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人間賛歌に辿り着く

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「もう、バカばっかしやってる」などの言い方をする。テレ隠しや謙遜もあろうが、「バカを行為したくないのに、意思に反してやっている」という真面目な気持ちなら、自分は最近それを強く感じる。以前はほとんどなかったことだが、外出から帰ると部屋の灯りが煌々とついたままになっている。こういうバカ(無駄)は数年前には絶体と言っていいくらいになかった。

なのになぜだ?これを老化というのだろうか?他に理由が見つからない。老化とは脳細胞の減少であり、それが物忘れや記憶の減衰を引き起こし、反射神経すらも鈍くなる。外出時に部屋の灯りを消すなど、こんな当たり前のことは以前は意識しないでできていたが最近は、無意識ではやれなくなっている。度々の失敗から強い意識をもって注意・喚起しなければならない。

強い意識をもって消すように努めたことで、数日間は成功していたようだが、ある日帰宅すると煌々とついている灯りに愕然とした。その日に限って意識が希薄だったのだろうが、こんなこ当たり前のことをなぜに強い意識せねば実行できないのかが悔しい。脳内をMRIで見ると、スカスカとまではいかないにしろ、大分脳細胞が減ってしまっているのではないだろうか。

その自覚症状であろうし、それしか我が身に説明ができない。他の症状で特に老化を感じる事はないが、灯りの消し忘れのみ多発する。それもあって、「部屋の灯りの付け忘れ」で検索したところ、以下の投稿があった。何度注意してもダメどころか、「注意すると逆ギレされてしまいます」と妻はこぼす。こうした情景からつくづく思うは男もイロイロなら女もイロイロである。

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こんなことで逆ギレする夫には様々な潜在的な理由があるろ思う。なにもなくて単に"うるさ妻"にキレるという夫もいるだろうが、もし、この夫が消したい、消そうと思いながらもそれができないほどに能力後退を実感しているなら、「うるさい!」という言葉もでるかも知れない。簡単なことができなくなって、その簡単なことに口を出されたら、自身が虚しくなろう。

妻は、「何かよいアイデアありませんか?」などといってるが、口うるさく言うのを止めて、消し忘れていたら黙って消すのが、自分の思うところの良妻だ。理由は、本人が意識しない限りは他人がどうしたところでダメ。「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という慣用句ではないが、馬も人間も意思の問題である。

どんな名回答があるのかと思いきや、そういう場にこれ見たことかというように別の主婦が参じ、「うちの夫もそう」などと共感し、愚痴の溜まり場と化す。しばしばこういう場面に遭遇すると、女という生態がつくづく嫌になる。なんでこうなのか?悪口に花を咲かせる、それが女だからというしかないが、枯れ木に灰を巻いて花を咲かせるのが好々爺である。

ま、そうした批判をすれば、また輪をかけたように、自分の夫や男への言い分(不満)を増幅させるばかりで、自分たちの醜態を客観視して、はたと気づくことはない。男にも妻の悪口をいうものはいないではないが、我が意を得たりとばかりに、他人が参入して妻の悪口合戦ということは皆無とは言わぬが少ない。その理由はいろいろあるが、自分はこのように考える。

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A男が妻の悪口を言ってるときに、B男の妻と同調できる点があっても、事はA男の妻の問題であるなら、B男はA男の妻に対してA男がどう対処すべきかを建設的に考えるだろう。それもせずに一緒になって双方の妻の悪口三昧などは、みっともなさすぎる。男はあることに対して、建設的で前向きな意見を思考する。だから、仕事のできる事といわれるようになる。

よく言えば、工夫と問題解決が男の信条ではないか?勿論、一緒になって妻の悪口に盛り上がるがさつな男もいるが、おそらく仕事のできない男である。男に井戸端会議がないのは、基本的に男関係は共感で成り立たないからで、そこが女とは根本的な違いがある。先ずは男は批判が先導する。妻の悪口ををいうA男に対し、冷静にB男の問題点や足りない部分を探そうとする。

ところが女にこれをやると間違いなく気を悪くする。なぜなら、女は夫の悪口に共感を求めているからで、それなのに冷静に分析されて、「君にも悪いところがあると思う」などとされたら、「この人に言うんじゃなかった」となる。そういう態度をされたら自分なら、「悪口に共感を求めるなら相手違いだ。別の相手を探せよ」と、口には出さずに腹で思うだろう。

悪口を聞いてもらいたいのか、それとも問題を解決するための方策を見出したいのか、後者の女性の方が魅力を感じる。悪口を吐き出し、聞いてもらえばそれで気分が晴れる、憂さが晴れると、そういう女とは雲泥の差がある。前者女とは付き合わないし、後者のような女となら様々な問題について、惜しみない時間を費やしたい。例えばある女性からある相談を持ち掛けられたとする。

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自分なりに考えて回答したところ、「堅苦しくてよく分からないし、そんなにいわれてもどう答えていいのか分からない」などといわれることもある。この場合、解決策を求めた真摯な相談ではないなというのが分かる。物事の一切は相対的であるから、相手の性格や頭の様子などを加味して、それに合わせた物言いが大事であろう。以前は自分を出すだけだったが、臨機応変に振る舞っている。

振る舞えるようになったというのが正しい。経年で忘れっぽくなることもあるが、経年で人を的確に判断して、それに対応するのがよいと分かるようになった。年を取ったらバカになる部分もあるが、そうばかりでもない。が、後者のような自己の向上は意識をしなければみえるものではないが、前者の場合はそれはもう情けないというか、嫌というほどに感じさせられる。

どちらも老齢、どちらも自分である。成長は分かりづらいが、後退は分かり易い。以前、県内トップの中高一貫女子高生がこんなことを教えてくれた。入学の際の校長の訓話とし、「あなたたちは選ばれた人達なのです。他の人たちは違うからこの学校に入学したのです。その意識だけは忘れないように」。聞きながら、エリート校というのは、こういう人間教育をするのかと感じた。

普通の公立中学の入学式ではない訓話であるが、「エリートは選ばれし者」としてのエリート教育はここから始まっている。自分的にはそれが、「人間教育」とは思わないが、進学校にはそれなりの論理があって間違いと思わないが、問題は進学校を出たからといってどういう人間になることまでを保証するものではない。後は自己教育による自己向上しかない。

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人間の本当の質が分かるのは壮年期以降ではないか。青春期とは何かと矛盾に富んでいる。なぜなら、500人がエリート校を目指しても400人は落ちる。そこが問題であろうし、つまりある種の悲劇はその人の人生に意味を与える。すべての欲求が満たされたとき、人は人生に無意味感を味わうこともある。「正」と「正」の衝突が人間の悲劇というなら、真の人間的な「正」とは何か?

人間的「正」は、常に人間的「不正」を伴うし、人間的「真実」は、常に人間的「虚偽」を伴い、人間的「善」は、常に人間的「悪」を伴っている。「清濁併せ呑む」という言葉を言い得て妙と若い頃は思っていたが、今は正しいと分かるようになった。人間は善も悪も行為するし、正も不正も行為する。また人間は誰も真も虚も伴っている。それでこそ「人間賛歌」と思うこの頃だ。

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