映画『うなぎ』は夫の夜釣りに乗じ、妻が夫を自宅に引き入れていた。夫はそれを確かめるべく自宅に戻り、妻の浮気現場を目撃する。全裸で夫に対峙する妻は無言のままに夫に刺されてしまう。浮気現場に突然夫の出現という不測の事態に言葉を失う妻がリアルであった。そういえば元モー娘矢口真理も、夫留守中に自宅で浮気の最中に夫に侵入されている。
言い訳や問答無用の現場直撃である。夫の中村昌也は矢口を刺し殺すこともなく、1千万程度の慰謝料で決着したという。殺す価値もない女を殺して自分も刑務所に入るバカバカしさを考えるとずっと賢明であろう。映画の妻はあまりに良妻すぎたことで怒りが増幅したのかも知れないが、この女を刺し殺すことで何の益が自分にある?などと考えないのが怒りというもの。
浮気は夫のするもの、妻は夫の浮気に泣くもの。これはもう過去の時代の遺物。男女同権時代にあっては、「女が浮気をして何が悪い?」ということか。確かに男には妾が許された時代もあったが、戦後になって民主主義が導入され、自由・平等の男女同権思想が女性を家庭から解放し、社会参加を容認した。そのことで不倫や浮気の機会が増えたといっても間違いではない。
婚姻であろうが抵抗なく自由な恋愛(不倫)をする女性も多くなったが、それでも男の浮気より女性の浮気の方が風当たりは強いのが正直なところだ。その裏には根強い男女差別が見え隠れする。国内ニュースをお騒がせしている不倫報道の数々をみても、女性側に非難が集中してしまうのが日本特有社会である。様々な事例はあるが、英王室のダイアナ妃を例にとる。
ダイアナは皇太子妃でありながら、婚姻中に幾人かの男性と交際していたのは有名な話で、特にジェームズ・ヒューイット大尉という自身の乗馬教師と5年間にわたり交際を続けていたが、当時は非難轟々だった。夫のチャールズ皇太子が現夫人のカミラと不倫していた時はダイアナの不倫ほど嫌悪感を抱かなかった人が多く、やはり女性の浮気の方が問題視されるようだ。
理由は色々あろうが国民の意識調査においてもほとんどの男は、「妻の浮気は許せない」とあり、もし浮気が発覚したらまずは離婚という選択肢である。もっとも、妻にケツの毛まで牛耳られたひょっとこ男にはそういう気概がないかもだが、亭主関白を是認する太川陽介の場合、妻の浮気が事実だったら離婚するだろうか?あくまで想像だが、自分はそれはないとみる。
妻の藤吉は疑惑発覚後に、男女関係を全面否定し、太川を持ち上げたうえで、彼なしでは生きていけないといったが、それほどのことをいう女が男と逢引き・逢瀬していたとなら、いかにも矛盾である。藤吉は文春に不倫疑惑報道をされた途端に、取った対策と見るのが妥当だろう。自分を守るためならどんなことでも言ってしまう、女のしたたかさを実感した。
太川は不倫であろうことを疑いながらも、妻のあのような崇高な演技を見せつけられれば、怒りの矛を収めるしかなかった。藤吉も太川という男に許しを乞うためにはどうすればいいかを知っていたはずだ。それで元の鞘に収まるならメデタシ・メデタシといっておこう。が、あえて自分ならどういう解決策をとったかを考えてみた。ハッキリ言えるのはグレーゾーンにはしない。
元来、黒白をハッキリつけたい性格なので、自分にとってそのことは利害よりも重要である。まず、藤吉の言葉は信用しない。それはなぜか?ああいう女だからである。泣こうがひざまずこうが、大事なことは事実であって、泣けば事実を言ってるなどと全く思わない。事実をいうならむしろ泣く必要はないであろう。藤吉を信じないならどうする?相手の男を呼びつける。
むろん、その前に自分の夫としての立場・自尊心を妻に話し、お前が嘘をつくということは相手の男を庇うことになるので、そうまでして夫を愚弄するような妻なら、信頼も何もないので即刻退去願うというだろう。そこではもう一つの案を出す。自分は何よりも嘘を許さない。事実を曲げて嘘をつく妻は許さないが、真実を話すなら今回は逢う過ちとして不問にする。
そのためには相手の男を自宅に呼び、あらん限りの尋問をする。男の嘘というのは論理の上になされるので、論理の一貫性を崩せば簡単に落ちるし、自分にはその自信がある。その時にはお前の嘘もバレることになろう。それでも不倫関係はなかったと言い切るか、正直に述べて謝罪をするか、1日時間を与えるから考えること。2日後には男を呼びつけるからな。
要するに何がしたいか?嘘をついたままの謝罪などは謝罪とは言わない。そんな嘘つき妻を持つノー天気夫にはならんという態度表明である。相手の男を問い詰め、ゲロを吐かすことになれば、妻は自分に嘘をついて相手に加担したことになる。そんな女は退職金(財産分与)なしの懲戒解雇を申し付けるということだ。財産が欲しければ裁判所に訴えたらいい。
面白いではないか、相手の男を自宅に呼んで、冷や汗たらたらで尋問をするのは…。もっとも、妻が正直に事実を認め、相手に加担することもなく、夫の敵は自分の敵と共闘してこそ、完全なる縁切りであろう。嘘の謝罪ではなく、正直に詫びて、相手男とあったことを正直に話させるのが理想であり、その上で男を呼びつけるのが、真の夫婦である。相手は誤魔化すつもりで来るだろう。
ところが、妻は夫に真実をゲロしてしまっている。にもかかわらず、男は知らぬ存ぜぬと嘘をつきに来るわけだから、これほど傑作な話はない。男が観念した暁には、「一体どういう経緯で妻をたぶらかせたのか。正直にゲロせい!」と拷問並みに尋問をかけて、相手の自尊心を粉砕させ、「誠意があるなら自分で慰謝料額を決めて持ってこい!」ということもできよう。
妻の嘘の謝罪と、相手男に加担して真実を言わない態度が許せないということで、こういうことをやってみる。正直に話すのと、嘘をついて、その嘘がほころぶさまをドキドキしながら夫の不倫男への尋問を聞くのと、どっちを選ぶか?こういう選択を妻に迫ることで、人間は嘘をつく利が本当にあるのかないのかを考えるだろうし、考えさせるべきと思う。
大体において、人間が真実を隠して嘘をつくのは、嘘に「利」があると思うからだが、本当にそうなのかを考えさせなければ真実を言わないだろう。つまり、真実を言った方が自身の「利」になるという風に持っていければいいわけだ。親は嘘をつく子どもを戒める際に、「嘘をつかずに本当を言えば許す」という手を使う。それで子どもが正直にいうと、許さない。
こういうのは卑怯千万である。本当を言わせるために親が嘘をついている。こういうことをされると、子どもは親に対して信頼をなくすだろう。本当に真実を大事にしたいなら、正直に述べた子どもの罪を不問にし、正直に述べたことの感謝をすべきである。真実に勝るものはない。という教育はやってできないことはなかろう。もちろん、妻に対しても通用する。