誰が不倫をしていようが発覚してしまおうがどうってことなかろ?世間は何を騒いでいる?という時代になるのがいい。所詮は他人のモラルの問題であって、それを週刊誌がすっぱ抜いて商売にし、テレビが取り上げて視聴率を上げ、暇な芸人コメンテータが関係ない他人のことをあれこれと言葉にするが、くだらないと思わないのだろう。テレビは不倫の御用聞きか?
近頃、確かに結婚していることが男女の性的交際の歯止めにならなくなったようでだ。かつては不義密通といったが、人倫から外れた行為だから不倫という言葉がマッチしたが、法律用語では、「不貞行為(貞操義務不履行)」という。一夫一婦制の婚制度から外れた男女関係、配偶者のある男性または女性が配偶者以外の異性と恋愛し、性交渉を行うことを指して用いられる。
配偶者のいない男性や女性が、配偶者がいる異性と性交渉を行う場合も含む。既婚者がお忍びで密会すれども性交渉を伴わぬ関係であれば不貞行為とはならない。姦通や不義密通を現代の一般語で「浮気」といったが、不倫の語源は、TBSのテレビドラマ、「金曜日の妻たちへ」(1983年)が最初とされている。密会を重ねながら、「何もない」と言い張ろうと道義に反する行為とされる。
したがってその代償は重く、イメージを重視する芸能人は、スポンサーの意向から仕事を干されることになり、一般人にあっても家庭や友人関係を崩壊させる危険をはらむし、不倫をした側・された側、あるいは相手方にも経済的・精神的に深刻なダメージを受けることにもなる。不倫は明治時代の旧憲法下では、姦通罪として罰せられることもあったが現在はない。
姦通罪は明治13年(1880年)から布告され、刑は死罪にも及ぶ重罪で協力者もまた中追放か死罪とされた。しかしこれは、「夫があって不貞を働いた妻」のみが罰せられるという、女性だけに限定されたものに限定され、したがって当時は既婚女性の不倫は犯罪扱いだったが、既婚男性の不倫は何のお咎めもなく、これには江戸時代から始まる吉原の存在が関わっているようだ。
江戸時代において不義密通は重罪で、その罪が発覚すれば男女ともに切り捨て御免、命をとられても文句は言えないものだったし、密通の罪を犯した妻が三行半を叩きつけられて家を追い出される、あるいは番所に届けられて詮議(評議して明らかにすること)にかけられ、死罪が適用されることもあった。不倫が重罪なら、吉原遊郭の遊女(娼婦)との関係は矛盾ではないのか?
遊郭とは、遊女を抱える売春宿を1か所に集めて塀で囲った場所で、広義的に売春宿で、吉原が有名だったが、遊郭はあくまでも娯楽と捉えられ、お金を払って遊ぶ分には罪には問われることはなく、裕福な身分階級の者が気に入った遊女を大金を積んで囲うことも珍しくはなかった。つまり、武家の女性と遊郭の遊女では身分がまったく違っていたということになる。
同じ女性であっても厳格に身分の違いが設けられ、その分厳しさもあった。苗字を与えられ、武家に嫁いだ女性の不義密通はもっとも重罪となり、相手の男性も同罪に処された。もっとも遊郭とは高級な売春宿であり、遊女は身分の高い者御用達の高級娼婦とも評されていて、身分の低かった農民は、「岡場所」という、公に営業許可を与えられた娼婦の歓楽街で女性を買っていた。
江戸時代は売春が驚くほど盛んで、これは、住環境が劣悪だった事に大いに関係しているという。たしかに、江戸町民の七割から八割は長屋住まいで、それも間口九尺、奥行き二間の棟割長屋だから環境は悪い。ゆえにか、江戸市中には岡場所と呼ばれる売春街がいたるところにあり、宿場女郎もあった。岡場所や宿場の女郎では割り床がふつうだったと言うことだ。
割り床とは、一室を屏風などで仕切って、二組み 以上の寝床をこしらえることで、六畳一間を二人の男が衝立屏風だけの仕切りで、互いが"いたしている"など、今では考えられないおおらかさであったが、それはさておき、食うや食わずの百姓や、日雇奉公している長屋住まいの若造などに、女郎買いなどするほどの経済的余裕がなどあったはずもなかろう。
娼婦にも客にも身分差があったということだが、江戸時代には吉原を代表する政府が認めた公娼遊郭があり、明治・大正を経て昭和33年まで残っていたが、「既婚男性は客にしない」といった決まりはなく、ある意味で男性は不倫や浮気のし放題だった。して第二次世界大戦後の1947年、日本国憲法で男女平等が定められ、姦通罪は同条に違反するとして廃止された。
女性のみに規定された姦通罪がとっパわれたことはよかったのだろうか?男がそうなら女だって「やるわよ」という時世を憂える声はしばしば聞くが、男がよくて女がなぜにいけないのだという合理的な理由を説明できるものはいない。「女はつつましく身も硬くあるべし」というのは、それが男に都合がよかったからで、男が好き勝手をしながら女はダメだというのは説得力がない。
「婦女子の堕落は男の非にあらず。身を売り、性病を蔓延させ、傾国に値するなり」と、一見正当で合理的に聞こえるが、男に自由があって女に自由がないのはやはり差別であろう。キリスト教の洗礼を受けた矢嶋楫子や津田梅子らが女子教育に力を入れたが、「あなた方は聖書をもっています。だから自分で自分を治めなさい」という信仰の自治を教えた時代とはわけが違う。
女子教育の真の目的は、解き放たれた自由を横臥することであろう。自由とは何かについて誤解がある。自由とは決して束縛がない事ではなく、存在する束縛の外へ飛び出す事である。人は苦痛を避けようとするが、人が一番苦しい事は何もない事ではないか。「快楽の刺激が欲しい」というのは誰もがじっかんすることだろうが、刺激がない事ほど苦しいものはない。
何もない苦しさに比べれば、痛みや苦痛も刺激という意味では快楽の一種だろう。それすらもないままにただ生きるだけなら半死人である。誰もが中高生時代には、「校則が自由をなくしている。校則さえなければ自由だ。学校さえなければ自由だ」などと思ったりもするが、実際問題、本当に校則がなくなり、学校すらもなくなったら、人は別の苦しさを味わうだろう。
「束縛するものがあるから自由がない」わけでは決してない。束縛があるから、不倫という刺激を味わっているではないか。などと、人が自由を感じるためには、自らを束縛するものが必要だ。現状、ソープやパチンコは法規制の適用除外を受けているが、「ソープは売春だ。パチンコは賭博だ」などとガチガチに法規制をすると、世の中はさらに乱れることになろう。
物事を四角四面に真面目に考えるのは悪いことではないが、クルマのハンドルや精密機械にも幾分の遊びがあるように、人間の心にも遊びの部分がないと、修行僧のような人間ばかりの世の中のどこが面白い。他人の不倫をとやかく言う前に、真似をしようと思わねばそれでいいのでは?人を真似るのを猿真似というが、主体的に行うなら立派な自己責任ではないか。
新憲法制定と民法改正によって、男女平等の理念が掲げられ、江戸から明治にかけて妻のみにあった姦通罪という刑罰は消え、現代において不倫は、男性・女性を問わず民法上の、「不貞行為」として、夫・妻または不倫相手に対して権利侵害の請求という形に変わった。昔から本妻以外に、側室、そばめ、妾、てかけ、二号さん等の呼び名の女性を傍らにはべらす習慣があった。