『彼岸花』は1958年製作・公開された小津の初のカラー作品である。自分がこの映画を気に入る理由は、以下の台詞のやり取りに見られる、娘の結婚相手を気にいらないと反対する父親に対し、真っ向立ち向かう娘の意志の強さを見るからだ。娘の突然降ってわいた結婚話に怒る父が、「許さん」と承服できない旨娘に告げるが、古い観念を娘は打破しようと抗う。
大手企業の常務である平山渉(佐分利信)には、適齢期の長女節子(有馬稲子)の良縁に思いをめぐらしていたが、突然平山の会社に、谷口(佐田啓二)という男が節子との結婚を認めて欲しいと現れる。平山は急な話でもあるとの理由で、すぐに返事はできないと谷口を諭す。が、平山は仕事から帰ってきた節子にそのことを話すが、谷口は自分の行動を節子には話していなかった。
「谷口という男知ってるね?今日、会社へ来たが、お前はそのことを知ってるのか?」。父から聞かされた節子は谷口の独断行為に驚く。
「お前と結婚したいといってるが、どういう知り合いだ。いつから知ってるんだ?」。執拗に尋ねる父に対して、節子は会社の同僚とだけ伝える。
「お前もそのつもりか?どうなんだ!」と父の強い口調に節子は「はい」と頷く。
「じゃ、なぜ今まで黙っていたんだ。なぜ両親に相談しないんだ。お前の縁談のことを心配してるのを分かっているはずじゃないか…。お父さんは賛成しない」。
へそを曲げた父に節子は毅然という。「あたし…、自分で自分の幸せを探しちゃいけないんでしょうか?」。母親(田中絹代)は、「節ちゃん!」と父に歯向かう娘をたしなめる。言い終えるや否、節子は家を飛び出し谷口の元へ行き、父に会った経緯を聞き、今しがたの経緯を話す。谷口は、「そう、それでいい。」と、節子を讃える。谷口に送られて家に戻った後も平山は節子を責める。
「お前は、自分が軽率だと思わないのか?親にも相談しないで結婚を勝手に決めていいと思ってるのか?お前のやってることは間違ってると思わないのか?黙っていては分からないじゃないか!」。この時代の父の威厳たるや半端ない。節子は視線を落としたままじっと聞いている。平山の執拗さは増すばかりで、ついに節子は我慢ならず反抗の言葉を父に向ける。
「そりゃあ、あのひとはお父さまがお望みになるような立派な家柄ではないかもしれません。が、それで不幸になるとは、わたし、思いません」。
「お父さんにはそう思えないね」。
「それはお父さまの考え方です。私は違います。私には私の考えがあります」。
「どんな考えだというのか、いってみろ」。
「いったって…、分かっていただけないと思います」。
「なに!」声を荒げる父と娘の間でおろおろする母に向かって節子は言う。
「お母さま、お父さまは最初からお幸せだったのよ。私たちはいい生活はできないかも知れないけど、できなくてもそれが不幸だとは思いません。私たちのことは、私たちで責任を持ちます。お父さまやお母さまにはご迷惑はかけません」。
「でもね、節ちゃん」、母が口を開くが節子は、「もういいの」と制止し、溜まったわだかまりを抑えきれず、両手で顔を覆って泣いた。何という場面であろう。1958年製作とはいえ、良家の家庭とはこんな風に子どもうぃ躾けているのか?成人でありながた自分のことを決めるのにも親の許可がいるなど信じられない。娘の言い分は正当であり、筋も通っている。
平山の発言の不条理は、親という不条理である。当時の良家の子女は親の不条理を受け入れていた。父の威厳が絶対的であることは、子の自由を束縛することで成り立っているに過ぎない。子どもが反抗すればもろくも壊れる父親の絶対的威厳である。なぜ逆らわないのか?そういう時代であったとしか言いようがない。結婚にまで親が口を出すのが当たり前だったのかと。
家長制度に見る歪な家庭の在り方をしみじみと感じさせられる。親が決めた相手と一緒にさせるなど、なんともバカげた話であるが、それが当たり前に横行した時代である。恋愛に自由がなかったのは、家の重み、家柄のという体裁、親の見栄と欲目、そんなものであるようだ。自由主義者の自分には耐えられない。自由主義者というのは決して自分だけの自由を望まない。
相手の自由を認めてこそである。妻の自由、子の自由、世の中のすべての人の自由を容認するからこそ、自分自身も自由を横臥できる。経済も思想も体制も自由であらねばならない。昔の家長(つまり父親)は、自分は自由でありながら妻・子の自由を認めないという愚かな制度の典型であり、戦後になってマッカーサーによって、「こんなものいらん」と捨て去られた。
妻が夫に依存し、子どもが親に依存するのは、多少なり不満はあっても不安はない。そういう観点から親に依存する男もいた。典型的なのが長男である。跡目を継ぐということで大事にされ、温室でぬくぬく育てられた長男に危惧の念を感じていたのは他ならぬ徳川家康もである。「総領の甚六」という慣用句がある。総領とは長男、甚六とはろくでなしの意味だ。
また、伊藤野枝しかりである。彼女は自分の預かり知らぬところで親が勝手に決めた結婚相手と祝言はあげるにあげたが、それには親の都合という事情があった。野枝が東京の女学校に行くための学費を卒業まで引き受けるという約束を親同士が交わしており、その事情を縁談の事由として聞かされた野枝は式に臨むしかなかった。が、野枝は婚家には一晩だけ泊まった。
新郎には指一本触らせず、新郎を捨てて福岡から東京に家出をする。家出というより、女学校時代に好意を寄せていた辻潤の元へ奔った。女学校時代に辻との男女関係はおそらくあっただろう。具体的な記述は散見されてないが、辻と東京・上野で開かれた青木繁の作品展に出かけた辻と野枝は、公園の繁みで骨も砕けんばかりの抱擁を辻から受けたと記している。
親は親、子は子、親の都合は親の事、子どもに親の都合を押し付けたり被せるべきではないが、どうにも親は子どもの製造者という傲慢を捨てきれない。これをどう戒めるかか、親の最重要課題であろう。「分かってはいるけどできない」という親は多い。「分かってできない」のは方便であり、行為できない分かるは、分かっていないと自己批判をすべきである。
できないのに、分かっているなどと自分に甘んじるのは止めた方がよい。分かる努力、つまりできる努力をし続けるべきであろう。親が子どもを思い、考えて行為することが子どもの幸せだと信じる親も多いが、仮に自分がそのように親の言いつけに従い、それで幸せだったという充足感を得たとしても、子どもはまた親とは性格も考えも価値観も違うわけだ。なぜ一緒に考える?
視野が狭窄的だからである。自由を与えて責任を子どもが取るという図式が、結果においてではなく、そのプロセスにおいて正しいと自分は考える。結果なんてものは事前に左右されないだろうし、だから歩留り論に気持ちが揺らぐのだ。子の人生は子が開くということを信奉すれば、乞食になったところで本人は悔いがないのではないか?親は自由を与えたと誇ればよい。
節子のいう「貧しくとも幸せ」を許さない親の気落ちは物質的幸福から抜け出せない。平山の最後の言葉は、我が思いにならぬ節子への醜い抵抗である。「もういい、ほっとけ!とにかく俺は不賛成だ。若い女が外に出るとロクなことがない。2~3日家にいてとく考えてみろ」。「会社があります」と節子はいうが、「よせよせ、会社になんか行くことはない」。
ここまでいう父である。節子は意を通して結婚に辿り着くが、式には出ないとひねくれオヤジなら出ぬがよい。婚礼写真に姿なき父の姿は、永遠の恥として晒しておけばよかろう。父に祝福されない結婚が不幸を招く理由などどこにもない。娘にバイ菌がついたと慌てふためく父など、今では漫才のネタにもならないが、小津映画の古き良き、いや悪しき時代に堪能する。