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熟年の恋⇒ 財産共有が難しい

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夫婦や親子や家庭のことは成長することで変化もあろうから、一言でこうだといえば嘘になる。豊原がいつ結婚したかについては明らかになってはいないが、妻とは20歳以上の年齢差があり、長男が一人いるが、現在は別居中とのことでそうなった理由は小泉との交際と明かしている。小泉の恋愛関係は3年前からというが、心変わりは非情ともいわれても仕方のないこと。

今回のことは事実を言ったまでで、言えば言ったで、隠せば隠したで、世間というのは真にうるさい。コソコソやっても隠し通せるものではなく、辺りを気にして疲れもしようし、週刊誌の餌食になればなったで面倒くさい。そんなこんなを嫌がって何が悪い。そうした一切の事情も考えず、鬼の首でもとったようにガタガタ批判するバカどもを相手にする必要などない。

離婚に至るにしても様々な形態があろう。不誠実な離婚もあれば、誠意とみなされる離婚もある。夫婦が互いにブツブツと不満をいいながら、欲求不満で暮らすくらいなら別れた方がいい。それが人間の情緒的成熟であり、強さといえるのかも知れないし、自他への誠実さともいえる。どうにも日本人は情緒的未成熟を、「良心」と呼んでいるかのように思えてならない。

愛はとっくに冷めているのに、「奥さんが可愛そう」などと分かったようにいうが、仮に妻に懇願されて離婚を踏みとどまったとして、亀裂の入った夫婦が幸せになれるのか?3年も別居した夫婦が覆水を盆に返して元に鞘に収まるのか?それなら問題ないが、やってみなければ分からない。だったらやらない判断があってもいい。人と人は、「ゆえ」あって結婚し、「わけ」あって離婚する。

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他人のことは、「ゆえ」も、「わけ」も分からない。だから批判すべきでない。かつて、「夫婦喧嘩は犬も食わない」といったものだが、不倫や離婚とて同じこと。犬も食わないことなどを事情も知らぬ無関係の他人が肴にして楽しむのを、「ゲスの勘ぐり」ともいった。愛すること、愛されることですら他人のこと。犬が食わぬものを食う人間なら、犬の方がはるかに利口である。

批判も擁護も趣旨は同じものだが、感情むき出しの批判の言質に比べ、穏便さにおいては擁護が勝る。利害関係なき他人事なら、多少の批判はあろうとも、「可もナシ・不可もナシ」といった態度が「金持ち喧嘩せず」と、古人は教えている。死体に群がる銀蠅や蛆虫が如き貧乏人根性は、道理として批判されるべきであろう。誰も他人のことに責任は持てない。それが道理である。

論争好き人間というのがいる。負けず嫌いで、議論を好み、そういう場には好んで顔を出し意見をいう。テーマについての持論や信念や価値観はもとより、持っている知識を余すとこなく披露し、議論に勝利することを、彼らは常に望んでいる。 自己顕示欲もあろうが、自己の向上心という一面があっても、トドのつまりは嫌われることになる。その理由は明白だ。

ようするに、他人を利用していることに相手が気づくからだ。自己の向上心であれ、勝ちたい一心の負けず嫌い性格の標榜であれ、それらは自己の都合であって他人には無関係なこと。その辺りが見えてくるほどにしつこくつき纏われると、いい加減面倒になるのは無理もない。議論好き人間の経験からして拒否のサインはシビアに感じ、そろそろ退避の身支度をする。

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人と人との関係というのは、可もナシ・不可もナシというのが無難である。それを節度ある距離感といえばヤマアラシのジレンマの例えもある。ネットは飲んだり食ったり交流を含む全人的な付き合いにはならないので、一層の、「可・不可」の交流が求められる。立ち入り過ぎると歪が出る。歪はまた、ストレスの発露となる。それでブログを止めた人も多い。

エールにしても小泉にはどうでもいいことに思う。それだけ批判も多いのに、エールを拠り所にするほど彼女は幼くなかろうし…。結婚はしないのではないか、そんな気がする。同居もするのかどうなのかも不明。結婚しない理由は、例えばSMAPなんか見てて思うことだが、稼ぎの多い芸能人はそれこそ何十億も貯めているらしい。小泉とておそらくそうに違いない。

50歳近くまで一人でコツコツ貯め込んだ財産であっても、結婚すればいきなり共有財産となってしまう。それって、どうなんだろうか?恋に盲目な若き日ならともかく、SMAPや小泉くらいの年齢になると、金銭面における恋との躊躇いはあろうと察する。50前の人間が、身も心も銭も惜しみなく捧げたい、捧げてもいいというような相手が出現するのだろうか?甚だ疑問である。

世知辛い言い方かも知れぬがお金って大事であり、コツコツ貯めたならなおさらだ。恋や愛は不確実なものだが、反面お金は確実なもの。大分前に、志村けんがなぜ結婚しないかを考えていた時、ふとそんな風なことが頭を過った。汗水たらしてせっせと貯めた数十億円を、誰かに持っていかれるような気持ちになったなら、そうそうやすやすと結婚はできないのでは?

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いうまでもない、結婚とは財産の共有だ。若いうちならそんなことは当たり前と意に介さないが、50歳近くともなれば、人間は愛情なんか信じなくなるだろうし、人と違ってお金は嘘をつかないこの世で唯一確かな友となる。その友を他人と共有できるかといえば理解がしやすい。「愛をとるか、お金をとるか」の究極の選択に、若い女性は以下の回答を述べている。

・「愛とある程度の創意工夫があれば多少の貧乏も乗り越えられるような気がします」(33歳/医療・福祉/専門職)

・「お金はなくなったらまた働けばいいけど、愛は一度なくしたらなかなか元に戻らない」(28歳/建設・土木/事務系専門職)

・「お金は努力(節約等)でなんとでもなるが、愛は努力でどうにかならないから」(28歳/機械・精密機器/技術職)

上記したのは代表的な理由だが、まだまだあるだろう。確かにお金で解決できることは多いが、愛で解決できることもある。見初めた絶世の美人に、「一晩100万でどうだ?」と脂ぎった中年が声かけてものにした。別の女性は、「冗談言わないで。いくらお金を積まれたって、あなたとなんかとなら死んだ方がマシ」と、言える女性が今の時代にいるかは甚だ疑問である。

前者も後者も男にとっては女の謎だが、どちらの謎が理解しやすいかといえば前者である。後者のような頑なな女性に対して男は、「1回100万だなんて、別に減るものじゃないし…」などと思ってしまう。サイパン島にバンザイクリフという名所がある。戦時中のサイパン島で生活する日本人女性や子どもたち、「捕まったら強姦されたあげく殺される」の言葉を信じていた。

米兵に追われて逃げに逃げ、行き着いたところは崖。もう、道はない。かくして、サイパン島のきりたった崖から身を投げる女性たちが、米軍のカメラの前で映しだされている。映像はまた海に浮かぶ女性や子どもたちの悲惨な姿を映し出しているが、この世で戦争の真実ほど怖いものがあるだろうか?それが映像に残っている。従軍カメラマンといえ、人の死を撮るのは忍びなかったろう。

        何のためらいもなく、崖の上から身を投げる女性。驚く以外にない (3:00辺りの影像)


できるならカメラを置いて救いの言葉をかけたいのではないか?撮る人、飛び込む人、いずれも真実(映像)の怖さであるが、事実として記録に残されたものゆえに価値はある。女たちの死は、従軍兵士であった田中徳祐著『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』に記されている。鬼畜米英と教育され、洗脳されていた当時の日本人女性たちは死よりも凌辱を恐れたのだ。

愛は全人的なものである。自らを尊敬できない人間が他人を愛せるか?少なくとも男には男の理想があって、それを抱きつつ努力していく姿勢がなくて、真に女を愛することなどできない。「どうせ俺は…」といじけたり、悲観的になる男は、女の尻に敷かれた方がよい。自らを尊敬できる人間になろうと必死にもがく男の張りつめた精神こそが、愛を美しく純粋にする。

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