『仰げば尊し』が卒業式で歌われなくなったのは日教組の反対が大きいその理由とは、「教師を尊敬するのを強要するな」ということである。教師が教師を尊敬するなという、控え目な心情からではなく、彼らは何事も上からの強要を拒むのが一貫した運動方針である。市教委・県教委や校長からの上意下達を拒み、職員会議が決議機関であるとの姿勢を崩さない。
これでは組織として体たらくであるが、教師は自分たちは偉いと思っているから困ったものだ。どちらにせよ、『仰げば尊し』反対理由は、自分たちは尊敬されるに値しないと思っているということだ。戦後、マッカーサーは日本から軍国主義排除と民主化促進のために、労働組合運動に力をいれた。つまり日教組は軍国主義教育を排除するために作られたといっていい。
その日教組が朝鮮戦争などの国際紛争を機にどんどん左傾化していく。闘う労働運動を掲げる共産党書記長徳田球一は、「デモだけでは内閣はつぶれない。労働者はストライキをもって、農民や市民は大衆闘争をもって、断固、吉田亡国内閣を打倒しなければならない。」と、労働闘争による吉田内閣打倒を公言、日本の共産化を目指すなど、共産党は脅威とされるようになった。
吉田茂首相もあからさまに共産党との対決を意識し、1947年(昭和22年)年頭の辞で、「政争の目的の為にいたずらに経済危機を絶叫し、ただに社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のために挙国一致を破らんとするがごときものあるにおいては、私はわが国民の愛国心に訴えて、彼等の行動を排撃せざるを得ない」と労働運動を糾弾した。
「かかる不逞の輩がわが国民中に多数ありとは信じない」という吉田発言を非難と受け取った労組は一斉に反発、「2.1ゼネスト決行」を宣言する。GHQマッカーサー司令官は、「衰弱した現在の日本でゼネストは公共の福祉に反するものだから、これを許さない」としてゼネストの中止を指令した。そうした渦中にあって、日教組は昭和22年6月8日に設立された。
調査が開始された昭和33年の組織率は86.3%に上ったが、2003年辺りから組合としての体を成さない、「3割組合」に落ち込み、平成30年3月2日現在の組織率は22.9%と過去最低となっている。子ども不在の組合運動に明け暮れ、中国や北朝鮮よりの思想は売国奴とされ、批判要因となっている。30年にわたって日教組の中央委員を務めたのがミスター日教組こと槙枝元文である。
彼は金日成について、「多くの理性的な日本人は皆、北朝鮮と金日成首領閣下を心から尊敬申し上げています」。「金日成主席の大衆心理をつかむ巧みさというか、常に大衆の心を大切にしつつ革命偉業を達成された幅のある偉大さが感じられた」と述べるなど、金日成を敬愛する旨の発言をたびたび行っており、槙枝の最も尊敬する人物として金日成の名前を挙げている。
1991年には、長年に渡る日朝友好親善への貢献により、北朝鮮から国際親善賞第1級の勲章を授与されているが、晩年になって、北朝鮮が国家犯罪としての拉致を認めたことにおいて、槙枝の息子によれば、「(父は)あの国を許せないという思いが募り、自分のミスジャッジに整理がつかなくなったのでは」と語っている。捨てろよ、勲章なんかと思うのだが…
前置きが長くなったが、子弟ということにおいて、教師と生徒にその関係は見いだせない。教師を師と位置づける輩はいると思うが、教師と師はどう見ても異質であろう。なぜなら、師は選ぶもので強要されるものではない。また、弟子も選ばれるものだが、試験によって選ばれない。人格や熱意によって選ばれるもの。故に、師と弟子との関係は、極めて主観的なものといえよう。
が、教え、教わるという外見的行為や行動は共通していることで、教師を師と仰ぐものはいても問題なかろう。自分は小学6年生の卒業間近に、鞭で背中を叩かれて以降目も合わさなかった女性教師から謝罪を受けた。彼女はヒステリー傾向のあった人であるが、その後、心を閉ざした自分の動態を観察しながら、卒業前にそれを決行しようと思っていたのかも知れない。
師範学校卒の優秀な教師であったと思うが、熱意のあまりに子どもを手にかけたことを反省したと推察する。もしその後に、自分が彼女を許し、媚びていたならおそらく謝罪はなかったと思うが、人は聖人にあらずで間違いを起こすものだ。親とて同じと思うが、幾多の思い上がった言動の多かった母から終ぞ謝罪の声を聞くことは無く、それが断絶の要因である。
大人が子どもに詫び、謝罪する光景というのは、バカな大人にはできないだろう。バカとバカでない差というのは、自身の間違いを認識するかしないかにおいても違yばかりか、愚行を認めた後の行動に現れる。そのことを教えてくれた小6時の担任は、自分にとってかけがえのない師であった。師たるものの威厳を葬り、人間として触れ合うことの大切さを体現した。
したがって、師であることにおいて最も問われるのは人格である。教えるのに値する人か。教わるのに値するか、そういう人格であろう。なぜなら、師から学ぶのは、全人格的なもの、生きることそのものであるからだ。感情的な一面はあったにせよ、それを推して理性を持った女性だった。教師であった。自分が彼女に投げかけていた疑問は、人間そのものであった。
上位者が下位者を見下げ、バカにするのはありがちだが、その際、下位者は上位者を人間として捉えないだろう。実存主義の言葉に、「さらば我らの存在理由よ」というのがある。「先生と呼ばれる人はみな立派であるという嘘」を、上位者が心に兼ね備えているかいないかは大事である。教師が生徒に、親が子どもに説教するとき、どういうお題目を唱えるかを聞いてみるといい。
常識とか道徳とか美辞や麗句など、取ってつけたような言葉でたたみかける。しかも、「お前ら」と蔑んだ言葉で優位に立とうとする。親であれ、教師であれ、上位者が非人間的な言動をとる相手を敬う必要はないというのが信念でもあり、それは正しいと思っている。時々の都合のいい言葉で、権威者が如何に人格者であらんかを見せつけるのもバカげている。
その際たるものが日本の国のトップにいることが露呈し始めた。戦後最低の首相といわれた安倍晋太郎が一段と加速を始めている。にも拘わらず、相も変わらず神輿を担ぐ政権内部の政治家どもは同罪だ。「もし、私や妻が森友問題にかかわっているということなら、私は総理大臣はおろか、政治家も辞める」と公言した安倍である。よもや忘れてはいまい。
「綸言汗の如し」という言葉がある。儒教の発祥地中国には歴史上の格言が多い。言葉の意味は、「(出た汗が再び体内に戻り入ることがないように)君主が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正することができない」ということ。そのために細工をしていいわけがない。こうした細工は綸言を覆す以上にたちが悪い。そういう総理は引きずり降ろさねばならない。