世界三大美女といえば、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町といわれるが、これはあくまで日本版であって、日本人以外に小野小町を知る人はほとんどいない。もともと、「クレオパトラ、楊貴妃、ヘレネ」が三大美女といわれたところに、日本人が勝手にヘレネに換えて小野小町を押し込んだ。ヘレネを知る日本人は少なく、彼女はギリシア神話に出てくる女性である。
スパルタ王テュンダレオスの妃レダが白鳥に変身したゼウスと交わり生んだ卵から、ディオスクロイおよびクリュタイムネストラとともに出生した世界一の美女とされている。上記の三人にもう一人、マリー・アントワネットを加えて世界四大美女とすることもあるが、そもそも世界三大美女などど誰が言い出しっぺで、誰が決めたのか?そういう疑問は残る。
もっとも、「世界三大美女」などの用法は日本だけともいわれており、文明開化後の明治時代あたりに出来た表現で、おそらく当時の講談師や文士兼新聞記者によるのではないかと想像される。日本人は物事を決めつけるのが好きな民族のようで、「日本三大~」、「世界三大~」が好きで何でも当て嵌めてしまう。「血液型行動学」なども日本独特といわれている。
貴あれば賤にならうなら、美女があるならブスもいるが、世界三大ブスの呼称はない。日本人が言うにしても外交的な問題も孕み、トップシークレット過ぎて後世に伝わらなかったかも知れない。フランス人やロシア人にはまるで西洋人形のような八頭身で彫りの深い小顔でお目めパッチリの信じられないような造形美女が多いが、イギリス人、ドイツ人はブサイクとされている。
古い歴史のヨーロッパには幾多の確執がある。ゲルマン人は今のヨーロッパ文化の祖であるローマを滅ぼした蛮族だが、我こそヨーロッパ文化の中核と自負するラテン民族にとって蔑視の対象となる。スラブ民族は未だヨーロッパでも一番格下である。「スラブ」の語源は「slave(奴隷)」で、イスラム教徒に長らく支配され、ロシアあたりは欧州の最貧、最後進国であった。
あと、プロテスタントは食事が質素で食事を楽しむことをしないから、それが表情にも表れてブサイクになるのではという説もあるが、日本人はアジア系のなかでは北方系であるが、短足でっちりでこれは西洋的な美の基準でいうなら、ブスの類かも知れない。日本三大美人は秋田、京、博多をいい、三大ブス産地といえば、名古屋、水戸、仙台が有名である。その根拠は?
日本海側は日照時間が短い。そのためあまり紫外線を体に浴びることが少ない。さらに雪が多いため外出機会が少なく、その結果として秋田県の女性は肌が白く美人になるといわれている。秋田以外にも同じ地形と気候から、越後美人、庄内美人、津軽美人といわれている。秋田は満州や朝鮮半島の東側から渡来した人が多かったことも秋田美人の誕生に繋がっている。
京美人も日本海が関係しているといわれ、陽に当たらないことは、女性にとって大事なようだ。博多美人は、秋田や京とは違う理由があるとされる。一つ目の理由として、福岡という地域が東京・大阪・名古屋と同様に大きな都市であるために美人が集まってくるというもの。これらからすれば、博多女が美人というより、博多にいる女性が美人ということになる。
さらにもう一つの理由として、福岡に住んでいる女性は化粧などに関心を持っているために美人が多くなっているということらしい。化粧に関心=美への関心ということだろう。名古屋、水戸、仙台といわれる日本三大ブス産地の俗説として、名古屋においては、戦国時代に理由があるとされる。天下人三人の尾張、三河にブスが多いのは、戦国大名が美女を城に取り込んだ。
がゆえに後に残ったのはブスばかりになってしまい現在に至るというもので、なかなか面白い説である。水戸にブスが多いのも同じ理由である。茨城(常陸)を統一したのは佐竹義宣である。ところが、関が原の戦いでは石田三成に加勢し、家康より54万5千石から20万5千石に減封となり、秋田へ国替えを命じられた。佐竹家は秋田へ移る際に美人を連れて行った結果、水戸にはブスが残った。
仙台ブス伝説にはこれも戦国大名伊達氏ゆかりの逸話がある。伊達綱宗が吉原で高級遊女である高尾大夫を身請けしようとしたら断ら、怒った綱宗は大夫を斬ってしまった。仙台にはブスが多いのは高尾大夫の怨みによる祟りといわれている。嘘か真かオカルチックな逸話である。こうして三大ブスの理由を並べてみると、いずれも歴史に関係しているのがなかなか面白い。
実際的には美人もブスもイケメンも個々の主観やイメージでしかなく、色白美人という美人の基準も一つの見方に過ぎない。1966年、化粧品メーカー資生堂が、前田美波里を起用したポスターに、度肝を抜かれたのは男性諸氏ばかりではない。そこには小麦色に日焼けした美女ののっぴきならに視線があった。キャッチコピーは、「太陽に愛されよう」であった。
負けじとばかりにライバルのカネボウは、夏目雅子を起用し、大胆にも手ブラで男性諸氏の目線を釘付けにした。女性は男の目線のなかで生きるという効果が、こういうポスターの醍醐味であろう。世か色白美人から小麦色へと変貌していく。当時流行った楽曲『想い出の渚」の歌詞にも、♪小麦色した可愛いほほ 忘れはしない いつまでも…と歌われている。
三大美女、三大ブスに続いて、三大悪女といえば、クレオパトラ、則天武后、マリー・アントワネット、西太后、カトリーヌ・ド・メディチ、エテカテリーナ2世らが入れ替わりで出てくるが、中国三大悪女(呂后・則天武后・西太后)を言っておけば、彼女らに匹敵する者はいない。そもそも、世界の悪女が三人で収まるはずがなかろう。嫉妬と憎悪からの行為は半端ない。
夫の妾の目鼻耳を潰して肥溜めに住まわせ、豚女って呼んで息子に見せつける呂后(呂雉)もエグいが、 西太后や則天武后も残酷さではひけをとらない。彼女らは皇后の身分であり、女性が権力をもつと悪女(悪妻)なることが多い。北条政子、日野富子、淀殿らが日本三大悪女といわれる所以だ。流人であった頼朝を見初めた名家出身の政子の嫉妬深さは、当時としては異例だった。
頼朝は、妻の北条政子が2人目の子どもを身ごもっていた時に浮気をする。それを知った政子は烈火のごとく激怒。浮気相手の住む屋敷を打ちこわし、その女性を追いやってしまう。こんにちでも浮気相手の元に乗り込むのはあり得ることかもしれないが、当時は一夫多妻が当たり前の時代だった。北条一族の大反対を押し切って夫とした頼朝への怒りだったとみる。
義経を慕う静御前に政子は優しさといたわりを見せた。このとき静は源義経の子どもを身ごもっていた。同じ状況で頼朝に浮気をされた政子の静への配慮、思いは頼朝への当てつけもあったろう。静はその後に男児を産んだ。当時の常識からすれば政敵の男児は殺されるのが一般的習わしだった。結果的に男児は殺されてしまったが、政子はこのとき助命嘆願をしている。