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「忍ぶ川」の志乃

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中三の卒業記念の寄せ書き帳に、全学年トップ成績(であっただろう)の才媛Kが、自分の差し出すノートにこう書いた。「想い出は美しいもの切ないもの、一人寂かに忍ぶもの」。忍ぶは偲ぶではなかった。当時はまだ、「偲ぶ」という漢字はあまり見なかったが、さすがにKは書くことが違うなと思った。何度も読んだが、中3当時は的確に意味を理解していたと言い難い。

諺としても見たこともない言葉女であり、女性しさも感じられた。「偲ぶ」は人を思うと書くが、「忍ぶ」は忍耐の「忍」であるからして、辛いことを我慢する意味であるが、他にも人に隠れてこっそり何かをするという意味がある。「一人寂かに忍ぶもの」は偲ぶでなくとも美しい情景である。三浦哲郎の『忍ぶ川』は特別な何かもなく淡々と描かれる日常が美しい。

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「忍ぶ川」とは東京・下町の小料理屋の名称であるが、そこの看板娘である志乃という女性を、三浦は理想像として美しく描いている。小説を読むまでもなく女性の真の美しさとは内面の美しさであることを疑う余地はない。三浦は志乃への理想を説明的な書き方をせず、理想とされる魅力の一切を行動によって描いている。ゆえにか彼女の一層の美しさに惹かれてしまう。

新婚旅行の二人が雪国地方の風習として裸で床に入る有名な場面で、哲郎は志乃に、「寝巻なんか着るよりずっとあたたかいよ」という。哲郎の言葉に応じる志乃の凛とした佇まいが、奥床しき日本女性の美しさを漂わせる。自分にはかつて上越育ちの女がいた。雪のような白い肌の女性である。彼女を志乃に見立てて哲郎の言葉を言ってみた。彼女もまた従順であった。

東北地方の夫婦は裸で寝ると、柳田国男の『遠野物語』に書かれている。下半身に下着をつけていると仲が悪いなどといわれるとも記されてあり、寒い地方ではすることもないから早々に床に入るが、床に入ってすることはひとつ。昔は性技堪能な女を、「床グセ」がついてるなどといった。ゆえにか、経験豊富であっても、控えて舞うのが女性の習わしだった。

女性は控え目であることが、「良し」とされた時代、処女信仰が蔓延っていた時代の話である。「昔の女は良かった」というとき、男の多くは控え目で従順な女性をいった途端、「おやじの懐古主義」と若い子に罵られ、愚痴をこぼす。「だったら、昔は良かったでなく、昔は面白かったといったら?」と知人に言ったことがある。若い子にやり込められるおやじの憐れさよ。

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昔を良しと言うから疎まれるのではない。話し方や表現に感性の低いおやじ的な物言いが敬遠される。自らを古い世代人という枠に押し込んだ物言いは自分が聞いても小汚い。自分も古い世代のおやじだが、若者と居る時は同じ線上にいる気さえする。幼児に接する母が自然と幼児言葉になると同じ意識であり目線である。世代ギャップは、「ある」より、「作られる」。

世代断絶の存在を否定しないが、ギャップを積極的に感じる必要はない。上記の才媛Kがいうまでもなく、想い出は美しく彩られることが多い。遠く過ぎさりし夢の世界のようだ。夢は美しい方がいい。途中で目が覚め得ても、つづきを見たくて寝直したいような夢がいい。『忍ぶ川』は度々映像化され、映画にもなったが、栗原小巻の清楚で美しい志乃が脳裏にある。

哲郎と志乃は深く結ばれる。哲郎が、「忍ぶ川のお志乃さん」と囁くと志乃は、「もう忍ぶ川なんてさっぱり忘れて、明日からは別の志乃になるの」と返す。別の志乃…、志乃はどんな志乃を描いてそういったのであろうか。小料理店忍ぶ川での志乃と哲郎はお女中と客という関係であったが今は夫婦であ。店じまいの時間もなければ、日々寝食をともにすることになる。

客から夫へ、お女中から妻となれば役割もちがう。二人はひたすら愛を深めていけばいい。プラトンは著書『饗宴』のなかで、「愛(エロス)とは美における生産である」といった。哲学者は難しいことをいう。『饗宴』はエロスについて種々述べているが、「美しいもの」が何?「善いもの」とは何か?。エロスが肉体の場合、男女が身体的に交わろうとすることをいう。

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他方、「美しいもの」が精神の意味である場合、精神の場面で最も美しいものとは、「知」に他ならず、エロスとは、「知」を求めることを意味する。したがってエロスとは、「知を愛し求めること」即ち、「哲学すること」になる。したがってプラトンにとって、「エロス」とは「哲学」のこととなる。我々は心を惹きつけられる思想や感情の持ち主に出会うときに愛を感じる。

そしてその思想や感情を自分のものとし、新たな自分に生まれ変わろうとする。また、顔かたちや身体的な美しさを所有する人を見れば、その人と結ばれ、自分の子どもを生みたい(生ませたい)という気持ちが起こる。これが愛であろう。確かに、心を惹きつけられることから男女の愛は始まるが、時を経て強く深くなる真の愛情は、二人の日々の生活中で育まれる。

互いに助け合うことで、人間として成長していく過程で生まれてくるものではないか…。生きるということは良い事ばかりではない。勝ち負けや成功や失敗を体験する。いつも勝利し、いつも成功ばかりなどはあり得ない。であるなら、我々にとって大切なのは、負けたときや失敗したときに、その負け方や失敗の仕方が、立派なものであるべきではないか。

人によってはズルい方法で勝利を得たり、成功したりする人もいるだろうが、そういう人は人間としての進歩や成長はできない。どんなに辛くとも、嫌なことでも、それが避けられないことであるなら、ありのままの自分でぶつかり、取り組めばよい。力も能力もないみすぼらしい自分であれ、ありのままの自分なら、すべてはありのままの自分から始まったのだ。

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体面を気にしたり、背伸びをしたり、見栄を張ったりすれば、隠したり誤魔化したりする人間になる。ありのままの自分を出し、ありのままの自分を日々高める努力をすれば、自らに誠実になる。自身に誠実なら、他人にも誠実となる。能力が低いのは恥でもなく、素直に認めて能力を高めようと頑張れば必ず向上する。「足るを知る」ことがすべての始まりの一歩かなと…。

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