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離婚が賛美される場合…

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知人の娘が離婚をしたと聞いた時に返す言葉は瞬時にいくつも浮かんだが、瞬時に、「おめでとう」の言葉を選んで返した。受け取り方によっては問題のある言葉であり、黙って聞いている彼に対し、言葉の真意を説明することにした。「今の時代に結婚ってのは、実験主義の産物だと思っている。上手くいくだけが男女じゃないから、別れる決断は正解じゃないだろうか。

別れない夫婦は傍から見れば幸せに見えるがそうとも言えないし、離婚は白黒ハッキリつけたってことだと思うな」。自分の言葉に呼応したわけではないだろうが、「最近、離婚は多いよな」とだけいった。夫婦のことは親といえども把握しているわけでもないし、知人の娘の離婚理由を他人が聞くことに意味を感じない。同情するのもおかしい。すべては結果オーライでいい。

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そういう意味での、「おめでとう」だったが、珍妙な言葉と思いつつもあえて選んだ。「実験主義」というのは、現代を特徴づけるものの一つであろう。結婚を例にとっても、相方が死ぬまで添い遂げるのはそれはそれでよいことかも知れんが、それだけが良いなら、それ以外はすべて良くないとなる。中には離婚が賛美される場合もある。どうしようもない相方の場合もそうだ。

そんな夫や妻とは離縁できる方がずっと幸せである。それ以外においても、どう考えても破綻している夫婦を無理やり続けようとしがみついている場合も不幸である。他人に事情が分からなくとも、本人たちは分かっている。離婚をしたくてもなぜか離婚しない、離婚できないのは、望むことをできない点において不幸であろう。周囲などに慮って離婚しない夫婦もいるのだろう。

そういう夫婦であったからとて別段に不幸でもなく、離婚した方が幸福とも思えないという夫婦は結構いるようだ。可もナシ、不可もナイなら現状維持を…、ってやつだ。夫婦といってもいろんな形があるんだろうし、他人がクビを突っ込むことではない。ただ、「やっと離婚出来て本当に良かった」という人もいる。二人の合意が必要な離婚ゆえ、相手が承諾しないケースもある。

ある弁護士のコラムでは、10年の歳月を重ねてようやく離婚が成立したある男性は、「私の一生で一番喜びに満ちた日」と嬉しさを隠しきれない依頼人とあった。それほどに喜ばしい離婚とはどういうものなのか興味もあるが、その人の喜びはその人だけのものだろう。他人に分かり得ないものだ。離婚調停で骨肉の争いを演じる夫婦だが、かつては相思相愛の恋人の成れの果て。

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夫は言う。「妻は私の身内の文句ばかりいい、私の母をいたわることもなく、近所づき合いの悪い嫌われ者。私の靴を磨くこともなく、そのくせ給料が安いと文句ばかり…」。妻の方は、「夫は姑の言いなりのマザコンちゃん。自分では何ひとつ決められないばかりか、子どもとの約束も平気で破るし、私の実家とはまったく付き合おうという気もない」。

双方の言い分を聞いても、どっちもどっち、どちらかの言い分が最もなどはそうそうない。これが離婚調停である。結婚だけが人生の幸せではないのはその通りだが、結婚したことで幸せから遠のくなら、離婚をすべきである。数日前、橋幸夫(74)が47年間連れ添った妻(70)と離婚したのには驚いた。もっとも「びっくりした」とは橋に近い芸能関係者たちの驚きようである。

その一人はこんな風にいう。「年をとれば長年連れ添った相手と最期までと考えるのが普通でしょう。仮にも喧嘩ばかりしていた夫婦であったとしても、ここまで来たのだから諦めもつくというもの。橋さんのところも、事務所を長年切り盛りしていたのは奥さんだし、このまま添い遂げると大方が見ていたと思います」。かつて橋は熟年離婚への思いを以下述べていた。

「人生の最後は、ひっそりひとりで自由な生き方をしたい…」。橋にとって夫婦とはひっそりも自由もなかったのかと思いきや、離婚直後に再婚していたという。夫婦のことは夫婦以外にわからぬものというが、言い得て妙でもあり、当然でもある。佐藤愛子に『凪の光景』という熟年夫婦を描いた長編がある。「大庭丈太郎のことを、人は幸せな男だという」で始まる。

イメージ 5観てはないがテレ朝系列とフジ系列の二度ドラマ化された。72歳の丈太郎は、小学校校長退職後は教育委員長などを歴任、70歳を機に公職を退いて悠々自適の日々である。丈太郎の妻信子は64歳。この作品の面白いところは、丈太郎夫婦と息子の謙一と妻美保と二つのドラマが平行に進行する。

謙一は不倫相手に子宮外妊娠をさせ、その責任を取るために美保と離縁し、結婚を決意、美保も同意する。そんな折、信子も丈太郎に41年間の夫婦生活を終える決意を固め、離婚を申し出る。丈太郎は驚きのあまり怒りさえ忘れ、「謙一の不貞が表面に出た今夜に、なぜこの女は離婚などといい出したのかと訝るが、何と思おうが、人生というものはその様にできているもの。

丈太郎は信子の離婚宣言に、「ばあさんが一人でアパート暮らししたって惨めなだけじゃないか」との抗議に信子は言い返す。「惨めじゃありませんよ。独りの生活にはいろんな可能性が満ち満ちてるわ」。「どんな可能性なんだ」。丈太郎は食い下がるが、「それを見つけるために一人になるんです」と信子。彼女の言う通り、先のことが分からないから可能性である。

考えれば考えるほど分からない丈太郎は、ショックののあまり風邪をひいて寝込む。「何故だ。何故、妻は田舎娘が都会に出たがるように、家庭を捨てようとするのか。41年間の夫婦生活に何の意味があったのか」。信子も実はそうはいってみたものの、「自分で自分の気持ちが分からない」。本当に別れたいのか。自分が幸せでなかったことを言い立てたかったのか。

結婚した夫婦に、「恋愛?見合い?」と聞き、「恋愛」と答えると、「わー、すごい、いいな~」という我々の時代。国立社会保障・人口問題研究所の調査による「結婚年次別に恋愛結婚・見合い結婚の推移」をみると、戦前は見合い結婚の比率が約7割を占めていたが、その後一貫して減少を続け、1960年代末に恋愛結婚と比率が逆転、現在見合い結婚は5.5%になっている。

『凪の光景』は思いもよらぬ展開を見せる。フィクションというのは自由にどうにでもなるし、コミカルさも散りばめられている。佐藤愛子という女性については娘が以下のように語っている。「つくづく母は面白いことが大好きなんですねえ。人をびっくりさせたり、笑わせたりすることが楽しくてしょうがない。(母のやることの)バカバカしさに家族は20年耐えました」。

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