小泉と書くと書いてる本人さえ小泉純一郎元総理と錯覚しがちになるが、それほど小泉今日子はキョンキョンのニックネームが似合う。同時代のアイドルは、聖子、明菜、伊代(松本)、ちえみ(堀)、優(早見)と呼ばれた。ノリピー、ショコタンの愛称はあったが、小泉が今日子でなくキョンキョンの名づけ主はデビュー当時に住んでいた近所のおばさんであるという。
おばさんは業界とは縁もゆかりもない一般人だが、そのことを小泉自身がインタビューもしくはエッセイで書いていたと、キョンキョン通の情報である。ただ、近所のおばさんがつけたあだ名を彼女の呼称とするようになったかは不明のようだ。今日子といえば岸田今日子もいたりと紛らわしいので、マネージャーもしくは事務所がキョンキョンにしたのかも知れない。
後年はKYON2が多かったが、キョンシーとは誰も呼ばなかった。たまたま観ていた『夜のヒット・スタジオ』で、小泉と堀ちえみが初テレビ出演に遭遇したが、堀はぽっちゃり、小泉は足が太いという印象だったのを覚えている。当時のアイドルには誰にも興味がなく、今回の件でも自分は小泉ファンでも何でもなく、当時のアイドル楽曲は聖子以外は聴く気がしなかった。
それにしても集団いじめに相当するような凄まじい小泉バッシングである。いじめには必ず首謀者がいるが、それに該当するフィフィは、「いちいち宣言する必要がどこにある?」と悪意極まりない発言をするが、「事実をそのままいっただけ」のことを、「勘違いしてる」だの、「愛人のくせに偉そうにしてる」だの、「罪を背負って生きていく」など止めて欲しいという。
あげく、「いまだに、"小泉今日子"である自分が言えば何でも許されると思い込んでいるのは、それこそ、"明後日"の方向を向いてしまっている。勘違いも甚だしい」などと、自身の勝手な思い込みを、さも事実であるような口ぶりをし、自身への賛同の大さに気分をよくしたのか、「こういった非常識なことを受け止めてしまう世間でなくて良かったと安心した」とまでいう。
こういうしゃしゃり出たお節介バカに同意する人間の方が危険である。なぜなら、彼女の発言は事実を勝手に歪めているだけで、小泉は現在の事実を隠さずにいったに過ぎない。つまり、フィフィは事実を批判し、勝手な想像を織り込んで身勝手に注釈を加えるだけのゲスである。こういう思慮無い人間の人叩きが受け入れられること自体、今の気候でいうなら寒々しい。
他人の悪口で飯を食う人がいてもいいが、分かったような勝手な想像でマスコミ操作をする人間は危険だし、若い男がなぜ彼女に惹かれるのかがさっぱり分からない。三谷幸喜は、「ばばあの特徴は、"思い込み"と、"聞き違い"といったが、それに"悪口好き"を足せば言い得ている。もっとも、どこにも利口とバカはいて、その区別はされなければならないけれど。
フィフィが隠した不倫を週刊誌にすっぱ抜かれて謝罪する芸能人を、常識者といったかどうか、あるいはいかなる批判をしたのかどうかは知らないが、正直に言ったものをここまで血祭りにあげる理由は分からない。が、ここまで人をけちょんけちょんにいうからには、今後は仕事のメインを不倫専門家として、彼女の常識論を振りまいて行けば、バカ度の観察になろう。
恣意的な意見も人の意見と思えば、意見そのものへの批判は問題であるが、正直なことをいっただけでこれだけ叩けるのは、思考が歪んでるとしか言いようがない。まあ、事実はどれだけ批判されようとも事実であるが、虚実はどれだけ美化されようとも嘘に変わりない。批判される事実と、美化される虚実とどちらを好むかという選択を人間はするが、好むと正しいは別である。
雑魚の恣意的発言など、取り上げるのも躊躇うが、それも事実なら仕方ない。「週刊ダイアモンド」なる経済誌がある。一般人には読まれないものだが、ネットに配信されれば目にも入ろう。芸能人コメンテータの戯言とは中味がちがうが、今回の小泉の一件について論評がある。タイトルは、「小泉今日子に企業は学べ、『バレる話はさっさと公表』という覚悟」である。
書いてある内容は男の世界観である。それを一言でいうなら、「他人の尻馬に乗るな」、「後手を引いて慌てふためくな」である。言い換えるなら、キチンと自分の意見をもって発言せよ」、「起こったあとで困惑し、泣きべそかくな」である。これくらいの用意がないと、男は戦いに勝つことはできないばかりか、すぐさま相手から見切られ、足元をすくわれてしまう。
何かがあって、「どうしよー、どうしたらいい?」は女の世界観であって、それで男は務まらない。想定外の事にもすぐさま対処し、怖気ずくなどもっての他である。これは頭の中にあらゆる思考とその対処がなされていないとできない。突然、文春記者にマイクを向けられても、仕事のできる男ならそつのない対応をするはずだ。男はそうでなければ情けない。
常に戦場を生きる男のそれがたしなみといえる。実際に戦場では、咄嗟の事には咄嗟の判断で対処せねば命はない。ビジネスにおいても、仕事のできる人間は何事にも迅速で、判断も的確である。ネットで何かを注文しても、とろいというだけで二度とそこでは買いたくないし、さらに顕著なのはメル友で、1分あれば書けるものは3日も4日も延ばす人間とは速攻止める。
やはり、速いというのは誠意であろうし、ネットショッピングにもそれは感じる。特に見えないものを、知らないところから購入するわけだから、日数がかかるだけで微妙な不安感を抱くことになる。何はなくても、「速い」というのは何より誠実な印象を受ける。早く手に取って自分の意図したものかどうかを確かめたいという顧客心理に根差した対応が求められる。
ダイアモンド・オンラインでは、今回の小泉の行動を6つに分析してその是非を記している。①キョンキョンの「不倫宣言」は実にクレバーなやり方である。②不倫をネグったままにすれば本業が巻き添えを食らう。③大手事務所から独立すれば不倫がバレるのは時間の問題だった。④業界屈指の大手事務所が「情報操作」した痕跡。⑤隠蔽を続ければ嘘をつかざるを得なくなる。
⑥「いずれバレる話」は一刻も早く公表すべし。いずれも、隠匿が深いダメージを受けるという企業戦略的には当たり前のノウハウだが、それからして小泉の態度を評価するのは、ゲスな感情論を排せば当然中の当然、当たり前の論理である。ビジネス的に考えるなら、フィフィの容赦ない発言は、大手事務所サンミュージック在籍の彼女による我田引水とも受けとれる。
そうした力学は無意識に発生するものだろう。上記の6つは見出しだけに留めるが、企業経営の立場で、"都合の悪い話を公表することは大きなリスク"と捉えがちだが、実際は公表を先延ばしにして「嘘」をつくことの方が、遥かに大きなリスクとなる。嘘はマネジメントを複雑にする。不祥事や不正に直面した場合は、正直こそが誠実であるのは言葉を待たない。