ほとんどの人は昔の出来事に触れると懐かしいと感じ、そのことをまるで追体験するかのごとく思い浮かべることもできる。なぜ懐かしいと感じるかには諸説あるようだが、懐かしいという感情(ノスタルジア)や過去を思い返す能力は、他の動物にはない人間特有のものだと言われている。ならば懐かしさというのは、人間にとってどのような意味があるのだろうか。
「認知心理学」は人間の心を扱う心理学で、知覚・理解・記憶・思考・学習・推論・問題解決など人間の高次認知機能を研究対象とする。その中で記憶についていうなら、人間に記憶があるということは、人間らしさを保つ上で重要となる。物事を新しく記憶することも大事だが、嫌なことを忘れたり、昔のことを懐かしく思い出したりするのは、人間にとって意味がある。
「温故知新」というように、昔を思い出したりたずねたり、解き明かすことで自分の成り立ちを理解できることになるというメリットがある。人間の記憶は、「エピソード記憶」と、「意味記憶」とに分類される。エピソード記憶とは、友だちと遊んだなど自分が過去に体験したことの記憶で、意味記憶はものの名前など一般的な知識のことで、この2つは質的に異なるものだ。
懐かしさはエピソード記憶と関わっていて、人間の発達段階で比較的遅い4~5歳に獲得されるという。それがアルツハイマーなど認知症にかかり、脳の海馬と呼ばれる部分を損傷すると、このエピソード記憶がうまく呼び出せなくなる。そのような人にかつて好きだった音楽を聴かせるなどすると、いろいろな記憶が呼び覚まされ、元気になることがしばしばある。
これは懐かしさが刺激となるからではないかと考えられるが、そのメカニズムはまだよくわかっていない。どちらにしても、人間の記憶というのはその人の人生を支えている大事なものだが、古い記憶ととなると正確さも薄れ、思い違いや事実とは異なる記憶に支配されることもあり、それはそれで意味のないことともいえないが、間違った記憶が人生に影響することはある。
人はそれぞれ個々に思考のクセというものがある。例えば嫌なことがあったときにどう考えるかによって、対処の仕方も変わってくる。嫌なことを上手く処理できずに時間がかかったり、「反芻(はんすう)」というわれるように、嫌な出来事の原因をぐるぐる考えてばかりだと、暗い気持ちを引きずりがちとなる。こうした、「情動調整」の上手い下手で人の人生も変わってくる。
もし、嫌な出来事について考えすぎてしまうような場合、反芻に気づくことが大切である。人間関係においても、頼んだことをスルーされる場合など、「仕事やもろもろが忙しかったのだな」と善意に考えられるなら、反芻をストップさせられる。嫌なことがあっても、自分の思考の持ち方次第で、反芻を少なくできる。このように、自分の思考のクセに気づくことが大事。
こうした考え方を続けることで、対人関係におけるトラブルも少なくなり、抑うつ症状になりにくいというメリットがある。したがって、嫌な考えをしてしまう自分の欠点をいきなり、「直そう」とするのではなく、嫌な考えをしてしまう自分に、「気づく」こと。嫌なことがあると人は落ち込むが、落ち込まないようにするのではなく、落ち込んだときにどう気持ちを切り替えるか。
このように自身の、「情動処理」をしていけば、くよくよしないで前向きに生きていけることになる。これに慣れるといつの間にポジティブ人間に生まれ変わっている。スーパーの駐車場で、入り口に近いところが開いてないだけでイラつく人。自転車に乗ろうと思ったらパンクしていて腹を立てる。どちらも、「歩けということだな」とプラスに考える人は大らかであろう。
ただ、反芻はマイナス面だけとも言えず、良い面もある。「自分はなんでこんな性格なんだろう」などと性格を否定するのはよくないが、「(相手に対して)言い方が悪かった」というように、「行動」を振り返ることができれば、次に生かすことができる。単にする「反省」は反芻に含まれるが、これを次に生かそうとするなら、それは良い意味の反芻といえるだろう。
自分をどれだけ客観視でき、考え方や行動を見つめ直すことになるなら、心の健康は良好になる。大体において、イライラの多い人は、常に対象に問題を向ける人であって、自分は絶対に悪くない、間違っていないと考える人である。女性に多いヒステリーは自己絶対化が基本にあり、思うようにならないことが原因と思っていた。それは自分の母親から判断したものだ。
が、一概にそうでもないらしい。食べ物が詰まっているわけではないのに、喉が何かで塞がれているような違和感を感じる人は、「ヒステリー球」症状が疑われる。常に胸に閉塞感・異物感があり、その感覚を飲み込んだり、吐き出したりできない状態の「ヒステリー球」は西洋医学での呼び方で、東洋医学では梅の種が喉元にあるような症状から「梅核気」と呼ばれている。
ヒステリー球の原因はストレスとされ、「必要以上にストレスを受ける環境にいる」、「理不尽なことがあるのに我慢している」、「なかなかストレスを発散できずにいる」、「知らない間に身体に疲労が溜まる状況にいる」などヒステリー球は、現状生活や自身の考えに対する身体からのサインといわれ、つまり、現状を変えて欲しいとの体からの訴えとされる。
基本的な対処法として、睡眠、食事、運動、笑うこと。など、生活を変えることを心がけるが、個人の体質や環境の改善はそうそうできるものでもなく、ライフスタイルを突然変えることは難しい。少しずつでも自分の生活を整えることで、ストレスを解消していくしかない。臨床例からみても女性の方が発症しやすい傾向にあるが、男性にないわけではない。
男にはない女性のホルモンの急激な変動が、精神的な不安を起こす原因の一つといわれる。また、相手の感情を察する強みが裏目に出てしまうこともある。周りの空気に合わせる外の顔と、自分の内側の感情や思考に差が出過ぎてしまう、優しい人に多い症状といわれる。端的にいえば、外面と内面の差が強すぎる人であって、それが心に自己格闘⇒自己分裂をきたす。
他人の感情を読み取る力が強すぎるあまり気を遣い過ぎたり、それが人間関係の苦悩になる。自分よりも他人を優先するような優しい人、心配性の人などにヒステリー球が多いといわれている。つまり、自分の中で形にならないものがあるのに、それをうまく形にできない、うまく伝えられない、そういった焦燥感が募って身体が心の悲鳴を代打した状態とされている。
45年前の彼女に出会ったはいいが、離別となった最初の事由にも驚いたが、それが彼女の環境であるならと理解に努めた。二度目については、こちらが提示したことを了承したにも関わらず行動しない。それをいえば、「自分の意のままにならないと攻撃するのね」などという。心の病める人は万事にこうなのか?傷つきやすい自分をいたわる事ばかりに躍起になるのだろう。
障害は疾病だから偏見はないが、理に合わぬことを突きつける人の性格はいかんともし難いが、心の病に罹患してる人なら病のせいにするのがよかろう。どちらにしても離れるのが賢明である。何の罪もないことを罪とされてしまう、そんな相手に太刀打ちできる術はない。逃げ出すのは好きではないが、かつて母から逃げ出したように、それが最善ということもある。