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憂き事の尚この上に積もれかし ③

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>多くの科学者が悲観的であったなら、数千回もの実験を経て新薬や、新技術の発見などあり得ない。

2014年ノーベル物理学賞を授与された天野浩名古屋大学大学院工学研究科教授は、中学生までは勉強嫌いだったという。そんな天野氏を変えたのは、高校時代の朝礼で、校長が紹介した一篇の和歌であった。それが、「憂き事の尚この上に積もれかし~」だという。自分はこの句を熊沢蕃山が詠じたとばかり思っていたが、新渡戸稲造は山中鹿之助と記している。

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山中鹿之助は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将で、尼子氏の家臣。本名は幸盛といい、鹿介、鹿之介、鹿之助、鹿助などの通称で知られている。鹿之助は尼子十勇士の一人で、主家再興の為に苦心惨澹の日々を強いられ、苦境に立つ毎に己を奮起させる為に歌ったと伝わるが、熊沢蕃山よりも百年前の時代の人でもあり、こちらが正しいのかも…

ともかく天野氏はこの言葉に感じ入り、とにかく勉強をしてみようと発起、名古屋大学工学部に入学する。その後をこう記している。「大学に入っても、何のために勉強するのかしばらくは分かりませんでした。ある日序論の講義の中で、先生が「工」という字は、人(一)と人(一)をつなぐ学問だよと言われ、勉強は人の役に立つためにするということを初めて実感しました」。

ノーベル物理学賞受賞となった業績は、「青色LEDに必要な高品質結晶創製技術の発明」とされているが、天野は実験を1500回は失敗したというが、それでも続けた理由を、「実験自体がものすごく楽しかったんですよ。何でも自分でできるから。学部の3年生までは座学で、単に知識を詰め込んだり、既に分かっていることを二番煎じで教えてもらったりするだけでした。」

天野は人生第一の目的にしているのが、「気楽に生きる」であるという。そんな天野が真剣に悩み考えたのが博士号取得のための大学院進学であった。その時のことをこう述べている。「わたしは長男なんですね。長男だから、実家の家計を守らなければいけない、あるいは、研究の成果も何にも出ていないのに本当にどうしようかと、ものすごく悩んだんですけれども。

イメージ 2最終的には、アメリカの起業家の例にもあるように、おそらく本当に人間が創造力を発揮できるというのは、若い頃だけなんですね。だからそのときに考えたのは、「自分が人生をかけるのはこれが最後かもしれない! だからどうしても研究を続けたい!」と思ったんですね。当時の自分を知っている人は、絶対にそんなことは考えられないと思いますね。

でもどういうわけか、そのときだけは研究を続けたいと思ったんですね。幸いにして、ドクターに入ってから奨学金を受けられるということが分かり、研究を続けることができました」。「気楽に生きる」を座右の銘にするくらいだから、それほど思い詰める自分を誰もが驚くだろうと…。彼が楽天主義者であることが、失敗を重ねてもへこたれなかったことになる。

同じようなことはAppleの創始者であるスティーブ・ジョブズにも言える。ジョブズは偉大なる楽観主義者として人々の記憶に残っているが、同時に彼は信じられないくらい注文の多い人で、強い猜疑心を持つ人間でもあった。彼は物事に満足せず、妥協せず、提示された平凡なアイディアを突き返したりもした。ジョブズは簡単に納得することはなかったが、素晴らしい未来を信じていた。

未来が良くなると信じながらも、常に疑いの目を絶やさず養うことが、良い未来を切り開く力になるのかも知れない。Appleが窮地に立たされていた頃、もはやAppleMicrosoftに勝利するのはあり得ない、誰もがそう思っていたが、ジョブズはこういった。「AppleMicrosoftに勝つ必要はないし、そもそも戦う必要もない。Appleがどういう会社なのかを思い出せばいいことだ。」

今一度、楽観主義と悲観主義について考えてみる。楽観主義とは、将来や物事の成功への希望と自信に満ちているが、悲観主義は、物事の最悪の事態を見る。または最悪の事態が起こると信じる傾向があり、将来への希望と自信に欠けるようだ。楽観主義者は夢を追い求めるが、夢を追うことを否定する悲観主義者は、一般的に良くないものだと思われている。

異例といえる成功や、画期的な進歩を生み出す人の性質について調べたところ、"疑い深さ"と関連しており、それが、"ある程度成功した人"と"信じられない程成功した人"を決定的に分けるものであった。楽観主義VS悲観主義…、その人が未来を信じる度合いは成功を測る物差しといわれるが、もう一つ付け加える座標軸があるなら、それは「信じやすさ」と言われている。

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信じやすい人は誠実で善人などといわれたり、疑い深い人を不満の多いや頑固な人などというが、辞書などで定義されている信じやすさとは、物事を進んで信じる姿勢を持つ、または見せる。疑い深さとは、簡単に説得されず、疑いや条件を持つ。したがって楽観主義者には、ギャンブルは勝てる、勝ち続けられる性向となるが、疑い深く悲観的な人は被害妄想が顕著となる。

それらが、人間とは悪意を持ち、物事は良くならないと思っている。信じやすい人は物事を積極的に信じる姿勢を持つが、疑い深い人は、人から簡単には説得されないばかりか、それが強い傾向にある人は、自分の目で見た物以外は信じないとする。どちらにも長短あり、人間は思想やイズムに傾きやすいが、大事なのはバランスであろう。バランスを取るのが難しいから傾くのかも知れん。

高校まで勉強が苦手だった天野は、「勉強は人の役に立つためにするということを初めて実感した」と気づいたという。1960年生まれの57歳の天野は苔の生えた昔人間というわけでもないが、塾とは無縁で毎日遅くまで机に向かっていたという。天野は高校受験は学区内トップの静岡県立浜松北高等学校(旧制浜松一中)ではなく、学区内ナンバー2の県立浜松西高等学校(旧制浜松二中)にした。

大学受験は、第一回大学共通一次試験が実施されたのが1989年だから、天野はその時代の申し子である。彼は共通第1次学力試験の結果が予想を下回ったため、志望校を京都大学工学部から1ランク落とし名古屋大学工学部に変更した。そんな天野を母親はこのように評している。「あの子は何でも1ランク落として安全圏を歩くんです」。ムキにならず無理をせぬところが楽天家であろう。

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ムキになって己に無理をし、見栄のために上の学校を目指す人は楽天的と言わない。「足るを知る」からこそ楽天である。まして、自分のためにする勉強が、「学」であるのに、「学歴」というのは人に披露するための肩書である。日本の国策の失敗が、学歴社会を作り、学歴社会はいじめや不良を生んだ。人は自分のため、世の為に学ばぬなら、学ばなくてよろしい。

天野氏の楽観的な性格は研究室の学生に、「怒っているのを見たことがない」といわしめる。アカハラ(和製英語: academic harassment)とは、大学などの学術機関において教職員が学生や他の教職員に対して行う嫌がらせ行為をいうが、それらしばしば耳にするなか、天野のような有能かつ温厚な人物にはほっとする。職場や家庭の権力を利用したパワハラは絶対に許せない。

権威と権力はしばしば混同されるが、率直にいえば権力とは、「いうことを聞かせる原理」であり、権威とは、「(自主的)に聞く原理」であろう。したがって、権威が失墜したところではパワハラが横行する。組織に権威は必要だが、親だから偉い、教師だから偉い、上司だから偉いというのではなく、現代のような価値観が混在する時代において、個々には人間的尊敬が求められる。

したがって、パワハラを持ち出すような人間自体が無能である。シカと目を見定め、そんな親、そんな教師、そんな上司は見下せというのが自分の基本的な考えだ。地位や立場で尊敬を得ようなどは無能で甘い。「どんな親も親」というカビの生えた考えを捨てない限り、災いは子どもの心にまで及ぶ。子の前で親を批判すれば自分が我が子に批判されるというのはしょぼい。

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何が善くなくて、何が善いというのを是々非々に見つめる思考が抜け落ちている。自分の母親は、「お前が嫁や孫の前で自分を批判するから、みながバカにするようになった」と言った時、「バカを止めればバカにされない。そのことに気づかぬからバカなんだよ」と言っておいたが、そんなことすら耳に入れよう、分かろうともせず、自らへの批判を他人のせいにする愚かな母。

批判を嫌う人間の心理は簡単に説明できる。頑固で素直でないということ。つまり、批判に耳を傾けて自問自答できない人間である。彼らは、批判そのものを、「悪」と考え、感じもし、それを発する相手を、「悪者」扱いする。これは批判=悪口と混同しているだけで、根本が分かっていない。そういう人間への対処は、誰も何も言わなくなろう。つまり、裸の王様状態になる。

批判を受け入れない人間は、他人からの善意がすべて仇になる。善かれと思って言ったことに敵愾心を持たれるのは割が合わないどころではない。「言わずとも気づく人間」を利口の最上とし、「言って気づく人間」を普通の利口とするなら、「言っても気づかぬ人間」はバカである。さらに最上のバカは、「言ったことに反感を抱いて睨み返す人間」。これは死んでも治らぬ人間をいう。

そうした分類をキチンとしておけば、相応の対処ができようし、人間関係とは、孫子の兵法にある、「自分を知り、相手を知る」ことである。「善かれと思って言ったのに、しっぺ返しを食らった。言うんじゃなかった」という後悔は誰にもある。そうした経験や場数を踏んで、対処するのが利口であるが、批判を非難と混同する心の狭い人が多いと感じるのは、皆がムキになって生きているからだ。

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そんなにムキにならずともよいのに…と思う自分を楽天的と感じるときで、相手によかれと思うことも、今は余計なことと口を閉ざす。「人は人、自分は自分」というのは虚無的で他人に愛のない自己中と思っていた。若い頃は、身を捨てても他人のためになどと調子こいていたが、孔子様のいう、「六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」の域には自然、到達するものだ。


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