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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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  • 02/01/16--07:13: 過去に拘る内田裕也

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    世の中オモシロイ人がいる。だからこの世はオモシロイ。その中で内田裕也は極上の一人かなと…。存在感もない、普段は名前すら忘れているが、ときたま幽霊のように出てき、吠えて去る。最近彼の、「しぇけなべいべ~」を聞いてないが、「ロック界のドン」という肩書の内田である。どうしてそう言われるか?「演歌のドン」といえば北島三郎だが、内田が「ロック界のドン」って、ドン引き。

    ヒット曲もなく、目立ってもいなく、ステージで歌うのは、「ジョニー・B・グッド」と、「しぇけなべいべ~」という掛け声だけで数十年。2011年に交際女性にストーカー行為を働き、5月12日に強要未遂・住居侵入の疑いで逮捕されている。ドンにしてはやる事が赤っ恥だがそれでもドンなのかを調べてみた。音楽関係者はこのように言う。「『ロック界のドン』というのは、まったく実態がありませんね。

    裕也さんが音楽業界で一定の影響力を持っていたのは35年以上前の話です。日本語ロック論争を仕掛け、『ロックは英語でなきゃダメ』と主張しましたが、日本語派に押されて存在感を失いました。その後は"ニューイヤーロックフェスティバル"を主催し、手下のミュージシャンを出演させて、毎年赤字を出しているのは知られた話。強いて言えば『ロック界の名物イベントマン』あたりでは?」

    なるほど…。それで「しぇけなべいべ~」か。また、近しい音楽関係者は言う。「内田さんに功績があるとしたら、歌手としてではなく、今でいう夏フェスを30年以上前から始めたプロデューサーとしての実績でしょう。しかし、企画力はあっても、お金の計算がまったくできない内田さん。方々から借金して自転車操業でイベントを続け、近年はギャラもほとんど出してなかった。」

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    ニューイヤーフェスティバルの常連だった直弟子ジョー山中、安岡力也、桑名正博は世を去った。また、内田と関係の深かった3人以外の、ジョニー大倉、成毛滋、柳ジョージ、加藤和彦、山口富士夫、シーナ、鈴木ヒロミツ、デイブ平尾、アイ高野らが世を去ったことで、「内田裕也は死神か?」などといわれたり…。その内田裕也がSMAP問題に口を出した。が、話の中身に笑ってしまった。

    「はっきり言ってやろう。悪いのはこのI女史と4人のメンバーだ!」と怒りをぶっちゃけ、SMAPにまつわる過去の出来事を披露した。時代劇で木村拓哉を起用した映画の企画を考えた内田はジャニーズ事務所に、「キムタクを貸して欲しい」と打診したところ、「SMAPに関してはI女史に任せっきり」と、今回独立を計画した女性チーフマネジャーIさん一任と説明された。

    内田はIさんに会い、木村のキャスティングを打診。「わかりました。脚本ができたらすぐに送ってください」との回答を得たが、1年経ってもIさんからの返事はない。内田が再度Iさんに連絡すると、他の映画からオファーがあると断わられた。翌年も同じ内容の理由で断られ、さらには、「どうしてもスケジュールが組めないのでこのお話は無かったことに」と言われて内田は激怒。

    「バカヤロー!」と一喝、「この世界で依頼を断る時は、ちゃんとアポイントメントをとって、俺の目を見て話すのがマナーだろう!」とIさんに説いたという。その後、メリー喜多川氏から直接謝罪したいとの申し出があったが、断ったという。こうした過去の顛末を明かした内田は、所属タレントだけでなくマネジャーの不手際までジャニーズ事務所がフォローし、守っていることを訴える。

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    「独立して一体何をしようというんだ!ジャニーズ事務所あってのSMAPだろう。はっきり言ってやろう。悪いのはこのI女史と4人のメンバーだ!甘く見るんじゃないよ、日本の芸能界を!」と強い口調で批判した。これを聞いて笑えない方がどうかしている。内田は映画のプロデューサーを気取ったのだろうが、脚本を見て判断したI女史がオファーを断るなどはよくある話。

    内田映画に人気絶頂のSMAPを出演させるリスクはある。内田は人気絶頂の木村拓哉を望み、断られて逆恨みとは一体「何様?」。決定権はI女史にあることは内田も承知で強くはいえないが、怒りの矛先を「目を見て話せ」などとグダ巻くところがあの人らしい。内田の企画では人気絶頂のキムタクはダメだった、無理だった、それ以外には何もない話。

    了見が狭いというか、スピルバーグや黒澤明ではないんだし、何様気取りな内田である。力もないのにプライドの高い人間はいる。気を使ってあしらったつもりが、内田に火種にされた恰好だ。内田は恥ずかしげもなく過去の私怨を今回の問題に飛び火させているという、お粗末な話である。お願いする立場なのに、上から目線の内田のに理解を示すものなどいない。

    若い頃は誰でものぼせ上がるものだが、経年で人は謙虚になるべきだ。物事が判ってくると自然にそうなるが、謙虚になれないなら、物事の理解がなされてないことになる。中年も終り、そろそろ老年に向かうとき、夕陽は美しく沈んでいくもの。青春をしっかり生きてきた人の太陽は赤い夕陽となって沈むが、青春が灰色であった人の夕陽は赤くはならない。

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    人によって違う二つの太陽がある。どんな人にも過去があり、今があり、生きてる以上は未来もある。「老人に未来はない」というのは比喩で、死だって未来である。我々は時間を、過去・現在・未来と分ける。正確な区切りはできないが、漠然と過去といい、未来というが、昨日も過去なら明日も未来だ。はっきりするのは「今」という時間でも、うかうかすると、どんどん過去になる。

    「過去を消したい」というが、すべてが全体として出来上がっていて、その一部を取り去ることはできない。現在から見れば過去は過去だが、その過去は当時、現在だったわけだ。1999年12月31日は過去であるが、1999年12月31日にあっては、「今」であった。その時に2016年2月2日は、未来であった。過去を消すというなら、その日という「今」を消す必要がある。

    それは無理。「今」が消せないようにである。今を消せば将来、2016年2月2日という過去はなくなる。が、現在がないなら未来もなくなることになる。現在から見れば過去を生きたようだが、その日という今を生きていた。どんな過去でもそれを消すのは虫が良すぎる。嫌なこと、望まぬことも、起こったことなのだ。人生にあっては、誰しも思いがけないことにぶち当たる経験をする。

    人生の軌道が見えてきたようでも、一つの恋、許されぬ恋、それらから人生が変わる。事故や天災もある。何の悪いことをしていなくても、突然の不幸や苦悩に突き落とされる。それらを今にキチンと処理することが、未来の自分が過去を悔やまないことになる。過去は現在に連なる道であり、未来にも連なっているが、みんないい加減に日々を生きている。

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    いい加減を棚にあげて過去は悔やまぬこと。愛し合いながら結ばれ、不幸にも離婚とになった夫婦は、種々の解決してこなかった。野放しにしていた。今、解決しなくても何とかなると棚上げした事が、ツケに回ったことになる。小さな塵も積もり積もればゴミになる。今をよく生きることは、未来をよくすること。今日という日は過去になっても、悔いのない過去となる。

    と、このように言ったが、人は誰も100%の「今」を生きられない。だから人間は誰しも心に傷を持っている。子ども時分はなおさら至福の「今」を生きられない。問題解決能力はないし、親から無慈悲な要求や辛辣な言葉を浴びせられ、それらが心に残っていく。傷の存在をあまり意識しないで生きてる人もいるが、癒えないほどに深い傷を持って生きる人もいる。癒えない傷を癒せるのか?

    古来からその役目を宗教が担った。さまざまな宗教が、それぞれの教義や方法によって人間の傷の癒しを行った。近代になって、人が宗教に依存しなくなると、心理療法という科学によつ心の癒しが可能と主張する人も現れた。宗教に頼るか、科学に頼るか、自己に頼るか。これだけ見ても人は違うもの。好きなことも、嫌いなことも、食べ物の好みも、多くのことで人は異なる。

    個々の違いを一つの教義に収めるのは洗脳である。自己を暗示にかけ自ら染まろうとする者もいる。様々な性格を科学のパターンに当てはめるのも無理がある。宗教と違い、科学は人に合わせて変えるが、100%性格に適合した療法があるかは疑問だ。ならば自力救済か?自己を癒すためには、ポジティブに自己を高めることで癒しを葬る。それが自己向上である。

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    自己向上を含む自己確立法もいろいろある。欧米人は、先ずは自我を確立して自己主張をするが、日本人は初等教育段階から自立より協調重視する。よって、日本人に自己主張は良くないとされ、周囲の考えを受け入れつつ自己を作って行くことになる。良悪はどちらにもあるが、文化に合致した傾向となる。積極性は西欧では良しとされるが、日本では出しゃばりと嫌悪される。

    真に積極的とは明確な責任感を伴うが、日本人のように中途半端な積極性は、責任感を伴わない。つまり、積極的だが無責任という体系が出来上がってしまった。さらには無責任だから、誰でも何でもし易くなる。不倫も独立も自由にやればいい、責任感の元でなら…。積極的行為に断固責任感を持つなら、誰に文句を言われる筋合いはない。責任とはそういうものだ。


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    時たま現れる程度で存在感のない内田裕也を老害とは思わぬが、「メディアが伝えないSMAPの『二人』の老害公開処刑人 」という見出し記事があった。あの日のSMAPの謝罪を、「公開処刑」という言葉を使ったのは有名ブロガーの山本一郎氏。インパクトがあり、的を得た表現であったが、内情を知らなければでてこない発想だ。自分はただ、中居たちの屈辱と見ていた。

    木村は処刑人側の人間だった。仲間と歩調を合わせない類の人間は社会でも珍しくないが、独立独歩にして控え目なら人の生き方として認めるが、自分が正義と言わんばかりに立ち回る奴は、間違いなく嫌われる。嫌われるだけならいいが、そういう危険な男には誰も近づかなくなる。そりゃそうだろう、歩調を合わせておきながら、突然裏切るような男に、「信用」の文字はない。

    5人が一緒に悪事をし、中の一人が急に正義面して警察に垂れ込んだと同じ事だ。SMAPがそうかどうかは知らないが、木村だけがヒーローぶっているのなら、SMAPは当然にして対等でなくなる。「SMAPはもううちにはいらない子。許して欲しいなら謝罪することです。」と、メリー女史がメディアに放言したことからして、公開処刑を命じたのはメリー女史と推定できる。

    したがって、表向きは国民やファンのための謝罪にみえるが、実体はメリー女史の気持ちを癒すためのものでしかない。ファンも国民もあんなSMAPを見るに忍びず、あんな形でSMAPがさらし者にされるのは哀しいことだった。だからその後にファンは、「あんなSMAPはもういい、解散した方がみんなのため…」という同情論が噴出した。あの時の中居の心情を以下のように代弁する人もいた。

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    「僕たちは謝罪しないとクビになります。芸能界から干されます。それでは困ります。愛してくださっているみなさんにも申し訳が立たない。だから僕たちが悪いと言うことにして事態を収拾します。ちなみに自分たちが悪いだなんて、本当は思っていません。」と、中居正広の「腕白坊主が屈辱に耐えている」という風情が美しかった。 権威に屈したのはファンのためか?

    身を切られる思いで、心にもないことを言う(言わされる)局面は、小説や映画にも多く、それを知る読者や観客に、彼ら無念が共感を呼ぶ。もっとも有名なシーンとしてはガリレオの宗教裁判における、「天動説」同意であろう。直後ガリレオが心の中で、「それでも地球は動く」と呟いたと言うが、事情を知る後人が、ガリレオの心情を慮って付け加えたものだ。

    自分の信念を変えず、曲げず、腹を切った武士道精神にそぐわないガリレオの態度は、子どもの頃に許せなかった。純粋で無知な子ども心ゆえに罪はないが、当時のキリスト教の権威と言うのは計り知れないものであったろう。それは「宗教裁判」というものが物語っている。権威者というのは、事実や動向や世論よりも、「守る」ものの観点がまるで独善的である。


    メリー女史が、「SMAPはいらない」と突っぱねて困るのはSMAP自身で、それを見越しての横暴。彼らが地べたに頭を擦り付けて謝ることは分かっていながら、自尊心を傷つけるようなことを平気でやれるところが、権威者の無慈悲なところ。メリー女史は、自分と、そしてジャニーズ事務所という、「世界で一つだけのアタシ」がいれば、それでいいのであろう。

    国民やSMAPなど問題ではないという老害の論理。読売巨人軍の渡邊恒雄取締役も老害と揶揄された。政界では森喜朗元総理、経済界では米倉弘昌経団連会長などもが老害とされたが、米倉氏は退任した。老害が懸念される問題点の一つに、「保身」がある。彼らは無駄に立ち回り、単純なものを複雑に見せたり、必要のないアピールをしたりで物事を混乱させる。

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    そのことで、自分が必要な人間だということをアピールする。 見方によれば自分も老害かもだが、老害が問題になるのは組織のトップで、老人が個人的にどう動こうが、活躍しようが何ということもない。「座り心地の良い椅子、居心地の良い場所は誰にも渡さないし、死んでも渡さない」というのが老害。権威や権力の禅譲をしない困り老人は、下から追い立てるしかない。

    が、権力や老害に立ち向かえる骨のある若者が少ない時勢。弱いものばかりをターゲットにするいじめばかりが横行する。「公権力、私権力何するものぞ!」という人間が育たないのは、過保護に育つからでは?と推察する。温室の中で風雪に守られ育つ花には、野ざらしの強さがない。少なく産んで大事に育てたいという時代の流れ、少子化問題に絡んでいる。

    老いた権力者が権力にすがり、抗うどころか依存しておこぼれに預かる老いた青年たち。SMAP問題には二人の老害がいたという指摘に頷かされる。一人はジャニーズ事務所のメリー女史、もう一人はなんと、ジャニーズ事務所の長男こと近藤真彦という。NHKの紅白を見なくなって10年以上になるが、今年の白組トリが近藤真彦と聞いて、笑ってしまった。

    紅白って、歌で活躍している人が出るのでは?トリというのは、なおさらそうではないのか?NHKはジャニーズ事務所の、嵐、TOKIO、V6、Kink Kidsに依存し、ジャニーズ頼りの番組で若者のテレビ離れを食い止めてきた。今回、近藤真彦の紅白のトリは、歌の実績も歌唱力もない彼の、いや、ジャニーズ事務所へのお礼奉公と見るなら、メディアも保身に身を固めた現われだ。

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    ずいぶん前、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」の意味について友人と言い合った。本当の意味を知らず、思うところをアレコレ言い合ったが、男同士が寄り会うとよく議論に花が咲く。自分がどう言ったか記憶にないが、「彼は権力によって役職を奪われた。それで死んだわけではない。功績の数々とともに表舞台から消えて行くの意味では?」この知人の言葉は記憶にある。

    意味については概ね同意である。マッカーサーがどのような局面でこの言葉を発したか、を知っていたからだ。最低その程度の知識がないと議論はできない。 戦後の日本を占領・統治した連合国軍の最高司令官マッカーサー元帥は、朝鮮戦争が勃発すると国連軍総司令官に任じられ、不利な戦況を逆転したが、戦争の遂行方針をめぐってトルーマン大統領と対立し解任された。

    その10日後の1951年4月19日、マッカーサーは米上下両院の合同会議で行った演説の末尾に、この文句を盛り込んだ。マッカーサーは、朝鮮戦争に参戦した中国に対するさまざまな攻略策を用意し、訴えもしたが、それらは深追いを避けたいトルーマンの意思に反していた。マッカーサーには軍人としての信念があったのだろう。そして思い入れたっぷりにこう結んでいる。

    「私は52年の軍務を終えようとしている。…だが、(陸軍士官学校入校)当時、兵舎で最も流行っていた歌の一つの繰り返し句は今も覚えている。『老兵は死なず、ただ消え去るのみだ』と、この上なく誇らしげに謳っていた。そしてあの歌の老兵のように私は今、軍歴を閉じて、ただ消え去っていく。神の示すところに従って、自らの任務を果たそうとした一人の老兵として…。さようなら」

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    マッカーサー演説の数々を解説付きでまとめた米著、『ダグラス・マッカーサー-ウォリアー・アズ・ワードスミス』によると、元帥はこの演説の最後のくだりで、米国人の離す標準的速度の2分の1にまで落としていた。フィナーレに相応しい劇的効果を狙ったのである。ゆえにか、マッカーサーは簡単に消え去らなかった。それは当時の当初の世論調査が示している。

    トルーマン大統領によるマッカーサー解任に対する支持がわずか25%なのに対し、マッカーサーに対する支持率は66%。議会演説後も、上院公聴会に出席して大統領批判証言をし、マッカーサー解任を受けて大統領非難決議を採択した一部州議会に招かれて講演するなど、何年も全米各地を遊説した。「消え去る」と言いながら、決して消えなかったマッカーサーである。

    この言葉をカッコよく用いる政治家や企業人がいる。公式の場で「辞める」といったり、「消える」といいながら、往生際が悪く老害・醜態を晒す者もいる。マッカーサーの場合、世論の風に煽られて消えるわけには行かなかった。彼の、『老兵は死なず』演説は、米国では『太平洋を放棄するな』演説と呼ばれた。ある世代なら誰でも知る言葉も、時代の流れか今は「誰の言葉?」である。

    ジャニーズ事務所を去って干された芸能人は多く、田原俊彦は18年に及んだという。あまり詳しくはないが、諸星和己に大沢樹生らも干され組。郷ひろみは1971年にジャニー喜多川氏にスカウトされデビューしたものの、1975年にバーニングプロへ移籍したが、この件についてジャニー氏は「移籍を止められなかったことがショック」だったと後に語っている。

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    反町隆史は中3の時、ジャニーズJr.に所属し、光GENJIのバックダンサーなどをしていたが、1991年に素行不良で解雇となる。SMAPの中居は、多方面に才能があるので独立してもやれそうだが、あとの3人はSMAPあっての知名度であろう。木村と反りの合わない状態でやるのは心苦しいが、草は個人的に木村と好意的であるというから、難しい。

    SMAP問題を芸能界の話題と捉えていない。SMAPを含む芸能人の動向に興味はないが、今回の一件は一般社会にありがちな事象である。権威や権力に弱者がどう立ち向かうのか、男の態度の決め方、生き様を眺めている。「芸能界のことなんかどうでもいい」という人もいるが、SMAP問題を芸能界だけの事としてしか捉えられないのは視野狭窄である。


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  • 02/03/16--07:36: 長谷川豊のバカ発言

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    他人の発言を表立って批判するのを好まぬが、物事には限度というものもある。絶対にやらないというのではない。長谷川豊という元アナウンサーが、2日のブログでベッキー問題にふれ、要点を集約するとこのように書いている。ベッキーはスポンサーに謝罪すべきだが、「既婚と知って、ゲス君を即時切り捨てなかった」としても、手を出してる男が悪い。

    川谷は結婚した直後にベッキーに手を出し、これは民法上の「不法行為」である。不倫は罪ではなく、「裁判になった時に離婚していい理由になる」ということは、法律上よくない行為である。が、有責配偶者から離婚申請はできないとは述べていない。「当事者間」の問題で、テレビとかでギャースカ言う人たちは、「不勉強なコメンテーターたち」など書いている。

    以下は原文ママ。「そして、最後にゲス谷君の奥さんです。もうね、好感度上げようと必死な寒いテレビコメンテーターたちが必死になって擁護しているのがこのゲス谷君の奥さん。みんな、無視してください。こういう人達がテレビでコメンテーターやってるから日本はアホが増殖されるんです。ゲス谷君の奥さんは、売れない時代から、ゲス谷君を支え続けてきたそうです。

    なのに、元カノと続いてるわ、結婚直後にベッキーさんに手を出してるわ、で…はっきり言って、「お前の男を見る目がないだけだろ」という突っこみは置いといて、けっこうかわいそうな状況であるとは言えます。しかし、です。問題はここから。彼女は、そのままですと明確な、「被害者」で終わってるんですが、この奥さん、ここからの行動があまりにもひど過ぎる。

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    彼女はもう多く言われているように、クローンiPhoneを制作してラインの画面を抽出しているのです。(略) 私自身、様々な取材をしている身なのでハッキリ言いますけど、あのラインの画面の流出元が彼女以外いないことくらい、みなさんだって分かってるはずなので、言いきっちゃいます。あのラインの画面を文春さんに持ち込んだのは当然、奥さんです。(略)

    で、この行為なんですが…皆さんも分かってますよね?犯罪ですからね?しかも刑事事件です。テレビのコメンテーターたちに本気で言いたい。分かってる?日本では…、「何人も、不正アクセス行為をしてはならない」(不正アクセス禁止法3条)って決まってるんです。これに違反した者は、「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処せられます(同12条)。

    この3人の中で、完全にダントツで一番ダメな行為をしているのはゲス谷君の奥さんであることは法治国家日本において明白です。ここは日本です。日本では、「法律を守って」みんなが生活しています。違法行為は、「悪」です。感情的な部分なんて、みんな違うんです。なので、法治国家に住む人間の一人として、断言します。

    この3者であればダントツ悪いのが奥さん(犯罪行為+民法上のプライバシー侵害)次にゲス谷君(民法の不貞行為)そして、かなり下がってベッキーさんです。(だまされたとはいえ、気づいた段階で引き返していない)(略) でも、世間ではそうなっていませんよね?奥さんはテレビなどで擁護されまくり。」と、強力なベッキー加担は、「オレに任せて」と見栄を切ったと見る。

    イメージ 3彼が何を言おうが、誰の味方をするのも自由。持論を言う前に先ずはネット問題に詳しい清水陽平弁護士の意見を添えておく。「パスワードでログインして、電気通信回線で画面を見たとみなされればそうです。しかし、ログインせずに画面を見ただけでは違法にならない可能性があります。不正アクセスは証拠を示すのが難しく、LINEでの立件は聞いたことがありません。

    そもそも、立件されればLINEの内容が本当だったことが分かりますから、ベッキーさんも川谷さんも望まない可能性が高いと思います。」また、プライバシー侵害については、「川谷さんの奥さんがLINE画面を見れば侵害となり、流出させればより重くなるでしょう。しかし、夫婦間のことですので、その程度は大きくないと考えられます。」と、これが専門家の見方。

    今後は、川谷さんと妻の間で離婚調停になってもおかしくないが、清水弁護士はこれらについて、「LINEやメールの写真は、離婚裁判ではよく出てくる証拠物件です。そこでは、不倫問題が重くみられますので、たとえLINE画面を流したとしても、川谷さんの奥さんにはそれほど大きな不利益にはならないと思います。」と言っている。

    LINE画面を覗いた、流したことよりも、問題は配偶者の不倫の事実における家庭崩壊、という遺失利益の大きさである。長谷川の意見を机上の空論とまではいわないが、被害者である妻をあれほど攻撃するのは倒錯的。彼は批判はすれども、代案を出さない。批判と代案はセットでなければ説得力はない。もし、長谷川が川谷の妻の立場であるならどうする?

    つまり、結婚したばかりの妻が、いきなり、「大事な人がいるので別れて欲しい?」と言われたら、どうするんだ長谷川君?「大事な人って、誰か男でもできたのか?」と聞くだろう。「男女の関係はあったのか?」とも聞くだろうが、相手が正直に答えると思うのか?人が自分に都合の悪いことを正直に話すとでも思うのか?君は会社の出張費を横領し、退社したそうだ。

    そのことについて問われたときに、キチンと正直に話したのか?自己正当化や言い訳をしなかったのか?罪と認識したのか?濡れ衣なら身分保障の訴訟を起こして嫌疑を晴らすことは可能だが、それをしなかったところを見ると事実という事になる。テレビのコメンテーターをギャースカと言うが、潔白を証明する段取りをせず、お前こそギャースカ言ってなかったか?

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    まあ、ブログに言い訳をを1000回書いたたところで横領の罪が晴れるわけでもない。さて、新婚なのに相手から、「大事な人がいるから別れたい」と言われて、問い詰めても事実を言わない、相手の名も言わない。ならば、しかる所に調査を依頼するのは自然なことだ。それがいけないというなら、新婚そうそう女ができたという夫はなんだ?男を見る目がなかったとでも?

    長谷川のいうように、見る目のない不甲斐ない男であっても、婚姻してる以上はいろいろ段取りもあろう。川谷の妻は探偵事務所に調査を依頼したという。で、そこで掴んだ事実を彼女はどうすればよかったのか?長谷川ならどうしたというのか?そういう問題にまで思考を廻らせて妻を批判したらどうだ?四谷怪談の岩も、女ができた夫に毒を盛られ、あげく斬り殺された。

    こんな勝手を許せるか?だから、亡霊となって怨念を晴らそうとしたのだが、それが間違ってるとでも?川谷の妻が相手をベッキーと知ったときのショック、憎悪は当然である。もし、長谷川が同じ立場でそういう事実を知って、ショックも憎悪もないというなら人間できてるな。横領はしても…。自分の推察では、探偵事務所からの報告を彼女はどう処理をすべきか戸惑った。

    その一環が週刊誌への相談だったのでは?こういう場合に相談する人にはいろんな種類がある。その筋の人に話を持っていく場合もある。不倫をネタに強請る場合もある。こちらの方が悪辣だが、巨人軍元監督原は、1億円を支払ってもみ消した?報じたのは文春だった。その代わり彼は監督を続けられ、社会的にも善人のままで通せた。1億円は安いものだったろう。

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    ベッキーにその筋の人間が交渉したとして、1億出すかどうかは分らない。が、もし、これを週刊誌に持ち込まなければ、彼女は善人気取りのまま、その後も数億円を稼ぎ、世間からはいい子のベッキーと囃された。そんなベッキーの裏の顔を知る川谷の新妻が、テレビではしゃぐ彼女を許せなくて当然だ。長谷川は深い思考もないままに川谷の妻を断罪する。

    が、長谷川が妻と同じ境遇であったならどうする?LINEのクローンにしても、妻に素養があったのか、文春の指示か、いずれにしろ、文春に相談したことで、問題は公になった。他人の不倫が公になる事の公益性は国民にないが、妻には十分あったろう。我が夫と逢瀬を重ね、実家まで連れて行くなどとバカにされ、テレビで善人を気取るベッキーへの恨みつらみは当たり前だ。

    会社の金を横領した人間に、白々しくニュース原稿など読ませたくないと、会社の判断は当然であり、だから降格させた。刑事告訴されなかった分、感謝すべしだが、悪事をした人間に罰は当然だ。不倫が公になったベッキーは、今までのように稼げない。これは彼女の犯した罪に対する、妻の罰(報復)だ。文句を言ったところで仕方あるまい。悪事は自己責任でやれ。

    どのような形で露呈しようが、その事に文句をいう筋合いはない。もっとも悪いのが妻だのと、妻の気持ちも顧みず、まるでオコチャマの発想だ。どういう仕打ちがあるにせよ、どういう仕打ちを受けるにせよ、ベッキーらの自己責任である。長谷川はくだらん理屈ばかりコネる前に、自分ならどうする、あるいは、こうするのが最善との代案を提示し、真っ当な批判をすべし。

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    不倫に刑事罰はない。が、自分の人生に相当のダメージを伴う場合もある。今回も不倫の代償は高くついた。タカをくくった罰であろう。「妻がもっとも悪い」と吠えたところで、妻には妻の心情がある。妻の罪が司法で認定されようとも、そんな事は問題ではあるまい。死刑を承知で浮気相手を殺す場合だってある。それが憎悪。罪だの罰だのより、憎悪を甘くみぬことだ。


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  • 02/04/16--18:26: 煽る人・煽られる人
  • 昨日記事にした長谷川豊という元アナには、煽り癖があるようだ。で、今後彼には一切反応しないを決めた。彼はベッキーが自筆のメッセージを3日に出す予定と公言していたらしい。それがなくなったことで、「正直言って…ちょっと信じられない展開ですし、色々と言いたいこともあります。情けないやら呆れるやら…」などと、自ら被害者を装い批判を交わす。

    今さらベッキーの言葉になんの興味も関心もないから、彼の戯言を攻める気もないが、結婚して間もない夫の女性関係で愚弄された妻の心情は理解できる。「女グセの悪い男と判っていて、結婚したお前が悪い」という言い方を長谷川はするが、それでも自分を選んでくれたという喜び、幸せ感を抱いた女の心情である。男で一番タチの悪いのは、そこを利用する奴。

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    川谷を支えた妻のように、男にぞっこん惚れた盲目的な女であるなら、何をやったところで文句は言わない、じっと我慢をするだろう、そういう驕った考えになり男はいる。もちろん、女にもいる。「結婚してあげるから、何でもわたしの好きにさせて、自由にさせて」に対して、「ハイ」という男も世の中にはいる。川谷妻も好きな男であったなら、近い心情であったろう。

    だからといって、そういう事をじっと我慢しなければいけない理由はない。「飼い犬に手を噛まれる」という比喩があるように、人も生き物も生身である。どこまで我慢をするかは分らない。結婚直後に、「大切な人がいる。別れて欲しい」と言われて、「はい。判りました」という女だと思ったのだろうか?でなければ、あり得ない結婚、あり得ない非道な行為である。

    罪が罪を呼ぶ。川谷の妻が愚弄されたことで起こした怒りの行為を罪というのは、そこの浅い人間である。彼女と同じ境遇でない他人が彼女を理解するためには、自分が同じ立場ならどうするも含めて考えること。自分を相手に置き換えて思考してこそ、正しい考えに至れる。それがなされないから傲慢になる。すき放題にいえるし、いじめもやる側だけの論理だ。

    いたずらっ子だった自分は、他愛もない言動をよくした(いじめの認識はなかったが)。ある女の子がクラスにいた。親が便所の汲み取り業であることから、皆が「衛生車」というあだ名でからかっていたものだから、自分もつい本名を呼ばず、「衛生車」と呼んでいた。席替えでその子の前の席になったある日、急に後を振り返って、「おい、衛生車!」と言った。

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    何の用事も理由もなしに、その言葉だけを彼女に向けた。その時の彼女の顔は今でも忘れることができない。彼女には何の罪もなく、いわれもない親の職業である。当時は水洗トイレはなく、どこの家庭も汲み取り式であったし、必要不可欠な職業であった。なのに「衛生車」と見下げる子ども。彼女を「衛生車」でなく、初めて姓で呼んだとき、どう感じたのだろう。


    自分が衛生車を言わなくなると、周囲も言わなくなった。当時は思わなかったが、そういう影響力が自分にあったようだ。「だったら、よい影響力になりたい」と、ガキはそんな殊勝なことなど思うはずもなく、。良くないことを、良くないと感じて止めただけ。それができる素直さ、柔軟性がまだ自分にあった。無言の彼女から、とてつもない大きなもの、大事なことを教わった気がする。

    生き方や人生の転機になるようなことは、自然ここに綴られ、書き留めて置きたくもなる。自分の知識や理屈をひけらかすために、本や文を書く人はいる。「どうだ、俺は賢いだろう?」と言わんばかりに…。そうではなく、読み手のひとりひとりが、自分の考えを練っていくための支えになればいいと、控え目に思う気持ちを差し出す人に、人間として好感をいだく。

    「○○だ!」、「○○である」などの断定口調は、日本人の好まぬところで、「○○のように言われております」などの言い方が日本人に受け入れられるという。後者の言い方を、『村落共同体用語』といい、これを多用した海部俊樹元首相がリーダーたる資質を問われた。「尖ったこと、目だったことをいえば嫌われる」、そういう村落共同体の一員の論理であろう。

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    そういう気づかいばかりしていると、自分自身も曖昧になりかねない。批判は是であり、批判は恐れてはいけないが、必ず批判の理由や代替案を添えるようにしている。感情的、恣意的な批判に説得力はなく、自分自身さえ納得させられない。たがするためだけの批判は、有吉やマツコなど、見る側には面白く、いっときの気晴らしにはなれど、何ら腹の足しにはならない。

    自己顕示欲の権化の如きパフォーマンスを旨とする批判を長谷川豊にみた。捨てる神あれば拾う神もある。彼のファンもいるようで、それはそれで結構なこと。知識を振り回さず、何よりも知恵を提供することに意味を感じる。大きな声(大文字、赤文字)を出して、何かを強調するよりも、穏やかに、静に、いくぶん低い声で、私情に流されず、客観的に諸事を見つめたい。

    そういう理想はあるが、未だ遠い道だ。優越感に端を発する文は、スパイスの如く効用はあるだろうが、あまり栄養にならない。読者を驚かせようばかりに躍起になるとついつい無理をして嘘を必要とする。長谷川の書き込みにそれを感じた。同時に小学生の頃にあったある事を思い出した。ガマの油売りならぬ、切り傷がピタリととまる軟膏を路上で実演販売するおっさん。

    大勢の子どもや周辺の大人たちが囲んでいた。自分の腕に切り傷をつくって、そこに軟膏を塗りたくる。と、あれよ、みるまに血が止る。おそらくワセリンのような物だったろうか。そのおっさんが、店じまいするとき、「明日ここで、コブラを笛で踊らせるから見に来てや」といい、楽しみにしていた。次の日、友達数人を誘ってそこに行ったが、待てどもおっさんは現れなかった。

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    友だちには悪かったが、あのときほど大人の嘘を罪だと思ったことはない。おっさんの嘘(罪)を父に言ったが笑うだけだった。単なる「子ども騙し」と思ったのだろう。「子ども騙し」とは、子どもだから簡単に騙せる嘘の類をいうが、子どもを騙していいという訳ではない。成熟した大人を騙すより、年端もいかない子どもを騙す方が、罪深いと思うのだが…。

    次の日に来ないのなら、来るつもりもないのなら、そんな嘘を言う必要はなかったはずだ。来ない場所に子どもを集める必要はなく、なんであんな嘘を言う必要があったのだろう。おそらくおっさんは、その日子どもにいい人ぶりたかったのでは?明日のことなど頭になく、考えもせず、その日、その場において、"いい人"ぶりたかったのだ。そう考えないとつじつまが合わない。

    世の中には"いい人"ぶりたいが元の嘘はある。また、自分はいろんな情報を持っているんだと、ひけらかせたいから嘘をつく者もいる。そういう人間はよく嘘をつくが、「すいません、予定が変わったみたい」と詫びをいれればシンパは許す。故意、作意の嘘とは思わず、アクシデントを理由にするからだが、そんな事が続くと、「なんだ、こいつは嘘つきか」という風になる。

    自分の知識や信じるところ、言いたいところを申し立てる人はいる。が、それらは単に御高説拝聴に終る。その場合、読者は受動的にならざるを得ないからだ。同じ受動的であって、自分の見たもの、感じたことを議論としてではなく、観察的に読者に指し示し、注意を促すことが望ましい。さすれば、指摘する方向に視線を向け、「なるほど」と、同感も得られる。

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    ま、中には「そんな事はないだろ」の批判もあるが、それは世の常である。が、最初からあきらかに批判や非難を狙った書き物は、ある意図が見え隠れするし、サーカスの空中ブランコの曲乗りのようでもあり、新興宗教の教祖の歪んだ言霊の様でもある。「観察」という視点が大事と思うが、観察とはアサガオの観察、チョウの羽化の観察といいかえればわかろう。

    ありのままに見たものをありのままになぞる…、これが難しい。特に子どもよりも大人の方が難しい。なぜなら、子どもは見たものだけを書くことしかできないが、大人は見えないものを想像し、推察し、仮説構築力なども必要となる。さっぱり想定できない事象を、単に自己満足的決め付けで、「やった!」といってみても、自己満足以外の何であろうか。

    知らないことは調べるしかなく、調べること=考える要素となる。また、嘘を読み解く素養も必要だ。最近はこれをリテラシーと和製英語で使っている。嘘を見破る方法としては、最初から「疑いの目で見る」のは正しい理解とならず、対処さえも誤ってしまう。嘘かどうかを判断する場合に大事なのは、その事と現実とのギャップであろう。そこを考えれば嘘を盲信ないで済む。

    また、嘘を見抜くためには知識・教養もいるだろう。一口に知識・教養といっても質もあるし、嘘の種類もさまざまで、見抜けない嘘もある。もう一つ大事なのは、危機を煽る人に嘘が多いということ。これを理解し、心しておくほうが術中にはまらない。危機を煽って不安にさせれば、嘘も信じやすい。マスメディアにも嘘が充満している。それで放送休止になった番組もある。

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    マスメディア従事者には、世に警鐘を鳴らすのは自分たちという使命感に似た驕りがある。それが常に絶対的な「善」になれるとの思考停止に及ぶ。何かを煽る長谷川豊の書き込みにはその傾向が強い。つまり、彼は嘘を嘘と思わずにいうクセが沁み付いている。言った事がハズれればスルーし、当たれば「ほら、ボクの言ったとおりでしょう」と言えるわけだ。

    テレビなどに健康や食品の害を煽る番組が多いのは、とりあえず「危険だ!」と煽っていれば、リスクは少ないうえに、職業的倫理を問われることもない。自分の発言に責任を取ろうと言う覚悟などは絶対になく、危機は煽っておけば安全だという構造が根底にある。


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    飛鳥涼が、警視庁組織犯罪対策第五課に覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕されたのは2013年5月17日。逮捕当初は容疑を否認していたが、警視庁による尿検査では覚醒剤の陽性反応が出ており、自宅からは覚醒剤やメチレンジオキシメタンフェタミン(MDMA)とみられる粉末や錠剤が発見された。また、知人で会社員の女も同容疑で逮捕された。

    「こっちは仕事だからあんたに売るんだけど、体は大丈夫なの」。飛鳥涼に対し、3年にわたって覚せい剤を売ってきたという指定暴力団傘下の組幹部A氏は、クスリで蝕まれた飛鳥涼の体を心配した。それに対し、飛鳥はこう言ったという。「大丈夫、大丈夫、まだ平気。ちゃんと考えてますから…」。A氏が飛鳥に覚せい剤を売るようになって3年近くが経過した。

    売人も驚く使用量が体を蝕まないはずがない。顔はだんだん細くなり、飛鳥とわからないほど、別人のようになっていたという。「今年の4月ごろ、さすがにもう、まずいと思った。俺が言うのもへんだけど、なんでそこまでやっちゃうのかね。これ以上やるとバレてしまうから『もう終わりにするよ。あんたの携帯から俺の番号を消してくれ』と頼んだ。

    このままだと逮捕されるのは間違いない。足がつくとヤバいからね。芸能人は一回でもクスリに手を出したら必ずバレてしまう。それは時間の問題だ」。飛鳥涼が覚せい剤を吸引しているところを暴力団員に盗撮され、脅されているという記事が同年8月1日発売の『週刊文春』に掲載された。このA氏は、『週刊文春』が報じた暴力団員とは別の人物である。

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    週刊誌報道を知ったA氏も、「俺のほかに飛鳥にブツを売っていた人物がいたなんてね。浮気してたんだ」と驚きを隠せなかったという。飛鳥は逮捕された6日後の5月23日、毛髪検査からも覚醒剤の陽性反応が出たことで、否認していた容疑を認める供述を始め、5月27日、覚せい剤取締法違反(使用)及び、麻薬及び向精神薬取締法違反(使用)容疑で再逮捕された。

    6月27日、覚せい剤取締法違反と麻薬取締法違反(いずれも所持)での追起訴を受け、所属事務所はASKAとのエージェント契約の解消を合意したと発表したことで、ASKAは事実上音楽活動から引退状態となった。7月3日、弁護人が申請していた保釈請求が認められ、保釈保証金700万円を納めて保釈された後、薬物依存症治療のため千葉市内の病院に入院する。

    8月28日、東京地方裁判所で初公判。9月12日、懲役3年執行猶予4年の有罪判決が言い渡された。ASUKAの薬物疑惑を最初に報じたのは東京スポーツで、2013年7月24日、『超大物シンガーが深刻な薬物中毒に陥っている』という匿名記事だった。その1週間後、週刊文春が2013年8月8日号で『ASKAが覚醒剤吸引ビデオで脅迫されていた』との見出しの記事を掲載した。

    売人のA氏が危惧するように、警視庁組織犯罪対策第五課は8月21日、ASKAに合成麻薬(MDMA)を譲り渡したとされる男2人を麻薬取締法違反(営利目的譲渡)容疑で逮捕されている。1979年8月25日、ワーナー・パイオニアからシングル『ひとり咲き』でデビューしたチャゲ&飛鳥。音楽シーンにその名をとどめた彼らである。飛鳥はソングライターとしても名を馳せた。

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    1983年には彼の作詞『ボヘミアン』(作曲は井上大輔)が、葛城ユキのカバーによりヒット。光GENJIに提供したシングル『STAR LIGHT』、『ガラスの十代』、『パラダイス銀河』が立て続けにヒット、飛鳥の音楽家としての知名度を向上させた。日本近代文学研究の第1人者で国文学者でもある石原千秋は、ASKAの歌詞について以下のような賛辞を贈っている。

    ASKAさんの歌詞には謎が仕掛けられていて、多様な解釈できるのがおもしろい」、「一般的なポップスとは一線を画す深みがある」。一方、飛鳥の非常に粘着質で下から突き上げるような声質・歌唱法は独特で、「ASKAの声質はとんでもない倍音であり国宝物である」と小室哲哉に言わしめた。今月で58歳の飛鳥のエネルギッシュなステージはもう観る事もない。

    SAY YES』(1991年)、『YAH YAH YAH』(1993年)などの大ヒットもあって、チケットの取り難い4人(中島みゆき、ユーミン、サザン)として肩を並べた。チャゲとのバンド再開のメドは立ってないが、長男の宮崎泰は元 「little blue box」というバンドのメンバーであった傍ら、会員制のバーを経営、現在は閉じて新たにバンドを作ったとか?父とは絶縁状態という。

    長女の宮崎薫もシンガー兼ライターであり、大手レコード会社avexに所属。現在目立った活動はしていない。二人とも不肖の父親を持ったことにはなるが、親の罪を子が負うものではないし、また、親の才能をそのまま引き継ぐというわけでもない。長男はメジャーデビュー後3年でバンドを脱退、新たなバンドを作ったが、こちらも目立った活動はない。

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    折角の才能を覚醒剤如きでふいにするのも解せないが、当人にはそれなりの理由、事情もあるのだろう。自分の芽を自分で摘んだのなら、それも彼の人生だ。「人は本来、深いところで自分に利することしかしない」という 韓非子の言葉ではないが、何でもカンでも利するわけには行かないもの。こちらを利するなら、別の何かを制御するという、自制心が必要になる。

    さて、清原和博であるが、辿れば飛鳥と同様に、暴力団の金ズルにされたのであろう。芸能人、有名人はお金を持っているし、顔に泥を塗りたくない商売でもあり、薬浸けにするには最高級の獲物となる。薬浸けにするための仕込み法はいろいろある。芸能界の華、音楽シーンの華であろうと、輝かしい球界のスターであろうと、一転して覚せい剤の泥沼へ堕ちる画策に嵌まればいとも簡単だ。

    薬物に手を染めたきっかけについて、清原の知人は、「(現役)当時、知人・友人の方でクスリをやっている方がいたみたいです。『その方がきっかけで、一緒にやっちゃった』みたいなことを聞いた」と話した。自分も過去に2名から誘われたことがある。一人はアメリカにいたときの友人の知人。もう一人はサニクリーンという貸しマットレンタル会社の従業員。定期的に顔を合わす関係であった。

    ある日、突然キラキラ輝くガラスの結晶のようなものを見せ、「これやるといいよ。毎日が天国気分」といった。興味もなかった。「お酒はいいよ、酔うとすべてを忘れられる」と、何度も飲酒を勧められたが、それを同じ言い方に聞こえた。「今に不満はないからいいよ。酔いたくもない」と言って断る。金融商品の勧誘電話もそうだ。「短時間でお金を稼げます。是非やってみませんか?」という営業マン。

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    「お金?イッパイ持ってるから必要ない」の断り文句。これに対し、上手くキリ返す営業マンに出会ったことがない。「そうですか、いいですね。羨ましい…」というのが関の山。要するに相手はこちらに欲があるかどうかを伺っている訳だから、「金なんか捨てるほど持ってる」と言われては打つ手がナイ。こんな無駄な顧客を相手にする時間が勿体ないと、普通は逃げる。

    「いりません」、「結構です」という断り文句に引き下がる営業マンは三流。金を持ってる人間でも、欲の皮の突っ張ったのはいるし、営業マンに大事なのは、お金の有無よりその人が欲であるかどうか。お金に対する執着心の有無はプロならすぐに見抜く。ならば、そのように察知されないように言えばいい。営業とは顧客の、「いりません」からスタートするのだ。

    清原のように体面や見栄を重視し、ハッキリ「No!」が言いづらい人間がカモにされる。未知への好奇心は誰にもあるが、覚醒剤を瞬時に断れる人間はいろいろだ。アメリカに居た際のドラッグ体験はこうだ。友人の友人にSEXを誘われ、彼女のアパートに行ったときの事。やるまえに、「これ(ドラッグ)を一緒にやろう。それからする方が素敵だから…」との色仕掛け勧誘である。

    目の前の牡丹餅にお預けくらって、さあどうする?そこでも、「それはそれ、これはこれ」と判断せねば、つい断りきれなくて…となる。自分はドラッグもナニもやらなかった。スーパーの試食販売で、「少量だし、タダだから美味しいのかもね?」といえば、マネキンさんも笑うしかない。ナンパした女がホテルで寸前に、「お金いるんだけど」と言われ、「いいよ」と出す男もいるんだろう。

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    「乗りかかった舟を降りるわけには行かない」となる。が、自分はその一言に腹を立てる。「だったら、最初から言えよ。こんなところで寸前に言えば断れないとでも思ってるんか?」と言う。腹が立つから自然に出てくることば。どんな状況であれ、「それはそれ、これはこれ」と思えるかどうか?暴力団の回し者にシャブ浸けにされる者は、最初のそれが多いのだろう。

    「この薬、疲れがとれるから」、「快感が増すから」、「痩せる薬よ」、「アイデアが浮かぶよ」、などなど、勧誘トークはいろいろ。それに「場」の状況が加味され、初体験で気づいたら中毒になっていた。これを防ぐにはやはり、「それはそれ、これはこれ」という意思であろう。「これ飲んでくれなきゃ、エッチしな~い」という仕込み女に対しても、「なら結構」と言えるかどうか。

    暴力団に売値をどんどん吊り上げられ、覚醒剤の無限地獄に堕ちる有名人ども。そこから抜け出るためには、檻の中に入れてもらうしかあるまい。自由な身であるから狙われ、食いつかれ、ケツの毛までむしられたあげく、金の切れ目は縁の切れ目とポイだが、中毒になると金は無くとも、「薬をくれ~」となる。「人間止めますか、それともクスリ止めますか?」の標語が虚しく響く。

    覚醒剤疑惑報道のさなか、清原の妻は注射痕か注射器か、確信的な何かを目にしたのだろう。清原の知人は、「本人も、テレビ出演したりする前に、『ちゃんとしなきゃいけないのかな』と言っていたというが、「ちゃんとしなきゃいけない」のはテレビ出演時だけでなく、いつ、どこでも、人間として、「ちゃんとしない」までも、普通でいればいいんだよ。普通で…

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    勉強の面白さは、学校の教師や塾の講師の言うとおりにして得られるものではない。面白くない勉強に、せめて面白さが見出せるとしたら、それは自分たちが創意したときや、工夫が生かされたときではないか。勉強を仕事に変えても同じことがいえる。創意を仕事の中で生かしたとき、仕事のなかに新たな発見をしたときに面白さを感じる。

    ただ課題を与えられて機械的に覚えるだけの勉強に面白さを見出すことはないが、そんな事は親も塾の講師もおかまいなしで、要は成績があがる事、偏差値が伸びればいいというご時世。それで、「(子どもは)誉めて育てよ」、「(人は)褒めて使えよ」が真に正しいみたいに言われている。「褒める」のが悪いとは言わないが、どこか安直な人間理解に思う。

    「部下は褒めて使えばやる気を引き出せる」というのは本当なのか?「飴と鞭」とはいうが、ただただ褒める、褒めて使えの発想には、高いところから人を操作するというニュアンスが感じられる。親が子に、上司が部下に、"上から目線"のどこが悪い?と言われれば限度の問題というしかない。あまりの上目線は、むしろ人のやる気を奪ってしまう。

    子どもや部下がよい結果を得たとき、褒めるという傲慢な態度より、一緒に喜ぶのがよい。ピアノ指導を例にいえば、日本人と、外国人教師と生徒の関係はずいぶんと違うというのが、文献や伝記からの印象だった。日本人生徒は、「教わった」といい、教師は一般的には「指導した」というが、外国人教師は、「私は彼と一緒に学んだ」という言い方をする。

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    あちらでは教える側と教わる側は対等なニュアンスであり、教わる側も自分の意見や主張を臆することなく発する。教師はそれらに丁寧に応対し、そこから生徒の個性を引き出し、伸ばそうとする。指導者側の解釈を一方的に押し付けることはない。日本人の生徒は低姿勢に先生の解釈をそのまま受け入れようとする。それが教わる者の礼儀、姿勢という暗黙の了解。

    教師は自分より優秀であるからして、崇める対象である。ゆえに生徒はモロに先生のコピーであるような場合が多い。こういった上意下達が日本の伝統的な指導法であり、勉強である。先生の指導に意を唱えるなどは、生徒としての資格はない生意気人間とされる。人に何かを教わるなら、「教わる姿勢、教わる態度」というものがあるとの考え方が支配的だ。

    現在活躍中である往年の日本人ピア二ストたちが青春期に師事した先生にあって、井口基成・愛子、田村宏は特別厳しかったと聞く。日本で言う大師匠、大先生に当たる言葉をフラン語で、「グラン・メイトル」という。いうなれば、人格的にも、能力的にも、業績的にもふり仰ぐような豊かで大きな存在という意味のグラン・メイトルといえば故安川加壽子が浮かぶ。

    外交官の父に添って1歳のときに渡仏、パリ国立音楽院ピアノ本科でラザール・レヴィに師事した安川は。第二次大戦勃発の1939年帰国し、ドビュッシー、ラヴェルのピアノ曲を初演するなど、フランスの近代ピアノ音楽を日本に紹介し、またフランス系の教育メソッドを導入した。長年東京藝大教授にあり1996年7月、74歳にて死去した安川はこのように言う。

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    「自分の勉強は、まァ自分だけの問題として考えれば済むし、苦労はあっても、気は楽。難しいのは教えるということです。とくに子どもは一番難しい、一人一人みな違う「その子」ですし、教え方一つでどうにでも変わるナイーブな時期ですから。子ども好きで愛情をもつと同時に、その子の心理を分かってあげようと努めることが大切です。

    また、"その子"に適した目標を探し、"その子"に敵した教え方を考え、しっかりとした基礎を躾けること。ピアノ教育を野放しにできない時期にあります」。子どもは難しい反面、安川のいうようにどうにでもなる怖さもある。同じ子どもでも、「受け身」型と、「自助努力」型の性格の違いは差となって現れる。受け身は型に嵌められ易くなる。

    型にはまると個性が出にくくなる。「自助努力」型は個性的な人間となる。言葉通り、個性は自分の努力によってしか発揮できない。個性が教えられて身につくなど聞いたことがない。井口基成のレッスンを震えながら受けたある女性は、レッスンが終わって靴を履くときに手が震えていたのを母親が見て、この先生に習わせるのは無理だと判断したそうだ。

    ピア二スト中村紘子は弟子をとらない事で有名だが、その理由は、思い出したくないほどの凄絶なあの頃があったからか?中村の多感な少女時代、拳を震わせては後悔し、涙が枯れるほど泣いた頃の話をこのように述べている。「あの頃、怖い事では日本一いや世界一と言われた井口愛子先生のレッスンを週1回受けていましてネ。もう毎日が地獄でしたヨ。

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    毎日5~6時間家で練習でしょ。(レッスンが水曜か木曜)金曜土曜は幸せ、青空なの…日曜ぐらいから曇りはじめて、月曜は雨雲、火曜日はどしゃぶり、火曜の夜から発熱、レッスンの日はだいたい熱だしてました。(井口先生の雷鳴が轟く)30歳過ぎても時々夢を見るんですヨ!(笑) この実体験がトラウマになったのか、生半可な気持ちで教えることは出来ないと…。

    同じ門下の野島稔も7歳から井口愛子に師事する。怖い井口から野島はその体を張った音楽教育と神経の鋭さに圧倒されたという。後年、井口愛子の70歳(?)の祝賀食事会が催されることになったとき、中村紘子が一人で行くのが怖いというので、野島と一緒に行くことを懇願され、ホテルで待ち合わせをしたそうだ。田村宏も日本で一番怖い先生という異名がある。

    「弟子たちの間で、数々のエピソードが残っています。私も何度かレッスン後にトイレに駆け込んで泣いたり、友人たちや当時の藝大の売店大関のおばさんに話して慰めてもらったりしたことか。大学生も泣かせちゃうくらいの恐ろしさなんですから、想像してみてください」とあるピア二ストは書いている。小山実稚恵は田村門下の最優秀生徒であるという。

    怖いのが子どもにとっていいか悪いかだが、何事もそうであるように絶対はないし、この場合も子どもによる。いい場合もよくない場合もある。褒めるも同様だ。さらに言えば、最近の相次ぐ研究で子どもを過剰に褒めることのリスクが指摘されている。ニューヨーク在住のカーラ・グリーンさんは、「あなたは素晴らしい人間で、何でもできる」と言われて育ってきた。

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    「特権的感覚を植えつけられた」と過去を省察するグリーンさんは、自分の子どもには意図的にエゴを高めることには慎重であるという。だが同時に、健全な自尊心は持ってもらいたいとも願っている。「エゴを過剰に高めるようなやり方で子どもたちに取り入るようなことはしない。同時に目の前にある困難に立ち向かう自信を身につけてほしい」という。

    「自尊心が低い方が、一時的には子どもたちにとって実際に良い影響がある。また、家の外の世界を軽視するような称賛は、害になることがある」、というのが心理学者の見方である。自分が周囲からどう見られているかについて、思い上がらずに現実的な理解をしている子どもたちは、打たれ強い傾向がある。なるほど…。打たれ弱いエリートを多く見た。

    これまで教育関係者や保護者の多くは、高い自尊心が幸福感や成功につながり、それは単にトロフィーを与えたり、褒めたりすることで子どもたちに植えつけられると信じていた。が、研究者らは自尊心がそういった結果につながらないことを発見した。高い自尊心の一部は、秀でた行いの結果から生まれるのであって、原因からではないからである。

    子どもたちの自尊心を過剰に高めることはむしろ逆効果になり得る。これは後に挫折を味わうと、そうでない人よりも落ち込む度合いが強いことから指摘されている。STAP細胞問題で自殺した理科学研究所の笹井氏の自殺には思うところがあった。デューク大学で心理学と神経科学を教えるマーク・リアリー教授と他の複数の研究者である。

    イメージ 6これによると、自尊心は子どもたちが家族や友人、仲間からどう評価され、受け入れられているかを測る尺度、つまり内面の心理メーターのようなものとして機能するという。他人の目に対する敏感さは、人間が社会に受け入れられる必要があったために進化したもので、太古には、社会に受け入れられることが生存に必要不可欠なものであった。

    学術誌「チャイルド・デベロプメント」に掲載された研究によると、仲間に好かれているか、もしくは魅力的に思われているかという周囲からのフィードバックに対する反応として、早ければ8歳頃に子どもの自尊心は高くなったり低くなったりする傾向にあるというが、確かにその時期の子どもは、親の言葉、友人や周囲などの環境から影響を受けやすい時期である。

    「子どもたちは、自分には価値があり、周囲から受け入れられ、愛されていると感じる必要がある」。しかし、一時的には自分自身のことを悪く感じることも良い影響があるという。「自己中心性や我がままな振る舞い、相手を傷つけてしまうのは、関係を長続きさせる能力、あるいは将来、定職に就く能力を損ないかねないことを学ぶから」とリアリー教授。

    いずれかに偏るのではなく、中間が最良であろう。子どもたちが周囲との関係のなかで、肯定的だが現実的な自己イメージを構築させる手助けをすることにある。グリーンさんの夫は子どもたちに対し、自分が祖母から教えられたことを教えている。それは、「誰もあなたより優れていない。けれども、あなたも他の誰よりも優れているわけではない」ということだ。


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  • 02/08/16--15:57: 虚々実々の世
  • 長谷川豊元アナが、7日の『そこまで言って委員会』に登場、ベッキー問題に持論を説いたが、あまりのこじつけ発言、独善的妄想発言に論客が一笑。得意の「煽り」も「斜め読み」も、こわもておっさんには相手にされず見るも無残。ネットでは「バカかコイツは」などといわれても顔の陰影は見えないが、テレビでの醜態に対する嘲笑は無様さ丸出しである。

    小泉県議事件というのがあった。医者で名前で呼ばれず、番号で呼ばれたと立腹した県議が、一部始終をブログに書き、そのあまりのバカさがネットいなごの標的にされた。自分は彼に対する批判より、56歳にもなってこういう無知な人間もいることに驚いたが、他人の言動の不備を、恰好のターゲットと待ち構えるネットいなごどもは、容赦はしない。

    イメージ 1小泉県議は炎上ブロを閉鎖、17日に謝罪会見したが、25日早朝、岩手県一戸町の大志田ダム付近で車の中にいるところを通行人が発見した。概に死亡し、目立った外傷はなく、体内からかなりの量のアルコールが検出された。遺書もなく死因は特定できないが、急性アルコール中毒や低体温症などによる事故死の可能性も含め、詳しく調べることになるも、状況からして自殺であろう。 人の自殺の要因はなかなか特定はできないし、推察するしかないが、ブログで非難・罵倒されたうえ、フジテレビの「特ダネ!」がしつこく追いまわしたこともないとはいえない。自殺の報を受けた小倉キャスターは、「こういう結果になって大変残念です」とだけコメントした。罵倒したネット住人どもは、潮が引くように去っていった。エサあるところに集り、食い尽くして飛び去るイナゴのように…

    「レジェント」なる言葉がある。各界にその名を留め「レジェント」がいる。現在テニス界でレジェンドとされるロジャー・フェデラーだが、「フェデラーはテニス界の老害」という記事があった。フェデラーのような実績もあり、美しいプレーと定評のある現役テニスプレーヤーを「老害」とする偏執者に誘発されて反論する者もいる。このような批判待ちを意図する突飛な発言には反応すべきではない。

    匿名で秘匿性をいいことに何でも言えてしまう「2ちゃんねる」のような文化を生んだのも、人は孤独にいたたまれないからであろう。まさにネットは独善的な「虚構新聞」であり、誘い水をかけて人が集まれば「虚構広場」となる。他人を平気で傷つけようとの悪意の声が無数に集まれば、さぞかし苦悩に至るであろう。2年前だったかある岩手県議が病院で自分を番号で呼ばれて腹を立てた。

    「俺は客だぞふざけるな」と恫喝、会計をすっぽかして帰る。収まらぬ怒りを自身のブログに書き殴ったのはいいが、それに非難の書き込みが轟々と寄せられた。ブログに設けたコメントなので、本人も当初は、「会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません。」、 「このブログをご覧の皆さん私が間違っていますか。」などと応対していたが、あまりの非難の多さに閉口する。

    ・キチガイですわ
    ・ばっかじゃねーの?
    ・何様のつもり?公僕のくせに
    ・金を払わず帰った? 犯罪者じゃんw
    ・こういう世間知らずな奴が県民の目線で政治ができるのか?
    ・駄目だこいつ、岩手の恥
    ・こういうゴミこそ地震で死ね、小泉みつお
    ・市役所や銀行行ったことないのかよw
    ・ケツの穴の小さいおっさんだな。死ねばいいよ。
    ・ホームラン級のクズ、マジで死ねば良い
    ・客じゃねぇよ患者だよ死ね  
    ・老害すぎる……死ねよもう
    ・俺はこいつに面と向かって「死ね」と言えるよ。

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    コメントも最初の方は、県議の無知をあざ笑うものだったが、ひとたび「死ね」が現れると、どうにもならないくらいの罵詈雑言と化して行く。「死ね」以上の罵倒はないのか、そうと言わんばかりの「死ね」、「死ね」、「死ね」のオンパレード。この県議は、自分の無知を詫び、病院に対しても謝罪の文を寄せたが、一向に「死ね」攻撃は収まらない。他県から「出稼ぎ」ならぬ、「出罵倒」者も増すばかり。

    誰かが「死ね」といえば、同じように「死ね」と言い、それを見た人がまた「死ね」とつぶやく。みんなが言うから、自分も言っていいとなる。自分もみんなの一員で、こうして「死ね」が連呼される。まさに呪詛の大合唱の連鎖である。呪詛とは、神仏や悪霊 などに祈願して相手に災いが及ぶようにすることだが、見ず知らずの人の発言なり言動について、呪詛の合唱連呼をし、何が満たされるのだろう。

    秘匿を拠り所にした覚悟のない連中、一対一で対峙できない気弱な連中が、集団に埋もれ、屏風に隠れて自己主張をするのでは?他人のブログに「通りすがり」というお決まりのハンネ、あるいは匿名、偽名で好き勝手をいう輩の通例だ。斯くの輩は自己のブログで主張はしない。まあ、「死ね」を暴言とも思わない、罪の意識もないのだろうが、姿形を現した人間にその罪を追求するなら、このようにいうだろう。

    「そんなつもりで言ったんではありません。みんなが言ってるんで、自分も気軽につぶやいてしまいました。すいません、反省しています」。何事も後々謝罪する人間というのは、謝罪と言う嘘を弄する事が多い。ベッキーがいい例だ。理性が欠けている輩は、失敗する前に学べないのだろう。だから謝罪のフリをして誤魔化すしかない。日本人は何だカンだといいながら、腰を折った謝罪が好きな人種である。

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    子どもの犯した罪を責め、謝罪を要求する親は、子どもが嘘つきになるのを助長しているようなもの。「○○してはいけません」が口癖の親も、子どもを嘘つきにする。何かを失敗するたびに、「だからいったでしょう?二度と○○してはいけません」などと言われ続けると、子どもは失敗した理由より、失敗そのものがいけなかったと感じる。あげく、できることでも、「できない」と嘘をつくようになる。

    どんなことにも興味をもってやる子は、上手く行く、行かないなどの結果はどうでもいいこと。「やってみる」、「やりたい」の実証主義を大事にするし、子どもの本質を見抜く親なら失敗を咎めたりしない。いいかえれば、失敗を叱り、咎めたりすると、子どもは萎縮して何もしなくなる。嘘をついて自分や周囲を誤魔化すよりも、嘘をつかない勇気を子どもに与える親が、真に優れた親であろう。

    子どもの本心を大切にすべきか、親の理想を子どもにかぶせるか、どちらであるべきか?については親の意見も分かれるところ。で、多くの親が子どもをブランド浸けにする、あるいはブランド浸けに失敗する。反対に多くの子どもの本心は無視されるのが、一般家庭のようだ。「本心」といっても、ない子もいれば、ある子もいる。その前に「本心」とはなんであろうか?それが本当にあるのか?

    そう問われれば、これの存在を証明し、その内容を明確に説明できるものではない。大人でも難しいなら、子どもはなおさらだ。「自分の本心に問うてみろ」、「それがお前の本心か?」、「本心からいうけど、君が好きだ!」などと我々はいい、すべての日本人は当然のごとく、「本心」の存在を信じている。上司が部下に「本心に問うてみろ」といい、「本心なんて、そんなものないっす」と言えばどうなる?

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    おそらく上司はその部下を信用しなくなる。いい加減な奴だと思うであろう。「本心」がないならすべては嘘の心、「邪心」と捉えられるからだ。そこでまた、「本心」とは何?「邪心」とは何?ということになる。「本心」を強調するのは、人間は自らの心に忠実に、正直にいきていないのだろう。自分の「生」なのに、なぜ自分に正直に生きないのか?それは、正直に生きることに「得」を見出さないと思うからだ。

    人が「嘘」をつくのは、「本当」をいうより「嘘」の方が自分に「利」があるからで、ならば「本当」をいう場合は、「本当」に「利」を感じたときか?人は自分の生に無意識に「利害」を重ねているのでは?それほどに人は「利害優先」に立ち回る?おそらく自分は、思うところを正直にいいたい人間である。利害に蹂躙されているとは思わないが、無意識の部分はどうか?

    ここは嘘を言おう。ここでは本当を言おう。ではなく、人は嘘も無意識についているのでは?無意識に利害を判断し、無意識に嘘をついている。人は「本心」に対して正直である方がいいが、自尊心が邪魔をする。「邪心」とは自尊心が「本心」を邪魔した形。人間は、人間対人間の関係において、十分な精神武装をして付き合っているはずだ。人間関係も無意識の部分が多い。

    どうしても相手を自分の思う方向に向かわせるように、首を絞めてでも持って行かなければならない。であるにも関われず、人は、誰かは、「本心に戻れ」というのである。自らが「本心に戻れ」と内なる叫び声を上げる人もいる。自己を規定できずに鎧をかぶるのが日本人的ではないか、そんな気がする。人が人の悪口を言う場合は、単に悪口であり、他人への誹謗中傷も愉快でたまらないようだ。

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    人がいうから面白いのか、個人的に愉快だからか、人それぞれだが、他人を蔑み、ボロクソをいう人間の多くは自身の「内なる基準」は何ら明示しない。「バカ」といえば、言われた側より、言った側が上位にあるというバカが多いのかも。子どもの喧嘩にこういうのがある。「バカ」といわれた子が、「バカっていうものがバカ」と言い返す。それが「バカ」と言われた防護策。

    言い返されて困り、「なんだと~!もう一辺言ってみろ!」となる。つまり、「バカというものがバカ」は効果があったことになる。大人は少し違えていう。「お前バカか?」に対し、「自分のことを棚にあげて、よく人をバカっていえますね?」みたいに…。以下は自分のブログの実例。「○○さん、正直にいうと書いてることがあまりにバカなのでとりあえず指摘しておきます。」

    に対し、「一体ご自身をどの立場に置いて物を言ってるんでしょうか? 尊敬を買う人徳と品格に満ち溢れた非の打ち所がないと勘違いされているのでは?」。どこから引用したのか、まったく「場」にそぐわない。まあ、過剰に反論し、よい言葉で相手をとっちめようとの思いが見える。それにしても、「尊敬を買う人徳と品格に満ちた非の打ち所がない」は、笑止文例也。

    「虚々実々」には様々な意味がある。策謀を尽くして腹を探りあうの意味もあるが、虚実を強めた言葉として、何が本当で、何が嘘なのかわからない様子にも用いられる。世の中にあっては、何が本当で、何が嘘かハッキリ分かるより、虚々実々を良しとし、面白さを感じる昨今である。


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  • 02/09/16--15:31: JKというJOKER ②

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    1月23日の記事の続編。社会学者宮台真司が、現代の風俗現象を切り口にしたコラムを青年誌に連載、それらを一冊の本にまとめた『世紀末の作法』(1997年・メディアファクトリー)  には、"終ワリナキ日常ヲ生キル知恵"という副題がある。著書の内容紹介と著者宮台真司についての履歴には以下のような記述がある。1959年に生まれ、転校で6つの小学校に通い、中学時代に学園紛争を経験。

    大学で社会学理論の実効性に疑問を持ち、リクルート社と提携したマーケットリサーチ会社を設立した。主にルーマン理論(複雑性の縮減など)に依拠する社会学者が、90年の統計データの解釈の困難に直面してフィールド調査に乗り出し、1993年以降に発表した膨大な依頼原稿の内、短いものをまとめて1997年に刊行した300頁強の本。宮台は知る人ぞ知る「売春合法化論者」である。

    彼が、援助交際を専門的に調べるきっかけになった理由は、当時付き合っていた女子高生が援助交際をやっていたからで、宮台も一時期テレクラにハマっていた。ところが、母親に50枚の会員証が見つかり、すべて捨てられたその後も続けていたという。そうした宮台の社会風俗への興味・好奇心が社会学者への道へと進ませた。戦場カメラマンが戦地に赴かずして、何の絵も撮れないように…。

    ブルセラ、テレクラ、援助交際の少女たちと、その風俗をささえる"おやじ"を風刺する気鋭の社会学者として当時、「ブルセラ宮台」の別称とともに、体験的サブカルチャー論は彼のフィールドワークであった。しかし、こうした時代評というのは、当然ながら古びてしまうし、実際読んでも古臭い。この本に描かれたことにはすっかり慣らされ、その魅力に対する感度もすっかり鈍磨してしまっている。

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    こういう社会の現実の中で大人が美辞麗句の道徳を説くのは、ホンネとタテマエの乖離を招き、大人の世界は「ウソ社会」だという実感を強化するし、それが逆効果であると知る者は、現実を直視し、認識できる大人である。自分も斯くの大人の一員で、タテマエ論の虚しさ、無意味さは分かりすぎるくらいに分かっていた。性は押入れの隅に押し込んで置く物ではないと痛切に感じていた。

    何はともあれ、現実を知らないことには的確な対策は生まれない。NHKが変わったと多くの視聴者が感じているように、タブーを取っ払い、時代の変節に合わせた番組が目に付く昨今だ。『日本侠客伝』などヤクザ映画を18本も撮った映画監督マキノ雅弘は、吐き捨てるようにこう言った。「NHKはヤクザは人を殺すのでけしからんといって放送しない。そのくせ大河ドラマで信長や家康をやる。

    いったいあいつ等がどれだけ人殺しをしたか、知ってるのかね~」。そのNHKに、『クローズアップ現代』という番組がある。1993年放送開始だから3500回を超えた長寿番組で、番組開始時からキャスターを務める国谷裕子は番組の顔である。幼少期から日本、アメリカ、香港等で過ごした彼女は、アメリカのブラウン大学を卒業後、日本国内の外資系メーカーに就職、商品の販売戦略を担当した。

    「なぜ一つでも多くせっけんを売らなくてはいけないのかと、納得がいかなくなり、一年足らずで辞めてしまった」という。『クローズアップ現代』は、2014年5月14日放送分でやらせ疑惑が指摘され、NHKは内部調査委員会を設置した。一年後の2015年4月28日、「過剰な演出」があったとする調査結果をまとめて関係者を処罰、同日、予定を変更して調査報告書の内容や調査委の会見を放送する。

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    番組の最後に国谷が、「22年間番組を放送してきましたが、事実に誤りがある番組を放送してしまったこと、視聴者の信頼を損ねてしまったことをおわびいたします。常にフェアで事実に誠実に向き合うことで番組に取り組んできましたが、今回調査委員会により、その一部が視聴者の信頼に反する内容と指摘されました。私としても残念でおわび申し上げます」と、涙ぐみながら謝罪を行った。

    2016年初頭、NHKは『クローズアップ現代』を刷新し、番組名を『クローズアップ現代+(プラス)』に変更、国谷裕子キャスター(58)を、2016年4月期から降板させる方向で検討しているという。彼女には、22年間ご苦労様というしかない。同番組はその名の通り、現代をクローズアップして見せるわけで、2014年9月3日には、『広がる少女売春 ~"JKビジネス"の闇~』という内容で放送された。

    「援助交際」、「サポート相手募集」と名を変え、少女が売春に興じているのは間違いないし、社会にはそれらの土壌となるシステムが公然と営業を行っている。夏休みには、東京都心で制服姿で客引きをしている少女たち。「女子高校生と1時間8,000円ほどでデートをするJKお散歩です」などのチラシを配布する。売春の温床にもなるJKビジネスといわれる業態が、全国に広がっている。

    女子高校生と、「ハグ、1分1,000円」、「添い寝、5分で1,500円」。客は追加料金を支払い、さまざまなサービスを受ける。多くの客が、性的サービスまで要求してくる。また、17歳の少女が言う。「お客さんは、それこそ『ホテル行こう』とか、平気で言って来ます」。番組の取材に応じた少女の多くが昼間は学校に通う、一見、普通の女子高校生。しかし、学校や家庭に居場所がないと感じている。

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     「お母さんとけんかが毎日絶えなくて、ずっと死にたいと思っていて…」と、前出の17才の少女は言う。少女を街角に立たせ、客を取らせている業者は、満たされない少女の気持ちにつけ込んでいるという。JKビジネスに関わったある男性は、「彼女たちにご褒美をあげたり、サプライズでプレゼント差し上げるとか。女の子たちは喜ぶのでコントロールしやすい。」というが、そんなものだろう。

    番組に顔ナシで登場するあやこさん(仮名18歳)は、「1日最高4万円以上は稼げるみたいに言われて、ちょっとお金に困っていたので…」という。彼女は昼間は毎日学校に通う、学校が終わると、店が用意した制服に着替え、声をかけてくれる客を待ちます。料金は1時間8,000円で、売り上げは店と折半するシステム。彼女は売春を断っているが、危険な目に遭うことも多い。そりゃそうだろう。

    危険なところで危険な目に遭うのは当然。危険な目に遭いたくないなら危険なところにいなければいい。危険を回避し、乗り越えているなどと、そんなものは束の間である。たまたま今は売春をしないといってはいても、毅然とそれを続けることは不可能。なぜなら、客にもいろいろいて、金を積む者、言葉巧みに誘う者、これらを毅然とあしらう信念の持ち主がそんな所にいるはずがない。

    マックの店員ではないし、そんな所にいる女の子は誰がみても軽い女と見、誘いやすい。いずれ彼女たちは、「どうせそういう女の子と見られているなら、いっか~」と自己肯定は時間の問題。強靭な信念などない。「誰もが軽い女とみるなら、自分は絶対にそうならない」という崇高な信念の持ち主は、最初からそんな所に行かない。コシ餡は嫌いだけど、「赤福」は好きと言ってるようなもの。

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    「売春はしていない」を自分は信じない。安易な人間は、どんどん安易になり、安易が嫌なら最初から安易をしない。宮台は言う。「『何かを諦める』ことと、『諦めるべきものを初めから知らない』こととの間に横たわる大きな差異にだんだん気づく少女は、『諦めるということを知らない』。もし、私自身が、『諦めるべきものを初めから知らない』という環境に育ったら、彼女たちと同じに振舞うだろう」。

    宮台は1960年代から70年代に書かれた数冊の少女マンガを読み漁り、当時の少女たちが抱いた「家族幻想」、「恋愛幻想」は、当時の少女マンガなくしては得られなかった。彼女たちは、少女マンガと共に生きたのである。そうした幻想をリアルに生きられた時代でもあった。現代の少女マンガが変質し、耽美で露骨な青年マンガを読む機会に育った少女が、変質するのは仕方のない事だ。

    「乙女チック」を含めたかつての少女マンガの「幻想」が、宮台の言う単なる回顧を超えて、かつてのような圧倒的な同時代的リアルさでもって享受されるような日は、もう二度とかえってこないだろう。それは男の子にも言える。正義は強く、正義は必ず悪を滅ぼすという、勧善懲悪マンガの衰退がもたらせたもの。正義は偽善と決め付ける前に、正義の美しさを知ろうとしない若者は不幸である。

    「酒鬼薔薇事件」の少年Aのような、擬似家族ゴッコが生みもたらしたもの。彼が自分の家族や家庭の中で、正しい居場所を見つけられなかったこと。では、誰がそれを阻んだのか?その事は、上記の17才少女が、「お母さんとけんかが毎日絶えなくて、ずっと死にたいと思っていて…」という言葉。学校や家庭に居場所がないという現実が、自分を求める客に自らの実在感を覚えるのだろう。

    イメージ 6家に居たくない、親がうるさい、というのは思春期時期には誰にでもある。が、それが一時的なものか、致命的なものかで多少は違いはある。情緒の未熟な思春期時期にやることがない、居場所がないと感じる少女が、何か別の楽しみを求め、あるいは効率的な収入を求めて、風俗に足を踏み入れるという社会害悪を放置することなく、キッチリ取り締まるのが国家の責務ではないか。
    ピンクサロン(pink salon)とは和製英語で、女性店員がナニをおしぼりで拭き拭きし、口唇を主とした性的なサービスで接客する風俗店おことを言った。ソフトドリンクやアルコール飲料も提供される。略してピンサロなどと呼ばれ、同義語にピンキャバがある。そういうところで働く女性は特殊な事情があったものだが、こんにちキャバ嬢は憧れ的な響きがある。なぜなら「ホステス」と同義と捉えているからだ。

    女性従業員(キャバ嬢)には、「笑顔での応対」や「相手に話を合わせながらいい気分でお酒を飲ませる」など、感情労働を求められる。そういう世界には往々にして裏があるもので、男と女の世界に裏があって当たり前か。かつてピンサロには、JOKER(ジョーカー)、エンジェル -という女性従業員が管理者に伝える隠語があった。前者は客が射精に至らなかったこと、後者は昇天(射精)した客の事。


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  • 02/11/16--15:15: JKというJOKER ③
  • 「秋葉原は児童ポルノと児童買春に溢れている街。東京、そして日本の警察機関は女子児童が性的コンテンツ、サービスにかかわることに対して甘すぎる」――こうした内容の報道は米国を中心にかなり頻繁に出回っている。援助交際という名の売春が、なぜ取り締まれないのか?そもそも、売春防止法第3条で、「何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない」と定めている。

    なのになぜ違法なことが放置されているのか?あるいはまったく取締りをしていないような報道が広がっているのはなぜなのか。一言でいえば、売春禁止法第3条に罰則規定が設けられていないからで、罪の認識はあれども、罰がないから横行する。ではなぜ、罰則規定がないのか?、「立証が極度に困難、かつ、徹底的な立証をしようとすれば人権侵害の非難さえ生じ得る」からだ。

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    確かに売春の定義は難しい部分がある。不特定多数の相手と片っ端から性行為をしたところで、そういう性向(いわゆる好色)の女が罪になるはずがない。愛を大事にしなさいと、セックスに愛を持ち込むような古い考えには抑止力がない。それだけ、婦女子の性の解放と主体性を社会が煽っている現状にあって、男はよくて、女はダメという論理に説得力がなくなったのは事実である。

    やってる側にすれば「不特定」の対象であれ、やっているときには不特定であるという意味もなく、意識もなく、不特定の人間の中の任意の一人という意味なのだ。したがって、売春が何かを大ざっぱにいえば、対償さえ受ければ、不特定な範囲の中から相手を選ばないで性交する(つまり誰とでもやる)のが売春であるということになる。これを法解釈論にすればこういうことが成り立つ。

    「自分が特定した相手と性交することは、売春の中には含まれない」。特定とは何か?「好きな人」、「カッコイイ人」、「性交してもいいと感じた人」、「自分の欲求が強くて我慢できなかったから…」などと、何とでも言えてしまう。お腹がすいて我慢できなかったから、カツ丼を三杯食っている女性を警察に通報する店主はいない。靴や洋服をいくつも買っている女性のどこが罪?それと同じ事。

    性行為は相手がなければ敵わないし、これをどういう理由で取り締まれというのだ。売春の主体は女性に限らず、男性であっても差しつかえない。ホストクラブのホストが、金ピカババアと売春しているのは明らかである。売春が禁止されているなら、なぜソープランドが違法とならないのと同じ理屈である。あそこでの行為は自由恋愛である。というより、自由恋愛とみなすのが法解釈である。

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    つまり、恋愛感情における性行為を取り締まる理由がない。取締りの対象になるのは売春婦その者ではなく、売春をしようとする者が自らその相手方を勧誘する行為等のうちで、社会の風紀を害し、一般市民に迷惑を及ぼすものということになる。一般的には、言葉によって勧誘するのが普通であるが、身ぶり、動作によって行う場合もある。「公衆の目にふれるような方法」も対象となる。

    公衆の目に触れる場所とは、「道路その他公共の場所」というより、やや広い概念でいえばたとえば、室内出てきてから路上の人を勧誘するような、いわゆる呼び込みも含まれる。法理論、法解釈によれば、売春行為そのものを規定するのは、逃げ道がたくさん用意されていて至難といわねばならない。成人女性でもお斯様であるなら、将来ある10代の女子を捕らえるのはなお難しい。

    それをいいことに彼女らが立ち回っていたとしても、モラルはモラル、法は法である。妻がいるのに愛人がいる。愛人とは援助関係で成り立ってはいるが、「愛してます」と言うに決まっている。女子高生の援助交際を捕らえるなら、愛人関係もダメということだ。法は社会を律し、整備するためにあるが、適用不可能なものもあるということ。例えば金銭の貸し借りにおいて警察は無力である。

    「1万円貸したのに返さないんです。すぐに逮捕して下さい」とは誰もいわないし、いえない。借りた金を返さないのは刑罰の対象にならないからだ。言い換えると、借りた金は返さなくても罪ならないなら、ほっといた方が得という人間もいるかも知れない。もちろん、民事訴訟の対象になり、損害賠償請求は可能。娘を殺されて民事提訴し、損害賠償判決が出ても支払われるのはマレだ。

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    さて、のっけの"秋葉原は児童買春に溢れた街"という海外報道や諸外国のイメージのような、日本の闇との捉え方対し、さらに注目が集まったのが2015年10月、国連人権理事会で「児童の人身売買・児童売春・児童ポルノ」に関する特別報告者をつとめるマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏が、外国人記者クラブでの会見で、「日本の女子学生の13%が援助交際を行っている」と発言した。

    実際この数字に根拠はなく、外務省の抗議により、ブキッキオ氏が発言を撤回する書簡を日本政府に送付するに至るが、問題なのは、「なぜこのような根拠のない数字が、積極的に海外発信されるのか」であろう。秋葉原で様々なJKコンテンツが生まれたことは否めない。”着エロ”と呼ばれる、着衣を着たままエロティックな撮影をするのが流行し、”着エロ”写真集やDVDも販売された。

    ”着エロ”ブームは現在は下火となったが、「着衣を着せたまま撮影できる」ことをヒントに、17歳以下の児童を使った着エロ写真・DVDが増え始める。これらは児童ポルノであるからして脱法行為であり、その後、着衣を着ていてもポルノに準ずるコンテンツに対し、規制がかけられている。以来、着エロ系コンテンツは年齢確認書類(免許証など)とともに撮影するなどの確認が取られるようになる。

    秋葉原には駅周辺の目立つ場所にも大人のオモチャやDVD、ブルーレイ販売店があり、"清らか"とは言えない状況だが、かつては違法コンテンツを扱っていたショップも、現在は合法物しか販売していない。"児童買春の街"と指摘される事実においてはどうか?これは、、「JK散歩」、「JKリフレ」、「JK撮影会」が、いずれも風営法による届け出が不要な業態ということから急増した。

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    JKビジネスは、労働基準法違反、児童福祉法違反、児童ポルノ禁止法違反、興行場法違反など、現行法の範囲内で繰り返しの摘発が行われてきたが、2014年に17歳未満の女性従業員(現役女子高生は18歳も対象)の補導強化を警察が行ったことで、いわゆる"女子児童"を使った密室でのサービス店は衰退したが、上記のJKビジネスが児童買春の一役を買ったのは事実である。

    それ以前のメイドカフェブームが一段落した2006年頃から雨後の竹の子のように乱立した。秋葉原は海外からの観光客も目立つエリアだが、なぜこの街でJKビジネスが発展し、未成年を使った性風俗などに発展したのかについて、ある業者は以下のように説明した。「性風俗店は新宿・池袋など、以前から業者の多い地域があるが、歴史的な背景もあって取り締まりが厳しかった。

    また暴力団が支配する地域もあるため関係者からの"カスリ(売上げ搾取)"で利益を挙げにくいし、街が大きく中心部以外も家賃が高い。一方、秋葉原は暴力団にカスリを取られない上、中心街を除けば家賃が安く、独身男性客を集めやすい。実店舗を構える場合も、秋葉原の中心から離れて神田須田町や末広町ならば取り締まりも比較的緩くなり、風俗営業許可も取りやすいのが実情。」

    "秋葉原"のブランドを使って外郭地域でビジネスをしやすいのが理由のようだ。AKBシアターがあり、メイドカフェが軒を並べる秋葉原周辺に、「JK」をイメージさせる風俗が集まってくることは否定できない。思慮未熟な少女たちが、お金欲しさに密着サービスに走らないよう監視し、警察に自ら情報を出して取り締まり強化、といった自主規制連動があれば、街のイメージは損なわない。

    イメージ 5未成年の少女が風俗産業へと足を踏み入れていく、カラダを売って合理的にお金を得るというのは、深い理由あってのことではない。あまりの造作無い動機であって、かつての売春婦とはまるで違う。なぜ、このような時代になったのか?カラダを売って生きていくのは、底辺の女として見られた時代であるが、今では底辺も上辺もないのだろうか?どうにも女子の自尊心の欠落に思えてならない。
    もう一つ、彼女たちのアイデンティティのなさと、付和雷同主義に陥る民族性もある。みんながやるからやる、例え罪悪感があっても、自分だけじゃない普通の子もやっている、進学校の子もいる。それが罪の意識を薄めてしまう。人は人、自分は自分というより、人は自分、自分も人(の範疇)と、多勢に自分を押し込め、「個の尊厳」をないがしろにする。この点、自己に生きる欧米人の方が勝る。

    かわいい格好で接客や散歩をするだけ、うたい文句の誘い水に簡単に自身のハードルが下げる日本の女子高生のモラルを高揚させる教育はないのか?いや、大人のモラル、親のモラルの低下にあって、女子教育だけを掲げてみるのもおかしなこと。かつては不良、今は「普通の子」が被害者となる。売春は罰なき犯罪だが、児童買春は思春期の不安定な心のスキをつく犯罪だ。


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    人は生きているだけですごい。と、ふと思ったりする。生きているのは自発的な部分もあるが、病に抗った勝利でもあり、生きていながら実は生かされてるともいえる。それを感謝とするなら、生きてることは即ちどんなことにも意味があるということだ。苦しいこと、思うようにいかなくて辛いこと、それをどうするかを考え、実践することが「生」の実在感でもある。

    笑い、喜び、憂い、悲しみなどを「心」の衝動というが、心とはすなわち脳である。人の脳を取り出して検体として眺める。そこにあるのは脳であり心ではない。心が見えることはない。脳の一部を取り出し、生きたまま培養できたら…、これは科学者の夢だが、考えただけで難しい。例えば首を絞めると、大人なら4分、子どもなら3分で脳がやられる。

    仮死状態から蘇生するも、脳は元には戻らない。2週間前、高校時代の友人が心筋梗塞で逝った。突然死の中で心筋梗塞はもっとも怖く、医師でもその前兆の見極めが難しい。心臓は生まれて以後、いや、生まれる前から拍動を続ける臓器で、24時間休むことなく全身に血液を運ぶためのポンプとして、1日に約10万回も収縮と拡張を繰り返す。

    体内の臓器は血液が運んくる酸素が必須で、心臓は命の大黒柱といえる。その心臓も、酸素や栄養素を必要とし、それが心臓の筋肉に張り巡らされた冠動脈である。冠動脈は直径がわずか3mm~3.5mmしかなく、そんな細い血管が心筋の働きを支えているのだ。心筋梗塞とは、冠動脈が完全に詰まって、心筋への血液がストップする病気である。

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    冠動脈はおおまかに3本あり、その細さからして足の血管などに比べるとなんとも貧弱である。直径が数センチ、数十センチと太い水道管や配水管でも詰まるわけだから、3mmの血管が詰まらないわけがない。血管は様々な理由で詰まる。加齢による動脈硬化、高コレステロール値、糖尿病、喫煙、アルコールの多飲、ストレス、肥満などなど。

    近年、コレステロールの上昇(とくに悪玉コレステロールの高値)と、境界型糖尿病の増加が問題のようだ。2005年以前は、冠動脈は動脈硬化によって徐々に細くなって詰まると考えられていたが、近年、高カロリー食摂取や運動不足で、冠動脈内部の「プラーク」という脂質のかたまりが急に壊れ、その部位に急激な炎症がおきて詰まるのが判った。

    また、冠動脈が急にアレルギー的に収縮して詰まる、といったメカニズムも認知されている。血管が細くなって詰まりそうになるのが「狭心症」で、完全に詰まってしまったのを「心筋梗塞」という。先端医療機器のおかげで、生体を切らなくても体内を観察できるようになった。冠動脈の狭窄部位も造影で発見でき、適切な治療を行えば閉塞を回避できる。

    下の画像は、冠動脈撮影という心臓の血管を写しだすカテーテル検査で発見された狭窄部位に、「風船」のようなものを入れ、血管が細くならないように「くだ」を入れる治療の結果、血管の狭窄が消滅した。が、これで万全というわけでなく、予後治療として血液をさらさらにする薬や、コレステロール値を下げる薬を処方されるが、何より運動が欠かせない。

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    運動によって全身の血流がよくなり、血管の詰まりが防止できる。川の流れもゴミや不純物がなければスムーズに流れるように。運動による血流増大は脳にも影響し、脳血栓を防ぐばかりか、酸素を多く含んだ血液が脳を循環することでボケ防止にもなる。急性心筋梗塞は、発作が起こってから約1時間以内に30%から50%という高い確率で死亡に至る。

    友人が自宅で発症したとき、家には妻が不在で彼一人だったのは不運である。帰宅した妻が慌てて救急車を呼び、病院に搬送されたが時すでに遅しだった。友人も妻も高校時代の自分の共有の友人で、話をいろいろ聞いたが、妻は自身の不在を嘆き、責任を感じていたが、そうではなく、たまたま不在の時に発症したのは不運としかいいようがない。

    最新の医療技術の進歩により、心筋梗塞は1時間以内に病院に到着できれば、95%の人が助かるという。つまり、1時間という時間がまさに生死を分けている。が、心筋梗塞はどこでどういう状況で発症するかなどは誰にもわからない。脳出血や心筋梗塞を発症し、「運よく助かった」と命を落とさなかったケースには、やはりラッキーな部分が大きい。

    発作の前段階に、自分の体内で何が起こっているかの正確な判断ができる人がどのくらいいるのだろうか?心筋梗塞の前兆症状は、疲労と間違えやすいこともあり、発作が起きる寸前まで気がつかない場合が多く、それでも様々な症例から、予備知識を持つことは可能。心筋梗塞は朝起きて、体が活動を開始する9時~10時に最も発症しやすい。

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    一般的な症状としては胸の痛みで、朝、いきなり胸の痛みに襲われるという。この時いったい体内で何が起こっている?冠動脈が完全に詰まって、心筋への血液がストップすることで、心筋への酸素と栄養素も途絶えることとなり、この状態が30分以上続くと心筋細胞の壊死が始まるという。人間は呼吸で酸素を得、それを血管が体中の細胞に送る。

    狭心症の発作は冠動脈が完全に詰まるのではなく、血流が悪くなることで起こるが、心筋梗塞が安静時に多く発症し、狭心症は運動時の発症が多い。痛みの継続時間も短く5分以内、長くても20分以内に痛みが消滅するが、それは狭くなった血管が元に戻ったのではなく、発作後に安静したことで心臓が要求する酸素や栄養素が減少したためである。

    したがって、発作時の安静は重要。狭心症の発作は心筋梗塞の予備軍といえる。冠動脈の狭窄、閉塞は、高血圧症、高脂血症、糖尿病、運動不足、タバコなどの要因が重なると、年齢に関係なく動脈硬化は進む。一般に動脈硬化は粥状(じゃくじょう)硬化をいう。血管の壁に悪玉コレステロールが溜まり、ドロドロしたお粥のような粥腫ができる。

    また、動脈の末端である細い部分に起こるのが細動脈硬化、血管の中膜に起こるのを中膜硬化と区別される。動脈の血管は内膜、中膜、外膜の3層構造になり、中膜にカルシウムがしみ込んで起こるのが中膜硬化で、大動脈、足・首の動脈で起こりやすい。前兆がほとんどない心筋梗塞も、上記の要因を合わせ持つ人は、発症を防ぐ日頃の用心が大事。

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    心筋梗塞は胸の痛みと限らない。肩から背中にかけての痛み、腕・肩・歯・アゴの痛みもある。首が回らない、ひどい肩こり、鼻が詰まる、喉が詰まる、ゲップがでる、しゃっくりがでる、胃の不快感、動悸・息切れ、風邪でもないのに咳が出たり声が枯れる、夜中にトイレ回数が多い、心筋梗塞で胸の痛みを訴える人は全体の約半数に過ぎない。

    言われてみると、確かにこれらの症状は疲労がたまっただけでも現れる。それと心筋梗塞の発作時には、冷や汗を伴うことが大きなポイントのようだ。ではなぜ、冷や汗が出る?これも体が内部異常を起こした場合に出すサインの一つで、痛みなどの症状が現れない無痛性心筋梗塞なども、冷や汗、めまい、むかつき、顔面蒼白を起こすという。

    無痛性心筋梗塞は糖尿病患者に多いとされる。その理由として糖尿病患者は、合併症として「神経障害」を引き起こすことがあり、痛みなどを感じる知覚神経が障害されていると、心筋梗塞が起こっても痛みが感じられない。末梢神経障害により心筋梗塞を見逃してしまい、発見・処置が遅れると死に至ることもある糖尿病は怖い病気である。

    糖尿病患者が心筋梗塞を予防するには、キチンとした糖尿病治療はもちろん、禁煙、生活習慣病の改善、寝不足の改善、ストレスの軽減などの他に、近年、アディポネクチンというホルモンを増やす事が効果的と分かった。アディポネクチンは脂肪細胞から分泌されるホルモンで、血管壁の傷を修復したり、インスリンの感受性を上げる作用がある。

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    普通の健康体の人の場合、アディポネクチンは一定量分泌し、血管の傷ができればその都度修復される。ところが、内臓脂肪が多いメタボ患者や糖尿病患者の場合、アディポネクチンの分泌が著しく減少するのが研究によって明らかになった。アディポネクチンの分泌が少ないと、血管の傷がうまく修復できず、インスリンの効きも悪くなってしまう

    それが動脈硬化が進行させ、心筋梗塞の要因となる。また、最新の研究では野菜や果物に含まれるオスモチンがアディポネクチン受容体を活性化させる働きあることも判った。オスモチンを多く含む食材には、じゃがいも、トウモロコシ、トマト、りんご、キウイなどがある。が、じゃがいも、トウモロコシは炭水化物が多く、高血糖になるので注意。

    糖尿病に限らず、心筋梗塞の予防というのは、生活習慣病の改善と、喫煙の問題、過度の飲酒、それに高コレステロール値でメタボにならぬよう、適度の運動が何より効果的のようだ。特に運動は全身の血流がよくなること、つまり血管を掃除する効果があるのは言うまでもない。歩いたりの有酸素運動はタダでもできるが、簡単なことほどやれないもだ。

    「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはある。僕らにできるのは、その『ほんの少しの理由』をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ」という村上春樹の言葉。「壁は何かをやろうとする人にのみ立ちはだかる。だから壁は乗り越えるためのチャンスである」というイチローの言葉。

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    前向きになれる言葉、ポジティブに生きる言葉に触発されるのもいいかもしれない。が、何事も始めるのは第一歩でしかない。あとはどこまで続けるかで、それについては、自分と厳しく付き合うしかない。人は誰も自分に甘えたいし、自分を甘やかせたい。それも楽な人生だし、否定はしない。が、何かをやろう、続けようとするなら、別の付き合い方がある。


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  • 02/15/16--01:26: スニーカーって…?
  • 名言は不滅的。言葉も永遠に変わることはないが、ふつう言葉は時代と共に変節する。かつて化学繊維のことを、「人絹(じんけん)」といった。これは人造絹糸の事。テイジンは帝国人絹織物株式会社のこと。小麦粉をメリケン粉といった。アメリカ製の小麦粉で、アメリカンがメリケンと聴こえたようだ。バイクは単車だが、現在でも通じる。カップルはアベック、ブラジャーは乳あてと言った。

    ハンガーを衣紋かけ、ノートを帳面、シュミーズはスリップ(またはキャミソール)、パジャマを寝巻き、ティッシュはチリ紙、ポットを魔法瓶、耳飾りはイヤリング、キスを口吸い、コンドームをサック、ゴム靴をズックまたは運動靴と言ったが、いつかスポーツシューズに変わった。いつごろからスニーカー?マツダファミリアのCMでトランザムが、"スニーカーに履き変えて"と歌ったのが77年。


    近藤真彦の『スニーカーぶる~す』が80年であるからして、スニーカーが耳に馴染み出したのは70年代の中頃であろうか。仲井戸麗市が古井戸時代に作った、『バスケットシューズ』は、アルバム『オレンジ色のスケッチ』(72年9月発売)の挿入曲で、バスケットシューズに何の違和感もなかった。バスケットシューズの言い方は今もされるが、ハイカットスニーカーに変わりつつある。

    ズックは完璧に死語。オランダ語の靴(doek)が日本語になったもので、1880年代にイギリスでスポーツ用に使われた布製ゴム靴のこと。日本では、昭和20年代にオニツカ(現アシックス)が学校に納めまた。スニーカーは、英語の"Sneak"(忍び寄る)から派生。靴底の堅い革靴と違い、柔らかい素材でできたスニーカーを履けば、後ろから音をたてず静かに忍び寄ることができる。

    1916年、Keds社が販売の段階で、「静かなクツ」ということをセールスポイントにし、そのキャッチフレーズの一部から産まれたもの。スニーカーにも本皮製、合皮製があり、布製はキャンバスと呼ぶ。子ども用にはマジックテープが主流だが、その事で靴紐を通せない、結べない子どもがいるという。新しいシューズを買ったときの紐を穴に通す快感は処女をいただく楽しみか。

    1977年発売の原田真二「てぃーんず ぶるーす」の歌詞に、「僕のズックはびしょぬれ」というのがあるが、3年後には近藤真彦の「スニーカーぶる~す」。どちらも松本隆の詞で、作詞家は言葉の移り変わりに敏感だから、思うところがあったのだろう。「ズックぶる~す」ではダサく、邪推するなら1979年、「太陽にほえろ!」で、松田優作演ずる、"スニーカー"という刑事の影響か?

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    『ニューバランス』のランニングシューズが、昨今のスニーカーブームの火付け役といわれるが、実はブームをより過熱させたのは、『アディダス オリジナルス』の1足といっても過言でない。うなぎのぼり人気の、『アディダス オリジナルス』とは一体何ぞ?『アディダス』ブランドの中で、いわゆるクラシックモデルは、『アディダス オリジナルス』というのが正式なブランド名。

    1996年まで同社のカンパニーロゴだったトレファイルロゴの三つ葉がシンボルマーク。これはもう、ファッショニスタをはじめ多くの人から愛される、『アディダス オリジナルス』のスニーカー。人気の3つのモデルは、スタンスミス、スーパースター80s、カントリー OG、これが、『アディダス オリジナルス』三種の神器。なかでもスタンスミスは、世界一売れたスニーカーでギネスに登録されている。

    1965年に開発された世界初のレザー製テニスシューズを原型とする名作にして、『アディダス オリジナルス』史上もっとも売れたモデル。どんな着こなしにもしっくりハマる、“シンプル”という言葉がぴったりな表情に、パンチング加工によるスリーストライプスなどのデザインが幅広い層から愛されている。履いている人と遭遇しない日はないくらいに、男女問わぬ大ヒット商品。

    上品な表情がジーンズからスラックスまでハマる汎用性の高い名作モデル。むかしはアディダスを履けるようなリッチな奴はいなかったが、現在、アディダスを3足持っており、その中のレジェンドな一足は、1977年に購入したもの。加水分解も進み、ソールは石のように硬化して滑って履ける物ではないが、なぜか持っている。TK8807の品番があり、形状からテニスシューズであろう。

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    検索してもみつからない。スニーカーの名作といえば、「コンバース」、「ニューバランス」、「ヴァンズ」、「アディダス」、それに「ナイキ」。なかでもスニーカーブームの中心にあるブランドといえば「ナイキ」であろう。今でこそ世界最大のスポーツ&フィットネス会社だが、元々はスポーツシューズの販売から始まった。ナイキはスニーカーを芸術品にまで高めたが、当初は機能性一辺倒であった。

    ミッドソールの中にエアバッグを仕込むという度肝を抜く発明を使ったバスケットシューズ、「エアフォースワン」、「エア・ジョーダン」、「エア・マックス」は、特段スニーカーに詳しくない人でも一度はその名を耳にする。1982年に発売された、「エアフォースワン」は、「ナイキ」を世界のフットウェアブランドに押し上げた名靴で、クラシックなシルエットでファンを魅了し続ける。

    名作スニーカー各社で最も古いのがコンバースである。数多あるモデルの中でも、「キャンバス オールスター」は、約100年前に誕生し、いつの時代にも愛された名作中の名作。魅力の要因は、お手頃価格にて入手も簡単、服に合わせる靴を選ぶときに悩まず考えず、とりあえず履いてもすんなりとハマる。常時、1足はストックしておきたい足元の鉄板スニーカー。

    かつてズック(スニーカー)は白が多かった。ほとんど白一色で、現在でも当地の中学生の通学シューズはノーラインの白一色と限定されている。コンバースのキャンバス地に黒、青、赤などがあって、黄色やピンクに度肝を抜かれて買った記憶がある。昔から黒を貴重としたモノトーンが嫌いで、とにかく色を楽しみたい性向だった。近年、世界的トレンドワードが「Tacky(タッキー)」という。

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    タッキーとは、「悪趣味な」という意味を持つ言葉で、2016年のプレスプリング・コレクションでは多くのブランドが悪趣味ギリギリの、際どいスタイルを提案している。シンプルから一転、新鮮なタッキースタイルは、トレンドになるかも知れない。また、「悪趣味」という自虐的な言葉が何だってやれる推進力となろう。どのメーカーのスニーカーも、近年目立ってカラフルになっている。

    「足元を見られる」という言葉は、弱点を見られる、察知されるの意味。語源は、昔、街道筋や宿場などで駕籠かきが、旅人の足取りを見てどのくらい疲れているかを判断、それによって料金をふっかけたことから発生した言葉。今では足下を見る、足許を見るなどに派生し、靴を見て人となりを判断する。人を見抜くに卓越した人にいわせると、靴は履いてる人を現すという。

    どれだけオシャレに気遣う、流行や可愛い服を着ていても、履いている靴や、履き方を見るだけで、その人の性格や本性が丸見え。オシャレ好きな国、イタリアの諺に、「その人の人格は、その人が履いている靴をみればわかる」というのがある。ドレスコード(服装規定)があるような格式高いホテルでは、客の服装が細かくチェックされるが、最初に見られるのが靴。

    着ている服、お化粧、身につけるアクセサリーも大事だが、それらは気を配って当たり前。それに加えて、足元までも、細やかな配慮が行き届いているかどうかが、その人の人柄を見極めるための、重要な判断材料となる。「おしゃれは何より足元から」という言葉があるように、ファッションアイテムの中でも1番お金をかけたいのが靴と豪語する人もいる。

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    あまりカッチリは好まないし、そういう場所も遠慮したい派だ。フランクを自認するだけに、靴も服もハートもフランクである。むか~し、フランク永井という歌手がいたが、堅くてフランクではなかったが、フランキー堺という役者はフランクであった。フランクとは、気取ったところがない、率直、気さく、ざっくばらんの意味。彼が行きつけの理髪店主は、彼専用の洗顔石鹸があったそうだ。

    なんと洗濯用石鹸だった。フランキー堺はかなりの脂性でphの強い洗濯石鹸で洗った後のキシキシ感を好んだという。脂(油)汚れなら台所用中性洗剤がいいだろうが、昔はそういう物がなかった。広島に「マケン」というどんな汚れも落す粉石鹸があった。マケン石鹸株式会社製造の商品名で、「どんな汚れにも負けん」から取られた「マケン」。子どものころ、これでよくズックを洗わされた。

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    今、スニーカーはブームだという。自分も愛用者の一人だが、ブームだから履いているわけでも、履いているからブームの一員という自覚もない。もともと流行り、廃りに関心が無いからか、トラッドな洋服を好むし、「定番」という商品に抵抗感はない。寛斎だったか一生だったか、「流行とは今人の着ている服ではなく、あなたが今着る服のこと」といったが、要は人真似はダメってことだろう。

    なのに流行ってのは多くの人が同じようなものを着る。上の言葉は、流行を生み出す側となぞる側とのギャップを感じさせられる。コンバースのスニーカーが一世を風靡した事があった。あの時代、運動用以外のライフスタイル用スニーカーといえば、コンバースだったのも、シンプルイズビューティーだったかも。また、学生やプアーな人、いささか懐のサブイ人にとって心強い味方でもあったろう。

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    近年こそコンバースのスニーカーには高価なモデルもあるが、「キャンバス オールスター」は値段も手ごろで、無駄のないシンプルな外観・意匠は、数多存在するスニーカーの中でもまさに、"永遠の定番"といえる。100年の長い歴史があり、フォルムに多少の変化はあるが、白のラバートゥやヴァルカナイズド製法(加硫圧着しながらソールを成型する製法)などは踏襲されている。

     何と合わせても足元にバツグンの安定感をもたらせてくれるコンバースのキャンバス オールスターハイカットは、バッシューといえばこれだった。くるぶしを保護するディテールであるアンクルパッチには、選手兼営業マンとして、「キャンバス オールスター HI」の名を世に普及させた、チャック・テイラーのサインがある。スニーカー通ではないが、オールスターとチャック・テイラーの違いを検証する。


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    2008年で生誕100周年を迎えたコンバース。 「100周年記念モデル」を次々と リリースしているが、キャンバスオールスター抜きにコンバースは語れない。オールスターは1917年に誕生し、老若男女を問わず幅広い層に 支持されているスニーカーだ。幾度のマイナーチェンジを経て現行のデザインになるが、その原型とも言われるのが、 オールスターのヴィンテージ、チャックテイラーモデル。

    今から30年以上前のオールスターだが、根強い人気がある。「チャックテイラーって、ヒールパッチが違うだけ?」などと、興味がない人には同じに見えてしまう。そこで、チャックテイラーと、現行のオールスターの違いに迫ってみる。以下の画像は左が70年代のUSA製チャックテイラー、右が現行のオールスターだが、USA製は生産中止なのでベトナム製。先ずは分かりやすい違いとしてヒールパッチがある。

    チャックテイラーのパッチの色は黒と紺が多い。60年代のパッチは 真ん中に大きな星が1つと左右に小さな星が2つ。 通称3つ星。70年代のは星が1つ。オールスターは、76年から白ベースのパッチになり、文字も 「chucktaylor」から「ALL★STAR」に変更された。 USA製はパッチの下部に「MADE IN USA」と書いてある。 最近のはこのパッチが擦り切れないよう、 厚みが1ミリから2ミリに増している。

    大きさは全体的にチャックテイラーが大きい。 ソールがチャックテイラーの方が5ミリほど分厚いため、 高さ、赤線と青線の太さも違う。色の違いは、オールスターと比べて、チャックテイラーの方が全体的に明るめ。キャンバスは白に近い生成りで、 赤線も鮮や。青線はそれほど差はないが、 チャックテイラーの方には細かい縦線が入っている。さて、デザインではなく履き心地の違いはどうか?

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    とりあえず重さが違う。どちらもセブンハーフで計量すると、チャックテイラーはソールが分厚いのでちょっと重めの450グラム。オールスターは、最近のアップデートで軽量化が図られたため、 370グラムと軽い。次にホールド感だが、チャックテイラーのサイドに山なりのステッチが入って いる(通気孔の左)。これは単なるデザインではなく、この裏に「あて布」という補強用の布がついている。

    この「あて布」は現行のオールスターにはなく、80年代前半くらいまでのディテールとなっている。ヒールカウンター (踵部のあて布)を比べると、チャックテイラーの方が面積が大きく、ウェスト(土踏まずあたりの絞り)も キュッと締まっているので、チャックテイラーの方がホールド感は良いとされる。また、ソールも分厚くクッション性があることで、 履き心地はチャックテイラーに軍配が上がる。

    靴紐はチャックテイラーがコットン100%、インソールの ロゴデザイン、シュータン(オールスターには布製のタグがついています)、 つま先の上がり具合(オールスターの方がツンと上がっている)、 通気孔の位置、アウトソールの細部、つま先の凸凹のきめ細かさ、 全体のシルエットなど、細かな違いは多い。 そんなチャックテイラーとオールスターの違いを一言で述べるなら、「存在感」であろう。

    チャックテイラーの方は個性的で自己主張が強い。重厚感もあり、ヴィンテージならではの雰囲気が漂う。アメカジにマッチするのはチャックテイラー。それに対し、 現行のオールスターは上品で控えめ。自己主張をしないので、 アメカジでもモードに限らず、どんなスタイルにも合わせやすい利点がある。どちらが好きかは人によって違うが、オールスターはコストパフォーマンスの高さが魅力。

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    5千円前後で手に入る現行 モデルの方がいいと言う人もいれば、MADE IN USA、あて布、アウトソールのラバー、シューレース(靴紐)、 チャックテイラーといった、ヴィンテージにこだわる人もいる。たかがオールスター、されどオールスター。 長寿モデルだけに奥が深いスニーカーである。現在、コンバースUSAは米ナイキ社の傘下であり、インソールも改良されてクッション性は向上している。

    さて、次はニューバランスについてだが、『ニューバランスのスニーカーはなぜ"オシャレ"なのか?| 坂井直樹「デザインのたくらみ』 なる記事がある。一足もないし、一度も履いたことのないニューバランスが、オシャレであろうとなかろうと興味はないが、近年ニューバランスのスニーカーが流行している。カジュアル靴を扱うライフスタイル部門(2013年1~10月期)の売上高は、前年同期比54%増。

    もともと、偏平足などを治す矯正靴の製造メーカーとして誕生したニューバランス社。社名は、履いた人に"新しい(new)バランス(balance)"感覚をもたらすことに由来している。どちらかというと地味なイメージをもたれていたニューバランスが、なぜ今オシャレと言われ、流行りだしたのか?かのラルフ・ローレンは、ニューバランスの最高傑作「1300」モデルを、「まるで雲の上を歩いているようだ」と言った。

    「キャシディ ホーム グロウン」の八木沢博幸氏は、ニューバランスについて、「すごく保守的だけれどリッチ、質素だけれどスタイリッシュ、という彼らのスタイルがすごく新鮮で、憧れていました」。カラフルさや派手さではなく、「履き心地」や「質素の中にあるスタイリッシュ」に"オシャレ"を見い出す人が急増している。見た目より機能性を重視する動きは、「究極のノーマル」というトレンドに通じている。

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    機能性重視でモノを選べば、結果的に「普通な外見」の物を選ぶことになる。なぜなら普通の外見とは、「人とモノとの最良の関係が考え抜かれた上でのデザイン」を指す。紙を止める"あの"クリップや、アイスクリームを食べる"あの"木製スプーンのように、無駄がなく、機能的な面から、「やっぱりこれ!」といえるモノだ。「機能的な物は美しい」といったのは、appleのスティーブ・ジョブズだった。

    こんにちの物質社会において、過剰な生産・消費活動による環境へのダメージを配慮、無駄を省き、本当に必要なものを身につけようというトレンドが叫ばれている。それが、機能性や普通こそが「オシャレ」だとし、そのアンバランスな正論が、世の中に蔓延しつつある。ニューバランスのヒットは、「履き心地」や「質素の中にあるスタイリッシュ」に"オシャレ"を見い出す人々が急増している点にある。

    さらには、ナイキのスウォッシュやアディダスのスリーストライプスなど、スポーツブランドのスニーカーにはブランドを象徴するキャッチャーなデザインが欠かせない。が、ニューバランスのNマークは見れば誰でもそれがニューバランスのアイテムである事がわかるくらい、説得的で訴求力の高いデザインといえる。自分も含めてニューバランスの巨大な「N」を、どうにも好きになれない人はいる。

    本当に機能性だけなら、アシックスやミズノのシューズが巷に溢れなければならないが、ファッションアイテムがマスにヒットする為には、デザインのわかりやすさが必要であり、ニューバランスが支持されている理由は、そのわかりやすいブランドアイコンによるデザイン性とも言われている。またスニーカーの中でも高価な価格帯であり、ファッション好き以外にはなかなか手を出しにくいものであった。

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    よって、ファッション好きだけに留まっていたニューバランス人気が本格的にマスに拡大された原因として576の廉価版である574のリリースが大きい。セレクトショップだけでなく、ABCマートなどの量販店でも取り扱われるようになり、その価格の安さと販売店の多さによる入手のし易さ、そして量販店でも手に入るのにセレクトショップでも扱っているバリューの高さがマスへのヒットに繋がって行った。

    もう一つ、ニューバランスのヒット理由として、マッチするファッションテイストの拡大があげられる。メンズ、レディス問わず、レトロスポーツがトレンドとして拡大している。スタジャン、プルオーバースウェット、スウィングトップ、ウィンドブレーカー、コーチジャケットにライン入りソックスといった、レトロ感のあるスポーツアイテムとのコーディネイトが目立っている。それにスニーカーが合うのは当然である。

    ニューバランスは怖ろしく流行のスニーカーでありながら、ゆえに「流行に飛びついたと思われるのがイヤ」と、避ける人もいるようだ。自分はそれはない。流行してようがいまいが、気に入ったら買う。ニューバランスの次はナイキと予測を立てるファッションアナリストもいる。彼らは職業柄流行やトレンドを予測する立場。自分のナイキ好きは何だろう?好きなものに理由も理屈もないと言うのが正解か。

    「好きなものはしょうがない」、「好きになったものはしょうがないだろ」ということだ。案外、嫌いなものについての明確な理由はハッキリしている。ニューバランスの巨大なNが嫌だ」といっても、好きな人間は「なんで~?」と訝しがる。子ども時代のかつてのヒーローに月光仮面、七色仮面、スーパージャイアンツ、ナショナルキッドなどがいたが、胸に巨大なNのナショナルキッドは好きでなかった。

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    それが理由というわけでもないが、無意識もしくは潜在的な理由かは分らない。ある奴が、「スーパーマンだって、胸に「S」って書いてあるじゃないか?」というので、「あれはTシャツのサイズを現すSだろ?」と、ギャフンの煙に巻いておく。「いくらなんでもアイツがSってこたあないだろ、LLもしくは3Lでは?」と、jokejokeを返してきた…


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    ファッション界では空前のスニーカーブーム。それにのってコンバース人気が止まらない。コンバースのオールスターはカジュアルながらもシンプルで飽きのこないデザイン。キャンバススニーカーにあってはコンバースのオールスター抜きに語れない。それにしても人はなぜスニーカーを履くのか?あれこれ理屈をいわずとも、「そこにスニーカーがあるからだ!」という名言になぞらえておく。

    が、あえて言うなら、「simple is beauty」か?シンプルな着こなしに、ハイカットコンバースというスタイルが際立つのも無理からぬ事。足首まで隠れるハイカットスニーカーにはスキニーパンツが合うが、これには理由があって、ハイカットはローカットよりも足元にボリュームが出る。パンツはスキニータイプを選ぶことで、全体のラインがきれいに見えることになる。

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    ハイカットはまた、ショートパンツにも合う。足元にハイカットスニーカーを履くことでコーデにメリハリをつけることになる。もちろん、ミニスカ×ハイカットも相性はいいし、シックな恰好に派手な色のスニーカーはアクセントになる。普通はパンプスを合わせるコーデでさえ、スニーカーでオシャレに決められる。カラースニーカーもいいが、白のコンバースの清潔感、清涼感は爽やかな印象を与えてくれる。

    もちろん、ワイドパンツにも合い、下のようなシックでモノトーンコーデに、スニーカーなど考えられない時代もあったが、流行というのは不可能を可能に、変を変でなくする魔術といえる。ジーンズなどをロールアップし、ハイカットスニーカーの上に少し肌をみせれば、印象が軽くなるし、ヌケ感も出てお洒落感もアップする。また足首も細く見えることで、この着こなしは女性に定番の人気となっている。

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    こうして女性のスニーカースタイルをいろいろ見て感じるのは、普段着感覚で着る木綿の風合いであろうか?かつて、金鉱山鉱夫のワーキングウェア(作業着)であったジーンズが、いつの間にか先端のオシャレ着になったように、時代は物を変え、物もまた時代によって変えられる。かつてジーンズ、ジージャンにワークブーツというトレンドが流行ったが、今ではスニーカーで十分オシャレ度アップする。

    HAWKINSやREGALやREDWINGやTimberlandのブーツでなくてはならぬものが、今ではコンバースのスニーカーで決められる。よき時代というのか、不思議な時代感覚である。値段も高い皮を使った質の高いオシャレというより、やはり木綿の時代であろうか。確かにブーツは誰が履いても似合うものではなく、経験とセンスがいるが、スニーカーは履きこなすのが簡単。経験もセンスもいらない。

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    大前提として言うなら、ブーツをきちんと履きこなすとメチャクチャ格好いい。そのカッコ良さはスニーカーの比ではないであろう。が、あまりのコーディネートの難しさと、手入れの面倒くささが敬遠されるのではないか?応接室には皮のソファがゴージャスであった時代から、どんどんキャンバス地に移行していったのも、手入れの大変さもある。それプラス皮の冷たさ、キャンバス地の暖かさもある。

    同じ皮といえども、レザーやスエードなど、素材によって手入れ方法が違い、置き場所も考えないといけない。つまり、乾燥しすぎると革が割れ、湿気がありすぎるとカビが生える。さらに皮のブーツは雨の日には履けない。さらに面倒なのは履くのに時間がかかること。靴べらを使ったり、靴ひもを結んだりと、スニーカーに比べて手間がかかります。女性の編み上げブーツも同様、履くのは大変だ。

    さらに短所して、ほとんどのブーツはスニーカーよりも重く、長時間歩くとそれだけ足にくる。それに、靴のサイズが合っていない時の履き難さといったら、スニーカーの比ではない。革のブーツは履いているうちに伸びてくるが、それを見込んで最初はキツめのサイズを選ぶことが一般的だが、どのくらいのキツさが最適なのかはブーツによってて異なり、足の形状によっても違ってくるから難しい。

    そして値段が高い。これが若者に敬遠される圧倒的理由であろう。もちろんスニーカーでも手入れが難しいものはありますし、高いものもあります。自分の場合は、アウトソールの白いスニーカーは、購入したら蝋でその部分をこすって、汚れないように保護をする。コンバースのようなキャンバス地のスニーカーは、汚れたら洗えばいいのでそれはしない。雨の日でも気にならずに履ける。

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    スルリと履けるので時間がかからない。足も疲れない。サイズ合わせも簡単。値段もそれほど高くない。コーディネートしやすい。などなど、断然メリットが多いのも流行の要因か。大人が履いてもカッコいい、いや、大人が履くからカッコいいのがスニーカー。ここでちょっとコンバースの沿革を。コンバースとは、アメリカのマサチューセッツ州でデパートを経営するマーキス・M・コンバースが創業した。

    会社のある地域の気候に着目し、降雪量が多く、深い森や湿地帯の続くマサチューセッツ州の、雨や雪の中でも作業出来る、ラバーシューズの製造をその翌年から開始し成功した。そのコンバースが、ラバーシューズの次に考えだしたのが、地域で盛んに行われていた、バスケットボールのシューズ。それが今日までコンバースの名を世に残す事になるコンバースオールスターの誕生につながる。

    当時のバスケットのスター選手チャールズ・H・ティラー(チャック・テイラー)がその品質にほれ込み、自らも製品の改良を提案するなど、会社もシューズも揺るぎない地位を確立する。コンバースは、常にスポーツシューズの一角を担い、機能性とデザイン性を併せ持った最高級モデルを作り上げてきた。しかし、ブランドのネームバリューとは裏腹の企業買収、売上の不振、倒産を経験する。

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    コンバースの倒産は、ナイキや、ニューバランス等のライバル企業が出現してき事からはじまる。2001年1月にはその勢いにのまれ、ついに倒産にまで追い込まれることとなり、それでコンバースはスポーツシューズ市場から一時姿を消した。2002年4月、企業再建に日本の伊藤忠商事が資本参加し、日本にコンバースジャパンが設立されたが、2003年7月 、3億5000万ドル(約360億円)でナイキに買収される。

    コンバース社はナイキ100%子会社ながら、独立したマネージメントによって運営され、コンバースのブランドは維持して行く。ジャック・ボーイズ社長以下の現経営陣は引き続き経営執行にあたり、本社は従来通りマサチューセッツ州ノースアンドーバーに置き、また南カルフォルニアの流通センター、及びアジアにおける開発オペレーションは、すべて現状のまま保持し続けることになる。

    2002年12月期には売上高、純利益とも前年比40%超の大幅な増収増益を達成するなど、奇跡的な再生復活を遂げた新生コンバースは、倒産後3年目にして株式上場も視野に入れる段階にまで復調した。コンバースブランドの再生が市場において予想以上に早く、改めてコンバースと顧客との強力な関係に着目したナイキが、同社よりも歴史が古くアメリカの象徴といえるコンバースの買収を選択した。

    コンバースが倒産後に日本市場に影響がなかったのは、ナイキやアディダスなど各国で子会社を作って、販売を直接手掛けているメーカーと異なり、コンバースは「代理店」システムを重視してきた。日本では、月星化成が代理店=総発売元となり、アメリカコンバース社にロイヤリティを支払うだけで、日本市場のテイストにマッチするように月星化成が独自にデザイン&生産して発売してきた。

    イメージ 7日本のコンバースはアメリカブランドの日本製となる。この各国の代理店&ロイヤリティシステムが「米国コンバース社」にとっても、日本のコンバースにとっても幸いしたのは、倒産してもロイヤルティ商売だった為に、致命的な影響を受けなかった。米国コンバース社は倒産後も、日本など各国の代理店から安定した「ロイヤリティ」収入が継続して入ってくる為に、会社の再建は思いのほかスムースに行われた。
    ナイキへの株式譲渡は、コンバースの積極的な戦略への転換といえる。これまでの米コンバース社の運営は、米投資会社主導のもとにブランド価値を短期的に追求し、企業の再生を図る戦略であった。それが世界最大のスポーツ企業グループに加わる ことで、ナイキの豊富な資金力と、高度なテクノロジー、強力なプロモーションを背景に、長期的なブランド戦略の構築によるビジネスの拡大発展を目指す。

    苦境にあえぐシャープの高橋興三社長が2月4日、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業からの買収提案に対して優先的に交渉を進めていく意向を表明した。今月中の合意が目指されている。ホンハイ精密工業の郭台銘会長は、シャープブランドは残す、7000億出しても欲しい、ということのようだが、ゴミ同然と化した糞シャープを7000億で買ってくれるというなら、申し分のない商談と思うのだが…。

    自分は売ってもいいと思っている。シャープは危機に直面するも経営陣がどうしようもない。 東芝も目の前に危機が迫っているのに経営陣が無能すぎる。 いずれも経営陣が経営責任すら取らない企業は、他の日系企業にとってもよろしくない。 また、現場たたき上げが一人も取締役会に入れないなど、 技術者を小馬鹿にしてきたツケ。 国営家電製造業者などは無用。公金投入は止めた方がいい。

    腹黒中華人が、コンバース社のようにシャープブランドを残すかどうか、なんともいえないが、確かにシャープブランドの方が国内でのネームバリューはあろうか。鴻海としても、シャープを買収して製品ブランドを獲得したという事実さえあれば、株が上がって資金を回収できると見込んでいる。  実際にシャープを使って資金を回収しようなんて考えてはいないだろう。

    鴻海は敵なのか、味方なのか、いろいろ取り沙汰されているが、そんなことより再建する気もない企業に税金を投入し産業革新機構に委ねるよりも、鴻海のほうが経営手腕は期待できそうだ。1974年に創業し、2014年12月期の連結売上高は4兆2131億台湾ドル(約15兆1700億円)にまでに大成長した企業に委ねた方が間違いはあるまい。

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  • 02/17/16--14:46: インフルエンザ
  • 風邪かな?と思ったらインフルエンザであろう、この症状は…。
    安静にして休養をとる。特に十分な睡眠が重要の指示に従い、よくなるまで歩きも中止。感染防止のためブログ閉鎖。

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    脳がふやけてもいけないので、そろそろ始めることにする。体もだるく咳が止らないのはまだウィルスが排菌されていないからで、歩くのはダメでも書くことはできる。食事も味を感じない、美味しくない、なので食欲がおちる。歩いてもその分食べれば痩せることはないが、これはこれでバランスがよいということになる。が、今回約1週間食べないで4kg痩せた。

    インフルエンザはちょっと熱が高いただの風邪だ。それほど大騒ぎすることでもない。普通の風邪と違うのは、媒体がインフルエンザウィルスであることと、風邪は年中引く可能性があるが、インフルエンザは冬の一時期に爆発的に広がる。感染力も高いので無理して学校や会社に行ったら迷惑になるので、強制的に出勤停止、出席停止措置がとられることになっている。

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    何十年ぶりのインフルエンザ、せっかくだからこれを記事にしてしまおう。うつした相手が病院で検査をしたところB型と言われたようで、ならば自分もB型であろう。「私は予防接種をしたのに…」と不満を言っていたが、A型の予防接種をしてもB型にはかかる。自分は風邪やインフルで医者に行く気はさらさらない自然治癒信仰派で、それなりの対処を心掛けている。

    そもそもインフルエンザは、医者に診てもらわないと治らない病気なのか?といわれるとそんな事はない。そのためには、インフルエンザ治療のメカニズムを知っておくといい。病院で「インフルエンザ陽性」の診断を受けると、ほぼ100%薬を処方されるが、「タミフル」や「リレンザ」、それに「イナビル」という薬剤である。いずれも2000年代になって製造された。

    タミフルは2001年、リレンザは2000年に承認された。09年の大流行を受けて2010年、厚労省が第一三共の「イナビル」を承認すると、処方が1回きりという手軽さ、便利さもあって利用患者が激増。厚生労働省の指針では、2009年に発見された新型のインフルエンザ(H1N1型)に対し、下記のように発表していたが、2010年に承認された「イナビル」は、(H1N1型)にもきくようだ。

    インフルエンザの薬が出来る前は、自然治癒しかなかった。人間の身体には、素晴らしい自然治癒力がある。身体に未知の細菌やウィルスが侵入してきた場合、身体の中で、それらと闘う為の「抗体」が作られ、その抗体がインフルエンザウィルスを攻撃し、やっつけてくれる。数多のインフルエンザ処方薬は、インフルエンザを減少させる効果はなく、増殖を抑えるに過ぎない。

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    よって、インフルエンザを治してくれるのは、「薬」ではなく「抗体」、つまり、人間が本来持っている「自然治癒力」。インフルエンザを根本的に治療する薬でないなら、何の為に病院に行くのか?上記した、「タミフル」や「リレンザ」はインフルエンザウィルスの増殖を抑える目的にある。インフルエンザウィルスは、感染してからも身体の中でどんどん増殖し続ける。

    そのため、早期に薬を飲むことで、症状を最小限に抑えることが可能になる。あくまで早期に服飲するのが大事で、増殖した後に薬を飲んでも効果は薄く、家族感染の可能性も高くなる。それに、高熱や関節の痛み、体のだるさは辛いもので、「ウィルスの増殖を防ぐ」という目的で考えると、「タミフル」や「リレンザ」は、効果的な処方薬といえる。

    ウィルスが増え切ってしまわないうちに、1日も早く服用した方が良い。これがインフルエンザにかかって病院に行く目的だが、結論をいえばインフルエンザは病院に行かなくても治せる。が、増殖しきる前の投薬タイミングを知識として知っていれば、薬は大変効果的である。同様に、いったん増殖しきってしまった後にクスリを飲んでも、効果が薄いことも知っておく。

    空気感染だから、家族や他者への配慮も大切であろう。ところで今回はB型であったが、A型との違いは?確かにB型はA型に比べてB型の罹患率は低いとされるが、かかると実はとっても厄介。潜伏期間は、A型と同じ1~3日と言われ、短い場合は24時間以内に初期症状が現れ、長い場合には4~5日後に初めて症状が現れる。ただし、A型と比べてインフルエンザと気づきづらい。

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    B型も、A型同様に38〜40度の高熱が出ることもあるが、大体が37度〜38度といった微熱程度。熱も出ないから症状も軽く、いいように見えて厄介なのがB型。症状が風邪と類似して気付きにくいためか、知らず知らずのうちに外出し、排菌してしまうため、外出しただけで菌をもらってしまうなんていうこともある。また、B型自身も非常に強い感染力をもっている。

    またB型はA型に比べて合併症を引き起こしやすい。B型は発熱が長く続く分、体の中でウイルスと闘うためのいわば戦闘能力が先に弱ってしまうことがあり、特に高齢者では肺炎など二次的な症状が出現しやすくなる。無駄な体力を消耗しないためにも安静にし、早めの就寝をする。インフルエンザにかかると、たいてい医師から、「お風呂には入らないように」って言われる。

    1~2日で治る風邪なら良いが、インフルエンザは治るまでに一週間はかかる。衛生的にもどうかとなるが、医師のいう「お風呂に入らないで」の意味とは、体力を消耗してしまうからで、インフルエンザと闘うには体力が必要と。高熱が出ているのは、身体がウィルスと闘っている証拠。お風呂で体力を使いと、ウィルスと闘うための体力が残らなくなってしまう懸念。

    病状が良くなるまで避けた方がいい。実は、お風呂に入るタイミングについての判断は、専門家でも意見が分かれる。ならば自己判断に委ね、体力が戻ってないと感じる時は、軽くシャワーを浴びる、暖かいタオルで体を拭く程度にする。身体は熱を出してウィルスと闘う。つまり、ウィルスは熱に弱い。せっかくお風呂に入って温まったなら、身体を冷やさないこと。

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    多くの言葉には言葉の元になった語源というものがあって、「インフルエンザ」にも元の意味がある。「インフルエンザ」という呼び名は16世紀のイタリアで付けられた。当時はまだ「感染症が伝染性の病原体によって起きる」という概念が確立しておらず、流行性感冒は何らかの原因で汚れた空気(瘴気、ミアズマ)によって発生するという考え方が主流であった。

    流行したのは現在と同じ冬季で、毎年のように流行し春になると終息することから当時の占星術師らは、天体の運行や寒気などの影響によって発生するものだと考えていた。そのため、「星の影響」で起きる病気であるという考え方から、「影響」を意味するラテン語「influentia(英語=influence)」にちなんで、この流行性の感冒をインフルエンザと名付けた。

    この語が18世紀にイギリスで流行した際に英語に持ち込まれ、世界的に使用されるようになる。ちなみに、日本語となっている「インフルエンザ」は英語読みで、イタリア語読みは、「インフルエンツァ」となる。日本にインフルエンザなる語句が入ってきたのは幕末で、イタリア語で「影響」を意味するインフルエンザを、明治の人は何と呼んだ(訳した)のか?

    「伝兵衛風」、「お染風」などと呼んだようだ。「伝兵衛」、「お染」、いずれも伝染の文字があり、「伝染」を人の名前になぞらえた。「お染」は歌舞伎などの題材になった女性で、物語には恋人の久松や敵役の善六が登場する。そこで当時の人は、「久松留守」、「善六あり」と書いた札を家に貼って、「お染風」が入ってこないおまじないにした人もいたという。

    イメージ 6また、電光のようにはやくうつるところから「電光風」と言う人もいると、1891年(明治24年)1月の読売新聞は伝えている。現在、病気の「カゼ」は「風邪」と表記するが、昔は、病気も「風」と書かれた。明治の新聞には、「風気味」とあったり、「風邪」には「ふうじゃ」の読みが振られていた。それにしても、なぜ冬になるとインフルエンザが流行るのか?

    インフルエンザウイルスは、1年中地球上に生存しているが、冬に「暴走」する理由として気象条件があげられる。奴は熱に弱く、温度20℃内外、湿度20%内外の低温度・低湿度は、インフルエンザウイルスが空気中に長時間にわたって生息できる最適な環境である。一方、寒い冬は人間にとって、鼻・のど・気管などの血管が収縮し、気道の粘膜細胞を覆っている線毛の動きが鈍くなるのも、奴にとって好都合。

    線毛はウイルスや細菌の侵入を防ぐように働くので、その働きが悪くなればウイルスの侵入が早まる。さらに、冬は窓を閉め切った部屋で過ごすことが多いため、感染した患者の咳やくしゃみによってウイルスがまき散らされ、感染が広がりやすくなる。ウイルスが気道の粘膜細胞に付着すると16時間後に1万個、24時間後に100万個の猛スピードで増殖することになる。

    これにより粘膜細胞が破壊され、非常に短い潜伏期間でウイルスの強い感染に曝される。インフルエンザウイルスのA型、B型、C型のうち、A型は人間と動物(鳥類、馬、豚など)の共通感染症だ。最初はカモなどの水鳥の腸内に感染する弱毒性のウイルスでしかなかったものが、遺伝子の突然変異によって人間の呼吸器に感染する形質を獲得したようだ。

    人間は体内に侵入したウイルスを排除する適応免疫や獲得免疫と呼ぶ免疫機構を備えている。これは恒常性維持と生体防御に大活躍する生体の生命線。そのため、たとえウイルスに感染しても、いったん回復すると抗体が生成されるため、再感染しない。しかし、突然変異を起こしやすいA型は、ウイルスの表面にある2種類の突起、HAとNAの抗原性を毎年変化させる。

    免疫防御を巧みにくぐり抜けて生き延び、流行を繰り返す。これを連続抗原変異という。抗原性の変化が大きれば、以前にA型に感染して免疫があっても、再び別のA型の感染を受け、症状も重くなる。流行するインフルエンザといえばA型と思いがちだが、近年は毎年のようにB型も流行の兆しをみせている。早めに診断を確定し、菌をま散らさないことだ。

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    1962年、オレゴン大学の伝説の陸上コーチ、ビル・バウワーマンと、オレゴン大学でビジネスを専攻し、バウワーマンの元で中距離ランナーだったフィル・ナイトの2人より創設されたブルー・リボン・スポーツ(BRS)社。これがナイキの前身である。同社は日本からオニツカタイガー(現アシックス)のランニングシューズを輸入、アメリカ国内で販売した。初年度の売り上げ合計はたったの8000ドル。

    オニツカタイガーと提携の経緯は、1963年に大学の卒業旅行で日本に立ち寄ったフィル・ナイトは、オニツカシューズの品質の高さと価格の安さに感銘を受けた。ナイトはすぐさまオニツカ社を訪ね、アメリカでのオニツカシューズの販売をやらせてほしいと依頼。大学の陸上コーチだったビル・バウワーマンと共同でブルーリボンスポーツ(BRS)を設立し、オニツカの輸入販売代理業務を開始した。

    初年度こそ8000ドルの売り上げだが、アメリカ西海岸地域を中心に販売好調となり、彼らはより高い利益を求めて1971年に社名をBRSからナイキと変更する。これはギリシャ神話の勝利の女神NIKE(ニケ)にちなんだもの。1977年、オニツカタイガーの競合社である福岡のアサヒコーポレーションとプロアスレティックシューズの国内生産・販売に関する独占契約を締結する。

    「NIKE」ブランドのトレーニングシューズの生産を開始したが、その前にはオニツカタイガーの技術者引き抜きなどを行っていたし、義理人情や道義のへったくれもないビジネスライクという考え方は、日本人と比べて希薄である。つまり、初期のナイキシューズのほとんどが日本製で、アサヒコーポレーションで生産されていた。現在もナイキシューズは、中国製、ベトナム製が多い。

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    オニツカ⇒アサヒへの切り替えは、まさにライバルメーカーへの鞍替えであったが、そんなことはバウワーマンたちには関係ない。ライバルとなり得るほどのよいパートナーを選んだに過ぎない。その後、オニツカ側がバウワーマンが考案したデザインやモデル名をそのまま使用し続けたために、BRS社から訴訟を提起され、タイガーオニツカ側が和解金1億数千万円を支払った。

    アサヒシューズで馴染みのアサヒコーポレーションは当時、ブリヂストン、月星化成(現ムーンスター)と並ぶゴム製品メーカーで、1892年(明治25年)、創業者先代石橋徳次郎が久留米市で前身となる仕立物業「志まや」を創業した。1918年(大正7年)、個人商店組織を改めて社名を、「日本足袋株式会社」とした。1922年(大正11年)、履物史上の革命といわれる貼付式地下足袋を発明した。

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    『誰もがみんなアスリートだ。アスリートが存在する限り、ナイキも存在する。』というビル・バウワーマンの言葉をもとに成長し、それから30年後のいま、ナイキは世界最大のスポーツ&フィットネス会社となっている。 が、ナイキの原点はフィル・ナイトであり、彼はオレゴン大学時代に将来を嘱望されたランナーだったが、スポーツの素質をビジネスの世界に活かして成功を収めた。

    1959年、オレゴン大学で経営学の学位を取得後、スタンフォード大学のビジネススクールに進学、MBAを学ぶ。スタンフォード大学でマーケティングについての修士論文で、フィル・ナイトは低賃金の労働者を使って効率的な生産を行えば、競技用シューズのマーケットでアディダスやプーマといった、ドイツの大手企業がいる市場に参入できるのではないかという論文を発表した。

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    スタンフォード大学を卒業した後の1962年、フィルは修士論文の内容を実際に行動に移した。日本のオニツカタイガーを探し出しシューズの発注を行った。1964年、日本からアメリカに帰国したフィルは、大学時代のコーチのビル・バウワーマンに力を貸してくれるよう要請した。ビルはフィルとチームを組むことを決め、二人で500ドルずつ出資しあい、ブルーリボンスポーツ社を設立する。

    会社を始めた頃はフィルは、自分の車にシューズを詰め込み、各競技会場に販売しに行ったが、生活を支えるための収入も得れなかった。彼は食うために仕方なくポートランド州立大学で会計学を教える仕事に就く。社名をナイキに変更した1971年、いっそうシューズの開発に励んだビルは、ソール(靴底)のワッフルアイロンにゴムを注入するという画期的なアイデアを編み出した。

    これはそれまでのシューズとは全く違うもので、現在のスポーツシューズの原型となった。翌1972年、フィルはナイキをブランドとして売り込むためにロゴマークを、勤め先の大学のグラフィック・デザイン科の学生キャロライン・デビッドソンにデザインを依頼した。出来上がったロゴマークは、ニケの彫像の翼をモチーフにしたデザインで、疾走、勢いよく動くという意味の「スウッシュ」と名付けられた。

    スピードと躍動感を感じさせるものだ。キャロライン・デビッドソンが請求したロゴデザイン料はわずか35ドルだった。このロゴマークが後に莫大な価値を生むことになる。キャロラインはしばらくの間、ナイキ製品のデザインも手がける。この年にフィルは更にマーケティングの才を発揮する。スポーツの一流プレーヤーに報酬を出し、自社のシューズを履いてプレーしてもらうという販売拡大戦略である。

    イメージ 5最初に契約した選手は陸上中距離のスティーブ・プリフォンテーンだった。スティーブは同年1972年のオリンピックで、メダルにもう一息の活躍をみせた。この頃からナイキは徐々に認知され、ブランドイメージも出来上がってきた。1978年の売上高は7100万ドルとなり、1980年に株式を公開する。1982年、ソール部分にエアクッションを入れたバスケットシューズ第一号となるエア・フォース1を発売する。
    1983年、売上高が1億4900万ドルに到達。ナイキはNBAのヒーロー、マイケル・ジョーダンと契約、"エアジョーダン"は異常な人気を獲得し、世界的なムーブメントが起きるまでになったが、発売当初は全く売れず、在庫の山だったという。ジョーダンは新人離れした驚異的なプレイでオールスター選出、新人王を獲得するなどでスターの仲間入りをしたが、スニーカーの人気は一向に上がらなかった。

    当時、ナイキのバスケットシューズの評価は低く、NBAで履く者はほとんどなく、ナイキと契約した選手は皆無だった。ジョーダン自身も希望するメーカーはアディダスだったし、そうはいっても、当時の常識では実績のない新人にシグネチャーモデルを用意するはずもなく、ジョーダンは仕方なしにナイキと契約したという、後ろ向きなタイアップだったこともナイキ不人気の原因だったようだ。

    売れないながらも、"何か"を信じ続け、あくなきモデルチェンジをし続けたエアジョーダン。そのころNBAのルールは、「選手の履くシューズは80パーセント以上が白を基調としていなくてはならない」との規定があり、ルールからはずれるエアジョーダンにNBAは罰金を命じた。しかし、ナイキはこの罰金を肩代わりしてまでエアジョーダンを履かせ続けたという、ナイキの執念恐るべし。

    ジョーダンの人気上昇とともに売れ始め、1986年には売上高10億ドルを達成、アディダスを抜く。1989年発売のエアジョーダンIVは大ブレイク、ナイキのシューズは若者の間で流行のファッションになっていった。スニーカーを巡って殺人事件が起きるほど社会現象となったエアジョーダン人気も、ジョーダン引退後は一時のブームはおさまったが、今もエアジョーダンは売れ続けている。

    1990年代に入るとゴルフ、テニス、サッカー、フットボールなどさまざまな競技へと対象を広げ、タイガー・ウッズ、アンドレ・アガシ、ロナウジーニョなど多くのスター選手とのスポンサー契約を交わした。1993年、アメリカのスポーツ誌『スポーティング・ニュース』が選んだ「スポーツ界で最も権威のある人物」は、スポーツ選手でも、監督でもチームのオーナーでもなかった。

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    選出されたのはナイキの創業家であり経営者であるフィル・ナイトである。一方で、この頃ナイキは問題にも直面した。ナイキは自社工場を持たず、製品デザインだけ自社で行った後、海外の工場に発注をかけるという方法をとっていたが、これが児童労働、低賃金、強制的残業などの批判を浴びるようになった。1999年、フィル・ナイトは「グローバル・アライアンス」を設立する。

    グローバル=全世界的な、アライアンス=提携(関係)だから、合わせて「世界規模の提携」。ナイキは世界各国の多国籍企業の労働環境の調査を行い、労働環境の改善に取り組むようになる。幼い頃からスポーツマンで、特に陸上に力を入れていたフィルはオレゴン大学に進学し、コーチのビル・バウワーマンと運命的な出会いをする。バウワーマンはすぐれたトレーナーであった。

    指導はもちろん、道具の開発なども手がけていた。「教え子たちに、ライバルより速く走れるシューズを…」、そんなシンプルな情熱がシューズ開発を行わせ、フィルは彼から多くを学んだ。彼がいなければNIKEも存在していない。1999年に引退するまで、ワッフルソウルをはじめ、数々の革新的なテクノロジーを次々に開発し、ランニングシューズの新しいスタンダードを作りつづけた。

    フィル・ナイト会長も2016年に退任の意向を示している。彼も様々な名言を残しているが、「消費者がなぜ『ナイキ』の商品を買うのか、契約選手がなぜ『ナイキ』を愛用するのか。それは理屈の問題ではない。なぜか『ナイキ』を好きになる、な ぜか『ナイキ』を買いたくなる、なぜか『ナイキ』を履きたくなる。すべては感情の問題、すなわち「エモーショナル・タイ(Emotional Tie)」である。

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    この言葉の裏には、1986~1987年の売り上げ18%ダウンの苦悩があった。ナイキの技術が産み出す機能に対するプロのアスリートからの支持は相変わらず続いていた。しかし、消費者は機能性よりもデザイン製を求めるようになっていた。消費者の要求に応えるため、ナイトは変革をアピールしたのだ。これにより売り上げは再び上昇、リーボックを抜いて再び首位に返り咲いた。


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    ナイト会長のいう「エモーショナル・タイ」は、自分の感情と相手の感情を結ぶ絆、感情のつながりで、エモーショナル・タイを作りだすのがスポーツマーケティングだとナイトは言う。革命的な高性能シューズと、斬新な広告・マーケティング戦略で、ビジネス、スポーツ、大衆文化の世界を塗りかえたナイキの成功は、「JUST DO IT」の精神をモットーに挑戦し続けたナイトの強烈な個性にあった。

    「JUST DO IT」は、世界中で知られているナイキのキーワードだが、"エモーショナル・タイ"も、創業者ナイトにとっての大切なキーワード。初めてナイキを知ったころ、あの珍妙なロゴマークに違和感があった。当時はアディダスの栄光の三本線全盛の時代、トレーニングシューズは三本ラインが断然カッコよかった。タイガーオニツカのシューズのラインも好きではなかった。

    アディダスのスッキリ三本線に比べて数も多くてダサく、広島カープや西武ライオンズがタイガーオニツカ製スパイクを採用し、だんだんと慣れてきた。読売ジャイアンツの黒に白の三本線のアディダスがオーソドックスな風合いを見せていた。長嶋や王が個人的にアディダスとスポンサー契約ではなかったようで、その後、松井などはミズノ製の「M」ラインなどを履いていた。

    トップアスリートと契約する事で、自社の商品をアピールしていく方法は、以前からあるにはあったが、これをスポーツマーケティングと定義したのは、ナイキのフィル・ナイトが初めだったのでは?それが最も成功した例が、マイケル・ジョーダンとの契約である。 ナイキ=ジョーダン、ジョーダン=エアなら、ナイキ=エアとなり、A=B、B=CよってA=C、の有名な三段論法だ。

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    ナイキ⇔エア⇔ジョーダンの素晴らしき三角関係。 ナイキのエアを知らしめるために、これほど見事なマッチングは、他の契約選手では不可能であったろう。とにかくジョーダンがジャンプをし、浮き上がるようなプレーに、NBAの試合を中継するアナウンサーも、観衆も、「THE AIR」と叫んだ。 さらにはゴルファーのタイガー・ウッズの登用で、ナイキはスポーツ界の頂点に立つ。

    多くのサラリーマンゴルファーが、ナイキの用具を手にし、中学~高校バスケ部の少年たちもジョーダンのナイキを履いた。ナイキの用具を手にすれば、タイガーのように遠くに飛ばせられ、ジョーダンのように高く跳べるのを夢見てであろう。さて、ドイツ、バイエルン州に本社を置くアディダスは、1920年にドイツ・ニュルンベルク近郊で、「ダスラー兄弟商会」を設立したのが始まりとされる。

    父を靴職人に持つ息子のルドルフ(兄)、アドルフ(弟)のダスラー兄弟が設立した靴製造会社だが、1961年にルドルフとアドルフの意見対立により「ダスラー兄弟商会」を解消し、弟のアドルフはアディダス社を設立した。 「アディダス」の由来は、アドルフの愛称「アディ」とファミリーネームの「ダスラー」をつなげたもの。兄ルドルフはRUDA社を設立したが、翌年、軽快なプーマ社と改められた。

    アディダス社のトレードマークである栄光の三本線は、ロゴ扱いとなるために長さ・形など厳しい制限がなされている。アディダスは商標侵害で「Forever 21」や「ジェイコブ」など多くの企業を訴えているが、圧巻は2006年、テニスの四大大会をロゴ規定で訴えたこと。この訴えは、4大大会で選手が着用するウェアでのブランドロゴのサイズが制限されたことによる損害の賠償請求をするもの。

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    11ヶ月前にルールが決められてから、アディダスの登録商標である3本線ロゴに対するルール改正と話し合いが失敗に終わり、膠着状態になっていることから訴訟へ発展した。ウィンブルドンを主催するオール・イングランド・クラブを訴えることは、そこに所属のメンバーをも訴えることで、スポンサー契約しているT・ヘンマン(英国)らの選手らも被告の一員となる。
     
    オール・イングランド・クラブの代表イアン・リッチー氏は、「ウィンブルドンの大会を通してテニスへ多大な貢献をしてくれている多くの選手を対象に入れるなど、遺憾と言う以外の何物でもない。クラブのメンバー個々人も訴えるなんて、高圧としか言いようがない。」と怒りを露にし、「選手達にはメーカーのロゴで埋もれた服装でプレーして欲しくない。選手達はまさに歩く広告塔である。

    服装に付けるロゴへの制約や、品格のあるプロとしてふさわしいドレス・コードを維持していくのは当然のことだと信じている。」と、リッチー氏は今回の決定の背景を語り、「このルールはアディダスに限ったことではなく、全メーカーに出している。選手のウェアーのあちこちにでかでかと3本線のロゴを付けることを承認すれば、ナイキのマークやラコステのクロコダイルなども巨大化する。

    私達の見解ではそのようなことは、グランドスラムやウィンブルドンには相応しくないと判断している。」と手厳しい。 こういう経緯もあってか、2014年、ウィンブルドン選手権の主催者が選手の服装や靴の色を白に限定するよう定めたルールの厳格化を発表した。ウィンブルドンの広報担当者ジョン・フレンド氏によると、昨年できた服装に関するガイドラインで、服と下着は白と決められた。

    イメージ 4色の付いたものは、ヘッドバンドなどのアクセサリーしか認められていない。女性選手のスコートから覗くカラフルなショーツやアンダースコートは規定違反となるが、ガイドライン決定後も、女性選手が明らかに白以外のものをスコートの下に身に着けている例が後を絶たず、主催者のオール・イングランド・クラブは、選手に書簡を送ったり、控室の掲示などで規則を周知徹底させたという。
    さらに違反が見つかった場合、コートに出る前に着替えを指示する方針を示した。女性選手のスコートから覗くカラフルなショーツやアンダースコートに特別な興味をもつファンもなくはないが、校則のような無意味な厳しい規制、下着まで点検するなどいかにも英国である。2007年、仏のタチアナ・ゴロビンが白いスコートの下にはいていたものが、"赤かった"ことで、ウインブルドンがざわついた。

    まだ規制が厳格でないこともあって、ショーツではなくアンダースコートと見なされたため違反にはならなかった。日本人スポーツ選手で始めてアディダスと「グローバル選手契約」したのはテニスの松岡修造である。また、アディダスは、本年8月、NBAロケッツのシューティングガード、ジェームズ・ハーデン(25)に今後13年で2億ドル(約148億円)という巨額のスポンサー契約を結んだ。

    同選手は昨季までナイキ社だったが、すでに契約期間は満了。ナイキ社は対抗オファーを出さず、ハーデンの移籍が確定した。昨夏のW杯で米国の優勝に貢献したハーデンは、昨季リーグ2位の27.4得点をマーク。シーズンMVP投票では次点となっていた。今季年俸は1576万ドル(約19億5000万円)に加え、アディダス社から1538万ドル(19億1000万円)が年収に加算される。

    ハーディンは高校卒業からわずかNBA7季目で、スポーツ界の大富豪の仲間入りを果たす。 日本人メジャーリーグにも凄い選手はいるが、バスケットの大物選手はまるで別格。ジョーダンやハーデンのようなNBA選手がいつの日か現れるような気もないではないが、テニスの錦織には、4強としての地位を不動にして欲しい。同じユニクロのジョコビッチとの差があまりにも…

    記事がナイキからアディダスに移行したが、先日アディダスのウォーキングシューズを試着したところ、「これではダメだ」であった。クッションが固すぎで、これほどナイキと違うものかとちょい驚いた。ただ、ナイキもアディダスも幅狭で、日本人の足に一番フィットするのはアシックスである。自分は通常26.5cmだが、アディダスは27cm、ナイキは27.5cm(AF1)、28cm(dunk、SB)を履く。

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    日本人の足は昔から、「幅広・甲高」と言われたが、足幅が狭く、足甲が低い現代人もいる。日本人の多様な足に合わせたシューズを研究して作ってきた、アシックスの最大の特徴はクッション素材。アシックスのランニングシューズの踵(かかと)には「GEL(ゲル)」と呼ばれるゼリー状のクッション剤が入っていて、このクッションが磨耗しづらい事が特徴だが、ソールは固め。

    アディダスはとにかく軽いが固い。ナイキは見た目も良く、履く人のモチベーションを上げてくれる。履き心地が良く、疲れにくいシューズで普段の生活用に購入されている。幅広で日本人に人気のニューバランスは、デザインやカラーリングに特徴がある。「アブゾーブ」という独自のクッション材を使用、着地時の衝撃吸収と、離れる時のパワー(反発弾性)を兼ね備え、履き心地は抜群という。

    1906年、ボストンでアーチサポートインソールや偏平足などを治す矯正靴の製造メーカーとして、ニューバランス社は誕生した。創業者ウィリアム·ライリーは、にわとりが3本の爪を使って完璧なバランスを維持していることに注目、それまであったアーチ(土踏まず)をサポートするデザインに加え、3点を支点としたバランス構造を組み合わせ、独自の「アーチサポート・インソール」を開発した。

    シューズの中に入れることで「新しいバランス感覚」をもたらすことから、ニューバランス(New Balance)のブランド名が生まれた。足の解剖学的な知識、整形外科や運動生理学への深い理解があってこそ可能となる矯正靴の製造。このノウハウをもとに、60年代にはカスタムメイドのランニングシューズの製造を開始する。モデル「1300」は、今なおニューバランス最高傑作と称されている。

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    発売当時(1985年)、39,000円と高額にもかかわらず、その履き心地の良さゆえ多くの著名人に愛された。あのラルフ・ローレンをして、「まるで雲の上を歩いているようだ。」と言わせた名品。ナイキやアディダス、コンバースに比べて地味が売り(?)のニューバランスも、日本では「おしゃれ」なアイテムになったが、デザインなどの好みから履くのを敬遠する人は多い。


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    スニーカーの魅力も人それぞれで、お気に入りのナイキは、スニーカーを芸術の域にまで高めたメーカー。靴は歩行の際に障害物から足を守るためのものから、跳んだり、走ったり、投げたりの、アスリートの運動性を高める機能をとことん追及した。それが今やスポーティーファンションとして、あるいはシックなコーデにおいても、スニーカーは愛されている。

    ナイキといえばジョーダンに代表される、エア・ジョーダンシリーズにも魅力的なスニーカーは多く、ファンも少なくないが、自分はジョーダンシリーズには興味がなく、一足も所有していない。今後も所有はないだろう。スポーティな要素が強いエア・ジョーダンシリーズは、カジュアルにもスポーティな格好にも全モデルがほぼ相性が良いが、自分は基本的にローカット志向。

    これまで発売されたナイキのデッドストックなどを眺めているうちに、欲しいという前に手にして近くから眺めていたいと、それほどに美しいスニーカーは山とある。名画等を眺めているうちに部屋に飾って毎日観ていたいという感覚だ。靴は眺めるものではないが、ナイキのスニーカーは眺めて楽しい。美しいものを所有したいというのは、人間の芸術に対する畏怖であろう。

    多くのコレクターという人は大枚はたいて芸術作品を手中にするが、そこには所有欲というものもあろう。自分もナイキのスニーカーをよく買うが、現行品よりもコレクターが手放すデッドストック品が多い。コレクターの定義が何かはわからないが、自分的にはナイキコレクターちは思っていない。その理由は、いかに美しくとも、履くを前提にしない物は購入しない。

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    つまり、コレクターとは集める事が主と自分なりに定義する。したがって、このスニーカーはどの洋服と合うかなどと思考し、あまりに足先だけが目立つ奇抜なものについては、購入を避ける。若者はすべてのものが正統と言えるほどに、何を着、何を履いてもハマるが、老齢者にはあり得ない若さの特権だ。だからか、極度な色使い、多色商品はとても買う気になれない。

    スニーカーの魅力としての共通項でいうと、カジュアル全盛の今の時代にマッチしてること、デザイン、カラーリングの豊富さに加えて、スポーツ選手が履くカッコよさ、若々しいイメージ感などなど。マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルAIR JORDANは、1985年に登場したが、この復刻版であるAIR JORDAN1がオークションなどで平均7万円前後となっている。

    スニーカー一足7万円に驚いているようではスニーカーの世界ではズブの素人。アレキサンダー・マックイーンは、プレミアムなしの定価で112,955円。アレキサンダー・マックイーンは英国の奇才と言われたデザイナーで、幼い頃からファッションデザイナーを志していたが、ファッション・スクールには歩まず、16歳で紳士服の仕立て職人としてキャリアをスタートさせた。

    「ファッション界のフーリガン」とも称されたマックイーンは、挑発的な言動やスリリングな表現はたびたび騒ぎを呼び、大企業やリッチ層にこびない態度を貫き続け、ランウェイショーの最後の挨拶にも、チェック柄シャツやジーンズで現れたりした。40歳で非業の死を遂げた彼の死因は自殺と目されており、遺体発見の翌日には、母の葬儀が予定されていた。

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    流行だけがファッションでなく、好きな物を着るのが大切だ。「これをためらいなく履けた時代もあったんだろうな」と思って、そのように思うだけで満足を得れるからだ。ド派手なカラーリングは観賞用として十分である。デザイナーの想像力などにほとほと感心したりと、別次元の捉え方をする。「どうしてこんなスニーカーを思いつくんだ?」と目の保養になる。

    スニーカーにも流行はあり、ナイキにも流行系はある。例えば数年前辺りから、「コルテッツ」がブームになっている。ナイキのコルテッツといえば、1994年公開の映画『フォレスト・ガンプ』で、フォレストが恋人ジェニーにプレゼントされ、ランニングの才能に目覚めるきっかけになったというあの一足。流行に関心がないので、コルテッツブームの背景は知らない。

    知らぬなら知っておくのも知識。調べてみると、なんとNIKEで初めて作られたスニーカーであるという。創始者のブル・バウワーマンにより1972年に発表。ランニングシューズのパイオニア的存在として知られ、クラシックな配色が特徴的なスタイルは、ストリートから映画まで様々な場面で着用された。2012年春シーズンには、ヒールタグのついたオリジナルモデルが復刻。

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    近年のスニーカーブームもあり、「ナイキ」ではエアマックスと同様に人気のシリーズになっているという。が、関心がないこともあって所有していない。ナイキコルテッツは、そのシンプルさからいって、スニーカーというより、ランニングシューズの基本形・原点と言うべきものであろう。芸術性の限りを尽くした大盛り、テンコ盛りに比べてシンプルさが愛された。

    靴ではないが、夏目三久が数日前に『怒り新党』で着てたナイキのトレーナー・ニットが話題になった。デザイナー阿部千登勢によるブランドsacaiNikeLabのコラボ商品で、軽量性、保温性、通気性に優れたナイキテックフリース、ケーブルニットのディテールが保温性を強化され、この二つを融合させることで寒い日でもクラシックなスタイルを演出してくれる。

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    sacai×Nikelabのコラボは、シューズにも反映されている。Supreme×Nikeには名作が多い。また、ナイキには2003のフランス、パリにて "Dunk Low Pro SB PARIS"と呼ばれる幻のスニーカーが出現した(通称パリダンク)。アッパー部分にデザインされているのは、フランスの画家ベルナール・ビュッフェの壁画で、たしかにその美しさと貫禄は素晴らしい物がある。

    世界限定200足で売り出されたが、何と1時間で販売中止となった。理由は、ベルナール・ビュッフェの著作権をクリアしていなかったためで、発売直後にクレームが入ったことによる。本商品が1月にヤフオクに出品され、最終落札価格は900,000円となる。まさにコレクターの世界である。と、これで驚いてはいけない。世界限定1500足「2011 NIKE MAG」は220万円の落札。

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    「NIKE MAG」とは、1989年公開の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』で、主人公マーティーが着用した未来スニーカーを忠実に再現したもの。ナイキ・ジャパンでは日本に1足限定の「NIKE MAG」のオークションを、ナイキ原宿閉店後に開催。ナイキジャパンによると、この男性は同社が開催前にメールで参加希望者を募り招待した抽選25組(合計50名)の1人。

    220万円という落札金額は、一般客を含めて行われた全10都市開催のなかで世界でもトップクラスの価格。男性はオークションを終え、「『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』が大好きで、ファンだったらこの機会は絶対逃せないと思った。どこまで価格が上がっても落札したいと思っていた」。満面の笑みであったという。欲しいものが手に入るのは嬉しいものよ。

    ニューバランスは好みでないので買わないが、ナイキはこれからも買う。コレクターではなく、あくまで履くという前提で…。ただし、困ったことには下駄箱にまるで余裕がなくなった。何足かは靴箱に入れてしまって倉庫。そういう事情もあって買い控えてはいる。好きなスニーカーを履いて大地を蹴って生きていくのも、素朴な自己満足か。

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    芸術というのか、工芸品というのか、いずれにしろナイキのスニーカーにはただならぬ奥深さがある。芸術に注釈は無用、それぞれがそれぞれに何かを感じとればいい。

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    『楽に生きるための9つのヒント』 

      ① 「楽しい」を基準にする
      ② 目標や期待値を下げる
      ③ 「やりたいこと」に多くの時間を使う
      ④ 「仕事」「家庭」「趣味」の3つを一時にやることをあきらめる
      ⑤ 1点豪華主義で選ぶ
      ⑥ やめる勇気をもつ
      ⑦ こだわりを捨てる
      ⑧ 誰かに評価されるために生きるのをやめる
      ⑨ よかった探しをする

    『人生を楽に生きる8つの方法』

      ① 今に生きる
      ② 人や社会に期待をしない
      ③ 他人は自己の投影
      ④ 事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分
      ⑤ 自分がいなくても世界は回る
      ⑥ ワクワクするものごとを選ぶ
      ⑦ 自分の行いは必ず帰ってくる
      ⑧ 物事は全て中立  

    『楽に生きる7つの方法』

      ① 今のこだわりの対象は?
      ② 他人と競ってませんか?
      ③ 自分を素直に認めてますか?
      ④ 人間は皆、不完全なもの
      ⑤ 集中するべきところは?
      ⑥ どんな思い込みを持っていますか?
      ⑦ シンプルに考える

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    以上が、ネットからピックアップした『人生楽に生きる方法』である。こういう事は自分で考えて実践してもいいし、可能なら他人の考えを実践してもいい。誰の考えであれそれに納得できれば自分の考えに固執することはない。自分はそういう考えを実践しているし、ただ、その考えが後になって変わろうとも、自分が同意した時点においては自己責任である。

    人間の考えなんてものは、そうそう変わるものではないようだ。「9の方法」、「8の方法」、「7の方法」とあるが、重複もある。「楽に生きる」に関して、自分が常々大事と思うことは、①人と自分を比較しない。②他人と競わない。③見栄を張らない。④他人の評価を気にしない。⑤背伸びをせず自分に素直になる。⑥欲は大敵。⑦一切を自己責任とする。

    と、このように箇条書きにすると、多少ニュアンスが違うようだが、こういった条項を頭にインプットしているのではなく、クルマの運転のように、直線でスピードが出せそうな場面、カーブが多くて神経を使う場面、舗装がされていない悪路な場面、一人運転と乗車人員が多い場面、などなどそういった状況の変化に対して、その都度自分をコントロールする。

    といった方がいいかも知れない。最初は、条項のようなものが頭に浮かぶこともあれば、長くやっていると当たり前になってくるので、あえて意識しなくても身につく。それにしたがって、条項(のようなもの)がだんだん減ってくる。つまり、楽に生きるためにはどのようにすればいいかが自然に身について、無意識にそれを実践していることになる。

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    こうなるともう絶対に元には戻らない。もし、元に戻るようなら、身についたというより、身につけようと思ったが身につかなかった。やはり、自分に無理をしない方がいいと思ったのだ。これはこれで「自分が楽に生きる方法」であろう。他人と比較し、どうせなら他人より抜きん出たいという気持ちが、自分自身において自然な気持ちなら、そうした方がいい。

    人間が他人との関わりの中で、自分が他人でない以上、大事にすべきは自己責任であろう。「友人に裏切られた」、「騙された気分だ」などは耳にする言葉だが、あんまり聞こえのいい言葉ではない。その様にいえば、信じた自分は善人で、騙した(嘘をついた)相手は悪人となるのだろうが、他人の嘘を責める前に、信じた自分に非はなかったのか?である。

    自己責任というのは、他人の嘘を信じたことにも当てはまるのではないのか?「友人に裏切られた」、「騙された」を言う前に、信じた自分がバカだった、ナメられていたとなぜ思えない?おそらくこれも自己愛なのだろうが、別に他人を悪くいわずともいいし、人が嘘をつくのは、自分が嘘をつくように、人の勝手であろう。そう思うなら何と女々しいことか。

    フジテレビの亀山千広社長(59)が26日、東京・台場の同局で定例会見を行い、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された清原和博容疑者(48)について「裏切られたような気持ち」とコメントした。清原最後のテレビ出演が1月24日放送の同局「ワイドナショー」(日曜前10:00)だったこともあって、亀山社長は、「正当な手続きを踏んで出演を依頼した。

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    当然、出演依頼した人間はまさか清原さんがそうだとは思っていないと思う。松本(人志)さんが言ったように、裏切られたような気持ちは私は若干している」と話したが、別にここまでいわずとも、「彼(清原)は、嘘をついていたんですね」と、言えばよかろうに。出演依頼した人間に罪がないとの言い方だろうが、その前にはいろいろ週刊誌報道もあったろう。

    「清原は数字(視聴率)はとれるが、出演させない選択もあった」などは口が裂けても言わないし、松っちゃんを引き合いに出してまで清原を責めている。松本発言とは、昨年夏、ダウンタウンが司会をする番組『ダウンタウンなう』(同局系)にゲスト出演した際、清原に覚醒剤について単刀直入に説明を求めた松本が、清原から「やってません」と答えたことによる。

    松本はその時のことをこのように述べている。「(その時)僕の目を見て本当にやっていないって言ってた。信じてたし、そのウソが我々に対してもスタッフに対しても視聴者に対してもバカにしてるのかっていうね。この罪は、覚せい剤よりも重い。本当に良くないと思う」ということらしいが、業界人というのは、そもそもテレビを信用してるのか?


    自分の叔父貴は、大卒後大阪の「読売テレビ」にて定年まで仕事をしていたが、「テレビなんてのは嘘っぱちの世界。テレビのない国に行きたい」などと随分も前から言っていた。清原がテレビで「覚醒剤なんかやってません」というのは当たり前で、松本は「嘘をいうなら何で出てきたんや?」とまでいう。テレビが嘘で成り立ってることくらい知ってるだろうに…

    小沢昭一は、「我々の仕事は虚業なんですね。実業とは到底いえない嘘が許される世界で生きていますからね」と印象的な言葉を吐いていた。意味するところはいろいろに取れるが、「あってもなくてもいい職業」と言い切った彼の心意気は伝わった。近年、「芸能人ってそんなに立派なのか?」と、稼いでいることで存在意義を勘違いをする者も無くはない。

    そんな時にこそ小沢の言葉が頭を過ぎる。松本とてテレビで本当のことばかり喋っているわけでもないだろう。都合のいいときだけ正義ヅラをしているだけでは?松本は清原を責めるが、清原が松本に嘘を言ってはいけないのか?そこを踏まえて、「あの目は真実の目で、とても嘘には思えなかった」などと公言する松本も思い上がった人間である。

    「清原の言葉と目を信じた自分は、まだまだ人間として未熟だし、ダメですワ!」という言い方なら人間的な謙虚さを感じる。人の腹の底はなかなか見えぬもので、人が嘘をついたかどうかは、それが嘘であったとの確信が持てるまで分らない。であるなら、人と謙虚に付き合う方法は、相手の言った事が嘘であっても責めないこと。本当であったならそれで良かったと。

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    嘘を責めるのは、親が子に対してもいいことではない。「子どもが嘘ばかりついて困っている」という母親に、「どう困ってるんですか?」と聞いても、本当に困っている母親などはいない。子どもに裏切られたような気がするとかその程度。子どもの側にしてみれば、嘘をつくことで親を裏切った気などさらさらなく、むしろ親から自分を守るために嘘をつく。

    子どもの嘘というのは、実は本音の"裏返し"であり、成長の一過程と考えるべきだ。嘘は悪いのは道徳律からすればそうだが、嘘がいいとか悪いとかの前に、「なぜ嘘をついたか?」、「つかなければならなかったか?」にまで、親は思考をすべきである。嘘をつく相手には信頼関係がないという判断もできる。例えば、人との待ち合わせに寝坊して遅れたとする。

    正直に「ごめん、寝坊しちゃった」と言える相手、または、何とか嘘で誤魔化そうとする相手、その違いはあろう。繕うべく相手か、本音を晒しても許してくれる相手か?後者のような安心感を持てる相手なら、ありのままに事実を話せるはず。子どもが嘘をつき始める理由は、親が子どもの嘘に厳格だからで、正直に話したことを怒らぬ親なら、子どもは嘘はつかない。

    したがって、「嘘をついて困る」と嘆く親というのは、子どもに嘘をつかせる教育をしたことになる。嘘をきつく咎める親が、実は子どもを嘘つきにする。子どもに限らず、他人の嘘には寛大であるのも、楽に生きる方法だ。嘘をつくすべての人間には、必ずや嘘をつく理由がある。嘘をつかれて気分はいいものではないが、相手が嘘をつく理由を考えてみることだ。

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    なぜ相手は嘘をつく必要があったのか、それでどういう利益があったのかを踏み込んでみる。ならば被害者にもならず、相手を責めることもなく、いろいろな人間理解に及ぶことになる。腹を立てるのは簡単だが、そんな程度の自尊心を満たすより、彼(彼女)がなぜ自分に嘘をついたかを探る方が実は楽しかったりする。嘘をつく女と嘘をつかない女という明確な対立軸はある。

    それで相手を仕分けした頃もあったが、そもそも女性を「嘘をつく女」、「つかない女」と2項に分けること事態、難しいことに気づいた。乳児は自分が泣けば母親が近寄ってくることを知っている。それに対して、母親は泣き叫ぶ赤ちゃんに何かあるのではと考える。しかし、赤ちゃんは自分の身に何かあろうがなかろうが、母親に近くにいてほしい時に泣く場合がある。

    泣き叫ぶ乳児に母親は慌てて近寄るが、赤ちゃんに嘘をつく意思などない。が、事実は騙しているので、これを嘘と定義できる。これはもう人間は、赤ちゃんの時から嘘をついている。しあし、赤ちゃんには嘘をつく意思はまるでない。ならば赤ちゃんは嘘はついていないとも言える。嘘は善悪の線引きがなかなか難しいことでもある。例えば、AがBに嘘を伝えたとする。

    Bは嘘とは知らずCに嘘を伝えるとBは嘘つき?という問題が生じる。このように嘘は様々な条件で変化し、それに伴い、嘘つきの条件も変わっていくなら、誰もが嘘つきになり得、誰もが嘘つきではない。物事を考える上で重要なことは、対立する2項は常に対立しているのではなく、一時の状態を表し、それはまた、どのようにも変化するものと考えるのが重要である。

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    嘘ばかりつく人間ならその反対を信じていればいいので、嘘つきとの人間関係はそれほど難しくはないが、嘘と真実を使い分けるから厄介である。嘘つきは嘘は多いが真実もいう。楽に生きることについていうなら、「他人の嘘を責めない」。女も男も大人も子どもも、すべての人間は嘘つくもの、あるいは嘘をつかないもの、という考えに帰結すること。

    他人の嘘を責めるときの人間は、あまりに善人を演じている。して、その事に気づかぬほどの大嘘つきになっている。楽に生きるとは、善人であることより、楽しく生きることでもある。


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