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Channel: 死ぬまで生きよう!
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45年を経た再会。その後… ⑦

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百歩譲って彼女が言うように、本当にドコモショップで設定をしてもらったとして、それで設定できていなかったなら、おそらくこういう会話になるのではないか。「設定できてないんだけどなんで?」、「えっ、何で?ちゃんとドコモでやってもらったのに。できてないってどういうこと?」、「それが本当なら、自分にはわからない。そんなことあり得ないから…」。

「本当よ!嘘なんかいわない。だったら明日もう一度行ってくる」。ショップにわざわざ出かけ、順番待ちをし、あげくできていないならショップへの怒り、不信が増すし、相手から、「行ってないんじゃないのか?」といわれたら心外であろう。本当に行ったことを執拗にに訴えるだろうが、なぜ、してもいない事をしたと嘘をいうのか?彼女がその理由をいうはずがない。

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だからそういったことはこちらで考えるしかない。不誠実で良心もなく、いい加減な人間と定義した。嘘をつく人間に、「なんでそんな嘘をつくのか?」と聞くほどバカげたことはないが、それでもそうしか言葉はない。案の定逆切れした。自分を被害者に見立てて相手を無茶苦茶にこき下ろす。彼女は二度離婚している。こういう女に男は苛つくものだ。暴力を振るわれたというが…。

暴力がいけないのは分かり切ったことで、こういう時の男の叫び声を代弁するなら、「教えて欲しい。どうすればこういう女とまともな対話に持ちこめる方法があるのなら…」であろう。弁が立つ、弁舌がキレるということでは全くない。そんな女が被害者意識を押し出し、あらん限りの言葉で相手を責め立てれば男は手を出すか、閉口するしかないだろう。

暴力は野蛮、黙って耐えろということだが、昨今は女が男にする暴力も問題にされるようになった。妻や恋人からの暴力を「逆DV」というが、それそれ「逆」という前置詞も消えてもいいのではないか?労働組合中央組織の連合の調査(「ハラスメントと暴力に関する実態調査」2017年11月16日発表)では、婚姻経験者を対象に配偶者から暴力を受けた経験があるかを聞いた。

その結果は、配偶者から暴力を受けたことがある人は31.6%。約3人に1人が経験している。その内訳は、「心理的攻撃」24.4%、「身体的暴力」14.8%、「経済的圧迫」13.9%、「性的強要」9.8%となっている。調査ではショッキングな結果も判明した。暴力を受けた対象の男女比においては、女性37.1%に対し、男性側も26.1%と高い割合を示していたのである。

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ところが驚くべきは、若年世代に限ると男女比が逆転している。10、20代で暴力を受けたのは男女ともに33.1%だったが、30代では女性35.4%に対し、男性は38.1%だった。暴力の中味を細かく分別すると、「身体的暴力」を受けたのは10代・20代女性が19.0%なのに対し、男性は25.0%。30代では女性が14.6%なのに対し、男性は23.8%と大きく上回っていた。

また「経済的圧迫」を受けたことがある30代女性が18.8%なのに対し、30代男性は23.8%にのぼっている。稼いだ給与を妻が管理し、自由に使える小遣いが少ないということだろう。若い男が結婚を嫌がっているとの数字をみるに、世の移り変わりを感じる。頼まれたことをしない、ましてや本人が了承したことであるにもかかわらずしないなら、相手から何かを言われて当然である。

それで逆ギレする人間への対処の方法があるだろうか?良心のある人間なら自身の不始末を受け入れ、詫びて言い訳の一つでも言うのだろう。もしくは言い訳をせず、自身の糧として改める努力をする。人は自らの醜態を人から指摘され、学んでいくしかない。自己教育力に長けた人間でさえ、やはり自らには甘い。何かを学んできた人間と何も学ばなかった人間がいる。

おそらく彼女は二度の離婚から何も学ばず、すべてを相手のせいにしてきたのだろう。あくまで推測だが、今回のことで逆ギレする態度を見ても、「自分が悪かった」という言葉は皆無であった。彼女の言い分としてこういう言葉があった。「思い出をたどるだけなのに、なぜこんなことになるのか?」。これは、「何であなたが私にあれこれ命じる必要があるのか」であろう。

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彼女は人からの指示や命じられるのを極度に嫌う性向があり、対応しないのはそういうことに対する反感であろう。何かを頼まれることが指示・命令と感じるほどに、育ったという想像もできるが、前にあげた彼女の得意な性向がある。「何でこの人は私に関係のないことを話すのだろう」と、自分が初めて声をかけたときの思いである。これが自分には不思議に思えた。

人はこちらに関係のないことを話すものであり、それが人との出会いである。誰も自分についての経験や知識しかないわけだ。「そんな風に思うものなのか?」と思いもするが、実際彼女も元夫のことや結婚生活の実態を長々と記している。これを彼女の論理で言うなら、「そんなこと俺に関係ないだろう」といわれたらどうするのだろうか?思わぬからいいものを…

要するにこういうことになる。自分はやるが、人のは認めたくない。これはコミュニケーション能力の完全な失墜である。男を一刀両断コケにするフェミニストが独身でいるのが正解なように、他人を受け入れられない人は一人で自由気ままに生活すべきである。一概にコミュニケーション能力の無さと断定はしないが、持ちつ持たれつや共感が自分と他者を結びつける。

始めての電話をした数分の中で、離婚をしたと彼女が行ったときに、その時は夫のあれこれなどは言うこともなく、「私は結婚が向いていないと思う」と、何気に言った言葉が自分には引っかかっていた。おそらく彼女は自身のそうした部分も承知しているのだろうが、情緒は時に冷静にも攻撃的にもなる。今となってはこの言葉が彼女自身を現すものと理解した。

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他人から指示命令されるのを嫌う人間に、善意な言葉は無用である。これすら反感でしかない。他人の言葉を善意と受け入れていれば、人間は学習をし、成長もするはずだが、二度の離婚からも何も学んでいないのだろう。ふと思うのが西川史子のこと。ちやほやされ、甘やかされて育った彼女は、時に自己中の権化のような発言で得意満面で息巻いていた。

そんな彼女が結婚という現実に踏み出したものの、夫は早々に家を飛び出し別居をした。西川は、レギュラー番組の中で「帰ってきて」と夫に切ない言葉を浴びせたが、覆水は盆に戻らず離婚した。その後、彼女は夫の悪口を言わず、「夫から嫌われた。私が至らなかった」と述べたのを聞き、彼女は感情主体の女かと思ったが、実際は理知のある人だと見なおした。

とんがった発言、非現実的な物言いは、すべて親が甘やかせた責任であって、他人との共同生活にはそれがマイナスであるのに気づいた。気づいたものの、自己変革はそうそう簡単ではないし、すぐには直せない。彼女は恋に憶病になっている。又人を傷つけ、自分も傷つくのではないかと。自己変革への自信がもてれば、再び結婚に踏み出すかもしれないと、自分は読んでいる。

確かに離婚後の彼女は現実思考になったが、それらも自己変革のための彼女なりの努力であろう。離婚前のレギュラー番組内では、「夫が出て行った」と涙ながらに語ったり、1月5日放送の同番組内で「(正月は)自宅で(インスタントカップ麺を食べてた」などと語り、自身の結婚生活に悩む西川の苦悩と葛藤を見た。自分は以前の西川を、「男を幸せ気分にさせない女」と見ていた。


現実に対応しないで、「懐かしさ」だけで交流はできない。相手が何を望み、可能なら叶えてあげたいという優しさ、良心がなければ上手くはいかない。再度の縁はなかったとし、お互い良い想い出だけをしまっておきましょう。彼女のことは、性格云々よりも、情緒に障害があったということなら、理解できないことも収まる。45年後に新たな学習をすることになった。


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