毎日の練習や数々の苦難にあった時、賢斗はイチローのこの言葉を思い浮かべた。世界一になったとき、賢斗はテレビの特番でこう決意した。

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「リオ五輪で優勝を目指して、しっかり金メダルを見据えて頑張っていきたいと思います。」

2016年2月14日に行われたリオ五輪代表選考を兼ねる、【バドミントン日本リーグ東京大会 最終日】、思うようにヘアピンが決まらず第1セットを落とすが、2セット目から超速スマッシュを重ね、力でねじ伏せ逆転勝利で今シーズンも全勝で終え、リオ五輪代表を確実にした賢斗。14日はバレンタインデー、チョコを片手に代々木体育館を多くの女性ファンが訪れた。

女性ファンはいちように、「最高!」、「顔と上手さが最高!」と、興奮が冷めやらない状況のなか、桃田選手へバレンタインのチョコを渡したり、サインを貰ったり。これには桃田選手も満面の笑みを浮かべていた。「青天の霹靂」という言葉がある。青く晴れ渡ったた空に、突然に轟く雷鳴との意味で、思い掛けず起こる突発的事変。突然の大事件。人を驚かす変動をいう。

今回の桃田、田児の違法賭博事件は、まさにこの言葉が相応しい。「考えが甘すぎる」、「残念でしかない」と、声を振り絞ってコメントした桃田の父親の無念さは想像に絶する。本人の夢、父の夢、母の夢、日本国民の夢、今まで一生懸命育て、サポートしてくれたコーチや、競技関係者の夢と期待が、ほんの少しの気の緩みで一瞬に崩れ去ってしまった。

8日の謝罪会見で桃田は、「自分の軽率な態度への反省と、裏切ってしまった申し訳ない気持ちでいっぱいです」とし、田児は、「いかなる処分も受ける覚悟でいます」と答えた。今後の競技人生についての質問に対しては、「すいません」などの謝罪の言葉のみで、競技生活続行についての明言はなかった。昨日、関係者が桃田に電話で復帰へのエールを送ったという。

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が、「(今はまだ)そんな気持ちになれない」と話したという。未だ、ショックが覚めあらぬ状況のようだ。日本バドミントン協会は10日、都内で臨時理事会を行い、田児賢一選手に無期限の登録抹消、桃田賢斗選手に、日本代表の指定解除、無期限の競技会出場停止の処分を決定した。これによってリオデジャネイロ五輪出場は消滅したことになる。

協会は選手や関係者を会員登録しており、会員かどうかで可能な活動は大きく異なる。会員登録抹消の田児は、バドミントンに関わる公式的な活動は一切できない。会員資格の残る桃田は、内外の公式試合には出場できないが、大会を手伝ったり指導をすることは可能。ただし、登録を抹消されても、国内の協会や世界連盟が関わらない海外リーグでのプレーは可能。

二人の所属するNTT東日本は田児賢一を解雇、桃田賢斗を出勤停止30日とする懲戒処分を決めた。同時に男子バドミントン部は半年間の対外活動自粛とした。同社の懲戒規定で処分は6段階で、他選手を誘い、常習性が強い田児選手は最も重く、桃田選手は2番目に重い処分。賭博はしたものの頻度が少なかった他の部員6名(うち2名は3月に退部)は厳重注意とした。

桃田の恩師でもある香川バドミントンスクールの吉川和孝代表は、11日放送のテレビ番組の取材に、桃田の生活の乱れを注意していたことを明かした。吉川氏は、「キャバクラに行ったり、パチンコなど、そういういう乱れた生活でした」と話し、2年前にスポーツ選手とは思えないだぶついた体になったのを見て、「お前何やってんねん」と叱りつけたという。

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桃田の父信弘氏も、「パチンコはやったらいかん」と叱ったこともあるとし、夜遊び等については、「それでダメになるなら元々ダメ」と、何も言わなかった。練習に明け暮れるアスリートにはどうしてもストレスが蔓延するが、どのようにストレスを発散し、折り合いをつけるかも一流選手の課題である。元バドミントン日本代表の小椋久美子は、桃田についてこう述べている。

小椋は今回の件について、「最初聞いた時には耳を疑って、バドミントン選手が反社会勢力とかかわりがあるということが信じられなかった」と衝撃を隠さなかった。さらに、「いま勢いがあって、これから期待できた選手なので、怒りというかいうかショックで感情が整理し切れない」とし、桃田を「派手に思われがちだけど、物腰も柔らかい好青年」と評した。

その半面、「若さもあるでしょうけど正しいこと、正しくないことの判断がなかなかできない部分と、憧れの先輩(田児)に強く言えない部分が絶対にあったと思います」と、今回の不祥事へとつながる体育系の先輩・後輩の関係ならびに、桃田の自制心のなさ、弱さを指摘した。小椋とコンビを組んでいた潮田も、男子の壁を破った桃田に失望を隠せなかったようだ。

その後の調査で、墨田区のカジノ店で賭博していたのと同じ時期に違法スロット店にも出入し、田児は20回程度で約50万円、桃田選手は5回程度で十数万円負け、懲戒処分を受けたNTT東日本所属の6人中5人も違法スロットで賭博をやっていたが、同社は公表しなかった。これについて日本バドミントン協会の銭谷欽治専務理事は、新たな処分を科さないとした。

イメージ 7人を叩けば誰だって埃はでないものはない。誇りある者でさえも埃はでよう。上半身、下半身とも埃にまみれたNBA(全米プロバスケットボール協会)選手のように、「本当のオレを見たいならコートに来ることだな」と言えない日本人。言えばさらなる袋叩きであろう。パチンコも競馬も競艇も賭博に違いないが、パチンコや競馬は、遊んだり観戦することが目的、という面もないわけではない。

反して野球賭博やカジノは、賭け事自体が目的である。暴力団絡みとはいえ、ソープが摘発されないのは、『立証が極度に困難であり、かつ、徹底的な立証をしようとすれば、人権侵害の非難さえ生じ得ること。勧誘(第5条)や売春を助長する行為(第6条~策15条)を処罰することなどで目的を達しようとするものであること』、の他に次のような見方がある。

パチンコも直接的な換金はないが、「三点方式」という仕組で換金する。法律上の賭博の定義は、「偶然の勝敗により財物・財産上の利益の得喪を争うこと」となり、"パチンコは遊技の結果に応じて景品を出しているのであって、利益の得喪を客と店が争っているわけではない"と、いかにも苦しい解釈だが、こんな理屈で「賭博」から少しでも距離を置こうとの努力。

ソープランドも風営法の規制をきちんと守って営業していれば、売春禁止法に触れず、パチンコも風営法を守っている限り、「賭博」でなく「遊技」となる。法的限界という見方もあるが、実際は、警察とソープ業者やパチンコ業者の癒着、というのが実際のところであろう。国民の娯楽を締め付けても勤労意欲が低下するだけで、世にグレーゾーンは必要だ。

子どもに教わること

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公民館で子ども相手に将棋を指すのは楽しくもある。オトナにくらべて彼らの心は「純」であり、歪んでいない。自分もかつてはこんな少年だったんだなと、過ぎし日を懐かしむ。どういう少年であったかの正確な記憶もなく、どんな考えで毎日を過ごしていたか、さまざまな事象を思い出し、客観的に想像するしかないが、以下は「S」というある著名人の少年時代である。

1955年2月24日、カルフォルニア州サンフランシスコに生まれたSは、生まれてまもなく同じサンフランシスコに住むJ夫妻の養子にだされた。J夫妻は10年近く子どもに恵まれなかったが、当時、養子縁組は現在よりも一般的に行われていたし、養子に出される子どもの年齢ははるかに低いものだった。この時代、養子縁組が各国、各地で頻繁に行われた理由は簡単だ。

避妊法が確立されていないこと、中絶は違法であったこと、また貧困家庭であったことも挙げられる。この状況が根本的に変化したのは避妊法が普及した60年代である。「ピル」はペニシリンと並んで二十世紀を代表する発明であろう。また、女性解放運動の高まりや、道徳的規範も変化した。それ以前、妊娠した未婚女性に残された唯一の道は養子に出すことだった。

「身ごもった」女性と、子どものいない夫婦を結ぶサービスはあちこちで提供されていた。Sが養子に入ったJ夫妻の夫は、暇さえあれば機械いじりをしていた。何週間もかけてポンコツ車を修理し、走れるようにするのが最大の楽しみだった。手入れが終った車を売って小遣い銭も得ていた。養子をもらって3年後、J夫妻はサンフランシスコ郊外の一戸建てに転居する。

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3歳になったSは、手にあまるほどになり、朝の4時から遊んでいた。アリ用殺虫剤を味見して病院に担ぎこまれたり、コンセントにヘアピンを差し込んで大やけどをするなど、トラブルが絶えなかった。10歳頃のSは仲間にとってトラブルメーカーでしかなく、幼児期から反骨精神に富んでいたSは、「いつも一人でいるやつで、泣き虫だった」との友人評である。

わがままでイタズラ好きのSは、この時期さらに悪くなる。「時間の無駄」と思う学校の宿題や課題は一切やらず、睨まれた教師に逆らうなどして停学処分は何度も受け、放校処分になってもおかしくはなかった。ところが、4年生の女性担任と出会ってSは変化する。後にSはこのように述べている。「彼女はボクの救い主の一人。すぐにボクの操縦法を身につけた。

『この学習帳をやって欲しいの。最後までできたら5ドルあげるわ』など、鼻先にニンジンをぶらさげて勉強させるものだから、イヤでも勉強する気が高まった」。Sは猛勉強の末に、5年生を飛び級してミドルスクールを勧められ、両親も同意した。ミドルスクールに入学したのはいいが、年上の子どもたちの中に放り込まれたSは、悲惨な日々を過ごしていた。

Sは父親に、「夏休み後の9月の新学期から学校に行かない」と告げた。両親や学校ともずいぶんモメたが、両親はSの主張を受け入れ、転居することにした。Sは11歳にしてすでに家族を説得し、引越しをさせるほどの意志の強さをもっていた。後の彼のトレードマークともいえる激しさや、何としても目的達成の障害を取り除くひたむきさは、この時期に現れていた。

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Sとはアップルの創業者スティーブ・ジョブズである。人間関係は良くも悪くもその人を作る。何の障害もない円滑・円満な人間関係がいいとはいえども、それならそのような人格になる。障害に苦悩して自らの命を絶つ子どももいるが、障害を跳ね除けて歩んで行く子どももいる。自分も過去を振り返り、あんな母親とのバトルが自分を作ったと、今では満足している。

暢気で至福に満ち、のほほんの男にならなくて良かったと思っているが、そうならそうなったで満足しているかも知れない。子どもにとって目指す人格などあり得ない。子どもは環境によって人格が作られる。親にも誰にも予知できない子どもの将来なのに、子どもを枠に嵌め、親の描いた道を歩ませるのは親の自己満足であり、子どもの人生を半分奪ったことになる。

公民館の将棋仲間が、「別の公民館に行って見ないか?ここは子どもが多いから…」という。「子どもと指すのは楽しいけどね」というと、「そうなん?子どもに負けてイヤじゃない?」と、何とも物悲しいことをいう70歳である。前にもそういう人がいた。将棋センターで子どもと対局をあてられ、「子どもと指しにここへ来てるんじゃないんだよ」と係りに文句を言った。

それをまた自分に言って同調を得ようとするので、「将棋に子ども、オトナはないでしょう。ルールがあるだけでは?」というと、「子どもに負けてよく平気でいられるね?」と言う。こういう人は何なのだろう?子どもを讃えられないオトナの惨めったらしさ、腐った自尊心、むき出しの競争心、こういうゆとりなきオトナは、子どもよりもコドモである。

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心の狭い人に出会うことで、そういう人の存在を知るが、知ったときには虚しくなる。同時に、どうしてこんなオトナなのか、何がこんな風にさせるのか、などと原因を思考する。思考で確信できるほどのものはないが、おそらく「井の中の蛙」であったのかと想像する。都会で数十年過ごして帰省したとき、あまりに土着民の心の狭さを感じたことがあった。

地元から外に出ず、田舎の思考に慣らされると人間はそんなになるのかと思うしかない。先月、兵庫県加古川市内にある公園の脇で75歳の老人がタバコのポイ捨てをしたところ、「たばこ捨てたらあかんのに」と子どもに注意されて逆ギレ、大声で怒鳴って子どもの首を絞めた他、他の児童の腕や服をつかんだり、引っ張ったりしたということで逮捕された。

こんなのは逮捕されるとか、罪とか以前の問題だろう。が、ネットには、「敬うべき年上の相手に対しこの言い方。親の顏が見てみたい。いつから日本はこういう糞生意気なガキが野放しになるようになったんだか…」、「喫煙者なんてドキュンしかいないんだから触れるほうが悪い。小学生もいい勉強になっただろう」などのコメントが散見される時代である。

「ガキに注意したら『ウッセーバーカ』って返ってくるし、世知辛い世の中っすわ」という意見もオカシイ。なぜなら、そういう子どもに腹を立てるのではなく、その子の背後にいる見えない親に対して腹を立てるべきで、そんな子どもに腹を立てても何の意味もない。貧しい思考で生きているオトナ(親も含めた)たちが、世の中をダメにして行くのではないか。

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まさに子どもはオトナを映している。自分もかつてポイ捨て常習者であった。何度注意されても止めなかった。今に思うと傲慢でバカであったとしか思えない。注意されても止めない自分に、ある女性がこう言った。「わたしが携帯用灰皿を持って出るから、ポイ捨ては止めて!」。この言葉に打たれたというより、ここまで道徳心を持つ人間がいるという驚きだった。

そこまで人を煩わさなければならない自分に言いようのない羞恥を感じた。その言葉が切っ掛けとなり、すぐにタバコを止めて自分。禁煙した理由にしては稀有な理由だと我ながら思う。果たして世の中に同じ理由で禁煙したものがいるのか、どうなのかと、頭が廻ることもあった。止めてみて初めてわかるタバコの間接害である。そういえば我が子に何度も言われた。

「お父さん、お願いだからトイレでタバコを吸わないで!」。この言葉を「じゃかましい、どこで吸おうがワシの勝手じゃい!」と無視していたことも含めて、バカだったと思う。今に思えば迷惑だったろうなと思う。親の傲慢さ、オトナのコドモに対する傲慢さは沢山あろう。それに気づかないのは、オトナの殻をかぶったコドモであろう。そういう自戒が過ぎる。

どうしてもオトナはオトナを基準にした考えになる。もっと、コドモの立場や存在に気づいていかなければ、コドモは可哀想ではないか。そういうことが自主的に分らないかぎりオトナは分らないものだ。言葉にすれば何でもないことだが、自分で気づいた時には大きい。それが分かった時に、人(オトナ)は大きくなるのではないか。もっと、コドモに目を、心を…

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オトナがオトナになるために…。子どもに害のないオトナになるために…。子どもから尊敬されるなどは無用であろう。害にならねばそれで十分である。オトナだけの殻に閉じ困らず、自分自身を客観的に発見すること。それを子どもから教わろうが、「誰に教わる」などは問題じゃない。素直に自分を見つめる目があれば、自分の過ち、傲慢に気づくはずだ。

養子縁組と赤ちゃん斡旋

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養子縁組とは、嫡出子以外の子どもとの間に、なんらかの手続きによって親子関係を設定し、子どもとしての権利義務を付与する制度をいう。こうして設定された親子関係は実の親子関係と同じに扱われ、養子には実子のように財産相続や祖先祭祀の権利義務が発生し、一般に生家を離れて養父母の家族の一員となる。(ブリタニカ国際大百科事典    小項目事典の解説より)

かつて養子縁組は、家の継続、親の老後の生活保障、労働力の確保のために利用されてきたが、現在では子のための制度と考えられており、普通養子縁組と特別養子縁組がある。「普通養子縁組」は契約型であり、養親になる者と養子になる者の契約により養子縁組を成立させる形態で、スイスやオーストリアなどで採用、ドイツやフランスでもかつて採用されていた。

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日本では、民法792条から817条までに規定されている普通養子がこれに該当するが、養子になる者が幼少である場合、自ら有効に縁組契約を結ぶことは不可能であり、この場合は法定代理人などが代わって縁組の承諾をすることになる。日本では、養子になる者が15歳未満である場合は、法定代理人が養子になる者に代わって縁組の承諾をする(代諾養子)。

他方、「特別養子縁組」を決定型とする。公的機関の宣言によって養子縁組を成立させる形態であり、多くの場合、養親になる者の申請に基づき裁判所が養子決定をする形態を採る。英米法を基礎とした国や現在のドイツ、フランスなどで採用されている。日本では、民法817条の2項から817条の11項までに規定されている特別養子がこれに該当する。

特別養子縁組は、実親との関係を断ち切る養子縁組で、比較的新しい制度(昭和62年制定)だが、この制度は、「菊田医師事件」というのが契機となって新設されたと言われている。「菊田医師事件」は別名「赤ちゃん斡旋事件」といい、産婦人科開業医の菊田医師が中絶手術を行う中である時、「7か月胎児の中絶」をしたことがきっかけで、葛藤を持ち始めた。

当時の法律では妊娠8か月未満までの中絶が可能だったが、7か月だと胎児の身体がほぼ完成しており、たとえ望まない妊娠や、経済的に困難な状況を抱えた中絶であれ、赤ちゃんにも生きる権利があると菊田は考えるようになる。複雑な事情で中絶を求める当の女性に対して出産するよう説得し、昭和48年4月20日、宮城県石巻市の地元紙に小さな広告が掲載する。

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「急告!生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む」

依頼主は菊田昇医師=当時(46)=だった。ところが、この広告が議論を巻き起こす。2日後に一部新聞が報道。昭和34年から48年まで、菊田医師が100人を超える赤ちゃんを斡旋していたことが判明した。斡旋は医師法に抵触する行為である。菊田医師が昭和34年から赤ちゃんの斡旋を始め切っ掛けは、上記とは別の妊娠7か月の女性の中絶を断ったことだった。

当時の報道によると、その後女性が別の病院で中絶したことを知り、「いっそのこと産んでもらい、子宝に恵まれない人に世話する方がいい」という考えに至った。菊田医師は胎児の生命を救う為に、中絶手術を求める女性を説得して思いとどまらせる一方、地元紙に養親を求める広告を掲載し、生まれた赤ちゃんを子宝に恵まれない夫婦に無報酬で斡旋した。

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この行為の善悪については、意見の分かれるところだろうが、医師の倫理の問題は別にして、確実に違法となるのは、偽の出生証明書を作成し、赤ちゃんを引き取り手の実子としたことによる出生証明書偽造という罪である。もちろんこれは産めない理由のある実親の戸籍に出生の記載が残らないため、養子であるとの記載が戸籍に残らないための配慮であった。

しかし法は法であり、出生証明書偽造で昭和48年に告発され、罰金20万円の略式命令、厚生省から6ヶ月の医療停止の行政処分を受ける。さらには所属関係学会を除名され、優生保護法指定医を剥奪され、国会にも参考人として招致される。菊田医師はそれらを不服として訴えたが、最高裁で敗訴が確定した。しかし、菊田氏の事件が新たな門を開いたのだった。


母体配慮から人工妊娠中絶の可能期間が短縮され、1987年には養子を戸籍に実子と同様に記載する特別養子制度が新設された。菊田医師の行為は違法なのは間違いないが、それはあくまでその時点における「法」の不備という問題であり、菊田医師の行為はその後に法的に正しいとの判断になったからである。正しいことが間違いという時代であったに過ぎない。

おしなべていうなら、「違法だから悪いこと」が正しいとはいえないことを現している。強めていえば、「法律が禁止しているから特定の行為を行ってはいけない」というのは、端的にいえば「嘘」だということになる。なぜなら、善悪の判断が一律「法」に依拠しているなら、「菊田医師事件」でさえわずか数十年で、善悪の基準が変わってしまったことになる。

つまり最高裁までが悪とした「菊田医師事件」においても、「法律で決まってるから悪い」のではなく「多くの人が悪い(善い)と考えるから、事後的に法律で決められた」のであって、善悪意識という根本的なものに比べて「法律」は人々の善悪意識を二次的に表面化したものであるといえる。いうまでもない、法治国家の規範は宗教でも道徳でもない「法」である。

その「法」であっても、絶対的に正しくないという事だけは、人の心において置くべきだろう。したがって子どもたちに、「違法だから悪いことだ」と教えるのは、こうした構造を見落とすことになり、善悪感覚を外部に依存させることになる。何でも他人の尻馬に乗るような人間は多い。人が悪いというから悪い、良いというから良い、こんな感じである。

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なぜ、個人レベルの善悪感覚を陶冶しないのだろう。「陶冶(とうや)」とは古い言葉で人間形成のこと、教育と同義。菊田医師は違法であることを覚悟の上で、自身の善悪感覚で行動した人である。人間は生きてる中で、場合によっては違法覚悟で何かをしないではいられない事はある。「善悪」は与えられたものではないし、自らの中にあるべきもののはずだ。

法律や社会といった外部が規定された善悪の判断ではなく、本来はしっかり個々が決断していくものであり、そういう生き方をする人は逞しい人間であろう。善悪を自らで考えて行動するために何が必要か?については常に、「答えのない問い」に向かって生きていくことで授かるものではないかと。答えのある学問は、善は善、悪は悪と規定し、答えを出している。

学問を否定するのではなく、考えないで答えを覚えるという学び方が問題だ。暗記主体の受験制度を踏襲するかぎり、逞しい人材は作られないのでは?「なぜ人を殺してはいけない?」、「なぜ自殺してはいけない?」、「なぜ人のものを盗んではいけない?」などを自ら考え、自らの論理が組み上げる。それを哲学というが、自らのものを作るのは面白いことでもある。

自分の考えが生まれない、みつからなくても、考えたプロセスは意義がある。「毎日の積み重ねが一瞬の奇跡を生む」と、これは昨日記したイチローの言葉であるが、そういう例は沢山ある。沢山、経験もした。ピアノやギターなどを一生懸命にやっている人なら誰にもあることだが、ある難しい部分を何度やってもできなかったことが、ある日突然できたりする。

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あれは本当に不思議で、それを称して、「一瞬の奇跡」と表現したと推察するが、そうとしか言いようのない不思議な体験である。菊田医師は「法」という縛りの中にある善悪の矛盾、命の軽視され方に果敢に向かって行った勇気ある人である。彼が行動を起こさない限り、「特別養子縁組」制度は生まれなかった。何事もそうだが、初めにやった人が凄い。

何事も初めにやった人は勇気がある。そういう勇気は、幼少の頃から保守的で無難なことを命じ、付和雷同てきにやらせる親の元では生まれないだろう。ひと年とって、無難を善しとする親の元で、若くてエネルギッシュな子どもが、老人脳になるのは哀れなことだ。そういえばジョブズは行きたい大学をオレゴン州ポートランドにあるリード・カレッジを選んだ。

学費は高いが優秀で個性的な学生が多いと評判の大学だったが、両親はショックを受けた。学費もさることながらあまりに遠かったからだ。母親は当時の様子を以下のように語っている。「行きたい大学はリードだけと言うんです。リードに行けないならどこにも行かないと」。両親は息子のわがままを聞きいれ、蓄えを放出し、スティーブをリードに送り出した。

後年ジョブズは、愛車のメルセデスベンツSL55AMGにナンバープレートをつけないまま公道を走ることで有名だった。違法ではないかと思われるこの行動が、なぜ許され続けたのか。その理由が、「プライバシー保護の特例としてカリフォルニア州の陸運局と裏で手を結んでいる」とか、「ファンがナンバープレートを盗んでいくから」など、取り沙汰された。

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が、すべては憶測でどれも決定打に欠けるものだった。ところがアップルでOSのセキュリティー関連の仕事をしていた、John Callas氏がこの件に納得のいく説明をしたという。それによると、カリフォルニア州では新車を購入した際、最大で6ヶ月間までナンバー無しで運転することができることになっているが、ジョブズは6ヶ月毎に新しいベンツ同型車に代えていた。

プライバシー保護目的とはいえ、一見同じ車に乗っているようで、実は6ヵ月毎に同じ車種の新車に乗り換えていたことになる。ジョブズが音楽産業にもたらした功績は大きい。ハード製品外にも楽曲の違法ダウンロードに風穴を開けた。ゲイツもウェブブラウザIEの独禁法問題に果敢に向かったように、人の真価は、「法」をくつがえしてこそ"ナンボ"なのかも…

「目的なき犯罪」の目的とは

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「何であんなことをしたのかわからない」。犯行後の犯罪者の言葉を聞くが、これらを「目的なき犯罪」、「動機なき犯罪」と言う。「何の目的で?」、「どういう動機で?」などと問われるように、人がある行為をする場合にはそれなりの理由がある。無意識の行為というのもあるが、ふつうは何故その行為をしたか?行為を始めた原因は何?これが動機である。

目的とは、その行為によって何が得られ、何が期待できるか?に着目すること。つまり、動機は原因、目的は結果といえる。そこに「意図」を加えることができるが、「意図」と「目的」は意味が違いを説明するのは難しい。マラソンに置き換えて違いを考えてみる。マラソン初体験のランナーが、「とりあえず完走が目的です」というのは、正直な気持ちであろう。

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が、マラソン経験があり、常に入賞を目標とする熟達ランナーは、「完走が目的」などと言わない。彼はどうすれば優勝できるか、上位にいけるかをさまざまに考えるが、上位入賞を意図した思考から、それなりの作戦を立てることになる。最終目的はどちらもゴールとなり、「完走が目的」というランナーにも、完走するためのそれなりの考え(意図)はあるはずだ。

別のあるランナーは以下のように言ったとする。「自由な意志で走りたい。完走にも拘らない、入賞も考えない、無理なら途中棄権もいい」。と、自身の自由意志を述べているようだが、ニーチェは「(人が)自由意志をあると信じることは誤りだ」と言っている。人が自由と思えば自由であるはずだが、「意図」、「目的」、「動機」についてのニーチェの見解が興味深い。

「完走」も目的なら、「完走に拘らない」というも目的であり、そのために無理をしないという意図が、あるランナーにとってマラソンの動機であるとする。自由意志的行為といいながら、実はそこに「意図」、「目的」、「動機」があり、それを隠して「自由に」といっている。ニーチェはそういう形で我々の意識にのぼる表象(イメージ)についてこのように言う。

「すべての力の中でもっとも劣ったものであり、そういうものは行為を引き起こす本当に原因になり得ないものだ」。たとえば、「自分は一流大学に行き、一流企業に就職する目的を持つ。だから、それを妨げる恋愛はせず、遊ぶ暇があったら勉強し、脇目もふらず予備校に通う。彼女がいないのは別に恥ではなく、作ろうと思えば簡単だ。」

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彼にニーチェの言葉は理解できないだろうな。そもそも、「意識的な表象活動」とは、一種のシンボル化の働きで、自己の体験を、「複写ないし反芻する」に過ぎず、「意図」や「目的」や「動機」という形で意識にのぼる表象は、「複写された過去」以外の何ものでもない。自己の行為を自身が理解可能にするために必要上作り上げたフィクションという。

こういう難解な言質は脳に汗の思考が必要だが、この見解には、「意識」というものの成り立ちについての考えがある。「意識のうちに現れでるものは、すべて、ある一つの連鎖における最後の環であり、一つの結末にすぎない。ある思念が他の思念の原因であるようにみえても、それは見かけだけのことに過ぎない」との考えに基づいている。

我々は自身の思念について、そんな面倒くさいことを考えることもなく、分かったようなこと、いっちょ前のことを言いながら生きている。理屈や詭弁や言い訳を自己正当化しながら生きている。我々の意識は内的世界のほんの表面にすぎず、しかも単純化されたり、明瞭化という加工の操作を受けた表面にすぎないと、ニーチェは言う。

行為の真実は無意識の領野で生み出されているという。が、無意識は定義上、意識されず、そういうものがあるのかどうか、あるとしても、そこで何が起こっているのか、を我々は知るよしもない。最近とみに、「目的」や「動機」のハッキリしない犯罪や理解不能の凶悪事件が増加しているが、その背景にはどういった原因があるのだろうか。

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朝霞少女誘拐事件の寺内樺風容疑者は、大阪教育大学付属池田高校から千葉大に入学した。付属池田校といえば、2001年の「池田小事件」を思い出す。6月8日に大阪府池田市で起こった小学校無差別殺傷事件。犯人宅間守は、児童8人を死亡させ、教師を含む15人が重軽傷を負った。惨劇の詳細はネットに記されているが、何でこのようなことを…

誰もが思う動機の一端が、彼の法廷内の怒号で明らかになった。1963年11月23日、兵庫県伊丹市に生まれた宅間は物心がつかないうちから父親に叱責、殴打などの環境で育つ。家庭に安住はなく、蓄積したストレスは、学校や小動物に向けられていた。小・中学時代から強者に迎合し、自分より劣ると判断した同級生を「奴隷」と名指しした。

「宅間さま」とかしずかせ、「調子に乗るな」と因縁をつけては暴行する。前を横切る女生徒に唾を吐きかけたり、燃やしたドラム缶に生きたままの猫を入れたり、布団です巻きにして川に流すなどした。成長すると些細なことで母親を殴るなど家庭内暴力を繰り返した。宅間の法廷内の暴言に、怒りと悲しみのあまり退廷する遺族もあった。

宅間:「あははははははは!ほんまおもろい!ワシは死ぬことビビってないで。遺族にはなにもできへんし最高や!世の中どんなに金かけてもワシに一瞬にして殺されれば勝ちも負けもあらへん!世の中は公平やない!わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃうぞ!

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とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんまワシは気分がええわ。ワシを悩ませた糞親にも嫁の家族にも迷惑かれてな!親戚に守がいますなんて、千年たっても言えへんな!こんなケッタイなおっさんに一瞬や!ブスブス事件は、ほんま!おもろい!ほれでも、ワシはまだ満足はしてないで!」

二人兄弟の次男であった宅間は、小学校6年の時に、地元ではハイレベルな中学校である大阪教育大学付属池田中学校の受験を希望したが、宅間の成績ではとても無理ということで受験させてもらえず、結局地元の中学校に進学し、その後は工業高校へ進む。「自分をもっと頭の良い人間として産んでくれなかった親が悪い。」と親を恨むようになる。これが宅間と池田小の接点である。

寺内容疑者は教育ママの母にかなり勉強を強いられ、運よく附属池田中に入学し、高校から国立千葉大に入ったものの、そういう彼がなぜあのような事件を起こしたかも現時点では分らない。想像に及ぶに、彼にとっては池田校も千葉大も彼自身の人生における目的でも動機でもなく、中学の頃から少女を誘拐することを夢見ていたようだ。そこから考えられることとは…

彼にとって偏差値73の池田中は、彼の意図する人生ではなく、高校入学の手段であり、高校は大学に入学するための手段というような、機械的な日常を送っていたと考える。彼の情緒は少女を誘拐し、同居し、婚姻ゴッコに憧れていたのかもしれない。他人を略取誘拐し、監禁することが犯罪であろうがなかろうが、それが彼の意図する憧れなら、成功するかどうかである。

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有名中・高・大も、彼の人生のおいては何の満足とならず、彼が最高に満たされるものが少女誘拐であったなら、彼はそれを果たしたことになる。人が人を殺すときに、果たして罪の意識を感じるか?感じても感じなくても、行為をするなら意識などはその時点で問題でない。成功すればいいだけである。行為した以上は発覚は望まないし、あとは罪から逃れようとする。

秋葉原の無差別殺人も、罪とか罰とかよりも、思うことを行為するだけという、純粋な思いである。映画『エイリアン』で、アンドロイドのアッシュが、エイリアンを称賛するシーンが印象的だ。「アレは相手を殺すための完璧な生命体だ。自ら生きるためなら、良心や自責の念に邪魔をされない。モラルという妄想にも…。君らに生きるチャンスはない。同情するよ」

秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大、附属池田小事件の宅間守は言うに及ばず、寺内少女を略取誘拐するという行為も、人間として理解に及ばないが、彼はこれをしないではいられなかったというよりも、思春期に芽生えた彼の生きる目的であったのだろう。上記の三人は生きるためなら心や自責の念に囚われず、何だってやれるという彼らは、エイリアンと同様である。

宅間:「純粋のワシの心から出たほんまの気持ち。それは、わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」

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エイリアンには無言の怖さがあるが、宅間は人間だから言葉を話す。エイリアンに罰の概念もない、宅間らにもない。人類はエイリアンを撲滅するしか生きる手立てはなかったが、どんなことをしても生き延びんとする、生物としての純粋さに比べ、宅間は生物としての完全性はないただのへタレ男である。死ぬ価値すらない人間だが生きている価値すらもない。

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