日曜日(といっても土曜の深夜)に記事を投じるのは調べたら昨年5月7日以来だった。日曜日は休稿日と決めている。特別な理由はなく、単にそう決めて守っているだけ。カントの朝の散歩ではないが、こうと決めたら厳格に守ってしまうところも自分の性格である。本記事は土曜の昼に書いたもので、月曜日に投じる予定だったが、書いたものなら載せようとの気になった。
カントが厳格に規則正しい生活をしたのは有名で、散歩以外にもチーズを常食とした。晩年はチーズの食べ過ぎで体調を崩し、医者に止められたがそれでも看護人に、チーズを懇願したという。確かにチーズは乳成分が濃縮されたもので栄養は豊富だ。特に少量で効率のよいカルシウムの摂取が期待できるので、散歩に必要な強い足腰と骨を作るにはうってつけの食材である。
自分はチーズの常食はないが、リンゴとキウィは朝食時に摂っている。散歩というより、心肺機能の衰えをカバーするウォーキングは、晴天日には欠かさない。平均して2時間、体調のよい時は4時間のコースを歩く。カントは18世紀後半の人だが、当時のヨーロッパにおける平均寿命は35歳とあったが、彼は散歩とチーズと規則正しい生活のおかげか79歳まで生きながらえた。
カントの最後の言葉は、「Es ist gut」だった。英語表記だと「It's good」、日本語では、「これでいい」となる。広く知られている言葉で、最初に訳したのは誰なのか?気になるところだが、砂糖水で薄めたぶどう酒を飲んだ直後の言葉だから、「美味い」と訳すべきだったかもしれない。いずれにしてもカントの最後の言葉となったなら、「これでいい」はナイス訳である。
自分の最後の言葉は何であろうか。ま、何を言ったところで有名になることもないから、「はれほれひれはれ」とでも言ってみるか。誰も訳せないだろうし、臨終の場にいた子どもたちが、「父のあの言葉の意味はなんだろうか?」と永遠に考え続けられるような言葉がいいかも知れない。気取った言葉をいうよりも、解読不能な言葉が自分らしくてよいだろう。
昔から友人などには、「お前は枠に嵌られない人間だ」などといわれた。それに対して、「俺を嵌めようとしても枠が壊れる」などと返した。枠に嵌りたくない、嵌らないように生きる自分が枠に嵌められるハズもない。日増しに死に近づいているわけだが、死ぬ場面の実感はまだ湧かない。かつても今も、そしてこれからも、何となく通り過ぎていくだけの生である。
「生きる」という前提が若い時に比べて多少は変わったろうか。それとも若い時分の生きる前提とは何だったのか?伴侶を見つけて世帯をもって子どもをもってというささやかな願いは一応は叶えられた。自己実現という大袈裟なものではないが、小さな自己実現は成し得ている。残された余生がどのように過ぎていくのか、大病や急死しない限りにおいては想像がつく。
股旅を旨として生きる木枯し紋次郎に、「あっしの旅は過ぎていくだけ、吹き抜けていくだけの旅でござんす」というセリフがある。その後で、「あっしには明日という日がねえんでござんす」といった。どういう意味かを考えてみるに、「明日がない」という生というものは、ひたすら現在に打ち込んでいるということか。それならそうした「生」もまんざらでもない。
現代人にとっての現在とは、バラバラに区切られて、関連のない一コマの時間にしか過ぎないのではないか。とかく世の中が複雑になりすぎている。何に対してどのように責任を感じ、また責任をとって生きていくべきなのか。我々の現在的な目的とは、何かを求めていきるという長期的なものではなく、極めて時間の短いものでしかない。そこで小泉今日子という女性について考える。
小泉今日子という女性は51歳である。キョンキョンなどといわれたアイドル時代もあったが、彼女にはミステリアスな魅力がある。聖子や明菜など、同時代のアイドルとは違って見え、彼女がアイドルを卒業して女優として活躍する頃になって、一段と感じられた。彼女のどことない落ち着きはらった雰囲気は、少し前の百恵、淳子、昌子の中三トリオでいえば、百恵であろう。
山口百恵は堅実で真面目で保守的であるが、それにちょっぴり、「アク」を加味したのが小泉かも知れない。「アク」はまた、「悪」ともいえるところが、百恵と違って小泉には小悪魔的魅力がある。小泉は神奈川県厚木市、百恵は東京生まれだが育ったのが神奈川・横須賀市である。血液型は小泉がO型、百恵はA型、同じO型の自分は小泉に親近感を覚える。
百恵と小泉の共通点を探すのは大変だが、相違点は顕著に伺える。百恵は言動も雰囲気も自己抑制型で、彼女の基本コンセプトである、「芯の強さ」、「冷静さ」といったものを多くのファンは感じていた。ラストコンサートでマイクをそっとステージに置いて、カーテンコールを迎えたのはおそらく自発的というより、百恵のイメージに合わせたスタッフの演出であろう。
また百恵は、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」の歌詞にちなんで、「それは何?」と聞かれて、「まごころ」と答えている。このあたりの自己抑制の半分は性格的なものかも知れない。かりにもし小泉が同じ質問を受けたら整然と、「まごころ」とは答えられず、ニコニコと思わせぶりな笑顔で対処するのではないか?と、これはあくまでも自分の想像だ。
「まごころ」と答えるようなカマトト的自己抑制は小泉には似合わない。百恵は清楚で冷たく暗い印象だが、他方小泉は、「元気印」の、「新人類」というコンセプトだったし、彼女の屈託のない笑顔は、そうした作られた営業イメージを跳ねのけていた。あえて共通点をいえば、私生活が貧しかったことだろう。百恵は母子家庭に育ち、家族を棄てた父を憎んで育った。
彼女の自伝『蒼い時』によれば、父親の奥さんが家に乗り込んできたときの様子が書かれてもいるが、百恵は母親と妹を守るために懸命に働き、後年施設に入って老いた父と和解している。小泉は子どものころに父親の会社が倒産し、夜逃げ同然の経験がある。それで金銭感覚がシビアになり、アイドル時代に高収入を得ても不必要な出費はあまりしなかったという。
3姉妹の末っ子の小泉だが、中学時代は家庭の事情で父親と2人暮らしをしていたといっても、父子家庭ではない。百恵の息子は親の後を追うほどに成長したが、小泉と永瀬正敏の間に子どもは恵まれず、実質9年間の結婚生活だが、すれ違いの期間が多かったのでは?昨今、その小泉が何事かマスコミを賑わせている。何事かは不倫事だが、小泉のそれはこれまでとは事情が違っている。