逞しさと厚顔無恥は紙一重という。バカと天才が紙一重であるように、表裏は一体と見るのも、一つの物の見方である。厚顔無恥はまた図々しさともいうが、謙虚で控えめな人間はこういう性質の人間を異質として嫌う。確かに質は違っているし、避ける気持ちも分からぬでもないが、見習おう、取り入れようとする人間は、自身を一皮むくことになる。
自分にないもの、足りないものを採り入れるか、避けるか、どちらがいいのかについての答えはないが、同じように図々しさと謙虚さはどちらが好まれるか、これも何とも言えないところだ。謙虚で控えめな態度は、日本では美徳とされ、出しゃばらない態度が好まれるが、欧米ではこういう姿勢は消極的でやる気のなさとされ、臆面なく自己主張をする。
日本人からみれば、まさに異質の欧米人である。欧米人から見れば日本人こそ異質であろう。天界から見れば地上は下界、地上から見れば天は遥か上の世界であるが如く、視点を変えれば天地もひっくり返るが、正確な視点で捉えてみるに、日本人の好む控えめな態度は、本当に謙虚な心をあらわしているのか?実はそうとも言えないのが日本人社会の実態だ。
日本人の多くが知る日光東照宮の「三猿」とは、「見ざる・言わざる・聞かざる」とされ、世界的にも、"Three wise monkeys"として知られている。三猿のごとく、控えめで余計なことを「見ない」、「言わない」、「聞かない」のが日本社会でうまく生きにくための常道手段と考えられている。実際その人が本心では何を考えているかなどは問題ではない。
東照宮は徳川家康を神として祀り上げた場所であり、ここに三猿をおいている理由は、「腹に一物」、「狸オヤジ」で有名な家康を美化するというのでは決してない。生前の家康にはそのようなイメージがあるが、それを後世にまで評価するなどは、あまりにも品位にかけるし、神となった家康公が静かに眠る聖なる地にふさわしくもなくなし、全く以て無礼であろう。
東照宮の三猿は神厩舎にある。神厩舎とは、神に仕える神馬のための厩舎で、猿は馬の病気を治すとされている。三猿は、参道側に5面、西側に3面の計8面に、16匹の猿が彫られている。作者は不明だが三猿には意味があり、それぞれ個々には人間の一生が風刺されているという。つまり、人間としての正しい生き方を猿になぞらえて描かれている。
①赤ん坊の時代
母親が子どもの将来を見つめている。親は子どもの将来が実りあるものであることを祈り、また、子どもは親に愛されて成長する。
②幼年期
幼年期に悪い事は見ない、聞かない、言わない。多感な幼児期に、子どもに悪い事をさせない、聞かせない、言わない。綺麗なものだけを見て素直に育つのがよい。大人に向かって、人の悪い所ばかりを見ず、あえて聞くこともしない、悪口を言わない教えとなる。
③独り立ち
ゆっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。一人座り込んだ猿の何とも言えぬ表情が印象的。しかと自分の人生を考え、独り立ちをしなければいけないということ。
④青年期
大きな志を抱いて天を仰いでいる。
青い雲は「青雲の志」を表す。「青雲の志」とは、将来立派な人になろうとする心で、若いうちは、志を大きく持って高い所を目指しなさいということ。
⑤友情と挫折
(左) 挫折を知り、崖を覗き込む猿と(右) 崖を飛び越えようとする猿。挫折を知り、落ち込んだ時に大切なのは友人。友の支えによって立ち上がり、崖を飛び越えられる。人生を生き抜く中で、友人は大切である。
⑥左:恋愛 ⑦右:結婚
(左) 座り込み、恋愛に悩む猿
(右) やがて結婚し、荒波を超える猿
人生の中で恋愛に悩む時期はあるが、良い伴侶を得て結婚。眼前に「荒波」が現れるが、二人で力を合わせれば乗り越えられるということ。
⑧妊娠
小猿も母猿となり、親になることで喜びや苦悩を知る。生まれる子もやがて同じ人生を歩むことになる。そしてまた①へと繰り返されることになる。
『見ざる聞かざる言わざる』とは子どもの将来を考えた母猿が、教育上ふさわしくないものは、見たり聞かせたり真似させたりしないというのが、この三猿の教えの本当の意味に込められている。出処は孔子の『論語』の次の言葉とされている。「礼節を欠くようなことを、見てはならない、言ってはならない、聞いてはならない、行ってはならない」。
これらのことは中国で広く伝えられるようになり、日本には天台宗の沿うによって伝えられたとされている。「自らの品格を落とすようなものは見るな、聞くな、言うな」という自己修養の言葉が、なぜに、「自分が見たものは秘密にし、余計なことはいわない、聞いてもすっとぼけなさい」という意味にかわったのか。おそらく、「村八分」の忌避し、怖れるからと想像する。
「人のフリ見て我がフリ直せ」、「言わぬが花」、「口は災いのもと」、「長いものには巻かれろ」などの諺に連動し、他人にあれこれ注意しても逆恨みをされるだけ、「自ら学べばいい」という日本的な価値観になったのではないか。自らの利害を顧みることなく他人のためにひと肌脱ぐというのは、一般人にはない義理・人情の世界であり、つまるところ、「侠客思想」である。
「強きをくじき、弱きを助ける」という渡世人は見ていてカッコいいが、これは定宿を持たぬ股旅人であるがゆえにできることで、狭い共同体社会にあって、他人のために入らぬ尽力をすれば、村八分の憂き目に合ってその場に住めなくなる。寄って集って相手を中傷し、排除するという、個人主義社会と違った集団型「村八分」思考が、日本人のいじめの原型にある。
他人の相談事の中で、職場や近隣といったコミュニティ内での悩みなどがあるが、これを他の場所に居住する他人に相談したところで、他人はこともなげに、「ああしろ」、「こうしろ」と言えるが、これは旅の途中のとある村で、揉め事・諍い事を解決して去っていく渡世人と同じ状況である。つまり、その場にいないからできるたり、言えたりは、相談の本質的解決とはならない。
このことに気づいた自分は、むやみに他人の相談事に安易なことは言わぬように努めた。人間関係の全くない他人が、他人の人間関係の中での正しい解決法や答えなど出せるハズがない。どうしても、という場合には、「そこでの人間関係が壊れてもいいんですか?」と先ずは伺う。人間関係より、「正義」を優先する自分ならではの解決法であり、それなら解決は可能だ。
なぜにいじめが発生し、なぜにいじめに加担するのかについて、自分の経験も踏まえてあれこれ思考するに、大きく立ちはだかるのは親の存在感である。障害者の子どもを振り返ってみる我が子を引っぱたく親の話があるように、世の中において、一般的に「異」とされるものに対する親の真摯でリベラルな考えが、子どもに大きく影響し寄与すると考えている。
子どもを生み育てることは、その子どもの健康を願い、その子なりの幸福を見つけ、目的とするのが正しいのであって、親たちの何らかの目的を実現するための道具であるべきではない。他人の価値観に頼って生きる人は、自らの意志で乞食になった人より不幸であろう。戦後、日本経済が復興を目指し、高度成長を遂げるにともない、家庭環境がどんどん悪化して行った。
「一億総中流意識」のプラカードを掲げた人間は、自尊心や自負心が他人と張り合うことで同調圧力が自然に芽生えていった。隣家がテレビ買うなら我が家もテレビ、洗濯機を買ったと聞けば、負けてなるかと追従する。さらには冷蔵庫…、これを三種の神器といわれた。やがてマイカーに海外旅行と発展していく。ここでいう発展とは、「張り合い」のこと。
今では何でもないことが、高度経済成長当時にあってはいささか異常であったかも知れない。それ以前のご近所内外による、「張り合い合戦」のなかった時代を正常とするなら、なぜ、あの時代の人たちは目くじら立てた張り合うことをしなかったのかについて、「足るを知る」という自覚と、「贅沢は敵だ!」という言葉で、生活が派手にならぬよう戒めていたからではないか。
親が周囲の何かと逐一張り合うようだと、そのことが子どもに伝染し、子どもは「和」することより、敵愾心をむき出しにした排除思想に向かうのではないか?あくまでこれは自分の想像である。いじめをする子どもの原因が家庭にあるならとし、そうした家庭の中でいじめっ子がなぜに生まれるかについて、あれこれ思考した時に、原因として考えられる推論である。