里見香奈奨励会三段の退会が将棋界にとって損失ということもない。強いものが報われ、弱いものが淘汰される勝負の世界にあって、人気というバロメーターは重要とならない。早いもので美空ひばりが亡くなって来年で30年になるが、彼女の死は歌謡界にとって大損失だった。ひばりの前にも後にもひばりを超える歌手がいないし、彼女は声が衰えて消えたのではない。
歌の女王も病に抗えなかったということだ。将棋界で損失をいうなら1998年に29歳の若さで逝った同郷の村山聖九段である。村山は1983年、14歳で奨励会入会後1986年11月5日にプロデビューするが、奨励会入会からプロ入りまでの期間2年11か月は、谷川浩司や羽生善治をも超える異例のスピードだった。髪や爪を伸ばし放題の村山は、周囲から不潔と囁かれていた。
そんな村山はある日、師匠の森信雄六段に、「僕、不潔と言われるんですが、悪いんですかね」と泣きそうな顔で相談したという。森は、「不潔なのは誰でも嫌やろう。だけど、強くなったら言われなくなる」と励ました。死後に日本将棋連盟雑誌編集部にいた大崎善生が、『聖の青春』を著し、映画にもなった。地元府中町では、「村山杯将棋怪童戦」が毎年開かれている。
今朝、元奨励会員橋本長道氏の記事が目に止まった。「プロとアマとを分けるもの――『奨励会』という世界、己の人生を”懸ける”ということ」と題されたコラムには、「プロ棋士とはなにか?」という観点が分かり易く描かれていた。関西将棋会館3階奥の棋士室は奨励会員や棋士達の研究の場、ある日、将来超有望な小学生奨励会員が中学生の奨励会員とそこで対局していた。
そこに、奨励会幹事で鬼のように厳しいことで有名なプロの先生(おそらく畠山鎮七段)が入室。先生は不甲斐ない成績をとり続けている年齢の高い奨励会員に、「早くやめたほうがいい」などと厳しい言葉を投げる。私もキツく言われることがよくあり苦手な先生だった。それは優しさの裏返しでもあり、年齢制限ギリギリながら努力を続ける奨励会員などからは慕われていた。
先生は眉間に皺を寄せながら、対局中の二人に近づき声をかけた。「○○くん、それお金賭けてるの?」。○○は小学生奨励会員の名前で、彼の駒台の横には100円玉が積まれていた。一瞬の沈黙のあと、小学生奨励会員は答えた。「はい。賭けています」。それを聞いた幹事の先生は、叱るどころか微笑みを浮かべ、「よろしい。賭けないと、強くなれないからね」と言った。
さらに、「どれだけ少なくてもいいから練習将棋では必ずお金を賭けなさい」と言い残して棋士室を去った。幹事の先生が言いたかったことは何か?橋本氏は言う。「それはプロとしての意識だ。プロたるもの、目的のない将棋を指してはいけない。将棋でお金を稼いで生きていくということを心の底から知り、実践していくべきだ――ということだったのだろう」。
「将棋を指してお金を貰うことがプロとアマとの根本的な違いで、小学生の頃からお金を賭けて将棋を指す世界――それが奨励会である。このエピソードの主人公で、幹事の先生に向かって素直にはっきりと、「賭けています」と答えたとされる小学生は現在、将棋界の頂点でタイトルを賭けて久保利明王将と戦っている」。名こそ伏せているが豊島将之八段を指している。
連盟に在籍する将棋棋士の強さを表すバロメーターは、段位でもなければ、タイトル保持でもなく、勝ち星の多さでもなければ、獲得賞金の多さでもない。それは列記とした数字によって現わされるなら、これほど具体的なものはない。チェスにも採用されているレーティングという方法がそれで、したがってこの数字は日々によって目まぐるしく変わるものである。
チェスなどの2人制ゲームにおける実力の測定値をレーティングというが、正確には、「イロレーティング(Elo rating)」といわれている。「イロ」とは、この算出法を考案したハンガリー生まれでアメリカの物理学者であるアルパド・イロに由来する。特にチェスにおいては、国際チェス連盟の公式レーティングに採用されるなど、強さを示す指標として用いられている。
平均的な棋士のレーティングを1500とし、勝利すればレーティングは上昇し、負ければレーティング下落するという単純な仕組みとなっている。対戦時の両対局者の持ちレーティングによって、レーティングの変動値は決定される。レーティングの持ち点が高い棋士が低い棋士に勝利しても加算されるレーティングは僅かしか上昇しない。同様に負けたの棋士の下落も僅かとなる。
レーティングが低い棋士が上位の棋士に勝利にすれば、双方ともに大きく変動する。段位はあてにならない。アマチュアで五段の免状をもっていてもヘボは多い。アマもプロも段位は権威である場合が多い。3月6日現在の将棋棋士のレーティングトップは豊島八段の1870点で、羽生竜王が1826点で5位、売り出し中の藤井聡太六段は1792点で第6位にランクされている。
藤井聡太六段は四段時代の雑誌のインタビューで、「タイトルを狙える棋士になりたい」以外の数値目標について、棋士レーティングで1900点を目指したいという。彼は目標については具体的に述べることがなく、これまでも「一局一局を大切にする」といい、タイトルについても、「タイトルをとる」でなく、「タイトルを狙える棋士」と、謙遜しているのが分かる。
が、レーティングについては数値目標としては具体的である。懸案の高校進学について悩んでいたが、囲碁界の最強実力者井山裕太7冠との対談もあった。12歳でプロ入りした井山氏は、16歳で囲碁界史上最年少でのタイトル戦優勝、26歳で史上初の7大タイトル同時制覇を成し遂げている。ちなみに井山氏は高校進学はしておらず、対談記事の中には以下の発言がある。
「囲碁界では高校に行かない人が結構いて、大学まで出られる棋士はかなり少ない。だから高校進学せず囲碁に専念するという選択には全く迷いがなかった。せっかく自分の一番好きなことを職業にできて、この時期は今後の棋士生活にとって非常に大事な時期だから、ここは精いっぱい囲碁に専念して悔いのないようにやってみたいという思いが強かったです。
藤井六段は最終的に高校進学を決めたが、「学歴」という問題ではなく、あくまで高校生活を若き日の想い出の一環としてとらえたのだろう。井山氏の考え方・生き方も一つの選択であって、何が正しいという答えがない以上、藤井六段の決定も選択である。人はそれぞれが各々の人生を生きればいいのだから、他人のことに口を挟むのは独り言の範疇である。
森信雄門下の片上大輔六段は東大法学部卒、糸谷哲郎八段は大阪大学大学院卒、山崎隆之八段は高校進学していない。3人の広島出身棋士には、それぞれに個性と将棋の強さがある。プロ野球選手の斎藤祐樹は大卒、田中将大は高卒、プロゴルファーの松山英樹は大卒、石川遼は高卒、知らない世界について一般人が学歴を意味付けて考える方がどうかしている。
学歴を誇りたい者は誇ればいいし、学歴がないから誇る物は何もないということはないだろうし、むしろ学歴しか誇る物がない人間が、「低学歴」という言葉で人を蔑んでいるのは見苦しい醜態である。スポーツ、芸能、文化などの功績を認めることもできず、学歴だけで他人を判断する人には、「お気の毒」という言葉を贈りたい、そんな憐れな病理を感じてしまう。