ある男がデートの際、680円だった会計に1180円だしたところ、同伴女性から「気持ち悪い」と言われたという。ネットの意見は、「普通だと思う」、「店員側からすると、渡すお釣りが少なくてすむから楽」、「行列ができているときに1枚1枚出されるのはイライラする」など、さまざまな意見があった。テレビのワイドショーでもとりあげられ、以下の意見があった。
「500玉を貰おうとする魂胆が気持ち悪い。いいコインを貰おうとする魂胆が、私生活でも響いてきそうで、その細かさがプライベートでも細かいんだろうなと…」。ある女子アナはこのようにいった。社会学者古市憲寿氏は、「そもそも現金が気持ち悪い」とし、コンビニなどでは現金を使わないことを明かしたが、「現金が気持ち悪い?」という彼の言い分はこうだ。
「誰が使ったかわからない。現金て汚いじゃないですか。汚いものにできるだけ触れたくないので、できるだけ電子マネーで払うようにしています。コンビニで今時、現金を使うのって頭悪い人じゃないですか」とまで言い切る。こんなことを話題にせねば話題がないのかであるが、1180円を出して、「気持ちが悪い」とむき出しにいった女性は、そんなことまで干渉したいのか。
「500玉を貰おうとする魂胆が気持ち悪い」といった女子アナもだが、おまえらアタマ大丈夫か?イカレテないんか?と、正直思った。もし、自分がそういう行為をして、「気持ち悪い」などとほざかれたなら、何も言わずにそのまま女を放って一人でどこかに行くだろう。相手がキョトンとして何か言ってきたら、「お前のような気持ち悪い女とは二度と会う気はない」という。
怒りではない。そんな程度のことを、「気持ち悪い」という女の情緒に嫌悪感を抱く。それにしても、「気持ち悪い」という言い方が目立つ昨今である。というか、軽すぎる。以前は、「気持ち悪い」などは、グロかホラー映画か変態オヤジくらいしか言わなかった。変態オヤジどころか普通の人間に対して、「気持ち悪い」と嫌悪感むき出しに言う。フィフィは小泉今日子に言った。
そんな言葉までいって自分の価値観を押し付けたいのか?女子アナはこういう男は、「私生活にも響いてきそうで…」というが、「私生活に響く」はお前のことだろう。いちいち他人を干渉して生活するお前のことよ。こういう物言いの女性に対する批判意見のなかに、「人を気持ち悪いという人間が気持ち悪い」とあったが、自分も同じような気持ちになる。
不倫を実行を告白した小泉にフィフィが、「気持ち悪い」といったとき、この女は余程人から気持ち悪いという言葉を投げつけられたと思った。つまり、自分がそれを言われて傷つき、嫌な気分になったから、同じように相手にそういう言葉を吐くのだろうと。こざかしいというのか、陰湿な女の返報感情である。真っ当な人間は人を、「気持ち悪い」などと軽々しく口にしない。
だからそんな言葉をいう人間は、その言葉の強さを実感してる人間である。向けて言って相応しいのは、変態オヤジか痴漢くらいだろう。巷でこういう事例がある。いじめを受けた小中学生の女子の遺書に、「みんなから気持ち悪いといわれた」というのが多かった。こうした中傷言葉は女子のみで、男子に男子は言わない。いじめ自殺した男の子の遺書にもない。
他人を最大批判する時の女子御用達言葉だと思っているが、なぜそうなのかも考えた。女が女に、「気持ち悪い」というのは、最大の蔑み言葉であり、侮辱だからだろう。ブスやデブよりはるかにキツイ。だからこそ効果がある。いじめ加害者というのは、相手を傷つける最大言葉を使うのだろうが、こういう言葉で相手を攻撃する女というのは何と陰湿であろうか。
男から見ればとてもじゃないが許しがたい。が、これが女の世界なのだ。神は男に力を与えたように女に言葉を与えた。『世界悪女物語』を読んで思うに、よくも女は女をこれほどまでにいたぶれるものかと…。おそらくヒステリーと関連するのは明らかだろう。夫の愛妾の手足を断ち、眼をえぐり、鼻を削ぎ、耳を燻(くす)べ、瘖薬(唖になる薬)を呑ませて、厠に中に押し込む。
現代はこのようなことは許されないが、だからか言葉で相手を貶める。どこまで女は直情的なのか。子どもが子どもを「気持ち悪い」などというのは、子どもがまだ未成熟で無知であるのを差っ引いても、あまりに情緒なき言葉である。それでも世間的には、「子どものやったこと」と甘く受け止められるものだが、被害者が受ける気持ちを考えると許しがたい。
同じことを大人がやって、相手を傷つけるのは言語道断である。人が何をしたところで、そんな言葉で蔑む権利がなんびとにあるというのか。だから、自分は小泉擁護ということではなしにフィフィを断罪する。こういう性悪女が世間で賞賛されていいはずがなく、彼女は子どものいじめを助長するといえなくもない。人格攻撃は止め、批判があるなら論理的にすべきである。
もっとも、他人の生きるスタイルをなぜにそれほどまでに干渉するのか?上に述べたように大人になり切れていないか、性悪のどちらかである。他人を許容できない、自分の価値基準だけが絶対的という驕りもある。テレビというのは、即効性があるがゆえに怖い。「気持ち悪い」発言などは瞬時に広がり、世間を圧巻する。社会全体がいじめに加担し、助長している。
およそ言葉のなかで最大限に侮辱言葉である、人が人を「気持ち悪い」などは、かつては滅多なことで使わなかった気がする。かつてがいつごろかは分明致しかねるが、多メディアの情報社会では、誰かがいい出せば市民権を得たかのように広まっていく。以前にも増して付和雷同性が高まり、子どもがバカな大人を真似るつまらん時代になったものである。
「子どもは大人を映す鏡」というのは、今に言われた言葉ではないが、大人が子どものいじめ問題を解決できない根本的な要因は、実は大人にあることを考えると、正に、「子どもは大人を映す鏡」という言葉が重くのしかかる。大人は無意識に子どもを啓発し、子どもも無意識に大人から触発されていく。「対策」を穿き違え、何かをやったかのような大人の滑稽さ。